中年日記(2006年)

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2006年12月31日 いよいよ大晦日です。家族と熱田教会の礼拝に参加しました。一家ともども健康を守られ、感謝でした。来年は教会学校の青年部で二回ほど「お話」をしなければならないのですが。。講義とはまた違って緊張があります。ただ、小学校から高校まで教会学校で学んだものとして、やはり両親から引き継いで勤められるのは幸せなことと思います。帰りは家内と若い頃二人でよく出かけたラーメン屋さんのチェーン店が刈谷にあるというので、遠回りしてそこで食べました。子供が出来てから行かなくなったので、七年ぶりくらいで、、懐かしかったです。。いまは家に帰ってのんびりしています。福山に嫁いだ妹の二人の子供達、、双子の女の子でもう中学になるのですが、家に遊びにきてくれました。二人とも妹そっくりで、思わず妹の名を呼びそうになります。ただ、、姪が来るからと思って居間を片付けたのに、、ひろとは「おばけごっこやろう。。おばけが出そうなところいっぱいあるのよ。。」といって、僕の能の本や絵がいっぱいおいてあるほこりだらけの書庫に入るし、、疲れたからちょっと横になろうと思って二階にふとん引いておいたら、友恵が、パパはいつも自分だけここで寝ていてずるいのよといって、姪までさそってそこでトランプ始めるし。。せっかく片付けた部屋には全然いないので。。ううーっと思っています。。その後、教会学校のクリスマスプレゼントで貰ったポケモンの凧をあげようとしましたが、うまく上がらず。。明日こそ修理して・・。。来年はどのような年になるのでしょう。。一家健康が守られ、与えられた仕事がきちんと出来ればよいなあと思っています。では、皆様よいお年を。。


2006年12月30日 今年もいよいよあと二日です。昨日は作曲家の渡辺康さんが奥様と一緒に安城まで遊びにいらしてくださいました。比呂人も友恵もお客様は大好きです。友恵は先月買って貰ったご自慢のピアノで、「子犬のマーチはこうやって弾くのよ」。。とか自慢していましたが。。渡辺さんの奥様はすごーく上手なピアニストなので、、ちょっとだけ弾いて頂きましたが。。やっぱりすごーーいのですよね。比呂人も友恵もびっくりしていましたが。。。どうしてあんなに早く指が動くのだろうと。。目の前で見ると感動します。おばあちゃんの夢は友恵に熱田教会で賛美歌の奏楽をして欲しいということなのですが。。友恵ちゃんは上手になるでしょうか。頑張って練習して欲しいです。。次の論文原稿、来年1月10日締め切りの椙山の「人間学研究センター」の紀要の原稿が一番近い原稿締め切りです。九月二十五日に人間学研究センターの講座として岩田律園先生・恭彦先生にいらしていただいて、尺八のワークショップを行ないました。その記録をもとに纏めます。でも、あのワークショップは楽しかったなあと思いますが。。ただ、、三ヶ月前のものなのに、、資料が山に埋もれて出てきません。これはやはり資料整理と遅くなった大掃除をしろという事なのかなあと。書かなくてはならない原稿は、平家部会論集が1月末、《熊野》の作品研究が二月末、《船弁慶》の作品研究が四月末。。。若い頃、投稿できる場所が本当になくて苦しんだことを考えると、とても有難いことと感謝いたしております。いずれも資料は机の脇の紙くずの山に埋もれています。ではこれから資料整理に入ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月27日 大学は冬休み。。全館しまっているのですが、研究のため出勤しております。今年出来たこと、出来なかったこと、望みが叶ったこと、叶わなかったこと。。色々ありますが、私にとってみれば一家に病人が出ず、スタジオを用いた録音や講義でのワークショップ、ホームページからの音源配信や能楽番組データベースの画像データベース化など、明日に続く研究成果を得られたので、良い年だったのだろうと思います。ひろとにしてみれば、「うちのパパは全然遊んでくれない」そうなので、申し訳ないなあと思いますが。。今日は西村高夫先生に謡っていただいた仕舞謡を7曲追加致しました。とても魅力的です。来年は前著『夢幻能の方法と系譜』が出て五年目。。三十代の成果は著書二冊になりましたが、来年は四十代も後半になりますので、四十代前半の成果を「近代能楽史の研究」という本にまとめたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月25日 メリークリスマス。。23日は能楽学会の能楽フォーラムのため大阪大学の中之島研究センターに行きました。準備が本当にぎりぎりで、係の藤田隆則さんや大山範子さんに大変ご迷惑をかけて恐縮でした。でも多くの方に音源を提供して頂いて本当に感謝でした。宝生九郎知栄、初代梅若万三郎、観世清之、観世清廉、金剛勤之輔、野口兼資、松本長、片山九郎三郎、宝生新、桜間弓川、橋岡久太郎、井上嘉一郎、観世元滋、川崎九淵、幸祥光。。どれもとても魅力的でした。時間の関係で豊嶋弥左衛門と、田鍋惣太郎を聴く事が出来なかったことが残念でしたが。。21日に友恵が胃腸風邪に罹って大阪に行けるか本当に心配でしたが、23日の朝には回復し、無事一家で大阪に行くことが出来ました。子供達は国内研修のおかげて大阪が大好きなので。24日は一家で昨年の国内留学中の思い出の地の池田のインスタントラーメン発明記念館に出かけてカップラーメンを作り、梅田でお好み焼きを食べて大満足で安城に帰りました。今日は子供達は筧先生の子供能楽教室にでかけました。楽しいクリスマスのようでよかったです。楽しいクリスマスですが、私にとっては大学院時代パソコンを教えてくれた住正哉君の命日でもあります。住君が教えてくれた基礎があるからこそ、いま自分はホームページや音源制作が可能なのだと思います。住君に感謝し、冥福を祈りたいと思います。いま友恵が背中におぶさっている状態でパソコンやっております。とっても重いです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月21日 19日には県立大学の英文科の磯野守彦先生の講義で、能の井筒の話をさせていただきました。西洋の劇、たとえばロミオとジュリエットなどで、二人が死んだ後、二人は天国で結ばれたと読めるのだろうか、、というような疑問は前からありました。原文を読む限り、ロミオとジュリエットは天国には行っていないのだそうです。日本のものでは、「夫婦は二世」で死後生まれ変わっても夫婦というパターンの物語が多いのですが。。磯野先生にヨーロッパ中世の教会劇のセットなどについても教えていただいたのですが、「文化」と「劇」のあり方についてとても勉強になりました。昨日も県立大学の夜間の講義がありました。「野宮」を扱いました。これで年内の講義はおわりです。ただ、27日までは出勤して、卒業研究の追い込みと、収集した資料の整理をやりたいと思っています。明け方、友恵がいきなり吐いてびっくりしました。流行の胃腸風邪かなあと思います。心配です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月18日 いよいよ年末、椙山の講義は21日までなので、今年の最終週です。昨日は「紫明」の原稿をあげて投稿しました。今週は「能楽フォーラム」の音源作成と、「筑波大学平家部会論集」の投稿原稿の資料収集。。年末図書館が閉まる前に資料のコピーだけはしておかないとと思います。今年は健康には比較的恵まれ、勉強主体の生活が出来ました。このことは本当に感謝です。論文の評価は人がなさることですが、自分としては比較的納得の行く形でできたなあと思っています。「芸は嗜むを持って第一とする」といま翻刻している豊嶋十郎筆のワキ方伝書にあるのですが、学問も「嗜む」よう努力したいです。それ自体楽しいものですし。。週末が大阪なので、風邪と事故には特に注意しないとと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月17日 昨日は国立能楽堂で行なわれた「喜正の会」の大原御幸を観に伺いました。喜正先生が、椙山のスタジオの鈴木さんに撮影を頼んで下さったので、その補助を兼ねてですが。。喜正先生はやっぱり型もですが、謡がきれいです。こういう曲やっても良いのだなあと。。地謡の後列は梅若六郎はじめ梅若会の方、法皇は梅若万三郎。。すごく豪華でしたが、やっぱり地謡・法皇とも上品でした。とても楽しかったです。大学時代の筑波能狂言研究会の友人たちも観に来ていて、久しぶりに会えてとても懐かしかったです。。十年ぶりかなあという人もいました。。往復こだまでしたが、さすがにちょっと疲れました。今日は午前中は一家で熱田教会の礼拝に参加しました。ただ子供が午後町内の子供会に出るので途中で失礼して帰宅して、子供と家内を子供会に送り出して昼寝していました。これからキアイ入れて「紫明」の原稿を書きます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月15日 昨日キアイで東海能楽研究会の催花賞記念論文集の原稿を上げて、、今日は丹波篠山能楽資料館の「紫明」からいただいた依頼原稿を書いております。亡くなった中西通先生に最初に投稿依頼いただいて、その後ご長男の薫先生に連載のお話をいただいたのですが。。。私が関西の能楽の人に知って頂けた最初でした。中西通先生は丹波からの情報発信というのをいつも考えていらっしゃって、すごいなあと思いましたが。。がんばって書きたいと思います。明日は国立能楽堂の「喜正の会」の「大原御幸」。久しぶりの東京出張です。喜正先生がどのように子供を失った淋しく、かつ美しい建礼門院を表現されるのか。。とても楽しみです。今年の名古屋は毎年三回行われる九皐会が一回しかなかったというのがとても淋しかったので。。今年の能の見納めになるかなあと思いますが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月14日 今年もあと二週間となりました。今年もいろいろなことがあったなあと。。良かったことはやはり子供が小学校にはいったことと、娘が年中組に上がったこと。。双方の両親とも健康が守られたこと。。これは本当に感謝です。今日は東海能楽研究会の催花賞記念論集の投稿原稿の最終見直しをしています。年内にこれ含めてあと二本論文あげなければならないので。。風邪ひかないようにしないとと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月11日 昨日は愛知江南短期大学で、学生さんと社会人の方を対象に「日本文化」ということで、「船弁慶」のビデオを鑑賞しつつ説明しました。皆さん熱心で、自分としては満足できる講義が出来ました。講義のあと、生活社会科学科時代のゼミ生で、近くの高校で家庭課の常勤講師をしている卒業生の方と喫茶店で話をしました。卒業してから初めて会ったのですが、雰囲気がいかにも「先生」で。。あの学生さん教えていたころは30代だったのだなあと、時間が過ぎる速さを感じましたが。教職試験に合格されて来年からは教諭となるそうです。椙山に学生さん送ってくださいと思わず頼んでしまいました。教え子の教え子が来てくれたらとても嬉しいです。その卒業生さんもとても勉強熱心で、ホームページ制作などとても上手だったのですが。性格が優しい人なので、きっと良い先生だと思います。今後の教員としての活躍と健康と幸せの多いことを祈ります。今週中に書かなければならない原稿があり忙しいです。でも勉強の仕事なので、頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月10日 昨日は東海能楽研究会、私も大正昭和の謡曲録音の紹介の発表をしました。23日の能楽フォーラムのための予備発表ですが、結局二時間半のフォーラムをするためには、私が昨日用意した音源ではまだ量的に不足で、さらにたくさん用意しなければいろいろな要望に応えられないことがわかったのは大きな収穫でした。筧鉱一先生が出席してくださって、勧進帳の独吟の聴き比べをしたときに、「この人の謡は囃子にぴったり合っている、この人の謡は囃子のことは考えないで謡っている」と教えてくださったのは大変参考になりました。私はそういったことは全くわからないので。豊橋魚町の能楽資料調査、朝日大学の米田真理さんの調査目録、本当に労作でした。東海能楽研究会の若手で、東海地域の狂言の特質の解明をしてくれるとありがたいなあと思います。夕方からの忘年会、豊橋の調査の世話人の方が全員にごちそうして下さったのですが、本当に感謝でした。来年度の伝統芸能上演会は7月28日、また伝統文化子供能楽教室は、中村教室・津支部に加えて、豊橋教室を申請したいと現在準備を進めています。こどもたちが少しでも能に興味を持ってくれると嬉しいなあと思います。今日は夕方、愛知江南短期大学で社会人講座で能の講義をします。はじめての講座なので、多少緊張していますががんばりたいと思います。風邪がはやっておりますが、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月6日 今年の講義も残り少なくなってきました。いよいよ総仕上げ、、卒業研究ではビデオ制作のほうはほぼ順調なのですが、これから論文の「要旨」やレポートの書き方などの指導がはいります。また、明日は国際コミュニケーション学部の「能・狂言」の講義で観世流の西村高夫先生にいらしていただいて、「高砂」「鶴亀」など、結婚式用の小謡を教えていただきます。とても楽しみです。学生さんたちが、将来お友達の結婚式で謡ってくれたらとても嬉しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月4日 今日は午後から能楽学会のフォーラムで使う音源のCD化を行っていました。どれを使うか。。同じ演者のものでも迷います。二時間半のフォーラムで何分くらい流したらよいのか。。うーーん。。今日はとりあえず70分くらいのものを作りました。田鍋惣太郎のように名古屋ゆかりの人も入れたいし。。椙山ゆかりの豊嶋弥左衛門も入れたいなあと。。こういう作業は楽しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年12月.2日 しばらく更新出来ませんでした。今日は家内と子供は筧先生の伝統文化子供能楽教室にでかけております。私は午前中インフルエンザの予防注射をしにでかけて、その後は家で静養しています。論文もかかなければなりませんし、教務委員として来年度の時間割作成もきちんとしないといけませんし。。やることはたくさんあります。ふーーっ。。今週は忙しくてしばらく子供と夕食たべていませんでしたから、今日は家内と子供と外食しようかなあと思います。。ともえにどこに行きたいと聞いたら「まわるおすし屋さんで、チョコケーキ食べたい。。」のだそうで。あまり贅沢をいわない孝行な娘です。明日は名古屋能楽堂定例能です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年11月29日 今日は一日ばたばたしていました。なんで仕事進まないのかなあと。。体調戻ったので、二週間ぶりに県立大学の講義に行きます。今日は晩秋らしく「野宮」をやってみたいなあと思っています。ではまた、皆様お元気で。。


2006年11月28日  体調もほぼ戻りました。先週は食べられない状態の講義でつらかったですが、今週はなんとか。。後期は「実用日本語表現」と「日本語の基礎」というこれまで担当したことのない講義があるので、教材作成に時間がかかります。「どうしたら一番学生たちにとって有益な講義になるのか。。来週は学生アンケートがありますので、それを観てまた内容を考えたいと思います。来年前期は「メディア・リタラシー」ということで、パソコンの使用法の基礎に関わる講義も担当します。マックの使用方の基礎ですが。。学生の関心の多様化に伴って、出来るだけ担当できる講義の種類を増やしたいなあと思っています。私は少人数ばかりだったので、教師用の教卓のパソコン使ったことがないので、練習しなければなりませんが。。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年11月26日 昨日は西三河茗渓会(筑波大学同窓会)、今日は碧海野会幹事会(愛知教育大学附属高校)と、二日間続けて同窓会の忘年会でした。もう高校時代も大学時代もはるかかなたで、、その時代に帰ったらじゃあ楽しかったかといえば、せいいっぱいやっていたとは思いますが、その時はその時で悩みがあって暗い子だったろうと思うのですが。。でも久しぶりに同窓会で仲間とあって、ビール飲むとやっぱり楽しいです。。あんまり飲んではいけないのですが。。 茗渓会は高校の先生方が多いので、、思わず「椙山に良い学生送ってくださいねーー。」と宣伝してしまいました。。送ってくださるといいなあと思います。椙山にも意外と僕の同級生の教え子多いので。。たまに「○先生に習いました。。」とか同級生の名前聞くととても嬉しいです。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2008年11月25日 胃腸風邪からはほぼ快復しましたが、まだ完全ではありません。健康不安があるときは、講義もどうしても自分の思うように運べません。。早くもとに戻さねばと思います。自宅で娘をひざに乗せて息子に背中に乗りかかられてパソコンを打っていますが、、とっても大変です。パパで遊んでいるのだそうで。。子供って体育会系です。ではまたお元気でお過ごし下さいますよう。


2006年11月23日 月曜日に胃腸風邪にかかって、しばらく更新出来ませんでした。ひろくんが「僕これ食べない」といったのを「パパが食べてあげるよ」といって、、ひろくんも風邪だったのですね。。子供が食欲ないときは風邪を疑うべきでした。注意一秒風邪三日で。。明日は東別院で大学連携講座です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年11月19日 今日は家内が町内会の仕事ででなければならなかったので、子供二人と熱田教会の礼拝に行きました。教会の昼ごはんのハヤシライス、ひろくんにどうせ残すだろうけれど、残したら僕が食べるつもりで大人用を持ってきたら、全部食べてしまいました。小学校一年になって食べるようになったなあと、嬉しかったです。その後、名古屋市立博物館の「比叡山と東海の至宝」展に行きました。ひろくんやともちゃんが仏像を見て喜ぶとは思いませんでしたし、実際そうも喜ばなかったですが、講義で能を扱う上で、仏像の様式などは大変勉強になりました。比叡山のものばかりでなく、県内の天台系寺院の仏像もかなりあったのですが、展示としては非常に充実していてよかったと思います。結局、私の趣味に子供を付き合わせたのですが、そうでもしないと、なかなか子供との時間が持てないので。。博物館で子供達にグレープフルーツジュースを飲ませ、博物館横の和菓子屋さんで芋ういろを買って帰りました。芋ういろは、私の実家に行ってみんなで食べました。美味しかったです。論文書きは出来ませんでしたが、よい休日でした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年11月17日 今日は昼ごはんを作曲家の渡辺康さんと一緒に食べました。だいたいこのくらいのトシは悩みも共通するので、教育のこと、研究のことなどいろいろ話しましたがとても楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年11月16日 毎日飛ぶように流れています。昨日は西川古都先生をお招きしての基幹演習の二回目、日本舞踊の実習とビデオカメラの動作と両方を学生自身でやってもらうという講義でしたが、みんな頑張ってやってくれました。踊りも撮影もだいぶ上手になったなあと。。来年卒業研究のゼミに残ってくれる学生が多いので、大変ありがたいものと感謝致しております。12月7日は、国際コミュニケーション学部の学生さんたちに、「友達の結婚式用に《高砂》を稽古しよう」という題で、観世流の西村高夫先生に来ていただいて、小謡の《高砂》《猩々》を稽古したいと考えています。通常教室では音がでてしまって、隣の教室に迷惑なので、スタジオ管理者の大木先生の許可をいただいて、文化情報学部スタジオでさせていただくこととなりました。これもとても楽しみです。結婚式の謡の第一条件はおめでたいこと、そして二番目に大切なことは、短いことです。長々と謡われたら迷惑ですから。《高砂》や《猩々》は短いからいいです。みんなが生活の中の謡曲に興味持ってくれたらいいなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。


2006年11月14日 今日は朝、能楽フォーラムのために提供いただいたカセットテープの録音をCDに直す作業をしました。桜間弓川はやっぱりかっこいいです。。いまの金春流だと私は圧倒的に本田光洋ファンなのですが。


2006年11月13日 昨日は御世話になっている作曲家の渡辺康さんが自作の曲を県の芸術センターのコンサートホールで初演される日。。ぜひ伺いたかったのですが、東京行きの疲れもあって、風邪気味でしたので一日静養していました。。ネットオークションで欲しい謡曲のレコードが出て、、研究費の残高を考えると最終的には自費で購入するしかないのかなあと思いましたが、それを覚悟で1万600円で落札しました。「内助の功」といいますが、こういう研究していると、「家族」の理解がないととても難しいです。状態の良い盤だといいなあと思います。いずれこのホームページから公開したいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年11月12日 昨日は東京の梅若万三郎先生の御宅に、初代万三郎のSPレコードを拝借に伺いました。万三郎先生・万佐晴先生の御所蔵のものです。能楽学会のフォーラムで紹介するのに、名調で知られた初代万三郎の録音で盤の状態のよいものが手元になく、大変困っていました。貴重な録音を貸していただきました、梅若万三郎先生・万佐晴先生に心より感謝致します。デジタル化はNHKテクニカルサービス〔名古屋〕が行ないます。名古屋まで門下の八田達弥さんが運んで下さいました。大変お忙しい中、名古屋までいらして下さった八田さんに本当に感謝です。八田さんは日大の学生能楽サークルから玄人の道に進まれた方ですが、「ぬえの能楽通信blog」をなさるなど、能の普及にも本当に熱心な方です。NHKで引渡しが済んだら九時半で。。八田さんは名古屋に一泊されるので、「食事がてら一杯いかがですか、、」とお誘いして、名古屋駅に戻って居酒屋に行こうとしたら、のきなみ10時閉店で。一軒だけ十二時まで開いている居酒屋があったので、そこでビールで乾杯して安心しました。能楽学会の発表のために、いろいろな方から録音の提供をして頂きました。金春流の方から、桜間弓川や本田秀男のもの。名古屋の囃子方から田鍋惣太郎と宝生英雄の一調など。。学会ではきちんと整理して紹介したいと思います。今日は家で静養します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。


2006,年11月9日 もう何がなんだかわからないくらい毎日出かけています。5日は豊橋の調査。和泉流早川幸八の門人の残した六儀などの伝書ですが、「弟子が習った稽古用の資料」という意味で、貴重な資料だと思います。文化・文政の時期から明治くらいまで書き継がれてきたものだと思いますが。。東海能楽研究会としてきちんと整理して公開できたらすばらしいなあと思います。6日の月曜日は午前にスタジオに観世喜正先生にいらして頂いて稽古用CDの録音。名古屋でもぜひ喜正先生の「のうのう講座」やっていただきたいです。午後は留学生の能装束体験。喜多流の長田先生にお願いしました。大木先生と広報部の方が広報してくださって、名古屋テレビ、スターキャットテレビ、中日新聞・朝日新聞・読売新聞・名古屋タイムズ・進研アドの方々が留学生を取材してくださいました。長田先生が親切に教えてくださいましたし、うちの国際交流センターは、留学生に日本文化を教えるのにすごくがんばっているので日が当たって本当に良かったなあと思いました。今日は久しぶりに同僚と一杯飲みに行きます。たまには気晴らしに。。明日の午前中は大学連携講座、夕方からは小唄の稲舟妙寿の会。。楽しみです。寒くなってきて風邪がはやっています。お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年11月4日 昨日は文化の日。。キアイで「名古屋芸能文化」の原稿を仕上げて安田文吉先生にお送りしました。家族はおじいちゃん、おばあちゃんと蒲郡のオレンジパークにみかん狩りにでかけて、山ほどみかんを持って満足して帰ってきました。ひろくんはぼくのとったみかんが一番大きいと自慢していましたが。。本当は先月末締め切りの東海能楽研究会催花賞記念論文集の原稿も出来ていませんし、他にも頼まれた原稿があるのですが。。しかし、土日はパパ業も大切です。今日は豊田能楽堂の能楽堂まつり、舞台体験と和楽器体験の係りが筧先生でしたので、子供能楽教室の中村教室の子供達もみんな行くということで、うちも子供二人つれて行きました。。そうしたら、、筧先生が開演十五分前に「おみゃあさんがござったで、能舞台での囃子の解説の司会してちょう。。」と。。係の方に急遽客席マイク用意していただいて、筧先生と打ち合わせして、@笛の大野誠先生、小鼓の船戸昭弘先生、大鼓の筧鉱一先生、太鼓の加藤洋輝先生の紹介と、能で使用する楽器が笛・小鼓・大鼓・太鼓であること。A各楽器の音の紹介 笛、一クサリ 小鼓 チタプポ 大鼓 ドンとチョン 太鼓 ごめんなさい、音の種類知りません。。B開演前の「お調べ」の実演 C子供達が最初にお稽古するとしたら、何から始めるのかを各楽器ごとに説明していただく。D役・状況に合わせた囃子の表現 ア、神が国土を祝福する 神舞 イ 突然の嵐の表現 波頭(なみがしら) ウ 山伏と鬼との闘争の表現 祈り エ 女性の亡霊の懐旧の思い 太鼓入序之舞 これで三十分に収めました。。予習ナシで講義するようなもので、教員としては本来やってはならないことです。かなりひやひやしましたが、友恵ちゃんが「パパおりこうでした」と言ってくれたから良かったことにしたいです。展示品も笛が平岩流宗家の裂雲・谷雲が並び、近世の金春惣右衛門署名の胴や喜多健忘斎の書が並び、これだけのもの揃えるのはたいへんだったろうなあと思いました。展示の装束の並びも役を考えた良い順番で。。豊田能楽堂も能の普及にずいぶん熱心になさっていて。能楽堂祭は明日までです。子供達は他の能楽教室の子が広場で野球をするというので、家内と一緒に行きました。パパは原稿書きに帰宅しました。。16日の豊田市能楽堂の定例能の融、私は伺えなくて残念ですが、盛会だといいなあと思います。明日は名古屋金春会。本田先生の三井寺きっといいだろうなあと。。学生も十名以上行くのですが、私は豊橋魚町能楽会の調査のため伺えません。。やりたいことと見たいものって本当に重なります。調査もとても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年11月1日 10月27日の名古屋能楽堂定例能でさせていただいた景清のイヤホンガイド原稿を掲載します。もう少しこれがどういう場面であるかの解説を多くしたほうがよかったなあと思いますが。。反省はいつも多いです。よろしく御教示ください。

景清イヤホンガイド

 囃子方が、楽器の調子を整えるお調べの音が聞こえて参りました。まもなく開演の時間となります。

最初に物語の筋を簡単に説明して置きたいと思います。平家の勇将悪七兵衞景清は、源平の戦乱後に日向の国宮崎に流され、乞食の生活を送っています。うわさを聞いた娘の人丸が鎌倉から訪ねてくるのですが、景清は落ちぶれた身を恥じてわざと他人のように対応します。しかし、人丸が里人に伴われて再び訪ねると、自分が落ちぶれていることがわかるとあなたの身にまでも影響するので対面しなかったと理由を話します。そして娘の願いに応えて屋島で源氏方の武将である三保谷四郎と戦い、その甲のしころ、橋の部分ですが、それを引きちぎった話をします。そしてその話が終わると、娘を鎌倉に帰します。

 景清が三保谷の四郎のしころを引きちぎった話がこのように喜ばれ、語られた背景には、当時の戦いの方法があります。当時は戦いの前にまず相手に向かって名乗、これまでの手柄を誇り、相手を威圧します。このように強い武者が自分たちの方にいるということを宣伝し、相手に降参した方がよいと思わせるのが目的です。次に腕に覚えのある武士を出して一騎打ちを行います。両軍の全員が見ている前で行うのですから、勝てば自分の名誉であるばかりでなく、この軍全体の誇りになります。負ければ自分の軍全体に傷をつけることになります。兵士の志気にかかわりますから、戦いの行方そのものにも影響を与えかねません。この一騎打ちが済んだ後、いよいよ全員での総力戦になります。

 平家物語では、屋島の戦いに関係して、一騎打ち、相手への挑発として語られる話が二つ納められています。一つは平家方の扇の的を射よという挑発に対して、 それを見事に射抜いた那須与市、もう一人は源氏の武者との一騎打ちを戦い、逃げた相手を追いかけてその甲のしころを引きちぎった悪七兵衞景清、この二人は源氏・平家それぞれの軍を代表する勇者であり、先日のワールドカップで決勝点を上げた選手の話がその国でいつまでも語られるであろうように、その軍において語られ続けました。しかしながら、景清の方は、平家の没落とともに、零落し、盲目の琵琶語りとなって平家物語を語ったという伝説が生まれることになります。

幕を片方のみあけて、囃子方が舞台に入ります。笛、鹿取希世〔かとりきよ〕、小鼓  柳原冨司忠〔やなぎはらふじただ〕、大鼓、筧鉱一〔かけひこういち〕の各師となります。

 後見の手によって、作り物の藁屋が引き回しをかけられて出ます。屋根が藁で作られていることによって、粗末な家であることが表現されます。

 次第の囃子で、ツレの人丸が従者、トモといいますが、をともなってでます。人丸は梅田嘉宏〔うめだよしひろ〕、従者を松山幸親〔まつやまゆきちか〕が勤めます。人丸の面は小面、鬘・鬘帯・下着である着付は銀摺泊〔ぎんすりはく〕・唐織着流で若い女性という設定です。トモは、着付は無地のしめ、すおう上下、小刀、鎮扇〔しずめおうぎ〕の装束で、貴人に仕える侍の扮装です。

まだ生きているという便りも風の噂で聞いたのだが、まだ生きているという便りも風の噂で聞いたのだが、人間の命は露のようにはかないものであるから、どのようになったことであろうか。

 これは鎌倉亀が江が谷に住む人丸という女であります。さて、私の父親である悪七兵衛景清は、平家方の人間であったので源氏に憎まれ、日向の国、すなわち今の宮崎県の宮崎というところに流罪となって、そこで年月を送っておられるとのことだ。まだ慣れない長旅であり、辛いというのは旅に付き物なのだから、また父親のためだからと気を強く持って、つらい境遇を思い旅を思うとますます涙が袖に流れることであることだよ。


相模の国、すなわち神奈川県を旅立つのだが、誰に父親の行方を問うことができようかという遠江の国、現在の静岡県を過ぎて、三河の国の八橋を過ぎて、雲があるところのように遠いところと思っていた都を過ぎ、さてとどまることなく仮に寝るような旅の夢にもいつのまにか慣れてしまったことだ。

 急いだので、すでに日向の国宮崎というところに着きました。それではここで父親の行方を尋ねようと思います。

 引き回しの中で孤独な景清の境涯が語られます。

 粗末な松の門を閉じて年月を送るのだが、盲目のため光を見ることができないので、昼であるのか夜であるのかもわからない。暗い庵になすこともなく眠り、衣服も寒さ・暑さに堪えられない粗末なものなので、肌は骨と皮だけに衰えてしまった。
思い切って世を捨てて出家するならば衣も墨染めにするべきなのだが、あきれ果てたことに衰えきってしまった様子なのだが、自分でさえもいやだと思っているこの身であるから、いったい誰であるからといってとこの憂鬱な身を訪ねてくれる人がいるわけがないのだ。この孤独な身を訪ねてくれる人があるわけもないのだ。

 引き回しがはずされます。面は景清といい、この曲の専用面となります。景清の面には、ひげのあるものとないものがあり、観世流は通常ひげのない面を用いるのですが、本日はひげのある面を用います。角帽子沙門〔すみぼうししゃもん〕、下着である着付〔きつけ〕、は小格子〔こごうし〕水衣、茶の色大口、緞子腰帯〔どんすこしおび〕、墨絵扇となります。出家しておりますが、景清を武士としての気概を失っていない人物として描きます。

 不思議なことだ、この粗末な草葺の小屋は古くなっていて、人間がすむことができるとも思えないのだが、美しい声が聞こえるのは、ひょっとして乞食の住処なのだろうか。その軒の端も遠く見えることだ。
 秋が来たと目にははっきりとは見えないけれど、風の様子でそれと知られる。風の便りで訪ねる父親の行方があるのかわからない迷いのまま、しばらく休むことができる宿もないのである。
 まったく生きたり死んだりを繰り返すこの世に永遠に住むことができる場所はなく、すべて空しいものだ。いったい誰を指名して訪ねよう。またどこにいると答えることてができよう。
もしもしこの藁の家の中にお尋ねいたします。
あなたはどのような方ですか。
流罪になってここにこられた方の行方はご存知ですか。
流罪の方とおっしゃいますが、苗字は何とおっしゃる方ですか
平家の侍で、悪七兵衛景清という方です。
なるほどそのような方がいると言う話は伺っていますけれども、もとから盲目の身でありますから見たことがありません。まったくあきれ果てたようなご様子とのことで自然とかわいそうだと思う気持ちが湧いてきます。詳しいことは他でお尋ねください。
それではこのあたりにはいらっしゃらないようですね。ここからさらに奥にいらっしやって訪ねてください。
不思議なことだ。今の人をだれだろうと思うと、この盲目である私の子供であるというのはどういういことだ。私は昔尾張の国の熱田で遊女と馴染みとなり、一人の子供を得た。女の子であったので、戦いの役にはたたないだろうと思って、鎌倉亀が江が谷の宿の長に預けておいたのだが、親しんだことのない親子の関係を悲しんで、父親に向かって言葉をかけることだ。
声を聞くのだが顔を見ることができない盲目の身は悲しいことだ。とはいえ、落ちぶれた自分が父だと名乗らないで過ごした心こそ、かえって子供を思う親心と言うものであろう。親と子の絆を示したものであろう。

このあたりに村の人はいらっしゃいませんか。

ワキの里人が登場致します。高安流ワキ方の飯富雅介師が勤められます。段のしめ、すおう上下、小刀、扇の装束となります。

 村の人をお尋ねとは、どのような御用ですか。流罪になった人はご存知ないですか。
 流罪になった方といっても、どのような方をお尋ねですか。
 平家の侍、悪七兵衛景清を尋ねているのです。

 いまこちらにいらっしゃる途中の山の陰に、粗末な藁葺きの小屋があったと思いますが、そこに人はおりませんでしたか。
 その藁屋には盲目の乞食がおりましたが。
 いやその盲目の乞食こそがお尋ねになっている景清ですよ。ああ不思議なことだ。景清のことを申し上げると、あちらにいらっしゃる方が悲しんでいらっしゃるご様子が見えますが、いったいどのようなお方なのですか。
 不思議に思われるのはもっともです。何をお隠し致しましょう。この方は景清の娘でいらっしゃるのですが、もう一度父親にお会いなされたいとおっしゃるので、ここまで遠い道のりをおくだりになったのです。せっかくのことですから良いようにおっしゃって景清にお目にかかることができるようにしていただきたいのですが。
 驚いて言葉もありません。それでは景清の娘さんでいらっしゃったのですか。まあお気持ちを沈めてお聞きになって。景清は両眼とも失明し、生活を立てる方法がないので髪を下ろして僧となり、日向の勾当と名のりなさって琵琶法師をなさっているのだが、命は旅人が哀れんでおいて行く食べ物により、我々のような身分の低いものが可哀想に思っておいて行く差し入れで生活されてといるのですが、昔のはなやかな様子とすっかり変わってしまった様子を恥ずかしく思われて名乗られないのだと思います。
私がこれからお供をして、「景清」とお呼びします。自分の名前であれば答えるでしょう。その時にご対面なさって、昔の思い出話や今の境遇をお話しなさるとよろしいでしょう。こちらにいらっしゃい。

 もしもし景清はいらっしゃいますか、悪七兵衛景清はいらっしゃいますか。

 うるさいうるさい、そうでなくとも故郷のものが尋ねてきたのに、このように落ちぶれた姿なので名乗らないで帰した悲しさを思うと、千行もの涙が流れて袖が腐ってしまうほどの悲しさなのだ。世のすべてのことはみな夢のようにはかないものであり、今はもうこの世に生きているものではないとまで世の中をあきらめきった乞食の私を、悪七兵衛景清などと、呼んだからといってとこちらが答えることがあろうか。

 まして自分の名前はこの住まいである日向からとった日向のこうとうという名前があるのに、その名をお呼びにならないで、もうしかたなく捨てた武士の時の名前をお呼びになるが、その悪という名前による、腹を立てる悪い心を起こすまいとは思うのだが、そう思ってもどうにも腹が立ってしまうのだよ。

 この場所に住んでいながら、この場所に住んでいながら、養ってくださる方がたに憎まれてしまうならば、例えて言えば盲目の身で杖を失ってしまうようなものでしょう。身体が不自由であるものの癖として、腹を立てて理不尽な八つ当たりをしたことはただお許しください。
 目は確かに見ることは出来ないのですが、目は確かに見ることができないのですが、人が何を考えているのかは一言話せばわかるのです。山には松風が吹き、雪・花など季節の美しいものがあるのにそれを見ることが出来ないのは残念なことだ。また浦の荒磯に寄せる波の音が聞こえてくるのは夕方になって潮が満ちてきたのだろうか。そうはいってもやはり私は昔平家の出身であり平家語をしている琵琶法師なのだから、あなたの気慰みに物語をひとつ始めましょう。
もうしあげます。今はちょっと心にひっかかるものがありまして、ひどいことを申し上げました。すいませんお許しください。
いやいやいつもの事でありますから、かまいませんよ。ところで私以前に、景清を尋ねていらっしゃったかたはいらっしゃいませんでしたか。
いやいやあなた以外にいらっしゃった方はおりません。
ああ、うそをおっしゃいますね。間違いなく景清の娘さんとおっしゃって、お尋ねになっているのに。どうしてお隠しになるのですか。あまり可愛そうなので、これまでお供申し上げました。急いでお父上にご対面なさってください。
 もしもし私はここまで尋ねて参りました。恨めしいことです。遠い道の間、雨風や露や霜の降るような中を我慢してここまで来た志も、無駄になさろうと言うのですか、悔しいことです。さては、親の子に対する慈悲というのも、子供によるのですか、情けないことですね。
今までは隠しているつもりだったのだが、もう知られてしまったのか。露のようにはかない世の中で、身の隠し所もないのはずかしいことだ.あなたの花のような美しい姿で、親子と名乗るならば、自分の武将としての過去も明らかになってしまうと、名乗りたい思いを断念して過ごしたのです.自分を恨まないでください。

ああ、昔は親しい人でない人にも挨拶に来ないと恨んで悪口を言っていたその罰があたって、すっかり落ちぶれてしまい、本当の子供にまでも訪ねてほしくないと思う悲しいことであることだよ。

一門が乗っている船の中でも、立って肩を並べ、座って膝を組んで、狭い中で暮らしていたが、景清はだれがなくとも天皇の船にいなければならないと言われ、平家一門の中で武勇で有名なものはいくらもいたけれど、その中でも有名で、天皇の信用も厚かったことは、仲間みなに羨まれたものであるが、一日に千里を走る名馬も年をとると荷物運びの馬にも劣るという、いまはそのような悲しい境遇なのだ。

ああかわいそうなことだ。まずこちらにいらっしゃい。もし景清に申し上げます。娘さんのお願いがあります。

どのようなことですか。屋島での景清の手柄話が伺いたいとのことです。ちょっと物語を語って聞かせてあげて下さい。

 女性の身で戦物語を所望するというのは、何となく似合わしくないことでありますが、これまではるばると来た心持ちを思うと、あまりに可愛そうでありますので、語って聞かせましょう。この物語が終わりましたら、あの者をすぐ故郷にお返しくださいますよう。
 承知いたしました。お物語が終わりましたら、そのままお帰し申すことに致します。


 さてその時というのは、寿永三年三月下旬のことであったが、平家は舟、源氏は陸地で、両軍とも陣を海岸沿いに設けてともども勝負を決めようとした。能登守教経がおっしやることには、「去年兵庫県の室山、岡山県の水島、神戸市の一の谷の戦いに至るまで、一度も我々に勝利がなかったのは、全く義経の計略がすぐれていたからである。何としても義経を討つ計略こそ欲しいものである。」と言われたので、景清が思うのは、義経だからといって鬼でも神でもない。命を捨ててかかるならば、たやすいことであろうと思って、教経に最期のお別れの挨拶をして、覚悟を決めて陸に上がった所、源氏の兵が、一人も逃すまいと自分に向かって駆けよってくる。

 観世流では、座ったままで語る演出と、立って仕方話的に語る演出と二とおりがあります。今回は大口袴をつけ床机に掛かる形がとられます。 袴をつけて座ることによって、景清が侍大将としてのプライドをまだもっていることを表現します。

 景清はこれを見て、景清はこれを見て、なんともものものしいことだといって、夕日に太刀をひらめかし、斬ってかかったので相手は持ちこたえることが出来ず、向かって来た兵は四方へぱっと逃げてしまった。逃がすまいとして、

見苦しいぞ皆さん、源平互いに見ている中で、恥ずかしくないのか。私一人を討ち留めることはたやすいではないかと、太刀を脇の下に挟み込んで「自分は平家の侍、悪七兵衛景清」であると名乗っては、相手を生け捕りにしようとして追いかけて行った。三保の谷のかぶっていた兜の端を捕まえようとしてははずれ、捕まえようとしてははずれ、相手は二三回逃げ延びたのだけれど、こちらは目指す敵なので逃がすまいと思って兜をつかまえ、えいやと引いたところ、兜の端はちぎれてこちらの手に留まり、三保の谷は先の方に逃げのびてしまった。はるかに遠くに隔たった後に、「それにしてもお前の腕の力が強いのには恐れ入った」と言ったので、こちらの景清は、「あなたの首の骨こそ強かったよ。」と笑ってそれぞれの陣に立ち退いたのであった。

昔のことではあるが忘れることが出来ない物語を語ったのだが、我が身はすっかり弱ってしまって心までも乱れてしまったのは恥ずかしいことだ。この世での自分の命はいくばくもないだろうが、生きて行く辛さというのも終わりが近い。さあ早く帰って私の亡き跡を弔ってください。あなたの弔いを、盲目の私は後世の闇路を照らす灯火や、悪い道に掛けられた橋のように歩む上の頼りとするであろう。それでは別れよう、こちらはここに留まるぞ、と景清が言うと、人丸は、では行きますと言って、その一声ずつがお互いの耳に残したのだが、これが親子双方にとってお互いの形見となったのである。これが親にとっても子供にとっても形見となったのであった。

ただいまのイヤホンガイドは、椙山女学園大学の飯塚が勤めさせていただきました。御清聴有り難うございました。

でも、イヤホンガイドはいつもながら大変勉強になりました。。今日は基幹演習に西川古都先生に来ていただいて、日本舞踊と撮影の実習をしました。基幹演習の受講生は六人で、全員浴衣は持っていましたので、古都先生のアイディアで全員浴衣で踊りました。やはり和服で踊りの稽古をすると、「日本舞踊」の講義だなあという雰囲気がでます。今日はカメラで撮影するのも、カメラの切り替えも、NHKテクニカルサービスの方の指導で学生が行いました。なかなかプロのようにはうまく行きませんが、テレビ画面の切り替えがどういう考えで出来ているのかはわかったと思います。こういう講義は楽しいです。今年は基礎演習も受講生が1人来てくれてなんとか潰さずに持ちました。卒業研究はこれまでの最高で14人の希望者がありました。過去4年間の全員を合わせたより多いです。とても嬉しいです。地味な撮影とビデオ作成の講義なのですが、文化情報学部が出来てからずっと続けてきたのがよかったのか、希望してくれる学生がだんだん増えてきたのは嬉しいです。今年は前期の講義でのワークショップを「中日新聞」「読売新聞」さんが取り上げてくださったのも、私のゼミに学生が来てくれた本当におおきな力だと思い感謝しております。教員というのは、やっぱり学生がいっぱい来てくれて、みんなが喜んで制作してくれるのが嬉しいのです。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月31日 いよいよ10月も終わりです。予定原稿ぜーんぜん出来ていなくてどうしようですが。。これから少し頑張ります。今日は夕方から今池のガスホールに常磐津綱男の会を聴きに行きます。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年10月30日 朝から集中力を欠いていて、困っています。朝は車でぶつかりそうになるし。。昼は背広にコーヒーこぼすし。。背広もワイシャツもズボンもコーヒーだらけで。。子供と違って替えがないので、思い切って手洗いで全部洗って濡れたまま着ました。。ようやく乾きましたが、風邪ひきそうです。。ふーーっ。。昨日は朝は熱田教会の礼拝に参加し、昼からのバザーは出ないで家で論文執筆。。キアイで論文1本上げました。今日は長田郷先生の留学生の仕舞の講義。。今年の子達はとても覚えが早いです。来週は羽衣と西王母の装束を着けて仕舞を舞います。結構上手に舞うのではと期待しています。夕方からは古文書の読書会。今日は名古屋の明治の石井流大鼓方吉田方条の勤書を読みます。楽しみです。名古屋芸能文化の原稿と、もう一本の原稿。。明日までに上がるでしょうか。。ふーーーっ。。若さが欲しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月27日 熱田神宮能楽殿は閉館しました。。家内や友恵によると、舞台の上で記念写真は撮ったけれども、淡々とした終わり方だったということで。。セレモニーがあったわけでもなく。。終わるときというものはこういうものなのかも知れません。昨日の夕方のCBCの番組で子供能楽教室が取り上げていただけたということで、私も家で見ましたが。。友恵はたくさん出ていましたが、、ひろとはアップで横顔が3秒くらい。。「友恵ちゃんはいいなあ」とすねてました。能楽教室に遠くから通わせているということで、私と家内も「パパ」「ママ」として5秒くらいインタビューででていました。。ちゃんとした格好しておくべきだったなあと思いました。。今日は定例能のイヤホンガイド解説です。学生さんもたくさん来てくださるのでがんばりたいと思います。論文。。明日の土曜日に期待です。ああーっどうして余裕もってできないのだろう。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月26日 いよいよ熱田神宮能楽殿最後の日です。比呂人は小学校があるので出られませんが、友恵が筧先生の子供能楽教室の一員として「お別れ能楽会」で、「はるがすみ」を謡ったはずですが。。高校時代からの思い出がなくなるのはとても淋しいです。最近全然行っていなかったのも事実ですが。。使用規定や料金などもう少し使いやすくして存続させることはできなかったのかなあと。。残念ですが。。夕方のCBCテレビで筧先生の子供能楽教室の豊橋での発表会が取り上げていただけたとのことで。。私も「パパ」として映っていると家内が電話で教えてくれました。。どんなパパで映っているか、家に帰ったら家内にビデオを見せてもらおうと思っています。。明日は定例能の景清のイヤホンガイド、がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月24日 なんとなく胃が重いです。元気がありません。良い季節なのに。。熱田神宮能楽殿は「お別れ能楽大会」がはじまっています。15歳ではじめて能を観て30年。。熱田で能・狂言の魅力を知った人間としては、閉館は本当に淋しい限りです。名古屋能楽堂に役割が引き継がれた、、と言うにしても。。稽古舞台としても残せなかったのかと言う残念な思いはあります。26日にはお別れの素人会に筧先生の伝統文化子供能楽教室の一員として、友恵も「春霞」と「花咲かば」を謡います。パパは講義で行けませんが。。友恵の思い出に熱田の舞台が残るかはわかりませんが、写真でも残してもらえればと思います。10月末締切の原稿いっぱいあります。。自分の「存在証明」のためにも書かなければと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月23日 21日は「伊勢の伝統の能楽祭り」に大学のスタジオのNHKテクニカルサービスのカメラマンの方と一緒に撮影に伺いました。数年前伺ったときにくらべて小学生の出演者が増えていてよかったなあと思いました。こちらも文化庁の伝統文化子供教室でなさっているということで、この基金によって、伊勢市にも能楽の伝統を継ぐ人が育っているのはとてもありがたいことと思います。「勝田流」という伊勢のみの流儀の「結城」という能は他にないので興味深かったですし、馬瀬狂言の「腰祈」は、山伏の祈りは効き、太郎冠者が祖父の腰につっかい棒をして、祖父は腰が伸びたまま終曲を迎えるのですが、和泉流の山伏の祈りが効かないのに怒った祖父が山伏を追いかける結末のものしか見たことがなかったので、非常に面白く感じました。ただ、疲れが出てしまって、日曜日は家で寝ていました。論文、、どうしましょう。。状態ですが。。ふーーっ。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月20日 今日は名古屋市生涯学習センターで椙山女学園大学と生涯学習センターとの連携講座、前回に引き継いで西村高夫先生にいらしていただきました。ビデオで「三井寺」を鑑賞して、そのあとに「鐘の段」を西村先生に謡っていただき、また仕舞を見せていただきました。また前回に続けて「羽衣」のクセを稽古いたしました。午後は椙山のスタジオに西村先生と非常勤の渡辺康先生にいらしていただいて、観世流の謡曲を録音致しました。この録音は「お稽古場(観世流)」のページから配信いたしました。また前回喜多流の長田驍先生にお願いした仕舞の稽古用の謡曲をアップロードしました。長田先生の謡も西村先生の謡も、どちらもとても魅力的です。ぜひ聴いていただければと思います。風邪気味でまだ頭がちょっと痛いです。明日は伊勢の能楽祭りで取材なのですが。。今日は帰って休みます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月19日 風邪で喉が痛くて、しかも胃の調子がよくありません。明日は名古屋市生涯学習センターでの大学連携講座、その後には当ホームページの「お稽古場 観世流」を立ち上げるため、大学時代からお世話になっている私の師匠の西村高夫先生にお願いして椙山のスタジオで小謡を録音いたします。「お稽古場」のページは今後充実させたいページで、名古屋にお稽古場を持っていらっしゃる先生でご協力いただける先生がいらっしゃれば、同じ流儀であってもぜひお願いして、複数のページを持ちたいなあと思っています。地付きの先生もいらっしゃれば、他地区からもいろいろな先生が教えにいらして下さっているのが名古屋の文化的特徴なので。。論文も翻刻も全然すすみません。こんなので研究費の報告書が書けるのか。。正直かなりあせっています。でも、研究費をいただけていてるというのは、それだけ認めていただいているので。。頑張らないとと思います。21日の名古屋能楽堂は狂言鳳の会、すごく行きたいのですが、伊勢市伝統の能楽祭の調査が入り、そちらに伺う予定です。あーーー、いい催しって重なるのですよね。22日は子供の歯医者。。ううーー、、。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月17日 15日は新城市本町公民館で能装束の虫干しがあると教えていただいたものですから、伺いました。博物館で観るような素晴らしい装束を目の前で観る事が出来るのは大変ありがたいことでした。でも、新城の「本町」の「旦那衆」って本当にすごい財力と文化持っていたのだなあと。。現在でも子供能楽教室などを行って次世代への継承を図っているということですが、ぜひ伝統を引き継いでいただきたいなあと思いました。そこにいらっしゃった方が、「子供にはまず囃子を教えないといけない。囃子を最初に覚えれば、他の役はスムーズに入れる。」とおっしゃっていたのが印象的でした。昨日は留学生の「日本事情」長田郷先生に「岩舟」の仕舞と謡を教えていただいたのですが、みんな覚えが早くてびっくりしました。これならばもう少し長い「猩々」か何かでもよかったかなあと。。郷先生と一緒に長田驍先生にもいらしていただきました。驍先生には非常勤の渡辺康先生にお願いしてスタジオで仕舞謡を録音していただきました。近日「お稽古場」のページにアップロードしたいと思います。風邪を引いてしまいまして、のどが痛くて叶わないです。とっても困ります。少し養生しようと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月14日 今日は豊橋の謡曲教室に行くつもりでしたが、視力の再検査に行けるときがなかったので、家内と子供だけ行き、私は近くの眼科に行きました。結果、、視力そのものの急速な衰えはいまのところないものの、老眼がはじまっており、あと二年くらいで近くを見るための老眼鏡を作る必要があるだろうとのこと。。45歳という年齢から考えれば年齢相応で、これはしかたないということでした。あーーあ、、です。私は「文学」の研究者ですから、目が悪くなると仕事に非常に影響します。勉強のほうももうあまり無理はできないのかなあと。。淋しい気持ちがします。。とはいえ、息の長い仕事がしたいです。無理せずに。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月13日 今日の午前中は名古屋市生涯学習推進センターでの椙山女学園大学連携講座で、「能・狂言鑑賞入門」の講義をしました。前半私が講義をし、後半は能楽師の方に謡曲を教えていただくのですが。。昨年に引き続き、東京から筑波大学能・狂言研究会以来お世話になっている西村高夫先生に講師をお願いしました。、前半35分で「景清」のビデオを観ながら解説し、そのあと西村先生に景清が娘と再会する場面の謡を謡っていただき、さらに後半に「羽衣」のクセを全員に教えていただいたのですが。。西村先生の謡は、力強くてしかも味があっていいなあと思います。定員58人ですが、2倍の倍率だったとのこと。。抽選だったそうですが、折角西村先生も東京からいらしていただけるので、倍入る教室で全員に聞いていただきたかったなあと思いましたが。。広い教室でないのが残念です。西村先生は名古屋でも月1回栄能舞台で教えていらっしゃいます。しばらく稽古休んでいましたが、私も来月から稽古を再開する事に致しました。「羽衣」から教えていただこうと思っています。明日は筧先生の豊橋の子供能楽教室です。私も子供連れて参加します。ああーっ、論文がかけないーーー。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月12日 昨日の夜、県立大学の夜間部の講義を終えて帰る前に自宅に電話すると、ひろくんが出て、「ねえパーパ、明日はなんの日かわかる?」。「わかんない」と答えると、「えーっひろ君がずーっと前から楽しみにしている遠足の日なのよ。」と。。電話では楽しみで眠れないといっていましたが、10時に帰ったらひろともともえも熟睡していました。小学校一年生は近くの駅から電車に乗って、安城市内の堀内公園に行くのですが。。何回もリュックを確認しておやつと水筒を持って、家内が朝五時におきて作ってくれた海苔巻を持って大喜びででかけて行きました。。引率の先生はさぞや大変だと思いますが。。僕も小学校のころ遠足楽しみだったなあと思い出しました。。ああいう楽しみ方は大人も見習うべきだなあと思います。今日のお弁当はひろとと一緒の海苔巻でこれはとてもおいしかったです。。子供の遠足って父親にとってもたまにはいいなあと。。しょっちゅうでは家内が大変ですが。。明日から名古屋市生涯学習推進センターで「能楽鑑賞入門」の5回シリーズの講義がはじまります。講義が私で45分、あと45分を観世流の西村高夫先生に「羽衣」を教えていただきます。私自身、とても楽しみにしております。助成金の書類提出なんとか終わりました。論文、、日程キビシーーです。でもこういう仕事は好きなので。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月9日 一昨日は豊田能楽堂の烏帽子折に小学校一年の比呂人を連れて行きました。ろうそく能でしたが、狐塚と烏帽子折というのはとても良い選曲だと思いました。両方とも場面の大半は「夜」なのですよね。狐塚の太郎冠者が闇に恐がるところ、烏帽子折で盗賊が同士討ちするところなど、「闇の恐さ」が自然に納得できました。それと、能装束の金糸が光って、浮かび上がって、とても綺麗でした。小学生はうちの子一人でしたが、ひろくんは、おとなしく観ていました。。さすがに烏帽子折の語りの部分では椅子の上に丸くなってアザラシになっていましたが。父が小さい僕ら兄弟を美術館に連れてゆくとき、きっとちょっと得意だったんだろうなということも理解出来ました。椙山の能楽部の卒業生さんがいらしていて、懐かしかったです。烏帽子折は金剛流でしたが、考えてみれば愛知県で金剛流の舞台少ないですし。。シテは御宗家の金剛永謹師でしたが、前よりずっと貫禄ついてかっこよかったです。最後は仏倒れで見せ場作られましたし。。最近思うのは名古屋能楽堂でも豊田能楽堂でも「能楽こども教室」はやるのにチケットは「学生券」のみで小学生から大学生まで一緒なのですよね。小学生ならば静かに見ていられるのだから、親子ペア券や小学生・高校生券などもう少し値打ちな券を作ってもらえないかなあと。。友恵が小学生になったら二人分になるので。。今回は、比呂人にパパが能を観る仕事を見せるという意図もあったのですが、終演後。。「パパ、いつ働くの。。」「パパは観るのがお勉強でお仕事なのよ。」「ええーっ、能楽教室の加藤先生は太鼓打っていたし働いていたけれど、パパ観ていただけじゃない。切符も切らないしパンフも渡さないし。。休憩になるとさっさと喫茶いっちゃうし。。怠け者でだめじゃん。」ということで。。「良いパパというのは、そーし君やさくと君のパパみたいに月曜日から金曜日までがんばって働いて、土曜日・日曜日は虫捕りにつれていってくれるパパなのよ。。仕事といってでかけていてお怠けしているって、おじいちゃんに言いつけちゃおう」と。。どうも当初の「仕事を見せる」意図は成功ではなかったようですが。。でも楽しかったです。烏帽子折は講義で取り上げて、年末には論文にして投稿するつもりです。。それ見せて「ほら、パパは働いたのよ」っと言おうと。。まだまだ先ですが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月5日 来年度の助成金の申請書類を書いています。今年もうかなりの額貰ったのだからもう良いのじゃあないという人もあるかも知れませんが。。でも、デジタル化して保存したいSPレコードはものすごくありますし、また尾張漫才のオープンリールテープなども聴いていると本当に面白いので、アルバイトお願いしてデジタル化したいのです。。。作業ばかりやっていて論文が書けていないのではと言われるとその通りなのですが。。申請書書く上でも論文は欲しいので、冷や汗たらっとしています。昨日ひろとに「パパはいつもいなくて、全然遊んでくれない」と言われてしまいました。ひろくんの言う通りです。ともえちゃんもそういいますが。。ふーーっ。考えてみればうちのパパは偉大でした。いつも僕たちと遊んでくれたから。。大学の先生がひまだったということもあったでしょうが、父はそういうこと大切にしてくれたのですよね。土曜日は豊田能楽堂の「烏帽子折」。。ひろくんは小学校に上がりましたし、能でもいつもおとなしく観ているので、ともえちゃんはあと二年無理ですが、連れて行こうかなあと思っています。両親は小さいころよく僕を美術館に連れていってくれました。特に父は美術が好きで。。僕は絵は下手ですが、「きれいなものを観るのが好き」というのはこういう体験からだと思っています。ひろくんやともちゃんにも色々なもの見せて、そこから何か感じて貰えたらいいなあと思っています。結局私の趣味に付き合わせることになってしまいますが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年10月4日 しばらく日記を更新出来ませんでした。目が廻るほど忙しかった、、といって、土曜日は味方先生の卒塔婆小町、日曜日は喜之先生の卒塔婆小町、月曜日は御園座で坂田藤十郎の襲名とずっと出かけていて、、ですから、とても幸せでした。二日続けて卒塔婆を見ましたが、、味方先生はすっきりときれいなおばあさん、、昔の美しさがいまも残っている感じでした。喜之先生のおばあさんはとても才気があって、話していて面白いだろうなと思うおばあさんでした。両方とも笛は藤田六郎兵衛先生でした。藤田先生は当代の名人だと思います。二日間連続して聴きましたが、やっぱりシテを活かしているというか、、同じには聴こえないのですよね。。楽しかったです。御園座は枕獅子の坂田藤十郎の獅子がとてもかっこよかったです。また髪結新三の左段治の大家が最高でした。留学生の引率だったのですが、英語の木村隆先生は盛綱陣屋を語っておられる竹本谷太夫さんと大学の同級生ということで、谷太夫さんが特別に別の部屋で義太夫を語ってくださいました。初めて近くで聴きましたが、語りも三味線もものすごい迫力がありました。日本文化論などの学生さんにも聴いてもらいたいなあと思いました。今週末は土曜日は豊田能楽堂の烏帽子折、日曜日は名古屋能楽堂で久田勘鴎の会の恋重荷です。どちらも楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月29日 26日は愛銀教育文化財団助成の授賞式でした。年休をいただいて出席しました。個人助成対象者8人を代表してスピーチさせていただきました。名古屋の大正・昭和のSPレコードやオープンリールによる伝統芸能の録音ー義太夫の豊竹呂昇・戦前の若宮の福禄寿車の祭り囃子や青木恒次の祭囃子の稽古などを聴いていただきました。愛知学院大学名誉教授で財団評議員の林董一先生がいらしていて、戦前の名古屋の芸能について色々教えてくださったのは本当に感謝でした。林先生には昨日は最新の御高著まで頂き、恐縮しております。がんばって勉強しないとなあと思います。受賞者の方は、それぞれとても地道で着実な研究をされていました。とくに堀川の研究をなさっている方と、尾張俳諧の研究をされている方、アニメの研究をされている方とは関心が近いなあと思いました。名刺交換したり、アドレスを伺ったりしましたが、今後連絡取らせていただこうと思います。全員愛知県人ですから、近いです。25日に岩田律園先生・恭彦先生に録音していただいた曲を、渡辺康さんがファイルに作ってくださったので、「尺八 いま むかし」のページにアップロードいたしました。明日は京都で味方健先生の卒塔婆小町を拝見し、明後日は名古屋で観世喜之先生の卒塔婆小町を拝見します。10月2日は留学生を引率して御園座の坂田藤十郎襲名に行きます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月25日 今日は二時間目が「日本語の基礎」の最初の講義、ためしに漢字検定二級の問題をやってみましたが。。みんな結構「高校卒業程度」というのが難しいことがわかったと思います。「難しい」ことを理解することが勉強の第一歩で、間違えてしまったところを潰してゆくのが王道です。私はなにせもと予備校講師なので。。がんばって欲しいなあと思っています。三時間目は留学生の「日本事情」。歌舞伎の衣装と演技についてビデオ観ながら勉強しました。来週観に行きますが、御園座だとアイスクリームは280円だけれど美味しいよといいました。五時間目は人間学センター主催の「人間講座」、わたしの講義と岩田律園先生、岩田恭彦氏の虚無僧尺八と現代尺八でした。むかしお世話になった生活科学部や文学部の名誉教授の先生、能楽子供教室のお母さん・お子たち、いまお世話になっている同僚の先生、世話してくれた岡明彦君など、懐かしい方やお世話になっている方の顔がみえて本当に感謝でした。作曲家の渡辺康さんも来てくださいました。中年日記を読んで、先生落ち込んでいるみたいだから、、といって来てくださった方もいました。優しいなあと。。私もかんばらねばと思います。講義終了後はスタジオで岩田律園先生の本曲と岩田恭彦さんの尺八の曲をNHKテクニカルサービスの方に来ていただいて撮影と録音。同時に渡辺さんにもデジタルレコーダーで録音いただきました。午後八時半までかかりました。遅くまで皆さんにお世話になり感謝致しております。今日の成果はCDに作成し、また著作権上問題のないものについては恵理人の小屋より配信いたします。ここしばらく、ずっと落ち込み気分でした。。でも、講義にでると、少し復活します。明日は年休をいただいて、ヒルトンホテルで行われる愛銀教育文化財団の助成金贈呈式に出席し、受賞記念スピーチをします。賞金で30万円いただきます。これもSPレコードや雑誌の購入とレコードのデジタル化に使用します。愛知県の伝統芸能の記録と発信がテーマです。本当に多くの方に支えていただいて、このような仕事がさせていただいて本当に感謝です。でも、愛知県にはテレビではなかなか放送されませんが、地元で愛好されている質の高い芸がありますので、がんばって配信して行けたらいいなあと思っています。三木先生が「謡本画像」のページを作ってくださいました。私の所蔵する謡本をアルバイトの方にJPEGの画像に作っていただいて、それを三木先生のページにアップしてくださったのですが。。明和改正謡本などみんなぜひ使っていただけるといいなあと思います。ではまた、みなさま、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月23日 秋分の日です。暑からず寒からず、とても良い天気でよい日でした。自分はこれから何をやりたいのか。。こういうことは青年の日々は誰しも毎日考えるのでしょうが、それは青年ばかりでなく文学中年も考えるのです。。クリスチャンとしては「神様の栄光を現すこと」、これが人生の最大の目標でしょう。ぜんぜん出来ているとは思えませんが。。「仕事」としては与えられた教室でせいいっぱい良い講義をすること、そしてその「講義」のための準備である「研究」「予習」を行うこと。。あたりまえのことですが、、中年になると、、疲れて「ふうーーっ」ということがあるのですよね。(若い頃もありましたからトシではなく性格かも知れませんが。。)胃の調子がいまいちなこともあって今日は無理せずに養生していました。そして『実用日本語表現』と『日本語の基礎』という初めて担当する講義の予習をしていました。『実用日本語表現』は小論文・会話・面接などまさに「実用」です。大学の講義として行われるのはどこの大学でも最近になってですが、考えてみれば高校の授業にはないわけですから、学生にとってははじめて勉強する内容です。教科書を「これから教えるんだ」という目で読み直してみると、なかなか面白いなあと思います。会社などで本当に使う表現なのかといえば、実際には省略してしまうこともあるのでしょうが、ただ「基礎を知っている」ことは、失敗しない上でよいことで、そういう意味で言えばやはりしっかりした講義にしないとと思います。『日本語の基礎』は漢字検定二級相当ですから、本来ならば「高校卒業程度」。。でも、、高校時代高校の試験で満点とれたわけではないのですから、これも絶対必要です。最近コンビニで領収書書いてもらうとき、人名まともに書けない店員さんがすごく多いです。「メール便」の「便」や「三通」の「通」が書けない人に当たったこともあります。さすがにそれは極端でしょうが、「黙」り部首が「黒(くろ)」であることなど、私も知りませんでしたから、こういうことを勉強することも意味はあると思います。私は自慢すると、高校時代国語だけは得意で、河合塾の全国上位者ランキングに顔出したこともあったのですが。。でも「満点」ではなかったので。。明日も予習しなければ。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月22日 後期が始まりました。本当ならば涼しくなりましたし、キアイがはいらなければならないのですが。。モチベーションが低いです。思ったようにはなかなかうまく行かないものなのだなあと。。何につけ思います。よかれと思ってやっても、うまく行かなかったり、人に迷惑かけてしまうことは、、多いです。力及ばず残念ですが。毎日毎日、「落ち込んでいるひまなんてないはずだぞっ」というくらい仕事はあるのですが。。だいたい中年ですから仕事なんて出来て当たり前で、若い頃みたいに「よくできたねえ。」なんて褒めてもらえるはずもないのですが。。ふーーーっと。。25日は「実用日本語表現」と留学生の講義と人間学講座と三コマ、いきなり大変です。。でも予備校講師していたときには90分3コマなんて毎日あたり前だったのですから、それを考えれば平気なはずなのですが。。中年だって何につけよく出来たら認めてもらいたいし、褒めてもらえると嬉しいのだなあと。。若い頃よく指導教員の先生方に文句言っていましたが、あの先生方はいま考えてみるとこういう心境だったのかなあと、その先生のトシをこえてそう思います。少し落ち込んだときには、早めに昼ごはん食べると復活することが多いので、とりあえず昼ごはんにします。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月19日 今日は四方定子氏よりいただいた、津島市の伊六万才のオープンリールテープ録音のMP3ファイルを作成して「思い出民俗館」のページから配信させて頂きました。音源を提供して許可をいただきました四方定子氏に心より感謝申し上げます。私が小学校のころまで、津島にはこんな面白い芸が残っていたのかと思いましたが。。伊六万才が滅んでしまったのは本当に残念です。残るオープンリールテープから、当時の芸の記録をデジタル化して保存し、少しずつ差し支えない範囲で配信して行きたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。ではまた、みなさまお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月16日 今日は土曜日ですが、会議で出勤しました。もう夏休みも終わりだなあとちょっと淋しいです。26日の人間講座のための音源とプリントを作りました。豊竹呂昇とか、やはり魅力ある声だなあと思います。依頼していただいている原稿、、いろいろあるのですが。。なかなかできません。特に「烏帽子折」の注釈の校異の原稿がなかなかできなくて苦しんでいます。。。明日は東海能楽研究会です。新人の鈴木さんの発表、楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月14日 今日は健康診断でした。去年よりかなり視力が落ちていたのがショックでした。医者行かないと。。確かにパソコン見ていても細かい字が見えずらいなあと思っていましたが。。目医者行こうと思います。午後からは、原稿書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月13日 昨日は大阪の阪急インターナショナルホテルで行われた平成18年度公益信託高橋信三記念・放送文化振興基金の助成金贈呈式に伺いました。『昭和初期ラジオ放送の研究』という課題で50万円の研究費助成をいただけたものですから。大正時代まで、能楽堂に行かなければ能は観ることができず、寄席に行かなければ落語は聴くことができませんでした。むろん蓄音機レコードは流行しつつありましたが。。愛好する「芸」は「階級」と結びついており、謡曲は上流階級の、清元や新内は下層階級の芸であったわけです。大正14年にラジオ放送がはじまって、能楽堂や寄席に行かなくても、いろいろな芸を自宅で聴くことができるようになりました。このことによって、「芸」に耳で接する人が飛躍的に増えました。謡曲を従来能楽堂に行かなかった新興の「知識人階級」が愛好するようになり、清元や新内は色里の言葉や下品な言葉を削除したり、放送用の新作を作ることらよって、上流階級の人も聴くようになりました。ラジオで流れた放送用の新曲は「流行歌」を生み、すぐにSPレコードとして発売されて流行歌手と流行歌を生みます。公会堂の演奏会や公開録音は階級の上下を越えて申し込まれ、「芸」は「階級」を乗り越えます。また、放送されることによって、「放送にあった」「上品」で「高級」な作品が生まれ、清元も新内も下層社会の演芸から高級な「伝統芸能」とみなされて「芸術祭」の対象となります。このような移り変わりを、当時の新聞と、SPレコードのデジタル化から考察したいと思い、申し込みました。採択されてとても嬉しかったです。賞金はSPレコードの収集とデジタル化に使わせて頂きます。著作権の切れたものについては、「思い出能楽堂」「思い出公会堂」より配信致します。他の主唱者の方から、「それについて調べるならば『ラヂオ年鑑』という本が出ているよ」など有益なアドバイスをいただけて感謝でした。また、毎日放送の方から「恵理人の小屋」見ていますよとおっしゃっていただけて本当に感謝でした。やはり見ていただけると嬉しいです。これで二年生の基礎演習で僕を希望してくれる学生さんがいるといい秋なのですが。。いまのところ受講希望者がいなくてつぶれる予定なので。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月10日 今日は一家で津の伝統文化子供能楽教室にでかけました。長田驍先生と郷先生と両方いらしてくださいました。子供の数も十三人。。引率のおかあさん、お父さん、おばあちゃん含めると二十人以上で、松風閣の敷舞台の見物席が狭く感じられるほどでした。もう四回目になるとだいぶ覚えてきて、比呂人も「老松」の仕舞を一人で舞いました。短いバージョンですが。。子供の進歩見るとやっぱり感激しますね。。もう一組名古屋から中村教室の子供さんがいらしたのですが、すごーく声が大きくてしっかりしていて。。習っている成果って絶対あると思います。ただ、子供たちにはなにより楽しんで欲しいと思いますが。。夜だけでも少し勉強しようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月9日 すっかり秋だなあと思います。今年も夏原稿を書くことはできなかったなあと。。でも締め切り間際の原稿はたくさんあります。今日は家で原稿をかきます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月8日 昨晩は「小クワガタ捕物帳」をやりました。子供達には常々飯塚家伝統の「おたく心」を持つようにと思って教育していますが、ようするに自分の興味を持った対象には、金銭的にも時間的にも間尺があわなくても楽しんでこだわって、無理と思ってもあきらめないでやってみろということなのですよね。。可愛がっていた小クワガタが逃げて、一日以上探してもみつからなくて、外においた昆虫ゼリーやブドウにも食べたあとがなくて、しんじゃったかなあと思っても、そんなことであきらめては「おたく」ではないです。比呂人や友恵には学校があるから二階で早く寝ろといいましたが、パパは昨日は1階で。。しかも最後にクワガタが目撃された玄関に、電気を消して昼寝用布団を引いてタオルケットにくるまっておりました。。さても夜半ばかりのころ、、かさかさっという音が玄関の子供の自転車のあたりからしました。自転車の下のいま使っていない水槽のあたりだなと見当をつけて、電気をつけて、ダンボール箱と水槽の中のガラクタをのけたら、、何年前の餌なのか怪しい袋の陰よりもクワガタの形はあらわれたり。。二日間のまず食わずだったはずの小クワガタですが、比較的元気で、「やったあ」とパパのはしゃぐ声で比呂人も友恵も起きてきてしまいましたが。見つかってよかったです。今朝はちょっと眠いですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月7日 6日間書き込みが出来ませんでした。名古屋おどり、新内勝知代の会、定例能など、日記に書きたいことはたくさーんありましたし、みんなすごく楽しかったのですが、とにかく慌しくて。。昨日は小クワガタが脱走しました。まだ見つかりません。昨日は夜四回起きて下の階を探したのですが、見つかりませんでした。今日は下の階で寝て、もし出てきたら捕まえようと思います。もう逃げてしまっているかも知れないけれど。子供には「おたく心」というものがどういうものか、父が身を持って教えないとと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年9月1日 今日から9月。。ひろくんもともちゃんも小学校と幼稚園に元気よくでかけて行きました。夏休み健康に恵まれ本当に感謝です。昨日はひろくんの大切にしていたひらたクワガタが夕方脱走。。夜、昆虫ゼリーを出しておいたらくるかなあと思って十一時頃一階に下りていったら、玄関におなかすかせたクワガタが一匹いて。。捕まえることが出来ました。よかったです。今日は四日市能の大槻文蔵の土蜘蛛。。いろいろな土蜘蛛を見ましたが、すっきりと理知的な蜘蛛でした。糸は本当にきれいに掛かって。。途中で拍手起こりましたが、不自然でなかったです。大槻文蔵ってかっこいいなあーーと思いました。もうひとつ、とてもうれしかったのは、会場で去年の文化情報学部の卒業生さんに会ったことで。。僕の講義をとってくださっていたということで、地元で能があったのでチケット購入して来てくださったとのことでしたが。。感謝でした。教員やっていてよかったなあと思う瞬間です。明日は午前は中日ビルの名古屋踊りで西川古都先生の賤機帯。。午後は丸の内の東建ホールで新内勝知与の会。。どちらもとても楽しみです。あああーー、勉強はできないけどーー。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月31日 いよいよ夏も子供の夏休みも終わりです。。やりたかった原稿の執筆はぜんぜん出来ませんでした。。SPレコードはずいぶん集まりましたし、こちらは面白いのですが。。でもいただいた助成金の報告書のためにも論文や注釈などはださなければなりません。ふーーっ。。助成金の報告書の参考にと思って、色々な大学の研究室のページを見たのですが。。インターネットラジオ局とか、インターネットの映像配信とか。。コンテンツが豊富な研究室いっぱいあります。。こちらは小屋ですが、向こうは高層ビルだなあと。。でも、、なんかみんな今風ですね。学生とか若者とか社会対象のものは多いのですが、「伝統」とか「文化」とかに関するものでの音声・画像配信はあまりなかったです。。ならば自分が、、と思うと、、自分のクビ絞めるかなあと。。自分がいただいた助成金の報告のための論文に苦しんでいるような状態だと。。うーーん。。今日は赤坂小梅の「黒田節」と「おてもやん」のデジタル化をしました。先日小唄勝太郎の「さくら音頭」と市丸の「花は橘」のデジタル化をしたので、戦前の三大流行歌手の音源は確保できたことになります。9月25日の椙山の人間学講座で聞いていただきたいと思っていますが。。でも、、どの人もヒットした理由ってなんとなくわかります。声に艶があって、本当に綺麗で。。私としてはいま聴いたもののうちでは勝太郎に一番魅力を感じますが。。ではまた、お元気でおすごしくださいますよう。。


2006年8月30日 今日は仕事を休んで、家内と比呂人と友恵とを連れて津の松風閣で行われた長田郷先生の伝統文化子供能楽教室に参加しました。びっくりしたのは参加者に小学校二年生の「いいづかひろと」君がいたことです。学年は向こうが一つ上でしたが年は七つで同じ。漢字は違うのですが。。「いいづか」くんはひろくんの小学校にもう1人いたのですが、「ひろと」くんまで一致しているのは驚きました。。先生が「いいづかくーん」と呼んでも「ひろくーーん」と呼んでも二人振り向くので。あの年代だとすぐ仲良くなって、鬼ごっこしていましたが。。よかったなあと思います。帰ってきて原稿書くつもりが寝てしまって。。これから少し勉強します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月28日 8月も今日含めて4日間。。本を出したいから原稿を整理したいなあと思っていましたが、ぜーんぜんできません。締切の近い原稿から上げて行かねばと思っていますが、それもなかなか出来ず。。なんなんだろうと思っています。朝少し涼しかったので、秋が近いのかなあと思いますが。。「思い出公会堂」のページに富士松鶴太夫と鶴美太夫の「蘭蝶」を上げました。内容は、、浮気な男に悩む女性の話で。。現代語訳したらいまの歌謡曲に通うのではと思いますが。。九月二日に「新内勝知与の会」が丸の内の東建ホールであります。勝知与先生は名古屋芸能文化会の会員で、私の拙い発表もいつも聞いてくださいます。デジタル化して「思い出公会堂」に公開した曲をCDにして差し上げたいと思っています。この日は中日劇場の「名古屋おどり」の初日で西川古都先生が「賤機帯」の狂女を踊られます。これは非常に楽しみです。午前の部は名古屋踊りをみて、それから新内を聴きに行きます。金曜日は四日市市民文化会館の四日市能、三日は名古屋能楽堂の定例能。。8月はあまり会がなくて淋しかったですが、9月はこんどは重なって困ります。。あーー、ますます原稿が書けないーー。。「自分のせい」なのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月27日 今日は卒業研究のゼミで東山動物園にビデオの撮影に行きました。二時からの「カバにおやつをあげよう。。」ホームページで情報がでていて、それで撮りに行きたいと。。家で子供たちに「パパは日曜日カバにおやつを上げに行くのよ」といったら、子供たちも行くというので、家内も比呂人も友恵もみんな来ました。先着五十名でしたが、一時間前から人が並び始め、三十分以上前にもう「受付終了しました」の札が出て。。子供たちにはすごい人気でした。近くでみたのは初めてでしたが、カバって本当に大きいなあと。。子供たちは家内と先に並んでいて、わたしは最後尾に並んでいたのですが。。学生も餌をやって、それをカメラ係りで撮影しました。学生たちはカバの撮影後すぐにふれあい動物園に撮影に行ったのですが、わたしはカバのそばにいました。。そうしたら、カバはおやつのあと、歯磨きとうがいをしていました。たまたまかはわかりませんが。。。ビデオがなかったので取れませんでしたが、、惜しいことをしたなあと。。三時半から自然博物館で爬虫類と触れ合うコーナー、、大きなニシキヘビを首に巻いてくれるのですが、やってみたらニシキヘビって重いのですね。学生さんたちも交代でやりましたが、比呂人も友恵も恐がってやりませんでした。よい映像が撮れているといいなあと思います。今年の卒業研究ゼミはみんな撮影が好きで、いつも良い絵を撮ってくれるので期待しています。比呂人にとっても友恵にとっても、今日が夏休み最後の日曜日。。夏休み楽しくてよかったです。二学期が充実することを祈っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月26日 今日は10年ぶりの中学の同期の学年会でした。198人の卒業生のうち、既に亡くなられた方が5人。。最初にみんなで黙祷して、冥福を祈りました。当時の担任の先生、副担任の先生のうち6名参加いただいて感謝でした。もう全員定年で退職されていて。。30年の月日はそういう月日なのだと思います。76人参加ということでしたのでかなり出席率はよかったと思います。男の子はすごく久しぶりにあっても誰だかわかるのですが、女の子は髪型違うのでわからない。。逆に女の子は女の子はすぐわかるのだそうです。。おそらく次も10年後だと思います。みんなその時は55歳、先生含め、1人も欠けないようにと祈ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月25日 猛暑です。比呂人は夏休みの自由研究を家内に手伝ってもらって模造紙に書いています。庭にいっぱいいる蟻は何が好きでなにがきらいか。。平仮名で「ありじゃましけんきゅう」と書いた紙を見ると、「ありはシェービングクリームはきらい。」パパのシェービングクリームのあわがたまに庭にあったのは、このためだったのかと妙に納得しましたが。。暑い日だったのですが、「さとうよりも、さとうをとかしたこおりみずにあつまる」そうで、結果「ありはつめたいのがすき」なのだそうです。本当なのかなあと思いますが。。子供が楽しんでこういう作業をしているのでよかったと思います。でも、ものすごい暑い日が続くので、さすがに庭の蟻も涼しさが欲しくなったのかなあと。。明日は中学の同期会です。楽しみです。みんな元気かなあ。。みんなで長生きしたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月24日 今日は研究室の謡本を手伝いの方をお願いして整理しました。「明和改正謡本」や高安流の謡本など、独身のころ、それこそ食費を削って買ったはずなのですが、、買うと満足してしまって、全然使っていないのですよね。これではしかたないなあと一念発起して、それらのうち、能の研究者の人たちが使いたいと思うだろうものを選んで、撮影していただくようお願いしました。出来ましたら「恵理人の小屋」に「天井裏」といしうコーナーを作って、画像をダウンロードしていただけるようにしたいと思っています。気合入れてオークションで買ったレコードをかけてみたら、、、レコードが反っていて針飛びして聴くことが出来ず、残念でした。重しかければ直るかなあと。。再チャレンジしたいと思います。「思い出公会堂」に新内を二つ追加しました。ちょっと声が籠もっていますが。。ともちゃんがきますので、ここまでにしようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月23日 今日は家内と子供を連れて、津の松風閣で行われた「伝統文化子供能楽教室」に行きました。前回中日新聞津市内版に載せていただいたり、前回参加の子供たちがお友達を連れて参加して下さったり、十人以上の子供たちが「老松」の仕舞を勉強しました。仕舞も二回目になると、、筋の良い子はすっときれいに舞うのですよね。。子供ってすごいなあと思いました。友恵はまだ何をするのかよくわかっていないけれど、比呂人は物覚えはいいなあと思いました。こういうところは家内に似てくれてよかったと思います。二人とも仕舞が好きになってくれるといいなあと思います。次回の稽古は8月30日の午前10時から津市の松風閣で。来週のみ午前です。岩田町のバス停おりてすぐです。9月は10日と18日、10月は15日と29日、こちらは全部午後一時からで全部松風閣です。無料ですし、幼稚園でも参加可能ですのでもっと子供が来てくれるといいなあと思います。比呂人も友恵も仕舞と同年代の友達と鬼ごっこができて楽しかったようです。また行きは関西線、帰りは近鉄に乗ることが出来て面白かったようです。ではまた、みなさまお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月21日 8月もあと十日、、暑いのはつらいですが、夏休みの残りがどんどん少なくなるのは焦ります。今日はニッポノホンの大正時代の梅若萬三郎の笠之段をデジタル化して、「思い出能楽堂」に上げました。笠之段、、囃子入りなのですがいまの観世流のものよりもテンポが速いように感じられるのですがいかがでしょうか。裏面の「鉄輪」は針飛びがひどくてデジタル化できず、残念でした。来月の名古屋能楽堂の展示は「小鼓福井家展」、福井家の小鼓は良いものが多いので楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月20日 木曜日から実家に来ていた真喜人一家が今日茨城に帰りました。まきちゃんともう少し一緒に話したかったですが、私の仕事が休めなくて残念でした。比呂人や友恵は従姉妹と遊べて楽しかったようでよかったです。今日は午前中、家内と子供は教会に行きましたが私は休んで自宅で原稿を書いていました。8月がもうあと十日あまり、やりたいことは全然出来ていません。正直あせっています。夕方は、前からの約束なのでひろくんとともちゃんの大好きな回転寿司に行こうと思います。。どうせケーキとかうどんばかり食べるのですが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月19日 今日は四日市市民文化会館で「四日市能の見所」という市民講座をさせて頂きました。こどもたちは中電ホールで伝統文化子供能楽教室の子供たちと春がすみの発表があったので、名古屋まで一緒に行きましたら地下鉄のところでゼミの卒業生さんとばったり会いました。比呂人の赤ちゃんの頃を知っている学生さんですが、懐かしかったです。そして市民文化会館に行ったら、そこで働いている卒業生の方にお目にかかったりして、卒業した学生さんに覚えていて貰えるというのはありがたいことです。講座を四日市のケーブルテレビの方が撮影してくださいました。九月に週四日間午後2時〜4時までの「まちかどYOROZU講座」という番組のなかで放送してくださるのですが。能のビデオの映像を使いたいのですが、それについてはこれから出演者の方に同意を得たいと思います。ではまた、暑いですが皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年8月18日 今年の12月23日に大阪大学中ノ島研究センターで行われる能楽学会のフォーラムが、大正から戦前の謡曲録音を素材に行われると言うことで、係の先生から私もその音源の準備に加わるようにと依頼を頂きました。以前から大正期から戦前にかけての能楽の普及に蓄音機レコードとラジオの果たした役割について興味がありましたから、渡辺康さんに協力をお願いして謡曲SPレコードのWAVファイル作成に取り組んできました。私が知り合いやネットオークションを通じて購入したレコードは、ほとんどすべて科学研究費、日本私立学校振興・共済事業団学術研究振興資金、サウンド科学振興財団、椙山女学園大学学園研究費助成等、公的な資金によっています。お小遣いでは、このガソリンの高い御時世にとても購入できません。。公的な資金で購入したものだけに、自分のみで楽しむというのではなく、広く世の中に提供するということが必要だと思います。著作権に抵触しないものであれば、広く日本の文化的な財産として共有されるべきものと思います。そう思って、今日も「思い出能楽堂」に観世左近のファイルを追加しました。。私が購入しているもの、、あまり高価なものは手がでなくて、「あっ、これもっていないから購入しよう」と思うものは、圧倒的に観世流なのですよね。。しかも観世左近(元滋)のものが多いです。身についた貧乏性であまり高価だとどうしても「次にしよう。。」と思ってしまいます。ですから観世でも片山九郎三郎や橋岡久太郎は持っていません。金春流・金剛流は一枚もないです。。つてを頼って、フォーラムに音源を提供していただけるよう、各流儀の方にお願いしています。。良いフォーラムになるとよいなあと思っています。明日は四日市市民文化会館で、9月1日の四日市能の「土蜘蛛」の事前解説講座に伺います。2時から4時です。いっぱいいらしてくださるといいなあと。。頑張って講義したいと思います。また何より四日市能が盛会だといいなあと思います。大槻文蔵の土蜘蛛ですから、間違いなく良いと思いますが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月16日 今日は弟の真喜人の誕生日です。まきちゃんいくつになったのだろうと考えて、、「不惑」と思って愕然としました。小学生のころはとにかく蝉とかバッタとかカブトムシとかザリガニとか生きているものがなんでも好きで、中学・高校は化石堀りに熱中して、、いまは二人の女の子の優しいパパですが。。もうすぐ安城に遊びに来ることになっているので、おめでとーと言おうと思います。今日は「思い出能楽堂」に観世左近の「小袖曽我」を追加しました。本当は他の原稿で首が廻らないのですが。。レコード聴いているとやっぱり楽しいのです。。あーあ。。これだからオタクだと仕事が進まないのですが。。反省して、これからすこし原稿書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月15日 今日は終戦記念日です。テレビもネットニュースも首相の参拝のニュースばかりですが、、私としてはどうしてあの時代戦争になってしまったのか、そういう文化的・社会的背景を掘り下げた番組をやって欲しいです。いま大正から昭和戦前のSPレコード音源をデジタル化しているのですが、私は戦前の芸能文化もかなり高いレベルにあったのではと思っています。なのに「なぜ」戦争になってしまったのか。亡くなられた方の御冥福をお祈りいたします。子供にも孫にもそのまたずっとの孫にも戦争に行って欲しくないです。今日は「思い出公会堂」のページを作りました。「名と声は今もこの世にとどまりて」のページを見て、研究室所蔵のレコードについて問い合わせて下さる方がいましたので、どうせならば、誰でも聴くことが出来るように配信しようと思ったためです。問い合わせが「御詠歌」と「新内」にいただいていたものですから、そこからのスタートになりました。今後充実させて行きたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月14日 今日は午前中作曲家の渡辺康さんのお宅に伺って、観世元滋(SP)と井上嘉一郎(SP)と観世雅雪(ソノシート)と梅若実(LP)の「弱法師」のワカ(住吉の松のひまより〜)の部分を楽譜化していただいて、謡い方にどのような違いがあるのかを教えて頂きました。。私は音痴なので、どれも同じように「名調だなあ」と聞こえるのですが、楽譜にするとぜーんぜん違うのですよね。謡本に照らして「まちがい」ではないのですが、個人によりすごく個性があるのです。面白いなあと。。音楽の基礎があればもっと面白いのでしょうが。。渡辺さんと共同でなんとか論文にしたいと思います。午後は大学スタジオに来て、戦前の名古屋若宮の祭礼の囃子のCD化を行っています。ある方がSPレコードからカセットテープにして持っていらっしゃるのを提供して下さったのですが。能の囃子から祭り囃子が出来て行く過程が類推されてとても面白いです。能だと笛・小鼓・大鼓・太鼓は各1人ですが、これの人数を増やして、大鼓の部分太鼓にしたらそれだけでも祭囃子らしく聞こえますものね。。でも、よく戦前のものをこのように保存していて下さったものだと思います。9月25日椙山の「人間学研究センター」の「人間講座」を担当させていただくことになりました。近代の名古屋の芸能の特色について、主に「邦楽・尺八」から考察します。SPレコードの音源と岩田律園先生・恭彦先生の実演があります。いっぱい参加者がいらしてくださるといいなあと。。後期の講義の初日なので、自分の講義の学生に「来て」と言える機会がないのが残念です。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年8月13日 今日は朝、豊田市稲武町の古橋懐古館に、筑波大学時代の恩師の芳賀登先生が調査にいらしているのでご挨拶に伺いました。昭和五十五年の夏に、芳賀先生の稲武の古文書演習に伺ったのが、私が古文書を見た初めです。全然読めませんでした。芳賀先生は、大量の文書を、とにかく「整理して読む」という愚直な作業を昭和二十年代からなさってきたわけで、本当に頭が下がります。このなかから、多くの歴史学者や僕のような文学の研究者が育ってきたので、一年に一回、この稲武に挨拶に伺うのは、私にとっては「古文書」を扱う原点を確認に行く作業になります。古橋家所有の「詩経 下」の奥に明和七年二月の興福寺の薪能を見た記事が書かれていたりして、大変興味深かったです。芳賀先生は豊橋の御出身で、戦前の豊橋の文化や魚町などの町の様子について伺えたのも大変勉強になりました。昼食をご馳走になって帰りました。夕方は比呂人と友恵の自転車の練習。。友恵は坂になっているところで車道に飛び出しそうになるし、比呂人は転んですりむくし。。目が離せませんが。。でも二人ともだいぶ上手になりました。交通事故には気をつけて絶対あわないで欲しいです。夜は原稿を書いています。なかなか進みませんが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月12日 昨日ののんほいパークの疲れが出たのか、家内が風邪ひいてしまいました。だるいらしくて、、仕方ないので昼ご飯の買出しとか、子供会の花壇の水遣りとか、子供と一緒にやりました。。結構大変です。。家内の苦労に革めて感謝しました。。夕方には復活して、買い物は一緒に行きましたが。。子供と鯛焼きとたこ焼きを買って食べて、楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月11日 今日は平日ですが大学事務室がお盆休みの一斉休業ですので、一日休んで子供と豊橋ののんほいパーク恐竜展に行きました。たまには子供と遊ばないと。。僕が小さい頃、父はいろいろ連れていってくれたので。。すごく広いのと、恐竜の骨格標本も模型も本格的なので、びっくりしました。圧倒的に子供連れでしたが、大学生や大人が来ても充分楽しめると思います。ひろくんとともちゃんは、石膏型で化石の標本を作る体験というのが楽しかったようです。こういう体験型のコーナーは、近年増えてきましたが、とてもよいことだと思います。ただ、さすがに暑くて、お昼まで見て、おにぎり食べて、さめの歯の化石と石膏型を取るセットをお土産に買って、家に帰って夕方はずっと昼寝していました。夜は近くのラーメン屋でのんびり食べて、のどかな休日を終えました。原稿も仕事もいっぱいありますが。。明日は一日家で原稿書きます。キアイ入れないと。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月9日 今日は津の長田郷先生の伝統文化子供能楽教室の第一回、津の八町の「紅梅」舞台でした。昨日この教室のことを中日新聞の津の市内版が取り上げてくださったということで、それを読まれて参加したというお子さんが四名いて本当に感謝でした。文化庁の助成金を得て無料で行っている講座ですので、もっともっとたくさんの子供さんが参加してくださるといいなあと思います。ひろくんもともちゃんもはじめて仕舞の型をやって楽しそうでした。さすがに安城から車で片道三時間は遠いですが。。次は二十三日の一時から、津市本町の松風閣です。夏休みなので伺いたいと思います。ではまた、皆様暑いですが、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月6日 ひろくん、ともちゃんとよく遊んでくれた従姉妹たちは、今日おばあちゃん、おじいちゃんの家から福山のお家に帰りました。次は正月、ちょっと寂しいです。朝は母と子供たち、家内と熱田教会に礼拝にゆき、帰りにラーメン屋さんに入りました。ダブル餃子定食、食べられるつもりでしたが、ちょっと苦しくて、餃子はみんなに手伝ってもらいました。今日はたなばたの最終日、ひろ君は昨日チョコバナナを食べたかったのに言えなかったので、今日こそ買ってもらおうとはりきっています。ひろくんが、日記の更新をのぞいていて、中年日記の上のイラストをみて、なんかお供え餅みたいだねえといっています。のどかな日曜日です。一家とも健康が守られ、感謝です。ではまた、皆様暑いですがお身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月5日 今日はたなばた二日目、昼間からにぎやかです。子供たちは従姉妹と共にマーメイドパレスというプールに出かけています。先日、子供が排水溝に吸い込まれてなくなるという痛ましい事故がありましたが。。実はそのような事故は私の子供の頃からありました。何十年も経って、今なおなくならないことにとても残念な気持ちがします。遊戯施設はまず安全であることが一番なので。夕方からは安城のたなばたを観に行く予定です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月4日 今日はパパはミニ会議で大学、比呂人と友恵はママと一緒に名東文化小劇場の名古屋邦楽協会のこどもたちのためのコンサートに出かけました。ひろくんは琴を弾いたのだそうで。。友恵も琴がお気に入りだったそうです。そのあと、筧先生のお稽古、パパも帰りに合流して金山のうどんやさんでうどんを食べて帰りました。今日から三日間は安城は七夕です。僕は町内会の係なので、仕事があるかなと思いましたが、七夕からははずれたので、のんびり楽しませて貰おうと思います。明日は子供たちと七夕に行きます。ではまた、皆様、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月3日 今日は友恵の誕生日です。五歳になりました。月日が経つのは早いなあと思います。長生きして、人生を楽しんで欲しいと思います。兄貴より気が強いです。将来パパ嫌いとか言わないか心配ですが。。無論早く結婚して僕をおじいちゃんにしてくれーーとは昨日も書きましたがいつも思っています。今日は豊田能楽堂の中学生鑑賞能でした。シテの長田郷さんに誘っていただいたものですから、比呂人と友恵と家内を連れて一家ででかけてきました。狂言の「附子」と「羽衣」、とても楽しかったです。比呂人も友恵も舞の途中からアザラシになってしまいましたが。。切りの「東遊び」は筧先生に習っていましたので、二人とも真剣に観ていました。郷先生の津の「こども能楽教室」も松風閣で八月九日・二十三日(午後一時から)、三十日(午前十時から)はじまります。小学生・中学生対象ですが、幼稚園の子や高校生も参加出来ます。問い合わせは飯塚(erito7@hotmail.com)まで題名を「こども能楽教室」という文字を入れてお願いします。ものすごく迷惑メールが多いので。。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月2日 今日は比呂人の7歳の誕生日です。大きくなったなあと思います。ずっと子供が欲しくて、7年前に比呂人が生まれたときは本当に嬉しかったです。それと同時に、なぜかこれで僕が死んでも子供がやってくれるというか、そういう思いがどこかあったように思います。子孫が仕事を引き継いでいってくれるはずというか。。そういう形で未来につながっていられるなあというか。。すごく不思議な感覚でしたが。。子供にはとにかく長生きして人生を楽しんでもらいたいと思いますし、、気が早いですが、パパとママをおじいちゃんとおばあちゃんにして欲しいなあと思っています。両親みていて「孫」と言うのは子供と違った可愛さがあるということがわかったので。。僕も是非味わってみたいと。。今日はスタジオに鈴木幸夫さんが来てくださって、伝統芸能上演会のビデオを編集して下さっています。また、わたしの仕事としてはレコードのデジタル化をしています。昔の演奏ですが、囃子なんてものすごくかっこいいです。藤田大五郎って若いときもすごかったんだなあと、、あらためて思いました。今日は早めに帰らないとと思います。明日は友恵の誕生日です。嬉しい日が二日間続きます。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年8月1日 いよいよ今日から夏休みです。この夏休みにはぜひ次に出す予定の本『近代能楽史の研究』の原稿を整備したいのですが、、毎年秋風が吹くころ、あーー、今年の夏も大したことできなかったよなあ。。になるのですよね。気合を入れて頑張らなければと思います。昨日、しばらく父の群馬の実家に出かけていた比呂人・友恵と家内が山ほどのカブトムシとクワガタを採って帰ってきました。比呂人は「僕がおじいちゃんと採ったのよ」と言って、クワガタを得意そうに見せてくれるのですが、実際にはほとんどはおじいちゃんが採ったのだろうと思います。私の父と弟はほんとーーに虫捕りは上手なので。比呂人が採れるとすれば、、隔世遺伝でしょう。。楽しかったようで何よりです。今日はむかしのレコードのデジタル化をしております。昔の音源ですが、、やっぱり「名人」の録音って囃子の音などとてもかっこいいです。明日は比呂人君の誕生日。もう七歳です。元気で素直で、人生を楽しんで長生きして欲しいです。おじいちゃんの家で、1日早いお祝い会をします。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年7月30日 今日は杉並区の修行寺で3時から金春流宗家金春安明先生が施主として金春八左衛門安治没後百十五年記念法要が行われます。今年の1月12日に修行寺で無縁墓地の整理をする前に、この人どういう人だろうと八左衛門について調べていらっしゃった大給海眞副住職がたまたま私のホームページを見つけて八左衛門の墓が修行寺にあることを連絡して下さったのですが。中日新聞、東京新聞で取り上げていただけ、また金春安明先生が一族の先祖として墓碑の世話をなさるということで、墓地は保存されることになりました。明治という能楽の苦難の時代にあって、芸を捨てずに頑張った先人の苦労を思います。金春八左衛門の墓碑の前で金春宗家と教え子の方々が女性は「杜若」、男性は「船弁慶」を手向けられるということです。金春安冶自筆の「船弁慶」謡本のコピーが記念品として参加者に配布されるということでした。伺いたかったのですが、本学のオープンキャンバスと重なってしまったため、校務を優先させていただきました。今日のオープンキャンバス、私は文化情報学部のスタジオで、スタジオを用いた中国語の寸劇の撮影を鄭先生と担当致します。学生さんが手伝ってくれるのでとても助かります。たくさんの良い生徒さんがいらしてくださるといいなあと思っています。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月29日 昨日は中野先生の調理実習の撮影、、例によって学生さんたちに撮影は任せてごはんだけいただきにでかけて、、肩身狭かったですが、とても美味しかったです。今日は自宅で昭和初期の新聞社主催の能楽についての論文を書いています。明日はうちのオープンキャンバス、いっぱい良い生徒さんが来るといいなあと思っています。わたしは文化情報学部スタジオで説明をする予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月27日 今日も外は暑いです。今日はゼミの学生たちが調理学の中野典子先生の研究室で愛知県の郷土食に関する調理の撮影をさせて頂きました。尾張藩の「進撰要覧」に載る本膳料理と、戦前の工場給食の料理と八丁味噌をつかった料理と、、と様々な再現料理があります。学生たちはきちんと撮影してくれるのですが、僕は一度挨拶に伺って、、そのあとは毎年のことながら、スタジオに戻って自分の仕事をしていて、作ってくださったものをみんなで頂くときのみ伺って、、当然ですが学生さんの目が冷たかったです。。でも、毎年ですが本当に美味しいのですよね。「自然食」というか。。中野先生に心より感謝致します。明日も午前中撮影させていただきます。明日は二時間目と四時間目が試験、そのあとオープンキャンバスの準備でちょっと忙しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月26日 今日はよく晴れて蒸し暑いです。そろそろ梅雨もあけるのでしょうか。昨日は卒業研究のゼミで東山動物園のサマースクールを撮影させていただきました。「一日飼育員さん」の企画の取材ということで、子供たちが象やキリンに餌をあげたり、動物舎を掃除したりするのを撮影しました。学生さんも、象にリンゴを食べさせるのをさせてもらったようですが、とても楽しかったそうです。東山動物園の方々に心より感謝致します。明日・明後日は調理学の中野先生の研究室で、「郷土料理」の調理をビデオに撮らせていただきます。とても楽しみです。今日は家内が業績表の更新をしてくれたものですから、「能作業の小屋」を更新致しました。結婚したときから、本でも論文でも、刷り上ったら必ず一冊ずつ献辞を書いて献呈する約束になっています。〔たまに忘れて反省なのですが。。〕それを家内が読んで入力してくれるのですが。。たまに論旨が甘いよと言われたりしますが。。私の研究論文の第一読者は家内です。とても幸せなことと感謝致しております。30日の金春八左衛門法要のための文章を送るなど、午後もやらなければならない仕事がたくさんあります。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月24日 今日の午前は文芸Aの試験でした。これから採点しますが出来ているか楽しみです。出来ているといいなあと思っています。やっぱり教師である以上、教えたことは理解していて欲しいので。午後は金春八左衛門の資料のまとめと戦前にリーガルレコードから出た山村豊子の「黒谷和讃」のWAV化。。山村豊子は戦前多くの御詠歌のレコードを出しています。「和讃」を聴いたのはこのレコードがはじめてでしたが、ずいぶん素朴な節回しだなあと思いました。研究費で購入したものは、かなり聴いたもののようで、雑音が多いです。サウンドイットでノイズリダクションかけましたが、やはり完全には除去できません。でも、名調子を偲ぶことは出来ました。時間を見つけてまたホームページから公開したいと思います。日本音楽って、いろいろなジャンルがあって、それがこういうSPレコードの音源で残っていて面白いです。明日は東山動物園のサマースクールの撮影の二日目です。一日飼育員さんということで、子供たちが象などの世話をする取材です。晴れるといいなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月23日 昨日は「伝統芸能上演会」でした。全額代表の筧鉱一先生が負担下さっているのですが、筧先生は本当に大変だろうと思います。。今回で七回になります。この会をはじめられたとき、筧先生は「わしは七回はやりたい。そうすれば名古屋で記録と記憶に残る会になる。」とおっしゃっていましたが、昨日で当初の目標回数をクリアされたことになります。今回これまでと違うのは、文化庁主催の「伝統文化こども能楽教室」の子どもたちがお稽古発表で「春がすみ」を謡ったことです。中村区の米野コミュニティセンターで一年間稽古してでした。じつはうちの子ども二人の初舞台でもありました。私の両親も孫の晴れ姿を観に来てくれて感謝でした。家内と二人で観客席の後ろでどきどきしながら見ていました。大きい声でパパとママに聞こえたら回転寿司つれていってあげるよと言ったのですが。。比呂人の声も友恵の声もはっきりと聞こえました。みんなの声と割れたときですが。ものすごく感動しました。大きくなったなあと。。回転寿司連れて行こうと思います。指導の筧先生には本当に感謝です。
 昨日はこの助成金の存在を教えてくれて、応募の方法から申請書類の書き方のこまごました事から広報からいろいろ教えてくれた大学の後輩の岡明彦君も来てくれて感謝でした。法政大学催花賞受賞記念ということで、 法政大学名誉教授の表章先生も来てくださいました。尺八・琴・能の楽器、白足袋・ウレタンの能面をつけての舞台体験など数多くのワークショップを一同に合わせた企画は、筧先生の発案ですが、子どもたちへの普及に大きな効果があると思います。昨日はとくにたくさんの大学生の人たちがいらしていましたが、あの学生さんたちが観客に育ってくださるといいなあと思いました。「伝統芸能上演会」は素晴らしい催しと思いますが、いつまでも筧先生におんぶにだっこでは続かないと思います。今後のことを考えなければなあと昨日は本当に思いました。
 伝統文化子供能楽教室は津でも長田郷さんの指導ではじまります。対象は小学生、中学生ですが、幼稚園の方も見習い参加可能です。(うちの友恵は見習いです。)8月は9日と23日が午後一時から、30日が午前十時から津市の松風閣です。問い合わせ先は長田郷先生genjiguruma@xm.ciao.jpです。東海能楽研究会の庶務を私がしておりますので、椙山女学園大学飯塚研究室電話052-781-1186(大学代表)ファクス052-781-6651に連絡いただいても、すぐに対処致します。
 今回は京都から長田先生のファンの方がいらしてくださったり遠方からの観に来てくださった方が多かったです。その方は私が昨年大阪大学で研修中お世話になった上田拓司先生社中の方とお友達の方がだったりして世間は狭いなあと思いました。。長田郷先生の奥様とその方のおかげで、成田美名子さんの「花よりも花の如く」の第四巻をサイン入りで頂くことができ、本当に感謝でした。私は成田さんのファンで「花よりも花の如く」は一巻から三巻まで購入して持っていました。(昨日は長田郷先生の奥様から成田さんがいらっしさゃると伺っていましたので、サインしてもらおうとその本は持っていっていたのですが。イヤホンガイドなどの仕事でお目にかかれませんでした。。ですから、お目にかかったことはないのですが。)能の世界をきちんと書かれていて、しかも現代の若い人の感覚にぴったりとくる筋で、すごいなあといつも敬服しています。学生にも「ナチュラル」や「花よりも花の如く」で能について知った人は多いので、能の普及にもすごく貢献されているなあと思います。
 今日はゼミの学生と一緒に東山動物公演のサマースクールの撮影に伺いました。今日は小動物と触れ合おうということで、モルモットやうさぎ、かめ、やぎなど、子供たちも大変喜んでいました。小さいうちにこういう体験授業をうけることはとても良いことだと思います。意外と子供たちに人気なのが蛇をくびに巻いて記念写真を撮るというもので。。ゼミの学生さんまでさせていたただいて感謝でした。次は火曜日に撮影に伺います。うちの子たちは今日は熱田教会にでかけ、午後はポケモンの催しにでかけて、、家内は疲れていましたが、子供はたのしかったようです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月21日 今日も雨です。椙山女学園人間学研究センターから、「人間講座」の講師の依頼を受けました。文芸Aの講義で行った律園先生親子のワークショップの評判がとてもよくて、自分も尺八を聴いてみたいと思って下さった卒業生や親御さん、中日新聞の記事で知ってくださった方などがいましたので、こんどは広く一般の方に公開する形で行います。とはいえ、教室の収容人数の関係がありますから、人間学研究センターまでメール、ファクス、往復はがきで申し込んでいただいて先着順になります。無料ですし、めったにでない曲が多いので、聴き応えあると思います。わたしの話は、、大正から戦前にかけてのレコードの普及と、レコードに合わせて謡曲・端唄・民謡・浪花節などの稽古が行われたという内容なのですが。律園先生・恭彦先生は明日の伝統芸能上演会に出演されますので、明日用に案内プリントを作りました。ここに掲載させていただきます。私がこんどの人間講座で使うSPレコード音源のうち、著作権の切れた音源については、能楽は「思い出能楽堂」に、それ以外は「思い出公会堂」に徐々にアップロードしたいと思っています。明日は伝統芸能上演会です。とても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。

椙山人間学研究センター 第二回 人間講座

「芸どころ」を支える名古屋の人々―尺八いま・むかし

本日「伝統芸能上演会」出演の岩田律園先生・恭彦先生による講座です。ぜひどうぞ。

 

日  時:平成18年9月25日(月)16501820

場  所:椙山女学園大学 生活科学部棟B206またはB110200人収容)

申込方法:申込先着200名(メール、ファックス、往復はがき)

 

(講座趣旨) 名古屋は「芸どころ」と呼ばれ、江戸時代より人口に比較して稽古事を行う人が多かった。このため、平曲・能・狂言・長唄・三曲・尺八など、それぞれの分野において名古屋独特の芸風を伝承する人々が活躍している。これらの芸能は、昔からの演目をそのまま演じているのではなく、大正時代以降、邦楽の場が寺社の庭や座敷から公会堂やホールに変化してからは合奏曲の誕生など演目も質も大きく変化した。本講義ではそのような様子を、戦前の蓄音機音源のデジタル化、虚無僧尺八(岩田律園 西園流 明暗対山流)の実演、現代尺八(岩田恭彦)の実演によって明らかにし、さらにこの次世代への継承の取組を尺八のワークショップを行うことによって実践したい。

 

1655 @飯塚恵理人先生

 ラジオ放送による芸能の変化―座敷芸・能舞台から公会堂・劇場への進出 

 豊竹呂昇・観世元滋(左近)・藤本二三吉・広沢虎造・西村弘敬等の音源を聞く。

1720 A虚無僧尺八 岩田律園氏(西園流 明暗対山流)

(平成17年度 名古屋市芸術祭審査員特別賞[伝統文化部門]受賞)

    1 講義 名古屋における尺八の伝承

    2 虚

    3 布袋軒鈴慕

1740 B現代尺八 岩田恭彦

(平成4年度 名古屋市芸術祭賞[伝統文化部門]受賞)

1 講義 様々な音の表現

    2 雁(山本邦山作曲)

3        片足鳥居の映像(佐藤敏直作曲)

4        ジャズ・ポピュラーミュージック

1800 Cワークショップ

    みんなで尺八を吹いてみましょう。


2006年7月20日 毎日雨です。土砂崩れとか、毎年のように起こりますが、自然災害って本当に恐ろしいです。防げなかったのかなあといつも思うのですが。。危険と思ったらすぐに避難するしか手がないのでしょうか。。多少臆病気味であったとしても、命には換えられませんから。今日は家内にお小遣いの追加融資をもらってきました。結婚するときの約束で、給料も講演や原稿料も全部家内に渡してそこから小遣いもらうのですが。。こうしないと僕は衝動的にほしくなるものがあるので危険なのです。能面の本とか、これ3万円ならば安いなあとか買ってしまったら。。独身のころはこういう衝動買いしょっちゅうでした。給料日前は小遣い乏しくて毎月のようにとも思いますが、今年は自分でも多いなあと思って不思議に思っていたのですが、、考えてみればガソリン代がすごく上がっているのですよね。私は車が好きで、いつも安城から椙山まで車で来るのですが、そうすると、月に1300キロくらい走ります。私の愛車カルタスクレセントの平成7年車はリッター8キロ程度走ればよい方なので、月に200リッター近くガソリンを入れることになるのですが、、前は1リットル90円だったのが、いまは127円。これが響いているように思います。来月はもっと上がるとか。。物価があがらないか心配です。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月19日 中日新聞が22日の東海能楽研究会の伝統芸能上演会の記事を載せてくださいました。心より感謝致します。筧先生が実質的に全額負担して下さって、出来る会なのですが、「名古屋で見られる伝統芸能の玄人会を無料で見せる」って、しかもそれを7年間も催されるというのは、やはり並大抵の努力ではないと思います。今回は東海能楽研究会が法政大学の催花賞を受賞した、その記念の会なのですが、たくさん人が観に来てくださって、それが次世代の観客増加に繋がればいいなあと本当に思っています。私は事務的なお手伝いだけなのですが、子供が伝統文化能楽教室で筧先生に習っておりますので、前座のお稽古発表の「はるがすみ」に出させて頂きます。子供も和服が着られるのが楽しいらしくて、早く本番が来ないかなあと言っています。西川古都先生から、「名古屋おどり」のご案内をいただきました。九月二日から四日まで賤機帯の狂女を踊られるということですが、ぜひ拝見に伺いたいです。前期、学生がいなくて潰れかけた基幹演習、なんとか三人来てくれて続けられたのですが後期は六人。古都先生にもう一度お願いして、日本舞踊の入門番組とホームページを両方作ろうかなあなどと考えはじめました。前期のワークショップが学生にとても評判がよくて、その受講生が何人もとってくれる予定なので。。基礎演習の課題、みんな提出しました。それぞれにみんな工夫の痕が見えたので、みんな良い点をつけようと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月18日 朝からよく降ります。このためやや涼しいのかなあと思います。親が子供を橋から突き落とすとか、、考えられない事件ですが、現実に家族の間の残酷な事件がいくつも新聞に載って、それが毎日で驚かないような物騒な世相になりました。比呂人や友恵の時代にはどうなって行くのか。。私は両親の仲がよく、クリスチャンホームで愛情を持って育てられたことが何より自分にとって幸せだったとおもい、感謝致しております。いまでも両親は仲良しですが。。父は公務員でしたし、農家の五男坊で私もずっと公団住宅住まいだったわけですから、リッチではなかったですが。両親が美術展や音楽会や自然博物館に連れて行ってくれたり、川で魚採ってくれたり、ケーキ焼いてくれたり。。「手作り」で育ててもらったことが、いまの研究・教育生活で活きていると思います。比呂人や友恵も愛情持って育てたいです。このトシになると、多少要領がよくて、冷たくて計算高くてという人は、やっぱりそういう育てられ方しているのですが、どこかでバチが当たっているのも見えてきました。羨むに足りないなあと。。どこかのファンド作った人でも。。なんか優秀さとリッチさって「幸せ」と関連はあっても、全部ではないなあと思います。僕たちが小学校のころ、餃子なんて冷凍なんてありませんでしたから、皮買って来て、挽き肉とたまねぎ炒めて時間かかったもので、だから夕食に他のおかずはおひたしくらいで他に並ばないときもあったように思いますが、母親の愛情は感じました。コンビニで揃えたら量も質もあるかも知れないけれど、愛情は感じられないのかなあと。。。今朝はゼミの学生を連れて東山公園事務所に23日日曜日の動物園サマースクールの打ち合わせに行きました。よい映像がとれるといいなあと思います。屋外の部分は天候にも左右されますので。。午後は久しぶりにまとまった時間があるので、論文の原稿を書きたいと思います。時間が細切れだとなかなかできないので。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月17日 今日は面紹社主宰の保田紹雲先生と金剛能楽堂の虫干しに伺いました。新しい能楽堂になってからは初めてでした。能面・装束ともにさすがに良いものがでていて、、近くで見ることが出来てとてもありがたかったです。和宮拝領の装束というものも何点かでていて、とても良いものでしたが。。あの時代女性の和宮自身が舞うことはありえないですから、謡曲を習っていて、その師匠に賜ったのだと思いますけれど。。あるいは宮中の女性に謡曲を教えたのかどうか。。そのあたりはとても興味があります。今後資料が出てくると面白いのですが。。このあと彦根城博物館に廻り、さらに多賀神社の能舞台を拝見して保田先生の車で名古屋に戻りました。高速代など全額保田先生に負担していただいてしまって恐縮でした。わたしは名古屋からあまり出ないので、実は彦根城博物館も多賀神社も初めてでした。大変勉強になり、心より感謝いたしております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月16日 朝からものすごい暑さです。夏だからしかたないですが。六時半に起きて学生能のパンフに寄稿を頼まれた原稿を書いています。頼まれると嫌でも「何か書かないと」と思うのでありがたいです。今日はみんなで熱田教会に行き、午後も原稿を書く予定です。とにかく暑いのでお身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月15日 午前中は名古屋能楽堂で今週末の伝統芸能上演会発表のための子供たちの「はるがすみ」の練習。本舞台を使って、和服を着ての初めての練習で、筧先生はとても大変でした。文化庁の補助金は出ていますが、本舞台を借りる費用まではとてもでていませんから、実際には筧先生の負担もかなりです。心より感謝致しております。うちの二人の子供も、はじめてお友達にお借りした和服を着てとても喜んでいました。来週の本番が楽しみです。夕方は那古野神社の祭礼に行くはずが都合で行けず、帰宅しました。子供たちと久しぶりに回転寿司に行き、思い切り食べました。明日は原稿書かないとと思います。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごし下さいますよう。


2006年7月14日 昨日りそな銀行より、公益信託「高橋信三記念放送文化振興基金」の助成金採択通知を頂きました。50万円。大学に使途限定で寄付していただいて、研究費として使わせていただきます。「新内」「清元」など「下流」の人々の趣味と看做されていた芸でしたが、それらの玄人が「放送」用に「遊里」の雰囲気を除外して「ラジオ放送」用の高級な曲を作り、それがヒットする。このことによって、それらの芸が高級な「能楽」とともに「伝統芸能」の一ジャンルとして「芸術祭」の対象となって行く。。ラジオ放送が「芸」の「質」に与えた影響について、当時の新聞記事と蓄音機レコードのデジタル化によって考察します。いただいた費用でレコードや戦前の雑誌などの資料、パソコンなどを購入したいです。「研究費申請しまくっているねえ。。」と言われることありますが、資料収集とかデジタル化のための委託費とか、やっぱりどうしても必要なだけはかかります。補助していただけて本当に助かります。良い研究をしたいです。6月26日のワークショップの日に岩田律園先生、恭彦先生、昭彦先生に録音していただいた録音、昨日渡辺康さんがWAVファイルにしてくださったので、今日「尺八 いまむかし」のページから公開致しました。どの曲もとても素敵です。西川古都先生のときもそうでしたが、こういうワークショップを企画しますと、とても勉強になります。ぜひまたやりたいなあと思っています。明日は子供たちは名古屋能楽堂で稽古、午後は那古野神社の祭礼で二福神車が古式に従って見舞車として参加するとか。。依頼原稿などたくさんありますので、そちらもやらなければなりませんが、少し見に行きたいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月13日 ものすごく暑いです。あと一週間で小学校は終業式。本当に夏なのだなあと思います。私は来週までは講義、それから試験になります。試験、レポートの出来は毎年気にかかります。自分が教えたことをどれだけ理解してくれたかということは、自分の教え方の技量にも関係しますから。今日はこれから日本文化論、そしてプレゼミです。プレゼミは最終回ですが。。キアイ入れてがんばらねばと思っています。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年7月12日 昨日は卒業研究のゼミ、、私の誕生日なのでと学生さんがケーキを買ってお祝いしてくれました。感激しました。45歳になって、学生さんたちが誕生日を覚えていてくれて、お祝いしてくれるというのは本当に幸せなことだと感謝致しております。ケーキの写真とって、現像に出しました。また学園研究費Cの採択が決まりました。50万円。映像制作ですが、これで以前から欲しかった30万円位のデジタルレコーダーを購入して、スタジオで高い音質で録音できるようにしたいと思います。これまでダットでしたから、パソコンに取り込むのに時間がかかりました。これでだいぶ早くなると思います。心より感謝致しております。学園よりは、すでに学園研究費Aも85万円、三木先生との共同研究で採択していただいています。こちらは能楽番組データベースに画像を加えて画像データベースにする費用になります。大半が委託費ですが、能楽番組データベースへのアクセスもかなりありますので、なんとか早く実行したいと思っています。今日は基礎演習・基幹演習とも追い込みです。がんばって良いものを作って欲しいなあと思います。夏風邪、わたしのは喉が痛くてまいったのですが、まだ痛いもののようやく薄らいで来ました。ではまた、御身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月9日 今日は朝は町内の一斉消毒。。わたしも防虫剤の噴霧器をもって町内を回りました。機械の調子がよくなくて、他の町内の方に助けていただいて感謝でした。午後は佐藤秀雄追善の名匠狂言会でした。もう二十三回忌。。私は高校一年生のころ、秀雄先生の晩年の間狂言を覚えています。祭壇の写真を見て、やっぱり雰囲気が友彦先生と似ているなあと思いました。友彦先生の浄土僧と融さんの法華僧の「宗論」、菊次郎先生の太郎冠者と靖浩さんの主人の「籤罪人」。どちらもとても面白かったですが、昔の共同社とどこか芸の質が変わってきたなあと思いました。菊次郎先生は、すごくすっきりした芸をなさるのですが、靖浩さんも融さんもなんかすっきりした味だなあと。。友彦先生が演じると同じ太郎冠者でも「まぬけ」な味があって、松次郎先生はそういう味だったように思うのですが。。いまの若手も昔の若手以上に上手だなあと思うのですが、あの「鷹揚」で「まぬけ」な味わいも、曲によっては欲しいような気がします。椙山と県立大の教え子もたくさん観に来て下さって感謝でした。あと何十年かたって、能・狂言を支える観客になってくれると信じています。夜は一日遅れで私の誕生日のお祝い。。家内が手巻き寿司をやってくれて、子供がケーキの飾り付けをしてくれました。双方の両親とも健康に恵まれ、妻・子供ともに健康に恵まれてしみじみ幸せだと思います。明日は文芸Aで、高校の後輩でCBC事業部副部長の北島徹也君に講義してもらいます。伝統芸能のプロデュースの現場にいる人なので、学生にもきっと興味深いものと思います。また明日夕方は熱田神宮文化殿で「昭和初期の名古屋能楽界」という題で発表します。渡辺康さんに手伝っていただいて作成した戦前のSPレコードの音源や、昭和三十年代の小鼓方の青木恒次さんが祭り囃子を講義されているオープンリール音源を聴いていただこうと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月8日 今日はわたしの四十五歳の誕生日です。弟、大学時代の友人、教え子からお祝いのメールをいただいて心より感謝でした。四十五歳になって、誕生日を祝っていただけるというのは本当にありがたいことだと感謝致しております。長生きして、少しでも皆様のお役に立てるようがんばりたいと思います。
 昨日は名古屋能楽堂定例能のイヤホンガイドをさせて頂きました。定例能でのイヤホンガイドは初めてでしたが、大変勉強になりました。「天鼓」の「弄鼓之舞」で、前ジテの出が呼びかけと梅田先生に伺っていたのですから、当然原稿を修正しておくべきだったのに、「一声で前ジテが登場する」という原稿を直さずにいて、、英文のイヤホンガイドの方に大変迷惑をかけてしまって反省でした。英文のイヤホンガイドは椙山の生活社会科学科の最初のゼミ生の方でした。当初より不人気で三人しかゼミ生はいなかったのですが、昨日は三人ともいらしてくださって、記念写真撮ったのですが、とても嬉しかったです。椙山と県立大の教え子も三十名以上いらしていただいて、とてもうれしかったです。あの学生さんたちが三十年後の名古屋の能楽界を支えてくれると信じています。私が昨日用意していた原稿をここで挙げさせていただきます。私はイヤホンガイドは、定例能以外の催しでももっと活用されるべきだと思っています。イヤホンガイドは原稿が命です。とっさに翻訳なんて、絶対無理だと思います。赤字の装束は昨日の梅田先生の直前のワークショップで決まったものです。楽屋に押しかけて装束の名前教えていただいたのですが、親切に教えてくださった先生方に心より感謝いたします。人のものは盗んではいけないが、人の芸はいくら盗んでも良いのだとよく言われます。拙いイヤホンガイド原稿ですが、もし参考にしていただいて、イヤホンガイドをやってみたいという若手がてでくるとありがたいなあと思います。

 

1 笛・小鼓・大鼓の楽器の調子を整えるお調べが聞こえて参りました。まもなく開演となります。最初に、簡単にあらすじを説明したいと思います。

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中国の後漢の時代に、天鼓という少年がいました。母親が天から降ってきた鼓が胎内に宿った夢を見て生まれた子供でしたが、生まれたのち、本当に鼓が降ってきました。天鼓がその鼓を打つと素晴らしい音がしたので、帝がその鼓を欲しいと言ったのですが、天鼓はその鼓を献上するのを惜しんで山に隠れました。天鼓は捕まって呂水という湖に沈められます。そののち、天鼓の鼓は宮中に召し上げられましたが、誰が打ってもなりませんでした。


3
舞台は、帝が使者を遣わして天鼓の父、王伯を呼ぶところから始まります。帝は鼓が鳴らないのは鼓が天鼓との別れを悲しんでいるからではないかと考え、その父親が打ったならばなるのではないかと考えたためです。王伯は、使者の訪問を受けて、王の命令を背いて逃げたため殺されたものの父であるから、自分も殺されるのだろうと思います。しかし、それならばそれでも良いと考え、宮中に行って鼓を打ちます。果たして鼓は素晴らしい音でなります。帝は感動し、追悼の音楽会を開いて天鼓の霊を慰めることにします。


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追悼の音楽会の会場に、天鼓の亡霊が現れます。そして、王の命令を背いた罰によって、死後までも地獄に堕ちて苦しんでいたのだが、いま帝に弔われたことによって、成仏することが出来たと喜びを述べます。そして、初秋の七夕の夜に、湖の上のほとりで太鼓を打って舞い遊び、夜が明けるとともに姿を消します。


 5
現在の民主的な世から見れば、大変理不尽な話と思われますが、王の命令は絶対で、それに背いたものは死後までも苦しみを受けるという考え方がありました。また、死後に仏となって極楽に行けるならば、それは永遠の命を得ることであり、仮にそれが殺されるということによってであっても感謝すべきだという中世特有の考え方が背景にあります。

6
本日の囃子方は、向かって右から笛、藤田六郎兵衛〔ふじたろくろびょうえ〕 小鼓、後藤孝一郎〔ごとうこういちろう〕 大鼓、河村真之介〔かわむらしんのすけ〕、太鼓、加藤洋輝〔かとうひろき〕の各師となります。舞台向って左の小さい扉、切戸口といいますが、そこから登場いたしますのが。地謡方、この曲のコーラスを担当する人々です。後見が、鼓の作り物、鞨鼓台を出します。これは雅楽で使う太鼓の台を表現いたします。

7
名乗り笛で、相手役、ワキといいますが、後漢の帝に仕える臣下が登場いたします。飯冨雅介〔いいとみただすけ〕が勤めます。この扮装は身分の高い臣下であることを表現いたしております。天鼓が王の命令を背いて殺されたこと、自分がこれから天鼓の父である王伯を迎えに行くことを述べます。

8
一声の囃子で主人公、能では「シテ」と呼びますが、その王伯が登場いたします。(昨日は脇の「呼びかけ」で囃子がないまま静かに登場しました。この部分まごついて英文の方に迷惑かけました。)梅田邦久〔うめだくにひさ〕が勤めます。阿古父尉(あこぶじょう)という面をかけていますが、これは異国の庶民の老人であることを表現いたします。下に茶色の納戸中格子着付 〔なんどちゅうごうしきつけ〕を着ておりますが、茶色のものをつけることで、この人物が老人であることを表現いたします。その上に紺地の唐花袷法被〔からはなあわせはっぴ〕、また頭には萌黄地蜀江文様唐帽子〔もえぎじしょっこうもんようとうぼうし〕をつけていますが、法被と唐帽子をつけることで、これが中国の人であることを表現します。

9
 昨日は省略されました。

 (露の世に)はかない憂き世であるのに、この年とって生きがいもないものは、まだ死にもせず、今年の秋にめぐりあうことなのだ。
(伝え聞く)話にきけば、孔子は子供の鯉魚(りぎょ)に先立たれて胸の燃えるような悲しい思いをなさり、白居易もまたわが子に先立たれて子供の病床に残った薬を恨まれたと聞いている。この方々は仁義礼智信の道徳を広められた方や、詩文の祖先とでも言うべき偉い方で、そのような方でも子供を失った悲しみにはお嘆きになるのだから、自分のような身分の低いものが嘆くのは仕方がないと思うにつけても、悲しみに耐え切れなくて、涙は絶え間なく流れて、袖が乾く間もないことだ。
(思はじと)もう子供のことは考えるまいと思ってもどうしようもない。夢であっても現実であっても、子供を忘れることが出来ないことは悲しいことだ。それならば、もう仕方のないことなのだからと思って寝ても、いつのまにやら思いだされてきて、自分が無理にでも忘れようと思う心を持つことが、子供を忘れていないことよりもなお辛く感じられることだ。ああしかしどうして、このようなつらい思いを持ちながら、わたしは生き長らえているのだろうか。命があることが恨めしく感じられることだ。

10
この部分からは、皇帝の使いが王伯に宮中に来て太鼓を打つように命令する場面となります。王伯は王の命令に背いたものの父親であるから、自分も殺そうというのだろうと思いながら、宮中に行くことにいたします。

11
(たとひ罪には)たとえ罰せられて殺されたとしても、もしや殺されずに済んだとしても、いずれにせよ生き甲斐のない身ですが、我が子を思い出す形見として皇帝を拝みましょう。皇帝のお姿を拝見致しましょう。

12
皇帝の使いは王伯に鼓を打つようにすすめます。王伯は最初は辞退しますが、それならばと打つことに致します。

13
(さては辞すとも叶ふまじ)それではお断りしたところで、お許しくださらないでしょう。皇帝の命令で鼓を打って、音がもしも鳴ったならばそれこそ我が子を思い出させる形見になるだろうといって、夕方の月を受けてひときわ輝く立派な御殿を見た老人は
(生きてある身は久方の)この世に生きてある身のわたしは、子供の名と同じこの天から降ってきた鼓を打つことにしよう。

14(そのせきれきならって)水の浅い小石の多い河原ばかり見慣れていて、宝石を秘めた深い淵を覗いたことのないものには、龍が棲む場所を知ることは出来ないというが、この田舎の老人には、宮の奥深くなどは初めてのことで、これまでこのような場所があるとも知らなかったことだ。

15(げにや世々ごとの)輪廻転生といってこの世が出来てから現在まで、魂は生死を繰り返しているのだが、親子は一代限りで、また次に生まれてくる世で親子に生まれることはない。親子とはこのようにはかない縁なのだが、その縁の薄い親子として生まれてきながら、別離を惜しむ悲しみの念は深く、恨んではならない皇帝を恨んだり、悲しむべきことのないはずの我が身を恨んだり、自分で自分の心を暗闇として、生まれ変わった後までも親子の愛情の念を断ち切ることが出来ずに、永遠の命を得ることもなく生死の苦しみを受けることになるのだ。

(16・17の部分は昨日は省略されました。)

16(地を走る)動物や鳥であっても、親子の情愛をしらないものはない。まして、仏と同じく心を持ち、仏に成る性質を持っている人間に生まれることが出来たのだから、この人生において悟りをひらいて成仏しなければ、いつになっても生きては死に、死んでは生まれ変わる苦しい身を離れて、仏として極楽の彼岸に生まれることは出来ないのだ。

 

17〔親子は三界の〕親は子どもへの心配のために生涯心を束縛されると聞いているが、それはまったくその通りで、老いて衰えたこころは、わが子を失った悲しみでいっぱいとなり、涙は雨のように袖に降り、濡れまさるやつれた粗末な衣のこの身の不幸せを、いくら恨んでも仕方がなくて、この恨みの心を持つがゆえに、この世を大切にして極楽を願わないものとして罪に沈むことは疑いない。ただ、それも長生きして子供に死に遭った自分の命の長いせいだ。しかもまだ命があって、日を送り、いま鼓を打つとは、まったく現実とは思われない身の成り行きの恨めしいことだよ。

18(
鼓の時もうつるなり)鼓を打つべき時間もすぐに過ぎてしまう。涙をとどめて、おじいさんよ、急いで鼓を打ちなさい。


19
〔げにげにこれは)まったくこれは皇帝のもったいなくも直々のご命令によるもので、
鼓を打つべき時間も過ぎ行き、また自分の命も終わりに近づいている。急いで鼓を打
とう。

20(打つや打たずや老い波の)老人の鼓に立ち寄る姿には夕月の光がさし、雲竜閣の光輝
く階段や広間を歩んで老いの歩みも)老人の歩みはたどたどしく、湖にはった薄い氷の上を歩くように不安な気持ちを持ちながら、打つと不思議なことに心を澄ます妙音が出た。まったく天鼓と親子であった証拠の音に、皇帝も可哀相に思われて、顔に涙を浮かべなさったのはありがたいことであった。

21
臣下は、老人に向かい、いま鼓がなったことに皇帝が感激されたことを告げ、老人に宝を下されることと、天鼓の霊を追悼の音楽会を開いて弔うことにしたことを話します。間狂言の下仕えの役人がそれを一般の人々に知らせます。野村又三郎が勤めます。舞台で観客に向かって話すことで、これがすべての人に向けて話されているということを表現いたします。下仕えの役人は、王伯を自宅に送り、臣下に報告します。(この部分は静かな場面なのですが、うまく場面に合わせて解説できませんでした。間狂言は実際には野村小三郎さんが勤められました。日本語ではとっさに直せましたが、英文の方へは連絡できず、迷惑おかけしました。)

22
〔さても天鼓が身を沈めし〕さて、天鼓が身を沈められた呂水のほとりに皇帝が行幸なさって、天鼓と同じ名の天から降り下った鼓を据え付けた。ころは初秋の夕方であるので、早くも暑さは納まり,秋風の音も涼しくて、澄み渡った空には夕方の月も照り輝いており、水はどうどうと流れ、波はおだやかであることだ。音楽会の開かれる呂水のほとりの美しさが歌われます。

23
一声の囃子で、シテ〔主人公〕の天鼓が登場いたします。前半王伯を勤めた役者と同じ役者が勤めるのが原則で、今日も王伯を勤めた梅田邦久が勤めます。下に浅黄地紋づくし縫箔着付〔あさぎじもんづくしぬいはくきつけ〕、上に朱地花菱袷法被〔しゅじはなびしあわせはっぴ〕をつけています。赤を用いることによって、この人物が若いことを表現いたします。袴は、紫地唐花模様半切〔むらさきじからはなもようはんぎり〕ですが、中国の花が描かれていることによってこの物語が中国の話であることを表現します。面は童子、黒頭で少年の姿です。手に唐団扇を持つことによってこれが中国の話であることを表現いたします。(←「中国の話」と二回だぶってしまったことに読みながら気がつきました。)

24
〔あらありがたの〕ああ、ありがたい追悼の音楽会であることだなあ。皇帝の命令を背いた天罰によって、呂水に沈められた身であるので、死後の世界でも罰を受け、海に沈められて波にもまれる地獄の苦しみを受けて少しも心が休まる時はなかったのだが、思ってもみなかったことに、今日弔っていただいて、こうして呂水の上に浮かび、自分の魂も成仏することができました。これも正しい政治が行なわれている素晴らしい世の中であるおかげで、ありがたいことであります。

25
〔不思議やな〕不思議だなあ、もはや夜も更けたころであるのに、水の上にあやしい人の影が見えるが何者なのだ、名前を名乗りなさい。
〔これは天鼓の〕これは天鼓の亡霊なのだが、追悼音楽会への感謝のためにこれまで現れてきたのです。


26
〔さては天鼓の亡霊〕それならば、天鼓の亡霊であるのだな。それならば今日の音楽も天鼓の霊を慰めるためのものなのだから、太鼓を打ってもし音が出るならば、まさしく天鼓の証拠であろう。早く太鼓を打ってください。


27
〔嬉しやさては〕ああうれしい、それならばこの太鼓を打つようにというのも皇帝のご命令なのですね。といいながら夕方の月が輝く皇帝の椅子のそばで、笛の音も澄み渡り、月で天人が舞楽を演奏した昔もこのような様子であったのかと思われる。音楽の素晴らしさに感動して天人が天上界から下り、菩薩が地上に降りてくるほどの素晴らしさで天から降った鼓を打つのである。


28
〔打ち鳴らすその声の〕鼓を打ちならず音に併せて、呂水の波がどうどうと打ち寄せる。その波の音がまた鼓のように聞こえる。波が水際に打ち寄せては引くように、繰り返し管楽器・弦楽器による追悼の音楽はありがたいものであつた。

29
ここから天鼓の舞の場面となります。「楽」という囃子で、これは能においては中国の人が舞っている場合にのみ演奏されます。通常の演出では、太鼓を用いず、笛と小鼓・大鼓の「黄渉の楽」〔おうしきのがく〕ですが、本日は「弄鼓之舞」〔ろうこのまい〕の特殊演出となりますので、太鼓が入り、笛が高音部を多く用いる「盤渉楽」〔ばんしきがく〕となります。天鼓が中国の少年であり、その少年が自らの成仏と、追悼の音楽に感謝して舞う場面となります。現在の感覚から考えれば、皇帝の理不尽な要求を拒んで殺された天鼓が、追悼音楽会を催したからと皇帝に感謝するのは無理があるように思われますが、中世文学の世界では最もすばらしいのは永遠の命を持つ仏となって行く極楽であり、人間界は生死を繰り替えす苦しみの世界です。天鼓は殺されたにせよ、この追悼音楽会によって極楽に行くことが約束されているのであり、その意味で言えばここで感謝して舞うのは自然なのです。音楽の楽しさと、成仏して仏になり永遠の命を持つことへの喜びの舞になります。

30
〔面白や時もげに〕ああ面白いことだ。いまは時もちょうどこの音楽の名と同じ秋の頃で
いかにもいまは「秋風楽」という音楽の名と同じ秋の頃で、
松吹く風が柳の葉を払って空に照る月も涼しげで、
ことに星はちょうど牽牛と織女の二人が会う七夕の夜で
かささぎが架けた橋の下に紅葉を散り敷き、
二つの星の住む館の前には風が涼しく吹き
夜も更けて、「夜半楽」の名の通り夜が深くなった。
人間が水の流れる低い方向を向くように、下の南の
方角を向くが、すべての星が北の最高の北斗星に敬礼している空では
雲の波が立っているときに
呂水の鼓ではなおも月の輝く空に向かって歌を歌い、
水面まで乗り入れて波に穴を開けるほど、
袖を翻して舞い興じたのだ。
夜中中行なった追悼音楽会も時が過ぎて
午前四時(五更の一点)の時間を知らせる鐘がなり、
鶏が何回も鳴いて暁を告げ、
夜もしらじらと明けてゆき、やがて午前五時(明け六つ)
時を知らせる鼓が鳴って、街の人々の声もにぎわしく
なってくると、その声にまぎれて、今まで見えていた天鼓の
姿は現実であつたのか、夢であったのかわからないように
ふっと消えてしまった。幻のように消えてしまったのである。

31
天鼓が成仏して、夜明けとともに姿をけし、追悼音楽会が終わって一曲は終曲を迎えます。拍手は主人公の天鼓がまくのすぐそばの松、三の松を通るまでご遠慮ください。

 

32 本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚恵理人が勤めました。次回定例能は9月3日日曜日に、十時半からと二時半からの二部に分けて一部につき能二番、狂言一番が行われます。どれも初心者にも分かりやすい人気曲となっています。一部三千五百円でチケットは受付で販売いたしております。定例能へのまたのご来場をお待ちいたしております。御清聴ありがとうございました。

 

読む練習はしたのですが、本番になると舌は噛むし、いい間違えるし。。聴きづらいところたくさんあったと思います。アナウンサーってやっぱりプロなのだなあと。。こういう仕事するとしみじみ思います。昨日の定例能は観客が多くて、しかも若い人が多くて「普及能」としては大成功だったのではと思います。梅田邦久で二千五百円ならば、それは破格に安いですが。。イヤホンガイドやりながら、梅田先生は本当に綺麗だなあと思いました。七十五歳で少年を演じてそのように見える。。老練ですよね。とても楽しかったです。昨日は教え子に助けてもらいながら仕事ができて、そういう意味でも本当に楽しかったですし、自分は幸せだなあと思いました。今日はこれから子供を連れて近くの実家に行き、夜は大学の同窓会です。高校の先生している同窓も多いので、椙山の宣伝もしてこようかなあと思っています。7月30日はオープンキャンパスで私もスタジオ担当でいるのでぜひ生徒さんに勧めてと。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月6日 今日は木曜日、明日は定例能でイヤホンガイドです。前からずっと準備しているのに、なぜか今日は朝から水曜日のような気がしていて〔講義は普通に木曜日の講義をしているのに。。〕、能楽堂に電話をかけて、ああそういえば今日は木曜日だから明日なんだと。。忙しいわけではないのですが、毎日少しずつ「はずせない予定」というのがはいっていて、ふと、「あれっ次何やるのだっけ」ということがあります。脳ドックの結果によれば、「年齢相当」なのだそうですが。。中年の自覚を持ってメモをしっかり書くことにしたいです。明日がハードなので、今日はこれで帰ってゆっくり休もうと思います。台風来なければ良いのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月4日 2日は東海能楽研究会、橋場夕佳さんの明和本の間狂言の改訂に関する発表、プリントがしっかりしていてさすがだなあと思いました。大阪大学の大学院は鍛えこんでいるなあと。。ああいうきちんとしたプリントを作るのは天野文雄門下の学風なのですよね。きっと。。とても参考になります。田崎未知さんの間狂言本の輪読、やはり山脇得平本は狂言集成本とかなり関係が深いのだなあと思いました。得平自身が京都住居でしたから、三宅派の狂言師の人たちと交流があったのかもと思います。若い人が育っていてとてもよかったです。東海能楽研究会も案内お送りしている人が60人近くになり、10年まえに筧先生のもとに集まった10人足らずで旗揚げしたときとはずいぶん様子が変わりました。会員に愛好者の方もすごくふえて。。お互いの風通しをよくするために、会の連絡をお送りするときに一枚プリントの会報をつけることに致しました。「筧先生・佐藤先生が出演される催し」「こども能楽教室」「イヤホンガイド」の情報をとりあえずまとめて載せようと思います。今後とも東海能楽研究会をどうぞよろしくお願いいたします。みなさま、御身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年7月1日 今年もあっという間に半年終わってしまいました。久しぶりに家にいられましたが、朝から書類や打ち合わせやらのメールで追われました。午後は附属高校の九回生で筑波大学の後輩でもある野村和弘さんが知立の「じんがら」という画廊で個展をされていると、高校時代の英語の先生に教えていただいて、初対面だったのですが、出かけて来ました。私の父は彫刻が好きなので一緒に行こうと思ったら、、とーぜん比呂も友も来ますよね。。子供たちは画廊で出してくださったお菓子ばりばり食べていて、申し訳なかったなあと思いました。でも、野村さんの作品は、石彫なのですが、ペンギンとか羊とかとても温かみがあって優しい感じでいいなあと思いました。愛知教育大学や名城大学でも非常勤講師をなさっているそうですが。。自分が絵や音楽がなぜ好きなのかなあと考えると、父や母がよく美術展に連れていってくれたからかなあと思います。比呂や友にも幼い内に本当に美しいきれいなものや「芸」をたくさん観て欲しいと思います。明日は東海能楽研究会です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月29日 なんでこんなにやることあるのだろう。。とおもうくらい書類やら講義の準備やらいっぱいあるのですが。。あの書類どこやったっけ、あの日って何かあったかなあと。。手帳にメモしてその手帳を忘れるなど段取りが悪くて困っています。今朝は卒業研究の一環で、業務用ビデオカメラの撮影に慣れるため東山動物園でロケをしました。象ってあんなに大きかったかなと。。久しぶりに見るとやっぱり感動します。年間パスポートを買ったので、次は子供を連れてゆきたいなあとおもっています。でも、、さすがに暑かったです。ふうーーーっ。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月28日 名古屋市文化振興事業団広報誌「なごや 文化情報」2006年7月号の巻頭「随想」を書かせていただきました。名古屋の多くのかたがたに支えていただいて、これまで行ってきた研究につい書かせて頂きましたが、こういう場所をいただいて書かせて頂けるようになって心より感謝致しております。私より立派な先生方、もっと隠れたところにいっぱいいらっしゃるのですが。。でもこういう機会をいただけると、これから自分はどういう仕事をしてゆくべきなのかなあと考えるきっかけになってありがたいです。研究資料の整理はもちろんですが、子供たちへの普及のための教材開発もあらためて力入れないとと思いました。今日は水曜日、週の真中ですが、ちょっと疲れています。どうも仕事の連絡ミスが多くて。。「言ってあったつもり」というのが「聞いていない」とか「そんなつもりではない」と言われることが多くて参りました。もっと周到に準備しないと、大勢でやっているわけですから、困りますよね。。反省です。とても暑い日です。中年にはツライです。でももっと暑くなるのだよなあーー。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月27日 今日は卒業研究でした。業務品質のビデオ撮影技術を身につけたいなあと思っていますので、ロケが多いのですが。。明後日は東山動物園で映そうと、機材を整えています。晴れるといいなあと。。昨日のワークショップ、中日新聞さんが名古屋市内版で取り上げて下さいました。心より感謝致します。でも、オルガンとかピアノは習うところなどみな知っているのですが、尺八も子供・大人向けの教室があることなどは意外と知られていないのですよね。昨日の講師をお願いした岩田律園先生は中村区の御自宅で、恭彦先生も稲沢で教えていらっしゃるので。。またお稽古情報などもこのページから発信したいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月26日 今日は岩田律園先生・恭彦先生のワークショップでした。律園先生の「虚鈴」の演奏からはじまって、普化尺八の歴史についての講義、恭彦先生の現代尺八の演奏法から御自身の曲の演奏。そして最後は109本の尺八を用意して下さって、全員で尺八を吹く練習をしました。。私も吹いてみましたがなかなか音がでなくて、ちょっと出たかなあと思った頃には目が廻っていましたが。。学生さんのほうがずっと覚えがよかったです。学生さんの評判を聞いても楽しかったという声がすごく多かったので、このようなワークショップ型の講義を増やして行こうかなあと思っています。午後はスタジオで律園先生の本曲と恭彦先生と昭彦先生の尺八二重奏曲の録音をしました。講義の様子や子供のためのソーラン節の尺八二重奏なども編集してこのホームページから配信する予定です。多くの方のご協力でこのような講義が出来て本当に幸せだなあと思います。夜は古文書の研究会です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月25日 昨日の午前中は子供が筧先生のお宅で稽古、そのあと岩田律園先生のお宅に伺って月曜日のワークショップの打ち合わせ、、玄関で失礼するつもりでしたが、子供たちは「いいよー、あがっといでーー。」と言われると「わーい」といってお邪魔しておやつまで頂いて、、恐縮でした。そのあとは長唄の杵三会。県の芸術センターに来たら、「ここは本がたくさんあるところにおじいちゃんに連れて来てもらったことがある。」と。。父は美術が好きでよく比呂人を連れて版画など観に行っていますからそれで図書室に見覚えがあったのだろうと思います。比呂人も友恵もおとなしく聴いていて感心でした。ただ、比呂人は午前中の稽古の疲れがでたのか、「多摩川」のところでは椅子の上にアザラシのようにどってりと丸くなってしまってタマちゃん状態でしたが。。すぐ復活してちゃんと聴いていました。追善曲「岸の柳」とてもよかったです。五世三太郎先生は、伊和家小米先生の追善会のときに紹介してくださる方がいて、ほんの少しお話しただけでしたが。。でも、東音中島真実先生が六世杵屋三太郎を襲名してしっかり引き継がれて、指導に大変熱心な方でよかったなあと思います。家内と子供はおじいちゃんの家に行くので先に帰って、私は能楽堂で七月定例能のイヤホンガイドの読みあわせを英語の方としました。人事は尽くしたと思います。うまく行くといいなあと思っています。今日は朝一家で教会に出かけたのですが、、私はどうも疲れが抜けなくてだるいので、教会学校のみで礼拝には参加せずに帰って寝ておりました。明日は岩田先生のワークショップ、明日までには復活しなければと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月23日 目が廻るような忙しさ、、といって何も進んでいないのですが、なんか気ばかり忙しくてまいりました。去年と同じ教材は出来るだけ使いたくないので、新しいビデオを使おうと思うと、プリントを作らなくてはいけませんし。。明日は午前中は子供たちの筧先生の稽古、そのあと、長唄の杵三会を聴きに行き、夕方から能楽堂でイヤホンガイドの打ち合わせの予定です。月曜日は二時間目に岩田律園先生の尺八ワークショップ、とても楽しみです。まだ準備が終わらないのですが。。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月20日 16日の古都先生のワークショップ、とても楽しかったです。今回は前回に比べてみんな慣れていて、上手に踊る学生もいて、やっぱり若いと覚えが早いなあと思いました。読売新聞さんが取材にいらしてくださって、17日の名古屋市内版に載せていただきました。心より感謝致します。あの学生さんたちの中から、将来日本舞踊を習ったり、その観客になる人がいるといいなあと思っています。金曜日はナディア狂言もあり、椙山と県立大の学生さん合わせて40人が観てくれました。どのような感想を持ったのか。レポートが楽しみです。それによって、また来年の講義内容を変えたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月16日 昨夜は、、その前の晩によく眠れなかったので9時すぎには一家でアザラシになりました。蚊取り線香しっかり焚いて。。おかげでよく眠れました。比呂アザラシと友アザラシは昨夜はアタックしてこなかったような。。今日は西川古都先生のワークショップの二回目、古都先生に一時過ぎにスタジオに来ていただいて、端唄の「潮来出島」の録音をしています。NHKテクニカルサービスの方たちは朝から準備にいらしていただいて本当に感謝です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月15日 昨日は県立大学の夜間の講義の日、帰り眠くなりそうだったのでコーヒー飲んだら、運転は大丈夫だったのですが、こんどは眠れなくなって。。夜中も目が冴えてアザラシのようにごろごろしておりました。ちょっと眠れるかと思うとひろアザラシやともアザラシのキックを受け、蚊にさされ。。普段はぐっすり寝ていて攻撃受けても平気なのか、昨晩は子供たちの寝相が特に悪かったのかわかりませんが、今朝はよく眠れなかったこともあつて疲れが残っています。なかなか仕事が進みません。。いくらやっても前に進めないというか。。ふーーっ。。そういいながら、明日の古都先生のワークショップ楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月14日 今朝子供と家内に、パパはお仕事の話しかしないし、家でも仕事のお電話ばかりだと言われてしまいました。事実なので反省しています。家内や子供との時間、とらなければと思います。比呂人は能を観ていても僕が感心するくらい行儀が良いので、これから能や筝曲の会の時は連れて行こうかなあと。。一家で観に行ければいいなあと思っています。自分の趣味に引きずり込んでいると言われればそうかも知れませんが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月13日 日曜日には比呂人を連れて西村同門会に行きました。筧先生について個人稽古をはじめましたし、本人が観に行きたいと言ったので。。ただ、さすがに長いのは辛かったのか、八島の仕舞の「朝アラシとぞなりにける」のところでは、いすの上でどてっとしていて「アーザラシとぞなりにける」でしたが。。大江山では復活して行儀良くずっと観ていました。帰りには楽屋に筧先生に挨拶にいって、「もらっちゃったーー」とお菓子貰って大喜びでした。相手して下さった筧先生、長田先生に感謝です。月曜日は豊田で7月の英文イヤホンガイドを引き受けてくださる卒業生の方と打ち合わせをしました。「五更の一点って何時ですか。」とか時刻など基本的な単語を英文の場合きちんと訳す必要があるのだなど、発見が多くあり、勉強になり感謝でした。今日は1日会議でした。ふーっ。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月11日 土曜日出勤したので、今日はちょっと朝寝坊しました。これから床屋にでも行って、午後は楽しみにしている西村同門会の大江山を観に行こうと思います。岩田律園先生、恭彦先生のワークショップの内容、少しずつ決まってきました。受講生向けに作ったプリントを掲載します。西川古都先生の日本舞踊のワークショップが学生に非常に好評だったので、このようなワークショップ型の講義を増やそうかなあと思っています。もちろん、ひとつの講義で何回もというのは難しいので、別の講義でになりますが。最近ホームページの更新が面白くて、その分論文の執筆が減っていて問題だなあと思っています。論文もきちんと書きたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。

「尺八 いま・むかし」虚無僧尺八から現代尺八へ

 岩田律園〔西園流・明暗対山流〕岩田恭彦〔現代邦楽〕父子による尺八ワークショップ

講義目的

 名古屋には、幕末から明治にかけての虚無僧尺八の名人と言われた兼友西園の流れを汲む西園流尺八が伝承されています。尺八は虚無僧による本曲〔独奏曲〕から、筝・三味線と合わせての三曲合奏、また、その多彩な音を活かしての現代邦楽へと、時代により形を変えながら、その魅力を保ちつつ現在に至っています。

 本講義では、名古屋に伝承された尺八の歴史を、岩田律園先生の歴史解説と、実演を伴って学びます。また、尺八を用いた現代邦楽を岩田恭彦先生の解説と演奏で学びます。さらに恭彦先生が自作された青竹製の尺八50本を用いて、受講生がみんなで尺八を吹く体験をするワークショップを行います。このことによって、古くから現在に至るまで、名古屋で愛好された尺八の「音」の魅力を学びたいと思います。

時間 626日〔月曜日〕1050分―1220

場所 文化情報学部棟 307教室

対象 文化情報学部「文芸A」〔飯塚恵理人担当〕受講生 105

内容
 ・  岩田律園先生による名古屋における尺八の伝承に関する講義
 ・  岩田律園先生による演奏―西園流本曲
・ 岩田恭彦先生による現代邦楽と尺八に関する解説
・ 岩田恭彦先生の現代尺八曲の演奏
・ みんなで尺八を吹いてみようー尺八ワークショップ

岩田律園師の本曲演奏は飯塚研究室ホームページ「恵理人の小屋」の「尺八 いま・むかし」(http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/iwata1.html)より配信されています。


2006年6月10日 今日は椙山高校三年生対象のキャンパス見学会で、文化情報学部に興味を持つ椙山高校の三年生の生徒さんたちがおおぜい本学部を訪れました。私は、施設説明の係で、スタジオの施設の案内係をしました。椙山高校出身の学生さんがとても手際よくきちんと説明してくれたので、後輩諸君もよくわかったのではないかと思います。一生懸命高校で勉強して、来春ぜひ椙山女学園大学に入ってきて欲しいです。岩田律園先生の西園流尺八の本曲[独奏曲]を「尺八 いま・むかし」のページにアップロードしました。尺八の音、素朴でとても素敵です。岩田律園先生に心より感謝致します。6月26日には、「文芸A」の授業で息子の岩田恭彦先生と一緒にワークショップをして頂きます。とても楽しみです。明日は熱田神宮能楽殿で西村同門会の「大江山」、熱田神宮能楽殿閉館はとても淋しいですが、思い出のためにも伺いたいなあと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月9日 今日は名古屋能楽堂定例能で解説の仕事を頂きました。学生さんも、また親御さんもたくさんいらしていただけたので、気分は父兄参観で、高校で非常勤講師をしていたときのような緊張がありました。こういう時間の限られた解説の場合は、アドリブでやると必ず時間がオーバーするので、原稿を作って読むことにしているのですが、それでも二分オーバーして反省でした。以下、原稿を掲載します。

皆様こんばんわ。椙山女学園大学の飯塚です。本日は名古屋能楽堂の管理が名古屋城振興協会から名古屋市文化振興事業団となり、定例能も能楽堂と能楽協会名古屋支部の共催と変わって初めての定例能となります。いままで以上に、新しい方に能を観て頂きたいということで、新しい企画を次々立てていらっしゃいますが、そのなかの一つとしまして、試しに事前解説をということでお話を頂きました。貴重なお時間を頂いて十五分ほど、本日の演目、《高野物狂》と《船渡聟》について、話させていただきたいと思います。

高野物狂の筋について述べておきたいと思います。最初に平松殿に仕える高師四郎が登場し、平松殿が昨年秋に亡くなったことと、自分が亡くなった平松殿の命で遺児の養育係を勤めていることを語ります。そして、命日なので主君の菩提寺に参詣しようと言い、そこで主人の菩提を弔います。そこに高師四郎の部下、これは狂言の役者が勤めますが、来て、この暁に春満殿は置手紙をして寺を出たと言います。高師四郎がその手紙を読みますと、輪廻転生のなかでたまたま人間に生まれて仏教に出会った、この時に出家しないと極楽に行けない。また一人が出家すれば、七代前の先祖まで成仏すると聞いているので、思い切って出家するのだと書かれているのですね。高師四郎は、主従はこの世だけではなく、次の世でも縁のあるものなのだから、と述べ、捜しに行きます。舞台は高野山になります。そこで僧が、出家した子供を伴って登場します。そしてこの子は、誰の子供であるかわからないのだが、自分を師匠として頼むということなので、養育していると述べます。そこに物狂―芸能者が登場します。高師の四郎なのですが、春満の残した手紙を竹に挟んで持ち、主君に会いたいという気持ちを謡ってきます。そして高野山御影堂前の三鈷の松のもとで休みます。春満はそれがすぐに高師四郎であることに気が付きますが、すぐには名乗らず、僧から尋ねさせます。なぜ高野山であるのに、芸能者のような異様な格好をしているのかと。。高師四郎は、この高野山は弘法大師が中国にいるときに、日本で仏法を広めるのにふさわしい場所があればとどまるようにと三鈷を投げられたところが、高野山に飛んできてこの松に留まったのだという三鈷の松についての謂れを話します。そしてこの場所の松風や月影はこの世の終りの時に弥勒菩薩が三度の法会を持つような静寂で美しい様子で、奥の院は、この人間の身がそのまま仏と成り得る実相を示して弘法大師が入定なさった地であると言います。さらに多くの人々が現世の無常を知って称名念仏の声が響いているが、霊場は静かであると褒め称えます。そして中の舞いを舞います。この高野を褒め称えての中の舞いがこの曲の見せ場となります。それから、高野山の中では謡・舞いは禁止でありましたが申し訳ありませんと述べます。その時に春満丸が名乗って対面となります。 今日は宝生流ですので、高師四郎も出家し、ともに成仏を祈って修行する事と述べて一曲は終曲を迎えます。最後は二人とも往生したであろうと予見させる形での終り方です。

 曲のポイントとなる「主従の縁」「男物狂」「高野」という場所について解説致します。まず、この曲の物狂いは「男」です。男の芸能者であるわけですが、これは、この曲の舞台が高野山という女性が上る事の出来ない霊場であるからです。そこで「芸」を見せるためには、男という設定が必要となる。男親が子供を捜す方が、物語としては自然でしょうが、子供が出家を志す理由としては、どうしても父親が死んでいないと困る。そこで、忠義な家来が主人公シテとなるわけですが、「主従は三世」というのが、このドラマで高師四郎と子供をつなぐ「縁」です。春満殿の手紙を読んだ高師が、なぜ出家するならば自分も連れて行ってくれないのかと嘆く言葉に「たとひ世を捨て給ふとも、三世の契りなるものを、いづくまでも御供に。などや伴ひ給はぬぞ」といいます。「たとえ出家なさるとしても主人と家来は「三世」の契りなのだから、どうして連れていってくださらないのか」と言う意味です。能ではよく出てくる言葉なのですが、「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と言うのですね。これは仏教の輪廻転生という考え方、魂というものはこの世が出来てから終るまで、永遠に生きたり死んだりを繰り返しているという考え方に基づきます。例外は成仏して仏になって極楽に行くときで、このときは永遠の命を持ちますので、もう死なない。ただ、それは名古屋弁で「往生した」というのが大変だとという意味を持つのと同じく大変なことなので、大概はもう一度生まれ変わってしまう。このときに、「親子」は「この世だけの縁」だから一世なのですね。これが夫婦だと、「この世」と「次の世」もしくは「前の世」と「この世」で夫婦なので二世、主従だと、「この世」とあと二回生まれ変わってくる「世」であるか、前の世といまと次の世の三世であるか、わかりませんが、とにかく三回生まれ変わってくる間、主従であることが運命として決められている、このような深い縁だとされているわけです。よく歌舞伎の心中物なので、「次に生まれて来る時は」必ず夫婦でというような場面がありますが、これは「夫婦は二世」という言葉に基づいての場面となります。

 もう一つ、「物狂」となって生き別れた人を捜すという設定についてです。このような作品は能では「物狂能」というジャンルになっているほどですので、非常に多いです。このような曲を講義で扱いますと、よく学生のレポートで、中世は突然主人が出家して家出したりして大変だったのだなあと書かれていることがあるのですが、実際にこのようなことが頻繁に起きたと考えるのよりは、物語として「刈萱」であるとか「山椒太夫」のような「御対面番組型」の話が喜ばれた時代だったのだと考えたほうが自然だと思います。いまでも、テレビ番組では「あの人に会いたい」と言ったようなものは沢山ありますよね。それで苦労話の後に「会いたいでしょう、いまスタジオに来ているんですよ」と言って涙の対面になる。スタジオに来ているのならば、苦労話させる前に会わせて上げれば良いのにと思うのですが、実はその苦労話の部分が三十分番組ならば二十分以上で、会ってからはすぐにコマーシャルか次回予告になってしまうのです。御対面番組の見所は、対面の場面がお約束のクライマックスとして用意はされていますが、実は観客の興味を引く部分はそれにいたるまでの苦労話となるわけです。で、「山椒太夫」のような中世の語り物でも、会うまでの「苦労」を乗り越えて行くところが物語の興味をひく部分となっていますが、「劇」である能の場合、その会うために探し回る人が、会いたい人と離れたために、「物狂」になっている。そしてその物狂が「芸」として舞いを舞ったり歌ったりする部分が見せ場になるわけです。「物狂」というのは「物に狂う」という形で芸を見せる芸能人です。現在ステージの上で狂ったように跳ね回って歌っている人がいて、観客が総立ちになって叫んでいるコンサートなどというものがあるようですが、あれなどは中世の人々がいま観たならば、まさに「物狂」とその観客であろうと思います。子供にはぐれた、主人に離れたなど、そういう普通の人が、芸もなくただ突然「芸能人」になって諸国を廻るというのも、能では良くありますが、現実にはあり得ない。能と言う劇を作る上で、このように作ると劇中で主人公に舞いを舞わせやすい、そういう工夫であるわけです。

さいごに「高野山」と言う場所についてです。中之舞の前の本文には「貴賎群集の雲霞。かかる高野の山高み。谷嶺の風常楽の夢さめ。法の称名妙音の。心耳に残り充ち満ちて。唱え行ふ聞法の。声は高野にて静かなる霊地なりけり」とあります。訳してみますと「人生のはかなさを知った人々は身分の上下を問わず数多くこの高野山に登り、山風・谷風を聞いてはこの現世が永遠の住処ではありえないことを悟って称名念仏の有難さを知ってみな念仏を唱えるのだが、この念仏の声は高く全山に充ち満ちているが、霊場は静寂を保っているのである。」となります。高野山は中世の一大観光地でした。あんな山の中と思われると思いますが、観光地はいつの時代でも泊りがけで行くような山の中です。そしてその観光地の最大の売り物は「心が清らかになる」「静かな所」というイメージでした。「大人の隠れ家」とかいう雑誌まで出来て、静かな場所に大挙して人が行くような現象がいまでもありますが、中世の山岳寺院はまさにそういう場所です。

そして同じ宣伝をするにしても、小説や劇の中に書き込んでもらう方が宣伝効果があることも今と変わりません。いまのテレビドラマでも、たとえば現実の事件がどういう場所でよく起るかは知りませんが、観光地の老舗の温泉旅館などというところは、かなりの確率で殺人現場になりますよね。しかも若い女性は屋上の展望風呂で殺されることが多く、老紳士はラウンジでワインかなんか飲んでいて一服盛られて倒れますよね。たまたまそういうドラマを見ていたその翌月かなんかにその旅館が紹介されている番組を見まして、女性が殺された展望風呂がその旅館の一番の自慢で男湯であったことや、刑事さん達が老紳士の亡くなった現場であるラウンジで、「犯人は○でしょう」といいながら食べていたのが平日ランチの三千五百円のほうば味噌定食であったことがわかりましたが。実際の刑事さんが、現場であんなおしゃれな背広を着て、高価なお昼をのんびり食べながら会議をするということは考えられない。このドラマなども「殺人事件」を題材にしながら、ホテルの風呂や食事に興味が行くようにつくられていたと考えるほうが自然なように思います。だいたいその日のドラマのテレビ欄には「○○、はじめての犯人役」と犯人が誰か書かれていたわけですから、新聞を見て番組をみた人は犯人を最初からわかってみていたはずです。「高野物狂」も主従再会という劇ではありますが、それだけが内容ではないのですね。霊場としての高野山の素晴らしさを称えるという要素が本文に強く現れています。

この曲の主役は主人思いの高師四郎です。衣斐先生が、主人を思い、そして高野山を称えてどのように舞われるか、楽しみに拝見したいです。

「船渡聟」、演じる順から言えばこちらが能よりも先になります。これは、「相手がこういう間柄と知っていたらこんなことしなかったんだけれどなあ」という失敗談を劇にしたものです。最初に船頭がでますが、これは渡し守なのですね。いまは渡し舟というものはどこの川にもまず有りません。これは川に橋があるのが当たり前になったからですが、中世には歩いて渡る事が出来ない大きな川には渡し舟がありました。そして、川や湖のイメージが、いまとこの話が作られた中世の時代では大きく違います。まず中世の川には堤防がありません。護岸工事が出来なかったからですが、台風の度に川の流れがかわるといったそういう状態でした。それといまよりも水量が多く、流れが早い川が多かった。これはダムがなかったからです。ですから、渡し舟というのは水難に遭う事がよくありましたし、江戸時代には水難供養塔などというものがどこでも多く作られています。渡し守といえば、腕っ節の強い男の、ちょっと危険な職業で、危ないだけに、客よりも立場が強い、それゆえに客を脅す不心得ものがいる職業でした。この船頭は、髭をつけていますが、狂言で髭があるのは中国人と山賊など、異風な人、「賊」、もしくは力の強い人です。この船渡聟の船頭も髭がある時点で普通の人ではない事がわかります。それが酒を持っている人を乗せた。。脅して酒を飲むわけですが、船を漕ぐポーズ、客を脅すところ、逆に聟にしてみれば、船が揺れておびえるところ、無事につくために仕方なく酒を振る舞うところなどが見せ場になります。それで、実は訪ねた舅がさっきの船頭と知って二人はどうするか。。ハッピーエンドになりますが、船中という普通の商売とはお金を払う側ともらう側の立場の異なる空間で、舅と聟という本来は舅のほうが上なのでしょうが、その二人の関係がどうなって行くのかを見せる、劇としてもとても面白い構成をもった人気曲です。

定例能、次回の七月七日は普及公演で梅田先生の天鼓、後半の舞など動きもあり、初心者でもわかりやすい演目です。初めて能を観る人のためにと言うことで一般券2500円といつもより千円値打ちです。能楽堂受付で販売いたしております。休憩時間などにぜひお求めください。また狂言共同社の名匠狂言会は7月9日。佐藤秀雄二十三回忌追善で宗論ほか。佐藤秀雄先生の間狂言を高校のころ見ていますが、あれから三十年たってしまったのだなと懐かしく思います。また今年の衣斐正宜後援会能は、8月27日()名古屋能楽堂にて。能「藤栄」(名古屋ではあまり出ない曲です)、近藤乾之助能「隅田川」 衣斐正宜という予定です。こちらもぜひ宜しくお願い致します。

では皆様、最後まで楽しんで御覧いただけますよう。御清聴ありがとうございました。


正直、ものすごく緊張していましたから、舌も噛みましたし、また近眼なので原稿を近くにしないと読めないので、背中が曲がっていておかしかったかなあとも思い反省しています。事前解説というものは、どのように行えば観る人のプラスになるのか、また考えなければと思います、でも、とても楽しかったです。来月の天鼓はイヤホンガイド、がんばります。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年6月8日 今日は比呂人が筧先生に謡曲の個人稽古をしていただくために、家内と友恵と一家ででかけました。入門は本当は数え六歳の六月六日からと言いますが、比呂人は満六歳の六月八日からになりました。稽古をたのしめるようになってくれたらなあと思います。明日は能楽堂の定例能の事前解説。能楽堂の事前解説ははじめてですので緊張しますががんばりたいと思います。明日は学生さんもたくさん来てくださるので、初めての方が多いだけに、能楽によい印象を持っていただきたいなあと思います。ではまた、お元気でおすごしくださいますよう。


2006年6月7日 基礎演習のビデオ、だいぶ出来てきました。今日は先週録音したナレーションを貼りこんだのですが、クリップの長さを調整する方法が、アイムービーでも前のバージョンといまの今のバージョンで違うのですね。前のバージョンと同じつもりでうまく行かず、技術支援室に応援頼みに行ったら鳥居先生がいらっしゃって、、125室に応援に来てくださったのですが、もう一発ですっと方法教えてくださって、、学生と一緒に拍手でした。技術の進歩ってものすごく早いです。私は能楽のビデオやホームページの制作を研究として行っていますが、自分でやる分には試行錯誤でもいいですが、限られた講義の時間だとすっとやらないとまずいですよね。バージョンについて行けず、教員として反省でした。ただ、こんなこといっていてはいけないのかも知れませんが、情報系でわからないときにすっと教えていただける環境にあるということは、私にとってはとても有難いと感謝致しております。 昨日は岩田律園先生にスタジオにいらしていただいて、尺八の本曲の録音をしました。すごく迫力がありました。また渡辺康先生にWAVに変換していただいて、MP3ファイルを作って、このページから配信したいと思います。岩田先生に心より感謝致します。尺八のワークショップ6月26日に岩田律園先生と岩田恭彦さんと二人でお願いすることに致しました。文芸Aで行いますが、50人以上で尺八を吹いてみるというものすごく贅沢な講義になります。このようすや、岩田恭彦先生による尺八独奏曲もネットで配信したいと思います。うちの学部はスタジオがあって、そこでNHKテクニカルサービスの人が録音やビデオ収録して下さるので、実際に放送することができる画質・音質のものができます。放送するとなると、視聴率の取れない伝統芸能は難しいですが、サイトからの音源配信ならば可能ですよね。とにかくそれをしばらく精力的にやってゆきたいです。椙山女学園大学の学園研究費助成のAも採択になりました。こちらは三木先生と共同の能楽番組データベースの開発です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月5日 研究室に新しいパソコンを導入しました。新しいといっても、いまから6年くらい前のものを他の先生にいただいたものですが、いま研究室にあるマックはもっと前のものなので。。大学ではスタジオのパソコンと教室のパソコンばかり使っていて研究室にはほとんどいませんでした。スタジオでビデオやホームページ作るのが楽しかったので。。今回のは松山先生にネットワークプリンターに接続していただいて、廊下のプリンターも使えるのでとても便利です。サーバー機能のあるものなので、ハードディスクも十分です。zeamiのバックアップもとろうかなあと思っています。明日は朝一番で更生病院で半年に一回の脳ドック、そのあと、卒業研究生とアルバムの記念写真撮影、午後はスタジオで岩田律園先生の明暗対山流尺八の録音、夕方は会議のあとに肝臓のお医者さんに行き、能楽堂にチケットを取りに行くというかなりハードなスケジュールです。それだけにそろそろ帰って寝ようと思います。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月4日 今日は妹ゆりの誕生日です。おめでとーーとメールを打ちました。午前中は熱田教会の礼拝に行き、午後からは卒業研究生と豊明の桶狭間古戦場祭りを撮影に行きました。今年のテーマは、「愛知県内の市町村では古戦場をどのような形で観光資源にしているのか」、主に祭りを取材してビデオを作ろうとしているのですが。。今日は武者行列と合戦再現劇でした。業務用のハイビジョン対応のビデオカメラを使って撮りました。制作会社を希望しているゼミ生もいますので、ロケは真剣です。よい勉強になったのではと思います。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年6月3日 本田光洋先生の小謡の配信、いよいよはじめました。味があって、とても素敵です。子供が謡いやすい短いものからと先生が考えて配列してくださったものです。ぜひ順番に聴いて頂きたいです。御協力頂きました本田光洋先生に心より感謝申し上げます。また昨年度までの科学研究費の報告書、アップロード致しました。ぜひいろいろご教示頂けますと幸いです。6月1日に筑波大学大学院時代の同級生の徐禎完君が大阪に用事のあったついでに名古屋に遊びに来てくれたので、久しぶりに会いました。彼はいま韓国の翰林大学校人文学部日本学科教授なのですが、今年はサバティカルで東京にいます。二人とも世阿弥の能を研究していますので、大学院のころは一緒に法政大学の表章先生のゼミを聴講に行ったり、水道橋の能楽堂に能を観にでかけたりしました。お互い二人子供がいて、子供の話とか研究の話をして楽しかったです。彼が東京にいる間に、今度は僕のほうから東京に遊びに行きたいと思います。しかし、、僕が勤続15年ですから、大学院時代ってもうずいぶん昔なんだなあと思います。むせぼったい時代でしたが。。いまは専任で名古屋の能の普及を仕事にしていられるのですから、幸せなことだと思い、感謝しております。今日は自宅で助成金の申請書類を書いています。一回にはひろとやともえの友達が来ていてとてもにぎやかです。子供に友達がいることは良いことです。おばあちゃんが水まんじゅうを作ってくれたので、子供たち・お友達とみんなでおやつに食べました。よい休日です。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月31日 今日は学園の創立記念パーティの日です。私もなんと今年は勤続15周年、、表彰されるはずなのですが、、非常勤がありますので欠席で残念です。なかなか原稿を書く時間がないなあと。。そんなに忙しいわけではないのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月30日 今日はどうもよく眠れず、ちょっと疲れ気味です。やりたいことはいっぱいあるのですが、、そのためには機材を揃えるための予算も必要ですし、準備勉強も必要です。古都先生のワークショップが楽しかったので、次は明暗対山流の尺八の岩田律園先生にお願いしたいなあと思って、御了解はいただいたのですが、次はその準備になります。まず自分自身が近代の芸能史と名古屋の三曲・尺八の歴史を勉強しようと思います。岩田先生は虚無僧尺八の流れを汲む伝承者としてとても貴重な存在なので、できればその「音」をきちんと録音してとっておきたいなあと。。去年の岩田律園ファミリーコンサート、とっても楽しかったですから。。とくに独奏曲(本曲)を録音させていただきたいです。岩田先生からは、録音したら「恵理人の小屋」から配信して差し支えないとおっしゃっていただいています。ではまた、御身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月29日 一週間の初めです。先週土曜日の夜、西川古都先生より晩にお電話を頂きました。27日の中日新聞朝刊の名古屋市内版26面に古都先生がなさってくださったワークショップが載っていると。。古都先生にもとても喜んでいただけました。実は私の住む安城は西三河版になるものですから、新聞は今朝大学で見ることが出来たのですが。。新聞の写真に載っている学生の表情を見て、ああ、やっぱり古都先生の授業は学生にとっても楽しかったのだなと思いました。あの学生さんたちが日本舞踊を観にいってもらえたらとてもいいなあと思います。昨日の午前中は比呂人の小学校の運動会、ビデオ持ってがんばって比呂人の姿を追いました。比呂人は小学校一年生のころの僕よりも一回り大きいのですが、大きくなったなあと。。びっくりしたのは、比呂人の隣のクラスの担任の先生から、「飯塚先輩ですよね。知立東小学校と附属中学の後輩です」と声をかけられて、、その瞬間は思い出せなかったですが(なにせお互い詰襟学生服の中学生だったのですから)、妹の同級生で、面影はありましたから、すぐに思い出しました。世間は狭いなあと。。30年以上経って思い出していただけるのはとても有難いことと思います。夜は豊田能楽堂の神遊、狂言共同社の「茸」と観世喜正の「海士」。「神遊」はいつもワークショップをして下さるのですが、喜正先生と観世元則先生の解説はいつもわかりやすいのですよね。昨日は普及公演ということで、「茸」も「海士」も子供の登場する曲ということで。。「茸」のはじまりが、ちょっと遅れたのでどうしたかなと思いましたが、装束をつけた茸がいきなり「トイレ」と言ったという噂でした。。本当かもと思います。。でもとても面白かったです。喜正先生の「海士」、前ジテも後ジテも本当に情愛のあふれたお母さんで。。後場の緋の長絹の舞姿、素晴らしかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月27日 今日は子供の運動会のはずの日でした。。朝、雨の予報のため中止という連絡があったのですが、、雨は降りそうでまだ降っていません。明日に順延なので、今日は原稿を書こうと思います。しかし昨日の古都先生のワークショップは楽しかったなあと。。学生よりも自分が楽しかったし勉強になったのかも知れませんが、、日本舞踊でうまくできたものですから、これから長唄や筝曲や私の専門の能・狂言でもやってみたいなあと。。だんだん欲が出てきました。自分が中学・高校のころ、中学校で狂言の鑑賞会があったのが狂言を観た最初でした。高校の夏休みの林間学校でも、大学の芳賀登先生の稲武の古橋懐古館における古文書実習にしても普段の講義と違う形で「思い出に残る授業」とか「記憶に残る授業」というのがありました。教員にとって、「学生の記憶に残る」というのはひとつの理想でもあるように思います。昨日はなかなか寝付けなかったので、、朝寝坊することにして、インターネットでオーディオテクニカのコンデンサーマイクを、古都先生の二回目のワークショップに間に合うように注文しました。昨日のためにも一本買いましたが、これで二本になるので、唄一人・三味線一人の一調一枚ならばスタジオでよい音質で録音できます。今年は名古屋の芸事をスタジオで収録して初心者用教材をインターネットで流すのに力を入れようかなあと。。昨年までは能楽堂など外でのロケが中心だったのですが。。テレビで番組として流すといった場合は、その時間に見てもらえる「視聴率」といったことが問題になるでしょうが、インターネットならば、グーグルなどの検索エンジンにかかれば、本当に観たい人聴きたい人に観たり聴いたりして貰えるでしょう。名古屋の古典芸能にはとても価値があると思うだけに、こうしたことが、「名古屋で教えている」自分にとって大切な仕事だと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月26日 今日は「日本の伝統と文化」の講義で、西川流師範の西川古都先生をお招きして、みんなで端唄と舞踊のワークショップを行いました。「相手を恋しく思う」「花を見る」など、感情や所作は「日本舞踊」ではどのように表現されるのか。普段の講義ではビデオで見ますが、ビデオだけではわからない部分もお師匠さんについて自分で踊りの稽古をしてみたらわかるのではなかろうか。またスタジオでそれを収録して音声・映像を編集すれば初心者用の教材を作ることが可能なのではなかろうか。そのように考えて企画して見たのですが。。NHKテクニカルサービスのスタッフの方は三時からの収録のために、午前中から来てくださって、背景のセットまで特注に作ってくださって感激しました。古都先生は、所作・型が素晴らしくて、教え方も本当に上手で。。私も「教え方」の勉強になりました。五月なのでということで、「あやめ」の出る「潮来出島」を教えて頂きました。心より感謝致します。次は6月16日になります。学生が日本舞踊の愛好者に育ってくれたら、、また名古屋の伝統芸能に興味を持ってくれたらいいなあと思っています。私自身、講義をやっていて、とても充実していましたし、何より楽しかったです。ワークショップと言うのは可能性がまだまだあるなあと思いました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月25日 よく晴れた気持ちよい日です。ただ、体力が弱っているのかどうも気分がすっきりしません。。午前中は講義がないので、お茶飲んでのんびりすることにします。昨年度までの科学研究費の報告書のPDFファイルが出来上がってきました。近日ネットで公開したいと思います。なんか前の研究報告書に比べて薄くて、別に量ではありませんが、もう少し勉強したかったなあという思いがあります。講義と論文と、、やっぱりそれがまとまったときに充実感や逆に「もう少し」という思いと両方でます。ふーーーっ。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月24日 今日は一週間で一番授業の多い水曜日です。とにかく体力が大切です。二時間目は休みなので、昭和57年の謡曲テープをWAVファイルに変換しています。ついこのあいだと思いますが、当時私は大学三年生。。家内が高校生で、いまの大学生はまだ生まれていないのだなあと。。当時の観世元昭師の声を聞いて、懐かしいなあと思います。「音」って、「写真」以上に昔を思い出すのによいもののような気がします。昨日もWAVファイル作っていて先生楽しそうですねと言われましたが、確かに楽しいです。カセットテープのほうは、著作権の関連から一般公開は出来ませんが、目録を公開して研究者には利用して貰えるようにしたいなあと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月23日 今日は早速マランツのカセットデッキを使って、カセットテープのWAVファイル化を行いました。例によって配線に弱いので、助手の松山先生に大変お世話になりました。心より感謝致します。昔のラジオ放送から録音したものをデジタル化したのですが、ああ、こういう放送だったなあと懐かしく思いました。いま活躍している「大家」の若い頃の声だったり。。「録音」ってあのころの自分まで懐かしく思い出されます。。今日は午後は会議でしたから、あまり勉強していません。もう少し勉強して帰宅したいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月22日 昨日今日とよく晴れています。もうすぐ夏だなあと思います。マランツのカセットデッキと、オーディオテクニカのマイクが届きました。マイクは西川古都先生の端唄を録音するために急遽購入したもので、マランツのカセットデッキは、これまで私が高校時代から録音してきた謡曲などの音源をデジタル化するために購入したものです。新しいオーディオ機器というものは、いつでもオタクの心を昂ぶらせます。午後から早速作業をしたいと思います。中年になると、、何を研究するにせよ、何を教えるにせよ、「出来て当たり前」で、出来なければ「あの人は何勉強してきたのかなあ。。」になります。院生のころ、上をそうやって眺めていて、自分がその年齢になったのですから、順番でしかたないのです。ただ、いざその年になって見ると、「うまく出来たら褒めて欲しいなあ」と思いますし、準備が若い頃に比べれば確かに効率的にはなっていますが、パワーが不足しているのですよね。頑張らないと。。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月21日 今日は錦町町内の防虫消毒の日でした。町内会の「班長」なので、朝公民館に集合し、薬液散布の方法について説明を受け、三人一組で溝や希望する人の庭に防虫剤を散布しました。機械が不調で途中で何回も止まってしまい、他の町内の方の応援を受けて十一時半過ぎにようやく終わりました。麦わら帽子に野良着を着て、タオルを首に巻いてマスクして・・。体力使いましたが、結構楽しかったです。ただ、体中に薬の臭いが染み付いて、風呂に入っても落ちません。それと頭が痛くなって、午後から長唄を聴きに行きたいと思っていたのですが、家で休みました。午後は昼寝してから子供を連れて近くの安城市歴史博物館に行き、そのあと実家でアザラシのごとくごろごろして帰りました。本当は勉強したかったですが、ぜんぜん進みませんでした。せめて夜だけでも少し資料整理などしたいと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月20日 今日は筧先生のこども能楽教室、筧先生のご自宅で、お昼ご飯までご馳走になってしまい、恐縮でした。比呂人も習いたいと言うので、来月からは筧先生のお宅に比呂人と友恵を個人稽古に通わせることとしました。今日はなぜかちょっといらいらする日で、横から無理やり出ようとする車と接触事故起こしそうになるなど、怖かったです。事故起こさなくて感謝でした。明日は錦町町内の防虫薬剤散布を行います。午後からは、長唄の吉華の会に行きます。本当は午前中から行きたいですが。。秋田で恐ろしい事件が起きました。子供にとって田舎も安全でないのかと。。親として恐ろしいです。犯人が早く自首することを祈っています。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年5月19日 昨日は渡辺康さんに方法を教えていただいて、井上嘉介のSPレコードから制作したWAVファイルにSOUND ITでノイズリダクションをかけました。だいぶ雑音が消えましたので、この形でMP3ファイルに書き出し、「思い出能楽堂」のページに載せました。井上嘉介ってやっぱりいいなあと。。次は観世左近(元滋)の音源を掲載したいです。SPレコードで戦前の音源を聞くのが大好きになり、かなりレコードを購入しています。長唄・民謡なども順次ページを作って行きたいと思います。今日は、卒業生の方からチケットを頂いて、家内と二人で中日劇場の雪之丞変化を観に行きました。おばあちゃんが子供たちを見ていてくれたからなのですが、下の子が出来てから、家内と二人きりで外出したのはほとんどなかったので、貴重な時間でした。中日劇場の地下で二人でオムライス食べて、久しぶりに家内と二人で食事したなあと思いました。雪之丞変化、とっても面白かったです。脚本の横内謙介ってすごいなあと。。スーパースター一人が目立つ芝居ではなく、ちゃんと各役者に見せ所がある芝居にしていて、しかも思いもよらない筋で。。中日劇場は学生券がないので、学生には特に販売していませんが、とても面白かったので、いつか学生券作って欲しいなあと思いました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月18日 今日も雨です。なんかよく降るなあと。。今日は、自分の論文の資料を整理しています。午後から二コマ講義です。がんばります。皆様御身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月17日 毎日過ぎるのが早いなあと思います。去年の今頃は大阪大学で研修中でした。毎日昼と夕方は阪大定食、天野文雄先生の講義を受けて夜は九時まで図書館、、充実していたなあと思います。去年充電したのだから、今年は学生に放電して鍛えなければならないのですが。。基礎演習、今日は欠席が多くて。。出席した学生さんはだいぶマックにも慣れてきたと思うのですが。。1時間目の講義だからなあと思いつつ。。それとも教え方が拙いのか。。どう教えたら学生にとって良いのか、本当に試行錯誤です。今年の一年生からは新課程ですから、余計これまでの学生さんとは高校で習ってきた中身も違うはずですし。。私も高校のカリキュラム勉強しなければと思います。午後からは基幹演習と県立大学の講義です。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月16日 今日は本田光洋先生の録音して下さった小謡のファイルをMP3形式に変換しています。どうしても途中で聴いてしまいますので、なかなかすすまないのですが、良い声だなあと。。四郎兵衛襲名記念能の一調の「鵺」も後藤嘉津幸さんの小鼓とすごく合っていて、とてもよかったですが。。もうすぐ会議なのでそれまでには済まさないと。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


 2006年5月15日 昨日は神戸で六麓会、京都で廣田鑑賞会、名古屋で福井四郎兵衛襲名記念能。。本当に伺いたいものが重なって困りました。イヤホンガイドの資料作成を名古屋能楽堂で行わねばならなかったのと、中日新聞の長谷さんにチケットいただいたのとで、福井先生の襲名記念能に伺いました。野村四郎師の花筐、さすがに上手ですよね。華やかな物狂いで。。小鼓方の催しらしく「勧進帳」が衣斐正宜先生と幸正昭師、長田驍先生と大倉源次郎師と二回でました。同じ「勧進帳」なのに流儀の特徴がはっきりでていてとても楽しかったです。猩々乱の福井聡介さん、良治先生の息子さんでしたが、掛け声もとてもしっかりしていました。良治先生は男の子三人で、三人とも小鼓稽古なさっていて、名古屋の幸清流も船戸さんに続いてこの三人の若手が加わればいよいよ磐石と思います。四郎兵衛さんは、柳原先生に続いて弟子が次々育っていて、きっと教えるのが上手なのだろうと思います。西川古都先生が、「潮来出島」の事前学習教材ビデオをを作ってくださいました。やっぱり教えるの上手な先生なのだなと。。20分くらいの長さにきちんと稽古すべきことが映像で収まっているのですよね。。金曜日に日本の伝統と文化の講義で使います。心より感謝致します。伝統芸能って、稽古の積み重ねでしか次世代に伝わらないのですから、本当に地道な目立たない作業です。能も舞踊も、どうしたら次世代に伝えられるのか、いま大学の一般教養の教員としてなにが自分に出来るのか。自問自答しながら毎日過ごしています。できることは、結局名古屋の伝統芸能のビデオ教材の制作や、音声のMP3ファイルでの配信しかないのですが。。地道にぼつぼつと、寿命縮めないように無理せずにやりたいです。椙山の私の今の教え子たちが、僕が杖引いて能楽堂に通う頃、観客の主流に育って欲しいというのが、いまの願いです。ではまた皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月12日 昨日から肌寒いです。咳がとまらなくて困っています。気温の差が激しいので、どうしても体調崩しがちになります。。明日、明後日はおとなしくしていようかなあと。。それでも正絃社のコンサートは少しでも観に行きたいと思っていますが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月11日 朝から雨です。なんか雨が多いなあと。。体調がいまいちですが、講義はゴールデンウィーク終わっていよいよがんばらねばなりません。なんか冬から持ち越した咳がなかなかとれないのです。今日は日本文化論とプレゼミ。。がんばろうと思います。西川古都先生を迎えてのワークショップ、5月26日に「日本の伝統と文化」の講義の中で行うことに致しました。受講生に「潮来出島」を唄って踊ってもらおうと。。通常教室では音がでてしまうものですから、メディア棟のスタジオに教室を変更しました。古都先生に唄っていただいた小唄は、このページからまた配信させて頂きたいと考えております。このワークショップのために、マイク2本研究費で注文しました。設備投資にお金がかかりますが、「名古屋の文化」を保存して発信する目的ですから、自分の研究テーマにも合っていると思います。佐藤先生狂言小謡、18番の「海道下り」ながらく工事中でしたが、ようやく掲載することができました。ファイルの変換に時間がかかってしまって、佐藤先生に申し訳ありませんでした。でも、味があって本当に素敵だなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月10日 今日は朝1時間目からとーっても忙しい日でした。。いまよーやくコーヒー飲んで一息つきましたが。。書類がうまく作れなくて。。ふうーっ。。これから愛知県立大学で二コマ講義があります。その教材も作らねばなりませんし。ほとんど出来てはいますが。。ああああ。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月9日 あっという間に連休も終わってしまいました。東海能楽研究会担当の回のイヤホンガイド担当者、全員決まりました。ばんざーーい。日本語・英語とも全員女性です。日本語イヤホンガイドは誰も引き受け手がなければ自分がやらねばと悲壮な覚悟をしていたのですが、なんと私がやる回ありませんでした。子供に唐揚くばるときみたいで、なーんも残らなくてすごく嬉しかったです。でもあらためて、東海能楽研究会を設立した筧先生は偉大だったなあと。。私費で研究会はじめて、これだけの若手研究者が名古屋で育っていたのですよね。。英語もわたしの教え子と木村先生が探してくださった方で今年度は出来ます。。みんなでがんばって名古屋の能の新しい観客を育てられればと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月2日 昨日は名古屋芸能文化会の発表、、関山和夫先生、安田文吉先生・徳子先生、小林幸夫先生、林和利先生、保田紹雲先生、新内勝千代師匠、早川由美さん、、と、名古屋の芸能文化を研究するそうそうたるメンバーで、いい加減作りかけのプリントで申し訳なかったです。でも関山先生の、金春安治が浄土宗から日蓮宗に改宗したのは、よほどのことだというご教示はとてもありがたかったです。明日は1日休日、明後日は壺泉会と西川流の踊りの会、5日は卒業研究生とともに長篠合戦のぼりまつりの取材をします。西川古都先生に金曜日三時間目の日本伝統文化論で「踊りの型」についてのワークショップをお願いいたしました。この風景もビデオで収録して流したいです。古都先生は、西川流の昔ながらの「型」をなさる方で、ぼくは若竹会を見て本当に良いなあと思ったものですからぜひとお願いいたしました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年5月1日 昨日は伏見の短歌会館で行われた「名古屋三曲演奏家の会」のシンポジウムに筧鉱一先生、本田善郎先生、岩田律園先生とともに参加しました。名古屋の芸はどのように伝えられてきたのか、そしてどうしたら次世代に伝えられるのか。。能・狂言も三曲も同じ課題を抱えています。わたしは、大正から昭和期にかけて、蓄音機レコードの普及によって、蓄音機に吹き込んでいる能楽師・ラジオに出た能楽師が「一流」と認められて花形になって行く過程について話しました。そして、名古屋の芸のMP3ファイルや映像のストリーミング配信など、インターネットによる配信の必要性について話しました。能楽以外でも、スタジオで録音・撮影させていただいて、どんどんホームページから発信して行きたいです。今日は六時から、名古屋芸能文化会の発表です。「金春八左衛門追跡」。。プリントあと一時間で作らねばなりません。どうしていつもぎりぎりなんだろうと思います。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月28日 いよいよ明日から連休です。もっとも4月30日に伏見の短歌会館で「近代の名古屋能楽界」の研究発表、5月1日に名古屋芸能文化会で「金春八左衛門追跡」という研究発表で、研究発表が続きますので、そんなに休みはないのですが。ただ、明日は家内の誕生日ですので、1日家庭サービスしようと思います。忙しくてぼけているのか、今日は家に財布忘れてきました。車で登校しますし、お弁当もっているので、ジュース買おうとするまで気づきませんでした。お弁当でよかったです。。これから金春八左衛門の発表のプリント作成です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月27日 連休前の追い込みです。今日は三木邦弘先生に御協力いただいている能楽番組データベースに、番組のJPEG画像を加えるための費用を得たいので、学園研究費Aの申請書類を仕上げて出しました。採択されるといいなあーーと思っています。最近能楽番組検索システムに学外の研究者からのアクセスも増えていますので、入力したものと実際の番組があっているか対照してもらうためにもJPEG画像を加えたいです。昨年のサウンド技術振興財団の助成金で購入したレコードのうち、調友会の囃子と井上嘉一郎の謡曲のMP3音源を渡辺康さんが作ってくださいましたので、「思い出能楽堂」をオープン致しました。サウンド技術振興財団、渡辺さんに心より感謝致します。戦前の芸を偲ぶ上でレコードの音源はやはり一級の資料だと思います。これから良いレコードを収集し、また音質を高める努力をしたいと思います。皆様のご教示をいただきたいと思います。でも、、調友会の囃子方や井上嘉一郎ってやっぱり後世に残すべき芸を持っていた人たちだったのだなあと思います。近代の能楽史の研究がもっと進むことと、これからを担う次世代の愛好者が増えることを本当に祈っております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月26日 今日の基礎演習、参加者5人でした。登録14人だったのに。。不人気教員なのはしかたないですが、やっぱり淋しいです。基幹演習が登録ゼロ人のところ3人来てくれたのは、こちらは嬉しいですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月25日 今週末からゴールデンウィークです。なんと早いのだろうと思います。西川古都先生より、若竹会の「思凡」のビデオをお借りいたしました。やっぱりいいなあと。。金曜日の「日本伝統文化論」の教材に使わせていただきたいと思います。今日は本田光洋先生の祝言小謡の録音です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月24日 一昨日は「鳳の会」、6年間本当にお世話になったカメラマンの鈴木幸夫さんが退職され、後任の鈴木保次さんがメインカメラ、小岩さんが脇正面のカメラで撮影してくださいました。名古屋の能・狂言の現在を次代に記録して伝えるという作業は継続して行いたいと思っています。鈴木幸夫さんも、引き継ぎのためいらっしゃって手伝ってくださって感謝でした。昨日は朝から咳がとまらず、、楽しみにしていた晃麗邦楽会に行けませんでした。家内も微熱で、結局一家でやられた感じです。今日は二時間目の文学A、なんとか講義すませました。御園座に行った学生が楽屋口で松本幸四郎の出待ちをしてサイン貰ったといって喜んでいました。すごくかっこいいおじさんだったとかで。。そうだろうと思います。。今日は夕方から古文書の読書会、楽しみです。報告書、論文、助成金の書類作成とすごくしごとが溜まっています。不惑過ぎると仕事は早く出来るようになるよと、先輩の先生から言われたことがありますが、私には当てはまらないようで、手間の悪さはどうにもならないです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月21日 いまのところ、講義、その他別に忘れっぽいことが影響しているミスはないようなので、大丈夫かなあと思いつつ、、。でも脳梗塞の痕があるということはいつもう一度罹っても不思議はないわけですから、絶対に早めに寝て、仕事はものすごく溜まっていますが、あせらずに出来ることだけやって、、と思っています。先日佐藤友彦先生に謡っていただいて、渡辺さんに録音していただいた狂言小謡を「今日は狂言小謡のお稽古です」のページにアップロードすることが出来ました。佐藤友彦先生、ファイルを作成いただきました渡辺康先生に心より感謝致します。能の小謡とまた違った軽妙洒脱な魅力があるのですよね。狂言の中で聞いても楽しいのですが、こうやって「小謡」として聞いても佐藤先生のはとても味があるなあと。。こどもの狂言の稽古も「小舞」「小謡」からはじまります。狂言を稽古する子供たちが増えますように。。原稿や報告書や申請書がやまほどありますが、、明日は狂言の「鳳の会」の撮影、明後日はウィル愛知の晃麗邦楽会の筝曲のコンサート、、こういうものは絶対行きたいです。。というか行く予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月19日 昨日、、、忘れるはずがない予定をふっと二・三連続して思い出せなくなりました。あとで冷静になればそうだった、、と思い出せたのですが。。びっくりしました。。疲れがたまっているのか。。私自身は脳梗塞の痕がありますので、頭とか記憶と言うことに関してはリスクがあります。学生さんには僕がおかしくなったら、保健室か僕の自宅に連絡してくれよ。。とは講義でも言っていますが。。正直若い頃は記憶力に多少自信ありました。暗記課目の方が成績もよかったですし。。でもいまはつまらないことでも出来るだけメモしようと思っています。少しでも長く現役で教えたいので。。基礎演習はDVD制作、基幹演習はホームページ制作、いよいよ動きだしました。画像の加工などはやっていてもやはり楽しいです。身体に負担をかけないように気をつけながら頑張らないとなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月17日 講義も二週間目に入りました。例年になく、御園座に歌舞伎を見に行きたいという学生が多くて良かったなあと思っています。やっぱり歌舞伎などは見ないと講義してもはじまらないですから。。能や狂言も観に行ってくれるといいなあと思っています。時間割の関係か、昨年よりも受講生が全体的に多くて感謝です。やっぱり学生は多いほうが嬉しいです。。事務室より今年度から平成20年度までの科学研究費が採択されましたと連絡がありました。心より感謝致します。次は長唄・三曲まで含んだ名古屋の芸事のプログラムデータベースの開発や、名古屋の芸能文化発信のための携帯サイトの開発となります。亡くなった深谷哲先生や栗花光弥さんが取らせて下さったのかなあと思いますが。。先学の業績と方法を引き継いで、頑張って研究したいと思います。今日は御園座の夜の部を観に行きます。御園座アイスも食べたいなあと。。こういうのが私の楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月14日 基幹演習がつぶれないことになりましたが、希望された方がホームページ制作希望なので、僕もホームページ制作の勉強を改めてやらないとなあと思いはじめました。学生さんはメモ帳を使って作りたいみたいなので、当然ぼくもhtmlのタグを覚えなければなりません。いつも不精してビルダーで作っているので。。もちろん一部はホームページ作成ツールも使って教えたいと思いますが、演習室にはいっているソフトはフロントページで、僕が使ったことがないソフトなので。。中年になると覚える速度が落ちるのでツライです。学生の倍の時間かけないと自分が使えるようにならないような。。ふーーっ。でも講義があるというのはとっても元気になります。会議があると落ち込みそうになるのですが。。昨日佐藤友彦先生の狂言小謡をWAVからMP3に変換したので、それを使って公開するためのページを作っています。タグがわからないーー。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月13日 昨日の三時間目、基幹演習1人も受講者なかったので、もう講義がなくなったものとあきらめていましたら、今日他の先生の講義にあぶれたのでという学生さんが来てくれました。第二希望だろうと、第三希望だろうと、自分の講義ができるというのはとても嬉しいです。ゼロと1人では全然違うのですよね。。卒業研究生が就職活動のあいまにスタジオに遊びに来てくれました。こういうのも大変嬉しいです。四年生ががんばっているなあと思うと、自分も頑張って教材作らないとと思います。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月12日 今日は基礎・基幹演習の初日、そして県立大学の初日です。がんばらないとと思います。基礎演習は7人来てくれました。ビデオの編集の方法を扱うのですが。。みんなが興味を持ってくれればいいなあと思っています。基幹演習、、希望者がどうかなあと。。ホームページの写真をスタジオで今日撮影していただいたものに変えました。だいぶ白髪も増えましたし、いまのものを上げたほうがいいかなあと。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月11日 今日は卒業研究の第1日目、そして会議です。。明日は基幹・基礎演習と県立大学の初日、、いそいでプリントを作らないとと思います。中年日記が更新できなくても、椙山生の羅雲寺は家から更新できるものですから、こちらにリンクを貼りました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月10日 いよいよ今日から講義です。元気がなかろうが、いまいち研究が進まなかろうが、とにかく教壇に立ったらそういうことは言えません。自分がこれまで勉強してきた蓄積を信じて、とにかく次世代に伝えるべきと自分が信じることを話さねばと思います。先生というのは、やっぱり休みから明けるこの季節はしんどいのですが。。いま御園座で染五郎が石切梶原をやっているので、その話から取り上げようかと思っています。御園座に観にいっていただけるとありがたいですが。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月7日 4日この日記を書いていたころまではなんとかなっていたのですが、、突然寒気がして頭痛がするなあと思って医者に行ったら38度8分、、正直ふらふらしながら家に帰ってずっと寝ていました。5日は新入生に新しい授業科目の説明をするはずが、それも人に代わっていただきました。なんとか熱は下がりましたが、喉はちょっと痛いです。本当は今日は江南の関山和夫先生のお寺の御開帳なので、その取材もしたかったのですが、見送りました。寝床にいながら、サントリー財団の助成金の書類だけは書いて、昨日簡易書留で出しましたが、、採択されるといいなあと思っています。ラジオ放送と謡曲・長唄・三曲の普及に関する調査研究になるのですが。。しばらく元気がなかったのは、ずっと風邪の気があったのかなあと。。ただ、くしゃみも出ませんでしたし、目が多少かゆかったけれど、花粉かなあと思っていました。来週からの講義の準備、プレゼミなど新しい課目もはいるので、きちんとやらないとなあと思っています。サウンド技術財団の報告書はなんとかあげないとと思っています。資料整理がやっとで、私の見通しが甘かったため予期した分析までは行けなかったですが。。でもSPレコードの音源をデジタルで保存できてよかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年4月4日 新年度明けましておめでとうございます。。のはずなのですが、積み残した仕事がいっぱいあって、残務処理からのスタートです。昨日は妹の子供たちが安城のおじいちゃんの家に来ていたので、ひろと・ともえと一緒に夜食事をしました。今日もひろととともえはおじいちゃんの家でいとこたちと一緒に遊んでいちご大福を作って食べる予定です。父も明日が誕生日、双方の両親が揃って元気なのは何より幸せなことと思います。わたしもいよいよ7月で45歳。。身体にがたが出る年齢ですので、今年度の目標は「無理せずに」。。自分の出来る事も、出来ないことも、だいたいわかる年回りになりましたので、自分に与えられた仕事と、出来ることをすくなすくなに無理なくやろうと思っています。そういいながら、まだ撮影したい催しも、作りたい教材もたくさんあるのですが。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月31日 年度で言えば、今日は「大晦日」。明日から新しい「年度」が始まります。毎年ながら積み残しばかりで。。無論今年度は前半に大阪大学での研修に出していただけたおかげで、新しい研究資料をかなり入手することができました。これをどう形にするかがいまの課題なのですが、どうも手間が悪いです。いま研究報告書も助成金の書類も書き掛けです。。東海能楽研究会の年報も調べ直したいところがありますが、、そこはカットして出すしかないかなあと。。なんかずっと元気ないですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月30日 今年度も明日を含め2日間、なんと短いのだろうと思いながら、報告書・助成金書類などを作っています。佐藤友彦先生の許可をいただいて、野崎典子先生・佐藤友彦先生御所蔵の狂言共同社の機関紙「狂言」のバックナンバーを恵理人の小屋よりPDFファイルの形式で掲載いたしました。佐藤先生・野崎先生に心より感謝申し上げます。名古屋の狂言の隆盛が、この昭和31年のころからの地道なファンの開拓からはじまっていたことがわかります。春なのに、、なのか、春だから、、なのか、なかなか元気がでないのですが、がんばりたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月28日 春休みがだんだん少なくなって行きます。サウンド技術振興財団の報告書とか、東海能楽研究会の年報、金春八左衛門についての報告書など、、書かねばならない原稿は山ほどあるのに進みません。烏帽子折はついに年度を越えてしまいます。どうしようかと。。なんか元気がでないのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月27日 昨日は西川古都師の「若竹会」にでかけて来ました。うちの大学の学生で西川流の名取になっている人がいて、その方にチケット頂いたのですが。。西川古都って、びっくりするような型はしないのですが、温雅でいいなあと。。「思凡」とか、とても楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年3月24日 昨日は比呂人の卒園式。。子供がずっと欲しくて、生まれたときにはとても感激しましたが、あれからもう六年半経つのだなあと時の流れを感じます。僕が幼稚園のときよりも頭一つ分大きいのですが、顔はパパ似です。。うーーむ。暖かく、たくましく、おおらかに育って欲しいです。友恵とひろとの卒園式のお迎えに行き、そのあと、大学の同窓で安城東高校教諭の江崎寛君と食事をし、鶴舞図書館に行きました。金春八左衛門に関する記事を調べて、夜はアンサンブル金沢のコンサートに行きました。オーケストラと東海正派合筝団による「六段」。。指揮者は岩城宏之。。とってもよかったです。アンサンブル金沢って前の名古屋公演もそうでしたが、現代曲と古典の曲と組み合わせてプログラムにしていて、いろいろな曲がきけてとても楽しいです。そしてやっぱり上手です。能楽堂でいつもお見かけする方が結構いらっしゃっていて。。結局能が好きな人って、能だけが好きなのではなくて、音楽や劇はなんでも良いものは好きなのですよね。。羨ましかったのは、あの広いコンサートホールが平日の夜の催しなのにかなり埋まっていて、しかも三階の安い席には、高校生や大学生と思われる若い人たちがそうとう多かったこと。。能の催しは若い人が少ないので。。この人たちが能も観に来てくれればなあ。。とほんとーーにそう思いました。今日は研究助成金の報告書の執筆です。いただいた助成金に感謝しつつ、きちんと書きたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月20日 17日には、佐藤友彦先生の小謡の録音をしました。佐藤先生の小謡はとても温かみがあって、とても素敵だなあと思いました。編集して早くネットで配信したいと思います。今日は祖父江省念の節段説教「蓮如上人御一代記」のLPを図書館から借りてMP3ファイルに書き出しました。講義で学生に聴いてもらうときに、LPでは聞かせられないので。。でも、節段説教って、すごい「芸」だったんだなあとあらためて思いました。教会の牧師先生の説教に感動することは、これは子供の頃からしばしばでしたが、劇中の人のように人物ごとに「声」を変える「芸」の要素はありません。節段説教と言うのは関山和夫先生にお話しは聞いていましたが、レコードで聴くのははじめてでしたので。。「話芸」の原点の一つなのだなあと思いました。明後日は学内の研究費の成果発表会です。私は「科学研究費」の成果発表になります。本当ならばパワーポイントで原稿作りたかったですが、とても間に合いませんでした。「東海地域能楽資料の収集と整理」についてですが、とくに現在力を入れているオープンリールやSPレコードなど、「音声資料」とそのウェブからの配信について報告したいと思っています。明日は春分の日、少し休もうと思います。ではまた、御身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月17日 15日は卒業式、わがゼミの三人も立派に卒業して行きました。一年早かったなあと、、そしてみんな頑張ってくれたなあと感謝です。夜は生活社会で教えた第1期のゼミ生二人と金山の世界のやまちゃんで飲みました。二人とも転職先が決まったので、そのお祝いに。。いま勤続14年なので、最初の頃の教え子って、かつて私が教えた頃の年齢にもうなっているのですよね。久しぶりにあつて、若いなあと思いましたが。私にも若い頃があったのでしょう。あのころのプリントって、みたくないほど稚拙ですが、それでも一生懸命やっていたから、10年以上経って連絡もらえて一緒に食事できるというのはとても幸せだと感謝致しております。私のゼミはなぜか独身が多くて。。歴代通算しても結婚している方がずっと少ないような。。別に結婚するなといってはいないのですが。みんなとても大切に育てられているよい子達なので、素敵な奥さんになると思いますから、みんなに良い出会いがあることを祈っています。うちのゼミの子達はみんな控え目だからかなあ。。僕は家内に出会ってからタバコも止めましたし、食事もちゃんと食べるようになりましたし、お酒もあまり呑まなくなりましたし、、結局気がつかないうちに家内に「教育」されているのですよね。。僕は理想的な人を探すというのも大切だけれど、まあまあと思う相手を「教育」するというのが男女ともに良いように思っています。男の子にとってもそのほうが幸せですよ。昨日は卒業パーティ、とても楽しかったです。幹事の方々に感謝致します。今日は夕方から佐藤友彦先生にお願いして、子供向けの小謡の録音を行います。また「お稽古場」のページから配信する予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月14日 以前観世流シテ方の荒木亮先生から宝生新の独吟などの入った戦前SPレコードをデジタル化したCDをいただいて、音質の良さに驚いたことがあります。このCDはパソコンのiTunesに取り込んでもう本当にしょっちゅう聴いています。オタクというものは、自分が感動したものは世に広めたいと思う習性があるものだそうで、それは時として迷惑なものでしょうが、研究者である以前にまずオタクであるというアイデンティティを持つ人間としては、このSPレコードによる謡曲や狂言を広く世の人に聞いていただきたいという夢を持つようになりました。法律の専門家に聞いたところ、「 1 新作の謡曲というものがあるなら、音楽著作物の著作権(著作権法10条1項2号) があります。その保護期間は、著作者の死後50年(51条2項)。 2 隣接著作権としては、実演家の権利(2条1項4号)、レコード製作者の権利(2条 1項5号、6号)が問題になります。放送されたものであれば、放送事業者の権利(2条 1項8号、9号)も問題になります。保護期間は、固定した時の翌年から起算して50年 を経過したときです(101条)。」「演奏者やレコード製作者は隣接著作権者であって、著作権者ではありません。した がって、1954年以前に「固定」されたレコードなどであれば、その隣接著作権は 保護されません。  もしも、謡曲の作詞・作曲者がいるような場合には、著作権が成立しますから、その死後50年は保護されます。」ということでした。このように考えるとLPレコードが昭和26年に発売されて以来徐々にに姿を消したSPレコードは、昭和29年までの隣接著作権が消滅していることを考えれば、「忠霊」のような新作と昭和30年以降に発売された一部のレコードを除けば「謡曲」「囃子」「狂言」については現存の能楽師の演奏を含めて配信できることとなります。SPレコードのデジタル化は、荒木亮さんや「昔のレコードを聴こう」のページのように本当に質の高い人がいて、なかなかあそこまでには行きませんが、今後さらに高い質のものを目指すとして、渡辺康さんに大変な努力を払っていただいて作っていただいたものがありますので、いま自分たちの技術で出来るものを近日配信したいと思って準備致しております。故深谷哲先生は、これからはインターネット放送と映像データベースの時代だとおっしゃいました。今年は深谷先生の三回忌にあたります。教えていただいたものとして、まず音声の配信からはじめたいと思います。春休み中になんとかと思います。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月13日 なんとか東海能楽研究会の発表を済ませました。本当に「なんとか」で。。プリントにミスは多いし、若い人に「模範」を見せねばならない年回りになっているのに、恥ずかしい限りです。。でも、東海能楽研究会の間狂言本の輪読、従来学界に本文の紹介されていない佐藤友彦先生の山脇得平本間之本と、九冊本間之本の本文の性格が明らかになるだけでも今後大きな成果に結びつくのではと期待しています。昨日は初回で「高砂」を担当したのですが、得平本は狂言集成に、九冊本は貞享松井本の本文に近いという結果でした。次の鬼頭嘉男先生・筧鉱一先生の「近代・現代の名古屋能楽資料」、熱田神宮能楽殿の廃止と移転が神宮より能楽協会名古屋支部役員会に通告され、中日新聞で報道されてからはじめての研究会ということもあって、非常に重いテーマでした。戦前の名古屋能楽堂建設に費用負担した名古屋財界・能楽師の人々の名前を連ねた昭和12年の「名古屋能楽会会員名簿」、また熱田神宮能楽殿の建設のために尽力された能楽師さんや、また当時の禰宜さんの長谷晴男さんの作成された資料なども回覧されました。権宮司だった長谷晴男さんが纏められた、熱田神宮能楽殿の建設から平成九年位までの能楽殿での祭式と祝詞などの記録は、後世貴重と思います。長谷晴男さんは、私は一度もお話したことはありませんが、能があるといつも後の方の目立たない席でじっと観ていらっしゃいました。本当に能が好きな方だったのですよね。平成12年に亡くなったのですが。。熱田神宮能楽殿を能楽師さんたちが借りない理由は、当日券の販売が出来ず、有料の会ができないということも大きな理由です。能楽殿は熱田神宮の所有なので、税法上有料のものができない。。熱田神宮会館などは神宮のような宗教法人ではなく、別団体なので、結婚式も出来るのですが。。なんとか能楽殿を現在地で有効活用する手段は出来ないものかなあと思います。神宮と能楽師さんの間で、両方の顔が立って利益になる形で仲介してくださる方がいるといいなあと思うのですが。。どちらか一方の肩を持って押し通しても、結局長続きしないでしょうから。しかし困ったことだなあと思います。私は、とにかく熱田神宮能楽殿がどのような経緯でここに建てられ、どのような人々によって維持され、今に至ったのか、その記録だけでも纏めたいと思っています。もしそこから、新しい援助者と使い道が見えてくればいいなあと。。解体・移転されたとしても、それが後世への資料となるだろうと。。それは高校時代ここに通い詰めて能を観て、研究者を志した人間としては考えるだけでも淋しいことですが。今回研究会参会者は17人、非常に多くて有難かったです。年報の原稿締切は今月末です。若手にはぜひ研究ノートの投稿をお願いしたいです。岐阜高校の曽我孝司先生がいらっしゃっていましたので、岐阜高校での能楽鑑賞についての記事も投稿いただくようにお願いいたしました。高校行事でどのように能楽を取り込むことが可能なのか、他の現場の先生にも参考にしていただいて、積極的にお願いしたいものですから。また、筧先生がなさっている文化庁こども能楽教室に子供を通わせているお母さんたちも多くいらっしゃていましたので、「子供を能楽教室に通わせて」という文章も短いもので差し支えないのでと感想をお願いしました。これは私も比呂人・友恵と二人お世話になっているので書かねばなりません。。次回東海能楽研究会は五月七日、輪読は佐藤友彦先生で「野宮」、発表は私で「金春八左衛門追跡」という題にしようと思っています。名古屋の能楽の未来が、子供たちの未来とともに明るいものでありますように。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月9日 日曜日の発表、資料作成本当に間に合うか危ないです。「三須錦吾家・山本東次郎家の代々ー岡藩の能楽関係資料」(椙山国文学30号)、論文ではなく資料ですが、明治に活躍した竹田藩出身の能楽師三須錦吾と山本東次郎の「勤録」(藩における履歴書)です。二人とも坊主(藩主の世話係)などを勤めており、能楽師として雇われているわけではありませんが、客人の接待など能楽師としての役も果たしています。このように能楽師以外の役も出来て、俸給もそれほど高くなかった人が明治以降も能楽を家業として継続できたのだなあと思います。三木先生がPDFファイルに作って下さいましたので、とりあえずこのページからアップロードします。また論文のページからは別にアップロードしたいですが。。ではまた、お元気でお過ごし゜下さいますよう。


2006年3月8日 今日は教授会です。。あんまり会議は好きでないですが。。怒られますね。。そういうこといっていると。そのあとは飲み会です。いま休憩中です。。コンパを楽しみに、、頑張ります。ではまた皆様、お元気で。。。


2006年3月6日 今日は名古屋の月刊能楽情報誌「能楽の友」の昭和41年から平成15年までのバックナンバーを主宰の加野昭二郎氏(東海能楽研究会会員)の許可を得てホームページにアップロードしました。一年分が約50枚と重いので、私のウィンドウズのパソコンでは、時間かかったり、うまくでなかったりしますが、ダウンロードする形のマックのパソコンでは綺麗に出ました。パソコンにアクロバットリーダーがインストールされていないと見ることは出来ませんが。。「能楽の友」は名古屋の能楽界の記事を全ての流儀、全ての能楽師さんに平等になるように報じている公平な新聞で、昭和41年以来、じつに40年近く毎号欠かさず続いている名古屋の能楽界を理解する上での根本資料です。昭和40年から50年代にかけて、愛好者の層が旦那衆から主婦・学生に移り、日本舞踊など、他の芸能との交流が盛んになり、、とその時代の様子が伺われます。平成二年からの名古屋能楽堂の建設運動、平成六年からの熱田神宮能楽殿の改修資金の募金活動など、名古屋の能に多少関わった人であれば、懐かしい記事が並びます。この記事眺めていて思ったのですが、熱田神宮能楽殿は名古屋能楽堂開館後、綺麗に改修されたのに余り使われないので将来が心配です。1日単位で1回17万円かかりますし、名古屋能楽堂の方が時間単位で借りられて、安くついて客席が多いから、熱田は誰も使わないのですよね。もっと料金が安くて稽古等に使いやすければ、みんなもっと使うと思いますが。東海能楽研究会も「催花賞」をいただいたことを機会に、東海地域の能楽に関心を持つ人、広く能楽に興味を持つ人に参加を呼びかけています。そして、そのためには、東海地域にある能楽資料を、全国の人々に利用しやすい形で提供することが必要です。今回加野氏のご厚意で「能楽の友」をホームページより配信致しますが、今後も名古屋の能楽資料を許可のいただけたものについてはこのようにウェブから発信して行きたいと思います。今日は土曜日の間狂言の輪読の資料を作る予定でしたが、思ったよりもホームページの更新で時間使ってしまいました。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月2日 昨日家に帰ったら、「パパー、こちら来てーー。」と友恵が言うので二階に上がるとお雛様が綺麗に並んでいました。今年は忙しくてお雛様を出すのが遅れていたのですが、家内が綺麗に飾ってくれました。家内の子供の頃千葉のおばあちゃんが作ったお雛様が友恵のところに来ているのです。去年までは人形を見ても何も言いませんでしたが、こういうところが四歳になったのだなあと。。そしてやっぱり女の子なんだなあと思いました。「椙山女学園大学論集」に「吾妻能の周辺」という拙論を載せました。(人文篇縦書き分目次)(奥付)。いま関心のある明治の能楽界について書いたものです。数年前からうちの大学の紀要は希望すればPDFファイルでいただけるようになったのですが、これは友人に配布するときにすごくラクです。いまこういうことやっているんだーってメールですぐに送れますから。翻刻などは所蔵者の権利がありますからまずいでしょうが、問題の生じないものについては、PDFファイルにして業績欄などにアップロードして行きたいと思います。修行寺の大給海真先生が、私のサイトを見つけて八左衛門の墓について問い合わせて下さって以来、研究情報を拙い物でもアップしておくことに意味があるように思い始めました。今日の夕方は筧先生の御宅に「東海能楽研究会催花賞受賞記念論集」の資料編につける資料の打ち合わせに伺います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年3月1日 いよいよ3月になりました。研究助成金の報告書や、研究報告のための論文の準備もすすめなければなあと思います。東海能楽研究会の発表、自分からやると言ったのですから、責任があるのですが、まだ進んでいません。なんか慌しいです。今日は会議・打ち合わせがいっぱいあります。終わった後どれだけやれるかが勝負です。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月28日 昨日は東海能楽研究会古文書部会。。栗花さんが亡くなってからもう三ヶ月以上経つのか。。とどうしても考えます。これまで読んできたものを早く翻刻としてまとめて出さないとなあと思います。今日は母校の愛知教育大学附属高校の同窓会入会式。。同窓会長の伊藤さんが出られないので、代わりに挨拶しました。附属高校の校訓は「暖かく たくましく おおらかに」。。初代校長の山田英世先生の入学式の祝辞によると聞いています。制服は我々のころと同じ、美術の岩田弘行先生のデザインで、いまでもかっこいいなあと思いますが。。当時ブレザーの制服は珍しかったです。お二人とももう世を去られましたが、この校訓と制服は続いていって欲しいなあと思います。卒業生の方々の明るい未来を祈ります。午後はこども教室の件で岡明彦君と打ち合わせします。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月27日 土曜日、佐藤友彦先生の御宅に伺って、間狂言本の撮影をさせていただきました。とても素性のよい本です。東海能楽研究会の輪読で使わせていただきたいと思います。佐藤先生に心より感謝致します。夕方からは、しらかわホールでのモックのコンサート、渡辺康さんの音楽物語「幸福な王子」の初演でした。木管楽器で「感情」や「出来事」を表現しているのですが、いまのテレビにあふれているアニメの効果音よりはるかに上質で、子供に聞かせたい音楽だなあと思いました。モック子供コンサートとあるだけに、幼稚園くらいの子供を連れたお母さん、お父さんが多くいらしていました。いつもながら、「三匹のやぎのガラガラドン」は楽しかったです。これなど、ぜひラジオ劇の朗読の時間などでもやって欲しいなあと思いました。僕は幼稚園や小学校の頃母親に連れていってもらった宮城真理子の「山彦物語」だったと思いますが、そういう子供童話劇や藤城清治の影絵劇の印象がとても強くて、とても面白かったなあと思うのですが、上質の子供劇や音楽を子供の頃に聴いた体験は一生の財産になると思います。終演後高校の後輩でCBCの北島徹也君と、ちかくの洋食屋でトンテキを食べながら、名古屋の芸事についてぐすぐずと話しました。そのあと、観光ホテルでお茶して、、お互い四十代で、一生に出来る仕事や人生もろもろの岐路にあるから頑張ろうねと言う話をして。。あと、美術でも音楽でも劇でも出来るだけ上質なものをいっぱい見て財産にしたいよねえなどと話して、、帰りました。。僕はおごってもらってしまったのですが。。先輩なのに。。昨日は午前中は熱田教会にでかけました。ひどい雨で視界が悪くて、車ではしっていると、すぐに窓ガラスが曇って恐かったです。午後は仕事のつもりが、昼寝してしまいました。。メールチェックしたら台湾の大学に勤めている内田康君からメールがはいっていて、台湾でも長田先生の祝言謡がきれいに聴けるとのこと、有難かったです。先日の金春八左衛門のお墓の記事、25日の「東京新聞」夕刊「名流」にも掲載されました。東京の尾張藩邸の実態は、地元名古屋でもほとんどわかっていません。東京「定府」とされた尾張藩能楽師のその後は宝生鉄五郎にしても諸井金太郎にしても全くわかっていないので、今後情報を集めて調べて行きたいです。今日は東海能楽研究会の発表の準備をしたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月24日 昨日の夜、鳥居先生にお世話になって、長年の念願だった「今日は謡曲のお稽古です」のページを立ち上げることが出来ました。録音に協力いただいた長田先生、音声ファイルを作ってくださった渡辺康先生、本当にお忙しい中に、夜の8時近くまで作業して下さった鳥居先生に心より感謝致します。能楽の稽古の最初は間違いなく「謡曲」です。この初歩をホームページから配信すれば、それこそ世界のどこからでも「謡曲」を聴くことが出来ます。自分で習ってみたいという人も必ず出るのではないかというのが私の考え方です。現在は著作権などでいろいろ問題がありますから、協力していただける先生のものをアップロードするという形になります。名古屋は、能楽でもシテ方五流全てあります。脇には高安流があり、狂言には和泉流があります。御協力いただける先生がいらっしゃれば、ぜひ順次その一番初歩の「謡」を録音させていただいて、ホームページから配信させていただきたいです。名古屋の芸事という面に範囲を広げれば、それこそ平曲・長唄・三曲・筝曲など、音楽ジャンルも多岐にわたります。筝曲など多くの結社がありますが、きっと最初の練習曲もグループによってみな違うと思います。そういったものも協力していただければ順次録音させていただいて「お稽古シリーズ」でページを作って行きたいです。教え方がよくないのか、どうも僕の講義は学生に人気ありません。。もっと若い人に伝統芸能に興味を持ってもらいたいのですが。。ただ、嘆いていても仕方ないので、私の研究を理解してくださる周囲の方のご協力をいただいて、すこしでも情報をネットに上げて行くと言うのが、地道ではありますが、自分に出来る普及活動なのだろうと思います。それが僕にパソコンを教えてくれた故住正哉君や、故深谷哲先生の御厚意に報いる道でもあると思います。今日は次回の東海能楽研究会の間狂言の輪読の第1回の担当レジメを作ろうと思っています。明日は佐藤友彦先生の御宅で間狂言の本の撮影をします。夕方からは伏見のしらかわホールで行われるモックの渡辺康さんによる音楽物語「幸福の王子」の初演を聴きに伺いたいと思います。とても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月23日 昨日は午前中、渡辺康さんのご自宅に伺って、祝言小謡のCD制作の続きを行いました。とてもよい音質のものが出来たと思います。渡辺さんに感謝です。午後、長田郷先生の奥様と、河合塾の恩田満先生が研究室にいらっしゃいましたので、CDをお渡しいたしました。この祝言小謡は、私のサイトから発信することになっています。ところが、、なぜアップロードできないのかわからないのですが、うまくアップロードできません。。夕方鳥居先生先生に見ていただく事になっています。。自分で出来なければならないのですが。。恩田先生は長く河合塾の講師を勤められましたが、このほど退職され、中国の安徽省の大学で教えられるそうです。還暦すぎまで河合塾の講師をなさる。。僕自身、アルバイト講師で河合塾で働いた経験もありますから、多少はわかるつもりですが、長く勤めるには余程の気力・体力が必要です。それで、こんどは中国で。。歌舞伎や狂言・能についても紹介されるということで。。ぜひ頑張っていただきたいと思います。中国の若い人たちに、ぜひ日本の芸能に関心を持っていただきたいです。私が講義用にダビングしたビデオテープを御土産に少し差し上げましたが、このように外国に日本文化を広める上でも、インターネットは有用なツールだなあと思いました。なんとか早く祝言小謡の配信を行いたいですが、そうすれば世界上で喜多流の祝言小謡を聴く事ができるのですよね。昭和初期、ラジオが観世元滋の声を放送したころ、名古屋の催しでも「あの声の役者の声が聴きたい」という形でラジオに出る能楽師のチケットがすごく売れたそうです。インターネットはラジオと同等の配信力がありますから、御協力いただける能楽師の先生方の「声」を配信したいです。。今日は研究室でのんびりと研究資料を整理しております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月21日 今日は午前中、渡辺康さんのご自宅に伺って、先日録音した長田驍先生、郷先生による祝言謡の編集を行いました。録音を切って、WAVファイルに出力するのですが、短い小謡を数多く録音したので、なかなか切る作業のみで大変です。明日の午前も行うことに致しました。渡辺さんにはお世話になり、本当に感謝です。携帯サイトや、このホームページから発信したいために録音したのですが、文化庁の伝統文化こども能楽教室に応募したいと思っていますので、その教材にもなるなあと思っています。今日は夕方、中学の同級生の増山秀男君って、、市邨学園の学年主任をしている先生ですが、久しぶりに喫茶店ででも話をしようかと言っています。楽しみです。考えてみると午前中お世話になった渡辺さんも増山君も中学・高校の同窓で、ありがたいことだなあと思います。25日には伏見のしらかわホールで渡辺さんの新作の音楽物語「幸福な王子」が初演されます。ぜひ観に伺いたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月20日 しばらく更新することが出来ませんでした。17日は朝、中日新聞放送芸能部の長谷義隆さんと新幹線で杉並の修行寺に。名古屋駅のホームで生活社会の卒業生で高校教員になった井上ゆかり先生にばったりあいました。もう白子高校の主任とか。。卒業生が教員でがんばっているというのはとても嬉しいです。修行寺で金春安明先生と待ち合わせて、副住職の大給海真師が八左衛門安治の慰霊の読経をし、そのあと碑文の拓本を取らせていただきました。碑文は慶應三年七月で、安治の父の安茂が死去した月になっています。「先祖の法号を改め」改宗して先祖の冥福を祈るという内容で、安治が自分の意思で改宗して建てた石塔であろうと思われます。明治維新になって、安治は御役者としての地位を失い、横浜に移住します。「諸芸人名録」などに横浜として金春八左衛門の名が載りますから、横浜で謡曲教授をしていたと思われますが、詳しい事績はまだわかりません。過去帳からは先妻・後妻・娘に先立たれ、養子の熊太郎の子の男の子にも先立たれる悲運の様子が伝わってきましたが。。午後は金春安明先生のお宅に伺い、安治筆の稽古謡本を見せていただきました。「安治」とした名前を上からなぞって「安信」としている謡本が数点あり、不思議でした。「安治」が一時「安信」と名乗ったのか。。無論、この「安治」という名前も、今回修行寺からの連絡をいただいて、その石塔で初めて判明したので、いままでは通称の「朋之助」しかわかっていませんでしたから。。「安信」と名乗った人が別にいたのかも知れません。。この調査については、2月18日の中日新聞33面に「徳川家最後の能楽師 金春八左衛門の墓発見 悲運の半生浮き彫り 没後115年慰霊の読経」という題で長谷さんが取り上げて下さいました。1面の「きょうの紙面」にも「社会 没後115年能楽師慰霊」と大きく取り上げてくださって、本当に感謝しています。明治20年以降の能楽復興は、明治維新から明治20年前後までの能楽衰亡期に、芸を捨てないでその普及に取り組んだ役者がいたから実現したわけで、明治24年に亡くなった安治は、自らに日があたることはありませんでしたが、衰亡期に芸を捨てずに横浜で謡曲師匠として暮らしたという意味で、後世の能楽界の恩人でもあると思います。日があたってよかったなあと。。メールで教えてくださった大給海真師、謡本の調査をさせてくださった金春安明先生、記事にしてくださった長谷義隆さんに心より感謝いたします。また、知り合いの方や卒業生の方から中日新聞でみましたというメールをたくさんいただきました。覚えていていただいてとても幸せな気持ちになりました。18日は筑波大学日本文学会、犬井善寿先生退官記念の発表でした。歴代の筑波大学平家部会のメンバーが揃い、非常に懐かしかったです。千草聡君、清水美穂さんの二人が亡くなっていないのが残念でしたが。。犬井先生は中世文学会の事務局を引き受けて代表まで勤められた平家物語・中世和歌の第一人者ですから、本当ならば大学を越えた退官パーティや、記念出版があってもしかるべきでしょうが、一切辞退され、筑波大学日本文学会の「研究発表」という形でなさいました。しかも「単一系統」の「和歌の本文校訂の方法」の見本を見せるという形で。。大学院生のゼミ発表のような手続きをたんたんとなさるのですが、和歌の本文が、どのような理由で変わってゆくのかということをきちんとした手続きで見せてくださって、とても興味深かったです。「結果」そのものよりもあるべき「手続き」がきちんと踏まえられているという姿勢に感動しました。筑波大学の日本文学専攻は高校教師・大学教員を目指す人が多いです。とくに大学院は将来「大学教員」として「高校教師」を育てる人の養成までやっています。筑波大学の大学院教授は、能で言えば、プロを育てる「家元」であり、「職分」です。そういう意味で言えば、犬井先生は院生や学生が「真似の出来る」研究方法・教授方法で常に講義も発表もなさいました。基本に忠実で、派手さはまったくないのですが、犬井先生の教えられた通りにやれば、論文も書けますし、講義も出来ました。「学生のお手本」という意味で、本当に名家元だったと思います。「名人芸」と「家元芸」という言葉があります。「名人芸」は素晴らしいけれど、その人の資質によるもので継ぐことの出来る芸ではないです。「家元芸」は素直で面白さはないけれど、その真似をすれば「教え」「発表する」ことの出来る芸です。犬井先生の芸は「家元芸」の見本のようなもので、いろいろな最終講義にでましたけれど、「後に続くであろう筑波大学日本文学会の学生・卒業生」に対して「この方法で研究すれば必ず形になる」という研究の基本的な方法を見せるという、いかにも犬井先生らしい、とても感銘の深い発表でした。私も間狂言や脇伝書について、こういう厳密な本文批判をしなければならないなあと思いました。研究方法は、文学ではとても大切なものです。「工夫」が勝手なものでは「我流」になってしまう。。「我流」の研究では結局みんなに使ってもらえません。私は別に先生になる人を教えているわけではありません。でも、教え子たちが将来、自分の子供にでも文学や能を教えるとき、「こうやって調べて」「こうまとめるとわかりやすいんだよ。」と思われるようにやりたいなあと思います。。そういう意味で、私は弟子家ではありますが、「家元芸」を身につけたいです。日曜日は、朝、杵屋三太郎先生から長唄大会の招待券を受付に用意して下さったというメールが入りました。長唄は大好きなので午後から芸術創造センターの長唄大会に出かけました。三太郎先生は若いのですが、本当に基本に忠実な「名家元」です。三太郎先生の「楠公」を聞きたいなあと思っていたのですが、夕方用事が入り、聴く事ができず残念でした。でも長唄は華やかで軽妙でとても面白いです。今日は午前中岩田亮君のやっている東区の歯医者にでかけて、一緒に昼ごはんを食べて、大学に帰ってきました。これから集めた研究資料を整理しようと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月16日 昨日はゼミ生を連れて豊橋に行ってきました。豊橋は近世以降能の盛んなところで、特に魚町の宝生流の能楽はとても有名です。ただ、魚町の熊野神社の舞台は戦災で焼けてしまって以来再建されず、質の高い面・装束はいまは豊橋市の美術博物館で保管されているのですが。。私は魚町の能面は虫干しの時に何回か拝見しています。昨日は町並みを見たかったので、周囲をゆっくりと歩いたのですが、問屋街が近くにあって、名古屋のお城から伏見に掛けての碁盤割の商家街と似ているなあと思いました。豊橋の場合、戦災で燃えてもそういった町の構造自体は戦前を残している感じで。。商家の旦那衆が能を愛好した風土があったのだなあと思いました。駅のホテルで昼食、学生さんたちと一緒にちょっと豪華に食べました。家内に小遣いをもらっていたので、おごりました。そのあと、二川の本陣資料館に行き、三時過ぎに私は豊橋市中央図書館で能に関する調べ事をしました。そのあと、中学の同級生が豊橋西高校の先生をしているので、久しぶりに会ってお茶しました。三年生の担任と言うことで、とても大変そうでしたが。。でも世話好きな子でしたから、きっと性にあっているのだろうと思います。これから豊橋の能は本格的に調べてみたいです。明日は杉並区の修行寺と金春宗家に金春八左衛門安治の事績を調査に伺います。とても楽しみです。墓石の拓本を取らせていただく予定なので、晴れるといいなあと思いますが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月14日 今日はバレンタインデーということで、家内からチョコレートを貰いました。学生さんからもいただいて感謝でした。午後、生活環境学科の三期生で愛知文教女子短期大学の生活文化学科ファッションデザインコース専任講師の荒川智子先生から「来年度、授業の一環として学生に歌舞伎をみせたいと思っていたところ、 」私の講義をとったことを思い出して、、と電話を頂きました。すぐに御園座で手配しましたが、かつての学生が短大の専任の先生になっていて、しかも講義を思い出して歌舞伎に学生さんをつれていって頂けるというのは、なんと有難いことだろうと思いました。最初の頃の講義なんて、いまプリント見ると本当に稚拙だったと思います。ただ、一生懸命は講義していたと思います。こういう瞬間って先生やっていてよかったなあと思うことの出来るときです。今日で卒業研究の調理のビデオも完成。よいものができました。とてもよい日でした。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月13日 少しずつ日が長くなってきました。「早春」なのだなあと思います。今日は学生さんが来ないので、自分の論文の勉強をしたいと思います。遅れているものを少しでも仕上げないと。。家内の風邪はおかげさまでなんとか回復しました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月10日 今日は結婚記念日です。。実は朝思い出せなくて、家内に「今日はなんの日だ。。」と聞かれてようやく思い出したのですが。。考えてみると二人とも大学院生で、将来ちゃんとした職につけるかどうか不安なままでしたが。。皆さんが心配してくださって、結婚式が黒字になって、それで一月食べられたことや、仲人の北原保雄先生(筑波大学学長もなさったすごく世話好きな先生です。「問題な日本語」の著者で有名ですが、文法の専門書はやっぱりすごいです。ちなみに、、私は大学一年生の時、北原先生に謡曲の「羽衣」の手ほどきをしていただきました。。筑波能狂言研究会の初代の顧問の先生です。)は、家が近くだったものですから、先生のお宅にお土産で持ってこられたものを家内に分けていただいたこととかよく覚えています。あのころの不安な気持ちに比べると、子供が二人いて、椙山に勤めていられる今はつくづく幸せだなあと思いますが。。今日はなにかお菓子でも買って帰らないとと思っております。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年2月9日 昨日は鶴舞図書館に梅若実日記を調べに行きました。うちの大学の図書館に入っていなかったので、、来年には入れたいと思いますが。。明治二年から五年にかけてを特に調べたのですが、このころ幕府の御役者は能から他の職業への転業を勧められたり大変だったのだなあと思いました。夕方からは筧先生の御宅で岡明彦君と一緒に「伝統文化こども教室」の来年度の申請について話し合いました。小学生の夏休みの自由研究を兼ねて、夏休みに集中的に練習するのもいいねえという話をしました。ひろとが熱を出して寝ています。。シュークリーム買って帰ったらそれだけは食べましたが。。早く元気になればいいなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月7日 昨日で大学のA日程入試が終了しました。毎年のことですが、良い学生さんがいっぱい来るといいなあと思います。試験の時に雪が降らなくて本当によかったなあと思います。昨日は母の誕生日でした。双方の両親が揃って健康でいてくれることは感謝です。母は一週間ほど前から風邪を引いて、まだ咳が残っているのですが、なんとか回復したようでよかったです。昨日は父が不二家でケーキを買ってきて、父とひろととともえと家内とでお祝いをしたそうです。私は試験監督で参加できませんでしたが。。とにかく両親には健康でがんばってもらって、ひろととともえの結婚式に出て欲しいなあと思っています。昨日は夕方から名古屋音楽大学のスタジオで長田驍先生と郷先生の祝言謡の録音をしました。携帯向けの能楽サイト作成の実験のための録音ですが、東海能楽研究会で、こども向けの能楽教室を行う際の教材用にとも考えています。交通費にも満たない謝金で御協力くださった両長田先生と、録音を担当下さった名古屋音楽大学非常勤講師の渡辺康さんに心より感謝いたします。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月3日 今日は節分です。家内に書類などいろいろ手伝ってもらっているので、パパ鬼はケーキを買って帰らねばなりません。豆ぶつけられるのは当然ですが。。六時には大学を出なければと思います。明日は立春、そして大学は入試となります。毎年ながら良い学生さんが来てくれればいいなあと思います。あまりに迷惑投稿が多かったものですから、鳥居先生にお願いして羅雲寺のニューバージョンを作っていただきました。鳥居先生に心より感謝いたします。東海能楽研究会の催花賞記念論集の要項ができましたので会員に発送する準備をしました。少しでも若手の書く場となればいいなあと思います。私の大学院生の時には、犬井善寿先生が自費負担をして「平家部会論集」を作ってくださいました。平岡敏夫先生の「稿本近代文学」にも三本かかせていただいていますが、こういった先生方のご努力でいま大学に勤めることが出来ているのだと思い、感謝致しております。東海能楽研究会催花賞記念論集(東海能楽研究会のページに募集要項を掲載致しました。)から、次世代の能楽研究者が育っていってくれればいいなあと本当に思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月2日 もうすぐ立春です。寒いですが、朝たんぼには霞がたって、春が近いなあと思わされます。なんとか演劇学論叢が済みましたので、次の金春八左衛門家に関する原稿を挙げないとなあと思います。県立大学の採点もしなければなりません。良いレポートが多いといいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年2月1日 今日から二月です。椙山の学生さんの分については採点が終わりました。受講人数が少ないものですから、楽といえばそうなのですが、淋しい気持ちもあります。出来は平年よりよかったと思います。少人数の方が講義としては効果があるのか、それとも僕くらい出席が厳しい講義をあえて取ろうという学生さんたちでしたから、それなりにやる気があったのか。採点していてなるほどなあと思う答案も多くて楽しかったです。インフルエンザで欠席の学生さんだけ欠席で出しましたので、あとで追試をしなければならないのですが、出席が足りなくて失格の学生さん以外はみんな通しました。昨日の夜、阪大の演劇学論叢の原稿、メールで投稿しました。ちゃんとしたフロッピーと原稿は今日発送予定です。今日からは遅れに遅れている烏帽子折の注釈と、金春八左衛門安治の事績についての調査です。比呂人が胃腸風邪にかかってしまい、朝いきなり吐いてしまいました。ちょっとつらそうで、家内が午前中に医者に連れて行ってくれます。早く治るといいなあと思います。私も移らないように気をつけなければと思います。夕方は歯医者さんに行く予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月31日 いよいよ今日は阪大の演劇学論叢の締切です。今日中になんとか仕上げてメールで投稿します。明治期の名古屋の能のシステムについて、いくつかは新しい資料・発見があったと思うのですが。。がんばって書きます。リンク集、所属する日本基督教団熱田教会のホームページが新しくなりましたので更新しました。羅雲寺、最近は薬物やアダルトサイトなどのリンクだけの下品な投稿があまりに多く、本当に困っています。そういうことやる人には少しバチが当たって欲しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月30日 あっという間に1年のうち1月がたってしまいました。明日締切の阪大の演劇学論叢になんとしてもケリをつけなければなりません。おとついは名古屋能楽堂の愛知県「農学」フェスティバル、愛知県の主催で水と緑の大切さを考えるイベントでしたが、そのなかで、狂言風の創作劇と狂言「唐人相撲」が上演されました。創作劇も「唐人相撲」も子供たちが多く参加していてとてもよかったです。名古屋の狂言って、わたしはおっとりしていて、あざとくなくて好きです。鈴木さんにビデオでとっていただきましたので、また学生さんとともに見たいと思います。昨日は東海能楽研究会、豊橋の朝川知勇さんによる「豊橋の能楽資料」と三苫佳子さんの「杜若と井筒」でした。どちらも面白かったです。どこの文学・文化系研究会も会員が減って苦労する中、東海能楽研究会はこの2年で会員が1.5倍になり、45人を越えました。大半は定年退職なさった方、筧先生の文化庁体験プログラムこども能楽教室に子供を通わせてくださっているお母さん、大学院生ですが、こういう方たちが、今後の東海能楽研究会の核になってゆくだろうと思います。狂言共同社も100年を越えました。現在も名古屋になくてはならない素晴らしい上演団体ですが、これは結成の最初の頃から、長続きできるようなシステムがきちんと出来ていたからだと思います。東海能楽研究会も10年を一つの区切りとして、長続きできるシステム作りがこれからの課題だと思います。昨日は年会費を一律3000円にすること、投稿費1500円で「催花賞記念論文集」を出すこと、会報の研究ノート、2000字のものとは別に4000字のものも募集することが決まりました。少しでも若い人に書く場所を与えたいという筧鉱一先生のお考えによりますが、若い人の投稿を本当に期待しています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月27日 今日は講義のない日です。鈴木さんが矢来能楽堂の「のうのう能」の巴を撮影に行かれています。僕も行きたかったのですが、ちょっと阪大論叢の締切が間に合いそうもなくて見送りました。観世喜正先生の巴、きっと綺麗だろうと思うのですが。。。でも今は論文がんばって書かないとと思います。論文を書くのには嫌でも調べなければなりませんし、そうすると勉強になります。自分に多少負荷をかけないと。。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2006年1月26日 今日は二時間目と四時間目が試験、三時間目が他の先生の補助監督です。試験は勉強してきた成果を出すところ、みんながんばってくれればいいなあと思います。二時間目の試験を終えたところですが、みんななかなか出来ているなあという感触でした。やっぱり出来ていると嬉しいです。三十年後に能や歌舞伎の観客になっていてくれればいいなあと思います。数日前から歯が痛くて困っています。歯医者に行かないと。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。 


2006年1月25日 家内が風邪をひいてしまって辛そうです。なかなか抜けないみたいで。。医者には行っているようですが。早く良くなって欲しいなあと思いますが。。今日は基幹演習の仕上げの日です。名古屋裁縫女学校に関するビデオを作っているのですが、なかなか良い出来になっていると思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月24日 昨日は県立大学の今期最後の講義でした。これで今学期の講義はすべて終了しました。椙山の講義は木曜日に試験をしますが、ぜひみんな頑張ってほしいなあと思います。でも、文学の講義というのは、実は試験で終わるものではなく、本当は年をとってからその作品に親しむかどうかなのですよね。悪い点数であっても、老人になってから古典を読んだり能を観ることを楽しみにするようになったならば、良い点数でそのあと一度も古典も読まず、能も観なかった人よりも数倍私としては講義してよかったなあと思うことができます。無論、そんな長いスパンで成績つけることは不可能ですから、試験やレポートになるのですが。この年になって、大学時代の講義で役立っていると思うのが情報処理と体育です。当時はいやでしかたなかったですが。。でもフォートランのプログラムやってはじめてソフトってこういうものなのかと思いましたから。。いまパソコン大好きですが、あの講義があったからいまがあると思います。。体育も、朝起きられなくて苦痛でした。いまは五時起床でもぜんぜん平気ですが、若いと起きられないのですよね。でも規則正しい生活ができて、身体を少しでも動かそうと思うようになっただけ意味がありました。今日は月末締め切りの阪大の演劇学論叢の原稿をがんばって書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月23日 今日はちょっと疲れ気味です。なんか元気がありません。夕方からは県立大学の最後の講義もあって、結構ハードなのですが。。できるだけ、動かないですむところは動かずに静かにしていようと思います。阪大の原稿、はやくあげないとと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月22日 今日はセンター入試、、雪が降らなくてよかったです。1月末日締め切りの阪大の演劇学論叢の原稿がまだ書けていません。そろそろ馬力入れないとと思います.ではまた、皆様御元気で御過ごしくださいますよう。


2006年1月21日 今日は朝、家内が風邪でダウンしてしまいました。筧先生のこども能楽教室に行って、そのあと筧先生、岩田律園先生、本田善郎先生と名古屋の伝統芸能の普及活動について打ち合わせする予定でした。その打ち合わせのときには家内が子供を連れて帰ってくれる予定だったのですが、、もうしかたがないと、筧先生に子供も連れて行きますがすいませんとお断りして僕1人で連れて行きました.。自分が風邪ひいてダウンしているときのほうが、家内がダウンするときよりもまだ仕事進むんだなあと実感しました。着替えさせて、朝飯といってパンだけですが食べさせて、トイレすませて、あわてて出て、、。教室では扇も笛も忘れてお友達にお借りして、迷惑かけました。あと五回ですが、でもみんなだいぶ謡えるようになって本当によかったなあと思います.。なんとか教室はすませて、そのあとみんなで筧先生のお宅に伺うと子供たちはおたくの掘りごたつがめずらしくて、中に潜って遊んでいて..。。観光ホテルのランチバイキングで打ち合わせのはずが。。先生方は打ち合わせができたかなあと思うのですが、比呂人も友恵も食べるのはのろいのに、よく食べるなあと。。ハンバーグとか、うどんとか、もですが、ケーキがいっぱいあったので、もうそればかりよく食べるなあと。。パパは、御皿に取りに何回もでかけて、すずめの親鳥になった気分でした。。四月か五月に「名古屋の伝統芸能」に関するフォーラムをすることになり、私も「近代の名古屋能楽界」の題で発表させていただくことになりました。また予定・日時が決まりましたらこのホームページで発表させて頂きます.。しかし、しみじみ女親というのはすごいなあと。。「想定外」のことが次々におこるので。。いつトイレと言われるかとか。。でも、子供たちはランチバイキングにゆけてすごく楽しかったみたいで。。岩田先生にごちそうしていただいてしまったのですが。。感謝でした。今日と明日はセンター試験です。受験生がみんな力を出しきれることを祈ります。家内も家に帰ったら少し復活していました.はやく治るといいなあと思います。ではまた、御元気で御過ごしくださいますよう。


2006年1月20日 金曜日は講義がないので、大学でのんびりと教材を作っております。昼ごはんは作曲家の渡辺康さんと焼肉を食べに外に出ました。こういう息抜きはとても貴重です。明日からセンター試験、受験生の人たちがみんな力を出し切れることを祈ります。こどもが「しろたん」というあざらしのぬいぐるみを買ってきて二人で遊んでいます。男の子の方を「ごまたん」女の子の方を「ごまぺん」と呼ぶことにしようと決めたのですが、両方とも同じ顔なので、「ごまぺん」にはリボンをつけようかなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月18日 荒木亮先生より、御所蔵のSPレコードをCDになさったものを送っていただきました。ものすごく音質が良いので本当に驚きました。これが宝生新の声なのかと。。戦前の録音とは思えないもので、ほとんど雑音がないのが不思議でした。イコライザがSP専用のものということで。。3月に伺って方法を教えていただこうと思っています。来年度からは、良い音質でデジタル化したいので。。でも、、そのためにはしっかり論文書いて助成金申請しないとなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月17日 東海能楽研究会のページに、授賞式の写真と受賞理由をアップしました。筧先生、深谷先生、三木先生のご苦労をあらためて思いましたが。。研究会のページも私が管理しているのですが、例会案内ずっと更新していなくて反省でした。(とりあえず、次回例会のみアップしました。)「名古屋で能・狂言を観る人のために」のページに荒木亮先生の制作されている「久習會ホームページ」のリンクを貼りました。この先生は本当に博識だなあと。。能楽の課題はやはり次世代への普及だと思います。そのためには新しい教材と新しい広報が必要で。。微力ですが、わたしはこのホームページの更新からはじめようと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月16日 今年も毎日あわただしくばたばたと過ぎて行きます。「椙山生の羅雲寺」には書いたのですが、杉並区の修行寺の大給先生より、金春八左衛門安冶のお墓があるというメールで連絡をいただきまして、筧先生・佐藤友彦先生と伺いました。最後の八左衛門で明治24年7月30日に亡くなったという柳沢澄の記録が正しかったことが過去帳で裏付けられました。筧先生が藤沢の龍口寺で復曲能「龍之口」を上演されましたが、大給先生はそのときちょうど龍口寺に勤務していらっしゃって、それで私のホームページを見て思い出して下さったそうです。本当に有難いことだなあと思いました。すぐに金春流若宗家の金春安明先生に連絡したところ、御宗家の書庫に安冶の若書きの稽古謡本があるということでした。2月にもういちど両方を拝見に伺いたいと思っています。催花賞授賞式、筧鉱一先生、佐藤友彦先生、林和利先生、保田紹雲先生にくっついて赤坂プリンスホテルに行きました。舞台では拝見していますが、目の前でというのははじめてという有名な能楽師さんがいっぱいいらしていて、びっくりしました。筧先生のご挨拶を伺いながら、10年前データベースをはじめたときには、個人の舞台記録をまとめることについて反対が多くて、筧先生がものすごい苦労をなさったことを思い出しました。10年たってこのように認められて、本当によかったなあと思います。催花賞を頂いたことを記念して「催花賞受賞記念論集」を作りたいと会員で話し合いました。この懇親会の席で、ある方にSPレコードのデジタル化についてお尋ねしましたら、観世流の荒木亮先生が非常にお詳しいと教えてくださいました。そこでさっそくメールさせていただきましたらすぐに返信くださって、デジタル化の方法について詳しく教えてくださいました。春休み中に一度伺いたいと思っています。来年の演習では、このような古いアナログ音源のデジタル化についても扱いたいと思っています。前に進んでいるのか、それとも時間に押し流されているのかよくわかりませんが、とにかく身体に気をつけて、できる範囲で少しずつ進んで行ければと思っています。御身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年1月12日 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年が皆様にとって佳き年でありますように。。卒業研究生が三人とも卒業制作を仕上げて提出いたしました。万博を素材にした紹介ビデオなのですが、撮影・編集ともよく頑張って立派な作品に仕上がっていると思います。来年以降、日本文化論などの教材で使いたいと思います。自宅のパソコンが故障してしまったため、新年最初の更新が今日になってしまいました。もっかの悩みは羅雲寺にリンクばかりの下品な書き込みをひんぱんに送られるようになってしまったことです。どうも自動的に投稿しているようなので、それを阻止するか、それともなければ形式をブログに変えるなどなにか対策を考えないとと思っています。本当に世の中がつまらない人はいっぱいいるのだなあと思います。ほかに考えることないのかよ。。と情けなくなりますが。。私には能を観る楽しみがあって本当によかったです。明日は東海能楽研究会が催花賞を受けた受賞パーティが赤坂プリンスホテルでありますので、代表の筧鉱一先生にくっついて私も参加させて頂く事にしました。楽しみです。自宅から書き込みできないので、「中年日記」の更新はしばらく遅くなりますが、「椙山生の羅雲寺」は極力更新するつもりです。そちらの書き込みは卒業生・現役生にさせていただいていますが、ぜひこちらも観ていただきたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。