2005年12月31日 28日から千葉の家内の実家にでかけていまして、先程帰って来ました。家内の高校の同級生の鈴木緑さんより羅雲寺に書き込みいただきまして、本当に感謝でした。椙山の生活社会の一期の卒業生の方からもカードをいただきまして、感謝でした。なんと一人暮らしでバンコクで働いていらっしゃるとか。。おとなしい印象の学生さんだったので驚いてしまいましたが。。本当にがんばっていただきたいと思います。いよいよ大晦日です。今年もあと3時間、本当にはやかったなあと思います。ついに烏帽子折の注釈は年を越してしまいます。9月末締め切りの仕事がこんなにかかるなんてと思います。注文下さった出版社の方には本当に申し訳ないのですが。。少しでも早くと思います。今年はなんといっても前半国内研修に出していただいたのがとても良い思い出になりました。半年間、集中して勉強できたので、来年はその成果を本にまとめたいと思います。東海能楽研究会も催花賞をいただけることになりました。三木先生との共同研究の能楽番組データベースが認められて本当に嬉しいです。来年度はカリキュラムが変わり、実用日本語表現などの課目がはいります。新しい教科なので、頑張って準備しないとと思います。今年は、2月に栄子おばさん、10月に米一伯父さんと本当に小さい頃からお世話になった親族の方が亡くなって淋しい思いをしました。11月には10年間古文書を教えてくださった栗花光弥さんが亡くなりました。名古屋の歴史にとても詳しく、頼りになる方でしたのでまだショックから抜け切れないです。でも、がんばらないとと思います。今年も多くの方に支えていただきました。双方の両親を含め、家族みな健康を守られ、感謝いたしております。明日はすぐそばの実家にでかけてのんびり過ごします。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。来年が、全ての人にとって素晴らしい年でありますように。。。
2005年12月27日 今日は午前中は研究室の大掃除をしました。本当にごみだらけで。。ぜんぜん終わりません。明日もやらねばと思います。烏帽子折の注釈、ついに年越してしまいそうです。どうも気合いが足りないなあと思います。こんなことではいけないのですが。。午後は尺八の岩田律園先生のお宅に伺って、東海地区の昭和から現在までの三曲のプログラムを御借り致しました。これもデータベースに作りたいものですから。。データベース化のためには三曲の「演奏形態」の分類が必要ですが、これにはかなり時間をかけないといけないなあと思いました。能も複雑ですが、三曲もそうとう複雑です。でもこういうことを考えるのはとても楽しいです。夕方は高校教師をしている大学時代の友人と安城の喫茶店で話しました。彼もうちの子より少し大きい娘さんがいらっしゃるのですが、友恵に服をいただきまして、本当に感謝でした。子供の服って二年は着られないので。。毎日見ているとわからないのですが、やっぱり大きくなっているのですよね。。明日も大掃除です。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月25日 今日はクリスマス、一家で熱田教会の礼拝からクリスマス祝会まで参加しました。おじいちゃん、おばあちゃんから比呂人・友恵まで元気で教会の礼拝を守れるのは本当に感謝です。献児式で幼児洗礼を受けた子が三人もいました。少子化の中で、教会の枝に育って行く子供が三人も与えられていることは本当に感謝です。でも、、子供って本当にかわいいなあと。。こういうのは親になって思いますが。。午後から少しだけ鶴舞図書館に行き、明治の新聞を調べて帰りました。昨日の中日新聞の夕刊に、鳥取池田家の能面について調べていらっしゃる保田紹雲さんのことが出ていました。名古屋市の職員を引退後能面教室を主宰されているのですが、能面の歴史に興味をもたれて、本当にすごく熱心に調べていらっしゃいます。私も調査何回も御一緒させていただいていますが、わたしはもっぱら面裏の字を読む係で、能面をさわったり、撮影したりはもっぱら保田先生の役です。さすがに能面を作られる方はものすごく器用なのですよね。私は不器用なので。。中日新聞の記者の長谷義隆さんから電話でお尋ねがあったので、お答えしましたら、私のコメントも載せていただけました。でも、、新聞記者さんって短くまとめるのものすごく上手ですね。。すごい技術だなあと。。わたしこんなに上手にまとめてコメントしていないよなあと。。自分の「談話」のコメント読んで感心してしまいました。。高校の後輩で読売新聞の多和田元君もいつもすごくまとめるのが上手でいつも感心するのですが。。新聞記者さんの技術盗んだら私ももう少し文章簡潔になるかなあと。。先生と言うのはどうしてもくどい文章になるので。。保田先生の御研究に日があたるといいなあと思っています。もっと能楽・能面に興味をもってくださる人口が増えるといいなあと思います。今日は私にパソコンを手ほどきしてくれた、住正哉君の命日でもあります。27歳で夭折してしまったのですが、小田和正の声を聴くと、オフコースが大好きだった住君を思い出します。高校の理科の教師だったのですが、、本当に優秀でした。。生きていればきっと理科教育の大家になっていたと思います。。心より冥福を祈ります。。住君のことがあって以降、特に身体に注意するようになりましたが。。明日の朝は年に一度の脳ドック検診、そのあと大学にでかけて卒業制作の提出、古文書の読書会となります。ではまた、お身体に気をつけて、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月22日 今日は朝、豊橋の山本十次先生のお宅に、国文学関係の本を頂きに行きました。購入したらすごい高価な本なのですが。本当に助かります。頑張って勉強しなければと思います。愛知県の国語の指導主事、旭丘高校の校長先生をなさった先生ですが、本当に勉強お好きだったのだなあと、いただいた国語教育関係の蔵書みても思います。雪が舞ってとても寒い日でした。本棚も二台頂いて感謝でした。帰り、そのまま大学に行こうかと思ったのですが、尾張にも三河にも大雪警報がでているということで、万一帰ることができないと困ると思い、安城に車を置いて、電車で大学に出勤しました。電車も雪で遅れていましたが。。何とかついて安心しました。今日は卒業研究の追い込みで、オープニング映像の音入れなどやっていました。なかなか楽しいです。明日は天皇誕生日で休日、土日が過ぎて26日が仕事納めになります。今年も早かったなあと思います。26日はホームページの更新したいなあと思っていますが、わからないので、一年の回顧をちょっと書こうと思います。今年は三月までは、大阪大学での国内研修の準備と、それから学内の委員会の仕事で過ぎました。4月から9月の国内研修は本当に充実していたと思います。一番勉強になったのは、大学院での勉強はその時期での研究状況を知るうえでは非常に重要なのですが、やはり研究会などにきちんと参加していないと、自分の面識のある先生が意見を変えていた場合など、いまの院生は知っていても自分は知らないということがあり得るということ。。表章先生などは私が奉職したこの15年でもすごく意見を変えていらっしゃることがたくさんありました。。演習に参加していて、「えっ、そうだったの。。」とか。。田楽のイメージは、私が院生のころは曲芸だったと思います。いまの常識は「劇」のようなので。。「能」に関する限り、いまの観世流と金剛流の違い程度しかないのではということで。。天野文雄先生と大阪大学演劇学研究室の皆様に心より感謝致します。雪がひどくなってきたので帰ります。ではまた、皆様お元気で。。
2005年12月21日 今日もとても寒い日です。大学では卒業論文の追い込みでたくさんの人がきています。こういう光景をみると12月だなあと思います。うちのゼミも頑張っています。基幹演習、再募集の張り紙を出しました。一人でもきてくれればありがたいと思いますが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月20日 昨日はリニモで県立大学に行き、帰りは万博八草から愛知環状鉄道で岡崎にでて、岡崎から普通電車に乗って帰りました。電車もなかなかいいなあと思いました。今日は卒業論文の追い込みでみんな頑張っていました。なかなかよいものができるのではと期待しています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月19日 外は大雪です。。といっても「名古屋にしては」という話ですが。。電車が遅れていてまいりました。学生は来られるかなあ。。講義としてはやっているのですが。。さすがに車では来られなかったので電車にしたのですが、夜は非常勤の県立大学の講義があるのですが、終わって帰ることができるのが何時になるか、ちょっと不安です。車ならばそんなにかからないのですが、電車だと遠回りなので。。でも今年最後の授業なので頑張りたいです。基幹演習、1人も応募者いないのはさすがに淋しいので、研究室の前と掲示板に再募集中のポスター作って張りました。格好悪いけれど、なりふり構えません。授業なかったらすごーーく淋しいですから。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月16日 昨日で椙山での講義はすべて終わりました。なんか淋しいです。私は会議とか雑用はこんなこと言われると怒られますが好きでないのですが、講義は好きなのです。学生さんから見てそうは見えないかも知れませんが。。今日は講義がない日ですので、「烏帽子折」の注釈をがんばってやろうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月15日 今日もとても寒い日です。今年も終わるなあと思います。「烏帽子折」の注釈がまだ出来ません。。もう何ヶ月も苦しんでいますが。。これに年末までにケリをつけることがいまの目標です。今日は椙山での年内最後の講義。。がんばります。来年度の基幹演習Tの申込者、私の分はいなかったそうで。。ビデオ制作の授業ですが。。残念です。つぶしたくないのですが。。誰か受講者来てくれないかなあ。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月14日 今日はとても寒い日でした。基礎演習・基幹演習・卒業研究とも、段々残り時間が少なくなり、キアイが入ってきました。でも、学生の色使いや場面転換の方法見ていると、ああ、こういう画面転換もいいなあ。。とか、面白いなあと思うこと多くあります。講義時間終わって、それ以外に結局倍近い時間使って作ってくれるのですが。。でもうちのゼミ生みていると、映像作るのが好きなので本当に頑張るなあと感心します。去年1人映像制作関連の会社に就職したのですが、そういう方面への就職を望んでいる子もいるので、ぜひ頑張って就職して欲しいと思っています。明日は今年最後の講義です。がんばらないとと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月13日 発表はもう少し前だったのですが、東海能楽研究会が法政大学の催花賞を受賞することとなりました。催花賞は地方の能楽の発展と普及に功績のあった個人もしくは団体に送られる賞で、能楽界では大変権威のある賞なのですが、東海地域では、新城の故大原紋三郎先生が受けられて以来となります。私としては、一番苦労なさった筧鉱一先生が個人で受けてくださればと思いましたが。。贈呈理由には、「近代名古屋の能番組のデータベース化を基軸とし、詳細な索引を付した『近代名古屋の能楽を支えた人々』全三冊(平成13年刊)に結実した。」と三木邦弘先生にお世話になった能番組のデータベース化が上がっていました。三木先生の業績については、「受賞者の紹介」の欄にも「能楽番組の収集・整理とデータベース化は現在も継続中で、平成9年までのデータは椙山女学園大学三木邦弘助教授のホームページで公開されている。」と書かれています。はじめて10年たって、ようやく筧先生や三木先生のご努力に日が当たるようになったなあと思います。能楽番組のデータベース化には、当初反対の能楽師さんや愛好者の方も多くおりましたし、能楽世界の複雑な人間関係から筧先生は非常に苦労なさいました。しかも作業は私の手間の悪さから遅遅として進まず、筧先生に3年でやりますといった仕事が、ようやく8年掛けて出来たという状態でした。でも、研究資料の整理の仕事はやはり「後に残る」からやりがいがありますよね。この資料をもとに、近代の能楽史の研究が盛んになることを祈っています。この10年でも、資料整理やデータベース化に御協力下さった堤斌さん、大原紋三郎先生、鬼頭喜太郎先生、深谷哲先生、栗花光弥さんが鬼籍に入られました。これらの方々のおかげで頂けた賞だなあと心より感謝いたしております。授賞式は1月13日に赤坂プリンスホテルで行われますが、筧鉱一先生、佐藤友彦先生、林和利先生(名古屋女子大学)とともに参加させて頂く予定です。今日は午後は教授会、夜は忘年会です。一年間本当に早いなあと思います。私はとにかく研修の研究成果を早く形にしなければと思っていますが。先日の六麓会で、天野文雄先生より、大阪大学の「演劇学論叢」に寄稿してよろしいとおっしゃっていただけたので、「昭和戦前の能楽」という題でまとめて発表させて頂こうと思います。締切が一月末なので、キアイ入れないとと思いますが。ではまた、御身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月12日 六麓会のミニ発表と、響の会のイヤホンガイド、なんとか無事に終了しました。響の会、当日券が結構売れて席も埋まり、本当によかったなあと思います。学生だけで100人以上いました。あの学生たちが30年後の観客として育っていってくれるといいなあと本当に思います。芸の質も高かったですし。。ほとんどが東京からこられた役者で、銕仙会の引越し公演という当初の目的は果たされたように思いますが。。大学時代お世話になった西村高夫師もすっかり中堅だなあと。。私が大学生のころは、完璧に若手でしたが。。当時中堅だった若松健史師もいまや長老の風格があって。。でも観ていてたのしかったです。筑波能狂言研究会の仲間も4人、遠くから来てくださいました。10年以上ぶりにお目にかかった方もいて、感謝でした。風邪薬を飲んだら、眠くて困っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月9日 今日は講義がない金曜日です。とにかく「名古屋芸能文化」の翻刻の校正をあげないとと思っています。明日は六麓会のミニ発表、明後日は「響の会」のイヤホンガイドです。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月8日 今日は年末恒例の「授業アンケート」の日でした。日本文芸入門、、回収した35枚のうち、「この講義に不満足だった。」が5枚もありました。。これではやっぱり講義のやり方を考えないとと思います。不満のトップはやはり遅刻・欠席でレポートの枚数が増えることにあるのですが、これは私としては譲れません。講義を休んだならば、その分どこかでその分野の勉強をするべきだというのが、私の信念ですから。私自身は急性肝炎で高校1年生の時、学校を二ヶ月以上休みました。入院が夏休み期間にかかっていなければ、確実に留年でした。そのときの教訓が、「養生のうまい人が最後に勝つ。」「身体に無理をかけないこと。」というのと、「学校を休んだ分の勉強は自分でやらなければ取り戻せない。。」ということでした。もしあのとき、「病気で休んだのだから勉強できなくても仕方がない」と思ったら、そこで落ちこぼれていたと思います。得意の国語と社会を活かして筑波大学に推薦で入れたのが道が拓けたきっかけでした。伊東宏・深草正博・柴田哲谷・内田幹夫といった愛知教育大学附属高校の当時の社会科・国語科の優秀な先生がバックアップしてくださったのがもちろん大きかったですが。「あきらめが悪い」性格なのも学問にはよかったと思います。ただ、講義に不満足と書いた人の全員が、この分野に関心がないと答えていたのは気にかかりました。なぜ僕の講義受けているのだろう。。というか、選択科目なので受けなくても卒業できるはずなのですが。。無論、「興味のある」人にばかり教えていたのでは、能や伝統芸能分野の愛好者は増えないので、「興味がない」人でもひきつけられる講義ができなくてはならないのですが。その意味でまだ至らない点が多いのでしょう。どう変えるべきか、いろいろ考えねばならないと思います。講義から帰ってきたら、ゼミの学生からチーズケーキ買ってきたので鈴木さんと一個ずつどうぞ。。と張り紙があって、冷蔵庫に美味しいチーズケーキが入っていました。多少落ち込んでいたので、涙出るほど嬉しかったです。優しいなあと。。代々のゼミの学生みても、、本当に優しい子が多いのですよね。きっと親御さんがしっかり育てられたのだろうなあと思うような。。学生に救われていることを感謝していますが、研究でも教材作成でも、甘えることなく精進しなければと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月7日 昨日は豊橋の山本十次先生のお宅に、国文学のバックナンバーを頂きに伺いました。至文堂と学燈社の両方の「国文学」の創刊から山本先生が退職なさった十年くらい前までの揃いですから、非常に価値が高いです。私が持っていないものがほとんどで、非常に助かりました。ただ、、研究室を片付けないと入りませんので、それが今後のぜいたくな課題となります。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2005年12月6日 昨日は雪がちらつきました。本当に寒いなあと思います。昨日の中日新聞の夕刊の八面に、西村先生の顔写真付で11日の「響の会」名古屋公演が取り上げられました。「若者にも楽しめる能に」という見出しがついていますが、船弁慶と葛城ですから、充分理解できると思います。当日配布のパンフレットの作品解説を書かせていただきましたが、反応はどうでしょうか。。初心者向けにイヤホンガイドもさせて頂きますが、(イヤホンガイドって、、まず僕の学生しか聴いてくれませんが。)こちらも頑張らねばと思います。今日は午後から豊橋の山本十次先生のお宅に国文学のバックナンバーを頂きに伺います。創刊当時から購読されていたので、私が大学に入学する以前のものが多く、有難いです。卒業研究ゼミの学生さんが、韓国にゼミ旅行に行きましょうと言ってくれたので、現在旅行社に見積もりを取っています。うちのゼミは三人で少ないのですが。これまでは、仮に誘っていただいたとしても子供が小さくてとても無理でした。ゼミの学生さんに旅行に誘ってもらうということはこれからも余りないと思いますので、家内に相談して行うことにしました。学生課に聞きましたら、海外へのゼミ旅行は他学部でも前例があるということでしたので、大学に出入りの旅行業者さんにルートなど聞いています。韓国には大学の同級生もいるので、会いたいなあと思っていますが。安全で楽しく行って来たいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月5日 しばらく間があいてしまいました。2日に東別院の大学連携講座の最終日。。5回の能楽鑑賞入門もあっという間に終わってしまいました。あとでアンケート結果も来ることと思いますが、西村高夫先生に謡曲の初歩を稽古していただいたことなどは反応はよかったのではないかと思います。普段謡曲を自分で謡ってみるということはなかなか出来ませんので。。来年も私が担当させていただけるとのことなのですが、今年は58名募集に120名申し込みがあって抽選と言うことでしたので、来年は大きな教室を使わせていただけたらありがたいなあと思っております。今年の受講生の方も歳末助け合協賛能や、来週の響の会のチケットをずいぶん大勢の方が買って下さいました。能・狂言は劇ですから、観客がいないと成り立ちません。また、どんなにビデオで「勉強」しても、実際に観ないと能楽はわからないものです。少しでも多くの方に能を観ていただきたいのが私の希望です。そういう意味で言えば、来年講座を担当させていただけることは大変嬉しいです。もう少し椙山で僕の講義をとってくださる人を増やしたいなあとは思っていますが。金曜日の午後は椙山高校で授業、来春文化情報学部に入学がきまっている方々対象でしたが、みんな素直で元気な子で、よい大学生になって頂きたいなあと思いました。そのためにも、残された高校生活の中で、精一杯「高校の勉強」をやってきて下さいとお願いしました。そのあと、群馬県に行き、土曜日には米一伯父さんの忌明法要に伺いました。小さい頃かぶと虫を捕ってもらったり、竹とんぼを作ってもらったり、本当にお世話になった伯父さんだったので、残念でした。帰り、東京駅で高校の後輩で読売新聞記者の多和田元君と、「また伊東先生囲んで一杯やりたいねえ。。」といいながら黒生ビールを飲み、帰宅しました。高校の後輩というのは、見栄張らずに割り勘で付き合えますし、ありがたいです。日曜日は「歳末助け合協賛能」長田驍先生の「巻絹」を許可をいただいて撮影させていただきました。撮影は一曲のみだったのですが、泉嘉夫師の「隅田川」まで観ました。子方なしの演出で、笛が藤田六郎兵衛師だったので、子方の「南無阿弥陀仏」の部分でアシライを吹かれるかなあとそれを期待して行ったのですが、地謡担当で残念でした。泉先生はさすがに老巧で、しぶいよい「隅田川」でしたが。。土曜日・日曜日とも子供にかまって上げられなかったので、夕方からは「パパとラーメンを食べに行こうね」と行って、一家で近くの「王将」にでかけてラーメン食べて帰りました。。論文の校正が山ほどきていて、それ以外に土曜日に六麓会のミニ発表があって、日曜日に響の会のイヤホンガイドがあって、間に合うのかなあと思っていますが。。幸い体調はいまのところ何とかなっているので、風邪に気をつけてがんばりたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年12月1日 ついに12月になりました。昨日は尺八の岩田律園先生のお宅に伺って、尺八・三曲関係の資料を拝見致しました。プログラムなどもかなり収集していらっしゃったのですが、やはり驚いたのはご自分が関係なさった催しの録音の多さで、、DATMD,CD,8ミリ、カセットテープその時々において「最も音質が良い」とされていたもので録音なさっていたのですよね。。曲名ごとにすぐに聴けるように整理して録音しなおされていて、自分が演奏される時の参考のために、整理していらっしゃるのですが、すごい資料だなあと思いました。古いオープンリールからMDに落としたのだという谷口無竹の録音を聞かせていただきましたが、まっすぐで素直で、それでいて趣があって、名演奏だなあと思いました。また色々教えて頂きたいと思っております。講義が終わった後伺ったので、なにもお土産持たずに伺ったのに食事までご馳走になって反省でした。明日は午前中は東別院の女性会館で大学連携講座の「葛城」の講義、その後椙山高校で授業をします。頑張りたいと思います。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月30日 いよいよ11月も今日で終わり、月日が経つのが非常に早いです。昨日は丹波篠山能楽資料館館長の中西薫先生と、岐阜大学教授の森田晃一先生と岐阜市内で会食いたしました。能楽資料館の機関誌「紫明」に連載させていただけるということで、その打ち合わせだったのですが。飛騨牛のしゃぶしゃぶをご馳走になってしまったのですが、とても美味しかったです。中西先生と森田先生はともに西山松之助門下で、茶道に大変造型の深い方です。昨日は能楽の話が多かったのですが。。「丹波篠山能楽資料館」は中西先生の父上の故中西通先生が創立されたもので、「紫明」も中西通先生が発刊されました。わたしは名古屋能楽堂が出来るときに、展示品のご相談のために筧鉱一先生と伺ったのが初めてでしたが、「篠山からの文化・情報発信」と「町起し」と両方を手がけていらっしゃる中西通先生の姿勢に非常に感銘を受けました。「民間からの情報発信」というのは、実際にはとても大変です。私は名古屋の地からそれができないかなあと、ノウハウを知りたいと言う意味もあって、「紫明」の会員にしていただきました。以来梅若万三郎襲名公演の資料館のバスツアーの参加者向けの講演の話を頂いたり、書評の原稿依頼をいただいたり、場所を何回もいただきました。こういう場所を頂くことが、自分の勉強になりました。今回は連載の仕事ということで、とても勉強になります。第1回は、中西通先生に「姨捨」の解説のお仕事を頂いた思い出があるものですから、「姨捨」の作品研究を書かせて頂きました。次はどの曲について書こうか、考えております。でもこいういことを考えることはとても楽しいです。今日の夕方は、岩田律園先生のお宅に尺八・三曲関係の資料を拝見に伺う予定です。楽しみです。寒くなりましたが、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月28日 土曜日は筧先生の子供能楽教室のあと、午後から大学に出勤し、古文書の読書会をしました。栗花さんが亡くなっていらっしゃらないのはやはり淋しかったです。日曜日は名古屋城で森川如春追善茶会の受付をしました。CBCの北島徹也君の誘いでしたが、森川如春はもちろん、故人と親交のあった原三渓・益田鈍翁・高橋箒庵など大正の大茶人の道具が多く、普段博物館でしか見られないものを目の前で見ることができて楽しかったです。受付していてわかったのは、能楽堂でお目にかかる人と層がかなり重なっていることで、大鼓の筧鉱一先生や名古屋市立短大名誉教授の小島広次先生は別格としても、それ以外でも能が好きな方がたくさんいらしていました。光悦の書状が掛かっていましたが、謡本の光悦流の書体と書簡とでは字体が違うのだなあとか、色々勉強になりました。とても楽しかったです。夕方は西三河地区の大学の同窓会で、岡崎に行きました。毎年の通り魚清でしたが、お腹一杯食べて、友人と子供の話や昔の話をして楽しかったです。久しぶりにビール飲んでかなり酔いました。確実に太ったと思います。今日はちょっと節食しないとなあと思います。今日はがんばって「姨捨」の作品研究を仕上げたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月25日 今日は東別院の女性会館で大学連携講座を行いました。前回に引き続いて西村高夫先生に来ていただいて、「船弁慶」の謡を教えていただいたり、唐織をもってきていただいたので、どのようにつけるのか実演したり、、とても楽しかったです。「響の会」当日いっぱい来てくださると有難いなあと思います。作品研究で「姨捨」の原稿を書きたいなあと思っています。大阪の梅若万三郎襲名披露能の時、丹波篠山能楽資料館の中西通先生にツアーの解説講師に呼んでいただいて以来ずっと気にかかっていた演目でした。実はある雑誌から依頼原稿をいただいたので、このチャンスにと思います。「書かせていただける場所がある」というのはとても幸せなことです。勉強になりますので、、大学院生のころは書く場所がなかなかなくて苦しんでいたものです。。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月22日 栗花さんが亡くなったショック、、まだ引きずっています。。やっぱりお世話になった人で、九月にお見舞いに行った時にはまた読書会しましょうとおっしゃっていた方が突然いなくなったので。。ただ、当たり前ですが、前を向いて古文書の翻刻の作業とその見直しをしたいと思います。私はクリスチャンですから「供養」という言葉は使いませんが、それが志を引き継ぐことと思いますので。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月21日 郷土史家で東海能楽研究会会員の栗花光彌さんが亡くなりました。16日に心臓発作で自宅で倒れられたそうで。。私が知ったのは昨夜でもう告別式も済んだ後でした。今日ご自宅に御焼香に伺いましたが。。遺影の笑顔を見て、あらためてお世話になったなあと思いました。栗花さんとの出会いは、本当に偶然で平成5年か6年ごろ、西尾の岩瀬文庫で古文書が読めなくてどう読むのだろうと苦しんでいたところを助けていただいた縁でした。太鼓方の鬼頭喜太郎先生の家の能楽関係の古文書の整理・解読や、大倉三忠先生のお宅の尾張藩の御用留の解読の読書会などで本当にお世話になりました。福島県出身で霞ヶ浦の予科練に入り零戦に乗っていたこと、復員後福島大学を出て三菱電機に入り、部長で退職されて、故郷の桑折町の歴史に興味をもたれたことから古文書の解読に興味を持たれ、カルチャーセンターなどに通って勉強したと伺っています。桑折町の町史編纂委員をつとめられる一方、「尾張名所図会」の解説を刊行されるなど、郷土史の分野でも大きな足跡を遺されたと思います。特に思い出に残るのは商品開発には三つのSが大切だといわれたことでした。Something New(どこか新しいものがあり) Something unique(どこか個性的で) Something best(どこかにおいて一番良い)ものが一番売れるのだと。。それで、全部新しいとか全部個性的とか、全部最高というものは売れないことが多いのだよと。。論文についてもそうであるように思います。全部新しいもの、では誰も読んでくれない分野になりかねませんし、全部個性的では何を書いているかわかってもらえないでしょう。全部一番良いものを書こうとすれば時間がかかって、実際には出せません。10年以上本当に教えていただいたことに感謝し、3Sを忘れずに、名古屋の文化の情報化を進めて後に続きたいと思います。近くに住む二人のお孫さんに駄菓子を買うのが一番幸せとおっしゃっていましたから、幸せな人生だったと思います。心より御冥福をお祈り致します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月19日 今日は名古屋能楽堂定例能、、なのですが、校務で行けません。残念です。そろそろ来年の講義のシラバスを書かなければならない季節になりました。来年の講義は何をしようかなあと。。こういうことを考えるのは結構楽しいです。「日本の伝統と文化」では、従来の能・狂言・歌舞伎に加えて、日本舞踊・長唄・三曲・筝曲なども取り入れたいなあと思っています。せっかく名古屋で盛んに行われているので。。明日は名古屋女子大学で東海能楽研究会です。中尾薫さんの発表、楽しみです。ではまた、皆さんよい休日をお過ごしくださいますよう。
2005年11月18日 私学研修福祉会の研修レポートの期日が迫ってきました。。研修に行ったら、あるいは研究費を頂いたら、必ず報告書は書かねばならないので、それは定めではあるのですが、期日が迫るとやっぱり追い込まれます。でも、国内研修は楽しかったです。楽しかったことを思い出して頑張って成果を書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月16日 助成金の申請書類、名古屋芸能文化の原稿などを書いております。助成金の申請書類って、書くときは結構面倒なのですが、やりたい研究課題が見えてくるという意味では良い勉強になります。やらなければならないことで、まだ手がつけられていないものもわかりますし。。来年度のゼミの学生さんのテーマも決まりそうで、ぜひ頑張って欲しいなあと思います。一年早いですが、、今年の「成果」を形にするためにも、今日は両方とも頑張って書こうと思います。学生さんにもこれから頑張って貰いたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月15日 だいぶ寒くなってきました。なんでこう毎日あわただしく仕事しているつもりなのに、原稿も上がらないし思った仕事もすすまないのかなあと。。ふーーっ。。手間が悪いから仕方ないのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月14日 原稿あがらずやばいのに六麓会にでかけてきました。やっぱり研究会に出ると自分も頑張らないとなあと思います。今日は翻刻原稿の校正と葛城の作品解説をあげないと。。夕方からは県立大学の非常勤に行きます。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。
2005年11月10日 まだ原稿はあがりません。。豊嶋十郎の翻刻の見直し。。本当にやばいです。。がんばります。。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月9日 今日は久しぶりに電車で来ました。なんか歩いているだけで寒かったです。今年も終わってゆくのだなあと思います。。とにかく原稿を揚げないと、前に進めません。。まだ響の会のパンフレット原稿の葛城と、豊嶋十郎旧蔵脇伝書の翻刻原稿が上がりません。。今週末までになんとかしたいですが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月8日 朝晩かなり寒くなってきました。もう冬も近いのだなあと思います。日曜日に来年の手帳を買いました。来年は45才。。ほんと中年の盛りです。。偉い先生の注釈書とか論文集とか、そのくらいの年で出されていることが多いので、、一つ私も頑張って原稿をまとめたい。。と思ってはいますが、なかなか準備ができません。。毎日がばたばたと過ぎて行きます。ただ、ここ二ヶ月くらいは能や筝曲を聴きに行く機会が多くて、そういう意味では楽しかったです。響の会のパンフレット原稿、私学研修の報告書、、書かねばならないものはやまほどありますが。。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月4日 昨日は愛知県主催の農業用水スタディツアーというのに比呂人と二人で参加しました。こども能楽教室で一緒の子の親御さんに誘っていただいたので。。九時に愛知県庁に集合、バスに分乗して豊田の緑化センターに行って、そこで「おにぎりクイズ」。。「おにぎりクイズ」って具を当てるのではなくて、このお米はコシヒカリか新種の何か(名前忘れました。。愛知県産のお米です)を当てるという。比呂人は1回目であてておにぎり貰って、ずいぶん美味しかったのか一個半以上食べましたが。結果ママの作ってくれたホットドッグにはほとんど手がつかず、全部私が食べました。そのあと枝下用水・明治用水を廻って途中下車できましたので、三時半に知立で降りました。。久しぶりに緑の中ですごして楽しかったです。都筑弥厚などの名前は小学校のころ「郷土に輝く人々」という本で読んで偉い人がいたのだなあと思ったものですが、懐かしかったです。比呂人は緑化センターでも、「あっ栗の木だっ」と見に行って栗を拾ってきたり、どうも木とか虫とか花とかが好きみたいで、僕よりも弟の真喜人の小さい時に似ているような気がします。夜は筑波大学の国語教室の同窓会、同期の江崎寛君(安城東高校)・米山誠君(蒲郡東高校)も来ていて、お互いの子育てのこととか話して楽しかったです。今日はこれから留学生さんの授業で喜多流シテ方の長田郷先生に来ていただいての能装束の体験授業、夕方からは、「かきつの会」に筝曲を聴きに行きます。明日は午前中は筧先生のこども能楽教室、午後は名古屋金春会に学生を引率してゆきます。忙しいですが、こういう仕事は楽しいです。夜、友恵がふとんを跳ね飛ばしてはひどい咳をするので困りました。。もう少し部屋暖かくしようと思います。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月2日 ある雑誌から原稿の連載のお話を頂きました。以前から書評などを依頼していただいていたのですが、まとまった能に関する原稿で、しかも連載と言うのは初めてです。初めての論文が昭和63年ですからいままで17年、作品研究を論文に発表してきて、だんだん認めていただける方が出てきたのだなあと大変有難いことと感謝致しております。頑張って、「能への誘い」が出来るようなきちんとした文章を書きたいです。いつもばたばたで、困ったものなのですが。明日は比呂人を連れて愛知県の農業用水をめぐるハイキングツアーに参加します。夜は大学の国語教室の同窓会です。とても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年11月1日 あっという間に11月になってしまいました。遅れている原稿も書類もいっぱいあるのですが、本当に月日は待ってくれません。辞書の原稿だけは、不十分ですがキアイで書いてメールで送りました。ただ、今年は前期に国内研修があったために、学部の仕事などは免除していただいておりますので、その点は勉強に専念できて本当に有難いことと思います。その割りに進んでいるように思えないのは、、体力の衰えか手間が悪いからか。。両方なのか。。「名と声は今もこの世に留まりて」のページに、サウンド技術振興財団よりいただいた費用で購入した謡曲レコードのコレクションの目録を上げました。このレコードからWAV化を行います。本当は著作権の問題のないものから、ネット上で公開したいのですが、技術的な問題と共に、もう少し著作権関連のことを勉強して慎重に行おうとおもっています。今日からは名古屋芸能文化に投稿する豊嶋十郎師筆の高安流伝書の翻刻の見直し、渡辺康さんとの共同研究の隅田川のカケリを楽譜に写した場合、演奏者によってどのように違いが出るのかの論文の執筆になります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月31日 土曜日も出勤、日曜日は教会も教会バザーも休み、、仕事が前に進んでもよいはずですが、なんかななめに進んでいるのか横に進んでいるのか、中々前に進んでいる感じがしません。風邪は少しよくなったのかなあと思いますが、完治はしておりませんし。。夕方から県立大学の非常勤。。その前になんとか仕事を上げたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月29日 今日は土曜日、、子供たちは筧先生の子供能楽教室、そのあとは明日の熱田教会のバザーの準備ですが。。明日の熱田教会のバザー、晴れてたくさん人が来てくださればいいなあと思っています。ひろくんもともちゃんも五平餅を売るのを手伝う予定なのですが。。ついに科学研究費の書類も辞書の原稿も予定通りに進まず、土曜日も朝から出勤になりました。夕方からは自分の研究室で能楽の古文書を読む研究会を行います。こちらは楽しみなのですが。。朝から喉が痛くて、ちょっと鼻声で、、完全に風邪です。困ったものです。熱がでなければいいのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月28日 辞書原稿も科学研究費の書類も、、いよいよやばいです。。。とにかく頑張って前に進まなければと思います。。ただ、なんとなく喉が痛くて、子供の風邪が移ったかも知れません。11月3日は子供をハイキングに連れていって、そのあと大学の同窓会。。それを楽しみに頑張ろうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月26日 ずいぶん寒くなってきました。子供が布団を跳ね飛ばしては咳をするので、起きて布団をかけようと思うのですが、自分も眠たくて動けなかったりして。。とくに友恵がよく布団を跳ね飛ばすので。。ずっと風邪気味で困っています。先週父方の伯父さんが亡くなりました。八十五歳でした。しばらく病床にあったので、みんな覚悟はしていたようですが、やはり淋しいです。もう少し医者にしょっちゅう通う性格だったら早めに手当てできたろうにと思うのですが。。村で最初に耕運機を導入したり、積極的な農業経営をして、村会議員もつとめたりしていました。体力があって、がっしりしていて、小さい頃遊びに行くと、よく父と一緒になって虫を取ったり竹とんぼを作って見せてくれた覚えがあります。結婚式もでていただきましたが。。冥福を祈っております。こういうことがあると、自分の年齢をどうしても考えざるを得ないのですが、、仮に寿命が八十五歳だったとして比呂人が四十七歳、友恵が四十五歳、、私が今四十四歳でいま両親に逝かれたらたまりませんから、やっぱり九十歳までは最低生きるつもりで養生しないとなあと。。伯父さんの孫は成人している人が多いですが、私はそれは望めませんから、せめて孫をつれて能や狂言を観に行って、孫の記憶に残りたいなあと思っています。そのためにもキアイを入れてのんびりしないとと思っています。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月25日 ずいぶん長く開いてしまいました。その間もブログの「椙山生の羅雲寺」の方はなんとか更新できたのですが。。やはりブログはネットに接続できる環境さえあればどこからも更新できるので、ホームページ作成ソフトが必要なホームページに比較すると更新がラクです。。「椙山生の羅雲寺」の方も御覧いただけますと幸いです。ひろとはざりがにを釣ってきまして、チビキングと名づけて煮干をやっております。しろたんというアザラシのぬいぐるみを買って来てまくらにしておりますが、一匹しかないのでひろととともえと取り合いになることがあります。日曜日にはようやく風俗史学会の発表が終わりました。日曜日の夜は打ち上げに家族で回転寿司にでかけて、チョコムースとか、うどんとか、ジュースとか寿司以外のものもいっぱい食べて帰りました。。今週は科学研究費の申請書と辞書の原稿をなんとしてもあげなければと思っています。そういいながら、夜は伏見の電気文化会館の「尺八いまむかし」というコンサートを聴きに行きます。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月19日 昨日、久しぶりに千種の掛かりつけの内科のお医者さんに行きました。しばらく大阪に研修に行っていて、その後一月近くなりますが、なかなか時間がとれなかったものですから。。大学の健康診断の血液検査、例によって肝機能関係が軒並み要注意でしたので、その再検査をする目的もありました。採血前に血圧をはかってもらったら、、「あれ、いつもよりも血圧高いですね。。上が150で下が90ですよ。。」と、、以前から会議の前後に血圧が上がるというようなことはあったのですが、会議もないし、平常授業だけでこうなるのはやはりコーヒーの飲みすぎや、辛いものを食べ過ぎたのかも知れませんが。たまにちょっと頭痛がしたのは、そのせいだったのかと思いました。続くようならばきちんと検査しないとと思います。研修から帰ってきて、いろいろな論文・書類・原稿なども出さねばなりませんから、そういったことがストレスになっているのかも知れません。今週末には日本風俗史学会大会での研究発表も控えていますし。ただ、全部自分の研究に関係することですから、血圧と体調に注意しつつ、出来る範囲でがんばってやろうと思います。ホームページに比較すると、ブログの更新は遥かにラクです。ホームページからリンクしております「椙山生の羅雲寺」もほぼ毎日更新できておりますので、ぜひごらんください。あとに残る仕事をしつつ、長生きしたいです。理想はやっぱり90才過ぎていまも後進の指導をなさっている小西甚一先生ですが。。及ぶわけありませんが、あやかりたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月15日 昨日はめずらしく忙しい日でした。でも能の関係のことばかりだったので、楽しかったですが。。午前中は東別院の名古屋市生涯学習センターで大学連携講座でした。たいへん熱心な方が多くてありがたかったです。12月11日の「響の会」の学生向特別鑑賞券を西村高夫先生からお預かりしていますので、その会で上演される船弁慶・葛城と狂言の茶壺を教材として行います。来週は西村先生が名古屋にいらっしゃいますので、講座の中で船弁慶・葛城の謡を謡って、初歩の稽古を体験していただこうと考えております。私の望みは、とにかく能楽堂にでかけて能を観て下さる方を増やしたいということで。。やはりテレビでみるのと実際に観るのとでは全然違いますから。。特別鑑賞券は昨日のみで14枚売れました。もっと行って下さる方が多いとありがたいなあと思います。私自身もイヤホンガイドをやる予定ですので。。午後からは椙山の留学生対象の日本事情の授業、喜多流の長田郷先生にいらしていただいて、猩々の仕舞の体験実習を行いました。だいぶ謡えるようになったなあと思います。11月10日には提携校の学長先生がいらっしゃるということで、みんなその時にみんなだけで謡うんだよ。。と、、発表会をめざして、みんな頑張って練習してくれています。夕方から名古屋能楽堂定例能に行きました。大槻文蔵の融。。笛の藤田六郎兵衛先生が実に素晴らしかったです。自己主張するでなく、シテを引き立たせて、、如何にも月光の中で往事の栄華を偲んで貴族の霊が舞っているという感じがしました。いま一番の笛方ではないかと思います。大槻文蔵は端正で昔から好きでしたが、昨日もすっきりとしていて、上品で颯爽とした貴族の幽霊でとてもよかったです。わたしは高校時代、大槻秀夫の大ファンでした。考えてみればあれから30年近く経っているのですから、年齢的には当時の大槻秀夫の年に大槻文蔵もなっているのかも知れません。大槻秀夫も品のあるひとでしたが、技術は大槻文蔵のほうが上ではないかなあと思いました。残念だったのは満席でなかったことと、、400人くらいだったのではないかと思いますが。。能楽協会の著作権問題で能楽堂が一切記録を撮らないことにしたため、カメラ・ビデオによる記録が全くのこらなかったことで、、あの名演も観た400人程度の人の心に残るのみで形としては残らないことです。新聞記者の方の姿もみかけましたが、ある新聞の記者さんは、著作権問題があって定例能の写真は撮れないということなので、能評の記事は出せないなあとおっしゃっていました。あれだけの名演なのだから、事前に宣伝するなり、ファンの拡大のためにも能評を出せるようできればいいなあと思いましたが、、現行の著作権法では問題があった場合、撮影者のみならず主催者に責任があるとされていますから、名古屋市としてもどうにもできないのかなあと思います。それは残念でした。来年度から能楽堂は名古屋市の管理を離れて指定管理者の管理になるそうです。赤字でしたからしかたないのですが、定例能など、名古屋市が関与したからこそ出来た事業もたくさんありました。それがどのようになるのか心配です。高校の同窓生と名古屋城茶会をなさっているグループの方と、帰りに一緒に食事をしました。茶道をなさっている方がされているお店で、名前、、漢字が難しくて読めなかったのですが、とてもおいしかったです。みなさんお茶をされているので、骨董や道具の話が多かったのですが、、掛け軸とか茶杓とか、どれも私の小遣いどころか給料を越えるような値段なのですよね。。購入する一方市場で手放されることもあるようですが、、「お茶にはまるとお金かかりませんか。。」と申し上げたら、「いやー、首しまってますよ。でも楽しんでいるので。。」と。。私の古書店通いと似たものなのでしょうね。。いつも家内に「そんなに本集めて、、読むの」と言われるのと同じで。。でもお話していてとても楽しかったです。帰宅したら11時半でした。今朝の毎日新聞の20面の「おはよう愛知」に「県教育委員長に加藤勤委員選出」という見出しで、加藤勤先生が顔写真入りででていました。私にとっては中学校二年生、三年生の担任の先生でした。国語の先生でしたが、当時私は理科系に進みたかったので国語にはあまり熱心ではなく、成績も並かそれ以下だったように思います。ただ、加藤先生は黒板の字が大きくてすごくきれいで、話がわかりやすくて、、ロマンチストでしたから作品の面白さを伝えるのにはすごく良い先生だったと思います。小説の授業、、「正義派」とか「トロッコ」「晩夏」などを扱った授業のすばらしさはまだ覚えています。30年前の授業を鮮明に覚えていられるのですから、やはり名講義だったと思います。親切で温厚な先生で、友人と喧嘩した時仲裁していただいたこともあります。現在63歳、、当時30代前半だったのだなあと思いますが。。中学の同級生には教員になった人がやたら多いのですが、素晴らしい先生が多くて、学校が楽しかったからだと思いますが、加藤先生は、そのなかでも優れた先生でした。御活躍を祈ります。新聞でお顔を拝見できて、とても嬉しかったです。今日は一日自宅で勉強したいと思います。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月12日 アルバイトの学生さんを頼んで、サウンド技術振興財団の研究助成で購入したSPレコードの整理を始めました。昔の謡い方といまの謡い方で結構違いがあるのではという関心から、昭和40年代くらいからのオープンリールの稽古テープや、謡曲のSPレコードの収集をはじめたのがきっかけです。大阪大学での国内研修中に、謡曲や長唄をSPレコードで稽古したという雑誌記事を複数見つけ、「それまで謡い会や長唄の会に行った事のない人にその芸を知らせたり教えたり出来る」という意味で、謡曲や長唄の普及にレコードがかなりの貢献をしたのではないかと思い始めました。少しずつWAVファイルに直しています。レコードは一枚ずつ購入するよりも古書市などで「山買い」したほうが値打ちに買えると言うことがあるものですから、いろいろなジャンルのものが集まってきました。とりあえず、自分が何を購入して持っているのか。。自分で整理はじめたら、一枚を「じーーーっ」と見てしまって全然整理が終わらないのですよね。「あーー、近藤乾三か。。この人の最晩年の独吟聴いたよなあ。。いかにも宝生だった。。」とか。。アルバイトでやっていただけると本当に助かります。無論予算がありますから、予算範囲までしかお願いできませんが。。できたところまででも逐次ホームページで公開して行こうと思います。「名と声は今もこの世に留まりて」というページに致しました。この収集と整理を通して、少しずつ戦前の伝統芸能の研究が進んでゆけばいいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月10日 体育の日です。でも雨が降っているのでどうなのでしょうか。。昨日は神戸の六麓会で「ラジオ放送と能楽」という題で発表して来ました。昭和初年の能楽の状況について、大阪大学・神戸女子大学能楽資料センターなどでコピーさせていただいた資料から発表したのですが。。考えてみますと、東海能楽研究会以外で、名古屋からでての研究発表って本当に久しぶりでした。六麓会にしてはちょっと参加者少なかったですが、20代30代の若手研究者が多くて、名古屋でももっともっと若い人を増やさないとなあと思いました。だいぶ緊張しました。席上では、サウンド技術振興財団の助成金で購入することのできた、井上嘉介や貞光義次などの能楽SPレコードの音源や、科学研究費で行った西村弘敬師・福岡周齋師が遺された最晩年の稽古テープをWAV化したものをパソコンで聞いていただきました。味方先生に、京都の昭和初期の囃子方である貞光義次の芸系について教えていただいたり、西村弘敬師の謡方が西村欽也師に似ていることを教えていただきました。また宮本圭造さんに歌舞伎の音源について私と同じような関心で調べていらっしゃる方がおられることを伺って大変参考になりました。わらんべ草の輪読の陶原洋子さん、七太夫仕舞附の間狂言について発表された長田あかねさん、ともに若い人の発表ですが、きちんと調べておられて好感が持てました。若い人の発表は、何よりも「今」目の前にある資料から、小さくとも何が言えるのかを人前できちんとまとめて話す訓練が必要で、資料に掛れていないことを言ったり自分の思いつきを話すような人は伸びません。この二人は将来が楽しみだなあと思いました。帰りの電車で東海能楽研究会の三苫佳子さんと一緒に帰ったのですが、東海能楽研究会でもなにか輪読ができるといいなあと話しました。私は間狂言の伝本を集めて、間狂言の輪読などしてみたら面白いのではと思いますが。。輪読はみんなが資料について知識を深められますから、よい方法だなあと思います。楽しい一日でした。緊張したせいか、いま身体がだるいです。今日は家で静養したいと思います。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月8日 今日は午前中、筧先生の子供能楽教室に子供を二人連れて行きました。運動会などで間があいてしまって、久しぶりの参加でした。友恵がちょっと体調がよくなくて、ごろごろしていましたが、それでも鼓の稽古の時には積極的にやっていました。午後からは日本風俗史学会の大会の準備会。。私も23日には研究発表です。まだ準備が途中なのですが。。こんなことではいけないなあと。。明日は六麓会の発表で神戸に行きます。これもプリントは出来ましたが、まだ生煮えです。でも、とにかく学問に少しでも関係した毎日を送りたいと思っています。事務処理能力とか、交渉力とかそういったものはどうも私には欠けているようですが、こつこつと毎日行うような資料整理のような仕事にはそれなりに向いているような気がします。人を羨んでもしかたないので、自分に向く仕事をきちんとやりたいです。明日も頑張りたいと思います。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月7日 中年日記も3日間開いてしまいました。ブログの「椙山生の羅雲寺」の方はそれでも書けたのですが。。時間が限られてくると、ブログのほうが管理は楽だなあと思います。「椙山国文学」の締切が14日、、あと一週間後です。先月末までだった「烏帽子折」の注釈が出来上がらない段階で、しかもあさっては六麓会で発表するのにまだプリントが全部はできていない状態で、それ以上の仕事なんてとても無理なはずなのですが、、それでも豊後竹田岡藩の三須錦吾と山本東次郎の藩に残る「勤録」だけでも翻刻してだそうと思って少し準備始めました。小西甚一先生・表章先生・天野文雄先生、、みんな能楽研究の第一人者ですが、そばにいて思うのは、ものすごい雑用をこなしながら、弟子にはとても親切で、講義を大切にされていたことなのですよね。決して論文だけ書いていらしたわけではなくて、それであれだけの仕事をなさったという。。私は8時間寝ないととても身体が持ちませんし、能力も資質もありませんが、講義の調べは少しでもして、そこから短いものでも形にしてゆく積み重ねをしたいなあと思っています。去年より少しでも進歩した授業がしたいです。なかなかそうはなりませんが。。研究者はお金や事業は残せませんから、「これは飯塚さんの仕事なんだよな。」と後世のオタクな研究者に評価してもらえるような資料整理とそこからの立論ができたらいいなあと思っています。もう少し身体が丈夫ならばなあと思うときもありますが、ないものねだりをしてもしかたないのだろうと思います。今日は講義がないので、1日研究しようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月4日 今日、いつも乗っている平成7年式カルタスクレセントの走行距離が10万キロを越えました。変わった瞬間は見られなかったですが、10万キロを指しているのを見たときにはやっぱりよく乗ったなあと思いました。比呂人が生まれる前に、それまでのアルトから中古車で買って乗り換えたのですが、それからでも六万六千キロ乗ったのだなあと思います。比呂人が六歳ですから、安城との往復に使っていれば、そうなのかなあと思いますが。。前の車もそうでしたから、せめて15万キロくらいまで乗りたいなあと思っています。今日は卒業研究と会議です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月2日 今日は午前中子供を連れて熱田教会の教会学校に行きました。牧師先生が、「神様は生きている全てのものをお造りになったんだよ。大きい動物をあげてごらん。。」とおっしゃったとき、ひろとの答えは「恐竜」。。友恵の答えは「お化け」で。。よその子が熊とか鯨とか答えているのと違うなあと。。うーーーんと考えてしまいましたが。。午後は鳳の会40回記念で、、佐藤融先生の花子、上品でとても良かったです。小唄がしみじみとして。。長い狂言ですが、長さが感じられませんでした。でも菊次郎先生も友彦先生ももうお孫さんがいるのですから、立派な「おじいちゃん」なのですよね。私が見始めた頃は30代でしたが、考えてみればこのあいだ還暦記念なさったものなあと。。子供が花子をひらいてもおかしくないのか。。などと時の速さを考えてしまいました。祐一先生と友彦先生の勉強会だった鳳の会も今回は佐藤融さんの花子、次回は井上靖浩さんの金岡と、息子さん世代の研鑽の場という性格も持ちはじめています。名古屋の狂言の未来も明るいなあと思いました。最後の石橋、昨日に続いての勘吉郎君の赤獅子、、もう子方ではなくて、シテとしても立派な技術でした。勘鴎先生の白獅子、最近重厚な代わりに老成してしまった獅子が多い中で、身体のきれる元気な獅子で、とても楽しかったです。白獅子もやっぱり元気でないと。。あと、昨年講義をとってくださった学生さんが御両親と一家でいらしていて、楽しみが増えましたとおっしゃっていただけたことで。。不人気な先生であるだけに、講義がおわったあとも、能や狂言を観にきていただけるというのは、本当にうれしいなあと思いました。時がうつりますが、役者も観客も次世代が育ちつつあります。もっとよい観客を育てたいです。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年10月1日 今日はひろととともえの幼稚園の運動会でした。父兄と一緒のひろくんの帽子取り、、子供をおとうさんが肩車して走り回るお父さんにとっては過酷なゲームですが、、おそらく最年長44才のひろと君のパパにとっても子供以上に緊張するゲームでありました。実はこのために、1週間くらい前から夜ひろくんとともちゃんを肩車して走る練習をしていました。この練習の成果もあって、思ったよりも走ることができました。ひろくんは結局帽子をとることは出来ませんでしたが、帽子も取られなかったので、まあよかったかなあと。。あとは父兄の綱引きと、、これも勝ててよかったです。ともえちゃんはお遊戯の前にバッチをつける位置が気に入らなかったみたいでへそまげてしまって、御遊戯できなかったですが。。でも写真はいっぱいとりました。おじいちゃんもカメラもってきてくれましたが、運動会って、子供が大きくなったなあと思えて親にとっては楽しいです。親の競技って、そのときになると負けたくないんですよね。みんな真剣になります。ひろくんは今日も友達に自分から「一緒に遊ぼう」と言えなくて、なんか落ち込んでいましたが。。がんばって欲しいと思います。昼から久田秀雄23回忌追善能にでかけました。久田勘鴎師の卒塔婆小町には間に合わなかったのですが、そのあとは全部見られました。やはり観世清和師と久田勘吉郎君の烏帽子折、、ちょうど烏帽子折の注釈をやっているときで、非常に興味深かったです。清和師の能は久しぶりだったのですが、非常に達者ですよね。絶対先代の左近よりも技術があります。ただ、今日は二箇所台詞がちがったように思いましたが。。舞台に破綻はありませんでしたから、謡本もっていなければわからなかったでしょうが。。勘吉郎君、、明らかにママ似ですよね。父親の勘鴎師よりも母親の久田三津子師に芸が似ています。。でも、私は子供としてはそのほうがずっと良いのではと思います。勘鴎先生は「役者だなあ」と思う豪快な芸をなさって、ああ、かっこいいなあと思う時も多いのですが、こういう表現って観世流にあったっけなあと思う時もたまにあるのです。。三津子先生はそういう点間違いないですから、お母さんに似た方が芸が素直でよいのではと。。でも、勘吉郎君にはこのまま真直ぐ伸びて良い役者になって欲しいです。資質からいえば今の名古屋の子方で間違いなく一番ですから、将来名古屋で梅田邦久に続く職分に育つことも夢ではないだろうと思います。久田秀雄先生が亡くなってもう23年、、神戸の上田照也の弟子で、名古屋市役所の能楽サークルなど、数多くの教室を作り、子供二人のほか前野郁子、松山幸親を玄人に育て、名古屋の能楽界に大変大きな貢献をした人でした。私は高校時代見ているはずなのですが、あまり印象は残っていません。上田照也はよく覚えているのですが。。私が見た催しでは、先生に花を持たせて自分は地謡とかだったのかなあとも思いますが。。でも子供が立派に卒塔婆小町を演じ、孫が烏帽子折を手向けるのですから、久田家も末広がりですよね。よかったなあと思います。明日は勘吉郎君は鳳の会40回記念の石橋の赤獅子、、二日続きの大役です。もちろん菊次郎先生・友彦先生が楽しみですが、勘吉郎君がどう舞うのかも楽しみです。。休みの度に能なんかみなくて、もう少し勉強すればいいのかも知れませんが、、ストレスが溜まるといっては能を見て、楽しいからといっては能を見てという生活を続けています。やはり能をみているときは楽しいです。帰りに新安城で待ち合わせて、運動会でがんばったごほうびに回転寿司でチョコケーキ食べて帰りました。。とても幸せでした。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月30日 あっという間に9月の最後の日になってしまいました。本当に速いです。烏帽子折の注釈、まだできていません。そろそろ研究費の申請書の準備をしなければなりませんが、もう講義の準備やら何やらで。。論文や研究発表の準備もありますし、ほとんどばたばたです。。ひろくんがなんか元気なかったので聞いたら、仲の良い友達に別の友達が出来てしまってあんまり遊んでもらえないとか、、からといって一緒に遊ぼうとなかなか言えないとか、、私の子だなあと思いますが、頑張って克服して欲しいなあと思います。明日は幼稚園の運動会、私もひろとを肩車して帽子取りにでます。。中年なのでつらいですが。。でも楽しんでこようと思っています。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月27日 今日は久しぶりに卒業研究ゼミをやっております。学生さんたちの元気な姿を見て安心しました。万博に関連したビデオ番組の制作を卒業制作として行うので、撮りためたビデオをチェックしています。いいビデオが出来るといいなあと思っています。一回も行けなかったのでですが、学生さんのビデオを見ると、見てみたかったなあと思います。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう
2005年9月26日 今日はずっと教材のプリントを作っておりました。船弁慶と、葛城と茶壺。。12月の響の会の演目に重なりますが、12月あたりに学生さんに観てもらえたら一番よいかなあと。。名古屋市生涯学習センターの大学連携講座も船弁慶と葛城で行います。響の会の船弁慶の前シテをなさる西村高夫先生が、名古屋の稽古の時に謡を謡ってくださるというので。。58人の定員にほぼ二倍の応募があったと伺って、ありがたいような申し訳ないような複雑な気持ちがしました。抽選で絞ったと言うことなのですが。。私としては大きな教室があれば全員に受講していただきたいです。元予備校講師ですから、150人までならば、、だいぶ体力落ちましたが、1コマくらいならば、まだマイク無しでも講議できるのではと思っていますので。。大学ではほんとーーに不人気で、50人が埋まりませんが、来てくださった方には、まあ興味持てたといっていただけるように頑張りたいと思います。夜は古文書の読書会でした。大倉七左衛門家の「御用留」を読んでいるのですが、本当に面白いです。明日は卒業研究です。久しぶりのゼミになります。成果が楽しみです。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月25日 昨日は校異の部分、やっぱりぜんぜん上がりませんでした。。「ねぇぱーぱ、小さい時パパが遊んでくれないと、大きくなって暗い子が育つのよ。。」とか、、どこで覚えたんだそんな台詞と言うようなことを子供が言うので。。一緒に昼寝をしたらパパのほうが熟睡してしまい、ひろとはくわがたのおもちゃで、ともえは太鼓のばちを持って遊んでいましたが。。今日は熱田教会休んで家で仕事します。特別伝道集会で家族はみんなでかけているのですが。。家の中が静かです。。気合い入れて頑張ります。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月24日 連休の2日目です。今日中に烏帽子折の注釈の現行曲の校異の部分だけでもあげたいですが。。目が醒めたらひろとが「パパおんぶ−」といって乗っていて、その上に友恵が「おうまさんごっこするー」といってまたがっていて。。「パパつぶれちゃうよお」と言いながら起きたのですが、勉強していても「おばけごっこをするー」とか「おもちゃの太鼓のばちがどこかいっちゃったーー」とか大騒ぎで、、全然進まないのですよね。あきらめて10時に二人連れて近くの公園にでかれて自転車の練習をして、、ともえの補助輪付きの自転車を、まだこげないものですから、ずーっと前の籠を持って引っ張っていて、腰が痛くなりました。。11時すぎに家に帰って、家内とバトンタッチ、、家内が買い物に連れていってくれているので、その間は私の時間です。子供がいると、結局自分の時間はないですよねえ。。特に母親は。。父親でも「仕事させてくれーー」と思うのですから。。8年前の自分だったら子どもに「ここからはいってこないよーーに。」とか言って鍵かけて能の勉強していたでしょうが、これが38歳と40歳過ぎての子どものありがたいところで、1時間ちょっとくらいなら「まあいいか」と遊んでやれるのですよね。。日本の人口減る理由わかりますが。。でも二人とも元気で感謝しております。病気や怪我をされたらそれこそ付きっきりになりますし、心配ですから。。静かな時間、少しでも勉強したいと思います。ではまた、御元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月23日 今日は秋分の日でお休みです。ひろとはおじいちゃんといっしょに笹島のポヶパークに行くとかで朝からでかけて行きました。友恵は風邪が抜けなくて行けなくて残念でした。午前中は友恵と買い物、そして家のそばで自転車の練習をしました。長年使っていたPHSをついに携帯電話に変更することにしました。お世話になっている方々に、携帯電話に変更したお知らせをメールで送りました。まだお知らせしなければならないところは多いのですが。。これまでのPHSは年末まで家内に持ってもらって、あとは解約する予定です。こんどの携帯は高かっただけあって、すごく色々な機能がついているのですが、なんだか使い方がわからなくて。。まごまごしています。慣れるまでまだしばらくかかりそうです。この連休中になんとか、烏帽子折の注釈を仕上げたいのですが、なんか眠気があって、、思いきり昼寝してしまいました。。これからがんばってやろうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月22日 二時間目の日本文芸入門、四時間目の能・狂言、受講者きてくれるか心配していたのですが、日本文芸入門は50人近くいてくださって、後期の講義としてはすごく多くて嬉しかったです。能・狂言のほうは同じ時間に人気の講義があることもあって、5人でしたが、続きそうで嬉しかったです。やはり講義ができるとがんばろうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月21日 いよいよ今日から後期の授業開始です。基礎演習・基幹演習とも後期は人数が少ないのですが、私の講義を受講して下さった方達が受講していてくれて嬉しかったです。教員にとって、以前とってくれた学生が他の自分の講義もとってくれるというのはすごく嬉しいことです。二つともビデオ制作をしますが、よいものができるといいなあと思います。明日は歌舞伎・能狂言の講義です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月20日 今日は国内研修最後の日です。半年間、本当にあっと言う間だったなあと思います。でも大阪大学の演劇学研究室で天野先生の講義・演習に参加させていただいて、天野先生が講義の準備でどのようなことをなさっているのか見せていただき、大学院生さんを含めて色々研究なさっている方とお話しして自分が大学院生だったころよりも随分研究が進展していることがはっきりわかってよかったです。どうしても名古屋にだけいて、これまであまり東西に行かなかったので。大阪が高速バスででかけても近いことがわかりましたので、これからは大阪・神戸・京都の研究会にもでかけたいと思います。今回の成果は「近代能楽史の研究」という形で本にまとめられるように頑張りたいと思います。注釈の方法も習いましたから、いまの「烏帽子折」はもちろん、いろいろと取り組んで行きたいと思います。研究に関して言えば、やっぱり私は能しかできないなあと思いますが、能が好きな人は長唄や琴やお茶や歌舞伎や色々な芸事がやっばり好きでそういう他の芸能や劇と絶えず交流があるのですよね。大阪大学の新聞のデータベースとか調べながら、他の芸能への目配りもしなければと思いました。明日からの講義がんばりたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月19日 今日は敬老の日。。昔は還暦と言うとおじいさんでしたが、いまは還暦といってもという感じですよね。。今日は京都の河村定期能に行きました。河村隆司先生の通小町と味方健先生の遊行柳、河村能舞台ははじめて伺ったのですが、入口など京都の普通の家という感じで、雰囲気がありました。能って本来こういう役者が近くにみえる小劇場的な演劇なのだなあと。。名古屋能楽堂で遠くから見るのとまた違った迫力がありました。どちらもとても面白かったです。あと茂山忠三郎の萩大名、若手の良暢さんが、いまどきの若手には珍しいような上品さがあって良かったです。うまいというだけではあの上品さはでないと思いますが。。とってもいいものをみたなあと思いました。行きは高速バスでしたが帰りはバスが満席で切符がとれず、在来線を米原で乗り継いで新快速で帰って来ました。京都駅17時59分で安城20時35分着ですから2時間半、3000円かかりませんでしたから、これならば許せるなあと。。わたしは新幹線がどーーしてもなんかもったいなくて乗る気になれないのですよね。板についた貧乏性なのでしょうが。。米原駅で月見うどんを食べて夕食にしました。。わびしいけれど、こういうわびしさって実は好きです。。明日は研修最後の日、烏帽子折の原稿を書いて過ごすつもりです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月18日 友恵が風邪気味で咳をしていたので、私とひろとのみ熱田教会に行きました。昼はヨシュア会〈壮年会〉の作った親子丼、とても美味しかったです。ひろとはおじいちゃんとともに帰り、私は東海能楽研究会へ。小島英幸先生の御発表でした。現在のツヨ吟がいつ出来上がったのかについて。。小島先生はいまの謡曲の旋律には声明にない動きがあり、それは西洋音楽にある要素なので、キリシタン音楽と関係あるのではと言われるのですが。。でも当時のキリシタン大名の話とか史料を出されますとキリシタンと権力者・その周辺の芸能者との関係はもっと検討すべき課題だなあと思いました。80才をとっくに越えて張りのある声で発表なさっていて、私も80才過ぎたらああありたいなあと思いました。もと岐阜大学の化学の教授をなさっていたのですが、観世流の謡曲に堪能で。。戦後直後の能楽協会の「能」にすでに投稿なさっていますから、戦後の東海地域能楽界についてほんとうによく御存知です。とても楽しかったです。明日は京都に能を拝見にゆきます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月17日 今日は名古屋観世九皐会でした。観世喜之先生の菊慈童、上品でかわいらしいのですよね。もう古稀と伺っているのですが。舞っている姿は若々しくて。。さすがだなあと思いました。明日は東海能楽研究会、小島英幸先生の御発表です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月16日 今日は自宅で烏帽子折の注釈をやっておりますが、、なんか眠くてなかなかすすみません。講義の準備も合わせてやっております。日本文芸入門では、能・狂言もしくは歌舞伎をみて感想を書くと言う課題を毎年だしておりますが、今年も椙山の学生向けの御園座チケットの斡旋をしたいと思います。中村勘三郎の襲名披露興行です。。いつもでしたら教室でいうのですが、というか、前期に伝えるのですが、今年は国内研修でおりませんでしたので、21日から掲示板に押さえてある日付けをはり出します。ただ、この日記でも発表しますので、学生さんでもし行きたい人がいましたら、メールで知らせていただければすぐ手配します。その際は学籍番号をきちんと書いて下さい。卒業生さんや椙山の職員の方も御相談下さい。今回のチケットは椙山限定です。卒業生さんは卒業した研究室もしくは指導教員名をお忘れなく。。現在押さえてあるのは1等〈学生1枚17000円〉が2日の夜2枚、18日の昼3枚。2等〈学生1枚7000円〉が9日の昼3枚、15日の夜10枚、16日の昼4枚、18日の昼20枚です。私も行きますが楽しみにしております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月15日 今日は午前中は床屋にでかけて伸び放題の髪の毛をばっさりやってもらいました。頭がちょっと軽くなってうれしいです。午後は名古屋市芸術祭の合同審査員打ち合わせ会。。今年伝統芸能部門は三件、例年より1件少なくてちょっと淋しいですが。。でもどれも頑張っていただきたいです。楽しみです。家に帰ったら母が足をひねって、足の骨にひびが入ったとか。。ギブスをしていまして全治3週間ということでした。別に入院したわけではなく、日常のことはできるのですが、やはり痛いみたいで。。早く治るといいなあと思います。明日は1日家で原稿を書きます。ではまた、みなさまお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月14日 昨日は椙山で健康診断を受けてそのまま大阪大学に伺いました。大阪大学にも本当にお世話になったなあと思います。ああ、もう半年おわりかあと少し感傷的になりました。昨日の夜は天野文雄先生にすっかりごちそうになってしまいました。こちらがごちそうしなくてはいけなかったのですが。。子供にお菓子までいただいて本当に恐縮でした。そのまま石橋のビジネスホテルにとまり、今日は京都の味方先生の能本を読む会に出席しました。今日は定家でしたが、現在偽書とされている定家の三五記など、禅竹が定家と信じきって受容しているというお話など大変興味深かったです。あと、式子内親王が作品としての「恋の歌」の添削を「和歌の師匠」である定家に依頼した話から、定家と式子内親王が道ならぬ恋に堕ちたという話が作られて行く過程の話とか。。なるほどと思いました。そこで六麓会にもいらっている若手の研究者のかたにお目にかかったのですが、最近御結婚なされたとか、よかったなあとおもいました。講義の前に大学の同級生で芥川賞作家の朝比奈英子さんと伊勢丹の11階の豆腐料理のお店でランチをとったのですが、大変美味しかったです。あと豆腐って意外とボリュームがあるのだなあと。。お腹いっぱいになりました。御主人の朝比奈君にも会いたかったなあと思いましたが。。高速バスで名古屋に戻りました。バスの中で、「椙山の先生ですよね、去年受講致しました」と挨拶されてびっくりしましたが、嬉しかったです。教員というものは、自分の講義おぼえていてくれるとやっぱり嬉しいです。渡辺康さんと食事をとりながら隅田川のカケリの楽譜作成について打ち合わせをし、帰って来ました。能楽・文学についていろいろ新しいことを知ることのできた、充実した二日間でした。来週の今日が講義初めです。明日は名古屋市芸術祭の打ち合わせが名古屋でありますので、午後はでかけますが、午前中は烏帽子折の注釈原稿をあげる予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月12日 今日は気合いで「吾妻能の周辺」という論文の仕上げをしました。論文の仕上げって、やっぱり最後は「えいやっ」と思って書いてしまう部分があって。。論理の上に、「ここまでは言えるだろう」という新しい部分がないと自分でもつまらないのですが、なんとか少しは書けたのではないかなあと思っています。これは紀要に出すもので、学会誌に投稿するものではないのですが、学会誌に投稿するものの足場固めとしては自分としてはまあ満足が出来ました。無論評価は人がして下さるもので、自信があってもぜーんぜん論文に引いてもらえなかったりするものも多いので、なんとも言えませんが。。再来年には「近代能楽史の研究」という本を出したいのでその一部になります。なにせ論文10本はないと本になりませんから。。まだまだ先は遠いです。明日は大阪に行きます。研修期間中最後の大阪行きです。本当にお世話になったので、みなさんにお礼を言わなくてはと思っております。何よりの恩返しは研修中えたものでちゃんと認められる論文・著作を書くことですが。。今晩からは烏帽子折の注釈をします。これも今月中が締めきりなので、授業準備の合間にやることを考えるとかなり気合いがいります。寝る間はぜったい削れませんから、無駄な時間を削るしかありません。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月11日 子供達は教会に行きましたが、論文がほんとーーーにやばいので私は家で執筆しております。材料は一通りは揃っていますし、下原稿は書けているのですが、なんだか気にいらないのです。なんかもう少しすっきり言えそうなのですが。。ふーーっ。。早く揚げないと烏帽子折の注釈も辞書の原稿もありますし、風俗史学会の全国大会の発表原稿も必要ですし。。パニックです。でも勉強の用事ばかりですから、その点は恵まれているのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月10日 研修期間もあと10日、、論文や報告書の下原稿を考えるとやっぱり相当忙しいです。今日は筧先生のこども能楽教室でしたが、さすがに疲れて元気なかったので、家内と子供ででかけてもらって、私は家で静養しておりました。昼は久しぶりに一家で回転寿司にでかけ、、看板をみてひろくんが「らに」を食べたいなあと。。「らに」ってなんだろうとよく字を見たら「うに」でした。寿司屋さん独特の書体なのでわからなかったようで。。まだ「うに」は食べられないようで、やっぱり止めるといって食べませんでしたが。。家に帰って一家で昼寝をし、そのあとホームページの更新をしています。現在名古屋市名東区大針の「衣の民俗館」〈高橋春子館長〉で9月17日まで行われている「裁縫雛形と被服教育展」に名古屋裁縫女学校、つまり椙山女学園で学ばれた筧ぎん氏裁縫雛形が展示されています。名古屋裁縫女学校に課題として提出されたもので、提出物である証拠に学校の朱印が押されています。筧先生のお宅で、「母親の形見だけれど飯塚さんは椙山の先生だから」と言ってはじめて見せていただいたとき、その精巧さに驚きました。とてもいまの高校生くらいの年齢の人が作ったものと思えませんでした。筧ぎん氏は名古屋市の小学校の家庭科教師として活躍されたと伺っていますが、この裁縫雛形は当時の名古屋裁縫女学校の熱気をいまに伝える貴重な資料と思います。わたしは小さい頃、いつも母親の手作りの服を着ておりました。いま教室にプリントをもってゆく袋は家内の手作りです。子供のパジャマや浴衣も家内の手作りで家内には感謝しております。これからは子どもが減って行く社会ということです。テレビで経済的な原因で子供が作れないと言っている若い人がいますが、そういう人がブランドバッグとか流行の服などを着ていると私には違和感があります。今の仕事が充実していてまだ子どもは欲しくないというのならば、私も35歳までそうだつたので、問題と思いながら理解はできるのですが。。服も食事も、私にとっては親や家内が作ってくれるものがいつでも最高なので。いまの大学は社会に進出する方法を学生に教えます。それはそれで素晴らしいことですが、私は家庭の良さとか、家族の手作りのものの良さと言うものも若い人には知っていて欲しいです。。いまの社会で私などは反動分子かも知れませんが。。でも若い女子学生で、職業としてだけでなく家族の服を作ることに興味を持ってくれる人が増えることを祈っています。眼がさめたのでこれから論文を書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年9月9日 今日は下宿を引き払って、安城に帰って来ました。半年間でしたが、なかなか便利で気に入っていました。とくに感心したのは浴室乾燥機で、一日分の衣類ならば天気を気にしないで洗濯できるというのはすばらしいなあと思いました。半年間あっという間でした。でも毎日能のことだけ考えて暮らせるというのは非常に幸せでした。そういいながら、夏休みはあと11日間あります。来週も大阪・京都に行きます。がんばって勉強したいと思います。お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月29日 今日は昨日に続いて軍記と語り物研究会の研究集会に参加しました。午前の部の流布本の成立に関する発表、久しぶりに文献学的な手法の本格的な発表を若い人がするのを聞いたような気がしました。紙背文書まで視野にいれてきちんと考察していて、地味ですがよかったです。研究集会終了後は名古屋大学図書館で大阪朝日新聞と大阪毎日新聞の縮刷版から、能のラジオ番組を探す作業をしました。ともに昭和3年の1月分しかできませんでしたが、名古屋放送局から本田秀男が放送していたり、京城で津村きみ子が放送していたり、新しい発見がありました。夜は高橋春子先生のところに伺い、筧鉱一先生の母親の筧ぎん氏が名古屋裁縫女学校、つまり椙山女学園に在籍されていたときに課題として制作された衣服の雛形を撮影しました。これはこのホームページからぜひ発信したいと思い、準備しております。わたしは小学校・中学校のころは母親の作った服を着ておりました。それが自慢でした。子供の服を作ることのできる母親って、やはり子供にとっては愛情が感じられてよいように思います。雛形を撮影していて、これを作る「思い」これを母親の形見として大切に保存される「思い」というものが感じられて、古い雛形ですが、非常に心惹かれました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月28日 今日は名古屋大学で行われた軍記と語り物研究会の研究集会にでかけてきました。池田敬子先生の太平記などで義経が修羅道から生まれ変わった人物として描かれているという説と太平記西源院本の記事は、謡曲の八島を考える上でも非常に参考になりました。軍記の研究者にとって有名な記事が能の研究者にとってそれほど有名でないということは、他でもあると思いますが、今日の発表者が挙げられた義経関係の資料は、謡曲の研究者にとってもとても有益だったのではと思います。ただ、なぜかちょっと疲れ気味でしたので、討論は聞かずに帰って来ました。明日も二日目がありますので、ぜひ伺いたいと思います。名古屋は山下宏明先生を中心に軍記物語研究の全国的に見てももっとも盛んな土地でした。つい5.6年前まではそういいきれたのですが、最近ちょっと若手が淋しいかなあという気がします。各大学の文学部が改組で姿を消し、日本文学が退潮であるためなのですが。研究集会でも、新しい顔がちょっと少ないかなあという点が気になりました。院生さんはちらほらいたので、そういう人たちにはぜひ頑張って引き継いで行ってもらいたいと思います。いま学生さん達に日本文学の面白さを伝えることが、そういう人達が親の世代になったときの文学の隆盛に大きく関係します。わたしも母親に童話を読んでもらったことが、幼児期の良い思い出になつていますし。自分にできることとして、大学でがんばって学生さん達に教えてゆかなければと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月27日 とんぼが飛んで、夏も終りだなあと。。今日の午前中は、家内と子供は安城文化会館の忍玉乱太郎ショーにでかけました。帰って来て、たのしかったと。。幼稚園でチケット買ったお友達はみんな近くだったみたいで、そういうのもよかったようです。ともえに聞いたら、「あのねえ、ともちゃんは給食のおばさんにしかられちゃったのよ。。」と。。劇の中で給食のおばさんが出てくるのだそうですが。。まだ内容はよくわかっていないようですが、楽しめたようでよかったです。午後は論文の草稿を書いていました。とにかく研修で自由時間もらっているのですから、論文だけは気合いいれて書かないとと思っています。明日は名古屋大学で行われる軍紀物語研究会に行こうと思っています。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月26日 高速バスで大阪から帰ってきました。今日は夏休みの終りのせいか若い人が多くて中年はちらほら。。バスはかなりこんでいましたので、中年の人の隣に座ってたそがれて帰って来ました。家内と子供も千葉から無事帰宅、台風はあったものの、千葉でのんびりできたようでなによりでした。国内研修もあと3週間。。がんばります。ではまた、みなさまお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月22日 今日は午前中家内が用事で外に出るので、私が子供の世話をすることになりました。家の中ではみんな退屈してもたないだろうということで、補虫網をもって岡崎のほうの公園をめざしました、、が、、道が綺麗になっていて、どこでまよったのかめざす公園にはつけなかったので、目標を変えて岡崎公園に行くことにしました。途中で愛知教育大学附属岡崎中学校の前を通って懐かしかったです。パパはここを出たのだよと言いましたが、子供達にもここで勉強して欲しいような気が。。中学の仲間は数は多くないですが、いまだに結構付き合いあるものですから。岡崎公園も前と駐車場が変わっていましたが、なんとか停めて公園に入りました。網をもってさあセミ採りと思いましたが、安城公園よりも高いところに蝉がとまっていてなかなか採れません。一匹だけひろとが捕まえましたが、逃がしてやりました。しおからトンボが飛んでいて、これも狙いましたが逃げられました。岡崎娘の天守閣、天守閣のみは大人200円、子供5才以上100円です。300円はらって、夏休み企画の子供塗り絵をやり、ひろくんもともちゃんもその塗り絵を下敷きに作ってもらって大満足でした。展示室、、僕は具足とか刀とか鶴田卓池の書とか古文書とかゆっくり見たかったのですが、、というか、僕は子供の頃からそういう古いものが大好きだったのですが、ひろともともえもぜんぜん興味しめさなくて、「これって戦いの道具なの。ひろくんは戦いはきらいで、電車が好きなのよ」といって展望台で、「あーっ名鉄本線だーっ。愛知環状鉄道だ。あの電車は新しいのよーーっ。パパ見てーーっ。」と。帰りに矢作の八丁味噌のカクキューの工場の直売店によって、千葉のおばあちゃんへのお土産の八丁味噌を買って、家に帰りました。そのあと、ひろとがうどんを、ともえがチョコケーキを食べたいといったので近くの回転寿司にでかけ、帰って昼寝しておりました。夜は大学の二年後輩で文化関係のサークルの助成金などに明るい岡明彦君と筧先生と来年度の能楽関連の助成金についての打ち合わせを行います。今年は筧先生の中村区の教室で文化庁の助成金がいただけて本当に助かったのですが、できれば他の地区でもこのような能楽教室が行えると有り難いものですから。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月21日 残り1ヶ月を切りました。この1ヶ月で、出版社から頼まれた「烏帽子折」の注釈と、「野宮」「鉄輪」「松風」「隅田川」の辞書原稿、紀要原稿2本と秋の風俗史学会全国大会の発表準備を行わなければなりません。もちろんぜんぶ少しずつ手はつけていますが、仕上げるには体力と気力が必要です。。さいごドタバタになりそうですが、原稿依頼があるということは、頼んで下さる方がいらっしゃるということで、チャンスをいただいた分がんばらねばと思っています。。今朝は一家で熱田教会の礼拝に参加し、お昼は役員会のおばあちゃんは教会で、あとは喫茶店で食べて。ひろとの頼んだアイスココアって、値段高いなあと思ったらものすごい量のアイスクリームが上に乗っていて、値段相応とは思いましたがひろくんもさすがに降参で、友恵もパパも半分お裾分けをもらいました。家で昼寝するのかなあと思ったら、ひろともともえもおじいちゃんの家に行って遊ぶと言うことで、子供の世話で家内も行ってしまいましたから、一人で勉強致しております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月20日 研修期間もあといよいよ一月です。一日一日がとても貴重です。今日は午前中はひろととともえを連れて中村区米野のコミュニティセンターの筧先生の子供能楽教室に連れて行きました。子供の数も常に10人を越えるようになり、付き添いのお母さん達も、子供と一緒に小鼓を打ったりしてだいぶ軌道に乗ったのではないかと思います。文化庁の助成金をいただいての受講料無料の教室ですが、こういう教室がもっと増えて、子供達がもっと能楽に触れてくれればいいなあと思います。この能楽子供教室については喜多流シテ方の長田郷先生の奥様がプログで伝えていてくださいますので、そちらもぜひ参考いただきたいです。一切費用かかりませんし、土曜日の10時から11時までの一時間のみですので。。内の子たちも羽衣のクセの「ここも妙なり天津風」くらいまで無本で謡えるようになりました。物覚えの悪い父親とは大変な違いですのでほめてあげました。帰りにラーメン屋でお子さまセットと醤油ラーメンと餃子をとって帰宅しました。一家で昼寝、、内の子達が「パパー、暑いよおーー。冷房きいてないよお。。」といいながら僕の寝ている上に乗ってくるのでまいりました。二人あわせると40キロ近くあるので、「パパつぶれちゃうよお。。それに暑いだろうが」。と。夕方に渡邊康先生と母校の愛教大附属高校近くの喫茶店でお目にかかって、SPレコードのWAVファイル化について打ち合わせました。渡邊さんからは戦前の囃子のレコードをCDにしたものをいただいたのですが、SPレコード特有の雑音はしかたないものの、演奏そのものは絶品でした。さすがに当時の名人揃えだというのがわかります。これもクイックタイム形式にしてこのホームページから流したいのですが、70年近く前の録音なのですが、その演奏家に一人大変に長命な方がいらっしゃって昭和のはじめから平成になるまで第一線で活躍されていました。若い頃の演奏でも気合いがすごいです。。ぜひ聞いていただきたいですが。。この場合はレコードのできてから50年が著作権の目安なのか、演奏家が亡くなってから50年なのか、そのあたりをよく伺ってからやらないといけないなあということになりました。著作権についてはうといので。。でも本当にすごい演奏です。。あんなにぴたっと息の合った演奏ってそうそうないと思います。いまは帰って、のんびりしております。子供には、「パパはこれからお仕事でねえ、遊べないのよ。」といって二階にきたものですから、すこし勉強しないとなあと思います。ではまた、お元気でおすごし下さいますよう。
2005年8月19日 今日は4時27分千里中央〈桃山台〉発の高速バスで安城に帰って来ました。名古屋大阪間往復で4600円はやはり魅力です。バスの車内が若い人ばかりだとちょっと浮きますが、今日は単身赴任のおとーさんらしい人もちらほらいて、みんな小遣い倹約してがんばっているのだなあと親近感わきました。千里の阪急百貨店でお土産の4個560円のぶたまんを買って、桃山台から乗るのですが、、岐阜羽島から一宮まで渋滞で、名古屋についたのは30分遅れの7時半でした。それでも家に帰ってひろとやともえとちょっと遊べましたからよしでしょう。夕食がすんでいたので、ぶたまんは明日の朝食です。。研修のしあげの論文書かなければなあと思います。朝から晩まで完全に研究の事だけ考えられる期間って、これからもそんなにはないでしょうから。。がんばります。「椙山生の羅雲寺」の日記はいまのところ毎日更新できていて、我ながら頑張っているなあと思います。コメントは椙山の卒業生と現役生のみにお願いしますが、読んでいただけるのならば、多くの方に見ていただいて、この「羅雲寺」に御意見いただければと思います。でも、大学のメールアドレス公開したら、知人からのメール1に対して迷惑メール7という状態で。。ほとんどが出会い系サイトというのでしょうか。そういったものからで、本当に嫌になります。一瞬知っている人からかなあと思うような巧妙なタイトルがついていますから、要注意です。。羅雲寺にもたまに下品な宣伝が書き込まれて、、見つけ次第削除しますが、書き込んだ人のアドレスが海外だったりしてびっくりします。。偽装なのでしょうか。。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月15日 今日は筑波大学時代の恩師の芳賀登先生が、稲武で古橋家の古文書の研究会をなさっているので、伺いました。毎夏御盆前後の10日間、芳賀先生は必ず教え子を連れて古橋家で合宿なさいます。もう40年以上続いています。私も大学1年、2年と参加させていただきました。あのころは古文書読めなくて、泣けましたが。。生意気な学生だっただけに、自分の読めなさがほんと情けなくてこたえました。。でも、大量の古文書をどのように整理するのかというノウハウは、この合宿を通じて教えていただきました。現在満79歳で東京家政学院大学理事長と言う激職にあって、なお実証的な地方史と地方国学の研究を続け、文化史学の後進を育てようと言う本当にすごい先生です。私の大学時代もうすでに大家でしたが。。今日の私の目的は、秋の風俗史学会全国大会で発表する「明治期の名古屋能楽界」の内容をこれでよいか、先生に聞いていただくことでした。私の発表したい内容は、明治初年の能楽界の変化についてです。名古屋でも能楽師が尾張藩の扶持を離れ、新しい後援者を探さねばならない時代に、関戸家、伊藤家、岡谷家など富裕な旧藩の御用商人層の後援を受けるようになります。それと同じ頃に、仲間内で芸妓や役者に教えたり、日本舞踊の師匠とともに吾妻能の興行を行ったものを破門するなどして、能を教える範囲を限定しようとする動きがみられます。この理由について、能楽師の側にも、能を武家式楽の伝統を継ぐ高級な芸であり、庶民のものではないと限定しようとした動きがあったのではないかという説を立てようと言うものです。能を社会の上流のものと位置付けることによって、スポンサーにも自分の階級を高いものと満足させる効果があったのではないか、また現実的に謝金も高くとることができたでしょうし、高級な芸であることを理由に、興行税が免除になるなどの特典もありました。こういったことについて発表したいと申し上げました。実際の発表は全て資料をプリントに出しますが、今日はその前段階の思いつきについて話したのですが、その方向でよいだろうと言っていただきまして、能以外での「文化」と「階級」の問題、それが大衆化する過程について、豊橋の国学などについての事例を教えていただきました。能は上流社会の文化であるということは、現在は考える人はいないと思いますが、「高級な芸能である」と考える人は今でもいるかも知れません。そのように見せることが、習う人にも教える人にもメリットがある場合があるのではないか。。大阪大学で調べていた明治期の新聞から考え付いたことです。風屬史学会の発表は自分の国内研修の決算になりますので、がんばってきちんとやりたいと思います。44歳になって、指導していただける先生がいらっしゃるということは大変有り難いことだと思います。優れた先生って、いくつになっても本当に弟子には親切ですよね。わたしも80歳近くなって、後進のアイディアを聞いて、「これに関してはこういう資料があるから。。」と適格にアドバイスできる力があったらいいなあと思います。。まず自分の発表をなんとかするところからでしょうが。。合宿所で古橋家の方がいつも提供してくださる美味しい野菜料理を昼食にいただいて、芳賀先生にいろいろヒントをいただいてとても幸せな気持ちで帰りました。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月14日 昨日の夜、「椙山生の羅雲寺」を試験的に公開致しました。椙山の学生・卒業生の情報交換の場になってくれればなあという思いと、私自身、かなりジェネレーションギャップを感じているものですから、若い人の考え方を知りたいと言うこともあってはじめたのですが、会員限定にするとホットメールのアドレスが必要なので、なかなか不便なのです。それで、試験的に公開しました。書き込みは椙山の卒業生・現役生のみで、他の方はぜひこのホームページの羅雲寺にお願い致します。両方書き込みが欲しいです。椙山の良さは、わたしはやはり暖かいところとゆったりしているところにあると思いますので、下品であったり他人を中傷するようなものは控えていただきたいですが。無論講義の批判は甘んじて受けます。今朝、突然友恵が吐いてしまって、いま休日診療所に行っています。ちょっと大阪の疲れがきたかなあと思います。また金魚が元気がなかったので、ネットで金魚の病気を調べたらどうも腸炎のようで。。そのサイトの処方どおり0.1パーセントの食塩水を作って入れましたらいまは元気になりました。症状によりほんとーにいろいろな対処法があるようですので、ヤフーで検索してみてください。。ひろくんの大切な金魚なのでよかったです。でも、ウェブログというのは、ホームページよりも数段管理が楽でいいですね。なにせ特別なソフトが不要で、どこからでも更新できるというのがすごくいいと思います。私は研究資料の発信をしたいので、ウェプログのみでは困りますが、学生さんにもぜひ作るのを勧めたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月13日 今朝、先回の衆議院選挙に立候補していた友人から電話があって、今回は見送りますということでした。能を観に行く仲間が減らなくてちょっと安心しましたが、彼としてはもっと力を発揮する場所が欲しかったかなあとも思いました。彼は政党に勤めているので、時節が来ればきっとどこか場所が与えられるでしょう。誠実な人なので、政治家になってもよいのではと思いますが。。〈ぼくには教員でいて欲しかったと言う気持ちもありますけれど。。〉子供達は午後はザリガニ採りという予定で、朝から竹ひごで釣り竿用意したり、餌の煮干し取り分けたりとか、燃えています。かつての弟を見る思いがします。。神社やお寺の写真集めて見入っていた僕の幼少期とはずいぶん違うなあと。。今日の午後は筧先生のお姉様のお宅に、昭和初年の名古屋の芸事についてインタビューに伺います。85年間名古屋の東照宮のそばに住んで、琴や三味線の世界にいらっしゃったかたなので、戦前の芸についていろいろ伺えるのではないかと楽しみに致しております。暑い日が続きます。お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月12日 9日の世阿弥忌セミナー、私は東海能楽研究会10周年記念論集を配付するために車ででかけました。貧乏性というのは一生治らないもので、国道23号名四国道から1号・25号の名阪国道を抜けて全部一般道で。。朝7時半にでて、12時前に宝山寺につきました。家内や子供は京都まで新幹線、そこから近鉄で、宝山寺の上の遊園地で遊んでいて、5時半に近鉄生駒駅のそばのコンビニで落ち合ったのですが。。世阿弥忌セミナー、拾玉得花という地味なテーマでしたが、発表はどれも非常に面白かったです。とくに表章先生の、世阿弥が振り仮名・振り漢字を多用する分かりやすい表記をしていたという御発表は大変面白かったです。帰りは車に家内と子供を乗せて大阪の下宿に行き、下宿で二泊して今日帰って来ました。弟が小学校二年生の長女を連れて安城に帰省したものですから、弟の子と、うちの子と、僕と弟と五人で安城公園でセミ取りをしました。弟の娘さんはさすが真喜人の子だけあって、セミ取りもすごく上手で、バッタなどの虫も手でつかまえられますし、あっという間に10匹以上捕まえました。ひろとも教えてもらって三匹くらいとって、すごく満足でした。友恵はまだ一人では捕まえられませんでしたが、蝉の袋をもって喜んでいました。そのあと、真喜人が小川でザリガニを見つけて、、、網でさっと捕まえたのですが、さすがに上手なものであっという間に捕まえました。真喜人は小学校のころザリガニ採るとバケツにいっぱいにもってくるほど上手でしたが。。真喜人の子も生き物は大好きみたいで。。ひろともともえもザリガニ見てすごく喜んでいました。きょうは全部逃がしたのですが、ひろとは明日は真喜人おじちゃんにザリガニ採りを教えてもらうのだとはりきっています。ちくわか煮干しをえさに釣るのだそうで。。真喜人と一緒にザリガニ採ったのはどう考えても30年以上前ですが、やると昔を思い出します。。ちくわとかやってよく飼ったなあとか。夕食は実家でまきちゃんの誕生日祝いということで、みんなで食べました。本当は16日のはずですが。。まきとも30代最後かーーとか、時の早さを思います。。家族がみな健康で感謝です。楽しい一日でした。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月8日 今日は世阿弥の命日です。無論、新暦ではありませんから、正確には違うのですが。毎年世阿弥忌セミナーが行われるのですが、今年は明日の9日に生駒の宝山寺で行われます。わたしは東海能楽研究会10周年論集を参加者の方にお渡しするために車で行く予定です。拾玉得花に関するシンポジウム、楽しみです。午後の参議院、どうなるのでしょうか。。私は政治には全くうといし、そんなに関心もないのですが、もし解散となるとまず大学のゼミの2年後輩が立候補するだろうなと思うものですからちょっと気になっています。前回は次点だったので、今回こそと思いますが。筑波大学の日本文学教室で、一学年せいぜい20人程度ですから2年後輩でもよく知っていました。愛知県での大学の同窓会でもよく会いましたし。。卒業後豊田で高校の先生をしていて、椙山の大学説明会や研究室にもよく来てくれました。近代文学専攻で、卒業論文は宮沢賢次だったと思いますが、教師としての力量は相当なものがあると思います。能の会でもよく会いました。知り合って24年になりますが、彼は誠実だと思います。でも、、えらいさんになったら、能観られないよなあ。。能を一緒に観にゆける人が少なくなるとそうでなくても少ないので、それも淋しいので。。選挙やるのかなあ。。どうだろう。。やって欲しいようなして欲しくないような。うーーん。。暑い日が続きますが、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月7日 今日は午前中は一家で熱田教会に行きました。いま附属幼稚園は園舎の耐震工事中で、ちょっと庭が狭いのですが、、子供の礼拝が終わって大人の礼拝になっても、、おじいちゃんおばあちゃんは大人の礼拝に参加しましたが、ひろととともえはクマゼミとアブラゼミと揚羽蝶に夢中で。。私はひろととともえのそばにいましたので、結局セミ取りでした。。ひろとも虫取り網借りて追いかけていましたが。。さすがに私のほうがちょっとうまくて、1匹だけですが蝉をとってひろとに見せました。すぐ逃がしましたが。。8月は教会の昼食がないので、礼拝後近くのファミレスで食べて、、結局おじいちゃんにおごってもらって、そのあと家族は帰って僕は鶴舞図書館に勉強に行きました。昨日に引き続いて昭和初期のSPレコードについて。。毎日調べていると謡曲以外にも昭和初期に流行したものがかなりわかります。小唄とか童謡のレコードとか。。学生さん昭和初期の童謡とか興味持つかなあ。。能よりいいかなあ。。一回くらい講義で扱ってもいいかなあと思い始めました。夕食後にまた七夕にでかけます。ひろととともえはヨーヨーが欲しいのだそうで。。年に三日の楽しみですから。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月6日 今日は安城七夕祭です。よく晴れています。。昨日の長良川薪能、やつぱり残念です。。今日は長良川も岡崎も花火、、きっとそちらは良かったと思います。。昨日の日記には書けませんでしたが、家に帰ったらつがいのカブト虫と小さい金魚が2匹、、ひろくんがおじいちゃんに買ってもらったのだそうで。。僕40年前にそんなもの買ってもらったかなぁと。。無論カブト虫は父の実家の群馬県に行けば近くの寺の林にいましたから、カブト虫は飼ったことありますが。。今日の午前中は家内が近くのホームセンターにでかけて、カブト虫用の土とか、金魚の餌とかいろいろ買って来ました。いまは昆虫を飼うのも便利です。子供は喜びますが、、世話は結局母親の役になってしまうのですが。。午後は鶴舞図書館にでかけて。謡曲のSPレコードについて調べました。渡辺さんが観世元滋の弱法師のレコードをCDにしてくださったので、それを聞いたのですが、若々しいのですが、品のある声でした。レコード自体が経年劣化していて、かなり針とびを起こすのですが、渡辺さんがその部分をのぞいて作ってくださったので。。90年以上前の声を聞くことができるというのは非常にありがたいことです。後期にはホームページから聞いていただけるようになんとかしたいなあと思っております。「輝ける義太夫の星」というホームページが義太夫のSPレコードを流していらっしゃるのですが、ああいうようにできたらいいなあと思っています。夕方は一家で七夕祭りにでかけました。ひろくんとともちゃんは、おじいちゃんにりんご飴を買ってもらい、スーパーボールすくいをさせてもらって大喜びでした。僕が小さい頃は、たこ焼き買ってもらうくらいだったなあと思いつつ、いつか僕も安城の七夕で孫に金魚すくいとかさせてやりたいです。七夕祭り、どうしてもひろとやともえの年頃の小さい子供に目が行きます。みんな健やかに、元気で育って安城の未来を明るくして欲しいと思います。七夕は明日までです。明日もでかけたいと思います。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月5日 今日は長良川薪能で観世喜正先生が絵馬を舞われるので、楽しみにでかけました。教材にしたいと思い、カメラマンの鈴木さんに撮影をお願いしました。またこの薪能はFMでイヤホンがイドを聞くことができるのですが、東海能楽研究会の三苫佳子さんがなさるので、それも楽しみでした。昨年は増水で中止だったので、今年こそと思ったのですが、、開演まじかになったころから遠くから雷の音がきこえ、小鼓の後藤嘉津幸先生が初心者向け解説をはじめられたころからぽつぽつと降りはじめて、しばらく雨の様子を観るということで、演目を中止にして、小雨だから行うことになって観世喜之先生が舞囃子の花月を舞いはじめたら、、突如雨脚が強くなって、これは困ったなあと思ったら突然近くに落雷があって、、ものすごい音がしました。一瞬会場に落ちたかと思いましたし、悲鳴をあげた方もいらっしゃいましたが。。でも、喜之先生は何事もなかったかのように舞いつづけていらっしゃいましたし、囃子も地謡も全く平常通りでした。雨はどしゃぶりになっていましたし、そのあとにも落雷がありましたから、観客はテントに避難はじめていましたし、後ろのテントから青年会議所の責任者の方が、舞台の喜之先生もこれではあぶないから中止するように言って、、とトランシーバーでおっしゃっていましたが。。でも舞囃子で最後に近付いていたこともあったからでしょうか。最後まで、本当に何事もなかったかのように舞われて、ふつうに退場なさいました。会場から、落雷があっても舞台がまったく乱れなかったその時に拍手がおきましたし、終わった後の拍手もすごかったですが、九皐会の地謡の方達も本当に鍛えられていらっしゃるのだなあと。。今日の喜之先生の舞姿と囃子・地謡の気合いのすごさはきっと一生忘れないと思います。。でも、、二年連続中止は本当に残念でした。喜正先生の絵馬、ぜひ拝見したかったのですが。。名古屋では一年に一回くらいしかシテはなさらないので。。若手では本当に実力者だと思います。それに嘉津幸先生が講座の時に「今日始めて能を観られる方」とおっしゃったときに100名以上の方が手をあげていらっしゃいました。あの方達にぜひ能を観ていただきたかったです。来年こそ晴れますようにと心より祈ります。でも、、私は去年も伺っているのですが、、私は雨男なのですよね。。うーーん。週末は安城七夕祭です。楽しみです。ではまた、皆様よい週末をお過ごしくださいますよう。
2005年8月3日 今日は友恵の誕生日です。4歳になりました。女の子は欲しかったので、とてもうれしかったことを覚えていますが、顔がパパそっくりになってきて、ちょっとそこは困っていますが。。ママに似てくれればいいですが。。性格は「我が道を行く」タイプで、やっぱり僕に似ているかなあと。。健康で長生きしてみんなに愛される、そして社会に貢献できる子になって欲しいです。きょうはおじいちゃん、おばあちゃんが豊田の広瀬のやな鮎に連れて行ってくれると言うことで、子供達ははしゃいでおります。今週末の金曜日は長良川薪能、そして安城の七夕、夏らしいたのしいイベントがたくさんあって楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月2日 今日は長男比呂人の6歳の誕生日です。明日が長女友恵の4歳の誕生日で一日違いなのですが、お祝いは二回です。しかし、顕微受精の技術ができて、我々も結婚9年6ヶ月目にして子供が持てたのですが科学の進歩に本当に感謝します。でも二人とも大きくなったなあと。。ひろくんはプラレール、ともえちゃんはお人形を買ってもらって大喜びしておりました。夕食はおじいちゃん、おばあちゃんにも来てもらって一緒に食べました。双方の両親が健康であることは本当に感謝です。比呂人・友恵のそれぞれの結婚式まではぜひ元気でいて欲しいです。昼間は、作曲家の渡辺康さんの御自宅に伺って、筧鉱一先生より提供いただいた戦前の井上嘉介の「井筒」のSPレコードのWAVファイル化を行いました。渡辺さんはさすがに音楽ファイルの制作に長けていらっしゃるので、望みうる最高のファイルをつくってくださいました。でも、、70年以上前のレコードで、雑音はあるものの、声の質がはっきりわかるというのはすごいものだなあと思いました。井上嘉介って、戦前評価高いだけあって本当に名人だったんだ。。と。。低音で重量感のある声というか、呂のはった謡というか。。表現はいろいろあるでしょうが、渡辺さんにCDにしていただいたので、あとで比呂人たちにも聞かそうかなあと思っています。。最終的にはこのホームページからストリーミングで流したいと思っています。私の研究室として発信できる文化の情報って、あくまで芸術ー得に音楽と舞台芸術を中心にしたいので。作曲でお忙しいところ時間をとって下さった渡辺さんに感謝します。ともえがひざの上にいて入力が難しいのでここまでに致します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
追伸 羅雲寺に岐阜青年会議所の長良川薪能実行委員会会長の寺田さんが書き込んでくださいましたが8月5日は岐阜の長良川薪能です。ホームページはhttp://www.gifujc.or.jp/takiginoh/takiginoh2005.htmです。舞台の後ろを鵜飼船が通って行くと言う非常に風情のある薪能で、入場無料ということもあって、観客もたしか7000人以上と言う全国でもっとも観客動員数の多い薪能として知られています。今年は観世喜正先生の繪馬、天照大神の岩戸隠れの神話に取材した曲ですが、動きも多くて初心者の方にも絶対おもしろいと思います。夕涼み気分で楽しめる能で、わたしはかつて学生を引率してでかけたこともあったのですが、今年は国内研修で前期の講義を担当していませんので、学生さんに案内できず残念でした。金曜日の夜、時間がありましたらぜひでかけていただきたいです。わたしはもちろん伺います。たぶん後ろのテントのそばにおります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年8月1日 今日から8月です。ものすごく暑いです。家で資料の作成をしております。昼は高校教師をしている大学時代の友人と安城の喫茶店でとりました。スパゲティセットおごってもらってしまったのですが、大変おいしかったです。午後も資料の作成、夕方は子供の自転車の練習に公園にゆきました。ひろとはもう補助輪無しですいすい走るのですが、ともえはまだ無理です。でも二人とも大きくなったなあと思います。明日はひろとの六歳の誕生日です。六年、、早いです。。僕の眉毛が白くなってもしかたないのかなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月31日 いよいよ7月も終りです。今日は朝から友恵が咳をしていました。。本当だったら一家で熱田教会の礼拝にゆきたかったのですが、大事をとって家内と友恵は残り、僕とひろとだけ電車でおじいちゃん、おばあちゃんと礼拝に行きました。いつもならば友恵もいるので子供の部屋ですが、今日はひろとも大人の礼拝に出ました。きちんと大人しく聞いていてわが子ながら感心しました。かえりにひろとはおじいちゃん、おばあちゃんにおごってもらうのだそうで。。わたしはそのまま鶴舞図書館で昨日の調べ物の続きをしました。夜は名古屋観光ホテルで行われた幸清流小鼓方福井啓次郎先生の叙勲記念パーティに出席しました。名古屋の能楽の発展に尽した先生にふさわしく盛大なものでした。呼び掛け人に福井先生の小学校の同級生と言う海部俊樹元首相と、鈴木礼治元知事がいて、、、本物ってはじめて見ました。。その席で名古屋市立短期大学名誉教授で、名古屋叢書の編集に関わられた津島の小島広次先生にお目にかかりました。以前「近世能楽史の研究」という本をまとめたときに、尾張藩の扶持米の支給の方法等はすべて小島先生に教えていただきました。名古屋の戦前の能楽界・茶道界に実際にかかわっていらっしゃったので非常に博識な先生です。またいろいろ教えていただきたいなあと思っています。こういうパーティはいろいろな方とお目にかかれて有り難いです。帰りは高校の後輩でCBCの北島徹也君に観光ホテルの喫茶で名古屋の芸事の話をして、結局おごってもらって、帰りました。とても楽しかったです。明日からいよいよ8月です。研修期間も残り少なくなってきますが、気合い入れて成果あげたいです。ではまた。お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月30日 今日は筧先生主催の子供能楽教室に家内とひろととともえを連れてゆきました。ひろともともえも大鼓・小鼓をもたせてもらったり、羽衣をみんなで謡ったりして楽しみました。そのあと金山のうどん屋さんでうどんを食べました。家族はそれで帰ったのですが、わたしは鶴舞図書館にでかけて、「SPレコード60,000曲総目録」で謡曲のレコードを調べました。この目録は昭和館が集めた60000枚のSPレコードの目録なのですが、戦前から昭和30年あたりまでの芸能文化を考える上で非常に良い資料になります。やはり観世左近(元滋)のレコードが多いですが、豊橋の宝生流の素人の長坂理一郎と小鼓の青木恒治のレコードがあったり、宝生流の桐谷正治と女流の謡曲愛好者のレコードがあったり面白いものもありました。戦前の文化を考える上で大変面白いです。わたしは戦前の小唄や義太夫のレコードもヤフーオークションで少し集めたのですが、こういうものも「日本文化論」で少し聞いてもらおうかなあと思いはじめています。レコードというと、、10年くらい前に声明(しょうみょう=お経です。。)の録音を流して無気味がられてよりやっていないのですが。。わたしが大学のころ、教授の先生方はほとんど兵役や軍事教練の経験がありましたから、軍歌の話をされたこと、日本文学の先生にはいませんでしたが、他分野の先生ではいらっしゃいました。軍歌のレコードもいつぱいあって、時代を感じるとともに、習った先生方を思い出しました。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月29日 天野先生の講義・演習も今週で終わりました。なるほど、こういう調べ方をなさるのか、、とか非常に新鮮でしたが。。これからあと1ヶ月半は研修の総仕上げで、論文の一つも書かねばなあと思っています。いま9月の研究会で発表したいと準備をはじめているのが「ラジオ放送と能楽」というテーマです。大正の終りからラジオ放送がはじまつて、昭和の戦前にかけて、どう言う人が謡曲の放送をしたのか、、朝日新聞と読売新聞の記事を追っているのですが、現在とずいぶん違います。出てくるのはほとんど東京の役者ですし、全国放送がかなり多いのです。東京の文化が地方に流れて行く、、逆に地方の文化発信は放送と言う形はなかなか取れず、関西の一龍の能楽師の演奏はむしろレコードと言う形で流通する。。そういうあたりをまとめてゆきたいと思っています。今週は家族が大阪にきてくれるはずだったのですが、友恵の口内炎がひどくて、食べられなかったりして来てもらえませんでした。ちょっと残念でした。帰り一緒に帰るつもりでとっていた新幹線に乗って帰りましたが、、早得割引のこだま・ひかり限定の切符でしたが、こだまでもずいぶんはやいなあと思いました。名古屋駅でおりたら大阪より暑くて。。まいりましたが。。ではまた、お身体に注意してお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月25日 あさから友恵が歯が痛いとかで。。熱は下がったのですが。。歯医者さんに午後家内が連れていってくれましたが、結局口内炎ということでした。ただ、沁みて痛いようで、食べられないのが辛そうです。夕方には薬が効いたようでだいぶ食べられるようになったようですが。。。夕方は東海能楽研究会古文書部会にでかけました。下読みはしていったのですが、読めない字をすぱっと読まれると、ああ、こういう字だったのかと思って感動します。明日は台風が来るそうですが、、ちょっと心配です。被害がなければ良いですが。。あまり来て欲しくないです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月24日 今日は津島の市民会館で行われた天王薪能の撮影に伺いました。昔は天王川公園で行われた薪能でしたが、津島市市民会館が立派に竣工されてからは、ホール能になりました。ただ、名前だけは昔と同じく薪能になっています。津島の町起しとしておこなわれた由緒ある名前なので、このままのほうが馴染みがあってよいなあと思います。井上菊次郎先生と佐藤友彦先生の「くじ罪人」、まえも「鳳の会」か「朝日狂言会」かどちらかで同じ配役で拝見しましたが、井上先生の怖い主人と、友彦先生の悪気はないのだけれど出しゃばる太郎冠者と、本当にはまり役ですよね。非常に面白かったです。本田光洋先生の殺生石の装束、前場、色入りの華やかな唐織なのですが、どことなく怪し気な感じのある装束で、、すごいなあと思いました。殺生石のためにある装束という感じでした。本田先生は何をなさってもそれらしく本当にかっこよく見せてしまう先生なのですが、きょうの前ジテも妖気がただよっていて、とてもよかったです。後ジテ、これまで殺生石はなぜか女体ばかりだったのですが、赤頭、法被の常の出立で、男の扮装になるのですが、これも力強くてかっこよかったです。金春安明先生が地頭をつとめられた地謡もとても迫力ありました。わたしは津島の天王薪能に来ると、いつも仕舞の鬼頭尚久さんが気にかかります。地元出身の唯一の金春流のシテ方です。今日は野守をなさいましたが立派でした。まだ若い方ですが、ぜひ精進して頑張って欲しいです。秋は名古屋金春会で賀茂を舞われます。楽しみです。ひろととともえはまだ風邪気味で調子よくないです。はやく元気になって欲しいなあと。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月23日 今日は午前中は中村区米野のコミュニティセンターで行われている筧先生主催の子供向け能楽教室にひろととともえを連れてでかけました。太鼓の加藤洋輝先生もいらしていて、先生にあわせて、子供達がツヤハン・ツアハン・ツヤハン・トッタンという刻ミの練習をしました。ひろくんもともちゃんも太鼓を打たせてもらって御機嫌でした。帰りに回転寿司によって、家族は金山から新快速で帰り、私は鶴舞図書館で「SPレコード60000曲総目録」で謡曲レコードの出版の歴史について調べました。これを調べると、どの時代にどの人の「謡」がよろこばれたかがはっきりわかります。レコードは「声」ですから。。あと謡曲の流儀の勢いと。。やはり観世流のレコードは多いです。家にかえったら友恵が熱をだしたとかで。。ちょっと調子が悪かったかも知れません。友恵とひろとは明日は一日外にでないようにしないといけないかなあと思います。私は津島の天王薪能にでかけます。本田光洋の殺生石、、この人はいつも華やかで、それで確かで、、すごく好きですので楽しみにいたしております。友恵の熱はやく下がらないかなあ。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月22日 椙山の卒業生・ゼミ生のみのプログ、今日卒業生から一人申し込んでいただきました。ヤフーメールだったものですから、ホットメールのアドレスをつくっていただくようお願いしたのですが。。でも、秋以降、この世阿弥上で会員限定のブログができないかどうか、同僚の先生に伺ってみようと思います。ホットメールのみでは不便なので。。さきほどアーバンライナーで安城に戻りました。6ヶ月の国内研修期間も残り二ヶ月を切りました。天野先生の講義も来週で全て終わります。しかし、講義に出て、演習を担当するというのは、学生の側からもう一度「講義」「演習」を眺める訳で、自分の講義を考える上でも非常に参考になります。不謹慎ですが、昼御飯あとは座って能を見ているとやっぱり眠くなるときがあるのだなあとか。。自分が前に立って講議していると能を見て眠くなることは絶対ないのですが。。こういうことも新鮮でした。。もちろん大学院で演劇学を学んでいる人対象のものを一般教養でそのままやることはできませんが、能を劇として見るときは、こういうところを注意して講義するのだなあとか。。講義でも天野先生が注目されている曲をもう一度自分なりに吟味して取り上げてみようかなあと思っています。阪大図書館もとくにデータベースの充実はすごいです。とにかくいまは資料収集に力を入れています。昨日は神戸女子大学古典芸能センターにお世話になりました。戦前や戦後すぐの謡曲の雑誌などが非常に充実しているのですよね。名古屋によく来演されていた能楽師さんの記録もあって勉強になります。健康が守られていて感謝です。つとめて野菜ジュースを飲んで、ヨーグルトを食べるようにしています。あと、食べ過ぎないように。。勉強だけして過ごしているので、ストレスはほとんど感じません。それは本当に感謝です。あしたは子供を連れて、筧先生が文化庁の補助金を得て中村区の米野コミュニティーセンターでなさっている子供能楽教室に連れて行こうと思っています。そのあと、鶴舞図書館にも行きたいです。ではまた、よい週末をお過ごしくださいますよう。
2005年7月18日 ものすごく暑い日です。。梅雨明けだそうですが、今年って梅雨あったのかなあと。。水不足が心配です。。友恵はまだ夏風邪の咳が抜けなくて、騒ぎ回ることができるほどは元気ですが、外に出してもらえないのですねております。ひろとはおじいちゃんの家に遊びに行ったので。。私はサウンド技振興財団の助成金で買い込んだ古い謡曲のレコードの整理をしております。専用のプレーヤーも今日届きましたので、共同研究者の渡辺康さんと相談しながら少しづつWAVファイルにしてゆきたいと思います。どんな音がするのか、楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月17日 今日は日本文学協会の研究集会が奈良教育大学で行われましたので、車ででかけました。わたしは貧乏性で、、あまり高速道路も使わないのですよね。国道23号に刈谷の野田インターから乗って四日市まで走り、そこから亀山までバイパスを走り、名阪国道を亀山から天理まで走り、、と全部一般道でゆきましたが、それでも行きも帰りも安城から休憩含めて3時間半程度でした。中世の発表、大学院生さんでしたが、まじめに考えたよい発表でした。ただ、私がちょっと気になったのは、最近論文でも良く見るのですが、アナクロニズムとかの外国語や、身内で良く使われる俗に言う文芸用語を使っていらっしゃったことでした。質問者の、本来ならば、それをたしなめてもいいはずの人が、もっと理念的な言葉を使っていらっしゃったので、、そんなの仲間内ではわかっても、18才の高校でたばかりの人が理解できるはずがないなあと。大学の先生や、大学の先生を目指す人の会なのだから、大学で講義をするときに使うようなできるだけわかりやすい言葉を、発表者も質問者も使って欲しいと思いました。論文でも研究発表でも、仲間内の表現はできるだけ使わないほうがよいと思います。最近よく「中世の王権」論などというものがありますが、少なくとも私にはさっぱりわかりません。なにが「王権」なのか、論文を書く人ごとに違っていて、議論が噛み合っていなかったりして。。わたしはつまらないかも知れませんが、文献を整理してそこから論を立てるのが好きです。。(ほんと、、飯塚君の論文はつまらないとみんなに言われて辛いですが。。)今年は委員に選んでいただいたので、委員会に出席しました。まわりの論文でしか知らないそうそうたる先生をみて、あーー、この先生なのかーー、とほとんどミーハーに観ておりました。平家物語の山下宏明先生とか、重鎮が院生の発表でもちゃんといらしているんですよね。偉い先生が聞いていて、アドバイスをすることが、他大学の院生を育てるわけですから、立派だなあと思いました。研究集会など、若い人が発表して、みんなで育てて行かないと学会としての意味がありません。そういう意味でよい集会だったと思います。ただ、、僕達が院生のころはもっと若い人がずっと多かったのですが。。文学退潮の世の中なので、淋しいです。それだけに、いまの若手には期待したいです。。でも、研究の一時代をリードした先生方って、どなたもどこか雰囲気と言うか、風格があるなあと。。委員会のあと、奈良教育大学非常勤講師の齋藤裕子氏に案内していただいて、近くの新薬師寺と春日大社にゆきました。齋藤さんは、筑波能狂言研究会の後輩で、民俗学専攻で、奈良の芸能も実際によく観にゆかれていて大変詳しい方です。春日大社の宝物館は小学校のころに行ったきりで、実に32年以上振りにでかけたのですが、これ確かにみたなあと意外と覚えていました。小さい頃は、神社やお寺やお墓の好きな、どこにでもいるたそがれた子だったので。お忙しい所案内くださった齋藤さんに心より感謝いたします。。家に帰りましたら、まだ7時で、家族と一緒に食事できました。子供と食べるとやっぱり楽しいです。楽しい一日でした。プログ、、学生さんが加入してくださらないので淋しいですが、毎日日記を書いています。卒業生さんと学生さんしかみないと思うと、、より愚痴っぽくなります。明日は家でのんびりしたいと思っております。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月16日 今日は東海能楽研究会主催の伝統芸能上演会でした。本当は一家で参加する予定だったのですが、友恵が風邪をひいて、中耳炎を併発したため行けなくなり、ひろとと私のみになりました。ひろとは受付でイヤホンがイドを並べるのを手伝い、そのあとの和楽器体験では大鼓を打ち、笛を吹き、胡弓を弾き、三味線を弾いてすごく喜んでいました。ちゃんと足袋を持参したので、小面をつけて舞台を歩いて、「ひろいんだねーー」といって、よろこんでいました。舞台から帰って来たら長田驍先生がいらっしゃって、大サービスで黒頭をつけていただき、「これがおばけの格好なのよ」と教えましたら、「へーー、お化けって頭が重いんだねえ。。」と。。唐団扇ももたせていただきました。お忙しい所、子供にサービスして下さいました長田驍先生に感謝いたします。楽屋の食堂で子供の分までお寿司をいただき、感謝でした。今日の能のイヤホンがイドは東海能楽研究会の三苫佳子氏でしたが、とてもわかりやすかったです。機械にトラブルがあった場合の対応のため、となりの部屋に私も控えていたのですが、ひろともパパのそばが良いということで、部屋に入れさせていただきました。ひろとは初めて天鼓の半能をみたのですが、長田驍先生が楽を舞う部分で、「パパー、こういうのかっこいいねえ。。」と言うのですよね。「あれはおばけの役なのよ。」といったら、「でもあのお化けはかっこいい。」と。あと、大野誠先生の笛を聞いて、「パパー、あの笛っていいなあ。。ひろくんもああいう音で吹けたら楽しそうだなあ。。」と。。最後までじっと観ていたのは我が子ながら感心しました。普段は、イヤホンガイドは能のみなのですが、今回は平曲、三曲など狂言以外のすべての曲にイヤホンガイドをつけました。岩田律園先生の解説はさすがに分かりやすかったです。ひろとはイヤホンの部屋のそばで虚無僧の扮装の岩田先生に大サービスで虚無僧の笠をかぶらせてもらって、「うわー、外が見えるんだーー」と感動していました。宗林先生が引率してくださって椙山の留学生さんもみなさんいらしてくださいましたが、名古屋の伝統芸能に少しでも関心をもっていただければ嬉しいです。友恵が参加できなかったのが残念でしたが、ひろとにとって楽しい日でよかったです。明日は日本文学協会の研究集会で奈良に出張します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月15日 今日は天野先生の演習の申楽談儀の喜阿の三回目の発表でした。「炭焼の能」の背景に、白楽天の「売炭翁」の影響があるのではという天野先生の説には非常に魅力を感じました。詩歌に「炭焼」がどう詠まれているか、あらためて調べてみたいと思います。明日は東海能楽研究会主催の伝統芸能上演会なので、子供を連れて行こうと思っています。。ただ、下の子がちょっと風邪気味なのが気にかかっていますが。。夏風邪をひきやすい季節です。皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月12日 「六道講式」という仏教の法要について調べていて、本で中々でなかったので、試しにと思ってグーグルで入れたら、9月に大阪で六道講式のコンサートがあって、しかも「講式データベース」に本文があることがわかりました。。おたくって僕だけではないと意を強くしました。ではまた、みなさま、お元気で。。
2005年7月11日 今日は家族はおじいちゃんと一緒に万博にでかけ、私は自宅で演習の発表のプリントを作っておりました。なんとか雨にもあわず、ひろともともえもおじいちゃんに買ってもらったマンゴーアイスを食べて、キッコロゴンドラに乗って、満足して帰って来ました。ママがネットで苦労して整理券をとった冷凍マンモスについてはなにも言っていませんが、まあ幼稚園児にとってはそういうものなのでしょう。いま調べている檜垣についてですが、このような老女物はものすごく静かな曲なので、本当に能らしくて佳いなあと思う一方、大学の講義でやったらほとんど誰も起きてないだろうなあとも思います。大学院の講義とか、文学部のしかも中世文学専攻の小人数の講義で、夕方かなんかにくらーーい雰囲気でやってみたいですが。。先代観世銕之丞が名古屋能楽堂で舞った檜垣の乱拍子、、もう身体が弱っていたころだったのか、少し短い感じでしたが才気のある老女でしたし、今年拝見した観世喜之の檜垣は本当に品がよい優しそうなおばあさんで、それもとても佳かったです。好きな曲なので得にがんばって調べようと思います。今日はホームページの更新をして、名古屋で能を観る人のためにのページで、喜多流長田家長袖会のページにリンクを貼らせていただきました。長田驍先生・郷先生親子には東海能楽研究会の催しの他、椙山女学園大学の留学生向けの講義などにも御協力いただいております。このホームページは郷先生の奥様の作品だろうと思いますが、奥様にも椙山のオープンカレッジを受講していただいたことがあります。望君が生まれたばかりで大変かと思いますが、長袖会の益々の発展をお祈り致しております。あともう一つの演習の「申楽談儀」の演習のプリント、、なかなか難物です。世阿弥が「上花」と言った時と「上果」と言った時にはどのような意識の差があるのか。。うーーーん、かなり微妙です。でも確かに違うように思うのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月10日 今日は午前中は熱田教会の礼拝に参加、、といっても、ひろくんが附属の幼稚園の園庭でセミのぬけがらをみつけて、パパーいっしょに探してーーと言うので、結局園庭でひろとと友恵をあそばせて、教会のお昼を食べて帰りましたので、ほとんどお昼を食べにいったのかなあという感じでしたが。母も今日は教会の食事当番でした。たきこみごはん美味しかったです。しかし教会のジャングルジムもすべりだいも、私が小学校一年のころ、幼稚園児だった妹や、もっとちいさかった弟と遊んだ頃からありましたから、もう35年は経っています。ぜんぜん痛んでいないのがすごいです。できれば僕の孫もここで遊んで欲しいです。午後は能楽堂の井上菊次郎襲名披露公演を観に行きました。満席でした。小林責先生とか、東京の研究者のかたも何人も御見かけしました。井上菊次郎先生と佐藤友彦先生の清水座頭、、すっごくよかったです。この曲ははじめてでしたが、人情ものをやっても菊次郎先生と友彦先生は良いのですよね。。若い人がやったら新劇になってしまうのだろうなと思いますが、さすがベテランがやると味があります。菊次郎先生と、友彦先生の狂言の中の小歌がとくにしみじみして佳かったです。家に帰って、近くの公園で昨日の午前中の幼稚園の夏祭り会でもらってきた花火をしました。楽しかったです。プログ、、会員が少ないものですから、椙山出身の人がもっとはいってくれないかなあと思っています。ホットメールのアドレスもっている人、意外と少ないのですよね。。無料でとれるのですが。。考えてみると、このホームページもはじめたころは、自分しかみていなかったのが、今日も知り合いの方にホームページみていますよとおっしゃっていただけたので、プログのほうも毎日何か書くことが大切なのかなあと思います。ほとんど愚痴と「昔はよかった。。」風の懐古になってしまいますが。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月9日 今日は午前中は家でのんびり過ごし、午後からは中電ホールで行われた「竹本綱太夫を聞く会」の「摂州合邦辻 合邦庵室の段」を聞きに行きました。いつもは文楽で、人形があって聞いているものを、太夫の語りだけで聞いたのははじめてですが、そうすると、義太夫というのがいかにすぐれた「語りの芸」であるのかよくわかります。「語りわけ」って、能の「位」というのとはまた違うのですが、確かに合邦と、玉手と、俊徳と、浅香姫と、声が違って聞こえるのですよね。すごいものだなあと。。三味線の鶴沢清二郎もすっごく良かったです。。気合いがはいっていて。。感動しました。終わってから作曲家の渡辺康さんと待ち合わせて大須の電気店にレコードのカートリッジと針を買いに行きました。サウンド技術振興財団からいただいた研究費で戦前のレコードをWAV化するものですから、そのための準備です。私は学生時代よく貸しレコード屋でLPを借りてダビングして、もっぱらカセットで聞いていました。当時よく聞いたのは中島みゆきとか、岩崎宏美とか、荒井由美とか、、大学院のころは演歌が好きで藤あや子や小林幸子を聞いていましたが。謡曲だと先代梅若万三郎や坂井音次郎、観世元昭。。みんないまの学生さんは知らないでしょうね。。レコードを掛けなくなってもう15年くらい経つなあと思いました。もっともこんど研究用に再生するのは全部60年以上前のレコードですが、ちゃんとそれを再生するための針や、手入れのためのクリーナーまで売っていたのはありがたかったです。夕食は私の誕生パーティということで、実家で両親とともに家族でいただきました。好きなおかずばかりで、とても幸せでした。明日は名古屋能楽堂で井上菊次郎襲名記念名匠狂言会があります。わたしは共同社の狂言が大好きですので、とくに楽しみにしております。今日は夕方雨でした。明日の昼間は晴れて欲しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月8日 今日は私の44回目の誕生日です。午前中は天野先生の講義に出席、そのあと、筑波時代の後輩が大阪大学のもう教授になっているのですが、久しぶりに再会して昔の話をしました。若い頃から勉強熱心でとにかく学問に対してひたむきな人でした。国際学会の座長をつとめたり。研究的には最先端にいる人です。話していてとても楽しかったです。研究者の世界では、お互いの評価に「学問に対して誠実か」という尺度があるのですよね。バランス感覚がよいとか、常識的であるとかいう尺度とは全く違う所で。そして学問に対して誠実であれば、それ以外の部分で多少難があろうが、互いに認めあえると言うか。。逆にどんなに社会的に優れていて常識的な人であっても、「学問に対する誠実さ」がなければ、「あの人はなんで研究者になったのかなあ」と言われてしまうと言うか。。お金が欲しければ別の職もいくらもあるので。。ただ、好きな研究に携わって、それを教えて生活できると言う点で、他に変えがたいもののある職なのですよね。能楽師同士で「あの先生は芸に対して真面目だ」というのと同じことだろうと思います。つとめた時には定年まで41年あると思いましたが、あと26年になりました。何ができるのか、もう1年で自分のできる量がわかる年ですので、研修の後半にはいった最近特に考えています。近代以降の能楽の発展の歴史が大阪と名古屋でかなり異なることはわかってきました。これはできるだけ早い内にまとめたいです。それから何曲できるかはわかりませんが、注釈と言う仕事はやはり大切だと思いました。研究的にはこういうことがしたいですが、教えることについては、能の魅力もですが、明治から昭和の芸能についても、教えてみたいと思いはじめました。新聞で能の記事をひろっていると、宝塚歌劇でも、その時代に流行になったものがわかるので。。あとはもう著作権の切れたレコード音盤のWAV ファイル化の方法や、、これもヤフーオークションで戦前の小唄やどどいつや文部省唱歌のレコード大量に買い込んだので、音源を使えるように直す所から自分でやって、また方法も教えたいです。。学生さん戦前の宝塚歌劇なんて興味もたないですかねえ。。当時のトップスターが扇千景では無理でせうか。。椙山生や卒業生はいま何を考えて生活しているのか知りたいなあと思って、椙山生と椙山卒業生のみの会員制のプログを作りました。昔の教え子のプログをみて自分もと思ったのですが。。ホットメールのスペースにつくって、そこからホットメールの私のアドレスにメールをくださったことのある椙生の方にはみんな案内を送らせていただきました。それで4人会員になっていただけるという返信をいただいて、すごく嬉しかったので、早速会員登録しようとしたら、、、このプログはホットメールのアドレスがないと会員制の場合登録できないということで。。メール下さった方にホットメールのアドレスがありましたら教えていただけるようメール致しました。あーあでした。でも学生や卒業生がいまどうしているかを話すには会員制でないと意味がないので。。羅雲寺にももちろん書き込んでいただきたいですが。。
5時27分千里発の高速バスで自宅に帰りました。弟からお祝いメールをもらい、ひろととともえから、折り紙で作った花を貰い、とても幸せでした。明日は両親が誕生会をしてくれるということで。。44才で双方の両親が健康で、両親に誕生会をしてもらえると言うのは大変幸せなことと思います。ともえが44才のとき、私は84才ですが、友恵が子供連れて遊びにきたら、お母さんはねえ、メロンが好きだったのよといって、孫にメロンを出してやりたいです。ではまた、みなさまお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月4日 今日はすごい雨でした。雨は恵みの雨でよいのですが、できればしんみりと、暗めに降ってほしいです。風呂桶ひっくり返したような雨だと困ります。。そういう中、午前中は筧先生のお宅に伺い、戦前のレコードを見せて頂きました。すべて拝借し、午後は、作曲家の渡辺康先生とこれをどのように WAVファイル化するかについて話し合いました。観世左近、井上嘉助など、戦前の名手のものが多いのですが、著作権の切れたものについては一部をこのホームページから発信したいと思います。その方法について、検討しました。技術的にはそれほど困難ではないということでしたが、手間はものすごくかかるということで。私はホームページを用いて発信すべき文化というと、まず音楽と美術だと思います。著作権の問題はもちろん大切に考えねばなりませんが、クリアできるのであれば、戦前の音源から情報発信したいと思います。ヤフーオークションで豊竹呂昇のレコードを落札しました。800円でした。名古屋の誇る女義太夫の名手で、本などで履歴は知っていますが、その芸を知る人ももうほとんどいまはいないだろうと思います。戦前に亡くなっていますから、もちろん私も知りません。こういう音源も発信できればなあと思います。若い学生さんに興味もってもらえると嬉しいなあと思います。サウンド技術振興財団からいただいた研究資金をここに投入する予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月3日 今日は午前中は一家で熱田教会の礼拝に参加しました。今月は私の誕生月ですので、週報の「今月誕生された方」に名前がありました。神様と両親に感謝し、与えられた人生を大切にしたいと思います。ただ、、最近本当に白髪が増えて、、子供のころからの私を知っている教会員の方から、少し苦労したかね。。と言われてしまいました。。もう次の8日で44才ですから仕方ないですが。午後は名古屋女子大学で東海能楽研究会でした。彦根藩の能面の購入の実態について、喜多古能の果たした役割に関する米田真理氏の発表でしたが、能面の売り買いのシステムがわかって、大変面白かったです。いえに帰るとひろくんはおじいちゃんに大きなメロンをかってもらったーー。と喜んでいました。。また、ひろとは昨日名古屋港水族館で買ったアザラシの絵葉書をみせては、かめの絵葉書をもらったともえと二人で見せあって「かわいいよねえ。。」と言っていました。ひろとは昨日はアザラシの絵葉書を枕の下にひいてアザラシの夢をみますようにとお祈りして寝たのですが。夢は見られなかったそうです。。そのかわりパパを二回横断してごろごろしたので、まあアザラシ気分は味わったのではと思いますが。ともえも兄に劣らずごろごろころがって、パパは何回も起こされるのですが。。。明日は午前中筧先生のお宅に伺い、戦前の謡曲レコードを拝見する予定です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月2日 今日は名古屋市中村区米野のコミュニケーションセンターで朝10時から行われた能の囃子の稽古会にひろととともえを連れて参加致しました。小学生・中学生対象で文化庁よりの助成金をいただいていますので、子供の参加費は無料です。今日は10人程度の子供達でしたが、もう少し集まるともっと楽しいなあと思いました。これから月3回の予定で行いますので、興味のある子供達にはぜひ参加してほしいです。ひろくんは、大鼓、ともえちゃんは小鼓をさわらせてもらって「べっちん」とか言って打っていましたが。。感想聞いたら「あれは手が痛いのよ。」ということで。。本当だと思いますが。。ひろくんは筧先生のお孫さんの純太郎君と同い年ということで、お友達になりまして、ともえちゃんを含めて「かくれんぼをやろう」とか「鬼ごっこをやろう」とか言って遊んでいましたが。。ただ、稽古の時ひろとは30分くらいじっと正座していて、親よりももったので立派だなあと思いました。「パパよりえらいぞーー。」といってほめてあげました。夕方は大学の同窓会、高校・大学の教員をしているひとが多いのですが、お互いの課題をぐちぐちと話して気晴らしをしました。帰りは名古屋港水族館に出かけていた家内たちが車でひろってくれたので、知立の回転寿司でラーメンとチョコレートケーキとプリンと卵寿司を食べて帰りました。のんびりしたよい休日でした。あしたは名古屋女子大学で東海能楽研究会です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年7月1日 とうとう7月になってしまいました。研修も後半、毎日とても充実していますが、集めたいと思っていた資料、まだまだあります。大阪大学の図書館はなんといっても新聞などのデータベースが充実しています。そこから能楽の記事を拾う作業、もっとやりたいのですが。。今日は申楽談儀の演習の二回目、亀阿の部分ですが、当時の能の装束など調べが足りなくて反省点が多かったです。もっと気合いを入れなければと思いました。明日は筧先生の主催される小学生向けの囃子の稽古会にひろととともえを連れて遊びに行きます。ひろとやともえにも習わせたいのですが、興味を持つかどうか。。ひろとは、「お能が電車ならばいいのに」とか「お能の話に電車はでてこないの。。」というくらいですから。。「お化けはでてくるのよ。」と教えていますが。。うーーーん。お化けの魅力は電車を超えることができるか。。夕方からは大学の同窓会です。久しぶりに仲間にあえるので楽しみです。まずお互いの子供の話になるのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年6月27日 朝からよく晴れていて、、困ったものだなと思っております。そろそろ雨が降らないと畑が困ります。それにひろくんやともちゃんの楽しみにしているプールも開けませんから。。中年のおやじなので、夏はつらいです。アブラおやじとはよく言ったもので、若い頃に比べて汗かきになります。それに、いまはどこでも弱冷房で、身体にはよいのかも知れませんが、渋滞の電車などでは本当に暑いです。この季節だけでも「おやじ専用車」というのを作ってくれないかなあと思います。男性専用で強冷房、扉の上のビデオには長島の天覧試合のホームランや大鵬の試合、もしくはプロジェクトXの場面が流れ、小さめな音量で昭和歌謡か地上の星が繰り返し流れると言うような。。日本のお父さん世代の経済への貢献を考えれば、夏だけでもこういう車両があってもそう罰は当たらないと思うのですが。。せめて夏の平日に「パパの日」を作ってそのイベント列車とか。。最近しみじみ昭和が懐かしいです。。でも、、無理でしょうねえ。。せめて雨が降って午後から涼しくなって欲しいですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年6月26日 家内が疲れたのか昨夜から体調不良だったため、今日はどこにもゆかず、家でごろごろしておりました。ひろくんがねだったそうで、父がこだま西瓜をもってきてくれました。ひろとにはあまりおじいちゃんにねだらないようにといっているのですが。ともえちゃんは最近買ってもらった木製のおままごとセットで遊んで御機嫌でした。暑いので昼も夜も冷やしそばと冷やしうどんにしました。それにしても少し雨が降らないとと思います。明日は夕方から名古屋で研究会があるものですから、安城におります。すこしのんびりしようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年6月25日 久しぶりに家でのんびりしました。午前中は近くに住んでいる大学の同級生と喫茶店でのんびりと話をしました。朝はどの喫茶店のモーニングも結構豪華なので、なんか得した気分になります。高校の先生をしているのですが、お互い教職なので、「先生」にたまりやすいストレスとその昇華法などについてぐずくずと話しました。午後は昼寝をして、そのあと買い物、家内のPHSを最新の携帯にしました。ちょっとかっこいいです。そのあと、二人の子供と公園で自転車の練習をして、砂だらけになって帰宅、夕食の赤味噌の味噌汁、、安城に帰ると帰ったなあと思うことができる瞬間でもあります。よい一日でした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年6月24日 また10日以上日記を更新することができませんでした。羅雲寺だけは必ず毎日チェックするように心掛けているのですが、東京に出張した夜にいかがわしい会社から宣伝の書き込みをされてしまい、非常に不愉快な思いをしました。自分が気がつけば即座に削除するのですが、学生さんの目に触れさせてしまって、悔しい思いをしております。研究室のホームページに設置している以上、やはり女子大学らしい品位ある楽しい情報交換の場所にしたいので。。「お前ほかに考えることないのかよ。。インターネットやる頭あるのにさ。。」と見て情けない思いにもなりましたが。。「羅雲寺」は誰にでも書き込んでいただきたいスペースです。でもやはり品位と良識が欲しいです。それが明日を楽しくするものなので。。いまよければそれでいいと言っていて、、本当に良かった人を見たことはありませんから。今週は天野先生の演習を、北野天満宮の社家の日記の輪読と、「申楽談儀」の「喜阿」の部分と二回担当させていただきました。自分から手をあげて、院生と同じ資格で発表したのですが、やはりすごく勉強になります。とくに「申楽談儀」の「喜阿」の部分は当時の田楽能の芸態をどのように考えることができるのか、非常に大きな問題を含んでいます。結局二行しか進まず、次週も続きをさせていただくことになりました。能の思想に関する論文を輪読する演習も「檜垣」で発表させていただくことが決まりまして、これから準備します。準備に時間はかかりますが、とても楽しいです。明日はひろくんとともえちゃんの相手をしようと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年6月13日 私の家は蚊が多くて、うっかりしていたらだいぶ食われて痒いです。まいりました。。しばらく大阪が続いたので、子供との時間を作ろうと思い、今日は安城ですごしたのですが。。昼は高校の先輩とあって回転寿司に行き、戦前のレコードのWAVファイル化について話し合いました。午後は東海能楽研究会10周年記念誌の発送作業をやったのですが、これがなかなか進まなくて。。事務仕事はやっぱり苦手です。夕食とか子供といっしょにたべられるとやっぱり落ち着きますね。。「おい、しょうゆかけすぎだろう。。」とか、「一口で飲み込まないで。。」とか、はた目から見たらとても落ち着いた食卓とは見えないでしょうが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年6月12日 今日は午前中は家族で熱田協会の花の日子供の日合同礼拝に出席しました。きれいな花がいっぱいに飾られて、前のほうに子供達がいっぱいいて。。賛美歌も子供賛美歌で、ああ、自分が幼稚園や小学校のときもそうだったなあと思いました。花の日礼拝は何回もでていますが、自分の子供達が前に座っていると感慨がありますね。教会の玄関に36年前の花の日礼拝の写真が飾られていて、そこに7歳の私と5歳の妹、2歳の弟が映っていました。わたしは線が細くて暗そうな子で、いまと同じ顔をしています。。顔はひろくんに良く似ていまして、親子だなあと思いました。ひろくんは私とちがって身体も大きいし、元気ですが。。将来はおじいさんとして、ひろとやともえの子と一緒に花の日礼拝にでたいです。一モリゾーとして。。ニュースでは女性一人当りの出生率が1,27になったとか。。育児によい環境を作って改善するといいますが、私はそれもですが、人口の半分いる男に、所帯をもって子供を育てることはすごく楽しいことなんだと教育する必要があるのではと思います。私は「そばに私がついてなければ、何もできないこの人だから」という歌詞がぴったりの全てよめさん任せの人間ですが、一人暮らしして、こんなに便利だと、それなりに会社で評価されて仕事も充実していれば、嫁さんも子供もいらないと思う人増えるだろうなと思いました。まず男の教育が大切では。。そういいながら、わたしも40過ぎて息子や娘と絵本を読む楽しさをしったので、35歳のころの自分を思い出して、自分が子供と遊んで楽しいと思えるタイプの人間だったと思えないのですが。。そのあたりに難しさがあると思います。夕方から、筑波能狂言研究会のときの先生の観世流の西村高夫先生と、高校のころからの友人と伏見で飲みました。となりで飲んでいる人、ふと振り向いたら知っている人で、、名古屋観世会からみんな流れて来たとか。。世間狭くて恐ろしいです。。楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年6月11日 今日は朝、肩が痛くてしかたないので整形外科に行きました。立派な40肩と言う診断でした。年式相当にガタが来ていると言うことで、座って痛い所に電気をあてたり、肩凝り体操をしながら、なんか中年のわびしさを感じました。家に帰ると「パパ−、遊びに行こー−」と言うので家族を連れて名古屋城博に行きました。子供達は金シャチを触りに行きましたが、わたしは名古屋城のそばに住んでいる方のところにいって研究会の打ち合わせをしました。雨でしたが、シャチに触って満足したみたいです。そのあと家内と子供達と回転寿司にでかけて、うどんとケーキとプリンとたまご寿司をいつぱいたべて満足して帰ってきました。ひろと曰く「回転寿司はお寿司のほうから、ひろくんのところに歩いてくるからいいのよね」と。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年6月10日 早いもので9月20日までの研修期間がもう半分過ぎてしまいました。現在の感覚でいえば、研修に出してもらって本当に良かった。。というか、感謝致しております。知らない間に20年前くらいの研究情報が染み付いていて、その後の進歩に関する情報が手薄になっていたのですよね。。身体が弱いのであまり週末に無理して学会に行ったりしなかったせいもあるのですが。。大学院の演習に学生として参加していると「えっ、そんな論文がでていたの。。」とか、「僕が院生のころ、○先生はこうおっしゃっていたけれど、御自分の意見を変えられたのか。。」ということがいくつもありましたから。。大阪にいる時にはだいたい1日少なくとも8時間は机に向かっていますが、普段はそれがなかなかできない。。やはり講義や会議の準備、雑用とかいろいろありますので。。(他の先生ならそう大変ではないのでしょうが、私は手間がすごく悪いのです。。)先週は家内と子供達が大阪に遊びにきてくれました。。どこに行こうかなと思っていたら、「わーーい、これから大阪のパパのところに行くのよーー。」と安城の家で騒ぎまくって、疲れたため大阪の私の下宿につくなり二人とも昼寝。。。その日はどこにも行けず。。翌日は近くの動物園に行こうと思ってついたら、入口のどこにでもあるようなジャングルジムがすごく気にいって、ずーーっと遊んでいて、動物園にはいってもあまり観ず。。小型の駝鳥のような鳥のエミューのおりの前で友恵が「パパー大きなハトさん、大きなハトさん。。」檻に寄り掛かったので、大丈夫かなと思ったらエミューにくちばしで「つん」と突かれて、、、手がちょっと赤くなった程度だったのですが、びっくりして「パパー、かわいくないハトさん」とか言っていましたが。。友恵にとってみれば、大きなとりは全てハトのようです。。お前達なあ、、これじゃあ安城公園行くのとかわらないじゃあないか。。ト言っても二人とも「大阪は楽しかったねえ」というので、まあよかったのかなと思います。二人とも素直に元気に育って長生きして欲しいです。。あと、今日ヤフーオークションで、戦前の能の絵葉書25枚を1000円、戦前の観世左近の78回転のSPレコードを500円で落札しました。著作権の切れた材料をつかって、このサイトを充実させて行きたいと思っています。ただ、値段もさることながら、郵送料や振り込み手数料はそれなりにかかりますから、ほどほどにしないといけないなあと思います。いまのところ、1点1000円までの戦前の能楽資料を集めて、「資料室」コーナーから公開することを目指そうと思います。あと三ケ月、、充実した研修にしたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。
2005年5月31日 今日は家田病院で直腸・大腸の内視鏡検査を行いました。麻酔で寝ている間に行ったので、特段痛いこともなく、時間はかかりましたが検査が楽で助かりました。異常なしということで、安心しました。とにかく無理をしないことと、検診はきちんと受けておくことは心掛けようと思っています。国内研修も今日で二ケ月が経過しました。勉強に関しては本当に充実しています。神戸女子大学も大阪大学も近代の新聞や能の雑誌などのバックナンバーが本当に揃っていて、このうちから必要な情報を抽出することがまずこの研修期間に行うべきことだと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月30日 明日の検査のため、今日は検査食です。検査食ってそんなに味は悪くないのですが、とにかくお腹が空きます。終わったら焼肉食べたいなあとか思っています。それを楽しみに精進するかなあとか。。左ひじや肩の痛みが湿布貼ってもひかないのでまいっています。40肩って根本的な治療ないのでせうか。。情けないです。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月29日 今日は東海能楽研究会の発表でした。昭和初期から戦後復興期の名古屋能楽界について、その時代を能にかかわった過ごしてこられた人たちを前に発表するわけですから、ほとんど教育実習ですが。でも、新聞・雑誌に載らない、その時代の能楽や社会の実態を伺って非常に興味深かったです。夕方からは10周年記念の懇親会を行いました。筧鉱一先生、佐藤友彦先生という能楽師の方、小島英幸先生のように昭和20年代の能楽協会の「能」にすでに執筆されていた方にいろいろお話を伺えて有り難かったです。とにかくいま伺える時にできるだけはやく、正確な昭和初期から戦後復興期の能楽界の話を伺ってまとめておきたいです。朝、友恵が急に39度の熱をだし、比呂人も熱っぽいということで、明日は二人とも小児科です。早くよくなればいいなあと思います。わたしは明後日が大腸・直腸の内視鏡検査なので明日は検査食です。ひもじそうです。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月28日 今日は大阪の観世九皐会に伺いました。長山礼三郎の「定家」。。例会で2時間かかるこの曲を出すというのはずいぶん贅沢だなあと思いました。でもとても綺麗でした。前シテの紅入りの唐織姿がとても清純で、、かなりの年輩のはずなのにそう感じさせないのですよね。二時間があっと言う間だったというか。。筑波時代の友人達とでかけたのですが、皆さんに好評でした。東海能楽研究会の会員の方が入院されてしまったので、定家のみ見せて頂いたのみで失礼して、近鉄で名古屋にもどってお見舞いに伺ってから帰宅しました。早く全快してくださるといいなあと思っております。普段私が古文書で大変お世話になっている方です。明日は東海能楽研究会でわたしの発表です。昭和初期から戦後復興期の名古屋能楽会について。戦後復興って本当に物凄く急激だったのですよね。昭和27,28年頃には、東京でも大阪でもいま行われている定期能のほとんどが立ち上がっていますから。。舞台については熱田神宮の舞台が30年ですから、どの地方でも仮説舞台などいろいろ工夫してなさっていますが。。テレビでミンダナオ島に旧日本兵が生き残っていたと伝えていますが、そういう方にとって、まだ戦争は続いているのですよね。でも大多数の日本人にとって昭和はもうすでに昔のように思います。記録のあるものについては、きちんと記録をまとめたいと思います。明日は東海能楽研究会10周年なので、会終了後ささやかな一杯会をします。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月22日 今日は日曜日、家族は熱田教会にでかけておりますが、外出が続いてさすがに疲れたものですから家で静養しております。明日は東京で行われるサウンド技術振興財団の助成金贈呈式に出席する予定です。頑張って研究しなければと思います。大阪での日々は、毎日非常に充実していますが、「いま資料集めておかないとなかなか来られない」という思いがあるものですから、ホームページの更新がなかなか出来ません。羅雲寺にいただいた書き込みには必ず返信させていただきますが。。またしばらく日記を更新できないかも知れませんが。。みなさまお身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月21日 今日は名古屋観世九皐会でした。中所宜夫先生の熊野、中所先生の演ずる女性はいつも憂いがあってそれでいて品があつてきれいで魅力的なのですが、今日もすごくよかったです。特に舞の部分から村雨が降って来て散る花に母親の命を思う場面など。。目に残りました。駒瀬直也先生の鵺、特に前シテの舟人がよかったです。鵺の淋しさというか、、「淋しさ」の表現って難しいと思うのですが、なんかすごくぐっと来ました。中所先生も駒瀬先生も名古屋出身ですが、ぜひ頑張っていただきたいです。。終わったから高校の先輩と喫茶店でお茶をして、そのあと家内と子供に名古屋迄迎えにきてもらって、帰りにラーメン屋でラーメンと餃子食べて帰りました。幸せな一日でした。昨日書けなかったのですが、サウンド技術振興財団より「能楽囃子・謡曲の録音の収集・整理・デジタル化と声紋分析ー昭和40・50年代を中心に」のテーマで40万円の研究助成金をいただけるとことになりました。昭和40年代50年代のオープンリールによる能の録音はかなり残っているのですが、機械がないままに、代が変わって廃棄されるなどということが多くなってきました。このなかには当時の名人の貴重な声や囃子がおさめられているものもおおくあります。これらをデータとしてまずデジタル化して保存し、そしてその声紋分析をしてみたいと思っています。私は、、いま名古屋能楽堂で聞く囃子の音と、昔熱田で聞いていた囃子の音はなんか違うような気がします。無論場所が違うと言うこともありますが、笛の音など特に、、もっと細かったのではという気がしてしかたないのですが。。いただいた助成金でできるだけ名古屋に残る名人の録音を収集し、保存したいと思います。もしこれを読んでくださっている方の中で、能楽関係の催しのオープンリールや戦前のレコードなどお持ちの方がいらっしゃいましたら、本サイトの羅雲寺(掲示板)に書き込んでいただけますか、erito7@hotmail.comにメールいただけますと幸いです。メールの場合、題は日本語でお願いしたいです。英文の題名の迷惑メールが物凄く多いものですから。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月20日 10日間書き込みが出来ませんでした。毎日朝阪大の図書館に行き、天野文雄先生の講義に出席し、学食で食事して図書館が閉まる9時迄勉強して帰ると言う生活でしたが、講義を受けると言うのは本当に勉強になるなあと思います。一人で悩んだり調べたりするよりも、知っている人に聞いた方が数倍早い場合があるのです。こういう論文が出ていますよ。とか、こういう考え方が出来ますよ。。とか。天野先生から啓発されることが多いのは勿論ですが、院生でもキラッと光る意見を言われる方が多いのですよね。次世代は頼もしいです。負けないように自分も頑張ろうと思います。明日は名古屋観世九皐会です。中所宜夫師の熊野と駒瀬直也師の鵺、名古屋出身の二人の中堅ですが、本当に楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月10日 ゴールデンウィークも終わりました。国内研修もいよいよ本格的に成果を上げられる方向で行わなければと思います。国内研修の目的は、近代・現代能楽史の資料を収集、整理して本を書くことが大きいので、図書館での作業が多くなります。しばらくなかなか日記を更新できないかも知れません。羅雲寺に書き込んでいただければ、それにはきちんとお返事したいと思っております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月9日 今日の午前中は家田病院に大腸・直腸の内視鏡検査の予約を取りに行きました。いまだに40肩が治らず車に乗る時左手でシートベルトを掴むとジーンとしたり、一昨年には脳ドックで脳硬塞の痕が見つかったり、若い頃の不摂生故なのである意味しかたがないのですが、私の身体にも年式相当、、場合によっては年式以上のへたりが来ているかも知れないと思うようになって、時間のある時にはできるだけ検査するようにしているのです。胃の検査は毎年やっていますが、大腸や直腸はやったことないなあと。。父からももう40代半ばなのでやっておいたほうが良いと言われていました。5月31日の火曜日に予約入れましたが、、前日から食事制限、その日はほぼ丸一日かかるそうです。健康なときでないとそんな検査受けられませんよね。。どんな検査でも2回目になると結構楽なので、健康なうちに受けて置くつもりです。連休明けで病院も混んでいました。診察も受けましたので、9時半にでかけて帰りは2時でした。嬉しかったのは血圧が上が115で下が65だったことで。。3月はじめ迄血圧高くて悩んでいましたが、全くの正常値でした。帰ってからひろとを幼稚園に迎えに行き、しばらく昼寝しましたので、これから勉強しようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月8日 今日は愛知教育大学附属高校の同窓会でした。残念ながら5回生の人はいなかったのですが、近い学年の人は結構いて久しぶりに話が出来て楽しかったです。いつも名古屋のホテルで6000円なのですが、今年度は刈谷市民会館の会議室を借りて料理は取り寄せ、お酒もでませんがそのかわり会費は1000円でした。同窓会費からの援助もあったのでしょうが、幹事さんが若い食べ盛りの人に配慮してくださいましたので、結構料理も残るくらいありましたし、会議室だけ借りて料理持ち込みというのも、良い企画だったのではと思います。附属高校は今年の1年生から学年で20人ずつ愛知教育大学に推薦で進む事ができるようになります。大学の改革の一環ですが、10人に1人は教員への道が開かれるわけで高校のカリキュラムもかなり変化するようです。私の同期は中学・高校の先生にずいぶんなっていますが、もっと教員希望者はいたものですから、あのころこの制度があればなあと思いました。よい先生がいっぱい育つといいなあと思いました。もちろん女の子には椙山を勧めていただくよう、先生方にお願いしてきましたが。今年の文化情報学部の1年生にも我が母校より送って頂いた学生がいますが。来年もぜひ後輩をと思いますし、他学部にも送ってほしいです。。大阪から帰って翌日ということもあり、疲れがでてしまってだるくなってしまったものですから、残念でしたが中座して帰って家でごろごろしておりました。明日は大事をとって医者に行こうかなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月7日 5日は尼崎の寺町の大覚寺で行われた阪神・淡路大震災10周年の追悼記念能にでかけました。風俗史学会の知り合いの方に御案内いただいたのですが、もうあれから10年たったのだなあと思います。大覚寺は古刹ですがやはり大きな被害を受けられたと言う事で、本堂などは新しく鉄筋でつくられたようです。2月に完成したばかりの能舞台、橋掛りが1間で短いのですが、舞台は正式なものでした。能を催すと言う事は、大変な仕事量が必要なのですが、大勢のボランティアの方がはたらいていらっしゃって、この地区にはこういったつながりがしっかりあって、だからこれだけ復興が早かったのだなあと思いました。地元の酒造メーカーの白鷹が冷たい甘酒の接待をされていましたが、大変美味しかったです。白鷹は能楽の普及講座もなさっているそうですが、そういうことを伺うと、白鷹飲もうかなあなどと思います。私は肝臓がよくないので、あまりお酒のんではいけないのですが。。でも、地元の企業が文化の育成にも協力されているのは素晴らしいと思いました。上田拓司の芦刈、すごく活き活きと舞っていらっしゃいました。若さがあって、良い舞台でした。大鼓の守屋由訓師、名古屋で拝見することはないのですが、すごく気合いを感じるのですよね。立見無料、椅子席1000円で素晴らしいものを見せていただいて、非常に有り難かったです。今日は大阪大学名誉教授の山崎正和先生の古稀祝賀講演会、大阪大学中の島センターに聴講に伺いました。山崎先生は劇作家ですが、哲学・美学を専攻された学者で、世阿弥の芸論をその立場で解説されたのですが、非常に説得力があって面白かったです。夜近鉄で安城に戻りました。明日は刈谷市民会館で愛知教育大学附属高校の同窓会です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月5日 今日は子供の日です。本当ならば子供と遊ばねばならない日ですが、尼崎に能を観に行く予定です。ひろくんとともえちゃんには、おじいちゃんのいえで昨日とってきた山菜おこわを食べて貰う事になりそうです。。近くに両親が住んでいて、本当に助かります。。6ケ月の国内研修もあっという間に一月終わりました。この時期にしかまとまってできない資料収集と整理には力を入れなければと思っています。目的の一つに関西の能を見る事と地理を確認する事もありますので。名古屋の能楽師さんには、京都・大阪・神戸に修行に行かれた方が多くいましたから、その人たちの修行した場所ー昔とはかなり変わっているのでしょうがーを訪ねたいです。ではまた、みなさまお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月4日 今日は午前中、父と家内と子供達を連れて足助町のグリーンファームに蕨狩りにでかけました。父は群馬出身で、家が農家でしたから、蕨狩りなどは好きですし大変上手です。父が好きなので、私達も子供の頃よく野草摘みにでかけました。いまはさすがに安城でも自由に野草が摘める場所などありませんので、最近ではどんなに忙しくても連休のどこか一日の午前中だけは足助町まで蕨狩りに行く事にしています。私はあまり夢中になることはないのですが、山に入ると父とひろとは夢中になります。二人ともあっという間に栗山の上の方まで上って行ってしまって。。ひろとが結構見つけて採るので驚きましたが。。ともえはたんぽぽが白い綿毛になっているのを見つけては、わあーーっと言って吹いて飛んで行くのを観て楽しんでおりました。まだ蕨がわからないので。。グリーンファームで買った山菜弁当と家から持参した母の手作りのおかずを食べて満足して帰宅しました。いま一家であざらしをしております。一日あくを抜かねばならないので、明日しか食べられませんが。。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月3日 朝サイトに繋がらなかったので心配しましたが、どうやら復旧したようです。どうしたのか原因はわかりませんが。今日は同業の高校の先輩のお宅に遊びに行き、一緒に回転寿司にでかけて思いっきり食べました。そしてお互いの近況をわあわあ話してすっきりして帰ってきました。同年代はどうやっても悩みが共通しますので。。そういっても午後からはお互いに仕事しています。連休ではありますが、研究とか創作とかいう仕事は自分でやらないと先に進みませんから、仕事がなかなか切れないのですよね。子供が昼寝していますが、起きたら散歩にでも連れて行こうかなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月2日 連休の谷間の平日です。午前中は家内と二人でひろととともえの幼稚園の親子遠足について行きました。連休であるだけにパパの姿もちらほらと。。でも圧倒的に最年長のパパで、先生も若い先生が多いので、どう考えても園長先生なみの貫禄があったろうなと思います。。若いパパはいいなあと思いましたが、自分があの若さのころは、きっとパパ業なんてうざったくってやっていられなかったろうなあと。。きっと子育て放棄して能ばかり観に行っていたか、少なくとも子供の遠足に行って一緒にのり巻き食べて楽しいとは思えなかったろうと思います。若い頃は、小遣いの限りを使って能楽堂に入り浸って能を観ていましたし、図書館で紙コップのコ−ヒ−飲んでは古い能の雑誌読んでいました。自分のやりたいことは少なくとも半分以上はやったからいま子供とのり巻き食べても楽しいのだろうなと。。私は学生には「やってみたい事は悪い事でなければ我慢せずに少しでもやって見ろよ」と言いますが、これは「本当はこういうことやりたかった」という気持ちがどこかに残ると、次のステップになかなか進めないかも知れないと思うからなのですよね。私にとっての子育てなんてよい例でしょうが。。もし若い頃能を観ていなくて、「もう少し能が観たかった」と思う気持ちがわだかまりとして残っていたら、子供と遊んでいられずに能に行くでしょう。。人により私の能に当たるものが仕事であったり研究であったり様々でしょうが。でも親子遠足って、子供にとって本当に楽しいものなのですよね。いつもより早く起きて、集合時間よりずっと前に玄関で用意して「パパー、ママーいくよおーー」と言うのです。近くの秋葉公園ですからいつも行く場所なのですが。どの家庭も子供の好きなおかずで、しかもきれいに作ってあって、、うちも家内が用意してくれたのですが、のり巻き朝から大変でした。。午後はみんな帰ってきてあざらししています。。ただ、パパは、研究資料の整理をしたいと思っています。楽しい一日でした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年5月1日 腕と肩が痛いです。。40肩で前から左肩が痛いのですが、昨日はひろとをだっこしたりしたものですから余計ひどくて。。ひろくんに「パパは40肩で左肩が痛いのよ。」と言ったら「ひろくんだって5歳肩といつて、肩が痛いのよ。」と言っていましたが。。今日は午前中いっぱいごろごろしていましたが、まだ疲れがとれないです。子供は昨日の疲れはまったく残っていないようで。ひろともともえも、パパたいくつーーーと言っています。。子供達には悪いですが、きょうはあざらし状態にさせてもらおうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月30日 あっという間に4月も終りです。一昨日から家内と子供も大阪に来てくれていまして、今日は京都で10年振りに京都に住んでいる大学院時代の友人とお互い子供連れで会いました。北野であわ餅をごちそうになってしまいました。大変おいしかったです。子供など一人分ぺろりと食べてしまいました。すごーーく懐かしく、楽しかったです。子供は新幹線の中で寝たせいかいま眠れなーーいと言っていますが、すごく体力の回復が早いのですよね。若いっていいなあと思います。親はきっと明後日頃肩や腰が痛いのでしょう。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月26日 今日は身体が重いものですから、大阪には行かず、家でのんびりと仕事をしております。来月末の研究会の発表資料の作成のために、戦前から戦後にかけての能楽雑誌を読んでパソコンに入力しているのですが。。おじいちゃん達はこういう時代に働いていたのだなあと。。ものがなくて殺伐としていたはずの時代に能の催しが数は少なくとも続けられていた事にすごい執念を感じます。それがあって、現在の繁栄があるわけですが。。社会全体がこれからどうなってゆくのかなあと。。10年前にはまだポケベルはあっても携帯電話はなかったわけですしね通信販売は全盛でしたがインターネットでの取り引きなど考えませんでしたから。。能の催しも、趣味のあり方も、生活の変化で少しずつ変ってゆくかも知れません。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月25日 今日は夕方より古文書の研究会がありましたので、名古屋に行きました。尾張藩関係の能楽の記事を読んでいるのですが、大変勉強になります。いずれ名古屋の近世能楽史もまとめたいです。でも、まず近代・現代能楽史からまとめなければならないと思っておりますが。。恐ろしい電車の事故が起ってしまいました。週末は子供を連れて関西に電車に乗りに行く予定なのですが。。犠牲者の御冥福をお祈り致しますと共に、このような事故が二度と起きないように祈ります。現代の日本の事故と思えないです。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月24日 今日は午前中熱田教会の礼拝にでかけました。教会幼稚園の園庭で比呂人や友恵が砂まみれになって遊んでいるのをみながら、元気に育ってよかったと思いました。もっともっと元気に大きくなって欲しいです。午後は家内や子供はその後の会にも出席したのですが、私はちょっと疲れが出たので家で昼寝しておりました。最近は勉強以外の仕事は一切やっていませんので、そういう意味ではすごく充実しているのですが、外食続きで野菜が足りないのと洗濯などぜーんぶやらねばならないのとがあって、多少疲れているのだと思います。なにせ家では全部家内がやってくれるものですから。。典型的な昭和の旦那です。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月23日 しばらく日記の更新ができませんでした。大阪での一人暮らし、結構慣れましたが、どうしても野菜が不足します。21日は京都観世会館で養成会の発表会でした。笛の若い人がすごくしっかり吹かれていてすごいなあと思いました。杉市和先生の御長男とのことでしたが。。昨日は東京の矢来能楽堂の「のうのう講座特別公演 橋弁慶」の撮影に伺いました。観世喜正先生はいつ観てもすっきりしてかっこいいです。矢来能楽堂は出演者が近くで観られますので迫力がありますよね。子方の奥川恒陽君、きびきびしていてよかったです。牛若丸という雰囲気よくでていました。あれだけの質のものが3000円で観られるのですから、東京はやっぱりいいよなあと。名古屋であれだけそろえたら、どうしても交通費で割高になるでしょうから。。。満席でしたが、当然と思います。大変楽しかったです。後期の講義に「橋弁慶」ぜひやりたいと思います。午後安城に戻りました。夕食は、父の教え子の方が定年退官されて、父の所に遊びに来られたので一緒に食事しました。。40年振りにお目にかかったような気がします。。小さい頃、よく遊んでいただいたのですが、そのころのこと、覚えております。父の教え子さんがもう退官なんて。。と私がもう44歳になるのですから仕方ないのですが。。時が経つのって本当に早いです。ではまた、よい週末をお過ごしくださいますよう。
2005年4月19日 今朝おきたら子供が二人とも私の布団にはいりこんでいて、可愛いなあと思いました。別に今日に限ったことではなくて、家にいるときは「パパまくら」とかいって、よくよりかかってくるのですが。でかけるときにはパパの方がちょっと淋しいです。国内研修、まとまって研究に時間が使えるのでとても充実しています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月18日 今日は家で調べ物をしております。5月28日の東海能楽研究会で戦前から戦後にかけての名古屋能楽界に関する発表を行いますので、その準備です。昭和初期、いまから70年くらい前の両親の生まれたころの雑誌や新聞をコピーして読むのですが、能以外の記事も目に入ってしまうのですよね。そうするとものの考え方がこんなにも違うのかと驚くことが多いです。深夜帰宅を夫に叱られて妻が自殺とかいって、、深夜が夜10時だったりとか。その記事の書き方が「可哀想に」ではなくて、そんな時間まで主人の食事も作らずに友人と遊ぶなんて、、と非難する調子だったりとか。。娯楽欄の大半が映画で、知らない女優さんや俳優さんがいっぱいいたりとか、、歌舞伎役者の名前は今と変わらないので、あああの役者のおじいさんだなあとかはわかるのですが。大学生というのが、すごい将来の出世を約束された階級なのですよね。いま中国で日本批判のデモが起きていて大変のようですが、中国の老人がイメージする日本があの戦前の雑誌の世界の日本だとしたら、わからないでもないです。完全な「階級社会」なので。それにすごく排他的です。無論戦後と言わなくても、この25年でも生活も意識も変わりました。私が始めて下宿した時にはコンビニなんてなかったですし、郵便小包はありましたが、宅急便はなかったと思います。いま大阪の下宿についている浴室乾燥機なんて、なんと便利なものなのだろうと感心してしまいました。雨が降ったら洗濯やめようなどと考える必要ないわけですから。独身生活には便利になりましたが、男の方で「ああーー、嫁さん欲しいなあ」と思うことが少なくなったかも知れないです。あるいは嫁さんに対する感謝の念や。。人を必要としない社会というのは便利なようで危険ですよね。社会が変わって行って、自分達も、きっと中国の人も世界中で変って行っていて、その認識の度合いがずれて、争わなくてよいところで争うようになっているのかなあと思いますが。今日は子供と家内はイチゴ狩りにでかけ、大満足で帰ってきました。イチゴは高かったみたいでお土産はイチゴジャムでしたが。私はジャムも大好きなので。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月17日 今日は名古屋能楽堂に鳳の会の撮影に伺いました。私にとって今日一番面白かったのは「伯母が酒」でした。祐一先生のけちな伯母さん、それを騙して酒にありつく甥の友彦先生、両者にベテランの味があって、とても良かったです。祐一先生は7月に四世井上菊次郎を襲名されます。三世菊次郎になられた井上松次郎先生に雰囲気もよく似て来られましたし、良い時期の襲名ではないかなあと思います。客席にも若い方が多くいらしていました。前期に講義があれば、私も学生をつれてこられたかもと思いますが、その点は残念でした。帰りは家内と子供と待ち合わせて、ひろくんの大好きな回転寿司でゼリーとうどんとケーキとたまごの寿司を食べさせて帰りました。友恵はなんにでも醤油をどぶどふかけて、、食べないのですね。。結局ゼリーとプリンとうどんでしたが。。パパとママは醤油だらけの辛い寿司を食べましたが。。大変楽しかったです。ひろとは「ごくらくごくらく」とか言っていましたが、そういう言葉どこで覚えたのかなあと。。子供って言葉を覚えたり、話を作ったりにも、独特の感性がありますね。比呂人には前水族館であざらしを見せたのですが、あざらしが夫婦でどってりと寝ていたのがとても気に入って、友恵に「あざらしは南の島に住んでお魚を食べているのよ。それでパパとママと子供はとても仲が良くて、お腹がいっぱいになると、ああやってどってりと寝ているのよ」と言うのですね。「それでねえ、あざらしは夜9時になるとみんな歯をみがいて寝るのよ。。」と。。どこでこういう話を思い付いたのかと思いますが、二人とも私の子供の頃よりは前向きな子供なので、良い方向に素直に育ってくれたらなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月16日 今日は9時まで寝て、それから午前中ごろごろし、午後は書類の整理や能の注釈の原稿を書いて過ごしました。夕方には比呂人と友恵の自転車の練習に近くの公園に行きました。友恵もまだ自分ではこげませんが、だいぶ自転車に慣れたようで、恐がったり嫌がったりしなくなりました。パパは中腰で自転車ひっぱって体力使いましたが。。やはりこういう時間が持てると楽しいなあと思います。仕事だけだとそれも淋しいですし。子供の頃父がよく散歩に連れて行ってくれたのはこういう効能もあったのかなあと思いました。父の散歩はひたすら田んぼを歩くものでしたが。ぼくももう少し友恵が大きくなったらそれをやろうと思います。明日は狂言の鳳の会の撮影に伺います。とても楽しみです。大阪にいるときには時間的余裕がなくてなかなかホームページの更新できないかも知れません。羅雲寺に書き込んでいただければ、最低そのお返事だけはしたいと思いますが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月15日 本当は日付けが変わっていますから16日なのですが、まだ寝る前は15日ということで。。今日はすごい夜更かしをしています。難波発夜9時のアーバンライナーで帰ってきまして、家についたのが12時ちょっと前です。新幹線使えばもっと早いのですが、貧乏性でそれができないです。やっぱり安い方が好きなので。それにアーバンライナーの中ならば仕事もできるので。。今日は豊嶋十郎筆の脇の型付を翻刻していましたが。。結構できました。水曜日からの三日間ですがとても充実していました。院生の方々と一緒に天野先生の講義や演習をとっているのですが、非常に勉強になります。すでに論文で読んでいる内容を話されていても、教室では事前知識のない学生さんも当然いますからより分かりやすい言い方でなさいますよね。ですから、成る程そういうことなのかと思うことが多かったです。図書館で昭和初期の読売新聞のデータベースで「能楽」とひいたら200件以上でてきて、、こういうものも丹念に見ればいまと違った様子がわかるのではと思います。明日は思いっきり寝坊しようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月12日 いよいよ明日から大阪です。勉強できるのはすごく嬉しいのですが、ものすごく久しぶりの一人暮らしなので、大丈夫かなあと。しょっちゅう帰ってはきますが。。。大学院の5年生で結婚して以来、身の回りの事はぜーんぶ家内がやってくれていましたので。。洗濯も掃除も炊事も以来一度もやっていません。典型的なぐーたら亭主なものですから。。家内にはいつも感謝です。でも、それこそがんばらないと。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月11日 昨日は三宮の六麓会にでかけました。例によって往復高速バスですが、沿道の桜がきれいでした。宮本圭造氏の能面師井関に関する御発表、すごく手堅くて面白かったです。まだ若い人ですが、すごく勉強なさっているなあと。。研究の世界は年齢とか地位ではなく、その時に良い論文がかける人が偉いのですよね。そういう意味では本当に「偉い」と思います。今週から大阪に行きますが、関西の能楽のことをいろいろ教えてもらいたいなあと思っています。今日は午後、比呂人の幼稚園友達がうちに来て、友恵も一緒にみんなでプラレールで遊んでいました。お友達と結構遊べるんだなあと、、我が子をほめてやりたいと思いました。夕方は比呂人・友恵を連れて安城駅まで久しぶりに電車を見に行きました。残念ながら貨物列車は通りませんでしたが、電車を見て喜んでいたのでよかったと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2009年4月9日 今日はお昼御飯に両親に来てもらって、友恵の入園祝いをしました。幼稚園のスモックを着て写真をとって、、玄関の前の菜の花がきれいにさいて、外の桜もとてもきれいでした。男の子と女の子と一人ずつ恵まれてとても幸せだと思います。お下がりで着せられるものが限定されるので服代はかかりますけれど、男の子と女の子って小さい子でもやっぱり違うのですよね。そういう発見もあります。午後は名古屋能楽堂の「二十一世紀邦楽の会」に出かけました。有楽流のお茶をなさっている方からチケットをいただいて、茶音頭を楽しみに伺ったのですが、今日は名古屋城の桜が満開で駐車場が満車でした。こんな経験がなかったので、栗までうろうろして、お城の反対側にようやく停めて行ったのですが、その演目は終わっていて残念でした。尺八の青木鈴慕はさすがに味がありました。あと、五条園美はやっぱりいいなあとか。。今日は名古屋能楽堂でしたが、三曲とか地唄舞とか箏曲って、きっと広間やお座敷で聞いたらもっといいのだろうなあと思いました。「唄」の発声が謡曲とはやっぱり違うのですよね。艶な感じがして。女性の声の質にとても合うと思います。ただ、劇場用ではないような気がしました。明日は六麓会という能の研究会に参加するため、三宮に行こうと思います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月8日 今日は友恵の幼稚園の入園式です。この日のために家内が作ったプーさんの袋をもって、プーさんのワッペンをいっぱいつけたスモックを着て、プラレール柄で統一した比呂人おにいちゃんと一緒に、ちょっと上等の服を着て家内に手をひかれて行きました。もう今年は4歳になるのだなあと年が経つ早さを思います。昨日は京都で大学の先生をしている院生仲間に電話しました。とっくに学位を取得してもう前から教授になっているのですよね。。年は私より二つ下ですが、非常な勉強家で、一日に9時間以上寝ていた私とはえらい違いでした。優秀な人だったから認められて当然と思いますが、驚いたのは、男の子がいるのですが、この間生まれたと聞いたくらいのつもりがもう小学校4年生ということで。。自分達はあまり変わっていないと思っても、子供の成長で時を感じます。家族で京都に行くこともありますので、一家でお目にかかりたいなあと思いました。ただ、私も白髪は増えたし、背広着ているし、勤めてから手紙やメールのやりとりはあってもなかなかお目にかかっていないので、わかっていただけるかどうか。。今日も「能楽タイムズ」の書き抜きをしたいと思います。45歳までには「近代能楽史序説」の原稿あげたいなあ。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2006年4月7日 今日は雨が降っています。比呂人は明日から幼稚園です。すごく久しぶりに大学院時代の夢を見ました。当時の仲間が短時間にぱっぱっと静止画のように切れ変わっていったのですが。。みんなもうそれぞれの職についていて、中年のはずなのですが、夢に出てくるのは20 代の姿でした。。目が醒めて、不思議な気持ちでした。。あのころにくらべれば、年はとりましたが、みんなそれなりの立場にいて、それなりに業績もあげていて、認められていて、いまのほうが絶対幸せなはずなのですが、あのときの方が仲間と悩みとか共有できていたのかなあとか。。考えてみれば、院をでてから、年賀状のやり取りだけの人もずいぶんいます。あんまり人付き合いのある方ではないこともありますが。ただ、同じ業界にいると、論文目録で名前みますから、何をやつているのかなあということは分かりますし、他分野の人でも大学に勤めている人はグーグルで検索すると、まずわかるのですが。。なんか同期会とかあつたら行きたいなあと思いました。「学会」ではなくて、ただの飲み会のほうが有り難いですが。関西に就職している院生仲間も結構いるので、電話してみようかなあと思います。でも、みんな忙しいかなあ。。今日は1日「能楽タイムズ」から抜き書きして過ごします。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2006年4月6日 よく晴れて暖かい日です。今日の午前中はひろとが、「たまには外で遊ぶのにつきあって。」というので、近くの公園でひろととともえの自転車の練習につきあいました。ひろとは補助輪無しでももう上手に走るのですが、ともえはまだペダルを漕ぐことができなくて、パパがひっぱるだけです。中腰でひっぱっていると短い距離でも結構腰にきます。30分ちょっとで帰って、食事して、いまみんな昼寝しております。午後は「能楽タイムズ」から抜き書きをしているのですが、私がうまれたころともうずいぶん能楽界のようすが違うのですね。狂言方を囃子方より格下にみたり、茂山弥五郎という名人が、狂言をみてもらおうというようなケチな考えはもっていない、間狂言をしっかりやりたいと発言していたりとか。。雑誌と言うのはその時代を敏感にうつします。戦後がこの600年で一番能の変わってきた時期かも知れないと思います。こういう基礎的な勉強は大好きです。おもわず読んでしまうので抜き書きは遅々として進まないのですが。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月5日 今日は父の誕生日です。そういうわけで、夜は一家で集まってお祝いをしました。卒業記念パーティのビンゴであたったスパークリングワインをあけました。とっても美味しかったです。両親ともに元気でいてくれるのは本当に有り難いことです。もっともっと長生きしてひろとやともえの結婚式にも出て欲しいと願っています。昼は御園座の歌舞伎にでかけました。「引窓」、中村橋之助がいいのはもちろんですが、お早の片岡孝太郎がとってもよかったです。「道元の月」、あんまり期待していなかったですが、三津五郎はなにやってもかっこいいですよね。八十助のころよりも貫禄もでてきたように思いますし。それと、とにかくセットがきれいでした。「雪の永平寺」の場面などは、本当にきれいで。。特撮では絶対にでない感動があります。御園座がはねた後、書類を書きに大学によりました。桜がちらほら咲いていて、新入生らしい人たちが履修のことなどを話していました。良い4年間を過ごして欲しいと思います。今日も幸せな1日でした。これからの時間は、ちょっと勉強しようかなあと思います。ではまた、みなさまお身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月4日 平日の月曜日なのに家にいて、子どもが9時近くになるのに起きてこないのでパソコン打っているというような、のんびりした生活をしております。今日こそは筧先生を中心とした名古屋の能の研究プロジェクトの申請書を完成させないと間に合わないのですが。あと、名古屋能楽資料年表の昭和の調べをはじめるのと。。先日の血液検査で、血中のアドレナリンだかなにかの数値がちょっと高めで、お医者さんから「かっとなりやすい性格ですか。。」と言われたのですが、自覚はないですが、やや戦闘的な性格かも知れません。研究助成とか、通るとやれることが違いますから、「絶対通るぞ−ー。」とか思って書くのは、まあ良い方に作用しているのでしょうが、悪い方に作用しないように気をつけたいと思っています。寝る時間が短いといらいらするので、ゆっくり休もうと心掛けています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月3日 今日は神戸の三宮勤労会館で行われた神戸古典研究会にでかけました。月曜日に授業があるとどうしても疲れがのこりがちなので、日曜日に神戸や大阪にゆくことはなかなか出来ませんが、サバティカルの期間は本当にありがたいです。黒田彰先生の「李夫人の曲舞」に関する御研究、とにかく漢籍の用例が博捜されていて、いつもながらすごいなあと。。どうやってああいう用例を探されるのだろうかと。。挙げられた漢籍、知らないものが多くて、僕はもっと勉強しないといけないなあと思いました。後漢時代の墓地に描かれた壁画の調査から当時の孝子伝に関する考察もされていましたが、ここまで調べるものなのか、、と思いました。いつも名古屋から三宮までは高速バスなのですが、今日はバス停の切符売り場に行ったら満席ですと言われて、アーパンライナーでゆきました。友恵がひざのうえにいるので、ここでやめます。3歳半になって、顔から態度からますますパパそっくりになって、パパとしてはうれしいような困ったようななのですが。。ではみなさま、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月2日 昨日は藤井知昭先生に、能の音声資料の研究方法について御教示頂きました。藤井先生は国立民族学博物館で教授をなさっていて、もう退官されましたが、伏見に研究所を設立されてクラシックから民族音楽まで非常に広く御研究なさっています。博物館の非破壊実験室で同僚の先生と各国の楽器のレントゲン撮影を行って構造を調べたりなさったこともあるとか。能の小鼓や笛の構造等も、詳しく科学的に測定したら、なぜこの笛とこの笛の音が異なるのかなどいろいろ面白いことがわかるのではないかなあと思いました。音楽の研究用の分析ソフトもかなり進んだものが出ているとか。。調べてみたいと思います。私は昭和50年代といまの能で、謡曲も囃子もなんか聞いた感じが異なるような気がしてしかたないのですが、それが自分の思い過ごしなのか、やはり実際にそうであったのか、録音の分析などでできたら面白いなあと思います。オープンリールのテープやレコードは劣化しやすいので、名古屋にあるものだけでもデジタルにはやく変換したいと思っています。今日は助成金の書類作成をしたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年4月1日 いよいよ今日から国内研修期間です。とにかくまとまった勉強時間が欲しかったので、大変嬉しいです。大阪大学の講義が始まるまでは名古屋にいてもよいということでしたので、これからしばらくは名古屋にいての勉強になります。筧先生と共同で続けている名古屋の能楽史研究のための助成金申請書類の作成や、御著書などいただいていながら礼状も出せなかった方への礼状など、きちんと書こうと思っております。午後は藤井知昭先生のところに伺って、昭和40年代の能の録音など音声資料の研究へ役立て方について御教示いただく予定です。がんばって勉強します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月31日 今日で今年度も終わります。羅雲寺によく書き込んでくださっている大川さんも就職が決まり、明日から仕事とのこと。また生活社会学科時代の卒業生からは結婚しましたという葉書をいただきました。本当によかったなあと思います。今年度一年、色々慌しかったなあと思いますが、どうも事務処理の手間が悪くて、必ずしも効率的に行かなかったなあとか反省事項は数多くあります。でもなんとか、多少ハードな役も周囲の皆様の援助のおかげでなんとか今日まで来ることが出来、本当に感謝致しております。体調も好調で、ここまで維持できたのは、同僚にも家族にも本当に気をつかっていただけたからで、本当に感謝でした。無論運動不足から来る四十肩で、左手が真っ直ぐ上に上げられません。これから9月20日まで、国内研修期間となります。名古屋能楽資料年表(近代・現代編)の完成と、謡曲の注釈・訳をきちんと行うことができるだけの能力を身につけることが目的です。そのためには、大阪大学の天野先生の研究方法をよく習ってきたいと思います。一旦「研究」の世界に入れば、身分もなにも関係なくて、そのときによい論文が書ける人が偉いので。院生さんたちと一緒に勉強して、最新の研究についてお互いに情報交換できるとありがたいなあと思っています。みんな仕事が忙しい中で研修に出していただけた椙山女学園大学の同僚の先生方・事務の方々に本当に感謝いたします。それだけに、45歳までに次の本の原稿絶対完成させるぞーーというキアイを持って研修期間にはいろうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。来年度が皆様にとってすばらしい一年でありますよう。。
家に帰って、マックのページミルを使ってアップロードが出来るかためしています。これまではホームページビルダ−でしたので。。うまく行くといいなあ。。
2005年3月29日 昨日は名古屋梅若六郎の会でした。馬場あき子氏の新作能小野浮舟。。やっぱり聞きなれない謡曲は難しいですね。耳慣れてくればここはこういう筋とわかるのでしょうが。。でも梅若六郎という役者は本当にすごいなあと。。どういう役でもそれなりの雰囲気で見せてしまうというか。。凡庸な役者だったらこういう特に所作で見せることが少ない新作能を演じて魅力的に見せるってとても無理だと思います。出家してなお残るわだかまりとか、そういった感情を美しく見せてしまうのですよね。。石橋も面白かったです。梅若六郎の「赤獅子」初めて見ました。「白」ならば何回でも拝見していますが。。キアイがあって面白かったです。囃子も笛の藤田六郎兵衛、大鼓の河村総一郎、太鼓の助川治。。名古屋人の気迫を感じました。明日は能面を拝見に京都に伺おうと思います。楽しみです。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月25日 今日は雪の舞うものすごく寒い日でした。茨城に住む弟の真喜人が長女を連れて安城に帰省したものですから、弟とその娘さん、比呂人・友恵とで岡崎の世界こども美術博物館に行きました。いろいろな工作の体験コーナーがあり、子供たちはかばんかざりとペーパーウエイトを作って楽しみました。子供が選んだのはどれも小さいもので、1点3百円程度だったので、御父さんの御財布にもやさしかったです。そのあと、まっすぐ帰ればよかったのですが、、きのこの形をした大きな滑り台や展望台を見て、子供たちは遊びたくなってしまったようでみんな駆け回りました。その後みんなでラーメンを食べて帰ったまでは楽しかったのですが。。弟の娘は夕方熱がでてしまいました。近くの御医者さんに診てもらったのですが風邪のようです。。早く良くなって、楽しみにしていたポケパークに行けるといいなあと思います。夕食は真喜人と娘さん、実家の両親とうちの一家と大人数でした。楽しかったです。でも、とても3月末とは思えない寒い日でした。明日は暖かくなることを祈っています。ではまた、御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年3月24日 ついに明日から愛知万博です。私も家内と子供を連れて行きたいなあと思っております。楽しみです。大阪万博は小学校3年生の時、新幹線で日帰りして一回だけ見に出かけたように思います。アメリカ館とソ連館(当時はソ連でした。)でそれぞれ三時間くらい並んで見たような気がします。一番の人気はアメリカ館の「月の石」でした。人間がついに月にまで行った。。「科学の世紀なんだ。。」と思った象徴的な出来事でした。月の石はその後色々なところで展示されて、確か名古屋の科学館かどこかで大学生のころ見て、平日のがらがらの展示室で「ああ、自分は小学生のころこれを見るために三時間並んだなあ」と思ったものです。万博と言うと、なぜかそれよりもスリランカ館で飲んだ紅茶がすごく美味しく感じられたとか、そういう思い出のほうが大きいのですが。大学院のころのつくばの科学万博からももう20年経つのですね。家内と「ハイテク薪能」というレーザー光線が飛ぶ薪能を観て「やめてくれーー」と思ったものです。こんどはどういう万博になるのか。。楽しみです。ひろとやともえにも良い思いでができるといいなあと。。この中年日記、気がついたら今年になってもずっと2004年と日付を書いていました。びっくりして訂正しました。ついでに昨年までのは別頁にしました。上にリンクを貼りましたので、そちらを見ていただけますと幸いです。来週末からいよいよ国内研修です。更新の回数がちょっと減るかも知れませんが、日記と羅雲寺はきちんと更新したいと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月21日 今日は春分の日の振り替え休日で御休みです。それなのに、子供をどこにも連れて行かないのでひろくんに怒られてしまいました。うーーん、ごめんと言いつつ午前中は来週の東海能楽研究会のプリント作成、午後は愛知県芸術センターコンサートホールで行われたアンサンブル金沢のコンサートにでかけて来ました。アンサンブル金沢では、現代音楽、特に筝曲とか素囃子を取り入れた曲に積極的に取り組んでいまして、今日も宮城道雄の「春の海」を東海正派合奏団とともに演奏しました。もともとは筝曲ですが、これを筝と洋楽器で演奏すると、違った面白さがありますよね。非常に楽しかったです。会場に若い男の子が多かったのも頼もしかったです。意外と質素な格好で、大学生くらいの人たちだと思いますが、クラシックのコンサートに来る若者がこんなに多いなんて、名古屋も捨てたものではないと思いました。。帰りの電車賃と僅かな食事代くらいしか持たずに水道橋の宝生能楽堂に通いつめていた昭和の自分を思い出しました。(当時の私ほど暗そうな雰囲気はありませんでしたが。)せめてこれから子供を風呂に入れようと思います。ではまた、御元気で御過ごし下さいますよう。
2005年3月20日 今日は子供二人の風邪も治り、本当に久しぶりに一家で熱田教会に行きました。いつもだれかが風邪気味でしたが。。今日から受難週。。イエス様の苦難を覚える週です。来週はイースターで、子供にとってはゆでたまごの日です。。小さい頃はイースター礼拝から帰ると必ずラーメンかうどんで、その卵を半分に割って載せて食べたものでしたが。いろいろな色がついていて楽しかった思い出があります。。名古屋能楽堂では梅田邦久師の邦謡会がありましたので、家内と子供は礼拝に出席し、私は教会学校のみで能楽堂に行きました。梅田先生の鉢木、人と話しこんでいて途中からになってしまいました。年齢を意識なさったのか渋めの装束でしたがすごく素敵でした。自分の意志と矜持と、そして環境によってそれが物質的に報われていない現実と。。鉢木が戦時でなくとも名曲として演じられつづけるのは、常世の悩みが世で働く人々の普遍的な感情と通じるからでしょうが。梅田先生は名古屋で初めての観世流職分になられました。「職分」というのは玄人の指導に当たる先生と言う役割が大きいのではと思いますが、梅田先生の芸はまさに鍛錬の結果身につけられた「継ぐべき芸」なのだよなあと思いました。来週の研究会のプリントが出来ていないものですから、鉢木のみで失礼しましたが。。プリント頑張って作ろうと思います。ではまた、御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年3月19日 ここしばらくの間に大学・大学院時代の友人から何件か連絡頂くことがあり、一気に大学時代を思い出しております。J友さんからは、羅雲寺に大学時代によく買い物にでかけた土浦が淋しくなっているという書き込みを頂きましたが、どんな感じになっているのでしょうか。北海道にいらっしゃる同級生からも、季節の便りをいただきました。まだ雪が積もっているとのことで。。こちらは鶯がないているのですが。鶯の絵をペイントで描いて添付ファイルで送ったのですが、あまりに下手だったので家内に「なんじゃこりゃ」と落書きされてしまいました。。でも、、昭和は遠くなったのだなあとあらためて時の流れを思わされました。あのころは自分にとっては下積みで、そんなに毎日楽しいとは思いませんでしたが、でも頑張っていたよなあと思います。今日は来週の東海能楽研究会の発表準備をしています。がんばろうと思います。ではまた、御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年3月18日 羅雲寺に全く知らない人から下品なビデオの宣伝のような書き込みをされることがありまして、困っています。ホットメールも使っていますが、迷惑メールが多すぎてどれが大切な用件なのかわからないとか。。世の中に困った人がいることはわかっていますが、その対策に裂く時間を考えると頭にきます。他に楽しみがないのかよと、、きっとないのでしょうね。。能や狂言に趣味を持てるだけ私は幸せだと思います。一生楽しめる趣味を持つことは大切です。がんばって若い人にも広めなければならないと思います。能楽協会のホームページに、ビデオの著作権に関することが載りました。私も主催者の方のご協力が得られるもの催しで、日本文化論の教材に使えるものは撮影させて頂く事が多いものですから、非常に関係します。能のビデオは主催者が記録用に取るものが一次利用で、それを教材に用いることは大学であっても二次利用となるそうです。撮影の許可や、講義での使用は今後どのように行うべきなのか、まず事情のわかっていらしゃる方によく聞かないとなあと思いました。私としては、まだ講義用に色々な曲のビデオが欲しいものですから。こういう規制がでてくるのも、きっとこれまでに自分のビデオや写真が一人歩きした苦い経験のある楽師さんたちがいて、その反省の上でこのようなルール作りがなされつつあるのでしょうが。ある団体では、今後能の主催公演については出演者の依頼したカメラマンについても一切撮影を許可しない方針だと聞きました。現在の状況ですと出演者全員の了承を得ることが困難と言うことから言えば無理からぬこととも思いますが、後世何の記録も残らないと言うのも淋しいことだなあと思います。いずれルールが確立して落ち着いて行くのでしょうが。「能作業の小屋」の研究業績書を更新しました。力任せにやりたいことはがんばってきましたが、大系は出来ていないし上品さには欠けるなあと思います。ただ、国内研修の前に、自分に足りない部分を整理できた点はよかったと思います。大半の業績を整理して入力してくれた家内に感謝です。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月16日 今日は栄で卒業パーティでした。昔の謝恩会ですが、最近は先生も会費を出して、みんなで卒業を祝うと言う。。このほうが今の時代にあっては自然な気もします。知っている学生がいなければ出てもなあと思ってゼミの学生達に聞いたのですが、出席する学生が多いと言う事でしたので、私も出席する事にしました。結局色々都合があって、ゼミ生6人のうち出席できたのは3人だったのですが。。ただ、ゼミ生から「ゼミ生一同からです」と言われて花束貰ったときにはさすがに感激しました。今年は授業以外の雑用も多くて、そこまできちんと学生さんの世話ができなかったなあと思って反省していましたから。。ゼミ生さん全員の今後の御活躍と御多幸を祈っています。全員就職が決まっているので、今年は気持ち的にも楽でした。これまでそうでない年もありましたから。無論うちの学生達はバイタリティがあって、最悪の時でも4月か5月にはみんな決まったと連絡くれていたのですが。。パーティのビンゴでワインを頂きました。こういうもので当たる事ってあまりないのですが、嬉しかったです。来月から、また新たなゼミ生さんたちがやってきます。頑張ってよいものを作ってもらうべく、私も精進しなければと思います。幸せな1日でした。みなさま御身体に気をつけて御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年3月15日 今日は卒業式でした。毎年日比野の国際会議場で行われるのですが、今年は雨が降らなくてよかったです。(夕方から少し降りましたが、式のときは大丈夫でした。)毎年ながら華やかでした。余り人気のある先生でもありませんので、少数のゼミの学生におめでとうと声をかけて、それで帰ってきました。なにせ一般教養でこそ大人数の講義もありますが、それ以外は軒並みすごく数が少ない授業なので、知っている学生が少ないのです。でも卒業生全員の幸せを祈っております。自分の大学の卒業式はもう21年も前(昭和59年)です。将来もわからないむせぼったい重い気持ちで、しかも大学院に進学が決まっていましたから、友人達を送るだけで生活が変わることはなかったのですよね。あまりめでたい気持ちにもならず、終わるとさっさと下宿に戻って引越しの準備(大学院に入ると二年間は学生宿舎にはいれたので)をしていたように思います。あの頃はやっていたユーミンとか中島みゆきの歌を聴くと、あの時代を思い出します。不況で公務員人気が高くて、一番良い就職先が教員や県庁でした。「かいけつゾロリ」や「あたしんち」を子供と歌える今日のほうがずっと幸せだなあと思います。そういいながら、当時学生食堂にあった「たらこ納豆スパゲッティ」とか突然やたら食べたくなったりするのですが。。(いまの筑波大学の学食にはあるのでしょうか。。)うちの子供たちが大学を卒業するとき、ぼくは還暦を越えているはずですが、きっと別の意味で感激するだろうなあと思っています。卒業した学生さん達にも親御さんへの感謝の念はぜひ忘れないで伝えていただきたいと思っています。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月13日 昨夜は母も一緒に、新安城の回転寿司に行きました。父も行くはずだったのですが、なんと一時間待ちで、用事があったため行けませんでした。でも子供連れでいっぱいでした。いまの回転寿司は寿司ばかりでなくプリンもケーキもジュースも回るのですよね。普段ならば食事が終わるまで絶対プリンなど見せないのですが、ともえなどはもう見てしまうとそれを食べるまで納得しないので、プリンをまず食べてジュース飲んでから卵焼きのお寿司とてんぷらうどんを食べると言う、、寿司屋に来たとは思えない食べ方をしていましたが。。てんぷらうどん、意外とおいしかったです。普段帰りが八時頃なので、子供は食べ終わってますから一緒に食べられると嬉しいです。ひろとなど自分が食べない皿まで「はいパパどーぞ」と言って取るので、もうお腹いっぱいでした。。また行きたいです。今日はまだひろともともえも咳が抜けないので教会はお休みして家でごろごろしていました。昼から雪がちらついてびっくりしました。寒かったです。充分昼寝してから「近代名古屋能楽史年表」を少し作っていました。幸せな休日でした。明日は暖かくなるといいなあと思っています。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月12日 今日は岐阜で行われた「永平和雄先生を偲ぶ会」に参加させていただきました。永平先生は2003年の大晦日に亡くなりましたが、今回は遺稿集の発刊を記念して、お世話になった人達が集まったものです。永平先生は私が椙山の生活科学部に専任講師として赴任した時には短期大学部長をされていて、すでに雲の上の偉い先生でした。同時に名古屋芸能文化会などで岐阜・名古屋を中心とした地元の近代演劇の歴史や特質など、実証的な発表をなさっていて、研究活動も旺盛にされていました。私も地元の能楽を研究していますが、昔の事を文献を発掘して調べる事ももちろん大切ですが、現在行われている事の記録、あるいは一時代前でまだ資料の豊富なものの資料を収集して保存する事も大切な仕事だと思います。永平先生は、岐阜の劇壇に自ら関わり、その仕事についての記録や劇評も数多く残されていて、教えて頂くことが多かったです。今回中西達治先生などのご努力で『近代文学を視座として』という遺稿集にまとめられましたが、このような形でまとめられたことによって、永平先生の仕事が後世に伝えられ、よかったなあと思います。永平先生は反戦平和運動にも積極的に関わられ、その同志の先生方からのお話もありましたが。。「行動」を信条とされた先生でした。永平先生の御冥福を心よりお祈り致します。同時に、分野は違いますが、名古屋の芸能文化を後世に伝える仕事に精進したいと思います。
ひろくんが夜は回転寿司に行きたいというので、一家ででかけたいと思います。みなさま、よい週末をお過ごしくださいますよう。
2005年3月10日 今日は忘れ物の日でした。行きがけにPHS忘れて行って1日PHSなしで過ごしましたが、なんか不安ですね。いかにPHSに依存しているか。。誰かから連絡あったらどうしようとか、ずっと不安でした。そういいながら、昼からは友人と和食のお店に食事に行き、そのあとは徳川美術館で「大名の雛祭り」展を見ました。大名のお雛様って本当に凝っていて、きれいで、すごいなあと思います。やっばりきれいな物を観ると楽しいです。私は一人でこもっているとどんどん暗くなるものですから、ストレスがたまったなあと思うと能・狂言を観たり、美術館・博物館にでかけたりします。中年になって突然「美術館に行こう」と言ってつきあってくれる友人が僅かでもいるということは幸せなことです。。この時期名古屋はよい展示がいっぱいあって嬉しいです。楽しかったせいか、ぼけがまわったせいか、友人の車の中にジャンパーを忘れて帰ったそうで。。あーあ、、です。明日は少し勉強の仕事をしようと思います。お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月9日 行きかえりに通る豊田の若林の道端に白梅がきれいに咲いています。昨日はひろとが家の横の駐車場でつくしをたくさん摘んで来まして佃煮にしました。ひろとは「にがーーい」と言って一口食べただけのようですが、なかなか美味しかったです。もう春なのだなあと思います。今日は三月の定例教授会の日。今年度はちょっと大役の委員長で、お引き受けした時には大丈夫かなあと思いましたが、なんとか今日の報告で仕事を終える事が出来ました。大勢の先生方・事務の方々に支えていただいて本当に感謝でした。まだ引継ぎがありますが、九月までは国内研修でおりませんので、しばらくは学問に専念させていただこうと思います。明治期から現在までの名古屋を中心とした東海地域の能楽の編年史を書く事ーこれが国内研修の期間にもっともやりたい課題です。そのためには上方の能楽史についても勉強しなければと思います。四十肩になってしまって左肩が上がらないとか、なさけないことがいろいろ起こっていますが、今をおいてもう先達に習う機会はそうそうないと思います。頑張ろうと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月7日 昨日は六麓会という研究会で、神戸の三宮まででかけました。いつも三宮までは往復高速バスです。大阪までアーバンライナーで来ても名古屋からは3時間くらいかかりますから、8時20分発の高速バスが一番便利です。。新幹線代はお小遣いではちょっと無理なので。。昨日はバスは若い人でいっぱいで、中年は肩身狭かったですが。神戸も意外と寒かったです。味方健先生の吉野静のご発表、大変興味深かったです。「役者」の立場でみるとこうなるのか。。と。。輪読の長田あかねさん、よく調べていらっしゃいました。若い人の発表ですが、「一生懸命調べてある」点で評価できます。手を抜いて小器用にまとまった発表をする人はまず伸びませんから。がんばって欲しいです。今年度もあと3週間ほどです。少しでも勉強したいと思います。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月5日 大学の設備更新で学内でしばらくインターネットが使えませんでした。そうすると、自分の生活が如何にネットに依存したものなのか、よくわかります。昔ならば手書きだった書類も、いまは書式をダウンロードして書いていますし、そうすると、「ネットが繋がらないし、来週まで書くののばそうかな」と自然に思うのですよね。。一昨日の夜は、大学時代の筑波能狂言研究会時代に謡曲を教えていただいた西村高夫先生が名古屋にいらしていたので、一緒に食事しました。(おごってもらってしまいました。。学生みたいですね。。)12月に名古屋能楽堂で「船弁慶」を舞われるので、学生をつれて見に行きたいなあと思っております。どうせならば人数多いほうが楽しいので、秋以降カルチャーセンターなどの講座で呼んでいただけたら、先生が名古屋で舞われる船弁慶と、その会で行われる葛城を解説しようかなあと思っています。。昨日は観世喜正先生の独吟のCD制作のお手伝いをしました。中村区のスタジオで間近に喜正先生の独吟を聞くとすごい迫力があります。曲目解説を担当させていただいているので、早く書かなければと思います。今日の午前は衣の民俗館で行われた日本風俗史学会の卒業研究発表会に参加しました。うちのゼミで作った一色大提灯祭のビデオ、私はよく出来ていると思っているのですが、参加者から、「歴史などの部分は正規の文献でもっと調べてアカデミックにやるべきでは」と厳しい意見も複数頂きました。もっともと思います。文献による調べよりも祭りの「体験レポート」を重視して、とにかく「パソコンで編集してビデオを制作する」という技術面での指導にかなり力を使ってしまったので、文献調査はあえてあまり指導しませんでしたので、うちの学生のせいではなく、責めは私が負うべきものでした。いただいた御意見は来年度以降の指導に活かしたいと思っております。午後から豊田能楽堂の「谷行」を観るために、自分たちだけの発表ですぐ帰ってきてしまいました。風俗史学会の先生方には本当に申し訳なかったです。。「谷行」、私も28年能を観てきて始めてでした。高安勝久先生の帥の先達、飯冨雅介先生の小先達、すばらしかったです。高安先生は特に松若を思う優しさが感じられて。。高安勝久高安宗家襲名披露の羅生門の時は岡治郎右衛門、豊嶋十郎といった長老が並んで、それはそれで厚みがある舞台でしたが、今回は若手が育ってきている事がはっきり分かってそれもよかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年3月1日 27日の晩、ひろとの便に血が混ざっている。。とか家内がいうので、夜あわてて更生病院に行きました。熱も多少でていて。。安城で一番大きい病院ですが。。幸い単なる腸炎と風邪とのことでしたが。。子供の病気と言うのはびっくりします。もう今日はだいぶ良いようです。リニモ、楽しかったですが、外が寒かったからかなあと思いますが。。今日は能楽堂の受託研究のビデオのエンディングなどを作っていました。完成まではまだ少しかかりますが、少しでも能が広まればいいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月27日 今日は万博開催に合わせて地下鉄藤が丘と万博八草の間に作られたリニアモーターカー「リニモ」の試乗会の切符をいただいたので、家内と子供を連れてでかけました。確かにあまり揺れなかったし静かでしたが、最近の電車はどれもそれほど揺れないので、「あんまり違いわからないねえ。。」と。。でも窓が広くて開放的で、景色もよくて気持ち良かったです。ひろともともえも大満足でした。。きっと万博始まったら「連れてってーーー。」とせがまれるのでしょうが。。でもあれに乗って行きたいなあと思いました。それからまだ子供が出来る前に家内とよく行ったラーメン屋さんに行きました。すっかり改装されていましたが、昔と同じメニューのラーメンと餃子食べて懐かしさに浸りました。家内と子供はそれで帰りましたが、私は鶴舞図書館によって調べ物をして、金山の市民会館で行われていた名古屋長唄大会を聞いて帰りました。杵屋三太郎師の出演された「竹生島」を聞きながら、謡曲の本文って、、こうやって三味線入りで聞くと全然雰囲気は違うけれど、こういうのも面白いよなあと、思いました。杵屋喜多六師の出演された「旅」、岡崎の部分で「お城の下まで船がつく。。」という歌詞を聞いて、ああ、子供の頃岡崎が矢作川の水運で栄えた事を習ったときに聞いた歌詞はこの長唄の「旅」だったのかなあと思いました。今年は学内の係が、休日出勤の多い係だったので、「今日は時間あるから、これから行きたくても行けなくなると困るから」と思って行けるときは出来るだけ出かけていましたら、結局、能・狂言・長唄・三曲・筝曲・歌舞伎・日本舞踊・文楽など合わせると70回くらい行っておりました。いつもの年より多いくらいで。。でもきっとこういう楽しみがあったので、平日もなんとか乗りきれたのかなあと思います。健康も支えられて感謝です。でも、、勉強は出来ない1年でした。せめてこれからちょっと勉強しようと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月25日 今日は研究助成金の書類作成をしています。戦前の能のレコードや、昭和40年代・50年代のオープンリールの能の録音をデジタル化して保存したり、著作権の切れているものについてはホームページから発信したりしたいなあ。。また東海能楽研究会主催の伝統芸能上演会の長田先生の能などは、一部を動画として発信したいなあ。。色々と夢があります。最終的には能のインターネット放送を行いたいのですが、まずそのためのコンテンツを作る必要があります。コンテンツを作るにしても、オープンリールをWAVファイルに変換するための業者への委託費や、撮影費、撮影・録音機材の購入費など、通常の研究費ではとても無理な金額がかかります。科学研究費の「文学」の課題には該当しないものですから、民間財団に申し込むのですが。。これまで松下視聴覚財団さんとか三菱財団さんとか、色々な財団に助けていただけました。本当に有難かったです。同じ財団からは期間をおかないと複数回いただくことは出来ませんので、今回は別の財団に応募します。採択されるといいなあと思っています。キアイを入れて書こうと思います。観世喜正先生のお手伝いで、能楽の初心者向けビデオやCDの制作をしておりますが(矢来能楽堂・観世九皐会の催しで販売いたしております。)このような活動もさらに頑張って続けて行きたいなあと行きたいなあと思っております。東京の能楽堂で若い人を結構見かけるのが名古屋人としては羨ましいので、名古屋と豊田の能楽堂を大学生や若い人でいっぱいに出来たらいいなあというのが夢です。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月24日 今日は能楽堂の展示室ビデオ用の静止画解説の編集をしました。ぴったり来る映像を選ぶのはなかなか難しいです。久しぶりに雨が降りました。。春も近いなあと思います。皆様お身体に気をつけて、御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年2月23日 今日はなぜか胃が痛くてまいりました。家内も風邪で、まいっていまして。。なんとか東区の社会教育センターの講座はすませましたが。。皆さん大変熱心でした。「松風」の解説をしました。シテは関根祥六、脇が森茂好、小鼓が敷村鉄雄という昭和62年のビデオなのですが、脇の森茂好が本当に良いのですよね。解説しながら、やっぱりビデオでもいいなあと思いました。私にしてみれば大学院時代によく見たメンバーですが。。。懐かしいです。皆様お身体に気をつけて、御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年2月21日 今日は来年度の研究助成金の申請書類の作成と、名古屋能楽堂の受託研究のビデオの静止画の制作をしました。とくに解説ビデオの制作は大好きなので楽しかったです。夜は古文書の研究会でした。メンバーの御宅に伺っての会です。はじめて10年になりますが、大変勉強になります。ずっと長く続いてほしいなあと思っております。今日も寒いです。皆様お身体に気をつけて、御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年2月20日 今日は名古屋観世九皐会でイヤホンガイドをさせていただきました。私は九皐会ではいつもイヤホンガイドをさせていただいてます。そして映像を椙山のスタジオの鈴木さんに撮影していただいて、椙山の日本文化論や日本文芸入門・文芸論の教材にしております。観世喜正先生に事前に使用する面と装束、それを用いる意味について教えていただけるので、それが非常に教える上で助かっています。このような職業であっても、実際に能面や装束を身近でガラスケース越しでなく見せていただける機会ってなかなかないのです。近くで見ると装束って本当にきれいです。今日はなんといっても観世喜正の雷電が魅力でした。というか、あれは学生に見せても受けるのではないかなあと思いました。前半の怪士に狩衣・指貫の貴族の姿、、黒頭の上に初冠をつけて貴族の幽霊を表現したのですが、全身から自分を死に追いやった貴族への恨みの念を漂わせていて、、秀逸でした。作曲家の渡辺康先生がいらしていたので、「音楽物語 雷電」をぜひ作ってくださいとお願いしました。話の内容もおとぎばなし的で、動きもあるので面白いのではないかと思います。昨日の三曲といい、今日の能といい、幸せな週末でした。明日から仕事、がんばりたいです。ではまた、御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年2月19日 今日の午後は名古屋市民会館中ホールで行われている名古屋三曲連盟の定期演奏会に行きました。明日も九皐会のイヤホンガイドを勤めさせていただくため日中家におりませんし、ひろとに「パパはいつも家にいない。。」といわれるので、休憩までの前半のみ聞いて帰ったのですが、都山流尺八楽会の「春の光」、やっぱり独奏の加藤条山・野村峰山両師が光っていました。同年代にうまい人が二人いるからきっと良いのでしょうね。。正派邦楽会の「十七絃と筝のための協奏曲第四番」、十七絃の深谷雅楽宜師に注目していたのですが、他の方と比較してもやっぱり弾く姿がかっこいいのですよね。音もですが、日本の芸能って姿も大切だなあと思いました。深谷師は安城市民で私の家からすぐ近くのところに住んでいらっしゃいます。。安城にも三曲演奏家として頑張っていらっしゃる方がいて嬉しいです。国風音楽会の「深山木」。追善の曲でしっとりしたものですが、澤田孝子師の胡弓は上品で哀調があって素晴らしかったです。いつか子供を連れて、能の会や三曲の会、長唄の会などに行けるといいなあと思います。でもうちの子たちはやっぱりプラレールと水族館かなあ。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月18日 今日の午前中は、日曜日に名古屋能楽堂で行われる名古屋観世九皐会の申し合わせ(リハーサル)に伺いました。イヤホンガイドの場合、事前に所作や装束など伺っておかないと解説できませんので。。しかし、プロの方々の申し合わせは、やはり本番なみの緊張感があって、袴能(装束をつけずに紋付・袴で行う能)のような面白さがあります。見ていると引きこまれるような。。大鼓などは当然拍子盤なのですが、それでも掛け声がいいと、道具を使っているときとかわらない緊張感があるのですよね。。大鼓などは、その当たりの音よりも掛け声が魅力だなあとつくづく思いました。日曜日が本当に楽しみです。観世喜正の「雷電」の後ジテなどかっこいいだろうなあと。。午後は生活社会科学部時代の同僚の先生と三越の喫茶室でお茶しました。。なんという店だったかなあ。。バナナケーキ美味しかったです。明日は名古屋三曲連盟の演奏会があるので伺おうと思います。今週はちょっと忙しかったので、週末は三曲と能で楽しみたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月17日 徐々に日が長くなってきました。いつも家を出る6時半過ぎはまだ暗かったのですが、今日はもう明るくなっていて、ああ春が近いのだなあと思いました。今日は日曜日の九皐会のイヤホンガイドの原稿を書いています。観世喜正の雷電が特に楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月16日 今日は名古屋能楽堂の受託研究のビデオ制作をしました。ナレーションを入れていただいて、パソコンで編集して、、という作業ですが、能楽オタクであり、パソコンおたくである人間にとってやはり非常に楽しい作業でした。来年度のゼミの学生さんと、一緒に今年のゼミ生の作品を見ました。面白いといってみてくれていましたが、ぜひ来年も良い作品を期待したいです。私が前期国内研修で大阪大学に行っておりますので、変則的な授業になります。効率的に進めないといけないので、よく話し合って三月中に題材ややるべきことをある程度決められるといいなあと思っています。でも、卒業研究で受講してくれる学生さんがいると、張り合いがあります。一番時間のかかる「授業」であるだけに。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月15日 今日は調理学の中野典子先生の研究室に伺って、うちのゼミ生が中野先生のゼミの調理研究を題材にして作ったビデオ作品の発表会をしました。昨年の夏、1週間ほどかけてずっと撮らせていただいて、それで制作したのですが。。うちの学生はみんなビデオを撮るのも食べるのも好きな子達だったので、去年に続きなかなか力作が出来ました。中野先生のゼミの学生さんもみなさん参加くださったのですが、双方のゼミにとってよい思い出が出来たのではないかと思います。後ろで卒業制作のビデオ見ながら、今年もよく作ってくれてよかったなあとしばし幸せな気分に浸りました。完成した卒業制作を見るのは、毎年のことながら、やはり一年の集大成で、ゼミ生さんたちがそれなりの技術と知識を体得できたことを教師として確認できて嬉しいものです。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月14日 今日はバレンタインデー、私も家内と娘からアーモンドチョコを貰いました。。なにせコレステロール値が高いので余り食べてはいけないのですが、、時間かけていただこうと思います。(こういう弱い性格だからなかなか数値が下がらないのですが。。)今日は助成金の申請書類の作成などをしようと思っています。助成金をいただける仕事と言うのは、自分の資金では出来ない大きな仕事ができて有難い面はもちろん大きいのですが、計画的に研究を「いやでも」進めなければならないので、そういった意味で自分に圧力をかけることが出来ます。採択されるように頑張りたいと思います。昨日から胃の調子がよくないです。コーヒーの飲みすぎか、ストレスか。両方か。。しばらくヤクルト飲もうかなあ。。でも、一つ非常によいことがありました。就職しようかどうしようか迷っていた学生が、内定をとったと報告してくれました。活動始めてそんなに間が無かったのですが、本当に有難いことと感謝しております。ゼミ生6人全員就職が決まって、なによりでした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月13日 昨日は夜10時半に寝て、今朝は9時に起きました。。何時間寝たのかなあと思いますが、やっぱりだるいです。今年の目標は「名古屋能楽資料年表」の制作なので、少しでもそれに関わる仕事をしようと思います。自分が研究者なんだという矜持を持てるのはやはり研究しているときしかなくて、そこで勝負できるものがなかったらやっぱり悲しいですから。。去年・今年と結構悲しいので。。事務仕事のせいにはしたくないですが、事務仕事が重いのは確かです。ただ、暇になる時を待ってやるよりも、今は出来るときに出来る作業をするしかないなあと思っています。倉田喜弘の「明治の能楽」「大正の能楽」という能楽に関する新聞資料を集めた本から名古屋関係の記事を拾っていますが、これは楽しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月12日 今日も家でのんびりしております。というか、、なんか風邪でもないしどこも悪いところはないと思うのですが、疲れが蓄積しているのかキアイが入らないのです。やらなければならないことは山積みですが、やっても能率上がらないとわかっているときには、やはり寝るしかないなあと。。昨日は高校教師をしている友人の家で、お互いに人生について社会について、ぼやきあってきました。古くからの友人は有り難いものです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月11日 今日は家でのんびり休んでおります。しばらくちょっとハードな事務仕事が多かったので、休まないと血圧が下がりません。来週の九皐会のイヤホンガイドの原稿とか、23日の東社会教育センターでの講座のプリントとか、がんばって準備したいと思います。夕方は大学時代の友人と会って、互いにぼやこうと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月10日 今日は15回目の結婚記念日です。結婚までは付き合って6年、婚約してからでも1年半ありましたからもうずいぶんになるなあと思いながら、今朝は家内に言われるまで思い出せませんでした。なにせ二人とも大学院生でお金もなかったし、将来だってわかりませんでしたから。就職がなくて鬱屈した気分で毎日過ごしていたように思います。予備校講師で収入も不安定でしたし。。家庭教師先の親御さんや筑波の先生方が心配してくださって、お歳暮のうどんとか、缶詰とかずいぶんくださったこととか、家庭教師をしていた家の親御さんが郡山の温泉での旅行をプレゼントしてくださったのが新婚旅行だったなあとか、あらためて思い出します。変な話ですが、お歳暮のおすそ分けでいただいたかにの缶詰とか、、通販生活で値段みてしまうと「ええーっ」というくらい高価なものだったのですよね。確かにすごく美味しかったですけれど。。当時はありがたみがわかりませんでした。自分で買って食べるなんて、ちょっともう出来そうもありません。。これまでたくさんの方々に助けていただいたこと、本当に感謝です。今日はケーキでも買って帰ろうと思います。今日は1日会議ですが、明日は祝日、のんびりできたらいいなあと思っています。明日は電源工事でサーバーが1日停止いたしますので、このページも1日お休みになります。またよろしくお願いいたします。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月9日 昨日からなんとなく元気がありません。というか、ずっと休日出勤が続いているので、少し過労気味なのかもと思います。1日8時間寝ていて、それでも疲れがたまるのですから、別の職業にはつけないよなあとしみじみ思います。今日はこれから医者に行きます。明日は1日打ち合わせが続きます。ふーーーーっ。。原稿書きたいなあ。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月7日 今日は夕方から名古屋市文化振興事業団の運営する名古屋市芸術祭の授賞式に伺いました。今年度の伝統芸能分野の審査員をさせていただいて、御招待をいただいたものですから。今年は能楽の「鏡座」が受賞しました。会場で鏡座の皆さんにお目にかかったので「50年後の名古屋で活躍できるのはみなさんしかいませんから」とお祝いを言ったのですが、若いと思っていたリーダーの河村真之助さんに「その年に僕は90歳になってしまいます。。」と言われて驚いてしまいました。私が高校時代、まだ真之助さんは子方だったはずで、私は15歳から能を見ていますから今年で28年目になるのですが、真之助さんももう不惑を迎えられるのですね。。若い若いと思っていましたがみんな30代も半ばにさしかかっていたのだなあと。。もっと今の若い人が育ってくれないとと改めて思いました。会場では、小鼓の柳原先生の元で修行していた船戸昭広さんが玄人になられることを伺いました。太鼓の加藤洋輝さんと言い、若い才能が名古屋でもっと育って行って欲しいと心から思いました。一昨年の奨励賞の中島真実さんは杵屋三太郎を襲名されたとのこと、この人も大変真面目な勉強家で椙山小学校などでも指導なさっていますが、門下から俊英が出る事を祈っています。筝曲の正絃社の野村峰山さんは今回は奨励賞でしたが、この人のコンサートも本当に素敵でした。授賞式でたくさんの真面目な芸術家の方にお目にかかって、名古屋はやっぱりいいなあと思いました。「芸どころ」の伝統はいつまでも引き継がれていって欲しいと思います。そのためにも僕ももっと頑張って伝統芸能の魅力を次世代に伝えて、良い観客を育てなければと思います。今日はとても楽しかったです。「来年はもっと楽しくなるよ、ね、ハム太郎。。」とハムスターを飼っていたら言いたいですが。。ではまた、みなさまお身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月6日 今日は母の誕生日です。いまは多少風邪気味のようですが、元気でひろとやともえの世話をしていてくれて、心より感謝しております。やはり両親が元気なのは大変有り難い事です。長生きして、ひろとやともえの結婚式にも出てもらいたいものだと思っております。今日は椙山のA日程入試の三日目で、先生方は早朝出勤でした。私も出勤だったのですが、雪でなくて良かったです。今年の入試は天候に恵まれて感謝でした。明日は名古屋市芸術祭の授賞式。私も伝統芸能分野の審査員をさせていただいておりますので、出席したいと思っております。今回の伝統芸能部門の大賞は鏡座です。若手の能楽師さんたちのグループですが、真面目に研鑽を積んで高いレベルの技術を持っていることが評価されました。これからの成長株で、名古屋人として本当に期待したいです。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月5日 昨日の安城の通り魔事件、犯人は刑務所出所直後で所持金もなかったとか。。盗んだナイフで凶行を行ったとのことで、亡くなられた子供さんの冥福を心よりお祈り致します。新聞写真で見た子供の遊び場は、ひろとや友恵も小さいとき遊んだことがあるかも知れない場所でした。(はっきりわかりませんが。)窃盗での服役と言うことでしたから、それだけならば社会復帰させねばならないのでしょうが、服役者を釈放するときに、社会に適応できるかを見定めるか、あるいは自立支援のための施設を国が作っておくかなどのことも必要なように思います。刑務所から出てきても、家族に見放されていて帰れなかったり、友人もいなかったりというケースは非常に多いと思います。昨日の事件などは冷静な人がおこすはずのない事件で、防げなかったのかなあと非常に残念に思います。それにしても、、次世代を育てる教育は大切だと思います。明日はA日程入試の最終日、明日も先生方はみんな早朝出勤です。受験生の人が風邪ひかないことを祈ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月4日 安城のイトーヨーカ堂で一歳の男の子が突然男に刺されて亡くなったそうです。家内からの電話と友人からのメール、ネットニュースで確認しましたが。。私もよく買い物に行くところなので驚きました。安城も物騒になったなあと思います。なぜこのようなことが起こったのかわかりませんが。被害にあわれた男の子の冥福をお祈りいたします。逮捕されてよかったです。でもなぜ。。。子供を持つ親として本当に恐ろしいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月3日 今日は節分です。これを越えると春だなあと思います。パパ鬼は家で豆ぶつけられないといけないので、早めに帰らねばならないのですが。ともえはまた風邪が抜けません。ちょっとよくなると我慢できなくて跳ね回るので、それがいかんのですが。雪はだいたい消えました。学生がいない大学はとても静かです。明日はA日程入試の二日目、先生方はみんな早朝出勤です。朝寒いのは嫌いですががんばります。受験生が風邪引きませんように。。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月2日 昨晩雪が降りました。今朝もちらちら降っていましたが。。名古屋市内も真っ白で、車で出勤しましたがちょっと怖かったです。「名古屋で能を観る人のために」のリンク集で、西村高夫先生の「響の会」のホームページにリンク貼らせていただきました。私も家内も筑波能狂言研究会のころ、西村先生に教えていただきましたので。今年の12月にははじめての名古屋公演もなさいます。この先生は早稲田の政経学部に通っていたときに能に出会って、早稲田大学の観世流のサークル出身で能楽師になられたのですが。私が習った頃はまだ30代でした。私がもう43ですから、時が経つのは早いです。能楽写真家の杉浦賢次さんから、伝統芸能上演会の「羽衣」・「猩々」の写真を頂きました。3月までに東海能楽研究会のホームページのリニューアルをしたいと思います。そのときに使わせていただきたいと思っています。よいホームページができるといいなあと思っています。ではまた、寒いですが、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年2月1日 今日はうちの大学の一般入試Aの日でした。先生方はみんな早朝出勤で、私も雪が降るかもということもあって、朝七時半に登校しました。。さすがに誰もいなくて、がらーーんとしていましたが。。ただ、人のいない朝の大学は勉強できて好きです。結局ものすごく寒い日ではありましたが雪も降らず、無事に終了いたしました。まだ4日も6日もありますが、、雪が降らず、無事終了することを祈っております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月31日 今日の文芸論の試験で、今年度の講義はすべて終了します。文芸論は生活社会科学科が出来た頃は3年生の科目で、設置3年めから10年間担当させていただきました。現代マネジメント学部に移行すること、私が来年は半年間国内研修でいないことなどもあり、今年度で担当をはずれます。生活社会科学科は教養を重視した良い学部だったなあという思いもあり、淋しい気持ちもあります。時代の流れではあるのですが。。明日から椙山は入試週間になります。1日・4日・6日、、寒くなって雪が降るかもなどという天気予報が出ていて心配です。受験生の方はぜひ風邪に気をつけていただきたいと思います。家から電話があって、したの子が熱を出して39℃越えているとか。。ひろとに続いてともえもインフルエンザのようです。自分も罹らないか心配です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月30日 今日はひろともともえも風邪がまだ完全に治っていないので、家でおとなしくしております。私は午後から東海能楽研究会で出かけます。今年ももう一月たってしまったのかと思うとすごく早いなあと思います。毎年のことながら、研究報告書の作成や研究助成金の申請もがんばらなければと思うのですが。。なかなか手が回りません。採点もまだ終わらないし。。ふーーーっ。。ではまた、御元気で御過ごしくださいますよう。
2005年1月29日 今日は土曜日ですが出勤しております。試験も採点しなければならないし、出欠もいっぺんに転記しなければならないし、いろいろ大変です。ただ、試験は見る限り比較的出来がいいように思います。あんまりちょっとこれではと思う答案はないです。。ふーーっ。来年度前期研修でいませんし、出席足りている子には単位きちんと出したいので。。来週寒波がくるとか。。いやだなあと思っています。個人的には、寒いのは苦手です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月28日 来週は入試シーズン、なのに寒波来襲とか。。受験生の人たちが風邪ひかないことを祈っています。予備校講師やっていた経験から言えば、前日に一夜漬けやったって意味がないから、これまでやった参考書を眺めて、そして暖かくて身体が温まる消化の良い雑炊みたいなもの食べて、早めに寝るのが一番良いと思います。すっきりした気分で受けられたら最高です。寝付けなくても布団から出るな。。と父からよく言われましたが、私は正しいと思います。いつも研究資料をアップロードしてつかっていたシェアステージと言うサービスが3月で無くなるのだそうでショックです。もう5・6年お世話になっているように思うのですが。。これのおかげでフロッピー持ち歩かずに済むようになったのですが、まだ無料分50MBで、ホットメールが容量を増やしたことなどで役割を終えたのかも知れません。ただ、無料だとダウンロードの回数に制限があるので、いっぱい利用していただけに1日ではダウンロードできず、つらいなあと思っています。ふーーーっ。。いいサービスだったのになあ。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月27日 1月ももう終わり、今日は能・狂言の授業の試験と、県立大学の補講です。もう1年の講義もこの補講で最終になります。ほっとする気持ちと、やっぱり反省点もいっぱいあるなあと言う思いと両方あります。学生さんたちが、将来能や狂言を見に来てくれるといいなあと思います。基礎演習・基幹演習のビデオも昨日で全て完成いたしました。みなさん頑張ってよく作ってくださったと思います。風邪が流行っています。お身体に気をつけてお元気でお過ごし下さいますよう。
2005年1月26日 ひろとの熱はだいぶ下がりましたが、まだ本調子ではないようです。ともえが罹らなければよいのですが。でも寝苦しいのか二人ともばんばんふとん跳ね飛ばして寝ていますから、起きるたびにかけてやらねばなりません。「さてさてせはしないことでござる。」です。ひろとのインフルエンザはB型なので感染力は弱いというのですが、やはりみんなに移らないか心配です。今日は久しぶり?に自分の勉強をしています。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月25日 ひろとが熱を出したと思ったらB型のインフルエンザでした。ともえは大丈夫みたいですが。受験生の人はとくに気をつけて欲しいです。私も気をつけたいです。ではまた、皆様、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月24日 昨日父から電話があって、東京の叔母が亡くなったということでした。60を少し過ぎたくらいで、まだ亡くなるような年ではないのですが。母と10才違いで、小さいころ東京に遊びに行くとよく遊んで貰った思い出があるものですから、非常に残念でした。小学校の先生を長くされていましたから、子供と遊ぶのも上手でした。3年前くらいから病気されていて、昨年の6月からはずっと入院が続いていましたから、覚悟はしていましたが。1年くらい前、能の撮影ででかけた時に、母の手作りのお菓子を持って、ほんの10分くらい伺ったのが最後になりました。急いでいたのと、自身が風邪を引いていて移しては大変と思っていたので挨拶も早々に失礼してしまったのが悔やまれます。元気な人だったので、自分の病気に気が付くのが遅れたのかなあと思うのですが。。二人の子供も立派に成人し、かわいい孫もいますから、人生としては幸せだったと思います。冥福を祈ります。でも、、忙しいときほど身体には気をつけないといけないですよね。みなさまお身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月23日 今日は日曜日ですが、ともえが風邪気味なので、教会は休んでのんびりしております。パソコン動かしているとこどもが乗って来ます。そこでここまでにします。みなさま御元気で。
2005年1月22日 今日は留学生の皆さんの修了式でした。四月に日本に来られて、短い間ですが、頑張って勉強されたなあと思います。どうぞ本国に帰っても、椙山で学んだこと、名古屋の美味しいものやホストファミリーの人たちの暖かい心を忘れずに、母国と日本との架け橋となっていただければと思います。私は喜多流シテ方の長田驍先生・郷先生のお世話になって、謡曲・仕舞の練習と能装束をつける体験をお世話させていただきました。羽衣の天女と西王母になってもらったのですが、記念写真を撮ったりして、結構楽しんでくれたように思います。長田先生に本当に感謝いたしております。椙山のホームページにも載せていただきました。来年の後期も「日本事情」を担当させていただくことになっていますが、来年は中村勘三郎の襲名公演がありますので、その襲名公演を事前学習した上で鑑賞することと、今年同様の能楽体験を軸として行いたいと思っております。多くの方に支えていただいて、講義が出来ていることを感謝いたします。せっかく出勤したので、勉強もしようと思います。ではまた、皆様よい週末をお過ごしくださいますよう。
2005年1月21日 今日は先日の脳ドック検診の結果を聞きに、更正病院に行きました。昨年と同じで痕はあるが進行はないということで、まず大丈夫ということでした。なんか忘れっぽいのは気にかかりますが。。明日留学生の方々の修了式で出勤しますので、今日は久しぶりにそのまま自宅でのんびりしたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月19日 基礎演習・基幹演習のビデオ制作もいよいよ仕上げになります。ビデオの出来上がりというのは、いつも達成感と、終わる淋しさがあります。でも、どのビデオもがんばって作ってくれたなあと思います。学園祭のビデオは、出身高校の先生にもっていってみてもらおうかなあと。。高校の先生やっている大学の同級生と一緒に飲んでいるときに「君の顔より、君のところに送った生徒の顔みたいよなあ」と言われたことがあるので。確かに、時間があるとき、ふっとかつての教え子の顔が浮かぶことあります。どうしているかなあと。。みんなしっかりした学生さんばかりだったから、きっとそれぞれの場所で頑張っているだろうなあとは思うのですが。教職にいるものは誰もそうでしょうが、教えた卒業生から「元気にしています」と言われるだけで嬉しいものなので。。今年度の講義も来週で終わります。講義の予習がしっかりできたのかどうか、、それは学生の評価でしょうが、自分自身としての反省点はいっぱいあります。ビデオ制作の機器などはどんどん進歩しますから、学生に教えるためにも自分も勉強しなければなりませんから。しかし、、こんどのマックの5万円パソコンは魅力です。古いマックのキーボードと、捨ててあるようなウィンドウズのディスプレイ使えば、5万円でイーマックと同じことやれますからね。ガレージバンドも新しくなったようですし。。私は、マルチメディアというと、とにかくこれからは「音楽」が大切だと思っています。能で言えば囃子ですが。。著作権を考えると、音楽さえ著作権をクリアできれば学生の作品もインターネット放送で流すことが出来ます。ガレージバンドにはすごく注目しています。音に「能管」や「小鼓」「大鼓」「太鼓」があるともっと嬉しいのですが。。長唄三味線とか筝曲とかもできないかなあ。まだ夢はいっぱいあります。食事制限続けていますので、なんかいつもお腹すいてます。カナシイです。でも、ひろとやともえの顔を見ると、パパはがんばらないとなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月18日 1月も後半にはいってしまいました。月日は本当に早いと思います。研究報告書を書かねばと思いながら、なかなか書けなくて苦しんでいます。とにかく勉強するまとまった時間が欲しいです。今日も1日なんとなく雑用で終わってしまいました。なんとなく淋しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月14日 昨日は文学部の能・狂言の講義と県立大学の夜間の能・狂言の講義の今年の初回でした。文学部のほう、予定では「鉄輪」からでしたが、新年から「鉄輪」を講義する気にはどうしてもなれなくて、先日の「鳳の会」のビデオを鈴木さんが大急ぎで編集して下さっていたので、「寝音曲」で行いました。ビデオで見ても、佐藤友彦先生の太郎冠者はやっぱり酒を呑むところも謡を謡うところも楽しそうなのですよね。楽しんでいて、つい主人に知られないつもりでいた謡好きなところを見せてしまう。。狂言の太郎冠者は、「起きていては声が出ない」と嘘をつくのですが、それがばれても憎まれない「人の好さ」が絶対必要です。そういうところは役者の人間性も見えます。下品な役者ではこうはいかない。共同社の狂言はやっぱりいいなあと思いました。明日からセンター試験、天気予報によるとかなり寒いとか。。受験生にはとくに風邪に注意して欲しいです。ベストな調子で受験してがんばって、それで納得して大学に入ってきて欲しいなあと思います。そういうこともあって「羅雲寺」の今月の投稿依頼テーマを「私の風邪防止対策」としました。どうぞよろしくお願いいたします。書かなければならない書類がいっぱいありますが、食事制限のせいか、元気なくてあんまり進みません。ふーーっ。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月12日 しばらく日記の更新が出来ませんでした。8日の鳳の会、佐藤先生の寝音曲、文句なしに面白かったです。茸の山伏、若い人が多い役ですが、井上祐一先生がなさるとやっぱりいいですね。松次郎先生にますますそっくりになられたような。。ただ、祐一先生はなんか洗練されていますよね。祐一先生の方が絶対上手なのですが、松次郎先生の「間抜け」な山伏も懐かしいです。この晩は附属高校の後輩の多和田君が遊びに来てくれたので名駅で飲んで、家に泊まって貰いました。9日は六麓会。神戸まで往復高速バスです。新幹線でゆけばいいのにとみんなに言われますが、名古屋から往復5500円はやはり魅力です。行きは神戸が実家の多和田君にも付き合ってもらいました。関が原で雪がちらついていて、帰りが心配になりましたが。。六麓会、伊藤正義先生の「新能楽」の高木半に関する御発表でした。明治の演劇改良運動に重なる時期に、能楽の世界でも、その実態は具体的な台本の未発見なものもあってまだわからないものの、同じような関心をもって取り組んだ人がいたのだなあと思って大変興味深かったです。帰りの高速バスはやはり雪のため渋滞。サービスエリアで八橋ショコラを御土産にかい、それでも定刻よりそれほど遅れずに名古屋駅につきました。ところが地震で電車が遅れていてしかも新快速なのに各駅停車で。。10時にようやく帰宅しました。それでも電車が動いていてよかったです。八橋ショコラは子供には好評、でも家内には普通の八橋のほうがと言われました。10日は成人式、校務で出勤しました。うちの基礎ゼミの子達はみな成人式だったとのことで、久しぶりに友人と会えて楽しかったとのことで、よかったなあと思いました。昨日は会議漬けで。そのあと肝臓の検査結果を聞きに行きました。ガンマGPT130、トリグリセライド580、総コレステロール220と最悪な数字でした。血圧は上が140を越え、下も90台。血圧が高いのは会議のせいですが、肝臓の数値は明らかに年末に飲みすぎたせいで。。忘年会の時、ついつい日本酒を飲みすぎたのが原因だと思います。私は酒は弱いのですが、日本酒は好きなのです。医者からは禁酒と言われました。気をつけたいと思います。今日から講義です。こういう仕事は好きなのでがんばろうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月8日 昨日は初出勤でした。やらねばならない仕事はやはり多いのですが、、なかなかこなせません。そろそろ研究費の報告書を準備しなければなりませんので、その成果作りを急がなければと思っています。名古屋市の受託研究はビデオ制作、また学園研究費も一部ホームページ制作をメインにしていますから、手を使って作らないと終わりません。キアイを入れて分かりやすいものを作りたいと思います。今日は鳳の会の撮影です。学生も20人ほど連れて行きます。このなかから狂言の愛好者が育って行くといいなあと思っています。すごく寒いですが、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月6日 昨日は午前中床屋さんにでかけて髪をばっさり切りました。頭がさっぱりした分寒いです。昼は喫茶店で高校の国語の先生をしている大学時代からの友人とずっと高校教育の話をしていました。新しい教材作成などにも積極的な先生で、夏に「読解力とは何か」という研究会をすると言う事でした。現場の先生中心ですが、私も誘っていただいたので予定が許せばぜひ参加したいと思います。高校現場がわからないと、「文学」を教えるにも支障ありますので。明日が仕事初めなので正月休みも今日までです。ひろとも明日から幼稚園なので、今日は実家でみんな揃ってお昼御飯を食べる予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月5日 鏡をみたら髪の毛がいつにもましてぼさぼさなので、今日は床屋に行こうかなあと思います。新学期を迎える前にばさっと切るのもいいかなあと。。昼は大学時代の友人がそばに住んでいるので、休み中に1回は会いたいので外で食事する予定です。年賀状に、ホームページ見ていていただけると書いてくださったかたが大勢いて感謝です。仕事で愛知県を離れる事もほとんどなくて、ずいぶん長い間会えない友人もいます。今はメールがありますから、メールでのやりとりはできるのですが。。久しぶりに互いを思い出せると言う意味でも、年賀状はありがたいものと思います。今日も論文のための史料整理をしようかと思っています。こういう仕事は大好きです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月4日 今日から仕事初めという方も多いのではと思います。大学は世間よりはのんびりしていて、まだ冬休みなので、家で過ごしております。充電できるので、ありがたいことです。昨年の能番組の入力をお願いするために番組を整理したり、2月の名古屋観世九皐会のイヤホンガイド原稿を書いたりという仕事をはじめています。忙しいと出来ませんので。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月3日 昨日は妹一家と一緒に実家で夕食をとりました。みんなで食事するとやっぱり正月だなあと思います。義理の弟は企業研究者なのですが、学位をとるために私費で社会人の博士課程に入学したとか。。頑張って欲しいなあと思います。僕は父も弟も研究者なのですが、やはり研究というものにはお金などでは替えられない魅力があります。最先端の世界を覗いてそれをみんなに伝えて行けるというか。。私も頑張ろうと思いました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月2日 今日は妹夫婦が実家に帰省しますので、夕食は両親と妹の一家、うちの一家とにぎやかになります。弟夫婦は去年二人目の女の子に恵まれましたが、まだ小さいので寒いときには来られなくて残念ですが、やはり一族が顔を合わせるのはよいものです。ただ日本はついに人口減少時代に入るとか。厚生労働省によれば「晩婚・晩産化傾向が進んだことに加え、子供を産み育てる出産年齢人口の減少が主な要因」ということなのですが。。人口減少時代というのは私が子供の頃には考えられなかった事ですが、どういう社会になるのでしょうか。私も38歳で比呂人に、40歳で友恵に恵まれました。子供を持つ年齢としては遅かったですが、父親になれて本当によかったなあと思います。子供って大変ですが、やっぱり生き甲斐です。人口が増えればよいとは思いませんが、子供がいて楽しいとみんなが思える社会であって欲しいとは思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2005年1月1日 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。家族も双方の両親も健康を守られ、元気にお正月を迎えられました事、本当に感謝致しております。年賀状で懐かしい名前、日頃お世話になっている方の名前を拝見して、多くの方にお世話になっているのだなあと改めて感謝致しました。学生さんの若若しい賀状、卒業生さんの懐かしい賀状、、なかにはママ似のあかちゃんの写真つきの賀状などもありまして、とても嬉しかったです。今年は私にとっては色々な意味で充電の年にしたいなあと思っております。大学に学生が求める内容が、私が奉職した15年前と比較してもかなり大きくかわってきました。講義内容などもそのたびに考えてはきましたが、毎日の生活の中でのことで、充分に余裕をもって対応できていたとは自分でも思えません。大学の講義は、本来は自分で勉強し、消化したものを対象とすべきもので、それゆえに大学教員は研究者と呼ばれるのですが、研究も時間がなければ出来ません。また研究対象が学生の興味と直結するものではありませんので、学生の関心の有る分野も同時に勉強しなければなりません。私の興味はやはり「能」の文学的魅力の解明と、特に東海地域から見た能楽史の再構築にありますが、学生に教える部分としては、調べたものをホームページやビデオ制作を通じて表現する技術を身につけてもらうこととなります。幸い昔からのパソコンおたくで、若い頃から写真が好きで、神社・仏閣や祭礼を撮りまくっていたのが、いまに繋がっているのかなあとも思いますが。それにしても「論文」だけではなく「ホームページ」や「ビデオ」に「表現」の場がひろがっているのですから、言葉も「ジャンル」によって変ってきます。こういった勉強も進めたいと思います。なんと言っても根幹の能に関する勉強を4月からの国内研修ではきちんとやりたいですが、4月からはじめるようでは助走で終わってしまいますから、そろそろその勉強の下準備に入りたいです。やりたいことはいっぱいあります。この年になると1日に出来る量も自分の体力もわかりますから、焦らずにがんばろうと思います。今後ともどうぞよろしくお願い致します。今年が皆様にとって素晴らしい年でありますよう。