中年日記
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2008年12月31日 いよいよ大晦日です。部屋の片づけが全然済まないので、少し整理しようかなあと思っています。今年は二月に同級生が亡くなったり、秋には学生さんが亡くなったり、伯父が亡くなったり、思ってもみない訃報が続いた年でした。義理の母が胸部大動脈剥離で緊急入院しましたが、おかげさまで快復して感謝でした。四月に教授にしていただき、嬉しかったですが、忙しくなりました。論文については、家内が典拠との見直しや、校正など手伝ってくれるので助かりますが、それがないととても出来ないくらい、依頼原稿等いただきましたので、感謝ですが、そういう年回りになって来たのだなあと感じます。僕は父に勉強みてもらいましたが、比呂人や友恵の勉強も家内にまかせっきりで、、風呂に入れる時間までに帰って風呂だけ入れるくらいが、僕のした仕事かなあと。。風呂ももう一人で入れるようになりましたから、パパの仕事はもう余りないです。友恵の自転車の練習くらい見てあげなければならないはずですが。。来年二月には「近代能楽史の研究ー東海地域を中心にー」という研究書を上梓します。学術振興会の公開促進費と、椙山の出版助成がいただけたので可能になったのですが、感謝です。来年は、できれば一般書も一冊だしたいなあと。去年から懸案の新書ですが。。なかなか進まないのですが。。来年も無理せずに、良い年にしたいです。ではまた、皆様、良いお年を。。
2008年12月30日 今日は年内最後の出勤日にしました。明日は年越しそばの買い物や、高校教師をしている友人と喫茶店で会う計画があるので。。大学に新しいデルのパソコンを入れて、昨日はそれをネットにつなげられず鳥居先生の手を煩わせ、今日はサウンドイットにオーティオインターフェイスを認識させることが出来なくて、手を煩わせてしまいました。結局ビスタ対応のドライバをインストールしたあとの、接続の手順が違っていたのですが。。readmeに書いてある通りにすればと言われるのですが、読んでいなかったので、、反省です。来年はマニュアルを読んで自分で何でも出来るよう努力したいです。先代梅若六郎の井筒と、祖父江省念師の節段説教をデジタル化していましたが、質は全然違うのですが、どちらも鍛えられた良い声だなあと。。先代梅若六郎は大学時代、最晩年、仕舞だけですが、拝見したことがあるのです。かっこいいお爺さんだなあと思いました。梅若家って今の万三郎先生もそうですが、年配になっても渋くてかっこいい人多いのですよね。。来年は、二月に研究書が出ますが、ぜひ一般書も一冊書きたいです。昭和初期、知識人階級が能に進出した時、分かりやすい謡本を作り、レコードと講堂での能を積極的に行った観世流が益々流勢を伸ばしました。能の愛好者、私は大学生と留学生とが五十年後の観客と思いますが、これまでと違う人を増やすためには、必ず新しい教材が必要になります。大学生の「今」にあった今の言葉の説明書が必要だろうと。。すでにたくさん出ていますが、来年四度目の年男になって、大学教師生活十九年目ですので、そろそろ自分なりの解説が書けるのではと。。ただ、健康面ではいろいろ気をつけねばなりません。今日は帰り道、信号赤なのに車で直前まで気づかず急ブレーキ、あたりに車も人もいない農道でしたので、助かりました。感謝でしたが、疲れているかも知れません。注意しなければと思います。ではまた、皆様、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月29日 今日は午前中、印刷の方に来ていただいて、「能楽の友」の平成十六年から二十年をPDFファイルにするためにお渡ししました。「能楽の友」は名古屋の能楽を考えるための基本資料です。「この時代」の名古屋の能楽がどのようであったのか、後世に残る記録となると思います。このあと大学で新内のレコードのデジタル化をしていました。長門太夫とか、魯遊とか、いい声だなあと思います。まだLPの時代の長老は、マイクで大ホールで演じる前の座敷芸だった時代の雰囲気があるのですよね。。 こういう座敷芸の味というのは、今の実演家ではなかなかでないのではと思います。マイクがあくまでも集音のためという使い方なので。。楽しいです。明日も続きを行いたいと思います。明日が年内最後の出勤の予定です。資料整理とか音源デジタル化とか頑張りたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月28日 今日は午前中は自宅で論文執筆、午後はマック栄で講習を受けました。mobilemeについてですが、やっているとアイホォン欲しくなります。携帯がドコモなので、ドコモ対応のアイホォンが出たら欲しいのですが、、来年出ないかなあ。。帰宅して、これから《巴》についての論文執筆です。今日中に「形」だけは作りたいです。椙山国文学の原稿もありますので、年末もかなりハードです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月27日 今日は午前加野先生のご自宅に伺って、能楽の友の平成十六年から二十年をPDFファイルにするために拝借しました。加野先生は戦後すぐから現在の名古屋能楽界の生き字引の一人なので、何気なく話される田鍋惣太郎や高安滋郎など昔の役者の話が私にとっては大変勉強になります。午後大学に出勤し、音源のデジタル化をしました。三時からマック栄の講習に参加するつもりで出かけましたが、「予約は明日の三時になっていますよ。。」とのことで、習うことができませんでした。子供が中村区の米野コミュニティセンターで筧先生の子供能楽教室に参加していましたのでそちらに伺い、終了後買い物をして帰宅しました。いよいよ年の瀬です。明日はマックの講習、mobilemeの基本について習おうと思います。mobilemeは使っていますが、自分で使っている機能は一部なので、やはり学生に教えることを考えると自分が習っておかないとと思います。大学院の頃のように、だまっていて教えて貰うことはもうできません。研究会で発表して席上意見をいただくとか、抜き刷りをお送りして意見を求めるとか、この年齢になると、自分から働きかけないと、「習う」ことは出来ないのですが、「独りよがり」な「我流」の研究にならないためには、どうしてもそれが必要です。パソコンについては、僕のように文系でデータベースやデジタルアーカイブ作成のための情報を必要とする人のための夜間大学院が名古屋にあればぜひ受験したいですし、学部であるならば三年次編入して勉強したいです。大学教授がいまさら大学や大学院で勉強しなくてもと思われる人もいるのかも知れませんが、研究者は、まず基本的知識と技術は他の先生に習うべきだと思います。日本文学、能ならば僕でも一通りの基礎は身につけていると思います。ただ、情報のような隣接諸学であれば、進歩も早いですし、学生や院生として習うのが一番上達は早いので、教えてもらえればならいたいのですよね。。。。ただ、なかなかそのような目的にぴったり来る大学院がないのです。。来年は、五十歳を前に、「蓄積」の年にしたいです。大学院はいまのところ見つからないので受験はしませんが、学会発表等は積極的にやりたいですし、パソコン関係の、データベースやデジタルアーカイブに関する講習会などは出来る限り参加したいです。まず「習う」ことを自分に課したいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月26日 今日は実家で、我が家のクリスマス昼食会をしました。冬休みでようやく家にいられるようになったからですが、両親健在で、子供たちとクリスマスを祝うことができて本当に感謝です。午後からは出勤し、カセットテープのデジタル化などを行いました。明日も出勤する予定です。寒さが厳しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月25日 今日は神戸女子大学で行われた年末恒例ミニ研究発表会に参加致しました。私は尾張藩の小鼓方であった梶川家について、「小鼓梶川家の代々」という題名で発表いたしました。梶川家の子孫の方が聴きにきてくださり、また、会場から梶川家が大倉家に納めた起請文の情報など、いろいろ教えて頂いて感謝でした。岡田登喜氏の「能楽研究とインターネット」というご発表に「恵理人の小屋」を取り上げてくださってのには感謝でしたし、恐縮致しました。研究者には「謡本画像」のページが需要のあることや、音声・映像ファイルの場合、著作権や隣接著作権には抵触しない五十年以上前の、しかも古典芸能で作者死後五十年以上経っているもののみを配信していますが、本当に慎重に行わねばならないなあと思い勉強になりました。帰りはレコードコレクターの辻山幸一氏と、古典芸能のレコード・オープンリールのデジタル化と、整理の基本方針について研究打ち合わせを行い、一月に伺って、椙山と同じ環境でレコードをデジタル化する方法を辻山幸一さんと大山範子さんと三人で行うことに致しました。とても充実したクリスマスでした。今日は住正哉君のの命日でもあります。彼が生きていればと本当に思いますが、彼がパソコンの手ほどきをしてくれたおかげで仕事ができていることに感謝し、冥福を祈ります。明日の昼は実家で両親・子供たちを含め家族でクリスマス会を行います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月24日 今日はクリスマスイブでした。午前中は会議、午後は講習会で、明日の発表の準備がいまいちできなかったのが反省です。新しいデルのパソコン、まだネットにつないでいませんが、早く使いたいなあと思っています。熱田教会の燭下礼拝、家内が司会でしたたので、特に参加したいと思っていたのですが、手際が悪くて間に合わず、終わってから迎えに行くのがやっとでした。明日は神戸の六麓会で研究発表します。明日はクリスマス、同時に私にとってはパソコンの手ほどきをしてくれた同級生の住正哉君の命日です。もう十九年も経つのかと思いますが。虚血性心不全でしたが、本当に残念でした。心より御冥福を祈ります。神様に感謝し、友人を偲び、しっかり発表して、また静かにすごしたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月23日 今日は天皇誕生日の祝日ですが、プリント作成のため出勤致しました。出勤してよかったです。思ったより時間がかかり、明日一日ではとても間に合いませんでした。ただ、いつもよりは早めに帰りました。いま年賀状印刷しています。プリンター古いので買い替えたいですが、買い換えるとなるともったいないような気がして。。余り消費に貢献していませんが。。エコには貢献しているように思います。明日はクリスマスイブです。神様に感謝して静かに過ごしたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月22日 今日は午前中は大学で二十五日のプリント作り、午後は江南短期大学の日本文化論の講義に伺いました。三年目にしてはじめて狂言を取り上げて、蝸牛について講義したのですが、、どうも時間配分で失敗して、最後もたもたしてしまいました。もう少し説明をきちんとしてからビデオにするのだったなあと。。反省です。帰ってから子供たちのリクエストで焼肉を食べに行きました。ちょっとしたぜいたくです。帰りは家内と友恵は車で、僕とひろとは三キロちょっとの道ををわざと歩きで帰りました。ひろとは結構足が早いなあと思いました。四十分弱でした。明日は出勤しようか、家で出来ることをしようか迷っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月21日 今日は熱田教会の教会学校のみ参加し、東海能楽研究会へ行きました。助成金の書類の訂正があり、金山のマックで大急ぎで書類を清書してメール便で送って。。それから東海能楽研究会に行きました。発表三本に輪読一本、会場が名古屋女子大学から米野コミュニティセンターに変更しての第一回ですが、よい会場で使いやすいですし、名古屋駅に近いのでよかったです。会場と折衝してくださった筧鉱一先生に感謝致します。来年は二月二十二日の日曜日に同じ米野コミュニティセンターで行います。一時半からで発表は佐藤友彦先生と、輪読の忠度が中尾薫さんです。そのあと近くの居酒屋で親睦会を予定しています。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月20日 今日は六麓会のプリントの準備と、今年度卒業研究の成果の配信準備をしました。u-tubeでの配信を考えていたのですが、下品な書き込みもあるので大学のものは勧められないと知り合いから言われ、結局マックのmobilemeにすることに致しました。昨年同様で、クイックタイムがダウンロードされていないパソコンですと観ることができないため、どうしてもアクセスが少なくなってしまうのですが、コメントで嫌な目にあうよりはよいよなあと思って。。来週には配信したいと思います。明日は午前は熱田教会のクリスマス礼拝、午後は東海能楽研究会にでます。名古屋芸能文化会と重なって残念なのですが。。゛ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月19日 今日は人間論の講義で、杵屋三太郎先生、杵屋三太和先生、杵屋三歩さんにいらしていただき、三味線の基礎を教えていただきました。全員三の糸だけですが、ちょっと弾く練習が出来ました。模範演奏で、春の色と道成寺の合い方を弾いてくださいましたが、とてもかっこよかったです。講義での演奏は同じ演目をスタジオで弾いていただきましたので、編集できましたらポッドキャストで配信します。お忙しい仲、学生たちに親切に教えてくださった杵屋三太郎家の先生方に心より感謝いたします。あしたは土曜日です。名古屋大学で研究会があり、行きたいですが、自分の二十五日の発表準備ができていないので、大学で準備したいと思います。残念ですが。。。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月18日 今日は卒業研究最終日、毎年ですが、シャトレーゼでケーキを買ってささやかな茶話会をしました。例年通り今日提出できたグループもあり、年越しのグループもありますが、ほぼ目鼻はつきましたので、安心です。これで、卒業式までゼミ生さんたちと会う機会ないなあと思うと、今年も早かったなあと思います。全員の活躍と御多幸を祈ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月17日 今日は三年生のゼミでクリスマス茶話会をしました。作ったビデオを見ながら、シャトレーゼのケーキを食べてお茶を飲むという単純なものでしたが、年末・クリスマスという雰囲気がして楽しかったです。明日は卒業研究のクリスマス茶話会をします。だいたいは完成しているのですが、明日勝負です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月16日 今日は東別院に伺い、祖父江佳乃先生にお借りしていた祖父江省念先生の節段説教のテープと出来上がったCDをお渡しし、まだデジタル化されていないテープ三十三本を拝借致しました。デジタル化してみて、省念先生のテープは「法話」であり「芸能」であるとともに戦中・戦後などの「昭和」の庶民の貴重な証言になっているなあと思います。歴史に関心のある人には非常に興味深い、貴重な資料だと思います。いつか形にして許可いただければホームページなどで一般公開できればよいなあと思います。帰ってから家族で銭湯にでかけました。銭湯はとてもよい気分転換になります。明日は三年生のゼミでクリスマス茶話会をします。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月15日 いよいよ今年の講義もあと一週間、早かったなあと思います。論文締め切りが過ぎていてまだ書けないのもあって、困っています。三曲データベースもいよいよ注文しないと間に合いません。。ふーっ。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年12月14日 今日は教会学校のあと、子供たちをつれて津の長田先生の子供教室に伺いました。友恵がすねていて、僕が注意したのが気にいらなかったのか、勝手に部屋をでて、外の駐車場の車にいってしまいました。何も断らずにでたので、どこにいったのだろうと。。探して、駐車場にいたときには安心しましたが、さすがに頭にきて、思わずはたいてしまいました。はたいたのは反省ですが、、叩いてしまってから、これまで叩いたことなどほとんどなかったので、自分でもびっくりしました。。僕も気をつけねばと思います。そのうち機嫌は直ったようですが。。一月四日に津市の松菱の市民芸能発表会で、子供教室が十二時半から三十分仕舞をします。比呂人は高砂、友恵は養老ですが、今日の稽古ではもう二人とも結構覚えていてたいしたものだなと思いました。大人より子供のほうが数倍記憶力佳いです。比呂人は慎重ですが、落ち着いています。友恵は元気、、ちょっと無謀なところもありますが、二人とも素直に仕舞を楽しんでくれればと思っています。稽古後家内と合流してまた食事して帰りました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月13日 来年二月に出る「近代能楽史の研究ー東海地域を中心にー」の人名索引の初校を仕上げて大河書房さんに送ることができました。私はだいたい年六本くらい論文を仕上げて、それ以外に名古屋文化情報などの原稿も書いておりますが、それが出来るのは、原稿を書くところまでは自分でしているのですが、引用文の典拠との見直しや、索引作成などはほとんど家内がやつてくれるからなのです。今回も家内が全部やってくれて、午前中と午後最終見直しを自分でしたのですが、ノーミスで感謝でした。家内は筑波大学農学研究科を出た農学博士なので、論文の「作法」はわかっていますから、僕が自分でやる以上に正確にやつてくれるので助かります。家内と子供たちは今日は筧先生の子供能楽教室に伺い、帰りに待ち合わせて食事して帰りました。明日は、教会学校に参加して、その後津の長田先生の能楽教室に伺います。一月の発表会で比呂人は高砂、友恵は養老を舞う予定なので。。パパもアシストがんば゜ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月12日 風邪なのか、ちょっと頭が痛いです。もう寝ます。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月11日 今日は卒業研究の追い込み、ナレーション入れでスタジオスタッフの鈴木さんに大変お世話になりました。佳いものが出来てきていると思います。来週から提出ですが、全員年内提出してもらいたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月10日 今日は辻山さんより拝借した新内ののデジタル化をしました。志賀大掾って味があっていいなあと思いました。四十年前、僕が小学校入学したころのレコードですが、録音もよくて、とても感じが佳いです。、ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月9日 今日は学部の忘年会でした。中華料理でしたが、とても美味しかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月8日 昨日の定例能、イヤホンガイドは田崎未知さん、中尾薫さん、大山範子さん、田崎さんは元気で明確、中尾さんは風格があって、大山さんは上品でと、みんな解説に個性があるのですがよかったです。英文の藤江さおりさんは、やっぱり分かりやすいなあと。。昨日は定例能のあと、イヤホンガイド・ボランティア・事務室・能楽師の柳原冨司忠先生・河村真之助先生と世界のやまちゃんで打ち上げがありました。普段なかなか話ができないものですから、話ができて楽しかったです。僕もアラウンドフィフティ、柳原先生がいらっしゃるのに乾杯の音頭に指名されて、自分が年長者になっていることに気が付きました。僕の仕事が、いやでも「自分が勤める」ことではなく「後進の育成」と、イヤホンガイドグループでも「自分の抜けた後」に誰も困らない組織づくりになってきているのだなと思います。イヤホンガイドも、能楽堂の講座も、東海能楽研究会の若手が伸びているので、私としては安心できます。「風姿花伝」の「よき脇のシテを持つべし」という年をとっくに越えましたので、自分の蓄積で、若い人に対してできるところのサポートをきちんとすることを心がけて仕事としては余り表にで過ぎないようにしたいと思っています。ずっと、土日の外出が続いていて、かなり疲労が蓄積されているのと、家内が千葉に義母の見舞いに行き、子供の世話をしなければならないのとで、講義もありませんので今日は家で原稿書こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月6日 昨日の道成寺の感動まだ覚めやらず。。道成寺のシテというものは、蛇だから怪しいものと、、所作なども人間の亡霊と違うのですが、こういう可憐な女性泣かせたらやっぱりいかんよなあと思わせるような一途な可愛さがないと、私としてはあまり魅力を感じないのですが、、昨日の大槻先生はとても綺麗で、後ジテになっても可愛らしかったのです。。ああいう道成寺って近年観なかったのでいいなあと思いました。今日は風俗史学会中部支部、、高橋春子先生はもう八十九歳ですが、とてもお元気で、後輩の世話を本当にして下さるのですが。。自分がその年齢になって、あれだけ矍鑠と勉強してみんなの世話を出来るだろうかと。。見習いたいです。明日は定例能、、楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月5日 今日の夕方は四日市能の大槻文蔵の道成寺、、素晴らしかったです。大槻先生は何を演じてもすっきりとして綺麗なのですが、乱拍子の足も小鼓との掛け合いもすごく合っていましたし、不自然な動きがぜんぜんないのですよね。。鐘入りもかっこよかったですが、小書なしなので、面のみ変えるシンプルな形かなあと思ったら、前場の白の鱗箔から赤と黒の鱗箔に変えて、頭もばす鬘というのでしょうか、女子高生みたいな髪型にも見えましたが、般若の面をかけていても、なんか淋しさや恋しさ、切なさが感じられてすごくよかったです。。大槻文蔵っていいなあと、、あらためて思いました。きれいですっきりしていてかっこいいのですよね。イヤホンガイドの三浦裕子先生、昨年に続いてですが、名解説でした。囃子に詳しいので、乱拍子の部分の解説など、、本当にわかりやすくてなるほどと思いました。僕は囃子に暗いので真似できませんが、とても勉強になりました。。今日の道成寺は四日市能の二十年記念にふさわしい名演でした。明日は風俗史学会中部支部役員会です。あと名古屋芸能文化の校正がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月4日 卒業研究いよいよ追い込みです。今日は仕上げのナレーション入れを行うグループもありました。かわいそうだったのは、突然パソコンのハードディスクが故障してしまったグループです。。そのビデオの部分二本分約十分の編集やり直しになってしまいました。ビデオはデータが重いので、そのパソコン本体に保存されます。このため、マイドキュメントに保存して他のパソコンと共用することが出来ません。。頑張ってもらいたいと思います。明日は四日市能、大槻文蔵の道成寺です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月2日 今朝はインフルエンザの予防接種に行きました。例年十一月には行くのですが、忙しくて時間がとれなかったので。。風邪ひかないように注意したいと思います。先輩を通じて、他大学の先生からオープンリールデッキを頂きました。使っていないからとのことですが、明らかに高級機で。。明日大学で試してみたいと思います。本当に感謝です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年12月1日 ついに12月です。講義はなかったので、研究室で祖父江省念師の節段説教のCD制作と、雑用をしていました。。雑用が手間が悪いので全然終わらず、本当は名古屋芸能文化の校正をしなければならないのですが、出来ませんでした。今日保田紹雲先生より「宇和島伊達家の八代、伊達宗城(むねなり)の十二女泰が、坂田(阪田かも)九郎と言う人物と明治三十年に結婚している。この坂田九郎は太鼓方(もしくは大鼓方)と言われているのだが、明治時代にこの名の太鼓方が出てくるか」。。という質問を頂きました。残念ながら手元の資料には出てきません。これから調べたいと思いますが、このページをみてくださった方でもしご存知の方がいらっしゃいましたら飯塚erito7@hotmail.comまでメールいただけますと幸いです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月30日 今年も残り一ヶ月とても早いです。子供たちは津の長田先生の子供教室に行き、僕は熱田教会に行きました。午後勉強するつもりが昼寝してしまい、これから同窓会です、同窓会は楽しみですが、反省です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月29日 今日は午前中、レディオ・アイというラジオ局の応接室で荒俣宏先生のインタビュー、緊張しましたが、とても面白い先生でした。うまく記事にできたらよいなあと思います。このインタビュー会場に携帯忘れて、そのまま四日市に、、二時から道成寺についての講義、みなさんとても熱心で、私よりも長く能を観ていらっしゃる方多くて、質問などで私も勉強になりました。十二月五日の大槻文蔵先生の道成寺、とても楽しみです。午後、連絡いただいて、家内が名古屋まで携帯取りにいってくれました。本当に物忘れ多くて。。反省です。明日は夕方大学の同窓会です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月28日 今朝は家内が昨夜の夜行バスで千葉の実家に手伝いにでかけたため、朝食を子供たちに食べさせてゴミ出しをし、金魚にえさをやりました。子供の朝食は家内が用意してくれたのを出してさげただけで、おつゆを温めたくらいなのですが、結構手間がかかるなあと、、家内にあらためて感謝しました。夕方には帰ってきてくれたので安心でしたが。明日は午前中名古屋文化情報の特集記事の取材で荒俣宏先生のインタビュー、近鉄で四日市に移動して午後二時から四時まで四日市文化会館の「能に親しむ会」の講座で「道成寺について」です。どちらも勉強になることなので楽しみです。十二時五十分の特急にのらないと間に合わないので、、気をつけないとと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月27日 来年二月刊行予定の『近代能楽史の研究ー東海地域を中心にー』に表章先生の序文をいただくことが出来ました。多忙の中お引き受け頂きました表先生に心より感謝申し上げます。尾張藩を中心にした「東海能楽史を書くべき」とおっしゃっていただきましたが、当然と思います。次の研究書は、「尾張藩」をテーマに書きたいと思います。自分の体力を考えると、あと七年、五十五歳までに書きたいなあと。。謡曲の注釈も行いたいものですから。。節制と養生に努めたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月26日 今日は祖父江省念師の節段説教のテープのデジタル化をしました。お預かりした五十本のテープ、あと三本で終わります。助成金の書類をあちこち眺めて、これからどのように新しい講義教材や研究を進めようか考えていたのですが、椙山の中で「名古屋学」というような共通な題材で研究会を組織して、それで既存の講義内容を共通に反映できれば申請可能な助成金もあるのだなあと気がつきました。ただ、、学内で「名古屋」を対象に研究会を作りましょうと呼びかけるには、「名古屋」に関してどのようなアプローチが可能か考えなければならないなあと思いました。皆さんに協力がお願いできればよいですが。。ただ、「名古屋」っていろいろなアプローチのできる面白い研究対象だと思います。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月25日 今日は会議の後、名古屋市文化振興事業団に三月号の「なごや文化情報」の記事の相談に伺いました。名古屋開府四百年の記念事業についての記事で、名古屋の魅力と記念事業の構想をゼネラルプロデューサーの荒俣宏先生にインタビューするのが私の役割なのですが。。なにせすごく活躍範囲の広い先生ですので、伺うことを絞っておかないととても時間が足りないので。。初めてお目にかかる方ですが、とても楽しみです。このような仕事は私にとっても非常に勉強になりますので。。できまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月24日 22日は伯父さんの忌明け法要、まだ亡くなった気がしないのですが、きちんと感謝できる場所があってよかったです。自分の気持ちの中で参列できてよかったと思いました。金山から夜行高速バスででかけて高崎で初めてネットカフェにはいって仮眠して、、法事の後群馬県立図書館で群馬の芸能についてしらべました。能楽よりも筝曲や三曲が多いなあと思いました。高崎に泊まり、昨日は風俗史学会の鈴木章生君の発表を聴きました。参拝の方式が座礼から立礼に変わってゆく。。絵画資料を豊富に用いた学芸員出身の鈴木君らしい手堅い発表で、さすがだなあと思いました。高校の級友がほぼ同じ分野で資料や意見交換できるのはありがたいことだと思います。そのあとは松戸の戸定記念館。。「徳川慶喜邸日誌」と「戸定邸日誌」の展示を拝見して、これは明治の芸能文化を考える上で一級の資料だなあと思いました。東京ばななを買って帰宅。今日はナディア狂言にでかけました。もう十周年、とても早いです。みんな昔に比べて上手になっているよなあと思いました。全員もう四十近くと聞いて驚きましたが。夕食は家族で近くのラーメン屋に行きました。。忙しいながら充実した休みで感謝でした。明日から健康と交通事故に気をつけて頑張りたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月21日 明日は伯父さんの始終九日で高崎に行きます。本当にお世話になったので、感謝の気持ちでお祈りしてきます。あさっては風俗史学会、目白大学の鈴木章生君の発表、本当に楽しみです。高校の同級生で、彼は民俗学ですが、本当にいい仕事しているなあと。。お互いがんばりたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。。
2008年11月18日 今日は喜多流の長田驍先生・郷先生にいらしていただいて、留学生の能装束体験をしました。羽衣・西王母の装束を実際に身につけて仕舞を舞ってみるという体験ですが、三回の稽古で羽衣や西王母の仕舞は無理なので、舞ったのは唐船と芦刈のキリですが。。短い稽古でしたがみんな物覚えが早く、結構きちんと舞うことが出来ました。長田驍先生・郷先生に心より感謝致します。この学生さんたちが五十年後の能を観客として支えてくれるといいなあと思っています。教員は自分の教えた学生にしか後は期待できないのですが。。でも具体的に期待できるのが教員の楽しさであり特権だと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。。
2008年11月17日 今日は東海能楽研究会の会員で古文書部会を造り、私に能の古文書を指導して下さった栗花光弥さんの三周忌です。もう三年経ってしまったのかと、、月日の早さを感じます。母方の祖父と同じ福島県出身で、無口でしたが「根性」を感じさせる人でした。少年飛行兵で、霞ヶ浦練兵場で訓練受けていららっしゃったとか。。「尾張名所図会」の注釈に取り組んでいらっしゃって、車で現在の様子を反映させるため精力的に調べていらっしゃったことをよく覚えています。まだ調べたいこと沢山あったのではと思いますが。わたしも教えていただいた尾張藩の能楽に関すること、早くまとめなくてはと思いつつ、殆ど進んでいません。申し訳なく思っております。今日は栗花さんの学恩を偲びつつ、尾張藩関係の能楽資料の整理をしたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月15日 今日は夕方から高校の同窓会の役員会がありました。懇親会で今年最初の鍋を囲みました。辛かったですが、子供がいると辛いものは食べられないので新鮮で楽しかったです。明日は東京に出張します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月14日 今日は生涯学習推進センターでの講座、隅田川を講義致しました。西村先生に手伝っていただいて、後半羽衣のクセを教えて頂きました。感謝でした。 午後からは論文執筆。。形だけはできましたが、まだ注をつけたり不足部分がかなりあります。だいぶ寒くなつてきました。明日は土曜日ですが出勤します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月13日 ものすごく慌しいです。昨日は能楽堂の中級講座で「翁」のお話、明日は生涯学習推進センターで「海士」についてお話します。西村高夫先生にもお手伝いいただきます。楽しいのですが、問題は体力と、自分がきちんと勉強しないでしゃべっているのではと言う不安です。やはり昔に比較して講義の準備時間が減っているのではと。。無理はできませんが、頑張って講義の質も高めたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月10日 今日は四時から名古屋市文化振興事業団で「名古屋文化情報」編集の打ち合わせ、その後能楽堂で十二月の展示の打ち合わせを致しました。こういう仕事はすきなのですが、今日は論文の締切日で、結局間に合わなかったなあと。。なんとか今週中にと思いますが、間に合うかどうか。。水曜日は能楽堂の中級講座、金曜日は東別院の生涯学習講座、日曜日は東京出張とあわただしい毎日になります。身体に気をつけて頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月9日 なかなか日記更新できませんでした。今日はひろとを連れて津の長田先生の子供能楽教室に伺いました。ひろとは羽衣のキリの仕上げと、今日から高砂のキリの稽古でした。さすがに親より覚えが良いです。素直に楽しんでくれるようになると良いなあと思います。一月の津の発表会は高砂とのことで、頑張って覚えて欲しいです。稽古のあと、長田先生のご自宅に伺い、先代の梅若六郎のレコードを頂きました。感謝です。友恵は、家内と熱田教会の礼拝に参加しました。良い休日でした。締め切り間際の論文ありますが、これから頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月6日 ようやく助成金の書類完成致しました。多くの協力いただける先生方や事務の方に本当にお世話になり感謝でした。なんとか採択できれば良いなあと祈っております。今日は能・狂言の講義で、「語る芸」の源流という題で説教を取り上げました。祖父江省念師の節段説教の「親鸞聖人御一代記」の「叡山修行の段」を聴いて、説教の形態について考えたのですが、「平曲」や鎌倉時代の「説経」の雰囲気はこのようなものだったのではと思いました。講義しながら色々な発見があり、楽しかったです。明日は生涯学習センターり連携講座で西村高夫先生にいらしていただいて「海士」の講義を致します。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月4日 今日は長田郷先生にいらしていただき、留学生の初歩の仕舞の稽古を致しました。結構覚えてくれてよかったなあと思いました。若い人はやっぱり覚えるのが早いです。お昼ごろ、生活科学部時代に家内とともに非常にお世話になった中島けい子先生が一日に亡くなったという訃報がはいり、びっくりしました。先月は文学部の柴田正先生が亡くなり、淋しい思いを致しましたが、今度は中島けい子先生。。あまりに突然で、、、残念です。能のチケットいただいたり、仕事でもお世話になりました。心より御冥福をお祈り致します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月3日 今日は名古屋芸能文化に投稿する原稿の仕上げと翰林大学日本学研究所紀要の執筆と助成金申請書類の見直しです。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月2日 今日は久しぶりの休日です。午前中は熱田教会の礼拝に参加し、例拝後先週のバザーの売れ残りのスパゲティなべを購入しました。一人用なので研究室で使おうと思っています。午後はアートピアセンターの名古屋二期会・名古屋オペラ協会合同のオペラ・ガラコンサートにでかけました。オペラの聴き所を一人・もしくは二人がピアノの伴奏で歌うというもので、能で言えば舞囃子のような演奏形態でしたが、オペラ歌手って「歌手」ですが、同時に「役者」だなあと思いました。歌声も素晴らししいですが、ちよっとした仕草で感情を表現するのがとても上手だなあと思いました。10年ほど前、名古屋オペラ協会の企画に高校の恩師の小林満先生が担当なさったとき、オペラ「黒塚」で解説に使っていただきました。はじめてオペラの練習も拝見しましたが、とても楽しい思い出です。そのときの祐慶の小原恒久先生が出ていらして懐かしかったです。能に比べて観客に高校生や大学生が多く、音楽大学の学生かなあと思いましたが、ちょっとうらやましかったです。大須で家内と子供と待ちあわせ、いつものラーメン屋さんで大盛りしょうゆラーメンを食べて帰宅しました。良い休日でした。明日は自宅で論文を書きたいと思っています。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年11月1日 今日は友禅実習、いつもお世話になる渡辺染工場の渡辺先生には本当に感謝でした。留学生の子達も個性的な色づかいできれいな模様に染めていました。楽しそうでよかったです。午後は同窓会のお茶会、僕も正座でちょっと足がしびれてしまいましたが、親切に教えていただいて、、とても楽しかったです。抹茶も、お菓子、秋の山という名前でしたがとても美味しかったです。同窓会の皆様に感謝でした。夜は愛語会。東京教育大学と筑波大学の国文学教室の同窓会ですが、なつかしかったです。岡明彦君は次の衆議院選挙候補者ですが、、、忙しいなか顔見せてくれました。ビール飲んで、愚痴言い合って、、若いころの思い出を語って。。同窓はいいなあと思います。明日は午前は教会に行き、午後は二期会のオペラに行く予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月31日 もう十月も終わり、、本当に時間が早いです。研究費申請書類と締め切りの近い論文に追われています。全部いい加減になっているようで自分が嫌になりますが、それでも少しでも良いものをめざして走り続けなければなりません。中年の勤めです。明日は留学生の友禅染め実習と同窓会のお茶会、夕方は筑波大学の同窓会です。研究費申請書類の手直しも頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月27日 今日は講義も会議もない日でした。気合入れて科学研究費の書類書こうとしたのですが、なかなか進みませんでした。研究・目的のところを書いているのですが、なかなか思ったように書けません。疲れているのかもと思います。明日は会議がありますが、時間のあるときには頑張って書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月26日 今日は熱田教会のバザーの日で、昨日から家内と子供たちとおばあちゃんはおでんと五平餅の仕込み、今日はあいにくの雨模様でしたが、家内と子供たち、両親ともにバザーでがんばっていました。父は五平餅、母と家内はおでん。ひろととともえは宣伝ということで。。僕は家内と子供を教会に送り、名古屋市立博物館の西国三十三箇所霊場の展示と常設展の小田切春江のコーナー、これがとても充実していてよかったですが、あと山本梅逸と中林竹洞の絵をみて、そけから同朋大学の中世文学会に伺いました。天野文雄先生、松尾葦江先生、岩崎雅彦さん、樹下文隆さんなど久しぶりにお眼にかかるかたが多く、楽しかったです。同時に勉強しなくてはと思いました。米田真理さんの信光の風流能のご発表、わかりやすかったです。今日の研究対象の「太施太子」、実際に復曲されたら観てみたいなあと思うような大掛かりで激しい能だと思います。楽しかったです。今日の夕食はバザーでかった五平餅とおでんです。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月25日 今日は校務で出勤しました。今日は杵屋三太郎先生の杵三会の名古屋市芸術創造賞受賞記念会、と名古屋金春会が重なり、どちらも拝見したかったので、少しずつ伺いました。杵三会は「春の色」など三太郎先生が復曲された曲もあったので、それを聴きたかったのですが、間に合わず、「綱館」を拝聴しました。三太郎先生は粋で上品でいいなあと思いました。金春会は本田光洋先生の「黒塚」「雷鳴の出」初めて見る小書でした。前場の最後、シテが立ち上がる前に、閨を覗かないよう山伏に言いましたが、この演出は初めてでした。橋掛かりでシテが山伏を振り返って入るところ、寂しさと不気味さがあって佳かったです。後ジテの出では、負い柴を下にたたきつけるように投げ捨てたり、通常にない型がありました。笛は竹市学先生でしたが、譜もいつもの早笛と少し違ったのではと感じました。後ジテの装束も本田先生はいつもすごく佳い物使われるのですが、今日も本当にかっこよくて、お母さんに連れられてきていた女の子が橋掛かりの鬼姿の本田先生に手を振っていましたが、気持ちわかりました。金春流を見られる機会は名古屋では少ないので、毎年この会は楽しみです。家元の金春安明先生の仕舞の難波もとても佳かったです。名人だと仕舞が楽しみというのもありますが、この先生はとてもきちっとしているのですよね。。杵三会ももっと観たかったし、金春穂高さんの柏崎、最後少ししか観られなかったのは残念でしたが。。。良い一日でした。明日は中世文学会があります。若い人の発表が楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月23日 昨日はめげるようなニュースが友人関連で二件はいって、落ち込みましたが、、身体に気をつけてがんばって欲しいです。チャンスは元気であればあるはずなので。。仕事の時間がものすごく細切れになっていて、何を優先させるべきなのか、どこまでの完成度ですればよいのかなど悩んでいます。なんか全部いい加減になっているような気がして、すごく嫌なのですが。科学研究費の書類がんばらねばと思います。採択目指します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月22日 今日は三年生の卒業研究指導に西川古都先生と門下の古瑛先生にいらしていただいて端唄の「秋の庭」の踊りの稽古をしました。十五人の受講者全員で欠席なく全員自分の浴衣を着て踊りの稽古をしました。浴衣の着付は古都先生と古瑛先生がしてくださいました。感謝でした。大勢なので時間かかりましたが、学生は浴衣を着る経験もあまりなかったようなので、よかったと思います。来週も古都先生にいらしていただいて後半の踊りを稽古します。古都先生は教えるのとてもお上手です。見習いたいです。自分で浴衣を着て、初歩の舞踊を踊ることが出来て、インターネットで名古屋の文化を発信できる学生の育成をめざします。いますぐやらなくても四十になって踊りを趣味にしてくれれば。。そのあと四十年は楽しめますから。その下地を作りたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月21日 久しぶりにメールで父と兄弟で研究の話をしました。父の飯塚重五郎は名古屋大学の理学部の助教授で、素粒子論でしたから、今回のノーベル賞の受賞者の出身研究室で仕事をしていました。父から兄弟へは「今回受賞対象となった小林・益川両君の仕事は彼らの立派な仕事です。今回の二人のノーベル賞は、例とえば、富士山の美しさに対応させられるでしょう。あの美しさは、あの広大な裾野があってはじめて実感出来るでしょう?何事にも、積み重ねが大切だね、皆さん頑張ってください。」というものでしたが。。父も大久保・ツバイク・飯塚ルールと通称とされる法則を発見して1976年に仁科記念財団の仁科記念賞を受賞していますが、それについては「僕の仕事はまだ、解決されていないのです。やさしい規則だが、その解決はとてつもなく難しい、そのような規則を発見してしまい、悪戦苦闘しているうちに年老いて、まあ、かなり残念さが残っています。でも、いつか誰かが、しっかりした解決をしてくれるだろうと期待しています。」ということでした。自分の課題を明らかにして、解決は次世代にひきつぐのが学者の人生だと思います。僕や弟が学者を志した理由はやはり父の存在が大きくて、僕にとってみれば大きな目標です。僕は今年「教授」にはしていただきましたが、学問ではとても父ほどの業績はありませんから。 昨日の夕食は、「友恵がパパとひろくんにサンドイッチ作ってあげる」と。。ハムとチーズとトマトときゅうりでサンドイッチつくつてくれました。。具材が大きいのを。。形はよくなかったし、夕食ですが。。美味しかったです。。ひろとはゆで卵とゆで餃子を作ると。。ゆで卵は半熟卵でしたが美味しかったですし、ゆで餃子はまあまあでしたが、サンドイッチ先に食べたので残ってしまいました。パパはなーんも役に立たないといわれましたが。。冬になるので、パパも煮物でも勉強したいと思います。なんとか食べられて安心しましたが。。十時に帰宅した家内の顔見たときは本当に安心しました。。ではまた、皆様お元気で。。
2008年10月20日 今日は義母が救急病院からリハビリ病院に転院するので、家内は千葉の実家に世話をするために帰りました。胸部大動脈剥離で緊急入院から二週間、すっかり快復できたとのことで、本当に感謝です。今日は子供の世話のため自宅にいます。夕食はパパが作らねばなりません。友恵になべでいいかと聞いたら「いやっ」と言われて、何を作ろうか考えています。午後三時までは論文執筆をします。ではまた、皆様お元気でお過ごしくだ゜さいますよう。
2008年10月19日 今日は比呂人が父と父の友人たちと長野にくるみ拾いに行き、友恵は家内と津の長田先生の子供教室に伺います。私は熱田教会に行き、午後は久田鑑賞会に伺います。秋は楽しい催しが多いので、どれに行こうか迷います。ありがたいことです。ただ、助成金の書類も、原稿もありますので、それもがんばらねばと思います。明日は講義がないので、家で執筆します。「戦前韓国日本人社会における能楽」という題で、韓国の翰林大学日本学研究所よ依頼いただいた原稿を仕上げなければなりません。明治四十三年の国諷能楽団による韓国演奏旅行に関しての考察ですが。。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月18日 昨日は東別院の生涯学習センターでの能楽鑑賞入門、鉢木、西村先生にいらしていただいて薪之段、謡っていただきましたが、やはりとても迫力がありました。西村先生に心より感謝致します。午後は椙山のスタジオで西行桜を録音していただきました。近日配信したいと思います。ファイル作成しながら、老木の精の雰囲気のある諷だなあと思いました。今日は午前中は家族で椙山の学園祭を楽しみました。模擬店で食べ歩き、ひろくんは抹茶が大好きなので、茶道部が特にお気に入りだったみたいです。午後は子供たちは筧先生の子供能楽教室に伺い、僕は鳳の会の撮影に伺いました。井上先生の弓矢太郎、臆病で、でもいたずら好きで、おおらかで、、共同社のおおらかな雰囲気がよくでていてとても楽しかったです。明日は久田勘鴎先生の道成寺、楽しみです。秋の能繁期、論文や助成金の締め切りもありますが、やはり拝見することが勉強になり、楽しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月16日 一般の方対象の雑誌でコラムの依頼を受け、千字程度でしたが、締め切りを忘れていて、あわてて書いて送りました。編集者の方から、締め切りは確かに大切ですが、内容が少し薄いのではと注意を受けました。確かにほとんどしらべることも出来ず、書きましたので反論の余地は有りませんでした。編集者の方が直してくださって、今回はその形で載せていただくことに致しましたが、反省しきりです。忙しさに紛れて、一つずつの仕事の精度が落ちているというはっきりとした例で、先日九皐会のイヤホンガイドで思わない失敗をしましたが、「慣れ」から来る慢心があるのだなと思います。学生時代、役職についた先生がきっと講義準備が出来なかったのだと今ならばわかりますが、手抜きが見えてしまう講義をされるとがっかりしたものですが、その先生の年になって、こういうことだったのかなと思います。ただ、僕の年代は出来て当たり前の年齢で、忙しいからといって仕事を下りることも、質を落とすことも許されないのですね。。体調を管理し、時間を大切にして、少しでも質の高いものを生み出せるように努力するしかないのですが。。明日は生涯学習推進センターで、能楽鑑賞入門の講義です。西村高夫先生にもいらしていただいて初歩の謡曲の稽古も致します。僕に出来る精進というと、自分の稽古もすることかなあと思います。パソコンについてはマック栄の個人レッスンなどに行っています。謡曲も西村先生が名古屋にいらっしゃるときは稽古して頂いています。少しでも「習うこと」が自分の蓄積に繋がり、講義や文章の質の維持・向上につながるだろうと思っております。進歩がなかなか見えなくて、体力的な退歩も見えて辛いのですが。。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月15日 今日は午前中は講義、午後は書類作成でした。明日は午前中がメディアリテラシーと卒業研究、午後は研究したいですが、書類も作らなければなりません。がんばります。ではまた、皆様お元気で。。
2008年10月14日 今日は一日会議でした。。講義のほうがすきなのですが。。ふーっ。。
2008年10月13日 伯父の告別式には両親が参列することとなり、私は自宅で原稿を書いております。お世話になったので、とても残念ですが。。やはり生きているときは頑張って仕事をし、また人生を趣味で楽しまなければと思います。私にとってはとても良い模範でした。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月11日 今朝父から電話があり、父方の伯父さんが亡くなったと連絡がありました。春に癌が見つかったと聞いていましたが、いまはよい治療もあるからと聞いていたので、昨日容態が急変してということで本当に残念でした。八十は越えていましたが、九十までは長生きして欲しかったです。マラソンが好きで、私が高校生で耐寒マラソンがあったとき、練習で一緒にはしって下さったり、大変良くしていただいたものですから、ショックです。尺八を吹いたり、大変多趣味で、人生を楽しむ方法をよく知っていらっしゃいました。心より御冥福をお祈り致します。今日は大学に行かずに、午前中は書類執筆、午後はマック栄でアイフォトについての講習を受けます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月10日 今日は椙山と名古屋市の連携講座の能・狂言鑑賞入門の第一回でした。定員以上の応募があって抽選た゜ったとのこと、もし全員いらしていただけたら能のためにはもっとありがたいけれどと思いました。教室の容量からしかたないのですが。。大変熱心に聴いてくださって感謝でした。明日から名古屋祭り、楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008,年10月9日 義理の母は昨日の午後には水も飲み話もできたと義父から電話があり、本当に安心しました。昨日は講義のあと、午後から北区の有隣寺に伺い、住職の祖父江佳乃先生から、節談説教で有名な祖父江省念先生のカセットテープ約50本を拝借致しました。節談説教は講談・落語・浪花節のもととなったもので、浄土真宗特有の講話ですが、芸能としても非常にすぐれたものです。佳乃先生は祖父の省念先生を継いで節談説教を復興しようとされているのですが。。祖父江省念先生が亡くなったのは平成8年と言うことで、私は聴く機会がいくらもあったはずなのですが、実際に関心をもったのは関山和夫先生が名古屋の芸能の講演をなさったときに、話されたのを伺ってからで、機会を逃して本当に残念でした。関山和夫先生監修の祖父江省念師のレコード「蓮如上人御一代記」は椙山図書館にありますので、それを聴いてすごい芸だなあと思いました。県立大学の磯野守彦先生のご紹介で、今回テープをデジタル化させていただけることとなり、拝借に伺いました。放送用ではありませんので、雑音は多いとのことですが、「芸」を伝える資料としては一級だと思います。おいそがしいところに時間をとっていただき、親切に教えて下さった佳乃先生に心より感謝致します。3時過ぎに失礼し、私の両親と家内と子供達と一家6人で御園座の夜の部に行きました。両親と私は鶴亀から観ることができましたが、比呂人の下校時間の関係で家内と子供達は修善寺物語の途中から。。友恵は「わかーんない。。」と家内にいったそうですが、衣装は面白かったらしくおとなしく観ていました。が、、そのうち寝てしまいました。比呂人は「おさむらいさんの話なのよね。」といって真剣に観ていました。「天王寺屋っ」という声がかかったとき、ひろとは驚いたみたいたで、幕間に「野次を言っているのがいたねえ。。」といったので、あれは「大向こうというのよ。あの人のファンなのよ」と教えました。6時からの幕間はアイスクリームで。。子供は満足したみたいです。「河内山」は友恵は寝てしまいました。ひろとは「山吹のお茶を一服」のあたりで寝てしまい、最後の啖呵は聞けませんでした。両親は「供奴」まで観ましたが、僕と家内と子供達は学校が早いので、先に車で帰りました。帰りにラーメン食べて満足でした。楽しかったです。全員健康に気をつけ、春秋の歌舞伎を毎年一家で楽しむことができるよう、がんばりたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月7日 昨日は義理の母が急病で早朝に緊急入院、緊急手術、心臓だったので驚きました。心配だったので、家内が看病のため昨日から里帰りしましたが、手術は幸い成功し、後遺症もないようです。普段丈夫な人なので驚きましたが。いまの医学の進歩はものすごいです。それを支えていて下さる方々に本当に感謝でした。家内がいないので、子供はうちの両親がみてくれました。夕食から朝食まで、これも感謝でした。僕は洗濯のみしましたが。。こんなに時間がかかるのかと。。家内の労働時間にあらためて感謝しました。健康に気をつけるばと思います。双方の両親に、そしてみんなに健康で長生きしてほしいです。では又、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月5日 今日は九皐会で西行桜のイヤホンガイドをさせていただきました。慣れているという慢心があったのか、散々な出来でシテの高橋先生始め皆さんに申し訳なかったです。
九皐会の観客の方は、能が好きで何回もごらんになっている方が多く、そんなにガイドを借りる方いらっしゃらないのですが、今回は百を軽くでていました。能が初めての方が多かったのです。それなのに。。と余計申し訳ないのですが。指摘された失敗点をあげます。
・マイクに鼻息がはいって聞き苦しかった。ぜいぜい言っていた。
→マイクを手でもって読んだため。ヘッドホンから自分の声がきこえない設定のため気がつかなかった。
・地謡が思ったより早く、文章の途中で読み止めたことが多かった。→区切りまでは地謡とかぶっても必ず読むべき。
・逐語訳にしていた部分で早口になったしまった。無理に逐語訳しなくても良い。とくに問答の部分は場面説明のみで可。(思わず訳してしまったが、これが失敗のもとだった)
・なぜ桜の精は舞っているのかー風雅の友とともに美しい時間を共有することがこの世への一番の執着となる。ともに美しい景色を見ることは極楽を想像し、そこに往生することを願う機縁にもなるー
ことを序の舞の途中に解説したが、舞の途中の解説はいらないという意見もあった。くどかつたかも知れない。
次回気をつけたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
能『西行櫻』イヤホンガイド原稿案
笛・小鼓・大鼓・太鼓の囃子方が、楽器の調子を整えるお調べが聞こえて参りました。間もなく開演となります。最初に、「西行桜」のあらすじについて、簡単に述べておきたいと思います。京都西山に庵を結んで隠れ住んでいる西行法師が、今年は心静かにすごしたいと思い、花見を禁止すると述べます。それにも関わらず、京都の人々が花見に訪れる。西行は皆を庵に入れますが、桜のために一人で心を落ち着け仏道修行をしていたことを妨げられけたので、「花見んと群れつつ人来るのみぞあたら桜の咎にはありける」花を見たいと大勢で人がいらっしゃることが、かえって桜の欠点であることだと詠みます。するとその晩西行の前に朽ち木の桜の空洞から老いた桜の精が現れ、桜に咎はないと言い、桜の名所を数え尽くしながら静かに舞を舞い、春の夜のひとときの出会いを惜しみつつ、夜明けとともに消えて行きます。
幕を片方のみ揚げて、囃子方が登場致します。笛、笛 大野 誠 、小鼓 福井四郎兵衛 、大鼓 筧 鉱一 、太鼓 加藤洋輝の各師です。
後見が、塚の作り物を大小前に据えます。桜の大木になぞらへた作り物です。
ワキの西行法師とアイの能力が登場致します。ワキを飯富雅介師、間を野村小三郎師が勤めます。西行法師は、大口袴をつけており、寺に住む身分の高い僧侶であることを表現いたします。アイは能力頭巾、水衣、括り袴で、寺で下働きをする身分の低い僧であることを示します。
西行法師は、下働きの僧を呼び出し、当年は花見を禁止にするように述べます。
京都の人々が花見に西山を訪れます。ワキツレの役で橋本 宰 杉江 元 椙元正樹が勤めます。素袍上下で、京都の風流を愛する庶民を表現いたします。
待ちかねていた桜の季節がようやく訪れた。急いで山に春らしさを探しに行こう。ワキツレは、庶民の住む下京の人で、春になると美しい桜を求めて、一日中山野にでかける毎日を送っていると
言います。昨日は東山清水寺の地主権現の花を眺めました。今日は西山の西行庵の花が美しいとのことですので、花見の人々を連れ、いま西行の庵に行くところだと述べます。
多くの鳥の鳴く春は全てのものが改まり新しくなるが、その新年も正月からだんだん過ぎて行き、頃も花見に丁度良い三月の空なのだ、知る人も知らない人もみな花に心を奪われるうきやかな季節であることだよ。
人々は西行の庵につき、能力に花見を申し込みます。ワキの西行は一人花を眺めて仏道に思いを巡らしております。西行は花見の人々に実は心静かに一人眺めたいのだといいます。
皆さん、これまではるばるいらっしゃるお気持ちは大変風雅であると思います。とは言うものの、出家して世を捨てて住む身にとっては花だけがこの世の友なのだが、その花のもとに待っているわけでもない花見の友が来るのはいささか心外なことだから、花を見ようと大勢の人がやってくることのみが、惜しいことに桜の欠点なのだ。と
惜しくも桜の木陰も日が暮れ、花から月の時間になるが、花の素晴らしさに家に帰ることを忘れ、今夜は花の下に寝て、一晩中この桜を眺めて過ごすことに致しましょう。
引き回しが外され、シテの老い木の桜の精が登場致します。高橋瞭一 が勤めます。面は皺尉、風折烏帽子、白垂、単狩衣、色大口で、老いた草木の精、すなわち神の扮装を表現致します。
埋もれ木同様に誰にも知られぬ身と落ちぶれているが、心にはまだ花は残っているよ。花を見ようと大勢の人がやってくることのみが、惜しいことに桜の欠点なのだ。
不思議なことだ。幹が朽ちて空洞となった桜の老木から白髪の老人が現れて西行が詠んだ和歌を反芻している様子は何とも不思議な人であるなあ。
これはあなたの夢の中に現れた老人なのだが、いま上人がお詠みに
なった和歌の主旨をなおもお尋ねしたいと想って現れたのです。
そもそも夢の中の翁とは、夢の中に現れた人なのですね。それにしても今の和歌の主旨を尋ねたいというのは和歌に疑問点があるのでしょうか。
いや上人の和歌に疑問点があるはずはないのだけれども、集団で人が来ることだけが、もったいないことに櫻の欠点なのだと。。櫻の欠点とはなになのでしょうか。
ワキ いや、これはただ、煩わしい世間を避けて人が来ないはずの山に住んでいるのに、身分を問わず花見の人が集まることをうるさく思った心を少し詠んだのです。
恐縮ですが、そのお考えは少し疑問に思われます。つまらない世間と思うのも、静かな山と感じるのも、すべてその見る人の心の問題です。花は心も感情も持たない草木なのですから、花につまらない世の中の持つ欠点はないでしょう。
まったくそれは道理です。さてこのように道理を言われるあなたはおそらく櫻の木の精霊なのですか。
私は本当は櫻の精なのですが、櫻と共に精も年老いて花は物を言わない草木なのですが、欠点がないという理由を言うために言葉を話しているのです。
歌 恥ずかしいことですが、老木になって花も少なく枝も朽ちてしまっていますが、心はあるものですから、もったいなくも櫻の欠点のない旨を申し開くために現れた櫻の精であります。まったく心がないと言われる草木であっても、花が咲き実のなる時期を忘れることはありません。草木も含め国土にあるものすべてが成仏する有り難い御法が説かれているのですから。
シテ ありがたいことです。上人の縁によって花にまで仏の恵みが行き渡っている。花が咲き、鳥が鳴くのもみな仏法のおかげで、それを知ると感謝の涙の尽きることはないのです。
春の桜の美しい季節を惜しんだ名歌をあげると白楽天が朝には仲の良い友人と落ちた花を惜しみつつ花を眺めにでかけ、夕方には鳥が塒に還るのとともに一緒に帰ってくると詩に詠んでいる。
宮中である九重に咲いても桜は八重桜と呼ぶが、この桜は何代の帝の代を見てきたことであろうか。まず桜の花で有名なのは、まず春になると最初に咲くと言う近衛家のいと桜
遠くまで見渡すと、柳の翠と桜の白い色がまじりあって、都は春の錦の色で輝いている。道ばたに千本の桜を植えて、それを場所の名前とした千本通りの花盛りは、桜の白さで雲の道のように思われ、花のちった跡は白いはなびらが雪のように残って見えることだ。花の名所である毘沙門堂や天上界の美しさもこの千本通りの花盛りの素晴らしさにはとても叶わないだろう。浄土宗本山の黒谷や下河原、昔僧正遍照が煩わしい俗世との交わりを絶って籠もった華頂山や、釈迦が説法した鷲峰山にたとえられる東山の霊山や釈迦の入滅の地である沙羅双樹の林にたとえられる双林寺も桜の名所ですが、釈迦の事蹟が偲ばれて感銘深いものです。清水寺の有名な地主権現の花や、松を吹く風の音という名を持つ音羽山。ここは強い風と言う名の嵐山だから戸無瀬に落ちて行く波までも散って流れる桜が多い大井川であって、せき止めるところにも雪のような白い花がかかるのだろう。
なんと花盛りを楽しんでいると、時を告げる鼓の音がたくさん鳴って、夜半から朝までの勤行を知らせる鐘の音も響いている。
なんと名残惜しい夜遊であるなあ。。惜しむべきである。得難いのは春の花の美しい時であり、逢いがたいのはともに風雅を楽しむ友である。 春の宵は心地よくて二時間のような短い時間でも莫大なお金にも変えがたい価値がある。花には清らかな香りがあり、月には美しい光がある。
春の夜の
老いた桜の精は、春の夜の過ぎるのを惜しんで舞を舞います。序の舞です。
(桜の咲く春の夜の美しさ、気持ちの良い季節であることを賛美し、その時間が過ぎることを惜しみます。この老い木の桜の精は、春の夜の素晴らしさを堪能して来たと同時に、自らの「老い」を自覚しています。春の夜を「この世」ですごすことがこの先できるのかわからない、ましてや春の風流を愛する友と出会うことは難しいたろう。桜の精は風雅を愛する西行との心の交流を楽しんでいるのであり、その「時」を大切にする気もちの発露として舞を舞っているという設定になります)。
夜が明け始め、西行との別れの時間が近づきます
春の夜は、桜の花が白く見えるので、花の陰から明け始めて明け方を告げる鐘をも聞かないうちの別れが来ることだ。
しばらく帰るのは待ちなさい。まだ夜は深いのですよ。空が白んで見えるのは白い花の光であって、外はまだ小倉山という言葉もあるが、山陰に枕の夢は覚めてしまった。強い風に花も雪のように散り敷いている。花を踏んで同じく年が過ぎるのを惜しんでいた少年の日々のような惜しむべき春の夜は明けてしまった。花の精は老人らしい淋しげな様子で消えてしまった。春の夜を惜しみつつ消えてしまった。
心地よい春の夜が明け、桜の花は散り、人に美しい思い出を残して、一曲は終曲を迎えます。能は余韻を味わう芸術です。拍手はシテが橋掛かりの三の松、一番幕に近い松を通り過ぎるまでご遠慮ください。本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が勤めさせて頂きました。ご清聴ありがとうございました。
2008年10月4日 今日は一家で大須薪能にゆきました。観客に小学生や若い外が多く、とても嬉しかったです。井上先生親子の附子、いつもですが、おおらかでよかったです。久田先生の羽衣も、さすが上手だなあと。。明日は九皐会です。楽しみに致しております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月3日 今日はイヤホンガイドのため九皐会の申し合わせに伺いました。申し合わせはリハーサルですが、僕たちで言えば「研究会」のような緊張感があります。プロしか見ていないだけに、同僚を見る眼は非常に厳しいというべきか。。喜之先生の巴、やはり上品でよいなあと。。高橋先生の西行桜はとても誠実な桜の精だなあと思いました。イヤホンガイドは西行桜のみですが、頑張りたいと思います。当日がとても楽しみです。大学で高安流のワキの仕舞附の翻刻と見直しをしました。これも月末までに仕上げなければなりません。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年10月2日 今日は「巴」を教材で扱いました。五日の九皐会で喜之先生が舞われるので、その事前学習のつもりでしたが、学生が二枚購入してくれて感謝でした。西行桜の私のイヤホンガイドも聞いていただけるようです。いま学生にきちんと教えることが、半世紀後の能の隆盛に貢献することと信じて精進したいです。明日はイヤホンガイドの事前学習のため九皐会の申し合わせに伺います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2009年9月30日 今日は夜若い方の御通夜に参列しました。交通事故ですが、とても残念でした。車を運転していますので、いつでも加害者にも被害者にもなる可能性があります。私自身、気をつけたいと思います。心より御冥福をお祈り致します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月29日 土曜日午後には本田善郎先生のご自宅に伺い、貴重なテープたくさん拝借して感謝でした。昨日は保田紹雲先生と出目元休家の墓所がある高輪の正源寺に墓参と記録を調べに伺いました。代々の戒名を刻んだ墓石を前に、作品は美術館で拝見してますが、確かに生きて活動されていて、ここに眠っておられるのだなあと、感慨を新たにしました。記録として、東海能楽研究会の年報に報告したいと思っております。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月27日 久しぶりに出勤せず自宅におります。明日は東京出張です。午後は本田善郎先生のお宅にオープンリールテープを拝借に伺います。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月26日 今日は助成金の書類一つと新典社の「古代中世文学論集」の原稿を上げて送りました。どちらも家内が原稿チェックして原典見直しなど手伝ってくれたので期日までに出せるので、それがなければとても間に合いませんでした。感謝です。明日は本田善郎先生のご自宅に、オープンリールテープを拝借にうかがいます。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月24日 今日はCBCの民謡ライブラリを拝見に伺いました。資料室の方に親切に教えていただいたのですが、さすがに保存用テープは保存状態もよく、宝の山だなあと思いました。とても勉強になり感謝致しております。放送文化基金の報告書としての論文に書かせていただこうと思います。月末締め切りの助成金書類などがんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月23日 今日はオープンキャンバスでした。好天に恵まれ感謝でした。たくさん生徒さんいらしてくださったし。。椙山に良い学生さんがたくさん入るといいなあと思っております。明日から新学期の講義です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月22日 助成金書類、下書きはなんとか出来ました。採択されますよーーに。今日は西高夫先生のお稽古でした。「田村」の前場をさらっていただきました。今度教えるので。。やっぱり勉強になります。明日は今年度最後のオープンキャンバス、入試相談担当ですので出勤致します。いっぱい生徒さんいらっしゃるといいなあ。ではまた、皆様お元気で。。
2008年9月21日 今日は助成金の書類作成のため休日出勤しましたが、あまり進みませんでした。疲れているみたいです。まだ夜八時ですが、普段より一時間早く寝ることにします。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月20日 今日は子供をつけてゆめつくり狂言会にゆきました。新作狂言「ゆめつくり」、楽しかったです。本丸御殿再建、とても楽しみです。明日は午後出勤して助成金の書仕上げたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月19日 アメリカ旅行にいっていた両親が無事元気に帰ってきました。留学時代のお友達とたくさん話せて楽しかったみたいです。時差ぼけが心配なので、ゆっくり休んで欲しいです。明日は能楽堂のゆめつくり狂言会です。一家で昼の部に伺います。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月18日 今日は朝健康診断でした。検診のお医者さんが高校の同級生でびっくりしました。肺にちょっと音がするということで、再検しなければなりませんが、同級生が活躍しているとやつぱり僕も頑張らねばと思います。昼は大須ロータリークラブで三十分能の話をさせていただきました。東急ホテルで、すごく立派な部屋で緊張しました。ロータリークラブ二十五周年で十月四日に大須観音で能の羽衣をなさるので、羽衣の話をしたのですが、あのような解説でよかったのかなあと。。わかりませんが。夕方は留学生の歌舞伎鑑賞の事前講義で河内山宗春の話をしました。十月一日に行くのですが、みんなが歌舞伎を好きになってくれるとうれしいです。ではまた、みなさまお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月17日 図書館で資料探しをしました。結構見ていたつもりで見落としていた資料があって嬉しかったです。明日は健康診断です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月16日 気合い入れてなんとか一本は草稿まで作りました。明日もう一本草稿まで仕上げたいです。放送文化基金の書類も書きたいです。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月15日 昨日は十五夜でした。夜には雲もうすれ、きれいに見えました。論文は、草稿どころか手もつけることが出来ず。.東海能楽研究会の資料作成などに追われました。九月末締め切りの船弁慶の論文だけは、義理からも絶対に遅れるわけに行かず、見直しの時間考えるとデッドラインですが、やばいです。今日頑張ってどこまで書けるか。.県立大学の磯野守彦先生に邦楽大系のLPレコードをいただいたのですが、当時の一流の演奏家ですごーく聴きたいです。今日は研究室でそれを掛けてデジタル化しながら、論文を書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月14日 今日は小雨です。子供と家内は津の長田先生の子供能楽教室に伺います。僕は熱田教会に行き、そのあとは大学で勉強する予定です。なんとか助成金の書類と論文一本くらいは草稿までは仕上げたいです。できるかなあ。。帰りは名古屋駅で子供たちと合流し、買い物に行きたいです。雨が心配ですが。.ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月13日 今日は名古屋三曲演奏家の会の芸所名古屋を語る集いでした。本田先生と発表させて頂きましたが、お忙しい中六代目三太郎先生もいらしてくださり、三代目三太郎の音源についての解説をしてくださったのは大変勉強になり、感謝でした。初代の三太郎と静岡での徳川慶喜との関係が明らかになる資料も入手されたとのことで、ぜひ勉強させていただければとおもっております。中部民謡めぐりに関係して、CBC資料室の方もいらしてくださり感謝でした。民謡ライブラリに150本以上の録音が残されているとのことで、またぜひ拝聴させていただければと思っております。午後の律園先生による御発表も知らない演奏が多く、とても勉強になりました。踊りを自分でしている現役学生が聴きにきてくださったのは本当に感謝でした。あの学生さんだけは五十年後の名古屋文化を見ることが出来るはずで、期待しています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月12日 しばらく日記が更新できませんでした。10日に神戸女子大学に出張して、レコードコレクターの辻山幸一先生や大山範子先生と研究打ち合わせしたり、昭和前期の古典芸能の変化についてたくさんの収穫があって楽しかったのですが、、雑用も多くて。。日記を更新したら八時間眠れないなあと思ってそういうときはあきらめました。この年になると無理が一番いけないです。5年長生きできれば、その間にできる仕事があるはずと思って、無理せずに、その範囲で仕事したいと思っています。今日は、明日名古屋市短歌会館で10時から名古屋三曲演奏家の会の「芸所名古屋を語る集い」で本田善郎先生と「昭和30年代のCBC民謡放送」という題で発表するものですから、その発表資料の追加を作成しています。発表しようと思うと調べますので、それは勉強になります。明日の午後の部は岩田律園先生が名古屋の三曲の歴史について合議なさいますので、自分の講義の参考にさせていただくべく伺いたいと思っております。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月8日 今日は論文執筆のための資料集めをしました。なかなか探せなくて、効率があまりよくなかったのですが、疲れているのかも知れません。あしたは午前中音源のデジタル化の研究打ち合わせで、愛知県立大学の磯野守彦先生の研究室に伺います。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月7日 今日は名古屋能楽堂定例能でした。イヤホンガイドの確認のため伺いましたが、どの解説もとてもわかりやすくて良かったと思います。人の解説伺うのは勉強になり、楽しかったです。最後の久田先生の野守、久田先生にしては地味かなあと思いましたが、特に印象に残りました。よかったです。では、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月6日 今日はたまっている仕事を処理するために土曜日ですが出勤しています。帰りに筧先生の能楽教室に伺う家族と合流してラーメン屋にでも行きたいと思っています。がんばらねば。。明日は名古屋能楽堂定例能、楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月5日 今日も蒸し暑いです。津の方で大雨警報で一時間に60ミリの雨が降っていると言うことでしたが。。被害がないことを祈ります。秋は不安定な気候になりやすいですが、今年は岡崎で浸水被害があったり、身近なところで被害があるものですから恐ろしいです。9月13日10時から名古屋市短歌会館で、名古屋三曲演奏家の会の「芸所名古屋を語る集い」があり、本田善郎先生とともに「昭和30年代のCBC民謡放送」という題で講演を行います。四方定子さんに提供頂いた音源をデジタル化したものをみなさんに聴いていただき、本田先生にコメントいただくものですが。。とても楽しみです。昨日プリントを作成して岩田律園先生のご自宅にお届けしました。ご自宅で30年くらい前の田村通子先生の「八重衣」の演奏聴かせていただきましたが、かっこよかったです。あと律園先生のお父様の岩田祥園先生と律園先生の若い頃の合奏聴かせていただきましたが、律園先生の若い頃は次男の昭彦先生のいまとよく似ていらっしゃったのだなと思いました。今日は会議です。会議はあまり好きでないので、早く終わらないかなあと思っていますが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月4日 今日は生活社会科学科在籍時にお世話になった深谷哲先生の命日です。もうあれから五年たってしまったのかと月日の早さを感じますが。。深谷先生はフランス文学者でしたが、奥様の深谷礼子先生が和歌の研究者であったこともあり、万代集のデータベース作成に努力されていました。心筋梗塞で急逝されたのですが、普段とてもお元気な先生でしたから、信じられなかったです。同僚でしたから教室で教えていただいたというのではないのですが、東海地域能楽番組データベースを作成する際に、複雑な能番組を三木先生にソフトを付くって頂ければできると三木先生を紹介してくださったのは深谷先生です。それをウェブデータベースにすべきだと云われたのも深谷先生でした。「文学が一番情報化の必要な分野なんだよ」といつも云われていて、まだパソコンのメモリがすくなくて、静止画をアップロードするのに大変な時代に、これからは画像・映像データベースの時代になるから、能の画像・音源・映像を収集しなさい。一日では集まらないから」と言われたことを非常に印象深く覚えています。立ち話だったのですが。。現在「恵理人の小屋」から古典芸能の音源を発信しておりますが、深谷先生のアイディアの延長上で研究させて頂いているように思います。研究というものは、一代ではいけないのですね。次世代にノウハウと資料の蓄積と引き継いで行かなければならない。。僕は深谷先生のアイディアを能や古典芸能に応用して引き継いで行きたいと思います。そして深谷先生がそうであったように、思い切り楽しそうに、かつ真剣に研究して、僕の研究に興味もってくれる人がいたら、ノウハウと資料を共有して次の世代に渡して行かなければと思っています。今日は深谷先生の遺徳を偲び、収集したデータの整理をしたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月3日 今日は雨です。秋雨は涼しくてよいのですが、大雨の後なので心配です。今日は会議三つ。助成金の書類や論文の執筆もありますから、なかなか大変です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年9月1日 いよいよ二学期が始まり、子供たちも元気に学校にでかけて行きました。昨日は豊田薪能、共同社の唐人相撲、派手なアクションはなかったですが、上品で楽しかったです。宝生和英の石橋、きびきびしていてとてもよかったです。家内と子供たちを連れて行きましたが、唐人相撲と石橋は子供たちも楽しめたみたいです。子供歌舞伎も、手筒花火も、三河の文化を感じさせるよい演目でした。夏休み最後のよい思い出になりました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月30日 台風でもないのに、異常な雨で、、岡崎ではものすごい被害が出ているということで心配しています。いまも外は強い雨でたまにごろごろ言っています。早く収まらないかなあと思います。昨日、ある出版社から投稿依頼いただきました。中世文学の論文で九月末締め切り。一月で一本仕上げるのは大変ですが、がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月29日 昨夜はすごい雷雨でした。10時にみんなで寝るくらいまではそうでもなかったですが、11時くらいにいきなりどんがらがっしゃーんと。。子供たちはぐっすり寝ていたので大丈夫でしたが、僕は目がさめてしまいました。一宮や岡崎や豊橋は冠水ということで、すごい被害が出ているようですが。。弟のメールによれば茨城もすごい雨だったそうで、全国的なことかも知れません。被害が少しでも少ないことを祈ります。電車も遅れていたり不通区間があったりと大変だなあと思います。今日は書類作成と勉強です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月28日 いよいよ今週で子供の夏休みも終わり、宿題は済んだのかと聞いたら二人とも大いばりで終わったーー。と。家内に聞いたら細かいものはまだあるけれど、ほぼ終わっているということで。。私の小さい頃より二人とも優秀です。今日は津の長田先生の子供能楽教室に行くということで、でかけました。帰りは名古屋駅で待ち合わせて一緒に帰ろうと思います。パパの仕事の方は、、なかなか進まなくて困っています。。どうも要領がよくないのですよね。。急がなくてよい仕事をして急ぐべき仕事が後回しになっているというか。。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月27日 昨日の夜、家のドアを開けたらカブトムシの羽音が。。それ自体は珍しいことではないのですが、ケースの中からではないので息を詰めて観察したら階段の手すりにぶつかって下に落ちたみたいでばたばたしているので、さっとつかんで、みたら七夕でおじいちゃんに買って貰ったペアのカブトムシのメスの方でした。。すぐに飼育ケースに戻しましたが。。飼育ケースのふたを開けて脱走したみたいです。カブトムシって結構力強いのですよね。。でもドアから逃げられなくてよかったです。ひろくんやともちゃんにとって大切な自慢のカブトムシなので。。今日は1日書類作成です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008,年8月26日 暑さもだいぶ薄らいで、夏も終わりだなあと思います。でも、やるべき仕事や論文、雑用は全然できていません。どうしよう。。状態です。脂汗の代わりに冷や汗をかいています。。ふーーーっ。これから少しがんばります。。ではまた、皆様お元気で。。
2008年8月25日 研究論文も書きたいのですが、打ち合わせや雑用もたくさんあります。夕方からは古文書の研究会もあります。一つずつ与えられた仕事をこなしたいと思います。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月24日 今日は午前中は熱田教会に行き、午後は書類を作成と思っていたのですが、疲れているのかなかなか進みません。家内と子供がでかけていて、昼と夜は一人でたべなければならないので、近くのスーパーでうどんと納豆とコロッケと刻みキャベツを買ってきました。ぼくは学生時代から食事は質素なのが好きです。だから院生時代そんなに食事では苦しまなくてすんだかなあと思いますが、、納豆とかコロッケか鰺のひらきがあれば満足なので。安めのもので充分満足できるのです。。父はおからを煮たものが好きですが。.よく「卯の花が好きな学生は良い学舎になるよ」と言われましたが。.いま「卯の花」ってあまり売っていないですよね。ひろとや友恵にはコロッケが好きならば貧乏生活でも耐えられるから良いことがあるよと言っています。ではまた、皆様お元気で。.
2008年8月23日 今日は第二回のオーブンキャンバスでした。私も生徒さんへの説明のため出勤しました。朝から雨模様だったのですが、その分例年よりは涼しくてよかったです。雨なので人数心配しましたが、昨年並みにいらしていただけたということで感謝でした。今回もアルバイトの学生さんがきちんと説明してくださって感謝でした。僕は笑顔で説明するってできないのですが、学生さんは高校生さんと笑顔で話せるのですよね。。明日は書類作成です。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年8月22日 「近代能楽史の研究」、いよいよ大河書房に送りました。来年二月の刊行をめざして。。「近世能楽史の研究」の刊行が平成11年2月でしたから、ちょうど10年になります。「夢幻能の方法と系譜」を含めて三冊目の研究書になります。前の二冊は雄山閣でした。今回は前雄山閣でお世話になった担当の佐野昭吉さんが独立して大河書房をはじめられたので、そちらでお世話になることにしました。前の二冊を知っていて下さるので、どのようにしたらわかりやすいか。また販売できるかノウハウを持っていらっしゃるので。。明日は椙山の二回目のオープンキャンバスです。生徒さんたくさんいらして下さるといいなあと思っています。わたしも係りなので、午後から明日の準備をします。明日も出勤します。遅れている原稿や、秋の講義の準備、9月締め切りの助成金の書類作成などしなければならないことはたくさんあります。夏ばてか胃腸の調子がイマイチなので、注意しなければと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月21日 「近代能楽史の研究」の原稿、家内が見直ししてくれて仕上げてくれました。僕は見落としがものすごく多いのですが、佳恵ちゃんはさすがに栄養学研究室の助手をしていただけあって、見直しなどとても早くて正確なのです。内助の功に感謝です。助成金の書類の執筆など、やらなければならない仕事は山のようにあります。原稿もまだありますし。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月20日 勉強できるはずの日なのですが、なかなかはかどりません。なぜなのかなあと。。パソコンの設定などでわからないことが多く、時間とってしまいます。本当は新書の原稿などもっと書きたいのですが。。あーあです。でも頑張ります。ではまた、皆様お元気で。。
2008年8月19日 名古屋中心の能楽新聞「能楽の友」が500号を迎えるとのことで、主宰の加野昭二郎先生のことが昨日の中日新聞夕刊に取り上げられました。担当記者の長谷義隆さんからコメントをと言っていただけたので、演能記録の蓄積についてお話しさせていただいて、談話と言う形で載せていただけて本当に感謝でしたが、加野さんの仕事は能楽界としても愛知県の文化と言う観点でももっと高く評価されてよい偉業だと思います。能楽の友の創刊号から平成15年末号については、加野先生の御厚意で、椙山女学園大学から研究費をいただいてPDFファイルを制作し、それを「恵理人の小屋」から配信されていただいておりますので、ごらんになっていただければと思いますが、41年間1号も休まず、ほとんど一人で取材・編集・発送までなさっているご努力はものすごいものだと思います。「能楽の友」の特徴は、どの流儀、どの社中にも偏らず、番組や能評を載せていることで、「観世」や「宝生」のような流友誌と異なる特徴があります。囃子の会が多く、謡曲だけではなく素人の囃子会の情報も欲しいと言う愛好者が多いということと、観世の人も宝生の人も能の愛好者はみんなどこかで知り合いという名古屋能楽界の特徴はあるのですが、極めて名古屋らしい、良い新聞だと思います。加野さんは能の会に本当にまめに顔を出されていて、その人脈と信用は他人では真似が出来ないなあと思うのですが。。他に本業をもっていらっしゃって、取材費などはその稼ぎをつぎ込んでの刊行だと思います。82歳、とてもお元気ですが、現在後継ぎはいません。名古屋における能楽の広報全体をどのように次世代に引き継ぐべきなのか、考えるべき時期に来ていますが。。加野さんのように本当に名古屋の能がすきで、とにかくまめで、不偏不党でなさるのはものすごいご努力で、敬服します。加野さんの健康と益々のご活躍を祈り、引き継ぐ人が現れることを願います。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月18日 今日の朝は少し涼しく感じられましたが、、やっぱり暑いです。アイスコーヒーの飲みすぎか、少し胃の調子が悪くて、、朝から胃薬飲んでいます。昨日の東海能楽研究会、尾崎正忠先生の、戦前の金剛流に関するご発表、先生の祖父が名古屋金剛流の尾崎浪音師になりますので、家に伝わる資料なども使用しされたとても充実した発表でとても勉強になりました。次回は10月13日の体育の日で、朝日大学専任講師の米田真理氏の発表ですが、信光の能に関するご発表とのことでとても楽しみです。今日は、研究会の雑用をしてから、少し原稿を執筆したいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008月16日 お盆も終わりました。なんとか、「近代能楽史の研究」の最後の原稿の草稿のみ終わりました。印刷して体裁など整えたいと思い、土曜日ですが出勤しております。サーバー復活したのですが、学外からの更新が難しいものですから、大学に来ているときにしか日記更新できそうもありません。「椙山生の羅雲寺」の方はブログで携帯からでも更新できますから、やっぱりブログは便利だなあと思います。日記はブログ、動画配信はポッドキャスト、ウェブデータベースは大学のサーバーでなどと、目的に応じて使い分けて行くことが必要でしょう。なんかガソリン上昇につけて物価が上がるので、僕もお茶は大きなペットボトルをまとめがいするとか、一人のお留守番のときも外食しないで冷蔵庫のご飯と残り物と納豆ですますとか、倹約に励んでいますが、僕だけではないようで、景気が減速しているそうです。うちの大学は結構就職はよくて、僕のゼミ生も結構内定はもらっていますが、まだの学生もおりますので、全員希望の進路に行けますよーーにと祈っております。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月11日 お盆です。名古屋は猛暑です。今日は子供が熱田教会の夏季学校から帰ってきます。はじめての親元離れての二泊の合宿で少したくましくなってくるかなあと。。お世話くださるCSの先生方に本当に感謝です。『近代能楽史の研究』の結章の原稿執筆のため大学に来ております。頑張ります。ではまた、皆様暑いですが、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年8月9日 先月末よりホームページを中止し、情報支援課の方々や三木先生、鳥居先生にお世話になってサーバーの点検とメンテナンスをしていただきました。情報支援課の方々、三木先生、鳥居先生には本当に感謝でした。ホームページがようやく復旧しとても嬉しいです。ひろととともえは熱田教会の夏季学校でキャンプに行き、ひろとがうまれて本当に久しぶりに家内と二人だけでの生活です。子供がいると食べに行けないちょっと辛い料理でも食べに行きたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月28日 昨日のオーブンキャンバス、無事に済みました。おおぜいの生徒さんがいらしてくださって嬉しかったのですが、アルバイト学生さん以外の方がいて、どうしたのと聞いたら高校生の妹さんを連れて学部を見学にきましたと言うことで、とても嬉しかったです。うちの大学は姉妹でいらしている方多いのですが、お姉さんが妹もと言ってくれるのは、椙山の教育内容をその学生さんが認めてくれているということで、とても嬉しいです。今日は最後の試験が済みました。明日にはレポートも届きますので本格的な採点が始まります。出来ているといいなあと期待しています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月26日 明日は椙山のオープンキャンバスの日です。高校生のための大学説明会ですが、オープンキャンバスの時に先生の説明聞いて日本文学の講義受講しましたなどといってくれる学生が去年も今年もいてくれるので、今年も頑張って説明したいと思います。雨はいやだけれど、曇りぐらいがいいなあ。ではまた、皆様お元気で。。。
2008年7月25日 二日間日記更新することが出来ませんでした。「椙山生の羅雲寺」やミクシィの日記は携帯から更新できるので、便利なのですが、この中年日記はパソコン立ち上げて、ホームページビルダーで作らなければならないので。。単純な作業ですが、さすがに携帯のブログには手軽さで負けます。23日は神戸女子大学古典芸能研究センターに伺い、研究員の大山範子先生と、レコードコレクターの辻山幸一さんと研究打ち合わせを行いました。辻山さんが所蔵されている戦前のSPレコード音源のデジタル化についての話が主だったのですが、辻山さんは古典芸能関係は本当によく聴いていらっしゃって、昭和30年代以降、新派や歌舞伎劇、新内や長唄などの放送録音もオープンリール・カセットで大量に所蔵されています。昭和50年代以前の放送局には、アーカイブという概念がなく、放送に使用したテープ等は、放送が終われば再利用するか処分するものでした。実際、ラジオ音源にしてもオープンリールテープは非常に場所を取ります。これから放送に利用する予定のないテープを所蔵するだけの倉庫もテープの整理の人員も放送局にはさけなかったのだと思います。辻山さんには、三月から拝借していた貴重なSPレコードをお返しし、昭和55年前後の、NHKFMの新内のカセットテープを7本拝借いたしました。昨日は、これらのテープをカセットテープにダビングし、今日は朝からそれをWAVファイルにするために取り込んでいます。四方さんのもののように放送の原盤テープではありませんが、雑音はほとんどなく、良い研究資料になると思います。貴重な資料を貸してくださった辻山さんと仲介いただいた大山先生に心より感謝致します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月22日 子供は夏休みで、今日はラジオ体操の日です。普段7時40分公園集合がなかなか出来ないのに、6時15分には着替えて近所の子供たちと元気よくでかけました。不思議です。。昨日の豊田能楽堂定例能10周年記念というだけあて、今年の定例能は豪華です。昨日の佐藤友彦先生の「釣狐」。なんか人なつっこい上品な狐でした。最近の若いシテの狐はなんか運動競技を見るような感じで、技術のすごさはわかるのですが、あざとさも見えるのですね。プロだから受けを狙うのもと思いますが、昨日の佐藤先生は抑えた表現で上品な人の良い狐を演じられたように思います。共同社の良さと言うか、こういう「味」は友彦先生ならではと思いました。ひろとを連れて行きましたが、ひろとは筧先生が子供能楽教室の後に、子供にも抹茶点てて下さるので抹茶が大好きで、豊田能楽堂には呈茶席があるのですが、「パパ、一服して行こうよ。。」というので、、結局開演前と釣狐のあとと、二回行って、一人一服五百円でしたから二千円使いましたけれど、ひろとは「熱くて舌やけどしちゃったーー」といいながら大満足でした。善知鳥は梅若六郎師が足の怪我で梅若晋矢師の代役。梅若晋矢師は東京のぬえの会で『山姥』の舞囃子を拝見して、なんとかっこいいんだ、と思いましたが、昨日もとてもすっきりしていて理知的でかっこよかったです。「善知鳥」なんて、地獄で苦しむ猟師なのですから、憔悴しきっている設定です。でも、ほんとうによろよろしていたら、生な感じがして、いやらしくて劇にならないです。梅若六郎って花があって、なんかよくわからないけれど素敵な舞を舞う人なのですが、昨日の晋矢師は理知的で上品で、声もよくて面白い善知鳥だったなあと思いました。名古屋ではめったに見ない人なので、次は代役でなくシテとして見たいなあというか。。豊田能楽堂満席でしたが当然だと思いました。うちもですが、小学生くらいの子供連れもいましたしね大学生くらいの若い人もずいぶんいて、うちの学生も何人か来てくれていてうれしかったですが、能楽の次世代の継承のために心強かったです。だはまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月20日 今日は午後神宮東ハウジングセンターの企画の海の釣り堀というのにでかけ、ひろとが鯛を釣りました。一人三百円で10分の引っかけ釣りなのですが。ともえは糸が切れて残念賞の鰺でしたが、両方ともバター焼きにしておいしく頂きました。大きい鯛だったので、鯛も鰺も半身は実家にお裾分けしました。母は天ぷらにすると言っていましたが。.猛暑でしたが、とても楽しかったです。明日は豊田能楽堂の定例能、佐藤友彦先生の釣狐とても楽しみです。友恵はピアノの稽古で連れて行けないのですが、ひろとを連れて行こうと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月19日 慌ただしい週でした。なんか日記も更新することが出来ませんでした。では何をしていたのか、、ぼーっとしていたのかなあと。。なんかあたふたとはしていたのですが、何をしたとなると。。今日は朝名古屋大学グローバルCOE:研究集会の発表を聞きに伺いました。仏教テキストの基礎的研究についてですが、老若男女大勢いて、非常に賑やかでした。名古屋大学の阿部泰郎先生をリーダーとする仏教テキストの整理・研究グルーブですが、はすごく手続きが緻密で、しかも構想が大きくて、すごいなあと思いました。名古屋大学の中世文学というと、私の院生の頃は山下宏明先生を頂点とする平家物語の山下山脈と、後藤重郎先生を中心とする和歌の後藤山脈と。。きら星の様な弟子のグループは圧巻でした。今年の春、岩瀬文庫の展示図録見て近世の塩村山脈が出来つつあるなあと思いましたが、今日の研究集会に参加して、阿部山脈の形成を実感しました。山下宏明先生は僕が椙山の専任講師になったころ、村上学先生や中京大学の長谷川端先生と名古屋中世文学研究会を毎月のように研究室で主催されました。私もそこでずいぶん教えて頂き、感謝しておりますが、全国的な国文学科の退潮の中でいつしかこの会も無くなってしまいました。あのころは、まだ名古屋大学や中京大学といったようなこの地区の大学院大学の先生と院生の集まりと言う性格がありましたが、今度のグローバルCOEは本当にグローバルというだけあって今日発表伺ったのはイリノイ大学の先生でしたが、日本人の研究者だとしても、このようなレベルまで達している人はいくらもいないだろうというような実証的で質の高い研究でした。関西や東京からもたくさんいらしていましたが、このようなグローバルCOEプログラムによって、出身大学や勤務先を超えて勉強の機会が与えてもらえるのは非常にありがたいと思いました。無料で配布された資料も謡曲の研究者にとってもとても価値あるもので有り難かったです。能楽堂の伊勢門水展の間キャプション執筆のために午前中で失礼して椙山の研究室に戻り、執筆して能楽堂に原稿を送ってから名古屋市博物館の特別展「城下町大発掘」に行きました。江戸時代の遺跡の発掘ですが、食器などによって、江戸時代の身分による生活の違いなどの様子がはっきりわかり、とても面白いです。会期中にもう一度今度は子供を連れて行きたいなあと思いました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月15日 今日のメディアリテラシーで前期の全講義が終わりました。なんか終わってしまうとあっという間だったなあと思います。明日から試験です。頑張って欲しいなあと思います。今日は岩田恭彦先生に新曲の「飛翔の音階」を御願いしたものをポッドキャストにあげました。ただ、何回やっても、サーバーにエラーが出ましたと言われて、完了することが出来ませんでした。大きなファイルなので、時間はかかりますが、家で聴いてみましたが、異常なく聴くことが出来安心しました。尺八ってこのような演奏も出来るのかと思わせるとても面白く楽しい曲です。なぜエラーが出るのか不思議です。こんどマックの栄店に行くので尋ねたいと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年7月14日 昨日の名匠狂言会、井上菊次郎先生の三代の「靱猿」、佐藤融先生の「金岡」どちらもとても上品であざとくなくて佳かったです。共同社らしい味があるというか。。良い意味で、狂言が旦那衆の遊びであった時代のおおらかさがあるのですよね。今日の文芸Aが前期最後の講義、これから試験週間です。終わってみると早かったなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月13日 猛暑です。昨日は大学で長田先生の仕舞のポッドキャストを編集して、最後にアップロードしたものについては異常ないのですが、金曜日に作成して、サーバーが調整中で揚げられなかった分については動画が出てきません。デスクトップにドメインファイルをおいて作業しているせいなのか、、理由がよくわからないのですが。。家ではできない作業なので明日直そうと思います。今日の午後は名匠狂言会、とても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月12日 来週から試験週間です。いよいよ前期も終わるなあと思います。放送文化基金の報告書など、いただいた助成金の報告や論文の締め切りも次々にあります。間に合うのかなあと思いつつ、、頑張らなければと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月11日 昨日は民謡の剣持さん一家にいらして頂いて、民謡のワークショップをしました。昭和30年代で労働歌などの民謡は姿を消しましたけれど、それらの音楽を元に放送やレコードとも結びついたプロの「民謡歌手」や「民謡教室」が生まれます。演歌とも違う音楽ジャンルですが、とても面白いです。剣持豊さんや雄介さんはテレビの民謡番組などにもよく出るプロの民謡歌手ですが、さすがに上手です。昨日は津軽三味線なども聞かせて頂きましたが、三味線ってこんなに大きな音が出せるのかと、まず驚きました。学生さんも普段民謡を聞くことはないでしょうから、よい経験になったようで、講義の評判もとてもよかったです。来週から試験週間です。がんばって欲しいなあと。。出来が悪いと、私の教え方が悪かったということにもなりますので。。教師にとっても試験週間は「試験」なのです。後期からは出席点の比重を高くして、欠席の多い人や遅刻常習者には今まで以上に厳しく対応します。文化情報学部の講義の幅は非常に広くて、そこがうちの学部の自慢なので、別に興味ない学生が無理に私の講義受講する必要ないのです。必修は担当していませんから、学生に不利益はありません。出席良好な学生はいまよりも点数多少上がると思います。50年後の名古屋の文化を担うことができる文化に興味をもって人生を楽しめる余裕のある人を育てたいです。ではまた、皆様、お元気で。。
2008年7月10日 昨日出てこなかった携帯、何回も探したと思っていた紙くずの山から出てきました。。ネズミでも住んでいて運んでいったんじゃあないかと。。そんな気分です。教室で落としたのではと事務の方や掃除の方にまで探していただいてしまって恐縮でした。風邪気味なのか、ちょっと胃が痛いです。今日の三時間目の日本文化論は民謡の剣持会の皆さんにお願いして民謡のワークショップを行います。楽しみです。御協力いただいている剣持豊さんご一家に心より感謝致します。学生たちが50年後に、名古屋の文化を趣味として楽しんで、それを伝えていって欲しいなあと思っています。7月号の学燈社の「国文学 解釈と教材の研究」の特集「文学の中の死」で「能に描かれた修羅・地獄」という論文を書かせていただきました。ぼくが学生時代は、小西甚一先生や伊藤博先生などがよく書かれていた雑誌で、今回私も3回目ですが、こういう雑誌から投稿依頼いただけると、少し認めてもらえるようになったのかなあと思います。学術誌に投稿するのと異なり、能以外のジャンルの方も読まれますし、学生さんや高校の先生方に読んでいただくわけですから、専門用語を使うにも、それが読者に伝わるかどうかの吟味が必要です。そして、教養として読まれるわけですから、最近の研究動向は踏まえないといけないと思います。小西先生や伊藤先生は偉大だったと、依頼いただいて書きながら思いました。いまは修羅道の画像検索でもグーグルの画像検索を使えば一発ででます。用例検索も電子テキストのおかげで、おもっもみないテキストに用例があったのだとわかることもあります。グーグルはすごいです。それだけに頼ることはもちろん出来ませんが。。またネットのテキスト信頼性でイマイチですから、あたりをつけるだけで、実際には本にあたって、本文やページ数をあたらなければなりませんが、ずいぶん便利になりました。ただ、自分に基礎が出来ているのか、そのあたりが気にかかります。習ったように調べて発表しているつもりで我流になっていないか。。皆さんのご教示をお願いしたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月9日 月曜日以外講義は今週まで、来週から試験週間です。来週の試験範囲を教えるための紙を作っておいたのですが、、間違えて原稿を処分してしまったみたいでまた作り直しです。忙しい時に限ってこういうミスが起こります。でもがんばります。4時間めのあと、携帯電話が出てきません。どこかに落としたみたいて゛す。携帯ないととても不安だなあと思いますが。。困ったものです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月8日 今日は四十七歳の誕生日でした。双方の両親とも健康に恵まれ、家内も子供たちも私も健康に過ごせて本当に感謝です。夕食後、母が作ってくれたババロアでお祝いをしました。四十七でみんなに祝ってもらえることは本当に感謝です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月7日 今日は七夕ですが、やはり曇りで゜星は見えませんでした。岩田律園先生、西川古都先生、杵屋三太郎先生にスタジオで録画させていただいた曲をポッドキャストとして配信を始めました。新しいiMovieは音声のマージをすることが出来るので、以前よりも音が良いと思います。ご協力いただいております先生方に心より感謝致します。明日は四十七歳の誕生日です。双方の両親とも健康に恵まれ、私も家内も二人の子供たちも健康で本当に感謝です。書かなければならない原稿たくさんあります。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年7月6日 今日は午前は熱田教会の教会学校に行き、そのまま名古屋能楽堂の定例能に行きました。長田先生の船弁慶、真之伝、観世流で見慣れているといろいろなところに違った型があって面白かったです。学生さんも二十人以上来てくれて嬉しかったですが、前半の舞はゆっくりだったので、眠くなってしまったかも。。家内もひろとも友恵も寝てしまって、僕だけみていましたから・・後半は動きも多かったので面白かったと思いますが。.来週でほとんどの講義が終わり、試験週間になります。みんな出来ているかなあと、、毎年ながら心配になりますが。。頑張って欲しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月5日 今日は夕方から東京教育大学・筑波大学の同窓会の総会がありますので、名古屋に行く予定です。名古屋能楽堂では長田先生の素人会があり、驍先生と郷先生が猩々を舞われるので、伺いたいのですが、ちょうど時間がかさなってしまったので残念です。かなり疲れているので、家で仕事しています。「近代能楽史の研究」のまとめの部分を書いています。なんで疲れやすいのかなあと思いますが。胃の調子がわるいのが辛いです。明日は定例能です。長田先生の船弁慶、楽しみです。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年7月4日 昨日は日本文化論の講義を尺八の岩田律園先生、恭彦先生にお願いいたしました。竹という自然素材で、単純な楽器なのに、本当に色々な音色がでる事にいつもながらすごいなあと思います。学生さんからの評判もとてもよかったです。恭彦先生が、ディズニーランドのテーマ音楽を尺八で吹かれたのには学生もですが、私もびっくりしましたが。。ああいう曲でも吹けるのかと。。講義のあとにの律園先生、恭彦先生にそれぞれ講義で扱われた曲の録音をお願いいたしました。近日ポッドキャストで配信させていただきたいと思っております。昨日は本田善郎先生も椙山にいらしてくださり、録音の名古屋甚句の今日は日本の伝統と文化の講義を長唄の杵屋三太郎先生にお願いいたします。お忙しいところいらしていただけて本当に感謝です。今日は50人の学生さん全員に三味線に触れてもらいました。最後に吾妻八景の一部を演奏していただきましたが、とてもかっこよかったです。あの学生さんの中の一人でも将来趣味で三味線や尺八をやってみたいというような学生さんがでたらいいなあと思っています。多くの方々に助けていただいて、自分の講義がなりたっていることに本当に感謝致します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月2日 ガソリン174円って。。もう勘弁してーーという気持ちですが。。何を節約しようかなあと。。期待していた財団の研究費の落選通知が来ました。がっかりです。競争的研究費はしっかりした準備と書類が必要です。随分綿密にしたつもりですが、他の人がもっと実績を持っていたということです。素直に反省して、再度チャレンジしたいと思います。学生さんの親御さんからいただいた昭和40年代のLP;レコードをデジタル化しています。チェリッシュとかジローズとか。。とても楽しいです。もうみんな定年に近い年代なのですよね。。でも、今聴いてもとても新鮮です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年7月1日 今日からまたガソリン値上げで、あおりでいろいろなものが一斉に値上がりしました。給料があがらないのに物があがるのはツライですが、みんなそうなので仕方ありません。お店で大好きなピルクルとチョコレート買っていつもならば210円なのに221円。。この11円が辛いです。。千円入れて6リットル行かないなんて。。考えませんでしたが現実です。電車で行ったほうが定期券だと安いのですが、荷物があるので。。今学期も講義はいよいよ三週間です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月30日 今日は文芸Aで寝音曲を取り上げました。和泉元秀の最晩年のビデオですが、この人性格は評判よくなかったけれど、ビデオで観ると結構風格あって上手だったんだなあと思います。実際には熱田で髭櫓とか見ています。そのときも上手だなあと思いましたが。。講義もあと三週間ほど、早いなあと思います。みんなレポート・試験頑張って欲しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月29日 今日は家内と子供たちは長田先生の能楽教室で津に行き、私は午前は能楽堂の展示の手伝い、午後は関西観世花の会で、東海能楽研究会のメンバーがイヤホンガイドを行いましたので、それを聞いて不具合をチェック致しました。イヤホンは分かりやすくてよかったと思います。名古屋で全員女性の地謡の玄人会というのは珍しいと思いましたが、よく揃っていてよかったです。六月も明日で最終、時間か経つのはとても早いです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月28日 今朝の中日新聞朝刊に嬉しい記事が一つと、残念な記事が一つ載っていました・嬉しかったのは、六代目杵屋三太郎先生の名古屋市芸術創造賞の受賞。残念だったのは東海学術奨励会の解散です。。まず嬉しかったほうから。杵屋三太郎先生は杵屋三太郎家の六代目家元として、高い演奏の技量を持ち、古曲の復活など、長唄の魅力の創造活動、子供たちへの長唄の普及など次世代への普及活動に熱心に取り組まれたことが評価されての受賞でした。ふさわしい人が受賞されて本当によかったなあと思います。私も一昨年より椙山の講義をほとんどボランティアでお願いしております。感謝です。次の金曜日の日本の伝統と文化でも三味線ワークショップをお願いしております。今日の新聞をコピーして受講生さんたちに紹介したいと思います。学生さんたちが、三味線音楽の魅力を感じてくれればよいなあと思っています。残念だったのは東海学術奨励会の解散。東海地域で活躍する研究者への研究助成で1件30万円で、一生に一度なのですが、実績に対する評価で、使途が自由なのが大きな特長でした。家内が食品栄養の一年助手を勤めていたときに頂き、そのあと平成八年に私が頂きました。もう十二年前です。授賞式で「皆さんの研究に役立てて下さると幸いです。使途は自由です。帰りに仲間と飲んでしまってもいいです。あるいはそれが研究の進展に一番必要なことかもしれないから。。」と言われた来賓の方がいらっしゃったのを印象的に覚えています。研究費は計画どおりに使用するのが原則です。最近は会合費などで研究協力者に弁当を出すことも研究費では難しくなっています。こういうときや、機械の故障などの急な出費の時には、壊れていない機械のために修繕費を前もって計上することは出来ませんので、こういう賞金タイプの助成金はとても助かります。このときには、研究資料の購入と、筧先生にお願いして椙山で能と・狂言の会を催していただき、そこで当時の学生さんからFMラジオとそれに音声を送ることができる装置をお借りしてイヤホンガイドの実験を行いました。平成9年の1月で、長田たけし先生の忠度で高安先生の脇語の小書付でした。名古屋能楽堂の開館前で、名古屋では最初のイヤホンガイドの試みだったと思います。あれから10年たち、明日も関西観世花の会でイヤホンガイドが行われますが、担当者も7人まで育ち、本当に良かったなあと思っています。夫婦ともにとてもお世話になった東海学術奨励会が解散するのはとても淋しいですが、名古屋の研究者のために果たした貢献に感謝し、これを引き継ぐファンドが生まれることを祈ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月27日 金曜日です。一週間早いなあと思います。今日の日記は朝書いているのですが、四時間目の日本の伝統と文化以外は時間があるので、論文や原稿を書きたいと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月26日 今日はプレゼミの最後の日でした。全員に卒業後すぐ、三十歳、四十歳、五十五歳のときに何をしていたいか人生設計を書いてもらって読んで貰いましたが、意外と堅実だなあと。。みんなが幸せな人生を送ってくれることを祈ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月25日 来週の日本文化論に尺八の岩田律園先生にいらして頂くので、今日講義の打ち合わせに伺いました。尺八いま昔という題で。江戸時代からの名古屋の尺八の歴史を教えていただくのですが。。いろいろな音源も用意して頂き、感謝でした。学生さんが興味もってくれるといいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008,年6月24日 昨日の芸能文化会の時に、安田文吉先生に22日の中日朝刊の市内版に西川古都先生をお招きしたワークショップの記事が載っていたよと教えていただいたので、早速大学で調べました。学生さんが稽古としてる様子が写真付ででていて本当に感謝でした。今週から学生さんによる授業アンケートの週で、わたしもメディアリタラシーについてとったのですが、、学生さんによって、評判はまちまちで、欠席している学生さんほどわからなかったとか、不親切だったと書いてあるので、少なくとも出席してから評価してくれよと思いましたが、もっとわかりやすい教え方を工夫する必要もあるかなあと思います。アンケートの後はいつも落ち込みますが、前を向いて工夫しようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月23日 今日は夕方、熱田神宮文化殿での名古屋芸能文化会で、オープンリールテープのデジタル化と配信に関して、民謡の音源を中心に発表しました。発表と言うよりも、デジタル化した音源を聞いていただく時間が大半だったのですが、関山和夫先生、安田文吉先生、金子奈津江氏といった、名古屋の芸事の生き字引の方がいらしてくださったので、解説の中部民謡めぐりの解説者の上田年夫先生が関山先生の旧制中学の担任で、そのあと名古屋大学教育学部の国語教育の先生になられていたこと、一宮の方で51歳で若くしてで亡くなられたことなど、民謡の音源の,年代校訂や、放送の性格についていろいろ教えていただきました。名古屋甚句の一句流れただけで誰の声だと安田文吉先生などはすぐわかるのですね。。すごいなあと。。発表して色々勉強になりました。昭和32年録音で著作権の消滅している音源とわかったものもありますので、順次配信の準備をしたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月22日 今日は朝、熱田教会の教会学校の中高科の説教、使徒言行録の第七章を担当し、そのあと、東海能楽研究会の例会の山脇得平本の輪読《敦盛》を勤めました。なんとか大過なく勤められて感謝でした。家内に電車賃貰うの忘れて、、これだと昼ご飯食べたら帰れないなあと。。マックの前通ったらフィレオフィッシュ100円と書いてあったので、それを二個と百円のコーヒー、3百円で高校生の部活帰りみたいな昼ご飯になってしまいました。地下鉄代とバス代合わせて430円も倹約して会場まで六キロ歩きました。おかげで安城に帰ったとき、まだ有り金が三百八十円ありました。大学生時代の貧乏を考えると六キロくらい平気で歩けます。土浦から下宿まで十二キロくらい歩いたこともありましたから。。明日も名古屋芸能文化会の発表があります。まだ準備ができていません。頑張ります。ちゃんとお小遣い貰って行こうと思います。熱田神宮文化殿で六時からなので、せめてきよめ餅くらい食べたいので。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
.1008年6月21日 今日は東京では喜正の会、、拝見に伺いたいなあと思いつつ、論文原稿も発表の準備もあって伺えません。。家内が元気のでないパパの為にチョコケーキを買ってきてくれました。食べたので少し元気になりました。今日は名古屋能楽堂の展示のリード文の執筆、名古屋芸能文化会の発表準備をしたいと思います。ではまた、皆様御元気でお過ごし下さいますよう。
2008年6月19日 明日は夏至とのこと、本当に六月も半ば過ぎということで、今年も早いなあと思います。日曜日には熱田教会の教会学校の中高科の説教と東海能楽研究会の発表、月曜日は名古屋芸能文化会の発表と予定が立て込んでいます。無事やれるのだろうかと思いつつ、中年である以上やらねばと思います。とにかく身体に気をつけなくては。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月18日 今日は日本の伝統と文化の講義に日本舞踊の西川古都先生に講師をお願いして、ワークショップを行いました。古都先生が先週、稽古ですから全員浴衣でやりましょうとおっしゃって、持っていない学生って、ほとんどみんな持っていなかったのですが、11着もってきてくださってみんなに着付けまでしてくださいました。洗濯して返さなくてはならないのに、結構ですとおっしゃって甘えさせていただいてしまいましたが、、一年生の学生たちの中は浴衣を着た経験もほとんどない学生も多く、浴衣を着て「夕暮」を踊る経験はとても新鮮だったようです。古都先生と、補助してくださった門下の古英里先生に心から感謝致します。学生さんたちには、古都先生や古英里先生のご好意に感謝して、そしていつか日本舞踊を観客としてでも支えてくれればと思います。稽古してくだされば、趣味として下さる方が一人でも出れば本当に嬉しいですが。。こういう経験が、大学時代の思い出になってくれれば良いなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月17日 暑さのせいかどうしたのか、身体がだるいです。学生さんに先生疲れていますねーーと言われてしまいましたが、どこか悪いんじゃあうないかなあと思うくらい、春以降力がでないのです。先週結果の出た血液検査でも特に異常はありませんでしたし、大丈夫だとは思うのですが。明日は西川古都先生によるワークショップの二回目です。とても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年6月16日 今日の文芸Aは、「船弁慶」を取り上げました。七月の名古屋能楽堂定例で行われますので、観にいってもらえるといいなあと言う思いもあります。定例は長田驍先生の真之伝の小書つきのもの。。長田先生の船弁慶はまだ名古屋能楽堂が出来る前に、熱田神宮能楽殿で拝見したことがあります。前半の静がとっても佳かったなあと印象に残っています。今回どのように演じられるか楽しみです。午後は、来週月曜日の名古屋芸能文化会発表の準備をしていました。四方さん所蔵の民謡テープのデジタル化に関する発表です。間に合うかなあと思いつつ。。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月15日 今日は家内とこどねたちは長田先生の子供教室で津にでかけています。私は来週の東海能楽研究会の輪読プリント作成で自宅におります。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月14日 今日の午後は若鯱能でした。椙山で用事があったため、竜田の中入りからしか観ることが出来なかったのですが、長田郷さんはやっぱり基礎がしっかりしているなあと思いました。今日私として一番いいなあと思ったのは鬼頭尚久の舞囃子の小督、名古屋の金春流を支えて行く逸材になると思います。とても楽しかったです。友恵と家内とともに出かけたのですが、、友恵はさすがに寝てしまいました。起きたら、能楽堂の前の池に葉っぱ浮かべて遊んでいて、、家内は羽衣半分観られませんでした。今日は椙山の学生さんも十人近く観に来てくれて感謝です。。あの子たちは六十年後の能も観られるはずで。。ぜひ観て欲しいと思います。そうして、名古屋の伝統芸能を支えて欲しいです。ひろとは安城にいて、おじいちゃんと一緒にザリガニを釣りにいって、すいかを買いにいったそうで大満足で帰ってきました。両親に感謝です。.ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月13日 今日来年度卒業研究生15人が決まりました。今年に続いて二回目の全枠満員で本当に感謝です。それ以前は多くて四人でしたから。。名古屋文化のビデオとインターネットを用いた配信がテーマです。学生さんには喧嘩せず、よく寝てよく食べて、名古屋の文化を楽しんでよく勉強して欲しいと思います。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年6月12日 名古屋市文化振興事業団より、今年度の名古屋市芸術創造賞が六代目杵屋三太郎先生に決まったと連絡がありました。杵屋三太郎先生は、実演家としての腕は素晴らしく、まだ東音中島真実と言われていた頃、名古屋市芸術祭で審査員特別賞を受賞されましたが、とても美しい演奏で、当時審査員をさせていただいておりましたので、とても印象に残っていました。その後杵屋三太郎家を継がれ、家元として後進を指導されています。私の講義でも学生に三味線の指導をお願いしました。とても教えるのが上手で、学生がとても喜んでおりました。とてもよい先生のところによい賞がいったなあと思います。また学生に指導をお願いしたいと思っています。三太郎先生の益々のご活躍をお祈りいたします。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月11日 今日は日本の伝統と文化の授業に西川流師範の西川古都先生にいらしていただいて、端唄の「夕暮」の踊りを教えていただきました。少人数の講義ですので、びしり教えていただいて、学生さんたちも充実していたと思います。最後にみんなで記念写真を撮りました。とても楽しかったです。民謡の内藤千賀弘先生に本田善郎先生の民謡収集旅行記録のデータ入力の費用を援助していただきまして、№5の入力が今日出来上がってきましたので、配信致します。内藤先生と貴重な資料の公開を許可くださった本田善郎先生に心より感謝致します。来年度の卒業研究、現在七人申し込みがあり、本当に感謝です。半世紀先に、能や歌舞伎を楽しみ名古屋の文化を担う楽しいばばさを育てたいです。ホームページの写真、学生さんからいただいた京都研修のときの京都御所の写真に替えました。やっぱ老けたと思いますが。。学生さんに感謝です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月9日 なんとなく元気がありません。が、講義はキアイでなんとか乗り切りました。ひろとの発疹家内が医者に連れて行ったらアレルギーだったとのことで、当面辛い物・甘い物・揚げ物アイスクリーム禁止で、水泳もだめとのことで、かなりショックを受けているみたいです。和食中心にするようですが。。パパの唐揚をねらってはだめということになりますが。。可愛そうです。
2008年6月8日 今日は神戸では六麓会、能楽堂では名古屋観世会ですが、疲れがとれず、教会もお休みして家で静養しています。先日の肝臓検査では別に異常はなかったのですが、疲労が蓄積されていて、無理が利かないのです。長生きして孫に能の魅力を教えるのが目標なので、とにかく摂生です。自宅で東海能楽研究会の発表レジメを作ります。ひろとが昨日何かのアレルギーか体に湿疹がでたので、ひろとも一緒に静養で家内と友恵が熱田教会の花の日礼拝に参加しています。家内が育てている庭のあじさいがきれいです。梅雨の季節だなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年6月7日 僕は中年になってから朝にはつよいのですが、今日はだるくて起きることが出来ず、ようやく起きたのが九時半。。東海能楽研究会のレジメ作成など、自宅でできる仕事を少しずつしようと思います。各地の博物館・美術館の展示などみたいものもたくさんありますが、体力が回復するまでは控えないと、講義に障りますので。。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年6月6日 昨日イヤホンガイドを勤めた疲れが出たのか、いまいち元気がありません。助成金の報告書や次の東海能楽研究会の発表資料作成などしなければならない仕事はたくさんあるのに。。出来ていません。少しずつがんばろうと思います。明日は子供たちは授業参観で登校です。家内が行ってくれるのでパパは家で勉強したいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月5日 今日は定例能の武田志房の善知鳥のイヤホンガイドを勤めました。椙山の学生さんが14人も来て下さって感謝でした。私の日本文学関係の講義は能・狂言・歌舞伎・日本舞踊のいずれかを見て感想を書くことになっているのですが、自分の解説する催しに来てくれて、僕の解説のわからなかったところなど書いてくれると次教えるときのとても良い材料になります。学生たちは五十年たってもまだ七十にならないくらいですから、本当に長く能でも歌舞伎でもみることができます。よい観客に育って欲しいなあと思います。この子たちによって名古屋の文化が支えられて行くだろうと期待しています。
今日のイヤホンガイド原稿、反省点多いですが揚げさせていただきます。よろしくご教示ください。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
笛・小鼓・大鼓の囃子方が楽器の調子を整える、お調べが聞こえて参りました。まもなく開演となります。最初に物語の粗筋を述べておきたいと思います。
諸国一見の僧が、日本の北の果てである陸奥の外の浜を見ようと旅にでます。その途中に越中、現在の富山県の立山に登り修行します。経文にえがかれた地獄のような荒れた景色を眺め下山するところに、不思議な老人に呼び止められます。自分は昨年死んだ漁師なのだが、外の浜に住む妻子に蓑笠を手向けてくれるよう頼んで欲しいと言うのです。僧が証拠がなければ妻子も信用しないでしょうといいますと、片袖をちぎって僧に渡します。僧は、その片袖を持って外の浜に下り、妻子に見せますと、猟師が生前着ていた夏ごろもに符合しました。僧が卒塔婆を作り、猟師の霊を弔いますと、地獄に堕ちた猟師の霊が現われます。そして、親が「うとう」と鳴くと子供が「やすかた」と鳴く習性を利用して、親の鳴きまねをして小鳥を
とった殺生の様子を懺悔に語ります。そして地獄で苦しむ様子を述べ、僧に弔いを頼んで姿を消します。
幕を片方のみ開けて、囃子方が登場いたします。笛、藤田六郎兵衛、小鼓、柳原冨司忠、大鼓、河村真之介の各師となります。
名乗り笛で脇の僧が登場いたします。高安勝久が勤めます。角帽子(すみぼうし)、水衣(しけみずごろも)無地熨斗目(むじのしめ)の扮装ですが、袴をつけていないことで、旅の僧であることを表現します。
僧は、陸奥外の浜を見たことがないので、外の浜を見たいと思い、旅をすると言います。外の浜は、当時の日本の北の果てと考えられた地名でした。またその途中なので、立山に上り修行したいといいます。
僧は立山の様子を見て、経文に書かれた地獄そのものの様子で、これを見て地獄を恐れない人は鬼よりもなお恐ろしいことだと思い、自分のこの世に執着する罪業を恥じて山を下ります。経文には、地獄には植物なく岩ばかりで、いやなにおいがして熱湯の沸いている所があるとかかれています。修行者はそのような場所で地獄に堕ちる業について考え、修行しました。現在「地獄谷」というような名前を持つ温泉が多くありますが、そこはこのような修行者たちが修行した霊場である場合が多くあります。
僧が立山を下りようとすると、老人に呼び止められます。前ジテ、前半の主人公で去年亡くなった猟師の化身です。武田志房(たけだゆきふさ)が勤めます。三光尉(さんこうじょう)、尉髪(じょうがみ)茶地水衣(ちゃじみずごろも)、無地熨斗目(むじのしめ)緞子腰帯(どんすこしおび)、尉扇(じょうおうぎ)で、身分の低い庶民の老人であることを示します。老人は僧侶が外の浜に行こうとすることを知っており、外の浜で去年の秋亡くなった猟師の妻や子に、蓑と笠を手向けるよう伝言して欲しいと頼みます。
僧は驚きます。そして「上の空」、つまり証拠なしの状態で言っても信用されないと言います。老人は「ありし世のいまはの時まで」すなわち亡くなる時まできていたという麻の衣の片袖を渡します。麻の衣は能の中では粗末な庶民の着物の材料とされています。「いまはの時まで」という表現から、この老人がすでに世をさった「亡者」の幽霊であり、この「立山」にいることから、死後地獄に堕ちていることがわかります。
ここで、子方、冨田尚史(とみたたかし)、猟師の妻、祖父江修一が登場致します。妻は面は深井(ふかい)、「蔓」(かずら)無紅蔓帯(いろなしかずらおび)銀半箔花色地蒲公英唐織(ぎんはんぱくはないろじたんぽぽからおり)の扮装で田舎に住む中年の母親を表現いたします。子供は紅入縫箔(いろいりぬいはく)、稚児袴(ちごはかま)、白骨中啓(しろほねちゅうけい)でまだ小さいかわいい男の子であることを表現します。妻と子供が登場することで、舞台は外の浜となります。
僧は、外の浜に下り、所の者に昨年秋に亡くなった猟師の家を尋ねます。所の者は狂言方の役で佐藤友彦が勤めます。狂言の長裃をつけています。
所の者は、猟師の家の場所を教えます。
猟師の家では、妻が子供とともに暮らしています。妻は、子供が父に似ているので、子供をみては夫を偲び、深い哀しみに沈んでいます。
僧は、立山で老人に会い、猟師の家を尋ねて蓑笠を手向けるよう伝言されたことを告げます。妻は、亡くなったあの世での夫の様子を、悲しみによって最後までは聞くことが出来ずに涙します。
妻は、夫の形見の衣を取り出し、その袖が確かに形見の衣の片袖であることを確かめます。このことによって、夫が死後地獄に堕ちていること、夫が蓑笠を欲しがっていることを知ります。僧は、蓑笠を手向け、幽霊が生死を繰り返す迷いの世を離れ、速やかに成仏するように祈ります。
一声の囃子で後ジテの猟師の幽霊が現われます。武田志房が勤めます。面は痩男(やせおとこ)、黒頭(くろがしら)、白より水衣(しろよりみずごろも)、無地熨斗目(むじのしめ)、羽蓑(はみの)善知鳥扇(うとうおうぎ)、杖(つえ)の扮装です。目が落ち窪んでいることによって、地獄で絶えず苦しめられ憔悴しきっていることを、蓑に鳥の羽がついていることによって、生前鳥をとっていた猟師の幽霊であることを表現します。杖は地獄の苦しみで憔悴し足もとが危ないことを表現します。幽霊は、前半では老人の姿、後半では生前の猟師の姿で登場します。これは、神仏・鬼・幽霊などは「変身」という、人間には出来ない不思議な力があると考えられていたことによります。
陸奥の外の浜に住む子供を呼ぶ鳥、呼子鳥が鳴くというこえは「うとう」と「やすかた」なのだ。
一目卒塔婆をみることによってさえも、地獄や餓鬼道、また動物に生まれるということはないという。まして自分の弔いのために卒塔婆を作っていただいたのだから。氷に閉じこめられて凍傷よつてその氷が真っ赤に染まるほどだという紅蓮地獄、大紅蓮地獄の氷も、仏の火のような力には消えてしまう。また焦熱地獄や大焦熱地獄のすさまじい火も、仏の力による水には消えてしまう。とはいうものの、この身は重い罪を犯したために、心は「やすかた」という鳴き声とはことなりやすらかなこともなく、鳥やけだものを殺した罪を、霜が日の光によって消えるように、照らしてください。
所は都から遠い陸奥であって、引き潮のために葦の末の葉が萎れた状態で並び、それがこの里の垣根のようにも見える。小さな家を苫で葺いているが、隙間ばかりの粗末さであるが、月を見るためには家の外と同然このようにしているのだと、「月」のためには外の浜は、風流を心得顔の外の浜の住まいであることだよ。
妻や子は、もし声をたてたならば、猟師の亡霊の姿が消えてしまうのではと、声をかけたいと思いながら、親子で手を握ってなくばかりです。猟師は、その様子をみて、生前はあれほど親しかったのに、いまは自分に近寄らないのかと、思いつつ、自分が子供をいとおしく思うように、自分が殺した善知鳥の親鳥も子供がかわいいと思ったろうと反省します。そして子供の神をなでようとすると、猟師の目から子供の姿が見えなくなってしまいます。
猟師は、家の外にたっているのに家族と話すこともできない、地獄の亡者としての身を嘆きます。
世に執着する煩悩ゆえなのだろうか、いままで見えていた子供の姿はどこに隠れてしまったのだろうか。隠れ蓑・隠れ笠でもあるというのか、滝のように流れる涙も自分の袖にかかり、卒塔婆がたっているが、子供のいる世界の外に私はいる。蓑笠が隔てているのだろうか。苫屋の中の家族が恋しいが、自分は家の外になく千鳥のように、泣く以外のことができないのだ。
この場面からは、生前狩りに夢中になっていたことの懺悔の場面になります。猟師が狩りを行うのは、家族を養うためですが、それだけではなく、狩り自体が面白く、夢中になっていたことが語られます。亡くなった後の報いも考えず、「殺生」である狩りに夢中になっていたことを後悔します。
昔のことはぼんやりとしてすべて夢のようであり、かつての旧友は次々に死んでしまって半
分はあの世の人となってしまった。
どうせこの世に生を受けるのならば、侍・農民・職人・商人というような普通の職業にも生まれることなく、また琴や将棋や書画を楽しんで日日を送るような上流階級にも生まれず、朝から晩まで殺生を行い、春の日永も秋の夜長も休むことなく、夏の暑さも冬の寒さも忘れて狩をしてきたのだ。
鹿を追いかける猟師は山をみないという。一つのことに熱中して他を顧みない意味なのだが、まさにそのとおりで、我が身の苦しさも哀しさも考えることなく鳥を追い、遠くまででかけて猟をしたのである。身を焦がすような地獄の責め苦を受けるもととなることも忘れて殺生をしたのは悔しいことだ。
ここからは本曲の眼目である、善知鳥を捕った様子を懺悔する部分になります。猟師が親鳥の鳴き真似をして子の鳥を捕ると言う、残酷な猟です。和歌の「呼子鳥」伝説の変形です。
そもそも猟の方法には色々とあるのだが、そのなかでもかわいそうなのはこの善知鳥の猟で、おろかなことに、木の上や波の上にでも巣を作るならばまだしも、砂浜に子供を産んで、親は隠している積もりなのだが、親の真似をして「善知鳥」と呼ぶと、子供は「やすかた」と応えてしまうのだ。なんとも撮られやすい鳥であることだよ。
猟師は「善知鳥」と呼びます。この部分はカケリという心の動揺を表す舞いですが、本曲では善知鳥量の再現を意味する大変特殊な舞となります。笠で小鳥を象徴し、この笠を打つ事によって鳥を仕留めたことを表現します。
『新撰歌枕名寄』の卒土浜の部分に、猟師が母鳥の真似をして「うとう」と言い、這い出してくる子の鳥をとるのだという説明が載ります。このときに母が悲しんで血の涙を流し、それが雨のように降るのだが、小鳥を捕った猟師がその涙を浴びると死んでしまうので、蓑笠をきるのだと書かれています。「善知鳥」はこのような先行する和歌説話をふまえていますが、このもとは万葉集にも出る「呼子鳥」が実際どのような鳥かわからなくなり、「呼子鳥」なのだから、子供を呼ぶ鳥なのだろうというところからつくられた説話が変形して「善知鳥」説話となったようです。
猟師は善知鳥の子を打ち殺します。親は木の上で悲しんで血の涙を流します。それに当たらないようにと蓑笠でかくれますが、姿をけす隠れ蓑や隠れ笠ではありませんから、目の前は親鳥の悲しみの涙で真っ赤になってしまうと言います。
この世で猟師は善知鳥を捕り、善知鳥の親鳥にものすごい悲しみを味あわせました。親鳥は悲しみが忘れられず、やはり執着の罪で地獄に生まれます。そして、「化鳥」として猟師を責めます。
このよでは善知鳥と言う鳥であったが、地獄では化鳥となって罪人を追い立て、傷つけます。善知鳥は鷹のようになり、自分はそれに追い立てられる雉となってしまった。。猟師は地獄において、狩られる鳥の立場となります。そしてその苦しみを助けて欲しいと、僧に依頼して一曲は終曲を迎えます
能は余韻を味わう芸術です。拍手は、シテが幕に一番近い松三の松を通過するまでご遠慮ください。本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が勤めさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。
2008年6月4日 キアイで次の助成金の書類書いて出しました。採択されますよーーに。これもだめだと計画がく失速してしまう。。僕がやりたい催しのビデオによる記録とか、オープンリールのデジタル化と発信というのはとても費用がかかるのです。。本当にボランティア値段でお願いしていますが。機材などでも。。ふーっ。。でも頑張ります。今日の日本の伝統と文化、来週講師で来てくださる西川古都先生が端唄の「夕暮れ」の舞踊を教えて下さるのですが、昨日古都先生が自分で踊られたビデオを速達で送ってくださったので、それをみんなで見てよしゅうしました。感謝でした。来週が楽しみです。明日は定例能。イヤホンガイドをします。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月3日 期待していた助成金、二件とも不採択でした。がっかりです。でもこんなことでは予定していたオープンリールやレコードのデジタル化ができませんから、すぐ次の助成金の申請を行います。負けるものか。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年6月2日 またガソリン代があがりました。1㍑で170円って、考えられませんが。。なんでも値上げになりますが、仕方ないことだと思います。国際的な投機の関係とかで。。なんとかして欲しいです。。今日の講義は狂言の花子を扱いました。茂山千作のビデオですが、学生にも笑いがでて、今日はわかってもらえたかなあと思いました。疲れていたのか寝てしまった学生さんもいましたが。。ちょっと頭痛いです。風邪をひいたのか。。気をつけます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。
2008年6月1日 昨日と今日、留学生さんの引率で京都に研修旅行に行きました。和菓子作り体験など楽しかったです。留学生さんや学生さんと教室以外で話して、教える上でのヒントもたくさん得られました。購入するお土産の選び方も僕たちと違いますから、そういうところから参考になります。明日から講義がんばらねば。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月30日 明日は留学生の京都研修の引率で京都に行きます。京都御所に行き、またトロッコ列車にも乗る予定で楽しみです。晴れるといいなあ。。ではまた、皆様、お元気で。。
2008年5月29日 今日は河村隆司先生の本葬です。参列したかったですが、講義でしたので失礼致しました。心よりご冥福をお祈り致します。能の魅力を次世代に語るのが、私の仕事だと思います。ただ、伝えることが出来ているのか。。学生が人生を楽しむことが出来る一助とにればよいのですが。。人生を楽しむ力ってお金よりも大切だと思います。。僕はきれいなものをみるのが好きなのですよね。劇でも美術でも、音楽でも。。そういうものにせっしている時が幸せです。それが分かっているのは教育が与えてくれた楽しむ力だと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月28日 仕事がすすみません。書きたいことも、調べたいこともたくさんあるのに。。ただ、無理はできないなあと。。五十近くなると一日にできる仕事の量もわかるのです。もう寝ます。ではまた、皆様お元気で。。
2008年5月27日 今日はなぜかいらいらしていて家族に当たってしまいました。反省です。やはり自分でも疲れているなあと思います。夜は銭湯に行きました。ちょっと回復しました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月26日 今日は小西甚一先生の一周忌です。先生のご冥福をお祈り致します。師恩に感謝しつつ、先生が教えてくださった基礎を大切にして、自分の課題に励みたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月25日 昨日は寝る前に河村隆司先生の訃報にネットニュースで接して仰天しました。所属する研究会の事務局から葬式の日程連絡が来て、現実なのだなと思いましたが。。河村先生は能楽師として充実した舞台活動と後進の育成をされていましたが、我々研究者にも大変親切で、貴重な資料をいただいたりしましたし、拙稿を送らせていただくと必ず資料とかコメントとかをお手紙やお電話でくださるとても優しい先生でした。京都で活躍されていて、名古屋にいらっしゃることはあまりなかったのですが、私が国内研修中に拝見した通小町は目に残っています。少将の品はあるのですが、「執心」の表現が迫ってきて。。私が観た通小町では一番面白かったと思います。「役者」としてもっと拝見したい先生でした。残念です。心よりご冥福をお祈り致します。
今日は伏見のながさか知足庵で金工家の亀井猛先生が席主のお茶会が催されました。中日新聞の長谷義隆さんとCBCの北島徹也君に「保護者」になっていただいて、一席に入れて頂きましたがとてもおいしかったです。初夏の趣向でしたが、道具がどれも美しくて。。茶室の外の展示で、金工家の亀井さんらしく火箸があったのですが、お茶会に使用するものは火箸でもこんなに凝った美しいものを使うものなのかと感動してみていました。今日は名古屋東照宮の祭礼で筒井町の山車が来るということでしたので、拝見しようと思っていたのですが、山車が雨で遅れ、安城で仕事があったので失礼しました。残念でした。明日は民謡の内藤千賀弘先生のご自宅に民謡のお話を伺いに行きます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008,年5月24日 今日は子供たちは小学校の春の運動会、校庭中にこいのぼりが飾られるので鯉のぼり運動会というのですが、雨が心配ですが、雄綯われることになり、ひろともともえも元気に出かけて行きました。両親も応援にいってくれるとのことで感謝です。私は今日は豊田能の実盛・呼声の解説、椙山の教え子もたくさん来てくれるので、ぜひ若い人に能が引き継がれるように頑張りたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
無事解説してまいりました。評価はわかりませんが。。椙山の学生さんがたくさん来てくれてとてもうれしかったです。満席でした。梅田先生の実盛、とてもかっこよかったです。今日の解説原稿を揚げます。よろしくご教示ください。能が益々盛んになりますように。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
実盛 呼声解説
ただいま御紹介頂きました椙山女学園大学の飯塚でございます。安城市民です。どうぞよろしくお願い致します。
まず、能の実盛について、簡単に粗筋を述べたいと思います。もっとも簡単な形でのべれば、斉藤実盛の霊が、他阿彌上人の弔いにより成仏するという話です。もう少し詳しく述べます。
最初に加賀の篠原の者、間狂言といいまして狂言方、今日は茂山七五三(しげやましめ)先生が勤められますが、が登場して、時宗の他阿彌上人が加賀の篠原で法談をされることを言います。ただ、不思議なことに、日中いつも独り言を言われるので自分にそれを上人に質問するようにと言われているのだといいます。
その後、脇の他阿彌上人、今日は高安勝久先生が勤められますが、念仏をする衆生を残さず浄土へ迎え取ろうという阿弥陀如来の誓願にだれも漏れるものはないのだと述べ、念仏の功徳を称えます。
そこに老人が現れます。梅田邦久先生が勤められます。これが実盛の化身なのですが、上人の目には見えるのですが、他人の目には見えないのですね。僧が老人に、他の人があなたの姿を見ることがない。あなたはどなたなのだと問います。すると老人は悟りを開いて極楽に仏として生まれることなく、生き死にを繰り返す輪廻妄執のこの世での名を名乗るのは恥ずかしいといいます。
上人が重ねて老人の名を問うので、老人は、昔、斎藤実盛は、この篠原の合戦で討たれ、この池で討たれた首の鬢髭を洗われたのだと言います。そしてその執念が残って、今もこのあたりの人には幻のように見えるのだといいます。老人は、自分は実盛の幽霊なのだが、魂は極楽にいったのだか、魄霊はこの世にとどまって二百年間まだ成仏することがないのだと言います。そして姿を消します。道教では魂は天に帰り、魄は地に帰るとされ、同じ人間の心であっても帰る先が異なるのですね。魂魄のうち魄が迷うという表現は朝長にも見られます。
他阿彌上人がとくに日時を定めて念仏をしますと、そこに甲冑を帯びた斎藤実盛の霊、後ジテが現れます。梅田先生が勤められます。そして修羅道の苦しみを救って欲しいといいます。
実盛は、懺悔(さんげ)の物語をします。仏教語で、自分が「執着」を持っている内容を人に話すことを懺悔(さんげ)といいます。人に話すことによって、心が軽くなり、それを繰り返すうちに、執着が薄くなり、悟りに至ると考えられていました。
実盛は、自分が討ち死にした時のことを客観的に語ります。手塚の太郎光盛が、木曽義仲の前で、自分は不思議な武者と戦って首を取った。大将かと思うと、続く軍勢もないし、侍かと思うと錦の直垂を着ていたと言います。義仲は斎藤実盛だろうが、髪の毛が黒いのが不思議だと言うのですね。樋口の次郎は知っているだろうと呼ぶと一目見て涙を流し、実盛は常に六十を過ぎて合戦をするならば、若い人と先陣を争うのも大人気ないし、老武者と馬鹿にされるのも残念だから、髪を黒く染めて、若やいで戦死しようと言っていたが、本当に染めていたのだ、髪を洗わせてごらんなさいと言って、この池で首を洗ったところ、髪はもとの白髪となった。そして「げに名を惜しむ弓取りは誰もかくこそあるべけれや」、名誉を重んじる武士
はこのようであるべきだ、なんと風雅なと、みな涙を流したと言うのですね。相手を恐れず死の覚悟をして勇戦する態度、「名誉」を重んじた武士の最期の見本として実盛は人々の記憶に残るのです。
実盛は、今回北国に下るならば戦死するだろう、老後の良い思い出としてこれ以上のものはないからといって、高価な錦の直垂を宗盛から許され、拝領して着たというのですね。死ぬときには「故郷に錦を飾って」死にたいという態度です。これも「名を惜しむ」「名を残す」ことに執着する行為ですが。武士としては賞賛される態度です。
もう一つ、木曽義仲と組んで戦いたいと思ったのに、手塚に隔てられて叶えられなかった、この無念があると述べます。無念があれば成仏できませんから、実盛は、他阿彌上人にさらなる弔いをたのんで姿を消します。
満済准后日記という、醍醐寺座主でもある三宝院住持の僧侶・満済(まんさい:1378~1435)が書き残した日記の、応永二十一年(一四一四)五月十一日の記事に、「斉藤別当真盛霊於加州篠原出現、逢遊行上人、受十念云々、去三月十一日事か、卒塔婆銘令一見了、実事ナラバ希代事也」と書かれています。これを訳すと「斉藤実盛の霊が加賀の篠原に出現して他阿彌上人と会い、十念を授けた。三月十一日のことだという。弔いの卒塔婆を見た。本当ならば世に希なことである。」となります。十念とは、その人のために念仏を十回唱えることですが、そのことによって成仏すると信じられていました。
この他阿彌上人は、八世の他阿太空上人(1375-1439)で教団の経営にすぐれた手腕を発揮した人です。時衆教団の特徴は、踊り念仏ですが、全国の寺社をめぐって祈る、遊行を修行の中心としていました。能における諸国一見の僧と同じですが、その土地に行き、法事をすることによって食事と宿の提供を受け、また次の場所に行くという、このような修行です。家族をもたず、特定の人と長く関わらないことによって、この世へ思い残すことを少なくしようとする態度です。ただ、飛んだり跳ねたりするかなり激しい踊りであったようで、宗教的なプロのパフォーマンス集団でもあったのですね。この時代の僧侶は「私には霊の姿が見える」「霊の姿が見える」といった人もいました。この他阿彌も「人にはみえない実盛の霊が見える」といったのだと思います。おそらくは、激しい念仏踊りの中で指導者である他阿彌が実盛の霊が見えるといい、念仏を授ける、それによって成仏するだろうと述べ、人々が納得したのだと思います。それ自体が一つの宗教劇でしょうが、このニュースが二ヵ月後には大きなニュースとして京都の政権中央部にいた満済にまで届きました。『時宗過去帳』には他阿太空上人によって、実盛に「真阿彌陀仏」という戒名が与えられ記載されています。これによって、実盛は時宗で永代供養を受けます。戦死した後二百年間の実盛の戒名については、私は知らないのですが。実盛も誰も知らないのかも知れません。
能の実盛は都までも伝わったこのニュースを当て込んでドキュメンタリー的に作った曲だという説が先学の研究により明らかになっています。当時もしテレビがあって、報道特別番組などというものがあったならば、その新聞広告は「没後二百年、加賀篠原に出現した斎藤実盛の幽霊 霊能者他阿彌上人の口を通して語られる実盛の無念とは 他阿弥上人の弔いと踊り念仏によって斉藤実盛今夜成仏」となるのでしょう。ただ、この能が単なる芸能ニュースとして終わらず、六百年後の今も演じられる名曲となっているのは、実盛の執心、「武士としての誇りを持って美しく死にたい」という覚悟と、「手塚ではなく、敵の大将と戦いたかった」という気概ですね。それがきちんと描けているからだと思います。『平家物語』において、実
盛は誰と戦って勝った、とか誰を討ち取ったという形で名を残した武将ではありません。武士として死ぬならばかくありたいという一つの理想を具体的に示した武将として描かれています。この気骨ある武士を梅田先生がどのように表現されるか、わたしも楽しみに拝見したいです。
「呼声」は演じる順番としてはこちらの方が先なのですが、まず最初に主人と次郎冠者が登場します。そして太郎冠者が主人に黙って旅行に出かけた。無断欠勤です。主人がきつく叱ろうと思っていたところ、昨日帰ってきたそうだと、だからこれから太郎冠者の家に行こうと言うのですね。
次郎冠者が、太郎冠者を呼びだすと、太郎冠者は「太郎冠者どのは留守でござる。隣の者が留守を預かっております」と答えます。私ならば黙っていて答えませんが。主人が作り声で呼び出すと、太郎冠者は作り声で留守といいます。私が主人ならば、ここで帰るか外にてでこないか隠れて見張ります。
そこからが劇なのですが、では小唄節で、平家節でと呼び出すと太郎冠者も小唄節、平家節とそれぞれで留守ですと答えるのです。いまならば「演歌調でよびだしましょう」とか「ロック調でよびだしましょう」に当ると思います。それで、やっている間に両方とも楽しくなってしまうのですね。最後は太郎冠者が出てきて、「許させられい」「やるまいぞ」になるのですが。
ちょっと音源流していただけますでしょうか。これは、大正時代、いまから八十五年から九十年ほど前に録音されたニッポノホンの十世茂山千五郎(二世千作 正重)と茂山真一(まさかず 十一世千五郎 三世千作で今日演じられる千五郎先生のおじいさん)と武藤達三による呼声の録音です。とても楽しいものなのですが、わたしは現在椙山の研究室で、戦前のレコードをデジタル化して、著作権の消滅した音源をホームベージから配信する仕事をしています。わたしのホームページは「恵理人の小屋」といいます。この「呼声」もわたしのホームページの「思い出能楽堂」にあります。家の改築のときなどにレコードが捨てられることがあると聞きます。もしそのようなときぜひ教えていただければと思います。呼声、楽しみに拝見したいです。ご清聴ありがとうございました。
2008年5月22日 今日は日本文化論で寺子屋のいろは送りのところ、、学生でも万人向けの講義と言うのは難しいなあと。。興味をもって観てくれる人もいますが、ばだばたっと寝てしまう人もいて。。学生をみんなひきつけると言うことは可能なのか。。「動機付け」が自分の仕事と思いつつ、難しいなあと思います。でも僕が教えている学生は50年後にせいぜい70歳の人で、それから能を観ても10年は観られる人なのですよね。。それを考えると将来の伝統芸能や能楽界のために頑張らねばと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月21日 今日は講義の合間に、四方さんにお渡しする民謡のCDを作成しました。なかなか作る時間がなくて、、一枚つくるのにどうしても十分以上かかりますので、なんとか二十五枚全部作りましたので、近くお届けしたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月20日 今日は午後時間があるので、民謡のデータをハードディスクに移して民謡協会の内藤千賀弘先生にお渡しする準備をしたいと思います。正直、データと言うものは使ってくださる方がいないと何の役にも立たないのですよね。データから新しい今謡われる民謡ができることを心より祈ります。剣持麻美さんに頼んで椙山で唄っていただこうかなあ。。次のメディアリタラシーには私のゼミをでてシステムエンジニアになった卒業生に、システムエンジニアと言う仕事の内容と会社での仕事内容について話してもらいます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月19日 今日は講義は朝一時間でした。狂言の縄綯を扱いましたが、狂言はわかりやすかったのか、まあまあ満足できる授業ができたかなあと思っています。午後からは能に描かれた修羅道・地獄に関する論文を調べていました。若い人の論文に良いものがあるなあと、筑波大学の後輩ですが、「謡曲〈箙〉の「いくさ語り」―修羅能における「いくさ語り」の終息へ」国語国文 巻号 74-9などはとてもよく調べてあって面白いなあと思いました。発表する場所が少ないと思うのですが、それに負けず、キアイいれて調べている様子がとても頼もしいなあと。。最近論文を書くのは馴れてきたのですが、かわりにキアイが足りないものですから、こういう若々しい論文を読むと反省します。がんばって書きたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月18日 今日は午前中は一家で熱田教会の礼拝に参加し、午後は昼寝の後は論文執筆のはずが、、ひろとがザリガニ釣りに行きたい。。安城市歴史博物館のそばの小川で三匹釣って、博物館の「農家で作った織物」の展示を見て、、ぼくの父方のおばあちゃんは機織りをしていたそうなので、本当に最近までそうだったのですよね。ひろとやともえは「内織り」の自家製の着物見て「暑そう」とかいっていましたが。。でも家族への愛情が感じられてよかったです。勉強は崩壊しましたが、明日からまた頑張ります。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年5月17日 ひろととともえは午前中小学校で子供会のドッヂボール大会、泥だらけで帰ってきて、午後は筧先生の子供能楽教室。両方家内が連れていってくれたので、僕は一日投稿依頼のあった「能のなかの修羅道・地獄」の論文原稿を書いていました。昨年「日本文学」から「能に描かれた来世」という投稿依頼をいただいて、すごくうれしかったのですが、それに続いての原稿になります。前作との違いを出さなければならないので、今回は「修羅能」の現行曲、『謡曲三百五十番集』では十六曲で、五番目の碇潜が、修羅道を描いているのでそれを含めれば十七曲ですが、これら全ての曲で修羅道を描いた部分について、何を扱っているかを分析しました。先行研究の見落としがないか非常に怖いです。私も出来て当たり前の年回りなので。。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月16日 よく晴れています。今日は講義開始から6週間目、試験週間や補講期間をのぞくともう少しで半分かなあと。。月日の速さを感じます。御園座ではトゥーランドットをやっていて、こういう劇も観てみたいなあと思いながら、時間がないのと、原稿の締め切りに終われているのとであきらめです。学生は明日観に行くと言うので感想教えてと頼みました。10年ほど前の卒業生から赤ちゃんが生まれたはがきとメールを貰いとても嬉しかったです。二人とも、もし娘さんが椙山に進んだら。。と書いていてくれましたが、教えられたら嬉しいだろうなあと思います。娘も同じ大学へと言うのは、僕たち教員にすれば最高の評価ですから。。明日、あさって、たまっている原稿を書きたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月15日 今日は早めに帰宅したので、銭湯に行こうと思ってでかけたら、定期点検で休みで残念でした。あーあ。帰りにアイスクリーム買って、みんなで家で食べて気晴らししました。。まあいいか。。
2008年5月14日 今日は講義の合間に論文を書きたいと思っていたのですが、不発に終わりました。なんか気合いがはいらなくて。明日に期待です。ではまた、皆様お元気で。。
2008年5月13日 今日は会議の後、学部の懇親会がありました。楽しかったです。明日は一時間目からなのでもう寝ます。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年5月11日 今日は母の日です。熱田教会の礼拝に一家で参加しましたが、みんな赤いカーネーションつけておかあさんへの感謝の念を表しました。子供をもって母親って大変だなあと思います。あらためて母に感謝します。いつまでも元気で長生きして欲しいです。午後は一家で狂言鳳の会に行きました。孫聟・真奪・鶏猫と稀曲揃いで、とても楽しかっだです。ひろとも友恵も目当ては鶏猫に子方ででる、能楽こども教室で一緒の長田朔人君です。とても声も立派で上手でした。将来が楽しみです。帰りに一家でラーメンを食べて帰りました。とても良い休日でした。明日は月曜日、講義がんばりたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月10日 中日新聞・東京新聞で取り上げていただけたおかげで、問い合わせが多くあり、感謝です。僕はデータ屋なので、作った音源を使って考えたり、実際に演奏したりして下さる方がいないと意味がないのですよね。僕自身は民謡歌えませんから。。民俗芸能の研究者でもありませんし。。私としては著作権に抵触しない範囲で関心のある方にデータを提供してゆくことが課題です。この二年間ほど、オープンリールや戦前のSPレコードの音を聞いて、演奏もいまの感じと随分違うなあと思いました。民謡でも祭りの場の屋外で謡われるものと仕事唄は感じが違いますし、新内でもいま市民会館でマイクを通じて聴くものと、座敷で芸者さんが演奏したものを聴くものとは全く異なります。放送によって、放送されたものが「正調」となり、座敷ではなく公会堂や新聞社の講堂、市民会館で演じられるようになって、マイクや音響設備の進歩とともに、節が精緻になって行きます。能楽堂も音響設備がととのってから、節がより精緻になったのではと思います。これらの資料として、レコードやオープンリールは非常に良いです。今後もこの作業を続けたいと思います。今日は東海能楽研究会の会報を書いています。戦後の能楽復興の記事です。がんばります。ではまた、皆様、お元気で。。
2008年5月9日 昨日の夕刊に取り上げていただいて、大学の同窓生や高校の同窓生がメーリングリストでまわして頂き、懐かしい友達から何件もメールいただいて本当に感謝でした。昨日の日記、謝辞に放送文化基金を入れ忘れていました。失礼して申し訳ありません。放送文化基金をいただけて初めて出来た仕事なので。。心より感謝致します。昨日の日本文化論の邯鄲、今日の善知鳥、いまいち納得できる講義が出来ません。何を解説したらこの曲を「理解した」ことになるのか考えねばならないのですが、昨日・今日とばたばた寝られてしまいました。これはやはり講義がわかりにくかったためだと思い、反省しています。講義も、研究も多くの方に支えていただいて成り立っています。講義を受けてくれる学生が、次世代の名古屋の伝統芸能を観客として大きく支えてくれることを確信していますが、そのように育てるのが私の勤めです。がんばらねばと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月8日 今日の中日新聞の夕刊で、中日新聞の長谷義隆さんが、ホームページで「CBCラジオ民謡番組」の配信をはじめたことを取り上げてくださいました。ネットでみたら東京新聞のホームページにも出ていて、全国版の扱いにしてくださったのだなあと心より感謝致します。音源を提供してくださった四方定子さん、中日新聞の目耳録に民謡音源のことがかかれていたのを四方さんにとりもってくださった中日新聞の市川真さん長谷義隆さん、確定番組表の調査に御協力いただいたCBCの皆様、当時のディレクターの本田善郎先生、実際のデジタル化をしてくださったNHKテクニカルサービスの皆様、四方さんのテープ目録を入力・校正してくださった比卒業生の皆様、数多くの方々のご協力がうあって、貴重な資料が日の目を見ることに成りました。民謡は聞かれ、そして謡われてはじめて価値があります。長谷さんが内藤千賀弘先生を紹介してくださいましたが、これらの民謡が、実際に聞かれ、そして、あらたに復曲されるといいなあと心より思っております。多くの方々に支えていただいていること、あらためて感謝致します。いまから五十年前のCBCの録音技術そして郷土の民謡番組は本当にすばらしかったのだなあと思います。放送が芸能の普及と近代化に果たした役割、放送文化について、今後とも研究を続けたいと思っております。身体に気をつけてがんばりたいと思います。皆様お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月7日 連休明けです。昨日ものすごくお世話になった方のふほうが入ったシヨックが後引いて、元気ないです。お医者さんとしてはぴか一で、僕も何回も診ていただきました。とても親切でした。今日は西村孝雄先生に講義にいらしていただいて、船へ弁慶を教えていただきました。学生たちもとてもよろこんでいました。感謝です。一時間ごとの講義大切にしたいと思います。お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月6日 今日は連休の最終日です。附属高校の同窓会があり、役員として参加しました。事件のため教員は全員欠席。犠牲になった清水さんのの黙祷ではじまるという悲しい会になってしまいました。犯人逮捕を望みます。五回生は天野君と僕と、もう一人きてくれたのですが、用事があって挨拶できないままに帰られて残念でした。帰宅したら、大学院時代すごくお世話になった方の訃報がはいって。。すごく残念でした。元気な方だったのですが。。でも教えていただいてありがたかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月5日 今日は子供の日。西村同門会の前座として子供能楽教室のお稽古発表をさせて頂き、比呂人も友恵も仕舞と謡曲を謡わせて頂きましたので、実家の両親ともに参加致しました。楽しかったです。《嵐山 礼脇 猿聟》。《嵐山》礼脇ははじめて拝見しましたが、橋本さんも初めてだったとおっしゃっていましたが、颯爽としていてよかったでする《皇帝》の飯富先生も貫禄あって。。脇の快打からこそ見ることの出来る曲で、とても楽しかったです。比呂人も友恵も《嵐山》は自分たちの出番の後で疲れてしまい、寝てしまいましたが。《皇帝》はちゃんと見ていました。これからちちが買ってくれた柏餅をみんなで食べたいと思います。明日は附属高校の同窓会です。悲惨なニュースのあったあとで残念ですが。犠牲者のご冥福と母校の発展を心より祈ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月4日 今日は熱田教会の礼拝に参加し、そのあと東海能楽研究会に参加しました。明日名古屋能楽堂で行われる西村同門会ででる《嵐山 礼脇 猿聟》《皇帝》に関する発表で、愛知県立大学名誉教授の野崎典子先生が輪読の《嵐山》、朝日大学専任講師の米田真理さんが作品研究《皇帝》でしたが、どちらもとても興味深かったです。明日の西村同門会、和谷式の《神楽》もでます。無料の催しですが、稀曲揃いですので、盛会だといいなあと思います。子供も前座で子供教室の一員として仕舞と謡曲をさせていただきます。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月3日 母校の愛知教育大学附属高校の生徒が事件に巻き込まれて命を落としたという報道を見ました。心よりご冥福をお祈り致しますと共に、一刻も早い犯人逮捕を祈ります。自首してほしいですが。のどかな田園地帯の高校でわたしも自転車通学でした。楽しい思い出が多いだけに本当に残念です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月2日 新書の原稿、締め切りから一月たってまだ書けません。いい加減自己嫌悪です。先週長田郷先生に録音して頂いた喜多流謡曲と、録画した仕舞をポッドキャストにして投稿する作業も早くしたいのですが。。月日はものすごく早いです。できることからして行かないと。ただ、やらなければならないことをどんどん忘れてゆくというのも怖くて。。ふーーっ、ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年5月1日 今日の日本文化論、観世喜正先生に、、結局三十分教えて頂きました。邯鄲の一節まで謡っていただき感謝でした。学生にもとても評判よかったです。解説がわかりやすいのですよね。とても楽しかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2009年4月30日 明日からガソリン暫定税率復活です。ガソリン1リットル30円値上げと言うことですが、安城から名古屋まで往復で1日7リットル使っている身としては、1日に210円違ってくるわけで、かなり大きいです。今朝はガソリンスタンドかなり混んでいましたが、入れてきました。今日は伊勢神宮の神楽祭に正田夏子氏がいらしていますので、夕方名古屋にいらっしゃるときに一緒に食事しようと話しています。地歌舞伎や能装束などの調査を一緒に出来たら良いなあと思っています。能は装束や面がなければ出来ませんから、染織や工芸の研究者の協力がないと「能楽史」全体の構築が出来ません。東京や関西の研究者の方が名古屋にいらっしゃるときにはぜひ中央の研究動向を教えていただきたいなあと思います。明日は観世喜正先生が椙山のスタジオにCDの録音にいらっしゃいます。「日本文化論」の講義で10分だけ謡曲を聞かせてくださいとお願いしました。「本物」に接する機会を学生に作ってもらえることは本当に感謝です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月29日 今日は家内の誕生日です。ケーキ買わないとと思っています。家内と子供たちはおじいちゃんと一緒に鱒釣りにでかけました。パパは家で原稿を書いています。午後は名古屋市立博物館の「小袖」展、京都松坂屋所蔵の能装束が出ますので、伺います。二時からの丸山伸彦先生の講演、ぜひ拝聴したいです。「名古屋を中心とした能楽資料年表」、24年後の定年退職記念誌用に少しずつ増やすつもりで開始しました。時間が細切れとなり、落ち着いて勉強に取り組む時間が出来たら始めようなどと考えていたら、、ここ十年そういう時間がなかったことを考えれば、きっともうそういう時間は来ないだろうと。ならば細切れで疲れている時間にでも出来る作業をいくつか作っておいて、それが貯まったらまとめる形にしたほうが効率的だと思います。中年日記同様毎日少しずつでもと思いますが、更新が滞ったらお叱りと年表に加えるのにふさわしい資料のメールお願いいたします。現行曲の全注釈も作りたいですが。。細切れの時間でこれを作る妙案はまだ出来ません。小西先生などものすごい激務の中で注釈なさっていたのですから、なにかしらノウハウはあるはずなのですが。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
日記追加 ここ以降は帰宅後追加分です。
名古屋市博物館の小袖展に行きました。松坂屋京都参考館の初公開ということでしたが。。結局松坂屋の「参考館」というのは、和服を「作る」際の参考となるものを集めておく施設なので、これまで「文様」や「技法」がわかる優れた装束は「企業秘密」だったのですよね。能の伝書と似ています。でも、確かに名品揃いでとても楽しかったです。今日の展示解説は武蔵大学の丸山伸彦先生でした。染織分野ではすごーーく有名な先生ですが、最前列には愛知教育大学名誉教授で元椙山女学園大学教授の高橋春子先生とか、能装束研究の第一人者で元根津美術館の正田夏子さんとか、私でも図録で名前拝見したことのある染織関係の研究者や学芸員がずらーっと並んでいて。。名品で解説者は第一人者ですからそうなるよなあと思いながら、、聞いていました。丸山先生の論文や図録解説はいつも拝読していますが、講義伺ったのははじめてでした。話は分かりやすかったですし、さすがに博物館学芸員出身の先生なので「展示品」の解説のポイントを抑えられていて「この装束の文様のどこに特徴があるか」よくわかってよかったです。私が興味深かったのは、松坂屋の収集が昭和七年にはじまっていたこと。この時期は関戸家でも茶道具や能道具など「道具」を手放していた時期です。なぜこの時期に本格的に衣服を集めるのか。松坂屋、つまり伊藤呉服店は前から「呉服店」ですが、土地を多く持っていて不動産業や銀行業も手がけていました。この時期から「注文服」の「販売」に相当の比重を置くようになったのかなあと。このために「江戸時代以前の意匠」も「参考」のために集めたのだと思いますし、和服でも「写し」の注文が多くなったのかも知れません。とても面白かったです。後半は展示品の入れ替えがあるとのことでしたので、もう一回行きたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月28日 今日の中日新聞にこどもの日に名古屋能楽堂の「西村同門会」で上演される和谷式神楽(しんがく)の記事が載っていました。和谷座の伝統を今に伝える「神事」です。和谷栄太朗さんが和谷家25代として勤められます。名古屋では熱田神宮能楽殿で平成四年に行われて以来と思います。楽しみです。今日は「中部民謡めぐり」「民謡風土記」の確定番組表を拝見しにCBCに伺いました。突然で申し訳なかったのですが、親切に対応して頂き、本当に感謝でした。いただいた中日新聞1961(昭和36),年6月15日のラジオテレビ面の記事に「CBCの民謡ライブラリー」とあり、当時のCBCが民謡のライブラリーを作ろうとされていたことがわかりました。また民謡放送の日時が確定でき、本当に感謝でした。これからいただいた確定番組表と音源との照合を行いたいと思います。そして放送に関する著作権と隣接著作権に抵触しない音源については順次ホームページから公開させていただこうと考えております。民謡も古典芸能も、番組の数はNHKが多いですが、東海地域の地元の芸能を伝えるという仕事ではCBCの昭和30年代のラジオ放送は非常に大きな貢献をしていたのだと、確定番組表拝見していてあらためて思いました。放送がどのように古典芸能を変えて来たのかは私にとって大きな研究テーマです。主に昭和初期から昭和30年代前半までの「ラジオの時代」を扱っていますが、とても面白いです。明日は家内の誕生日です。内助の功に感謝です。ケーキでも買ってこないとと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年4月27日 昨日は二月に亡くなった同級生の納骨式でした。参列された友人たちからその様子をメーリングリストで教えていただいて感謝でした。あらためてご冥福をお祈り致します。遺されたご家族に慰めと平安をお祈り致します。お通夜にも参加させていただいているのですが、なんか写真拝見してもまだ信じられないというか、釈然としない思いがあります。なぜ僕たちの年代で。。今日は熱田教会の教会学校の中高科で「キリストの昇天」という題で説教を担当しました。母も幼稚科の説教でしたから、親子二代で奉仕できて感謝でした。そのあと、午後は岡崎市民会館の「わかな会」に行きました。杵屋三太郎先生の御母上の西川嘉千先生の会ですが。大ホールがいっぱいでとても盛況でした。小学生から高校生ぐらいの出演者も多く、将来が楽しみだなあと思います。帰宅しましたので、これから勉強したいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月26日 今日は津市の市民薪能でした。ひろととともえも前座の子供教室の仕舞で参加させて頂きました。比呂人が《嵐山》、友恵が《海士》。とても立派で感激しました。郷先生の《巴》、ちょっと抑えた感じで、装束なども渋めでしたがよかったです。驍先生に似てこられたなあと。。明日は教会学校の説教です。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月25日 今日、放送に関する著作権と、演奏家に関する隣接著作権が消滅していることをCBC所蔵の確定番組表で確認させていただいた昭和32年10月から12月の「中部民謡めぐり」13回のうち、11回分の音源を「CBC民謡番組」のページより配信させていただきました。中日新聞の「目耳録」に四方定子さんの民謡音源テープについて市川真記者が書かれたのを家内が見つけて興味を持って、中日新聞の長谷義隆さんに市川さんを紹介していただいて四方さんのお宅に伺って約二年。最初はものすごく音質が良いなあと思ったものの、放送用の原盤テープとは思いませんでした。故しかたしん先生が大切にされていたもので、提供いただいて本当に感謝です。放送文化基金をうけてNHKテクニカルサービスの山本さんに全部デジタル化していただきました。この過程で本田善郎先生に民謡採集旅行ノートをいただいて、CBCにご協力いただいて確定番組表を拝見しました。放送日とその音源を確定して、著作権に抵触しないことを確認してようやく今日一部を配信致しました。自分が生まれるほんの少し前、中部にはこんなに面白い民謡があったのかとあらためて思います。「今」を生きる民謡家、昨年講義をお願いした剣持会の方などにこの音源と本田先生のノートから再現して唄っていただけないかなあなどと考えています。四方さん、長谷さん、CBCの方々、山本さん、本田先生、本当に多くの方のおえかげで形になり本当に感謝です。民俗芸能研究がますます盛んになりますように。そして郷土の文化が見直されますように。わたしは今後も古典芸能関係のSP;レコードやオープンリールテープのデジタル化と配信につとめたいと思っています。明日は津の市民薪能。前座で長田先生の子供教室の仕舞に子供たちが出させて頂きますので、拝見に伺います。とても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。
2008年4月24日 記憶力がほんとーーに不安です。昨日も携帯を忘れたことを安城駅で気がついて家内が持ってきてくれたのですが、今日は財布とベルト忘れて。。ベルトのほうは全然下がらなかったので帰るまで気がつかず、それはそれで問題なのですが。毎日ものすごくばたばたしています。卒業研究、ビデオ編集の方法を教えていたのですが、教師用パソコンの画面が学生のモニターにうまく映らなくて説明が中途半端になったり、ビデオの電池の充電がされていなくてうまく撮影できなかったり、、単純なミスが多くて反省でした。時間がものすごく細切れになっていて。身体に気をつけてがんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月23日 今日の中日新聞朝刊第三面の「この人」に椙山女学園大学現代マネジメント学部助手の冨田和子先生が登場されました。「尾張狂俳の研究」、尾張地区の「俳諧」文化を考える上で画期的な労作だと思います。新聞で取り上げられることによって、「狂俳」の価値が見直され、さらに資料が集まるとよいなあと思います。きじばとの雛が我が家から巣立ったそうです。ぽっぽちゃんと呼ばれていましたが。。ただ、増えすぎると困るので、ぽっぽちゃんが巣立ったら巣は撤去するつもりです。今日は御園座に夜の部の歌舞伎を観に行きたいと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月22日 今日のメディアリタラシー、iPhotoとapple worksの使い方でしたが、、apple worksのドロー画面でiphotoから写真持ってきて縮小するところでうまく縮小されない学生が続出して。。なぜこのようになるのか、明らかにソフト的なトラブルと思いますが、ちょっとまいりました。三年くらい前のマックなので、いまのものよりメモリがすくなくてこういうことも起こります。昨日の長田先生のビデオ編集したかったのですが、今日は時間とれませんでした。明日こそはと思いますが。。書類もあるので。。ううーっ時間がほしいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月21日 今日は文芸Aの講義で喜多流シテ方の長田郷先生にいらしていただきました。羽衣の装束を一組と、能面を舞台で使う本物を八面ほど持参いただきました。学生たちは能面を実際に顔にあて、唐織や長絹などの装束を羽織らせていただきましたが、大変面白かったようです。受講票の感想をみても楽しかったようで、長田先生に本当に感謝でした。午後からは、スタジオで、NHKテクニカルサービスのスタッフの人にお願いして仕舞と講義風景のの撮影をしました。近日「恵理人の小屋2」より配信いたします。とても楽しみです。書類がーーーっ、なかなかできませんが明日もがんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008,年4月20日 今日は午前中は熱田教会の礼拝に参加しました。来週は「キリストの昇天」という題で教会学校の中高科の説教を私が担当します。母が幼稚科の担当なので、親子で担当することになります。感謝です。午後は金山市民会館の文和会。西川流の名取になっている学生さんから招待券いただいて伺ったのですが、幼稚園の時から稽古されているだけあって立派でした。会主の里喜文師の外記猿拝見したかったのですが、家族サービスのためできず。。イオン熱田で家族と合流してアイスクリーム食べて帰りました。放送文化基金の報告書と学園研究費Aの書類など報告書を書いて過ごしました。明日の文芸Aは喜多流の長田郷先生にいらしていただいて、羽衣の能面と装束につしいて解説していただきます。この講義はまたポッドキャストに編集して配信する予定です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月19日 今日は両親含め家族で足助のグリーンファームに蕨狩りに行きました。もう恒例で毎年ゴールデンウィークに行くのですが、今年は私が1日も都合の良い日がなく、しかたないので、前倒しででかけたのです。ただ、結果的には昨日雨が降っての快晴でしたので、例年になくよく採れてとてもよかったです。ひろともたくましくなって、かなり急な坂でも平気で上るようになりましたし、友恵も蕨がどれかわかるようになりましたし。。やっぱりおじいちゃんは年季も入っていますから、一番採っていましたが。。僕はゼンマイをたくさんとりました。午後は昨日いただいた確定番組表と音源を見比べながら特定していましたが。。なかなか完全な特定は難しいです。内容は聴かなくてはわかりませんから、それなりに時間かかります。でもとても楽しい作業です。来週以降、またCBCの資料室に伺いたいと思っています。明日は熱田教会の礼拝に参加して、そのあと金山の市民会館の文和会に行こうと思っています。助成金の書類や報告書、新書の原稿など。。少しでも前に進みたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月18日 今日は卒業生さんに二人いらしていただいて、講義の中で会社のことと、就職活動のことを話していただきました。久しぶりにお目にかかりましたが、やっぱり社会人になって頼もしい感じになったなあと。。話し方なども立派で感心しました。うれしかったです。夕方、CBC事業部副部長北島徹也君の紹介で、CBCiに伺いました。四方さんから提供いただいた音源をどのように活かすかという打ち合わせのためです。資料室に伺い、確定番組表を見せていただいたのは、大変参考になり感謝でした。四方さんのテープの分類番号が年次順ではなく、ある段階でまとめて整理されてつけられたものであろうことは、テープ番号が年代順になっていないことで気づいていました。今日確定番組表を見せていただいたことで、テープの日付は放送年月日ではなく、録音・編集もしくは四方さんが入手された日付であろうことがわかってきました。広く公開して配信するにしても、「放送日の確定」が非常に大切です。CBCiに協力していただいて本当に感謝でした。32年の13回分の確定番組表についして教えていただきましたが、なにせ放送音源のみで400回分以上ありますから、これらを丹念に一つずつ調べて行く必要があります。資料室の方々にはご協力いただけるとおっしゃっていただけたものですから、講義の合間に伺いたいと思っております。この地域の「近代」の「古典芸能」の普及にCBCが果たした役割は非常に大きなものがあります。「音源」のデジタル化から、放送と古典芸能の普及について考えてみたいです。明日は家族と蕨狩りに行きます。晴れるといいなあ。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008,年4月17日 今日は講義の合間に助成金の書類作成などをしました。なかなか進まないです。明日は卒業生さんが久しぶりに大学に訪ねてきてくださるのでとても楽しみです。就職活動や職場の話を講義の中でちょっと学生さんに話してもらおうかなあと考えています。学生にとっては身近な存在と思いますので。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月16日 今日はちょっと疲れ気味だったのと、朝市場貫目からの講義だったのとで電車できました。科学研究費、継続の基盤研究(C)と、公開促進費と両方頂けて本当に感謝です。書類がんばって書かなければと思います。新書の原稿がぜんぜん進みません。パソコンがフリーズばかりで困ります。そろそろ買い換えなければとも思いますが、、パソコン買い換える費用があったらレコードデジタル化の費用が欲しいなあとか。。いろいろ迷います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月15日 今日も信号の変わりかけを突っ込んでしまい、ちょっとひやっとしました。。注意しなければ。。疲れているのか年なのか。。事故起こさなくて感謝です。うちの庭でキジバトの雛が帰りました。キジバトは野生の鳩で「野鳥」なのだそうです。家内が習性をネットで調べています。縁があって我が家で育ったので、立派に巣立ってほしいです。でも、巣立ったら巣は撤去しますが。。がんばれーー。ではまた、みなさまお元気で。。
2008年4月14日 今日は車で登校しました。東山公園のいつも右折するところで、右から来る車に気をとられていいて、まがったら左側から車が来ていて、クラクション鳴らされて気がつきましたが、本当にすぐ後ろで。。いつ左から来ていたのだろうと。。ぜんぜん見えませんでした。怖かったです。相手の車も怖かったろうと思いますが。事故がおきなくて本当に感謝でした。気をつけないとと思います。昨日は比呂人と仕舞の稽古に行く途中に石水博物館によって、川喜多半泥子の茶陶と絵をみました。やっぱりとても味があって素敵でした。今週も講義がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月13日 昨日はよいことが二つありました。一つは日本学術振興会の公開促進費の採択内定の連絡が届いたこと。出版助成ですが、これを頂くことによって、『近代能楽史の研究―東海地域を中心にー』を出版することができます。学術書は売れるものではありませんから、研究者が自分でお金を用意して出版するのが普通です。平成21年春の刊行をめざします。ちょうど私としては第一冊目の『近世能楽史の研究―東海地域を中心にー』から10年となります。多くの人に支えていただいて、研究を継続することができ感謝です。もうひとつは岩瀬文庫の展示の図録を頂いたことです。西尾市の岩瀬文庫創立百周年の記念展示『岩瀬文庫の100点』が四月五日から十月二十六日まで行われます。「研究者が選ぶ三三点」(四月五日から六月一日まで)「学芸員・司書が選ぶ三十三点」(六月七日から八月三日まで)「市民が選ぶ三四点」(九月九日から十月二十六日まで)の三期間に分かれています。『岩瀬文庫の100点』という同じ名前の図録が出て、これを頂きました。わたしも「研究者が選ぶ三三点」の第四番目に「龍口寺霊宝開帳記」の紹介を書かせていただいています。地元の図録に書かせていただいて本当に感謝です。岩瀬文庫の蔵書の貴重さは国文学の研究者には古くから知られていました。平成12年から塩村耕先生(名古屋大学大学院教授)が悉皆調査に入られました。「研究者の選ぶ三三点」には塩村先生が育てられた若手の研究者が多く含まれ、「調査」の中で研究者が育っていったことがわかります。これは塩村先生の大きな功績だろうと思います。
わたしにしてみると、「龍口寺霊宝開帳記」にある仙助能の記事のことを山本祐子先生が名古屋市博の図録に書かれていることを筧鉱一先生に伺って、コピーをお願いに伺ったこと、筧先生や長田驍先生など能楽師の先生方が「龍口」の演出を検討して、復曲する現場に立ち会えたこと。読めなくて苦しんでいた時に栗花光彌さんに助けていただいたこと。どれも十年以上前のことですが、私は安城市民なので、こうして隣の市の図録に書かせていただいて、あらためてとても懐かしく、感謝でした。この図録は絵が多くて初心者にもよくわかり、西尾の市民の方に文庫のことを知っていただくのにとてもよいなあと思いました。公立の文庫はその土地の人に価値を知っていただいて初めて成り立ちます。岩瀬文庫の益々のご発展をお祈り致します。市民の選ぶ三十四点の「急須図録」わたしもぜひ拝見したいなあと思いました。こういう日常的な本、とても興味あります。今日は比呂人を連れて津の長田先生のお稽古に伺います。友恵は子供会の子供御輿に行きます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月12日 昨日、「日本の」伝統と文化」の講義中に階段教室でつまずいて転びました。頭もちょっとうって、たんこぶが出来ました。たんこぶ程度で済んでよかったですが、怖かったです。気をつけないとと。。結構転倒で大怪我したり、場合によっては亡くなる人もいるので。普段から注意しないと。。今日は土曜日で、子供たちは筧先生の能楽教室に行きます。私も伺いますが、そのまえに大学に出勤して、イヤホンガイド原稿の作成や、デジタル化していただいた音源をCDに作る仕事を行いたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月11日 怒涛の一週間もようやく終わりました。おもしろい講義したいなあと思いつつ、なかなか「新しい教材」ができません。善知鳥のイヤホンガイドもまだできません。今年度、助成金何件も申し込みましたが、、採択されるか気にかかっています。出版助成は、科研費ホームページでは4月2日に採択結果がでているはずなのですが。。こないのはやっぱりはずれてしまったのかなあと。。24パーセントだそうなので。。まだあきらめてはいませんが。。うーーん。前年度の助成金の報告書もかかねばなりません。レコードのデジタル化など「有効」には使えたと思っていますが。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月10日 善知鳥のイヤホンガイドがなかなかかけません。締め切り過ぎているのですが。。困りました。なんとか今週中に仕上げたいです。明日で今週の講義も終わります。がんばります。ではまた、皆様お元気で。。
2008年4月9日 毎年のことながら、今年はどれくらい受講してくれるかなあと気にかかります。多いとなかなか目がとどかないし、少ないと淋しいし。。ちょうどよい数というのがなかなかないのですね。私としてはスタジオや和室で体験型講義を行うことができるくらいだと嬉しいなあと思っていますが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月8日 今日は初講義でした。メディアリタラシー。。久しぶりで講義していて、楽しかったですが、足が痛くなって、、やっぱり運動不足だなあと思いました。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008,年4月7日 今日は友恵の入学式です。朝からわくわくで、、家内も友恵もちょっとよい服を着てでかけました。午前中晴れてよかったです。午後からは雨だったのですが。。明日から講義です。がんばらねばと思います。今日は西村高夫先生にいらしていただいて、謡曲「鞍馬天狗」を録音していただき、また、講義で取り上げる予定の「橋弁慶」をさらって頂きました。西村先生の声はやっぱり迫力があります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月6日 今日は家内と子供たちは昨日に続いて津市の長田先生の子供能楽教室にでかけています。もう子供教室の期間ではないので、長田先生がボランティアで教えてくださっているのですが、二十七日の津の市民薪能で行われる子供仕舞のための特訓です。ひろとは嵐山のキリ、友恵は海士のキリを舞います。私は自宅でイヤホンガイドの原稿執筆です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008,年4月5日 今日は新入生ガイダンスがありましたので、土曜日ですが出勤しました。来週火曜日から講義です。いよいよはじまるなあと。。月日が本当に早いです。今日は父の誕生日でしたので、電話しました。「今日からパパも後期高齢者だよ」といわれましたが。。元気で長生きしてほしいです。今年も父は短期大学での非常勤を続けます。父は教えるのが好きなので。。その意味でまだまだ「現役」の大学教師です。同級生が亡くなって二ヶ月、東京では大学の同期生が集まって故人を偲ぶ花見と飲み会をしています。花が好きな人でしたから。。弁護士になった友人がその花見の場から電話くれました。お通夜には伺いましたが、今日はゆけなかったからだと思いますが、、覚えていてくれたことに感謝です。「セクハラで捕まったときはいつでも弁護してやるからなーー。」弁護士の友人は頼もしいですが、そういう問題は絶対起こしたくないです。skypeとメッセンジャーに加入しました。テレビ会議ができたら便利だなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月4日 今日は、クリスチャンですので縁起をかついではいけないのですが、「大安」です。。4月1日付で文化情報学部教授に昇格し、午前中に黒柳学部長より辞令を頂きました。「今後のご精進を」とお祝いの言葉を頂きました。父には、「勉強しなくなってはだめだよ」と言われました。父飯塚重五郎は名古屋大学の理学部助教授で、1976年度仁科記念賞をうけた物理学者です。弟の真喜人も生物学者ですが、僕たちが研究者を志したのは、父の影響がものすごく強かったと思います。教授にはなりませんでしたが、僕たちには高校の数学でも非常にわかりやすく教えてくれました。教えるのは上手ですし、いまでもきっと好きなのだと思います。研究者は先生に教えてもらった方法と資料を引き継いで、新しい対象や資料を調査して新しい発見や資料を作り出し、それを教え子と社会に伝えて行くものなのですが、研究しているとき父はとても楽しそうでしたから、それが「お金にはならないよ」と言われながら志した理由だったと思います。愛知教育大学附属高校のころの恩師の伊東宏先生(当時教頭 言語研究クラブ顧問 民俗学 元人間環境大学教授)・深草正博先生(世界史・現皇學館大學教授)、筑波大学・筑波大学大学院時代に教えを受けた先生方の方法を大切に受け継いで、次の世代の学生たちに教えて行きたいです。私の研究のスタイルは、高等師範学校以来の筑波大学国文学研究室の伝統で、「資料を整理してそこから言えることを言う」という極めてオーソドックスなものです。椙山に奉職してから、深谷哲先生の教えをうけて筧鉱一先生、三木邦弘先生と共同で行った東海地域能楽番組データベースの仕事が私にとって代表的な仕事なのだと思いますが、現在は近代の芸能がレコードやラジオ放送の影響によってどのように変化したのかをSPレコードやオープンリールテープをデジタル化して配信することによって考察しています。昨年度は放送文化基金をいただいて、故しかたしん氏所蔵民謡テープのデジタル化を行いました。当時のディレクターの本田善郎先生より、民謡の採集旅行のノートを提供いただいて、それをホームページに載せています。また、椙山女学園大学にスタジオが作られてからは、能の普及用の教材作成も取り組み、名古屋能楽堂の受託研究として展示室のビデオを作成し、また、渡辺康先生と観世喜正先生のCDを制作させていただきました。国文学としての謡曲の魅力の研究と、東海地域の芸能文化の研究は、私のライフワークだと思いますが、「資料整理」を仕事としながら、哀しいくらい手間と要領が悪いので、とにかく「期限までにできたもの」を「成果物」としてホームページにあげて、徐々に「訂正」「改善」する、そして「次世代の研究者に使っていただき批判を受ける」ことしかないかなあと思っています。新聞ですごく有名な偉い先生が、すごくつまらない事件を起こして失職するニュースを見るたびに、偉くなるとストレスが多くなって、耐えられなくなってしまうのかなあと怖くなります。早寝・早起きに心がけ、三食決まった時間に食べ、家族を大切にマイペースに長生きして、職責を全うしたいです。定年まで元気に働き、第二の人生も趣味を楽しんで孫の世話をして暮らすことができますように。。父はそういう意味でわたしの理想の研究者人生を送っているのですが。。父にも母にも長生きして欲しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月3日 まだ残務処理中です。でも、メディアラボがリニューアルして面白いソフトがいっぱいはいったり、これから面白いコンテンツを作ることができるのではと思ったりもします。がんばりたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月2日 まだ旧年度の残務処理が終わりません。新書、結局三月を越えてしまいました。なんでこんなに手間がわるいのだろうと自己嫌悪ですが。。東海能楽研究会の例会案内発送、小西先生遺稿の再チェック、「この人と」新内勝知与先生の原稿、助成金の書類。。助成金の書類だけは今日なんとか書き上げました。あしたは会議が二つ。。でもなんとか残務処理もして新年度の教材をつくらないとと思います。六月の定例能の善知鳥のイヤホンガイドも書かねばーー。仕事がたくさんあることは喜ばなければなりませんし、勉強の仕事はきらいではないのですが。いつも追われています。。もうすこし手際が良ければ。ふーっ。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年4月1日 いよいよ新年度です。友恵は入学式は7日ですが、今日から電車には子供料金がかかります。「切符がもてるのーー。」と喜んでいますが。。旧年度のやりのこしがやまのようにあります。でも一つずつこなして行きたいです。本田善郎先生の「民謡収集記録」№2と3をアップロードいたしました。とても貴重な記録だなあと思います。毎日、できることは僅かですが、少しずつ前に進んで行きたいと思います。お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月31日 今日で平成19年度が終わります。教員にとっては、今日が「大晦日」、今年度は五月に恩師の小西甚一先生が亡くなり、また、二月に大学の同級生が亡くなり、非常に淋しい思いをしました。放送文化基金などを得て、オープンリールテープやレコードのデジタル化を行い、新しい研究資料を作ることが出来た年度でもありました。来年度、十分自重して、しかも確実に研究と教育を進めて行けたらいいなあと思っています。家内が「年越しそば」を作ってくれたのですが、帰りが遅くなり、全員で銭湯にでかけたので、食べられませんでした。明日の朝がそばになりそうです。ではまた、みなさまお身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月30日 家内と子供、元気に帰ってきました。千葉はたのしかったそうで、千葉のおじいちゃん、おばあちゃんに感謝です。今日は午前中は熱田教会の礼拝に参加し、午後は徳川美術館の「尾張徳川家の雛祭り」展にでかけました。その後、研究室に行ってひろととともえに手伝ってもらって部屋の片づけをしました。風邪気味なのか、ちょっと頭痛がするのでもう寝ます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月29日 火曜日から家内が子供と一緒に千葉に里帰りしていたのですが、今日帰ってきます。パパは三匹のクワガタと、金魚すくいですくったら二十五センチになってしまった巨大金魚二匹とお留守番です。これでコンビニ生活から解放されます。どうしてもごはん作るの面倒で、コンビニの弁当が主食になってしまうものですから。。同僚の冨田和子先生が勉誠社から『尾張狂俳の研究』という研究書を出版されました。「俳諧」という言葉自体が、和歌に対してパロディ的な意味をもって名付けられているのですが、尾張では江戸中期以降「俳句」からパロディ精神をさらに進めた「狂俳」というジャンルが作られ、盛んに行われました。狂俳は、現在でも愛知県・岐阜県では多くの結社があり、現代に生きる文芸です。ただ、パロディのものですから、文芸的な価値からみれば、「俳句」より一段下のものとみられ、「雑俳」として、日本文学としての研究はほとんどなされてきませんでした。冨田先生は、この本に、江戸期から明治期を経て、現在の狂俳の結社の動向までを調査してまとめられています。卒業論文以来二十五年以上かけての労作ですが、この本によって、初めて狂俳の東海地域における成立と展開が明らかになったと思います。「狂俳」の文芸としての価値も、この本によって全体像が見えてきたことによって見直されてくると思いますが、「東海地域の文化」として見直されるのではと思います。冨田先生の名古屋市立大学での学位論文です。個々の論文としては、これまでもいただいて拝見しておりましたが、資料編付きで一冊の本としてまとめられているので研究の全体がよくわかり、すばらしい仕事をなさったのだなあと革めて敬服いたしております。僕も負けないようにがんばります。負けそーーですが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月28日 昨日は日記を更新できませんでした。ホームページでは、「思い出亭」という名前で神戸の辻山幸一さんのご協力をいただいた戦前の落語のレコードの配信のページを作ったのですが。。。まだ出演者のデータが入らず、不完全な状態です。でもとても良いなあと。。その時代に行って、寄席で聴いてみたいと思わせる味のある芸です。辻山さんからは、上方歌舞伎と東京の歌舞伎のレコードも拝借しています。レコードのデジタル化は出来ましたので、こちらのページも早く作りたいです。いまの歌舞伎の発声の仕方と全然違うのだなあと。。いまの方が「技巧的」な感じがします。4月も本当に近いです。やりたいことや書きたいものが全然かけていない。。困ったことです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月26日 今日は神戸女子大学古典芸能センターに出張いたしました。レコードコレクターの方と、レコードのデジタル化について研究打ち合わせをしたのですが、大変勉強になりました。今日は遅いので゛、また後日書きたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月25日 暖かい日です。椙山の桜も咲き始めてとてもきれいです。新書版、いよいよ三月中は無理です。明日は神戸に出張いたします。SPレコードを収集されている方にコレクションを拝借に伺うのですが。とても楽しみです。前回お借りしたものも、NHKテクニカルサービスですべてデジタル化し、持参します。落語と歌舞伎劇のレコードだったのですが、なかなか時間が細切れでアップロードできません。ただ、歌舞伎など、いまとこんなに違うのかというくらい言い回しが違います。できるだけはやくアップロードしたいと思います。聴くことができない音源は意味がありませんので。やりたいことは山ほどあるのに、なかなか進みません。困ったものです。新書版が気にかかっています。小西先生の遺稿の見直しも非常に遅れていますし、、助成金の書類も書けないし。。うぎゃあああです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月24日 昨日、二月に亡くなった同級生のご主人から、友恵に可愛い子供服を頂きました。ご自宅を整理していたら、奥様が小さい服を入れていたダンボールがあり、私にいつも送って下さっていたのをご存知だったので、ということでした。お心遣いに本当に感謝でした。うちの子は、、田舎娘で、、文字通り泥だらけで遊んで帰るので、、こんど小学生なのに何回も着替えなければならないものですから。。もう四十九日になるのだなあと。。故人に感謝し、御冥福をお祈り致します。茨城県の荒川沖で、恐ろしい通り魔事件が起きました。筑波大学当時、いつも利用していた駅なので、驚きました。犯人はどういう人なのか。。被害者の冥福を祈ります。しなければならない仕事、やりたいこと、山ほど有ります。今日は研究室の写真の整理、新内のレコードのデジタル化、助成金の申請書執筆などが急務です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月23日 今日、家内と子供は津の長田先生の子供教室です。本当ならばわたしが連れてゆかねばならないのですが、家内に頼んで自宅で勉強します。書類が降るほどありますので。。新書、月末には無理そうです。でもがんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月22日 今日は家内と子供は筧先生の能楽教室のお昼のお食事会とお稽古で、とても楽しかったそうです。わたしは大学に行って小西先生の遺稿の訂正入力を行い、午後からはマック栄にでかけて、フォトショップで作ったPDFの助成金申請書に、pagesでテキストボックスを入れてワードと同じように書き込むことが出来る方法を教えてもらいました。テキストボックスいれるの、かなり複雑な書式なのですが、インストラクターさんはさすがに早くて。上手だなあと思いました。ichatの方法も習いましたが、次回、もうすこしくわしく勉強したいと思います。ichatできれば、少人数の講義ならば、韓国や台湾の同級生と合同講義可能ですよね。時間が合えば、両方のゼミ生で自己紹介したり。。技術的には以前から出来たことですが、僕はマック党なので、できれば新しいマックでやってみたいなあと。。作成すべき書類も論文も原稿もやまほどあります。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月21日 今日は、友恵の卒園式でした。おじいちゃんおばあちゃんに買って貰った服、家内によればとっても可愛かったそうで感謝です。私は出席できませんでしたが写真を楽しみにしております。知り合いの母上が亡くなられて、御通夜に伺いました。転院して一週間もたたない間に。。体調が良くないときに無理に何回も転院させる制度というのは、やっぱりおかしいと思います。医療制度に怒りを覚えましたが。。心より御冥福をお祈り致します。春休みも終盤、頑張って原稿書きます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月20日 今日は春分の日、まだ寒いですが、暖房なしで部屋で勉強できますから、もう春だなあと思います。今日はなごや文化情報の「この人とー新内勝知与」の原稿を絶対に仕上げたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月19日 毎日本当に早いです。今日は大学に渡辺康さんに来ていただいて、西村先生の安達原と熊野の前半の録音のファイルを作っていただきました。録音が小さめだったのですが、ノーマライズという処理をするとよいのだよとか教えて頂いたのですが、とても勉強になりました。専門の先生のそばで、一緒にファイルを作成すると、ここはこうするとうまく行くのか。。とか、、自分だけでやっていてはとてもわからないノウハウがわかります。渡辺さんに感謝でした。大正時代の「新内流し」と「二上がり新内」のレコードを購入したのですが、早速デジタル化してみました。電気吹込以前ですから、両方とも雑音は大きいですが、なんかとても艶のある声で魅力的でした。どちらも当時の芸者さんの録音ですが。。九十年近く前の声ですが、いいなあと思います。ホームページで配信できるようにしたいと思っています。原稿書けません。ピンチです。明日は子供たちをおじいちゃんおばあちゃんが見てくれるので、自宅で勉強します。感謝です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月18日 最近救急車たらいまわしで亡くなるというようなニュースが多く有りますが、、医療って結構問題なのではと思います。。二月に友人が亡くなったときも倒れてから収容されるまで一時間強だったとか。。都会ですらこのようでは。。なにかおかしいです。あとよくわからないのが、転院制度。。親戚のときもそうだったのですが、一つの病院に三ヶ月以上いられないのです。相当重いのに、身体に負荷がかかるのに転院させられてしまう。絶対おかしいです。カルテだけで本当に引継ぎが出来ているのか。。なんとかして欲しいです。こういうこときちんとやってくれる政治家いないかなあ。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月17日 よく晴れて暖かい日でした。研究室で、観世流名曲撰をデジタル化しながら、勉強していました。のどかで楽しかったです。でも、、いまいち原稿は進みませんでしたが。。明日も原稿頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月16日 昨日は大学の卒業式・謝恩会でした。卒業生さんたちの御多幸を祈ります。卒業生が丑年で、二周り下の丑年だったんだと感慨を持ちました。七十歳の定年まであと二十四年ですので、あと二周り目の丑年の学生が卒業すると私も卒業です。無事勤め上げたいです。今日は朝は教会学校に行きました。友恵は四月からは小学科なので、感謝会でこども賛美歌とジュース頂いて感謝でした。帰ってきて勉強しようと思って、、四時過ぎまで寝てしまいました。これから頑張って勉強します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月15日 今日は大学の卒業式です。卒業生さんにおめでとーーと言うべく、私も参加します。ゼミ生全員就職決まっていて、とても嬉しいです。感謝です。卒業パーティも行こうと思います。友恵が大学を卒業するのは、最短でも私が六十二歳ですが。。ご両親に学資を出していただいたこと、ちゃんと感謝して挨拶するようにと言いたいと思います。卒業生さんたちの御健康とご活躍、そして御多幸を心よりお祈り致します。でも、、一年生ではいってきた人があっという間に卒業するのですよね。。わたしの卒業式はもう二十五年前だったのだと思うとちょっと恐いですが。。晴れていてよかったです。ではまた、皆様お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月14日 今日はホワイトデーです。。家内と友恵にチョコレート貰ったので、買って帰らねばなりません。。ひろとも欲しいと言っていますが。。結局僕も食べたいので、チョコレートを買って帰って一家で食べる日になりそうです。一番喜ぶのは、、お菓子メーカーではと思いますが。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月13日 今日は能楽堂でワンコインコンサートがあります。シャンソンでワンコイン、すなわち500円で行われるコンサートですが。。去年も完売でしたが、今年のシャンソンも完売とのことでした。能楽堂に他ジャンルの方がいらっしゃることは、能の普及のためにもとてもよいことだと思います。去年はコーヒールンバがとても面白かったのですが。今日も伺いたいと思っています。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月12日 今日は 観世流の西村高夫先生に椙山にいらしていただいて、来年度の文芸Aの講義の打ち合わせをしました。毎年、学生たちに実際の謡曲を聴かせていただいているのですが。。「海士」を取り上げたいと思って、私も浚っていただきましたが、、ぜーんぜん謡えなくて反省でした。四月七日は「羽衣」を教えていただきたいと考えています。西村先生が最近舞われた羽衣彩色のビデオを貸して頂けそうなので。。今日はスタジオで、豊田能楽堂で五月に解説する「実盛」を全曲録音してくださいました。長い曲ですのに、本当に感謝です。明日には編集して配信させていただきたいと思います。春休み、飛ぶように過ぎてゆきます。新書も、小西先生の遺稿の見直しも遅れています。ださねばならない書類もたくさんあります。。ひろとも友恵も風邪から回復しました。とにかくあせらず、着実に少しずつでも前に進みたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年3月11日 今朝起きたら友恵が頭が痛いと、、またインフルエンザかと思って家内が石屋に連れて行ったらただの風邪ということでよかたです。ふーーっ。ひろともそんなに熱は高くないので、よかったですが。。春休み、飛ぶようにすぎてゆきます。仕事はものすごくたくさんあるのですが、なかなか進みません。観世流のLPレコード、藤波順三郎の砧をいまかけていますが、すごい名調だなあと。。なんかすばらしいです。午後もがんばって勉強します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月10日 今朝、起きたときひろとの顔が赤っぽかったので、熱を測ったら37度5分。。大丈夫かなあと思いましたが家内が医者に連れて行ったらインフルエンザと言うことでした。水曜日まで登校停止で、家でくてっとしているとのことで。。昨日津の稽古にでかけて、寒かったので拾ってきたのかも知れませんが。。軽く済むとよいなあと思っています。私も気をつけます。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月9日 今日子供たちは津の長田先生の子供能楽教室に行きます。私は家で小西先生の遺稿の見直しをしたいと思っています。ドイツ語の判読は習っていないだけに難しいです。小西先生は、ほんとーーに勉強がお好きだったのだなあと。。楽しんでなさっていたのだと思いますが。。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月8日 今日は土曜日ですが、会議がありますので出勤しています。昨日は名古屋駅のそばの居酒屋で指宿君とおそらく15年ぶり以上に飲みました。亡くなった友人二人のこと、、これからやりたいことなど話して非常に懐かしかったです。最初会った時にはやっぱりお互い40後半の顔しているなあと思うのですが、ビール飲んでいると、学生時代に宿舎のラウンジで飲んでいた頃とそんなに中身は変わっていないなあと思えました。お互い若い頃、目指していた仕事について、良い年のとり方が出来ているのは幸せなことだと思います。我々は長生きして、70過ぎまでは現役で頑張ろうと握手して別れました。朝起きたら友恵が大きなケーキが食べたいとか要求してきました。自分はひよこポケモンだと自称しているのですが、「春の要求」をひよこの世界では「ちゅん闘」と言うのだそうで。。「パパだけおいしいものを食べてくるのは不当」なのだそうで。兄とともに「要求貫徹」を叫んでおります。。今日も学部の懇親会がありまはすが、、帰りにケーキでも買ってゆかないとまずいかなあと。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月7日 あきらめなければ夢は叶う。。と言いますが、筑波大学の比較文化学類の同級生の中で、それを地で行ったのが指宿昭一君で、文学部出身なのに弁護士資格をめざして勉強を続け、たしか一昨年司法試験に合格し、昨年東京の高田馬場で暁法律事務所という弁護士事務所を開業しました。筑波大学のころは学生運動に熱心でしたが、、そういうところから弁護士に興味をもったのだと思います。ただ、45歳を越えての開業と言うのは、夢をまさに実現したわけで、すごいなあと思います。岐阜に扱っている案件があるということで、今日名古屋を通るものですから、夕方一緒に食事することにしています。もう十何年振りですが。。人から遅れて開業した分、長生きして息の長い弁護士活動を続けてもらえればと思います。風邪薬を飲んでいるのでちょっと眠いです。今日も電車で出勤しました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月6日 昨日は午後、なごや文化情報の「この人」のインタビューで伏見の新内勝知与先生のお稽古場に伺いました。御園座のすぐそばのマンションで、とても便利なところです。新内節の可能性の探求のため、リサイタルのみならず喜多郎との共演、文楽との共演、新内芝居の創造など、名古屋で非常に多彩な芸術活動を行われ、愛知県芸術選奨文化賞受賞など、数々の受賞をされています。わたしもリサイタルに伺ったことがありますが、美声で、艶ものなど本当に良いのですよね。。一代で新内の京派を作られただけのすさまじいエネルギーを感じました。わたしは身体に無理かけないように、いつもセーブ気味に仕事していますが、きっとこの先生は全力でなさっていて、それでも古希を超えてこれだけお元気なのだから、すごいなあと思います。男女の機微のわかるようになった中学生に新内を教えてみたい、とか、大学生に新内を個人レッスンで教えてみたいとか、次世代への普及の意欲も伝わってきました。優しそうで小柄なのですが、とても迫力のある先生でした。月末までには原稿仕上げなければと思います。月末締め切りの原稿多いので、本当に間に合うかなあと。。でも、体力がまず大切なので。。昨日より今日はだいぶ楽です。ただ、風邪が治ってきたのか、花粉症だけれど今日は研究室からでていないから楽なのかはまだわかりません。ではまた、みなさまお身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月5日 やっぱり風邪だったかなと。。喉が痛くなったので。。だいぶ治まりましたが、大事とって風邪薬飲んだので、今日は電車で出勤しました。風邪薬飲むと楽になるのですが、どうしてもだるくなるのです。先月の今日のお昼頃、同級生の訃報をメールで受け取りました。まさか、と思いましたが、確認してサークルの人に連絡しました。同級生にしても本当に残念でしたが、ご主人や娘さんたちにはどれぼど残念だろうと。。御冥福を祈ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月4日 朝起きたらのどが痛くて、華がずるずるしていて、目が痒くて、、風邪かなあと思いましたが、考えてみれば花粉の季節なのですよね。花粉症かも知れません。風邪ならば今週で治るでしょうが花粉症だと四月半ばまでかかりますからいやだなあと。。これまでそんなにひどくはならなかったのです。。黄砂が来ているとのことで、空も黄色っぽいですし。。うーーん。新書の原稿全然すすみません。小西先生の遺稿の見直しも、、ドイツ語は私にはわからないので。。うぎゃあああです。でも頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月3日 今日は雛祭りです。友恵も四月から小学生、とっても早いです。おじいちゃんとおばあちゃんがお祝いの食事会をしてくれました。私は大学で出られなかったのですが。。両親に感謝です。いつまでも元気でいて欲しいです。友恵の結婚式にも出て欲しいなあ。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年3月2日 昨日は豊田能楽堂の能と落語、とっても面白かったです。「悋気の火の玉」、傑作でした。坂真太郎と佐久間二郎って、「役者」だなあと思いました。しっとを下品にならずに表現するってなかなか難しいと思うのですが、「しっと」でありながら下品でなく、表現していて面白かったです。竹市学の笛も落語家さんもとってもよかったのですが、、落語家さんの名前忘れてしまいました。。ううーん、物忘れはげしいです。家内と子供もつれて行きました。豊田能楽堂の呈茶席、いっぱいでした。桜餅も抹茶もとても美味しかったです。今日は大学の入試でしたので、日曜日ですが出勤しました。よく晴れてよかったです。午後は、家内と子供を連れて名古屋市博物館の森川如春庵展に行きました。家内にも、子供たちにもきれいなものは出来るだけ見せておきたいなあと。。一昨日の内覧会のときは、時雨も乙御前も名碗は当たり前ですが大人気であまり見られなかったので。。入り口の十六分の如春庵と鈍翁のビデオ、ひろともともえもじーっと最後までみていて。。友恵は展示室にはいったら、「友恵はねえ、まずあの時雨のお茶碗がみたいのよ」、というので最初に見せましたが。。ひろといわく、「大きくて飲むときおもそーー、」、乙御前みて、「はしが薄くて口がいたそーー。」、横からみて「なんかあそこが耳みたいだから、猫の顔みたい」。。家内も子供たちも呈茶席で昨日に続いて薄茶いただいて、満足して帰りましたが。。やっぱりきれいなものはいいなあと。。二週間で展示替えがあるそうなので、また行きたいなあと思いました。常設展はみられないで、特別展だけで二時間以上使ってしまいました。。学芸員の山本先生や竹内先生も一階にいらっしゃいましたが、担当の方がすぐ質問に答えていただけるのはありがたいなあと思いました。徳川美術館の小池富雄先生もいらしていました。徳川美術館は今月は雛祭りの展示です。これもぜひ子供連れて伺いたいです。子供には本当にきれいなものを見せておきたいです。。僕も両親によく美術館に連れていってもらって見せてもらいましたので。わからなくても、なにか残るだろうと。。能が少ないのは淋しいですが、その分博物館や美術館見せておこうと思います。ではまた、皆様お元気で。。
2008年3月1日 早くも三月です。今日から名古屋市立博物館開館三十周年として「茶人のまなざしー森川如春庵の世界」展がはじまります。森川如春は最晩年能を舞っているのですが、三木邦弘先生の「能楽番組検索システム」から検索できるものですから、博物館から問い合わせいただいたときお答えしました。図録に名前入れていただき、感謝でした。京都の月扇堂さんと松坂屋美術館の小堀遠州展に伺い、それから博物館の内覧会に伺ったのですが、如春庵と交流のあった名古屋市立短期大学名誉教授の小島廣次先生や、筧鉱一先生、中日新聞の長谷義隆さん、CBCの北島徹也君などほんとーにお茶が好きな方がたくさんいらしていて、その背後で先生方が何をはなされるか聞いていたのですが、とても楽しかったです。名品揃いです。長谷さんは如春庵が入手しているものは、「そのジャンルで最高の物」で、それを見極める眼をもっていた点が他の人のまねできないことだよとおっしゃっていましたが、集められているものは、どれもとてもきれいです。今日は豊田能楽堂の定例公演です。能と落語の共演とのことで、新しい試みです。研究打ち合わせもかねて伺います。家内や子供も見たいというので連れて行きます。楽しみです。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月29日 今日は小堀遠州展と名古屋市博物館の内覧会に行きます。新書の原稿締め切り、あと一月です。助成金の報告書や申請書、原稿もたくさんあります。頑張らねばと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2008年2月28日 明日は京都の月扇堂さんと、松坂屋美術館の小堀遠州展と、名古屋市立博物館の茶人のまなざしー森川如春展の内覧会に伺います。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月27日 今日は、午後は雪の舞う寒さです。EX棟へのレコードの搬入、今日中にしてしまおうと思いましたら、雪が降り出して出来ませんでした。寒いです。SPレコード、一昨年・昨年で二千枚くらい買ってしまったのではと思うのですが、置き場所もありませんし、もう際限なく欲しくなるのですが、子供に「パパ、そんなに買って聴くの?聴いてから買えばいいんじゃあないの?お金の無駄だよ」と言われますので。。「今買わないと買えないのっ」と言いますが、、ひろくんの釣具やともえのおもちゃと同じレベルと自分でもわかっています。ここはぐっと我慢して、「いまあるレコードを分類する」「いまあるレコードを聴く=デジタル化する」「隣接著作権が消滅しているものについてはMP3にして配信する」という作業をきちんとして、それから購入したいと思います。(そう言いながら「こんどだけっ」、とか言って買ってしまうと思いますけれど。「原則」としては。。)戦前のSPレコードのジャンルの整理、どのような基準で行ったらよいのかなあと考えています。小唄と新小唄を分けるべきかとか、流行歌と歌謡曲は別ジャンルなのかとか、考え始めると難しいです。先行研究があるとよいなあと思うのですが。。VHSビデオをMPEG2で取り込むソフトもパソコンにインストールし(実際には情報系の先生にインストールしていただき)さっそく取り込みの実験をしています。本格稼動には大容量のハードディスクが必要がありますが。これからは、資料を集めると同時に、それを「整理」「活用」する仕事に今以上に力を入れたいと思っています。レコードやオープンリールは集めたけれど、それが広く一般の人に聴けないのでは、研究資料としての価値がありませんので。て゜もこのような作業は楽しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月26日 昨日は、四月から使用させていただく生活科学部EX棟に一部SPレコードの搬入を行いました。SPレコードは、LPレコードと比較してとても重いです。しかも割れやすいので慎重に運ばなければなりません。整理をどうするか、ラベル写真をどのようにとるかなども今後の課題です。ネットオークションで欲しいものがあるとどんどん落としていたのですが、ついに自宅にも研究室にも置き場所がなくなりました。スタジオに置かせていただいていたのですが、スタジオも使用する人が多くなり、どうしようかなあと思っていましたので、一年間ですが部屋を使用させていただけるのはとても嬉しいです。EX棟はまだ新しい建物できれいです。前の先生が出られて一年間使われていなかったのでほこりっぼいですが、工房だったので、流しの施設などもしっかりしており、SPレコード洗ったりするのによいなあと。春休み中に掃除やパソコンのセッティングをすませないと、講義がはじまってからではとても出来ないので。。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月25日 旧生活科学部棟に1年間部屋を貸していただいたので、そこをレコードのデジタル化とラベルの撮影、配信のための工房にさせていただこうと思い、今日から荷物の搬入の準備をします。VHSビデオのデジタル化は普段の研究室で行います。VHSは2時間連続とかのものが多いので、講義の間に行うこととし、SPレコードはラベル写真も撮影しなければなりませんから、お借りした研究室で行いたいのです。VHSテープは現在日本文化論などの講義で使っているので、ばらばらに保管したくないこともあります。でも研究室にある能の映像のみで椙山に奉職して17年で200本以上ありますので、これをデジタル化するのは結構大変です。でも、教材としても、能楽史の資料としても価値は大きいと思います。大容量のハードディスクが出来、ビデオキャプチャが安価になったからできることなのですが。。こういう作業はやっていて楽しいです。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月24日 昨日は中村小劇場で、中村小劇場主催のこども能楽体験教室と、筧先生主催の伝統文化こども能楽教室の合同発表会でした。中村小劇場で活動するサークルの合同発表会だったので、とてもにぎやかでしたが、子供からお年寄りまで集まり盛会でした。小劇場主催の教室は五回のコースとのことでした。参加した小学生の子供たちは伝統文化こども能楽教室の子供たちの地謡で「高砂や」を大鼓・小鼓で打ちましたが、五回の稽古とは思えないほど掛け声もしっかりしていて立派でした。わたしも中学のときにみた狂言と、高校一年の時に見た能の影響で人生を間違えてこうなってしまいましたが、能は楽しいので、このような体験教室への参加経験から能に興味を持つ子供が増えるといいなあと思っています。着替えなどは、中村教室のみならず豊橋から大勢のボランティアの方々がいらっしゃいました。筧先生、ご家族の方々、ボランティアの方々のおかげで成り立つものと思います。感謝でした。ひろともともえもだいぶ大きな声が出るようになり、親としても感謝でした。家内は、筑波大学の恩師で昨年亡くなった安井恒男先生を偲ぶ会に東京にでかけました。私たちは中村図書館の絵本の広場で二時間くわがたとかぶとむしとゾウさんの絵本を読んで、そのあと、筑波大学の同窓会に参加しました。子連れは三組でした。みんな四十・五十の顔をしていましたが、やっぱり大学時代は懐かしいです。人生が決まらないまま、一生懸命模索していた時期が大学時代で、それ故に懐かしいのだと思いますが。。筑波大学周辺も二十五年前とは大きく変わったようです。ひろとやともえにパパやママが頑張って勉強した場所も一度見せてやりたいなあと思いますが。。楽しかったです。今日は、家内と子供たちは津の長田先生の子供教室に伺い、私は自宅で遅れている原稿を執筆します。本当は長唄の発表会などにも行きたかったのですが。。原稿が間に合いません。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月23日 今日は中村文化小劇場で筧先生のこども能楽教室の発表会があります。ひろともともえも出していただけるので、今からはしゃいでいます。そのあとは、筑波大学の卒業生の会があります。子供を連れていってかまわないので、二人連れて行きます。この会でしか会えない同窓生も多いので、楽しみです。明日は津のこども能楽教室のお稽古です。ひろともともえも、だいぶ仕舞の順番は覚えられました。親より優秀です。昨日は西村高夫先生に、スタジオで安達原の後場と巴の録音をしていただきました。「お稽古場(観世流)」のページで公開しています。とてもかっこいいです。ご協力いただいている西村先生に心より感謝いたします。そのあと、友恵が仕舞で舞う「海士」のキリを稽古していただいたのですが。。NGだらけで、、どうしてもそういうふうに謡えないのです。。プロはどうやったらうのような正確な声が出るのだろうと。。資質と修練だと思いますが。。自分の持つ音源や映像、能楽の普及に役立つものは、協力いただけるものについてはどんどんホームページに上げて行きたいです。四月一日からですが、旧生活科学部棟の部屋の使用を申し込みましたら許可されましたので、そこをデジタル工房として、レコード・VHSテープのデジタル化に取り組みたいと思っています。出来るだけお金がかからない形で、みんなが研究に利用できる資料を提供しようと思うと、やはり現段階ではホームページやポッドキャストが方法として一番優れていると思います。助成金の書類もがんばって書かないとと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月22日 たまりにたまっているVHSビデオを今後どうしようかなあと。。教材としてはあまり早送りができないDVDよりもむしろ便利なところがあり、捨てにくいのですが、テープそのものの劣化がありますので。。最近だいぶビデオキャプチャも安くなりましたから、MPEG2に変換してハードディスクで保管するように変えようかなあと思っています。お小遣いがはいったら大須に行ってみようかなあ。。今日は午後西村高夫先生にいらしていただいて謡曲の録音を行います。楽しみです。ではまた、みなさまお身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月21日 今日は神戸の研究者の方に、神戸のレコードコレクターの方が収集された歌舞伎と落語のSPレコードを20枚以上名古屋まで持ってきていただきました。感謝でした。NHKテクニカルサービスでデジタル化していただくのですが。技師の方にちょっとデジタル化の様子を見せていただきましたが、盤の状態もよく、とても良い音でした。全部デジタル化できましたら、ページを作って公開させていただく予定です。とても楽しみです。明日は、西村高夫先生にスタジオで録音をお願いします。これも「お稽古場」のベージより配信させて頂きます。楽しみです。ではまた、皆様お体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月20日 昨日は。小西先生の遺稿に入力されているドイツ語の部分について、人間関係学部の長谷川淳基先生に教えていただきました。小西先生は筆記体で書かれているので、私が読めなかった部分があるのと、ウムラウトのついている部分がドイツ語を習っていない私にはわからないこともありました。長谷川先生には激務の中とても親切に教えていただき、感謝でした。小西先生は『日本文学原論』の「理論の次元」でフッサールとディルタイを取り上げていらっしゃって、その下書き原稿が私の入力担当部分なのですが、私の担当部分には仏教における「意識」についての考え方との対比は出てくるのですが、日本文学の作品も漢文学の作品も一行も出てこないのです。ディルタイとフッサールの考え方の違いについて、フッサールの原書を小西先生が先行研究によりつつ訳されて解説していらっしゃるのですが。。その解釈については小西先生特有の理路整然としたものなのですが、私としてはどうしても性急にこれは日本文学の解釈の方法にどのように応用できるのでしょうか。。と伺いたくなってしまうのですが。。小西先生は、実は文献学の方です。それで括れないくらい様々な仕事をなさいましたが、我々には「手続き」の大切さを非常にはっきりと厳しく言われました。小西先生一流の「手続き」の中で、後進にこれを理解することが日本文学の本質を理解する上で必要なのだとおっしゃっているのだと思いますが。先生がこの世にいらっしゃらない今、遺稿に向かって考えることが、我々がそれを知る上での果たすべき「手続き」になると思います。あーーー、もう少し語学真面目にやっとくんだったなあーーー。ふーーーっ。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月19日 昨日は「飯塚賞」の「早寝部門」「朝ご飯部門」のポイントが貯まりましたので、約束どおり家内にシャトレーゼでチョコケーキとイチゴケーキ買って来てもらってお祝いしました。これからも早寝・早起き・朝ご飯につとめまーーす。今日は会議が一つありますが、それ以外は時間ありますので、原稿を書こうと思います。5月24日の豊田能楽堂定例能の番組が届きました。茂山千五郎の「呼声」と、梅田邦久の「実盛」です。解説は私が15分間させて頂きます。名古屋能楽堂の定例能が6月からで、名古屋観世九皐会の二月・五月例会がなくなってしまいますと、名古屋で五千円までで見ることが出来る質の高い能が春先ぐっと減っています。私たちサラリーマンの小遣いはガソリン代込みで五万円までで、一日千円前後まででしょうから、小遣いで観る事が出来る能はやっぱり五千円前後までではと思います。八千円の観たら、、翌月まで見られないというべきか。。博物館や美術館の展示もやっぱり行きたいですし。。そうすると、名古屋能楽堂・豊田能楽堂の定例は、能楽のサラリーマン愛好者にはとても助かるのです。豊田能楽堂の3月1日の定例の「能と落語」、4月13日の定例能の金春安明の葵上、どちらもとても面白そうだなと思います。出来れば子供連れて伺いたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月18日 今日は新書の原稿、レコードのデジタル化のマニュアル作成、小西先生遺稿の校正を行う予定です。。時間があって、しかも頭が冴えていなければできない仕事ですので、夕べは早く寝ようと思ったのですが。。子供がパパ遊びをしたいといって、布団でごろごろパパに乗っかりごっこしていましたので、10時過ぎになり、、今朝は7時20分まで寝ていました。睡眠時間としては足りているはずなので頑張ります。今日は息子は昨日の代休なので子供会でボーリング大会にゆき、家内も子供会役員ででかけます。楽しみにしているみたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月17日 今日は午前中はひろとの小学校の父兄参観でした。父兄参観といっても、クラスでみんなで手作りゲームをするのですが。。家内は役員でもっと小さい乳幼児の世話の係りでしたから、僕は友恵と割り箸鉄砲の射的と輪投げ、ボーリングをしました。ひろともともえも楽しく遊べてよかったです。午後は東海能楽研究会。林和利先生の「引括」の発表、、この曲を「巴」の間に使うと言う記述が大蔵流の伝書にあることなど興味深かったです。ちょっと疲れ気味なので早く寝ようと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月16日 昨日は熱田神宮の月例茶会に伺いました。詳しい方にお願いして連れていっていただいたのですが。。久田流の濃茶席、どうすればよいのか全然分かりませんでしたが、教えていただいたままに頂きましたが、とってもおいしかったです。旧暦の新春ということで掛け軸は子の日の和歌でした。寒い日でしたが、春の近さを感じました。ものすごい盛会だったものですから、薄茶席はかなり時間がかかるということでした。一緒の席で教えてくださる「保護者」の方々がみなさんお仕事があるとのことでしたので、私も濃茶席のみで失礼しました。また伺いたいなあと思いました。月釜は会費二千円でしたが、昨日は松阪屋美術館で行われる「小堀遠州」展の招待券二枚いただけたので、入館料千円ですから、それも伺うことを考えるととっても値打ちだなあと思いました。お茶道具、、近くで見るとやっぱりすごく品格があってきれいです。習ってみたいという気持ちもありますが、メディアリたらシーのような新しい講義を担当しなければならないので、そのためのパソコンの稽古の時間など考えるとまだちょっと無理かなあと。。今日は自宅で遅れに遅れている新書の原稿を気合入れて書こうと思います。明日は東海能楽研究会の例会です。。楽しみです。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月15日 昨日はなごや文化情報の編集会議でした。私は特集の「文楽入門」と「この人」のインタビューで新内京派家元の新内勝知与先生のインタビュー担当となりました。原稿締め切りは三月と四月の十日なので、がんばって良いものを書きたいと思います。会議後、委員の先生方と担当の職員の方々で、近くで食事会をしました。会費四千五百円でしたが、とてもおいしかったです。文芸・演劇・美術・音楽など、他のジャンルの情報や、市の施設でどのような催しが行われているのか、伺うことができてとても有益でした。義太夫の原稿、、ほんなとーーは昨日までに目途つけたかったですが、まだ出来ませんでした。。今日もがんばって書こうと思います。今日は十一時から熱田神宮月例茶会に伺います。楽しみです。午後は原稿執筆です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月14日 南山大学の先生が交通事故で亡くなられたと新聞にありました。歩行中にはねられてしまったとのことですが。まだ五十一歳。。面識はありませんでしたが、お名前はかねがね伺っていました。人気ゼミだったと伺っています。とても残念です。こういうことがあると、本当に自分の人生も考えます。私は運転しますので、交通事故を起こさないように、遭わないように気をつけたいです。心より御冥福をお祈り致します。春休みの間、研究室には行く日を減らして、しばらく自宅学習の時間を増やそうかなあと考えています。安城から往復でどうしても三時間かかりますし、子供も少し大きくなって、パパが勉強していることも理解できるようになってきたので。。原稿がなかなか進まないことが一番の理由ですが。今日は三時から名古屋文化振興事業団で「なごや文化情報」の編集会議があります。なんとか特集の「名古屋で文楽を見る」の記事を、仕上げられるところまで行かなくても目途をつけて参加したいなあと。。いま自宅で書いています。明日は、熱田神宮の月釜に伺います。誘っていただいたのですが、お茶はならっていないのですけれど、最近茶道にとても惹かれています。お茶会に伺うととても楽しいので。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月13日 ちょっと風邪気味なのか、疲れがたまっているのか、元気がありません。なごや文化情報の特集の義太夫の記事も、新書の原稿も、助成金の書類も作成しなければならないものは山ほどあるのですが。。講義の無いいまの時期こそ、研究と講義準備に励むことができるはずなのです。ほんとーーは。放送文化基金を用いて入力していた元CBCディレクター本田善郎先生の民謡収集旅行記録No.1のノートの入力が上がってきました。本田先生の許可をいただきましたので、ネットで公開させて頂きます。本田先生は昭和30年代、CBCラジオの「中部民謡めぐり」という番組を担当されました。この音源のための採集旅行だったのですが、当時の古老は現在存命ならば120歳前後。。実際にはもう聴くことが出来ない廃絶した民謡の歌詞を多く含みます。このノートによってしか知りえない情報が多いので欠字もありますが、民謡研究者、放送文化研究者が広く使うことができるようにと思い公開します。当時はまだアーカイブと言う考え方がなく、放送用のテープは放送が済むと廃棄されました。「中部民謡めぐり」のテープは、同じディレクターだったしかたしん先生が自宅に持ち帰られていた分については御遺族の御厚意で私の研究室に寄附していただくことができたものですから、現在NHKテクニカルサービスに委託してデジタル化しています。隣接著作権の切れたものについては順次「恵理人の小屋」より配信致します。。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月12日 昨日の晩御飯のあと、海外で音楽賞の授賞式があったとかのニュースがあったせいなのか、ひろとが「うちも飯塚賞があるといい」と言いました。「飯塚賞」ってどういう賞なの、と聞くと「部門に分かれていて、早寝賞、早起き賞、朝ご飯賞があるのよ」というのです。九時半までに寝られたら早寝賞、七時前に起きられたら早起き賞、朝ご飯を残さず食べたら朝ご飯賞と分かれていて、部門ごとに最優秀賞、優秀賞、努力賞があるのよ。。」とのことでした。「それでポイントがたまると、全員分のシャトレーゼのケーキが買えるのよ。。」と、、早速ポイント表を作っていて、昨日は家族全員早寝賞でした。。早起き賞は、友恵は最優秀でしたがひろとは努力賞でしたが。。ポイント貯まったら私の分はチョコケーキにして欲しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2208年2月11日 今日は祝日でお休みです。とてもありがたいです。疲れていたので、夕べは九時前に寝て、今朝は八時過ぎまで「ぱぱこ」(「ぱぱなまこ」の略称)していました。今日は「なごや文化情報」の特集の「義太夫公演」の記事の執筆と、こども能楽教室の助成金申請書の作成です。どちらも次世代への伝統芸能の普及のためにがんばりたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月10日 今日は結婚記念日です。平成二年でしたから、そのときにすぐ子供が出来ていたならばいまごろ受験のはずですが。娘はまだ小学校前です。この記念日も、娘に「パパー、今日はステーキの日なのよねえ。。」と言われるまで気がつきませんでした。友恵が「パパとママが結婚してえ、私たちが生まれてえ、だからパパとママはうれしかったんでっしょおっ」と、その通りですが。。今日は津の長田先生の子供能楽教室に二人連れて行きました。比呂人は「嵐山、友恵は「海士」で、以前よりずっと長くて難しい曲でしたが、がんばって稽古しました。昨日の名古屋はすごい雪で、車は筧先生の能楽教室の帰りに、途中の駐車場に入れて電車で帰りましたので、帰りは駐車場の近くの駅で家内と待ち合わせて、一緒に車で帰りました。いま家でステーキを焼いてもらって食べたところです。一昨日大学のサークルの友人の御通夜に参列して、自分の人生についても考えさせられました。四十過ぎて、病気・事故・自殺など何回も同級生の訃報に接しました。二年に一回以上ありました。みんなとても元気な人で、「えっ、あの人が」と思うことばかりでした。私は中性脂肪も高く、脂肪肝で、脳梗塞の痕もあり、リスクは高いです。油っぽい食べ物好きですし。あと何年元気でできるかなあと。どうしても考えてしまいます。母が言うように「注意して」生活するしかないのですが。少しでも納得できるように仕事をしたいと思ったら、ストレスのかからない仕事などありえないです。ただ、身体が弱いことを十分弁えて、責任があり、それゆえに大変な仕事などは、仮に多少手当てがつこうがお金になろうが遠慮するとか、交通事故を起こさない、また遭わないように、疲れた時は電車で行くとか、小さいところから気をつけたいと思います。孫に謡曲教えたり、孫を能楽堂に連れて行ってみんなに自慢するまでの命が欲しいです。別にえらくならなくても、ぜいたくな生活できなくても良いから、長生きしたいです。家族全員健康であれば。今日も故人のご主人のブログ拝見しました。ご主人も知人ですので、これから毎日、ご主人のブログは出来る限り読もうと。それが人の輪を大切にされた故人が喜んでくださることかなあと思っています。明日は一日自宅で原稿を書こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月9日 今朝は大切な会議がありますので、土曜日ですが出勤しました。昨日は友人の「偲ぶ会」に伺いました。仏教式ですと「通夜式」、キリスト教式ですと「前夜式」ですが、無宗教での献花とのことで、「偲ぶ会」という形でした。京都の月扇堂さんと同じ新幹線で待ち合わせ、「まだ信じられないね。」「行きたくないね。」と言いながら式場に着き、「故○○儀式場」と書いてある看板を見て、辛い思いになりました。遺影を見ても実感湧きませんでしたが、ご主人と二人の娘さんにお目にかかって現実なのだと思いました。ご主人とはお仕事関係のことでメールでお願いしたり、資料送っていただいたりしたことはあったのですが、実際お目にかかったのはお二人の結婚式以来たったのだなあと。。娘さんの成長は年賀状で拝見していたのですが、お目にかかったことはなかったのだと気が付きました。故人とは「喜正の会」などで能楽堂でお目にかかっていましたが。娘さんは中学生と小学生で、ご両親の両方に似ていらっしゃいました。うちも娘がおりますので、思い合わせて非常に辛くなりました。献灯のあと、最初にご主人の挨拶がありました。胸を打たれたのは、「自分は口が悪くて、直接妻に感謝の言葉を口にすることがなかった。いま「ありがとう」と言いたい」と言われた言葉でした。このご主人は激務の中休暇をとって、海外へ家族旅行に何回も行くような夫の鏡で、土日も自分の趣味で能楽堂にでかけて「パパは全然遊んでくれない」と言われるようなしょうもないパパではないのです。考えてみれば、奥さんに食事作ってもらっていつも「ありがとう」と言っている夫がどれだけいるのか。。いつも感謝の態度をとられていただろうと思うだけに、参加した大勢の「夫」たちには響いたと思います。大学時代は僅か四年間ですから、そのあとの同じ職場の方々、ご近所の方々は我々よりももっと故人とのお付き合いはあったはずです。会社の方のいつも会社に花を飾られていたと言う弔辞や、仕事を辞められて専業主婦になられてから、マンションに花を飾る会を立ち上げて花の世話をなさっていたという弔辞、小学生のための朗読と読み聞かせの会に加わって、古事記の紙芝居の制作に関わられていたという弔辞を伺いました。故人の関わられた「古事記」の紙芝居を見ながら、故人は本当に子供が好きだったのだなあと思いました。47年の人生でしたが、素晴らしい充実した人生だったろうと思います。お二人の娘さんには、子供と言うものは両親を選ぶことが出来ないのだけれど、お二人は素晴らしい両親のもとに生まれたことを感謝して、お母さんの分まで長生きして充実した人生を送ってくださいと申し上げたいです。ご主人には今まで以上に身体に気をつけて、娘さんのために長生きしていただきたいです。ご主人には今後もお仕事のことできっとお願いすることが多いと思います。訃報の日にたまたまデジタル化していたレコードは「猩々」でした。「尽きせぬ宿こそめでたけれ」で終わるのですが、皆さんの家が尽きることなく栄えることを心よりお祈りいたします。いまデジタル化しているレコードは、我々が中学時代に発売されたLPの「融」です。能楽愛好者の母親が亡くなったのでと息子さんから寄附いただいた観世元昭・藤波紫雪の名盤ですが、観世元昭の声を聞くと、大学時代がものすごく懐かしいです。いま埼玉では「お別れの会」が行われています。「融」のキリは「あら名残惜しの面影」でよく一周忌で謡われる曲ですが、これを聴いて、追悼の思いですごさせていただきたいと思います。午後はこどもの能楽教室に顔を出す予定です。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月8日 今日は埼玉に友人の御通夜に伺います。故人は筑波能狂言研究会を立ち上げに尽力した初代のメンバーの一人でした。初代メンバーはよく言えば個性が強く、悪く言えばアクも強かったのですが、あのメンバーがいまに続くサークルをたちあげることができたのは、人一倍個性的で、世話好きで、包容力があった故人の働きゆえだったと思います。同学年でしたが学年は故人が一つ上でした。仲間が心服したのは困難なときも動じない落ち着きもあったかもと思います。筑波能狂言研究会は、玄人の狂言師として舞台に立つ人材をも輩出しています。比較文化学類のメーリングリストの追悼の声を見ても、故人によって結びついた友人が如何に多かったか。。私も友恵に服をいただいたりしておりますが、卒業後も同級生に非常に細かな心配りをされる方だったのですよね。結婚式も夫婦で出させていただきましたが、娘さん二人に恵まれ、文字通りの「良妻賢母」だったろうと思います。御葬儀は無宗教とのことですが、私はクリスチャンですから神様に故人の冥福を祈ります。そして、故人が多くの友人たちを結びつけてくれた、故人ゆえに仲良くすることができた、サークル・学類の輪を作ってくださったことに感謝して来たいと思います。故人によってつくられた人の輪は、おそらく大学時代のもののみではなかったと思います。私どもは大学時代しか知りませんが、それらの人の輪が、切れることなく今後も引き継がれて行くことを望み、祈ります。血圧が高かったのかなあとか、「医学的」な原因についてはあとから納得がつくこともあるかも知れませんが、「なぜ、あの人が」という心の納得は、友人たちではしばらく出来ないと思います。生きている私たちはとにかく身体に気をつけてと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月7日 昨日は母の誕生日でした。私は大学にいて参加できませんでしたが、父と家内とひろとともえでケーキでお祝いしたそうです。双方の両親が健康であるのは本当に感謝です。母も熱田教会や教会幼稚園の奉仕、孫の世話で忙しい日を送っています。健康に気をつけて長生きして欲しいです。今朝は残りのケーキ食べて出勤しました。昨日母に電話していて、寿命はしかたないけれど、生きている自分たちは「気をつけて」生活することが大切と言われました。「恵理ちゃんは脂肪控えて野菜食べることっ。」頑張って野菜を残さず食べようと思います。今日は伊勢の報告書の清書・発送をしました。あと、もとCBCディレクターの本田善郎先生の「民謡採集ノート」を放送文化基金を用いて入力していたのですが出来上がってきました。昭和30年代のラジオ番組「中部民謡めぐり」の民謡の本文や出演者との交渉記録なのですが、当時のラジオ番組や「民謡」を考える上で第一級の資料だと思います。公開できる部分については、「恵理人の小屋」から公開させて頂きたいなあと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月6日 同級生の訃報、筑波能狂言研究会の先輩・同期・後輩でメールアドレスや住所・電話番号のわかる人で、故人と親交のあった人全員に連絡しました。私自身が能に関わる仕事をしており、サークルの方は卒業後も能を見るのが趣味の人は多いので、かなり連絡はついたのですが、それでも四人連絡先がわかりません。卒業後すでに二十五年になろうとしていて、年賀状以外では十年ぶり以上で連絡を取る方も多かったのですが、次々と入ってくる御家族を思うメールを拝見して、やはり立派な人だったのだなあと思います。八日のお通夜には私も伺いたいと思っています。故人のご冥福と、ご家族の上に、主よりの慰めと平安が与えられることを祈っております。生きている我々は、前を見て進まねばと思います。今日は午前中は家で原稿の見直しをし、午後は大学で会議と原稿執筆をしようと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月5日 入試三日目です。今日まで出勤時間が早いのです。。朝早いのはちょっとつらかったですが、電車座れて感謝でした。昨日は子供にせがまれて銭湯に行きました。自宅よりちょっと気分が変わります。湯冷めに注意しなければなりませんが。風邪に注意しなければと思います。あてにしていた研究助成金不採択の通知が来てしまいました。来年度の研究計画を見直して、あと、応募できるところを探して、、頭を切り替えてがんばろうと思います。
朝ここまで書いてアップロードして、入試終了後に大学の同級生の訃報が入りました。くも膜下出血で突然でした。大学の同級生で女性ですが、筑波能狂言研究会の立ち上げを一緒にやった「同志」でした。私の家内とも親しく、結婚式には家内と二人で参加させていただきました。卒業後もサークルの同窓会や比較文化学類の同窓会でよくお目にかかりましたし、二人の娘さんに恵まれ、娘さんの服のお下がりを友恵にいただいたり本当によくして頂いていたのですが。。こんなことがあるのかと。。とても残念です。住所とアドレスのわかる筑波能狂言研究会の仲間たちにはメールしましたが。本当にいい人だったのになあと。。心よりご冥福をお祈りいたします。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月4日 入試二日目です。晴れてよかったです。出勤時間がいつもより早いせいか、電車できたのですがずっと座れて感謝でした。最近立っていると疲れるので。。こんなことではよくありませんが。。入試もあと一日です。受験生もですが、私も風邪に気をつけてがんばらないとなあと思います。午後は打ち合わせがありますが、そのあとは少し原稿を書こうと思います。ではまた、皆様お元気で。。
2008年2月3日 今日は日曜日ですが、入試第一日目なので出勤しました。平日と違って、電車もすいていますし、地下鉄も、帰りにマックの稽古に行くのでドニチエコ切符を購入しましたが、ちょっと得をした気分です。朝雨が降っていたのでちょっと寒かったのですが、三重県の方は雪だったそうです。受験生の人は風邪に注意して欲しいです。入試は明後日までです。入試の日は、いつもの出勤時間より朝が早いので、わたしもチョコレート食べるとか、キアイ入れようと思います。午後は折角登校したので原稿書こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月2日 明日から三日間入試です。。晴れるといいなあと。。今日は自宅で原稿を書いています。子どもをつれて実家に母が焼いてくれたフルーツケーキを貰いにでかれたのと、近くの公園で友恵の自転車の練習をしましたが。。勉強なかなか進みません。。ひろとにはパパは全然遊んでくれないと言われますし。。事実なのですが。。困ったものです。なんか身体がだるいです。。風邪ひきませんよーーに。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年2月1日 いよいよ二月に入ってしまいました。金曜日。。日曜日から三日間は入試です。受験生の人が風邪引きませんように。。いまの小学生は土日休みなので。。今朝ひろとが「今日は花金、、明日はやすみーーっ」と歌いながら登校していって、面白かったです。「花金」なんて言葉どこで覚えたのだろうと思いましたが。。今日は研究室で少し原稿を書こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月31日 今日は「愛妻の日」なのだそうで。。1131(アイサイ)だからだというのですが。。奥さんに花を買って帰りましょうとラジオで言っていましたが。。うちはケーキにしようかなあと思っています。なんかあまり元気ありません。成績処理はまだ終わりませんし、原稿も進んでいないし。。ただ、出来るところからしないとなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月30日 論文や自分の原稿も気にかかりますが、今日も採点です。今週一杯は採点かなあと。。出来の良いレポート見ると嬉しいですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月29日 今日はずっと採点していました。やっぱり実際に歌舞伎や能・狂言を見たり、地元の神社や祭りを見に出かけたり、時間使ったレポートの出来が良いなあと思いました。明日も採点です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月28日 月曜日、、先週締め切りのレポートが手元に届きました。だいたいはできているなあ。。というのが実感で、ちょっと安心しました。全然出来ていないと、教え方がまずかったかなあ。。ということになるので。。今週は採点の週かなあと。。論文も書きたいのですが。。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月27日 昨日の谷澤千早のコンサート、稽古舞台での三十名のミニコンサートでしたが、とても佳かったです。古曲の「六段」と宮城道雄の「数え唄変奏曲」、沢井忠夫の「鳥の・・」なんだったかなあ。。古曲と宮城道雄や沢井忠夫だと弾き方そのものがぜんぜん違うのだと、近くで見ていてとても迫力がありました。今日は午前中熱田教会の礼拝に参加し、午後は東区芸術創造センターの新春東海三曲演奏家の会。この会は無料の催しなので、当然目当ては指導の先生がどのような芸を聴かせて下さるかになるのですが。岡崎清芳さんって上手だなあと。。岩田律園先生が独奏曲出されるときはいつも楽しみなのですが、今回は解説に徹していらしてありませんでした。それはちょっと残念でした。観客席にぎやかで、能もこのくらい愛好者がいたらなあと思いました。きょうの午後、友恵は小学校の入学式用の服を名古屋駅のデパートでおじいちゃん、おばあちゃんに買って貰って、、家内とひろともごちそうになったそうですが。。感謝でした。ぼくもひろとやともえの子供のときはがんばらねばと思いつつ。。両親が元気なのはとてもありがたいです。。(散財ばかりかけて親孝行はしていないのですが。。)原稿執筆、遅れています。昭和初期、喜多流の「標準謡」のレコードが発売された記事を見つけましたので、これも伊勢の報告書に加えようと補足を書いています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月26日 今日は午前中は伊勢の報告書の補足執筆。昨日神戸女子大学でコピーさせていただいた雑誌の「喜多」の昭和九年一月号に六平太が新制喜多流謡本を作って、下節抑節の基準を統一した記事があり、喜多流でも全国の謡い方が昭和初年に統一される動きがわかりましたので、これを報告書に加えようといま書いています。午後は能楽堂の谷澤千早のコンサートに行く予定です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月25日 今日は神戸女子大学古典芸能研究センターに出張いたしました。戦前のSPレコードを収集されている方とお話しして、そのコレクションのうち、とくに「関西的」な歌舞伎・落語などのレコードをNHKテクニカルサービス名古屋に委託してデジタル化して、「恵理人の小屋」から配信させていただく打ち合わせをさせていただいたのですが、、戦前の歌舞伎・義太夫・長唄に大変詳しい方なので、とても勉強になりました。神戸女子大学古典芸能研究センターは伊藤正義先生が震災後に能楽関係の資料・雑誌をまとめて寄贈なさったこともあり、能の資料が非常に充実しています。雑誌の喜多などもコピーさせていただき、感謝でした。久しぶりに能楽関係の出張でとても楽しかったです。行きも帰りも高速バスだったのですが、関が原は雪でした。寒いのだなあと。先日の脳ドックの結果、家内がわたしの代わりに聞いてくれたのですが、前回と変化なしで大丈夫とのことでした。脳梗塞の痕はもうしかたないのですが。ものを忘れることがあるのは「年齢相当に。」ということで。頑張ってメモとろうと思います。。明日は名古屋能楽堂の筝曲の谷澤千早のコンサートにでかけます。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月24日 今日は国際コミュニケーション学部の能・狂言の試験でした。みんな結構出来ていてよかったです。安心しました。ふーっ。私にしてみると唯一「専門のみ」で講義できるコマで大変ありがたいです。受講生が少ないのでもう少し欲しいのだよなあ。。これからマック栄にガレージバンドの稽古に行きます。ソフト習うのはとても楽しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月23日 今日は椙山高校に来年度文化情報学部に入学する生徒さんたちの作文指導に行きました。数年前校舎が建て変わったので、ぴかぴかでした。古い校舎を知っているのでちょっと懐かしいですが、でもいまの生徒さんにはこのほうが良いよなあと。。みんな真面目によく書けていて良かったです。大学に帰ったので、これから新書の原稿書きたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月22日 今日は更生病院の脳ドックに行きました。若い頃の脳梗塞の痕があるので、大丈夫かどうかと、、たまにふっと物忘れがあるので不安になって。。前受診したときは「物忘れは年齢相応です。。」と言われて。。もう50才近いので、検診だけはきちんと受けたいと思います。物忘れが年齢相応ならばがんばってメモとらないと。。明日は椙山高校に作文指導に行きます。高校生教えるのは久しぶりです。なんか懐かしいです。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月21日 講義が終わり、試験週間です。それから採点ですが。。出来ているかなあと毎年ながら期待と心配があります。全然わかってくれていないと、それは自分の「教え方」にも工夫の余地があったことになりますので。名監督だと弱いチーム率いても勝てるときがあります。わたしの場合、今年の講義では長唄・日本舞踊・謡曲など体験型講義を増やしました。そういったことが、「試験・レポート」でもどのように反映されるか。。そこが期待もあり、不安もあります。今日はがんばって原稿も書きたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月20日 今日は日曜日でしたが出勤しました。伊勢市の報告書、遅れましたが、今日送りました。戦後のことでまだ資料の欠けているところが多く、調べたいのですが、とにかく「今ある資料でわかるところまで」で提出しました。。また資料が入手できたら再構成したいです。できれば再構成してから出したいなあ。。自分が生まれるちょっと前のことがもうずいぶん分からないのだなあと思いました。まだその催しに出ていらっしゃった方健在なのだから時間かければわかると思うのですが。。明日からは名古屋文化情報の「特集」の義太夫の記事や、新典社新書の原稿も書かねばなりません。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月19日 今日・明日はセンター試験です。受験生の人は風邪に気をつけて実力出し切って欲しいです。弊害もありますが、私は「ハードル」があって、そのために努力することは必要だと思います。いま研究者になっていますが、私の世界でも「審査論文」「学位」「科学研究費」などは全部ハードルがあって、それを目標に頑張るのですよね。一つ一つ与えられた課題を、回避せずに、無理せずに、着実にこなしてゆければなあと思っています。昨日、深谷雅楽宜先生に年賀状を差し上げてあったのですが、ご家族から十一月に亡くなられたというお葉書を頂きました。まだ五十七歳、生田流正派邦楽会の東海地域の中心として活躍されていて、私はファンでした。同じ安城市民で家が近いのでひろとを幼稚園に送って行くときにお目にかかったりしたのですが。。昨年の夏に病気になられて、十一月八日になくなったということで。。「chocoのBGM」の最後の「雪人形」の胡弓が人前での最後の演奏ということです。全盛を聴いたことがあるので、やはり体調が万全ではなかったのかなあと思いますが、お名残の演奏をネットで聴くことができるのは感謝です。「雪人形」もちょっと悲しい内容の歌詞ですが。。ご冥福をお祈り致します。今日は家で原稿の見直しと執筆をしたいと思います。コーヒーの飲みすぎか、胃が少し痛いです。気をつけねばと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月18日 今日の「人間論」で今年度の講義を全て終了しました。来週が試験期間、それが終わると春休みになります。今年度は「メディアリタラシー」「人間論」などこれまで担当したことのない講義を担当しました。その前の年は「日本語の基礎」「実用日本語表現」がはじめての担当でしたが。。初めて担当する課目はいつでもですが、やはり「どのように進めようか」などいろいろ悩みます。自分が伝えたいこと、そして学生の希望するもの、そして私からの学生の評価、学生からの私の講義の評価。。このキャッチボールの中から新しい講義が成長してゆくはずです。。来週のレポートがでてくると、学生が私の「人間論」をどのように捉えていたのかわかりますので、楽しみなような、怖いようなです。明日からセンター入試がはじまります。寒くならなければよいなあと思います。受験生に風邪は大敵ですから。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月17日 強盗に乳児が殺されたというニュースを聞いて暗澹たる気分になりました。犯人はいったいどういう人間なんだろうと。。五万円かそこらのために人を殺してしまうというのもですが、なんか考えられないと言う気持ちです。最近ニュースで殺人とか強盗を聞かない日がないくらいで、それがドラマでないので本当に怖いです。日本人の教育がおかしいとしか思えないので、教育者の一人として、いま目の前にいる学生さんたちに良い趣味と人生の楽しみ方をおしえないとと思います。助成金書類、なんとか完成しました。家内にも事務の方にもさんざんお世話になってようやくですが。。採択されるといいなあと祈っています。古いSP;レコードのデジタル化に関する予算申請です。採択されたら戦前の歌舞伎や義太夫のレコードをMP3ファイルにして、ホームページから配信したいです。今日は観世流の西村高夫先生にいらしていただいて、国際コミュニケーション学部の「能・狂言」の講義で「羽衣」のクセの春霞の最初を謡い、また、仕舞の型を教えていただきました。今日で「能・狂言」の講義は終わりますが、受講生の人たちが、今後能を観たり、謡曲を習ったりしてくれるといいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月16日 今日中になんとか助成金の書類仕上げないとと思っています。蓄音機レコードのデジタル化と保存について申請しようと思っています。リンク集に「TS」さんの「家族で行く島旅」を入れさせて頂きました。この方大手新聞社の記者をなさっているのですが、毎年家族と海外の島をめぐって旅行されているのですよね。。激務の中で。。でも、、いいなあー。と。子どもを釣り堀にも連れて行かない私はほんとーに見習わねばなりませんが。。ではまた、皆様お元気で。。。
2008年1月15日 昨日祝日だったためか、なんか月曜日のような気がします。助成金の書類作成などやらねばならないこといっぱいあるのですが、すすみません。。明日は基幹演習の最後。。頑張ります。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月14日 今日は成人の日です。我々の頃は一月十五日と決まっていましたが。。新成人の方々の御多幸と、益々の活躍を祈ります。連休なので、すこしでも原稿進めたいのですが。。ふーーっ。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月13日 今日は日曜日です。家族は熱田教会の礼拝にでかけておりますが、私はどうも疲労気味なので自宅で静養しております。なんか夜眠りが浅くて。。今朝は気合で八時まで布団にくるまっておりましたので、これならば少し勉強出来そうです。頭がボーっとしているときは単純作業ならいざしらず、論文なんか書けないから寝ていた方がよいというのが父の教えで、私は忠実に守っておりますので。子供にもいつも「ひろくんやともちゃんは大きくなるのが仕事なんだから、気合入れて寝ろ。」と言っていますが。。「ポッドキャスト」に夏休みにお願いした民謡の剣持会のみなさんの映像と、金曜日にお願いした杵屋三太郎先生の映像を載せさせていただきました。民謡も長唄も、ポッドキャストによる配信は少ないのですが、私のところには海外からの日本の伝統芸能に関する問い合わせもありますので、このようなことから名古屋の芸能が広く世界に広がって行くと佳いなあと思っています。ポッドキャストのトップページの「登録」ボタンを押していただけますと、更新がそのパソコンのアイチューンに自動的に送られます。(アイチューンのポッドキャストのページの「登録解除」を押せば登録解除されます。)名古屋の芸能の映像、登録してくださる方が増えると良いなあと思っています。研究室の扉にひろととともえの書初めを貼りました。「まいぺえす ひろ人」「まいぺいす ともえ」ですが。。あと家内の「ぼちぼち」と私の「まいぺえす(研究室キャラクター「ひまっち」つき)」を研究室の中に貼ってあります。。四十代後半になって、なんか慣れないことや無理なことを急にしようとしても、結局褒められないなあと思うようになりました。私の個性は、古文書を翻字して資料報告したり、能楽番組をデータベース化したり、画像・映像データベースを作ったりという「資料作成」にあって、基本的にデーター屋なのですよね。頭でこねるよりも「こういう証拠があるから」で押して行くタイプで。仲買から魚買うのではなく、船仕立てて魚捕りに行こうというタイプです。。パソコンが好きで、別に仕事だからパソコンやっているのではなくて、きっと仕事と関係なくてもマック買って「わーいこんなのが出来たぞー」といって喜んでいるのだろうと思っています。でもパソコンがあったからデータベースやポッドキャストやろうと思ったので、「技術からできる発想がある」というのは、深谷哲先生に習いましたが本当だと思います。今日はまだできない伊勢の報告書中心に勉強します。うーーっ、なかなか書けないのは体力が落ちているのだよなあ。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月12日 土曜日ですが、出勤しております。昨日いらしていただいた杵屋三太郎先生・三和彩先生・初音先生の演奏のCD作成しました。あと、まだ出来ない伊勢の報告書の校正入力など。。今日は子供能楽教室の謡初が名古屋能楽堂であります。遅れても伺いたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月11日 今日から講義です。三時間目の「人間論」、杵屋三太郎先生・初音先生・三和彩先生にいらして頂きます。楽しみです。昨夜コーヒーの飲みすぎなのか夜中よく寝付けませんでした。ちょっとだるいです。気をつけなくてはと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月10日 明日から講義再開です。人間論、長唄の杵屋三太郎先生にいらしていただきます。「藤娘」、とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月9日 今日は健康診断を地元の病院で受けるため、大学には行かず、病院にいって、そのあとは自宅で勉強します。「なごや文化情報」の原稿、小西先生の遺稿の入力と見直し、とっくにできていなければならない伊勢の報告書の見直し。。新典社新書の原稿作成、助成金の申請書、、やらなければなならない仕事がものすごくあります。講義の準備も大切です。健康に気をつけて行わねばと思います。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月8日 今日は午後会議でした。早めに終わったので、ポッドキャストに長田驍先生による初歩の仕舞「猩々」「老松」と、杵屋三太郎先生による長唄の「勧進帳」のさわりと「新曲浦島 合方」「元禄花見踊」を加えました。いずれも椙山の講義で学生に教えていただいたり、もしくは学生の前で実演していただいたものと同じ曲をスタジオで録音したものです。今年の講義は11日からですが、その初日の人間論に杵屋三太郎先生にいらしていただいて、「藤娘」を実演していただきます。「近世の恋愛」と「近世の女性美」に関する内容ですが。とても楽しみです。忙しいですが、「まいぺえす」で頑張りたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月7日 今日から平常出勤です。まだ講義がはじまらないうちに、書けなかった原稿をがんばって書きたいと思います。年賀状拝見しながら、なんか昔が無性に懐かしかったです。その時々に結構悩みもあったはずなのですが。。家族と写っている写真で送ってくれた方は、みんなその年齢相応の顔になっていて、、小学校の同級生などは、息子さんのほうが僕のイメージのその子だったりするのですが。。がんばらないとなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月6日 昨日の夜はなぜか寝付けませんでした。それでいて今朝強烈に眠くて。。無理してはいけないなあと思います。今日は「鳳の会」に撮影に伺いました。佐藤先生の「節分」。。鬼がなんともユーモラスで暖かい感じでよかったです。佐藤先生は昔の共同社の佳さを今に伝える芸風なのですよね。「庵梅」、、名古屋では昭和五十七年以来ですから、私が大学時代以来上演されていない曲ですが、井上菊次郎先生がとても上品でかわいらしい庵主さんで佳かったです。井上先生は、若い頃東京で修行されたこともあって、どこか垢抜けているのですよね。。三日に三番叟でみせた若々しさとは違う芸の奥行きを見せる感じで、、すごいなあと。。楽しかったです。年賀状に書いたので見てくださったのか、「恵理人の小屋2」のアクセスが470超えました。感謝です。明日から大学です。頑張ります。明日はマックの稽古があります。iwebを習います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月5日 今日は家内と子供たちは津の松菱で長田郷先生の子供能樂教室の子供たちで仕舞を舞うために津に行きます。私は小西先生の遺稿の入力と、その他の原稿の作成でお留守番です。明日は名古屋能楽堂で「鳳の会」の撮影があります。井上菊次郎先生の「庵梅」。共同社としては東海地域能楽番組データベースにも記録がなく、名古屋では昭和五七年に和泉元秀が上演して以来出ていませんので、本当の「稀曲」です。楽しみです。来週はまだ講義こそはじまりませんが、会議などが多いので、実質的に始まります。役所は四日からですから文句は言えませんが。。今日は「勉強していていいよーー。」といってくれた家内に感謝して、頑張ろうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月4日 今日は家族で新安城の釣り堀にでかけました。ひろとが釣りが大好きになって、私の見えるところに「釣り堀つれてけーー」というポスターを貼りまくっていたのですが、年末から忙しくてまったく行けなかったのです。学期がはじまってはまた難しいでしょうから今日の午前でかけたのですが、温室の釣り堀で、ブラックバスとアメリカナマズのいる池で釣りましたが。。わたしは三回引きがきましたが、すれ針なので取り込みに失敗し坊主。。ひろとはそれでも大物のブラックバス一匹釣って、友恵が網でキャッチして満足でした。午後は昼寝と小西先生の遺稿の入力です。明日はひろととともえは津の松菱の芸能発表会に、津の長田郷先生のこども能樂教室として参加します。「葛城」を舞うので「高間の原の岩戸の舞いーー。」と謡っています。。元気でがんばって欲しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月3日 今日は名古屋能楽堂の定例能でした。「翁付高砂」という狂言の末広まで三時間以上休憩無しのトライアスロンのような催しなのですが。。囃子方は笛が竹市学、小鼓が柳原冨司忠、大鼓が河村真之介、太鼓が加藤洋輝というメンバーでしたが、とっても佳かったです。小鼓の柳原先生は、年齢的にいってもいま一番充実している時期ですよね。小鼓というと名古屋では福井四郎兵衛先生が長く第一人者でしたが、いまこういうトライアスロン的な催しだと柳原先生が佳いのかなあと。。笛の竹市先生も藤田六郎兵衛先生の若い頃を思わせるすごくしっかりした笛で、とっても良かったです。とにかく今日は囃子方にまず拍手したいです。
むろん、翁の片山慶次郎さんは、、ほんと著書のタイトルではありませんが「なんとのうええ」のですよね。。高砂のシテの武田邦弘先生は、この先生は昔から端整で、型をきちっと決められる方なのですが、高砂の神舞はとてもかっこ良かったです。。今日はひろとを連れて行ったのですが、ひろとは神舞がとくに好きだった見たいで。(パパの翁のイヤホン眠いんだもん。。パパの声聞いたらねちゃったよ。。)と言われましたが。。満席でしたがこのメンバーで4500円は値打ちで、当然だと思いました。
今日は「翁」のイヤホンガイドさせていただきました。この解説載せさせていただきます。
「翁」
笛・小鼓・大鼓の囃子方が、楽器の調子を整える、お調べが聞こえてまいりました。まもなく開演となります。
最初に、「翁(おきな)」という演目について簡単に述べておきたいと思います。翁は「能にして能にあらず」と言われます。能が、筋を持った劇であるのに対して、翁には劇としての筋立てはありません。五穀豊穣、天下泰平を祈る儀式であり、これ全体が儀礼曲です。ですから、この「翁」のときには楽屋に「翁飾り」という特別な飾りが飾られ、鏡の間で一同お神酒を頂き、火打石で切り火を切って身を清めてから舞台に登場します。小鼓が三挺であること、翁が舞台上で面をつけることなど、この曲に限ったこともいくつもあります。古くから能楽師に大切に伝承された「儀式」として、「翁」を鑑賞したいと思います。
①幕が上がり、面箱持(めんばこもち)、翁、千歳(せんざい)、三番叟(さんばそう)、囃子方、シテ方後見、地謡方、狂言方後見の順に幕から登場いたします。シテよりも先に面箱持が登場しますが、面が神体として扱われている点は注目されます。面箱持は狂言方の役で野口隆行(のぐちたかゆき)が勤めます。千歳は武田大志(たけだひろし)、翁は片山慶次郎(かたやまけいじろう)、三番叟は井上菊次郎(いのうえきくじろう)、笛は竹市学(たけいちまなぶ)、小鼓は三人が勤めますが、真ん中を頭取(とうどり)、両脇を脇鼓(わきつづみ)と呼びます。頭取を柳原冨司忠(やなぎはらふじただ)、脇鼓を後藤嘉津幸(ごとうかつゆき)と船戸昭弘(ふなとあきひろ)が勤めます。大鼓を河村真之助(かわむらしんのすけ)が勤めます。
全員幕から登場し、三番叟以下は橋掛りに並びます。面箱持・千歳・三番叟は侍烏帽子(さむらいえぼし)・直垂上下(ひたたれじょうげ)、翁は翁烏帽子(おきなえぼし)・翁狩衣(おきなかりぎぬ)・指貫(さしぬき)、後見・囃子方・地謡は侍烏帽子・素襖上下(すおうじょうげ)の装束です。通常の能の装束が、役を演じるための「舞台衣装」であるのに対して、この装束は「翁」という儀式を行なうための式服です。翁の役は神官の服装で、三番叟以下は武士の式服。翁の役は、昔は能役者とは別の、寺社に属した専門の翁の役者が演じていました。
②座付き 翁が正面に出て両手をついて深々と礼をします。これは室町時代から江戸時代にかけて、天皇・将軍などの貴人が正面にいた頃の名残です。将軍の前で「神」として振舞うことに対して挨拶をすることになります。拝礼のときに翁は「天下泰平、国土安穏」を心中で唱えることになっています。ですから貴人への挨拶とは違うのではという説もあります。
拝礼をすませた翁は笛座前に着座します。
面箱持ちが、翁の前に置いた面箱から面を取り出して蓋の上に載せると、三番叟以下は立って舞台に入り、一堂座に着きます。舞台における場所は、千歳・面箱持は脇座(わきざ)、三番叟は常座(じょうざ)と決まっています。地謡は、この翁に限って、囃子方の後ろに座します。これは、江戸時代中期に舞台に地謡座が作られる以前、地謡が囃子方の後ろに座っていた名残です。
笛は、着座するとすぐに「座着キ」を吹きます。
③翁の謡
小鼓三丁が打ち出し、しばらくすると翁が「とうとうたらり」という呪文を唱えます。この言葉の意味はチベット語説・仏教語説などありますが不明です。笛がその所々でアシライを吹きます。「どうか我君は、このところにいつまでもお出でになって、限りなくお栄え遊ばすように。私どももいつまでも御前にお仕え申しましょうから。ほんとに、我君の御寿命は鶴や亀のように千年も万年も長生きなさって、思うままに豊かに過ごされるのです。」
「」
④千歳の舞
翁による呪文の最後に笛がヒシギを吹くと、ここから千歳の舞がはじまります。「鳴るは滝の水」は、水が豊かでありますように」という農耕に関係した祈りの言葉になります。千歳の舞は二段構成になっており、最初は扇を閉じたまま舞い、舞台の四方の柱に向かって形を決める所作が連続しています。翁が登場する前に舞台を清める露払いの意味の舞と考えられています。「君の千年を」は「わが君が千年も長生きし、わが君が治める世の中は大きな巌が天女が羽衣でなでることによって磨り減ってしまうほど長く続くでしょう」という祈りと祝いの言葉です。この言葉の後に千歳の二回目の舞となります。今度は扇を拡げて舞い、さっきと同じく舞台の四方を清める型をしています。この舞全体が翁の登場の前に、その舞台の場所を
清
める、露払いの舞となっています。
千歳と言う名前は、これから千年も長生きするであろう若者の舞であることからの名と考えられています。袖を捲いたり、拍子を踏んだりする颯爽とした舞で、後半は少し急調になります。この舞の間に翁は白式尉(はくしきじょう)の面をつけます。
⑤翁の舞
千歳が舞い終わって座につくと、「そなたといままで離れて座っていたけれども」と謡い、立って常座で立った三番叟と見合います。そして「その場所が面白そうなので行こう」と言って大小前、つまり大鼓と小鼓の前ですが、に行きます。そして正面に向かい袖を合わせてタッパイという型をし、それから上体をそらせます 翁は両袖を広げ天下が平和で国土が豊かであることを祈ります。
まったく千年も長生きした鶴はわが君がさらに万年も生きるようにと万歳楽と歌っていることだ。また万年も長生きした池の亀は、甲羅に全世界を載せる三極を備えていることだ。
なぎさの白い砂は清く美しく朝日の色を映しており、滝の水は清く澄んでいて夜の月が美しく水に映っている。天下が治まり、国土が平和であるように、と今日お祈り申し上げます。
在原の業平はみずからを翁と言ったが、あれはどのような老人なのだろうか。またどこから来た老人なのだろうか。(この翁が、どこから来たのかわからない老人であることを述べることによって、村人の間から出てきた普通の老人ではない、神であることが表現されます。)
「翁の舞」は三節に分かれた荘重な舞で、各節の終わりにそれぞれ天の拍子、地の拍子、人の拍子と言われる足拍子を踏みます。翁は両袖を広げたまま小鼓が打つ音に合わせて一歩一歩を踏みしめるように歩み、角柱で両手を下ろして天の拍子を踏み、また両手を広げて脇座に向かって静かに歩み、ここで地の拍子を踏みます。これから囃子が急調になって翁は舞台を廻って正先へ出、袖を巻き上げる型があり、これを払って囃子が静まったところで人の拍子を踏みます。「天地人三才の拍子」と呼ばれ、神と地上界と、人間とを繋ぐための儀式とも考えられています。
(舞い上げて)
千年も万年も長生きするという喜びの舞なのだから、私も一舞(ひとまい)舞おう、万歳楽を。
⑥翁帰り
小鼓が「翁帰り」を打ち出すと、翁はもとの座に戻り、面を外してもとの面箱の蓋の上に置きます。このことによって、神という存在からもとの神官に戻ります。舞台上で面をつけ、また外すのはこの「翁」一曲のみです。
舞台に入るときと同様に、正面先へ出て深々と礼をします。「役者」に戻り、正面の貴人に挨拶するという意味になります。このあと、千歳とともに退場致します。
⑦揉ノ段(もみのだん)
笛のヒシギを合図に大鼓が「揉出シ(もみだし)」の手を打ち出します。大鼓が小鼓の半間半間に打ち込んでゆく囃子に引かれて、侍烏帽子を剣先烏帽子(けんさきえぼし)に付け替えた三番叟が走り出て、「この喜びを他の土地に逃がさないようにしよう」と述べて「揉ノ段」を舞います。翁によって清められ、祝福されたものを舞台、すなわちその土地に「踏み込む」意味を持ちます。舞い手は囃子の掛け声をかけ、足拍子を踏みながら力強く舞います。この段の終わり近くに、両足を揃えて三度跳びますが、これを「烏飛び(からすとび)」といいます。
⑧鈴ノ段
揉ノ段を舞い終えた三番叟は、後見座で黒い色の尉(じょう)の面をつけます。これを黒色尉(こくしきじょう)といいます。翁と同様、面をつけることによって恵みをもたらす神様であることを表現いたします。
面箱持と三番叟が舞を先にまうか、面箱が先に席に座るのかをめぐって問答します。最後に鈴を受けとり、「鈴ノ段(すずのだん)」を舞います。
足拍子や種蒔きを表す所作が入ります。千歳・翁によって清められ、揉ノ段によって幸福の突き込められた土地に神によって種が蒔かれ、豊かな実りが成就するように祈ります。最後に「鈴砕き」と言って、両手を大きく広げて鈴を振る所作があって、これが舞のフィナーレとなります。
三番叟は鈴を面箱の蓋の上に置き、面を外して同じく置いたあと退場致します。面箱持も後に続きます。面を外すことには、神から人間に戻るという意味があります。
本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が勤めさせて頂きました。ご清聴ありがとうございました
この解説文書くのも「ぬえ」さんにずいぶんお世話になり感謝でした。囃子にくらいので、囃子に明るければもっと舞とか三番叟とか解説できるのになあと思いましたが。反省です。明日は家族連れて釣堀に行きます。ブラックバス、釣れるかなあ。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2008年1月2日 新年二日目です。まきとおじちゃんも妹の一家も今日帰ってしまいますので、寂しいです。友恵はもとあそびたいーーーといっていますいが、当然だと思います。私は明日が能楽堂のイヤホンガイドで初仕事です。明日からはほとんど普段通りかなあと。。正月も短くなったと思います。伊勢の報告書、結局年内にはアウトラインしかかけませんでした。図書館があいたら番組を確認したいと思います。昨日から小西甚一先生の遺稿の入力を再開しました。ドイツ語の引用部分はしそのままにして日本語の部分のみですが。小西先生は本当に「哲学」と「文学」との関係を考えるのを楽しんでいらっしゃったのだなあと、伝わってきます。ではまた、みなさまよいお正月を。。
2008年1月1日 新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりありがとうございました。
我が家の年賀状、以下に挙げさせていただきます。
新年明けましておめでとうございます
旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い致します。
昨年は、ミクシィとポッドキャストとユーチューブの年でした。個人が自分で撮影したビデオ映像を簡単にインターネットで公開することが出来るようになり、「名古屋の伝統芸能」を「観たことのない人」向けに配信することが出来るようになりましたので、恵理人は「恵理人の小屋2」という動画配信専用ホームページを作り、椙山で講義に来てくださった能・舞踊・長唄の先生方の動画や、学生の手による名古屋の街の魅力紹介のビデオの配信を始めました。佳恵は子育ても一段落し、現在は町内会・子供会・婦人会などの活動を楽しんでおります。比呂人・友恵は東海能樂研究会の子ども能樂教室で謡曲を謡ったり、仕舞を舞って楽しんでおります。比呂人は、釣りが大好きになって、「釣り堀つれてけーー」とよくせがみます。かわいいもの大好きの友恵は、幼稚園の劇やお遊戯が大好きです。今春小学校に入学します。双方の両親ともに健康で、一家全員元気で感謝です。本年もよろしくお願い致します。今年が佳い年でありますよう。
(恵理人の小屋2 http://homepage.mac.com/erito7/)
飯塚恵理人・佳恵・比呂人・友恵
双方の両親とも健康で、一家そろって元気に正月を迎えることが出来、本当に感謝です。昨日から茨城からひろとのあこがれのまきとおじちゃんが遊びに来てくれました。今日は妹の一家も来て、実家で久しぶりに顔を合わせます。一年の計は元旦にあり、、勉強でやりたいことや今年の目標(昨年の積み残し課題?)などもおいおい書いて行きたいとおもいます。今年は四十七歳になります。体力の衰えはありますが、その分、先生方や先輩に教えていただいた蓄積も出来てきたかなあと。。次は自分たちの世代が習ってきたことを次世代に伝える中心的役割を果たさなければならないかもと思います。まだまだ習いたいことはいっぱいありますが。。本年もどうぞよろしくお願い致します。今年が佳き年でありますよう。