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2007年12月31日 大晦日です。今年も本当にお世話になり、ありがとうございました。今年を振り返りますと、教会の若い方が亡くなったり、恩師小西甚一先生が亡くなったり、寂しい思いも致しました。勉強の方面ではぬえさんのブログにも書いていただきましたが、梅若万三郎家所蔵のSPレコードの配信を行ったこと、放送文化基金を頂いての戦前の謡曲・義太夫レコードの配信を行ったこと、科学研究費・学術研究振興基金を得て名古屋の能樂・長唄などを記録し、「恵理人の小屋2」から名古屋の伝統芸能を動画で発信できるようになり、また同時に卒業制作・基幹演習の成果を配信することが出来るようになったこと。。刊行は再来年になりますが、『近代能楽史の研究』の原稿をまとめて日本学術振興会の出版助成に応募したことや、新典社新書から依頼いただいて、来年はじめて新書本を出すために原稿を書き始めたことなど。。六月の日本演劇学会で発表したことも楽しい思い出でした。卒業生さんにミクシィに誘っていただいてゼミの連絡や卒業生さんとの連絡が簡単に出来るようになったのも本当に感謝でした。四方定子さんより提供いただいた、昭和三十年代のCBCの「中部民謡めぐり」のオープンリールテープもNHKテクニカルサービスによってほぼデジタル化することが出来感謝でした。今年四月からはメディアリタラシーという新しい科目を担当し、マックの基礎を教えるためにも身につけないとと思って週に一回ずつマックショップにレッスンに通いました。「技術からの発想」って大切だなあと思った年でもありました。教会学校の礼拝説教を二回だけですが勤めるなど、両親の仕事が自分の番になってくることを実感した年でもありました。来年は、長唄・三曲などのプログラムのデータベース化や、能樂番組の画像データベースのさらなる充実、謡曲・民謡・尺八・長唄などのSPレコードやオープンリールテープのデジタル化と配信、「ラジオ放送がどのように伝統芸能を変化させたのか」に関する資料作成など、まだやりたいことがたくさんあります。双方の両親含め、一家全員健康が守られ感謝でした。この年になりますと、若い学生さんとのジェネレーションギャップは埋めがたく感じます。もし結婚してすぐ子供がいたら、私の子も十八になっているはずなので、まさにパパなのですから仕方ないのですよね。パパ世代として、セクハラには充分注意して、ただ、自分が先生や先輩から受けついできた学問・技術をきちんと分かりやすく伝えることが出来たら良いなあと思っています。本年は本当にお世話になり、ありがとうございました。来年が皆様にとって素晴らしい年でありますよう。。
2007年12月30日 火災で家族が亡くなるというニュースが連日のようにあります。愛知県でも。。本当に気の毒だなあと思いつつ、犠牲者の冥福と、このようなことが今後おこらないようにと思います。昔の家の造りだと、ストーブとか確かに危ないのですよね。。子供たちには注意しないと。。今日は熱田教会の教会学校の中高校課で説教の当番でした。教会の暦では今日は降誕節で、イエス様の誕生をお祝いする日です。、「エッサイの株から」という題で、旧約聖書のイザヤ書の十一章と新約聖書の使徒言行録の十三章の話をしたのですが。。学会での研究発表よりもずっと緊張しました。。「主にふさわしく生活しなさい」と言われても、、私自身日に一回もうそつかないですごせた日が実際あるかどうか。。寝坊しても「電車遅れて」とか「道が渋滞して」とかはしょっちゅう言っていますから。。時間十分といわれたのに時計見たら半分話したところで残り二分。。ものすごくあせって、後半話さないでそのまま祈祷に移りました。。家内に破綻はなかったかと聞いたら、大丈夫だったよと言ってくれたので、なんとかなったのかも知れませんが。。感謝でした。今年の総括というと、両親の仕事だったことが自分の仕事になって行くというのを実感した年でした。去年までならば教会学校の説教も「パパやって」で済んだと思いますが。。父は元気ですが、「もう恵理ちゃんの時代だよ」と言われてしまうと。。。ただ、インターネットのおかげで、図書館に行かなくても自宅でかなりのことまで調べることが出来るようになったのはありがたいです。グーグルで「イザヤ書」と引いても、福音主義の教会のものだけでもものすごい数の講壇説教と祈りの言葉があって、とても参考になるのですよね。。私のように能を研究している立場だと仏典や漢籍も検索するのですが、「孔子家語」など中国書の出典検索も図書館で「引得」(索引のことです)引かなくてもグーグルで「孔子家語 芝蘭」のように用語入れるとかなりの確率でヒットしますし、経文なども大蔵経のデータベースでかなりヒットします。手軽であるため考えないで物を書くようになっては困りますが、ツールとしては本当に便利です。。あと一日、、伊勢の報告書できるところまででも頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月29日 年賀状印刷しながら、今年もたくさんの方々にお世話になったなあと思います。ただ、「あの先生にもお送りしたいけれど、考えてみると住所存じ上げないなあ」ということが多いなあと。。個人情報保護で、学校は学生名簿も教員名簿も作らなくなりましたから、新しくいらっしやった先生の住所はわかりません。年賀状なんて虚礼だからという方もいらっしゃいますが、年賀状のおかげでお互いの安否がわかる人も多く、ありがたいです。今年は昨年より枚数減りました。寂しいです。今日は今年最後のマックの稽古で、マック栄に行きます。そろそろ今年の総括をしなければなりませんが、新カリキュラムとなって、「メディアリタラシー」を担当することとなり、そのためにマックのソフトの使い方を習いに行くようになったのも大きな変化です。直接私の専門の日本文学や伝統文化には関わりませんが、「技術から出来る発想」というものもあるので、名古屋の伝統芸能の普及のために動画で配信するためのサイト「恵理人の小屋2」を作成しました。一ヶ月少しでアクセスが四百を越え、感謝しております。ただ、年末勉強したいという夢は、、夢で終わりそうで。。調査書はかけないし、仕事は積もるし。。最後まで「師走」です。新年は走らずに済むのでしょうか。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月28日 今日は妹の子どもたちがおじいちゃん、おばあちゃんのところに遊びに来るので、おじいちゃんと、うちの家内・ひろと・ともえで名古屋駅に迎えに行きました。私は家で論文執筆ですが。。進みません。負荷のかかりすぎたハードディスクみたいな状態です。でも、一枚でも書かないと。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月27日 今日は一月三日の名古屋能楽堂定例能の申し合わせでした。「翁付高砂」という名古屋では非常に珍しい形で行われます。高砂の脇の登場の部分は「礼脇」(れいわき)といい、囃子も通常の「真之次第」ではなく「音取」「置鼓」という特別な形で、ワキ方の重い習いとなっています。実は、、私も名古屋で観るのは初めてなのです。。入場料が高い会にはほとんど行っていないからかも知れませんが。翁が片山慶次郎、高砂のシテが武田邦弘の翁付高砂で前売入場料四千五百円と言うのは値打ちだと思います。今日観客席で申し合わせ拝見していて、、能が講義ならば申し合わせは研究会なのだなあと思いました。研究会や学会の発表はよい講義をするために同業者の批判を仰ぐもの。。申し合わせっていつも思いますが、すごい緊張感があります。「同業者の眼」というのは、学者でももちろんそうですが、能樂師さんも厳しいなあと。。ただ、とても面白いのです。成田美名子の「花よりも花の如く」で「申し合わせ」を「もー幸せ」と書く場面ありましたが、装束をつけないだけで紛れない「能」を観ていられるのはとても幸せで、能楽師さんの中でも「良い能に参加していられるっ」という瞬間に幸せ感じる人多いのではと思います。私は翁のイヤホンガイドですが、、天・地・人の拍子、初めて解説することを意識して拝見しました。がんばります。卒業制作の成果、「恵理人の小屋2」より配信を開始しました。私のミスでビデオ二回連続して再生されるようになっているクリップもあり、まだ訂正する必要がありますが。今年はミクシィとユーチューブとポッドキャストの年。。名古屋の伝統芸能と町の魅力をできるだけ低予算で、しかも全世界に向けて情報発信したい。。ゼミでは、配信を考えて、゛全部著作権フリーの音楽素材を使用し、配信を意識して短い名古屋の町の魅力のニュース番組・紹介番組を何本も作ってもらったのですが、その一部を公開しました。今後も、ゼミ作品を公開して、自分たちが何を作っているのか、そして何を伝えたくて制作しているのかを見ていただいて広く批判を仰ぎたいと思います。まだ論文書けません。。あーあです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月26日 クリスマスも終わりました。新年を迎える準備。。論文は書けないし、研究室は片付かないし。。年賀状も書けていません。明日は六麓会に伺う予定だったのですが、能楽堂で一月の定例能の申し合わせがあるということですので、《翁》《高砂》のイヤホンガイドの打ち合わせのためにそちらに伺うことにしました。ひろくんにはパパはどこにも連れていってくれないし、遊んでくれない。。悪いパパだと言われていますし、私の父はもう少し遊んでくれたよなあと思いますが。。毎日ばたばたのまま、今年も暮れて行きます。30日の熱田教会の教会学校の中学高校課の説教、イザヤ書なのですが、、この準備もあります。去年までは「ママよろしく」で済んだのですが。。父や母がしていてくれた仕事が自分の仕事になって行く。。分かっていることなのですが、両親は偉かったなあと思います。がんばって勉強したいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月25日 メリークリスマス。。昨日のイブは「乱能」。。囃子方の先生は、謡も上手だなあと。。型はともかく地謡とかシテ謡とか、普段舞台では「イヤー」というような掛け声しか聞かないですが、とっても上手だなあと思いました。あと長田先生の大鼓と野村小三郎さんの笛はいいなあと。。今日はイエス様の誕生日です。我が家でもサンタがひろとにはスピニングリールを、友恵にはプリンメーカーを下さいました。恵理人・佳恵の双方の両親が健在でクリスマスを迎えられることは本当に感謝です。今日は卒業研究で制作したビデオを、ウェブで配信するためにクイックタイムでファイルを制作しました。卒業制作としては提出されているので、そこからは私の作業になります。意外と時間かかるなあと。。今朝からはじめて、なれないソフトなので夕方までかかってしまいました。29日にマック栄に稽古に行くので、そのときに上手に載せる方法を習いたいと思います。クリスマス、、私にとっては27歳で夭折した友人の命日でもあります。教師でしたが、私にとって見ればパソコンの初歩を教えてくれた大恩人でした。昨日家内が風邪だったので、友恵をエレクトーンの教室に連れて行ったのですが、クリスマス演奏会、先生はやっぱりすごく上手なのですよね。それを聴きながら、教師は次の世代に技術を伝えることで、自分が観ることの出来ない未来に繋がることができるのだよなあと思いました。いま私がささやかですがパソコンで仕事できるのも友人に基礎を教えてもらっているからで、友人が見ることの出来なかった未来を、私は技術を伝えつつ見ているので。。私も次の世代に伝えて、私の見ることの出来ない世につなげたいと思います。なかなか論文かけません。年越したくはないのですが。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月24日 昨日は熱田教会のクリスマス礼拝でした。クリスマス礼拝は、いつもは他地区にいらっしゃってお目にかかれない方もいらっしゃって懐かしい顔が見られてありがたいのですが、昨日も東海大学准教授で転出されたブンダリヒさんがいらしていて懐かしかったです。娘さんがあかちゃんだったのに、もう話していて。。きれいな日本語の発音でしたが。。子供が大きくなるのははやいなあと思いました。午後は東海能樂研究会と忘年会。。。楽しかったです。今日はこれから比呂人と「乱能」に行きます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月22日 昨日は学内のセクハラ・アカハラ・パワハラ研修会に出席しました。運転免許の講習と一緒で、こういう問題を年に一度くらい考えることも良いかなあと。。「女子学生」を教えていますが、毎年学生は違いますし、価値観はどんどん変わってきますし。また社会規範も変わってきます。飲酒運転も昔は「犯罪」という意識は薄く、罰則も緩いものでしたが、いまは厳罰が当たり前です。厳しくしただけで交通事故死が年間三千人も減ったと聞くと、よかったと思う反面、なんでこれまで出来なかったのだろうと思いますが。。先日女子学生を「ちゃん」付けで呼んで処分された例が新聞に出ていましたが、これなども社会の規範意識がかなり変化したなあと感じられます。公務員のセクハラのガイドラインで女性の手を握ったり、着衣の上から触って免職と聞くと、そうだろうなあと思いながら、満員電車の中では手を挙げて乗るというのと一緒で、混んだ廊下など、いまも注意はしていますが、よほど注意しないとなあと思います。ただ、、舞踊とか、小鼓とか体操とか「手をとって教える」のが普通というのはどうするのかなあとか。。「セクハラにならない指導・注意の仕方」という講習も欲しいです。ふーーーっ。今日は家で原稿執筆です。。ではまた、皆様お元気で。。
2007年12月21日 伊勢の報告書、いま明治初年の鳥羽の祭礼能の和谷権之進の出演記録を翻刻しているのですが、、こんなことしているとまだまだ時間かかります。久しぶりに古文書翻刻すると、ここまで読めないものかとがっかりしますが。。栗花光弥さんが存命のころは、いつもお電話で「すいませーーん、助けてくださーーい。」とお願いできたものなのですが。。結局古文書の翻刻とか、能番組のデータベース化とか、みんな助けてくださる方がいて、その方たちのおかげでできた仕事なのですよね。。こう読めないと、あらためて栗花さんに感謝致しますが。。コーヒーの飲みすぎか、胃が痛いです。三時から打ち合わせがありますので、その前に少しでも資料を作らないとと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月20日 伊勢の報告書、本日締め切りでしたが間に合いませんでした。まだ三分の二くらいかなあと。一色町の翁は、和谷式翁といい、翁がはじまる前に「神楽《しんがく》」という人が出ます。一色や鳥羽の番組で戦後の番組なのに「千歳・三番そう」と書いてあるのに「神楽」が書かれていないものがあり、実際に神楽が出たのかそうでないのか、番組からだけではわからないのです。土地の人に尋ねなければなりませんが。。無論その尋ねる前に資料を全部整理して、伺う要点を決めなければなりませんから。。そういう意味で言えば作業がかなり遅れているなあと。毎日ばたばたなのですが。。今日はなんとか卒業研究二グループ提出してくれました。明日一グループ提出してくれればなんとか修了します。結構手がこんだビデオを作ってくれたグループもあって面白かったです。成果物の一部は、学生の承諾を得て「恵理人の小屋2」から配信する予定です。今日で年内の講義はすべて終了しました。一息ついています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月19日 友恵の風邪、まだ治りません。とくに夜鼻水ひどくて。。寝つきが悪いのか、朝もぐずくずしているのですが。そのくせ夜は布団跳ね飛ばして寝るので。。咳に気が付いて一回布団かけましたし、家内は二回かけたのだそうですが。。よくホームドラマで、娘がふて寝しているところでお父さんやお母さんがふとんかけなおしてやるシーンありますが、あんな大きな娘だったら部屋入ったら怒られるでしょうけれど、幼稚園の娘だとかけなおしてやらないとしかたないです。ただ、これだけ跳ね飛ばすとなると、、友恵には自分の寝巻きの上に家内の寝巻きでももう一重重ね着させて寝かせようかなあと。。本当の赤ちゃんの時には私のTシャツ重ねて寝かしていたのですが。。そうすると蹴っても脱げなくてよいのです。。今日は卒業制作の追い込みです。みんながんばってくれーー。では又皆様お元気で。
2007年12月18日 友恵の咳、今朝ちょっとひどかったので、幼稚園お休みさせました。ちょっとよくなると「ぴよぴーよ」といって踊るのでなかなか良くなりません。まったく。。ママは子供能楽教室の着物の後片付けに伺う予定でしたが、できませんでした。係りの方々にご迷惑かけて恐縮です。伊勢の調査書、、20日までにはちょっと無理そうです、がなんとか数日の遅れでと思っています。。「敦盛」はなんとか間に合いますが。どうしてこんなに仕事があるのだろうと不思議です。少しでも書きたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月17日 昨日は友恵も風邪気味だったので、教会は休んでみんなで家で過ごしました。勉強は進んだような進んでいないような。作業は多少は進んでいるのですが、これで本当に良いのかなあと。。まだ調査しなければならないことがいっぱいあります。なんか不完全燃焼です。佐世保でまた恐ろしい事件が起きました。銃の乱射事件なんて、海外だけと思っていましたが。犠牲者の冥福を心よりお祈りいたします。猟銃の免許は更新制にして、厳しく管理するようお願いしたいです。今朝も友恵は咳き込んでいましたが。。ちょっと心配です。今日は論文の続きを書きます。夕方は古文書の会です。なんか仕事に押し流されているというか、前に進んでいるのか疑問に思うことも多いのですが、ただ、一つ一つ破綻の無いように仕上げたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月16日 日曜日です。。。今日は伊勢の報告書かかないと絶対間に合いません。家内と子供は教会に行く予定ですが、うーーーん。どうして平日に論文かけないのだろう。。ひろとやともえに「良いパパというものは、平日はお仕事をして、休日はひろくんやともちゃんと遊んでくれるパパを言うのよ」とか「釣堀つれていってーー。」とよく言われますが、ぜんぜん連れて行けないのですよね。。あーあ。です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月15日 今日は名古屋芸能文化会、そして名古屋能樂堂十周年記念市民能樂大会でした。私は名古屋芸能文化会に「絵解き」の撮影に伺い、家内と子供は筧先生のこども能樂教室に参加しました。「名古屋芸能文化会」は論文については査読つきの雑誌を持つれっきとした研究会ですが、劇評なども載る開かれた雑誌です。関山和夫先生・安田文吉先生・徳子先生が本当に名古屋の芸能の研究と普及今ために頑張って続けてこられた会で、会誌は今回で17号になります。今回は同僚のウィリアム・ペトルシャック先生に入会していただいて、ペトルシャック先生に「わかりやすい歌舞伎へ」という論文を載せて頂きました。留学生に日本事情を教える人に大変参考になると思います。留学生の歌舞伎鑑賞講座を私が担当していて、留学生へどのように歌舞伎を教えるべきなのかアドバイスをお願いしたのですが、どうせならば、一回の講義のみではもったいないので、二人で論文として投稿しようということになって。。ただ、すごく量が多くなってしまいましたので、今回はペトルシャック先生ご担当の部分のみで構成し、ペトルシャック先生の単著論文として出されました。また共著でお願いしたいですが、留学生向けの講義教材の開発は、最終的には本で考えなければならないくらい、やることはたくさんある分野だと思います。今日は明治大学の林雅彦先生の絵解に関する講義と、愛知県の祖父江善光寺の林公子先生による善光寺絵伝の絵解、最後に関山和夫先生による江南の飛保の曼荼羅寺に伝わる絵解でしたが、大変充実していました。関山先生は先月肺炎で入院されて、いらっしやってからも「今日は体調がよくないのでできるかどうか」とおっしゃっていましたので、皆さん心配していたのですが。。やっぱり講壇にあがるとすごいのですよね。普段と変わらない名講義で、「説経」の部分も節をつけて一部なさってくださいましたが。いつもより多少時間短めでしたが、名講義でした。中世から近世の「絵解き」というのはこういう芸能だったのかと思わされました。私もあと三十年ちっょと経って、関山先生の年齢になって、なおあれだけの迫力のある講義できるだろうかと思うと、いまでもぜんぜん足元にも及びませんが、関山先生の修練と健康維持はすごいなあと思いました。熱田神宮文化殿の会場がいっぱいでしたが、充実した会で当然だと思いました。。。今号の「名古屋芸能文化」、CBCの北島徹也君の「懸釜の記」熱田神宮で北島君がお水取りの趣向でなさった月釜の記事です。あのお茶会は本当に楽しかったなあと思って拝見しておりました。今日は奥様といらしていました。会場は県立大学や同朋大学の先生方、新内勝千代先生や邦楽協会の方々など、とても多彩でした。楽しかったです。夕方は能楽堂に行き、家内と子供たちと合流してラーメン屋でラーメンとチャーハンチャーシュー丼と餃子食べて帰りました。今日もひろとは大人一人分以上食べました。うれしかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月14日 野村又三郎先生が亡くなって、お通夜に伺いました。ファンだったのでとても寂しいです。軽妙な味があって、「名人」でした。なんかすごく疲れ気味です。。ちょっと体調がよくないので、もう寝ようと思います。ではまた、皆様お元気で。
2007年12月12日 昨日は夜コーヒーを飲んだせいかよく眠れませんでした。気合で7時まで寝ていましたから睡眠時間は8時間とれたと思いますが。昨日から卒業研究提出期間です。うちのゼミ生もがんばっていますが、何人か進捗が遅れている学生がいて心配しています。はよやってくれーーー。敦盛はめどついたのですが、伊勢の調査報告はあと一週間でなんとかできるのかとっても不安です。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月11日 今日は西川古都先生・長田驍先生・郷先生に映像配信の許可をいただきましたので、ポッドキャストでの配信を始めました。ファイルが大きめなので、回線が細いと出るまでに時間がかかってしまいますし、もうすこしすっきりと構成できないかなあと。。まだ工夫の余地がいっぱいありますが。インターネットを使って名古屋の芸能の普及を行いたい、出来るだけ若い世代の人に優れた芸を届けたいという意味で言えば、私としてはよい第一歩が記せたかなあと思います。恵理人の小屋2も開設三週間でアクセスが三百を超え、感謝です。今日は教授会の後、忘年会でした。家でカニ料理など食べませんからとてもおいしいなあと思いましたが、、ひろくんとともちゃんがパパはやく帰ってーと電話してくれましたので、中座して帰りました。子供たちが寝る前に帰ることができよかったです。いよいよ卒業研究提出期間です。うちのゼミの子たちにも早くがんばって出して欲しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月10日 今日は留学生の能装束体験をしました。喜多流の長田驍先生、郷先生に羽衣と西王母の装束を持ってきていただいて全員につけたのですが、長田先生、お手伝いの方々に心より感謝いたします。日本人でも能装束をつけることはめったに経験できませんから、よかったのではと思います。これで留学生の講義も全て終了いたしました。国に帰ったら、ぜひ日本で体験した歌舞伎や能のことも仲間に話してもらいたいなあと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月9日 今日は日曜日ですが教会はお休みして、家内と子供たちは津の長田郷先生の子供能楽教室に出かけ、私は自宅で原稿を書いています。ひろくんやともちゃんにはパパはぜーんぜん遊んでくれないと言われています。事実です。なんでこう要領悪いんだろうと思いますが。。「敦盛」の論文の骨格だけはなんとか出来ました。今日は明治以降の伊勢の能楽の歩みについて報告書をまとめています。こんな近い世のことであっても、番組の散逸などでわからなくなっていることはあります。特に伊勢は空襲が激しかったので。。戦後はだいたいわかるのですが。今日は京都では河村定期研能会、河村隆司師の「檜垣」など、本当に拝見したかったですが。。いまの執筆状況では断念せざるを得ませんでした。明日は長田驍先生、郷先生にお願いして留学生の能装束体験の講義をします。楽しみです。午前中は、長田驍先生にお願いして謡曲と仕舞の録音・録画をします。「恵理人の小屋2」より配信するつもりですが、ポッドキャストとしても作成したいと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月8日 今日は、久しぶりに家におります。豊田能楽堂の綾子舞とか観に伺いたいのですが、論文の進捗状況考えるとあきらめざるを得ないです。残念ですが。。今日どこまで進むことができるか。紫明に投稿する「敦盛」の論文は浄土宗関係の仏典におおくあたる必要があるのですが、さすがにそれは大学図書館にしかないので、骨格だけ作ることになりそうです。(来週図書館にこもる時間、、どれくらいとれるかなあ。。)伊勢の調査報告は、番組等は手元にあるので、どれだけ時間かけて書けるか。。がんばります。ではまた、皆様お元気で。よい週末を。。
2007年12月7日 昨日は四日市能に伺いました。井上菊次郎先生と佐藤友彦先生の「仏師」と大槻文蔵師の「紅葉狩 鬼揃」。。藤田六郎兵衛先生の挨拶のあとに「六ちゃんグッズ」と六郎兵衛先生のCDの福引がありました。「六ちゃんグッズ」は藤田先生のキャラクター商品で、奥様がデザインされた笛を吹く六ちゃん兎の便箋などはとても可愛いです。残念ながら当たりませんでしたが。会場での販売があれば、便箋一つ欲しかったなあと思いました。井上先生と佐藤先生の「仏師」、佐藤先生の素朴な「田舎者」と井上先生の洒落た「すっぱ」とても楽しかったです。大槻文蔵の紅葉狩、シテの鬼女が「鬼」なのですが上品で綺麗でとてもよかったです。無料のイヤホンガイドは武蔵野大学の三浦裕子先生でした。私は自分でイヤホンガイドをするための参考にするため、イヤホンガイドのあるものは必ず借ります。三浦先生の解説は演出や囃子に関することがとても詳しく分かりやすくて、大変勉強になりました。四日市能は来年二十回とか、関係者の方々の努力に敬服しますとともに、長く続くことを祈ります。私としては学生券がないのが残念で、学生券があれば椙山でも宣伝するのになあと思いました。もっとも昨日もほとんど満席でしたから、あまり残席がないのかもしれませんが。今日は名古屋市生涯学習推進センターの大学連携講座の最終回、西村高夫先生にいらしていただいて、「融」のキリの仕舞を舞っていただき、初歩の謡曲の稽古をしていただきました。西村先生には、午後の大学の「人間論」の中でも能の観方や「鶴亀」の謡を教えていただき感謝でした。明日・明後日は紫明の論文と伊勢市の報告書の原稿の執筆です。間に合うのかなあと不安に思いつつ。絶対風邪ひかないことが大切です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月5日 朝から頭が痛いです。風邪をひきかけているのかなあと。頭が痛いときは血圧が高いときが多いので、わたしのようなメタボ人間は要注意です。論文がなかなかかけないなあと。。とても気になっていますが。今日はマックの稽古です。フラッシュを使って研究室のクリスマスカードをつくりたいなあと。。出来たら中年日記におきたいです。あくまで「出来たら」ですが。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月4日 昨日は名古屋能楽堂の京舞、ほんとーーーに上品で綺麗でした。井上政枝の「蓬生」。八十歳越えているおばあさんが源氏の訪れを待つ末摘花と通う源氏を舞い分けて、しかも「艶」なんですよね。芸の力ってものすごいなあと。。昨日はどの演目もすごく充実していてよかったですが、井上政枝、井上かづ子という長老の芸に特に魅せられました。「老いて美しい女性美」の極地だなあと。今日はわたしのホームページ「恵理人の小屋2」を見て下さった大学の先生から、「この先生にうちの大学の講義にもでて貰いたいのだけれど、コンタクトとってもらえないだろうか」という依頼があって、、すごく嬉しかったです。(うちと競争している大学だったら、、ちょっと考えますが学生さんも重なっていないし。。)これで伝統芸能の裾野がまた少し広がるのではと。芸能は習わないと、そして観客がいないと、次の世代に続いて行きません。一人でも二人でも、名古屋に伝わる芸能に興味を持って、愛好者に育ってくれたらいいなあと思っています。明日はマックの稽古、明後日は四日市能、金曜日は名古屋市生涯学習推進センターの講座と人間論と、忙しい日が続きますが、頑張ります。原稿がかけなーーい。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月3日 もう十二月、今年も一月ないのだと思うと本当に早いです。二十日までの論文の締め切り二つ、本当に間に合うかなあと。。年末の大きな山です。しばらく前にこたつを出しました。床暖房もつけたのですが、家内が「ともは喜び部屋駆け回り、ひろはこたつで丸くなる。。」と歌っていましたが実に対照的で。。息子と娘と二人子供に恵まれたのは本当にありがたいことと思います。今日は夕方から江南短期大学での講義、それから名古屋能楽堂での「京舞」の撮影とハードですので、大学に行かずに自宅で原稿を書く予定です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月2日 今日は名古屋能楽堂十二月定例能でした。昔の歳末助け合い協賛能ですが、能楽協会がそのような催しがなかなか出来なくなって、定例能としてすることになったのですが、助け合い能時代の伝統が残っていて能が三番あります。今日は八島と熊野と猩々乱。。どれもしっかりしていて面白かったです。イヤホンガイドでは、みなさんきちんとされていましたが、猩々乱を担当された朝日大学の米田真理先生は囃子に明るいのでこういう曲の解説なさるとさすがだなあと。。非常に勉強になりました。長男連れていったのですが、八島と熊野はちゃんと起きていましたが、猩々は「御酒と聞く」。。の部分でうつらうつらはじめて「覚むる」と思わずに「泉はそのまま」で熟睡してしまって。。出演者はもちろん観客が全員帰っても目がさめなくて、、パパはそこにいた知り合いに頼んでちょっと事務室にいったのですが、それからようやく起きて。。でも楽しかったです。夜は知立市の銭湯に行きました。銭湯は楽しいです。明日は江南短期大学の講義、夜は名古屋能楽堂の「京舞」です。井上八千代の舞が本当に楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年12月1日 昨日は長唄の六代目杵屋三太郎先生と門下の杵屋初音先生、杵屋三和彩先生にいらしていただいて、「人間論」で長唄の実演をしていただきました。恋をしている女性を「美しい」ものとして描くのは近世の発想です。中世までは「恋」は「孤悲」で、苦しんで「恋痩せ」したり「恋やつれ」したりとか。。「しないにこしたことはないけれど、してしまうのが恋であり、それは前世からの宿業による。。」という理解です。「人生」の捉え方も少なくとも文学的世界では中世では「来世で極楽に往生するための準備期間」ですが、近世では「人生を楽しむ」というような発想も生まれてきますので。「娘道成寺」の「クドキ」ですとか、「鷺娘」、「元禄花見踊り」「新曲浦島」などの部分を演奏していただきました。また、三味線を学生に触らせていただきました。ちょっと弾いた子はすごく楽しかったと言ってくれたのでよかったなあと思います。講義の前には、講義で弾いてくださった曲と同じ曲をスタジオで録音いたしました。NHKテクニカルサービスの鈴木幸夫さんに、非番だったのに非常に手伝って頂いて感謝でした。録画したものは来週編集して「恵理人の小屋2」にアップしたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月29日 昨日の古都先生の「基幹演習」の講義、全員で浴衣着て「お江戸日本橋」を踊ったのですが、とても楽しかったです。古都先生と門下の西川古鍈さんが着替えを手伝ってくださったのですが、日本舞踊の稽古のイメージがつかめたのではないかなあと思います。古鍈さんは、西川流師範ですが、うちの学部の四年生です。椙山女学園大学のホームページに今日付けで載っています。昨日の講義は基幹演習の一環で、基幹演習は名古屋の文化を「情報」として発信することを目的としていますから、昨日は稽古風景の撮影も行いました。後半の踊りを全員で稽古するため、撮影スタッフがいなくなってしまったのですが、そのとき栃窪先生と栃窪ゼミの4年生の方が手伝ってくださいました。さすがに慣れていらっしゃって、はじめてカメラ触るうちのゼミ生よりもずっとわかりやすい映像でした。これからこのビデオを編集して「恵理人の小屋2」から配信します。ここには今日、月曜日に留学生の「日本事情」の講義にいらして下さった喜多流シテ方長田先生による仕舞猩々や稽古風景のクリップも載せました。明日は「人間論」近世の恋愛として「娘道成寺」を扱います。六代目杵屋三太郎先生に実演をお願いいたします。最近の学生は三味線を聴いたことがないので、きっと新鮮に感じてくれるのではないかなあと思います。先週は能の「道成寺」でしたから、中世と近世との「恋愛」の描き方の違いなど考えてもらえるといいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月28日 昨日は家で仕事をしていたのですが、、ひろとが帰ってきて「気持ち悪い」といって、いきなり吐いて。。風邪なのかなあと思ったら熱はないし、薄着で外で遊んでいたのがわるかったのかも知れませんが。。後始末して寝かせて。すぐに家内が帰ってきたので後は任せましたが。私自身ちょっと胃が痛くて、夜もちょっと頑張ろうかなあと思っていましたが、やめて寝ました。ひろとは今朝はけろっとして学校に行きましたが。。今日は午後から西川古都先生をお願いして基幹演習の講義をします。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月27日 今日は調査の予定でしたが、急な原稿があるので家で執筆します。急というよりも先延ばしにしていてどうにもならなくなったというのが日本語として正しいですが。一日でどこまで進めることが出来るか。。うーん。ではまた、皆様お元気で。
2007年11月26日 昨日は岡崎で行われた東京教育大学・筑波大学の同窓会(茗渓会)の西三河支部の総会(忘年会)に参加しました。例年40人くらいはでるのですが、今年は26人とちょっと淋しかったです。いつも一緒に参加する同期の子も体調不良でこられませんでしたし。。教育大学の伝統を汲むため、高校教師をしている人が多いのですが、高校教師をしている同窓生と、いまの若い世代の「教育」についてはなすことが出来て楽しかったです。でも最近はどこの会にしても参加者が落ちているなあと。。「仲間意識」の反対側に「うざい」とか「うっとおしい」というものはきっとあるのでしょうが、それでも仲間は良いものだと思いますが、「そんなの関係ない」のがおしゃれな時代なので。みんなで集まることの意味について、中年以上の世代が考えないと、若い人に「仲間意識を」といっても仕方ないような気がしています。筑波大学の飲み会では、最後は必ず宣揚歌でした。昨日も中年ばかりで歌いましたが、やっぱりこれを聞くと本当に懐かしいです。これからしばらく、時間があるので、論文の校正をしたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月25日 昨日の豊田の能楽堂祭り、紙で能面・狂言面を作るコーナーがあったのですが、これはとても面白いと思いました。ひろともともえも両方作っていましたが。。狂言面は「うそぶき」で「蚊相撲」の蚊の精に使うのよといったら、家に帰ってから友恵はストローくわえて「ぷーんぱたぱた」といってやってきて「ババー、ちっくん」とか言って刺して喜んでいました。この面つくりは子供への普及にとてもよいと思います。今日は両親・家内・子供と熱田教会の礼拝に参加しました。今日は献金当番で、お祈りの札がはいっていました。昨年から決まっていたことですが、父や母がしていてくれたことが自分の番になってきたのだなあとしみじみ思います。特別伝道集会の説教は広島の藤井圭子先生でした。若い医学生の息子さんを亡くされたり本当に悲しい思いをなさった中にキリスト者として伝道に立てられている先生です。「なぐさめの神」という説教題でした。藤井先生に心から感謝致します。いつかひろとやともえ、、ひろとやともえの子供たちと一緒に家内とおじいちゃん・おばあちゃんとして礼拝に出て、ひろとやともえの献金当番の祈祷を聞きたいです。夕方は筑波大学の同窓会が岡崎でありますので、出かける予定です。楽しみです。明日は留学生の仕舞体験、長田郷先生にお願いしています。留学生にとってよい体験になるとよいなあと思っています、ひろとは釣りに凝って、また近くの釣具店にでかけました。ルアーを買うのだそうで。一昨日は釣堀で一時間で大ナマズとブラックバス五匹釣ったとおおはしゃぎでした。ひろとが帰ってきてくれないと僕は飲み会に行けないのだよなあ。。早く帰ってきて欲しいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月24日 この三連休、豊田市能楽堂では能楽堂まつりをやっています。昨日は井上菊次郎先生、今日は筧鉱一先生、明日は長田驍先生と、地域の能の普及と愛好者の育成に取り組んでいらっしゃる先生方が交代で子供達や初心者向けの講座をなさいます。今日は子どもを連れて行こうと思います。うちの比呂人は子供教室のときに筧先生のお宅に伺うと、先生が抹茶を点ててくださるので、抹茶が大好きになっていて、豊田能楽堂では会があるときにはいつも抹茶を飲むことが出来るスペースがあるので、「パパー、一服。。」といいます。「今日も抹茶ーー。」といまから楽しみにしています。「恵理人の小屋2」のアクセス、17日からの一週間で160になりました。感謝です。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月23日 今日は勤労感謝の日でお休みです。子どもたちは家内が釣堀に連れて行ってくれました。私は家で小西甚一先生の『日本文学原論』の遺稿を入力しています。下書きなのですが、すでに使ったコピーの裏にびっしりと鉛筆で書かれていて。一枚の紙でも無駄にされない大正世代の先生の生活態度に頭が下がります。私の担当は「近代思想の特性」のフッサールの部分ですが、小西先生がものすごく楽しんでフッサールの原書を訳して引用のメモを作っていたことが行間に伝わるのですよね。古稀を越えて、東京のご自宅から、筑波に泊りがけでいらっしゃって図書館の三階で調べ物をなさっていた姿が昨日のように思われます。すでに二十年も昔です。わたしもその当時二十代後半で、『謡曲の和漢朗詠集受容』の本をまとめるために指導していただいていました。筑波大学の創立に尽力されて副学長で退官されて、世俗的な名誉のためでしたらもう何もしなくてもよい環境で、なおかつ院生の指導をし、また新たな興味をもって哲学書を渉猟される。自分が古稀を越えたときにそれだけの旺盛な好奇心を保てるだろうかと思いますが。大正日本が生んだ傑出した知性を持った先生だったのだと思います。先生の遺稿から、先生が求められたものを考え、勉強させていただきたいと思っています。あさっては熱田教会の礼拝の献金当番でお祈りしなければなりません。はじめてなので、原稿書こうかなあと。。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月22日 今日は1122なので、「いいふーふ」の日なのだそうです。夕張市には架空の課の「夫婦円満課」というのも出来たのだそうで。。家内にはいつも感謝しております。ニュースで最近おどろいたのは愛知教育大学附属図書館の蔵書100円均一の売り払いです。愛知教育大学附属図書館は国文学関係がとても充実していて、大学時代帰省したときによく利用していました。リストをみたら、私が大学時代食費を削って購入したようなかつての高価な本がたくさんありました。大学時代二十万以上したセットが二千円もしないのかと。。二セットは必要ないけれどやっぱりがっくり来ました。考えてみると、いま古典文学のかなりのテキストはネットにあります。国文学研究資料館の電子資料館のサイトや国立国会図書館のサイトの情報はすごいです。私も利用しています。子どもには、「パパーこんなに本あるけど、パパ置いておくだけで読んでないじゃん。もう場所ふさぎだよね」と言われます。事実です。でも、やっぱり本には本のよさもあるような。。そういいながら、何冊か欲しいもの、愛知教育大学の問い合わせのメールアドレスにメールしました。ただ、もう申し込みが殺到していてほとんど完売ということなので、難しいかなあと思いますが。今日は、壊れたレコードプレーヤーをNHKテクニカルサービスの方に直して頂きました。すごい技術だなあと思いました。こういう人たちが放送を支えているのだなあと。。感謝でした。夕方はマック栄でフラッシュの使い方を習いました。とても奥深いソフトだなあと。次回は私の研究室の宣伝用のページを作るべく、習いに行くことに致しました。明日は一日家で勉強したいと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月21日 「恵理人の小屋2」にスタジオ制作を担当されている栃窪優二先生のゼミの作品を掲載させていただきました。栃窪先生は仙台放送のディレクターからうちの学部に今年の春赴任されたのですが、スタジオ制作やカノーブスの編集機を用いたハイビジョン映像の編集など、大変熱心に指導されています。栃窪先生の今年のゼミ生も一人ケーブルテレビに就職が決まったと伺いますが、影響を受けてテレビに興味を持つ学生も増えているようです。私は個人的にはテレビよりネット、カノーブスよりファイナルカットスタジオに興味があるというか、、基本的に「メディア」よりも「パソコンの技術」に興味が行っているので、そちらに眼が向いてしまうのですが、でも栃窪先生が作っていらっしゃる映像はさすがに玄人のものだなあと思って、スタジオで制作されているときによく横から覗かせていただいているのですが、とっても面白いです。それで、先生がゼミで制作されている学部紹介ビデオなど、コンテンツを一部いただいて私のページから配信させていただけるようお願い致しました。本物のテレビ番組みたいだなあと思うような本格的なものです。もとはハイビジョンですが圧縮かけているので小さいですが。「恵理人の小屋2」からは、私の基幹演習で作った映像や、今年の卒業研究ゼミで作っている映像も順次公開してゆこうと考えています。開設5日間でアクセス数が100を超え、本当に感謝です。科学技術が進歩したおかげで、数年前は無理だったけれども、今ならばできることがたくさんあるのですよね。技術の進歩は早いですが、習えば中年でも追いつけます。問題は体力がついてゆかないこと。。無理して風邪ひいたらしかたないので、摂生しながらがんばりたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月20日 「恵理人の小屋2」を立ち上げたため、管理しているページが「恵理人の小屋」「椙山生の羅雲寺」「ミクシィ」と4つになってしまいました。マックにはマックの、MSNにはMSNの、ミクシィにはミクシィのよさがあるので、どれも簡単には統合できません。がんばって更新したいと思います。今日は比較的ひまだったのですが、仕事がなかなか進みません。困ったものです。ではまた、皆様お元気で。
2007年11月19日 ひろとが今朝、「今日は夢見が悪かった」と。。どういう夢と聞いたら「おばけが集まって木の上でカレーを食べていたのよ。」と。今日も平和だったと考えましょう。。皆様お元気で。。
2007年11月18日 今日は午前中は一家で熱田教会の礼拝に伺いました。今日は収穫感謝祭で大人も子どもも共通でした。来週は私は献金当番で感謝のお祈りの担当なのですが。。正直人前でお祈りする経験はほとんどないので、講義の何十倍も緊張します。うーーん。教会のお昼はバーベキューだったのですが、ひろとが町内の餅投げに参加したいというので、家内と友恵はバーベキューに残り、私はひろとと町内会の餅投げに行きました。内の町内は安城でも古いので、町内会費から神社に支出してそれで餅投げがあるのです。。クリスチャンなので考えることもありますが、町内会行事と割り切って参加しています。私は餅あんまり拾えなかったのですが、ひろとは思い切りがよいのですよね。年齢別小学校三年生以下の部でしたが、二十個くらい拾っていました。とても食べきれないのでおじいちゃんの家に半分持って行きました。夜は附属高校の同窓会の幹事会が名古屋でありましたので、出かけました。同期の天野光敏君がしきってくれるのですが、さすがに手馴れていて、、幹事と言うのはああでないとなあと思いましたが、とても楽しかったです。小西甚一先生の『日本文学原論』の遺稿をまとめて出版するための基礎作業が始まりました。係の先生が私の中年日記を読んで下さって、少しですが入力のお手伝いをさせて頂けることになりました。小西先生に教えていただける最後のチャンスをいただけたのだなあと心より感謝致しております。伊勢の調査レポート、紫明の締め切りが十二月二十日、それに加えて来春には新書版で「はじめて能を観る人のために」という本の締め切りがあります。一つずつ、雑にならないように仕事をこなしてゆけたらいいなあと思っています。そのためにも体調と交通事故には気をつけねばと思います。ではまた、皆様お元気でお過し下さいます様。
2007年11月17日 今日は学部の併設校・指定校推薦入試でしたので土曜日ですが出勤しました。来年も良い学生さんがたくさんいらしてくださるといいなあと思っています。ミクシィを始めて半年〔池野鮒という名前です。〕で、足跡が千二百を越えました。学生・卒業生との連絡に使わせていただいておりますが、便利だなあと思います。また、「恵理人の小屋2」という、名古屋の芸能の動画配信サイトを立ち上げました。椙山女学園大学の私の講義にいらして下さった先生方にお願いして文化情報学部スタジオで撮影させていただいたものをマックのホームページから配信しています。御協力くださっている先生方、スタジオのNHKテクニカルサービスの職員の方々に心より感謝致します。名古屋の伝統芸能はとても質が高いと思うのですが、テレビが東京中心の編成なので全国的にはあまり知名度がありません。ただ、現在はミクシィとUTUBEとポッドキャストの時代ですから、良質のコンテンツを配信できれば、必ず名古屋の芸能の普及に貢献できると思っております。今日はひろとは午前中学芸会、スイミーのうなぎ4でなかなかがんばったそうです。そのあと家内と子供達は筧先生の子ども能楽教室にでかけ、帰りに星が丘で車で拾ってくれたので、ラーメン屋さんに行こうと思ったら、、寝てしまったので結局自宅そばのサイゼリアになつてしまいました。。明日は熱田教会、夜には高校の同窓会の幹事会があります。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月16日 あっという間に金曜日です。今週もあっという間だったなあと。。明日はうちの大学の併設校・指定校推薦入試、筧先生の子供能楽教室があります。明後日は高校の同窓会幹事会。。忙しいですが、12月締め切りの論文もありますので頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月14日 昨夜は仕事が一山越えてとても嬉しかったので、夕食後近くの喫茶店にでかけて、一家でケーキを食べました。我が家では親の代より「嬉しいことがあったら家族で祝う」という伝統があります。それで自分でケーキ買って「わーいケーキだあっ。」と言って喜ぶのですが。会議が終わって帰宅したのが八時過ぎでしたから、、喫茶店にでかけたのも八時半、、そんなに遅く外出したことがないので子供たちも珍しかったみたいです。お風呂入って寝るのが十時になってしまったので、ひろとは今朝起きるのがつらかったらしく、「ねえ、もう七時。。うーーん、眠いよお。」と言っていましたが。。たまには良いと思いましょう。今日の「基幹演習」は西川流の西川古都先生にいらして頂いて、みんなで「お江戸日本橋」を踊ります。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月13日 「思い出能楽堂」「思い出公会堂」に放送文化基金を用いて愛好者の方から譲っていただいたSP;レコード音源を上げました。急いで音源作成してくださったのですが、しばらく報告書などでアップロードできず、ようやくこの間の休みに自宅からアップロードしたのですが。。放送文化基金と提供くださった愛好者の方に心より感謝致します。豊竹つばめ太夫とか、竹本津太夫とか、今聴いてもとても魅力的だと思います。これを聴いて、自分もこんな風に語りたいと思った地方の義太夫愛好者は多かったのだろうなあと。昭和初期のレコードとラジオによる芸能の変化に興味があるのですが、それを証明するためには、まずレコードを集めてデジタル化すること、それから新聞のラヂオ欄を、その役者がどのように評価されているかメモをとりながら読むしかないのですが。。着実に作業続けて行きたいです。今日は午後から会議です。午前中だけは少し原稿の執筆をしたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月12日 今日は留学生の仕舞体験で、喜多流の長田郷先生にいらしていただきました。九人が三組にわかれて、雲雀山、岩船、猩々を稽古したのですが、なんとかあと二回で型も謡いも覚えられるかなあと。。若いから私たちよりも覚え早いです。熱心に教えて下さった長田先生に感謝でした。疲れていたのか、ケーキが食べたくなって帰りにケーキ屋さんによってケーキ四つ買ってきて家で食べました。たまにはいいなあと。。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月11日 今日は午前中は熱田教会に行き、帰ってから家で原稿を書いています。UTUBEって本当にいろいろな映像があるのですね。中島みゆきの「地上の星」を聴いて感動していました。私が高校の頃「時代」と「別れうた」が流行して、大学時代よく聴きました。「誘惑」とか「ひとり上手」とか。。歌詞の内容はすごく深刻なのですが、上品だなあと。「地上の星」はプロジェクトXのテーマソングだったのですが、あの番組は大好きでした。私たちよりも一世代上の、無名な技術者たちの物語ですが。。あの番組を観ると自分もがんばろうと思いました。私の場合、パソコンの技術を用いて国文学研究に役立つデータを配信することがメインの仕事になりますが。。でもいま聴いても中島みゆきの「地上の星」ってよい歌だなあと思います。カラオケで歌う歌が、去年はやっていた歌になるのが老化の始まりと聞きますが、私の場合もやっぱり思い出の歌は大学時代のものとか、大学時代に流行っていた歌手が最近出した歌になりますが。。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月10日 今日は久し振りに家にいることが出来るので、おもいっきり朝寝坊して、一家で八時に起きました。九時過ぎに朝ごはんたべて、一家でインフルエンザの予防接種にでかけて、、予防接種に行った後には必ず和菓子やさんによって、季節の和菓子を買うことにしているので、北城屋さんで「萩の山」というお饅頭を買いました。来週の土曜日は仕事で出勤なのですが、京都では味方健先生のみねの会、味方先生の恋重荷と味方玄・味方團両先生の二人静、豊田では御洒落名匠狂言会で佐藤友彦先生のお孫さんがうつぼ猿の猿でデビューと観たい会が揃っていて、、せめて一つでも今日あれば、伺えたのにと思いますが。。明日も六麓会伺いたいですが、ちょっと今週ハードで疲れているのと、全然子供と遊んでいないのでパパ業をしなければならないので、家族とすごす予定です。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月9日 今日は午前中名古屋市生涯学習推進センターの講座でした。西村高夫先生が、このためだけのために東京からいらして下さって、屋島の仕舞を見せて下さいました。能面・能装束をもってきて見せて頂き、本当に感謝でした。明日は久し振りに家でゆっくりしたいと思います。そういいながら、書かなければならない原稿は多いのですが。。ふーーっ。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月8日 今日は一時間目が実用日本語表現、二時間目が卒業研究、四時間目が能・狂言で、そのあと会議というハードな一日でした。明日は名古屋市生涯学習推進センターの講座です。能の普及のために頑張りたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月7日 今日は午後から名古屋市文化振興事業団の「なごや文化情報」の編集会議でした。昨年より伝統芸能分野の編集委員をさせていただいているので出席しました。二月締め切りの特集の原稿は来年七月に行われる文楽に合わせることで決まりました。私は文楽好きですが、、原稿を書くとなると、、勉強しないとなあと思います。専門の能ならばいざ知らず、専門一歩出ると知らないことばかりですから。。でみ頑張ります。七月の文楽、新しい観客がいっぱい来てくださるといいなあと思っています。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月6日 今日は午後から会議でした。怒られそうですが、会議は嫌いです。それに比べると講義や調べ物は好きです。午前中は『新聞集成 明治編年史』から明治四年の社家の禄制改革について調べていました。伊勢神宮や熱田神宮など「禄」を貰っていた社家が禄を離れ、世襲制が全廃される経緯についてですが、、当時は大変だったろうなあと思いました。これから医者に行って、血圧と肝臓の検査をします。健康には注意しないと。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年11月5日 昨日の名古屋金春会、金春穂高の西王母、かっこよかったです。仙女なんだから綺麗といわなければいけないのかもしれませんが、すっきりしていて。若いと思っていましたが、なんか貫禄が出てきたように思いました。鬼頭尚久の巴、一生懸命勉強したあとが見える「正しい」能でした。素直に伸びて欲しいです。若くてかわいらしい感じの巴でした。去年三川泉の巴は非常に「情のある」巴でしたが、若いうちは素直に演じるのが好感持たれると思います。観世流の梅田嘉宏、宝生流の衣斐愛、喜多流の長田郷とこの鬼頭尚久が次世代の名古屋を担うシテ方だと思います。本田光洋の俊寛、この先生は老練です。ちょっとした所作でその曲の雰囲気を作ってしまう。。どの曲もとても楽しかったです。大学でビデオ撮影させていただいたので、能・狂言の講義の教材にさせて頂きたいと思います。今日は午後から会議、夕方はマック栄にでかけてファイナルカットプロについて習いました。なるほどと思うこと多かったです。最近というか、、中年なので疲れ気味です。もう九時半なので早く寝なければと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月4日 今日は教会をお休みして家内と子供は津の長田先生の稽古、私は名古屋金春会の撮影に行きます。がんばります。ひろとはポケモンカードが今日欲しいとかで、津の稽古の帰りにどこかのおもちゃやさんに行くのだそうで。。ポケモン、、私の子供の頃にはありませんでしたが、すっかり定着しましたよね。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月3日 今日は一宮の森川家で行われた森川如春追福茶会の受付に伺いました。森川勘一郎(如春)は大正・昭和を通じた大茶人で、古美術蒐集と名古屋の茶道の発展のためにとても大きな業績を残した人です。熱田神宮能楽殿でも三回能を舞っています。私は茶道は習っていませんが、近代の能楽史を勉強して茶人との交流は非常に盛んだなあと思っていました。今回はCBC事業部の北島徹也君と中日新聞の長谷義隆さんに誘って頂いたので、なーんにも知りませんが。。ということで、受付をさせていただきました。森川如春の直弟子の名古屋市立短期大学名誉教授小島廣次先生もいらっしゃっていました。尾張藩の法制などについて色々教えていただいています。久し振りにお目にかれて嬉しかったです。お客さんが帰られた後、香席で蜂谷宗玄師に益田鈍翁が森川家に贈ったという名香「小倉山」と、森川家伝来の「満月」「八重菊」を聞かせていただき、御茶席で濃茶・薄茶を頂き、点心席で志良玉さんの点心をいただきましたからとても幸せな気分でした。森川如春所縁の名品ばかりでしたが、とてもきれいで、しかも発想が自由で。。私が濃茶をいただいた茶碗はバーナードリーチが絵を描いていましたが、とっても品がよくていいなあと思いました。お手伝いだったので、、受付がすいたとき、水屋に伺ってお菓子と薄茶いただきましたが、、これもとても美味しかったです。。お茶会の受付って役得多くていいなあと。。来年の三月に名古屋市立博物館で「森川如春展」があります。とても楽しみです。ひろととともえは、、パパがなーんにも遊んでくれないので、、家内とおじいちゃんとおばあちゃんと下山村の鱒釣り場に鱒を釣りにでかけました。釣れなかったそうですが、きくいもとさしみこんにゃくと五平餅を土産にしてきて、楽しかったみたいでよかったです。釣果はありませんでしたが、捲土重来に期待するそうです。明日は私は名古屋金春会、家内と子供は津の長田先生の子供能楽教室です。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年11月2日 昨日の「よみがえる御殿能」、片山九郎右衛門の砧でしたが、やっぱり装束も面も名品でよいなあと思いました。砧は以前観世喜之先生のものを見て、なんと情があって優しい奥さんなんだろうと、、こういう奥さん裏切ってはいけないよなあと思いましたし、観世喜正先生のときは、本当にすっきりときれいな奥さんで、やっぱり魅力的でした。九郎右衛門師のは、きっと昔はすごくきれいだったんだろうなあと思わせる感じで、「恋ゆえにやつれた」印象がある奥さんでした。でも後ジテの出の部分の、梓の音に聞き入っている部分などとても上品でよかったです。脇の宝生閑ってやっぱり人間国宝で名人ですよね。最後の「そもかかる人の心か」で奥さんになじられたとき、まっすぐ奥さんと向き合って数珠をもって祈るところ、、本当に夫が好きだった奥さんならばやっぱり許すかなと思うような説得力がありました。囃子だと藤田六郎兵衛先生が哀調のある音色でとてもよかったです。今日は名古屋市生涯学習推進センターで講座、いつも満員で熱心でとても感謝しています。明日は一宮の森川如春追善茶会の受付です。名品が拝見できるのでとても楽しみです。4日の金春会も楽しみです。毎日能に関われてとても幸せですが、体力的にはハードです。帰ってよく寝ようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月30日 今週は木曜日の夜に能楽堂の「よみがえる御殿能」、土曜日に御茶会のお手伝い、日曜日に名古屋金春会と両方でかける用事があります。どちらも楽しみですが、金曜日昼は名古屋市生涯学習推進センターでの講座もありますから、体力的にはかなりハードです。なんとか、公開促進費の書類提出までに論文は書き終わりました。。採択を祈っています。もう少し章を加えたかったなあと言う気持ちはありますが、それは次の本になると思います。12月20日までに一色町を中心とした伊勢・鳥羽の能の歴史についてのレポートをまとめなければなりませんし、「敦盛」の作品研究も書かなければなりません。ひろとが管理釣り場で鱒釣りしたいから連れてけーーと毎晩言っていますから、一回くらい行かないとなあと。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月28日 昨日ネット広告の三十代向けの「十年後の年収診断」というのを見て、面白そうだなあと思ってやってみたら、「年収百五十万円のリラクゼーション親父」なのだそうです。僕と同じくらいの年齢の酔っ払った親父が焼酎を片手にアロハシャツを着て椰子の木陰で寛いでいる絵がでました。このタイプは会社ではとても勤まらないので、妻子もなく、こだわりの趣味の店をだして、そこそこ儲けたら大型バイクをかって、それで好きに生きるのだそうです。能の脇僧の現代版みたいだなあと思いましたが、あと十年たっても友恵は高校生なので、まだこういう生き方は出来ません。こういう性格でも妻子があり、勤めていられるという面で大学に本当に感謝致しました。椙山の先生って、私にとっては天が与えてくださった職なのだろうと思っています。今日は公開促進費の申請のための論文執筆です。家族は日本基督教団熱田教会のバザーの手伝いにでますが、僕は休ませてもらつて。。今日は例年どおり、バザーの五平餅とおでんが夕食の予定です。おこわと天むすも欲しいけれど、人気なので買えるかどうか。。
2007年10月27日 もう10時20分、とっくに寝なければならない時間ですが、翁のイヤホンガイドが書けなくて起きています。でももうすぐ寝ます。明日は熱田教会のバザーです。子供達は五平餅を家内はおこわを売る係との事で、、母も毎年何かの係りなのですが、、何なのかなあ。。父は本年は旅行でいないのですが。。私は明日はお休みさせて頂きます。明日晴れてバザーが盛会でありますよう。。ではまた、お元気でお過しくださいまうすよう。
2007年10月26日 昨晩は帰りが遅くなり、11時まで起きていました。疲れ気味だったのですが、却って眠れなくて10時半過ぎてパソコン立ち上げたりして。。結局七時間しか寝ていないので、ちょっと眠いです。24日は杵屋三太郎先生に三味線を教えていただいたのですが、とても楽しかったです。うちの学生は少人数の稽古だととても熱心にするなあと。。助手の杵屋三歩さんと杵屋三和彩さんもいらして指導いただいて本当に感謝でした。其の晩、ちょっと頭痛いなあと思って血圧はかったら、上が158、下が103で。。もう一回はかったら下が109だったのであわてて寝ました。私は普段から下が高めで80前後なのですが。。動脈硬化が怖いです。長生きしたいので。。今日は午前中スタジオで観世喜正先生のCD制作のための録音、夕方からは名古屋能楽堂定例能に行きます。梅田邦久先生の松風です。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月24日 科学研究費の公開促進費の書類の学内締め切りまであと僅か、、書類はかけましたが、論文がどーーも気に入らない部分があって、修正・修正を繰り返しています。一箇所直すと何箇所も手を入れなければならないのですが。。がんばります。今日は基幹演習で長唄の杵屋三太郎先生にいらしていただきます。みんなで長唄の初歩を稽古して、その様子をスタジオでビデオ収録するのですが。。全員でも9人の少ないクラスなので、四人と五人にわかれて稽古する予定です。三太郎先生に心から感謝致します。学生たちが、何か伝統芸能の持つ力を感じてもらえればいいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月22日 助成金書類、なんとか書いて添付で送ってほっとしたら、、折り返しに電話があって、、「去年と同じタイトルと内容だと、去年の申請が採択されているので審査員に廻される前に事務サイドで不採択になります。。」電話いただいて感謝でした。昨日と一昨日の努力が一発でパーになるところでした。日にちぎりぎりなので、普通ならばあきらめますが、今回はどーしても三曲・筝曲データベース作成や、オープンリールのデジタル化の予算が欲しいので、「東海地域能楽資料の収集と整理」という題目から「近代芸能史の研究ー東海地域を中心に」にタイトル変えて、研究目的書き換えて。。添付で送りました。こういう時には、火事場の馬鹿力がまだ出るのですよね。。採択されるといいなあと思っています。論文も書かねばなりませんし。。出版助成に間に合わせるためにはあと一週間以内に論文あげなければなりません。そう思ったら風邪ひいてはいけないので。。ふーっ。。明日はマック栄にファイナルカットプロの設定を習いに行きます。以前伺ったのですが、バージョンが違うみたいで、設定のところのボタンが見つからないのです。。マニュアル持って行こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年10月21日 今日は友恵のお遊戯とピアノ(と思っていしたらエレクトーン)の発表会でした。そういいながら私は朝から助成金の書類作成で、、安城の市民会館には友恵のお遊戯のときだけいて、あとは家で書類作成していたのですが、、なんとか出来て事務の方に添付ファイルで送っていま一息ついています。発表会、グループごとにお母さんたちが衣装作って、、友恵は恐竜カーニバルのお遊戯なので迷彩色の「キアイの鉢巻」まいて踊っていましたが、、パパとしては女子大の先生なんだから娘には「おしとやかに」と言いたいですが、もう元気ハツラツで、控えめとかいう美徳とは遠いところにいます。。パパとは違うなあと思いました。でも楽しかったです。うちの両親が揃ってとも観にきてくれたのは本当に感謝でした。親が健康で健在なのはなにより感謝です。十月末までに、論文一つ、イヤホンガイド原稿一本、書評一本、、仕上げなければならない原稿たくさんあります。一つずつ片付けたいです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。。
2007年10月20日 今日は椙山の学園祭でした。毎年一日は一家で来ているのですが、今日は家内と子供二人を連れて行きました。朝は生活環境デザイン学科の滝本先生に比呂人が特別に毛針の作り方を教えて頂きました。比呂人は釣りに興味があって、最近はよく釣具屋さんにでかけて毛針を買うのですが、ついに自分で作りたいと。。滝本先生には本当にお世話になり感謝でした。家内と友恵は滝本先生のゼミのお店で七宝焼のペンダントをつくって、喜んでつけていましたが、、なかなかかわいく出来てよかったです。茶道部のお茶席、、屋内の席は正座がちょっとつらいかなあと思って屋外でいただきましたが、毎年ながら美味しかったです。比呂人は抹茶が大好きなので、パパと一服いただいた後、ママと友恵ともう一度行っていましたが。。パスタ、クッキー、おでん、フルーツポンチなど、いろいろな模擬店があって、家内が買って来ましたが、うちの学園祭の模擬店はどれも美味しいと思います。さすがに女の子だなあと。。午後は、わたしは助成金の書類を研究室で書いて、家内と子供達は見物にでかけていました。なかなか楽しかったようでよかったです。明日は友恵のピアノの発表会です。人生を楽しめる子に育って欲しいです。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年10月19日 今日の午前は東別院の生涯学習センターで、大学連携講座でした。西村高夫先生とともに「松風」を講義しました。西村先生には午後には椙山女学園大学のスタジオで渡辺康さんにもお願いし、「熊野」を録音して頂き、感謝でした。公開促進費の書類、なんとか出来上がりました。。がっ、肝心の論文のほうに不備がありますので、なんとか調べなおし、書き直したいです。時間との戦いになります。からといって睡眠時間は削れませんし。。明日は学園祭です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年10月18日 明日から学園祭です。楽しみです。書かなくてはならない書類がたくさんあって疲れていたのか、昨日は研究室でパソコン打ちながら寝てしまいました。。きっと僅かな時間だと思いますが、家族が研究室にやってくる夢を見ました。研究室を友恵ががらっとあけて、「パパー一等があたったのー。」と言って飛び込んでくるのですが、そのあとをぴよぴよとひよこがたくさん。。ひろとが「福引の商品ひよこだったんだよね。。」家内に「何匹いるんだ」ときくと「500匹」と言われて、、「どーするんだ」と言ったら、「だからしばらく研究室におかせて」と言われて、「そんな無理だよ」というそばをぴよぴよとひよこが歩き回るという。。目がさめると裏山の東山公園の松に吹く風の音のみでしたが、、夢でよかったと心底思いました。明日は名古屋市生涯学習推進センターの講座の「松風」です。西村高夫先生が謡曲の指導してくださいます。感謝です。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月17日 またしばらく日記が書けませんでした。ひろとのクラスが学芸会の劇で「スイミー」という劇をすることになって、ひろとは「うなぎ4」という役をします。「台詞が少なくて踊りがないからこれがいいのーー」といいますが、パパとしては台詞が多くて踊りのあるものを息子にはとってほしいような気もしました。それで、どんな台詞なのか、と聞いたら友達と手をつないで、5人で「うー、なぎなぎ、うーなぎなぎ、うー、なぎなぎ」ってでて「うーっ」で留めるのよと。。そうか、、といいながら、たしかに「うなぎ」と名乗りながら出れば「うなぎ」とわかるよなあと。。狂言の「盆山」のどろぼうが「あれは鯛だ」といわれて「たい。たい。」と言いながら逃げて行くのを思いました。子供の劇の発想というのは、狂言の発想とよく似ているなあと思う時があります。松村栄子さんのなにかの小説で、お茶を題材にしていて、表にはゴマがふってあるけれど、うらにはなにもないから「うらさびしい」=「浦淋しい」で須磨の浦を舞台とした能の「松風」からとって「松風」という銘がついているお菓子が出てきたのですが、その話を家内としていて「浦淋しい」から「松風」っていいなあといっていたら、ひろとが、「ひろくんは浦賑やかがいいと思う。」と。。どうするの、といったら「うら側に白ゴマをどーっと載せて、ゴマフアザラシが須磨の浦を埋め尽くしたところ。」と「裏側に手のりたまをたっぷりふって、友恵がひよこの大群をつれて須磨の浦でぴよびよとパレードをするところ。。もうあうあう、ぴよぴよのおー賑わいで淋しいどころじゃない」と。。ただのゴマせんべいと、しよっぱいのりたませんべいになってしまうじゃないと言いながら、やっぱり狂言の大名や太郎冠者の発想と似ているよなあと。。学芸会の秋です。うちの大学も週末は学園祭です。毎年子供を連れて行くので一日は連れてこようと思います。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月14日 今日は「鳳の会」で、「班女」のイヤホンガイドをさせて頂きました。井上靖浩先生の「花子」の披きで、能と狂言との関係を比較してみようという企画でした。前に久田勘鴎先生の「班女」を上演し、後に「花子」を上演したのですが、とても面白かったです。プログラムの最初は墨塗で、佐藤友彦先生の大名に菊次郎先生の女。。人のよい大名と、たくましい女でとても面白かったです。「班女」、久田先生の三番目物は久し振りでしたが、華やかで舞の部分など佳かったです。時間の関係でかなり省略ありましたがそれでも八十分。。班女って大曲だなあと思いました。井上靖浩さんの「花子」、前半吉田の某が、「浮気」をする男にしてはちょっと堅くてこわいなあという印象でしたが、後半の小唄のところなどはとっても雰囲気あって佳かったです。菊次郎さんみたいな洒落た感じになって行くのかなあとおもいました。三つともとても楽しかったです。「班女」のイヤホンガイドの原稿あげさせていただきます。
班女イヤホンガイド原稿
(【】は当日省略される部分。〔〕は「花子」との関連で述べる部分)
笛、小鼓、大鼓の囃子方が楽器の調子を整える、お調べが聞こえて参りました。まもなく開演となります。
まず粗筋を解説したいと思います。美濃の国野上の宿の遊女花子は、宿に泊まった吉田少将と深く契って以来、互いに取り交わした扇にばかり見入って他の客の席に出ないので女主から追い出されます。再び野上に来た少将は、花子が宿を追い出されたことを知りますが、花子の行方はわかりません。都に帰った少将が、賀茂の社に参詣すると、そこに若い狂女が来ます。その狂女は扇を大切にしていることから班女というあだ名で呼ばれていました。班女は恋人の扇を胸に再会を夢見ており、その思いを胸に舞を舞います。少将が見ると、紛れもない花子なので、従者に命じて花子を呼び寄せ、取り交わした証拠の扇を見せると狂気も収まり、二人は元の契りを結ぶのでした。
幕を片方のみあけて、囃子方が登場いたします。笛、鹿取希世、小鼓、後藤嘉津幸、大鼓、河村真之助の各師となります。
最初に、野上の宿の長が登場いたします。狂言方の役で鹿島俊裕が勤めます。美男鬘・着付青地菊楓秋草蝶文様縫箔、女帯、扇の装束で女性であることを表現いたします。
野上の宿の長は、花子が吉田の少将のお酌を取って以来、少将と交換した扇に見入って他の客のお酌に出ないので花子を追い出そうといいます。
シテの花子が登場いたします。久田勘鴎が勤めます。面は若女、長鬘・鬘帯・着付摺箔・金地玉庭菊文様唐織着流・扇の装束で、若い女性であることを表現いたします。
野上の宿の長は、他の客の酌を取らなかったことを責め、花子を追い出します。長は花子が大切に扇を持っていることに腹を立て、その扇を取り上げ、花子の前に投げ返して退場いたします。
(げにやもとよりも)この世は本当に辛い無常な世の中ではあるといいながら、殊に情けないことの多い遊女の身は悲しいことだ。
(分け迷ふ)これからどうなるかその行方が分からないまま涙で袖は濡れるけれども、野上の里を出てゆくのだが、恋しい人に会う「近江」という名を持つ近江の道ではあるが、あの薄情な少将様に分かれて以来ずっと袖が涙と露で乾く暇もない。露のようにそのまま消えることも死ぬこともないこの身が辛いことだ。死ぬことも出来ない身がつらいことである。
花子が野上から去って、前半は終わります。
次第の囃子で、ワキの吉田少将が従者を伴って登場致します。吉田の少将を飯富雅介が、従者を椙元正樹が勤めます。吉田少将は風折烏帽子、着付紅白段三亀甲飛雲厚板、萌黄地長絹、白大口、腰帯、扇の装束で身分の高い貴族と言う設定です。従者は無地熨斗目、素襖上下、扇、小刀で立ちを持ち貴族の召使を表現いたします。
(帰るぞ名残り)いま都に帰ってゆくのが、富士山を見る名残なのだ。都に着いたならば、この高く美しい山を見たことを土産話に語ろう。
(これは吉田の少将)吉田の少将は、春の頃東国に下ったのだが、秋になったので半年振りに都に帰ることを述べます。
【(都をば霞と)都を春霞の立ちはじめたころに出発したのだが、暫く時を過ごしているうちに秋風が身に冷たく感じられる季節となったので、白河の関からまた都の方に立ち返り、山や海辺などを旅しているうちに美濃の国の野上の宿にも着いたのである。野上の宿に着いたのである。】
少将は従者に野上の宿に花子がいるかどうか尋ねさせます。間狂言は花子がいないと答えますので、帰ったら京に連絡するように伝えて都に上ります。
吉田の少将は、都に着いた後、かねてより祈願していることがあるので糺の森の下賀茂神社に参詣しようといいます。
一声の囃子で、後ジテの花子が登場いたします。久田勘鴎が勤めます。前と同じ装束ですが、唐織の右肩を脱いでいます。恋慕の余り狂乱し、自分の服の乱れに気がつかないという設定です。
(春日野の)春日野の雪の間に生えた草がほんの僅か顔を見せる、そのようにほんの僅かの間見たあなたが忘れられないという古い歌があるが、そのようにほんのちょっと逢っただけの頼りにできるはずもない旅の人を思い初めて、月日はどんどん過ぎ、世の中の人の心の移りやすさを感じさせる秋風以外に、所縁の人について教えてくれる便りはない。
(夕暮れの)夕暮れの旗のように靡いている雲を見るにつけても、自分の心は恋故に身体を抜け出して彷徨って、ついには命もなくなってしまいそうだ。このような辛い境遇の私を神や仏も憐れんで私の願いをかなえてください。
(それ足柄)足柄明神、箱根権現、玉津島明神、貴船明神、三輪明神、これらの神様はみな夫婦や恋人同士の仲をお守りになろうという誓いを立てられた神様だから、これらの神様にお願いしたならばどうしてその効果がないということがあるだろうか。謹んでお願い申し上げます。
(恋すてふ)恋をしているという私の評判は既に有名になってしまった 人知れずわが心一つに恋しく思っていたのに
(カケリ) この舞をカケリと呼びます。生き別れている吉田の少将を思い、心が激しく動揺していることを表現いたします。
(あら恨めし)ああ恨めしいお心だ。
【誰やらは、恋をするまいと御手洗川に祈ったというが、そのようなことは本心ではなく偽りの心から出たものであろう。全く人の心が濁っていて、本心からではなく祈っていたのならば神様だとしてもお聞き届けにならないのは当たり前なのだ。それはともかくとして、人知れず悩んでいる
(置きどころなき)身の置き所もないようなこの苦しみをどのようなしたならばよいのだろう。
(心だに)心さえ、真実の道にかなっているのならば、祈らなくともその神様は守ってくださるだろうという和歌のように、きっと神様は守ってくださるだろう。私たちも誠の心、悟りの心を持っているのだが、それに気がつかないで月日を過ごしている。そして私にも衣の玉―成仏につながる心はありながら、やはりどうしてもあの薄情な人と同じ人の世に命ながらえて、この世のうちにお逢いしたいと祈るのである。この世にいるうちにお逢いしたいと祈るのである。】
従者が、狂女に向かい、面白く狂うようにといいます。狂女とは「物に狂った」という設定で歌を謡い舞を舞う芸能者です。花子はこの下賀茂神社で恋慕ゆえにものに狂ったという形で芸能者になっているのでこのように言われるのです。
この部分からは、月と扇、そして夫に去られた独り寝の苦しさを詩文を引用しつつ歎く場面となります。
(うたてやな)ああ情けないことを仰る方だ。あれを御覧なさい今までは動かない樹の枝と思っていても風に誘われれば葉が散って行くのです。
(たまたま心)私の心もいま偶然落ち着いていたのに、わざわざ狂えと仰る方こそ、心がおかしいように思われます。風に誘われる秋の木の葉のように心も恋によって乱れているというのに、ああ悲しい狂えなどと仰ってくださいますな。
(さて例の)さて「班女」という仇名の由来となった扇はあるのか。
(うつつなや)正気とも思えない、私のことをまた「班女」などとお呼びになるのですか。まったくこれも恋しい、そしてつれない人の形見の扇でいつも手に持っていて下にも置かず、これを眺めては涙に暮れているのです。
(班女が閨の内には)班?妤は、秋が来ると夏には手から離されることのなかった扇が捨てられるように女性は飽きられると捨てられてしまうという我が身を詠んだがその寝室には秋の丸い唐扇にも似た月が差し込んでおり、楚王の高い建物の上には夜月をめでる琴の音がするといわれている。
(夏果つる)夏が終わって暑さがうすらぐと、手に持った扇が必要なくなって置かれるのと、白露が草の上に置くのと、どちらが早いのだろうかと、いう歌があるが、私はその扇のように、秋が来るよりも先に夫に捨てられて、いつも辛い独り寝をして寝室に入る月を淋しく眺めるのです。
【この場面からは、だんだん狂おしい気持ちが高まり、感情が抑えきれない狂乱の場面となります。
(月重山に)月が重なっている山に隠れると、丸い扇を上げて月のようだと喩えて月の隠れたことを惜しみ、花が琴の上に散り掛かれば、雪のように白いその花びらを集めて春を惜しむという詩文があるように、
(夕べの嵐)夕方の風の音を聞いても、朝の雲を見ても、物思いの種とならないものはないのです。
(さみしき夜半の)淋しい鐘の音が明け方の山に響いて、後朝の別れを促し、
(せめて閨洩る)せめて月の光だけでも夫が帰った後も残っていてくれればよいものをそれもすぐに隠れてしまい、全くの独り寝となってしまうのです。】
(翠帳紅閨に)翠の帳を垂れた美しい寝室で枕を並べたのもつかの間、男は心変わりして、ともに老い、同じ穴に葬られようという約束も空しいものとなってしまった。それでもこの同じ世に互いに生きていることを頼みにして、いつまでも再会の時を待つのです。
(比翼連理の語らい)そういえば、あの驪山宮で玄宗と楊貴妃が、天に生まれたならば羽のつながった鳥となり、地に生まれたならば枝の繋がった樹となりたいと約束したと伺いますが、そのような秘密のお約束を誰が聞き伝えて今の世まで伝え洩らしたのでしょうか。
(さるにても我が夫の)それにしてもわたしの夫は、秋になる前に必ず帰って来ようと仰ったのに、日は過ぎてゆくけれど、男の心はあてにならず、私に頼みにさせておきながら訪れない夜は重なるが部屋を出て欄干に立って、あちらがあの人がいる方向だと眺めると、夕暮れの秋風や、強い風、山から吹き降ろす風や、野に吹く強い風など風があの松に訪れるばかりで、自分が待つ方からのお便りをいつ聞くことができるのでしょうか、ぜひ聴きたいものです。
(せめてもの)せめて形見の扇を手にとって、その風を恋しい夫からの便りと思っても、夏が過ぎて秋風が杉の窓から冷ややかに吹いてくると、扇が秋に捨てられるように冷たい夫に捨てられた心地がし、中国の扇は団雪、すなわち丸い雪という名前があるが、名前を聞くだけでも冷たい感じがして、ただ秋風を恨むばかりなのです。
(よしや思へば)考えてみるとこれも全く世間のならいでお目にかかったことが別れのはじまりであるということなのでしょう。私がこのような辛い目に会うのも、前に生まれた世の中からの約束事ですから今更世間をも恋しいあの人をも恨みますまい。ただ愛されることのない身の不運を思い続けて、あの趙飛燕によって成帝の寵愛を奪われた班?妤のように淋しい寝室ですごしているのです。
(絵にかける) この部分より、中之舞となります。夫を恋しく思い、かつ自らの淋しい思いによって狂っていることを表現致します。
(月を隠して)懐に隠して持っているこの月を描いた扇
(取る袖も)扇も着物も同じ三重重ねだけれど、
(その色衣の)あの嬉しい夫の約束
(必ず夕暮れの)きっと来ると仰った季節は過ぎて
(秋風は吹けども)秋風が吹くようになったが
(そよとの)夫からは全くたよりがなくて
(鹿の音虫の音)鹿の音や虫の音が秋の深まりとともにさびれてゆくように離れ離れになってしまった。ああ情けない
(シテ 形見の扇より)形見の扇にも裏表がある
(地謡 形見の扇より)形見の扇にも裏表があるが、それよりもなお裏表のあるものは人の心であったのだ。扇は恋しい人に「逢う 義」という音であるから、「逢う」ことに縁があるようだがそれは全く偽りなのだ。扇を見ると、あの人に逢わないままに恋心が増してゆく。恋心が身に添って私を苦しめるのだ
(いかに誰かある)吉田の少将は狂女の持っている扇を見て、自分が花子に渡した扇であったことに気がつきます。そこで従者を通じて狂女にその扇を見せて欲しいと言います。狂女は形見をみるとその人が近くにいるように思うので、少しの間でも手か放す事はできず、人に見せることはできないと断ります。
(こなたにも)こちらにも忘れることの出来ない形見のものがあるのだが、何も言わなくてはそれであるかどうかわからないのだ。この扇を見てこそ、それであるかがわかるのだ。
(見てはさて)いったい何のために御覧になるのです。私の扇は夕暮れの月が出た所を画いた扇なのですが、このようにお尋ねになるのは何のためなのでしょうか。
(何ともよしや)何のためと言うことはない。あの野上の宿でこの秋は必ず上ると約束したことをあなたは忘れてしまったのだろうか。
(野上とは)野上と仰るのは、もしあなたは東国に行かれたまま、秋までにお帰りになるというお約束を反故にされてお帰りにならなかった方なのですか。
(末の松山)約束を反故にしたなどと恨む必要はないだろう約束したとおり
(形見の扇そなたにも)あなたも私が差し上げた扇を
(身に添え持ちし)いつも身につけて持っていたのだから
と輿のなかから形見の扇を取り出して、おりからの夕暮れの光で見ると、夕顔の花を画いた扇である。
この上は従者の方に明かりを取らせてこの扇を御覧くださいませと、互いに見比べて、それが形見の扇であることが知られた。扇を仲立ちとした縁こそが深い夫婦の情けと言うものであったろう。深い夫婦の情けというものであったろう。
花子は扇を縁として吉田の少将と再会を果たし、本曲は終曲を迎えます。
〔次に上演される狂言の「花子」は、《班女》の後日譚として、この吉田の少将に本妻がいたらどうなるかという発想からこの曲をパロディ化した作品です。しかもその本妻は夫が大好きで片時も夫の側を離れたくないという性格であったならば、夫はどうするのか。夫の浮気という題材を、狂言は、恋の小唄を用いて上品に表現いたします。井上靖浩の披き、初演にご期待下さい。〕
本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が勤めさせていただきました。御清聴ありがとうございました。
「頼政」と「通円」とか「葵上」と「梟山伏」とか、いくつかこのような取り合わせありますので、今後もこのような企画ぜひ鳳の会で企画していただきたいなあと思いました。スタッフの方は能がはいると大変だとは思いますが。。明日は留学生を引率して御園座に歌舞伎を観に行きます。夜の部の鳴神、達陀、義経千本桜 川連法眼館の場楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年10月13日 今日は栄の中電ホールで行われた朝日邦楽会の前座で、筧鉱一先生のこども能楽教室の子供達が「春霞」と短い小謡を謡わせて頂きました。筧先生、前野郁子先生、加藤洋耀先生、織田哲也先生など多くの先生方のご指導とお世話の方々のおかげで、十八人の子供達で、囃子まで全て子供達で春霞を演奏することが出来ました。比呂人と友恵も、家内が行けなかったのでボランティアの方に着付していただいて出たのですが、やっぱり自分の子供がちゃんと謡っていると感激します。大きくなったなあと。。先生方、お世話いただいた方に本当に感謝でした。午後は名古屋市博物館の三十周年記念展「大賑わい城下町名古屋」に行きました。二時から学芸員の山本祐子さんの高力種信の「泉岳寺開帳日記」に関する講演があり、子供二人を連れて聴講しました。。ただ、さすがに小学校二年生と幼稚園年長組では(おとなしく聞いていましたが)内容はわからなかったらしく、博物館の庭で遊びたいというので、途中で失礼して展示を観て、二階の常設展の特別展示「名古屋狂言共同社展」を見て帰宅しました。小さい頃、よく両親に連れられて美術館や博物館に行きました。それがいまの自分の関心の基礎になっていると思います。子供達も「本物」を見てなにか感じてくれれば良いなあと思います。明日は「鳳の会」の「班女」でイヤホンガイドを勤めさせていただきます。楽しみです。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年10月12日 今日は友恵の通っている幼稚園の遠足の日です。近くのデンパークにいって、お弁当を食べるのですが、2日前から「金曜日はえんそくーーー。」と楽しみにしていて、「あのねえ、お外でみんなでぱっくんぱっくんとお弁当を食べるのよ。」と。。「楽しみで眠れなーい」とかいって、家内の布団を侵略しておりました。誕生日の来た六歳の子は大型の観光バスで、誕生日のまだの子はマイクロバスなのだそうですが、友恵は八月が誕生日なので「友恵はねえ、大型のバスに乗るのよ。。」と朝から大はしゃぎでした。こういうことを楽しみに思うことが出来る気持ちをずっと持っていてほしいなあと思いました。私は午前中は名古屋市生涯学習推進センターでの大学連携講座で「能・狂言鑑賞入門」の講義をしました。11月4日に名古屋金春会で本田光洋先生が「俊寛」を舞われますので、「俊寛」を扱ったのですが、受講生の方が金春会のチケット8枚も買ってくださって感謝でした。明後日は「鳳の会」です。こちらのパンフも配布したのですが、3枚購入いただけました。自分が「班女」のイヤホンガイド勤めますので、、がんばって行いたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月11日 放送文化基金の申込書、なんとか提出しました。あと「民俗と風俗」という日本風俗史学会中部支部の雑誌に留学生向けの日本文化教材に関する論文を投稿しました。独りでできるはずもなく、ペトルシャック先生にすごく御世話になったのですが。。採択されるといいなあと思っています。「名古屋芸能文化」の論文も書かなければなりません。。とっても忙しいです。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月10日 今日は放送文化基金の書類の追い込みです。18年度採択していただいて、四方さん所蔵のCBCラジオの昭和30年代の「中部民謡めぐり」の番組のオープンリールテープのデジタル化など、いろいろなことが出来たのですが、おかげさまで、オープンリールテープもSPレコードも予想以上に収集することが出来ました。これらをデジタル化する作業のために、次年度もぜひ欲しいものですから。がんばって書きたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月8日 昨日は庭木の枝を打った後、おじいちゃんが比呂人と友恵を連れて四匹のアメリカザリガニを逃がしに行ってくれました。一昨日おじいちゃんに連れて行ってもらってひろととともえが採って来たのですが、狭いケージだと喧嘩するし水は汚れるし、これから冬眠だしということで。。友恵は四匹に「まっかちゃん、オレンジちゃん、あかねちゃんあかみちゃん」と名をつけていたのですが。。「あかみちゃん」ってなにから取ったの、、と聞いたら、「ほら、ごはんのときののマグロの赤身のいろーー。」というのですが、でも「あかみちゃんはたべないのよ。。」とのことでした。。家で原稿書いていると、友恵が「ぴーぃよー、ぴぃよー、」といいながら膝立ちでやってきたので、どうしたのときくと「ひよこのパトカーなのよ」と言って。。「何かあったの」と聞くと「パトロール中なのよ」といって「ぴぃよー、ぴぃよー」と言って行ってしまいましたが、、なかなか面白かったです。。昨日一日で「班女」のイヤホンガイドの下原稿はなんとか仕上げました。椙山国文学の原稿と放送文化基金の助成金原稿をなんとかめどつけたいです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年10月7日 昨日は名古屋観世九皐会でした。観世喜正先生の敦盛、とってもかっこよかったです。飯富先生の蓮生法師、高安流だと名乗りの中に「法然上人の御弟子となり」とあるのにびっくりしました。直実が出家して法然の弟子となったことは『法然上人絵伝』にも出ますが、高安流の本文にもあるのだと。。恋重荷のイヤホンガイドさせて頂きましたので、本文を下に揚げさせて頂きます。
恋重荷イヤホンガイド原稿
笛、小鼓、大鼓の囃子方が楽器の調子を整える、お調べが聞こえて参りました。まもなく開演となります。最初に曲のあらすじを簡単に述べておきたいと思います。
白河院の御世、宮中の御苑の菊の世話の係をしている山科庄司は、ある時ふと女御の姿を見奉り、身分のかけはなれた恋に悩みます。女御はこの恋を諦めさせようと、重い石の外側を美しい錦で包んだ「恋の重荷」を作り、これを持って庭を百度も千度も回ったならば、姿を拝ませようと臣下から伝えさせます。この重荷は見た目は軽いのですが、実際には非常に重いため、庄司は持ち上げることが出来ず、怨みを呑んで池に身を投げて死んでしまいます。女御は老人の亡骸を見て後悔し、弔います。そこに庄司の怨霊が現れ、女御を深く恨みますが、やがて女御を許し、千代の栄を守ろうと述べて姿を消します。
古今和歌集の「巻第十九 雑体」の「誹諧歌」の1058番の「題しらず よみ人しらず 」に「人恋ふる事をおも荷と担ひもてあふこなきこそわびしかりけれ 」という和歌があります。「人を恋しく思う、その思いを重荷のように背負っているのだが、背中に担ぐための担い棒がないように」「逢う期」逢う事が出来るときがないことは悲しいことだ」と約すことが出来ます。「担い棒」と「二人が逢う事が出来るとき」をともに「逢う期」と呼ぶことから連想した軽い遊びの歌です。それゆえに「恋歌」ではなく、「俳諧歌」に入れられているのですが、世阿弥はこの和歌から、実際に叶わない「恋」による重たい思いを「重荷」という目に見えるものに造型してこの曲を作っています。和歌の世界において、老人の若い女性への恋を題材とした歌を「老恋」、身分の低い男の高貴な女性への恋を「賤恋」という分類で読みます。どちらも叶い難く、苦しい恋として詠まれるのですが、この曲は「老恋」でありかつ「賤恋」であるという、もっとも叶い難い設定で物語を作って行きます。
幕を片方のみあけて、囃子方が登場いたします。笛、藤田六郎兵衛 小鼓、後藤孝一郎 大鼓、河村総一郎 太鼓、加藤洋輝の各師となります。
後見が、「重荷」の作り物を正面先に置きます。実際に持ち上げることが難しい「重たい荷物」と、叶わない恋による憂鬱な心、重たい心を象徴致します。
ツレの女御が登場します。中所宜夫が勤めます。面は小面、天冠、立物は日月、鬘、鬘帯、摺箔、赤萌黄段糸巻枝垂桜文様の唐織を壺折に着、七宝文様の緋大口、腰帯、夕顔文様の鬘扇の装束で、若く高貴な女性であることを表現いたします。脇座で床机にかかります。最初に登場いたしますが、後場になり脇の臣下が庄司が亡くなった事を告げるまでは姿が見えないという約束です。
名乗笛にて、脇の臣下が、従者を従えて登場致します。脇は高安勝久が勤めます。風折烏帽子、厚板、濃いはな色の単狩衣、白大口、腰帯、扇の装束で、朝廷に仕える臣下であることを表現いたします。従者は狂言方の役で井上菊次郎が勤めます。装束は、段熨斗目・肩衣・半袴・扇・小刀で、太刀を持ち、召使を表現いたします。
脇は、白河の院の臣下であることを述べ、帝が菊を好まれるので毎年多くの菊を育てていることを述べます。そして、山科の庄司という身分の低いものに、菊の下葉を取らせ、世話をさせているので、今年も命じようと言います。ところが、この男が、女御の姿を拝み参らせてもったいなくも恋心を起こしたという話だから、ことの実否を尋ねようといいます。
シテの老人が登場いたします。高橋瞭一が勤めます。面は阿瘤尉、小格子厚板、茶の水衣で庭を掃除する身分の低い老人を表現いたします。
脇は、山科の庄司になぜ庭の掃除をしないのかを尋ね、続いて恋をするというのは本当か尋ねます。
そして、女御がこの荷を持って庭を百回も千回も回るならばその間に姿を拝ませようとおっしゃったと伝えます。
老人は、その荷を見せて欲しいと言います。脇は「恋の重荷」を見せます。美しい荷物です。
老人は、なるほど名前は重荷といいましても、恋しい君に逢うための力業、何の辛いことがありましょう、恋の持ち夫となりましょうと言い、その重荷を持とうと試みます。
地謡とシテの老人との掛合いの謡となります。シテは恋に悩み、この重荷を持ち上げようとする老人の立場、地謡はそれを見る臣下など傍観者の立場となります。
(誰踏みそめて)一体恋の道というのは、誰が最初に踏み迷って、このように大勢の人が踏み迷うようになったのだろうか。
(それ及び)全く、高い山のような高貴な方に思いをかけ、その思いは、深い海のように深いのである。
(いづれもって)全く何にしても恋という者は簡単なものではない。まったく自分の心ではあるが軽率で、身分が低い者が、このはかない世の中に長らえて、意味のない物思いをすることだ。
(思ひや少し)恋の思いが少し慰められるだろうかと、恨みがましい愚痴を言っている間に夕顔の花の咲く夕暮れ時も過ぎてしまった。これで恋の重荷を持つことができるのだろうか。
(重くとも)重くとも、恋しい人を思う思いは捨てません。中国では、母を殺した虎だと思って放った矢が、虎への恨みの深さによって石に突き立ったと言います。思いの力で、いかにも軽々と持ちましょう。
(持つや荷先の)そうだ毎年十二月に天皇の陵墓に幣帛を奉る、その幣帛を運ぶ使いのように、君のためと思って、たとえ重くとも気をつけてもったほうがよいぞ。
(よしとても)よし仮にこれで死んでしまったとしても、死んでしまったとしても、自分は身分の低いつまらないものなのだ。恋の奴隷となり果てて、死んでしまったとしても、辛いとは思いますまい。
(亡き世になすも)死んでしまうというのは無茶苦茶な理屈だ。命は大切なものだ。身体に気をつけなさい。なんとも腹が立つ事だ、叶うはずもない、意味のない恋をして、粗末な筵に恋しい人を思いながら寝るのだが、寝てみても寝付くことは出来ず、苦しい思いをしながら、一人で悩むばかりなのだ。自分の手を枕にする、その肩を持ち換えるように肩を換えて持ってみるが持ち上がらない、いったい恋というものは何が重くて、このように辛く重い気分になるのだろうか。
(あはれてふ)「可愛そうに」もしくは「かわいい」という優しい言葉を相手からかけてもらえればそれを恋による乱れた心を束ねる紐としようという古い歌があるが、その望みもなくなってしまった。
(よしや恋死なん)いっそのこと、恋死にしてしまおう。この報いがあの恋しい方に及んだならばそれこそあの方が人の心を乱したように、あの方の心を乱して思い知らせ申し上げよう。
老人が幕に入ることで、恋によって乱れた心のまま亡くなった事を表現いたします。
狂言方が出て、山科の庄司が亡くなった事をのべ、臣下に知らせようといいます。
臣下は、恋というものは身分の上下を問わず起こること、女御が老人の恋の思いを止めるために、重荷を作ったことを述べます。臣下は老人を可愛そうに思い、このことを女御に伝えます。
臣下は、女御にこの老人の亡くなったことを告げます。そしてこのようなものの執念は恐ろしく、また外聞もないので、老人の姿を一目見るように勧めます。
(恋よ恋)恋というものは軽はずみな中途半端な思いでしてはならない。恋によって人が死なないことがあろうか。現実に亡くなることもあるのだ。可愛そうな者の心であることだよ。
(これは余りに)臣下は女御の老人への同情をもったいないものと思い、老人のそばを立つようにすすめます。
(いや立たんと)すると女御は、大きな石に押さえられて立てないといいます。相手を辛い目に合わせれば、報復されるというのは常のことであります。
出端の囃子で、後ジテの山科の庄司の霊が登場いたします。高橋瞭一が勤めます。面は鼻瘤悪尉、白頭、御納戸地檜垣丁子丸厚板、茶地金花菱模様法被、紺地檜垣唐花半切、萌黄地山路腰帯の装束で手に鹿背杖を持っております。怨みによって成仏することの出来ない老人の霊ですが、鹿背杖を持っていることによって、人間にはない不思議な力を持っていることを表現いたします。
(吉野川)古い和歌に、吉野川の岩の間を縫って行く水のように、音に立て、口に出して言うことはするまい。仮に恋によって衰えて死ぬことがあったとしても。という歌があるが、自分も思いを内にこめたまま遂に恋い死にをしたのだ。相手を恋しく思う一念によって計り知れない怨みを持つ鬼となってしまったのも、ただあてにならない誠のないお言葉を真実と思ったためであった。
全く意味のない、我ながら道理の通らない心であった。
(浮き寝のみ)夫婦の仲も、三回生まれ変わっても夫婦として添い遂げられる見込みがあるならば、石の上に三年座るような苦行も耐え忍ぶことができるだろうが、自分はとても思いを遂げて逢う事が出来るはずもない恋であるのに、そのために巌のような重い荷物を持つことなどできるだろうか、いやだれもできるはずはないのだ。ああ恨めしいことだ。
立廻 老人の女御を恨めしくなおかつ恋しく思う複雑な感情が表現されます。
奈良の畝傍山の番人は力業をすることが仕事であるけれど、このような重荷を持つことができるだろうか。持てるはずがないだろう。
(重荷といふも)というのは、「重荷」というのも、人を恋しく思う、であるのにその人から顧みられることのない辛い「思い」こそが、この「重荷」の正体であるからなのだ。
(浅間の煙)むせぼったい思いは浅間山の火山の煙のように私の胸の中に燃え上がっていて、あきれ果てたような惨めな有様で、いまは恋ゆえに人に恨みを持ったものが堕ちる衆合地獄で重い苦しみを受けているのだ。あなたも人をそのようなひどい苦しみに合わせたのだから、この重荷を負って、すなわち辛い物思いをして、懲りなさるがよい。
「重荷」の正体は、相手を恋しく思う切ない「思い」です。その「思い」が晴れたならば、相手を許そうという思いが出ます。
(思ひの煙立ち分かれ)私は切ない思いに胸が燃えて、前後の分別もなく恋路の闇に迷っていますけれども、私を弔ってくださるならば、この恨みも、霜や雪や霰のように解け、極楽に行くことができるでしょう。それではお暇致します。そして、葉守の神となって、あなたさまの千代までの影をお守り致しましょう。
「恋の重荷」とは、恋しい相手に思われない「辛さ」であり、和歌的世界ではそのむせぼったい「思い」が「重い」と表現されます。弔いによって成仏し、仏となれば、仏は変身出来ますから、葉守の紙となることも自然です。山科の庄司の冥福が約束され、本曲は終曲を迎えます。本日のイヤホンガイドは、椙山女学園大学の飯塚が勤めさせて頂きました。御清聴ありがとうございました。
高橋先生の老人、優しい感じで、切ない恋心がでていて佳かったです。来週、鳳の会で班女のイヤホンガイドを依頼されました。昨日依頼されましたので、東海能楽研究会のグループの方に連絡して、私がさせて頂くことに致しました。がんばって原稿書きます。今日は午前中は熱田教会に行きました。午後はほんとーーに締め切りまで間がない原稿を書いています。父が来て、庭木に虫がついたので、枝打ちをしてくれています。感謝です。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年10月6日 今日は友恵の幼稚園の運動会、そして観世九皐会です。九皐会で恋重荷イヤホンガイドをさせて頂くこともあり、友恵の運動会はおじいちゃん、おばあちゃんと家内、比呂人に頼んで私は九皐会に伺います。友恵ちゃんがママと一緒の帽子とりで健闘できますように。。そして最後の幼稚園の運動会に佳い思い出が残せますように。。九皐会は敦盛に観世喜正先生によるワークショップが付きます。これは東京の「のうのう能」の時にはいつもなさっていて、分かりやすくてとても面白いものなのですが、これを催しの中でなさるのは名古屋では初めてだと思います。楽しみです。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年10月3日 今日は三時間目の基幹演習で、アイムービーの使い方を教えました。これまで映像制作はしてこなかった学生がほとんどなので。。10月後半には杵屋三太郎先生の長唄指導と撮影、11月には西川古都先生の西川流の舞踊の指導と撮影がありますから、スタジオを使った撮影や編集の方法に慣れて貰わないとと思います。講義の後半、栃窪先生と栃窪ゼミの学生さんが撮影の方法教えてくださったのは本当にありがたかったです。栃窪先生とゼミ生さんに感謝でした。いま放送文化基金の申請書を書いています。急がなくてはと思います。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月2日 今日は午後から会議が三つ。。うーーーん。と思いながら、、午前中は講義も会議もないので、昭和初期の「謡曲界」を調べています。観世と梅若の問題など、、結局は梅若のように明治維新から少数の三井や大華族の後援者を持っていたグループと、多数の小額の後援者によって劇団を維持しようとするグループとの争いなのですが。。時代層がでていてとても面白いです。科学研究費の公開促進費に応募するためには20日までには原稿をあげなければなりません。夏ばてで疲れ気味で果たして出来るのか相当不安ですが。。今週・来週が勝負です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年10月1日 今年もあと三ヶ月です。慌しいなあと思います。9月26日の天王薪能、10月16日から31日まで西尾張地区のケーブルテレビ局のクローバーテレビで二時間番組として放映されます。野村萬斎の蝸牛と本田光洋の八島。。私は津島市で拝見しましたが、どちらもとても面白かったです。月曜日・火曜日の14時から16時と、土日の20時から22時で、週に4回放映されます。当初の予定ではありませんでしたが、天王薪能鑑友会さんからの要請で、椙山女学園大学の教材用として鈴木さんが撮影して下さった映像を素材提供致しました。クレジットには「素材提供 椙山女学園大学文化情報学部」と入ります。私の地域は安城なので観ることできないのですが、大学にDVD頂ける予定なので、楽しみにしております。西尾張で能が盛んになって、天王薪能のファンが増えるとよいなあと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月30日 今日は生まれて初めて教会学校の先生をしました。私自身、熱田教会の教会学校で幼稚科から中高科までを過ごしたのですから、生徒として受けていたわけですが、まさかそこで「先生」をするとは思いませんでした。母親はずっと幼稚科の先生をしていたのですが、それは「親」の仕事であって、自分がすることになるとは思わなかったのです。ただ、パパになり、そういう年齢になったのですね。両親もこういう気持ちだったのかなと思いながら、、士師記の話をしました。普通は原稿読んだりしませんが、初めてなので教育実習のつもりで原稿持参してその通りに話しましたが、、すごーく緊張しました。どうであったかは聴いていた生徒さんの評価によることはどのような授業でも同じです。家で聖書を開く時間はなかなか取れません。論文を書くために大蔵経を引く時間はかなりあるのですが。。ただ、携帯で新共同訳の聖書を読むことが出来るebibleはすごく便利です。電車の中で携帯をカチカチしながらメモをとって教案を作るという状態でしたが。。最近はmixiのブログもほとんど電車の中で携帯で更新します。若い人が使っているものって便利なものが多いなあと思いますが、携帯のメールやブログは確かに便利です。教会学校が終わって、東海能楽研究会に行きました。会場の近くで、名古屋市博物館の「大にぎわい城下町なごや」という展示のポスターが目につきました。六十年に一度の「お鍬まつり」の年が今年にあたっているのでそのイベントと、花魁道中と。。大須商店街や瑞穂商店街との共同企画ということで、伊勢大神楽などもあるというので、会場からはすぐ近くですから研究会の前に伺いました。博物館も大にぎわいで。。展示では、高力種信の絵から再現した祭礼のための籠細工などがとくに面白かったです。常設展では狂言共同社の雲形本などが展示されていて、とても充実した展示でした。行ってよかったなあと思いました。研究会前で大急ぎで回ってしまったので、出来れば会期中に、子供を連れてもう一度行きたいと思います。東海能楽研究会、今日は和泉流狂言大会と日程が重なってしまったためちょっと人数が少なかったですが、発表は充実していました。とても楽しかったですが、家に帰って、さて論文が。。。がんばって書こうと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月29日 今日は明日の教会学校のお話の原稿作成と、論文の執筆です。家族は和泉流狂言大会にでかけています。静かな間に頑張って原稿かかなければならないのですが、、なかなか進みません。ふーっ。でも頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月28日 今日は講義の無い金曜日です。後期も後半は人間論がありますので、講義があるのですが。スタジオで鈴木さんが26日の天王薪能の映像を編集されていますが。。萬斎師はさすがに達者で、観客が能狂言を見慣れていない人だなとわかると、本当にアクロバティックな演技もされるのですが。。すごい運動神経だなあと思いますし、「役者」としてすごいなあと思います。本田光洋先生はなんと言っても謡が上手です。。雰囲気があって、、とくに前シテの老人がよかったです。ツレの鬼頭尚久さんも、すっきりしていて良かったです。義経に従って戦死した若者の亡霊という設定でしょうが。。11月4日の金春会には鬼頭さんは「巴」を舞われますが、名古屋の金春流の次代を担う人なので、本当に頑張って欲しいです。26日夜、市民会館から帰ろうと思って裏口から出たら、、金春流宗家の金春安明先生がいらっしゃって、、「津島駅まで送ってもらえるから乗っていらっしゃい。」と誘っていただいたので、本田芳樹先生・布由樹先生と一緒に送っていただきました。安明先生は新幹線でお帰りなので、名古屋駅までご一緒して、明治から戦前の金春流の資料などについて色々教えて頂きました。本当に能がお好きなのだなあと。。我々研究者にも親切に教えてくださって感謝でした。昨日は一日講義でした。今日は少し論文の執筆と助成金の書類を書こうと思います。帰宅したら次の日曜日の熱田教会の教会学校の中高科で、士師記についてお話しなければならないので、教案作らないとと思います。これまで全部両親がやってくれたので、私ははじめてなのですが。。季節の変わり目だからかトシだからか、中年だからか、ちょっと疲れ気味です。今日か明日かは子供たち誘って銭湯に行こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月26日 今朝の中日新聞に筑波大学の同級生で芥川賞作家の松村栄子さんが能を観始めるきっかけを書かれています。。京都の廣田鑑賞会の廣田幸稔先生の「山姥」ですが、あの山姥のチケットは、、実は私が入試監督で伺えなかったので松村さんとご主人に送ったチケットです。。中日新聞を読みながら、私も意外なところで能楽の振興と普及に役に立てたなあと感謝致しました。松村栄子さんは「月扇堂手帖」と言うブログをなさっていて、能の普及にもとても貢献されています。しかし、「月扇堂手帖」拝見すると、御覧になっている能・狂言の質と量に圧倒されます。私も15歳の頃からの趣味で、ここ31年間数で言えば相当観ていると思います。でも、、拝見しているのはほとんど筑波大学時代は東京で、椙山に奉職してからは名古屋で、ほとんど「土地」からでません。松村さんは全国に行かれているので。。このペースだと生涯観る能の数抜かれるかなあと。。抜かれないように健康に気をつけて、長生きして頑張ります。あと、能に普段行かない人も、チケットがあれば出来るだけ人を誘おうと。。こういうすごい波及効果を生むことがあるのだからと。。学生さんへの普及はもちろん一番力を入れるべき所です。。今日は津島の市民会館の「天王薪能」に伺います。本田光洋先生の八島と野村萬斎の蝸牛。。私は高校時代から本田先生のファンなので、とても楽しみです。椙山で撮影許可いただいて、カメラマンの鈴木幸夫さんも一緒に伺います。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月25日 家内の協力のおかげでなんとか論文完成しました。新聞記事や先行の論文の引用が多いので、家内に見直してもらったのですが。。感謝です。今日は大学に来る途中に、対向車に気をとられて左によったら、白っぽい服を着た日傘をさした女の人が二人いて。。当たらなかったですが、怖かったです。向こうも怖かったと思います。通り過ぎてパックミラーみたらにらまれてしまっていました。。家の壁のプロックが白っぽかったので、光の加減で人が立っていることに気がつくのが遅かったのですが。。車の運転には注意しなければと思います。安城までだと朝は一時間半以上はかかるので。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月24日 今日は昨日オープンキャンバスで出勤した疲れが残っているのと、書かなくてはならんい論文や助成金の書類が山ほどあるのとで、家で勉強しようと思います。家族は千葉から夕方戻ってくる予定です。家の換気と、植木の水遣りと、金魚とクワガタの餌やりと、月曜日は生ごみの日なので家中のごみ集めて出すことと、あと洗濯と。。クワガタは今日も姿見せず、、死んでしまったのかなあと。。うーーん。。朝6時に起きてこれだけ仕事したら疲れてまた寝てしまって起きたら八時半でした。これからはがんばろうと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月23日 今日は椙山の第三回のオープンキャンバスでした。係りでしたので出勤しました。秋分の日ですから少しは涼しいのかなあと思いましたが、本当に「少しは。。」で、、実際は暑かったです。午前中からたくさんの生徒さんがいらしてくださって感謝でした。午後は社会学の上嶋先生の模擬授業にもぐったのですが。。「上嶋先生はこういうことを教えていらっしゃったのか。」と。。会社の「組織」に関するお話で、権限と責任、情報の関係についてだったのですが。。とても面白かったです。普段同僚であってもお互いの講義を聴くことはありませんから、オープンキャンバスというのはそういう楽しみがあります。オープンキャンバスのあと、作曲家の渡辺康さんと奥様と三人で回転寿司に行くはずが、、連休で目当ての店がものすごく混んでいたものですから、、隣のラーメン屋で食べました。餃子が美味しかったからよかったとしたいです。帰宅してクワガタの世話をしましたが、、クワガタが出てきません。。三匹いるはずなのですが。。もし死んでいたら比呂君がっかりするだろうなあとちょっと心配です。いま家内と千葉の実家に行っていて、明日帰ってくるのですが。。潜っているだけで元気でありますよーーに。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月22日 明日が秋分の日というのにものすごく暑いです。今日は午前中は論文執筆、午後から筧先生の子供能楽教室に子供達がでかけていたので途中から合流しました。筧先生から伊勢の喜多流の和谷衡市先生が二井栄太郎先生を芸養子にされて、明日伊勢の内宮で披露があるというお話を伺いました。和谷先生は、伊勢申楽の「和谷座」の流れを汲み、「神楽(しんがく)」を伝えて来た家です。栄太郎さんが和谷家二十五代になられるそうですが、後を継ぐ人が出来て本当に良かったなあと思います。衡市先生の奥様の御実家の二井栄逸先生の孫が栄太郎先生なのですが。。明日から和谷栄太郎の名で舞台を勤められるそうです。明日は椙山のオープンキャンバスです。係りですので出勤します。たくさん生徒さんいらっしゃるといいなあと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月19日 今日は鶴舞図書館に調査に行く予定でしたが、いよいよ論文がやばいので、家で執筆しています。夏休みに研究室の引越しがあったとは言え、夏休みに一本も書けなかったとなると、科学研究費の出版助成の提出が黄信号になってしまいますので、気合いれないと。。連休明けまでにとりあえず一本、あと十一月末までに二本書けるか。。資料は多少あるのですが、あとは体力と時間です。夏休み最後の日にあせるのは小学校のころの自由研究と工作と一緒です。。進歩ないです。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月19日 いま後ろにひろくんが座っていて、パソコンが打てません。。小学校二年生になっていたずら好きなので。。ふーーーっ。。健康診断、、結果がこわいです。。とくに中性脂肪。。あーあ。。
2007年9月18日 昨日名古屋踊りにでかけ、とても楽しい気分で帰って、家内と子供たちと一緒に近くの銭湯にでかけ、、まではとてもよかったのですが、、そこにあった体重計に乗ったら未知の数字が。。うそだろうと思いましたが、ベストウェイトよりも4キロ上、この一年で4キロ太ってしまったのですね。。明日健康診断ですが、ただでさえ高い中性脂肪がどうでるか。。夕食が遅くなるとどうしてもお菓子を食べてしまう、あといらいらすると甘い物を食べてしまう、そのツケがすべて脂肪になって返ってくるわけで、、自業自得なのですが。。最近特に謡曲の稽古やお茶会の時に正座がきついのは、太ももが太くなってしまったこともあります。あーあ。。ちょっとお菓子の量を減らそうと思います。一気に減らすとストレスで大変なので。。今日は少し論文書きます。あとはレコードのデジタル化と。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月17日 今日は名古屋踊りの昼の部に行きました。名古屋踊りの千秋楽で、西川古都先生が旅奴を踊られるので、それを楽しみにでかけたのですが、どの演目も面白かったです。西川流のような大所帯では、どの先生も長い演目は無理ですから、短いものになるのですが、小品でもどのも演目も見所があって。。家元の玉兎、、西川右近ってユーモラスなものを踊ると本当に面白いのですね。顔が愛嬌あるように見えて、かちかち山の狸と兎の踊り分けなどどても面白かったです。西川千雅先生の春興鏡獅子、これは大曲でした。小姓弥生と後半の獅子の精、前半の小姓が品があってとくに佳かったなあと。。感心したのは子供の胡蝶の精で、、これは二人とも本当に上手でした。大人の声に混じって、小学生くらいの男の子の声で大向こうから「あやかっ」「はなかっ」て声が胡蝶に飛んでいました。二人の子供の踊りも素晴らしかったですが、小さな大向こうの声の呼吸もぴったりで、きっと舞踊を習っている男の子でしょうが、こういう子供達がいれば、西川流の将来も頼もしいと思いました。古都先生の「旅奴」、十分ほどの小品ですが、芸達者がやると映えるのですよね。とても奴さんが楽しそうでよかったです。「はしりがねの女」、新作の再演なので、そんなに期待していなかったのですが、面白かったです。西川まさ子って女優としてもすごく上手なのだなあと思いました。恋人に死なれてしまった老遊女の、とくに後ろ向いて座っているときの孤独の表現がぐっときました。初演の時の市原悦子の1983年の録音をナレーションで使ったのですが、私には昭和が感じられてとても懐かしかったです。私が大学卒業した年ですが。。日本舞踊はやっぱり新作と古典と両方あって佳いのだなあと思いました。あと、伝統芸能が基礎にある役者と言うのは、それ以外の「新作」の芝居やっても、抜群に上手なんだと。。来年は友恵も小学校に上がるので、一家で観に行きたいなあと思いました。今日はこれから子供達連れて銭湯に行きます。とても暑かったので。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月16日 今日は午前中家族は熱田教会に、私は教会学校のみ参加して大学で仕事しました。午後から家内と子供達に来てもらって、研究室の整理をしました。ようやくパソコンと電話と冷蔵庫がつながり感謝でした。渡辺さんに昨日の西村先生の録音のWAVファイル作って頂きましたので、今週中には「お稽古場」より配信したいです。明日は名古屋踊りに伺います。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月15日 今日は椙山に西村高夫先生と渡辺康先生にいらしていただいて、頼政と橋弁慶全曲の録音をして頂きました。近日「お稽古場(観世流)」のページから配信致します。今日の録音もとても迫力ありました。そのあと西村先生を栄のお稽古場にお送りし、うちの子供達にもちょっと教えて頂きました。その後、栄で西村先生と一家で食事して帰宅しました。とても楽しかったです。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年9月14日 昨日は、椙山に杵屋三太郎先生にいらしていただいて、後期の基幹演習についてご相談致しました。基幹演習では、郷土の古典芸能に関して、初歩的なビデオ教材を作ることを毎年行なっていまして、昨年は西川古都先生に日本舞踊をお願いいたしました。古都先生には本年もお願いしますが、前期学生アンケートで三味線・長唄の希望がかなりあったので、杵屋三太郎先生に三味線指導をお願いすることにしました。十月の後半ですが、とても楽しみです。学生が三味線と、そして日本舞踊を好きになってくれたら、そして名古屋の文化に興味をもってくれたらよいなあと思います。今日は御器所の米近ビルで行なわれた「一心茶会」に伺いました。裏千家の神谷昇司先生の娘さんが一昨年私の講義をとっていらっしゃって、招待券いただいたのですが。。なにせお茶会に伺うことなどほとんどないので、(北島君の熱田の茶会の時には横に筧鉱一先生がいらしてくださったので、安心でしたが。。)一人でどうしようと思いましたが、掛け軸にも焼き物にもとても興味がありましたので、勇気出して伺いました。受付で、こういうところははじめてなので、と申し上げました。一緒の席にお茶の先生がいらして、その方が隣りにいらっしゃいとおっしゃってくださったので、親切に教えていただき感謝でした。寄付の掛け物が「石山秋月」で源氏物語を紫式部が書いているところの絵でした。お茶もお菓子もとても美味しかったです。栗のお菓子で菊の模様でしたが、、お菓子の器には薄が描かれ、茶碗も萩の文様がありましたが、ひととき秋を感じました。でてくると今日はものすごい暑さだったのですが、茶席の中は秋で、綺麗で風雅だなあと。。お茶もお菓子もとてもおいしかったです。たのしかったなあと。。中年はストレスがないかというと、ストレスが固まって中年となっているのですが、中年になるまでには、自分がどのようにすると楽しめるのか知っておく必要があると思います。私の場合は綺麗なものを観ること、そして綺麗な音楽を聴くことで、能楽がもっとも好きですが、舞踊も長唄も筝曲も大好きです。最近はクラシックやお茶に非常に惹かれます。きっと両親が私の小さい頃美術館などを連れて歩いた影響だろうと思いますが。。若い頃は、自分が実用にならない「趣味」ばかりに惹かれることに非常なコンプレックス感じていました。とくに医学部や工学部の人には非常に引け目がありました。いまも心の奥底にはあるのかなあと思いますが、さすがに不惑を過ぎ天命を知る五十に近づきますと、「人生を楽しむ手段」である芸術・芸能を研究してそれを次世代に伝えることも自分の役だろうと思います。今日はとても楽しかったです。明日は西村高夫先生に椙山にいらしていただいて、渡辺康さんとともに謡曲の録音をします。これをまた「お稽古場」より配信いたします。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月12日 今日は講義も会議もありませんので頑張って午前中は一月の「翁」のイヤホンガイドの原稿を、午後は講義の準備と論文を書きたいと思います。今日は暑いです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月11日 今日は午後から会議でした。午前中論文書こうと思いましたが、、ほとんど出来ませんでした。明日はがんばって書くことにして、今日は子供と風呂はいって寝ます。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月10日 昨日は東京の喜多六平太記念能楽堂で八田達弥さんの「ぬえの会」がありましたので、拝見に伺いました。八田さんには昨年の梅若万三郎家所蔵SPレコードのデジタル化のときに二回もボランティアで名古屋まで往復していただいた非常な恩があります。同年代で、ともに二人の子供を持ち、子育て中という共通点もありまして、私としては同年代でともに頑張っている仲間という親近感があります。我々の年代、、四十代半ばは、二十代の人からも見れば芸でも学問でも出来て当たり前で、ミスがあれば責められます。私も若い頃そう思っていましたから、自分がそのトシになってしまえばしかたないのです。上の年代には名人や碩学がいますから、40代は余り褒められることはありません。家族に対しても勤め先に対しても「責任」があります。そして、このトシになると、、もはや他の職業や職場は考えられないのですよね。。「これならば出来る」というのと「これしか出来ない」が裏表で。。一生懸命努力して身につけてきたことに満足できればよいですが、周りを見ると出来る人はやっぱりいるので、自分の努力が急につまらなく見えたり、あるいは「先が見えてしまった」ことにつまらなさを感じたり、、自分と同年代のどう考えても社会的に立派な立場にある人や、あるいは業績のある立派な学者が、高校生にいたずらして捕まったり、あるいは万引きでつかまったという報道を聞くたびに、きっと先が見えてしまって、自分の努力がつまらなく見えてしまったのだろうなあと思います。常識的に考えて、そんなことが面白いはずがないので。。。でも、行き詰まった時の救いってやっぱりよい趣味と家族ですよね。子供の成長や、あと美術・音楽などの趣味は、本当に慰めになります。昨日のぬえの会は次男の光弥君の老松、長男の和弥君の春日龍神の仕舞、パパの地謡でどちらも一生懸命でとてもよかったです。狂言の縄綯では、高沢祐介っていい役者だなあと思いました。我々よりずっと若いでしょうが、基礎があって、しっかりしていて。。ぬえさんの「井筒」、面の表情からぬえさんがとてもかわいらしく見えました。業平を一途に思う情と寂しさを表現した佳い舞台だったと思います。稽古の成果がよく出ていました。ぬえさんの目指す方向がよく見えていたような気がしました。我々の同年代で、能で個人の会を持つということは大変な勇気だと思います。切符の販売から会場の手配から、能楽師さんの依頼からお礼から全て自分でしなければならない。。事務費も貰うのではなく払う立場ですから。。奥様のご努力は大変なものだったろうと思います。ちなみに、、うちでも内助の功があるから研究費申請して論文書いていられるのです。事務処理能力皆無の私が論文まとめる時間がとれるのは家内がいるからで。。ぬえさんも私も家族に感謝して、精進すべきなのだろうと思います。帰りの新幹線、こだまで帰ったのですが、、岐阜羽島の大雨のために掛川駅で停車したまま動かず、、8時34分三河安城着の予定が家についたら11時半過ぎでした。さすがに今日は遅めに起きて、10時過ぎに出勤しましたが、まだちょっと疲れがあります。講義がないのでよかったですが。。これから論文を書こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月8日 日記なかなか更新出来ませんでした。今池にいらっしゃる能楽愛好者の方から、ビクターの昭和版の「観世流声の百番集」のLPレコードの揃いと観世流大成版の揃い、そしてそれのかかるステレオセットを頂きました。これが発売されたのはちょうど私が大学生のころで、、ということはもう20余年になるのですが、名人の録音で欲しいなあと思ったものですが、とても学生に手の出るようなものではなく、奥野先生の研究室にあったものをたまに聞かせて頂きましたが、憧れの品でした。ステレオセットも当時としては非常な高級品だと思います。研究室でデジタル化したいと思います。とても楽しみです。午後は筧先生の子供能楽教室に伺いました。ひろともともえもずいぶんしっかり謡えるようになり感謝でした。帰りの車の中で一家で「春霞」と「東遊び」を熱唱しました。子供が親と一緒に稽古してくれるのはとても嬉しいです。明日は東京の喜多六平太記念能楽堂で行なわれる「ぬえの会」に伺います。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年9月5日 9日に東京の喜多六平太記念能楽堂で第三回「ぬえの会」が行われます。梅若万三郎先生の門下の八田達弥さんの会です。八田さんとは十年ちょっと前、ニフティの「六百年らいぶ」というフォーラムのオフ会で知り合ったのですが、当時八田さんは「ぬえ」、私は「池野鮒」というハンドル名を使っていました。私のほうが少し年長ですが、ほぼ同年代です。昨年の梅若万三郎家所蔵SPレコードのデジタル化の時には本当に御世話になりました。科学研究費でデジタル化したのですが、問題は輸送手段でした。SPレコードは割れやすいので宅急便というわけに行かないです。それで、美術専用車かNHKテクニカルサービス指定の車で運ぼうかと思ったのですが、そうすると、デジタル化の費用よりも輸送費のほうがかかってしまうという計算でした。どうしようかと思ったのですが、八田さんがボランティアで、私と一緒に渋谷の研能会から名古屋栄のNHKセンタービルまで運んでくださいました。帰りも八田さんが名古屋までいらして下さって、それで運ぶことができました。交通費と宿泊費しかお払いできなかったのですが。おかげさまでなんとか無事デジタル化することが出来、昨年の能楽フォーラムで発表することが出来ました。こういう恩義もあるものですから、普通ならば個人の会をなさるならばチケットいっぱい引き受けなければならないはずですが、、自宅のローン返却中の身なので小遣いも少なく、、なんとか九日に予定あいたので、1枚チケット購入して伺うことにしました。ネットではよくお話しするのですが、考えてみれば八田さんの舞台は大阪の万三郎襲名記念能の仕舞以降拝見していないなあと。。久しぶりなので大変楽しみです。今日の夕方は東区の古文書研究会の方のお世話で戦災で焼失した布池の名古屋能楽堂の跡地に伺います。とても楽しみです。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月3日 朝晩涼しくなりました。コオロギが鳴いていて、もう秋だなあと思います。昨日は名古屋能楽堂の九月の定例公演でした。午前中長田驍先生の「頼政」、やっぱりさすがだなあと言うか。。「名将の無念」が伝わってくる良い舞台でした。家族は午前中は熱田教会の礼拝に参加し、午後は比呂人は定例能の二部に来ました。パパの隣の席で一緒にイヤホンガイド聴きながら、《楊貴妃》を観たのですが、方士の飯富先生が「急ぎ候ほどにこれははや常世の国に着きて候」と言う頃には、比呂人は夢の国に行っておりました。。自分のイヤホンガイドを右耳にして日本語を、比呂人のイヤホンガイドを左耳にして英語を聞いたのですが、日本語と英語の解説の同じ部分と違う部分がわかって面白かったです。日本語も英語もとっても上手でしたが、、比呂人は方士が簪を受け取って帰る頃には感心にも夢の国から戻って静かに観ていましたが。。ただ、。「パパあ。。女の人がでてくる能は眠いのよ。。」と言っていましたが。。次の「土蜘蛛」はずっと観ていました。「土蜘蛛」ならば、劇の基本は仮面ライダーと同じ怪獣退治で、敵役が蜘蛛男なのだというだけですから、小学校二年生でも楽しめるだろうと思って。。糸がばんばん飛んで面白かったようです。小学生は他には知り合いばかり何人かいましたが、小学生はもうじっとしていられるので、もっと連れてくれば良いのにと思いました。比呂人や友恵の子は、「おじいちゃんと能に行こうね。」といって能に連れて行こうと思っています。家内と友恵は今池ガスホールの杵三会に伺いました。杵屋三太郎先生は小学生への普及にとても熱心で、椙山小学校の子も出るので、私はそれも観たかったのですが、観たい会って重なるのですよね。能が終わったら今池に回ろうと思ったのですが、間に合いませんでした。友恵は「三味線ってね、かっこいいのよ」と行っていましたからよかったと思います。比呂人も友恵も今日から二学期です。夏休みは楽しかったなあと思います。充実した二学期であって欲しいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年9月1日 昨日は県立図書館・鶴舞図書館などで、明治から昭和初期の新愛知新聞の能楽の記事を調べていました。明治二十七年の日清戦争の時期に名古屋博物館の能舞台が作られていることや、その寄付者名簿なども載っていて興味深かったです。そして新聞に能舞台に寄付した人々に対して、戦争の最中に娯楽をしていると非難している論調があったことや、徳川家が自分の家の催しではないという理由で装束を貸す事をしぶったことなども載っていて当時の能楽界について勉強になりました。今日は十二月六日に四日市市文化会館で行なわれる四日市能のための能楽セミナーで、「紅葉狩」について講義しました。四日市のケーブルテレビが取材してくれて、月曜日の夕方のニュースに出るのだそうです。このホームページの動画の部分には一月くらい載せてくださるそうですが。。でも、十二月六日の四日市能にはたくさん観に来ていただけるといいなあと思っています。昨年と続いて大槻文蔵師ですが、大槻先生はなになさっても本当にすっきりしていて綺麗です。明日は名古屋能楽堂の定例公演、私は朝から撮影に伺いますが、午後の部は比呂人も連れて行こうと思います。土蜘蛛は比呂人もわかると思いますので。家内と友恵は今池ガスホールの杵三会に伺います。楽しみです。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月30日 昨日は詩吟をなさっている横坂典子さんより、昭和初期の義太夫・浪花節などのSPレコードを頂きました。昭和の初めごろ、御母上が聴かれていたということです。大切な思い出のものをいただいて本当に感謝でした。デジタル化して、「思い出公会堂」より聴いていただけるようにしたいと思います。今日は大学で溜まっている事務仕事と部屋の片付けをし、明日は大学には出勤せず、2時からマックの稽古、あとは県立図書館で戦前の名古屋能楽界の論文のための資料収集をしたいと思っています。なんか預かったはずの大切なものが出てこないという事態が頻発して困っています。確かに「これは大切だからわかる場所においておかなければ」と思って忘れるという。。モズかリスみたいです。(思ってもみないところから見つかるのだと思いますが。。)メモをとっておいて、どれにメモとったか忘れるということもあって、重症です。。転地療養しようにもふるさとに住んでいるので。。どこに忘れたか、今日は早めに帰って銭湯にでも行ってゆっくり考えようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月29日 研究室、荷物は全部入れましたが、まだ全然片付きません。というか、なんか片付ける気力がでないのです。ダンボールにしまってわかったのですが、普段使う資料というのはかなり限られていて、ダンボールでせいぜい5箱程度、それ以外はあっても普段使わないのですね。。まだ電話もパソコンも繋いでいないので(というか箱の中なので)スタジオのパソコンで仕事をしています。秋には科学研究費の出版助成を申請したいと思って準備進めていますが、論文がまだ11本。。最低あと2本は欲しいなあと思いますので、がんばって書かなくてはと思います。昭和初期の名古屋能楽界について、新愛知新聞や名古屋新聞に載っている記事から書こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2007年8月27日 研究室の引越、、終わりました。。夕方、家内と子供たちが来て手伝ってくれました。まだ整理はつきませんが、家に研究室の鍵を忘れてきてしまって、スペアーもないので入れませんから、今日はスタジオで勉強しています。間抜けです。でも書かなければならない書類も調べなければならないものもたくさんありますので、今日は頑張ってそれをしようと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月26日 昨日は椙山のオープンキャンバスでした。係なので出勤いたしました。生徒さんたくさんいらっしゃるといいなあと思っていましたが、晴天に恵まれ昨年より多かったとのことで、よかったなあと思います。 昨年の卒業生さんが下の妹さんを連れていらしていて、、三姉妹で昨年お姉さんが卒業して二番目の妹さんが内の学部にはいられて、昨日は下の妹さんを連れていらしていたのですが、、姉妹でうちにいらしてくださるというのは大変有難いことだなあと思います。お元気そうでしたが、久しぶりに卒業生さんに会って嬉しかったです。今年はスタジオで教員が15分ずつ生放送で講義をして、それをフロアーに流すと言う企画をしたのですが、、私はフロアー係でいろいろな先生の講義が聴けて楽しかったです。教員は他の全く異なる分野の先生の講義や研究発表を聴く機会ってあまりないものですから、新鮮でした。交通システムの研究している先生が、「北欧では、自動的に制限速度までしかでない車の開発をしている。これを応用すると交通事故死者が日本でも年間2000人減る。」。。飲酒運転の罰則を厳しくして酒気帯びの罰金30万円にしたことによって、日本の死者数も減りましたから、そうだろうなあと思いましたし、面白かったです。あと、宝永の富士山の噴火でできた地層に埋まっていた江戸時代の江戸の陶器によって、当時の陶器の種類や実際の使われ方などがわかるという話なども。。江戸期の陶器と言うと、博物館にある茶道関係のものは見ますが、それ以外はあまり見る機会がないので。私個人は「結婚式の謡曲」ということで、ゼミ生の結婚式に呼ばれたときには「高砂や」と「四海波」を謡っていますといって、スピーチ形式で祝辞を言って、「高砂」と「四海波」を下手ですが謡いました。それから、江戸時代の『源氏物語』の絵入の版本を梅野きみ子先生にお借りしましたので、源氏物語の世界の恋愛観と宿世《すくせ》についてちょっと話しました。時間余ってしまったので「千秋楽」謡って終わりました。。時間はかりながら、はみ出さないように、からといって、短くなり過ぎないように。。と考えましたが、結果的にまとまりませんでした。司会が放送文化研究会の四年生で、非常に上手にまとめてくれて感謝でした。放送文化研究会の今年の四年生は本当にイベントの司会など上手なので、テレビ局とかラジオ局とか、そういったところで採用があるといいなあと思います。今日は研究室の引越しですので、大学におります。家族を熱田教会に送ってから来たのですが、、自分の引越しは午後なので礼拝でてからきても間に合ったなあと思い反省でした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月24日 「謡本画像」のページ、中尾薫さん、神田裕子さん、長田あかねさんのおかげで随分充実しました。お忙しい中撮影して下さった方と、画像をあげてくださった三木邦弘先生に心より感謝致します。昨年来、研究費で「下掛系」を中心に版本の購入に努めてきました。これらも順次撮影を依頼して上げて行きたいです。明日は椙山のオープンキャンバスです。私は係りなので出勤です。生徒さんたくさん来てくださるといいなあと思っています。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月23日 昨夜はすごい雨でした。今朝も雨が残っていましたが、、ひろとが、雨上がりは上流の池から逃げ出した鯉が明治用水にいるから捕まえたいと。。実際、昔から台風や大雨のあとは、鯉とか金魚が明治用水にいることが結構あるのですよね。。雨上がりの鯉や鮒つかみは田舎の少年にとって楽しいものでした。ただ、上流の雨が下流に来て水かさも増しますから大人が一緒にいないと危ないです。。少年時代、私もゴム長靴履いて父や弟とよく鯉を網ですくいに行きました。父など名人でしたが。。いまでもやれば僕よりずっとうまいでしょうが。。ひろとはおじいちゃんにねだって用水の鯉探しツアーに行きたいようです。。゜大きな田網(たも)買って欲しいなあ]と言っていましたが。。安全に楽しんでくれればと思っています。僕は孫を連れて魚採りするでしょうか。。ちょっと体力的に不安なので、「危なくないようにしようね。。」とかいって、せいぜい水族館に連れてゆく程度になりそうな気がしています。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月22日 今日は研究室の引越しの荷物作成で。。どうにも思い切れが悪くてなかなか片付かないのですが、家内が来てくれて、全部やってくれました。。昼から四時までで全部完成。。感謝です。午前中には昨日録画した剣持さんの映像をファイナルカットプロに読み込みました。マック栄で習っていたおかげでなんとかビデオを取り込んで簡単な編集をするところまではできましたが。。「ユーザー環境設定」のやり方がまだわからなくて。。バージョンが違うのか、あるいは私のメモがまずいのか。。明日行きますのでよく聞いて来ようと思います。でも七年前プレミアを使っていたときに比べると、編集はずっと楽ですし、また動きもスムーズです。マックそのものの進歩にもよりますが。後期の基幹演習でちょっとやってみたいなあと思います。民謡の声って迫力あるなあと思いました。「近世能楽史の研究」をお願いする予定の出版社の人と相談しました。やはり論文が十一本というのは少し少ないので、なんとか十一月までに二本書けないか。。がんばります。体力があれば、資料はあるので。「締め切り」がある仕事をするときはいつも受験生みたいな気分になります。こういうときこそ自己管理が大切なので、とにかく風邪と怪我や事故に気をつけてと思います。ではまた、皆様お元気で。
2007年8月21日 今日はスタジオに剣持会の剣持豊さん、剣持洋子さん、剣持雄介さん、剣持麻美さん、尺八の中西鋭山さんにいらしていただいて、民謡の録画・録音をしました。NHKテクニカルサービスのスタッフに映像・音声をお願いし、デジタルレコーダーでの録音は渡辺康さんにお願いしましたから、録画も録音も望み得る最高の水準で出来たと思います。来週渡辺さんと剣持雄介さんにいらしていただいて編集します。名古屋の民謡界のレベルの高さが示せるのではと思っています。出来たものから順次PodCastで配信いたします。「尾鷲節」とか「名古屋甚句」とかとても楽しかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月20日 今日はスタジオに西村高夫先生にいらしていただいて、後期の「能・狂言」の教材用の「敦盛」の録音をしました。後期の表現学科の「能・狂言」の講義は登録が少なくて、ちょっと淋しいです。20人以上は欲しいなあと。。10月に名古屋観世九皐会で観世喜正先生が敦盛を舞われるので、教材として敦盛を取り上げようと思っています。学生さんと一緒に能を観に行くのは大変楽しいのですが、どうせならば敦盛をもう一度勉強して論文書けないかなあと。。平家物語の諸本調べたり、直実について調べたりしています。敦盛は大学時代サークルで少し稽古したことがあると思いますが、今日は録音していただいて、そのあとあらためて稽古していただいて、とても新鮮でした。西村先生と、西村先生の模範謡を録音して下さったNHKテクニカルサービスの方々に感謝致します。渡辺康さんにWAVファイル作っていただいて近日配信致します。明日は剣持会の皆さんにいらしていただいて民謡の録画・録音を致します。CDを作成し、一部はPodCastで配信致します。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月19日 今日は一家揃って熱田教会の礼拝に行きました。普段の教会学校は子供と一緒に幼稚科か小学科に参加するのですが、今日は中高科に参加しました。というのは、来月30日の九時半からの教会学校で初めて教会学校教師として中高科でお話をすることになったからです。。私は中学高校時代、休みがちではありましたが、教会学校に通っておりました。その時はまさか自分がそこでお話しするとは思っていませんでしたし、勤めてからも能の仕事の関係などで教会学校の教師はしておりませんでしたので。。今回も父か母がと思いましたら、そろそろ恵理人さんもと言われましたので、、でも大丈夫なのかなあと。。通常の講義ならばですが。。士師記が担当ですので革めて読もうと思います。昼は一家でラーメン屋さんで。。おじいちゃんとおばあちゃんにおごってもらってしまいました。ひろくんが一人前半食べて、、大きくなったなあと思いました。いっぱい食べて、、午後は昼寝しました。これから能楽堂の9月の展示室の解説文を書き、それから論文を書こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月18日 今日は能楽堂の十周年記念の「狂言尽し」でした。私の楽しみは高校の後輩でCBC事業部に勤務している北島徹也君原作の「山車争」。。伊勢門水の霊が登場して戦災で燃えてしまった山車が集って浄土で「名古屋祭り」をやっている様子を参詣人の夢に見せるという趣向ですが。雷神・恵比寿・大黒・巫女・唐子などが狂言の装束を身につけ山車の来歴を語り、舞を舞うというとても楽しい狂言でした。北島君はすごい才能があるなあと。。「山車争」は椙山でビデオを撮影させていただいたので、後期の講義などで使わせていただこうと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月17日 昨日は弟の真喜人の誕生日でした。。5歳違いだから41歳のはずで。。あのザリガニ採りチャンピオンのまきちゃんがもう41歳というのは、自分がトシとっても仕方ないのだなあと思わされました。昨日は豊田スタジアムの「芝能」がありました。豊田スタジアム、初めて行きましたが、さすがに広いです。能舞台を芝の上に作って、スタンドから下のほうの舞台を観るというのははじめてでしたが。。やっぱり広いので、能そのものを観るのには能楽堂のほうが良いでしょうが、開放感があります。ビデオ映像も上から撮った画像なので。。私には違和感ありましたが、能をはじめての人ならば別に不審はなかったかも知れません。大画面での字幕解説などは工夫があって舞台も一回り大きかったように思います。薪能という形で野外で行われるものも面白いですが、スタジアムもいいなあと思いました。野外ですと、実はかなり風が強いのですが、スタジアムの中は風がありません。これまで野外で、羽衣で「天の羽衣風に化し」で、長絹がぺたっと身体に張り付いてしまったことや、土蜘蛛の投げた糸が全部蜘蛛にかかって、「自縄自縛」の見本みたいになってしまったのを見たことがありますが、スタジアムではそれはないです。それに人工芝なので蚊がいないのですよね。この季節の屋外の能で薮蚊がいないというのはとてもありがたいことです。番組は宝生和英の羽衣と佐藤友彦の蚊相撲、観世喜正の紅葉狩でした。宝生和英の羽衣は、やっぱりよくも悪くも若いなあと。。次世代の宝生流を背負って立つ家元ですから。。一生懸命やっている様子がいいなあと思いました。頑張って欲しいです。蚊相撲は、友彦先生の蚊が味があって秀逸でした。紅葉狩はなんといっても観世喜正先生が上手でした。前ジテの妖艶な雰囲気、後ジテの鬼の貫禄、とてもかっこよかったです。喜之先生の舞台は常に「艶麗」という評がなされますし、私もそう思いますが、喜正先生は「華麗」ですよね。。非常にわかりやすくてしかも花があります。とても楽しかったです。演出としては、前ジテの退場と後ジテの鬼が登場するときにドライアイスの霧が出ましたが。。あれはどうなのかなあ。。「劇」としては面白いかも知れませんが。。昨日はものすごく暑い日で、私も緑茶とウーロン茶いっぱい買って行きましたが。。豊田能楽堂が主催の催しですが、ただ能をするだけならば、能楽堂でやるほうがずっとラクだと思います。昨日はスタッフの数もすごく多かったですし。ただ、蚊相撲で最初に大名と太郎冠者がでてくるところで拍手が起きたり、明らかに客層が違っていました。本当に能や狂言を観た人が100名以上はいたと思います。浴衣姿の若いカップルも多かったし。。能の普及という意味で、この能は非常に成功した催しだったと思います。帰り、車がなかなか駐車場から出せなくて、、30分くらい待ちましたが、難しいかも知れませんが、駐車場からもう少し出やすいとありがたいです。大学から直接行ったので、比呂人を連れて行けなくて残念でした。来年以降は友恵も小学生になるので一家で行けたらいいなあと思います。明日は名古屋能楽堂10周年記念の「狂言尽くし」、北島徹也君原作の「山車争」がとても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月15日 今日は終戦記念日です。亡くなった小西甚一先生が、何かの折に「戦争は絶対してはいかんね。。」と言われていたことを思い出します。戦中の時の勉強の話を雑談でなさっていたときだと思いますが。。先日の偲ぶ会に配られた写真帳で弟さんが戦死されていたことを知りました。弟さんが生きていらっしゃれば八十三歳、この世代の方で健在な方は多いですから、戦争はそんなに遠いわけではないのですよね。平和であることに感謝致します。朝のクワガタとカブトムシ、金魚の世話と植木の水遣りが終わり、実家の植木の水遣りも終わりましたから、これで夕方まで仕事はありません。これだけでも一時間弱かかりました。家内に感謝です。これから夕方まで勉強です。スーパーが開いたら、昆虫ゼリーが無くなったので買いに行かねばなりませんが。明日は豊田スタジアムで観世喜正先生が舞われますので拝見に伺います。楽しみです。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月14日 今日も暑いです。朝はクワガタとカブトムシと金魚の餌やり、植木の水遣り、自宅と実家の換気。。その後冷蔵庫の残りのパンと昨日の残りのコロッケで朝食、そのあと勉強、昼前に家を出て岡明彦君と昼食。。伝統芸能上演会は終わったけれど、それを活かすような催しが出来ないかを相談しました。いまの形では子供には長いので、ワークショップ・舞台体験と鑑賞で二時間まで。二部制で、「日本語で遊ぼう」のように伝統芸能を素材にしながら本当に子供が観て楽しめる演目ができないかどうか。。岡君は高校教師経験が長いので、僕にはない発想があって勉強になりました。本当に続くといいなあと思います。帰ってから高校教師をしている同級生と朝日町のコメダコーヒーでお茶。。高校と大学を結ぶ国語教材ができないかなあと。。大学で役立つ「国語力」とはなにか。。高校教師の中でも教科書の指導書書いているような実力のある先生なので、話していてとても勉強になります。夕方はまた植木の水遣りと散歩、はなまるうどんでカレーセット食べて、スーパーで四百円のサラダ巻に半額シール貼られるのをじっと待って買って帰りましたので、明日のお昼はサラダ巻です。明日の夕方には家内が帰ってきてくれるはずなので、そうしたらこのわびしーー食生活から解放されます。ひろとやともえが足元で遊ぶとやっぱり勉強できないでしょうが、、明日の午後まで頑張って勉強します。YouTubeの画像見ていて、能楽や日本舞踊が多いので驚きました。すごく質のいいのもありますが、この芸ならば名古屋のもののほうがずっと良いと思うものもあります。あと、著作権大丈夫なのかなあと思うようなものもあって。。私も登録しましたので、著作権上問題のないものを配信して行きたいと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月13日 家族は佐久間ダムの近くの旅館におじいちゃんおばあちゃん従姉妹姉妹とともに泊まりで遊びに行き、わたしはクワガタ三匹、カブトムシ一匹、金魚二匹と一緒にお留守番です。自宅と実家の植木の水遣りも大切な仕事です。午前中は稲武の古橋懐古館にでかけました。芳賀登先生はいらしていませんでしたが、古橋家での古文書調査は、私にとってはじめて古文書を読ませていただいた原点です。今日も暑い中、いろいろな大学の先生方やゼミの方が文書を読みにいらしていました。私もがんばらなければと思いました。午後は勉強のはずですが。。なんか眠いのでちょっと昼寝してからやろうと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月12日 今日は茗荷谷の茗渓会館で行なわれた「小西甚一先生を偲ぶ会」に出席しました。5月26日に91歳で亡くなられたのですが、本当にお世話になったものですから残念です。百歳までお元気で、「日本文学原論」を完成されると思っていたものですから。。開会が教え子代表の表章先生、司会が久保木哲夫先生と麻原美子先生、挨拶に立たれたのが馬渕和夫先生、芳賀徹先生(日本文化研究の第一人者ですが、小西先生の同僚の芳賀幸四郎先生の長男です)、ドナルドキーン先生、お手向けの謡が野村萬先生、乾杯が筑波大学前学長の北原保雄先生、挨拶が平岡敏夫先生、山下宏明先生、井関義久先生、久保木哲夫先生、昭和二十九年卒業生の皆様、最後が犬井善壽先生で、閉会の言葉が中村格先生でした。どれも小西先生を偲ぶ素晴らしいスピーチでしたが、小西先生は教え子の個性を見つけてそれを伸ばす天才だったのだなあと思います。弟子はみな各界の第一人者なのですが、個性は全然違うのですよね。生徒を画一的に教えることはなさらなかったのだなあと。。あと、卒業生の同期会にはお忙しい中でていらしゃったのだと。。一昨日研究室の掃除をしていて、大学院時代、小西先生のご指導を受けた原稿が出てきました。小西先生は、こんなつまらないもの読んで、知識のないものにわかるようにわかりやすく明晰に、真剣に批評してくださたのだなあと。。つまらない論文だから駄目だと切り捨てないで、辛抱強く話を聞き、的確なアドバイスをくださいました。『謡曲の和漢朗詠集受容』や『夢幻能の方法と系譜』に収めた所論は小西先生の影響を非常に受けています。御身体の不調の中で『夢幻能の方法と系譜』に暖かい序文を頂いたことにあらためて感謝致しました。犬井善壽先生が、会の最後に、「小西先生の日本文学原論の遺稿をまとめて出版して欲しいという声やお手紙が続々と集っている」とおっしゃっていましたが、私もぜひそれをして頂きたいと思います。「論文」は実は教材見本なのですよね。。「論文」の中にはその先生が蓄えている知識のみならず講義のノウハウが詰まっています。それを読んで、自分の研究や講義に応用し活かしてゆくことが次に続くものの勤めです。小西先生は筑波大学移転運動の際の学部長、筑波大学副学長として大学管理にも関わられましたから、教室で教えた弟子としては犬井善壽先生が一番若いのです。ところがその犬井先生が筑波大学名誉教授なので。。犬井先生は裏方の地味な仕事を自分の天職と考えられて本文批判一筋に研究されている先生で、方法はものすごく手堅いです。わたしは犬井先生が三十七歳から四十八歳の頃に教えで頂きましたが、犬井先生の研究方法どおりすれば必ず後に残る論文が書けます。(すごくストイックな文献批判なので、「研究方法どおり」になかなか出来ないのですが。。)犬井先生はその文献学の基本は小西先生から習われたのですが。。小西先生の遺稿集を纏められるとすると、きっと裏方は犬井先生がなさるでしょうし、一番信頼性の高い「本文」が出来ると思います。私たち世代も何かお手伝いさせて頂きたいですが。考えてみると、私が生まれた1961年に小西先生は46歳だったのだなあと。。いま私が46歳ですが、いま生まれた子供が大学院生になって、自分が70歳近くになってから、著書がかけるまで指導出来るだろうかと。。小西先生は知識も、自己管理も、教育に対する熱意も、本当に傑出した先生だったのだなあと思います。小西先生の教え子でいま「現役」で大学生を教えていて、定年まで24年あるのは私だけだと思いますので、小西先生がそうであったように「わからないのを学生のせいにしない」で熱意を持って講義したいと思います。いつか自分が送ってもらう時に、「飯塚君も茗渓の学統を継承していたよね。」と言ってもらえたら有難いなあと思っています。明日は稲武の古橋懐古館に行く予定です。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月11日 今日は名古屋ドームの中日対阪神の二軍戦を見学に行きました。二軍戦は名古屋球場が多いですが、ドームでやるというのと、午前中で子供を連れて行きやすいというので家内が前からチケット買っていました。。。朝十時からなので、早く出かけましたが、小学生とそのお父さん、お母さんが大半でした。大人は千三百円、子供は三百円なので。一軍の半額でしょうが、二軍戦も面白いです。今日でも投手、山本昌と紹介されたときは歓声が沸きましたし、確かに貫禄がありました。英智のホームランも見られたし。。試合は七回までは山本昌とダーウィンの投げ合いでしたが、阪神が継投に失敗し、七対三で中日が勝ちました。最近は子供二人ともムシキングは卒業してもっばらポケモンなのですが、ともえは「私はぴよびーよというポケモンなのよ。。」と。。「ぴよぴーよはこけぴーよに進化するの。。」というので、それじゃあパパとママはこけぴーよなのかと聞いたら、「それは違います。パパやママはすぐ疲れたーー。だるいーーと言うので「へのぴーよ」と「くてぴーよ」です、「こけぴーよ」はお兄ちゃん」なのだそうで。。どちらが「へのぴーよ」なのかと、「こけぴーよ」から「へのぴーよ」や「くてぴーよ」になるのは進化なのかは疲れていて聞けませんでした。イオンで食事して帰ってきたら四時なので、しばらく昼寝してまた勉強しようと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月10日 誕生日で子供達にそれぞれの名前の由来を話したせいか、、昨晩寝る前に、ひろととともえが、寝転がって、自分たちに子供が出来たらどういう名前をつけるのか話してしました。ともえは「女の子が生まれたらみっこがいいなあ。。男の子ならば、ポケモントレーナーになるなら、さとしがいいわよねえ。。」ひろとは「男の子だったら、、ぼくがひろとだから、やまとかなあ。。」と。。ずっと先だと思いますが、二人ともパパをおじいちゃんにしてくれたらとっても嬉しいです。孫も健康で優しい子であって欲しいです。。今日も一日研究室の引越し準備で段ボールに本を詰めていました。明日は中日の二軍戦を名古屋ドームに観に行きます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
3007年8月8日 今日は世阿弥忌セミナーがありますが、名古屋市の名古屋文化情報の編集会議に出席しました。音楽、詩、小説、美術、演劇など、他の分野の編集委員の先生方との話し合いはとても勉強になり、感謝です。八月八日は世阿弥の命日ということが私の頭には最初にありますが、{まるはちの日}ということで名古屋ではいろいろなイベントがあるのですね。市内で安売りがいろいろあったりして。。編集会議で配られたパンフではじめて知りました。名古屋は尾張藩が○で囲んだ八をマークに用いたこともあって、八がとても好きです。そのあと、栄のマックショップでファイナルカットプロの講習を受けました。午後は研究室の引越しの片付け、家内が手伝ってくれました。さすがに早いです。とても助かりました。帰りにケーキかって実家にひろととともえを迎えにいって、三河安城の回転寿司でごま団子と大学芋をいっぱい食べて。。あーー、論文かかなくては。。ではまた、皆様お元気で。。
2007年8月7日 今朝友恵が首とおなかが痛いというので近くの内科に連れて行きましたが。。水浴びのやりすぎでしょうということで、、何ともなくてよかったです。ただ、ちょっと元気ないのが心配ですが。風呂場で水を浴びるのが好きなだけでなく、パパや兄にもかけるのが好きなので困ったものです。。。午後から大学に行って研究室の片付けをしたのですが、、引越し前とは言え、「名古屋って大地震あったかなあ。。」という感じで。。研究室の写真撮って「地震で折れ曲がった本棚」とか、「散乱する書類」とか見出し付けても不自然でないくらい散らかっています。本当に26日に引越しできるのか不安です。。でも、荷物まとめていると、大学院時代の校本やノートが大量に出てきて。。そのままは使えませんが、やっぱり捨てられなくてダンボールにつめました。先が見えなくて辛いむせぼったい時代でしたが、少なくとも「習った通り」に校合しようと。。①文献をきちんと比較する②本文の異同の意味を考える、という国文学の基礎を一生懸命やっていたのだなあと。。当時の「気持ち」は大切にしたいです。明日は世阿弥忌セミナーが奈良であります。例年でかけているのですが、明日は名古屋市文化振興事業団の名古屋文化情報の編集会議があるものですから、編集委員としてそちらに出席します。セミナーと重なってしまったのは残念ですが。。よい雑誌にしたいです。その後ファイナルカットスタジオの練習に行き、午後から大学で引越しの準備の続きをします。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月6日 安城の七夕も昨日で終わりました。「年に三日のことだもの」と七夕音頭にもありますが、、夕べは名残を惜しんで子供二人と八時過ぎに出かけ、400円のクレープをちょっと高いなあと思いながら食べて、100円の竹とんぼを買って帰りました。一夜明ければもう昨日の喧騒は消えて。。大学に来たら校舎改修中で私のいる文化情報学部棟も一部立ち入り禁止でした。なんとか引越しの準備をして。。四方さんからお借りしたテープをCDに焼いて。。という作業をしています。渡辺康さんがいらしてくださったので二人で開設している「芸どころ」のページの話をして。。もう少し曲数を増やしたいですが。。今日は早めに帰ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月5日 昨日は夜八時近くになって、考えてみれば岡崎の花火の日だなあと思い出し、おじいちゃんの家のベランダからならば見られるだろうと、ひろととともえをつれて出かけました。そうしたら、ちょっとまえからごろごろとは言っていたのですが。。突然雷雨になって、、傘は持っていたもののみんなぬれねずみになってしまいました。。実家でシャワー浴びさせてもらって、家内には家から服持ってきてもらいました。それでも花火は見えましたが。。すごい花火見物でした。今日は朝熱田教会の礼拝にでかけ、帰ったら「筑波大学平家部会論集(終刊号)」が届きましたので、「金春安治追跡」を書くのに本当にお世話になった先生方に送るための送り状を書きました。今号で最終となったのは、犬井善壽先生が筑波大学を退官され、平家部会が解散したことが大きな理由です。平家部会論集は、犬井善壽先生が自費で我々大学院生のために書く場所を与えて下さった雑誌で、きっかけは私の「世阿弥自筆能本『江口』本文考」がある雑誌の審査に通らなかったことでしたから、私は本当に恩があるのです。。あのころの犬井先生の年齢をすでに越していますので、自分がもし大学院生を持っていたとして、自分の小遣いから雑誌が作れるかと考えると。。先生は本当に大変だったろうと思い、感謝致します。「伝統芸能上演会」の最終回、平家部会論集の終刊。。確実に私の先生方から私たち世代が仕事を引き継いで、後進に伝えてゆく義務を負う時期になったのだなあと思います。人に教える以前にもっと習いたい、余り苦手な分野の仕事はしたくないと思っても、あと四年で五十という年齢を考えると、もう「若手」ではなく、いやでも「中堅」の責任を果たさなければならないのかなあと思います。小西先生が亡くなってしまったのはとても残念ですが、教育大学系統の先生は芳賀登先生、表章先生はじめ皆さんお元気です。ですから、まだ教えて頂けます。頑張って勉強して、これでよいのか、よく教えていただいて、自分の持つ知識や技術を次世代に伝えて行けたらいいなあと思います。最近疲れやすくてよくないのですが。。病気や交通事故に特に気をつけねばと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月4日 昨日は友恵の誕生日、午後三時くらいまで大学で仕事をし、早めに帰って子供達と七夕に繰り出すはずが、、体力がついて行かず、もう終わりのころになって少し見学に行きました。天気予報では雨でしたが、たいしたこともなく、ちょっと降っただけでだいたいは曇りでしたのでよかったです。ひろとはやっぱりカブトムシとクワガタを売っているコーナーが好きですが、すでにクワガタ・カブト三匹ずついるので買ってもらえず、友恵はあまり物欲はなく、チョコバナナ買って貰ってよろこんでおりました。今日は二日目、おじいちゃんおばあちゃんも一緒に出かけます。「安城、安城の七夕音頭、踊れ願いの叶うまで。」。。みんなが健康で幸せに長生きできればと思います。。本年の夏休みの目標は、再来年春に『近代能楽史の研究』という本を出したいので、その原稿を完成させることです。あと伊勢の調査記録をまとめることと。やりたいことはたくさんありますが、もちろん体力との相談になります。研究室の引越しもありますし、雑用もたくさんありますから。。無理せず、少しずつやりたいと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年8月3日 今日は友恵の六歳の誕生日です。「友達に恵まれますように」という思いと、家内の「佳恵」の「恵」の字をとって名づけたのですが。。友達に恵まれていて感謝です。おにいちゃんの友達と遊ぶことが多いためか、「おしとやか」という美徳からはかなり遠いところにいます。。「あれは友恵か女武者。。」なみに、逞しいタイプになるかもと思いますが。。(謡曲「巴」の一節でした。。)優しく元気な子供に育って、長生きして幸せな人生を歩んで欲しいです。比呂人にも友恵にも、子供がいてパパとママをおじいちゃんとおばあちゃんにして欲しいなあと。。今日は大学に四方さんからお預かりしたテープのCD制作と研究室の片付けのために登校しました。夕方からは七夕ですので、早めに帰宅します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年8月2日 今日は比呂人の八歳の誕生日です。おかげさまで元気で健康に育っており、感謝致しております。結婚九年目に顕微受精でようやく授かった子ですが、とってもパパに似ています。「比呂人」は「太公望呂尚に比すべき人」になって欲しいという意味で、大学時代にもし将来長男が生まれたらつけたいなあと思っていた名前です。普段はのんびりしていて、何かなければ一生のんびりしていて欲しいですが、中に実力をもっていて一旦事が起きたときには全力でことに当って欲しいと。。無論平和に人生を楽しんで長生きして幸せな人生を送って欲しいというのが親として何よりの願いなのですが。。去年まではプラレールに夢中でしたが、昨年後半からクワガタとカブトムシの飼育に夢中になり、本年は釣りを始めたいということで。。名前の由来になった太公望の好んだ釣りですからよいだろうと、誕生日プレゼントに釣具屋さんで高価ではないけれど、長く使えるだろう短めのリール棹セットと渓流棹を買いました。こんどおじいちゃんおばあちゃんが佐久間ダムの方に連れて行ってくれるので、近くの川で川釣りをしたいのだそうです。安全であればいいなあと思います。私も小さいころ、釣りはさんざんやったので。お昼はおじいちゃんおぼあちゃんと来て、比呂人と明日が誕生日の友恵の合同誕生会を行ないました。双方の両親が元気なのは本当に感謝です。安城に住んでいる学生さんとご両親から、30年以上前のレコードを百枚以上頂きました。デジタル化して、資料にしたいと思います。自分が中学時代に聞いた曲もあって、ジャケット見て非常に懐かしかったです。これからの大学生さんは「昭和」を知らないわけですから、いま昭和の文化を残して、学生に伝えてゆかなくてはならないと思います。休日出勤が続いていたこともあり、久し振りに家でのんびりしています。明日は友恵の誕生日、そして七夕の初日です。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年8月1日 今日も一日採点していました。なかなか良いなあと思うものもありましたし、ちょっと勘弁して欲しいなあというものもありましたが、私は基本的に欠席が多くて失格になる人とか、試験欠席・レポート未提出以外は落さないので。。能・狂言・歌舞伎・日本舞踊のいずれかを観て感想を書けという課題を出した教科では、おばあちゃんと一緒に歌舞伎や能・狂言を観にいったという人が例年になく多かったです。おばあちゃんが近くに住んでいて、孫娘と一緒に能楽堂や御園座に行ってくれるのですね。。でもおばあさんも孫が一緒ならばきっと嬉しいだろうと思いました。ただ、なぜかおじいちゃんと一緒に行ったという人はいないのですね。。私は子どもが遅かったので、孫が大学生になるのは、どんなに早くても八十代後半かなあと思いますが、比呂人や友恵の息子や娘が「おじいちゃん一緒に歌舞伎行こう」とか行ってくれたら、、どんな喜劇でも感激して泣いてしまうような気がしています。その時まで元気ならすごく嬉しいです。せめて孫がこども能楽教室に入るときに元気に世話できたらなあとと思いますが。。元気であるためにもよく静養しなければと思います。明日は比呂人の、明後日は友恵の誕生日です。ずっと休日出勤が続いていたので、明日は一日家で静養します。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年7月31日 7月もついに最後になりました。昨日保育園の車の中で園児が熱射病で亡くなってしまったというニュースを見ましたが、本当に痛ましいことだと思いました。「ありえない不注意」という気持ちと、「いつ起こっても不思議はない」という気持ちと。。自分でも疲れているときは考えられない見落としをすることがあります。疲れすぎないように、無理しないようにと思いますが。亡くなった子供の冥福を祈ります。夏は子供が熱射病になりやすい季節です。子供の事故がないことを祈ります。午後は採点です。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2007年7月26日 28日土曜日が最後の伝統芸能上演会、、東京から表章先生もいらしていただけるということで、感謝です。「催花賞記念論文集」も立派に出来ました。筧先生と豊橋子供教室の朝川知勇さんの御努力による部分がものすごく大きいのですが。。能楽が次世代に引き継がれ、そしてこの地域の能楽研究が益々盛んになることを祈ります。29日の日曜日はオープンキャンバス、、いっぱい生徒さんが来るといいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年7月24日 なんとなく元気が出ません。。最近そう書くことが多いのですが。。「紫明」の原稿はメールで投稿させて頂きました。次は一色の翁舞の原稿と、「近代能楽史の研究」の原稿になります。私は調べたり原稿書くのは好きなのですが、、それに伴う事務処理はものすごく苦手なのです。。他の人ならばなんということもないのでしょうが。。たまにうぎゃあーーー。とか叫びたくなりますが。。それをすると狂っているとしか見られないでしょうから、タメイキつくことにしています。。ふーーっ。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。。
2007年7月23日 猛暑が続いています。今日で前期の講義はすべて終わりました。明日からは試験と採点です。もう試験が終わった科目もありますが。。毎年のことですが、これで一年の講義の半分が終わったのだなあと言う、安心感とちょっとした寂しさがあります。夏休みは伊勢の一色の翁舞に関する原稿をまとめること、そして『近代能楽史の研究』という本をまとめるための原稿作成など多くの仕事があります。まとまった勉強のできるはずの時間ですので頑張ろうと思います。(研究室の引越しで時間とられるのが辛いですが。。)ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年7月22日 ものすごい暑さです。さすがに夏と言うべきか。。昼間家にいることがあまりなくて、たいてい冷房の効いている大学にいるので感じなかったのか。。今日は家内と子供達は津の長田先生の能楽子供教室にでかけています。私は「紫明」の原稿執筆で自宅におります。課題山積ですが「いま出来る事からする」しか出来ません。礼拝に行けないのが気にかかっていますが。。今日中に骨格は作ろうと思います。月末締め切りですが、一日調べ物出来るのは今日しかありませんから。キアイで頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過し下さいますよう。
2007年7月21日 昨日は生田流正絃社二代目家元の野村祐子先生の講義、ものすごく忙しい中をいらして頂きまして本当に感謝でした。以前学生に野村先生の「雨」「二つの個性」を聞かせたのですが、「本物」の筝曲を聴いてみたいというリクエストがかなりあり、一週間ちょっと前に、お弟子さんでもいらしていただけたら、、と思ってお電話したのですが、御家元ご自身が来て下さいました。野村先生は演奏家として名古屋市芸術祭賞を受けていらっしゃいますが、筝曲・地唄の作曲家としても著名でビクターより作品集のCDなども出していらっしゃいます。以前名古屋芸能文化会で、野村先生の琴の技法に関する発表を伺ったことがあり、とても分かりやすくて面白かったのですが。。最初に野村先生作曲の「さくら幻想」を演奏していただき、次に筝の各部分の名称と、さまざまな技法について教えて頂きました。次に筝曲の歴史についておしえて頂き「千鳥の曲」「六段」を演奏していただきました。どれも近くで聴くと素晴らしいのですよね。野村先生御夫妻のファンなので、リサイタルにはよく伺うのですが、家元という立場なので、ほとんど合奏で、野村先生単独で古曲を弾かれるのはほとんど拝見したことがありませんでした。すごいなあと。。学生さんの心にもきれいな音色はきっと残ったと思います。とても楽しい授業でした。今日は筧先生の豊橋の子供能楽教室に家族で伺いました。友恵がずいぶん大きな声で謡えるようになって、親としてとても嬉しかったです。比呂人は長い時間私よりずっと姿勢よく座っていて。。帰りに喫茶店でみんなでアイスクリームを食べて午後は昼寝しました。良い休日でした。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年7月20日 今週はトラブル続きで。。しかもこちらのミスが原因のことなので正直参っています。今日も一件ミスをしてしまいましたが。。あーあ。。です。。昨日は久しぶりに家族と銭湯にでかけました。やっぱり銭湯は楽しいです。お風呂が大きいだけでも。。今日はこれから「日本の伝統と文化」、野村祐子先生の授業ですがとても楽しみです。明日は紫明の原稿頑張ろうと思います。休みの日ってとても貴重です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年7月19日 今日の「日本文化論」では民謡の剣持会の剣持豊さんと奥様、そして尾鷲節全日本コンクール優勝者の学生さんに民謡を歌っていただきました。江差追分、名古屋名物、岡崎五万石。。近くで聴くと迫力が違います。剣持豊さんが嫁入りのときによく謡われる「さんさ時雨」を謡われて「私も娘がいますので。。」と言われましたが、、娘が出来てから、嫁入りの時の曲を聴くとなんか「親」としての気持ちからジーンと来ます。私ももし28歳で子供がいたならば今年の一年生と同じのはずなので。。「父親の心」が少し理解できる年齢になりました。とても楽しかったです。明日は「日本の伝統と文化」で、正絃社二代目家元の野村祐子先生に筝曲を教えていただきます。とても楽しみです。毎日、私にもやっぱりストレスはあります。ただ、生活の中に「芸術」と「音楽」があることで随分救われています。「趣味」ってすごく大切だと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年7月18日 ものすごくばたばたしています。「確かに伝えた」と自分が思っていたことが伝わっていなくて人から見ればとんでもない行為だったり。。しかしなんとか前に進めなければなりません。明日は民謡の剣持会の剣持豊先生と奥様に「日本文化論」で歌って頂きます。本学の四年生のお父様ですが、学生さん含めて四名とも尾鷲節全日本コンクールの優勝者です。以前椙山の100周年のパーティで聞きましたが、民謡ってこんなにすごい表現があるのだと感動した覚えがあります。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年7月16日 東海能楽研究会のプリント、昨日研究会休んで作成してなんとか間に合いました。台風一過、今日は快晴です。なんとか間に合った、、「間に合わせる」ということに関してはノウハウ出来たのだなという気持ちと、、なんか全部が自分の中で「適当」になっているなあという苛立たしさと。。たた゜、自分の「時間」と「体力」のなかで「仕事」を考えてゆかねばなりませんから、ある意味あきらめもついています。自棄になっても進みませんし、体力も考えずに仕事して寿命縮めたらトータルで出来る仕事減りますので。。午後は頑張って発表しようと思います。次は紫明に頂いている連載原稿です。これはライフワークになりますので、頑張ります。東京で学生が行きずりの喧嘩で傘で目を刺されて重態とか、、本当に気の毒で恐ろしいです。早く捕まって欲しいですが。。「雑踏」って恐いです。ではまた、皆様お元気でお過し下さいます様。
2007年7月15日 昨日の定例能、台風の心配はありましたが満員でした。萩大名・三井寺ともとてもよかったと思います。「芸どころ」、渡辺さんが岩田恭彦先生の尺八独奏曲「夢一つ」を加えてくださいました。岩田先生の曲はとても魅力的です。これからもっと「名古屋の芸」を伝えて行ければと思います。今日は中京大学で日本文学協会の研究会があるのですが、、明日の東海能楽研究会の自分の発表資料ができないので失礼します。とても残念ですが。。子供と家内は、おじいちゃんと近くの安城教会の礼拝に参加しています。どうしてこんなに余裕のない生活なのか。。大学の先生なんて閑人の代名詞のはずなのですが。。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年7月14日 今日は能楽堂の定例能です。学生さんもたくさん来てくださるのでとても楽しみです、、が、台風が九州に来ているということで心配です。昨日はNHKテクニカルサービスでデジタル化をお願いしていた名古屋民俗研究会所蔵の昭和30年代録音の民謡のテープが出来上がってきましたので、四方定子さんのお宅に伺い、次の分を拝借してきました。昭和30年代の古老の声で、もう聞くことができない曲が多くとても楽しみです。来週の日本の伝統と文化最終回は学生さんから本当の琴を聴いてみたいというリクエストがあり、突然で大変ご迷惑おかけしましたが、生田流正絃社二代目家元で名古屋市芸術祭賞を受賞されている野村祐子先生にお願いしました。また日本文化論最終は、名古屋で民謡の「剣持会」を主宰されている剣持豊先生に江差追分を唄って頂きます。お忙しいところ御協力頂きます先生方に本当に感謝いたします。作曲家の渡辺康先生と共同で、「芸どころ」というページをオープンしました。マックを使って映像の配信を行なうという予定で、名古屋の音楽・古典芸能を次々に紹介しようというものです。第一回は昨年の日本の伝統と文化で、西川流の西川古都先生に踊って頂いた模範演技を公開致しました。伝統芸能のコンテンツとしては、次は岩田恭彦先生・昭彦先生の尺八を予定しています。名古屋が芸どころと言われるのは、ただ単に催しが多いというだけではなく、一般市民が稽古して発表して楽しむという土壌があるからで、それをどのように発信し、次世代に伝えて行くかが私共にとって大きな課題です。この「芸どころ」は渡辺さんのもっていらっしゃる名古屋の「音楽」のコンテンツと私の伝統芸能のコンテンツと両方が軸になります。良いベージに成長させたいです。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年7月11日 来週の月曜日には東海能楽研究会の発表です。でも、全然発表準備できていません。やばいです。早く翻刻しないと。。なんか手間が悪いので、なかなか進みません。19日の日本文化論で、「民謡」を取り上げます。「民謡」は当たり前ですが、レコードが出来るまでは他地区のものを聞くことは出来ませんでしたし、ラジオ放送が行われるまで全国的に知られる民謡はありませんでした。4年生に尾鷲節の全国大会のチャンピオンを取った学生さんがいるので、その学生さんに唄ってもらおうと思っています。でも、放送ってずいぶんいろいろな「芸」の「質」を変えてきたのだなあと思いますが。。面白いです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年7月9日 昨日の誕生日には、卒業生さんや学生さん、妹・弟から誕生祝のメールをいただいて本当に感謝でした。46才で誕生日を祝って頂けるというのは大変ありがたいことです。昨日は附属高校の後輩の結婚が決まったとのことで、たまたまその後輩と会う機会があったのでお相手の方にもお目にかかりましたが、彼の一歩後ろに立つといった感じの控えめな方で、外でばりばり働く忙しい彼にはぴったりだなあと思いました。御多幸を祈ります。昨日は井上先生の木六駄、とっても粋な太郎冠者で、すっきりしていてよかったです。松次郎さんのような間抜けな太郎冠者ではないのですが。。狂言って人柄が出ますよね。。佐藤友彦先生の茶屋は、松次郎さんにむしろ近い感じがしましたが。。夜の名古屋観光ホテルの芸術特賞受賞記念会にも伺いました。井上先生の益々の御活躍をお祈り致します。
五年間飼っていた金魚のアップルちゃんが、暫く前から元気なかったのですが、ついに亡くなり、今日は家内と子供達で庭に埋めます。金魚すくいで家に来て体長二十センチを越えるまで大きくなったのですが。。残念です。いま小アップルちゃんとぶどうくんの二匹が四歳で、別の水槽で頑張っていますが。。金魚も長生きして欲しいです。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年7月8日 今日は私の46回目の誕生日です。今日は名匠狂言会に行くため、家でお祝いできないので、昨日両親の家に行き、一緒に誕生日の賛美歌を歌ってお祝いして貰いました。「生まれる前から神様に守られてきたえりとパパの誕生日ですおめでとう。。」46才で双方の両親が揃って健康で、元気な子供二人に恵まれ、健康に守られて働くことが出来、本当に感謝です。名古屋文化情報九月号原稿、なんとかあげて添付ファイルで投稿しました。内容等についてはこれから能楽堂の人たちとも含めて修正して行きますが。。少しでも名古屋の能に興味をもってくださる方が増えるといいなあと思います。今日の午後は名匠狂言会、夜は井上菊次郎先生の名古屋市芸術特賞受賞記念会に伺います。楽しみです。東海能楽研究会の輪読のプリント、「紫明」の原稿も頑張って書きたいと思います。いま起きてきたひろとが、今日はとっても良い夢を見たというのですが、、「三時のおやつの夢で、美味しそうなクッキーが三枚とあったかそうなお茶が机の上に置いてあったの。」ということで。。こういう日常に幸せを感じる感覚を大切にして欲しいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年7月7日 子供達は幼稚園の「夏祭り会」です。本当は友恵ちゃんが「月夜のポンチャラリ」を踊るのを観に行きたいですが、名古屋文化情報の原稿が全然できないので家でお仕事です。頑張ります。ではまた、お元気でお過し下さいますよう。
2007年7月6日 あっという間に金曜日です。名古屋文化情報の原稿も、来週の東海能楽研究会の間狂言の輪読の「右近」の原稿も出来ていませんが。。手間が悪いというのは悲しいことですが。でもがんばって書こうと思います。せめて昼から三時までだけでも。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年7月5日 昨日はちょっと遅くなってもいいやと思って、車でいつもと違う銭湯にでかけたのですが、、平日だから駐車場がすいているのかなあと思ったら、、サウナは停まっているし、打たせ湯は壊れているし、、なんか古色蒼然として昭和以来修理していないんじゃあないかなあと思うような雰囲気で。。あれではすいているよなあと。。まあひろいお風呂だったのでその分のんびりしましたが。。このお風呂屋さん大丈夫かなあと余計な心配してしまいました。改装して流行ってほしいですが。。湯上りにひろとはコーヒー牛乳を、ともえはフルーツ牛乳を飲んで満足していました。教員がストレス解消するときって、、「習い事をする」というのもよい解消になります。私はメディアリタラシーでマックの基本操作の方法についても教えますが、バージョンがどんどん変わりますので、いつも最新の知識が欲しいです。こういうのはマニュアル読むよりも勘所を教えてもらうほうが数倍早いので、昨日は栄のマックの店にでかけて、アップルワークスについて1時間講習をうけました。今回は講習の3回目でした。年間50回まで個人で教えてもらえる講座に登録したのですが、さすがにわかりやすいですし、しらない使い方もたくさんあって勉強になりました。来週はガレージバンドの使い方について教えてもらおうかなあと思っています。私は最終的には能や舞踊、筝曲など名古屋の芸能を大学のスタジオで撮影してビデオ番組としてインターネットで配信したいので、ファイナルカットスタジオなども勉強したいです。講習が終わってから、同じ栄の池田公園近くの西村先生のお稽古場に伺いました。今日日本文化論で教えていただく「船弁慶」のクセと後場を教えていただきました。自分の専攻と関わりますが、それとちょっと離れているところのお稽古事というのは、色々な発見があってとても楽しいです。勉強と言うのは、自習よりも教えていただいた方が数倍早いですし、私のようにそれを「教える」立場の人間にすると、「ああっ、こう教えたほうがわかりやすいな」というような教え方の勉強になります。こういう研修をして「飯塚先生の教え方はわかりやすいよねえ」といってもらえれば最高ですが、それにはまだ険しい坂がありそうに思います。ただ、パソコンも謡曲も習った後「あー面白かった」と充実感がありましたので、それもよかったですが。。「名古屋文化情報」の特集の依頼原稿、来週までなので頑張って書かないとと思っています。名古屋で能に興味を持つ人が増えるように書かなくてはなりません。名古屋市文化振興事業団の雑誌で、一万部も作るので責任重大です。なんとか書き上げて、、また銭湯行きたいです。これから「日本文化論」で西村先生に教えていただきます。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年7月4日 なんとなく、、元気が出ません。ともちゃんが「パパー、そういうときは大きなお風呂にはいるといいんだよ。」というのでこれからスーパー銭湯に行きます。娘はパパのことよくしっているなあと思います。ではまた、お元気で。。
2007年7月2日 今日の文芸Aは、東京から観世流の西村高夫先生にいらしていただいて、謡曲の稽古を致しました。≪船弁慶≫のクセでしたが、、みんななかなか声は出ませんでしたが、プロが謡うとこうなるのだということはよくわかったのではと思います。唐織と長絹をもってきてくださって、学生に触れさせていただきましたが、身近に観る事はほとんどないと思います。西村先生に心より感謝致します。次は木曜日の日本文化論で謡曲の稽古をお願いいたします。学生さんたちが、いまでなくても、将来「学生時代に見たから」と能楽堂に足運んでくれるといいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年7月1日 今日は西村同門会、、伺いたかったですが、昨日・今日と泊りがけで交換留学生の人たちと語学ボランティアの人たち総勢四十人で木村隆司先生と国際交流センターの堀田さんと引率で京都に研修旅行にでかれておりました。予定ってかさなるのですよね。。。昨日は八橋をお店で実際に焼いてみたり、妙心寺の大茶室で抹茶をいただいたり。。退蔵院の大茶室にかかっていた達磨の面壁図。。賛に宗純って書かれていたけれど一休さんかなあ。。などととても興味を持ちました。今日は京扇子の絵付け体験をして二条城と清水寺。。小学校の修学旅行以来三十四年ぶりでした。でも所々覚えていてとても懐かしかったです。清水寺はごはんを食べるところが混んでいて、なかにはお好み焼きで一時間待ちの子がいて可愛そうでしたが。年齢のせいか、大学のころの高萩の大心苑のオリオンテーリング合宿や、稲武の芳賀登先生の古文書実習、亡くなった伊藤博先生に引率していただいた万葉旅行、熊倉功夫先生の益子焼・笠間焼きの見学を含む日本文化実験実習など、大学時代参加した研修旅行を思い出しました。あのころは学生として、「実習」といいながら、ただ楽しみで参加していましたが、あれから四半世紀が経ちいま自分が引率する立場になっているのだなあと。。あらためて、当時の先生はとても一生懸命して下さっていたのだと感謝いたしました。今回は京都外国語大学のフリーガイドクラブの学生たちが英語・中国語でガイドして下さいましたが、本当に分かりやすくて感謝でした。自分が習ってきたことが、いまの自分の血肉になって、それで教えることができて感謝なのですが、教育と言うものは、自分が先輩から受け継いで、それを後輩に教えることによって、自分が見ることの出来ない未来と繋がることができるという面でよい職業だなあと思います。伊藤博先生、小西甚一先生、深谷哲先生。。もうご恩返ししたくとも出来ない先生が多いのですが、これで僕が今日教えた学生さんたちが、また次の若い人や留学生さんに今日覚えたことを伝えてくだされば、それはその志と知識が伝わって広がってゆくことなのだろうと。。がんばらないとと思います。昨日・今日はとても楽しかったです。明日の文芸A、西村高夫先生に謡曲の稽古をお願いします。これもとても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年6月29日 あっという間に本年も半分終ります。七月には名古屋文化情報にいただいている原稿と紫明でいただいている連載の原稿の締め切りと両方あります。頑張って書かないとなあと思います。毎日ばたばたしていて本当に前に進んでいるのか、あるいは壁伝いに横に歩いているだけで前に進んではいないのかわからなくなりますが。。昨日友人から、ぬえさんのブログで去年の梅若万三郎家所蔵SPレコードのデジタル化の話が取り上げられているよと教えてもらいました。ぬえさんには初代・二代万三郎のレコードのデジタル化を当代万三郎先生に取り次いでいただき、配信も許可いただいて本当にお世話になったのですが。。心より感謝致します。多くの方のお世話で自分の研究がなりたっていることに本当に感謝致します。七月一日は豊田能楽堂の西村同門会、都合で伺えないのが本当に残念ですが。。盛会をお祈りいたしております。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年6月26日 23日の発表が終わったので少し楽になるかなあと思ったのですが、、結局「学会終わるまで待って」と言っていた仕事が怒涛のように来て押し流されています。ふーっ。。手間が悪いので。。演劇学会でもいろいろなヒントいただいて本当に感謝でした。みなさんに礼状書かなければならないのですが。。あーー、別の書類が。。で「今日の修羅の敵は誰そ なに助成金の報告書とや。。」状態です。うーん。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年6月24日 いま自宅に帰ってきました。。古都先生のワークショップ、ナディア狂言、演劇学会での発表、家内と子供達と新大阪に泊まった事、今日の津の長田郷先生の仕舞のお稽古。。書きたいこともいっぱいあります。充実した三日間でしたが、、中年には体力的にいささか堪えました。明日以降書きたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年6月22日 外は雨です。この時期は雨が降らないと困るのですが、暑くてうっとおしいです。今朝は友恵がよってきて、「パパくさーい」と逃げていってしまったので、ショックでした。家内が買ってきた中年用消臭スプレーと口臭除けを山ほどふりかけて来ましたが。。夏は暑苦しい中年にとってつらい季節です。今日は午後から西川古都先生の舞踊の講義、夜はナディア狂言。明日は演劇学会発表です。楽しみですが、確かに忙しいです。比呂人や友恵に皺寄せいっているかなあと。。「パパの仕事が少なく」ならないと。。世間のパパはどうしているのだろうと思いますが。。「能作業の小屋」(研究業績)を更新し、トップページには弟のいいづかまきとのページにリンクを貼りました。眞喜人は学者として学問に対して真面目ですし、教育熱心なのでとてもよいと思いますが。。兄弟お互い頑張りたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年6月21日 子供達が七夕かざりを作っていました。ひろとの短冊をみたら、、「パパのおしごとがすくなくなりますように」と書いてあって。。学会とか能とかでかまっていないものなあと思いながらちょっと考えてしまいました。明日は日本の伝統と文化で、西川古都先生をお願いして日本舞踊の二回目の講義です。。とても楽しみです。夜はナディア狂言です。学生を三十人くらい引率して伺います。半世紀後も狂言の観客になることのできる学生たちです。良い観客に育ってくれるといいなあと。。本当に期待しています。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年6月19日 今週末にはもう演劇学会の発表です。本当に間に合うのかなあととても不安ですが。。でもそのようなことは言っていられないので。。がんばります。東海能楽研究会の会報も作らなくてはなりませんし、、私学振興基金の助成金の報告書も書きかけです。。少しずつ片付けたいです。ではまた、皆様お元気で。。
2007年6月18日 「お稽古場観世流」に西村高夫先生の邯鄲・鵜飼・三井寺を追加させて頂きました。学生時代からの先生ですが、とっても良いなあと思います。観世喜正先生からも、配信して良いですよとおっしゃってといただけましたので、近日喜正先生の「お稽古場」のページもオープンしたいと思います。協力して下さる先生方に本当に感謝です。謡曲が全世界に広まるようにと思います。作曲家の渡辺さんと二人でPODCASTの番組を配信できるページを開きたいと現在勉強中です。近日開店したいです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年6月17日 昨日は名古屋からみんなで帰ったら安城についたのが七時すぎていたので、暑くて食欲がなかったこともあり、みんなスーパーですぐ食べられる冷やし中華買ってきて食べました。家内が作るのよりもお酢がたくさんはいっていてすっぱかったのですが、友恵が「すっぱーい、何がはいっているの。。」比呂人が「これはお酢がはいっているのよ。。」友恵「えー、おすって動物の男の子のことでしょう。冷やし中華に男の子ははいっていません。」家内が「いやこのお酢は、酢酸といって。。といってもわからないわよねえ。。」パパもうまく説明できませんでした。なんということはなく全部食べ終わって食事は終りましたが、うーーん、日本語を教えるのは難しいです。今日は家族は熱田教会に礼拝に出かけていますが、私は演劇学会の発表準備で家におります。。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年6月16日 仕事の手間や段取りが悪いせいか、、なかなか勉強が進みません。来週は日本演劇学会の発表なのですが。。私も四十六歳、私が院生のころ学会でそのくらいの年配の先生の発表というと、、年齢差でいえば田口和夫先生の年配にあたりますが、なんか貫禄があって、分かりやすくて、将来ああいうふうに出来たら良いなあと思ったものですが。。私はいつもばたばたで、院生の模範にはとても成れそうもありません。忘れてはいけないからとメモを書いてそのメモの場所を忘れるというような。。コーヒーの飲みすぎか胃が悪くて、ひろとが側に寄ってきて、パパくさーいと言って逃げてしまってショックでしたが。。今日は家内はPTAの役員として通学路点検、子供たちは午後から筧先生の能楽こども教室です。昨年は中村と津の二教室でした。本年度は東海能楽研究会主催の子供教室も伝統文化活性化国民協会より中村教室・津教室・豊橋教室と三教室が採択され、幼稚園以上の子供達が無料で稽古を受けることができるようになりました。いま六月からのタームの子供達募集中です。豊橋教室など四十人越えていて、すごいなあと思いますが。。僕は午後から岡明彦君が世話をしている名古屋の文化振興の研究会に参加します。午前中はせめて勉強します。小西甚一先生は、あの激務の中で、ワープロもネットもない時代にどうやってあれだけの調査をして論文を執筆することが出来たのだろうと思いますが。。それだけでなく、弟子がお邪魔すると、すごく親切に教えてくださいましたから。ただ、身体に無理したら私の場合はとても九十歳まで持ちません。私は百歳まで生きて能を楽しむことを目標にします。そこだけでも師匠を越えたいです。。。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年6月13日 七月一日豊田能楽堂の西村同門会には長田郷先生の「調伏曽我」がでます。名古屋では大変珍しい曲です。「調伏曽我」なんて僕もみたことがないなあと家内にいったら、友恵が「えーっ、朝食蕎麦あっ。友恵はホットケーキがいいなあ。。」と。。確かに発音が似ているかもと思いました。。ではまた、皆様お元気で。。
2007年6月10日 昨日は椙山高校3年生説明会。。学部の内容を文化情報学部希望の学生さんたちに説明するのですが、私は司会でした。土曜日にも拘らず、大勢の先生方が手伝って下さって感謝でした。また椙山高校OGの学生さんが四人手伝って下さったのですが、さすがに生徒さんの聞きたいところを要領よく説明してくださって感謝でした。昨日・今日と天気が悪く、雷が鳴ったり土砂降りになったり。。しかもかなり寒いです。梅雨ですから仕方ないのですが、もう少し寒暖の差がないと助かります。今日は日本演劇学会の発表準備をします。子供達は津の長田先生の仕舞教室に行きます。雨がきついので近鉄がちょっと心配ですが。。ではまた、お元気でお過し下さいます様。
2007年6月8日 今日は「日本の伝統と文化」の講義に西川古都先生に来ていただきました。NOSSという新作舞踊だったのですが、体操の要素を取り入れたというだけあって、ゆっくりな動きに見えるのですが、全身の筋肉を使ってとっても運動になりました。大変お忙しい中に、熱心に指導して下さった西川古都先生に本当に感謝致します。門下の西川古鍈さんは本学部の学生さんですが、よく手伝っていただいて感謝でした。受講生もみんな頑張ってやってくれたと思います。午後の講義なので寝てしまう学生もいるのですが、今日はさすがに全員ばっちり起きていました。こういう身体動かす講義もいいなあと。。次は22日に古都先生にNOSSの後半を教えていただきます。楽しみです。明日は椙山高校3年生説明会、、生徒さんがたくさん来ます。文化情報学部のパソコン室とスタジオを使って学部の教育の中身を説明します。わたしは司会をします。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年6月6日 期待していた助成金が外れてしまいました。残念です。でも、助成金があってもなくても、出来ることはやらなければならないと思います。さて、いまどのように勉強することが可能なのか。。23日の日本演劇学会発表、7月の「紫明」の投稿原稿。。やはりきちんと調べてやりたいなあと思うのですが。。なぜか時間が早く過ぎて行きます。ふーっ。。でも頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年6月5日 6月23日に日本演劇学会で研究発表をします。発表を申し込んだときはまだまだ時間があるので大丈夫と思っていましたが、気がつくとあと三週間ないのだと思って少し焦っています。準備にキアイ入れるために、ここに学会に提出した「発表要旨」あげさせて頂きます。がんばって調べなくてはと思います。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過しくださいますよう。
「昭和初期の能楽ー新聞・ラジオ放送と蓄音機レコードを中心に」
飯塚恵理人
椙山女学園大学文化情報学部准教授
erito@sugiyama-u.ac.jp
使用機材 ノートパソコン持込(ウィンドウズ・メディアプレーヤーで謡曲録音を流す)
要旨
昭和初期の大不況は従来の能楽の保護者であった地主や豊かな商家の経済力を落とし、「旦那衆」が共同して「能楽会」という保護団体を組織し、能楽を催すという従来のシステムが行き詰まっていた。一方、このころには会社員・公務員など資本は持たないが大学卒で高給を取る新興の「知識人階級」が勃興した。また蓄音機レコードにより、芸能は演じられる場所とその入場料から開放される。このため謡曲は上流階級でなければ聴くことができないと言う制約がなくなった。謡曲は蓄音機レコードやラジオで流され、「知識人階級」に愛好者を増やした。新聞社は、「知識人階級」を対象に新聞社の「講堂」を用いて、「一日限り」「一人席」の券を販売する催しをはじめる。この催しは、サラリーマンの勤務時間を考えて、土曜日・日曜日や、あるいは平日の夕方から「夜能」という形で行なわれた。切符の販売も新聞社の受付などで行い、出演能楽師を通さずとも直接購入することが出来た。新聞社は、自らの新聞記事にその能を取り上げることによって広告を行い、催しは興行として成功を収める。またラジオの全国放送で観世元滋・梅若万三郎・宝生重英などが謡曲を放送する。地方の人はラジオによって「東京」の家元の声を知り、地方でも家元のレコードで稽古をするようになる。このことによって謡い方が全国統一される。本発表では、昭和初期において、蓄音機レコードとラジオ放送、新聞というメディアが能楽をどのように変えたのかについて、新聞記事と蓄音機レコード音源より考察したい。レコード音源としては、明治・大正期に「観賞用」に作られた宝生九郎・観世清廉・初世梅若万三郎のレコード、昭和初期以降の観世元滋・宝生重英・松本長などによる「稽古用」の独吟のレコードの両方を聴いていただきたいと考えている。
2007年6月3日 今日は、朝家内と子供を連れて熱田教会の礼拝に参加しました。幸謡会の「求塚」のイヤホンガイドをお引き受けしていたので、聖餐式後に失礼して能楽堂に行きました。渡辺康さんが御夫妻でいらしてくださり、また三苫さんが聞いてくださっていたので心強かったです。近藤幸江先生はとても真面目な芸をされます。びっくりするような型はないのだけれど、きちんとしているというか。。でも「求塚」はとても地味な能で、テーマが重いので。。やっぱり難しい曲なのだなあと思いました。舞台の邪魔にならない解説を心がけたつもりですが。。イヤホンガイド聞かれた方から御感想いただけますと幸いです。明日からまた講義です。がんばります。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
「求塚」イヤホンガイド原稿 2007年6月3日 幸謡会
椙山女学園大学文化情報学部准教授 飯塚恵理人
笛、小鼓、大鼓、太鼓の囃子方が、楽器の調子を整えるお調べが聞こえて参りました。まもなく開演となります。
最初に、物語の筋を述べたいと思います。西国方より出た僧が、都に上る途中、摂津の国生田の里、現在の
幕を片方のみあけて、囃子方が登場いたします。笛 藤田六郎兵衛、小鼓 後藤嘉津幸、大鼓 河村真之介、太鼓 加藤洋輝の各師となります。
後見が塚の作りものに引き回しをつけて、大鼓・小鼓の前に起きます。「求塚」という設定です。塚の上に草が茂っていることによって、亡くなってから長い時間が経っていることが表現されます。
次第の囃子で、脇の旅の僧とともの僧が登場いたします。脇僧を飯冨雅介、つれの僧を橋本宰が勤めます。ともに角帽子、無地熨斗目に水衣で、旅の僧の扮装となります。
(鄙の長路の旅衣)ワキ 田舎から長い旅に出て、田舎から長い旅に出て、都に急ぐことにしよう。
旅の僧は、自分たちが西国から出て都をめざすことを言います。
道行(旅衣 八重の汐路の)旅に出て、波の続く海沿いの路を、浦にそって歩いたり、また船で行くこともある旅の道であるのだが、海や山を越えてはるばると何日もかけて行くと名前には聞いていたが観たことはない、摂津の国の生田の里に着いたのである。生田の里についたことである。
旅僧は生田の里を眺めることに致します。
一声の囃子でシテの里女が連れの女性二人と登場いたします。シテの面は若女、着付は金銀観世水の摺箔、七宝の鬘帯、藤文様の腰帯、白の水衣、赤地の藤文様の縫箔を腰巻としてつけています。ツレの面は小面、着付は銀の摺箔、赤地縫箔、鬘帯、腰帯、白の水衣です。水衣は労働をしている、もしくは旅をしているという設定のときに用います。野辺に若菜を摘みに来ているという設定です。シテの里女を近藤幸江が、ツレのともに若菜を摘む女たちを加藤春枝と今沢美和が勤めます。季節は新春で現在の二月上旬、春とはいえ大変寒い季節であるという設定です。
(若菜摘む)里女 若菜を摘む、小野の生田の朝の風に、春とはいえ寒い風が吹き付けて、袂がはるがえることだ。
ツレ 木の芽もふくらむ春であるが、
里女 ツレ 森の下草はまだ寒々としている。
(深山には松の雪だに)里女 深い山では、まだ松に積もった雪も消えていないのに、
ツレ 都ではもう野辺の若菜を摘む季節となったであろうか。その様子を思うだけでも心が惹かれることだ。
(ここはまた)里女 ここはもともと都から離れた田舎で、私たちは田舎人であるので、辛い境遇のなかで生きているのだが、命の続く限りつらい仕事をして、心が晴れる間もなく、野原に出て
下歌(若菜摘む)里女・ツレ 若菜を摘むのだが、もはや何人の里人が通ったのだろうか。足跡で野原も雪の消えている所が多くなったことだ。
上歌(道なしとても)里女・ツレ 雪が消えずに道がなかったとしても、踏み分けて、道がないとしても踏み分けて、沢地の若菜を今日は摘むことにしよう。雪が溶けるのを待っていたら、若菜もその時期をすぎてしまうかもしれないから。強い風が吹く森の木陰や、野原の雪もまだ冷たいのだが、春とは言えまだ寒い、七草が生き生きしているという名前を持つ、生田の若菜を摘もうよ。
僧は里の女たちに、求塚の場所を尋ねます。若菜を摘むのに忙しい女性たちは、答えようとせず、僧にも旅を急ぐように言います。
(御身も急ぎの)里女 あなたも急ぎの旅なのに、どうして休んでいらっしゃるのですか。
(されば古き歌にも)シテ ですから古い歌にも
(旅人の道さまたげに)地謡 旅人が、道を急ぎながらおもわず時間を取って摘んでしまうのは、生田の野原の若菜なのだと読まれています。つまらないことです、なにを質問なさるのでしょう。
女性たちは、歌を謡いながら若菜を摘みます。若菜は若さの象徴であり、若い女性にも喩えられました。若菜を摘む歌の中に、「若紫」という語が出てきますが、「若紫」は「伊勢物語」で若い女性の象徴として使われ「源氏物語」では紫上の少女時代の名前として使われました。若菜を摘む場面の中に、若い女性の恋の影が歌われることになります。
(沢辺なる)沢のほとりの氷はまだ薄く残っているけれど、水中の深くから生えている芹を、水をかき分けて青緑の色のまま摘むことにしよう。青緑の色のまま、さあ摘むとしよう。
ロンギ (まだ初春の)地謡 春になったばかりの若菜には、まだ種類は多くないだろうが、どのようなものがあるのだろうか。
(春立ちて)シテ 里女 春となり新年となったのだが、新春の朝の野原を見ると雪が積もってまだ去年のような気持ちがする。新年になってから生えた若菜は少ないから、去年のうちに生えた古い葉の若菜を摘もう。
(古葉なれども)地謡 去年生えたので「古葉」と言われるがまだ生えたばかり、若々しい若草といってよかろう。若い美しい女性にも喩えられる若菜なのだから、気をつけて摘みたいものだ。
(春の野に 春の野に)里女 春の野に菫を摘みに来た昔の人、あの人が摘んだのは「若紫の菜」であったというが、それで若い女の人と恋に落ちたのだろう
地謡 緑の色もその菜に染まっていることで有名な
里女 長安の薺は
地謡 からの都のものなので辛薺、白み草もあるが、有明の白い月の出ている夜明け方で、まわりが白く、そこに白い雪まであるのだから、色の白い白み草は紛れて摘みにくい。そして摘みにくいが、摘みにくいほど春はまだ寒く、朝吹く冷たい風、また森の下枝(しずえ)は雪の重みで垂れ、およそ春らしくもなく白い波の形に雪が残っていて、川風に吹かれた袂が寒々と翻る。寒さが厳しくこれ以上摘めないので、摘み残して帰ろう。摘み残して帰ることにしよう。
問答(いかに申すべきことの)
若菜摘みの女性は帰ってゆきますが、その中の一人が残り、僧を求塚に案内します。
僧が求塚の名の由来を尋ねると、里の女は、うない乙女のところに小竹田男と血沼の丈夫の二人が同時に恋文を送ったこと、一人に靡いたならばもう一人の恨みが深いだろうとどちらにも靡くことがなかったこと、そして二人が射た矢が同じ鴛鴦の左右の羽にあたって、鴛鴦の夫婦の片方が亡くなったことを述べます。乙女は深く悩みます。
(住み侘びつ)この人の世に住むことが辛くなったので、自分の身を捨ててしまおう。摂津の国の生きるという名を持つ「生田」という地名は、名前だけのことだったのだ。
(これを最期の)これを最期の言葉として、この生田川の川波に沈んだのだが、里人が取り上げてこの塚の土の中に埋めて葬ったのだが、二人の男は、この塚に乙女の姿を求めてきたのだが、生きている甲斐がないのにいつまで生きているべきだろうかと、刺し違えて亡くなったので、この二人の死も私の仏教的な罪業となってしまったのだが、この罪業を助けて欲しいと言うかと思うと、塚の中に入ってしまったそうだ。塚に入ってしまったとのことだ。
(物着)
生田の里のものが登場し、僧の求めに応じてうない乙女と二人の男の亡くなった子細を話します。狂言方の役で野村小三郎が勤めます。通常の里人は肩衣に短い袴で勤めますが、ここでは落ち着いた雰囲気を出すために、狂言の長裃で勤めます。
僧たちは、うない乙女の成仏を祈って読経いたします。
(一夜臥す)ワキ 一夜ここに寝て、牡鹿の角の間のような短い束の間の間のことであったのだが、求塚の塚の草の間から姿を現した亡霊を弔うために経文を声を立てて読むのである。
(南無幽霊)幽霊がこの世への執心を断ち切って悟りを開き、生死を繰り返す六道を離れて速やかに成仏しますように。
出端の囃子で、亡霊の声が聞こえ、やがて姿を現します。後ジテは亡くなった後のうない乙女の姿で、面は痩女、浅黄色の大口に白綾の壷折、白地に南天の鬘帯、白地に笹文様の腰帯となります。面の頬が痩せていることによって、死後もなおこの世に執着し、地獄の責め苦によって憔悴していることを表現いたします。
うない乙女(おうこうや人稀なり) うない乙女は求塚のある墓所の様子を謡います。
なんと荒れ果てた広い野原に人の姿はまばらである。私の古い墓以外に何がここにあるだろうか。人の死骸を食い争う猛獣は去ったかと思うと、次の死骸を求めてここに残る。塚を見守る人魂は松風に乗って飛び交い、稲妻といい朝露といい、世の中の空しい様子は目の前に新たである。
うない乙女(古墳多く)古い墓の多くは、若くして亡くなった人のものである。「生田」という「生きる」という名前にもよらない短い命であって、
地謡(去って久しい)亡くなって長い時間を経たこの世の人の
うない乙女 読経の声は非常にありがたい
地謡 ああ、この世で生きていた頃が恋しいことだ。
(されば人)地謡 考えてみると、人間と言う者は、一日一夜という短い間にも、八億四千もの物思いをすると言われている。まして私は亡くなって長い年月が経ち、私が生きていた天の帝のときから遠く隔たった堀河天皇の平和な時代となっているのだから、私ももう一度人間の世界に戻りたいものだ。いったいいつまで、この苔の下に埋もれていなければならないのか。いや苔に埋もれきってもしまわないで、焦熱地獄で身を焼く苦しみを味わっている私の火の付いた家の住処を御覧になって下さい。燃え盛る家のような苦しみの住処を御覧下さい。
うない乙女は、この世において、二人の男性に同時に求婚されるといったことがなく、恋が叶って幸せな生活ができればよかったのにという思いを地獄に堕ちた今も思い続けています。その人間界に対する未練が無くならない限り、成仏することは出来ません。僧はこの世への未練を断ち切るよう勧め、読経します。
(あらいたはしの)僧 ああ、いたわしいご様子ですね。この世に戻りたいというお気持ちを極楽に行こうという道に向けるならば、莫大な罪からも逃れることが出来るのです。地獄・餓鬼・畜生道に堕ちるような悪業や、生・老・病・死の苦しみは、極楽を願うことですっかり消滅するのです。はやく成仏してください。
(有難やこの苦しみの)うない乙女 ああ、有難いことだ、地獄の苦しみの絶え間のないうちに、読経の声が聞こえて、焦熱地獄の煙の中で、少し晴れ間が見えることです。
この部分からは、乙女が地獄で受けている苦しみを僧が見る場面となります。両手を二人の男に引かれ、自分ゆえに命を失った鴛鴦が地獄の鳥となって乙女をつつきます。
(恐ろしやおことは)ああ恐ろしい、あなたはどなたですか、何と小竹田男の亡くなった魂だと言うのですか。またこちらは血沼の丈夫の亡魂で、左右の手をとって、こちらになびけと責めるけれど、この地獄の世界をどのように出ろというのですか。また恐ろしいことに人魂のようなものが目の前に飛んできたのを観ると、鴛鴦が地獄の鉄の嘴を持つ鳥となって、嘴も足も剣のようにするどい鳥が、頭をつついて私の脳髄を食べる。これは全く自分の罪業の故なのだろうか。恨めしいことだ。
(なう御僧)うない乙女 もうし僧よ、この地獄の苦しみをどのように助けていただけますでしょうか。
(げに苦しみの)ワキ 全く地獄の苦しみの時間が来たのだと、言う間もなく塚の上に、火炎が一塊飛んで来たかと思うと覆いかぶさり、
(光は飛魄の)光は空を飛ぶ鬼となって、
(しもとを振り上げ)鞭を振り上げて追いかけてくるので
(行かんとすれど)逃げようとしても前は海で
(後は火焔)後ろは火炎が燃え盛っており
(左も右も)左も右も水や火に責められる場所で
(せんかたなくて)どうにもならなくて
(火宅の柱に)燃えている家の柱に取り付くと、柱はそのまま焔と成り、
火の柱に抱きつくこととなる。
ああ熱いこと、我慢できないこと、
(しこうじて起き上がれば)やっとのことで起き上がると
(しこうじて起き上がれば)地謡 ようやく起き上がると
地獄の獄卒は鞭で追い立てるので、よろよろと歩き出して、
(八大地獄の)八大地獄の数の苦しみを僧の前で罪を懺悔するために御覧に入れよう。
(まづ等活)まず等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、炎熱地獄、極熱地獄、無間地獄、この八つの地獄の一番底の無間地獄の底に、頭を下に、足を上にしてまっさかさまに堕ちて行く、三年三月の間の苦しみが終わって、
(少し苦患の隙かと思へば)少し苦しみの合間となったかと思うと、鬼もいなくなり、火炎も消えて暗闇となったので、
(今は火宅に)今は火宅にも喩えられる人間界の墓の、もとの住処はどこだろうかと、暗いことは暗いし、向こうを探し、こちらを求め、求塚はどこだろうかとよろめき歩いて行くと、やっと求塚を探しあてたので、草の陰の露がはかなく消えるように、草の露が消えるように、なくなった乙女の姿は消えてしまった。乙女の姿は消えてしまったのである。
うない乙女の亡霊が、またこの世に戻り、次は幸せな生活をと思ったのならば、また地獄での苦しみを受けることになります。乙女がこの世に未練を残すことなく、極楽を願うにはなお長い時間の弔いが必要であることを予感させて、一曲は終曲を迎えます。
能は余韻を味わう芸術です。拍手はシテが三の松、舞台の向かって左の幕に一番近い松を通り過ぎるまでご遠慮下さい。
本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が勤めさせていただきました。御清聴ありがとうございました。
2007年6月2日 昨日は、留学生の伝統産業見学の実習の引率で、常滑と半田に行きました。常滑の「焼き物の道」に行き、食事のあと手びねりでの陶芸実習、半田のミツカンの「酢の博物館」の見学でしたが、大変充実していました。留学生九人、語学ボランティア十六人、引率が木村先生と事務の堀田さんとカルフさんと私の四人、事前のパンフも木村先生や事務の方々のご指導のおかげでとてもよいものが出来ました。留学生の人たちに日本語の看板や焼き物の作り方など説明してくれた語学ボランティアのみなさんに本当に感謝でした。いつも思うのですが、うちの学生は親切なのですよね。。昨日は能楽堂の定例能のイヤホンガイドの担当でしたので、「酢の博物館」見学の終了した時点で失礼して、能楽堂に行きました。昨日は野村小三郎の引敷婿と辰巳満次郎の邯鄲。辰巳先生の邯鄲は本当に素晴らしかったです。椙山女学園大学の学生さんも十四人、父兄も二人参加いただけました。イヤホンガイド、自分では反省点も多いですが。。学生さんから将来能のファンになる人が出るといいなあと思います。昨日の原稿を掲載させて頂きます。皆様お元気でお過し下さいます様。
邯鄲 イヤホンガイド原稿 飯塚恵理人
笛、小鼓、大鼓、太鼓の囃子方が楽器の調子を整えるお調べが聞こえて参りました。まもなく開演となります。最初に、本曲の粗筋を簡単に述べておきたいと思います。
最初に、邯鄲の里の宿の女主人が登場します。女主人は、あるとき不思議な仙人に宿を貸したところ、宿のためにということで邯鄲の枕というものを頂いたといいます。この枕でまどろむと少しの間に夢を御覧になって、悟りを開くのだと述べます。そこに廬生という人が、楚国に尊い高僧がいるというので、人生について尋ねたいと思い旅をしていると述べます。廬生は邯鄲の宿につき、一夜泊めて欲しいと言います。女主人は邯鄲の枕の話をして廬生に一眠りするようすすめます。そしてその間に粟の飯を炊こうと言います。
廬生の夢に、勅使が登場し、廬生が帝位につくようになったと告げます。廬生は王となり、五十年の間栄華を尽くします。しかし本当は夢の中の出来事ですので、夢がさめ、女主人に粟の飯が炊けた事を告げられます。廬生はこの世の栄華のはかないことを知り、悟りを開いて枕に感謝して故郷に帰ります。
「一炊の夢」という言葉の「炊」はご飯を「炊く」という字を用います。世の中の栄華は「ご飯を炊く短い間に見る夢のようにはかないもの」であり、栄華や出世に拘泥することを戒める価値観がこの能の根底にあります。
幕を片方だけあけて、囃子方が登場いたします。笛:藤田六郎兵衛(ふじたろうろびょうえ)、小鼓:後藤嘉津幸(ごとうかつゆき)、大鼓:筧鉱一(かけひこういち)、太鼓:加藤洋輝(かとうひろき)の各師となります。
後見が、大屋台の作り物を脇座に出します。邯鄲の旅の宿ですが、廬生の夢の中では宮殿という設定となります。
最初に、宿の女主人が登場いたします。狂言方の役で野口隆行が勤めます。頭に鬘をつけていることにより、女性であることを表現します。側次をつけていることによって、この女性が中国の人であることを表現します。手に枕を持っています。この枕で寝ると、悟りを開くことが出来るという不思議な枕です。女主人は旅人を待つ事を述べて後ろに下がります。観客からは見えないという約束事です。
次第の囃子で廬生が登場します。辰巳満次郎が勤めます。面は邯鄲男、黒頭、萌黄地立枠牡丹総模様の唐織厚板を壷折に着附けています。袴は浅黄地蜀江模様半切、緑と白の石畳の腰帯、縫箔、掛絡の装束で、仏道に心を寄せる悩み多き中国の青年を表現します。唐獅子と牡丹の描かれた唐団扇を持つことによって、中国の人であることを表現し、また掛絡(から)を掛け、水晶の数珠を持っていることによって、出家してはいませんが、仏道に心を寄せていることを表現します。
(浮世の旅に迷ひ来て)いま出ている旅ばかりでなく、人生という旅も迷いの多いものだが、私は夢のような迷いからいつ悟りを開くことが出来るのだろう。
(これは蜀の国の傍らに)廬生は、仏道を聞くことができる人間として生まれながら仏道に入ることも願わず、漫然と月日を送っていると述べます。そして楚国の羊飛山に尊い高僧が住んでいると聞いて、自分の将来や一生のことを尋ねたいと思って旅をしていると述べます。
(住み馴れし)この部分では、廬生が住みなれた国を出て、はるかに遠い道のりを旅して、名前だけは聞いていた邯鄲の里についたことが語られます。
(急ぎ候ほどに)邯鄲の里についた廬生は、ここで宿を借りようといいます。
女主人に宿を頼みます。
この部分から旅館の一室という設定となります。
女主人がどこの出身で、どこに行くのかと尋ねます。
廬生は高僧を尋ねて羊飛山に行こうとしていることを述べると、
女主人は仙人の法を身につけた人に宿を貸したところ、いただいた邯鄲の枕というものがあり、それをして眠ると過去・未来のことがわかって悟りを開くといいます。廬生はその枕をしてまどろむことにします。
(さてはこれなるが)さてはこれが噂に聞いていた邯鄲の枕なのか。今度の旅は自分の人生の意義を知りたいと思ってでかけた旅なのだが、その始めに、夢の告げで人生を知ることが出来るというのは、天が与えてくださる恵みと考えてよいのだろう。
(一村雨の雨宿り)にわか雨が降ったことによる雨宿りで、日はまだ高いのだが、仮寝に夢を見ることがあるだろうかと、邯鄲の枕に臥したことだ。邯鄲の枕をして眠ったのである。
勅使が登場し、廬生に帝位に着くことになったので、輿という人が担ぐ乗り物に乗るよう勧めます。ワキ方の役で高安勝久が勤めます。色入厚板・側次・白大口・中啓扇の装束で、身分の高い臣下であることを表現いたします。側次をつけているので、日本の宮廷ではなく、中国の宮廷であることを示します。
王と后のみが乗ることが出来る「玉」という宝石がちりばめられた「玉の輿」です。廬生は天にも昇るような嬉しさでこの輿に乗ります。
(玉の御輿に乗りの道)帝位の象徴であるこの玉で飾られた輿に乗るのだが、仏法の真理を知らないものなのでこの栄華もひと時のことであるとは夢にも知らず、華やかな宮廷の人になったのは不思議なことであった。
(勅使の高安勝久師と輿かきの杉江元師・椙本正樹師が切戸から退いた。入れ替わりに、子方の舞童と大臣の飯冨雅介師が登場された。この部分の解説を書き落としていたので、「舞を舞う貴族の師弟と大臣が登場いたします。大臣は飯冨雅介師が勤められます。ととっさに入れたが、飯冨師の装束については入れられなかった。)
(ありがたの気色やな) この場面からは、廬生が帝位についた楚国の宮廷の豪華さが語られます。この部分は経文に描かれる極楽が、この世に現れているという形で描かれています。
まったく素晴らしい様子だ。宮城はもとから「雲の上」と言われている世界なので月の光は明らかに輝き、宮殿の雲龍閣や阿房宮には光が満ちていてなんとも言えない素晴らしい様子で、庭には金銀の砂を引いて照り輝き、四方の門には宝玉の戸を立てているので、この門を出入りする人まで光り輝く姿をしているのは、話に聞く極楽の都の喜見城の豊かさもこのようなものであろうかと思われるばかりであった。そのうえ、幾千幾万の宝物を献上してくる領主たちの旗は天を彩るばかりに多く、諸侯が朝貢礼拝する声は地に響くほど夥しい様子である。
(東に三十余丈に)宮城の東には三十丈を越える銀の山を築いて、金の日輪を出し、西には三十丈を越える金の山を築いて、銀の月輪が出してある。これは
宮殿の中には栄華が限りなく続いて、月日が外に移ることはないという意味を象ったものである。
廬生は「極楽」のような環境で毎日を過ごします。
(いかに奏聞申すべき事の候)大臣が来て、廬生に即位して五十年になったと述べます。そして千年の寿命を保つという仙人の薬を勧めます。酒の名は「天のこんづ」、盃の名は「こうがいの盃」と言います。廬生はその盃を飲み、家来たちに勧めます。
(国土安全)国土が安全で、栄華がいよいよ増すというめでたい酒ならば、さあ飲もう。
(廻れや盃の)さあ、みんなも盃を受けたらよいだろう。子方が立って舞います。この子方の舞いを「夢の舞」と呼びます。田口将成(たぐちまさなり)が勤めます。金の風折烏帽子・襟赤・子方用の厚板・白大口・紫地花の丸の長絹の姿で、身分の高い家の子弟という設定です。
侍臣も次から次から盃を回して詩を詠むのだが、詩が出来るよりもはやく盃が回ってきた場合は、手で盃を留める。その袖の菊衣の花の袂を翻して舞を舞うと、挿す手、引く手に月日の光が添い、輝くばかりの美しさである。
(我が宿の)一年に一度、九月九日の重陽の節句ごとに、菊の白露をとって溜めておくしずくは、いったいどれほどの永い時間をかけたならば、深い水を湛えた淵となるだろう。我が君の栄えは、その永い時間よりもさらに永く続くことだろう。
この和歌の通りに、仙人の薬である酒も泉であるから、いつまでも尽きることはない。いくら汲んでもいよいよ湧き出て、これを飲むと神々が飲むという甘露の味わいもこのようなものであろうかと思われるほど美味しい。心も晴れ晴れとして、空を飛ぶことが出来るような軽い気持ちで、しかもこの楽しみが夜昼となく続くのであるから、栄耀栄華にこの上があるはずはないのである。
子方が舞い納めます。廬生は喜びの余りに、自分も立って舞い始めます。
廬生はこの部分から「楽」を舞います。「楽」は能の中で中国の人が舞っているという設定のときに舞われる舞です。
(楽の三段目で)蘆生は一畳台から下りるように見えておりないという所作をします。「空下り」と言い、蘆生が寝ぼけているという表現です。このため、通常の楽よりも三段目が長くなります。
(↓この部分は本番では続けて読んでしまったが、他の部分に入れたほうがよかったかも知れない。)
この舞台の上で語られている世界は、廬生の夢の中であり、それゆえ、現実の世界ではありません。ですから、千年の寿命を保つことが出来るという仙人の酒であるとか、太陽と月が一度に出て、四季の花が一度に咲いている世界であるとか、現実にはない世界、つまり仙人の世界が語られます。
(いつまでぞ)いったいいつまで続くのだろうか、この素晴らしい栄華の楽しみも常盤木の色が変わらないように長く続き、仙人の酒を飲んだことにより、またこれからも幾久しく変わらないのだ。
このように月の世界に住む仙人のような軽やかな気持ちになって、軽い袖を翻して喜びの歌を歌い、舞を舞っていると、夜であるのに日が出て明るくなる。夜かと思っていると昼となっており、昼かと思っていると月が美しく出ている。
また、春の櫻の花が咲いている一方では、秋の紅葉が色濃く染まっており、夏の景色だと思っていると、冬のように雪が降るという有様で、四季の景色が目前に現れ、四季おりおりのあらゆる草木の花が一度に咲いている。実に美しい、不思議な景色なのである。
こうして時が過ぎて行くと、五十年の栄華も終り、実は夢の中の出来事なので、みな消えてしまって、かつての邯鄲の枕の上に眠っていた夢は覚めたのだった。
女主人が、粟のご飯が炊けた事をつげ、廬生を起します。廬生はいままでの楽しみが夢の中の出来事であったことを知り、呆然とします。
廬生は夢から覚めて、
廬生は夢から覚めて、五十年の素晴らしい楽しみの世界が忽ちに消え去ったので、ただぼんやりと起き上がって、あたりを見て
ああ、いままであれほどにまで大勢いた
女御・更衣の声と聞いていたのは
松を吹く風の音となり
立派な宮殿・楼閣は
邯鄲の旅館となり
栄華を誇っていた時間は
五十年であり、
さて夢を見ていたのは
粟のご飯が炊けるまでの短い間に過ぎなかったのだ
ああ不思議だ、想像もつかないことだ。
よく人間の有様を考えてみると、
百年の間楽しみを尽くしたとしても死んでしまえば夢にすぎない。
いまみた五十年の栄華は、自分が人間として望みうるこの上もないものであった。
高い身分となり、富貴になりたいという望みも、長生きしたいという望みも、いま五十年の歓楽を尽くし、王位に就いたのだから、叶ったのである。これ以上のものを人間として経験することは不可能である。そして栄華を尽くしたとしてもすべては、ご飯が炊ける間に見る夢のような儚いことなのだ。
〔南無三宝南無三宝〕そうだ、そうだ。よくよく考えれば、人間の煩悩を解脱させてくれる高僧はこの世の栄華が夢のように儚いことを見せてくれたこの枕なのだ。まったく有難いことだ。この邯鄲の枕のおかげで、人生は夢のようにはかないものだと悟りを得て、廬生は悟りを得たいという自分の旅行の目的を果たして、国に帰っていったのである。
次に廬生が、このような素晴らしい世界に入るのは、悟りを開いて極楽に往生するときであるということを予見させて、一曲は終曲を迎えます。
能は、余韻を味わう芸術です。拍手はシテが橋掛かりの幕に一番近い松、三の松と呼びますが、そこを通り過ぎるまでご遠慮下さい。本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が勤めさせて頂きました。御清聴ありがとうございました。
2007年5月30日 雨が降っています。今日もなんか元気ないです。でも、論文は書かないとと思います。《船弁慶》の論文です。。昨日の晩、寝ようと思ったら友恵が布団の上でもにょもにょしているので、「何をしているの」と聴いたら、「だんごむしたいそう」ということで、「手足をおーきくのばしてから、くびをひっこめる。そーしたらひざを抱いて、くるりん、またぐーっとのびる、そうやって進むのよ。。」とのことで。。一人でやっていましたが、ふとんのはじまでくると、反対向きにやっていましたが。。「幼稚園でやっているの」と聞いたら「自分で考えたのよ」というのですが、、「お兄ちゃんに教えて明日はだんごむしきょうそうをするのよ。」と言っていましたが。。ためしに自分も「だんごむしたいそう」をしてみましたが、とても友恵のように「くるりん」と回れません。身体がぺきぺき言って。。子供って身体やわらかいなあと思いました。明日は、椙山の創立記念日前夜のパーティがあります。毎年ですが楽しみです。金曜日は留学生を連れて常滑に見学に行き、そのあと名古屋能楽堂定例能で《邯鄲》のイヤホンガイドを勤めます。頑張ります。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月29日 昨日の「文芸A」の講義は「保名」を取り上げました。藤間紫でしたが、かっこいいなあと。。小西先生が何かの文章で六代目菊五郎の保名を見られた記事を書かれていたよなあと思いながら講義いたしました。講義を終えて、急いで新幹線に乗って東京に行き、中野駅で名波弘彰先生にお目にかかったので、お通夜の会場の天徳院まで名波先生ご夫妻にタクシーで乗せて頂きました。おごっていただいてしまったのですが。。小西先生の御遺言で大きな葬式にしないようにということで、弟子は直接の教え子のみ五十人前後、、表章先生、田口和夫先生、中村格先生、奥野純一先生と、能の関係の先生はみなさんいらっしゃっていました。馬淵和夫先生、北原保雄先生、谷脇理史先生、平岡敏夫先生、犬井善寿先生も。。各学会を代表された先生方が多くて、小西先生が如何に多くの弟子を育てられたかとあらためて思いました。でも、実際にはまだ訃報を知らない方が多いと思います。私は結婚式の主賓をしていただいたり、本の序文をいただいた最後の弟子でしょう。。論文の文章も直接添削して頂きました。。このたびは訃報教えていただけて本当に感謝でした。表章先生に「『日本文学原論』」読ませていただきたかったです。。」と申し上げたら「うーん、そうだけれどねえ。。いまは卒寿の会をやって本当によかったという気持ちだなあ。。あの後からはもうお元気なくされたから。。昔から身体そんなに丈夫なほうではなかったからねえ。よく頑張られたよ。うるさいこといってくれる先生がいらっしゃらなくなると本当に淋しい」と仰っていました。小西先生は東京教育大学の文学部長として、筑波大学法案を国会で通し、筑波大学を実質的に作られた先生のお一人でした。東京教育大学の文学部は筑波移転絶対反対を叫んでいましたから、その中で、筑波に移転するというのは大変な決断だったと思います。筑波大学が小規模な教育大学ではなく、医学部・工学部など本来なかった学部まで作り、多くの研究所を誘致して「学園都市」を作った中に、理科系のみならず人文系の中枢となる大学を作ったのは、小西先生の功績がとても大きかったのだと思います。私は比較文化学類の六回生ですが、大学院の頃、学会に行って東京教育大学出身の先生に「僕は筑波大学なんて後輩と思わない。」と言われたことは再三でした。進歩的文化人といえば左翼で、自民党の代議士とも知り合いの多かった小西先生は、政治的な学者と思われていましたが、僕は大学を本来の研究の府として学問をするためにはどちらが良いかと言う選択だったような気がします。。少なくとも学生の前では「政治」の話はされませんでした。大学院の頃、もう名誉教授で引退されていたときに、なにかの話で、「共産主義というのはだめだねえ。。人間はそういう風には動かないよ」と言われた事と、「福田赳夫は嘘をつかない人だったよ。」と言われたことを覚えていますが。。論文を書いても先生に読んでいただいて批評をいただけないことは本当に淋しいですが、非力ではありますが、小西先生の方法を少しでも引き継いで、次世代に橋渡しする役割をしたいです。小西先生の弟子で、私が大学の頃助教授だった先生方がもう引退しつつある時期ですので。非力でも現役であるものの勤めだと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月27日 今日はペンテコステ記念礼拝でしたので、子供を二人連れて熱田教会に行きました。小西先生の御冥福をお祈り致しました。午後は子供達をおじいちゃんが栄のポケモンセンターに連れて行ってくれました。二人ともおじいちゃんにおもちゃ買ってもらって大喜びで帰ってきました。「≪船弁慶≫試解」の論文、少しでも書きたいと思います。論文を書くときには、いつも小西先生だったらこの材料をどう考えられるだろう、、と筑波時代を思い出しながら書きますが、今日も少しでも佳い仕事ができるといいなあと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月26日 今日の午前中は小学校の運動会でした。昨日急に6月3日の「幸謡会」の≪求塚≫のイヤホンガイドの仕事をさせていただけることになったので、朝6時に起きてイヤホンガイド原稿を書き始め、小学校が近いのを良い事に比呂人の出るときのみ応援に行ってあとはずっと原稿を書いていました。比呂人は徒競走六人中三番。ずっとどべだった私より余程優秀です。お弁当は両親とうちと一緒で六人で賑やかに食べました。午後の親子競技の玉入れは、私も比呂人とともに出ました。二つ入れられたので親の面目保てたような。。しかし、最年長のパパでしたので、、周りのパパ、若くて肉体派が多くて、、ちょっとぴびりました。あとのリレーは家内に出てもらって、栄の新内勝知与の会に新内を聴きにでかけて。。勝知与先生の蘭蝶とっても佳かったです。ここまでは幸せな気分だったのですが、出て栄の駅で家内から携帯に急な電話で。。小西甚一先生の訃報でした。筑波時代に教えて頂いた先生から自宅に知らせてくださったのですが。。小西先生には大学院時代『謡曲の和漢朗詠集受容』の本を編集するときからずっと教えて頂いていました。そもそも筑波大学の中世文学講座を目指すきっかけが、小西先生の学習参考書『古文研究法』『国文法ちかみち』や新書版の『中世ー道の理念』にあったわけで、父も東京教育大学の教養部で一般教養の文学で小西先生に西鶴や近松について習っていますので、二代に渡って教えていただいたことになります。とても講義を大切にされる先生でした。結婚式に主賓で出てくださったり、『夢幻能の方法と系譜』に序文をいただいたり、本当にお世話になったなあと感謝致しております。ただ、『日本文学原論』という本を構想されていて、それを上梓されることなく亡くなった事がとても残念です。よくいまこれを書いているのだとおっしゃって、調べ物をされていましたし、「僕の仕事は、この『日本文学原論』をまとめて、「小西甚一著作集」をまとめて、それで終りかなあ」とおっしゃっていましたが、、いずれお弟子さんが先生の原稿を整理されるでしょうが。。原稿はかなりあるはずなので、小西先生は未完のものを出すのは嫌だとおっしゃるでしょうが、弟子としては見せていただきたいなあと思います。心より御冥福をお祈り致します。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年5月23日 今日は三時から熱田文化小劇場で、名古屋市の音楽の先生方の集まりである音楽教育研究会で、筧鉱一先生・長田驍先生を中心に能楽囃子のワークショップを行ないました。能楽囃子はジャンルとしては「和楽器」をもちいた「音楽」です。どのようにしたら、小学校・中学校で生徒たちに能楽囃子と出会ってもらえるか、私自身、中学の狂言教室と、高校のころ観た能で、それこそ人生が大きく変りました。人生が変らなくても、子供達の人生の楽しみを増やして欲しい。そして名古屋の文化として、能があることを知ってほしいといつも思っています。筧先生から、「おみゃあさん講義あるかね」と言われて、たまたまなかったので参加したのですが、どうせですから司会させて頂きました。筧先生の考えられた教案は以下の通りで、だいたい一時間で行ないました。挨拶などに十分ちょっとかかったので、いそいでやれば小学校・中学校の一コマで充分行なうことができます。今日参加下さった音楽の先生方が、小学校・中学校で能楽囃子のワークショップなさってくださるといいなあと思いました。筧先生のグループの能楽師の先生方はみなさん子供を教えるためでしたら、交通費程度でボランティアでなさってくださいますから。今日は私も研究会の発表でしたから当然ギャラはありませんでしたが、そばで囃子を聞いていてとても楽しかったです。家に帰って、気分よかったので、子供達をさそって好きなラーメン屋さんにでかけてラーメンをたくさん食べました。よい一日でした。あしたもがんばって講義したいと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
能の音楽―囃子の魅力(於音楽教育研究会 平成19年5月23日教案)
東海能楽研究会ワークショップ 構成 筧鉱一
①はじめに 各役と楽器の紹介
能の主役はシテと呼びます。シテは舞うことによって状況を表現します。
能のコーラスを地謡と言います。
能の楽器は 笛、小鼓、大鼓、太鼓の四種類です。
今日の配役はシテ 長田驍先生 地謡 長田郷先生 笛 大野誠先生 小鼓 船戸昭弘先生 大鼓 筧鉱一先生 太鼓 鬼頭義命先生です。この単純なものの組み合わせで、非常に多くの登場人物、風景などを表現します。
シテ
男の構え 女の構え 鬼のかまえ(長田驍先生に実演していただく)
笛 笛の音は「唱歌」という楽譜によります。能の楽器の中で唯一の旋律楽器です。
能の笛はドレミファソラシドに対応していません。(大野先生に吹いていただく)
中之舞の一クサリの唱歌を謡って頂く。 一クサリを演奏していただく。
小鼓の音は チタプポの四種類です。(掛け声ナシと掛け声ありで実演)
大鼓の音は ドンとチョンの二種類です。
(掛け声つきと掛け声ナシで実演)
太鼓の音は ツクツクとテンテンの二種類です。太鼓には入る曲と入らない曲があります。太鼓が入ると、賑やかで華やかな雰囲気がでます。
(掛け声入りと掛け声ナシで実演する。)
②舞の実演
囃子には、地拍子と言って、謡曲に合わせて演奏するものと、謡曲と離れて舞のときに演奏するものとあります。謡曲が囃子に合わせる場合も、謡曲の方が囃子に合わせて演奏する部分と、アシライといって、謡曲が囃子に合わせないで謡う部分があります。
拍子合 羽衣 春霞 (謡いの部分を驍先生・郷先生)
拍子不合 羽衣 シテ謡
能は、劇ですから、神も鬼も女の人も男の人も、そして若い人も老人も登場します。その状況、年齢などを囃子と所作で表現します。それでは実演をしていただきたいと思います。(長田先生に舞っていただく)
① まず、神様が出てきて颯爽と舞う場面をお願いします。 神舞 高砂キリ
② 次に、女の人の亡霊が出てきて、恋の追憶をする場面をお願いします。このときの舞は序之舞ですが、太鼓が入るものと入らないものがあります。
太鼓ナシ 井筒 太鼓入 杜若
③ 次に、男の人が舞う 男舞をお願いします。 小袖曽我
④ 次に、中国の人という設定のときに舞う「楽」をお願いします。 太鼓入 鶴亀
⑤ 次に、巫女が梓の弓によって霊を呼び出す梓の囃子をお願いします。シテは梓に聞き入り、静かに巫女によって行きます。 葵上
⑥ 次に、山伏が怨霊を退散させるために祈るノットの囃子をお聞き下さい。速さと掛け声が異なりますが、手組みは梓と非常に似ています。
⑦ 次に、山伏が鬼や怨霊などを祈り伏せる「祈り」をお願いします。 葵上
⑧ 次に、祈りとは異なりますが、やはり闘争場面を表現する「働き」をお願いします。
以上、単純な音の組み合わせで、様々な人物が表現されることがお分かりになったと思います。囃子は、天候などの情景も表現します。例えば、「船弁慶」という曲では、平知盛の亡霊が、大波とともに義経の乗っている船を襲います。その静かな波と、大波と両方を小鼓と大鼓で表現します。では最初はゆるやかな波をお願いします。そこで、みなさんから「大波だ」と声をかけていただけますと、大波の表現に変ります。小学校などではみんなで声合わせて大波だといってくださるのですが、、どうぞよろしくお願いします。大波がさるとまた緩やかになります。
今日は楽器をたくさん用意して持ってまいりました。では、前のほうによっていただいて、笛・小鼓・大鼓・太鼓に触れてみたいと思われる先生、どうぞ触れてみてください。
それでは最後にめでたく、長田驍先生と郷先生による高砂の仕舞でお開きにさせていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
2007年5月22日 今日は西村高夫先生にスタジオにいらしていただいて、「邯鄲」「三井寺」「鵜之段」を録音して頂きました。六月・七月の定例能で「邯鄲」「三井寺」を行うのにあわせて、講義であつかうものですから、それを謡っていただいて、ホームページで公開する予定です。今日は渡辺さんがいらっしゃることができなかったので、あらためてお願いします。私も「三井寺」の「鐘之段」を少し稽古していただきましたが、声は出ないし、正座したら立てなくなるし、、大変でした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月21日 一週間のはじまりの月曜日です。何か起きるのが辛くて。。いまいちです。今日は午前中の「文芸A」、西川古都先生の「賤機帯」を講義しました。昨年の名古屋踊りのビデオを使わせていただきましたが、とても風情があって良かったです。午後は少し論文の調べ物をしようかなあと思います。少しはそういうことをしないと。。と朝書いたのですが、結局雑用で終わってしまいました。(午後五時半現在。。うーん、カナシイ。)ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月20日 今日は朝熱田教会の礼拝に行こうとしたら、、国道23号が大渋滞で、結局三車線中二車線封鎖して事故の処理していたのですが。。教会学校には間に合わず、礼拝のみ参加しました。事故車は片付けられていましたが、命に別状なければと思います。お昼はヨシュア会(壮年会男子部)担当で恒例の親子丼でしたがとても美味しかったです。子供と家内は伏見の名古屋市科学館の恐竜展にでかけ、私は市立博物館の「名古屋城本丸御殿の障壁画」の展示を観てきましたが、すごく佳かったです。本丸御殿ってやっぱりすごい建物だったのだなあと実感できました。帰って昼寝して、いま少し資料整理を始めました。明日からまた一週間が始まります。交通事故に気をつけて、またがんばって講義しなければと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月19日 今日は留学生の日本文化実習で犬山城と明治村に行きました。朝まで雨だったので心配でしたが、木村先生の作られた照る照る坊主の威力でよく晴れたよい日になりました。留学生のために、犬山の英語と中国語の語学ボランティアの方が四人もいらっしゃってくださって、丁寧に教えていただき本当に感謝でした。うちの大学の語学ボランティアの学生さんたちも多く参加くださって、ありがたかったです。明治村では、八人のグループでまわりましたが、見学最初のほうで、ぼくが小倉ドッグを食べ損ねたら覚えていてくれて、「先生、早めに帰らないと食べられないですよ。」といって、ちゃんと食べさせてもらえました。いつも思うのですが、うちの学生はとても優しいです。私は神社とか寺院とか、こういった観光地が大好きなのですが、その際には必ずその土地の和菓子とか、お土産とかを一口食べることにしています。明治村ではコロッケと小倉ドッグを食べましたが、とても美味しかったです。留学生の方や語学ボランティアの学生さんにとって、犬山城と明治村が佳い思い出となるといいなあと思いました。次は常滑実習です。晴れるといいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月18日 今日は午後から名古屋市文化振興事業団の「なごや文化情報」の編集委員会です。今年度委員をさせていただいているので、申し訳ないなあと思いつつ「日本の伝統と文化」を一回休講にさせて頂きました。二時からなので、大学に出かけてから行ってもよいのですが、明日も留学生の犬山城・明治村見学実習の引率があり、ここしばらく疲れ気味なので、大事をとって大学を休んで家で仕事しています。年齢もなのですが、やっぱり研究が思ったよりも進んでいなくて、それがストレスなのか。。僕は研究が結構うまく行っていると思うことが出来る時は、他で多少のことがあっても、まあまあ元気なのですが。。やりたい研究で「積み残し」が多くて。。もうすぐ46歳ですから、若い頃のような体力があるわけはなく、少しずつ片付けるしかないのですが。。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月17日 がんばっているけれど、人に迷惑かけてしまうということがあって、、能楽関係の助成金の申請・採択と内容変更の件でしたが。。なんとか関係各位に無理を聞いていただいて感謝です。しかし、どうしてこうもうまく行かないのか。。私の事前準備がまずいからなのですが。なんかなさけないです。会議や打ち合わせがものすごく多いです。大学関係のものも研究会関係のことも。。僕はそういうの苦手なんだなあとつくづく思いますが。。帰って演劇学会の発表要旨を作り直して出さなければと思っています。こういう仕事は学問上なのでよいのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月16日 なんか疲れています。。体力的なものか、年齢的なものなのか。。焼肉でも食べたいなあという気持ちと、胸焼けしそうだから、白身魚のおいしいやつにすべきかなあとか。。コーヒーの飲みすぎか胃の調子があまりよくないのですが、まだ食欲はありますから、よしとしなければなりません。今日は「日本語の基礎」のあとに名古屋能楽堂にでかけて展示の打ち合わせ。。こういう仕事はとっても楽しいです。大学に帰って会議録の整理と研究資料の整理。。会議録の整理は苦手です。。夜は詩吟をなさっている方がSPレコードのコレクションを持っていらっしゃるので拝借に伺います。とても楽しみです。運転には気をつけないとと思いますが。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月15日 13日に京都まで一人で往復運転したのはさすがに身体に来て、、昨日の帰りはちょっと危ないかなあと思ったので車を置いて帰りました。今日は電車で来ましたが。。13日の廣田鑑賞会の熊野。。「短冊留」。。熊野が歌を書くときに宗盛が後に立ち寄り、一緒に「いかにせむ」の和歌を詠む形ですが。。とっても情があってよかったです。宗盛も「春」を惜しむ、情理のわかる魅力的な男でないと、『熊野』という劇が成り立たないように思います。あの演出で、福王和幸っていつもより三割位良い男に見えました。普段から美男子に見えますけれど。。かっこいいなあと。。しばらく前に同窓会があって、、それ以来同級生のいろいろな情報がはいってきます。息子が大学生だとか、娘が結婚するとか、こんどおばあちゃんになる同級生がいるとか。。息子が七歳で娘が五歳だとまだ遥かですが。。ただ、そういう年長の子供を持った同級生の話を聞いて、娘を持った父親っていろいろ悩むものなのだなあと思いました。娘をもって、いろいろ心配増えたので、、学生には、私の前ではプライベートなことは話さないように頼もうと思います。今日は会議が多いです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月13日 今日は母の日です。母に電話しましたが、元気でよかったです。京都からようやく安城まで帰ってきました。廣田鑑賞会とっても佳かったです。明日以降に書きたいと思います。ではまた、皆様お元気で。。
2007年5月12日 今日は豊田能楽堂の定例能、三川泉の「巴」でした。友恵も行きたがりましたが、まだ幼稚園なので家内と豊田市の郷土博物館に行き、私と比呂人で観に行きました。最初の狂言は、比呂人もちゃんと見ていました。。休憩になって、、筧先生の御宅でいつもお稽古のときに抹茶いただいているので、二人で抹茶飲もうと。。豊田能楽堂は休憩でお抹茶を飲める場所があります。お菓子つき一服五百円です。とてもおいしいです。お茶券二枚買って、出しました。小学生で抹茶飲んでいる人はいなかったので、ちょっと得意そうに、ぴしっとしてお行儀良く飲んでいました。比呂人は我が息子ながらこういうときはぴしっとしているので。。ただ、肝心の巴のときは、、三川泉は声量があるわけではないし、姿も小さいし、。なのですが、すごく上品でかわいらしいのですよね。名古屋能楽堂のような広い能楽堂よりも今日の豊田のような、舞台と観客席が近い能楽堂だといいなあと思いました。。ただ、よこのひろくんをみたら。。前場は目をこすりながらもみていましたが、間狂言で意識を失い、後場は完全に寝ていました。終わっても起きないので最後にパパが起しましたが。。抹茶は大満足だったようで、「七月もパパと来てお抹茶飲むのよ。」と言っていましたが。。そのあとは一家で豊田のホームセンターでカブトムシグッズを買って、たこ焼きをいっぱい食べて帰りました。よい休日でした。明日は私は廣田鑑賞会で京都に行きます。楽しみですが、車で行くので運転気をつけたいと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月11日 今日は講義が一時間のみなので、頑張って勉強しようと思いましたが、、なんか疲れているのか元気が出なくていまいちでした。ゴールデンウィーク明けのせいなのか。。明日は豊田能楽堂の三川泉の「巴」、楽しみです。比呂人を連れて行きますが。。明後日は鳳の会と廣田鑑賞会、両方ともNHKテクニカルサービスに依頼してビデオ撮っていただきます。両方行きたいですが、撮影機材を運ぶ関係から京都に伺います。高速道路なので気をつけようと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月10日 木曜日は二時間目が卒業研究、三時間目が日本文化論、四時間目がプレゼミで一週間で一番ハードな日です。卒業研究、とりあえず五月中に撮影し、六月にまとめる題材決めました。良い物ができると良いなあと期待しています。選んでいるテーマをみると、どのグループもどちらかと言うとサブカルチャー的なものに関心があるのかなあと思いましたが。。明日は講義が四時間目のみなので、それ以外は頑張って論文書こうと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月9日 今日は午前中は「日本語の基礎」でした。みんな読みは結構出来るけれど、「部首」は覚えていないかなあと。。小学校で勉強することって、かえって昔過ぎて忘れてしまうかも知れません。あと、昔は漢和辞典を引くのに部首は絶対必要でしたが、いまはパソコンで「手書き」パッドで検索できますから、覚える「必要」がないのですよね。。時代が変わったなあと思います。今日は、芸術院・芸術祭と能の関係の資料のコピーなどしています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月8日 今日は午前中はメディアリタラシー、自分の持ってきた写真や動画でビデオを作るのですが、みなさんちゃんとやり方は理解していてよかったです。頑張って良いもの作って欲しいです。午後は教授会でしたら、、自分の勉強は出来ませんでした。。夜は新しくいらっしゃった栃窪優二先生と樋口謙一郎先生の歓迎会です。もうすぐバスがきます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月7日 昨日は豊田で愛知教育大学附属高校の同窓会でした。普段は集まり悪いのですが、今年総務局の五回生(同級生)の「あまこ」君は非常に人望があって世話好きなので、五回生20人以上集めてくれました。すごく久しぶりでというか、高校卒業以来という人もいて懐かしかったです。。校歌斉唱で「ああ若き日の遥かなる夢」という部分を聞いてジーンと来ました。校歌はもう青春が遥か遠くなり、初老を越えて聴くといいなあと思います。二次会では、いつもは中ジョッキ一杯までですが、昨日は二杯飲んでしまいました。今日は二日酔いだと困るので大事とって電車で来ました。今日は文芸A、、なんとか無難にすませたかなあと。。明日はメディアリタラシーです。一つずつの講義を堅実にきちんとして行きたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月6日 今日で連休が終わります。家内と子供は熱田教会にでかけました。私は愛知教育大学附属高校の同窓会の日なので、これからでかけます。あいにくの雨です。今日の全体の同窓会の後には五回生の懇親会も予定されています。卒業以来二十八年ぶりにあうひともいるので楽しみです。明日から通常授業です。学生さんたちも大変でしょうが、六月と七月が休みナシなのが長いのですよね。。連休長くしたほうが消費が拡大するということでこうなっているのですが、六月の中ごろに一日「梅雨休み」というのを作ってもよいように思いますが。。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月5日 今日は「子供の日」です。うちもひろととともえの二人に恵まれ、二人とも元気に育っていて感謝です。二人とも周囲に感謝しつつ元気に生長して長生きして欲しいです。今日の午後は筧先生の子供教室に子供を連れて行きます。楽しみです。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月4日 今日はよく晴れて行楽日和でした。作曲家の渡辺康さんがご夫妻で安城に遊びにいらしてくださったので、家内と子供も連れてデンパークに遊びに行きました。。すごい大混雑で。。最初車を入れられなくて、近くのうどん屋さんで食事して。。安城は手延べうどんが名産で、そのお店です。味噌煮込みガ名物の店で、季節的にはちょっと暑いのですが、私はベーコンチーズ味噌煮込みを食べました。結構美味しいです。。ひろとはうな重を取りました。ひろともともえもお客さんがあるときは外食できるので。。うな重を食べてみたかったそうで、大満足でした。友恵はお子様ランチでした。そのあとデンパークに行ったら駐車場で運よく一台開いていて、すっと入れました。大温室で安城市の広報に出ていた「世界最大級のオルゴール」というのを聴いたのですが。。確かにオルゴールとしてはすごいのですが、人形が指揮棒を振るのみで動きがないので。。もし動きがあったらもっとすごいのになあと思いました。でも、あれがオルゴールということを考えるとすごい技術だと思います。ひろくんはアイスクリームをたべたがったのですが、すごい行列だったので、デンパークを出て、家の近くの喫茶店で子供は甘いもの、大人はコーヒーで休憩しました。その後ちょっと自宅によっていただきました。渡辺さんには、いつも私が配信している音源ファイルを作っていただいたり、録音をしていただいたり、いつもお世話になっています。初めて本年メディアリタラシーの担当をしたのですが、春休みにはマックでの勉強会も付き合ってくださいました。私は、山根先生の影響でマルチメディアに興味を持ったのですが、音楽と所作を伴う「劇」である能は最初からマルチメディアです。渡辺さんは作曲家で、画像・映像を伴ったコンサートなども企画されるマルチメディアの専門家ですが、教えるのがとても好きな方なので、まず私が教えて貰おうと思っています。私はいま興味持っているソフトはフォトショップ・イラストレーターとガレージバンドですが。。フォトショップもイラストレーターも多少は使っていますが、結構奥の深いソフトなので。。これをきちんと勉強して身につけられたら能の教材の幅もずいぶん拡げられると思います。今日はこれから「近代能楽史の研究」の原稿整理です、まだ一冊にするにはちょっと論文の数が少ないなあと。。というか、大正時代の名古屋能楽界に関する論文と昭和初期の布池の名古屋能楽堂開場前後の名古屋能楽界に関する論文がないと、「近代」の名古屋能楽史を書いたことにならないと思いました。秋の科学研究費の出版助成に間に合わせたいですが。。間に合うかどうか。。間にあわさなければなりませんが。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月3日 連休1日目、、起きたのは九時でした。。十二時間寝ていたのかなあと。。でも、連休後もかなりハードであることを考えるといま休んでおかないとと思います。地震に備えていつもカップヌードルを十個買っておいてあるのですが、賞味期限がきて食べてしまったので、買い足しに子供とスーパーに行きました。最初にみたのは賞味期限があと二週間足らずで。。これではだめだと。。結局九月期限のものにしました。。地震はきて欲しくないです。ただ、三河地震を経験した人に聞くと安城でも本当にすごかったというので。。家内と子供が実家に行っているものですからその間に「近代能楽史の研究」の目次を作っています。来年度に刊行したいです。そのためにも秋までに形作って科学研究費申請しなければなりませんが。。こういう本を作るための準備作業をすると、どこを自分で研究しなければならないか明確になるという良い面もあります。頑張ります。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年5月2日 本田善郎先生からCBC在職中の民謡採集ノート9冊を貸していただきました。細かい文字で歌詞がびっしりと書かれていて。。昭和30年代から40年代のノートですが、ほとんどの方が当時の「古老」ですから、もうほとんど現在では聴くことのできなくなってしまった民謡の生の資料です。中部の「民俗文化」を考える上で第一級の資料だと思います。研究費がとれたら、ワープロに入力しなおして、索引をつけ、使いやすい形にして差し支えない部分を公開させていただきたいと思います。明日から四日間連休です。、とにかく休まないとと思います。新聞を見ると私と同年代の国税専門官が銀行強盗をしたり、あるいは地位のあるはずの人が痴漢で捕まったり。。きっと追い詰められてでしょうが、、私たちの年代は「受験戦争」が苛烈でした。同級生で医学部の受験に失敗して自殺した人もいます。そうやって「勝ち抜いて」きて、「先が見えてきた」ときに、きっと満足できないのだろうと思います。私どもの年代はあんまり「趣味を持て」とか「休日は子供と遊べ」というような教育を受けていないのですよね。。うちの父が私に「寝る間を惜しむな」と教えたのはきっと例外だと思います。疲れやすい中年こそ、仕事以外の趣味が大切なのだろうと。。あとなにより家族と。。よく寝て、そして『近代能楽史の研究』の構想を考えたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年5月1日 最近、、というか、前から、、当たり前ではありますが、学部にはいろいろな専門があるので、、自分の教えている分野に興味がない学生さんが少なからず受講してくれているわけですが。。どうしたらその学生さんたちにとって良い講義であるのかに悩んでいます。プロである以上、その時間中に何かを身につけて欲しいわけなのですが、まるで振り向かせられないときもやっぱりあるのですよね。それが、、能の講義とかある面「趣味」のときはしかたないなあと思うときもあるのですが、、今日の「メディアリタラシー」のマックの使い方などのときなど、、実用的な内容をしているだけに、全然興味持ってくれない人がいるとどうにも自分が無力で。。無論どんどん興味持ってやってくれる人もたくさんいるのですが、そういうひとがいるとそちらが気になって。。昔ならば怒鳴っていたかなあと思うのですが、、いまは怒鳴っても相手はよくならないことをわかっていますし、逆に暴言を吐いたことになってしまいますから。。教師は相手をよくするのが仕事で、ただ相手が気分悪くなるだけと思ったら何も言わないほうが良いのです。。しかし、難しいです。ふーーっ。名監督と言われる人はやっぱり指導が上手だし、名先生も当然そうです。さて自分はどうするか。。周囲のベテランの先生に相談しつつ、自分の講義を作ってゆくしかないです。あと、自分が疲れていないことと。疲れているとどうしてもいらいらしますから。。そういう学生はもちろんごく一部で大多数は大丈夫なので。。(その少数も振り向かせてよくしてこそプロですが。。)がんばります。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年4月30日 今日は両親を誘って一家恒例の蕨狩りに行きました。香嵐渓グリーンファームというところで、入山料がかかるのですがとにかく父が蕨狩りが大好きなので。。ひろとや友恵にも山菜狩りを教えたいと思って連れて行ったのですが。。ひろとはなかなか才能があって、結構見つけました。友恵はまだ遊んでしまうのですが、ただどれが蕨なのかはわかっているので、見つけるとちゃんと採っています。。蕨以外にゼンマイや虎杖(いたどり)も随分ありましたので取ってきました。午前中行ってお昼まで採ってそこでご飯食べて帰ってきたのですが、さすがに歩きなれないところでずっと歩いたので疲れてしまって、みんな昼寝しています。明日は通常授業です。メディアリタラシー、がんばります。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年4月29日 昨日は家で家内の誕生会をしました。私の母親が鳥料理作ってくれて、家内も赤飯とにんじんゼリーつくって、、飾りつけはひろととともえでしたが、材料全部のっけたので、もとが人参ゼリーとわかりませんでした。とても楽しかったです。夜は近くのスーパー銭湯に行きました。ひろくんは大喜びでしたが、ともちゃんは、「お湯がいっぱいあって恐いのよ」と家内にずっとしがみついていて、家内はその状態で風呂に入ったので、家内は却って肩が凝ってしまったようですが、湯上りにコーヒー牛乳とビックルを飲んで楽しかったです。今日は午前中は一家で熱田教会の礼拝にでかけ、午後は中日能の予定でチケットまでいただいていたのですが、、、家内の誕生日でしかもひろくんが大高緑地でカブトムシの幼虫をくれるイベントがあるんだからパパは並ぶのよと言われて、、イヤホンガイドの仲間にチケットを譲り、私はひろくんとともちゃんを連れてカブトムシの幼虫をもらいに大高の交通公園に行きました。昼過ぎにでかけたのにいただけて感謝でした。中日能も観たかったですが、、普段子供と遊んでいないので、やはり家内の誕生日くらい家庭を優先しないとと思います。これから夕方はスーパーに幼虫用昆虫マットを買いに行きます。疲れがとれたら少しは勉強したいと思います。明日は朝から父母を誘って一家で恒例の蕨狩りです。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年4月27日 「鳳の会」が5月13日にあります。課題の「能・狂言を観て」の対象の一つにしているものですから、「日本文化論」では「二人大名」を扱い、今日の「日本の伝統と文化」では「引括」を扱います。狂言に興味を持つ学生さんが増えてくれるといいなあと思います。5月13日は名古屋では鳳の会、京都では金剛流の廣田幸稔先生の熊野。。どちらも椙山のNHKテクニカルサービスの職員さんに撮影に行っていただきます。私は、、ほんとーに両方拝見したいのですが、、機材を京都まで運搬することもあり、廣田鑑賞会に伺います。良い催しって重なるのですよねえ。。でも、、能繁期になって嬉しいです。明日は家内の誕生会をします。ほんとーは29日が誕生日ですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月26日 連休まであと一日。。です。。新学期がはじまって、一月あまり。やはり少し疲れているかなあとおもいます。ここで休みがあるのは大変助かります。次に書きたいのは「船弁慶」の論文。。あとは、「近代能楽史の研究」の骨格部分です。連休には家族で蕨狩りに行きたいです。あと、家内の誕生日が4月29日なので、誕生会をします。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月25日 結局基幹演習つぶれてしまいました。力及ばず残念です。ずっと不人気でしたから、不徳の致すところです。頑張ってもう一度教材研究に励もうと思います。落ち込んでますが、夏の「紫明」の論文と、、あと来年上梓したい『近代能楽史の研究』の構成を考えようと思います。5月12日に豊田能楽堂で三川泉の「巴」があります。比呂人が小学校二年生になっているので、「行くか」と聞いたら「行く」というので二人で行こうと思います。友恵はまだ幼稚園なので連れて行けませんが、「巴ってどんな能」と聞くので「とっても強い女の人の能だよ」と言ったら、よこで比呂人が「友恵ちゃんがほうきとはたきでクラスの男の子全員教室から追い出しておもちゃを独り占めする能なのよ」と。。友恵はクラスの男の子より大きいし強いので、たしかに出来るかなあと。。「友恵も観に行きたい」といいましたが、まだちょっと来年までお預けです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月24日 しばらく日記を更新することが出来ませんでした。絶対睡眠時間を削らないぞと思うとそうなってしまいます。昨日の文芸A、観世喜正先生が名古屋にいらっしゃるというので、急遽「葵上」の枕之段の部分を謡っていただきました。突然のお願いで引き受けて下さった喜正先生に心より感謝致します。学生さんも本物の能楽師さんの声を聴いて、その迫力に驚いていました。。あの学生さんたちが、年を重ねて能をみてくれるといいなあと思っています。去年ゼミをとってくれた学生さんが、東海ラジオの土曜日の源石和輝の土曜スタイルという番組でADをしているそうです。基本的にマイクの接続やら、移動の際の手続きが中心とのことです。 放送の仕事と言うのはきっと実際には恐ろしく地味な仕事の積み重ねと思いますが。。でもやる気のある学生さんなので、そういうことが身になるといいなあと思っています。一度聴いてみようと思います。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。
2007年4月20日 18日は御園座で「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」、観て来ました。橋之助ってかっこいいなあと思いました。文学の研究者なのだから脚本もみなければと思うのですが、やっぱり橋之助も三津五郎もかっこいいです。テレビと違って近くで見られるのがとても良いです。でも、、三津五郎ももう50代なのですね。もはや八十助ではないわけで。。貫禄がありましたし、とっても上手なのですが、時が過ぎるのを感じました。菊之助や松也は若さが光っていていいなあと。。今日の講義で「盟三五大切」を少し取り上げたいと思います。昨日から比呂人が熱を出して、、家内が医者に連れてゆきましたがインフルエンザではないということで少し安心しました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月18日 基幹演習、、やっぱり登録〇人でした。。あーあです。20日からの登録変更可能期間にだれか履修していただけるといいなあと思いつつ。。今日の水曜日三時間目なのですが、、誰かこないかなあと思いつつ、むなしくこうやって中年日記を更新しております。ふーーっ。。ミクシィのマイミクが卒業生・学生で13人に増えました。大変ありがたいです。これまで「マイミクシィ最新日記」が更新されるごとに全て拝見していましたが、果たして読んでよいのかなあと悩んできました。教員は学生のプライベートなことは知らないほうが良いと教育されてきましたし、逆にミクシィの日記などはかなりそういう面も書かれています。(私も子供のこととかかなり書いています。)自分の子供くらいの年齢の人の日記をよんだら、、逆に父親に日記読まれるような気分になるのではと思うのですが。。私は、学生への連絡にも利用していますので、読んでもらえるとありがたいですが。。どうすべきか。。うーーん。今日は御園座の歌舞伎の夜の部に行きます。楽しみです。。論文ピンチですが。。それも頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月17日 今日はメディアリタラシー二回目で、アイチューンズとアイフォトの使い方を教えました。初めての担当なので、前の羽成先生の講義に参加させていただいて、それを参考にさせていただいているのですが、大変参考になります。人の講義を聴くのは大好きです。あー、ここはこういう順番で教えると分かりやすいのか。。とか発見があります。羽成先生と助手の松山先生に感謝です。論文、、二十日締め切りなのに本当にピンチです。あと注だけですが、それをする時間が持てない。。ふーっ。。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年4月16日 昨日は神戸の研究会に往復高速バスで行きました。帰り京都で事故渋滞があり、帰りが十一時になってしまいました。もっとも地震があって、近鉄も遅れたみたいですが。。私は余程のことがないと大阪や神戸では新幹線は使いません。高速バスで往復して、その代わり生八橋とか、蓬莱のぶたまんとか、自分の好きなお土産を買います。昨日は黒ゴマ餡生八橋でした。。もう九時半廻っていますので、寝ようと思います。ではまた、皆様お元気で。。
2007年4月14日 今日は名古屋能楽堂十周年記念能があります。でも原稿がぜんぜん書けていないので、家で原稿を書きます。。あーー、良い天気なんだけれどなあ。。ではまた、皆様お元気で。
2007年4月13日 今日は午前中委員会の仕事で日進の人間関係学部に伺いました。松尾葦江先生がいらっしゃったころはよく軍記について教えて頂きに伺ったのですが、久しぶりに伺ったら駐車場の様子もすっかり変わっていて。。もう4年くらい前に変わったんだよと言われて、時が過ぎるのに驚きました。大学会館で御世話になった用務員のおじさんが日進にいらっしゃって、「定年してこちらで仕事している」とおっしゃって懐かしかったです。午後は教材作成して四時間目が日本伝統文化論。。「勧進帳」を扱ったのですが、時間配分を間違えてよていよりかなり早く終わってしまって反省でした。講義時間はきっちりしたかったのですが。。ひょっとすると疲れているのかも知れません。明日は名古屋能楽堂10周年記念能、明後日は六麓会で神戸に伺います。「日本文学」の論文、20日までには投稿しなければならないので。。かなり厳しいです。でも、原稿の締切を守るのがプロなので。。ミクシィのマイミクは学生・卒業生限定でお願いしていますが12人に増えて嬉しいです。学生さん・卒業生さんに本当に感謝です。うちの学生さんはみんな真面目で堅実だなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月12日 今日は卒業研究の第1回目でした。昨年登録は15人。。過去4年分をあわせたより多くて。。というか、いかに不人気なゼミだったかということですが。今年も映像制作です。今年は栃窪先生という仙台放送のディレクターをなさっていた先生が映像制作で赴任されました。とてもよい先生だと思います。ドキュメンタリーやニュース番組の専門家なので、そういう方面に関心のある学生さんは移籍しても良いよというアナウンスをしました。ミクシィで卒業生のコミュニティを作っているのですが、ゼミ生のマイミクが11人になってとても幸せだなあと感謝致しております。マイミクは椙山生・卒業生のみに限らせていただいていますが。昨日は結婚してご主人の転勤でニューヨークにいらっしゃる卒業生さんがものすごく久しぶりにスタジオに訪ねてきてくださって嬉しかったです。お元気そうで。。私は名古屋からほとんど出ませんが、卒業生は世界で活躍しているなあと。。基幹演習、受講者ゼロなので募集中という張り紙を学部内に5枚貼りました。。一人でもいいから学生欲しいです。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月11日 今日は基幹演習。。のはずが、学生さんが来ないので教務課に問い合わせたら、、「登録がありません」と。。また演習つぶしてしまうのかなあと残念です。先生って、、学生が来てくれないと「先生」ではありえないわけで。。あーあ。です。仕方ないので教材を作成しています。。一人でいいから学生さん受講してくれないかなあ。。ふーーっ。ではまた、皆様お元気で。。
2007年4月9日 今日は文芸Aと留学生の講義でした。新学期はじまりました。明日も一時間目から出勤です。もう夜九時廻ったので急いで寝ます。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年4月8日 昨日は津の市民薪能。屋外会場のはずが、雨で変更になりましたが、子供達はみんな元気いっぱいで。。小さい子が多いのですが、小学校低学年までは「上がる」ということがないのですね。みんな堂々と立派に仕舞を舞いました。友恵は「岩舟」、比呂人は「西王母」でしたが、ちゃんと間違いなく舞えて、大きくなったなあと思って感激しました。長田先生の田村はいつもながら立派でした。室内で、椅子だったので後ろの席からなかなか見られなくて残念でしたが。。今日はイースター礼拝ですので、一家で熱田教会に行きます。そのあとは自宅で論文執筆の予定です。明日から新学期、、休み最後の日は、教員であっても名残惜しいです。桜も葉桜になって来ました。行く春を惜しんでおります。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年4月7日 今日は津の市民薪能です。子供も長田先生の子供教室の一員として仕舞を舞うものですから家族ででかけます。夜寒くないと良いですが。。楽しみです。月曜日から講義が始まります。「メディアリタラシー」など新しい科目がはいりますので、がんばって教材準備しないとと思います。新しい科目を持つと、いやでもその分野を勉強するというメリットはありますが。わたしはこの科目ではマックの操作に関する部分を六回分教えます。六回ではアイフォトとか、アイムービーとか基礎的なソフトのみになると思いますが。。学生が映像制作・マルチメディアに興味を持ってくれるといいなあと思っています。日本文学に投稿したいと思っていた論文、「能に描かれた来世」という題にして、半分くらいまで書きましたが。。あと十日で出来るかどうか。。無理でも書かなくてはなりませんが。。がんばります。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年4月6日 今日新入生合宿から帰ってきました。学生さんにとって良いスタートになると良いなあと思っています。中年なので、、長距離バスで少し疲れました。月曜日から講義がんばらなければと思います。ではまた、皆様よい週末を。。
2007年4月4日 椙山の桜、とてもきれいです。今日は新入生ガイダンスなので、いっぱい学生さんがいます。いよいよ新学期だなあと思います。ミクシィの「足あと」っていうシステムは大変ありがたいシステムですね。開設10日ばかりで108アクセスというのは大変ありがたいと感謝致しております。卒業生との連絡がつきやすいですし。。歴代ゼミ生もっと加入して欲しいですが。。論文、、毎回ながら綱渡りです。「日本文学」に投稿したい論文、締切まであと16日、、といっても、郵送の時間考えたらあと2週間ですよね。キアイいれないとと思います。春休みは、放送文化基金でいただいたお金を使って、音源を購入して「思い出能楽堂」にアップロードできたのが大変ありがたかったです。小澤良輔の音源など、ずいぶん充実してきました。戦前の「能」「謡曲」の研究がますます盛んになるとよいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月3日 椙山の桜がとても綺麗です。今日は入学式なのですが、白鳥の国際会議場で行いますので新入生は来ません。明日の新入生ガイダンスはみんな来ますが、今年は充分桜に間に合ったかなあと思います。新学期というのは、毎年のことながら担当授業も少しずつ変化があり、不安なものなのですが。。午前中はメディアリタラシーのために、IDVDの使い方を渡辺さんと一緒に勉強しました。ようやく少しずつわかってきました。放送文化振興基金で購入した音源「思い出能楽堂」にアップロードいたしました。どれも非常に魅力的ですので、ぜひお聴きいただけますと幸いです。放送文化基金とファイル作成してくださった方に心より感謝致します。明日は新入生ガイダンスです。教務委員としてきちんと説明したいと思います。ミクシィは開設10日で足跡95になりました。卒業生さんたちに本当に感謝です。もっと加入者増えるといいなあと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年4月2日 二日間ほどサーバーに接続していたハブの故障で、ホームページを見る事ができませんでした。すいませんでした。復旧して下さった鳥居隆司先生に心より感謝致します。このようなときはMSNスペースの「椙山生の羅雲寺」やミクシィの「椙山女学園大学飯塚研究室」は必ず更新します。今日は新年度最初の日なのですが、ちょっと胃が痛くて不調です。コーヒー飲みすぎたか。。でも頑張って論文書かないとと思います。新社会人の方には仕事始めですよね。ぜひ頑張っていただきたいです。ではまた、皆様お元気で。。
2007年3月31日 今日は年度の「大晦日」です。明日から比呂人は小学校二年生、友恵は幼稚園年長組、大きくなったなあと思いますが。。今夜は「年越し蕎麦」にしてねと家内に言ってあります。昨日は天野文雄先生の還暦祝賀会、大阪の丸ビルであったのですが、丸ビルって本当に丸いのですね。。面白いなあと思いました。私どもの学生時代の能楽研究は東の表章先生、西の伊藤正義先生でしたが。。いまは東の竹本幹夫先生、西の天野文雄先生がやっぱり両横綱だと思います。いつの時代もですが、結局教え子が周囲に集まる先生は、「家元」の風格というか、この先生の研究方法をまねすれば、絶対講義や論文が書けるのだという「御手本」としての論文を書かれるのですが、天野先生の御論文も、調べ方や手続きは非常にオーソドックスなのですよね。。でも、、資料を調べられている量と広さが全然違うのでものすごい厚みがあるのですが。。若手にそういうことを全部教えていただけるのは非常にありがたいです。私が一番お世話になったのは、平成14年4月に学位をいただいたときで、出身校でもないものに指導・審査していただいたことは本当に感謝でした。天野先生はかなり長く国学院久我山高校に勤めていらっしゃって、私が大学院のころは高校の先生だったと思うのですが。天野先生の作品研究の中でよく「この曲の『狙い』」といった表現がでてくるのですが、これは高校の先生をなさっていたときに考えられたのかなあと思います。国語教育で作品の「狙い」を教えるということは非常に大切ですから。。一昨年大阪大学で半年間国内研修をさせていただきましたが、教え方について、研究方法についてとても勉強になりました。昨日は大阪大学関係の方々がかなりいらっしゃっていましたが、学部から大阪大学という人はむしろ少ないです。天野先生の研究方法に惹かれて他大学から大学院に入学したり、聴講生として通った人のほうが多いのではと思います。還暦といってもまだまだお元気で。。というか、人生80年、90年時代ですからますますお元気で我々をご指導いただければと思います。昨日のパーティは祝言の替謡あり、プロによる祝言謡の鶴亀があり、狂言小歌の盃があり、一管がありと、、演劇学科というのは演劇の実演をするところなのかなあというようななごやかで賑やかな会でした。落語の上手な方がいらっしゃったので、ちょっとやって頂きたかったなあと思いましたが。電車の時間が決まっていましたので、最後までいることが出来ず、中座して失礼いたしました。残念でした。明日から新年度。。日曜日なので、梅田邦久喜寿記念邦謡会に伺います。梅田邦久先生の草紙洗小町と卒塔婆小町。。喜寿で一日に二番舞うってすごいなあと思います。梅田先生は名古屋で一番人気のある先生といってよいと思います。楽しみです。明日から御園座では陽春歌舞伎もはじまりますし。。次年度も能・狂言を見て、歌舞伎を見て、筝曲や長唄を聴いて養生専一にがんばりたいと思います。。「日本文学」に投稿したい論文かけてないのはとても心配ですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月30日 昨日子供と家内無事に帰ってきました。二人とも寝る前に「パパ箱」を跳んで満足したようですが。。やはり子供がいるのは良いです。今日はこれから大阪大学の天野文雄先生の還暦記念会に大阪に伺います。学位取得のとき、国内研修のとき、本当にいつもお世話になっている先生なのですが。。でも、もう還暦とか伺うと驚いてしまいます。。自分が45歳だからしかたないのですが。。父が、僕の年を聞いて、「えー、えりちゃんがもう45歳。」といいましたが、、月日って早いです。頑張って勉強しないとと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月29日 春休みなので、日曜日から家内が子供二人連れて千葉の実家に帰省していたのですが、今日帰ってきます。金魚と植木の世話でパパはお留守番だったのですが。。昨日・一昨日の晩御飯は実家でごちそうになって、パパ・ママに感謝でしたが。。それ以外はコンビニ弁当だったので侘しかったです。友恵が膝に乗ってくることも、比呂人がおぶさってくることもないので、家で勉強できたはずなのですが、いくらも進まず。。どうしても夜更かし気味で昨日は10時半過ぎまでおきていました。ちょっと眠いです。今日から在学生ガイダンスです。いよいよ新学期だなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月28日 今日は伝統芸能上演会のための助成金の申請書を書いていました。採択されるといいなあ。。これまでずっと筧先生におんぶになだっこで続けていますが、やはり「会」として開催できるのが理想なので。「日本文学」に投稿したい論文が、、かなり厳しいです。先行研究を踏まえなければならないのですが、「どうやって入手しよう。。」と、悩むこと多いです。図書館にすぐあればよいですが、大学の紀要や学会誌以外に公演のパンフなどが相当あり、図書館の参考係の人に本当に御世話になっています。それもですが、、先行研究読んでいると、、どのような切り口にしたら良いのか、迷うのですが、うーーーん。。自分の不勉強がこういうところで出ます。。ミクシィ、新しく参加して下さる方もでて、大変ありがたいことと感謝しております。わかったこと、、うちの歴代ゼミ生はすごーく考え方も生活も堅実で、無駄遣いはしない。。ストレスは友達と話して発散するタイプが多い。。余りオタクっぽくはない。。という感じでしょうか。。私の学生時代は生まれ変わってもオタクでありたいというような、オタクもしくはマニアが多かったので。。もちろん私もその一人ですが。明日は四年生向けの在学生ガイダンスと長田驍先生の子供向けの仕舞のビデオ制作です。なんとか能を習う子供たちを増やしたいです。そのためには教材も工夫して開発しなければならないので。さて、もう少し論文がんばりたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月26日 いよいよ今週で春休みが終わります。ようやく《熊野》の論文を仕上げましたが、4月20日締切の「日本文学」投稿用の論文がまだ書けていないので。。《船弁慶》における平知盛の描かれ方について考えたいなあと思っていたのですが、「能における来世」とか、もう少し大きいテーマにして、能の後場で本体を現した「霊」の堕ちている「地獄」なり「修羅」なりの描かれ方と前場がどのようにかかわっているのかなどを書いてみようかなあと。。講義がない間に出来るだけ図書館に通うなりして資料収集に努めたいです。「放送文化基金」により、戦前の観世流の地謡の大家である小澤良輔師のSPレコード音源を購入し、「思い出能楽堂」のページにアップロードしました。放送文化基金と、音源作ってくださった方に心より感謝致します。ではまた、お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月25日 今日は長田先生の津の子供能楽教室の今年度最終回でした。無論次年度も申請しますし、四月・五月も補講があるのですが。。夏休みに始めたときには子供四・五名で大丈夫かなあと思いましたが、今日などは十五名くらいいて。。男の子は休憩時間は鬼ごっこかプロレスごっこですから。。ひろともともえもいっしょになってやっていてびっくりしました。私が子供の頃と全然違うので。。比呂人は自信ないのかちょっと下をみてしまうのですが、西王母二週間ぶりなのにしっかり舞いましたし、友恵も岩船きちんと型ができました。子供の記憶力ってたいしたものだなあと思いました。親のほうが絶対記憶力は落ちます。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年3月24日 今日は午前中は栄能楽堂で鈴木幸夫さんと観世喜正先生の教材用のビデオの撮影をしました。やっぱりかっこいいなあと。。来週以降編集をします。午後は豊田能楽堂定例能。粟谷能夫・明生の蝉丸。。いろいろな蝉丸を見ましたが、今日の逆髪はこれまで観た中で一番優しそうで上品な逆髪でした。「狂女」ではありますが、「第三の宮」なのですから、やっぱり気品がなによりですよね。。「弟の宮か 姉宮か」と互いに手を差し出すところ、ぐっと来ました。。ただ、終曲後まだ蝉丸が橋掛りを運んでいるのに作り物を引きはじめたのは残念でした。蝉丸が退場してからにしてほしかったなあと。。終演が遅れて焦っていたのはわかるのですが。。MIXI歴代ゼミ生を招待したいなあと思ってメールをおくってから作業始めたのですが、、意外とメールがとどかなかったり、、もうそのアドレスが使われていないこと多いのですよね。。また卒業後音信ないのに先生からメール送ったらいくらもとゼミ生でもセクハラになるのかなあとか。。いろいろ考えます。教材のヒントは学生や卒業生から貰える事が多いので、そいう意味では学生・卒業生限定のブログは欲しいものですから。。卒業生が椙山やゼミに良い思い出を持っていてくれれば嬉しいなあと思います。明日は津の長田先生の仕舞教室に子供を連れて行きます。楽しみです。はまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年3月23日 今日はスタジオで戦前のSPレコードのデジタル化をしていました。霧島昇とかやっぱりかっこいいなあと。。浪花節でも天保水滸伝とか。。午後、阿久比高校の生徒さんたちがスタジオ見学にいらっしゃいました。とても感じの良い生徒さんでした。引率の先生もいらっしゃいましたが、きっときちんと教えられているのだと思います。夕方からゼミの卒業生さんと食事会をしました。卒業生さんに誘って貰えるというのは大変幸せなことだなあと思い感謝致します。MIXIという名前は知っていたのですが、誰からも誘われることはなかったので、入会していませんでしたが、卒業生さんに依頼して招待メール送っていただいて入会しました。「友人の友人まで」の設定ですが、これでよいのかどうか。。これまでゼミで写真とってもホームページには載せられませんでしたが、ゼミと卒業生までならば大丈夫かなあと。。あと、卒業後どうしているだろうと思うことはあっても、連絡のとりようがなかなかないので、こういう形で連絡できればよいなあと思いました。明日は朝、栄能楽堂で観世喜正先生の教材のための撮影、午後から豊田能楽堂定例能です。能に関連する仕事なので、どちらもとても楽しみです。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年3月21日 昨日は、「放送文化基金」の助成金を受けてデジタル化した謡曲音源を「思い出能楽堂」に載せました。助成金を頂いた放送文化基金と、デジタル化に御協力いただいた方に心より感謝致します。自分の研究が、多くの能楽を愛好されている方々に支えられていることに感謝致します。梅若万三郎先生所蔵のSPレコード音源は、まとめて別ページで紹介したいと思っています。WAVファイルは出来ているのですが、報告書や論文の執筆でなかなか準備が進みません。メールで問い合わせ下さる方もあるものですから、早く上げたいと思っています。今日は春分の日です。春休みもあと10日程でみじかいなあと思います。ではまた。御身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年3月19日 「紫明」に「烏帽子折」についての論文を載せたのですが、さる方から小林健二氏の平成14年5月の『橋の会』のパンフレット「能《烏帽子折》の祝言性」、『国文学解釈と鑑賞』第71巻3号「義経、二度の奥州落ちの旅と芸能」と論旨と結論が共通しているという指摘を受けました。「橋の会」のパンフはともかくも、「国文学」の論文を見逃すというのはとても恥ずかしかったです。小林氏にも申し訳ないと思います。学生に先行研究をきちんと踏まえなさいと言っていますので。あわてて図書館に行きましたが、製本中でまだ見られないのですが。。月末までに《熊野》の論文を仕上げなければなりませんが、同様の見落としがないか気にかかっています。今日は学内の助成金の発表会でした。学園研究費Aで、85万円いただいて、ホームページに東海地域の能番組の画像を明治元年から昭和44年分まで挙げることができましたし、SPレコード用のプレーヤーを購入してスタジオでSPレコードのデジタル化をすることが出来ました。本当に感謝です。いまも、後ろのプレーヤーで霧島昇の「誰か故郷を想はざる」が流れています。名曲だと思います。これもCDにしようかなあと。。欲しい謡曲が一枚でもはいっていれば、迷わず入札しましたから、二年間の間にいつのまにかすごい数の能とは関係ないSPレコードが集まりました。能が好きな人は浪花節も流行歌もクラシックも大好きだったんだというのが、いまの僕の見方です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月17日 昨日は能楽堂でワンコインコンサートがありましたので渡辺康さんと二人で伺いました。アルバと言う楽器で、ジャンルとしては軽音楽なのかなと思いました。最初セットをそのまま舞台に置いたのではとびっくりしたのですが、木製の所作台の上に置いてあって、その所作台の作りがよいので違和感がなくてよかったです。入場料がワンコインで五百円ですから、四百枚売れたとしても二十万円。。広告用のチラシのお金も出ませんから、きっと赤字でしょうが、能楽堂で軽音楽聴いてもとても楽しかったです。ご自分の作曲による曲や後半のコーヒールンバなどはとてもよかった。。但し、しらかわホールのような音楽専門ホールと異なり、能楽堂の音響は鼓や能管以外の音響はよくありません。残響吸収するので、フルートなどはどうしても聴こえにくいです。マイクを使っていて、きっと音声担当の人は苦労してなさっていたと思いますが、やはりフルートの人には不利だなあと思いました。こういうワンコインコンサートがもっと行なわれて、音声に関しても蓄積が出来てゆけば良いだろうと思います。ただ、こういう企画によって、能楽堂に来た事のない人がそうとう集ったことについては大きな成果があったと思います。クラッシックの若手に場所を提供してもよいと思いますし、能楽でも私としてはワンコイン講座とかいう形で、梅田嘉宏(観世流)、衣斐愛(宝生流)、鬼頭尚久(金春流)、長田郷(喜多流)、羽田野良子(金剛流)、佐藤融・井上靖弘・野村小三郎(和泉流)など若手能楽師のワークショップなども企画したら面白いと思いました。能のお客さんに全然会わなかったのが、ちょっと不思議でしたし残念でした。面白かったのに。。と。。今日は午後から筧先生の子供教室に子供と共に行きます。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年3月16日 14日は卒業パーティでした。私のゼミの四人も出席でした。この日は用事があったため、八時までの会を七時で失礼したのですが、失礼するとき、「文情スタジオ組 飯塚先生」というゼミの宣伝用のビデオのDVDと寄せ書きと、卒業旅行のお土産と美味しいお菓子を頂き、感激しました。基礎演習も基幹演習もぜんぜん人気がなくて、この四人の学生さんがいたから、演習が続けられたのですが、本当に感謝でした。演習で、学生が少ないのはとても寂しいことなので、、それを知っていてゼミの宣伝用ビデオまで作ってくれたのだなあと。。ビデオを見て、寄せ書きを読みながら、でも、45歳になって、一応これだけの講義は出来るようになったのだと自分の父親や恩師に感謝しました。講義の基礎は父親と恩師に作ってもらったものなので。教員の力は、年によって変わります。「いま担当している」学生にとって良い教師かどうかが常に問われるわけで、10年前には良かったけれど、いまはだめだとか、逆にこの10年でよくなったねえとか。。能楽師さんの芸と一緒で日々精進が求められます。父親の飯塚重五郎が物理学会の仁科記念賞を受賞したのが1976年で45歳のとき、自分がもうその年なのですが、あの頃父の研究はもう基礎が確立していたのだろうなあと思います。私以上に不器用でしたから、定年まで助教授でしたが、グーグルで飯塚重五郎と引くと、引退して10年以上経っても僕よりも多くヒットします。父も四月から岡崎の看護短大で非常勤をしますが、やはり教えるのが好きです。比呂人や友恵が45歳になったとき、ぼくは80歳越えていますが、このDVDと寄せ書きみてくれれば、パパはこの年には教員として一応の基礎は出来ていたのね。。と思ってくれるのではと思います。学位をとったとき、江馬賞(日本風俗史学会)を受賞したとき、それぞれにすごく嬉しかったですが、このDVDと寄せ書きは本当に嬉しかったです。教員やっていてよかったなあと思いました。御時世ですので、在学生と飲みに行くのは控えていますが、卒業生に飲み会に誘って貰ったので、来週伺いたいと思っています。とても楽しみです。今日の夕方は名古屋能楽堂のワンコインコンサートです。入場料500円のアルバのコンサート。。作曲家の渡辺康さんと二人で伺います。とても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月13日 昨日は卒業式でした。雪が降ったり不安定な天気で寒い日でした。ゼミの四人も元気に卒業して行きました。四人の袴姿を拝見して、親御さんはさぞお慶びだろうと思いました。いつも思うことですが、友恵が大学卒業するとき、どんなに早くても私は62歳ですから。。卒業生さんたちの明るい未来を祈ります。今年のゼミ生さんたちは、みんな仲が良くて、とても頑張ってくれました。全員就職も決まっていて、よかったなあと思います。今朝、ぬいぐるみのあざらしを見ていて、ひろとが、このあざらしの家は名字が「ごま」なのよね。。と。。で、ママが「ぺん」でパパが「たん」で、子供が「だんご」なの。。昨日こどもは「太郎」と言っていたように思うのですが。。友恵とダンボールに絵をかいて、「あざらしの小屋」というのを作っていて。。とってもお気に入りのようです。二人ともふわふわしてやわらかいぬいぐるみが好きで。。昔、弟の真喜人が生き物と可愛いぬいぐるみが大好きでしたから、よく似ているなあと。真喜人は発生学の研究者ですが、ひろとはまきちとおじちゃんみたいになりたい。。というので、理科系になるかも知れません。。いずれにせよ、二人とも、他と争わず、のんびり、ぐずぐずと確実にわが道を行って長生きして欲しいと思います。明日は卒業パーティです。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月12日 10日11日と家族を連れて伊勢に行きました。昨日は一色神社奉納の翁舞で、NHKテクニカルサービスの小岩さんと鈴木さんに奉納の全体を撮影していただきましたが、何せ九日の夜が定例能でカメラを使うので、一日では宅急便で届かないので私は前泊しないと機材を運ぶことが出来ないという実際的なことがありました。折角伊勢に泊まる機会なので、家族で二見の旅館をとり、昨日は私は奉納翁舞の調査に、子供達は午前中は二見シーパラダイスにでかけてアシカショーを見学し、午後は津の長田郷先生の子ども教室に行きました。帰りは伊勢に戻ってもらって一緒に車で帰りました。伊勢湾岸道が出来て、四日市から豊明までの時間がずっと短縮され、途中で食事しましたが伊勢から三時間で安城まで帰ることが出来ました。子供達は、二見で買った小さいアザラシのぬいぐるみを家にいるアザラシの大きなぬいぐるみのごまぺんとごまたんの子どもということにして、「ごまたろう」と名づけていましたが。。今日は卒業式です。卒業生さん達の明るい未来を祈ります。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年3月10日 昨日の夜は名古屋能楽堂定例能でした。野村又三郎の花折と片山清司の海士。。どちらもとてもよかったです。野村又三郎さんはもう八十半ばですが、本当にお元気で、、声に張りとつやがあっていいなあと思いました。なんか上品なんですよね。芸が。。小舞舞われてもとっても上手ですし。。片山清司はいつもすっきりときれいなのですが、昨日も玉の段の海中に飛び込むところなどの型はすごく綺麗でした。ただ、水衣が黒で、なんか地味すぎたのではと思うのですが。。後半の竜女に赤がはいって華やかでしたから対照的にしたいのかなあと思いましたが。。バンシキ早舞、型も綺麗でしたが笛の藤田六郎兵衛師がとってもよかったです。いまの笛方では最高峰ではないかと思いますが。。ただ、これだけいいのに、満席にならなかったのが残念でした。昨年の定例能よりはずっと入っていましたが、四百人くらいかなあと。。イヤホンガイドの三苫さん、すごく的確でよかったのですが、機械の関係で最初のほうがはいらなかったのが残念でした。明日は伊勢の一色神社の翁舞に取材に伺います。「翁」については研能会の「ぬえ」さんがブログで連載されていて、とても参考になります。「翁舞の現状」という題で、現代の翁舞の所作や内容について取材するのが私の仕事なので。。でもとても楽しみです。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年3月9日 昨日は教授会のあと、定年される橘堂先生・竹内先生と、文化情報学部から他学部に移籍される先生方の送別会がありました。後片付けに時間がかかって、、ちょっと遅れて行ったら、、なんと理事長先生と学長先生の前の席で、、すごく恐縮しました。。しゃぶしゃぶでしたが、とてもおいしかったです。他学部に移られる先生は今後もお会いできますし、橘堂先生・竹内先生も来年は非常勤で来てくださるので安心ですが。。でも竹内先生・橘堂先生にはとくにお世話になり感謝でした。子供が寝てしまう前に帰りたかったので、途中で失礼致しました。今日の夜は名古屋能楽堂定例能の「海士」懐中之舞。。片山清司です。このひとはとてもすっきりしたきれいな舞を舞います。名古屋では仕舞とか舞囃子が多いのですが、いいなあと思います。とても楽しみです。「拙稿PDFファイル」のページを作りました。今後論文をPDFファイルにすることができたら、このページから公開致します。論文は読んでいただいてご意見いただかないと進歩しないので。。明後日は一色能楽保存会の一色神社奉納で伊勢に伺います。晴れるといいなあと思っています。ではまた、みなさまお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月8日 昨日は御世話になった方の訃報が入って、熱田教会の前夜式に伺いました。教会の奏楽をなさっていて、子供も御世話になりましたので、家内と子供で四人で伺いました。まだ32歳。とても残念です。数年前御主人を亡くされて、また一人娘に先立たれてしまったお母さんの悲しみは如何ばかりかと思いますが。。主の慰めを祈ります。医学がこれだけ発達した時代でも、どうにもならない病気と言うものはあるのですね。クリスチャンホームに育たれて、お元気なときには幼稚園の先生をなさっていたのですが。当時の教え子や、教会学校の教え子が多く参列されていました。教員の葬儀と言うものは、私も教師として思うのですが、やはり教え子に送ってもらうというのが一番有難いことのように思います。故人の愛唱賛美歌を比呂人や友恵と歌いながら、故人の優しさと、技術と、信仰が教え子や教会員に引き継がれてゆくことを感じましたし、それが何よりのことだと思います。ただ、医学の発展を本当に祈ります。32歳は余りに若すぎる。。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月7日 今日は一日研究費の書類を書こうと思っていましたら、、熱田教会で御世話になった方の訃報がはいって、、これからお通夜に伺います。まだ30代半ばまではいっていないのではと思います。以前から病気とは伺っていましたが、持ち直して奏楽の奉仕もなさってたいたのでもう大丈夫かなあと思っていたのですが、とても残念です。心よりご冥福をお祈り致します。皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月6日 今日の午前中は熱田神宮の六日会の月釜で、北島徹也君が亭主で、ご招待いただいたので伺いました。大丈夫かなあと思って心配していたのですが、筧先生がいらしていたので、全部まねをさせていただけばと思い。。緊張しましたが、でも、とっても楽しかったです。専門家ではないので道具の価値はわかりませんが、掛け軸も、花入れも、道具類もとてもきれいで上品だなあと思いました。早春の茶会ということで、東大寺のお水取りの趣向で行ったということですが。。青竹も、椿もすべて今日のために奈良から取り寄せられたということで。。東大寺の僧籍を持つ北島君ならではの趣向ですが、遊び心とゆとりがあっていいなあと。。お菓子もお茶もとても美味しかったです。ご招待いただいた北島君に感謝です。。また行きたいなあ。。と言って一人で行く勇気はありませんから、どなたか月釜に行かれるときに連れて行っていただこうと思います。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年3月5日 明日の午前中は熱田神宮のお茶室で附属高校の後輩で現在CBC事業部副部長の北島徹也君が御亭主を担当されるお茶会に御招待いただいたので、、正直正式なお茶会は一度もでかけたことがないのでかなりびびっていますが、、伺うことにしました。和菓子も道具も大好きですが、謡曲習っていても正座は苦手です。。茶道は昔から興味はありましたが、不器用ですし、習おうとは思いませんでした。小遣い考えると、謡曲だけでもお金かかりますから。。でも、五十の声を近くに聞くようになって、謡曲以外にもう一つ二つ趣味を増やすのも長生きに繋がるかなあと思いはじめました。自分で習わないまでも、道具も伝書も大好きですから、お茶会に伺えたらいろいろ勉強になるのではないかと。。でも、、恥かきそうだなあと思いつつ。。ふーーっ。。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年3月4日 暖かいです。昨日は伊勢の一色能の稽古の取材に伺いました。夕方からの稽古ですが、来週に本番を控えての「申し合わせ」です。猩々と隅田川と翁。。隅田川は一時間以上、脇の語を少し省略したのみですべてやりました。かなり正座はきついだろうなあと。。皆さんきちんと正座されていたので。。三番叟の型はかなり一色独特のものだなあと思いました。橋本才三郎さんという戦前から活躍された一色の人に習ったということでしたが。。とても興味深かったです。昨日は伊勢に泊まり、今日は伊勢から熱田教会の礼拝に遅れて参加し、教会のごはんのカレーライスをいっぱい食べて帰宅しました。子供達はおじいちゃんの家に行っていて、パパは原稿書いています。ではまた、お元気でお過し下さいますよう。
2007年3月3日 今日はひな祭りです。友恵も五歳ですが、大きくなったなあと。。今日は筑波大学の同窓会があります。私は伊勢で調査があるため出席できませんが、家内が子ども二人を連れて出席することになっています。筑波の同窓会は子ども無料で同伴可能なのがとてもありがたいです。昨日は放送文化基金の助成金贈呈式で東京に出張しました。1日の夜、帰りがけに大木圭之介先生にお目にかかって、2日に贈呈式で東京に行くことと、戦前の芸能放送関係の資料が欲しいことを申し上げましたら、すぐにNHK放送文化研究所の方に紹介してくださったものですから、贈呈式の前に、放送文化研究所に伺いました。いろいろな資料を見せて頂きましたが、当時の能楽資料としても一級だなあと思われるものもありました。論文等の形でまた紹介させていただきたいと思います。贈呈式では河竹登志夫理事長の挨拶の後、審査員より審査経過が述べられましたが、助成金の採択事例の中で「昭和初期ラジオ放送の研究」という私の課題も触れていただけたのは、身が引き締まる思いがしました。がんばらないとと思います。そのあと、懇親会は失礼して、目白大学助教授の鈴木章生君と読売新聞記者の多和田元君と、東京駅で飲みました。三人とも附属高校の民俗学研究会で伊東宏先生の門下ですが、明治から戦前の民俗芸能や祭礼の話で盛り上がりました。所属や立場を超えて、学問に関心を持って精進できる仲間がいるということは本当に感謝です。お酒も美味しくて、余り飲んではいけないのですが、二合飲んでしまいました。。帰りは十二時まわっていて、、今朝は八時過ぎまで寝ていました。これから伊勢の一色能の稽古を拝見に伺います。とても楽しみです。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年3月1日 もう三月になりました。県内の公立高校は今日が卒業式のようで、大学に来る途中に通る高校のそばではちょっとおしゃれしたお母さんと高校生が一緒に歩いている光景を見ました。校門に国旗が立っていたりして。。子供が出来る前は、先生であっても、卒業生挨拶の「おとうさん、おかあさん、僕たち、私たちはこんなに大きくなりました。」にジーンとすることはなかったですが、去年比呂人の幼稚園の卒園式ではその言葉で泣きそうになったなあとか。。子供の卒業式は親にとっても節目で、それで努力課題が変わってくるのですよね。。新学期までの一ヶ月、研究費の報告書と論文執筆のシーズンです。なかなか先に進みませんが、頑張ります。三木先生の作ってくださった「能楽番組 画像一覧索引」にトップページからリンクを貼りました。「能楽番組検索システム」での結果を、番組そのものに当たって確認することができるようになりました。作成いただいた三木邦弘先生に心より感謝致します。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月28日 「能楽ジャーナル」の三月号に「名古屋の能楽」という題で、近代の名古屋の能楽の簡単な歩みと、現在の課題について書かせて頂きました。場所を作って下さった堀上先生に感謝し、名古屋の能楽に興味を持って下さることを祈ります。今日は母校の愛知教育大学附属高校の同窓会入会式に、同窓会長代理として出席しました。32回生の卒業、、自分が5回生ですからもう27年もたってしまったのだなあと思います。次年度の新入生から制服も代るとか。。見本写真を見せてもらって、おしゃれになるなあと思いながら、亡くなった岩田弘行先生のデザインの今の制服にも思い出があるものですから、少し淋しい気がしました。会長代理としてお祝いの挨拶をさせて頂きましたが、後輩たちの模範になれるように、私も頑張らないとと思います。韓国から1年間のサバティカルで日本に来ていた徐禎完から帰国するという電話貰いました。本当に勉強熱心で。。台湾の内田康君と一緒に、三年後韓国か台湾で勉強会やろうと約束していますが。。出来るといいなあと思っています。今日は学園研究費Aの報告書の提出日。。頑張って書いています。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月27日 今日は椙山の文化情報学部の一般入試Bの日でした。暖かな日で本当によかったです。最近比呂人が昔私の使っていたノートパソコンを見つけて、「パパ、これ使いたい。」というので、一太郎の使い方を教えています。昔深谷哲先生が使われていたもので、退職後、廃棄になったのを私が頂いたのですが。。しばらく能楽番組データベースの校正に使っていました。いまとなっては深谷先生の形見になってしまいましたが。。比呂人に「何に使うの」と聞いたら、「比呂くんのホームページの『比呂人の小屋』を作るのよ。。」ということで。。比呂人はホームページを「小屋」というものだと思っているようでしたが、嬉しかったです。「中年日記」のまねして「ひろくんにっき」をつけようとしていて、あとはお話のページで「エルマーとりゅう」が好きなので、それと同じような話を作るのだといって「ありゃまあとりゅう」というタイトルだけ考えて挫折していましたが。。比呂人がホームページ作ったらリンク貼ろうと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2007年2月26日 昨日は伊勢の通り能を観に伺いました。伊勢市の一色能の調査委員をさせていただいているためで、委員長の植木行宜先生、岐阜女子大学名誉教授の岡田照子先生、同じく委員の鬼頭秀明先生と一緒でした。一色町から本当に歩いてゆける距離の隣町です。通り町の翁は囃子も千歳も三番叟もなく、翁が面箱を連れて出て、面箱がおいた面を自分でかけます。地謡の翁の謡いに合わせて舞うのですが、通常みる五流の翁と異なり、翁の謡いのなかで非常に多くの所作があります。三番叟も千歳もないので、「翁式」自体は10分から15分程度。。非常にシンプルです。「天下泰平、国土安穏、今日の御祈祷なり。」の部分では、五流の翁よりシンプルで、しかも神社の拝殿に向って行うだけに(翁は拝殿に向ってなされるため、観客は横から見ます。)神事なのだなあと思わされました。素人撮りで写真も撮影致しましたが、うまく撮れていなくて、、もう少し早くから今日とわかっていたら、大学の研究費でNHKテクニカルサービスの方をお願いすればよかったと思いました。午後からは公民館で仕舞・狂言と能の「結城」の奉納がありました。所作は喜多流と似ているのかなあと思いましたが。。大蔵流の森浩一師の指導を受けている高校生が演じた「清水」と「井杭」がとても面白かったです。こういう伝統はぜひ続いていって欲しいなあと思いました。お土産は二軒茶屋餅と伊勢うどん。。伊勢うどんは朝さっそくいただきましたが、とても美味しいです。朝食にいいなあと思いました。私がよく伊勢の能に伺うようになったので、比呂人や友恵が「パパばっかりずるーーい。」というので、春休みには一度伊勢につれて行く約束をしました。今日は四方定子さんに拝借しているテープのデジタル化と、熊野の論文の執筆、夜は古文書の読書会です。明日はうちの学部の一般入試Bです。。暖かくて晴れるといいなあと思います。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月24日 昨日は豊田に行く途中の道の梅が満開でもう春だなあと思いました。今日はいつもよりずっと寝坊しました。朝は子供達のパパのぼりとパパ滑り台を付き合って。。すこし原稿書きたいと思っています。熊野の論文と六月の邯鄲のイヤホンガイド原稿の草案を書きたいと思っています。春先はいつも元気がなくて、、元気がないとどうしても甘いものを多く食べてしまいますが。。無理をせず、養生専一でがんばりたいと思います。明日は伊勢の通り能に行きます。とても楽しみです。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年2月23日 今日は渡辺康さんと、iLifeの二回目の勉強会をしました。iPhotoについてはだいたい出来ましたが、これで作ったものをiDVDで使う方法が、マニュアルを読んでもよく理解できませんでした。渡辺さんがその方法をよく知っている方に聞いてきてくださることになったので、次回教えていただこうと思います。出来ると便利だなあと思います。今日は家に早めに帰ることが出来たので、比呂人と友恵の大好きな回転寿司に行きました。納豆巻とかっぱ巻きとマグロが大好きで。。あとはチョコケーキと杏仁フルーツでした。親は茶碗蒸しが食べられたので満足でした。明日は自宅で少し勉強したいと思います。東京が近ければ絶対「神遊」観に行きますが。。喜正先生の卒塔婆。。観たいなあ。。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年2月22日 ひろとも友恵も熱はないようなのですが、夜中咳したり、鼻水がずるずるで。。早く治るといいなあと思います。花粉症ではなく風邪だと思うのですが。。今日は家に携帯を忘れて出勤してしまいました。そういうわけで、だれからも連絡ありませんが、結構不安です。むかしは携帯など持っていなくて平気だったのですが、いまはないと。。大学のスタジオから動かずにいようと思いますが。熊野の論文と、東海能楽研究会の年報の原稿の整理をしようと思います。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月21日 三木先生が夜中にサーバーのメンテナンスとバックアップをしてくださいましたので、更新できます。心より感謝致します。24日は東京の宝生能楽堂で神遊10周年記念能があります。観世喜正先生の「卒塔婆小町」。。きっと良いだろうなあと思いながら、伺えず残念です。25日は伊勢の「通り能」。「勝田流」という伊勢の勝田座の伝統を継ぐもので、現在は民俗芸能の範疇に入っています。「結城」とか、珍しい能があります。25日は時間ができたので、拝見に伺いたいと思っています。いろいろの仕事、全部おせおせで1ヶ月遅れくらいの感じです。とっくに「熊野」の論文を上げていなければならないのに出来ず、梅若万三郎先生にSPレコードの配信許可いただいているのにその作業も出来ず。。「東海能楽研究会催花賞受賞記念論集」の資料編の編集が結構遅れていてその影響なのですが。昨日の晩、ひろとが熱を出して。。37度だから大したことはないのですが、ちょっと心配です。ともえは夜中にふとん全部蹴飛ばして寝ていて咳をするし。。ホームドラマでよく親が娘の布団かけなおしてますが、あれは幼稚園児では本当です。かけてもかけても蹴飛ばすので。。無論前からですから、パジャマの上に僕のTシャツを着せています。女のものだと小さくてきつくて嫌がるので、男物だとちょうどよいみたいですが。。家内がととろの絵を描いたのに、足でけとばすから、かぼちゃか茄子にしかみえませんが。午後、頑張って論文書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。
2007年2月20日 今日の午前中は作曲家の渡辺康さんと二人で、メディア棟の125教室でiLifeの勉強会をしました。二人でマニュアルに沿ってiPhotoで出来ることを順番に検証して行ったのですが。。とても面白かったです。マックの基本ソフトのみで、かなりの技巧が使えるのだなあということが、よくわかります。四月からのメディアリタラシーでマックについて教えますので、どのように教えたら解りやすいか、実際に学生にさせる宿題を自分たちでやってみようという試みです。iPhotoでスライドショーに音楽をつける課題までは出来たので、次は写真の編集とiTunesについて勉強したいと思います。どのように説明したら40人にいっぺんに理解して貰えるか。。初めての講義だけにこちらも勉強しなければなりません。こういう勉強は好きなのですが。。午後からは四方定子さんにお借りしたオープンリールテープの編集をします。西村高夫先生に今年の1月18日と2月15日に録音していただきました、仕舞謡をアップロードしようとしましたら、サーバーの指定の場所からあふれてしまってエラーになってしまいました。三木先生にお願いして、サーバーのメンテナンスとバックアップを取ることになりました。三木先生に心より感謝致します。明日以降更新が出来ない期間があります。その期間には「椙山生の羅雲寺」に日記を更新したいと思います。「椙山生の羅雲寺」はなかなか更新できないのですが、アクセス数が4000超えていますので、見ていただいている方のためにもやはりきちんと更新しなければと思いました。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月19日 昨日の午後はこどもの小学校の父兄参観でした。父兄参観といっても、みんなでゲームのお店を出すお店屋さんごっこです。輪投げとか、ボーリングとか、いろいろなゲームコーナーがあって、それをすると、折り紙の景品をくれるのですが。。ひろとは「シャカシャカ」とかいって、何段にもなった砂時計のようなものに小さな玉を入れて、30秒以内に全部下に落とせたら勝ちと言うゲームの受付をしていました。私もやってみましたが、負けました。輪投げはひとつもはいらず。。残念賞の折り紙のクジラをもらいました。おじいちゃんも来てくれましたし、家内も友恵も楽しんだようでよかったです。終わって一休みしてから、子供たちを連れて安城市歴史博物館に行きました。煎茶に関する展示がされていましたので。この安城市の歴史博物館は、地方の市立の小さな博物館にしてはとても質の高い展示をします。。石川丈山・八橋売茶翁など、三河には煎茶の文化があります。子供たちにそれを知らせたいと思って連れて行ったのですが。。ひろともともえも、、博物館の池の鯉とか、小川の夏にザリガニがいたところとか、、そんな博物館の周辺ばかり見て、、あんまり展示物には興味なかったみたいです。。私は展示の図録を買いましたが、ひろとは「安城のホタル」友恵は犬のゴム印とか買ってよろこんでいました。。。私は小学校の頃からお寺や神社や仏像がやたら好きな子だったのですが、ひろともともえももっぱら自然系で。。親子でも違うものだなあと思いました。今日の午前は渡辺康さんに先日の西村高夫先生の録音のWAVファイルを編集していただきました。これからMP3形式に変換して配信します。西村先生の謡はとてもかっこいいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月18日 昨日は平岡敏夫先生の喜寿と叙勲のお祝いが、東京の茗荷谷の茗渓会館で行なわれました。十二時から三時という三時間の宴会でしたが、大学院を出てからはじめて、、ほとんど十七年ぶりという人も多くて、非常に懐かしかったものですから、三時間があっというまでした。平岡先生の「明治」という新作詩集と、平岡先生の著作目録が参加者へのお土産として頂いたのですが。。久しぶりに平岡先生のお話を伺い、「明治」という詩集を拝見して、大学・大学院時代の熱っぽい講義を思い出しました。明治という時代には、時代の変化が「形」として見えたのかなあと思うのですが、透谷の「恋愛の絶対」という主張にせよ、「家」制度の強固な時代にあっては「反体制」的であったわけで、いまの文学が「私的」な内容であるのに対して「憂国」とか、個人を越えて世の中や国家が変るべきだというような内容が文学の中で議論されているのですよね。平岡先生の講義は同時代の評や書簡など、同時代資料を重視した実証的な講義でしたが、それがいま目の前の課題であったならばどのように感じ、行動するのかを考えるといった社会・世相を踏まえた議論で、同時に熱っぽさがありました。北村透谷研究や日露戦後文学の研究に大きな業績をあげられ、多くの弟子を育成され、しかも群馬県立女子大学の学長をなさるなど、大学の運営までなさった先生ですが。。我々教え子にはとても親切な先生でした。先生の著作目録を拝見して、著作の質。量・にも驚きますが、編集され、世にだされた資料や論文集の数にも驚きます。弟子に資料を整理させ、それで勉強の場所を与え、論文集を編んで書く場所の乏しい若手や院生に書く場所を作り。。私も平岡先生のおかげで、書く場所と文教大学短期大学部での非常勤をいただいて育てていただいたので、本当に有難いことと思って感謝致しております。これから「近代能楽史の研究」という本をまとめたいと思っていますが、能のみでなく「明治」という時代の社会の変化や世相を視野に入れて近代史や近代文学の研究を踏まえて立論したいなあと思います。台湾から内田康君が来ていたので、内田君と徐禎完君と池袋の喫茶店で互いの研究や伎楽や能の源流の話をしました。。大学院時代に帰れたような気持ちで楽しかったです。いま背中に、、友恵のまねをして佳恵がおぶさっております。おもいです。。どいてくれえ。。午後からは子供の小学校の発表会に行きます。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年2月16日 今日は、朝大学に来ようと思って車で運転していて、渋滞で停まっていた前の車が動き出したので、動き出したら、横にいたおじさんから「おーい」と怒鳴られてしまいました。渡りたかったのかなあと後から思いましたが。。絶対かすっていないと思いますが、気をつけないとと思いました。今日は東海能楽研究会の資料編の仕上げと、《熊野》の論文の執筆をします。明日は大学時代の恩師の平岡敏夫先生の喜寿の会が東京であるので伺います。近代文学の先生で、「稿本近代文学」という雑誌をゼミでなさっていました。私の最初の論文「夏目漱石と謡曲」はこの雑誌に発表したものです。中世文学で書く場所がなかなかなくて、大学院の五年生のころ、泉鏡花の作品で二つほど作品研究を書かせていただきました。それを認めて下さって、平岡先生のお世話で文教大学短期大学部の近代文学の講義を担当させていただいたのが、私の大学での教歴の初めです。本当に御世話になったなあと思います。来年には「近代能楽史の研究」という本を書きたいなあと思っていますが、「明治」とか「大正」とか「近代」の芸能史に興味を持つようになったのは、平岡先生の講義と演習のおかげですから。。。明日は椙山女学園能楽部45周年記念能が名古屋能楽堂で行われます。そちらも顧問としてぜひ伺いたかったのですが、重なってしまい残念です。部員の人たちが一生懸命準備していたので盛会であるといいなあと思っています。では、また、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月15日 昨日は世間ではバレンタインデー。。私も家内にもらいました。家内に感謝します。今日は観世流の西村高夫先生にスタジオにいらしていただいて、観世流の謡曲の録音をしています。百万、桜川、二人静、吉野天人。。渡辺康さんに編集していただいて近日配信する予定です。楽しみです。風邪気味なのかちょっと元気ありません。ただ、仕事はきちんとやらないとなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月14日 今日は久しぶりに地下鉄で出勤しました。アイポッドでずっと謡曲を聴いていましたが、本田光洋先生や長田驍先生、西村高夫先生はいいなあと。。佐藤先生の狂言小謡もいいです。。私のアイチューンのライブラリはほとんど謡曲なので。。これから初代梅若万三郎や観世元滋もいれたいです。低気圧のせいなのか、いまいち元気ありません。。仕事はいっぱいあるのですが。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月13日 昨日は論文の見直しを済ませてメールで投稿して、、一息と思ったら、、ひろくんがバットとボールとミットを持ってきて、、「良いパパというものは休日はきゃっちぼーるをするのです」というので、更生病院の跡地でおじいちゃんとひろとと私でキャッチボールとバッティング練習をしました。。ひろとも結構あたるようになってきました。ひろとの打球追いかけて結構走りました。友恵が風邪なので、幼稚園を休ませますが、家内も風邪で寝込んでいて、私が病院に連れてゆかねばならないので午前中は大学を休みます。三十代の頃ならば子供ほって大学行ってしまっただろうなあと思いつつ。。会議や講義なら休めませんが、今日は自分の研究なので。仕事も大切ですが、ここはパパとしての仕事をしたいと思います。ではまた、お元気でお過しくださいますよう。
2007年2月12日 昨日は私は東海能楽研究会、家内と子供は津の長田先生の子供能楽教室でした。終わった後、名古屋駅で合流して食事に行きました。友恵がごはんをひろくんと「はんぶんこ」するとき、「半分」のラインより多くとって、「こちらがわたしのぶんーー。」といって食べ始めましたが、半分たべないうちに「もうたべきれないーー。」になってひろとに渡していたのが面白かったです。。友恵がちょっと風邪気味なのが心配ですが。。今日は家で論文の見直しや原稿書きをして過ごしたいと思います。ではまた、お元気でお過し下さいますよう。
2007年2月10日 今日は結婚記念日です。もう十七回目なんだなあと。。家内と支えて下さっている多くの方々に本当に感謝です。土曜日ですが、会議で出勤しています。早めに帰ろうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月9日 昨日は四方定子さんから提供いただいた民謡のオープンリールのデジタル化を主に行いました。昭和30年代中心で、音質はよくはないのですが、自分が生まれるちょっと前にこういう歌が歌われていたのかということがよくわかります。いまの「民謡」が標準語であるのに対して、本当の「方言」で謡われていますから、津島や一宮の民謡なのに聞き取れないのですね。。でもすごく纏綿とした声で、非常に魅力的です。春休み中にできるだけCDに直したいと思います。論文の見直しは家に帰ってと思って帰宅したら、、ひろくんとともちゃんが「パパ箱やってくれるのを待ちわびていたのよ。。」と、、パパ箱をさんざんやりましたが、ひろとがあざらしのしろたんのぬいぐるみに落ちたら、友恵が、「あーあー、おにいちゃんがぶつかるからしろたん保健室に連れていかなきゃ」と言って押入れの座布団の上に置いて、「ここで静かに寝ていなさい」と言ったのが面白かったです。女の子だなあと。。大学でできるだけ頑張って勉強したいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月8日 一般入試Aも終わり、新学期に向けて勉強しなければならない時期になりました。今年は科学研究費、私立学校振興・共済事業団学術研究振興基金、高橋信三記念放送文化振興基金、愛銀教育文化財団、椙山女学園大学研究助成と、それぞれ相互関連はするものの違った題材で研究費をいただいたので、それだけに論文・報告書を質・量ともに書かないと責任が果たせません。今日は金春八左衛門に関する論文の資料の見直しと、船弁慶に関する先行研究の調査、そして四方和子氏よりお預かりしている民俗芸能のオープンリールのデジタル化をします。時間があるときに少しでも研究が進むといいなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月7日 昨日は母の74歳の誕生日でした。家内と双方の両親が健康を守られていることは本当に感謝です。母は熱田教会の幼稚園の奉仕とか、婦人会とか忙しくしています。ひろとやともえのおばあちゃん業も大変で。ただ絶対長生きして欲しいなあと思います。大分在住の筑波能狂言研究会の同級生が、黒川能にでかけたので黒川名物の凍み豆腐をたくさん送ってくださいました。ひろくんとともちゃんは、お気に入りのしろたんというあざらしのぬいぐるみに「今日のおかずはお豆腐なのよ。」といって、前に置いていましたが。そうしておりましたら、中学時代からとても御世話になっている先輩のお父様の訃報が入って。。。二年前にお目にかかったときにはとても元気だったのですが。。御通夜に伺いました。。寝ていないということでしたが、先輩の顔色がよくなくて、それも心配でした。御父上の御冥福と御家族の平安を祈ります。。とにかくみんな健康と事故に気をつけて、長生きして欲しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月6日 昨日は名古屋市芸術祭の授賞式でした。芸術特賞が井上菊次郎先生と藤井知昭先生。井上先生は松次郎先生も受賞されていますから、親子二代の受賞です。藤井先生は名古屋の音楽家を本当にたくさん育てましたから、当然だろうなあと。。芸術祭賞は名古屋観世九皐会と稲舟妙寿の会。両方とも本当に長い間の活動の積み重ねによっての受賞で良いところに行ったなあと思います。観世喜之先生も東京からいらっしゃっていて、ご挨拶させて頂きました。授賞式が終わってすぐに帰宅したら、、ひろとが「交差跳びができるようになったので見てーー。」といって家の中で縄跳びをはじめたので、家の中ではやらないようにと言いました。そのあとパパ箱を少しやりました。疲れたので、近くのラーメン屋さんで餃子を食べようと。。久しぶりに外食しましたが、ひろととともえの食べる量がすごく増えていて驚きました。こんなに食べるのかと。。大きくなったなあと感謝しました。今日は入試三日目です。天気もよく暖かくて感謝です。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月5日 今日は入試二日目です。早く出勤しなければならないので、子供にキアイ入れて早く寝るぞといったら、、「明日は体育があるから縄跳びの練習をしたい」と。。交差飛びがうまく跳べないからというので、、見本をやろうとしたらパパは全然出来ませんでした。ひろとは練習してなんとか成功。。安心したら「跳び箱もあるのよ」。と。。「跳び箱は家にないよ。」と言ったら「パパ箱になって。。」と、、布団をマットにしてパパ箱を跳んで、、何回も失敗してパパに乗っかりながらなんとかクリアしました。そういえば、僕も父にパパ箱になってもらったようなと思いましたが。。ちょっと背中がいたいです。これから名古屋市芸術祭の授賞式です。楽しみです。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月4日 今日は椙山の入試でしたので、出勤でした。早く帰ることが出来ましたので、家で昼寝をしていましたら、実家に遊びに行っていたひろくんとともちゃんが帰ってきて、乗っかってきました。ともえの日記、、「きょうはけーきをたべました。とってもおいしいけーきでした。それからぱぱにのっかりました。」元気にのどかに育っていて感謝です。パパの書き添え。。「おいしいケーキがたべられてよかったです。いつもよりすこしおもかったです。」。明日は名古屋市芸術祭の受賞のパーティです。今年度まで五年間伝統芸能部門の審査員をさせて頂きましたが、五年で任期を終えます。今年度の受賞者は名古屋観世九皐会と稲舟妙壽の会ですが、お祝いに伺いたいと思っています。明後日までの入試、、良い天気でありますよーーに。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年2月3日 昨日家に帰ったら放送文化基金より研究助成金の採択通知が届いていました。80万円。。本当に有難いことと感謝致しました。「放送がいかに芸能を変えたか」ということを、昭和初期の新聞とSPレコード・オープンリールテープのデジタル化から考察します。従来の研究テーマと少し異なるのは「能楽」よりもジャンルを拡げていることで、端唄・小唄・歌澤・漫才なども範囲に含めて考えています。昨年から始めたSPレコードの収集はすでに2000枚近くになっています。学生さんに手伝ってもらってずいぶんデジタル化しましたが、まだまだかかります。オープンリールもデジタル化しなければならないものが600巻くらいあります。昭和三十年代の伊六漫才のテープなどは特に貴重だと思います。助成金がいただけて、多くの方にお手伝いいただけてなんとか出来ているので大変ありがたいことと思って感謝致しております。良い研究をしたいです。昨日ようやく論文を仕上げ(まだ資料の見直しは残っていますが)今朝は後期試験の採点をしようかなあと思ったら、、背中にずしっと二人の子供が乗っていて。。「パパが論文書き上げるのをずーーっと待っていたのよと。少しは良いパパになって子供と遊びなさいと」。。。午前中はひろくん・ともちゃんと凧揚げとキャッチボールで過ごしました。昼ごはんは実家で、今日は「海苔巻きの」日だから」ということで、母の手製の太巻きを大騒ぎしながら食べました。だまって食べるのだそうですが、うちはクリスチャンだし。。楽しく食べたほうがよいわよねえと言うことで。。午後は採点します。出来がいいといいなあと思っています。出来が悪いと。。教え方が悪かったかなあと落ち込むので。。明日から三日間椙山の一般入試Aです。暖かい日が続いて雪など降りませんように。。そして受験生が誰も風邪をひかずベストを尽くせますように。。良い学生さんがいっぱいきますよーーに。。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年2月2日 今朝、出来た論文を家内に読んで貰いました。「まあいいんじゃあない。」と言われてほっとしました。すくなくとも、わかりにくくはないということで。春のせいか、、いくら寝ても眠いです。でもこういうときは思い切り寝ておかないと、すっきりしません。論文、今日もう一度手直しして、資料を下さった先生方に見ていただこうと思います。それから投稿しようと。。書かなければならない論文や報告書はたくさんありますが、なんかどれも丁寧に出来ていないような気がして困っています。ただ、締切がないと仕事が出来ませんし、場数を踏むことも進歩に必要なので、兼ね合いが難しいかなあと。。明後日から三日間、椙山の一般入試Aの試験です。寒くなったり雪が降ったりしませんように。。そして素直で暖かく勉強が好きなよい学生がいっぱい来ますように。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年2月1日 論文、、「形だけ」出来ました。今日は肉付けです。。なぜこんなにはかどらないんだろうと思いますが。。春先で不調なのかなあと。ひろくんが昨日あざらしの宅急便屋さんの童話を作っていました。。「まったり運輸の不急便」だそうで、いつ届いても、また届かなくてもいいようなどうでもいいものをゆっくり謡を謡いながら届けるのだそうですが。。宅配ドライバーを募集しているのだそうで、一日三時間勤務でアジを食べられるだけいくらでももらえるのだそうです。わが息子ながら平和でのどかに育っていていいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月31日 今日は論文の締切の日です。校正で手直しはさせて貰えるとは思いますが、「形」は何が何でも今日つくらなければと思います。正直、いまあまり元気ないのですが、キアイでがんばろうと思います。明日から二月。。子供能楽教室の申請や、《熊野》に関する論文の執筆をしなければと思います。。ひろとやともえも、「遊んでーー」と言っていますので、パパ業もしなければなりません。論文よりもある意味パパ業は大切なときもあります。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
2007年1月30日 今日は寝坊してしまいました。大学に出てきたらもう10時で。。。でもよく寝ていてすっきりしているので、朝から論文書いています。調べていると後から結構いい資料が出てきたりするので、これ入れようかなあとか考えているとなかなか進みませんが。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月29日 論文のめど、、まだついていません。あと二日で本当に仕上がるのか。。若い頃ならば寝る時間を七時間にすれば、、とも考えますが、七時間しか寝なくて一日ぼけていてはしかたないですから、八時間寝ようと思うと。。うーーん、なかなか苦しいです。昨日の日曜日は長田郷先生の子供能楽教室に津に子供を連れて伺いました。ひろとは西王母を教えて頂きましたが、舞うのは好きなようです。パパよりずっと覚えはよいです。ともえは老松の稽古ですが、まだ難しいみたいで。熱心に教えていただける長田先生に感謝致します。。稽古後子供と家内は帰りましたが、私は夕方から伊勢の一色町の翁の稽古の撮影取材をNHKテクニカルサービスの鈴木さんに手伝っていただいて行い、伊勢に泊まりました。一色町の能は、本当に農業や漁業をしている「庶民」が長く伝えてきた能なのですよね。その意味で非常に貴重だと思います。今朝はビスタカーで名古屋につき、大学で勉強しよう。。と思いましたが。。いまいち疲れがでていたのか進みませんでした。反省です。明日はキアイをと思います。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過しくださいますよう。
2007年1月27日 昨日論文にめどつけるつもりでしたが、、出来ませんでした。体力的に落ちているのか、集中力に欠けていました。家でやろうと家に帰ったら、ひろととともえが、、「パパでストレス発散しないと。。幼稚園も小学校もとっても大変なのよ。。」とパパのぼりやパパ滑り台をやっていて。。気がついたら夜九時をまわってもう寝る時間でしたから。今日の午後は筧先生指導の豊田能楽堂の子供能楽教室です。ひろととともえを連れて行きます。十一時半までに論文が進むかどうか。。キアイで勝負です。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年1月26日 今日は試験の補助監督が2時間ありますが、それ以外は論文執筆です。。。今日中にめどつけたいです。比呂人がわたしの書く絵をまねしてキャラクターを描くようになったのですが、パパそっくりに描くので、ぼくこの紙に描いたかなあと考えることが。。ひろくんはこの絵を「ぱぱっち」と呼んでいるのですが。。さあ、がんばって論文書かなくては。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月25日 今日は「能・狂言」の試験の日でした。あと31日締切のレポートの採点がありますが、後期もほぼ終了です。ほっとした気持ちと、少し淋しい気持ちと。論文はいよいよやばいですが。。明日どれだけ書けるかが勝負になります。明後日は豊田能楽堂の子供能楽教室。。筧先生が担当されるので、子供たちを連れて伺います。明後日は津の長田郷先生の謡曲仕舞教室。子供を連れていって、その後私だけ伊勢の一色の翁の稽古の取材です。能に関係する仕事は楽しいです。。今日はこれから鶴舞図書館の保田紹雲先生の能面展を観に伺います。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月24日 1月もあと一週間。。試験週間でそれも31日で終了です。基礎演習・基幹演習のビデオも今日が締切です。なんとか完成できればいいなあと思っています。昼休みには、卒業研究の「東山動物園」のビデオを001室の大教室で流します。12時30分からですが、お昼休みなので、たくさん観に来ていただけるといいなあと思っています。県立大学の夜間部の講義も今日までです。一年間の講義が終わってゆくなあと。。安心するような淋しいようなという気持ちです。論文は、、いよいよ時間との戦いです。いつもそうなのですが。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月23日 今日は昨日の予想通り、朝から落ち込み気味でした。こういうときは甘いものをと思っていたら、、学生たちが友達の誕生日パーティをやっているので、先生もどうぞ。。ととてもおいしいイチゴのショートケーキをくれました。。いつも思うのですが、うちの学生たちは優しいなあと。。友達の誕生日を覚えていてちゃんとケーキ買って祝って。。お裾分け頂いて本当に感謝でした。女子大学に勤めていて、優しい学生に恵まれていることは、本当にありがたいことです。一気に復活しましたので、頑張って会議に出て、これから論文を書きます。「金春八左衛門追跡」。。キアイで今週中に仕上げるつもりです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月22日 今日は「日本語の基礎」の試験でした。これから採点しますが、みんな出来ているといいなあと思います。出来が悪いと、やっぱり自分の教え方もよくなかったかなあと思いますので。。私は昔から、あと2日くらい経つときっと落ち込み気味になるよなあとか、きっと明日には回復としてるだろう。。とか、気分の波がわかるのですが、なんとなく、明日は暗い気分のような気がしています。いらいらしているとき、学生に八つ当たりしては大変ですから、とにかく出来るだけ早く平常に戻さねばならないのですが。。こういうときは、自分の好きな美味しいものをたくさん食べると幸せな気分になるので、明日を軽くすませるために、、帰りにケーキかアイスクリームか、ちょっと高いものを買っておこうと思います。ラッキーフードというのとは違うのかも知れませんが、好きなものを食べると復活するので。。あと、もっと重いときには、能か長唄かを観たり聴いたりすると復活します。28日には、伊勢まで一色能の調査に行きます。とても楽しみです。これを楽しみに、、頑張って東海能楽研究会催花賞受賞論文集の資料と平家部会論集の執筆をしたいと思います。ではまた、皆様お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月21日 昨日は中村スポーツセンターで筧鉱一先生の子供能楽教室に家内と一緒にひろととともえを連れて行きました。中村スポーツセンターって、、中村公園の名古屋競輪場の選手宿舎を開催日以外に区民に開放している施設なのですね。。選手の人たちが寝泊りする大広間が稽古会場でしたが、本当に広くて仕舞の練習などには最適だなあと思いました。子供達は謡曲の稽古以外には鬼ごっこしたり、野球盤やったり、、二時から四時まで稽古と遊びで過ごしてそのあとは、、、子供達は遊び足りないと筧先生の御宅に伺って遊ばせていただいて、、奥様には本当にご迷惑をおかけ致しましたが、感謝でした。筧先生の御宅で、岡明彦君と、来年度の子供能楽教室の申請について話し合いました。東海能楽研究会としては本体が中村教室を、三重県支部が津教室を開いていますが、豊橋の会員の人たちに豊橋教室を開いて欲しいという要望が強いので、その打ち合わせをしました。今日は午前中は熱田教会の礼拝に伺い、午後からは家で東海能楽研究会催花賞記念論文集に載せる資料の編集をしていました。筧先生にお借りした古い写真が多いのですが。。とても楽しいです。平家部会論集の締め切りが近いので、それもがんばらねばなりませんが。。こちらは今日はまだ出来ていません。困ったことです。ではまた、皆様お元気でお過しくださいますよう。
2007年1月19日 昨日は国際コミュニケーション学部の能・狂言の講義で、西村高夫先生に謡曲と仕舞の型の初歩を教えて頂きました。「春霞」と学生と同吟しながら、いまから25年前、、大学生のころやっぱり西村先生に「羽衣」習ったなあと懐かしく思い出しました。西村先生も内弟子終えて独立したばかりで、30歳ちょっとだったのだと思いますが。そのころはぜんぜん生まれていなかった人がもう大学生で、時は早いなあと思います。無記名で学生アンケートをとりましたが、西村先生の講義の評判はとてもよかったです。学生アンケート、、通常講義のほうは、「日本語の基礎」「実用日本語表現」「能・狂言」とも、昨年末の結果が来たのですが、いつもながら、、そんなに良くはないのですよね。。「講師の熱意が感じられない」とか「講義に工夫がない」とか書かれると、、「どういう講義をすれば良いのだろう」と考え込んでしまいます。。「内容に最初から興味なかった」とかいう学生の記入を見ると、、「なぜ受講したのかなあ」という気持ちと、「でも受けてくれた以上、満足させるのが良い教員なんだよなあ」という気持ちと両方持ちます。明日は筧先生のこども能楽教室に比呂人と友恵を連れて行きます。楽しみです。平家部会論集の原稿と東海能楽研究会催花賞記念論文集の資料作成と、東海能楽研究会の例会案内作成と。。やらなければならない作業はたくさんあります。ふーーっ。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月17日 しばらく更新できませんでした。14日、梅若万三郎先生と紀長師の《二人静》。。とても綺麗でした。《二人静》は名古屋の泉嘉夫先生と長田驍先生の異流共演など、とても面白いものをいくつか観てきたのですが、万三郎先生のはとにかく「綺麗」なのですよね。。私が筑波大学に入学してすぐ、万紀夫先生と言われた頃の《松風》を観たときになんか亡霊ってこういう透き通った美しさがあるのだなあと思った覚えがありますが。。喜之先生が何を演じられても温かみのある人物を感じるのに比較すると、ガラス細工のような透明な美しさで、本当に静ってこういう「美人」なのかなあと思わされる、、そういう端正な舞でした。紀長師の菜摘女も美しかったですが、、万三郎先生よりも「現世」の人を感じてしまうのですよね。。菜摘女は現実の人間で、静が乗り移っているわけですから、静の亡霊より現実感があってよいはずなのですが。。とにかく舞の間は、万三郎先生の美しさがダントツに光っていたように思います。最後の型が初めて見る型で、ワキがシテから目を離し、ツレがシテに向って合掌し、シテが三の松で留めると言う・・。本文から考えれば「社家の人」に弔いを頼むのですから、ワキが弔うのが普通で、これまで観た《二人静》はいずれもキリにワキに向って合掌し、ワキがそれを見ると言う型だったと思うのですが。本文と矛盾なく解釈するとすれば、静の霊が離れて現実に返った菜摘女が静の霊を弔っているということになりますが。。ワキは森常好師でしたが。。最後の所で見るのがワキのしどころだと思いますので、ワキとしてはつまらなかったかもと思いますし、本文からはあのような解釈は出てこないと思いますが、ツレの菜摘女に合掌されて三の松で留めるのを観たとき、本当に綺麗でジーンときました。。戯曲の理解を超えたところで、(理性的に考えれば矛盾するのですが)感激するということがあって、そういう意味で言えばこれもそういう体験なのかなあと思いました。。そのあと、万三郎先生の門下の「ぬえ」さんと、NHKテクニカルサービスにでかけて、万三郎先生・万佐晴先生にお借りしたSPレコードの返却をしました。貴重なものをかしてくださった万三郎先生・万佐晴先生と名古屋まで往復して運んでくださったぬえさんに心より感謝致します。ぬえさんはその日名古屋に泊まられたので、ごちそうするつもりがおごっていただいてしまって、、恐縮でした。万三郎先生から「恵理人の小屋」から配信して構わないと言う許可を頂きましたので、一月末には配信できるよう準備したいと思います。三菱財団の書類、キアイで仕上げました。通るといいなあ。。まだ送ってはいませんが。。東海能楽研究会の催花賞記念論文集の資料作成、一月末締切の「筑波大学平家部会論集」の原稿作成など、やるべきことはたくさんあります。身体に無理しないで、着実に仕上げて行きたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月13日 卒業研究、昨日ゼミ生全員提出終わりました。締め切りは月曜日の五時ですが、少し早く出せてよかったです。四人とも頑張って良いものを作ることが出来たので、良い点数をつけようと思います。今日の「鳳の会」、井上菊次郎先生の釣狐。野村家は狐色の狐ですが、今日の狐は白狐でした。井上先生は松次郎先生よりもずっとおしゃれで垢抜けた狐なのですよね。やっぱり上手だなあと。。深刻すぎず、楽しい「釣狐」でした。佐藤先生の「三人片輪」は、題名から言ってもめったに出ない曲で、私も大学時代東京で誰のかは忘れましたが一度観て以来二十年以上振りでしたが、文句なしに笑うことが出来る明るく楽しい狂言でした。今日は車運転していて、ちょっとミスであぶない目にあったので、、注意しなければと思います。明日は豊田で梅若万三郎先生の二人静。。とても楽しみです。健康では最近血圧が高めなのが心配ですが。。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月12日 卒業研究、締め切りは月曜日ですが、今日中の提出をめざして頑張っています。スタジオのスタッフの方にもずっとつめて頂いていて感謝です。昨日家に帰って、家内に「顔が赤いよ」と言われて血圧測ったら150.。最近はずっと低かったので安心していたのですが、ちょっと根をつめて仕事したせいかなあと。眠りが浅くて夜中何度も起きてしまいましたし。。。今日中に三菱財団の申請書類書かねばなりませんし、明日は鳳の会の撮影、明後日は豊田の梅若万三郎先生の二人静。。両方とも学生を引率して伺います。とても楽しみですが、身体はちょっとハードです。今日は夜医者に行こうかと思います。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月11日 卒業研究大詰めです。東山動物園を題材にしたビデオを制作しているのですが、出来はかなり良いのではと思います。さすがに一年かけて苦労して作っていますから。。明日提出ですが、最後まで頑張って欲しいなあと思います。今日の四時間目は国際コミュニケーション学部の能・狂言で西村高夫先生にいらしていただいての「高砂」と仕舞の「型」の稽古でした。身体を動かすと、「謡」を謡ったり、舞ったりするのは体力が必要で少なくとも眠くはならないことがよくわかったと思います。自分が学生時代、西村先生から筑波大学の開学記念館で教わったことを思い出しました。とても楽しかったです。来週も場所を文化情報学部のスタジオに変えて行います。三菱財団の書類、ぜんぜん書けません。困りました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月10日 いよいよ明日から新学期です。明日は国際コミュニケーション学部の能・狂言で、観世流の西村高夫先生に来ていただいて、和室で仕舞の初歩の稽古をします。楽しみです。朝から三菱財団の書類書いていますが、なかなか書けません。困った。。これから県立大学の夜間の講義に行きます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月9日 今日は午後から会議でした。「新学期だなあーーーっ」とイヤでも感じます。人間学研究センターの紀要キアイで仕上げて出しました。次は『筑波大学平家部会論集 最終号』。筑波大学時代の恩師犬井善寿先生が、私費を使って院生のために書く場所を作って下さったのですが、そのころの犬井先生の年齢を超えて、本当に有難いことだったなあと思います。やっぱりこの年齢って、、子供の教育費とかいろいろかかりますから。。先生も小遣いから僕らのためにずいぶん使って下さったのだなあと。。犬井先生は昨年度末で定年退職なさいましたので、次の第十二号が最終号になります。平家物語の巻数と同じです。「おかげさまで、大学で教えることが出来るようになりました」と言うことを示すためには、やはり良い論文を書くしかないわけで、犬井先生の実証的で厳密な学風には足元にも及びませんが、「教えて頂いた方法」で論文書いてみたいと思っています。題材は違いますが。「金春八左衛門追跡」という題にしたいと思っています。月末締切まであと三週間。がんばりたいと思います。三菱財団の研究助成金の書類もがんばって書いています。採択されるといいなあと。。「いっぱい助成金もらっているけれど、そんなに使うの」と尋ねられることもありますが、東海地域には、教材にしたい古典芸能がたくさんありますから、委託費使って椙山のNHKテクニカルサービスの人に頼んで撮影して頂きたいものたくさんありますし。そのためには機材も必要ですし。SPレコードやオープンリールテープもどんどんデジタル化して発信したいですし。。今日はホームページをいつも見ていて下さると言う方が、「橘香」誌に寄せた拙文見てメールくださいました。「お稽古場」から謡曲ダウンロードしてくださっているそうですが、こういうメールいただけると力が出ます。明後日の木曜日は椙山の講義開始で西村高夫先生の謡曲ワークショップ。土曜日は鳳の会で井上菊次郎先生の「釣狐」。日曜日は豊田能楽堂で梅若万三郎先生の「二人静」です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月8日 朝から雨が降っています。寒いです。起きるのがおっくうで、子供と一緒に八時過ぎまで寝ていました。昨日はちゃんと九時半には寝たので、結構寝たなあと思います。ひろとは宿題。。私は論文の見直しです。家内と友恵は午後から「おじゃる丸」を観に行きます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月7日 今日は朝から雪がちらついてとても寒かったです。午前中は熱田教会の礼拝に参加しました・・が、、筧先生の伝統文化子供能楽教室の謡初があったものですから、早退して名古屋能楽堂に行きました。。地下の稽古室でみんな頑張って謡いました。比呂人はパパよりずっと長く正座が出来るので、その点立派です。友恵も去年よりちゃんと座っていて。。親というのは子供の進歩が何より嬉しいです。帰りは遠回りして豊田の回転寿司で、うどんとプリンとマンゴーヨーグルトと納豆巻をいっぱいた食べて満足して帰りました。明日は連休最終日。論文もあと注と見直しだけなのですが。。仕上げなければと思います。次の論文の締め切りが一月末なので、それもがんばらねばなりませんし。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月6日 今日は土曜日。名古屋能楽堂では学生能があります。うちの能楽部の学生たちも出るので、本当は観に行きたいですが。。「人間学研究センター」紀要。今日中に上げないとかなりやばいので、残念ですが家で仕事します。。来年度の研究助成金の書類も出来れば連休中にめどつけたいですし。。明日は筧先生の伝統文化子供能楽教室の謡初が名古屋能楽堂稽古室でありますので、子供を連れて行く予定です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月5日 いよいよ初出勤です。梅若万三郎先生、万佐晴先生よりお借りしたSPレコードの音源がNHKテクニカルサービス名古屋より出来上がってきたのでそれでCDを作成しています。午後からは会議がありますので、もう正月は終わりだなあと。。今年も名古屋の伝統芸能を記録して、できる範囲で発信して行きたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月4日 明日から出勤なので、今日は家でのんびりしています。そういいながら午前中は年末片付けられなかった紙ごみの山を整理し。。それでもやっぱり整理仕切れなかったのですが。。今日はキアイ入れて論文を書かなければならない日なのですが、あまりキアイが入りません。御園座から四月の歌舞伎の案内が来て、「三津五郎と橋之助か。。「芋掘長者」って観たことないけれど。。みたいなあ。。」とか。そういうことを考えている暇に論文書くべきなのですが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月3日 今日は名古屋能楽堂定例能でした。長田驍先生の《翁》。下掛り系の《翁》自身が名古屋では平成九年の金春安明先生の「毘沙門風流」以来ですし、喜多流の《翁》を名古屋で観るのは初めてでした。。東京でも、、大学院時代観たようにも思うのですが、ほとんど記憶にありませんから、実際には観たことなかったかも知れません。。演目が新年にふさわしく、しかも久々の下掛りの《翁》ですし、出演者も翁が長田先生、三本柱が井上菊次郎先生、竹生島が観世喜正先生でとてもよかったですし、満席で盛況でした。でも、翁の構えとか、観世流と喜多流で結構違うのですね。とても興味深かったです。文章も少し違うというか、、観世より短いです。あと面箱と千歳が狂言方の役で、今回は佐藤融さんでしたが、若々しくてとてもよかったです。三番叟は狂言共同社の鹿島俊裕さんでしたが、おそらく披きだと思います。若々しい躍動的な三番叟でとてもよかったです。小鼓は後藤嘉津幸さんが頭取。。後藤さんは若いイメージが強いのですが、もう頭取なのですね。。《翁》の大鼓は筧鉱一先生、、きっと御自分でもお好きな曲なのだと思います。キアイはいっていてとてもよかったです。《竹生島》は観世喜正先生がゲストでシテを勤められましたが、特に後ジテの竜神は最高にかっこよかったです。イヤホンガイドも若い人ががんばってなさって下さって、とてもよかったです。終演後に名古屋能楽堂中級講座「翁」の五回目の講義として、長田先生と対談致しました。「ご感想は」と伺いましたら、「暑かった」とのことで。。面をはずしたら汗が流れたそうです。舞台上はそうとう暑いのでしょうか。。熱演でしたが。。長田先生父子の特別の仕舞《高砂》よかったです。今日の中日新聞のコラムは「謡初」でした。中日新聞の長谷さんから尾張藩の謡初の資料について問い合わせて頂いたので、科学研究費報告書に載せた「尾張藩の謡初」の記事を送らせていただいたら名前載せていただけました。ひろくんとともちゃんにパパはちゃんとお勉強しているのよといばりました。大変ありがたかったです。。明日は一日論文執筆します。どれだけ書けるか。。でも一月末までに二本書かなければならないので。うーーん。私もキアイが必要です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月2日 新年二日目です。辞書で「太平楽」を引いたら、、「(1)勝手なことを言いたい放題に言うこと。勝手な振る舞い、また、そのようなさま。」ということで。。昔から「飯塚君も太平楽な人だから」と言われていましたが、そういう意味なのですね。あらためて辞書を引くと。でも、言いたい事を全部我慢していると身体に良くありませんし。。まあ昔からいいたい放題勝手なことをさせてもらって、なんとか世の中を渡って来られたのですから有難いことと思います。昨日から人間学研究センターの紀要の原稿を書いています。長唄・清元・新内など明治時代に「俗曲」と言われていたものが「蓄音機レコード」や「ラジオ放送」で広く行なわれるようになって、卑猥な歌詞を除き、高級化してくる過程について書いているのですが。。高橋信三放送文化振興基金や愛銀教育文化財団助成で助成していただいてSPレコードや戦前の芸能関係の新聞記事を集めた成果の一部を発表出来たら良いなあと思っています。今夜は実家で両親と妹の一家とうちの一家で合わせて十人で食事します。楽しみです。明日は名古屋能楽堂定例能、能のあとの「翁」の講座で長田驍先生とともに解説をさせていただくのが私の今年度の初仕事です。仕事ですが、楽しみです。ではまた、皆様お身体に気をつけて、お元気でお過ごしくださいますよう。
2007年1月1日 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年までの日記は2006年分として別ページにいたしました。今年の我が家の年賀状の文面は、
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。恵理人は大正から昭和の能楽界に関心を持ち、当時の雑誌記事やSPレコード・オープンリールのテープを収集しております。また名古屋にお稽古場のある先生方に大学のスタジオで祝言小謡・名古屋伝承の尺八を録音頂きました。東海地域能楽番組データベースにも番組画像が加わりました。全てホームページ「恵理人の小屋」より配信致しております。御協力頂きました多くの先生方に心より感謝致します。比呂人は小学生に、友恵は幼稚園の年中組になりました。二人とも筧鉱一先生・長田郷先生の「伝統文化子供能楽教室」に通って、パパより大きな声で「春霞」を謡うことが出来るようになりました。昨年夏の「伝統芸能上演会」でみんなと本舞台で謡っているのを聴いて、先生方のご苦労と、子供達の健康的な成長に感謝致しました。佳恵はPTAのお母さんとして充実した日日を送っております。お蔭様で双方の両親ともども健康を守られ、一家全員元気で暮らしております。心より感謝致します。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年が皆様にとって佳き年でありますよう。
というものなのですが。。昨年個人情報保護という観点から名簿が作られなくなりましたし、自宅の住所を聞くのもはばかられる風潮ですので、昔からのお付き合いのところには年賀状をお出し出来ましたが、昨年お世話になりながら、出すことが出来ないところもありました。個人情報保護もですが、なにか行過ぎると却って不便ということがいろいろあります。だんだんと社会が成熟すれば落ち着くのでしようが。。昨年は一家に病人もけが人も出ず感謝でした。今年もみんなが健康で、怪我がなく、元気で過ごせればいいなあと思っております。あとは交通事故を起こさないように、そして遭わないように。。昨年は「録音」を研究対象にしたこと、スタジオでのワークショップを講義に取り入れたことが大きな変化でした。このことによって、大阪大学で謡曲録音に関するフォーラムでコーディネーターを勤めるなど、研究活動のはばを拡げることが出来ましたし、新しい発見もありました。またワークショップや研究活動を中日新聞さん、読売新聞さん、四日市のケーブルテレビさんなどマスコミで取り上げてくださったことも本当にありがたいことでした。協力して下さった西川古都先生、岩田律園先生、筧鉱一先生、長田驍先生・郷先生、本田光洋先生、佐藤友彦先生、西村高夫先生に心より感謝致します。昨年より中学・高校の新課程の生徒さんが大学に入っていますので、習ってきている内容がずいぶん異なります。新課程の学生さんに対応した教材作成も急務になります。四十代も後半になりました。昔は「先が見えない」不安が大きくありましたが、いまは「先が見えるつまらなさ」に用心しなければならないと思います。自分が一時間、もしくは一月でも、どれだけ時間をかければ何が出来るか、わかる反面、ときめきは昔ほどないです。マンネリに陥りやすいですし、それは講義にも出てしまうでしょう。昨年暮れ、昔非常勤で教えていた常総学院高校のクラス同窓会に声をかけてもらえたのはすごく嬉しかったです。当時私が二十四歳から二十七歳。。今年は教え子たちが三回目の年男だといいますから、教えた頃の私の年をずっと越えています。当時の講義ノートみても稚拙でよくこれで講義したよなあと思いますが、わからないなりに必死に時間かけてやっていた。。それは高校生に通じたのかなあと。。逆にベテランになったいま、当時より「うまい」講義が出来ても熱がなければ通じないかも知れないと。。そのような点は初心に帰って、頑張って研究と教材作成に励みたいです。老眼になったこともあり、交通事故などは本当に気をつけなければと思っています。家族と新年を御屠蘇と雑煮で祝い、これから家族で歩いて実家に行きます。ではまた、今年が皆様にとって素晴らしい年でありますよう。