中年日記

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2009年12月32日 大晦日です。午前中ようやく年賀状を仕上げ、ひろとと釣り納めに碧南の海釣り広場に行きました。風が強くて、糸が絡んだり、私は一匹も釣れなかったのですが、比呂人は二匹釣りました。たいしたものだと思いましたが。。今年は、、前に進むというよりも「風をしのぐ」というような、「耐える」気分の年でした。。年齢的に「出来て当たり前」で、講義でも論文でも、失敗すればなんだと思われますが、相当頑張っても、当たり前の出来だったと言われる年齢なのですよね。来年も数えで五十ですから、「しのぐ」感じになりそうな気がしています。「失敗しない」ように、内輪に守って、それでも進歩できるように頑張りたいです。研究的な仕事としては尾張藩の能楽史年表と、近代の能楽資料年表の制作、雑誌に載る戦前の能楽番組のデータベース化かメインの仕事になると思います。「なんだあんな程度か」と言われない仕事をしたいです。正確なカード取りと入力が大切なのですが。ではまた、皆様よいお年をお迎えくださいますよう。


2009年12月30日 今年も今日含めて二日です。年賀状まだ書けていません。「紫明」にいただいている依頼原稿をなんとか仕上げてからと思っているのですが。。なかなか整理できないのです。短い原稿用紙八枚前後の原稿なのですが。。難しいです。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月29日 来年1月31日の豊田能楽堂の講座の打ち合わせに、豊田能楽堂の方と河村総一郎先生の御自宅に伺いました。河村先生は御先代の河村鉦二先生(観世流シテ方)以来能楽をなさっているので、呉服町能楽倶楽部以来の能楽の貴重な写真を持っていらっしゃいます。次の講座ではこれらをスライドにして解説してくださるのですが、とても楽しみです。大変勉強になり感謝でした。午後は、徳川慶喜邸日誌より明治十一年の松本金太郎の出仕記事を調べていました。権力者というのは夢中になって稽古するけれどある日からぱたっと召されなくなる。。気まぐれなものだなあと。。勉強になりました。休日だから集中して調べられるので、明日もがんばりたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月28日 紫明の論文、家で執筆していますが、家にいると、図書館などの資料が使えないので、古注釈など気にかかることがいくつもあります。出来るところまで書きたいです。皆様、お元気でお過ごし下さいますよう。


2009年12月27日 今日は今年最後の日曜日です。ひろとが風邪気味なので、僕はひろとと留守番。友恵は父と餅つきに行きます。家内が熱田教会の礼拝に参加します。。「紫明」に頂いている連載論文の執筆頑張ります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月25日 メリークリスマス。今日は家族で津に行きます。調査、釣りなど楽しみです。イエス様の誕生された佳き日であるとともに、私にとってはパソコンの手ほどきをしてくれた住正也君の命日です。心臓発作で突然でした。二十七でなくなったので、もう二十年なのかと。。存命ならば理科教育・情報教育のトップクラスの研究者だったと思いますが。。心より冥福を祈ります。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2009年12月24日 今日はクリスマスイブです。家内は熱田教会の燭下礼拝の司会を務め、子供達は私の実家のクリスマス会に行きましたが、、パパは仕事が終わらず、、研究室でずっと仕事をしていました。明日は石水博物館の調査です。楽しみです。子供達は長田先生の子供能楽教室に参加します。帰り合流して冬ですが釣りに行きたいと思っています。ではまた、皆様良いクリスマスを。。


2009年12月23日 今日は六麓会に参加しました。若い人の茶会記の登場する能役者に関する発表などとても面白かったです。僕も頑張らねばとおもいました。ではまた、皆様お元気で。


2009年12月22日 今日は豊田能楽堂講座のパワーポイント作成。。なかなか進みません。困ったものです。明日は六麓会のミニ発表で神戸に伺います。久しぶりで楽しみです。往復高速バスですが。。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月21日 昨日一旦停止違反で捕まった後遺症が続いていて、ちょっと落ち込んでいます。注意して運転するしかないのですが。事故は怖いです。論文の締め切りも発表資料の作成もあり、時間がなかなかないです。頑張ります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月20日 今日はクリスマス礼拝です。家族は熱田教会の礼拝に参加しますが、私は教会学校のみ参加して豊田に講座の打ち合わせにうかがいます。。と書いてでたら、知立で交通違反でつかまってしまいました。知立の高架下で、一旦停止を合流と勘違いして、停止せずに出たところを停められて。。七千円も痛いですが、反則の点数二点と次回は青免許の三年更新というのも痛いです。せっかく今回ゴールド免許になれたのにと。でも、合流と勘違いしていたというのもショックです。気がつかなかったので。。気をつけます。家族は教会のクリスマス祝会にでていますが、身体が非常に疲れているのに気がついて家で寝ています。夕食は余り物にして倹約します。あーあ。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月19日 今年の講義がすべて終了しました。書けなかった論文や作るつもりで出来なかった資料作成がこれから年末までの仕事です。今日は土曜日ですが、出勤するつもりです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月18日 今年最後の講義は人間論で長唄の杵屋三太郎先生にいらしていただきます。楽しみです。一年健康を守られ、病気での休講をしなくて済んだことは本当に感謝でした。年末、研究も頑張らねばと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月17日 今日は最後の卒業研究ゼミでしたので、ケーキを買ってささやかなお祝いをしました。提出のめどはみなたったと思います。みんなが良い年を迎えられることを祈っております。


2009年12月15日 昨日は年内最後の古文書の会でした。近代の西園寺公望の手紙を読んだのですが、現在使わない漢字が思い当たらないのですよね。蟹江和子さんに読んでいただきましたが、さらっと読まれてさすきがだなあと思い、感謝致しました。勉強になりました。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月14日 大学の講義は20日までですので、今週が今年最後の講義の週です。健康を守られ、風邪や病気による休講をしなくて済んだことに感謝致します。課題はたくさんありますが。今日は古文書の読書会があります。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月13日 今日は定例能です。武田大志の「田村」と衣斐愛の三輪、どちらも若手でよく勉強している人なので、期待が持てます。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月12日 毎日慌ただしいです。今日はこれから「伝統文化こども教室事業の存続を求める緊急フォーラム」に伺います。「黙っている」ことはやはりよくないので。。フォーラムで発言するつもりはありませんが、「参加する」ことによって意志表示が出来ると思います。明日の名古屋能楽堂定例能、武田大志の田村、衣斐愛の三輪、ともに若手ですが、二人ともとても真面目な芸なので期待できます。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月8日 昨日は伊東宏先生のお宅で三十年以上前に伊東先生が調査された両墓制の墓地の写真など拝借しました。その土地の様子がすっかりかわっているため、このような写真はとても貴重です。アーカイブが作れないか、その雛型を作りたいと思います。今日は午後会議、夜はフランス音楽研究会のコンサートに伺います。楽しみです。正直言って、気分的にはかなり行き詰まっています。社会の閉塞感と連動しています。研究も「事業仕分け」が必要ですし。でもこういうときには出来ないことは諦めて、出来ることを無理が身体に来ない程度で少しずつするしか方法がありません。「出来ないことは諦める」覚悟が求められているのかなと思います。いつか上向くだろうと。。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月7日 今日は講義がない日なので、大学を休んで高校の恩師の伊東宏先生のお宅に伺います。岡崎の民俗関係資料を拝見に行くのですが。伊東先生の収集された資料は昭和のものが大半ですが、現在は景色も人もすっかり変わってしまい、とても貴重です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月6日 今日は僕は石水博物館の調査、子供達は津の長田先生の稽古で、津に行きます。みんなで車で行きますが、行きに白子港で少し釣りをしたいなあとおもいます。僕も子供も釣りが好きなので。楽しみです。夜は附属高校同窓会役員会です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年12月5日 今日は久しぶりに家におります。原稿が全く書けないことと、明日から外出続きなので。。岡明彦君から「 伝統文化こども教室事業の存続を求める緊急フォーラム開催のお知らせ」がまわってきました。僕は末端の研究者ですが、できれば参加したいと考えています。(それまでに原稿仕上がるかなあ。。それが問題なのですが。。)

伝統文化こども教室事業の存続を求める緊急フォーラム開催のお知らせ

平成21年12月4日
代表呼び掛け人
西川流三世家元 西川右近
華道石田流家元 石田秀翠


謹啓 皆様方におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

ご承知の通り、行政刷新会議による事業仕分けにおいて、伝統文化こども教室事業が「国で行う必要がない」との決定が下され、廃止の可能性が高まってまいりました。
地域の伝統文化の継承と再生を促す事業として、全国で5000教室に及ぼうとする取組みがなされていたことは大きく評価できることであり、伝統文化に携わる私どもとして、近視眼的な見方から一方的な評価を下されることを看過することはできません。同事業の助成金を受けているのは私たちですが、真の受益者は、伝統文化が提供されている子ども達であります。また、その間に生まれた成果は、子ども達が大人になった時に明らかになると確信します。

 文部科学省は12月15日まで、同省の関係事業で仕分け対象になったものへの意見募集を行なっています。この地域でも意見を集約し、ノーベル賞受賞者や金メダリストらによる行動のように、私どもの声を国に届けてまいりたいと存じます。
そこで下記の通り、緊急フォーラムを開催したく存じます。
ここでは、伝統文化こども教室事業を実施している芸術団体・芸術家(今後、同事業の実施を計画していた芸術団体・芸術家)が、どのような「成果」があったのか等を話し合い、それを文部科学省に届けることを目的にしたく存じます。
 緊急の集いとなりますが、ご参加のほど、宜しくお願い申し上げます。
敬具


名称 伝統文化こども教室事業の存続を求める緊急フォーラム
日時 平成21年12月12日(土)午後6時30分~
場所 名古屋国際センター 5F 第1会議室(名古屋市中村区那古野1-47-1)

問い合わせ: 西川会(052-831-7106 担当・榎本)
石田流(052-781-2611 担当・佐久間)


2009年12月1日 いよいよ十二月、「師走」です。現在は「師走」という現象自体は一年中なのですが、今年は何か不完全燃焼で、何か充実感がありません。毎年こうだったかなあと思いつつ、出来ることに励んでいます。依頼受けている原稿もたくさんありますので、一つずつきちんと勉強して書きたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月30日 今日は十一月最後の日です。名古屋芸能文化の校正をしたくらいで勉強は終わってしまいましたが、10日に椙山関係の社会人講座を依頼されていますので「昭和初期の古典芸能ーラジオ放送を中心に」という構成でプリントと内容を考えています。きちんとした話が出来るとよいなあと思います。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月29日 今日は午前中は名古屋芸能文化の校正をしました。昼からは豊田御洒落狂言会に伺いました。佐藤融さんの≪花折≫、シテの新発心がお酒と花見を楽しんでいる様子、とてもよかったです。見所で井上菊次郎先生とお話し致しました。四月に大病されて現在リハビリ中のため、車いすでしたが、かなり快復されていて舞台以外の仕事はなさっているそうです。早い快復をお祈り致します。もうすぐ十二月。早いです。今年は社会全体に閉塞感があるというか、「何か」充実感も達成感もない日々が続いているような気がします。出来ることを頑張るしかないのですが。もう九時なので寝ます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月28日 昨日は大学連携講座、前半は私が一月の定例公演の事前講座として「翁」を取り上げ、後半は西村高夫先生に羽衣を教えて頂きました。祝言として「高砂」の四海波とキリも謡って頂いたのですが、やっぱりプロだなあと。。実際に謡って頂くとビデオとは迫力が違います。来週と一月十四日の国際コミュニケーション学部の「能・狂言」で謡曲の指導をお願いします。西村先生に昨日は≪半蔀≫を謡って頂き、「お稽古場(観世流)」のページに加えました。西村先生に心より感謝致します。四方定子氏にご協力いただいた民謡の音源も、辻山幸一氏にご協力いただいた新内・歌舞伎・落語のSPレコード音源も、そのものは出来ているのにまだ配信できていないものかなりあります。講義と雑用の合間に論文を執筆し、その合間にホームページの更新をするといった状態で、余裕がないのです。大学教員は暇人の代名詞であったはずですが、社会の効率化の波は大学にも及んでいて、、僕は名古屋大学の助教授だった父をみて、こういう職業いいなあと思って学者になりましたが、ひろとや友恵がパパを見てそう思ってくれるか疑問です。子供達に学者になって欲しいと言うのは、この時勢難しいと思いますが、「教育」というのはやりがいのある仕事だよと思ってもらえれば良いのですが。。文化系の研究は教材開発ですから。なんか思い通りに行かないことが多くて、閉塞感が大きくあります。事業仕分けは芸術・文化にはとても厳しい結果でした。ノーベル賞級の学者ならば首相に会う事も出来ますが、普通の学者としては、ホームページに伝統文化こども教室の予算復活をお願いしますと書く以外、なせることもないのですが。。できることを頑張りたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月25日 毎日外出が続いているせいか、身体がだるいです。ちょっと気力が落ちているなあと感じます。論文の校正も執筆もたくさんあるのですが。明日は一日四科目の日です。頑張ります。みなさまお元気で。


2009年11月24日 昨日は調査のあと、河芸漁港で釣りをしました。ひろとがかれい一匹、僕はハゼ一匹でした。楽しかったです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月22日 今日は保田紹雲先生の発表でした。伺いながら大正時代のペルツェンスキーの能面研究ってものすごくレベルが高かったのだなと感じました。近年西野春雄先生の御研究で日本でも再認識されましたが。。楽しかったです。明日は石水博物館に謡本の撮影に伺います。楽しみです。


2009年11月21日 今日は茗渓会(東京教育大学・筑波大学同窓会)の西三河支部の忘年会でした。岡崎で久しぶりに同窓生に会いました。みんな高校の先生ですが、なぜ先生になったのかという話になると決まって高校の時の先生にあこがれてと言うのですよね。。僕も柴田哲谷先生や内田幹夫先生の影響は強烈でした。僕はいま教師を育てることは出来ないので、僕の講義を聴いて、能や歌舞伎を観たり、長唄や新内のファンになったりする学生が出てくれればよいなあと思っています。。五十近くなり、これが僕の「天命」だと思います。同窓会楽しかったです。僕も頑張ろうと思いました。明日は東海能楽研究会。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月20日 今日は午前中大学連携講座で養老を講義しました。西村高夫先生に東京からいらして頂いて、養老のキリを謡って頂き、また羽衣のクセの最初の部分の稽古をして頂きました。私も大変勉強になり感謝でした。文部科学省の事業仕分けで「伝統文化こども教室」は「国としては行わない」ということでした。能楽には非常に大きな影響があると思います。東海能楽研究会も五年間かけて、中村教室・豊橋教室・津教室ともようやく軌道に乗りつつあるところなのに。。と思いますが。。予算復活して欲しいです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月18日 ものすごく忙しいです。手間が悪いだけかも知れませんが。がんばります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう


2009年11月15日 朝は熱田教会学校に伺い、市立博物館に行った後、名古屋宝生会に行く予定です。楽しみです。来週の東海能楽研究会の輪読の「箙」のプリントがまだ出来ていないので気がかりですが。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月14日 今日は12月9日の四日市能の清経の事前解説をさせて頂きました。恋の音取の小書つきで、シテが大槻文蔵、笛が藤田六郎兵衛先生ですので、とても期待しています。しばらく清経拝見していないのですが、とてもきれいな清経になるのてではと思います。夕方からは中電ホールの新内勝知与リサイタルに伺いました。明烏の序から時次郎部屋、雪責めまで七十分の弾き語り、素晴らしかったです。すごい根性だなあと。。楽しかったです。明日は教会のあと、名古屋市立博物館に行きたいなあと思っています。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月13日 今日は講義がありませんでしたので、のんびり起きて家で原稿校正してから大学に行きました。来週の東海能楽研究会で輪読の「箙」を担当しますので、準備をしています。頑張ります。明日は四日市市民文化会館で、二時から能楽講座「清経を読む」を担当します。夕方からは中電ホールの新内勝知与の会に伺う予定です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月11日 昨日の名古屋能楽堂の初級講座「脇方」高安勝久先生が装束たくさん持って来てくださり、わかりやすく解説してくださいました。とてもぜいたくな講座でした。勉強になり、楽しかったです。今日は研究室のSPレコード音源のうち、常磐津・清元などをホットメールのスカイドライブにあげました。パブリックでどなたに使っていただいても構わないのですが、スカイドライブのパブリックは、こちらからリンクを送らないと場所わかっていただけないのでその点は不便です。erito7@hotmail.comに「音源のリンク希望」と書いておくってくださればリンク送らせていただきます。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月9日 今日は午前中が「名古屋文化情報」の編集会議、午後が江南短期大学の「日本文化論」の講義です。がんばります。


2009年11月8日 今日は今池のガスホールで杵屋三太郎先生一門の杵三会が行われます。午後伺いたいなあと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月7日 今日は留学生の友禅染め実習の引率です。毎年行っていますが、楽しみです。教員も作らせて頂けるのですが、なかなかうまくできません。。でも自分で染めたものはやはりうれしいもので、とってあります。論文の校正がたくさん来ているのでがんばらないとと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月6日 忙しいです。。なにが忙しいのかよくわからないですが。たくさん仕事ありますが、もう寝ます。お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年11月4日 二日間更新できませんでした。やはりブログと違って、携帯で更新することはできませんので、パソコンの前に座る時間が必要です。それがとれませんでした。忙しいです。というか、、何から手をつけたらよいか。。でも頑張ります。


2009年11月1日 今日は名古屋金春会でした。金春穂高の橋弁慶、子方の義経の飛翔君は体育会系で勇ましい義経でした。弁慶の穂高先生も貫禄あってよかったです。父上に似てこられたなあと。。本田光洋の百万、、僕は学生時代からの本田先生ファンですが、なんかちょっとした所作が情があって良いのですよね。。優しいお母さんでした。。鬼頭尚久の猩々乱、金春流の猩々乱は実は初めて拝見したのですが、足遣いや型がずいぶん違うのですね。観世に比べて素朴だなあと思いましたが、とてもかわいらしい猩々で良かったです。名古屋のシテ方として、次代のホープなので。きちんと習った芸をしていて好感持てました。三番とも佳かったのでとても楽しかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月31日 今日は午前中は「名古屋芸能文化」の原稿を執筆し、午後は川喜田半泥子の展覧会に行く予定です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月29日 まだ「名古屋芸能文化」の原稿校正できません。明日は講義ないのでがんばります。皆様お元気で。。


2009年10月26日 昨日釣れたハゼとく゜れ家内が煮付けにしてくれたのですがおいしかったです。明日は長田郷先生の留学生の仕舞の講義です。私も参加させて頂きますが楽しみです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月25日 今日は僕は石水博物館の謡本調査、ひろとは長田先生のこども能楽教室で津に行きます。終わったら釣りに行きたいですが雨模様なので出来るかなあと。。これからは根魚のシーズンなので。。狙う場所などもハゼと替わります。楽しみです。風邪に気を付けて行きたいです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2009年10月24日 今日は午前中は校務で登校、午後は狂言の鳳の会に伺いました。狂言共同社の井上菊次郎先生と佐藤友彦先生の会ですが、井上先生が病気のため、四月から休演、そのこともあり、来年一月十七日を最終とするのだそうです。一時代を作った、とても良い会だったので、残念ですが、狂言も次世代が育っていますからぜひ頑張って頂きたいです。鳳の会の後、伏見の電気会館コンサートホールで行われた、岡崎美奈江筝・三絃リサイタルに伺いました。大久保智子や野村祐子の次の世代の逸材だよと伺ったので、、確かに声が良いし、すごく勉強して舞台にかけているのだなと伝わって来るものがありました。先生の芦垣美穂氏との八重衣は、先生の歌が本当に上手だったので、多少損をしたというか、まだ上が゜あることを観客に見せてしまったところはありましたが。。将来楽しみです。とても楽しかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月23日 今日は東海能楽研究会の会報発送準備と「名古屋芸能文化」のファイル見直しをします。夕方からは能楽堂に定例能拝見に伺います。衣斐正宜先生の野宮楽しみです。明日は狂言の鳳の会、28日は西川真乃女の会と楽しみな会が続きます。それだけに忙しいので体力も大切です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月21日 今日は東海能楽研究会の例会案内発送の準備をしました。資料を頂くなど研究に協力頂いている方が多いので、いつも論文を書いたときは抜刷も送らせていただいているのですが、今回は論文はないので、放送文化基金報に載せたレポートと月刊国語教育に投稿した教員免許講習の報告を送りたいと思います。夕方からはマック栄で、キーノートとフォトショップを用いて四コママンがを作る方法の講習を受けました。これは来年以降講義で取り入れたいと思います。明日は一日四コマの日です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月20日 「徳川慶喜と謡曲(1)」、家内が典拠確認などしてくれて手伝ってくれて、今日なんとか提出致しました。ほっとしました。あと月末までに「名古屋芸能文化」の原稿と科学研究費の申請がありますが。。頑張ります。東海能楽研究会の次回例会については、9/28の中年日記に記してありますが、会員例会案内とともに郵送する子供教室報告を係の長田さんから頂きましたので、ここで公開させて頂きます。子供能楽教室も盛んになると良いなあと思います。興味のある方はぜひ見学にいらして下さい。問合せ先(飯塚 erito7@hotmail.com 件名は「子ども教室の件」としてください。)ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。

伝統文化こども能楽教室報告

                                  中村教室 長田 若子

 

8月22日(土)、田原市はなのき広場にて『骨髄バンクチャリティー薪能』が開催されました。夕方5時より始まり、地元田原市萱町山車囃子、八軒亭直哉さんの落語、伝統文化こども能楽教室が順番に練習の成果を発表しました。こども能楽教室からは豊橋教室7人、中村教室8人が出演しました。豊橋教室による「熊野」の仕舞、豊橋教室の三浦敬子先生シテで囃子「はるがすみ」、一口謡の「たかさごや」「はるばるきぬる」「月海上に」「あずまあそび」「花咲かば」「四海波しずかにて」と続きました。お天気にめぐまれた素晴らしい日でした。

11月8日(日)には、名古屋市名東区のベネッセくらら猪高緑地(老人ホーム)に、中村教室が訪問します。ご老人たちと一口謡を一緒にうたってきます。

 来年2月7日(日)には、名古屋能楽堂で「伝統文化伝承会」が催されます。こども教室出演の予定です。

  今後のお稽古予定 10月24日(土)  11月28日(土)

後2~3時半 場所:米野コミュニティセンター(名古屋市中村区・近鉄米野駅ちかく)

 


2009年10月19日 「徳川慶喜と謡曲(1)」、慶喜の松本金太郎についての稽古の記事はほとんど明治九年から十一年に集中するのですが、その九年の分のみまとめて、連載の(1)として投稿することにしました。連載を始めることによって、自分自身へ調査へのプレッシャーをかける意味もあります。明治初期の大名の能との関わりとして、慶喜の事例は、とても貴重です。慶喜が特殊な環境にいながら、慶喜の関わり方は当時の華族の能楽愛好と多くの共通性を持っています。そういう部分が明らかに出来るとよいなあと考えています。今日は講義がないので、今日中に仕上げたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月18日 科学研究費申請書、煮詰まってしまってどうにもうまく考えがまとまらないので、家内に計画・予算などチェックしてもらっています。やはりかなり計算間違いや誤字が多いみたいで、赤字で直ってきたの見てどうすべきか考えています。書類を読む人は能の研究者ではありません。分かりやすく筋が通るように書くのはとても難しいことだなあと思います。昨年度から調査している徳川慶喜と謡曲ですが、調べ直したいこともあるものの、余り引き延ばすと気付いたことも忘れかねないので、紀要に分載して発表しようと考え、時間の余裕がないので、今日は熱田教会の礼拝をお休みして家で原稿を書いています。がんばります。夕方の友恵のエレクトーンの発表会だけは行く予定です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月17日 今日は学園祭です。午前中はインフルエンザの予防接種と、科学研究費書類にあてて、午後から子供達とでかけたいと思います。楽しみです。雨が心配ですが、ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月14日 留学生の歌舞伎鑑賞引率で御園座の夜の部に行きました。仮名手本忠臣蔵の通し狂言です。一力茶屋、団十郎の由良之助、橋之助の寺岡平右衛門とてもよかったです。留学生の人たちには、全部筋がわからなくても、とても綺麗な劇なんだと言う事がわかってくれればよいなあと思っていました。あとアイスクリームとか食べる楽しみもあることと。楽しかったです。来年春の御園座歌舞伎は五月だと聞いています。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月13日 昨日はひろとも私も釣れませんでした。秋が深まり釣れる魚が違って来るので、仕掛けなど替えなければならないかもと思います。昨日はミャク釣りでハゼを狙ったのですが。。今日は教授会です。科学研究費の書類は書きかけですし、「出目墓参記」も書きかけです。次の「徳川慶喜と謡曲」は序にかかっただけです。「名古屋芸能文化」に投稿するための「豊嶋十郎筆脇仕舞附(人)」は校正が出来ていません。世阿弥が「下がるは四十有余なり」と言っていますが、僕の場合、覚えられるスピードよりも忘れるスピードの方が速くなったことと、集中力が落ちたことは確かです。目が疲れやすくなったことも大きな原因ですが。嘆いてもしかたないので、メモをきちんととり、アクションリスト作って、無理せずに必要なことをするしかないです。「中年日記」も、、後から見てその時の心情を忘れないために書いています。うーっ、、情報発信になっていない。。ではまたお元気でお過ごし下さいますよう。


2009年10月12日 今日はひろとは長田先生の津の子供能楽教室に、僕は石水博物館の調査に伺います。その後待ち合わせてハゼ釣りに行こうと思います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月11日 今日は午前中は熱田教会り礼拝に行き、午後は昼寝したあとに科学研究費の書類を書きます。研究に必要な予算とその根拠の積算が五年間で申請するので難しいです。ただ、今回は、明治から戦前までの能楽雑誌から、全国の能番組の記事を抜き出してデータベース化するという仕事なので、、データ訂正や見直しまで考えると、三年ではとても無理です。五十代前半の大仕事として取り組みたいです。三木邦弘先生と大山範子先生に共同研究者をお願いします。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月10日 今日はインフルエンザの予防注射にゆき、あとは自宅で科学研究費の申請書類作成をします。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月9日 台風一過、秋晴れです。今日から大学連携講座です。がんばります。皆様、お元気でお過ごし下さいますよう。


2009年10月8日 安城は幸いルートからそれたようで、被害も少ないようです。先程は虹がでていて、子供達が喜んでおりました。被害が少ないことを祈ります。まだ暴風警報が解除になりません。十時半までに解除となれば午後の講義はできるのですが。電車がまだ動いていないので、どうかなあと心配しておりますが。。子供達は休校が決まっておりますので、家まぐろしております。のんびりできるときはのんびりする習慣をつけて欲しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月7日 大きな台風が近づいているそうです。被害が少ないといいなあと思います。明日講義ができないと。。冬休みが一日少なくなると思いますが。。こればかりはしかたないです。。被害が少なくすみますよーーに。


2009年10月6日 今日は一日会議です。科学研究費の説明会もあります。。採択目指して頑張ります。近代能楽史の見取り図を作るためにはそれだけのお金が必要なので。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月5日 今日は雨のせいかだるいです。明日も会議です。つらいですが、がんばります。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月3日 今日は名古屋九皐会です。楽しみです。科学研究費の申請のための学内説明会が火曜日にあります。昨年秋に申請した今年分は不採択だったので、今度こそ。。と思っていますが、学界全体としていまどのような研究が必要とされているのか、自分はこれまでどのような実績があり、何が出来ることをアピールすべきなのか。。学界全体の関心と自分の能力・体力についてよく考えなければと思います。。昨年10月の書類の反省を踏まえて、頑張って書きたいと思います。今年は自分の得意分野、近代能楽資料、特に能番組のデータベース化と、SPレコード音源・写真等のアナログ資料のデジタル化と配信に絞って、五年くらいの長期計画でだそうかなあと考えています。五年かけて、戦前の「雑誌」に載っている全国の能番組を収集・整理、データベース化して、近代能楽史の見取り図を作りたいなあと。その中で韓国・台湾・中国の日本人社会の番組もいれて考えて行きたいです。共同研究者には、いつもお世話になっている現代マネジメント学部の三木邦弘先生と神戸女子大学の大山範子先生にお願いしたいと考えています。能楽研究も若手の台頭は著しく、四十八歳の僕は「中堅」なのだと思います。これまで先輩たちに教えて頂いた技術と知識、資料の蓄積や整理方法を若手に伝えて行くのも「中堅」の仕事です。身体が強くありませんから、東西の研究会にでかけて腕を磨くこともなかなかできません。ならばホームページやメール・ブログなど、ネットを通じて情報を発信し、また提供していただいたりと言う事が大切だと思っています。大都市でなければできない仕事については、すでに多くの人が試みていらっしゃるので、安城に住んで出来ることをがんばりたいと思います。今年こそ採択したいなあーーー。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月2日 明日は名古屋九皐会です。喜之先生・喜正先生の猩々乱と中所宜夫先生の道成寺、とても楽しみです。明日は夕方から文化情報学部十周年のパーティがあるのですが、能の後、知り合いと栄で研究打ち合わせがあるものですから、失礼いたします。しばらく前に職場と合わなくて退職した卒業生から、再就職のメールを頂き、うれしかったです。ぜひ頑張っていただきたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年10月1日 今日から十月です。まだ暑いので、背広いりませんが。。今月末の論文締め切り二本、ちゃんと出来るか不安です。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますいよう。


2009年9月30日 ひろとも家内もよくなって感謝でした。二人とも疲労のようです。明日から10月です。早いなあと思います。昨日の晩良く寝られなくて、ちゃんと横になっていたのに、なんか眠いです。明日も早いので、もう風呂にはいって寝ます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月29日 今日はひろとが腹痛、家内が頭痛ということで医者に行きました。疲れがでたのかなあと思います。気をつけなくてはと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2009年9月28日 昨日は石水博物館で謡本の撮影をしました。番外謡本の撮影をしながら、昔の人の「謡」に関する関心の広さを考えました。色々な伝説を「謡」として楽しみたかったのだろうなあと思いますが。。夕方は子供とハゼを釣りました。ひろとがハゼ二匹、僕はコトヒキという魚一匹でした。家内がから揚げにしてくれました。おいしかったです。東海能楽研究会の例会案内ができましたので、掲載致します。会員以外の方で参加希望される方は飯塚erito7@hotmail.comに連絡頂きたいです。

前略 下記の通り東海能楽研究会を行います。
ご出席の程、宜しく お願い申し上げます。
日時 平成21年11月22日(日曜日)13時30 分より
場所 米野コミュニティセンター二階会議室
(名古屋市中村区太閤二丁目 近鉄「米野」駅下車、名古屋駅方面へ線路沿いに徒歩3分 
連絡先 erito7@hotmail.com(飯塚恵理人)
米野コミュニティセンター周辺地図
(下記のURLをクリックしてください)愛知県名古屋市中村区太閤2丁目 http://map.yahoo.co.jp/print?type=scroll&lat=35.15950194&lon=136.88388806&sc=4&memo=&prop=&label=&bkmsg=&bkurl=&datum=&ei=&mode=map&layer=&hp=&pointer=on&paper=&orientation=&v=2&fa=&stn=&lat0=&lon0=&rsn0=&lat1=&lon1=&rsn1=&km=&tm=

駐車場が三台しかありません。近くのマックスバリューの駐車場(有料)かコイン駐車場(有料)をご利用ください。よろしくお願い致します。
題目 「観世大夫元章と習十番の演出(仮)」発表者 橋場夕佳氏
輪読 山脇得平本間狂言輪読 《箙》 発表者 飯塚恵理人氏

今日は夕方から古文書研究会です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月27日 今日はあさ、熱田教会の教会学校の中高科で説教を担当し、それから石水博物館に調査に伺います。夕方は長田先生のこども能楽教室に参加している子供達と合流してハゼ釣りの予定です。よく晴れていて感謝です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月26日 今日は「徳川慶喜と謡曲」の原稿執筆と書類作成です。一日自宅で勉強します。明日は私は石水博物館に謡本撮影に伺い、家内と子供達は長田先生の子供能楽教室に伺う予定です。終了後は合流して夕方はひろとがハゼ釣りをしたいと言うので、河芸漁港に行きたいです。晴れると良いなあと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月25日 今日は一宮の御祖父様が能楽愛好者だったという方から、昭和初期の謡曲SPレコードを二十セット以上頂きました。一セットがレコード五枚以上ですから百枚以上あります。まだ正確に数えていないのですが、観世左近が流儀の謡い方の統一を期して作成した観世流謡曲頒布会のものが中心だと思います。私も熊野と小袖曽我のみ、持っていますが、二十組以上のおそらくそろいだと思いますが、当時は非常に高価だったと思いますし、いまはお金を出してもなかなか買える物ではありませんので、本当に感謝でした。研究室に寄贈していただけたので、これからデジタル化して、「思い出能楽堂」の頁から配信させて頂きたいと思います。安田文吉先生に提供頂いた常磐津音源、配信準備の出来た物から配信を始めました。これもとても貴重な音源です。安田先生に心より感謝致します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。、


2009年9月23日 連休も今日で終わります。明日は講義が四時間ととてもハードです。今日は午前中は安城市歴史博物館に行き、午後は和泉流狂言大会に行きます。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月22日 昨日の午前中は両親と家族で岡崎の駒立に葡萄狩りに行きました。食べる分しか採ってはいけませんし、お土産別料金なので割高ですが、子供用に公園のような遊具が置いてあったり、川遊びができるようになっていたり、工夫されていました。葡萄もいろいろな種類があって、おいしかったです。のんぴ゛りできて楽しかったです。夕方、床屋に行こうかなあと思って出たら、どこも閉まっていて。。床屋さんも連休なのだと思いました。今日は家で更新講習の報告書を書きます。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月20日 今日は東海能楽研究会でした。藤岡先生の輪読で話題となった佐渡の鷺流間狂言本と、国会図書館所蔵の森川杜園本が気にかかっています。とても勉強になりました。明日は両親と一家でぶどう狩りに行きます。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月19日 17日18日は留学生の京都研修引率で京都に行きました。嵐山のトロッコ電車や「老松」での和菓子作り体験楽しかったです。今日はオープンキャンパスでした。幸いにも晴れて、気持ちのよい日で、学生さんたちも親切に説明してくださり感謝でした。無事終わり安心しました。明日は東海能楽研究会です。佐藤和道先生の発表楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月16日 「わらべ唄」のページに、尺八演奏家飯田勝利氏より提供頂いた「わらべ唄」を掲載させて頂きました。飯田氏の御母堂様と、娘さんによる童謡です。母堂様は桑名郡長嶋町伊曽島町福豊に明治43年に生まれ、昭和二年に名古屋に嫁がれたとのことです。昭和56年に当時6歳の娘さんとともに唄われた録音とのことで、本当に貴重だなあと思います。昔の温かさの残るわらべ唄です。飯田勝利氏に心より感謝申し上げます。今日も更新講習の報告書を執筆します。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月15日 今日は一日会議でした。更新講習の報告書も書き始めました。写真見ながら更新講習準備は大変だったけれど、やっていて充実感あったなあと思いました。多くの方にお世話になったなあと感謝致しました。明日も報告書の続きを書きます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月14日 今朝はハゼのてんぷらでした。家内が夜帰ったあと、下こしらえして今朝作ってくれたのですが、とてもおいしかったです。家内は下ごしらえが大変なのですが。。また行きたいなあと。。昨日は僕の竿は短い竹竿だったので、次は中学のころから使っている「たそがれ」というグラス竿を持って行こうかと思います。「出目墓参記」が一通り書けたので、次は夏休みの更新講習の報告書と、「徳川慶喜と謡曲」の執筆に入りたいと思います。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月13日 今日熱田教会の教会学校のあと、家内と子どもたちは津の長田先生の子供能楽教室に伺い、私は石水博物館に資料撮影に伺いました。終了後待ち合わせて、夕方、河芸漁港でハゼ釣りをしました。ひろとが五匹、僕が一匹釣れました。明日のおかずにします。近くのスーパー銭湯に行き、ラーメン屋で食べていま帰宅しました。とても楽しかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月12日 昨日は保田先生が資料を大学に届けてくださいました。本当に感謝でした。いただいた武生市史の資料編に安証寺の由緒書があり、それには太閤検地の際に「住寺」が「面打ち」をしており、「面打ち屋敷」として除地となったという記述がありました。太閤検地は全国にわたり十年以上の歳月を費やして行っていますが武生市近辺がいつ頃行われたのか気にかかります。また江戸時代初期の検地がいつ行われたのかも、源介と下間少進の起請文の関係から気にかかります。慶長七年三月に源介が面の注文については下間少進に従う事を誓っているのですが、太閤検地の時、由緒書通りに「面打ち屋敷」として除地になっていたとすれば、慶長から始まる江戸幕府の伊奈検地・石見検地においても除地認定のため本願寺の「面打ち屋敷」であることを証明する書類が必要であったかも知れないからです。今日は頑張ってこの論文を書きあげたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2009年9月11日 昨日は会議の後、家族を連れて近くのスーパー銭湯に行きました。さすがに涼しいので夏ほど混んではおらず、のんびりできてよかったです。保田紹雲先生が越前市から安証寺の由緒書を取り寄せて下さいました。論文に入れたいと思います。本当に感謝です。本願寺教団の中での面打家の位置が少しずつわかってくると思います。たのしみです.皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月10日 今日は健康診断です。メタボなので、、気をつけてはいますが、食べすぎを数値で見せ付けられるだろうなあと思います。反省です。午後からは会議です。気分的に論文が進んでいないだけにツライですが、できることからと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月9日 今日は9の三並びで、中国ではめでたい数字なので、結婚式が増える予想なのだそうです。夏休みもあと10日で終わります。論文執筆頑張ります。ではまた、皆様お元気で。


2009年9月8日 「辻山幸一コレクション 新派劇(1)」「安田文吉先生提供常盤津音源目録」のページようやく目録のみアップロード致しました。音源は学術研究振興基金・椙山女学園大学学園研究助成により、夏休みには完成していましたし、表も家内が作ってくれていたのですが。。関係者の許可をいただいているもの、著作権の消滅しているものについては順次配信させていただきます。その作業も遅れているのですが。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月7日  今日は論文と講義準備です。やらなければならないことはたくさんあるのですが、なかなか進まない。。全部がいいかげんになっているような。それでも「期限」までに「形」にしないと、雑誌も出ませんし、講義も出来ないので。。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月6日 今日は名古屋能楽堂定例能です。第一部の武田邦弘師の鞍馬天狗のイヤホンガイドをさせていただきます。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。

いま帰宅しました忘れないうちに反省を。
・間狂言の内容解説を子方の退場の時に全部話してしまったのは早すぎた。
・後ジテの登場の部分では解説が必要だったが抜けていた。
・申し合わせの時には後場の舞働があったと思ったが、省略させていたため、一瞬解説がおくれた。
→当日省略箇所がないか、確認すべきだった。

 感想としては、鞍馬天狗白頭よりも小書なしのほうが、動きがあって初心者にはよかったのではなかろうかと思いました。武田先生はベテランなので、白頭もとてもよかったですが、七月の小書なし殺生石がとてもよかったので、素の型も珍しいので拝見したいように思いました。

 解説していてとても緊張しましたが楽しかったです。以下確定原稿を掲載します。


鞍馬天狗イヤホンガイド原稿案
笛、小鼓、大鼓の囃子方が、楽器の調子を整えるお調べが聞こえてまいりました。まもなく開演となります。
最初に物語の筋を簡単に述べておきたいと思います。
 鞍馬寺東谷の僧(ワキ)が、西谷より花が満開であるという花見の誘いを受けて、稚児たち(子方)を伴ってでかけます。その花見の場に見知らない怪しい山伏が現れます。宴会の最中に不審な人物が混じるのはふさわしくないと、能力が山伏を追い立てようとします。僧は花見の場で争いが起きることをを好まず、花見を中止して稚児を連れて帰ります。
稚児たちが帰る中に一人の稚児が残り、山伏に花見を勧めます。この稚児は、牛若丸でした。山伏は牛若丸が平家の稚児たちに除け者にされていることに同情し、牛若丸を伴って山々の桜を見せます。そして、自分が鞍馬山の大天狗であることを明かして再会を約束して姿を消す。牛若が薙刀を手に待っていると大天狗が日本各地の天狗を連れて現れ、牛若に兵法の大事を授け、将来の守護を約束します。

一谷の戦いでも、八島の戦いでも、義経は少数の精鋭部隊を率いて敵の大軍の中枢を攪乱して勝利しています。今で言えばゲリラ戦の天才でした。義経はなぜ兵法が上手であったのかという疑問に対して、それは天狗に兵法を教えてもらったからだという伝説が出来、それが義経記に書かれています。本曲は、この義経記によった作品です。
幕を片方のみ上げて、囃子方が登場致します。 笛、大野誠(おおのまこと) 小鼓、船戸昭弘(ふなとあきひろ) 大鼓、河村真之介(かわむらしんのすけ)・太鼓 加藤洋輝(かとうひろき)の各師が勤めます。
登場の囃子がないままに前ジテの山伏が登場します。そして鞍馬寺で花見の宴が開かれると聞いたので、呼ばれてはいないのだが、余所から花を眺めたいと言います。武田邦弘が勤めます。

登場の囃子のないまま、寺院の下働きをする能力(のうりき)が登場致します。井上靖浩が勤めます。右手に文(手紙)を持っています。能力が花見の誘いであることを述べると、子方の稚児達・ワキの層・ワキツレのが登場致します。子供達は牛若丸が富田尚史(とみたたかし)、平家の子供たち、《鞍馬天狗》ではこの役を「花見子方」と呼びますが、浅井祐希乃(あさいゆきの)・木村朔(きむらはじめ)・後藤爽良(ごとうそら)・近藤希叶香(ごとうののか)・近藤輪太(こんどうりんた)・中村大喜(なかむらだいき)・中村貫太(なかむらかんた)の皆さんです。能のシテ方は、この役で初舞台を踏む人が多いです。脇の僧を高安勝久(たかやすかつひさ)が勤めます。

能力は花見に誘う手紙を持って行くことを述べます。そしてワキの僧に渡します。その手紙には「今日観なかったら後悔するようなすばらしい花盛りです。まだ開かない花もなく、そして散り始めてもおりません」と言う内容の和歌がかかれています。

ワキ僧は手紙の和歌の風雅さに感動し、稚児達を連れてでかけます。花が咲いたならば、知らせようと言っていた山里から花の便りの使いが来た。さあ馬に鞍を置いてでかけよう。鞍馬山の有名な雲珠(うず)桜はいまが盛りなので、枝を自分が進む方向に折って後の人の目印にするのだが、その目印通りに進めば山奥でも迷ってはぐれることはない。山奥までもずっと咲き続けている桜の木陰に丸くなって座ってさあ花を眺めよう。

僧は花見の宴の座興に能力に舞うように勧めます。能力は子供達が喜ぶようにと、「いたいけしたる」すなわち、「小さくてかわいらしいもの」玩具の名前などをつなげた童謡を歌います。ただ、最初に登場していたその場に呼ばれていない不審な山伏が宴会の場に出て座ります。能力は僧に追い払おうといいますが、僧侶は能力をとどめ、花は明日見れば良いのだからと述べて稚児を連れて帰ります。

能力は山伏に腹を立てて帰りますが、牛若丸一人はこの場所にとどまります。

遠く人家をみて花が咲いていたらそのままその庭に入る。花を見ることについては身分であるとか、親しさなどは関係ないというのが、春の花見の習慣であると聞いているのに。ここは人家もなく俗な世の中から遠く離れた鞍馬寺であって、本尊は大慈悲を持つ多聞天であるのに、慈悲心のない人々であることだよ。

(げにや花の下の)まったく花の下で.半日をともにする客人、月を前にしての一夜の友、そのような短い風雅な触れ合いでも互いに親しみは湧くものであるのに。気の毒なことです。こちらへ寄って花をごらんください。

牛若は、人々に嫌われた山伏に声をかけます。山伏は優しい少年である牛若に恋心を抱きます。中世において、山伏や僧侶が少年に恋心を抱くのは、非難されるものではありませんでした。

(御物笑ひの)人々が年甲斐も無くと物笑いにするだろうが、恋心を持つこの老人を嫌わないで下さい。垣根の梅のような優しいひとよ。それでこそ花の情けというものでしよう。花には春の三ヶ月の間咲くという約束がある。人の身は、一旦親しくなっても、その後はにわかに別の人に引かれて慣れ親しむことが進まないことがあるが、恋心のみつのるであろうことを考えると、お会いしたことがなんとも悔やまれることだ。     

(いかに申し候。)山伏は、他の稚児が帰ったのに一人残っている理由について聞きます。
牛若は、今の稚児たちがみな清盛の子供達で、親が権勢をもつているため寺でも大切にされていること、自分は同じ寺に住んでいるが、誰にも顧みられないことを言います。
                      
山伏はこの稚児が源の義朝の子で、常盤を母とした兄弟では三男の沙那王であることを知っています。そして父を亡くした境遇に同情して花の名所を残らず案内して見せます。

(見る人もなき)およそ人に顧みられることのない山里の桜は、他所が散ってしまったあとに咲くと賞玩されてよいのだが、平家の栄える悪い時期に生まれ合わせて実に気の毒なことです。

(松嵐花の跡)松を吹きわたる風が花の散った跡に訪れ、花が雪のように降り、やがて雨となつた。猿が悲しげに雲に向かって叫ぶ声を聞いては、断腸の思いを味わうと言うが、孤独な境遇にふさわしいなんとも淋しい景色であるよ。夕暮れのほの明るさを残している白い花のあたりでは時刻の過ぎるのを知らせる鐘の音は聞こえるものの暗い夜になるのは遅い。奥に行くほど暗くなる鞍馬の山道では白く明るい花こそが道しるべであるこちらにおいでください。

(さてもこのほど)山伏は、牛若に都あたりの花の名所はすべて案内したことを告げます。大変な親切です。

(さるにてもいかなる人に)牛若は山伏の好意に感謝して名前を尋ねます。山伏は、自分は鞍馬山に長い間住んでいる大天狗であると名乗り、あなたは兵法の奥義を学んで平家を滅ぼし給うべきであると述べます。そのように信じるならば明日お目にかかりましょうと述べて、雲に乗り去って行きます。

来序の囃子で、山伏と牛若が幕に入ります。すると間狂言(あいきょうげん)の木の葉天狗が、登場します。今枝靖雄(いまえだやすお)が勤めます。そして
・木の葉天狗とは風に木の葉が飛ぶように自由に空を飛びまわるゆえの名であること。
・    沙那王すなわち牛若丸が平家を討伐したいという望みを持っていること。
・    大天狗がその志に感じて、兵法の秘術を伝えて平家を討たせようと考えていること。
・    大天狗が花見の場を利用して牛若に近づき、名所の花を見せたこと。
・    大天狗がこれから秘伝を伝えようとしていること
を語ります。天狗は大天狗にも姿を現すよう触れて姿を消します。

一セイの囃子で、牛若が長刀を担げて登場します。水衣(しけみずごろも)・大口袴で、合戦のために兵法・武道の修練をしているという設定です。

牛若は、直垂に腹巻をして長刀をもった戦いのための姿であることを述べます。りりしい若武者の姿で、たとえどのような強い天魔や鬼であっても叶わない様子であると述べます。
                                        
大べしの囃子で、後ジテの大天狗が登場します。武田邦弘が勤めます。白頭の小書きがつきますので、白頭(しろがしら)をつけています。面は大悪尉(おおあくじょう)、大兜巾(おおときん)・白地破れ檜垣に輪法(しろじやぶれひがきにりんぽう)の模様の袷狩衣(あわせかりぎぬ) に羽団扇(はうちわ)を持っています。羽団扇を持っているのは、天狗は鳶が年を経てなったものと考えられたためです。
                             
大天狗にお供の天狗がいると語られます。全国の有名な天狗が語られ、九州の彦山(ひこさん)・四国の白峰(しろみね)、大山(だいせん)など、全て山伏の修行している霊場です。都付近では、比良や横川、如意が岳、高慢な心が「高い」という言葉を持つ高雄山に住む高慢な天狗や人に仇をなすという「仇」言葉を持つ「愛宕山(あたごやま)」にすんで人に仇をなす天狗まで、霞や雲のようにみえるほど大勢集まっている。月まで暗くなるほど鞍馬山に集まったが、その天狗たちによる強い風や「天狗倒し」の音はすさまじいことだ。
                     
(いかに沙那王殿)天狗は牛若に、小天狗を送ったが、稽古の程を見せたか尋ねます。牛若は、軽く斬りつけて稽古の程を見せたいと思ったけれども先生に叱られるのではと止めたといいます。

(あらいとほしの)大天狗は、牛若の「先生」を大切にする気持ちを褒めて、先生を大切にして志を遂げた長良の故事を語ります。長良は師匠の黄石公より、わざと靴を落としてそれを履かせろと言われる屈辱的な扱いを受けましたが、それを果たし、兵法の奥義を伝えられました。

(そのごとくわ上臈も)大天狗は、牛若もこの張良のように、荒々しい天狗を「先生」として大切にするのは兵法の大事を全て習得して、平家を討とうと考えられているからなのか感心な心がけだと褒めます。

(そもそも武略の)そもそも武芸才略の道における名誉は、源氏・平家・藤原・橘の四家の人々の上にあるのだが、その中でも源氏の祖先は清和天皇であって、あなたはその子孫として生まれたのだ。時の成り行きを考えると、あなたは驕り高ぶった平家を九州・四国に追い払い、しかも大海原を戦場としても雲に乗って飛び回る奥義を用いて敵を平らげ、父義朝の無念を晴らすだろう。これからもあなたを守ろうと述べ、天狗が立ち去ろうとすると、牛若は袂にすがって引き止める。大天狗も本当に名残惜しいが、九州や四国の合戦であっても、影のようにあなたの身を離れず、弓矢の力を添えて守ろう。自分のことを頼りにするようにと述べて、木々の梢に飛びかけって、大天狗の姿はみえなくなってしまった。

大天狗が兵法を伝え、義経の平家との戦いの時に守ることを約束して終曲を迎えます。第一部終了後、シテを務めた能楽師が皆様のご質問にお答え致します。第一部は花月のシテを務めた長田郷(おさだあきら)師が勤められます。ご気軽にご参加ください。本日のイヤホンガイドは、椙山女学園大学の飯塚が勤めさせていただきました。御清聴ありがとうございました。



2009年9月5日 昨日のカルチャー、皆さん熱心に聞いて下さって感謝でした。野宮って、良い曲だなあと解説していて思いました。二時間かかりますから、体調がよくないと寝てしまうでしょうが。今日は豊田能、関根祥人の敦盛とても楽しみです。関根祥人が名古屋で舞うことは少ないので、僕はシテは初めて拝見します。昨日は深谷哲先生の命日でした。今朝自分の日記で確認して昨日と知りました。今日だと思っていたのですが。もう六年になるのだなあと。七回忌になるのでしょうか。。研究はなかなか進みませんが、日本文学・文化の「情報化」を積極的に行うことが、方法を教えて下さった深谷先生の遺志を継ぐことだと思います。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月4日 今日は午前中が名古屋能楽堂定例能申し合わせ、鞍馬天狗のイヤホンガイド勤めさせて頂きますので伺います。午後はSMBCバーク栄のカルチャー講座で野宮について解説します。能の普及に少しでも貢献できればと思います。疲れやすく、体調がいまいちです。無理をしないで出来ることを頑張りたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月3日 暑さも少しうすらぎ、秋の虫の声が聞こえます。がんばって論文かかなければ。。。と思う季節ですが、、なんか空回りです。岩田律園先生から拝借した沢井忠夫と山本邦山の若いころの演奏、すごくかっこいいです。沢井忠夫が一代で沢井筝曲院築いた理由がわかるように思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年9月2日 出目墓参記なかなか書けません。苦闘しています。明日もがんばります。ではまた、皆様お元気で。


2009年9月1日 いよいよ九月です。午前中はスタジオスタッフの方に能楽堂ビデオの編集方法について教えて頂き、昼は保田紹雲先生に出目家の資料について教えて頂きました。保田先生には食事まで御馳走になり恐縮でした。夕方はマック栄に出かけて、ガレージバンドによるポッドキャストの作り方について学びました。情報発信もですが、僕はいまは知識を蓄積したいです。それがないと「教材」も出来ません。「昔は出来たんだよ」といっても、学者は通用しませんから。今科学研究費が採れて、審査論文の書ける学者が一番偉いです。学者の価値は時価ですから。五十近い「教授」って一昔前なら「大家」で「老教授」だったと思います。自分がなってみると、「小屋」で「書生」です。まだ教えるより教わりたいぞと。。休みのときは出来るだけ習いたいと思います。明日は人間関係の山根先生に室町時代の礼法書について教えて頂きます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月31日 昨日から「出目家墓参記」という研究ノートを書いています。福井県越前市にある浄土真宗本願寺派の安証寺と越前出目家との関係を示す資料の翻刻と紹介なのですが。コピーしたはずの資料がなかなか出てこなかったり、なんか苦闘しています。今日は西村高夫先生が東京からいらっしゃるので、研究の打ち合わせと稽古して頂きます。夕方には古文書読書会も行います。楽しみです。選挙は民主党圧勝でした。これからどうなるのかなあと思いますが。。教員免許の更新制度はなくなるなど、いろいろな影響はあると思います。僕らは、とにかく色々な制約の中で、次世代に名古屋の文化を伝えて行くのが仕事です。そこはきちんと行いたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月30日 昨日は伊東宏先生を囲む会、土曜日でも仕事があるなど、忙しい人が多く、出席は10名でしたが、なごやかで楽しい会でした。言語研究部OB会と最初につけてしまったため、言語研究部ではなかったので、、と辞退される方もありました。次回は二三年後ですが、「伊東先生に御縁のあるかた」というかたちで、広げようということになりました。先生の近著もいただきましたが、八十を過ぎて調査に歩かれる姿は立派だと思います。昨日は目白大学教授で民俗学の鈴木章生君も来ていましたが、高校では僕と同じクラスです。高校の一つのクラスから日本風俗史学会の理事が鈴木君と僕と二人出ているわけで、やはり文学とか歴史民俗を「調査」して「研究する」雰囲気があったのだと思います。一回生の杉田さんも岡崎市史調査員で中学の教頭先生ですが、大学は民俗学で桜井徳太郎門下でした。伊東先生の影響です。ぜひ長生きして僕たちに刺激を与えていただきたいと思います。今朝。早稲田大学教授で筑波大学時代の恩師の谷脇理史先生の訃報が入りました。まだ六十九歳。現職でした。心よりご冥福をお祈りいたします。お世話になったなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月29日 昨日は自宅で校正を上げて、郵送しました。夕方から岩田律園先生のお宅に伺い、戦前から昭和五十年までの名古屋の三曲の流れとされに関する資料について教えて頂きました。僕は能の研究者で、それ以外の分野はそれほど聴いていませんでした。筧先生が平成十二年から始められた「伝統芸能上演会」で長唄・三曲・日本舞踊などに触れたことと、名古屋市芸術祭伝統芸能部門審査員になったことで、拝見する舞台数がずっと増えました。昨日は岩田先生のコレクションから、尺八の海山道、筝曲の沢井忠夫などのレコードを拝借いたしました。今年度いただいている放送文化基金の「昭和30-50年代古典芸能放送の研究」のためですが、とても楽しみです。放送で曲が広まり、それを聴きたいという人で弟子や愛好者が増えると言う現象は昭和初期から見られますが、これはその時期より「階級」と「芸」との結びつきが徐々に崩れて行くからと考えられます。昭和三十年代からの高度経済成長期には、中流階級がずっと厚くなり、資産はないけれど、「月給」から趣味を習う小口の愛好者が増えました。放送とレコードの影響は全国におよびます。この様子を、名古屋での資料をもとにまとめたいと考えています。今日は伊東宏先生を囲む会です。久しぶりに高校の仲間たちと再会出来ますので、楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月28日 昨日は自宅で校正をしました。なんでこんなところに気がつかないのだ。。というミスがいくつも見つかり、やっぱり不安なので、今日も自宅で見直して、今日発送したいと思います。昨日の午前中は大学の同級生とコメダコーヒーで会いました。高校の国語の先生なので、新しい指導法による補助教材プリント見せていただきました。国立入試対策用ですが、相当高度な内容なので驚きました。こんなことまで高校二年生でやるの、というか。。大学二年生の国文演習のプリントかなあと思うレベルだったので。「国立だと、文章題に書かれている内容のみならず、周辺の国語教養・古典教養がないと、太刀打ちできない問題が多い」という言葉が印象的でした。彼は国語の教科書や指導書も書いている力のある教員なので、現実にそうなのだろうと思います。「国語」の教える範囲は「文章」を理解するというところまでで、「鑑賞」には踏み込まないのが国語の流儀と教えられてきましたし、高校教師時代にはそのように指導したつもりです。しかし「観賞力」を下敷きにした設問が難関校であるとなると、現場の先生は確かに対応した指導が求められます。彼は「観賞力」もある教員なので、現在でも多くの生徒を国立に送っていますし、「国語」教員となって活躍する教え子も何人も出しています。ただ、特に難関校目指す場合には、教師の指導力による部分がかなり大きくて、その指導力に「観賞力」の育成もはいって行くのかなあと思いました。夜は、筑波能狂言研究会の時の仲間が、女医さんなのですが、リハビリテーション学会でいらしていたので、家内も同じサークルの友人ですから、一家で伺って、夕食をともにしました。、僕と友恵が先に伺い、一緒にボストン美術館のビーナス展とノリタケ展を見ました。美術に大変詳しいので、友恵にいろいろ教えて下さって感謝でした。そのあと、金山の世界の山ちゃんで手羽先や串カツを一緒に食べました。息子さんが二人いらっしゃるので、子育ての話が共通の話題になりますが、非常に忙しい中で、息子さんと亀やメダカやカブトムシを飼ったり庭でゴーヤを作ったりと、よいお母さんなのだなあと思いました。お医者さんの世界も、国立病院に勤める先生は、開業医のような「華やか」なイメージはないですが、強い使命感と、旺盛な知識欲と確かな実力とで頑張っていらっしゃるので、、こういう方がいらっしゃるから誰もが知っているような大病院のリハビリ科の先生ですが、持つのだろうと思います。楽しかったです。昨日は「子どもの教育」「次世代の育成」を考えさせられた一日でした。今日は自宅で勉強し、夕方から放送文化基金の報告書のため、岩田律園先生のところに教えて頂きに伺います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月27日 今日は自宅で勉強します。午前中一回大学の同級生と喫茶店で会う予定があり、また、夜、筑波能狂言研究会の仲間と家族とともに食事する予定があって、両方とても楽しみです。今日中になんとか校正仕上げて送りたいです。がんばります。明日も自宅でこんどは論文執筆したいですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月26日 新典社への投稿原稿の初校、なかなか進みません。時間よりも集中力に欠けているのです。明日は一日大学を休んで校正に専念します。岩崎雅彦さんから御高著『能楽演出の歴史的研究』を頂きました。昭和の末、月曜会に出席していた頃からお世話になっておりましたが、このように一冊にまとまると、岩崎さんの追求されていた「演出史」の方向がわかり、とても参考になります。感謝でした。岩崎さんはよく能を観ていらっしゃる方で、研究者でも能楽堂ではほとんどお目にかからない方もいらっしゃいますが、私が院生時代、よく能楽堂でお目にかかりました。現在でも能の催しのパンフなどでよくお見かけします。今回の本は、「論文集」として編纂されていて、ある程度の長さのある「論文」をまとめられていますが、地方の人間にとっては東京の能のパンフはとても入手が難しいものですから、岩崎さんのようにパンフに研究上重要な発言をされている方には、次はぜひパンフに書かれたものもまとめていただければと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月25日 さあ、原稿を書こうと思うと、ノートと辞書が出てこなくて、時間切れということを昨日から繰り返しています。その時片づけるという習慣がないからこうなるのですが。。今日の午前中は東海能楽研究会の会報発送、午後は名古屋市の会議、そのあとは能楽堂に伺って資料整理をします。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月24日 昨日私は石水博物館での謡本の撮影、家内と子どもたちは長田先生のこども能楽教室でした。帰りに待ち合わせて河芸漁港に寄りましたらハゼ釣りの人がたくさんいました。いらしていた方に畑でナスを作っていらっしゃる方がいて、たくさん頂きました。感謝でした。ちょうど帰りに四日市の花火で、渋滞しましたが、きれいな花火も見られてよかったです。今日は大学で東海能楽研究会の例会案内発送準備をし、そのあと、名古屋市の文化振興室の会議に出席しました。明日も会議の続きのため市役所に伺います。勉強しなければと思いますが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月22日 今日はオープンキャンパスでした。文化情報学部の入試広報委員長なので、出勤致しました。朝のうち雨が降り心配しましたが、例年以上に来場者が多く感謝でした。学生アルバイトの方も頑張ってくださって感謝でした。明日は津に調査に伺います。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月20日 給料日間際です。。お父さんにとって、お小遣いのもっとも厳しい時期です。今日は午前が「なごや文化情報」の編集会議、午後が千作の会です。金山までの往復電車賃を抜いたら、財布に七百円しかない。。普通ならばコンビニでおろしますが、長い院生生活で貧乏が板についたかまぼこになっていると、「お金を使わずに生還するぞ」と思ってしまいます。僕は普段から、片道三キロくらいならば電車にもバスにも乗りません。今日も金山からナディアパークまであるきました。そこで会議のあと、コンビニで百五円のおにぎり三個と百円のお茶を買って、ナディアパークから丸の内まで歩いて県立図書館4階のお茶飲み場で食べ、新愛知新聞明治43年の名古屋開府300年記念の関西連合共進会の四月一日と二日の記事を9枚180円でコピーし、そこから能楽堂まで歩いて千作の会を拝見しました。千作の魚説経、昔ほどの声の響きはないですが、台詞の聞きやすさはさすがだと思いました。さすがに「人間国宝」です、平日の昼間というのに前売り満席で当日券なしでした。狂言が平日の昼間でも「興行」として成り立つというのはすごいことだと思います。僕としては素囃子と囃子入りの狂言があったほうがよいと思いましたが、初心者にはこのほうが受けるのかも知れません。楽しかったです。帰りも名古屋駅まで歩きました。堀川端の商店を眺めながら明治の堀川が船による物流の中心であった時代を考えました。安城駅に家内が車で迎えに来てくれました。。帰宅したら財布に120円しかありませんでした。実はこういうことはしょっちゅうなのですが。明日は明後日のオープンキャンパスの準備です。生徒さんがたくさんいらしていただけるといいなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。。


2009年8月19日 ガソリンの注入口のキャップを昨日スタンドに置き忘れたみたいで、今日給油したときに気付きました。キャップは届いていたので感謝でしたが、しばらく前にもこのようなことがあり、忘れやすくなっているのかなと怖いです。確かに完成まで作ったと思っていた文書ファイルが大学でどうしても見つからず、明日再度作ろうと思いますが。。怖いなあと。。ファイル名を変えたか保存を忘れたか。。明日は「名古屋文化情報」の編集会議と、午後は茂山狂言会です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月18日 お盆明け最初の出勤です。昨日の中日新聞夕刊に能楽師の先生方に手伝っていただいた教員免許更新講習の記事を載せて頂きました。中日新聞の長谷義隆さん、服部さんに本当に感謝致します。能楽が総合学習・音楽などの体験学習で取り上げていただけることを本当に祈っております。更新講習がそのきっかけになっていただければ、能楽が次世代に続く上で、僕も少しはよい仕事が出来たことになると思います。新しい愛好者をつかむには新しい教材を作らなければならない。新しい観客になりえる子どもたちに、どのような教材を提供すべきなのか。。真剣に、具体的に考えるべきだと思います。小西先生の「古文研究法」は学習参考書ですが、「勉強の筋道」をあれほどわかりやすく説明した名著はないと思います。足元にも及びませんが、体験的学習のメニューや初歩の教材を考えてみたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月17日 お盆が終わりました。今日からすべて通常ですが、今日は稲武の古橋懐古館に古文書の拝見に伺います。新城のワキ方の川村類蔵の日記に明治四五年の一月から七月まで三回古橋家を訪れた記録があります。古橋家の土地での役割と、謡曲の師匠の生活についてなにか資料があると地方の能楽の実態がわかってありがたいのですが。古橋家への訪問者の名簿や日誌などあるとよいなあと。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2006年8月16日 今日は弟真喜人の誕生日です。もう厄年越えたのだなと。。生理学の研究者として忙しくしていますが、身体に気をつけてがんばって欲しいです。今日は熱田教会の教会学校に行き、そのあと、県立図書館で「中区の芸能」の追加調査をします。明日は稲武の古橋懐古館に伺う予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月15日 今日は自宅で能楽堂展示室のビデオの動画部分の解説を引き続いて書いております。「中区の芸能」の下書きは昨日なんとか仕上げて第一読者の家内に渡しました。僕の場合、家内が読んで、典拠の文献と照合してくれるので、なんとか締め切りに間に合っているのです。感謝です。論文を作品とするのならば家内制手工業です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月14日 今日は家で論文執筆です。今日中に下原稿は上げないと本当にまずいです。みんなに資料いただいて書いていますから、出すことが義務ですが。体力が弱っているなあと思います。九十まで原稿書くつもりですが、いまの資料整理するだけで定年までいってしまうかもと気弱になります。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月13日 昨日は関市の盆踊りに伺いました。関市の盆踊り保存会の星谷貴則さんにお願いして案内していただいたのですが。。地元のショッピングセンターの夏祭りにかけた催しです。盆踊り保存会の囃子の会のみなさんの歌と演奏で「関音頭」「川崎」とか「古調川崎」「春駒」などでした。全国的に有名な郡上の踊り歌が中心でしたが、レコードにはない二十番近い歌詞を全部唄うのですよね。。だからレコードならば三分か五分でおわりますが、「川崎」だけで十五分くらい踊っている。。さすがに練習されているだけあって歌も演奏も上手だなあと思いましたが、テレビとも、また民謡大会とも違う「踊りの現場」の唄が聞けてとてもありがたかったです。踊りの輪にも踊りの保存会の方がいらっしゃって、、やっぱりすごく上手なので目を引きます。西川流の名取で、民謡踊の教室をもっていらっしゃる方でした。。関市のみで盆踊りが十か所以上もあるそうです。郡上・白鳥など岐阜県一帯はとても踊りの盛んなところなのだとあらためて思いました、今日は下呂の金山の盆踊りださうです。星谷さんは踊りに行かれるとおっしゃっていましたが、踊りの好きな方は、毎日のように、各地に踊りに行かれるのだとうです。こういう文化が次世代に続くとよいなあと思いました。とても楽しかったです。「中区の芸能」の原稿。。いよいよ締め切りもせまり、きびしくなってきましたので、、今日は自宅に籠って論文を書こうと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月12日 今日は関市の盆踊りに伺います。地元の民謡保存会の星谷さんに関市の民謡について教えて頂くのですが、楽しみです。これまでデジタル化しながら、ホームページの作成がなかなか出来ずに公開出来なかった音源、MSNのスカイドライブを使用すれば、かなり簡便に公開できるのではと考えはじめました。試験的に協力してくださる方にリンク送ってダウンロード可能か伺っています。きちんとしたホームページにするための曲名・演奏者・レコード会社・番号などデータ整理とエクセルへの入力の時間がとれないのですが、それを待っていると公開が遅れてしまうので。ファイル名にある程度記してあれば、ファイルを全体に「共有」することで必要な人には資料提供できるのではと。。複数のWAVファイルを一度にMP3に変換することが可能なフリーソフトがあることも、この形にしようと考えた理由です。若い世代の研究者に、SP音源をアイポッドで聞いて近代の古典芸能の変化を考えてほしいと。。公開出来たらまた日記に書きたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月11日 台風はそれたようで、安城では何事もありませんでしたが、明け方地震がありました。伊豆で震度六とのことですが、被害がなければよいと思います。今日も登校します。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月10日 台風がきているとのことで、雨模様です。被害が最小で済むことを祈ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月9日 昨日は津市で謡本の撮影を行いました。伝烏丸光広筆のもので、自筆かどうかは私には判断できませんが、六冊セットのうち一冊の奥書は元和年間。烏丸流の書体であることは確かで所蔵の分類では「謡本」ではなく書体の見本としての扱いでした。朱の書きいれがところどころにあり、「融」と「梅枝」の部分の書き入れは脇の型についてでした。色替わり料紙を用いた豪華な本です。間違いなく江戸初期のものと思いますが、版本の元和卯月本の写しなのか、それともそれをさかのぼる本なのか、慎重に考える必要があります。書き入れの脇の型が、とくに興味深いです。「中区の芸能」の論文、骨格が全然できていません。このお盆休みにしないと苦しいです。多くの方に資料いただいているので、きちんとまとめなければと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月7日 昨日は保田紹雲先生と福井県越前市の安證寺に伺いました。越前出目の三代目が住んでしたと言われる寺ですが、文書としては能面目録の断簡、天保死去の出目元休の命日の記録、昭和に出目家を再興しようとした人の墓参記録などがありました。昭和の出目家再興については、近代能楽史にとって興味深い内容を含んでいますので、いずれ紀要で書かせていただきたいと思います。安證寺様と保田先生に心より感謝致します。今日は津で謡本撮影です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月6日 昨日は更新講習の内容を千二百字に要約し、雑誌・業界紙に投稿致しました。取り上げていただければよいのですが。。。紀要に投稿するための論文はこれからです。今日は採点の続きです。「能・狂言を観て」の課題のものは、半券をつけないと採点しないと書いてあったのにつけていない人がいます。偽造レポートを防ぐためですが、つけていない人もいます。厳しいようですが、全員に知らせた通りに処理します。採点今日で峠を越したいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月5日 昨日更新講習担当が終わり、まだボーっとしています。筧先生に相談して、「名古屋だから可能な、能楽の継続のために本当に意味のある講義にしよう」という目的で半年以上の期間をかけて準備してきました。評価は今後受講して下さった先生方から伝わってくるものと思いますが、この講義で「何を行ったのか」「何を準備したのか」忘れないうちに記録にまとめて置かなければと思います。この記録は、紀要に投稿したいと思います。自分だけではなく、更新講習で、あるいは義務教育・高等学校の現場で、ワークしっょぷ型の伝統芸能体験の講義を行って欲しいと思いますし、そのためには、先に行った我々が内容と課題をまとめて置かなければと思います。忘れないうちにと思いながら、採点も他の論文も全然進んでいません。。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月4日 今日は教員免許更新講習の講義担当でした。「総合学習教材の開発の一つとして能楽囃子のワークショップを行ったのですが、四十三名の受講生にたいしてシテ方が長田驍先生と郷先生、笛が大野誠先生、小鼓が船戸昭弘先生、大鼓が筧鉱一先生、太鼓が加藤洋輝先生とプロの能楽師の先生六人をお願いした豪華版になりました。筧先生が東京や京都でも出来ないような充実した更新講習に、、と道具類をたくさん貸してくださったので、笛、小鼓、大鼓、太鼓、すべて体験ができました。また、ウレタン製の能面をけて運ぶ(歩く)体験も致しました。子ども能楽教室の子どもたち十名の演奏も、現職の先生方には、指導した場合の成果が具体的にイメージできてよかったのではと思います。私は司会をしていたのですが、筧先生はじめ先生方の次世代に能楽を伝えようと言う気迫が伝わってきました。新しい愛好者を育てるためには新しい教材が必要です。小学校から高校での囃子のワークショップはとても有効だと思います。今日講習を受講して下さった先生方の中から伝統芸能、能楽のワークショップを自分の学校でしてみようと考えてくださる先生がでると有難いなあと思いました。今日は事務職員の方が子ども教室の子どもたちの誘導など、六人もついてくださいました。子どもたちの着替えに能楽部から三人ボランティアで出てくださって本当に感謝でした。椙山女学園という能の伝統のある大学だから出来ることと本当に感謝いたします。。試験の採点も論文も全然終わっていません。明日からがんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月3日 今日は友恵の8歳の誕生日です。おしとやかというのとはとおい子ですが、元気に活発に育っていて感謝です。今年はもう少し人の話を聞く子に育ってほしいですが。元気に幸せに長生きしてほしいです。今日は採点と明日の更新講習の準備です。夕食は友恵の好きなものとのことで。。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月2日 今日は比呂人の10歳の誕生日です。10年早かったなあと思います。ソフトボールと釣りが好きで、プレゼントはベイブレードという普通の男の子です。元気に幸福に長生きしてくれればよいなあと思っています。昨日の吉田城薪能、雨のため豊城中学校に変更となりました。屋外でできなかったのは残念ですが、ボランティアスタッフの人の対応は迅速で、さすがだなあと思いました。筧先生の豊橋の子ども教室も3年目、地元の朝川さん、絹与の杉浦さんが中心となって、西村舞台で稽古しているのですが、昨日は7人の豊橋の子どもたちが仕舞の熊野を舞いました。中村教室の応援組と一緒の連吟・囃子もとても上手で、そのなかで、比呂人や友恵の声がちょっと聞こえると親としては、大きくなったなあとジーンと来るのですが。。今日は熱田教会の礼拝に行き、午後は自宅にいる予定です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年8月1日 今日は豊橋薪能です。子どもが前座の子ども能楽教室の発表に出させて頂きますので、午後から伺います。降ったりやんだりの天気ですが、夕方ははれると良いなあと思います。筑波大学の同級生で、信州大学教授の藤森裕治君から「国語科授業研究の深層ー予測不可能事象と授業システム」という本を頂きました。藤森君は、都立高校の教師時代に、国語の授業に生徒による討論を取り入れて、そのことによって生徒全体の国語教材理解を深めるということにずっと携わっていましたすぐれた実践として高い評価を得て、現職派遣教員として上越大学で修士号を取り、信州大学に栄転したのですが。。彼自身、義理と人情をわきまえた人の言うことをよく聞いて判断する懐の深い教師なので、藤森君らしい本だなあと思います。多くの国語教師に読んでもらえればと思います。午前中は放送文化基金の経過報告書と、能楽堂展示室ビデオの動画部分解説を執筆します。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月31日 例年ならばとっくに夏休みですが、学士課程の再構築で、試験週間最終日です。わたしは採点のみですが。来年からは八月一週までが試験期間、そのあと採点ですから、夏休みは実質ひと月もありません。これで研究ちゃんと出来るのかなあと。。寸暇を惜しんでやらなければということでしょう。今日は採点です。がんばってしなければと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう、


2009年7月30日 今日は採点と教員免許更新講習の準備です。私の担当講座は、申し込みは定員に達していたのですが、その後10人辞退があったと聞いています。私学よりも国立大学や名古屋市の講座は料金が安いそうなので、そちらに定員の余裕があれば、流れるのは自然です。こういうあたりは次年度料金を全大学一律にするなど、考えていただかないと、私学は苦しいと思います。僕の講座はそれでも四十名いるので感謝ですが、他大学の国文学の先生には準備していてつぶれてしまったところもあると聞いています。宣伝費・事務費など考えると、その大学にとってかなりの負担だったろうと思います。とにかく担当教員としては、きちんと準備して、出来る限りの講義をするのみです。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月29日 昨日でほとんどの講義のレポート締め切り、今日の「日本語の基礎」の試験で担当分の前期試験が終わります。これから採点ですが、毎年ながら、出来が気にかかります。一時間ずつの講義をノートいとってきちんと聞いていれば出来るはずの問題を出しているのてずが。。今年は果たしてどうか。。採点もがんばります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月28日 今日はスタジオでカノープスの編集機を使って、能楽堂の展示室用ビデオの字幕作成をスタッフに教えていただきながら行いました。業務用機器で、テレビ局などで実際に編集に使用するソフトですから、かなり細かい設定が可能です。その代り、それなりに手順を踏まないと作れません。ソフトの使用法を覚えるのは、若い人の方が早いのですが、教材を作成する上で「技術から発想できるもの」があるものですから、やはり自分でパソコンを動かして仕上げはプロに依頼するとしても、できるところは自分で作ってみたいのです。そんなことする間に文書の翻刻でもすれば、もっと研究も進むのかも知れませんが。。パソコンおたくなので。。こういう作業は結構楽しいです。明日は「日本語の基礎」の試験です。みんな出来ているといいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月27日 あっという間にじゅうじらが来ます。もう寝ます。おやすみなさい。。


2009年7年26日 今日はおーぷんキャンパスでした。天気が心配でしたが、おかげさまで曇りで、猛暑でもなく、終了まで雨も降らず、感謝でした。例年以上に来場者が多く、感謝でした。いつもと違うなあと思ったのは私と同じくらいのお父さんの多さです。娘とお父さんという組み合わせはこれまであまりなかったので、、うちの学食にはパパ用のメニューありません。学食のランチでは少し軽かったのではと。。僕もひろとや友恵の高校・大学受験のときにはおーぷんキャンパス行こうかなあと思いました。今日も学生さんの頑張りに助けられて感謝でした。次は八月二十二日です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月25日 明日はおーぷんキャンパスです。文化情報学部入試広報委員長ですから責任者です。生徒さんがたくさんいらしていただけるとよいなあと思います。頑張って学部の魅力を伝えたいと思います。て゜はまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月24日 家内が実家の用事でけさ早く千葉に行きましたので、朝ごはんと昼ごはんを子供に出さねばなりません。冷蔵庫に準備していてくれてあるのですが、いつもしていないので、手間はかかります。お皿も一食でこんなに必要なのかと、、自分で洗うとわかります。家内に感謝です。夕方には帰ってくるのですが。。そういうわけで、昼過ぎまで自宅でのんびりします。久しぶりです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月23日 なぜか胃と背中が痛いです。風邪ひいたかも知れません。気をつけたいと思います。ではまた、皆様お元気で。


2009年7月22日 安田文吉先生から提供いただいた常磐津のオープンリール録音のデジタル化が終了し、これからCDを製作します。一部しか聞いていませんが、きれいで、とても感じよいなあと思いました。まだ40年程度しか経っていませんので、著作権の消滅していないものがあり、配信はその一部になる予定です。貴重な音源を提供いただきました安田文吉先生に本当に感謝です。明日は日本文化論の試験です。また、能楽堂ビデオの原稿動画部分についてもきちんと書かねばなりません。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月21日 スタジオのスタッフに教えていただいて、カノープスの編集機の使い方を練習しています。さすがに高度な編集ができるなあと思いますが、覚えることがたくさんあります。がんばります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月20日 朝からよく晴れています。梅雨明けも近いのではと思います。今日は津に謡本調査に伺います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月19日 今日は東海能楽研究会でした。米田真理さんが輪読で使用された豊橋の間狂言本二種、山脇得平本と系統が近いと思われますが、とても興味深いです。新城の間狂言本と比較できたら、名古屋・三河の狂言の特徴がさらにはっきりするなあと思いました。今後の研究の進展が楽しみです。明日は津に謡本調査に伺います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月18日 三連休の初日です。午後から豊田能に伺います。今井泰男の「綾鼓」楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月17日 じゅうじらが来てしまいましたので、日記は明日にして寝ます。おやすみなさい、


2009年7月16日 今日で卒業研究指導2と日本文化論が終わります。目的通りの講義が出来たのか、、反省するにつけ、高校の教科課程や指導書というのはよくできているなあと思います。教師の力はもちろん大切ですが、力がなくても「それなり」の授業が出来る指導書や解説書、副教材の蓄積があるのですよね。大学にはそういう「セーフネット」はありませんから、教材準備の力がなければもろに講義に反映されてしまいます。その分野の論文は当然副教材なのですが、それに対する目配りや、勉強時間まで含めて、各教員の資質と能力によりますから。。これは大学の良さでもあって、だから自由にやれるのですが、五十を前に、自分の使ってきた教材を整理して再構築する必要を感じるようになりました。論文だけでなく、初心者用教材としてどれだけのものを社会に問えるか。。更新講習の教材作成や能楽堂の展示室でビデオ制作はその一環で、自分にとってとても大切な仕事です。定年までの折り返しに近づくにつれ、次世代の方々にも使ってもらえる高校の教員用指導書のようなレベルのものを作りたいなあと、、まず日々の講義とその教材の整理をがんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月15日 ザクティ、教室に置き忘れていたのを、能楽部の学生さんが、「飯塚先生のだ」と覚えていてくれて届けてくださいました。石水博物館の調査や卒業研究、卒業研究指導1にも使用する予定なので、途方にくれていましたが、本当に感謝でした。周りの皆さんに支えていただいて、講義が出来ることに感謝します。8月4日には、椙山女学園大学で、教員免許の更新講習が行われます。筧先生からは、現職の先生方に能楽を知っていただく非常に良い機会なのだから、「全国に例のないような、能楽囃子を用いた最高の総合学習教材の見本を作りたい」といわれています。「能の和楽器」という題で、小学校から高校までの総合学習などで「能楽体験」をするとすれば、どのようなことが可能かというテーマで下記のような講義を考えました。私は司会・進行を主に担当します。講師は、シテ方が長田驍先生・郷先生、笛・大野誠先生、小鼓 船戸昭弘先生 大鼓 筧鉱一先生、太鼓 加藤洋輝先生です。全部で6人の能楽師の先生にお願いして受講される現職教員の先生方43名とともに和楽器の体験と、謡の稽古を致します。現職の先生方が稽古のイメージを持てるようにということで、筧先生指導の子供能楽教室中村教室の子供たちも受講生と一緒に体験します。椙山の能楽部の学生さんたちもボランティアで子供たちの着付けを手伝ってくださることになりました。時間予定は、当日事情で多少変わるかも知れませんが、

9時10分-9時30分  学校教材と能ー源氏物語を中心にー(飯塚恵理人担当 プリントP1-3)
9時30分 舞囃子 半蔀 
9時45分 葵上解説 飯塚
9時55分 舞囃子 葵上
10時15分  囃子方の紹介と囃子の表現について(筧鉱一先生他 プリントp4)
10時50分 和楽器体験(参加者がグループに分かれて笛・小鼓・大鼓・太鼓を経験する。)  
11時半 「東海能楽研究会中村教室」の子供達の発表(春霞 一口謡など)
11時50分 参加の先生方による一口謡の稽古(全員)
12時10分 舞囃子「高砂」 長田驍先生他
12時20分 千秋楽

と考えています。更新講習を受講なさる現職の先生方は「授業のプロ」です。「プロ」相手に講義をするわけですから、全国大会レベルの学会発表と同じか、それ以上の緊張感があります。こちらが現職の先生方から講義のノウハウを吸収したいという面もあります。多くの方々のご協力でよい講習になりそうでとても楽しみです。「次世代に能を絶対に繋げるのだ」という筧先生の気合はすごいなあと思いましたが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月14日 研究室の黒のザクティを学内のどこかの教室に置き忘れてしまいました。。出てきますように。。来週使うものですから。。もう十時ですので、寝ます。ではまた、皆様おげんきで。


2009年7月13日 今日のネットニュースは都議選で与党過半数割れというのが上位に来ています。政局になるのでしょうし、われわれの生活にも当然影響はあるのでしょうが、自分についてはとにかく今出来ること「能楽堂のビデオ作成」「中区の芸能」原稿作成をきちんとするしかないかなあと。。ものすごく時間が細切れになっていて、仕事が増えています。出来ることも多くなっているはずですが。。この現象は政治が変わっても変化しないだろうと。。時間の無駄を省き、いま出来る普及用教材を作成する。次世代に能を伝えるためには「忙しくい若者」という層を取り込まなければなりませんので。学生は「ひまがあるけれど金は持っていない」という層ではなくなりました。全国的に「学校に行っているフリーター」になってきていると思います。親の年収が伸びず、仕方ない面もあります。「忙しい」人が能を観るようにするというのは昭和初期まで「有閑階級」のものだっただけに試練ですが、これを乗り切らなければと思います。午後は大学のスタジオに籠って編集します。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月12日 今日は名匠狂言会でした。井上靖浩の「末広かり」、上手ですが、「味」という意味で言えば菊次郎先生のほうがやっぱり上で、これは年齢が物を言うので仕方ないのですが。。菊次郎先生は病気療養中ですが、早い快復を本当にお祈りいたします。井上松次郎先生の最晩年の「枕物狂」や井上礼之助先生の「貰聟」の舅は、役者として精進して八十歳過ぎて到達できる境地がありました。達者でも七十代前半ではだせない「味」があったのですよね。菊次郎先生や友彦先生の八十代の芸を、僕も還暦過ぎに拝見したいです。山本東次郎の「蝸牛」、野村万作の「川上」はまさに名匠で、とてもよかったです。特に万作の「川上」はじーんと来ました。。友彦先生の「首引」の親鬼。娘思いでとても面白かったです。楽しかったですし、わかりやすい良い催しでした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月11日 今日は久しぶりに自宅におります。昨日。能楽堂ビデオの原稿は書くことできませんでした。来週から試験週間が始まりますのでその準備です。。学士課程の厳格化とのことで、来年からどこの大学でも講義時間増えるようですが、これだけ事務仕事が増えると、講義準備や研究ににさし障ります。今年は科学研究費が不採択でしたが、データの入力など、人に依頼してできる仕事の量が少なくなりますので、つらいです。文部科学省にお願いしたいのは大学の業績書・科学研究費等助成金の業績書・報告書・申請書等の書式をすべて一本化して、一つの書類を見ればすべてわかるシステムにして欲しいということです。それをしてくれる政党に投票したいですが。。役所の数、部門の別だけ提出書類の書式があるのは作成する側から見ればものすごく時間の無駄を感じます。READの入力のみで科学研究費の申請書・報告書の業績欄は不要とすれば、ずいぶん助かります。研究者番号がついていますから、役所で簡単に検索できるはずですから。それと民間財団の研究助成の申請書がリンクして同書式になれば、二週間分くらいの勉強時間は浮きます。無論、、体力の衰えを感じていて、昔のように調査できないのですね。研究費不採択だったのは、採択されたメンバー見れば納得できて、自分がそこまでの実績を揚げられていないからなのですが。。このまま負けているつもりはないです。恵理人は執心の深いものじゃによって、多くの先生方に教えて頂いたことを用いて、また挑戦します。明日は名匠狂言会、それを楽しみに、勉強に励みます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月10日 今日の講義は四時間目のみですので、その準備ができたら能楽堂の展示のリード文と、能楽堂ビデオの静止画解説(あらすじの解説)のための静止画を選びます。夏休みまでにビデオ制作もめどをつけたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月9日 今日は新しいICレコーダーの使い方を渡辺康先生に教えていただきました。意外と簡単にとれるのだなあと思いました。学生のビデ化制作、ポッドキャスト制作に使用したいと思います。もう十時です。ではまた、お身体に木をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月8日 今日は48歳の誕生日です。本人元気で、双方の両親とも健康が守られ、家内も子供二人もとても元気で、心より感謝致しております。今日は西川司津先生についての調べ物をします。中区制百周年「中区の芸能」の原稿のための調査ですが。。頑張りたいと思います。現在手がけている課題は①放送と古典芸能の関わりー古典芸能放送音源のアーカイブ化 ②東海地域の近代・現代古典芸能資料の収集・整理とデータベース化③尾張藩能楽史の研究ー尾張藩能楽史年表の作成④謡曲のうち、現行曲の注釈作成⑤ビデオなど能楽普及教材の作成 ですが、どれも大切な仕事です。多くの方に支えて頂いていること、感謝致します。調べたいことはたくさんありますが、身体の衰えは仕方ないです。もう若くないです。過労にならないようによく寝て、よく研究室でお茶を飲んで、ぐずぐずと勉強したいと思います。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月7日 今日は七夕ですが、雨です。幼稚園や小学校の頃、七夕が雨だとつまらなかった覚えありますが。。梅雨の最中ですから、七夕は雨が多いのですよね。。やるべきことはものすごく多いのですが、フリーズしたハードディスクみたいで、単に研究室でお茶飲んでおります。人からはすごーく閑に見えるだろうなと思いますが。。反省です。明日は48歳の誕生日。50代を前に、研究能力・教育能力を高めなければと思います。まず、尊敬できる人に習わないと。。教えるためには研究会などで発表したり発表を聞いたりして、中身を身につけないとと思います。あっという間に置いて行かれます。最近後輩の背中が遠いですが。。学生さんや子供達に勉強しろと言っている以上、僕も勉強しなければと思います。昔は出来たんだよ。。と言ってもしかたないですから。。ではまた、皆様、お元気で。


2009年7月6日 日記 更新しようと思ったら十時でした。書きたいですが、寝ます。お休みなさい。


2009年7月5日 昨日の「のうのう能名古屋」、観世喜正の「熊野」、能としてもとてもよかったですが、はじめて能を見る人のためにわかりやすいパンフレット、ワークショップを行った催しでとてもよかったです。四千円という値段も手ごろでしたし。これからは名古屋でも、能を稽古している人を頼みにする催しでなく、小劇場のように、稽古していない人を対象にした「興行」としての能が行われるべきだと思いますし、そのようにしなければ、これだけ社会が変化して主婦層がいなくなり、残業が多くなって会社のサークルが低調になると能が成り立たないと思います。第二回は来年二月に藤田舞台での催しとのことですが、ワークショップ的な面白い催しになるのではといまから楽しみです。今日は名古屋能楽堂定例能、普及能です。学生がたくさん来る予定で楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月3日 ようやく自宅で更新できるようになりました。もう七月、九月締め切りの論文や能楽堂ビデオの原稿執筆など遅れている仕事がたくさんあります。身体に無理がこないように頑張りたいと思います。週末は明日がのうのう能で観世喜正の熊野、日曜日が定例能です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月2日 昨日今日でゼミ希望が7人となり十分出来るようになりました。感謝です。ただ、ゼミの指導内容のレベルを「全員の満足が得られる範囲で」出来るだけ高くしたいので、そこに指導力が問われます。今日は講義の発表の注意の時、ちょっと言い方がきつかったかなと反省するところがありました。注意の方法というのは難しいなあと思います。もうベテランなので、学生に注意すべき所は注意しつつ、成果を上げて行かねばと思いますが。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年7月1日 自宅のパソコンを変更して、ホームページサーバーへの接続の設定変更がうまく行かず、ホームページの更新が出来ません。今日は大学からおこなっているのですが。6月は柳原先生のお葬式、三島卓先生の訃報、同僚の松田良一先生の訃報と、訃報の続いたつらい月でした。いずれも働き盛りでの訃報でしたから、本人もとても残念だったろうと思います。今月はよいことが続くと良いなあと。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月24日 今日は一時間目の講義のあと、見付小学校で行われた中所宜夫先生の能楽ワークショップの見学に伺いました。六年生にクラス六十名ほどの合併授業なのですが、中所先生が八島・紅葉狩を自身謡われながら舞われたあと、すり足の稽古。そのあと、能の歴史について観阿弥・世阿弥の時代から現代まで、どのような人が愛好したかについて簡単に話し、紅葉狩のクセを一句ずつ先生の後について謡う。正座して謡ったのですが、ほとんどの子が三十分くらい膝を崩さずに謡っていたのはすごいなあと思いました。声もかなり出ていました。最後に「雨」ニモ負ケズ」を仕舞で舞われたのですが、現代語を謡曲にしても違和感がないのに驚きました。これは中所先生の新作能「光の素足」の一部です。「光の素足」は能として東京で三回上演されているとのことですが、可児のアーラで鈴木啓吾先生と笛の大野誠先生と略式公演をなさったときに鈴木幸夫さんと撮影に伺っています。今回は仕舞でしたが、その時以上に、迫力がありました。再演で型が練られて来たのかも知れませんが。。いつか椙山でも1回御願いしたいなあと思いましたが。。(研究費がとれれば良いのですが)中所先生は現在は東京で活躍されていますが、熱田高校出身です。熱田神宮能楽殿で能を御覧になっていて、一橋大学のサークルから九皐会に入られました。今日は小学生の子達も真剣に謡っていて、良い授業だなと思いました。「室町幕府の三代将軍は誰」という仲所先生の質問に二十人近くが足利義満と答えたり、「天皇になろうとした政治家で有名な人」といったときに、道鏡と答えた生徒が何人もいたり、、そうとう勉強のできる子が多いなあとおもいました。とても行儀が良い子供達で、先生や親御さんが大切にそだてていらっしゃるのだと思いました。参考になり、ありがたかったです。中所先生には、椙山にもよっていただき、学食で一緒に食事して、スタジオと教室を見て頂きました。子供に能を伝える、すぐれた一つの実践だと思います。中所先生・見学を許可くださった見付小学校の皆様に感謝致します。明日は杵屋三太郎先生にいらしていただいて、長唄ワークショップを致します。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月23日 現在卒業研究希望者〇です。昨年15人でしたが。まだ締め切りまでに一週間ありますが、残念ですが、今年と来年はゼミがないかも知れません。でもこの二年が特別でそれまでは閑散ゼミでしたから、もとに戻ったと考えるべきだと思います。研究も教材作成も、、自分では頑張っているつもりですが、思ったようには進んでいません。学生さんが来てくれないのは残念ですが、ならばその時期に教材作成と研究を頑張るべきなのだと思います。ふーーっ。。僕は講義は好きなのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月22日 今日は午後教材作成をしていました。。なかなか論文まで行き着かないです。困ったものです。明日は福永先生。三木先生と学園研究費の打ち合わせです。和書のデジタル化とアーカイブ化に関する研究です。多くの先生方のご協力で自分の研究が成り立っていることに感謝します。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月21日 今日は科学研究費の打ち合わせで、石水博物館に伺いました。松阪の能楽関係資料があるということで、これから楽しみです。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月20日 豊田能楽堂の「仮面は笑う」にでかけて来ました。鈴鹿市の唐人踊り、天王寺の雅楽、韓国の仮面劇、狂言の茸という四種類の仮面劇を行うのですが、司会が葛西聖司アナウンサーで、実物は始めて拝見しましたが、教育テレビを観るような、、とてもわかりやすい解説で、さすがだなあと思いました。唐人踊りや雅楽は、祭りの芸能ですから、群集の中で普段みることになります。今日は舞台の上なので、このようにやるのだとあらためてよく観ることが出来、面白かったです。普段の場所から離れて「舞台」の上でやってもらうことで、より「わかる」こともあるのだなと。。テレビの面白さとよく似ていますが。。今日は学生さんも来ると言われていたのですが、姿が見えず、、どうしたのかなあと。。用事があったのかも知れませんが。。面白かったのにと思いました。終了後家族と待ち合わせて知立でラーメンを食べて銭湯に入って帰りました。よい休日でした。中日新聞夕刊に、7月4日ののうのう能の紹介記事が出ていました。観世喜正の熊野、とても期待です。こういう初心者向けのワークショップを伴った面白くて料金も手ごろな催しが増えるといいなあと思います。明日は津の石水博物館で、安田文吉先生の科学研究費Bの打ち合わせ会があります。研究分担者に誘っていただいて本当に感謝です。安田先生の研究方法をよく教えていただいて覚えたいと思います。民謡の藤栄会、金山で十時からです。終わりがけでも、少しでも拝見したいです。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月29日 今日は西川古都先生にいらしていただいて、先週に引き続いて「宇治茶」を踊りました。二回目でしたが、最後まで踊れてよかったです。古都先生に感謝でした。学園広報の方と、学園のパンフのカメラマンの方がいらして下さって、撮影しました。来年度の学園パンフか、文化情報学部のパンフに載りますが、よい記念になります。感謝です。来週は、日本文化論の講義で杵屋三太郎先生にいらしていただきます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月28日 今日は一日三コマの日で、肉体的には結構ハードです。こういうときは特に車の運転に気をつけないと。。急に車の陰から人が見えてびっくりして急ブレーキしましたが。。特に注意しなければならない工場の前だったので反省です。止まれてよかったです。追突もされませんでしたし。。明日は西川古都先生を御願いしての日本舞踊「宇治茶」二回目です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月17日 今日は放送文化基金より頂いた依頼原稿を執筆していました。平成18年度の助成金で得られた成果についての短い文章です。放送以前、芸妓が歌う端唄などには、かなり卑猥な言葉も含まれていたのですが、放送がはじまってから、その唄を上品な言葉にあらためて芸妓に歌わせたこと、そこから小唄・長唄・常磐津などが上品な「芸術」となって行ったことなどですが。。SPレコードのデジタル化や新聞の記事調査の費用いただいたことによって、随分わかったことが多く、放送文化基金さんには本当に感謝致しております。少しでもよい報告書きたいです。今年度はゼミ人気無く、現在二人です。ここ二年が多かっただけかも知れません。少数でもきちんとしたゼミにしたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月16日 何か胃が痛いです。コーヒーの飲みすぎか、風邪気味なのか。。注意したいと思います。研究も論文もいまいち進みません。調子が悪い時期なのか、やはり実力も落ちて来ているのか。。悪いなりに講義に破綻無いようにして、少しずつでも論文に結びつく調べごとしたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月15日 資料頂いて、礼状を書く前に電話いただいてしまうケースが立て続けに起こり、反省しています。すぐに書かねばと思いながら三週間くらい経ってしまったのではと思います。。仕事が多いというのは言い訳にすぎなくて、、、きちんとしなくてはと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月14日 今日は大学で東海能楽研究会の例会案内と資料の発送の準備をしました。大学院生がいて御願いできるわけではないので、全部自分で(家内が手伝ってくれるから何とかなるのですが。。)やるのですが、私の資料の大半は、この研究会の会員の方々から頂いているので、研究活動の一環でもあるのです。。新入会員の方もあり、当初十人前後ではじめた会も六十人ほどになりました。東海地域の能楽研究の隆盛のためにも、がんばって裏方をしたいと思います。論文書く時間がなかなか取れないのが辛いですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月13日 今日は椙山高校三年生説明会の日でした。学部入試広報委員長ですので、はりきって七時半に出勤しました。九時半集合でしたが、全員が早く集まりましたので、前倒しでスタートしました。順調に行うことが出来、関係された先生方、ボランティア学生の方々、入学センターの方々に感謝致します。よい学生さんが来春たくさん入学してくださることを期待しております。午後からノリタケの森で行われた岩田昭彦先生のWAZZというグループのコンサートに伺いました。僕は仕事で緊張すると、その後は必ず劇か音楽かを観賞に行きたくなるのです。。岩田昭彦先生は尺八の演奏家で、名古屋三曲演奏家の会などで活躍されていますが、JAZとのセッションもなさっています。お話は聞いていたのですが、伺うのは初めてでした。名古屋市芸術祭審査員特別賞を取られたときには、僕も審査員でしたから、よく覚えていたのですが、今日最初に思ったのは、「紋付じゃあない。」三曲演奏家としての昭彦先生しか舞台拝見していなかったので、眼が点になりました。ジャズの編成に琴と尺八が加わっているのですが、音階は西洋音階で、やっぱりジャズだよなあと。。ジャズとして、とても面白かったです。年配の観客の方多かったですが大学時代によく出かけたジャズ喫茶を思い出しました。筑波大学の周辺はジャズ喫茶が三軒くらいあって、ちょっとしたぜいたくとしてよく一人で出かけたのです。今日のWAZZはとても面白かったです。またジャズも聴いてみたいなあと思いました。ただ、夜の催しは無理なので、このような昼間の催しですが。。29日の文芸Aでは昭彦先生のお兄さんの恭彦先生に御願いしますが、恭彦先生もジャズとのセッションが多いと伺っています。29日には和太鼓の方もいらっしゃるのですが、「音楽の伝統と創造」の現場の話も伺いたいと思います。とても楽しみです。学燈社の国文学の7月号、休刊のお知らせ見て、わかっていたことではありますが、非常に悲しくなりました。原稿載せて頂きたいと思った、目標にした雑誌なので。。国文学全体の退潮を象徴する「事件」ですが。。歎いてもしかたないので、学生に古典の魅力を少しでも伝えられるように努力したいと思います。自分たちの子供の世代には、また全国の大学で文学部国文学科が復活していてくれることを祈りつつ。。いまは少数でも、受講してくれる学生にきちんと教えることだと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月12日 今日は西川古都先生にいらしていただいて、スタジオで、みんなで宇治茶を踊りました。古都先生はとても教えるのが上手ですし、熱心です。学生も楽しんだようでよかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月11日 今日は講義三コマの日です。卒業研究指導・日本文化論・ブレゼミ、、、やはり90分三コマとなると、体力が必要です。若い頃は声も続きましたが、50近くになると。。今日はどの講義も静かで助けられました。明日は日本の伝統と文化で西川古都先生にいらしていただいて、みんなで宇治茶を踊ります。とても楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月10日 梅雨入りしました。身体だるいです。でもこの年になればしかたないことで、元気ないなりに、破綻無い講義をすることが求められますし、それが出来ればなんとか自信が持てます。卒業研究の募集始まりました。去年・一昨年は十五人と満員でしたが、普段は閑散です。閑散でもよいので、よいゼミにしたいです。十時過ぎてしまいました。もう寝ます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月9日 若い知り合いの訃報が入り暗澹としております。まだ四十にもならないのに。。病気だったそうですが、全然知りませんでした。避けられないこともありますが、、なぜと言う思いは残ります。身体に気をつけなければと思います。ではまた。お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月8日 今日は中年日記の読者の方から豊嶋十郎の脇伝書についてと、熱田神宮能楽殿開館式典の祭式についての問い合わせをメールで頂きました。反応があるととても嬉しいです。頑張って勉強したいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


3009年6月6日 今日は能楽堂の定例能の道成寺です。片山清司先生ですが、とても綺麗でした。情のある優しい感じの大蛇で、やっぱり山伏は行を捨てても結婚したほうが良かったのではと思わせる感じでとてもよかったです。解説しながら綺麗だなあと見とれておりました。イヤホンガイド原稿に眼を通してくださっていて、携帯の留守電に入れていただいていて感謝でした。気が付いたのが終演後で本当に申し訳なかったです。今後のイヤホンガイドに活かしたいと思います。

今日のイヤホンガイド原稿を挙げさせていただきます。うまく話せなかった部分もあるのですが、基本的にはこの形で行いました。

《道成寺》赤頭 イヤホンガイド原稿案         飯塚恵理人
笛・大鼓・小鼓・太鼓の囃子方が楽器の調子を整えるお調べが聞こえて参りました。まもなく開演となります。

最初に、物語のあら筋を簡単に説明したいと思います。最初に紀州道成寺の僧侶(ワキ)が登場し、道成寺にはしばらく鐘がなかったのだが、このたび作ったので鐘の供養(完成式典)を行うと言います。そして、能力という寺の下働きをする男に完成式典のことを言い、事情があるので、式典の場には絶対に女性を入れてはならないと言います。そこに紀州に住む白拍子がやってきます。式典の場で舞を舞って見せるというので、能力は独断で入れてしまいます。女は烏帽子をつけ、舞いはじめます。そして鐘に近づくと、人々の隙を見て鐘を落としてその中にはいってしまいます。鐘の落下に驚いた下働きの僧は、鐘が落ちたことを僧侶に告げます。僧侶は、恋慕の余り大蛇と化した女性が、道成寺の鐘に隠れた自分を捨てて逃げた山伏を焼き殺しのた因縁を語ります。そしてその女性の化した大蛇がこの鐘に祟りをなそうと現われたのだと言います。僧侶が祈ると鐘の中すら大蛇が現われます。大蛇は僧侶たちを威嚇しますが、僧侶たちは大蛇を成仏させようと祈ります。その抗争の果て、祈り伏せられた大蛇は日高川に飛び込んで姿を消します。

幕を片方のみ開けて、囃子方が登場いたします。笛、藤田六郎兵衛、小鼓、船戸昭弘 大鼓、河村総一郎 太鼓、井上敬介の各師となります。

狂言方が鐘を運び出して準備を整え、シテ方の後見が鐘を高く釣り上げます。道成寺では舞台上のシテを補佐する後見の他、鐘をタイミングをはかって落とす「鐘後見」という役があります。鐘後見のうちの責任者はシテとのタイミングが合わせなければならない大役で、道成寺を勤めた経験のあるベテランの役者が勤めます。今回は青木道喜(あおきみちよし)が勤めます。

鐘をつる間、この曲の前提となっている「道成寺の鐘」の伝説について説明させていただきます。道成寺の冒頭で鐘の供養にあたり、「さる子細があり女人禁制」とされるその「さる子細」にあたる部分です。これは白拍子が鐘を落として中に入ってしまったあと、ワキの僧侶の語りによって明らかになります。このワキの語りの筋を現代語訳しますと

昔、まなごの庄司というものが一人の娘をもっていた。そのころ東北から熊野に参詣する山伏がいたのだが、毎回庄司の家を行き帰りの宿としていた。庄司は娘をかわいがっていて、、あの山伏こそあなたの夫になる人だよと冗談を言ったのを娘は幼な心に本当だと思い生長した。ある時にその山伏が庄司の家に泊まったとき、娘は山伏の寝室に行き、早くお嫁に迎えてくださいと言ったので、山伏は非常に驚き、なにくわぬ顔であしらって、夜の間に逃げだして寺に来て隠して欲しいと頼んだ。隠れる場所が無いので、鐘を下ろし、山伏をその中に隠した。娘は山伏を追いかけたが日高川が増水してわたることが出来なかった。女は一途に思いつめた執念によって毒蛇と成り、川を渡ってこの寺に来て、鐘が下りているのを怪しく思い、
竜頭を加えてまといつき、炎を出して尾で叩くと、鐘が溶けてどろどろとなり、ついに山伏を取り殺してしまった。

となります。能の典拠となった『法華験記』などでは、山伏も女もともに次の世で蛇に生まれて苦しんでいたのを、僧侶が法華経を写経して弔うことにょって二人とも成仏したという話になっており、法華経の功徳をとく話です。能では、「成仏」の部分は語らず、「蛇」となった女性の哀しみ・執念にしぼって劇化しているといえます。

名乗り笛で、ワキの道成寺の僧が、ワキ連の供の僧、従僧と呼びますが、それを二人と、狂言方の下働きの僧侶、能力(のうりき)の二人を連れて登場いたします。ワキは金入角帽子(きんいりすみぼうし)・水衣(しけみずごろも)・白大口で、身分の高い僧侶であることを示します。この脇の角帽子は、道成寺のみに用いるもので、蛇の鱗の模様が入っています。従僧は、角帽子に金が入っていませんが、大口袴をつれることによって、旅の僧侶ではなく、寺に住んでいる僧侶であることを示します。脇を高安勝久(たかやすかつひさ)、ワキ連を杉江元(すぎえはじめ)と椙元正樹(すぎもとまさき)が勤めます。
(これは紀州道成寺の住侶にて候)
僧侶は、自分が和歌山県の道成寺の僧侶であること、ある事情があって、長らく釣鐘が無くなっていたのだが、このたび新たに作らせたこと今日鐘の供養、すなわち完成式典を行うことをつげます。
(いかに誰かある)
ワキは狂言方の能力に今日鐘の完成式典を行うことをつげ、事情があるので絶対に式典の場所に女性を入れないようにと言います。用を承る能力をオモアイといいますが、佐藤融が勤めます。オモアイは、鐘の供養のことを触れます。このことによって近在の村々に鐘の式典について周知されたという設定です。アドアイは鹿島俊裕(かしまとしひろ)が勤めます。
(シテの登場)
習いの次第の囃子でシテの白拍子が登場いたします。片山清司(かたやまきよし)が勤めます。面は出目満光(でめまんこう)作の近江女(おうみおんな)、赤・萌黄・黒紅段桜立木に御所車唐織(あかもえぎくろべにだんさくらたちきにごしょぐるまからおり)」を壺折(つぼおり)にして着ており、長い路を歩いてきたことを示します。唐織の下に三角形の模様のついた「鱗箔(うろこはく)」を着ています。この三角形は蛇の鱗の模様を象徴したもので、この女性が蛇のように執念深い女性であることを表現します。そしてこの三角形は、女性の持つ深井哀しみと恨みのモチーフとして、所作の中でも繰り返し用いられます。下に紋尽の縫箔をつけていますが、地色は黒です。能では黒は鬱屈した恨みの心を象徴致します。この女性の心中に非常なわだかまりがあることを装束で表現していることになります。
(作りし罪も消えぬべし)この世で作った罪もきっと消えるだろうから、鐘の完成式典に参加しよう。この女性がこの世の普通の女性ではなく、深い罪業を背負った女性であることを示します。この「次第」は「習の次第」という特別な形なので、地取りの後にもう一度シテが「作りし罪のという」次第を繰り返します。他の曲の主人公に数倍した「罪の重さ」が強調されます。

(これはこの国の傍らに住む) 白拍子は紀州の近在の村にすむもので、鐘の完成式典に行こうといいます。
(月はほどなく入り汐の) 夕月はまもなく入り方のころ、満ち潮につれて汐煙のもやが立ちこめる小松原を歩いて行くのだが、急ぐ心ゆえかまだ暮れることもなく、日が高いという名前の日高の道成寺についたことだ。
(急ぎ候ほどにこれは早)
白拍子が中に入ろうとするのを能力が留めます。しかし女が白拍子で、舞を真って見せようと言うと、舞を見たいと思い、自分の一存で道成寺に入れてしまいます。能において、ワキが狂言方に言いつけた約束事は、必ず守られません。そしてそこから思いもよらない事件が展開するということが能の筋立ての作り方になっています。
(あら嬉しや涯分舞を舞い候べし)
白拍子は、烏帽子をつけます。このため舞台のうしろに向かうときに、通常と異なり、うろこ模様に三角に足を遣います。烏帽子は男性用の帽子ですが、白拍子は男装で舞いますので、その準備をしているということになります。

白拍子は烏帽子をつけて一の松に立ち、鐘を見上げます。自分の慕った山伏が逃げた鐘はこの世で叶わなかった恋慕の象徴であり、この女性にとって存在が許せないものです。

鐘を見つめることで、恋しい山伏を隠した「鐘」に対する恨みと「叶えられなかった恋」への哀しみの念とを表現します。

(嬉しやさらば舞はんとて)
女は烏帽子を借りて着て、舞い始めようといいます。
(花のほかには松ばかり)
一面盛りの桜花のほかには松の緑が見えるばかりだ、夕方になって鐘が響いているのだろう。

この部分から「乱拍子」になります。小鼓に合わせて独特の足遣いで舞台を踏むのですが、シテと小鼓の両者の見せ場となります。蛇が道成寺の階段を上る様子を象徴的に表現するとも言われていますが、女性の哀しみと恨みの深さが、この舞で表現されます。

シテは乱拍子を踏みながら、常座から始めて、三角形(鱗の形)を描くように舞台を回ります。

途中、脇座に向かうところで一度、下から鐘をじっと見る型があり、戻って正面に向いたところで扇を左に取り直して拍子を踏み、笛はヒシギを吹きます。

ここからを中ノ段と言い、乱拍子謡を謡いながら、先ほどとは逆に右側に小さい三角を書くように進みます。これをうろこ返しと呼びます。

この乱拍子の間に、少しずつ分けて謡われる謡いは、「乱拍子謡」と道成寺の名前の由来となります。
道成(みちなり)という公卿が天皇の命令を承ってその命令で初めてテ寺の建物が建ったので、橘の道成が建立した寺であるからと言う理由で道成寺と名づけたのだ。と言うのです。
(「道成の卿承り」の後に、続けて急の舞まで解説する。)
「名づけたりや」で乱拍子謡が終わると「山寺の」からは急の舞と呼ばれ、非常にテンポが速くなります。位は早くなりますが、人々の眠りを覚まさないという意味で、ここからは足拍子を踏みません。
詞章の内容はのどかな村の春の夕暮れの美しい景色についてです。それに続き、そののどかな景色の中で、女が鐘に近づき、落としたことが語られます。

(急の舞の現代語訳 よまない可能性あり)
山寺の春の夕暮れに来て見ると、入相の鐘が響く中で花が散っている。このような美しい春景色のなか、寺寺の鐘が撞かれ、月が落ちて隠れ鳥が鳴いて霜や雪が天に満ち、日高の寺にも夜が来て漁火が見え、人々が春の愁いによって眠ってしまうとよい機会だと舞を舞うふりで鐘に近寄り、鐘を撞こうとしたが、思うとこの鐘が恨めしいと竜頭に手をかけ飛ぶように見えたが、鐘を引き被いて消えてしまった。

(ここから急の舞になります。烏帽子を打ち落とすことによって、白拍子として芸をしていることを止めたことを表現します。)
(桑原桑原)
白拍子は鐘を落として隠れてしまいました。その音に驚いた二人の能力が、この音は雷だろうか地震だろうかと話します。そして鐘の落ちた音であったことを知り、これをどちらが僧侶に申し上げるかで揉めます。結局僧侶から女性を入れてはならないと命じられた能力が報告し、叱責されますが、僧が様子を見に行くこととなり、能力は報告したことで安心します。狂言方の役ですが、乱拍子と鐘入りのあと、すこし息の休めることの出来る場として工夫されています。

(さりながら立ち越え見うずるにて候)
脇の僧は供の僧侶を連れ、鐘楼堂へ行き、落ちた鐘を見ます。脇は、まなごの庄司の娘が、自分の婚約者と父親から言われていた山伏に自分から求婚し、道成寺の鐘に逃げた山伏を大蛇となって鐘に巻きつき、焼き殺した話を、所作を交えて話します。ワキ方の見せ場です。
「さあらば面々も」
脇は、供の僧侶に、一生懸命に祈祷して災いを除け、再び鐘楼に鐘を上げようといいます。

ノットの囃子で、脇が鐘に向かって祈り始めます。
たとえどのような悪竜であったとしても、竜の出す水がかえって蛇となって竜を苦しめるだろう。日高川の無数の砂がなくなってしまうようなありえない事態が起こるとしても、行者の法力がなくなって竜に負けてしまうことがあろうかと、皆一同に祈ったのである。

この部分からあとは、不動明王に祈る呪文となります。

僧侶たちが祈ると、「すはすは動くぞ」で鐘が動き始め、「撞かねどこの鐘響き出で」と中でにょう鉢の音がします。中に大蛇がいることを示すのですが、これはシテの準備が出来ていることを示す知らせともなっています。鐘が引き揚げられ、大蛇が姿を現します。

面は越前出目家伝来で、伝赤鶴(しゃくづる)作の般若です。目をき、口が耳までさけていることによって、大蛇・化け物であることを表現します。赤頭になっていますが、髪が赤いのは怒りと哀しみの余り人間の心を失い、獣の心になってしまったことを表現しています。白地に金鱗の摺箔(すりはく)と緋の長袴をつけています。

 大蛇は立って打ち杖を持ち、僧侶たちの祈りに対抗します。この打ち杖は大蛇の持つ魔力を象徴します。シテは唐織を身体に巻きいたまま、橋掛かりに進みます。

後見がシテの唐織の裾を持ち、シテは裾を取られたまま橋掛かりに進み、唐織を床に落とします。これは蛇体が尾を曳く姿の表現で鱗落しと呼びます。

舞台に一番近い一の松で鐘とワキを欄干越しにじっと見つめ、打杖をふりかざし、シテ柱に背中をこすり付けるようにして柱を回ります。

(謹請東方 きんぜいとうほう)
僧侶たちは東西南北と中央を守る五帝竜王の名を呼んで蛇体の退散を祈ります。

全世界の竜王に祈っているのだから、どこに大蛇が存在してよいはずはないのだと、行者は祈り、祈られて、大蛇は倒れ伏すのだが、
(大蛇はあるべきぞとて)
大蛇が鐘にとりつこうとするときに僧侶が数珠で払い、大蛇は安座します。大蛇の通力が僧侶の祈祷によって弱ったことを表現します。

大蛇が鐘に向かって吐いた息は猛火となって自分自身を焼き、苦しめるので、大蛇は日高川に飛び込みます。大蛇が退散したので僧侶たちは目的が達せられたとしてそれぞれの坊に帰り、一曲は終曲を迎えます。

能は余韻を楽しむ芸術です。本曲のように終曲のときにシテが幕に入っている曲では、ワキが三の松、幕に一番近い松を通るまで拍手はお控えください。本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が担当させて頂きました。御清聴ありがとうございました。なお、この後展示室にて能全体に関するご質問の受付と道成寺展の展示解説をさせていただきます。お急ぎのない方はどうぞよろしく御願い致します。

解説にもたくさんの方が残ってくださり感謝でした。今日の小鼓を勤めるはずの柳原先生が亡くなって一週間。一番弟子の船戸先生が立派に勤められました。泉下の柳原先生もきっと喜んでいらっしゃると思います。心より御冥福をお祈り致します。ではまた。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月5日 今日科学研究費の審査の開示が届きました。不採択でしたが、C評価で、「あまり進展期待できない」で、二十七件中採択は九件でいたが、不採択の中でも半分にはいることが出来ませんでした。根本的に計画を考えなおさなければならないと思います。私が出した基盤研究(B)では、分担者として使っていただいている安田文吉先生も採択の九件に含まれていますが、安田先生クラスでないと入れないのかと。。そうそうたるメンバーを見て思いました。東海地域の能楽史の研究はもちろん形にしたいですが、明治から昭和までの能楽の番組をまとめた「近代名古屋の能楽を支えた人々」の戦前までの全国版を作って、全国の中での東海地域を捉えなおしたい気持ちもあります。昭和の「古典芸能」というジャンル成立へのレコード・ラジオ・新聞の影響なども考えてみたいです。そのためには、やはり個人的な基盤Cよりも、大きな共同研究である基盤Bを狙うほうがよいように思います。がんばろうと思いました。あしたは道成寺のイヤホンガイドです。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月4日 今日は妹ゆりの誕生日です。。夕方思い出してあわてておめでとうメール送りましたが、妹の誕生日も忘れているというのはもの忘れひどいなあと思います。「道成寺」のイヤホンガイド原稿シテの片山清司先生にお送りしていたのですが、今日片山先生からお電話頂いて、原稿ミス教えていただいて感激しました。これまでもイヤホンガイドの前に装束や面など、シテの先生にお尋ねすることはありました。ただ、原稿をお送りすることはありませんでした。今回は「道成寺」で、私にとってこういう「大曲」のイヤホンガイドはこれまで経験がないことと、国文学の人間ですから、口語訳については「まがりなり」にも標準的なことは出来ると思っているのですが、囃子にも所作にも暗いので、原稿送らせていただきました。。。そして今回は囃子や所作を説明しないと「道成寺」を解説したことにならないというのが、非常なプレッシャーであり、逆に「解説者」としてやりがいのある仕事でもあるのです。お忙しい中で目を通していただいて本当に感謝でした。凡ミスの部分もあって本当に反省でしたが。「道成寺」のイヤホンガイドと言うと、昨年の四日市能の大槻文蔵の小書なしの道成寺、これも名演でしたが、三浦裕子先生のイヤホンガイドも名解説でした。三浦先生は囃子に明るいので、的確な場所で要点解説されるのですよね。真似は出来ませんが、片山先生はじめ皆様に教えて頂いたことを元に、初心者向けに、舞台の邪魔にならないよう気をつけて、がんばりたいと思います。明日は日本の伝統と文化、来週から二週間、西川流の西川古都先生について日本舞踊の「宇治茶」を習います。その模範演技のビデオとカセット、今日贈っていただきました。明日はこのビデオで事前学習をします。西川古都先生に感謝致します。学生たちが五十年後の伝統芸能の観客として育ってくれることを心から期待し、私も少しでも前に進みたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009月6月3日 今日は午後から6日の道成寺の申し合わせこのにイヤホンガイドブースで原稿を読んで練習するために伺いました。小鼓の船戸先生、まだ風格とか熟練という感じはありませんが、若さのよさというか、気合あって佳かったです。笛が藤田六郎兵衛先生、大鼓が河村総一郎先生ですから、この二人はまさに「熟達」していますから、大鼓したことには拍子板ですが、とても迫力ありました。イヤホンガイドの役得に申し合わせを拝見できるということがあります。装束をつけていないので、シテの所作や構えがよく見えるのです。今日は通しでしたが、後場の祈りの部分など、表情を作っているわけではないのに、怒りやかなしみところがせまって来ました。片山清司って、すつきりしていてしかも情があって好きです。父親の九郎右衛門先生が博太郎と言われていた頃は僕も高校・大学ですから単純な比較は出来ませんが、今の清司先生の方が佳いのではと、思います。イヤホンガイドはまだ修整すべき点たくさんあります。逐語訳にはなっていませんが、解説増やすべきだろうかとか悩んでいます。今日時点で6日のチケットは完売で当日券はないそうです。確かに近年の名古屋の道成寺の中ではもっとも期待できると思います。明日は東別院の生涯学習センターで大学連携講座の殺生石です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月2日 今日は夕方から柳原冨司忠先生の御通夜に伺いました。享年六十二歳。。まだまだこれからのときの急逝でとても残念でした。柳原先生の思い出の舞台というと、今年の正月の定例能の翁付嵐山と昨年の正月の定例能の翁付高砂の頭取です。気合といい、風格といい、すごく良かったです。体力・気力の必要な曲でしかも円熟味のある芸を見せた、これから柳原先生の時代が来るというか、もう来ていると思わせた催しでした。名古屋の小鼓の第一人者は、僕の高校時代から福井啓次郎(四郎兵衛)先生でした。正確で味のある鼓は僕も大好きですが、昭和五年生まれですから、近年大曲はなさっていません。大曲は一番弟子の柳原先生に譲って、、というのが、福井先生のスタンスであったように思います。まさか柳原先生が急逝されるとは、、誰も思っていませんでした。船戸先生を育てられたのが、何よりで、船戸先生にはこれから頑張っていただきたいです。御通夜には椙山女学園能楽部の卒業生・現役もたくさん参列しておりました。顧問として、柳原先生には本当にお世話になったこと感謝致します。また参列してくれた学生たちにも感謝します。次世代の愛好者を育てたことが、柳原先生の功績で、先生にとって、教え子に送られるほど名誉で嬉しいことはないと思う故です。心より御冥福をお祈り致します。生きている我々は、次世代に能を繋ぐべく努力したいと思います。週末の道成寺の申し合わせが明日あります。イヤホンガイドの打ち合わせのため私も参加させていただきます。よい解説にしたいなあと思います。そのためにも今日は早めに寝ます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年6月1日 今日は学園創立記念日で休校なので、久しぶりで家でのんびりしております。疲労が蓄積しているのか、30分昼寝するつもりが一時間以上寝てしまいました。6月は講義も後半になり、レポートを前に、講義を受講して「身につけるべき中身」について一番内容の濃い部分を扱うべき時期になります。「文芸A」「日本文化論」「日本の伝統と文化」では、それぞれ県内の芸術家でその分野で一流の方をお招きしてワークショップを行います。「日本の伝統と文化」では6月12日・19日の二回、西川古都先生に御願いして、スタジオで西川流舞踊の「宇治茶」をみんなで稽古します。「日本文化論」(後半)では、6月25日にスタジオで杵屋三太郎先生に御願いして長唄のワークショップを致します。「文芸A」では、6月29日にスタジオで尺八の岩田律園先生・恭彦先生・和太鼓の柳川先生に御願いして尺八と和太鼓のワークショップを行います。僕は「良い趣味を持つ」ことはとても良いことだと思っています。学生たちが今すぐ日本文化・伝統芸能関連の趣味を持ってくれるとは思いませんが、年齢を重ねて、趣味が欲しいと思った時期に、学生時代ちょっとやっていれば、もういちどやろうと思ってくれるのではないか、その「稽古の垣根を低くする」ことを目的にしています。ほとんどボランティアで、協力いただける先生方に本当に感謝しています。僕も学生と一緒に稽古しますが、学生のほうが覚えは絶対良いです。僕も楽しみにしています。昨日ザリガニのちびツーが死んでしまいましたが、金魚のみかんちゃんは気迫で食べてほぼ完全復活しました。ご飯は大切です。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月31日 今日は朝熱田教会の教会学校に伺い、それから岩田律園先生のご紹介で三曲演奏家の会の幹事の皆様と会食させて頂きました。岡崎清芳先生や、中根雅楽抄都先生など、いつも舞台では拝見しているのですが、昭和の最初の筝曲会や、NHKの演奏会の古い出演者についてなど色々教えていただき感謝でした。中区制百周年記念誌に活かしたいと思います。仲介いただいた岩田律園先生はじめ、幹事の先生方に本当に感謝でした。節段説教大会、祖父江佳乃先生の節段説教伺いたかったのですが、間に合わず残念でした。県の図書館に行って、昭和初期の放送と地元の芸能との関係について調べようと思っていましたら、図書館の入り口で、電話で柳原富司忠先生の訃報が入りました。まだ六十二歳。脳梗塞で入院中とは伺っていましたが、来月には稽古再開と言われていたので。。驚きました。椙山女学園大学には名古屋大学卒業された昭和四十年代から、四十年近く教えていただいていましたから、大学能楽部の顧問をしている者としてもいつも大変お世話になっておりました。とても残念です。心より御冥福をお祈り致します。身体には注意しないといけないと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月30日 書類作成が進まないので、土曜日ですが出勤しました。それなのに午前中三十分もmixiニュース眺めて潰してしまい、自己嫌悪でした。なんとか愛知銀行教育文化財団の申請書類を作成し、明日岩田律園先生と打ち合わせするための名古屋放送局開局の記念放送の番組を印刷し、半蔀の研究論文の取り寄せ手続きを図書館で行い、、夕方から中川文化小劇場の峰山会に伺いました。野村峰山は、いまの名古屋の都山流尺八では第一人者だと思います。野村先生のすごいところは作曲に長じていることで、今日も「刀田の伽藍」とか「高原のオブジェ」とか自作の演奏もなさいましたが、とても素敵でした。「尺八」とか邦楽とかジャンルを意識しなくとも、現代の音楽として魅力的だと思います。帰りに花までいただいて、玄関に飾ってありますが、とても楽しかったです。明日は午前中が熱田教会の教会学校、昼に岩田律園先生と調査の打ち合わせがあります。節段説教大会もありますが、実際の節段説教を聴いたことがないものですから祖父江佳乃先生がなさる時間だけでもうかがいたいのですが、時間的に間に合うか。。忙しいですが、研究的にも充実した日にしたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月29日 二日ほど前から、我が家の金魚みかんちゃんが元気なかったので、絶食させて塩水浴させていたのですが、今日の朝急に横倒しになつてしまいました。家内がもとの水槽にもどして様子をみたのですが、浮き上がりませんからもうだめかなあと思ったのですが、下の水槽の金魚のぶどうくんに餌をやると欲しそうな様子をしたので、少し餌をやると「最後の力を振り絞って」という感じで上に浮かんで一口食べました。それでまた下で横倒しになってしまったのですが、しばらく経つとまた上に上っていってぱくっとたべて。。午前中は横倒しになったり縦になったりしていたそうですが、午後五時には普通に戻りました。朝、弱弱しく、それでも餌に向かって必死に泳ぐ姿には感動しました。飯に対する執念は生きようとする執念で、それを忘れてはいけないのだなあと。。ひれは赤いままですし、違う病気があるかも知れません。でも少しでも長生きしてほしいです。何せ金魚すくいで来てもう四年か五年になりますが、体長二十五センチくらいありますから、本当に大型です。生まれつき鰓ぶたが欠けているので、金魚掬いで来た時もすぐ死んでしまうかと思いましたが、人一倍食べる金魚で生き残ってきました。まだ安心は出来ませんが、がんばって生きてくれと。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


3009年5月28日 今日は東別院の女性会館で大学連携講座の講師を致しました。椙山・南山・名古屋工業大学のシリーズ講座でトップバッターでした。6月に道成寺が出るので道成寺を扱ったのですが、、昨日の申し合わせ見た感動が残っているので、うまく解説できるかなあと思いましたが、そんなに甘くなく、講義の説明の順番など課題が残ったように思います。尺八の岩田律園先生が聞いてくださっていたのは感謝でした。夕方はマック栄でフォトショップに関する講習を受け、そのあとNHKに伺って邦楽技能者育成会に関する資料を頂き、その足で岩田先生のお宅に伺って、邦楽技能者育成会修了の演奏家についていろいろ教えて頂きました。佐藤正和検校・三品検校は中区在住だったと伺いましたが、「中区の芸能」の報告書の骨格がだんだん出来て来て、感謝でした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月27日 今日は名古屋能楽堂で、6月6日に行われる道成寺の申し合わせがありました。乱拍子の部分についてなので、シテの片山清司先生と小鼓の船戸昭弘先生がメインなのですが。。僕もイヤホンガイドを担当させていただくので、御願いしてイヤホンガイドブースで、ずっと原稿を読んでいました。定例能で道成寺が出るのははじめてすし、こんな大曲の解説たのんで頂くことまずありませんから。イヤホンガイド、急の舞の分の説明も乱拍子の部分で行おうかと思いましたが、焦点がいまいちぼけてしまうかなあと。解説切り詰める方向で検討したいと思います。私は囃子にも型にもくらいので、終了後厚かましく片山先生に色々お尋ねしました。丁寧に教えてくださって感謝でした。当日の原稿に活かしたいと思います。片山清司先生は、舞台姿がとてもすっきりしていて、きれいなのですよね。。能もですが、僕はこの先生の舞囃子がとても好きです。直接お話したのは初めてでしたが。。感謝でした。明日は名古屋市生涯学習推進センターで道成寺についての講義をします。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月26日 今日は小西甚一先生の命日です。三回忌に当たります。もうそんなにたったのかと言う思いと。。自分の論文を読んで批評いただけない淋しさと不安と。。小西先生は弟子の書かれたものを実によく読んでくださいました。そして訂正すべき点や次の課題を適切に示してくださいました。小西先生だったら、この資料どのように考えられるだろうか。。など、常に考えながら作業は続けていますが、「我流」になっていないか、常に心配です。多くの先輩方の批判を仰ぎつつ、先生の学問の継承に勤めたいです。小西先生の御冥福を心よりお祈り致します。今日は西三河高校国語教育研究会の講演を頼んでいただきましたので、「高校国語教材と謡曲」というタイトルで、長田郷先生と、西尾の岩瀬文庫で講演を行いました。高校の教科書に載っている源氏物語の夕顔・葵の部分と伊勢物語の第九段をとり上げ、それが能と言う形で劇化されるとどのように筋立てが変わるのかを「半蔀」「葵上」「井筒」にたいしてのべて、長田先生に仕舞を舞っていただきました。。「井筒」のキリについては、長田先生について全員で謡の稽古をしました。さすがに普段声を出されている先生方なので、かなり声がでていました。謡曲が高校現場でもワークショップなどの形で取りいれられると良いなあと思いました。楽しかったです。講義しながら、いろいろ質問なども頂いて8月4日の教員免許更新講習のヒントも頂きました。恩師の柴田哲谷先生がお忙しいのに西尾高校から校務の合間にいらしてくださったのは感激しました。ほとんど教育実習だよなと思いつつ、でも恩師の前で講義するのは「ハリ」があります。「高大連携」というのには高校・大学間で同じ教材でこのような研究授業を行うことも意味があるように思います。がんばって良い教材を作らねばと思います。ご協力いただいた長田郷先生、機会をいただいた吉良高校国語科の先生方に感謝致します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月25日 昨日安田文吉先生に拝借した常磐津節のオープンリールテープを整理しました。安田先生の母上で、名古屋の常磐津節の第一人者だった常磐津文字登和のテープが多いですが、三代・四代の常磐津文字兵衛の録音や、西川司津・藤間勘章など舞踏家の伴奏の録音も多く、とても貴重だなあと思いました。来週から技師の方にデジタル化していただくことになっています。とても楽しみです。ではまた、お身体に樹をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月24日 今日は朝、熱田教会の教会学校に行き、そのあと、民謡藤栄会のジュニアのコンサートに行くつもりが、、時間が十時半からと思っていたら二時半からで、、勘違いしていたものですから、、そのあとの予定がありましたので断念して大学で書類作成をしていました。夕方安田文吉先生のお宅に伺い、常磐津節のオープンリール録音を二十本ほど拝借しました。昭和の貴重な録音です。全部デジタル化したいと思います。感謝です。明日は子供達は運動会の代休で、おじいちゃんと釣りに行くのだと楽しみにしています。私は明日の夕方は古文書の読書会があり、これも楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月23日 今日は子供の小学校の運動会でした。安城では父兄参加の運動会はこの季節で、鯉のぼりを校庭にいっぱい飾って行うのでこいのぼり運動会と言います。実家の両親も見学に来てくれて感謝でした。かけっこ、ひろは三着、ともえは四着でしたががんばりました。僕や妻の子供のころより二人とも優秀です。一年に一回の運動会ですが、行くたびに大きくなったなあと感動します。家内のお弁当も美味しくて感謝でした。帰って子供とシャワー浴びて昼寝しました。家内が笠間書院のホームベージ見ていて、学燈社の「国文学」の休刊を知りました。私も三回書かせて頂きました。本当にお世話に成り感謝しておりますが、とても残念です。「国文学」の退潮の象徴的な出来事で悲しいです。次世代になんとか「国文学」の面白さを伝えてゆかなければなりませんが。。ではまた、皆様お元気でおすごしくださいまうよう。


2009年5月22日 今日の講義は一コマのみの日、本当ならば勉強できるはずの日なのですが、、展示室ビデオの編集のためにスタジオでビデオを動かそうとしたら動かず一時間無駄に。。カラープリンターでワード文書印刷しようとしたらワードがインストールされておらず三十分無駄に。。なんか間が悪くて全然進みませんでした。残念です。明日は子供達の運動会です。晴れるといいなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月21日 今日は日本文化論の前半最終日、ブレゼミは後半最初の日でした。そろそろ前期も半ばだなあと思います。あと半分、頑張りたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月20日 今日は能楽堂展示室のビデオの編集のため、各場面の時間を確認しました。意外と時間がかかるなあと思います。五曲中まだタイムラインが決まったのは一曲のみです。頑張ります。明日は木曜日、一日三コマの日です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月19日 なぜか忙しいです。いろいろな方に仕事手伝っていただいていて、それゆえに研究も教育も自分のみではできないことができるのですが。。書類が。。かけなかったり忘れたり、、名古屋市の芸術団体活動助成が今月末まで、がんばって書かなくてはと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月17日 今日は午後東海能楽研究会でした。橋場夕佳氏の観世元章による間狂言の改正「副言巻」に関する発表、「典拠となる本に忠実に書く」「時間の流れがわかるように直す」など元章には元章の「改正方針」があったのだなとわかる内容でとても面白かったです。伊藤利香氏の間狂言輪読「朝長」、貞享松井本に他の間狂言本にない独自異文があったことと、共同社九冊本間狂言の朝長の部分は謡曲大観の間狂言=森川杜園本とほぼ共通であつたことが面白いと思いました。次回は七月十九日一時半より米野コミュニティセンターにて。林和利先生の御発表と、間狂言「頼政」の輪読が米田真理氏、楽しみです。明日からが学期がはじまって七週目、折り返し直前です。早いなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月16日 今日は留学生の犬山城・明治村見学研修の引率でした。学生を校外に引率してその場で解説するのは、私にとつてもとても勉強になります。明治村の東松家住宅、床の間のある部屋が四箇所もあって、二つには炉が切ってあってお茶室になっているという。。名古屋の商家らしい作りでした。金剛流のパトロンで、名古屋市立博物館に寄贈した装束などはとても有名ですが。。雨で残念でしたが、とても勉強になり、楽しかったです。明日は東海能楽研究会です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月15日 実家から僕が子供の頃使ったベーゴマが出てきたので、ひろとがやっています。僕も試しにやってみましたが、さすがに手が覚えていて、何回か失敗しましたが、回せるようになりました。ひろとももう少しでできると思いますが。。単純ですがベーゴマは面白いです。僕も父に習ったなあと思いつつ。。明日は留学生の研修で犬山城と明治村です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月14日 明日は西村高夫先生にいらしていただいて謡曲の録音をします。楽しみです。もう十時半なので寝ます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月13日 今日は名古屋市文化振興事業団で、「名古屋文化情報」の編集会議でした。毎回ですが、名古屋で演劇・美術・文芸など、地元で質の高い活動をされている人が多くいることに驚きます。やっぱり名古屋はすごいなあと。。その後、マック栄で、アイムービーの講習を受けました。バージョンが変わって多機能になりましたが、それゆえに使い方も異なるものですから。習熟していないと学生から質問受けるときに答えられません。がんばります。明日は三コマの日です。がんばります。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月11日 連休も終わりました。二時間目は文芸Aで勧進帳の最後。。ビデオですが団十郎はかっこいいです。午後は三井住友銀行の社会人講座で「能 道成寺を楽しむ」の講義をしました。椙山の古い卒業生の方とかいらしていてありがたかったです。講義の反応はわかりませんが、自分なりにがんばりました。五時からNHK名古屋放送局に昭和二十五年から四十年の長唄名人大会の放送記録を調査に伺いました。昭和二十九年の宮城道雄の演奏風景の舞台写真なども探して頂き、拝見できました。名人大会というだけあって、本当に「東西」の名人を集めていて、大きな催しだつたのだなあと思いました。勉強に成り感謝でした。がんばって原稿を書きたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月10日 今日は一家で能楽堂の「鳳の会」佐藤友彦芸能生活六十周年記念会に行きました。井上菊次郎先生の病気休演は残念でしたが、「お用の尼」靖浩先生の代役はわかい感じの尼さんで、菊次郎先生とまた違った面白さがあり佳かったです。「二文酒」、佐藤融先生の夫と今枝靖雄先生の妻、息が合ってたのしそうでした。最後の「二人のため、お酒はあるの。。」の部分、「二人のため、世界があるの」という佐原直美の歌のパロディですが、ヒットしたのは1967年で私が幼稚園ですから、融先生や靖雄先生は生まれていないはずです。僕には非常に懐かしかったです。佐藤友彦先生は劇作家としても一流だなあと。。劇作のほうでもきちんと評価されるべきだと思いました。。椙山の学生さんも大勢いらしていましたが、今日来られた学生さんが五十年後にも狂言の観客でいてほしいなあと思います。ひろとはちゃんと起きていましたが、友恵はコンパクトにまとまって寝てしまいました。しかたないかも知れませんが。。よい連休最終日でした。明日は文芸Aと三井住友銀行での道成寺の講義、がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月9日 今日は午前大学に行き、それから愛知県図書館にJOCK名古屋放送局開局のころの大正十四年七月の新聞を調べに行きました。「中区制百年」の記念誌に「中区の芸能」の投稿依頼をいただいているので、丸の内の放送局にどのような中区在住の古典芸能の人々が関わっていたかを調べたいと思ったためです。放送初日に新守座に出ている新派の河合武雄が放送していますが、名古屋のこの時期の劇場では、東京から主だった何人かは呼び、囃子方や脇役。裏方は全部地元で固めるという方法のようで、シテだけ呼んで地謡や囃子方は地元という、その時期の能の興行とと同じなのだなあと思いました。どの人がどこに住んでいたのかなど、更に調べにければと思います。午後二時から市立博物館の本願寺展で「至宝の書を楽しむ」という題の山本祐子先生の解説がありましたので伺いました。国宝の西本願寺本三十六人集の順集の料紙の模様の技巧解説などとても分かりやすかったです。この展示は二日目に一度伺っていますが、展示替えがひんぱんにあり、同じ書でも開かれている帖が異なっていて、とても新鮮でした。すごいサービス精神だなあと。。楽しかったですが、学芸員さんは大変だろうと思いました。会期の終わりのほうにもう一度みたいなあと思いました。展示を拝見したから、月曜日午後二時から、栄の三井住友銀行のホールで「道成寺を楽しむ」という講演依頼をいただいているので、場所の下見に伺いました。外から見える電子掲示板に講演の日程と題がかかれていて、私の講義の名前もあったのですが、定員50名満席とあり、感謝でした。がんばりたいと思います。明日は能楽堂で狂言「鳳の会」があります。佐藤友先生の新作狂言、楽しみです。僕も一家で伺います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月8日 ホームページのアップロードがしばらく出来ず、技術支援課の方に調べていしただいたら、僕のパソコンの設定が、ミスで変わっていたことがわかりました。感謝でした。パソコンの基礎は勉強しなければと思います。「名古屋子供歌舞伎」について、名古屋文化情報に記事として掲載するため、安田文吉先生にインタビューに伺いました。親切に教えていただきましたが、いつもながら、安田先生はタフだなあと。。全国の地芝居を廻っていらっしゃるのですが。。あの精力的な調査には本当に敬服します。よい記事にしたいです。友人に子供が生まれたというニュースがありました。とてもよいニュースでした。ではまた、皆様よい週末を。。


2009年5月5日 今日は一日雨でした。晴れたら家内が父とひろとと友恵を連れて鱒釣りに行く予定だったのですが、ひろとはとてもがっかりしていました。明日晴れればよいのでが、、予報だと雨のち曇りで。。朝までに上がって欲しいです。「徳川慶喜邸日誌」の、明治九年・十年の松本金太郎関係記事を調べています。この時期ほとんど毎日のように金太郎について稽古しているのだなと。。東京でだんだん能が復興して行く時期に当たりますが、稽古も、狩猟などで出かける時は夜、なにも無いときは午後、と時間をやりくりして熱心にしている様子が伺われます。相当熱中していたのだなと思います。慶喜の場合、舞うのではなく、「謡」のみで、囃子方も呼ばないのが一つの特徴ですが。がんばって秋までにはまとめたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月4日 今日は三曲データベースをつくるためにプログラムの整理をしていました。疲れがたまっているのか、余り進みませんでしたが。午後は子供をつれてザリガニ釣りに行きました。三匹つれましたが逃がしました。ひろともともえもこういう遊びが好きで。。帰りに安城市立博物館の「安城の文化財」展を見ました。本証寺の善光寺縁起、法然上人絵伝などは見ごたえがありました。ひろとや友恵は「パパはこういうのが好きなのよねーー」、といっていましたが、まだ興味はもてなかったようですが。。夕食は友恵のリクエストでお好み焼きになりました。野菜たくさん入れて。。店のとはまた違っておいしかったです。また楽しかったです。よい休日でした。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月3日 先ほど高校の同窓会から帰ってきました。同窓会役員なので。ちょうど一年前に、一年生の生徒が殺されてしまい、まだ犯人が捕まっていないことがあり、校長・副校長など管理職の先生方は、総会には出席されたものの、懇親会は欠席でした。早く捕まって欲しいです。音楽の小林満先生が久しぶりに出席され、先生の指揮で校歌を歌いました。高校時代はもう三十年前ですが、懐かしかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月2日 今日から五連休です。午前中実家に弟が家族を連れて帰省しているので話しに行き、その後、愛知県立図書館にNHK名古屋放送局開局当時の新聞を調べにゆきました。「中区の芸能」の調べのためですが、名古屋新聞にはCK(名古屋局)の開局の時期なのに、AK制作の歌舞伎劇の歌右衛門と福助の紹介記事が載り、東京の「芸」へのあこがれと、AK制作番組の全国放送による芸能の東京集中の芽が大正十四年の時期にすでにあったのだと思いました。家内と子供達が筧先生の子供能楽教室に伺っていたので、名古屋駅近くで合流し、一緒に帰りました。よい休日でした。明日は附属高校の同窓会です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年5月1日 明日から連休です。今日は筑波の同級生の石塚修君が、「知っておきたい古典名作ライブラリー 32選ー豊かな<伝統的な言語文化>の授業づくりー」石塚修編著 明治図書 1900円+税という本を出されたので、「月刊国語教育」に書評を投稿したいと思い、書いていました。小学生用の「古典」の授業の作り方で、教師向けの本です。そのまま授業のテキストに使えるなあと思いましたが。小学生対象ですから、文法抜きで、現代語訳して子どもにとって面白い題材を選んでいるのですが、普段謡曲と、その典拠ばかり読んでいるので、西鶴とか、江戸時代の日本漢文とか新鮮でした。面白かったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月30日 四月ももう終わります。非常に早いです。もう少し勉強時間欲しいです。でも無理はできないです。まず、健康と、いつもいらいらしない気力だけは保っていないと、「教師」として充分でないので。。もう十時近いので寝ます。ではまた、皆様お元気で。


2009年4月29日 今日は家内の誕生日でした。午後から両親と家内と子どもとで岡崎のくらがり渓谷に行きました。例年蕨狩りをしているのですが、午後からではとれないだろうということで、いつもと違うところに山の気分を味わうためです。鱒釣りは時間が遅くて出来ませんでしたが、わらびも多少ですが採る事ができ、たのしかったです。明日は通常講義です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月28日 明日は家内の誕生日です。ケーキ買わないとなあと思います。午後から一家でわらび狩りに行く予定です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月27日 今日は夕方から東海能楽研究会古文書部会がありました。都筑敏人さんと蟹江和子さんに能の古文書の読み方を教えていただいているのですが。。今日は、江戸中期の能の謝礼の額についての書類でした。思ったよりも出勤料は高くないなあと。。きちんとまとめてみたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月26日 昨日は能が終わったのが九時近くでしたので、高速使っても津から二時間半はかかりますので、自宅についたのが十一時半近く。就寝は十二時でした。起きたのが九時近くで教会はお休みしましたが、身体があちこち痛くて。。徳川慶喜邸日誌の松本金太郎関係記事の資料をまとめはじめたのと、学園研究費Bの申請書類をなんとか書いて日が暮れました。五年間使った携帯を新しい機種に替えました。さすがに古くなって来たので。。本当はアイフォンが欲しかったのですが、ドコモに対応していないのでしかたないです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月25日今日は津の市民薪能でした。雨のためセンターバレスに会場が変更になってしまったのは残念でしたが、楽しかったです。長田驍先生の番外仕舞「松虫」、番組にない文字通りの番外でしたが、さすがに老練で、「ごちそう」でした。長田郷先生の半蔀、かちっとしていました。基本に忠実でよかったです。飯富先生の後ジテの出の前の台詞が、雰囲気出していて素敵だなあと思いました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月24日 今日も仕事多かったです。明日は津師の桜祭薪能です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月23日 今日は講義が三コマで、ハードでした。勉強なかなか進みませんが、がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月22日 学園研究費の書類、半分書いて終わりました。明日は講義三コマの日です。頑張ります。ではまた、皆様お元気で。


2009年4月21日 東講海能楽研究会の例会案内発送や学園研究費申請書類作成など、やるべき仕事も原稿作成もたくさんあるのですが、進みません。おやつばかり食べていてメタボ道を歩いております。困った。。ではまた、皆様、お元気で。


2009年4月20日 月日が早いです。仕事はなかなか進まないのですが。。いつのまにか十時です。明日は早いので今日はこれで寝ます。仕事しても進まないでしょうし。ではまた、皆様お元気で。


2009年4月19日 今日は朝教会学校の中高科で説教を担当しました。マルコによる福音書第一章のバプテスマのヨハネに関する箇所です。それを終えてから、名古屋市立博物館の春の展示を見ました。東本願寺展だったのですが、「慕帰絵詞」の本物を観ることができ、とても佳かったです。絵巻物でも本物を観ると字も絵も本当に綺麗です。。そのあと中電ホールの「名古屋小唄大会」に伺いました。虫鹿竹雄先生にロビーで昭和三十年代の邦楽の様子をいろいろ聴かせていただいたのが楽しかったです。安城に帰り、筑波の同級生で安城東高校の江崎寛君と会いました。江崎君の父上の江崎緑先生(元西尾東高校校長)が文化会館で油絵の個展をなさっていたので、伺ったのですが、お孫さんをかかれた絵など、とても暖かくて確かにそっくりで、楽しかったです。家で柴田哲谷先生の書評を仕上げ、メールで出版社に送りました。ミクシィに卒業生がコメントやメッセージくれて嬉しかったです。よい休日でした。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月18日 今日は可児市文化創造センターで行われた能楽公演 中所宜夫先生の鞍馬天狗の撮影にカメラマンの鈴木幸夫さんと伺いました。可児市の文化創造センター小ホールは、演劇ホールとしては、愛知県の芸術文化センターの小ホールに匹敵するくらいの設備があります。ホール能の設備も立派でしたが、お金があれば出来るというのでなく、「地域」で「演劇」や「音楽」を発信してゆこうというそうとう強烈な意志のある人がいたのだろうと思わせる設備です。中所さんは熱田高校・一橋大学出身の愛知県出身者ですが、今日仕舞を舞われた駒瀬直也先生も熱田高校で、九皐会は名古屋出身が複数いるのです。二人とも本当に能が好きなんだろうなあといつも舞台拝見していて思いますが。。津村禮次郎師の仕舞、西行桜。。津村禮次郎師って、名古屋にはほとんどいらっしゃらないので、始めて拝見したのですが、なんかぴしっとしていて、硬質な感じの芸だなあと思いました。新作能で有名な先生です。。かっこよかったです。喜正先生の解説は本当に分かりやすくて。。僕も見習わねばと思います。中所先生の鞍馬天狗、、九皐会の持ち味ですが、優しそうで人情のある天狗でした。とても佳かったです。楽しかったです。学生に講義で見せたいです。明日は教会学校の中高科説教担当「マルコによる福音書一章」をします。午後は中電ホールの名古屋小唄大会に伺います。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月17日 今日マック栄のonetooneのレッスンで、ガレージバンドを習いました。メディアリテラシーの講義、これまで音楽を作ることはしていなかったのですが、せっかくガレージバンドがあるのですから、使えるように教えたいなあと思います。アイムービーのバックミュージックが出来れば、ビデオを配信するのにも良いですし。。やってみてとても楽しかったです。学生に教えるにはもう少し自分で試してみなければなりませんが。明日は可児市で中所宜夫先生がなさる鞍馬天狗の撮影に伺います。とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月16日 今日は高校時代の恩師の柴田哲谷先生が上梓された『明日に向けてー高校生のための<考えるヒント>』(風媒社1200円)という本の書評をある雑誌から依頼されましたので、書き始めました。短い原稿なのですが、短いだけに、どのように紹介しようかいろいろ考えます。柴田先生は受験技術ではない「国語教育」と、「国語」の先にある「作品を読んで感動し、考える面白さ」を高校生に伝えようとされていて、その方針は、「受験での結果」を重視する人から見れば必ずしも評価されていないと思いますが、文学部を目指したり、文学に関心のある生徒からは熱狂的なファンがいます。僕は柴田ファンの一人で、柴田先生に高校のサークルで宝生流の謡曲を習ったのが、大学で謡曲を専攻するきっかけでしたので、研究者としての基礎の部分で教えてくださった先生でもあります。佳い書評にしたいです。明日もがんばろうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月15日 今日は子どもと家内を連れて御園座に歌舞伎を観に行きました。海老蔵かっこよかったです。早雲王子役が特にすごかったなあと。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2209年4月14日 今日も忙しい日でした。明日は一家で御園座の夜の部に行きます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月13日 講義二週間目に入ります。先週水曜日からスターとでしたので、今日の文芸Aも第1回ですが。。講義はじまると準備でしばにくはなかなか研究できません。鳥居先生に直していただいたソフトでVHSビデオのデジタル化は講義でいないときにも出来るので継続しています。今日は卒業生の方に長唄の古いカセットテープをたくさん貸していただきました。吉住慈恭の稽古テープのダビングなどもあり、とても楽しみです。心より感謝致します。夜は一家で銭湯に行き、のんびりしました。よかったです。明日はメディアリテラシーの第1回がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月12日 今日はイースターです。熱田教会でイースター礼拝に参加しました。献金当番で献金感謝の祈祷を担当させていただきましたが、、原稿用意していたのに緊張して、、原稿すっとばしてしまい、あとからあわてて戻りました。。僕は基本的に上がり性なのです。済んでほっとしました。大学に行き、明日の講義の準備がまだ出来ていなかったので、それをしていたのですが、鳥居先生が出勤されていたので、今度はNAS型のハードディスクの設定を御願いいたしました。自分では基礎がなくて出来ないのですが、すぐにして下さって本当に感謝でした。家内と子供達は津の長田先生の子供能楽教室に伺っていたので、夕方名古屋駅近くのスーパーで待ち合わせて、食事して帰りました。今度の二十五日の津市の市民薪能で、長田郷先生が半蔀を舞われますが、その前座の子ども教室成果発表で、比呂人は「国栖」、友恵は「葛城」の仕舞を舞わせて頂きます。私もうかがいますが、とても楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月11日 今日は橋岡久太郎五十回忌追善能に行きました。橋岡慈観の仕舞「西行桜」、面白い所作はないのですが、まさに「老木の花」という感じがあって、とても佳かったです。能楽師が亡くなって五十年後に八十を過ぎた息子が追善にこういう真面目な品のある仕舞舞ってくれたらきっと嬉しいだろうなあと。。慈観師は僕は仕舞しか拝見したことないのですが、いつも真面目できちっとした芸で佳いなあと思います。久田三津子の「卒塔婆小町」。「卒塔婆小町」って難曲なんだな。。とやっぱり思いました。久田三津子師は女流ですが、「規格品」というような間違いがない芸をする人です。その意味で今日も間違いはないのですが。。普通の曲を演じていられるときに比べて「面白さ」は感じられない。。技術は感じました。息子の勘吉郎君の指導はやっぱり母親でしょうが、このお母さんならば将来きっと上手になるだろうなあと思います。「卒塔婆小町」の囃子の笛の藤田六郎兵衛先生と大鼓の河村真之介先生は特に佳かったです。大鼓特に気合があって。。老女物といっても「卒塔婆」は「気合」のある曲なので。。午後は名古屋城の「中林竹洞」展に行きました。「中国風」の「山水画」なのですが、、どの絵も風格があります。すごく充実した展示でした。。さすがに「特別展」で入場料金と別料金なだけあるなあと。。図録欲しかったですが、持ち合わせが少なくて断念しました。電車賃除くと二千円もなかったので。今月は駄菓子など無駄遣い多かったので、小遣いピンチです。また購入に行きたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月10日 今日はVHSビデオのデジタル化に使っているソフトが立ち上がらなくて困っていたのを、同僚の鳥居先生が直してくだついました。すごいなあと。。。パソコンの「原理」がわかっていらっしゃるからすぐに対処できるのですが、、感謝でした。。鳥居先生や三木先生、中島先生、松山先生といった情報の工学系の先生方に支えていただいて、研究できることに本当に感謝致しております。。少しは僕も身につけたいですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月9日 今日は三コマ講義のある一番ハードな日です。なんとか行いましたが、VHSビデオのデジタル化に使っているソフトのモンスタービデオの調子が突然悪くなって、「デバイスが見つかりません」のサインが出て立ち上がらなくなってしまいました.。パソコンの基礎がないので本当に困ります。科学研究費が不採択だつたので、他の研究費を頑張って獲得しなければなりません。学園研究費の書類、がんばってかかなければと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月8日 今日は講義開始の日です。はりきってと思っていた矢先に科学研究費不採択の連絡がありました。基盤研究(B)を僕程度の実績で研究代表者で出して一年目でいただけると考えるほうがうぬぼれていたのだと思いますが、共同研究者や連携研究者の方々にさんざん書類書いていただいて、事務の方にも非常にお世話になったので責任感じています。研究費の使途に問題があったのか、計画に無理があるのか、僕の業績がたりないのか。。秋まで考え直して、再チャレンジしたいと思います。今年度は学術研究振興基金と放送文化基金採択していただいています。本当に感謝です。これを有効に使って、成果を出して、明日に繋ぎたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月7日 明日から講義です。今日は準備を主体にしました。オーディオインターフェイスをパソコンが認識しなくなってしまいました。故障したのかどうか。。ドライバを再インストールしたのですが、うまく行きません。。基礎がないのは辛いことです。夜は肝臓検査してきました。結果は十日後です。血圧が150と高く、、節制しないとなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月6日 明日は教授会、そして明後日から講義です。今日は講義の準備を主体にしました。午後には五月二十六日の西三河高等学校国語教育研究会のプリントも作ったのですが、、学内のどこかに置き忘れてしまいました。とてもショックです。物忘れが激しくて、、ぼけが始まっているかもと恐ろしくなります。僕は昔多少記憶力に自信があったのですが。。帰宅して、母が作ってくれた父の誕生日祝いの赤飯を頂き感謝でした。忘れないようにと思っても仕方ないので、メモを残すことと、無くしてもあわてないように重要なものはスペアを作るよう心がけたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月5日 今日は新入生ガイダンスのため、朝から出勤致しました。ブレゼミや日本語科目のコーディネータをしておりますので、その説明をして、合宿を見送って帰ってまいりました。五月二十六日に岩瀬文庫で行われる西三河高等学校国語教育研究会の講師のお仕事をいただいているものですから、教室の下見に岩瀬文庫に伺いました。友恵は長田先生のこども能楽教室で津にでかけていたのですが、ひろとは家にいました。桜もきれいで、ひろとを連れてドライブしたいというのもあったのですが。岩瀬文庫、建て替えられてからは始めてでした。本当にきれいになっていて。。教室もきれいでプロジェクターなども揃っていて設備的によかったです。企画展、植物の図譜が中心だったのですが、とても正確で。。ひろくんが、「昔の人の方がデジカメに頼らなかったから正確に描いている上手な人が多いのよねえ。。」と感心してみていました。ちょうど塩村耕先生が調査していらっしゃるというので、調査室にちょっとお邪魔致しました。塩村先生はちょうど京都の古絵図の調査をされていたところで、この黄色の部分が大火によって移転したところ。。と教えてくださいました。ひろとも横にいたのですが。。ひろとにもわかるように教えていただいて感謝でした。岩瀬文庫の方に西尾城を教えていただき、満開の桜の公園の旧近衛邸で抹茶を頂きました。一服四百円ですが、お茶もお菓子もとても美味しいです。ひろとは抹茶が大好きなので、大満足とのことでした。帰りにうどんと漬物を買って今日誕生日の父のお土産にしました。父に届け、帰宅しました。父はうどんが好物で喜んでもらえたようでよかったです。とても佳い休日でした。 来週はイースターです。とても早いです。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


 

2009年4月4日 朝は曇りでしたが昼前から雨になってしまいました。桜もこの週末で終わりかなあと。。残念です。八日の講義開始まで、できれば頑張って咲いていて欲しいですが。。今朝は散髪に行き、そのあと徳川慶喜邸日誌の松本金太郎関係の記事の整理をしました。膨大なので、とても全部は出来ませんので、まず年月日を確定する所からはじめています。午後は近くに住む大学同級生の江崎寛君と喫茶店でお茶して、それから実家に行って両親とお茶してきました。父は明日誕生日です。双方の両親の健康が守られていて感謝です。このあとお世話になっている方々に拙稿の発送のための手紙を書き、ひろとと散歩がてらコンビニにメール便で発送に行きました。明日は新入生ガイダンスのため出勤します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月3日 田中新一先生の御通夜に伺ってきました。岐阜も桜が満開で、西行と同じく「花の下にて春」亡くなったのだなあと思いました。祭壇の温和な遺影を拝見し、お子さんたち、お孫さんたちと写った写真を拝見して、慰められました。田中先生は愛知教育大学を定年されて椙山に七年間いらっしゃいました。その後金城学院大学教授として何年か勤められていました。供花にはカルチャーセンター教え子一同というものもあり、教え子さんも参列されていましたから金城を退かれたあと、本当に最晩年まで、教育に熱心に取り組まれていたのだなあと思いました。棺の上には旧制八高の帽子と法被が置かれ、サッカーが大好きだった先生が偲ばれました。お元気な先生だっただけに癌の進行が早かったのが残念です。心より御冥福をお祈り致します。僕も田中先生のように、元気な限り「研究と教育」に情熱を持てると佳いなあと思います。本当に「師表」というタイプの温和な先生でした。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月2日 愛知教育大学名誉教授で椙山女学園大学文学部元教授の田中新一先生の訃報が入りました。共同通信の記事は「田中 新一氏(たなか・しんいち=愛知教育大名誉教授、平安文学)1日午後7時15分、肝内胆管がんのため岐阜市長良若葉町1の10の自宅で死去、80歳。岐阜市出身。葬儀・告別式は4日正午から岐阜市月ノ会町1の7、セレモニーホール野々村で。」というものでしたが。。スポーツが好きで、お元気な先生でした。。温厚な先生で岐阜の永平先生を偲ぶ会でお目にかかったのが最後かなあと思いますが。。心より御冥福をお祈り致します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年4月1日 新年度が始まりました。今日は東京から観世流の西村高夫先生にいらしていただいてスタジオで「熊野」のロンギから終曲までと「西王母」の全曲を録音して頂きました。西村先生の謡は、いつも思うのですが、「正確」だなあと。。「地謡」がお好きだからだと思うのですが。。近日配信させて頂きたいと思います。インターネットでの謡曲配信も始めて五年近くになりますが、「新しい愛好者にアピールするためには、新しい教材が必要だ」と思うからです。実際海外の方からメールいただいたりすると。。その思い強くなります。「稽古の垣根を低くする」ためには「模範演奏」「模範演技」のネット配信と、ワークショップ付きの催しが一番効果的だと思います。僕がすごいなあと思うのは観世喜正先生のワークショップですが。。とっても上手です。僕も「解説者」として、さらに勉強しなければと思います。今年度の目標は、「完全な勉強だけの時間を毎日最低二時間確保する。」ことです。ここ数年、それが出来ていません。講義準備もですが、会議や雑用にかなりかかってしまうのです。僕は手間が悪いので、普通の人よりもずっとかかってしまうのですよね。。だから、時間の配分をよく考えて、無駄な時間極力省いて、一日一分も勉強できなきかったと言う日がないように、(昨年度はいっぱいありました。)頑張りたいと思います。明日は西村先生のファイルの編集と、作品研究の原稿執筆に励みたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月31日 今年度の「大晦日」です。教授に昇格させていただいて最初の一年がなんとか過ぎようとしています。『近代能楽史の研究ー東海地域を中心にー』をなんとか上梓することが出来ましたが。。出来なかった仕事もいっぱいありました。もう少し基礎的作業にとる時間欲しいです。明日からの新年度、教育と研究に頑張りたいと思います。自分が受けた大学の講義、伊藤博先生とか、犬井善壽先生とか、芳賀登先生とか、「教養」の一年生向けの講義の「名手」、よく覚えています。高校でたばかりの学生に「学問」の面白さを語って納得させる熱のある講義がありました。当時の犬井先生よりいまは十歳年上、芳賀先生にほぼ並びつつあります。先生方の実力には足元にも及びませんが、「茗渓」の後輩として、筑波で学んだ学統を継いで行く責任も感じています。年度の締めくくりとして、家内が年越し蕎麦作ってくれました。美味しかったです。ひろとに海老天は半分以上とられましたが。。それも嬉しかったです。よく食べるようになったなあと。。ではまた、今年度はありがとうございました。新年度もよろしくお願い致します。新年度がよい年度でありますよう。お元気でお過ごしください。


2009年3月30日 今年度もあと一日です。慌しいです。書類の整理と来年度の書類と。。講義の準備と。。頑張ります。明日は今年度だけ借りていた研究室の掃除をして鍵を返却しなければなりません。レコードのデジタル化本当に進んだので、よい思い出がたくさんありますが。。機会があればまた借りたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月29日 今日は朝熱田教会教会学校中高科の説教担当「コリントニ 一章18-22」、昼が東京の築地「たむら」で小西甚一先生「日本文学原論」の刊行会の懇親会、夕方が西川古都先生の若竹会ととてもハードなスケジュールでしたが、とても充実していました。またおいおい書かせて頂きたいと思います。とにかく三つ通して、自分が先生に学んだことは次世代に渡してゆかなければ意味がないと革めて責任を感じさせられた一日だったと思います。僕はよい先生にいっぱい教えていただいたのだから、今度は自分に責任があると言うか。。教えていただいた先生方には足元にも及びませんが。。明日から頑張りたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月28日 今日はこれは家内が親戚の法事で外出したため、昼ごはんはひろとがサラダを、友恵がゆで卵を作ってくれました。とても上手に出来ました。パパは冷凍のピラフを温めただけですが、ひろともともえもなかなかたくましくなっているなあと思いました。明日は西村同門会、子供達は子供能楽教室発表で参加させていただきます。私は所用で伺えず残念です。夕方は西川古都先生の若竹会、これはぜひ伺いたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月27日 今日は朝から研究室の撤収作業をしました。ほぼ終わりました。月曜日にゴミを捨てて掃除をしてと思います。一部自宅に持ち帰りますが、文化情報棟の研究室に持ち帰ったら、最初どうやっていれてあったのだろうと。。奥のパソコンまで物が多くてたどり着くのが大変で、まるでバリケードが築いてあるみたいです。一年間佳い研究環境で感謝でした。たくさんのレコードデジタル化できました。こちらの研究室では、スペース無いのでレコード並べての祖業は出来ませんが、細々整理したいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月26日 進まないよーーと言いながら、今日は夕方から名古屋キャッスルで行われた「利き酒会」と「中部四県の日本酒を」楽しむ会」に食品栄養学科にいらっしゃった中野典子先生に誘っていただいて伺いました。東海地域って、実は酒どころなのですよね。。僕は若い頃一人で暗く飲んでいて肝臓悪くして余り飲んではいけないのですが、実は味はとても好きなのです。今日は地元の「神杉」とか四日市の「宮の雪」さんも机だしていらっしゃったので、いただきましたが、どれもとても美味しかったです。帰り、ちょっと飲みすぎてしまいましたが、、酔い覚ましにと思って名古屋駅まで歩きました。三十分ちょっとで歩けました。この会は毎年能の関係の方も何人かいらしていて、今年も津島の天王能の関係の方にお目にかかってご挨拶しました。とても楽しかったです。愛知のお酒もとてもいいなあと思いました。特に「神杉」のファンになりました。。家から一キロ離れていませんし。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月25日 今日も研究室の撤収作業と片付けと書類作成で終わりました。勉強なかなか進みません。困りました。明日は利き酒会に伺います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月24日 今年度の締めくくりのための書類と、来年度すぐに必要なもののための書類と。。書類作成に追われています。勉強時間がーーーっ。。正直あせっています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。


2009年3月23日 今日は今年度末で出なければならない研究室の引越しの荷造りと、新書の原稿書きをしました。どちらもなかなか進みません。スランプとか言ったらおかしいですが。明日は研究室に引き揚げてきたパソコンのセッティングをします。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月22日 今日は午前熱田教会の教会学校に参加し、それから県立図書館にでかけて、明治四十三年の名古屋開府三百年記念の年に行われた関西府県共進会について新愛知新聞の記事を調べました。一旦帰宅して、夕方から東岡崎駅で、伊東宏先生を囲んで鈴木章生君と、井田小学校の杉田吉男先生と四人で食事会を行いました。附属高校言語研究部の伊東先生を囲む会を今年の8月29日土曜日1時から東岡崎駅のそばの料理屋さんで行うことにしました。楽しみです。ではまた、みなさまお身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月21日 自宅で過ごすのんびりした休日です。名古屋邦楽協会の特集記事と、先日戸定記念館でコピーさせて頂いた徳川慶喜邸日誌の松本金太郎関係記事の整理をしていました。三時に大学時代の級友と近くのコメダコーヒーで会いました。子供も行きたいというので、こちらは一家で伺いました。ひろともともえもアイスクリーム食べられて満足そうでした。彼も娘さんが二人いて、高校の先生をされているので、子供扱いは上手ですが、悪かったなあと思います。明日は伊東宏先生を囲んでの食事会です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月20日 春分の日でお休みですが、出勤しました。右近先生のインタビューの草稿と、能楽堂の四月の展示のリード文の草稿を添付で送りました。名古屋文化情報の特集の邦楽協会の原稿は明日がんばりたいと思います。家族は午後東山公園を見学していて、夕方から合流し、知立のラーメン屋さんで夕食をとって知立のスーパー銭湯によっていま帰りました。銭湯はいいなあと思います。明日は自宅で勉強します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月19日 今日は西川右近先生のインタビュー記事をまとめる予定だったのですが。。今年度だけ借りている研究室の撤収作業や、他の書類作成で進みませんでした。明日も祝日ですが、出勤したいと思います。少しでも前に進まないと。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月18日 今日は名古屋文化情報の六月・七月号の「この人」の取材で西川流家元西川右近先生のインタビューに西川会の稽古場に伺いました。舞台では何回も拝見しておりますが、とても緊張しました。稽古を始めた子どもの頃、新作の舞踊劇の話、海外での公園やワークショップのお話し、名古屋をどりの話、日本舞踊と運動とを組み合わせたNOSSの創作と活動など、とても興味深いお話でした。これをどのようにまとめたら市民の方に日本舞踊の魅力が伝わるか、、がんばりたいと思います。お話していて、「伝統とか老舗だからという理由だけで、将来性のないものを子どもに継がせるのは親のエゴだと思う。」と言われたことと「舞踏家は作品はたくさん作ることが出来るのです。ただ、それは商品としては残らない。NOSSのDVDなどは「商品」として次世代に残すことが出来る。」と言われたことでした。誤解を招きかねない言い方なのではと思いましたが、芸術家も「生活」が成り立たなくては出来ないので、きちんとそれを考えた上で次世代に繋ごうとされているのは立派だなあと思いました。西川流のホームページには右近先生のブログもありますが、舞踏をはなれてもとても面白いです。リンク集に西川流のホームページも入れさせて頂きました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月17日 今日は午前午後ともに会議で、あまり勉強できませんでした。昨日西村先生に録音していただいた「百万」「東北」の一部を配信させて頂きました。とっても味があっていいなあと思います。「お稽古場 観世流」の頁にあります。ぜひ聴いていただきたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月16日 今日は午後西村高夫先生にスタジオで東北と百万の録音を御願いしました。近々アップロードしたいと思います。夕方は卒業パーティでした。ゼミ生の子もたくさんいらしていて感謝でした。みんな椙山に佳い思い出をもって卒業してこれから頑張ってくれればと思います。最後にゼミ生から花束もらって感激して、ちょっと泣きそうになりました。五十近くなると、感激しやすくなります。全員の御多幸を祈ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月15日 今日は椙山の卒業式でした。みんな袴姿で、華やかでした。卒業生さん全員のご活躍と御多幸を祈ります。ゼミ生さんたちを探したのですが、半分くらいお目にかかれない方もいました。元気で頑張っていただければと思います。明日は卒業パーティです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月14日 今日は運がない日でした。朝は電車の中に傘を忘れ、大学に行ったら故障したハードディスクデータは助かりませんとの連絡が来ていました。探していないもののデータのバックアップは他のハードディスクにあると思いますが、ショックでした。ハードディスクが落しもしないのに壊れるなんて。。うーーん。。しかたないので、明日新しいものを買って、もう一度ファイル探してバックアップを作ろうウと思います。。。母から、中学時代の僕の作文が出てきたと、いって新聞の書き抜きをもらいました。「中日ファミリー」昭和50年元日の10面で「僕の、私の団地」という作文コンクールに知立団地に住んでいたので団地について書いたものです。なかなかよく書けているなあと。。非常に懐かしかったです。明日は卒業式、私のゼミの十五人も卒業です。学生さんたちの活躍と御多幸を心よりお祈り致します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月13日 今日は椙山高校二年生説明会の模擬授業を担当しました。メディアリテラシーの講義の模擬授業でしたので、能のビデオクリップをアイムービーを使って編集し、文字を入れ、クイックタイムに書き出すことを実習で行い、あとは実際の私の作品や学生の作品を観ていただくという形で行ったのですが。。教材用に動画クリップ四個用意しましたが、四十分の時間であることを考えると、ソフトに読み込み時間考えたら一つでよかったなあと。。マックを使ったことのある生徒はほとんどいないのですから、ワンクリックマウスそのものが初めてでとまどっている生徒さんもいました。当初予定よりも生徒さんが多かったため、一部プリントが不足したり、ボランティアできてくれた学生さんたちが本当に優秀で、しかもやさしかったのでありがたかったです。感謝でした。よい生徒さんたちが文化情報学部に入学してくださるととても嬉しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月12日 今日は能楽堂のワンコインコンサート、初めての能楽囃子でした。夜で地味ということもあって、入場者数は多くなかったですが、梅田邦久先生と加藤洋輝先生の太鼓一調「小塩」など、大変佳かったです。梅田邦久先生はプログラムには名前なかったのてすか、加われたことで番組にずっと厚みと奥行きが出ました。こういう能の囃子を五百円で聴けるのは破格だと思います、できれば毎月こういう催しやって欲しいです。コンサートらしく「アンコール」などもあって、、能の催しでアンコール観たの初めてですが、舞囃子の「早笛ハタラキ」三分程度でしたが楽しかったです。ひろとは二曲目の一調で寝てしまいましたが、友恵は最後まで聞いていました。明日は椙山高校二年生説明会、模擬授業担当です。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月11日 今日は朝、突然NAS型のハードテディスクが故障し、研究資料を読み出すことが出来なく成りました。松山先生に診て頂き、修理センターに持ち込むしか方法が無いということで、午後修理センターに行きました。なんとかデータが助かるとよいなあと思っています。というか、だめだと本当に困ります。バックアップは一応はありますが、完全かはわからないので。。春休みもあと三週間。。頑張って勉強しないとと思います。明日は名古屋能楽堂のワンコインコンサートで能楽囃子です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月10日 今日は今年度いっぱいで退職される深井耀子先生の送別会でした。本当に世話になり感謝でした。御健康とご活躍をお祈り致します。なごやかで佳い会でした。次の日曜日は卒業式、本当に今年度がおわってゆくなあと思います。勉強しなければ。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月9日 今日は日本私立学校共済事業団の学術研究振興資金の採択通知を頂きました。総額七十万円、本当に感謝です。能・狂言・三曲のプログラムのデータベース化や、SPレコード音源のデジタル化などに使用します。頑張ってよい成果をあげたいです。今日は交付申請書の作成と、東海能楽研究会の年報の原稿完成と送付を行いました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月8日 今日は両親と一家で熱田教会の礼拝に参加しました。7人乗りのエブリィプラスが現在修理中で、両親まで乗れないので、行き帰りは別々でしたが。。帰ってから昼寝しました。のんびり出来てよかったです。その後、イヤホンガイドの原稿執筆や翻刻をしました。のんびりした休日でよかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月7日 今日は定例能でした。宇高通成の「隅田川」、観客席はほぼ満席でした。昔ならば習っている人が少ない流儀はなかなか売れなかったですが、観客が「珍しい劇」として能を認知するようになって、稽古していない人や、他流の人でも名人ならば観る時代になったのだなあと感じました。名古屋ではめったに見られない金剛流ですが、宇高通成って声も型もしっかりしていてとても上手だなあと思いました。隅田川の母親って打ちひしがれたイメージですが、今日の母親は「京都風の」上品で、こんなことがなければきっと明るいお母さんだったんだろうなと言うような雰囲気のお母さんでした。笛の藤田六郎兵衛先生のアシライが素晴らしかったです。「哀切」というか。。音はむしろ鋭いし他の笛の人よりも大きいのに、「哀しい」音色なのですよね。。とくに終曲部はよかったです。橋場夕佳さんのイヤホンガイドもとっても分かりやすかったです。来週は十二日に能楽堂でワンコインコンサートがありますが、はじめての能楽囃子です。子供達もつれてゆきたいと思っています。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2009年3月6日 明日は今年度最後の定例能です。宇高通成の隅田川です。とても楽しみです。来週にはワンコインコンサートもあり、今年は能楽囃子なので、これも楽しみです。年報、まだ見直し終わりません。集中力には欠けています。困ったものです、ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月5日 今年spレコードのデジタル化のために借りていた部屋を今月いっぱいで返却しんければなりません。いまの研究室に全て撤収するためには。研究室を整理いなければならないのですが、足の踏み場もない状態なので、不要なものを少しずつ処分しています。昨年の引越しのときもそうでしたが、どうしても読んでしまうものですから、遅くなってしまうのですよね。。東海能楽研究会の年報の原稿など、頑張って今週中に上げたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月4日 亡くなった教会員の方、椙山女学園大学出身だったとのこと、他の学部でしたので、直接教えたことはなく、またはなしたこともなかったのですが、教会ではとても明るい暖かい雰囲気の方でした。まだ二十代、本当に痛ましいです。ひろとは小さい頃教会学校でよく遊んでもらっていたそうです。。。心より御冥福を祈ります。若い会員は名前と顔が結びつかないので。。あの人かと気が付くまで時間かかってしまいました。皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月3日 熱田教会の若い会員の方の訃報がはいりました。一昨日の礼拝に出ていらっしゃったので、全くの突然ですが。。こういうことがあるのだなと。。身体が弱いとはうかがっていましたがとても残念です。心より御冥福をお祈り致します。遺されたお母様はじめご遺族の方々の平安と慰めを祈ります。今日は椙山国文学の校正、先ほど終えて家内に投函を依頼しました。少しほっとしていますが、まだ締め切りが来ている原稿が他にもありますので頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年3月2日 今朝は胃カメラのみました。鼻から入れるタイプですが、以前口から入れるタイプの時は吐き気がして大変でしたが、今日は苦しくなくてよかったです。。胃カメラも進歩したなあと思いました。。ポリープ有りましたが良性ということで安心しました。五十近くになれば誰でも少しはあるそうです。経過観察で一年に一回くらいは胃の検査が必要との事でした。気をつけます。加野昭二郎先生の許可をいただいて、「能楽の友」の平成十六年から二十年のバックナンバーをPDFファイルで配信致しました。この五年間の名古屋能楽がよくわかります。加野先生に心より感謝致します。明日は自宅で勉強します。ではまた。お元気で。。


2009年3月1日 今日は家内と子供達は筧先生のこども能楽教室のひな祭り会。。筧先生とご家族・お手伝いのの方々に本当に感謝です。僕は熱田教会の礼拝に参加し、名古屋文化情報の「特集 戦後の名古屋邦楽界」で、邦楽協会名古屋支部の歴史を辿るため、昭和二十三年・二十四年の成立のころの演奏会のプログラムを求めて鶴舞図書館に行き、中日新聞や名古屋タイムズの昭和二十三年・四年の記事を探したのですが、見つかりませんでした。昭電疑獄や帝銀事件、極東軍事裁判の記事の一方、映画の宣伝もありましたから、邦楽協会の大会は、「興行」としては小規模と考えられたのかも知れません。当時の雑誌など、どのようなものがあるのか、もっと調べなければと思いました。家族とイオン太閤で合流して帰りました。明日は胃カメラです。身体大切にしなければと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月28日 今日で二月も終わり、早いです。目白大学の鈴木章生君が三月中に一回岡崎に来るので、僕たちの高校時代の恩師で民俗学者の伊東宏先生《元岡崎学園女子短大教授》を囲んで食事会をしたいと思い、伊東先生に御願いし、同窓生に声をかけています。僕も能楽史を研究していますが、高校の私前後の同窓生で、歴史や文学関係の研究者や高校教員が非常に多いのですが、伊東先生の影響を受けた人は多いのです。受験指導のプロは他にも優秀な先生がたくさんいらっしゃいましたが、伊東先生は「学問の面白さ」「実施調査の楽しさ」を教える達人だと思います。食事会楽しみです。明日から名古屋能楽堂展示室は黒蕨壮・孝子二人展です。木彫の壮氏と能面の孝子氏では、同じ木彫でも全然手法が違いますが、木を使ってものすごくきれいで面白い造型を作る点では共通なのかなあと。。今日展示替中に拝見したのですが、とても面白いと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月27日 昨日の夜行バスで東京に行き、今朝はネットカフェで仮眠して、松戸の戸定記念館で慶喜邸日誌に出る宝生九郎関係の記事を調査しました。夕方放送文化基金の贈呈式に出席し、東京駅で目白大学の鈴木章生君(高校の同級生ですが、ともに風俗史学会の役員で専門も近いので)研究打ち合わせと称してビールを飲みました。大変たのしかったです。こだまで、十時半過ぎに帰宅しました。明日は土曜日ですが、西村高夫先生に謡曲の録音を御願いしますので出勤します。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月26日 今日は自宅で原稿執筆をしました。月末締め切りの原稿、なんとか上げてメールで送り、安心しました。明日は、松戸の戸定記念館での慶喜邸日誌の追加調査と、夕方の放送文化基金の贈呈式で東京に出張します。頑張って研究したいと思います。多くの方々に援助いただき本当に感謝です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月25日 今日学部の同僚の森本伊知郎先生より御高著『近世陶磁器の考古学 出土異物からみた生産と消費』を頂きました。森本先生の慶応大学に出された博士論文で、雄山閣からの出版です。森本先生は祖父が漢学者お父上が物理学者という学舎家系で、僕と同年、僕も父は物理学者なので、僕から見ると、やっぱり学者の子だよなあと感じるときはあります。しかし、僕よりずっと緻密だなあと。。表が多いのですが、表一枚の裏にある調査に敬服します。近世陶磁器の文字資料を使って「陶工」に「作家」という意識があったかなどを考察した部分は、特に面白かったです。が゜んばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月24日 今日は四方さんより提供頂いた民謡音源のうち、隣接著作権の消滅した昭和三十三年までに録音されたものについて配信用のmp3ファイルを作成しました。著作権のある「新曲」は作曲者の死後五十年まで著作権がありますが、古くから伝承されている民謡や古典芸能は著作権は消滅していますので。古典芸能の研究者は其の点はよいなあと思いますが。。ただ、「編曲」されていたりするとそれには「著作権」があります。筝曲でも宮城道雄の編曲作品は来年まで「著作権」が残っています。きちんと確認してまた配信したいと思います。研究費を使用した音源は、自分で聞いているのみでは意味ありませんので。今日は、本の校正をずっと家内が手伝っていてくれたので、ケーキを買ってきてみんなで食べました。ちょっとした贅沢ですが、おいしかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月23日 今日は朝から間が悪く、なんかちぐはぐなことが多い一日でした。疲れていらいらしていたのかも知れません。思い切って名古屋高速に七百五十円払って早く帰って、一家でスーパー銭湯に行きました。すっきりしました。大人六百五十円なのでちょっとしたぜいたくです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009,年2月22日 今日は東海能楽研究会でした。佐藤友彦先生に架蔵の間狂言本の紹介を御願いしたのですが、江戸中期を遡る和泉流の間狂言本がこんなにあるなんて。。と。。眼福でした。詳しい調査が待たれます。。夕方は研究会と同じ米野コミュニティセンターの一階和室で懇親会を行いました。持ち込みで、ピザを取って、ほとんど学生コンパのようでしたが、とても楽しかったです。幹事・世話役を勤めて下さった女性会員の皆様に本当に感謝でした。の今年は設立十五年になります。若い人が育ってきていてこれからが期待です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月21日 今日は土曜日ですが、出勤しました。二月末までに投稿する翻刻の見直しと、祖父江省念先生の節段説教テープの配信のためです。祖父江省念さんの節段説教は、浄土真宗の法話として行われたものですが、芸能「話芸」としてとても高い芸質を持っていると思います。中世の「説話」や「法談」の場を彷彿とさせるものがあります。配信を許可頂いた有隣寺住職で省念先生の孫娘の祖父江佳乃先生に心より感謝致します。帰りには、家内や子供達とともに筑波大学の同窓会に出ました。子連れで伺えるのがとてもありがたいです。友達の子供達も来ていて、やっぱりパパそっくりだなあと。。帰りに車がノッキングして、よく止まったりして怖かったです。明日修理に出そうと思います。明日は東海能楽研究会です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月20日 今日『近代能楽史の研究ー東海地域を中心にー』が手元に届きました。七年ぶりの新著です。前の二冊と異なり、資料編がついておりませんので、総ページも三二五頁と薄いのですが、形になって、やっぱりとても嬉しいです。家内が愛知県産の大きなステーキ肉を買ってきてくれて、いつもより豪華に夕食をしました。コーンスープもサラダもつきました。アイスクリームも買ってくれたけれど、おなかいっぱいなので、それは明日にしました。多くの方に支えられて、研究が継続でき本当に感謝です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月19日 今日大河書房より『近代能楽史の研究ー東海地域を中心にー』が発行されたと連絡がありました。明日には届く予定です。とても楽しみです。多くの方の援助をいただけて、三冊目の単著を持つことが出来、本当に幸せだと思います。安田徳子先生より御高著『地方芝居・地芝居研究』(おうふう)を頂きました。名古屋近辺の歌舞伎興行について、大系づけられたもので、地道な資料収集の蓄積の上に立たれた画期的な本だと思います。次に僕が目指すべきは、この安田先生の御高著と同じく東海地域対象・研究手法で「能楽」に関してまとめることだろうと思います。頑張りたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月18日 今日は一日ワキ方伝書の翻刻や、祖父江省念師の録音の配信用ファイルを作って過ごしました。明日『近代能楽史の研究ー東海地域を中心にー』が発行されます。週末には届くとのことですが。楽しみです。多くの方にお世話になり、三冊目の単著を出すことが出来て本当に感謝です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月17日 今日は祖父江省念先生の節段説教のファイルのmp3変換や、椙山高校二年生説明会の準備をしました。なかなか進みませんが。。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月16日 二月がもう半分以上過ぎてしまい、二月末締め切りの原稿がそろそろ不安になってきました。早いです。今年度SPレコードのデジタル化の作業のために、お借りしていた部屋を三月いっぱいで返さなければならないものですから、研究室に機材を撤収しなければなりません。いまのままでは入りきらないので、研究室の不用品を処分しています。いつの間にかいるものといらないものがごちゃごちゃになっているので、なかなか大変です。少しずつ進めようと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月15日 昨日・今日と暖かい日が続いております。今日は家内と子供達は津の長田先生のこども能楽教室に伺い、私は自宅で原稿を書いております。もう二月も半ば。。春休みも半分済んでしまったような気分ですが。。原稿はこの季節にがんばってかかないとと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月14日 巷ではバレンタインデーなのでしょうが、自宅でのんびりと過ごす良い休日です。新典社の「古代中世文学論集」に投稿するための資料を翻刻・入力しています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月13日 今日は講義も会議もない日。。こういうときこそ頑張って研究しなければならないのですが、いまいち気合はいらず進みませんでした。反省です。明日は自宅で勉強したいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月12日 今日は午後から名古屋市文化振興事業団の「名古屋文化情報」の編集委員会がありましたので伺いました。私は「この人」と「特集」の担当で、締め切りが四月と五月ですので、春休み中に頑張って書きたいと思います。三月号の荒俣宏先生のインタビューがもうすぐ出ますので楽しみです。会議の後、職員の方々と打ち上げに行きました。カクテルのでるバーなんて学生時代以来でとても珍しい感じがしました。楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月11日 今日は、友恵がまだ風邪気味なのでパパとお留守番で、家内とひろとが一色漁港に釣りにでかけました。友恵と、くまのプーさんや三匹の子豚のビデオを見ながらお留守番しているのですが、ディズニーのビデオっていいなあと思います。仕事はすすみませんが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月10日 今日は会議の後、親しい先生方と大学の近くの居酒屋で食事会をしました。楽しかったです。明日はひろとを釣りに連れてゆかねばならないのですが、、肝心のひろとが風邪気味だそうで、行けるかなあ。。よくなればよいですが、、ではまた、皆様お元気で。。


1009年2月9日 今日は一日論文執筆と資料整理をしていました。夕方、家内から友恵が風邪で吐いたというメールがあり、帰りました。。まだ吐き気がおさまらなくて、ちょっと心配です。熱はないのですが。。早く治るといいなあと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月8日 今日は熱田教会の礼拝に参加し、午後は昼寝していました。。今日は二十七で夭折した友人の誕生日です。生きていれば、四十七で。。早生まれでしたから同級生でした。僕にパソコンを教えてくれた人なのですが。。昨日の追悼会もですが、、「まさか」と思う人がいなくなって行くというか。。生きている人間は、とにかく健康と事故とに気をつけて、と思いますが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月7日 浦和での同級生の追悼会に出て、いま帰宅しました。また詳しく書きたいですが、今日は遅いので寝ます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月5日 今日は同級生の一周忌です。去年の今日、午前中仲間とお茶飲んでいたときにメールで訃報を知りました。三日にくも膜下出血で倒れたとは聞いていましたが、まさか亡くなるとはと思いませんでしたので。。驚きました。。あれからもう一年。。七日に一周忌の追悼会がありますので、私も伺います。今日は祖父江省念先生のテープのデジタル化が終了しましたので、北区の有隣寺にCDを納め、またテープの返却に伺いました。お約束の時間に二十分遅れ、反省でした。拝借したカセットテープ、とても勉強になりました。整理して、表を作成したいと思います。「歎異抄」や「教行信証」の語句の解説や注釈は国文学の論文執筆の際にも行いますが、「念仏者」の生き方と「教義」の関係や、「教義」を「説く」際に、関連する信仰者の話をするという「説教の場」の雰囲気というのは、省念先生のテープを聴いて具体的にわかったような気がします。平成のテープですが、中世の「法談」の場が再現されているような。。関山先生に1月18日に狂言の会でお目にかかったのですが、「説経を聞いて泣くという理由がわかったように思います」と申し上げましたら、いまの法話は「講義」だからねえとおっしゃっていましたが。。同時に関山先生が、「これは宗教のものだから単純に芸能の側面からだけでは考えられない」とおっしゃった理由もわかるように思います。ただ、国文学・芸能史の研究者という私の立場から言えば、やはり講談・落語などの「話芸」の源流として注目したいです。将来「名古屋芸能史」を執筆する際には「節段説経」という項目を立てて祖父江省念先生を取り上げたいです。生前お目にかかりたかったなあと本当に思いますが。。平成三年から椙山にいたので、チャンスはあったはずなのですが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月4日 今日は椙山高校の模擬授業の教材を考えていました。。高校の学習内容が僕が高校教師をしていたころと全く違うものですから、もう少し問い合わせて勉強してから作らないといけないなあと思いました。どの講義も同じですが。。ちょっと疲れ気味です。早く寝たいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月3日 今日は入試一日目でした。晴れてよかったです。みんな実力出し切ってくれれば。。卒業制作すべてmobileMeの「椙山女学園大学文化情報学部飯塚研究室」のページから公開しました。全部で二十以上のファイルがありましたので、大半はアーカイブの頁になりますが。。各グループ四本ずつ名古屋の文化的な名所の解説をしています。名古屋の観光をしようというとき、結構参考になるのではと思います。ビデオは、クイックタイムのMP4形式ですので、クイックタイムをダウンロードしてご覧ください。回線が早ければよいのですが、30M程度のファイルなのでダウンロードに時間が掛かります。アイチューンで登録して頂き、ダウンロードしてみていただけますと幸いです。アイポッドでみることが出来ます。学生たち、がんばって作っていますので。。よろしくお願いします。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年2月2日 今日もメディアリテラシーの採点をしていました。まかまかよく出来ている作品が多くて嬉しかったです。明日すら入試です。みんな風邪ひかないでベスト出して欲しいです。ではまた、皆様お元気で、、


2009年2月1日 今日は朝起きたら、ひろととともえがふとんの上で「飛び安座」の稽古をしていました。昨日、「石橋」で白獅子の古橋先生がなさったのを見て「かっこいい」と思ったそうですが。。実際のやり方とはきっと違いますが、友恵のはそれらしく見えました。ひろとは「飛び正座」などというのもやっていましたが。。それはなかなか決まっていました。うるさいので止めなさいといいましたが、なんか嬉しかったです。家内と子供達は津の長田先生の子供能楽教室に行き、私は午前中熱田教会の礼拝に参加しました。先週月曜日に教会員の方が亡くなられたのですが、御家族の希望で仏式で行われたこと、通夜の時に、別室に棺を移して御遺族と牧師と教会員とでお祈りの場が設けられたことの報告と追悼の祈りがありました。家族と本人との「葬儀」との関わりについて考えさせられました。午後は大学時代の同級生と喫茶店で互いの娘の話をしました。お互い教職にいるけれど、自分の娘って教えるの難しいねえと言いながら。。互いに娘がいてよかったと思っているのですが。。喫茶店から帰ってきて、論文書こうと思ったのですが、なんか強烈に淋しくなって、家族を名古屋駅まで迎えに車ででました。結局イオン太閤で待ち合わせて拾って帰ったのですが。。電車で帰ってきたほうが時間的には早く食事できたよなあと。。これから原稿書きます。明日は採点と論文執筆です。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月31日 今日は名古屋城本丸御殿復元祝賀能でした。二部制で一部が一時から、二部が五時からで両方とも「杜若」と「石橋」でした。一部の解説が米田真理さんでイヤホンガイドが中尾薫さん。二部の解説が私で、イヤホンガイドが三苫佳子さんでした。解説、させていただきましたきが、十分でもものすごく緊張しました。いつも学生に話しているはずですが、、伸びたら迷惑かけますし、十分と決まっていますから・・原稿書いて、控え室で一回声を出して読んで練習したのですが、本番ではあせって、原稿きちんと読めなくて、かなり原稿と違ってしまいました。家内とひろととともえもパパの解説を聞きにきてくれたのですが。。パパあがってたねーーと言われてしまいました。でも原稿あってよかったです。なければ大恥だったろうなと。。実際とはちがいましたが、用意した原稿上げさせていただきます。

杜若〈かきつばた〉・石橋〈しゃっきょう〉解説案                                      飯塚恵理人
解説を担当させていただきます、椙山女学園大学の飯塚と申します。本日は、名古屋城本丸御殿復元祝賀能に来場いただきまして、本当にありがとうございます。名古屋城の本丸御殿は、建築・美術の面で江戸時代の名古屋の技術の粋を尽くしたもので、復元して後世に伝えることは、古い技術に学び、それを次世代に伝える上でも大きな意味を持つものです。名古屋は物づくりの技術の高さと「芸どころ」として有名で、稽古事の盛んな土地柄であります。初めて能をごらんになる方、いらっしゃいますでしょうか。〈ありがとうございます。〉能は、謡曲という物語を、所作と、囃子という音楽を伴って表現する音楽劇です。主人公はシテと呼びますが、シテが能面という仮面を用いる、仮面劇でもあります。能を維持する上では、能面・能装束、笛・小鼓などの楽器を作り、修理される技術が伝承されることもきわめて大切です。本日の能「杜若」のシテが使用する能面は、名古屋市文化振興事業団<名古屋能楽堂>、能楽協会名古屋支部の共催で行われました「名古屋城本丸御殿復元祝賀能」能面募集において最優秀賞に選ばれた新作能面です。作者は大阪府堺市在住の関東英康(かんとう・ひでやす)さんです。作品名は「小面(月)」です。会場にいらっしゃいますので、ご紹介させていただきたいと思います。関東さん、本当におめでとうございました。素晴らしい作品と思います。
 それでは、本公演の曲の解説をさせていただきたいと思います。杜若は、三河の国八橋、いまの知立市八橋ですが、そこを訪れた僧の前に里の女が現れ、ここは昔在原業平が東下りの途中に杜若のは花をみて都に残した妻を思い「唐衣着つつなれにし妻しあれば、はるばる着ぬる旅をしぞ思ふ。」〈着馴れた唐衣が身体になじむように馴れしたしんだ妻が都にいるので、はるばると遠くまで来た旅をつらく思うことだ〉という意味の和歌です。里の女は旅の僧を庵に案内し、泊めるのですが、夜更け、里の女は、輝くような美しい着物をまとい、僧の前に現れます。そしてその衣は歌に詠まれた高子の后の御衣であり、自分は杜若の精であるといって業平の昔を懐かしむ舞を舞い、法華経の草木成仏の本文によつて成仏するのだと述べて姿を消します。この作品は、伊勢物語を背景にしていますが、鎌倉時代から室町時代にかけて、業平が歌舞の菩薩・陰陽の神、すなわち縁結びの神として信仰されていたことを背景としています。人が神として信仰されるというのは菅原道真が有名ですが、神仏は縁のある衆生を救うことになっています。ですから、業平の妻や和歌を詠み交わした女性は全て成仏したと信じられていたのですが、「和歌知顕抄」という鎌倉時代の研究書には業平の妻は3733人いたとかかれています。当時の「伊勢物語」研究は、「昔男」とある男は業平だが、この「女性」はだれだったのだろうと、女性のモデル探しが中心だったのですが、業平の憧れの人で、源氏物語の源氏にとつての藤壺にあたる女性が二条后と呼ばれた藤原の高子(たかいこ)と考えられていました。この伊勢物語九段で、「男」が慕う都に残した妻も高子だと信じられていたのですが、清和天皇の奥さんですから、「慣れ親しんだ妻」などと考えてよいのかと思われますが、清和天皇の子どもの陽成天皇が廃位させられたのは、実は業平の子だったからだという説が注釈書に見られるのです。業平が神仏なので、高子も成仏したと考えられていますが、注釈書にはどのように成仏したかは書かれません。謡曲作者は、業平と契った女性達はみな一度八橋の杜若に生まれ変わった。輪廻転生という考え方があり、仏教では生き物は生死を繰り返すと考えられていますから、人間が杜若に生まれても考え方として不自然ではありません。杜若は異名を「かおよ花」といい、「花のように美しい」女性に例えられる花なので、美人の転生した花と考えられたのですね。そして草木国土悉皆成仏という法華経の本文により、みな成仏して行くという筋をつくったわけです。本日のチラシの写真は杜若のシテですが、このシテが着ている紫色の長絹が「唐衣」という約束です。二条の后高子が転生した杜若の精が、人間であった「昔」に愛した業平を思い出して懐旧の舞を舞い、やがて僧の弔いにより成仏してゆく。業平は神仏の生まれ変わりでありますから、杜若の精が成仏することにより、業平と高子の后は来世でも仏としてともに極楽に生まれ、二世の縁が完結することになります。
「石橋」は寂照という身分の高い僧が、清涼山に来て、谷川にかかった石橋を渡ろうとするところからはじまります。この石橋は、この世である清涼山と文殊菩薩の住む浄土を結ぶ橋なのです。寂照が渡ろうとしますと、童子が現れ、さらに修行しなければとても渡れないと告げます。そしてその代わりに、文殊の浄土に住む獅子が現れて舞楽を見せるといい、姿を消します。今日は半能ですので、ここまでは省略され、獅子が現れて寂照がその舞楽を観るところを上演します。文殊菩薩は獅子に乗って移動するのですが、獅子の姿を見ることが出来れば文殊の浄土の存在を確信できます。信じきることが出来れば、死後は文殊の浄土に迎えられる。浄土や獅子を見ると言う事は極楽への往生を願う僧侶にとってそのような意味があります。仏典によると獅子には「獅子身中の虫」という寄生虫がおり、それが動くと暴れだすことになっています。ただ、牡丹の露をあびるとその寄生虫が大人しくなる。ですから獅子の側には必ず牡丹が描かれます。本曲は半能ですので、童子は登場せず、寂照の前に獅子が登場するところからですが、前奏の部分で獅子の勢いを大鼓の掛け声で、牡丹の露がたまる音を小鼓と太鼓が表現しますが、そのようなところも聞いていただけますと幸いです。
本公演は無料のイヤホンガイドがあります。東海能楽研究会の三苫佳子さんが担当なさいます。わかりやすい解説ですので、初心者の方はぜひ聴いていただければと思います。また今日の能面をはじめ、用秀作が展示室の「杜若」展示で二月末まで展示されます。では最後まで、ゆっくりとお楽しみください。ご清聴ありがとうございました。

今日は一部・二部ともほぼ満席でよかったなあと思います。解説終わって安心して見られたせいかとも思いますが、二部のほうが全体的に佳かったような気がしました。今日初めて能を観たという方、会場にかなりいらっしゃいました。これからは稽古をする人でなく、「劇」として鑑賞する人が観客の主体になると思います。「解説者」「イヤホンガイド」の養成も次世代のための大切な仕事と思います。自らの技量を高め、次世代の養成に貢献できるようがんばりたいです。今日は家族も教え子も観にきてくれてとても楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月30日 採点に一応のめどがつき、卒業制作を「椙山女学園大学文化情報学部飯塚研究室ポッドキャスト」のページにアップロードしたのですが、iwebに「Domainファイルの同期に問題があります」というエラーコードが出て、最後に上げた分が表示されません。全員の卒業制作をアップしたいので、つらいです。Domainファイルを他のパソコンで使うためコピーして、ディスクトップにおいてしまったことに原因があるようなのですが、本来あるべきアプリケーションサポートにiwebのフォルダがありません。不思議です。どうしようか考えています。大学のパソコンはみんなiwebが出来る前の形式で、iwebが使えるのは僕の研究室の一台だけなので。。もう少し工夫します。明日は本丸御殿復元祝賀能の五時の部の解説です。頑張ります。たくさん観に来てくださるといいいなあと思います。定例能より安い前売二千五百円なので、、大勢いらしていただきたいですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月29日 今日も一日、宝生流声の百番集のソノシートかけながら採点していました。高橋進って素敵だなあと思いました。この時代の宝生流って上品だなあと。。僕が小学校時代のソノシートなのですが。。明日で採点は終わると思います。そうしたら自分の仕事もしたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月28日 今日も採点していました。。ようやく先が見えてきたかなあと。。明日も頑張らねばなりませんが。。今日はダークダックスのレコードかけていました。。昭和が懐かしいです。。鶴舞図書館で保田紹雲先生の社中の能面展示をしていましたので、拝見に伺いました。保田先生の「黒髭」は東京の宝生宗家継承披露能の春日竜神の竜神揃の竜神に使われ、怪士は名古屋の宝生宗家継承披露能の衣斐正宜先生の船弁慶の後ジテに用いられました。近くで拝見するとどちらも佳いなあと思いましたが、名古屋の人の面が宗家継承能のような大きな催しで用いられることはめったにありません。保田先生が最初と思いますが、佳かったなあと思います。使われるということは、役者にレベルが認められたということですから。名古屋の能面制作が隆盛に向かうとよいなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月27日 今日も研究室で一日「宝生流声の百番集」のソノシートかけながら採点していました。採点、思ったよりもすすみません。。やはりよく読まないと。。明日も採点です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月26日 今日は研究レコードを聞きながら採点していました。卒業生の両親からいただいたロマンツアーという七十年代くらいの名曲アルバムのような一面十分くらいのものですが。。指揮山本直純とか書いてあって、小学生時代を懐かしく偲びました。あのころ「みんなの歌」や「名曲アルバム」よく観ていたよなあと。。音楽の成績はよくなかったけれど、当時レコードとか好きだったのが今の仕事に繋がっているのかなあと思います。三時以降はソノシートの宝生流声の百番集の「蝉丸」のソノシートを聞きました。普通の針圧だと針飛びして聞けないので、2.2グラムまで上げて。。針に悪いよなあと思いながら。。でも、近藤乾三とかやっぱり素敵だなあと。。ソノシートと、諷本がセットになっていて、これで稽古するようになっているのですが、私がいただいたものは、残念ながら揃いではないのですが、殆ど聴いていないので痛んでいません。ですから、音は非常にクリアでした。まだ四十曲分くらいありますので、明日からの楽しみにしたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月25日 今日は宝生宗家継承披露能ですが。。観たかったですけれど、自宅のローン重くて、今月はちょっとお小遣いが苦しいので我慢して大学で採点しておりました。もう少し進むと思いましたが、意外とすすまなくて、、明日も朝から頑張らないとと思います。公平に採点しなければならないので、最後まで読んで、また最初から読まないと。。どうしても甘い辛いにむらが出てしまいますから。。複数回読まないとまずいです。。。子供たちは津の長田先生の子供能楽教室でしたので、帰り名古屋駅で待ちあわせて夕食のおかずを買って帰ってきました。食べて安心しました。ふーっ。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2008年1月24日 今日は休日ですが出勤しました。原稿の執筆と東海能楽研究会の案内発送の準備のためですが、注意力散漫であまり出来ませんでした。疲れているのかも知れません。論文・報告など少しでも先に進めればと思っています。夕方は家族で名東小劇場に「どんぐり山のやまんばあさん」という人形劇を観に行きました。人形劇なんて、と思っていましたが、「演劇」として非常に質が高くて、しかも面白くても子供に受けるというのは、大人向け以上にすごい質の高さが要求されるのだなと思いました。人形劇のあやつる人は、黒子も声優も人形のあやつりも全部一人で何役もこなしていました。人形劇の役者は本当に鍛えられた「役者」なんだとあらためて思いました。もっとも名古屋市の文化振興事業団の主宰でしたから、出演の十二人はきっと名古屋でも一流の人なのだと思います。またみたいなあと思いました。今日はものすごく寒くて、外は雪が舞っていました。明日は暖かくなるといいなあと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月23日 今日は卒業制作のビデオのネット公開の準備をしました。「恵理人の小屋」から「椙山女学園大学文化情報学部ポッドキャスト」のページを開いていただけると本研究室の卒業制作や私が作成したビデオが新しい順番にでてきます。少し前のものは下のアーカイブを押していただけますと出て来ます。このページを登録していただけると、アイチューンのポッドキャストと連携し、アイチューンにダウンロードしていただけます。iPodで聞いていただける訳で、民謡・長唄など、椙山で御願いした先生方の模範演奏を聴いていただけます。ご協力いただいた先生方に感謝致します。学生の制作物も多いのですが、素人ですが、自分たちなりに時間を捻出して工夫して作っておりますので、ぜひ見ていただけますと幸いです。来週には最後のグループのものもアップロードしたいと思います。ファイルが重いので、ダウンロードに3分から5分くらいかかる場合もあります。あと、クイックタイム形式ですので、クイックタイムをダウンロードしていただいていないと見ることが出来ません。その点不便ですが、どうぞよろしく御願い致します。

2009年1月22日 今日はメディアリテラシー最後の授業でした。みんななんとか、アップルワークスやフォトショップの基礎は身についたかなあと。。全然わからなくて途方に暮れているという感じの学生さんはいなかったので、その点は安心しました。ただ、なかにはパソコン技能で会社に入りたいと言う学生さんもいますので、これからの精進に期待したいです。四時間目は能・狂言の試験でした。欠席者がいたことが気になっていますが。。「欠席」で出すしかないので、追試願を期間内に出していただきたいです。あと、鳳の会を見る予定がインフルエンザで観ることができず、期日までにレポートが出せない学生がいて、これにも対応しなければと思います。ふーっ。。風邪には気をつけて欲しいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月21日 今日の卒業研究指導は雅楽はなのみち会主宰の森本美恵先生に雅楽の舞の基礎を教えていただきました。ゆっくりに見えますが、ヨガのような動きだなあと。。学生さんたちはかなりの運動になったようです。学生さんたちが四十になって、人生に本当の意味で趣味が必要になったときに、こういう稽古体験が、稽古のハードルを低くしてくれるといいなあと思っています。忙しいところ丁寧に教えて下さった森本先生に感謝いたします。今日は、なんと家に財布を忘れて、しかもあさごはんと弁当をコンビニで買うつもりだったので、、予備費の千円で、朝昼すまさねばなりませんでした。最近コンビニで、百円ラーメンとか百円餃子とかの冷凍を売っているのですが、その冷凍ラーメンと餃子とえびグラタンとチャーハンを買って、朝昼はこれと野菜ジュースですましました。身体に悪いので、夕食はおもいきり野菜をたくさん食べましたが。。感想として、同僚の先生に頂いた電子レンジが研究室にあるのですが。。節約しようと思ったら、食べに行かずに冷凍チャーハン温めてということも可能だなと。。僕らが学生のころ、チャーハンは余った冷や飯をおいしく食べるために、卵と野菜で作る安上がりな昼飯でしたが。百円のチャーハンが意外と美味しくて、妙に感心しました。。明日は今年度最後の「講義」日です。頑張ります。では、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月20日 昨日神戸出張でした。楽しかったし収穫もふったのですが、いま雑用たくさんあります。おいおい書きたいです。ではまた、皆様お元気で。。


2009年1月18日 今日は鳳の会五十回記念公演でした。大学で撮影ざせて頂きましたので、カメラマンの鈴木幸夫さんと一緒に伺いました。博打十王、とても面白かったです。鳳の会が始まったころを覚えておりますので、年三回の公演でもう五十回になるのかと、十七年はあっという間だなあと思います。催しの後の打ち上げにお招き頂きました。ごちそうになり感謝でした。家族は鳳の会を鑑賞して、その後近くのショッピングセンターに行き、帰り待ち合わせて知立のスーパー銭湯によって帰宅しました。とてもよい休日でした。明日は神戸女子大学に出張いたします。たのしみです。いま雨なので晴れるとよいのですが。。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月17日 今日は月曜日の神戸出張の準備をしました。大山範子氏と辻山さんと、SPレコードのデジタル化を神戸女子大学で行うため、普段使用している機材を持参するのですが、パソコンは研究室のものはディスクトップなので、ノートパソコンにソフトをインストールしたり、デバイスを入れたりと色々しておりましたら手間が悪いのでかなり時間をとってしまいました。明日は狂言の鳳の会に伺います。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月16日 今日は人間論の三回目で担当クラスの最後でした。毎年ながら早いなあと思います。明日はセンター試験。。暖かいといいなあと思います。受験生の人には、みんなが力を出し切れればよいと思います。試験とは関係ありませんが、勉強のため登校いたします。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。。


2009年1月15日 今日は能・狂言の講義で西村高夫先生がいらしてくださいました。唐織など、装束を一組もつてきてくださって、着付けの体験と、羽衣のクセを教えていただいたのですが、とてもわかりやすくて感謝でした。考えてみれば筑波で初めて教えていただいたのが、大学三年生のころでしたから、すでに二十七年前なのですよね。。西村先生の講義はとても明晰です。早稲田大学観世会出身で、学生能から玄人になられた方なので。。学校の先生なさってもきっと一流だと思いますが。。スタジオで嵐山も録音してくださいましたので、また配信させていただきたいと思います。とても楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。。


2009年1月14日 今日の卒業研究指導は新内京派家元新内勝知与先生にいらしていただいて、新内について教えて頂きました。明烏夢淡雪ー雪責を学生十五人のために弾き語りで演奏して頂いたのですが、とっても粋で、哀切でよかったです。「本物」を観て学生さんも魅力がわかったのではと思います。先生の演奏は許可をいただけましたら、またホームページより公開させていただきます。明日は国際コミュニケーションの能。狂言で西村高夫先生に羽衣を教えていただきます。能装束の着付けの実演もあります。とても楽しみです。ではまた、、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月13日 今日は一日打ち合わせと会議でした。明日は新内勝知与先生の講義があります。楽しみです。ではまた、皆様、お元気で。


2009年1月12日 昨日家族は篠島のピクニック、とてもたのしかってみたいで、わかめとか、しらす干しとか、太刀魚の干物とか、お土産たくさん買って帰ってきました。感謝でした。太刀魚の干物とか、作りたてはとても美味しいのですね。。昨晩は干物とわかめの味噌汁としらす干しという昭和の食卓という感じでしたが、とても美味しかったので、こういう食生活っていいなあと思いました。昨日はなんとか三曲・筝曲デーダペースの凡例の案を作ったのですが、昭和のプログラムからすでに、三曲・筝曲でシンセサイザーとの合奏があったり、プログラムの中に、日本舞踊があったり、長唄や平曲など他ジャンルが入っていたりするのですね。。能・狂言でも他ジャンルとの交流はありますが、「能舞台」を用いて演じるという「前提」がありますから、ジャンルを越えるとしてもそこまで多くのジャンルのものを「一つの催し」で行うことは少ないです。三曲・筝曲のような「座敷」の芸がホールに進出したものの場合、舞台の「枠」がかなり自由なので、一つの催しでかなり自由なジャンルでの催しが、実際に可能なのだなあと。。入力は業者の人に依頼しにければなりませんから、指示が分かりやすくなければなりません。手元の番組は同じ三味線でも、筝曲・三曲なら「三絃」、新内なら「三味線」と「上調子」、小唄ならば「糸」と書いてありますが、入力するときには「三絃」で統一しようかとか、舞踊で立方が入る場合はどうしようかなど、かなり迷います。あるところで基準をおいて、統一せざるを得ないと思います。でも、試行錯誤でもなんとか先に進まないと。。今日は自宅で「近代能楽史の研究」の索引の校正や、三曲データベースの入力フォームについて考えてすごします。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月11日 今日家族は父の知り合いの企画した篠島日帰りピクニックにでかけています。子供たちに海を見せてくれるということで、父は僕の子供のころも海や山や美術館などよくいろいろな所に連れていってくれましたか゜、いま僕はそれが出来ないので、父がしてくれて本当に感謝です。僕は今日は自宅で二月に出る本の校正と、索引の凡例作り、それから三曲データベース作成のための仕事を少しでもしたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月10日 今日は公募制推薦入試でしたので、出勤しました。音源のデジタル化を少し行いました。三曲データベースの基礎もヤらなければならないのですが、なかなか出来ないです。来週から講義がはじまりますので、その準備もしなければと思います。二月に出る本の索引の凡例もかかなければなりません。来週は水曜日の二時間目の卒業研究指導で、新内の京派家元新内勝知与先生に三味線と唄を教えていただきます。明烏の弾き語りも御願いします。十五人の学生のために、スタジオで演奏していただくのですが、愛知県芸術選奨受賞の先生に、座敷のような近さで演奏していただけるというのは、とても贅沢でありがたいことだなあと思います。木曜日の能・狂言では西村高夫先生に羽衣を教えていただきます。東京から三十名前後の受講生のためにいらして頂くのですが。。うちの学生たちは、五十年後の名古屋の古典芸能を支えてくれると確信してやっていますが、多くの先生方の好意に支えていただけて本当に感謝です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2008年1月9日 論文の初校PDFで韓国の翰林大学日本学研究所にメールで送りました。PDFって便利だなあとあらためて思いました。椙山国文学に投稿するための民謡の一覧表の整理、少しずつ行っています。三曲データベースはなかなか進みません。明日は入試ですので出勤します。暖かくなるとよいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2008年1月8日 今日は観世喜正先生と非常勤の渡辺康先生にいらしていただき、喜正先生の独吟のCDの録音をしました。「高砂」「杜若」の二曲です。今日CD用のあらすじ解説を執筆し、お送りしました。韓国翰林大学日本学研究所の紀要の初校もPDFでお送りしなければならないのですが、まだチェック出来ていません。明日には、送らねばなりませんが。。椙山国文学の論文、年越してしまいました。。やるべきことはたくさんあります。一つずつこなしたいと思いますが。。九時半過ぎてしまいましたので、もう寝ます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2008年1月7日 今日から会議も始まり、本格的な今年のはじめになりました。勉強しなければーーと思います。明日はスタジオで観世喜正先生の録音を行います。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月6日 今日は仕事始めでした。一年の最初なので、しゃきしゃきと三曲データベースの準備が出来るかと思いましたが。。昨年持ち越しの書類の残務処理で終わりました。明日は少し進められればと思いますが。。ふーっ。ではまた、皆様お元気で。。


2009年1月5日 今日は昨日が日曜日でしたので、世間では仕事始めです。大学は一日遅く、明日から仕事始めなので、今日は家で資料整理をしようと思います。年男ですが、この年になってわかることと言うのもあるなあと思います。中年になっても、意外と「思い通り」に出来ることはない。。というか。。先生方を見ていたときは、そんな風に思わなかったのですが、「論文」書いても、自分で満足できないこと結構ありますし、はっきり言えば「忘れない」ために書いている部分すらあるというか。。(恐ろしいことに、論文にまとめておかないと、自分のした作業でもアイディアでもどんどん忘れて行くのです。。ほんの数年前の自分の論文読んで、そうそう、この記事はここにあるのだったと思い出したりして。。四十過ぎに始めた仕事でとくに多いです。)でもきっと、学生からみれば五十前後の教授の先生ってなんでも知っていて覚えていて当たり前で、事務仕事でもミスがなくて、と自分が学生時代思っていましたから、そのようにしないとと思います。年末には学生に配布すべき資料忘れていて、卒業研究生に随分迷惑かけましたが。。今年はそれがないようにしないと。。今日は三曲の番組の整理をします。年代と、場所で分けて綴じ紐で閉じてゆくような単純な作業ですが、こういう作業をしている間に年代による催しの性格の違いなどの発見があると思います。科学研究費・私立学校共済事業団学術研究振興基金の援助を受けて行っている研究の一部なので、きちんとウェブ・データベースにして、みんなに使ってもらえるものにしたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月4日  今日は今年最初の日曜日です。子供たちは津の松菱で行われた芸能発表会に、長田先生の子供能楽教室のメンバーとして参加し、比呂人は「高砂」、友恵は「養老」の仕舞を舞いました。長田先生から差し入れのケーキをいただいたそうで本当に感謝です。二人とも楽しくしっかり舞えたようで、感謝です。家内に引率してもらい、僕は熱田教会の礼拝に参加しました。その後、明日までに印刷屋さんに必着の「近代能楽史の研究ー東海地域を中心ー」の索引原稿のチェックのため、鶴舞図書館にでかけたら、、休館日で、どうしようと思いましたが、蓬左文庫に行ったら、開いていて、伊藤次郎左衛門家、岡谷家など、能楽のパトロンとなった家の代々の家督の時期を知りたかったのですが、、「伊藤祐民伝」など、資料があって感謝でした。木綿問屋として著名だった「吹原九郎三郎家」の代々がわからなかったのが、残念でしたが。。家内と子供たちと名古屋駅の近くで待ち合わせ、帰りに名古屋駅の郵便局で索引原稿をエクスパックで出し、帰宅しました。明日は正月休み最後の日です。自宅で三曲の番組のチェックをします。東海三曲データベースも作成しなければなりませんし。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月3日 新年三日目、、昨日の夕食は実家でまきと叔父さんを囲んで少しお酒も飲んでにぎやかに行いました。正月らしくて楽しかったです。今日は定例能、「翁」「嵐山」楽しみです。一家全員で観に行く予定です。。昨日夜更かしして、もうすぐ九時ですが子供たち起きてきません。。ぼくも八時半まで寝ていました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。゜


2009年1月2日 新年二日目、みな様いかが御過ごしでしょうか。。今日は名古屋能楽堂で「謡初」があります。入場無料で、とても魅力的なのですが、論文の進捗が遅れているので、家で正月もなく書かねばなりませんので残念です。明日の定例能はぜひ伺いたいと思っています。家族はまきとおじちゃんと、実家の父と家電店の初売りに出かけております。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2009年1月1日 新年明けましておめでとうございます。まず我が家の今年の年賀状の引用から。。

新年明けましておめでとうございます
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。恵理人は四月に教授に昇格させて頂きました。オープンリール・SPレコード音源のデジタル化を通じて、昭和の能楽や古典芸能の変化を考察する研究も、多くの方のご協力で進めることが出来ました。今年は二月に三冊目の単著『近代能楽史の研究―東海地域を中心に―』を上梓致します。能楽データベースの充実、東海三曲データベースの構築なども頑張ってやりたいと考えております。比呂人は身体も大きくなり、ラーメンも大盛りを食べるようになりました。釣りキチひろへいになっています。昨年小学校に入学した友恵は、可愛い服やアクセサリーが大好きな女の子になりました。佳恵は恵理人の補助や、PTAの読み聞かせボランティアなど、地域活動を頑張っております。秋に佳恵の母が体調を崩しましたが、おかげさまで快復致しました。感謝しております。本年もどうぞよろしくお願い致します。今年が皆様にとりまして佳い年でありますよう。
                                           飯塚恵理人 佳恵 比呂人 友恵
今年は四回目の年男になりました。昨晩ひろとに「良いお年を」といったら、「パパもいいお年になったのよねえ」と言われてしまいました。意味わかって言っているので、大きくなったなあと思うものの。。。確かに「いいお年」になったなあと。。大学の講習でセクハラやアカハラの講習のありましたが、僕も十分注意しなければならない地位や年齢にあるのだと思います。平成生まれの大学生となって、「生まれたときからコンビニがある」学生ばかりになりました。小さいころ、お腹がすいても「ご飯が炊けるまでは食べられない」経験をした世代とは当然考え方が違います。いまの学生を教えるためには、「今」にあった教材を作って行かなければならない。。今年の課題は、昨年までの研究をさらに進展させることと、「今の」若い世代「今の留学生」にあった教材の開発になると思います。健康にはいままで以上気をつけないとと思います。早く帰る。夜更かししない。ごはんは三食決まった時間に。医者には定期的に行く。空気は読めない。読む気も起こさない。まいぺえすをまもる。。やはり九十までは生きないと、自分の子が三十八と四十の時の子であることを考えると、孫を連れて能楽堂に行く夢はなかなかかないそうもないですから。尾張藩の能の通史を作るのは、やはり僕の仕事だろうと思いますが、資料の量を考えるとライフワークになるだろうと思います。謡曲の現行曲の全注釈も作りたいですが、あと三回目の年男になるくらいで。。それまで元気でやりたいです。双方の両親含め、一家健康が守られ感謝です。ではまた、今年がよき年でありますよう。