中年日記

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2010年12月31日 今日は大晦日です。2002年から続けてきたこの中年日記も今日で終わり、明日から「五十坂」として再出発です。まとめたいことたくさんあります。やり残したこともたくさんありますが、来年の課題にしたいです。いつか、自分のやり残した仕事を後進に引き継いで貰わないとならないこともあるでしょう。それを視野に、今持っている資料を使いやすいように整えて行きたいです。デジタル化・ネットでの配信が引き続き今後10年の大きな仕事だと思っています。家族とも健康に恵まれ感謝でした。今後ともよろしくお願い致します。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年12月30日 今年も今日と明日の二日を残すのみとなりました。家内は掃除・買い出しと忙しく働いていてくれますが、僕は午前中は成田徹男先生に拝借していたレコードの返却、午後は安田文吉先生の科学研究費の石水博物館謡本調査のまとめと自分の仕事をさせてもらっています。ユーチューブで都はるみや美空ひばり聴くと「演歌の花道」や歌番組聴きながら謡本校合していた院生時代を思い出します。ついこのあいだのような気持とやはり25年以上経っているのだという気持ちと両方を持ちます。定年まであと20年、この歌が流行ってからいままでの時間よりも短いです。身体や周囲との関わりなど、慎重にかつ充実した研究・教育をしたいです。がんばって正確な使ってもらえる報告書作りたいです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年12月29日 年賀状を印刷しています。毎年ながら時間かかります。このペースだと市内以外は三日にしかつかないかなあと。。多くの方に支えていただき感謝でした。昨日は石水博物館調査、ひろとは長田先生子供能楽教室でともに津に行きました。行きに四日市の富洲原漁港そばの第二船員会館で五百円のアラ煮定食を食べました。ここは社員食堂みたいな感じで一般の人も利用できますがセルフです。新鮮な魚なのでアラ煮も美味しかったです。マグロのアラでしたが、本当に日本酒に合いそうな味でした。ごはんは普通盛でしたが船員さんの普通盛は一般の特盛です。女の子ならば二人で一食頼んで小鉢とったほうがよいと思います。昼間なのにごはんは二百円くらい足すとビールに替えられるのでビール飲んでいる船乗りさん多くて。。みんな親父かおじいさんでしたが、筋肉質でカッコ良かったです。ひろとは釣りが大好きなので、船乗りさんにもちょっと憧れると言っていました。唐揚げなどもありましたがお勧めは煮魚です。次は家内や友恵も連れて行きたいです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年12月27日 今日は久しぶりに家でのんびりしました。友恵は疲れが出たのか胃腸炎で、一日元気がなく可哀そうです。明日は津の長田先生の能楽子供教室年内最終ですが、ひろとのみ参加で僕が連れて行くことになりそうです。僕は石水博物館で撮影です。これも年内最後ですので、頑張りたいと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年12月25日 今日はクリスマスです。イエス様が誕生された素晴らしい日であるとともに、僕にとってはパソコンの手ほどきをしてくれた住正哉君の命日です。彼が27歳でなくなってからもう20年経ってしまったのだなと。彼が存命ならば素晴らしい高校教師もしくは理科教育の研究者だったと思いますが。。彼ならばどんな教材を作るだろうと考えながら、インターネットで情報発信したいです。彼はインターネット普及前に亡くなったので。。残念です。zeamiサーバーへのアクセスログです。しばらく前三木先生が作って下さいました。「恵理人の小屋」がなすべきことはなにかについての重要な手掛かりを教えて頂けるので感謝です。ダウンロード年間一位は圧倒的に岩田西園先生の「鶴の巣篭」です。質が高く、法的に問題がない、古典芸能の音源をアップロードしたいです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年12月23日 祝日でお休みです。来年度のシラバスを書いています。勉強しなければならないのですが、細かい事務仕事がまだ終わりません。困った。。皆様お元気で。。


2010年12月22日 今年最後の講義です。きちんとやりたいです。今年もあっという間でしたが。。多くの方に講義支えて頂き感謝でした。もっと魅力的な分かりやすい能楽教材を作りたいです。お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年12月19日 今日は子供達は子供会の映画観賞会で朝からお出かけ、家内は熱田教会のクリスマス祝会の準備で出かけ、私は子供達が帰ってきたら熱田教会に送るべく、今は自宅勉強中です。進みませんが。。困っています。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年12月18日 今日は能楽堂の「翁」展のリード文執筆、あと原稿執筆と年賀状印刷を始めようと思います。中年日記は今年で終わりにして、来年正月からは、「五十坂」と題名を改め、「残り時間」と「天命」を意識しつつ、元気ない日常をぐちぐちと綴りたいと思います。今年も本当にはやかったなあと。毎日が大切です。今年中に出来ることは今年やるように頑張りたいです。咳が抜けなくて困っています。よく休みます。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年12月16日 今年ものこすところ2週間余りとなりました。やりたかったことの半分も進まず、それでも多くの方のご協力でデジタル化したSPレコード音源やオープンリール音源をホームページに上げることができるなどの成果も上げることが出来ました。来年は50歳。天命を知る年齢になります。「天命を知る」ということは、「残り時間」を意識した仕事の仕方が求められるという意味でもあります。定年までのあと20年にどのような教育・研究が求められるのか。。自戒しつつ頑張りたいと思います。13日の第22回四日市能、大槻文蔵の葵上、素晴らしかったです。葵上の古式の演出を拝見するのは二回目ですが、前は梅猶会であったように思います。昔なので記憶があいまいです。最初後見の駒瀬直也先生が袖の方を向かって右にして小袖を置かれた時に、通常と逆なのでちょっとびっくりしました。古式では青女房が六条の御息所の向かって左側にいて、「わらはは後にて苦を見する」と足の方を打つので、そのために反対なのだなとわかりましたが。。後半、シテが鬼女となってからは緋の袴をつけての動きがとても上品で「貴婦人の懊悩」という主題がよく表現されました。脇の福王和幸、昔は優しい顔でしたが、精悍な感じでよかったです。鬼女との間合いが開きすぎず、息がぴったりで、「空之祈」のような型もありました。イヤホンガイド解説は武蔵野大学客員教授の三浦裕子先生でしたが、場面転換や状況を的確に伝えるものすごく充実した解説でした。謡いにかぶらないところが、謡曲を音楽的に知っていらっしゃるからこそ可能なことと敬服しました。囃子と実技に明るい三浦先生だからこそ可能な解説で、とても勉強になりました。三浦先生のイヤホンガイドは解説は狂言にもありました。「安堵の御教書」など一般の人にわかりにくい言葉を短文でぱっと解説したり、「主人と太郎冠者が舞台に入ると、ここが亭主の自慢の庭という場面になります。」など場面状況を言葉に出来るだけかぶらずにすっと解説したり。。場数を踏まれているということはもちろんですが、見事な解説でした。僕は名古屋能楽堂のイヤホンガイドは狂言もするべきだと考えています。狂言が能より簡単だと思えないのです。三浦先生の解説は一つの目指すべき方法を見せて頂いたように思いました。がんばって、平成20年代の観客のためにもっとも効果的な能楽の普及教材を作りたいです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年12月13日 昨日は帰り河芸漁港で釣りましたが釣れませんでした。帰りにうどん屋によって帰宅しました。釣れませんでしたが良い気分転換になりました。今日は夕方から四日市文化会館で大槻文蔵の「葵上」がありますので拝見に伺います。楽しみです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年12月12日  これから石水博物館に行きます。子供達は津の長田郷先生の子供能楽教室に伺います。帰りに合流して河芸漁港で釣りをしたいです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年12月11日 また日記がなかなか書けませんでした。今週は有隣寺の祖父江芳乃先生から祖父江省念先生の節段説経カセットテープ、まだ整理していませんがおそらく500本以上提供頂きました。全部のデジタル化には、おそらく来年いっぱいかかると思いますが、節段説経がどのようなものであったのかを残す根本資料になると思います。デジタル化出来たものから配信させて頂きたいと思います。アルバイトの方にお願いして辻山幸一コレクション・研究室レコードのデジタル化できた音源にリンク貼ってひと月ほどの間に、本当に多くのアクセスを頂きました。朝日放送の方から問い合わせ頂いて音源提供させていただいたり、神奈川のコレクターの方から問い合わせ頂いたり、作家の佐保圭さんから問い合わせ頂いたり。。コレクションを集めるには膨大なお金と手間が必要です。基本的には個人で楽しむためなのですが、これを辻山さんが公開して下さったおかげで、多くの方に行き渡りました。大きな予算を動かすことの出来る東京や関西の研究拠点ならば、多くの人を使って多くの資料を整理することが可能だと思います。しかしながら音源の公開などをする場合は、多くの方が動くだけに調整が難しいでしょう。地方で、限られた予算で行っておりますが、著作権・隣接著作権など留意すべき事項は多くありますが、多くの方の協力を頂きつつ、個人研究室の仕事として出来るのは、情報分野の先生が多く、他専攻の先生と仕事で御一緒することが多いだけに協力も得られやすい環境にいるからで、協力して頂ける方々や勤務先の椙山女学園大学に心より感謝致しております。
 今年度の観世寿夫記念法政大学能楽賞を岩崎雅彦先生が受賞されました。私より二つ年上ですが、能の演出史について丹念に調べていらっしゃいました。受賞理由となった『能楽演出の歴史的研究』(三弥井書店)は能の演出史に関するまとまった研究として後世に残る先駆的な仕事だと思います。自分の関心について研究テーマを一つに絞って徹底的に調べていらっしゃる点に敬服します。僕も尾張藩の能楽史について、調べてまとめなければならないのですが、、よく言えば関心が広く、悪く言えばいい加減なので、仕事が分散してなかなか纏まりません。今の時代、「忙しい」のは言い訳になりませんので、身体に気をつけて、一歩でも前に進みたいです。 今週はずっと風邪気味でした。早く治したいです。明日は津の石水博物館に調査に伺います。楽しみです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年12月7日 今日は長田驍先生と長田郷先生にお願いして、留学生の能・装束体験を行いました。羽衣・西王母のシテの装束のうちどちらかを付けて頂きました。一人ずつ西王母のキリの仕舞を舞いました。三回の稽古でしたが、みなしっかり舞うことが出来感謝でした。本国に帰って、日本で能の装束をつけて仕舞を舞った体験を語って貰えればと思います。ノンフィクション作家の佐保圭さんより、鶴田錦史の琵琶のSPレコードを探しているとメール頂きました。以下佐保氏のメールを転載させて頂きます。

飯塚先生  先ほどは、お忙しいところ、電話にて失礼いたしました。 朝日放送の鈴木崇司氏からご紹介いただきましたノンフィクション作家の佐保圭です。 早速ですが、わたくしは、明治44年に生まれ、平成7年に83歳で亡くなった不世出の天才琵琶師「鶴田錦史」の伝記を執筆するべく、平成12年から10年余り、取材を続けてまいりました。 今年7月、その時点までの取材成果をまとめた『鶴田錦史伝──大正、昭和、平成を駆け抜けた男装の天才琵琶師の生涯』(筆名:佐宮圭)が、第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞し、来春の出版に向けて内容を充実させるため、現在、さらなる取材を進めております。 賞に関する詳しい内容は、以下のHPをご参照ください。 http://www.shogakukan.co.jp/news/prize/nonfic_result17  この取材において、いま最も難航しておりますのが「若かりし頃の鶴田錦史の琵琶の演奏と歌は、どれほどのものであったか」です。 それを知るためにはSPレコードに残された音源を聴くしか方法がないのですが、現段階では、その存在が1枚も確認できておりません。 そこで、この分野に造詣の深い飯塚先生にご協力のお願いを差し上げる次第です。 お忙しところ誠に恐縮ではございますが、先の電話にてご協力いただけるとのありがたいお言葉をいただきましたので、お言葉に甘えて、ご相談を差し上げます。  鶴田菊枝(本名)が「鶴田錦史」という号(のちに戸籍もこの名前に変えます)は、50歳近くで再デビューする際に用い始めたもので、若かりし頃は、 【昭和4年3月以前】 鶴田欷水【昭和4年4月以降】 鶴田櫻玉(桜玉)  これら2つの号を使っておりました。 よって、いずれかの号が演奏者にクレジットされていれば、どんな時代にどこの会社から出されたどんな曲のレコードでも、望みのものとなります。 なお、関連情報といたしましては、以下の2つがございます。  大正13年、レコード会社「ヒコーキ印」から『白虎隊』の3枚組SP盤レコードをリリース(恐らく「鶴田欷水」名義で)。 大正15年1月2日、「鶴田欷水」として、名古屋放送局(現NHK)の開局記念番組の琵琶の弾初式を任される。  難しいお願いをしておきながら、手がかりとなる情報がわずかしかございませんこと、どうかご容赦くださいませ。 また、初めてのお便りにもかかわらず、わたくしからの一方的なお願いばかりで、申し訳ございません。 誠に微力ではございますが「日本古来の貴重な文化である琵琶を後世にもきちんと伝えていきたい」というわたくしの思いにご賛同いただき、飯塚先生のお力添えをいただければ幸いです。  ご多忙とは存じますが、ご検討、ご協力のほど、何卒、よろしくお願いいたします。 佐保拝

ノンフィクション作家って研究者以上に対象を熱心に追いかけるのだなあと。。。手元の音盤目録や大学蔵の目録にもなく、中年日記に書いておくと連絡下さる方もいるものですから、掲載させて頂きます。琵琶の白虎隊は研究室にもありますので、大正から戦前まではポピュラーな演目だったのだと思いますが。。これから心当たりに連絡したいです。見つかるとよいなあと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年12月4日 師走です。非常に慌ただしいです。風邪気味です。明日は名古屋能楽堂定例能です。まず風邪直さないと。。風邪薬飲むと眠くなって困ります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月29日 「辻山幸一歌舞伎劇コレクション」を公開させて頂きましたら、十五代目市村羽左衛門に関する情報を掲示板で記録している、神奈川在住の中村さんより、リンクを貼ってくださったというメールを頂きました。[46]辻山幸一コレクション歌舞伎劇投稿者:えのしま投稿日:2010年11月28日(日)02時27分24秒の投稿です。市井の研究者の方だと思いますが、こういう交流から近代の芸能史が明らかになると良いなあと思います。また「東海能楽研究会10周年記念論集」と「催花賞受賞記念論集」はいずれも残部僅少で飯塚の手元になく、近年遠方や海外からの問い合わせも増えてきたものですから、林和利代表よりお願いして共生印刷さんにPDFをいただき、ネット上で公開させていただくことと致しました。まず飯塚研究室ホームページの東海能楽研究会のページにアップロードさせて頂きました。先年アップロードさせて頂きました「年報」と合わせ、よろしくお願いいたします。東海地域の能楽がますます盛んになりますよう。今後とも当会へのご支援よろしくお願いいたします。

東海能楽研究会のページ
http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/tokaiken-index.htm

10周年記念論集
http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/nenpou/10syuu.pdf

催花賞受賞記念論集
http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/nenpou/saika.pdf

ではまた皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年11月28日 ほぼ一週間日記更新出来ませんでした。やるべきことがたくさんあったこともありますが、なんか二度手間・三度手間が多くて。。「研究室レコード」現在デジタル化できたところまで配信しました。助成・協力してくださった方々、アルバイトの方々に感謝です。


2010年11月22日 昨日の豊田能、片山幽室の「定家」、寂しくて美しくて上品で佳かったです。序の舞の最中に不覚にもウトっとしてしまいましたが。どこが取り立てて佳かったとは思わないのですが、前ジテも後ジテも静かに立つ姿が目から離れないです。この曲は「忍ぶ」ことが出来なくなると困るから「玉の緒よ絶えなば絶えね」と詠んだ女性が、「玉の緒」が絶えた後もなお生前の恋に執着している、そして相手の定家もやはり恋に執着して成仏できず「定家葛」という植物に転生してなお式子内親王の墓に巻き付くという凄艶なテーマです。80歳で恋愛をテーマとして劇を演じて美しく、俗にならないというのはこの能の戯曲としての完成と、演者の技量と両方が素晴らしかったからだろうと思います。地頭の梅田邦久先生、笛の藤田六郎兵衛先生、大鼓の河村総一郎先生、いずれも名演でした。満席でしたが、当然だと思いました。帰りに、家内に迎えに来てもらい、子供たちと豊田で食事して「おいでんの湯」に入って帰りました。楽しかったです。学園研究費Aを頂いて、三木邦弘先生・福永智子先生・森本伊知郎先生と行っていた「椙山女学園大学デジタルライブラリ」が図書館よりリンク貼っていただけました。図書館に来館しない、来館出来ない人も「利用者」と考え、利用者支援の一つの形としてデジタルライブラリを企画しました。まだ第一歩ですが、協力していただいている皆様に感謝致します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月20日 今日は推薦入試の業務で出勤しました。良い生徒さんがたくさんいて期待したいです。帰りに家族で食事して帰りました。楽しかったです。明日は豊田能です。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月19日 昨日は名古屋能楽堂の中級講座でした。今年から名古屋能楽検定というものをやることとなり、その第一回の「能の歴史」の対策講座です。教科書は角川選書の石井倫子氏著『能・狂言の基礎知識』ですが、教科書としてよく出来ているなあと思いました。ページごとの要点をプリントにして配布し、90分で話しましたが最後かけ足になってしまいました。気分は予備校の冬季講習ですが、やっていて楽しかったです。短い時間で、「能の歴史」を話す訓練にもなったと思います。受講生さんにとってどうだったか、、感想が伺いたいですが。。今日は「人間論」オムニバスの一回目、講義科目としての必修はこれだけです。何を講義すべきか悩みます。。うーん。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月17日 昨日の午前中は民放懇話会で一時間ほど、昭和初期の民謡・端歌・謡曲・筝曲など古典芸能が放送によってどのように変化したのかと言う発表をさせて頂きました。皆さん民放のOBの方々なので、放送音源やspレコードを集めていることを申し上げましたらたくさん助言頂けました。感謝でした。昭和初期から30年代にかけての資料がすでに多く散逸し、わからなくなりつつあることを思います。いま頑張って収集・整理・デジタル化したいです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年11月15日 研究室ホームページの自分の写真を、学部のホームページの教員紹介用写真を今日撮影して頂いたので、それに変えました。二年前の京都研修の学生さんに撮影して頂いた写真もとても好きでしたが、二年たつとまた太りましたし、眉毛も髪も白くなって。。その代わり貫録もついたかなと。。昔の父の写真に似て来たなあと。。僕は父より背は高いし、父の方が身体はがっしりしていますが。。僕にとっては父飯塚重五郎の学問的業績を越える事が目標なので、写真の雰囲気でも似てきたのはうれしいです。来年は50歳なので、この中年日記にも(五十坂篇)と副題をつけようかなあと思っています。教材作成なかなか進みませんが頑張ります。皆様お元気で。。


2010年11月14日 昨日は家族で関市に行き、松田氏の御遺族がなさっている「極楽茶屋」というお店に伺いました。「迫間(はさま)不動の門前茶屋で味噌おでんとか五目御飯など素朴なお食事を善男善女にふるまうところです。極楽茶屋いう名のこの店を、夫の両親が始めて今年で54年目になりますが、メニューはほとんど変わっていません。」とのことでした。伺いたいと思いつつ、僕はいつも家族で移動しますので値段が気にかかります。事前に伺ったのですが「13日、どうぞお不動様にいらしてください。極楽茶屋はもちろん営業しています。おすすめは五目御飯(普通)300円、(小)200円 懐かしい味の中華そば400円 一本80円の味噌おでん(玉子、はんぺい、ちくわ、焼き豆腐、大根、こんにゃく)自家製甘酒(250円)はしょうががきいていて温まります。ぜひどうぞ!」と庶民的な値段でしたので、助かりました。中華そば400円は特に美味しかったです。僕が伺った時のお客さんの大半は近くの村の方で、農協の産直市などもありますから、このお不動さんが公民館的な場所としても機能しているのだなと思いました。食事いただいたあと迫間山に登り、そのあと岐阜県博物館を観て夕方お宅に伺いカセットテープ300本を拝借しました。全てデジタル化することは難しいので、まず目録を作成し、杵屋三太郎先生に選んで頂いて、それを行いたいと思います。家族で夕食ごちそうになってしまい恐縮でした。今日は石水博物館に謡本撮影に伺います。東海能楽研究会の日ですが、報告書書くのに調査日程がとれませんので。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月13日 今日は関市に松田直子氏が遺された長唄のカセットテープを拝見に伺います。家族連れです。関市には迫間(はさま)不動など、古い神社・寺が多いのでそれらも拝見したいと思います。楽しみです。明日は津の石水博物館の謡本撮影、、少しでも研究的な仕事をしたいです。協力してくれる皆様や家族に感謝です。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月12日 今日は西村高夫先生にお願いして生涯学習センターの社会人講座で自然居士の謡と鞨鼓の囃子の実演をお願いしました。近くで拝見して非常に迫力ありました。感謝でした。昨日西村先生にスタジオで謡って頂いた63番「海士」の後場と64番「杜若」全曲をアップロードしました。かっこいいなあと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月10日 教授会、なんとか終わりました。教務委員長なので報告がたくさんあります。準備は事務の方がきちんとして下さるので中身を理解していれば出来るはずなのですが。。なんとか終わりましたが事務仕事は僕は苦手です。。困ったものです。今日は名古屋文化情報の編集会議なので、大学に休み頂いて伺います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月9日 今日は明日の教授会のための資料準備と、講義準備が主な仕事になります。手間が悪いので事務仕事は苦手ですが粛々とやりたいです。お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月8日 今日の名古屋金春会楽しかったです。本田先生の頼政も穂高先生の海人も。。佐藤友彦先生の貰聟の舅がとっても味があって佳かったです。。昔、井上礼之助先生の舅がとても佳かったですが、それとまた違う味で佳かったです。 明日から講義頑張ります。お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年11月7日 今日は名古屋金春会です。椙山女学園大学連携講座の受講生30人も来て頂けるので、ともに拝見できればと思います。本田光洋先生の頼政と金春穂高先生の海士ともに楽しみです。お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年11月6日 清須越400年記念公演満席でした。揚輝荘の会という主催母体が、下斗米さんと言う経験のあるイベントプロデューサーに依頼して、チケットも3500円と言う低価格で、呈茶席なども作り、新作狂言と解説・解説パンフも付けると言う分かりやすい催しであったことが成功の要因であるように思いました。アートマネジメントというか、「方法」によっては狂言会も満席に出来るのだなと思えました。佐藤先生はいつもながら味があって佳かったです。明日は名古屋金春会、これも楽しみです皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年11月5日 今日は事務仕事と「安宅」の論文資料集めです。富樫が義経一行と知りつつ通過させたと言う説が、江戸中期以降「謡曲拾葉抄」「謡言粗誌」などいろいろな本に見られるのが面白いです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月4日 今日は講義三コマの日です。若いころはなんともなかったことが、疲れを感じるようすになりました。体調管理しっかりしなければと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年11月3日 論文も書きたいですが、18日に担当する名古屋能楽堂の能楽講座中級の準備もしなければなりません。講座のコーディネーターは朝日大学の米田真理先生で、教科書は角川選書の石井倫子氏著『能・狂言の基礎知識』です。わたしは教科書の「能・狂言の歴史」の6ページから50ページを90分で解説します。ただこの本は概説書としても研究の現在の最先端を踏まえて分かりやすく要点を記述していて良い本だなあと思います。石井氏は私よりずっと年下ですが、先輩や同期の背中を追うのではなく、先を行く年下の研究者に学ぶ年周りになったのでしょう。いまの30代後半から40前後には優秀な研究者多いです。勉強時間がもう少しあればと思いますが、それはあきらめなくてはなりませんので、出来る範囲、身体に無理がかからない範囲で頑張りたいと思います。ではまた皆様、お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年11月2日 表きよし先生より表章先生の遺作『能楽研究講義録』を頂きました。忌明け法要が行われたと言う挨拶文を拝見して、もうそんなに経ってしまったのかと思います。9月15日に学士院恩賜賞のお祝いの会が予定されており、私も伺う予定でしたが、その日の出席者に引き出物として頂けるはずの本でした。奥付も9月15日となっています。9月6日に急逝されたのですが。。この本は大阪大学での集中講義の講義録ですが、あらためて教えるのが好きな先生だったなあと感謝致します。とても足元にもおよびませんが、尾張藩能楽史の研究を完成させて学恩に報いなければと思います。明日は愛語会です。東京教育大学・筑波大学の国語国文学教室の同窓会です。楽しみです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年11月1日 今日から11月。昨晩は雨でしたがよく晴れています。講義がない日なので、講義準備等に励みたいです。忙しいのでよく寝たいです。。皆様お元気で。。


2010年10月31日 十月最後の日です。これから「名古屋子ども歌舞伎」を観に行きます。楽しみです。このような企画から次世代に歌舞伎の楽しみが続きますように。皆様お元気で。


2010年10月30日 十月も終わります。科学研究費の書類、家内に手伝ってもらい、事務の方にお世話になり、なんとか提出しました。採択を祈っています。今週は早朝出勤が多く、ホームページの更新もなかなか出来ませんでした。この10日あまりで、21日に佐藤友彦先生に講義の後に「朝比奈の語り」と「相撲の語り」を26日に岩田西園先生と岩田恭彦先生・片山万季先生・柳川翼先生に尺八の本曲と現代邦楽を、28日に西村高夫先生に「海士」の前場をそれぞれスタジオで録音して頂きました。スタジオスタッフの方々のおかげで高音質で録音できました。岩田西園先生は西園流宗家を昨年継承されました。西園流の古譜を検討され、古い時代の西園流の譜に帰る形で演奏されたのが今回の録音で、同じ曲を以前明暗対山流で録音していただいたものと、両方アップロードしておりますので、聴き比べていただけますと有難いです。昭和の音源の保存もですが、現在の名古屋の古典芸能を記録して発信し、また音源を保存することも大切な仕事であり、椙山に奉職しているからこそ出来る仕事なので、頑張って行いたいと思います。今日は一日部屋で音源の編集をしておりました。こういうのはとても楽しいです・・論文も書かねばならないのですが。。明日はナディアパークのアートピアホールで行われる「なごや子ども歌舞伎」の取材です。楽しみです。家族は熱田教会のバザーに伺います。子どもたちはジュースを売るそうで、家内はおでんの係りだそうです。父は例年と同じならばごへい餅でしょう。。こちらに参加できないのは少し残念ですが。。たくさん来ていただけると良いなあと思います。台風も去り、明日は晴れるとの事で一安心です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月27日 昨日の夜から急に寒くなりました。季節相応なのでしょうが、風邪に注意しなければと思います。今週はずっと早朝出勤なのですが、今日だけは会議も無く午後からの講義なので少しのんびりしています。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月26日 今日は名古屋三曲演奏家の会代表で尺八西園流宗家の岩田西園(前名律園)先生と、息子さんの現代尺八の岩田恭彦先生とそのお仲間にいらして頂いてスタジオで録音しました。録音させて頂いた曲は西園先生の西園流本曲と恭彦先生グループによる恭彦先生作曲の現代邦楽です。
内容を挙げると以下のようになります。明日以降音源を編集して逐次配信させて頂きたいと思います。名古屋の三曲はとても充実しています。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。
10月26日岩田西園先生・ 恭彦先生録音内容
1 三谷(さんや) 二尺一寸管 明治中期の西園流尺八 岩田西園
2 鶴の巣籠(つるのすごもり〔西園流〕) 一尺九寸管(銘「松風」村瀬竹翁作 二代目から西園流流宝) 岩田西園
3 鈴慕(れいぼ〔西園流〕) 一尺九寸管(銘「松風」村瀬竹翁作 二代目から西園流流宝) 岩田西園
4 志図(しず〔西園流〕) 一尺八寸管(銘「磯千鳥」伝初代兼友西園作 二代目から西園流宗家伝来品) 岩田西園

岩田恭彦先生グループ録音内容
1 粋(いき) 尺八 岩田恭彦 箏 片山万季 太鼓 柳川翼
2 翔き(はばたき)  尺八 岩田恭彦 箏 片山万季 太鼓 柳川翼
3 花笠音頭最強バージョン(はながさおんどさいきょうバージョン) 尺八 岩田恭彦 太鼓 柳川翼
4 古今の章(こきんのしょう) 尺八 岩田恭彦

出演
尺八 岩田西園(いわたせいえん)
尺八 岩田恭彦(いわたやすひこ)
箏  片山万季(かたやままき)
太鼓 柳川翼(やながわつばさ)


2010年10月25日 今日は一日会議でした。明日も早いので今日はこれで寝ます。お休みなさい。


2010年10月24日 昨日は白鳥公園で筧先生の子どもお囃子教室の発表会、中村教室・豊橋教室合同でした。友恵を連れて私も伺いました。楽しかったです。筧先生・世話人の方々に感謝でした。その席で、筧先生に名古屋文化情報の10月号「視点・平成の名古屋能楽界」に私が「熱田神宮能楽殿は、熱田神宮の土地を借りて、能楽師・愛好者の団体が建てたもので」と書いた部分について、熱田神宮能楽殿開館の時の経過報告(植村真太郎)に「熱田神宮におかれましては、能楽堂再建に多大なる関心を持たれ、神宮諸御殿の一部として建設費の半額負担苦しからずとの有難い御申し出を受けましたので、」とあり、熱田神宮が建設費の半額出したのだよと教えて頂きました。この経過報告は東海能楽研究会の『催花賞受賞記念論文集』に「長谷春男氏筆熱田神宮能楽殿関係資料」として載せられており、202頁に書かれています。手元の資料を見落としていたので、恥ずかしいことでした。何らかの形で記事訂正をお願いしようと考えています。よく調べて書かねばと思います。今日は熱田教会の教会学校に参加した後、岐阜市文化センターの花柳流の「弘霞眉会」に伺いました。東海能楽研究会会員の花柳まゆ菊さんから誘って頂きましたので。。とても楽しかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月23日 昨日は 午前中は名古屋市生涯学習推進センターで大江山の講義、八十人定員で定員上回る申し込みがあり感謝でした。定例能の大江山の事前解説ですが、定例能当日の解説となってしまいました。もう少し早く行えればもう少し多くの受講生の方に定例能行って頂けたかなと反省です。その後歩いて名古屋城に移動。伏見で古美術のお店のショーウインドウ覗いていて、東海能楽研究会の会員の方にお目にかかり「壺中天」さんを拝見しました。きれいなものがたくさんあって、楽しかったです。僕は茶道習っていないので、茶道関係がわからないことが弱点なのですが、、ただお茶道具って近くで拝見するととてもきれいです。名古屋城の「虎の玄関」の特別展、さすがに名品が揃っていました。名古屋市立博物館の「桃山」の図録と名古屋城の図録と両方購入し、能楽堂に行きました。今日の定例能では東海テレビ国際財団の外国人向け名古屋文化紹介ビデオの能と狂言の部分の解説を依頼して頂いていましたので、開演前にDJの栗巣グレンさんの質問に答える形で行いました。非常に緊張しました。栗巣グレンさんは先月末で放送を終了した愛知国際放送のDJで現在はテレビ主体で活動されていますが、声がとっても渋くて、僕は通勤途中よく聞いていたのでファンでした。思わず携帯で記念写真お願いして、「椙山生の羅雲寺」の頁にアップしました。自分でもミーハーだなと思いますが。外国人向けと言うことで、分かりやすく説明しようと努力するのですが、ディレクターの方に「専門的すぎる」と何回もだめを出され、そのたびに考えてなんとか済ませましたが、ディレクターの方も辛抱して下さったのだと思います。「能の魅力って何ですか」と、こういう単純な説明に、「一言」で答えるノウハウが僕にはまだないのです。外国の人や中学生など、「観たことのない人」に観て頂くためのノウハウを身につけねばと思います。とても勉強になり感謝でした。完成したビデオは椙山にも頂けるので来年の講義で使用させて頂きたいと思います。今日はこれから白鳥公園で子供能楽教室の発表会がありますので伺います。楽しみです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月22日 昨日の朝は佐藤友彦先生にいらして頂いての中学生と大学生との合同授業、中学生の社会見学としてですから、あくまでも「大学の講義のレベル」を保たねばなりません。中学の通常授業とは違い、しかも中学生にわからねばならないですが、佐藤先生は狂言の笑い方、動物の鳴き声(犬・狐・鶏・鳶)など次々実演して下さったのですが、間近で見る本物の狂言師の演技は中学生にも大学生にも感銘があったようです。中学の内に大学を見学することは、将来を考える上でメリットがあると思いますし、このような試みは今後増えて行くと思いますが、それならばそのための教材準備が必要です。佐藤先生に本当に感謝でした。今日は名古屋市と椙山の大学連携講座の能・狂言鑑賞入門が午前に、夜は定例能で狂言の朝比奈と大江山があります。今回の定例能を素材にある財団が外国人向けのビデオを作成すると言う事で私にもコメントの依頼がありました。京都のようにたくさんの外国人が能楽堂を訪れて欲しいので、大切な仕事だと思います。では皆様お元気で。


2010年10月20日 科学研究費書類、苦闘しています。検算とか表現のおかしなところ、家内が一生懸命直してくれているのですが、もう大丈夫だろうと、PDFに変換して提出してみると、一枚目の罫線の後ろからそのページが白紙になってしまいます。また却下して頂いて書き直さねばと思いますが。ワードは枠線が崩れやすく、枠を変えないようにと言われますがよほどワードのスキルがないと難しいと思います。僕は家内が全部手伝ってくれるので恵まれていますが、講義と会議と雑用に追われている毎日では、この電子申請の壁で断念する人も多いのではと思います。紙の切り貼りのコピーのほうがずっと早く書類作成できます。枠線の崩れないワードの開発とか、「科研費一発」とか科研費の書類を簡単に作成できる専用ソフトを開発して頂けるならば、それにこそ科研費出すべきと思います。どうしてもワードの枠や線がうまく出来ない中年文系研究者のぼやきですが。。形もですが、表現も、もっと分かりやすく研究目的が書けないか。。考えています。ううーっ。。明日は佐藤友彦先生にいらして頂いて中学生と大学生の合同講義をスタジオで行います。楽しみです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月19日 科学研究費の書類、草稿は書けました。これまで三木先生のお世話になりつつ自分が積み上げてきたことから無理がない計画にはなっていると思います。ただ最近の能楽研究全体の流れから見て、有効性と汎用性、そして緊急性をきちんと主張できているか。。二三日冷却期間をおいて、再度見直したいと思います。安田文吉先生に誘って頂いた石水博物館の調査、二年目ですのでそろそろ最も興味深い本の解題から執筆しなければなりません。少しはじめようと思います。木曜日の佐藤友彦先生の講義、大学連携講座のプリント作成も必要です。


2010年10月18日 昨日は家族で名古屋三曲連盟のセントラル愛知を招いてのコンサートに伺いました。愛知県芸術劇場のコンサートホールがほぼ満席で、愛好者が多いのだなあと思いました。第一部は三曲連盟の幹部を中心とした演奏、第二部はセントラル愛知を招いてこの催しのために編曲されたものです。第一部では野村正峰作曲の「鯱の城」が印象に残りました。曲の狙いが名古屋城の威容、名古屋城炎上、戦後の復興と三部に分かれるのですが分かりやすいのですね。これには異論も多いと思いますが、現代は「分からなくてもなんとなく良い」ものよりも「自分にも分かる」曲を聴きたい人が多いと思います。それと野村先生の特徴ですが、一曲の中で、どのパートにも聞かせどころがある。。その意味で合奏する時に出演者は気持ち良いと思います。。おそらく名古屋で後世に引き継がれて行く曲になると思います。第二部はアフターマスが面白かったです。三曲のコンサートに洋楽のファンも聴きに来てほしい。洋楽を、普段聴かない邦楽愛好者にも来てほしいと言う狙いは、成功したと思います。ただ、県の芸術センターのコンサートホールは、箏や三絃と音響が合わないのではと思いました。合奏するとオーケストラの音に音量が負けてしまう。。電気文化会館ホールはせまいですが箏曲にはとても良いです。ただ洋楽と共演できる大規模ホールは県の芸術劇場のコンサートホールが一番なので、このような試みが重ねられて、蓄積が出来れば、マイクの音量調節などで対応できるのではと思いました。楽しかったです。科学研究費の学内締め切り今週です。頑張ります。過去五年の実績を考えて課題は「東海地域近世・近代能楽資料の収集・整理とデータベース化」として書いています。頑張ります。今年度こそ採択を目指します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月16日 科学研究費学内書類締め切りまであと10日です。時間考えると今日には素案組み立てたいです。自分の論文を観るとこの五年間は圧倒的に近代能楽史が多いです。実績を考えると「尾張藩能楽史の研究」とするよりも「東海地域近世・近代能楽資料の収集・整理とデータベース化」として、近世の尾張藩の御役者の事績・番組の調査と明治以降の資料収集・現代の能番組の入力まで含めた形で、個人の研究なので年間50万円くらいまでで申請するのが無理がないかなあと。。エフォートを記入しなければなりませんが、現在、講義・雑用を引いて研究にかけられる時間は三割が限界で、科学研究費の分担者として安田文吉先生・米田真理先生の共同研究に入れて頂いていることを考えるとこの研究に掛けられるのはせいぜい15パーセントです。一日に平均すれば一時間半、中学生の受験勉強時間に劣るような時間で、成果を出すにはよほど無駄と無理を排除した合理的な研究計画を立てる必要があります。資料のデータベース化にいつもご協力頂いている三木邦弘先生、能楽資料を頂いている筧鉱一先生・佐藤友彦先生・飯冨雅介先生など能楽師の先生方、その翻刻でお世話になっている東海能楽研究会古文書部会の方々、SPレコードやオープンリール音源の収集・整理に協力頂いている「メディアと古典芸能研究会」の皆様、アルバイト学生さんなど多くの方に助けて頂ける環境があるので、この恵まれた環境がある間に急いで行わねばならないです。来年は五十歳ですから天命を知る年になります。平成三年四月に椙山に奉職して二十年経ったことになります。定年までの折り返し点ですから、この後の二十年の研究計画の基礎になります。頑張ります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月15日 今日は科学研究費書類執筆と東海能楽研究会の例会案内発送、教務事項など、講義以外の仕事がたくさんあります。頑張ります。


2010年10月14日 今日は一日三コマの日でした。教務の仕事もあり、科学研究費の書類も書けません。明日・明後日が勝負です。がんばります。皆様お元気で。 


2010年10月13日 今日午前中は祖父江佳乃先生が稲沢の青宮寺で節段説経をなさるとのことでしたので伺いました。青宮寺の娘さんが椙山の卒業生でさそってくださったので。。祖父江佳乃先生は祖父江省念師のお孫さんで、省念師の節段説経を継承されようと努力されています。僕自身の信仰はクリスチャンですが節段説経には説話や落語に連なる話芸のもととなった「芸能性」が豊かにあります。祖父江先生に拝借したテープは全てデジタル化させて頂いて恵理人の小屋の「節段説経 祖父江省念の世界」に掲載させて頂いています。ダウンロードもかなり多いのですが、今日伺いましたら、以前拝借したもの以外のものもあらたに所蔵されたとのことでしたので、また拝借に伺いたいなあと思います。午後から講義でしたので最後まで伺えず残念でしたが、「説経」もですが話の組み立て方の非常に上手な方だなと思いました。学校の先生もとても向いていらっしゃると思います。楽しかったです。勉強も仕事もなかなかはかどりません。明日は三コマあります。がんばります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月12日 今日は教授会です。会議は好きではないですが、やるべきことと言うべきことはきちんとして、仲間に信頼されたいです。夜は家族で御園座に歌舞伎を観に行きます。楽しみです。皆様お元気で。。


2010年10月11日 昨日は午前中は熱田教会の礼拝に行きました。年に一度の献金当番で、みんなの前でお祈りするのですがとても緊張しました。夕方から小島鉄次郎師の娘さんの弔問に伺いました。小島鉄次郎先生は長唄の初代杵屋三太郎の息子で、長唄は継がず、能の藤田流笛方として活躍されました。戦前は貿易業をなさっていたそうです。小島先生の養子が国際経済学者の小島清氏です。今回伺って鉄次郎先生の家族関係や長唄と能楽界の人物交流など、写真見せて頂いて大変勉強になりました。ご遺族の方が小島先生や初代三太郎について精力的に調べていらっしゃいます。筧先生が現在まとめられている東海地域の能楽愛好者の聞き書き集にご遺族の書簡が収録される予定です。戦前の能楽界・長唄界に関する貴重な証言ですが、夏まで娘さんも元気だったのでお目にかかりたかったなあと。。とても残念です。。心よりご冥福をお祈り致します。今日は名古屋芸能文化の原稿作成と科学研究費の書類作成をします。頑張ります。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年10月10日 よく晴れています。朝から花火が上がっていましたが秋祭りや運動会には最高の秋晴れです。今日は午前中は熱田教会の礼拝に参加し、夕方から八月に亡くなった小島鉄次郎先生の娘さんの御遺族の弔問に伺います。96歳で亡くなったとのことですが、直前までお元気だったそうで、戦前の能楽や長唄の事伺いたかったなあと思います。今年の猛暑が原因の一つだと思いますが、残念でした。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月9日 三連休の初日ですが安城は小雨です。朝6時から7時にかけて花火が盛んに上がっていました。運動会や秋祭りで小雨決行を決めたところでしょう。大降りにならないことを願います。今日は御園座に10月31日に行われる子供歌舞伎の稽古取材に伺います。名古屋文化情報で紹介したいと思うからですが、子供達が歌舞伎を稽古することは次世代の名古屋文化の継承に大きな意味があります。あるかたから、浪花節のSPレコード音源について問い合わせ頂きました。戦前の演芸を考える上で重要なものばかりなので、あげさせて頂きます。

(すべて 「演芸レコード発売目録 国立劇場芸能調査室編」による)

 昭和 6年8月発売 梅中軒鶯童 吉原百人斬り               タ
イヘイレコード レコード番号なし

 昭和 7年6月発売 梅中軒鶯童 肉弾三勇士(出征の巻、戦場の巻)  日東蓄音
器   5654~6

 昭和 9年4月発売 広沢虎造 森の石松 三十石道中          日東
蓄音器   6357~8 もしくはなるべく古い「石松三十石道中」

 昭和11年12月発売 天中軒雲月 頑張れ!前畑              テ
イチクレコード 1046~9

 昭和16年4月発売 梅中軒鶯童 愛国浪曲 大場鎮の一夜        テイチ
クレコード レコード番号なし

 昭和16年4月発売 広沢虎造  愛国浪曲 函館碧血碑          テイ
チクレコード レコード番号なし

残念ながら研究室にはありませんでした。知り合いに問い合わせのメール送りましたが見つかるとよいなあと思います。これをご覧になった方でもし音源お持ちになっている方がいらっしゃいましたらerito7@hotmail.comに連絡いただけますと幸いです。問い合わせいただいた方はイベント的なものでの使用目的ですので、時間的制約があるのですが、私としては貴重な音源なので、入手して「思い出公会堂」に載せたいという目的です。父親世代の子供の頃の事がもうわからなくなっているのだなあと思います。僕もSPレコードや放送音源のオープンリールテープ、さらに集めたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年10月8日 明日から三連休です。この期間に科学研究費の書類仕上げたいです。。次の論文の構想も練りたいですが、科学研究費の研究計画を立てながらそこに位置付けて行きたいです。。ノーベル化学賞日本人二人。。快挙です。。我々の父親世代が如何に頑張っていたかの証拠です。僕らが八十近くになった時に、我々の世代の評価がでるでしょう。。僕は何か芸能研究史に残る仕事したいです。賞はとれなくても「これはおじいちゃんがした仕事なんだよ」と孫に自慢できるような。父には飯塚ルールがあるので。。。まず僕も孫が欲しいけれど子供がまだ二人とも小学生なのでしばらく先の楽しみです。。これから三年、能楽研究でみなに求められている緊急性のあることで、自分でできる課題を探してそれを説明できる申請書を書きたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月7日 木曜日は一日三コマ+会議です。ハードですが無事終わり感謝でした。明日は科学研究費助成金の申請書類作成に頑張ります。皆様お元気で。


2010年10月6日 昨日は留学生を引率して御園座で歌舞伎鑑賞をしました。身替座禅は講義で扱いましたからわかってくれたと思います。個人的には「御殿」の坂田藤十郎の政岡が佳かったなあと。。あの演目では竹本も大切ですが谷太夫佳かったです。。楽しかったです。留学生さんたちはいつか友人たち連れて日本に来るでしょうからそのときは中国やオーストラリアの人を連れて歌舞伎観て説明してあげて欲しいです。
今日は東海能楽研究会の案内を印刷していました。

東海能楽研究会例会案内
下記のように平成22年度例会第2回を行いたいと思います。よろしくご参加ください。
日時 平成22年11月14日日曜日13時30分 
場所 米野コミュニティセンター
 〒453-0801愛知県名古屋市中村区太閤2丁目3-11 052-451-2010
発表
①保田先生「魚町の能面」(ミニ発表)
②雲形本研究会(林和利先生・佐藤友彦先生・野崎典子先生・安田徳子先生・小谷成子先生・米田真理氏・田崎未知氏)「魚町狂言伝書の性格」
今回は前回8月例会と同じ発表者・テーマでより時間を取り、前回時間不足で発表できなかった部分について発表して頂き、討議するという形です。多くの方のご参加をお待ち致しております。
駐車場が三台しかありません。近くのマックスバリューの駐車場(有料)かコイン駐車場(有料)をご利用ください。よろしくお願い致しま
す。
会員の皆様へ
・例年通り、年報を発行したいと思います。研究ノート2000字前後のものを代表の林和利先生まで、来年二月末までにお送り下さい。
・会費の振り込み方法について問い合せいただくことが多いので解説させていただきます。年会費は一律3000円です。この案内は会員以外の協力者の方にも送らせていただいておりますが、会員外の方は振り込まれる必要はありませんので、ご放念下さい。  庶務 飯塚恵理人
<年会費振込の方法について>
三菱東京UFJなどの銀行・信用金庫から、当研究会のゆうちょ口座に直接会費の振込ができるようになりました。ただし、銀行・信用金庫から振込をなさる場合には、店名、口座番号などの表記が郵便振替の場合と異なり、下記のようになります。お気をつけください。
店名:二一八(漢数字の”にいちはち”です)
店番:218
預金種目:普通預金
口座番号:5385432
口座名:東海能楽研究会
なお、「ゆうちょ銀行ぱるる口座(旧郵便局総合口座)」から御送金くださる場合や郵便振替での御入金の場合は、これまで通り
口座記号:12160< BR>口座番号:53854321
口座名:東海能楽研究会
を、ご指定ください。
・本案内は会員のほか、協力頂いている方にもお送りいたしております。案内・資料不要の方は、恐縮ですが「東海能楽研究会例会案内・資料不要」と書いて案内係飯塚までメールerito@sugiyama-u.ac.jpもしくはファクス 052-781-6651(椙山女学園大学文化情報学部です。 飯塚宛と記入下さい)でご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします。

飯塚 恵理人 
椙山女学園大学文化情報学部
〒464-8662 名古屋市千種区星が丘元町17番3号 
電話 052-781-1186  ファクス 052-781-6651
erito@sugiyama-u.ac.jp  
恵理人の小屋 http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/index.html

というものです。会員が増えるとよいなあと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月4日 昨日は米原までが範囲のJR東海土日限定青空フリーきっぷと米原京都間往復を買って京都まで廣田観賞会の三井寺を鑑賞に行きました。2日の名古屋観世九皐会の「安宅」には会議で伺えず、良い能が拝見したくてしかたなかったということもありますが、伺って本当に楽しかったです。廣田先生の芸風は穏やかで派手さはないのですが、とても上品で緻密なのです。。昨日もとても上品なお母さんで、よかったです。ほぼ満員でしたがうらやましかったのは一階と二階の学生席をいっぱいにしていた同志社女子大学の学生さんたちで。。解説が同志社女子大学の廣瀬千紗子先生でしたから、廣瀬先生の教え子だと思いますが、僕が解説して客席を椙山の学生でいっぱいにさせられるかと言えば正直難しいです。可能なはずですから、僕も目標にしたいと思います。廣瀬先生のお話は子供を探す母親がなぜ清水から志賀の山越えをして三井寺に向かうのか・・・、普はだったので。。通ならば逢坂山を越える方がずっと早いはずなのに、その道を通っていない。。当時の道では通行料徴収の関が多くありましたが、室町時代、南禅寺造営の関所で、三井寺の稚児が料金徴収をめぐってトラブルとなり殺された。このことで十四世紀後半、三井寺と南禅寺・比叡山との武力衝突が起き、それが後を引いて室町時代に逢坂越えが不穏だったからではと言う説明でした。当日パンフの江阪悟氏の「三井寺の周縁」には尊氏以来の室町将軍家と三井寺との関係の深さが述べられており、また寺伝には尊氏が三井寺の鐘の奇瑞ゆえに合戦に勝利したことが書かれていることを書かれていました。将軍の前で演ずる曲で母子再会の場所に初代将軍ゆかりの三井寺の鐘のもとはふさわしい場所だったのではと。どちらも非常に納得のゆく説明でした。廣田観賞会の当日パンフは、廣田先生の挨拶・番組・作品研究二本、廣田先生がその舞台の土地を歩く解説・英文にによる粗筋解説、あらすじの漫画となっているのですが、どういう人に能を観て頂きたいのか明確なのですね。研究は文学・歴史の好きな人や学生、挨拶と番組、舞台の土地を歩くは能を稽古している人や歴史・旅行に興味のある人、英文解説は外国人、あらすじの漫画は能を初めて観る人・・。廣田観賞会のすごいところはそのパンフを一回ずつそれぞれの原稿・解説をいろいろな人に依頼してオリジナルで作っていることです。廣田先生の奥様は大阪大学の天野先生の講義にも社会人として参加されていましたから、そういう奥様の御努力もあって出来るのだろうと思いますが。。ロビーには演目にちなんだお茶とお菓子の無料接待があり、扇など小道具の展示があり、茶道や和の文化に魅かれる人にも関心がもたれるよう本当に行き届いた催しでした。学生と外国人観光客の多い催しでしたが、そういう人たちが満足できるようにパンフ・解説・展示・接待などまで工夫されていました。名古屋で人を呼ぶにはどうしたらよいか。。いろいろ考えさせられました。研究者の立場で言えば、能を初めて観る初心者向けに曲の魅力をつたえられるように、注釈の注を作るような気持ちで短文で書く蓄積をつけて行きたいなあと。。今後名古屋でも行われるであろう普及のための能の会の解説やパンフで使って頂けると有難いなあと思いますが、僕の場合はネットを用いた能の普及のためにもそういう訓練が必要だと思いました。今日は江南短大の「日本文化論」非常勤です。社会人の方の毎年多い講座ですが、名古屋地区の能の普及のため頑張ります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年10月2日 今日は名古屋観世九皐会です。駒瀬直也先生の安宅楽しみだったのですが、午後から大学で会議が入り伺えません。残念です。学期中は講義でメンバーの時間調整が出来ず、土曜の会議が増えます。。ううう。。明日は廣田観賞会拝見しに京都に伺います。能の研究者なのに良い能が観られないと教える気合いが入らないのです。今日の駒瀬先生の安宅きっと良いだろうなあ。。ではまた、皆様お元気で。。


2010年10月1日 朝は涼しいと言うより寒く感じられました。秋だなあと思います。友恵は小学校の遠足で豊橋ののんほいパークに行くのだと喜んでいます。五年生は林間学校があったので遠足はなしで、学校に残るのだそうで、ひろとはいつも通りですが。。今日は研究室の資料整理と原稿の見直し、科学研究費の申請準備をしたいと思います。頑張ります。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年9月30日 明日から10月と言う時期になってようやく秋らしくなったように思います。先月の30日には小島鉄次郎先生の娘さんが亡くなられ、9月6日には表章先生が、20日には若松健史先生が亡くなると言う非常に残念なことがありました。いずれも急逝でしたので、異常な暑さも原因であったように思います。今月は科学研究費申請の月、二年間不採択が続いています。基盤の(B)を申請していたのですが、今回はやりたいことを絞って基盤の(C)を申請したいと思っています。尾張藩の能楽資料の収集整理をしたいです。筧先生や佐藤友彦先生、飯冨雅介先生の御協力がいただける今だから出来る研究もありますので。。頑張ります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年9月28日 昨日は一日会議で全く勉強出来ませんでした。今日は午後から講義ですが、夕方は少し勉強したいです。科学研究費の説明会もあります。今年度こそがんばりたいです。やりたいことと予算を絞って、急いで行う必要があり、かつ確実に実現できる計画を立てたいです。お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年9月27日 昨日は石水博物館に謡本の撮影に伺いました。帰りに子供達と合流して河芸で釣りましたがあいにくの雨で釣れませんでした。うどん屋さんと銭湯により帰宅しました。たのしかったです。今日はたまっている事務仕事をしたいと思います。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年9月25日 今日は安城市文化センターで、安城能「杜若」が開催されます。一時からのワークショップで司会を担当させて頂きます。楽しみです。たくさんいらしていただけると良いなあと思います。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。とここまで書いてでかけ、先程帰りました。忘れないように、今日のワークショップ使用した原稿を挙げたいと思います。

第一部ワークショップ
(一)能楽囃子とシテの所作・構えについて

能には、男・女・鬼など多くの種類の登場人物があります。登場人物の種類により立つときの基本的な「構え」が異なります。
・前野郁子先生に「男の構え(立ち方)」「女の構え」「鬼の構え」を実演して頂く。
能の楽器は 笛、小鼓、大鼓、太鼓の四種類です。
 今日の配役は笛大野誠先生、小鼓船戸昭弘先生、大鼓筧鉱一先生、太鼓上田慎也先生です。
この単純なものの組み合わせで、非常に多くの登場人物、風景などを表現します。
  最初は笛です。笛の音は「唱歌」という楽譜によります。
能の楽器の中で唯一の旋律楽器です。
 能の笛はドレミファソラシドに対応していません。
(ここで大野先生に中之舞の一クサリの唱歌を謡って頂き、一クサリを演奏して頂く)
小鼓の音は チタプポの四種類です。
(船戸先生に、掛け声入リと掛け声ナシで実演して頂く)
大鼓の音は ドンとチョンの二種類です。
(筧先生に掛け声入リと掛け声ナシで実演して頂く)
太鼓の音は ツクツクとテンテンの二種類です。太鼓が入る曲と入らない曲があります。太鼓が入ると、賑やかで華やかな雰囲
気がでます。
 (上田先生に掛け声入リと掛け声ナシで実演して頂く)
それでは囃子の実演をしていただきたいと思います。舞を観世流の前野郁子先生にお願いいたします。色々な種類がありますが
後で杜若の精が静かに舞う序の舞を観て頂きますので、神様が出てきて颯爽と舞う場面をお願いします。(神舞「《高砂》キリ
」)

先生方ありがとうございました
(二)初歩の稽古ー能楽子ども教室発表
能の楽しみと言うのは、「観る」ということの他に、稽古して楽しむという要素があります。大人向けの教室については、安城
にも安城宝生会など文化協会所属のサークルがあります。大鼓方の筧鉱一先生を中心に、これからは子供達に能や能の伴奏音楽
である囃子を教えて、そこから愛好者を育てたいと、文化庁の外郭団体である伝統文化活性化国民協会の助成金を受けて五年ほ
ど前から中村区で受講料無料で子供能楽教室を開いていらっしゃいました。子供達のみで羽衣など初歩の囃子を演奏することが
出来るようになりました。三年ほど前から、豊橋にも教室が開かれ、自分たちで仕舞を舞う事ができるまで育ちました。子供達
の覚えはものすごく速いです。子供と一緒に覚えようとすると、、お父さんは大抵まけて、お父さんはもっと勉強しなければだ
めだと言われることと思います。うちもそうですが。
これから能の一部を仕舞、囃子、謡曲という形で子供達に演じて貰います。ピアノやオルガンならばバイエル相当ですが、この
ような形の稽古が初歩なのだと言う事をわかっていただければと思います。
ではまず、豊橋教室の皆さんに仕舞の「湯谷」を舞って頂きます。豊橋教室では三カ月ほど前に会員の西野花菜さんが中学の研修中
にボート事故で亡くなると言う悲しい出来事がありました。御遺族から豊橋教室に舞扇を頂きまして、本日はその扇で成果を披
露させて頂きます。よろしくお願いします。
ありがとうございました。ここからは、中村教室・豊橋教室合同でまず能の「高砂」から「高砂や」を謡って頂きます。こうい
う名前の結婚式場もあるようですが、江戸から明治時代、お嫁さんが婚家に着くときに仲人が謡うことが良くあったためです。
よろしくお願いします。
次に能の羽衣から静岡の三保の松原ののどかな景色を天女がほめて舞う部分の一部を、子供達に演奏して貰います。
(ひとくちうたいの「湯谷」から「ただ頼め」、「杜若」から「はるばるきぬる」「竹生島」から「つきかいしょう」「高砂から」
「四海波」は筧先生の合図で。)
(三)「杜若」解説
それでは、これからしばらくの時間を頂いて、これからご覧いただく《杜若》の解説をさせて頂きます。《杜若》の舞台は三河
の国八橋、現在の知立市の八橋です。もととなっている話は『伊勢物語』の第九段、「東下り」の場面で、高校の古文ではどの
教科書にも取り上げられていますから、あるいはご存知の方もいらっしゃるのではないかと思います。
まず最初に、「杜若」あらすじを解説させて頂きます。諸国を旅して修行をしている僧が、都から東国を廻って修行しようと志
して、三河の国八橋につきます。そこで盛りになった杜若を眺めておりますと、里の女に声を掛けられます。里の女はこの八橋
は杜若の名所なのだと言います。名所とは古典では和歌に詠まれた場所という意味です。僧がその和歌について尋ねると、里の
女は『伊勢物語』に載る和歌で、「ある人かきつばたといふ五文字を句の上に置きて。旅の心をよめと言ひければ。唐衣着つゝ
なれにし妻しあれば。はる%\来ぬる旅をしぞ思ふ。これ在原の業平の。此杜若をよみし歌なり。」と説明します。高校の教科
書でポピュラーですが私も元予備校教師ですので訳してみますと、「ある人がかきつばたという五文字を各句の最初において、
故郷を離れた旅の心を詠め」と言ったので「着なれて身体になじんだ唐衣のように馴れ親しんだ妻がいるので、都からはるばる
と来た旅をつらく思うことだ」いう訳になります。和歌は五七五七七の三十一字ですが、「からころも」「きつつなれにし」「
つましあれば」「はるばる着ぬる」「旅をしぞ思ふ」で確かに各句の頭の文字を並べると「かきつばた」になりますね。そして
内容も「都に残した妻が恋しい」という内容で「旅の心」という昭和の演歌の「陸奥一人旅」にまで続くテーマで詠まれています。里の女は、旅の僧に自分の庵に泊ま
るよう言います。諸国一見の僧は、行く先々で法事や祈祷をしてその代わりに食事と宿の提供を受けて旅をしているのですから
、里の女に感謝して庵に行きます。深夜、その里の女が素晴らしく美しい着物を着て、貴族の用いる男物の冠を被って僧の前に
現れます。これは高子の后すなわち二条后の衣ということになっています。この里の女は、実は二条后が生まれ変わった杜若の
精という設定なのです。ですから、高子の后(つまり二条后)の唐衣を持っている。そして、業平が仏の生まれ代わりであり、仏
が極楽、すなわち本地寂光の都を出て、迷っている衆生を救うために業平とまれたことを語ります。仏教では、仏は縁のある衆
生を救うのですね。業平は、多くの女性と和歌を詠みかわしますが、それによって縁を結んだ。そのことによってその女性を死
後極楽に導いたと述べて行きます。「普く済度。ワキ「利生の。シテ「道に。地次第「はるばる来ぬる唐ころも。/\。着つゝ
や舞を奏づらん。」と業平の人々を救う技を称えて杜若の精が舞を舞います。そして、最後に杜若の花は「杜若の。花も悟の。
心開けて。すはや今こそ草木国土。悉皆成仏の御法を得てこそ。失せにけれ。」
と成仏して消えてゆきます。
日本人は実話をもととしたドラマを本格的と思う傾向があります。いまフジテレビ系列で「夏の恋は虹色に輝く」という連続ド
ラマがあるそうですが、このドラマとNHKの「竜馬伝」とどちらが「本格的」なドラマだと思われるでしょうか。。「龍馬伝」
を挙げられる方が多いのではと思いますが、「本格的」と思う要素に「実話を基としている」というものが日本人には抜きがた
くある点についてご理解いただけるのではと思います。それで鎌倉時代から室町時代「伊勢物語」に「昔男」として書かれる男
は全て業平だと考えられていました。つまり「伊勢物語」は実話を元とした話と考えられていたのです。そして業平が恋い慕っ
た女性は誰なのか。「この和歌を送った相手は誰か」というモデル探しが和歌を教える歌人たちによって盛んに行われたのです
ね。これには、鎌倉から室町にかけて、業平が陰陽の神、つまり縁結びの神、そして歌舞の菩薩(極楽で仏を称えて舞歌う仏)と
して信仰されたということも大きな理由です。仏像のそばに楽器を持った天女や仏がいる図や像をご覧になったことがあるので
はと思うのですが、極楽は仏を称える歌や音楽に満ちた世界として御経には説かれています。それゆえに寺では極楽を地上に再
現すると言う目的で雅楽など音楽を行います。業平は陰陽の神なのか、歌舞の菩薩なのかどちらかと考えるのは神仏がわけられ
た明治時代以降の考え方で、室町時代には、神・仏・幽霊などは変身と分身ができるので、或る時は仏となりある時は神となり
、また人間や動物などの姿にも変わる事ができると考えていました。神というのは普通の人間と同じでは対象になりません。「
和歌知顕集」という鎌倉時代の二条家流の歌学書には業平の妻は3733人で、そのうちの12人との和歌の贈答を伊勢物語に書いた
のだとしています。冷泉家流の「冷泉家流伊勢物語しょう」も3733人です。基本的に和歌のやりとりをした女性は全て業平の妻
と考えるという考え方で、現存する業平の和歌よりもずっと数が多いのですが、昼ごはん時に喫茶店で一緒にお茶していたら「
熱愛発覚」と書くような週刊誌があったとしたら、そのような考え方です。
伊勢物語六段は、男が清和天皇の后となった二条后高子を盗む話があります。后がまだ独身のころだったとされていますが、第
六段にはその女を「鬼」が一口に食べてしまったと書いてあります。そしてそれに続いて、実は女が食べられたと言うのは后の
兄が取り返したことを言うのだと種明かししています。伊勢物語そのもののなかに、実話と物語は違っていると書いているので
すが、男の東国下りは第九段で女を盗む話の後に出ますので、業平が二条后を盗んだことによって流罪になったと鎌倉時代には
解釈されています。ですから、この「唐衣着つつ馴れにし妻」は二条の后であると解釈します。
「杜若」に「契りし人人のかず/\に。名をかへ品をかへて。」とあるのはそれぞれ其段の和歌・本文の言葉からとっています
。第十八段の「人待つ女」は「あだなりと名にこそ立てれ桜花年に稀なる人も待ちけり」と詠んだ妻ですが紀の有常の娘と信じ
られ、「井筒」という能のシテになっています。「物病みの女」これは片思いのまま死んだ女性ですがこれのモデルは誰と言う
ように当時の歌学はこのモデル探しが重要な課題で「秘事」とされていたのです。これらの女性は仏である業平と縁が出来たた
めに死後成仏するのですが、謡曲作者はそれらの女性がそのままに成仏したのでなく、皆死後杜若に生まれ変ったとするのです
ね。脇の僧は沢辺の杜若について「草木心なしとは申せども。時を忘れぬ花の色。かほよ花とも申すやらん。あら美しの杜若や
な」と言います。最近は「花のように美しい女性」とか女性を花にたとえるような歌はありません。今年の大学一年生は平成四
年生まれなので昭和を知らないのですが、昭和の方ならば「くちなしの花」とか「シクラメンのかほり」とか「さざんかの宿」
と言えば、その女性を想像できるのではないかと思います。室町時代杜若は「かほよ花」と言われ、美しい女性を喩ました。で
すから八橋にゆかりがあり、で業平の妻たちが転生するにはふさわしい花と考えられたと思います。
先程も述べましたが最後に「杜若」の花は「杜若の。花も悟の。心開けて。すはや今こそ草木国土。悉皆成仏の御法を得てこそ
。失せにけれ。」と成仏して消えてゆきます。これはシテの二条の后の転生した杜若の精のみならず、業平と縁があり杜若に転
生した女性が全て悟りを得て成仏したということになります。
通常ですと、この能は八十分くらいかかります。能をよく見ていらっしゃる方対象の時にはこの八十分のバージョンが適してい
るのですが、僕も学生さんや始めてご覧になる方に声かけさせて頂いたのですが、はじめてご覧に成る方が多いと予想されます
ので、今回は言葉が難解で、動きの少ない部分と、杜若の精が業平を称えて静かに序の舞を舞う部分の一部をカットさせて頂き
たいと思います。六十分程度になるのではと思います。見慣れている方には少し物足りないかも知れませんが、始めての方にも
劇の内容は分かって頂けるものと思います。ちょうど時間となりました。ご清聴ありがとうございました。二時開演となります
最後までゆっくりお楽しみいただけますよう。
(一から三までで43分)、二時まで15分ほど休憩

第二部能「杜若」
「杜若」は、初めて観る観客が多いことを考慮し短縮バージョン。
初めよりシテ物着迄 常の通り
 物着のあと シテ常座に行き シテ「かりに衆生と業平の」
 地次第「はるばる~かなづらん」打切 クセへ
 序之舞 一部省略
で一時間ほどと予想したが、実際には50分で終演となった。

市民の方でほぼ満席でした。出演の先生方、安城市の職員の方々、安城宝生会や能楽子供教室の大勢のボランティアの方のおかげで素晴らしい催しとなり、感謝でした。僕にしてみると地元安城で初めての能解説でしたが、両親や大勢の御町内の方々の前で、故郷に錦を飾らせて頂いて感謝でした。安城の能が盛んになる事を祈っております。明日は石水博物館の謡本調査です。楽しみです。皆様、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2010年9月24日 昨日は天気はよくなかったのですが、例年以上の来場者に恵まれ感謝でした。明日は安城市文化センターで、安城能があります。衣斐正宜先生の「杜若」です。たくさんの方にいらして頂けると良いなあと思います。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年9月23日 今日はオープンキャンパスのため出勤です。夏にくらべて涼しいので良いのですが、外は雷雨です。早く収まるとよいなあと思っています。


2010年9月22日 今日から講義です。御園座の顔見世が近いので弁天娘女男白波を扱います。僕自身は留学生を引率して五日の夜の部に行く予定です。楽しみです。これだけ書いて大学に来ましたが、朝、西村高夫先生から若松健史先生が急逝されたというメールがはいっていました。転載させて頂きます。
大変に残念なことに、若松(健史)さんが20日午前急死なさいました。死因はもともと抱えてられた動脈瘤の破裂によるものと思われます。前々からその為の手術は何度か受けておられたのですが誠に残念です。亡くなる前々日の18日には若い人の独立披露の能の会で仕舞『邯鄲』を元気に舞ってられて(地謡は清水・西村・ほかで謡わせてもらいました)、楽屋内でも評判が良かったのです。ただお腹の調子がよくないとおっしゃっていたのはそれと関係があったのかなぁと…。
故 若松健史 享年75歳
通夜:9月26日(日)午後6時半~7時半 葬儀:9月27日(月)午前10時~11時
式場:南多摩斎場第一式場 町田市上小山田町2147〓 042-797-7641
《喪主》若松道子(妻)《供花等連絡先》(有)とみんセレモニー 多摩市諏訪 1-2-1
〓 042-338-8489FAX 042-338-8490〈担当〉日達(ひたち) 供花 税込 15000円
以上が諸々の情報です。もし知らせた方がいい人がいたら教えてあげて下さい。せめて賑やかにお送りしてあげたいので、個人又はOB有志でも結構ですので供花等よろしくお願いします。

大学時代、筑波能狂言研究会立ち上げのときの先生でした。本当にお世話になり感謝でした。心よりご冥福をお祈り致します。有志で何か考えたいです。ショックです。。


2010年9月21日 ついに新学期が始まりました。火曜日は講義がないので、明日からの講義の準備をしたいです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年9月20日 昨日の京都観世会館の味方先生の「遊行柳」、綺麗で寂しくて佳かったです。頂いたお手紙に「老後の初心」という言葉がありましたが、世阿弥の言葉です。「老後」というのはそれまでに誰も経験していないわけで、その「初心」を忘れずに稽古するようにという意味だったと思いますが、能の老人は神に近い綺麗な存在です。仮に「足元はよろよろと」と言う本文であっても謡に合わせて美しく下がらねばならないので、本当に演ずるには体力が必要です。味方先生は「遊行柳」何回も舞っていらっしゃるのですが、七十九歳で舞うのは前と違う「初心」が必要と考えられたのだと思います。手紙に「稽古をしています」と書かれていましたが、先生の「努力」が実を結んだ一番だったと思います。論文を書くのに「五十歳」の初心に突き当たっています。まとまった時間がまったく取れない。単独の紀要は諦めました。夏休みが例年より二週間短いことは大きいですが、あと二週間長ければ書けるのかと言われて、自信は持てないのです。出来て当たり前の年齢ですが、身体は動かない。学会発表もしばらく申し込んでいません。まとまって調べる時間が取れないのです。次々物を忘れる。忘れないようにメモを書いてそのメモをなくす。。それが改善することは望めないのですから、その状態で、論文と講義と仕事に支障なく定年まで仕事を全うするのは毎日の「中年の」「初心」でしょう。いまカレンダーはグーグルのカレンダーを使い、思いついたことはメールにして自分宛てに送っています。こうすれば「検索」できますので。。明日からの講義、「稽古して」望みたいです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年9月19日 今日は京都観世会館に、味方健先生の遊行柳を拝見に伺います。楽しみです。二週間に関西に三回行くことになりましたが、とにかく「充電」したいです。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年9月18日 16日17日は、留学生の奈良・京都研修旅行の引率でした。和菓子作り体験、嵐山のトロッコ列車などは、個人で手配するのは大変で、大学の団体研修旅行だから気軽に参加できる部分があります。とても楽しかったです。留学生さんや語学ボランティアの学生さんにとつて良い思い出になってくれれば良いなあと思います。そして卒業後留学生さんや学生さんが、他の人を引率して奈良・京都を廻る時の参考になればよいなあと思っています。僕の小学校の修学旅行は奈良・京都でした。三十七年経っていますが、よく覚えています。三十年以上経って連れてきてもらったところを自分が案内しているわけで、それが文化の継承だと思います。今日はこれから医者に血圧の薬を貰いに行き、それから放送文化基金の書類を仕上げたいと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年9月15日 今日は表章先生の学士院恩賜賞受賞祝賀会が東京で予定され、私も伺う予定でしたが先週急逝されたため、後日「偲ぶ会」を行う予定という事で中止になりました。まだ信じられないです。勉強しないとなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年9月14日 今日は教授会です。休み期間ですが仕事が始動するなと思います。教務委員長なので粛々と仕事したいと思います。勉強が進みません。。「寸暇を惜しんで」する姿勢が求められているのだと思います。寝る時間はけずれませんので。皆様、お元気で。。


2010年9月13日 今日は通常勤務です。今週木曜日と金曜日は留学生の研修旅行引率で奈良・京都に行きます。楽しみですが、その分の仕事はすませておかないとと思います。ではまた、皆様お元気で。。


2010年9月12日 八日から十日まで天理大学集中講義、昨日今日は家族と奈良を観光し、夕方帰宅しました。とても充実しておりました。明日からの仕事ー論文・助成金申請、教材作成・事務仕事頑張ります。皆様お元気で。


2010年9月8日 ネットニュースで表先生の訃報が流れています。本当にお世話になりました。心よりご冥福をお祈り致します。
表章さん83歳(おもて・あきら=能楽研究家、法政大学名誉教授)7日に自宅で亡くなっているのが見つかった。葬儀は12日午後0時半、東京都中野区中央2の33の3の宝仙寺。自宅は千葉県松戸市小金原9の17の10。喪主は長男きよしさん。

 北海道稚内市出身。1995年、著書「喜多流の成立と展開」で角川源義賞、2010年には能楽史の研究が評価され恩賜賞・日本学士院賞。


2010年9月7日 残暑と言うより猛暑です。深谷哲先生が亡くなった年もひどい残暑でした。もう七年経ってしまいましたが。。深谷先生に教えて頂いたことはたくさんありますが、なかなか形に出来ず、残念です。一歩ずつ進みたいです。明日から週末まで、天理大学で集中講義です。頑張ります。しばらく日記が更新できませんので「椙山生の羅雲寺」で更新するつもりです。お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年9月3日 論文も助成金の申請書類も、共同研究の事務仕事も、大学の委員会の仕事も、手はつけてあるもののやりかけです。きちんと一つずつ片づけなればならないのですが、外れたねじ飛ばしながら走っている壊れかけたジープみたいな気分です。共同研究者など多くの方に支えて頂いていまの仕事が出来ているので、感謝なのですが、「人にお願いしている仕事」がある以上は、その順番で行わなければ協力してくだ゛さる方が困ってしまう。。それでありながら、身体も頭も動かない。。手間が悪すぎるのですが。歎いても仕方ないので、まず今日は委員会関係の事務書類から始めたいと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年9月2日 今日は午後から愛知大学豊橋キャンパスでの西海賢二先生の大学院講義を聴講に伺いました。筑波大学大学院で芳賀登門下の先輩で、日本史と民俗学にまたがる広い関心をもってしかも芳賀先生の始められた豪農古橋家の研究、とくに膨大な資料の目録化など精力的になさっている尊敬する先輩です。三信遠文化圏の芸能と豪農や名望家と言われる村落の指導者に関する講義でしたが、とても勉強になりました。「膨大な資料」を利用する場合、まず「目録化」が必要なこと、あらためて思いました。僕も頑張って自己の分野で後に続きたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年9月1日 いよいよ九月です。今朝子供達も元気に登校して行きました。残暑厳しいですが、九月になった・・論文の締め切りも、来年度の助成金申請の締め切りも、委員会の仕事の締め切りも近くなったことを自覚して、「確実に」行わなければなりません。来週の集中講義ま準備なども、今週中に済ませたいです。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年8月31日 八月も今日で終わりです。佐野由於先生が椙山の教育学部の集中でいらっしゃいましたので、一時間聴講させて頂きました。四日間で土蜘蛛を一曲上げるのですが、初日ですから今日は「浮き立つ雲の」の冒頭から、頼光の「ここに消え」の謡まででした。節の詳しい解説の後に最初は先生について七人で謡う、次は三人でというようにだんだん少人数になって行くのですが、始めて謡ったはずなのに、さすがに教育学部で音楽の先生になろうと言う学生たちは音感が良いなあと。。結構声が出ていたので感心しました。佐野先生の解説も大学生に教える事慣れていらっしゃるのだと思いますが、理論的で明快で分かりやすかったです。。私もとても勉強になり感謝でした。。明日から九月。。事務仕事たくさんありますが、論文も集中講義の準備もこれからです。がんばります。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年8月30日 28日の観能の夕べの事前解説を勤め、昨日帰宅しました。当日の解説案を載せさせていただきます。実際には緊張して、この通りには話せませんでしたが、反省は多いです。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。

≪殺生石≫≪文荷≫解説

ただいまご紹介に預かりました椙山女学園大学の飯塚と申します。八月七日の観
能の夕べで≪弓八幡≫と≪魚説経≫の解説を担当させて頂きました。私と七学部あって幅広く
学べます。石川県と近県からも毎年20人程度いらっしゃいますが、僕のゼミにも三年ほど前年
小松市の方が、その前の年に羽咋市(はくいし)の方がいらっしゃいました。二人
とも働いていらっしゃいますが、余裕が出来たら能もいらして頂きたいなあと思
います。地方入試を金沢でさせて頂いておりまして金沢市堀川新町の金沢医療技
術専門学校で来年も2月3日にさせて頂きます。先週募集要項が出来ましたので、
持ってきてチラシのところに置かせていただきました。どうぞよろしくお願いい
たします。
今日は≪殺生石≫と≪文荷≫の解説を担当させて頂きます。どうぞよろしくお願いい
たします。
最初に≪殺生石≫のテーマを説明させて頂きます。「インドと中国で国を滅ぼした
極悪の九尾の狐が日本に転生し、鳥羽院を暗殺して国家転覆を図ります。しかし
失敗して、殺生をする石=殺生石に転生します。しかし玄翁という和尚の祈りに
よって仏弟子となり救われる」と言う事になります。小学校5年の長男に「これ
でわかるか」と聞いたら、「わけわからない」といわれました。「パパ、九尾の
キツネって、キュウコンというポケモンがいて、キュウコンの得意技は「悪だく
み」と「あやしいひかり」だから、「キュウコンの幽霊が出てきて、生前天皇を
殺そうと美女に化けて天皇に近づいたけれど、あやしい光をはなったためばれて
しまった。キュウコンは那須野に逃げたけれど、天皇の命令でキュウコンを退治
しに来た三浦介・上総介と壮絶なバトルとなった。キュウコンはそこで死んだけ
れど、石に生まれ変わって人々を殺していた。そこにお坊さんが来てキュウコン
を救ってくれた」と言えばわかると。ただ、ポケモンって死んだり生まれ変わっ
たりするのかなあと。。「この本で勉強しなさい」と原色ポケモン図鑑を貸して
しれたのですが、ポケモンはバトルの後ポケモン病院に入院すると全快してしま
うので、死ぬとか、生まれ変わるという概念がないのですね。そこが能とポケモ
ンの大きな違いになります。
能の≪殺生石≫の筋を成り立たせるしかけは、「輪廻転生」です。生き物の魂は、
天地が出来てから終わるまで、死後四十九日経つと生まれ変わる、これを死のた
びに繰り返すという考え方です。生まれ変わる生き物、その場所は六つあり、六
道(ろくどう)と言いますが、「天上界」の天人、「人間界」の人間、「修羅道」
で帝釈天の軍隊と戦い続ける修羅王の仲間、犬や牛などに生まれる「畜生道」
(これは人間と同じ世界ですね)、常に飢えているのに食べられない「飢鬼道」、
そしてすさまじい苦しみの世界である「地獄」です。六つの世界とも、いつか死
んで次の世界に行かなくてはならない、という点が共通しています。小さい頃、
お年寄りによく、食べてすぐ寝ると牛になると言われましたね。これは、食べて
すぐ寝るような怠けものは、生まれ変わると畜生道に堕ち、牛になって働かされ
るという意味です。牛は農耕の犂を引いたり、重い荷車を挽くつらい仕事をさせ
られる生き物です。「馬車馬のように働く。」と言う言葉も現在は死語ですが、
畜生道に堕ちて苦しい仕事をさせられるから、今怠けてはいけないと、子供には
そう戒めたのでしょう。
「輪廻転生」の定めからのがれるには、悟りを開き仏になって、極楽に行くしか
ありません。仏になると永遠の命を持ち、死の苦しみがなくなります。ただ仏は
他の姿に変身出来ますから、人間に姿を変えて世の衆生を救いに来る、そのため
に生まれ変わることがあると考えられていました。
浄土宗の開祖、法然は勢至菩薩の生まれ変わりなどと言う説は、室町時代にはよ
く見られます。

また仏教がインドから中国を通って齎されたため、インドつまり天竺・中国つま
り唐から日本へ来ることを「三国伝来」といいます。仏法・仏像で三国伝来した
ものがありますから、その仏教を邪魔する者、「外道(げどう)」といいますが、
これにも三国伝来のものがあるだろうと考えるのです。
ここで、≪殺生石≫に話を戻したいと思います。最初に脇の、玄翁という禅僧が登
場し、東北で修行していたのだが、都に上り寺で修行しようと述べ、栃木県の那
須野を通ります。那須塩原温泉のあるところですが、火山の近くで有毒ガスの発
生しやすい場所でもあります。狂言方の能力(下働きの僧)が、ここにある石の上
を鳥が飛ぶと、次次と落ちて死んでしまうのを見て驚きます。玄翁が不思議に思
って近づこうとしますと、里の女が現れ、これは那須野の殺生石と言って、近づ
くものは命がないのだ、といいます。玄翁がなぜこの石は生き物を殺す殺生をす
るのかと尋ねると、鳥羽院の上童(うえわらわ =貴人の側近く仕える子供。実質
的な妻の場合もあります。)の玉藻前と言う人の執心(わだかまり)が石になった
のだと言います。玄翁が、都で鳥羽院に仕えたような高貴な人の魂が、なぜこの
ような田舎で石に生まれ変わっているのかを尋ねますと、玉藻前と言う人は、生
まれも育ちもはっきりしないまま宮中に仕えた身であったと言うのです。宮中、
天皇の側となればセキュリティが厳しいはずなのに、その人が履歴不詳である時
点で、すでに「怪しい」ですよね。ただ、大変美しかったので、鳥羽院に愛され
た、しかも大変賢くて何を質問してもきちんと答えられたので「玉藻前」と名付
けられたと言います。「玉」とは宝玉のことで光るもの、「藻」とは海藻のこと
ですが、女性の美しい髪の毛を例えることもあります。髪は女の命、女性の美し
さの象徴ですから、この名前は、今ならば光子ちゃんとか、輝美ちゃんというよ
うな名前でしょうか。ところが、鳥羽院がある夜、雅楽の上手な家来たちを集め
て音楽会をしておりますと、御殿の明かりが吹き消えます。そのとき、玉藻前が
自分の体から光を放って照らしたと言うのですね。法華経や阿弥陀経に仏は光を
放つと書かれています。その光自体が仏そのものなのです。それを象徴するため
に仏像の背中には光背といって光の形が描かれたものがあります。しかし仏以外
で身体から光を放つのは「光り物」という化け物です。鳥羽院がこの音楽会から
病気になったので、陰陽師の安倍泰成(あべのやすなり)に占わせると、病気の原
因は玉藻前であって、天皇を殺して国家を滅ぼそうとやってきたものだと分かり
ます。泰成が退治
するための祈りを行い、玉藻前が死んでしまったのが、ここ那須野なのであると
言います。玄翁が、里女にこのように詳しく語れるあなたは誰なのかと尋ねます。
すると、私は昔は玉藻前、今は那須野の殺生石になっているその石の魂であると
言います。石にも魂があり、玉藻前は石に転生したというのですね。石も輪廻転
生の定めからは逃れられないのです。このことを憐れんだ玄翁は石に衣鉢を授け
ようと言います。「衣鉢」とは、「衣鉢を継ぐ」という言葉で、弟子が師匠の後
継ぎになるときなどに今も使いますが、僧の衣と托鉢をするための鉢のことです。
「衣鉢を授ける」ということは、自分を師匠として仏門の弟子になれ、そして成
仏して極楽へ行けということです。玄翁が石に向かって祈っていると、石が割れ
て石の魂が狐の化けものの姿で現れます。そしてこれまでの懺悔をします。まず、
自分は天竺では「班足太子の塚の神」であったと言います。「班足太子」という
のは、千人の王様を殺そうとした悪人ですが、千人目に殺そうとした普明王に救
われ成仏します。「班足太子」が王様を殺し続けたのは、塚の神という「大外道
の神」に捧げようとしたからなのです。この塚の神が、中国の周という国の最後
の王である幽王のお后、褒〓(女+以)に転生します。このお妃は、大変な美人で
すが笑わない。しかし敵が攻撃してきたので軍隊を集める狼煙を上げる、それを
見た時だけ笑うのですね。その笑顔はなによりもすばらしく、王はこのお妃を笑
わせたいために、敵が来ないのに軍隊をあつめる狼煙を何回も上げました。本当
に敵が来た時に味方は集まらず、国は滅びました。褒〓(女+以)の魂は中国で国
を滅ぼすと、こんどは日本を滅ぼそうと鳥羽院の上童に転生したという話になる
のです。狐の正体を現した石魂は、自分は日本の国を滅ぼそうと仮に美人の姿と
なって天皇に近づいたら、天皇がご病気となったので命を取れるだろうと喜んだ
ところ、安倍の泰成が化け物退治の祈りを始め、玉藻前に御幣を持たせて祈った
ので、玉藻の前は苦しくなって、狐の正体を現してこの那須野に逃げ込んだ。そ
のあと天皇の命令で、那須野の化け物を退治することとなり、三浦介と上総介の
二人のさむらいが担当となったので、百日間、狐のかわりに犬を弓で射る稽古を
した。(当然殺してしまうので、いまならば動物虐待で許されないでしょうが。)
それが「犬追物」という狩の稽古の始めだったという話もつきます。特訓した三
浦介・上総介は狐の化け物を射殺し、日本を滅ぼすことが出来なかった狐の化け
物の魂は、そのわだかまりから殺生石となったが、玄翁にあって法を受けて成仏
できたと語り、消えます。後シテは狐らしさを足遣いなどで表現します。そのよ
うなところも楽しみな一曲です。

≪文荷≫は、男同士の恋が話の基になっています。ある男に仕えている使用人たち、
狂言ではよく太郎冠者と次郎冠者という名前を与えられていますが、彼らが、主
人と恋愛関係にある男の子、稚児といいますが、彼へ主人の恋文を持ってゆくこ
とになります。ただの手紙ですから軽いはずなのに、なぜかとても重い。重くて
持てない。しかたないので天秤棒のように荷いて持ってゆくと言う曲です。中世
から江戸時代にかけてはかわいい男の子が好きと言う大人の男の人がかなり多か
ったようですが、私は女子大の教員ですので、教育上問題のあるところには立ち
入らないことにしましょう。太郎冠者たちは、恋文の中身が見たくてしかたない
のです。結局、途中でその手紙を開けて読んでしまう、ひっぱってやぶってしま
う、これを主人に見つかって怒られるという単純な筋です。
実は、この狂言は能の≪恋重荷≫の文章をパロディにしたものなのですが、≪恋重
荷≫自身が和歌を元とした恋の言葉遊びになっていますので、ここを中心に見て
みましょう。「古今和歌集」巻十九の「俳諧歌」つまりしゃれやパロディを入れ
た歌の中に、「人こふることを重荷と担いもて逢う期なきこそわびしかりけれ」
というものがあります。「人を 恋しく思う、その気持ちを重荷としてしょって
いるのだが、「逢う期」つまり二人で逢うことが出来る時もなければ「おうご=
荷物を担ぐ担い棒」もなくて悲しいことだ」という意味です。俳諧歌ですから、
深刻な素材ではなく、恋の苦しみを重荷を持つことに喩えた洒落た軽い和歌なの
ですが、これが能≪恋重荷≫では、この荷物を持てたら私の姿を見せてあげる、逢
ってあげるという女御の言葉を信じ、彼女を恋する老人がとても一人では持てな
い重い包みを持ちあげようとしますが、できず、だまされたと気づいて池に身を
投げて死んでしまうと言う深刻な話になります。しかし狂言ではさらにひとひね
りして、「恋重荷」というけれど、この恋文は中に重いものが書いてあるから重
いんだな、として軽いギャグにしてしまいます。重いものってなんでしょう?
「こいしい」の「小石」です。小石がいっぱいあったら重いですね。さらに心の
「思い」と荷物の「重い」は音が共通しますが、また和歌では「おもひ」の最後
の「ひ」の字が炎の「火」と重なるので、「燃える思い」のように「燃える」
「煙」なども「思い」に関係する言葉です。「思いは燃えて煙が立つが、それす
ら相手に届かない」という和歌があります。煙でもっとも大きいのは火山の煙で
すから、当時は活火山だった富士山を入れて「富士山のように煙を立てるほど思
っている」とか表現します。この狂言では、富士山が手紙に書きこんであるから
手紙が重いのだと・・・そんなはずないですよね。百トンと書いてあっても手紙
が百トンになるはずがない。ですが、「恋しい恋しい」と書いてある、「小石」
がたくさんあるから重いんだ、「思いは富士の山」と書いてある、富士山がはい
っているから重いのだ、とこのようにパロディにするのです。「思い」「重荷」
「思ひ」さらには後で出てきます「風のたより」という言葉遊びの面白さに注目
していただければと思います。
ちょうど時間となりました。最後までお楽しみいただければと思います。ご清聴
ありがとうございました。

2010年8月27日 朝から会議でした。明日の石川県立能楽堂観能の夕の事前解説原稿の手直しをしています。頑張ります。明日は両親と家族を連れて金沢に伺います。懐かしい場所に解説で呼んで頂き本当に感謝です。学者として幸せだなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年8月25日 昭和8年から昭和30年代まで活躍された藤田流笛方小島鉄次郎師の御親戚の方がホームページを見て下さって、大学あてにお手紙と小島先生の写真を頂きました。小島鉄次郎師の父上は長唄の初代杵屋三太郎師です。鉄次郎氏の養子は今年亡くなりましたが高名な国際経済学者の小島清氏です。長唄杵屋三太郎家の歴史にとっても能楽藤田流の歴史にとっても大変貴重な情報で感謝でした。一度お目にかかって聞き書きさせて頂きたいと願っております。ささやかなホームページですが、観て頂ける方がいて感謝です。まだ暑いですが、夏も終わりに近づきます。頑張って勉強しなければと思います。ではまた、お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2010年8月22日 今日は熱田教会の教会学校参加のあと、石水博物館調査、其後子供達と釣りに行きます。楽しみです。


2010年8月21日 今日は椙山のオープンキャンパスでした。たくさん生徒さんいらして頂き感謝でした。


2010年8月19日 お盆休み後初出勤です。事務仕事たくさんあります。論文もかかなければ。。


2010年8月18日 椙山も今日から業務再開ですが、今日は大学を休んで午後二時から京都のキャンパスプラザで行われる味方健先生の「能本を読む会」に参加します。優れた講義を聴くことが自分の講義の栄養になると思いますので。往復普通で行きます。小遣い考えて。。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年8月17日 お盆開けです。血圧や肝臓の薬がなくなってしまいましたので、午前中は医者に行きます。午後は名古屋市文化振興事業団の会議に出席します。勉強進んでません。でも、あせらず、よく寝て、論文の締め切りには間に合わせたいと思います。お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年8月16日 今日は弟まきとの誕生日です。いまアメリカの大学に出張して実験しているはずです。ひろとのあこがれの生き物博士のまきとおじちゃんもがんばっているなあと思います。盆明けですが、大学は明日まで一斉休業です。今日は稲武の古橋懐古館に伺います。筑波大学の古文書実習の場所であり、私にとって古文書調査の原点となった場所なので一年に一度は伺いたいのです。飯塚研究室所蔵のレコードリスト現在アルバイト学生さんに依頼して作成中です。できたところまで公開させて頂きます。まだ半分くらい。。私学助成・高橋信三基金・科学研究費・放送文化基金など多くの方々の助成を頂いて集めた物です。今年度中には音源配信まで行いたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年8月14日 今日の午後は安城歴史博物館で「殺生石」について講義します。がんばります。


2010年8月13日 お盆です。今日は自宅で勉強しています。
金春信高師の本葬の連絡をいただきました。
8月25日(水)午後1時~2時半 増上寺・光摂殿 東京都港区芝公園4-7-35 電話03-3432-1431「金春流葬」として「喪主・金春安明」にて執り行います。とのことでした。
 奈良から東京に進出し、熊本細川家の後援で持っていた桜間家中心の流儀から、裾野を広げるべく謡本を統一し、愛好者を拡大して宗家中心のまとまりをもった流儀にした後世金春流中興の祖仰がれるであろう名家元だったと思います。大学時代、信高先生六十前後でしたが、桜間道雄とか、長老が現役だったので、若い家元と言う印象でした。また大学時代が遠くなった思いがして寂しいです。ご冥福をお祈り致します。


2010年8月12日 お盆ですが忙しいです。今日は原稿書きます。


2010年8月9日 7日の土曜日に石川県立能楽堂で行われた「観能の夕べ」に解説者として呼んで頂きました。本学でも教育学部非常勤講師をお願いしている宝生流の佐野由於先生のご紹介でしたが、幼稚園時代を過ごした懐かしい場所に呼んで頂き、本当に感謝でした。僕は解説だとどうしてもしゃべりすぎるので、タイムキーパーが必要です。普段は家内がしてくれるので安心なのですが、用事で無理だったので、比呂人に頼みました。僕の前の席に比呂人が座って、名刺四枚持って、五分に一枚ずつ増やして、「四枚目は二分前に出すからそうしたらパパ止めてね」と約束して。。比呂人がきちんとしてくれたので、落ち着いて出来ました。感謝でした。僕のゼミ生にもかつて小松市や羽咋市出身の学生さんがいました。金沢でも地方入試をさせていただいているので、県立能楽堂に椙山のオープンキャンパスのチラシ置かせて頂きました。土曜日に用意した解説の原稿を挙げさせて頂きます。。
 ただいまご紹介に預かりました椙山女学園大学の飯塚でございます。解説に先立ちまして少し私の大学の紹介をさせて頂きますと、私の大学は名古屋の大学ですが、毎年20名程石川県と近県から学生さんがいらっしゃいます。そこで地方入試を金沢でさせて頂いておりまして来年も金沢市堀川新町の金沢医療技術専門学校で来年も2月3日にさせて頂きます。女子大学ですが、全部で7学部あり、幅広く勉強できます。どうぞよろしくお願いいたします。
 私、実は幼稚園時代に、父が金沢大学に勤めておりましたので、花里住宅と言う公務員宿舎に住んでおりました。金沢めぐみ幼稚園に通っていました。まだ市電が走っていたように思います。懐かしい場所に呼んで頂き、本当に感謝致しております。
演じられる順番は狂言が先ですが、最初に能の弓八幡について解説させて頂きたいと思います。<弓八幡>は能の分類で言いますと、「脇能」と言います。戦前まで、能は朝の八時ごろ始まる翁に続いて、脇能から順番に五つの曲を日没までに演じられることが正式でした。五つの曲はそれぞれ登場人物や曲柄が異なります。その曲が五番のうちの何曲目にじょうえんされるかで分類する方法を五番立分類といいます。「脇能」というのは翁のすぐあと、一番目に上演されます。能の始めの神事である「翁」の脇に、演じられる能と言う意味でつけられている分類です。脇能の登場人物はすべて前が神の化身、後半が神の本体で、神が現れて人々を祝福するというめでたい筋になっています。
 現在では脇能は≪高砂≫≪養老≫以外は、余り上演されなくなっています。これは、日本人の感覚として「神が人々を祝福する」というような筋がよろこばれなくなったことも関係しているように思います。
 ただ、いまでも「祝言」と言う考え方がありまして、めでたい良いことを口にしていると実際に良いことが起こる、また不吉な事を口にすると悪い事が起こるという考え方は生きているように思います。僕は大学に勤めるまでしばらく予備校の先生をしていたのですが、予備校では「すべる」「落ちる」は禁句です。確かに、新テストが済んで自己採点をする時、河合塾などですと合格可能性五十パーセントのボーダーラインをC、合格可能性三十パーセントをD評定と言うのですが、予備校の先輩教師から、その子の第一志望の大学が仮にDだとしても、二次試験の勉強を一生懸命していたら、「大丈夫受かるよ、間違えたところ出来るように見直ししなさい。ただ抑えの大学だけは受けておけよ。」と言うのがいいよと言われました。ほんとかなと思いましたが、「ここまで来たんだから、赤本頑張って志望落とさずに行け」と言った方が、合格率高かったように思います。弱気な子だと、合格可能生70パーセントのB評定を取っているのに、自信なくして、滑りとめまで落としてしまうことあるのですね。気分と言うか、やる気というのか、そういうものは受験ではとても大切で、生徒のテンションを上げて行くところまで含めて教師の腕であるように思います。この曲が作られた時代は戦争続きの室町時代ですが、世の中が乱れていると口にすると、より乱れてしまう。太平でめでたいと言うと本当に平和になるのではないか、とその時代の人々が思ったのだと思います。世阿弥の作ですが、平和と豊かな世への祈りを感じさせるさわやかな曲です。
 ≪弓八幡≫の粗筋を簡単に説明させて頂きます。最初に後宇多院に仕える臣下、家来ですね、が登場します。そして今日は石清水八幡社の二月の初卯の神事で、催馬楽・今様など舞楽や謡物が行われるので、天皇より参詣するようにと言う命令を受けて、いま参詣するのだと言います。卯とは十二支のウサギのことで、昔は年や月や日に十二支を当てはめて表していました。二月の最初の卯の日を初卯と言います。そこに老人と若い男が袋に入れた弓を持って参詣します。脇の臣下がそれは何であるかを問うと、老人はこれは桑の弓であるが、自分は賤しい身分なので天皇に直接お捧げすることができない。本日臣下がいらっしゃるときに献上するのだと言います。臣下が自分で考えたことか、石清水八幡宮の神の御考えなのかと質問すると、老人は、神の御考えであると言い、桑の弓・蓬の矢は、正しい政治の行われている平和な世である印なのだと言います。臣下が桑の弓・蓬の矢で天下を治めた謂れを詳しく語るように言うと、老人は、そもそも弓矢で天下を治めたことも神代から人の世になってからで、それもこの八幡宮の神の力に拠るのだと、神功皇后・応神天皇の世から国土を守る八幡神を賛美します。そして自分は高良の神であると述べて姿を消します。脇が里人に尋ねると、里人がこの初卯の神事は、八幡神がこの都に近い男山の場所に鎮座されたのが、卯の年の卯月の卯の日の卯の時であったため、初卯を祝うのであると説明します。そして高良の神は、八幡宮に仕える最も大切な末社の神だと言います。脇が祈っていると高良の神が現れます。そして舞を
舞い、平和な世の中を祝って八幡神の恵みを賛美して終曲となります。
 中世の世界観において、神と仏と鬼は、変身と分身をすることが出来ます。ですから、どのような姿ででも、またどのような場所にでも、同時に二つ以上の場所に違う姿で現れることも可能です。そして、中世においては、神は仏が姿を変えて日本に現れたものだと信じられていました。ですから、寺院と神社は同じ敷地に一体化してあった場合が多いのですね。弓八幡の最後の詞章は「示現大菩薩八幡の神託ぞ豊かなりける」ですが、示現大菩薩とは神として現れた八幡大菩薩と言う仏です。ここでは男山八幡宮(石清水八幡宮)の神を指します。そして神仏の世界にも身分制度があります。身分の高い神仏には、その横に彼に仕える神仏がいるのです。たとえば、浄土教では阿弥陀如来が最高の仏ですが、阿弥陀如来の座像は単独で置かれることはむしろ少ないです。『観無量寿経』の説くところにより、阿弥陀如来の脇に観音菩薩と勢至菩薩が立つ姿で安置されることが多いです。神でも本社の横に、本社に仕える神様が祀られることがあります。この家来の神様を末社と言います。前シテの老人は高良の神の化身ですが、高良の神は石清水八幡宮の末社です。前半は家来の神様が老人に姿を変えて現れる、後半は高良の神の本体の姿で現れると言う設定です。前半の老人は、水衣をつけている。水衣は能では作業着もしくは旅の服の象徴ですから、この前シテは作業服かジャージを着たおじいさんだと思わなければならないのですね。石清水八幡に仕えるという性格が前面に出ているのでしょう。後半の神の本体では、袷狩衣(あわせかりぎぬ)ですから、おしゃれな礼服を着ている身分の高い神という設定になります。装束の変化で身分の違いなども表現しています。
 次に≪魚説経≫について解説させて頂きたいと思います。現在、お金や訓練がなくて、簡単になれそうなイメージの職業ってどういうものがありますかねえ。学生に聞いてみると、お笑い芸人とか、天気予報のお姉さんなどを挙げる人が多いのですが、実際には倍率が高くて、本当になれる人はめったにいないのだと思います。いまの大学1年生は平成3年・4年生まれで、昭和を知らないのですが、僕らが大学生の頃は、都会の人間関係に疲れた恋人同士が北海道に移住して牧場を経営するというようなドラマがいくつもありました。確かに当時は就職難で、就職がなかなかない学生はいました。でも実際に北海道へ行って牧場主になった者はいませんでしたね。
 それと同様に、能や狂言の世界でも、あるきっかけで転職しなければならなくなった時、よくなる職業がありまして、能だと「物狂い」という大道芸人、狂言だと出家、お坊さんなのですね。能には子供と生き別れたお母さんが、物狂いになって、子供を捜すと言う筋が多いのですが、子供がさらわれたからと言って母親がすぐに大道芸人になって旅に出ると言うのは当時でもあり得なかったと思います。ただ、物語の設定として、主人公が謡ったり舞を舞ったりする筋を作りやすかったので利用されたのでしょう。≪魚説経≫では漁師が出家します。お経を知らないのに、お堂の供養、完成式典をしなければならなくなって、魚の名を繋げた説経をする。この説経の内容は言葉遊びです。でも厳粛なお堂の供養に生臭ものである魚の名前ばかり言われても困ります。依頼者は怒って僧に叩くぞと言いますと、僧侶は「棒鱈か太刀魚で」たたけと言うのです。僧は依頼者に怒られて追い込まれて終わります。徹底的に魚の名を入れます。考えようによっては「親父ギャグ」で相当に寒いんですけど、本当にたくさんの魚の名が隠されていますから、聞くときはどこに魚の名が隠れているのだろうか、考えていただけると楽しめると思います。高校の先生をしていた25年ほど前に「寿司喰いねえ」と言う歌がはやったことがあります。魚の名がたくさん出てきます。歌詞は「トロは中トロコハダアジ、アナゴ甘エビしめさばすずき、ホタテアワビに赤貝ミル貝、カツオカンパチウニイクラ、ここの寿司屋は日本一」まで覚えています。当時の生徒ももう43歳です。シブがき隊って、当時の生徒には人気ありました。これも単純な魚の名前の羅列ですが結構面白い。魚説経の言葉遊びの楽しさもぜひ味わって頂きたいです。
 狂言の「魚説経」のシテの中島恭介さんは小学校一年生から稽古されている高校三年生、能の「弓八幡」のシテの渡辺茂人師は渡辺容之助師の息子さんで東京芸術大学卒業の38歳、ともにこれからの能楽界を担ってゆかれる方です。僕は大学で教えるときにいつも「君たちは60年後の能・狂言を観る事が出来るのだから君たちが伝統を繋いでいって欲しい」と言っています。僕も15才の頃から能を観始めて34年になりますが、飽きる事はなく、素晴らしい芸術だと思っています。能の継続には本当に多くの方のご努力が必要で、このような普及のための催しを継続されている関係者の皆様のご努力に感謝し敬服致しております。
 ちょうど時間となりました。最後までゆっくりご鑑賞いただければと思います。ご清聴ありがとうございました。

この日は金沢の北陸花火大会の日でした。僕のゼミ生さんが一人、金沢旅行に来ていて、友人と花火を観に行く予定だったのに、僕の解説と狂言だけ、花火に行く前に友人を誘って二人で浴衣姿で来てくれたのは本当に感謝でした。能楽堂には留学生さんや若い人もいらっしゃいましたが、やはり若い人が多いとこれからのために安心出来ます。二人とも本当に60年後にも能・狂言を観て貰えればと思います。狂言・能とも、若さと基礎技術の鍛錬が光っていておもしろかったです。次は28日にもう一度解説させて頂きます。殺生石と文荷ですが、頑張りたいと思います。
 能が終わって外に出ると、犀川の方向に花火が上がり、とても綺麗でした。幼稚園の頃、両親に手を引かれて観た犀川の花火を43年ぶりに観られて、うれしかったです。比呂人にも見せられてよかったです。翌日は釣りをして昨日帰りました。今日は大学で採点しています。勉強もしたいのですが、、採点の後です。。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年8月8日 昨日金沢で泊ったので、ひろとと金沢で釣りをしました。小アジが釣れたのですが、傷みやすく、氷を手に入れるために市場で買ったせいごとアサリは大丈夫だったのですが、小アジは食べられないと言う事で残念でした。気をつけないとと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年8月5日 忙しいです。今日は採点です。皆様お元気で。


2010年8月2日 今日は比呂人の11歳の誕生日です。健康に育っていて感謝です。夕食後ケーキでおいわいしました。明日は友恵の9歳の誕生日です。感謝です。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年8月1日 今日は熱田教会の教会学校に伺い、それから僕は石水博物館調査へ、子供達は長田先生の子供能楽教室に行きます。帰りに待ち合わせて白子漁港で釣りをする予定です。楽しみです。事故に気をつけます。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年7月31日 今日から夏休みです。来週神戸に出張しますので、早めに採点したいと思い、出勤しました・昨年まで、ホームページのカット&ペーストと思われるレポートが目についたので、今年度よりレポートは手書きのみとしました。効果はあるようで、昨年よりも自分の言葉で書いているレポートが多いように思います。しばらく手書き限定を続けたいと思います。明日は石水博物館調査です。楽しみです、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年7月30日 今日で試験週間終わりました。教務委員長なのでしんどかったです。何事もなくて感謝でした。明日から夏休み。一安心です。


2010年7月27日 今日は午後会議、四時間目は中国語の試験監督です。頑張ります。皆様お元気で。


2010年7月26日 今日から試験週間です。教員もかなりハードです。頑張ります。


2010年7月24日 今日は火曜日の補講でした。土曜日でしたが、履修放棄した人以外は全員出席。課題も全員まあまあ出来ているので、よかったなあと。。マックの使い方の初歩を教えてきたので、あとは学生たちがそれを使ってどんどん深めてもらえればと思います。パソコンを用いた映像・音楽・画像などの制作もソフトの使い方の基礎は講義でやりますが、あとは、先輩に尋ねながら、自分で試行錯誤して身につけるものだと思います。今日は名古屋能楽堂では九月からの名古屋祭展のための資料撮影があったのですが、間に合わず、残念でした。蓬左文庫の名古屋祭展拝見しましたが、よいものがたくさん出ていて勉強になりました。やはり碁盤割の商家はものすごい財力をもっていたのだなと思います。明日は椙山のオープンキャンパスです。僕も学部説明のため出勤します。椙山をめざしてくれる良い生徒さんがたくさんいらしてくださると良いなあと思います。明日の夜は電気文化会館コンサートホールで6時半から行われる「東海三曲演奏家の会主催名古屋開府400周年記念邦楽コンサート芸どころ名古屋を築いた三曲400年のあゆみ」 に家族で伺う予定です。岩田西園先生は伝統的な虚無僧尺八息子さんの岩田恭彦さんと岩田昭彦さん兄弟は和風のジャズと、親子で作風は違うのですが、尺八という楽器で、とても面白い世界を作られるので。。とても楽しみです。ではまた皆様お元気で


2010年7月23日 今日は月曜日の補講でした。明日は火曜日の補講です。がんばります。


2010年7月22日 昨日は科学研究費取得のための学内研修会、取得された先生方のアドバイスを中心にした研究会ですが、自然系の生活科学部の石原健吾先生、研究テーマがどのように社会に役立つのか、研究手続きと必要な資金の関係など、非常に分かりやすくて、とても参考になりました。若い講師の先生ですから、実績と言う面では他大学の教授の先生でそれ以上の人がいるかも知れないけれど、これだけ研究目的と資金の使途とがはっきりしていて、テーマの高齢者の水分補給方法に関するデータが社会に役立つことがわかれば、助成すべきだと審査員も思うだろうなと。。これから研究を始めよう、もしくは始めたばかりで、まだ実績の面では年上の人には負けるけれど、研究意欲と技術があり、資金を必要としている人は勇気をもらったのではと思います。僕は二年連続不採択で、南山大学の安田文吉先生の共同研究者で十万円、朝日大学の米田真理先生の共同研究者で十万円頂いています。昨年秋に米田先生の書類拝見したとき、僕の方が蓄積はあるけれど、勢いと分かりやすさではとても勝てないなと感じていました。米田先生は僕より一世代若いのですが。石原先生の発表伺っても同じ印象でした。いい若手研究者が椙山にいるんだなあと。。あと二カ月で申請ですから僕も計画を考えなければなりませんが、小規模でよいからみんなに使って貰えて緊急性のあるかちっとした資料を作る、分かりやすい計画を立てたいと思います。尾張藩能楽資料の収集整理と言う講師時代からのテーマに成ると思いますが。。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年7月20日 子供の小学校は今日が終業式です。大学はあと一週間講義、そのあと試験です。まさか義務教育よりも大学の休みに入るのが遅くなるとは思いませんでしたが、がんばります。皆様お元気で。


2010年7月19日 今日は祝日で休みですが、今日の補講を金曜日にしなければならないので、それならば祝日講義でも良いかなあと思います。祝日に休んでも半期で15回講義しなければならないので。。今日は原稿書きます。。暑くなりそうです。皆様お元気で。。


2010年7月18日 今日はさすがに疲れてしまって、朝は熱田教会お休みして自宅で寝ていました。午後から名古屋文化情報の視点の原稿「平成の名古屋能楽界」をなんとか書いて入稿しました。実はまだこちらで確認するべきことたくさんあるのですが。。「取り急ぎ・取りあえず」です。。記憶力が怪しいので、「覚えているとき・覚えているところまで」のものを送って連絡取り合わないと危ないのです。若いころにはありえない仕事のやり方ですが。。相手に迷惑かけますが、五十近くになって締め切りのある原稿の場合はこの方法で勘弁いただければと思います。山根先生との共同研究の礼法書の見直し、いそがなければと思います。今晩中にと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年7月17日 今日は火曜日の補講でした。明日明後日休みなのが嬉しいです。頑張って原稿書きます。皆様お元気で。


2010年7月16日 暑いです。胃の調子がよくないです。東海能楽研究会の例会案内や、自分の紀要の抜き刷り発送など、仕事も停滞しています。無理しない範囲でがんばります。皆様お元気で。


2010年7月15日 今日は11月16日の火曜日に名古屋民放クラブ懇話会で依頼された講演のためのパワーポイントを作成しました。途中までしかできませんでしたが。。ラジオ放送がどのような形で当時の芸能を変えていったのかをSPレコード音源から話すのですが、当時の芸人の写真も、グーグルの画像検索で引くとほとんど出てくるのに驚きました。結構そのような趣味の人もいるのだなと。。SPレコード音源はがんばって作ろうと思います。お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年7月14日 教授会なんとか終わりました。残務処理はまだありますが。。文部科学省の方針と言う事で、ポートフォリオやGPAに関する議論もありましたが、大学が学生に何を教えて、学生がどこまで達成できているのかまで、公開する方向に来ているのだなあと感じます。学生の就職も国際的な基準で海外の学生と競争する時代に成ってきているのかなあと。。日本人がIBMなどアメリカの企業に勤めているのですから、豊田関連企業にアジアの学生が多く勤めても自然なのですが。そういう時代には大学教育も、学生に教えた中身と、この学部を出た学生はこれが出来るという内容を公開する方向に行くのでしょう。国内の他大学の学生とのみの競争ではなく、日本企業に職を求めて来る世界の学生との競争になるという。。自然な流れと思いますが、地元のコンビニに中国や韓国の人が多く働いていることを考えても、多国籍化・国際化って日本国内でそうとうに広く深い部分まですでにそうなっているのだろうと思います。大学も変わって行くだろうと思います。頑張って優れた学生育てたいです。日本人も留学生も。。ではまた、皆様お元気で。。


2010年7月13日 今日は教授会です。教務委員長なので責任があります。きちんとやりたいです。また優秀な学生育てたいです。皆様お元気で。。


2010年7月12日 行きつけの内科が廃業されたので、両親の行きつけにゆきました。椙山の昔の教え子の家です。血圧の薬頂きました。長生きしたいです。


2010年7月11日 今日はこれから石水博物館に調査に伺います。


2010年7月9日 昨日は家族にケーキ買って貰ってみんなで食べ、実家に電話して御礼言いました。家族・双方の両親とも元気で感謝です。天命を知る年になったので、天命を考えなければと思います。明日は土曜日ですが月曜日の補講がありますので、その教材作成をします。なかなか勉強できませんががんばります。皆様お元気で。


2010年7月8日 今日は僕の誕生日です。満49歳、数え年だと50歳になりました。双方の両親とも元気で二人の子供に恵まれ、健康に仕事も出来ていて感謝です。現在勤続十九年目、満二十九歳で椙山に来たので来年三月で折り返しを迎えます。。定年まであと二十年ちょっと。がんばります。みなさまお元気で。


2010年7月7日 会議の残務処理で忙しいです。勉強したいです。。。みなさまお元気で。。


2010年7月6日 やらなければならない仕事、山のようですが、進んでいません。なんか胃の調子がいまいちです。今日は会議です。会議はきらいです。仕事ですのでがんばります。。勉強したいです。。


2010年7月3日 昨日の豊田能、景清よかったです。こういう曲は「人生いろいろ」ではないですが、どうしてもある役者の年輪と重ねて見てしまいますから、若いと「上手」でもなかなか感動出来ないのですよね。。昨日の梅田先生は喜寿超えて元気だから出来る芸で佳かったです。。今日の名古屋能楽堂、邯鄲は梅田嘉弘先生ですが、これからの人なので、若さと技術を見せて頂きたいです。また、狂言の鼻取相撲、大名の佐藤友彦先生楽しみです。こちらはベテランです。。狂言でも鼻取相撲や文相撲など相撲のものは大曲で蚊相撲以外は五十分はかかります。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年7月2日 アナログ資料をデジタル化しておけば、将来の散逸や劣化が防げるはずでしたが、、十年前のNECフォーマットのフロッピーが読めません。。5インチのフロッピーなんて、どうにもならない。。しかし、研究室には、「将来論文にしよう」と考えて、フロッピーに打ち込んでいた古文書が大量にあるのです。ハードディスクに落としておけばよかったですが、当時のハードディスクはそこまでの容量がありませんでした。教員サーバーのマイドキュメントも。。最近気力の衰えを感じます。四十代後半ですが三十代とはやっばり違う。。三十代に入力したものをもう一度入力する時間はないので、メディア変換の会社に出そうと思います。そのためのフロッピの整理も必要です。それだけで時間かかりそうですが、頑張ります。他の資料を探す以前に、研究室の資料を活用できるようにスタンバイしておかないと。。これから今以上に時間が出来る事は、定年まで期待できません。これ以上体力があることも。。ならば与えられた時間と体力を最高に活かす方法を考えなければならないでしょう。。来年から文化情報学部はメディア情報学科と文化情報学科の二学科に分かれます。僕は文化情報学科に所属しますが、現在の専攻とは異なり「文化・アーカイブ領域」の担当になります。夏休み前に研究室資料のアーカイブ化を行いたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年7月1日 今日から七月です。体調いまいちですが、無理せずにがんばります。皆様もお元気で。。


2010年6月30日 六月も終わりです。以前はもうすぐ夏休みと言う感じがありましたが、講義15回厳格に行うと言う国の方針で月曜日・火曜日は土曜日補講もあり七月末まで講義ありますから、まだ遠いなあと思います。2002年以降の論文や資料のファイルはハードディスクにあるのですが、それ以前のものはフロッピーディスク、しかも1.2のNEC形式でフォーマットしてあるものや、5インチのフロッピーです。読める機材がないので、正直LPやオープンリール以上の難物です。これね少しずつ整理したいです。研究室の資料整理が、他の資料整理以上に必要になってきました。思いきって整理して捨てないと、もう入りませんし、利用も出来ないのです。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年6月29日 今日は留学生の赤津焼体験で瀬戸に行きます。楽しみです。今週から講義アンケートが始まりました。学生からの評価ですが、毎年ながらどきっとするようなこともあります。僕はアルバイトで学業がおろそかになるのは容認できませんし、講義態度にはかなり厳しいです。大多数の学生さんには理解して頂いているようですが反発もありました。注意がハラスメントになっては困るのでこのあたりは慎重にする必要があります。また僕も余談が受ける年代ではないので余談はやめようと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月27日 今日は朝熱田教会の教会学校の中高科で礼拝説教を担当させて頂きました。創世記のヤコブとエサウの部分ですが、難しかったです。。帰ってひろとと食事し、午後は刈谷市立図書館にひろとと行って勉強しました。。友恵は家内と津の長田先生の能楽子供教室に伺いました。帰りに刈谷駅で待ち合わせ、回転寿司で食事して帰宅しました。楽しかったです。忙しい毎日が続きます。体調管理がとても大切だと思います。ではまた、お元気でおすごしくださいますよう。


2010年6月26日 土曜日です。能楽堂で長唄の会がありますが、今週も全く勉強できませんでしたので諦めて原稿を書きます。夕方からは佐藤友彦先生のお宅に資料の撮影に伺います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月25日 金曜日は講義が一こまなので本来勉強が出来るはずの日なのですが、なぜか元気が出ず、困っています。若いころからずっと付き合っている鬱かなあとも思いますが、ならば低空飛行のままで落ちないようにコントロールしなければなりません。。なんとか講義をして戻ったら、岐阜県の民謡の星谷貴則さんから、「岐阜県下呂市金山町祖師野の盆踊り復活の話ですが細々と働きかけを続けてきたところ、当時の踊りを覚えて見える方が、複数名あるということで来月7月下旬に、その方々の記憶のすり合わせをしながら、踊りの形をとりまとめ、復活を目指すこととなりました。7月から地元保存会と本格的な唄の練習に入り、お盆までの間に踊りを地域の方々に覚えていただくように練習を重ねてゆく計画です。」というメールを頂きました。とても元気が出ました。現在は歌われていない盆踊り唄で、踊りも絶えていますが、昭和三十年代の最初にCBCの本田善郎先生が調査・録音して放送されたものを、四方しん先生が御自宅でほかんされていました。それをデジタル化して、隣接著作権の消滅したものについて配信したのを中日新聞の長谷義隆さんが記事にして下さり、星谷さんがそれをみて椙山にいらして下さって、民謡復活の資料として音源を使われることになったのですが。。一旦失われた踊りと歌が、このような形で復活できたらとても意味のある仕事だと思います。本田先生からはメールで「「ソシノ」 何て懐かしい言葉でしょう」というご感想頂きました。ご一緒に祖師野に伺えたら嬉しいなあと思います。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年6月24日 家内が朝刊もって二階に上がってきて、関根祥人が亡くなったと言うので、信じられなかったですが、確かに中日新聞の訃報欄に出ていました。享年五十歳。人生五十年とは昔の話で、現在は八十過ぎても元気な能楽師が多いのに、本当に残念です。西の清司、東の祥人で、片山清司と並び称される名手でありスターでした。心よりご冥福をお祈り致します。豊田の敦盛拝見したのが最後で、もっともっと拝見したかったです。胸部大動脈瘤乖離で、亡くなったそうです。一回家内の母もやりましたが、家内の母はおかげさまで助かりました。僕も動脈硬化進んでいるそうなので、気をつけます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月22日 今日は会議日です。教務委員長なのできちんとやらないとと思います。夕方からは、今年度いただいた学園研究費Aの打ち合わせです。デジタルライブラリの作成と発信に関してですが、どの資料をデジタル化するのか、どう発信するのか、どのような役割分担でいつまでに行うのか。これも研究代表者なのできちんと決めたいです。夕方は佐藤友彦先生の御自宅に資料撮影させて頂きに伺います。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年6月21日 今日は日本の伝統と文化で西川古都先生にいらして頂き日本舞踊の「川風」の二回目を習いました。浴衣を持ってきた学生は古都先生と古英里先生が着付けて下さいました。今日着付けて頂いた学生さんは三人でしたが、感謝でした。オープンリールテープのデジタル化、研究室でもできないか試行錯誤しています。しょっちゅうフリーズして再起動しなければならないのですが。。今日ようやく片面分デジタル化出来ました。明日も頑張ります。いただいているものがたくさんあるので。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月20日 今日は父の日です。子供達からきれいにラッピングした干菓子を貰いました。友恵の小づかい一月分なのよということで、感謝でした。カードには、「いつもごはん食べさしてくれてありがとう 友恵」「いつもありがとう。ひろと」とありました。友恵の「ごはん食べさしてくれて」って随分具体的だなあと思いましたが、、家内に聞いたら母の日カードには友恵は「いつもご飯を作ってくれてありがとう」と書いてあったそうです。女の子だからなのか友恵の性格なのか、「ごはん」に絞っていて何かとても具体的です。ひろとの方が情緒的かなあと。。しっかりごはん食べさせないとと思います。子供達にも長生きして人生を楽しんでほしいです。今日は自宅で原稿書きます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月17日 今日は佐藤友彦先生のお宅に古文書の撮影をさせて頂きに伺います。楽しみです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月15日 午後から雨でした。梅雨の季節ですので仕方ないですが、身体がだるいです。気をつけないとと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月14日 今日は「文芸A」の講義に放送作家の伊佐治弥生先生にいらして頂いて「中学生日記」の製作現場の話をして頂き、「日本の伝統と文化」の講義で西川古都先生にいらして頂いて、日本舞踊の「川風」を教えて頂きました。どちらもとても贅沢な講義でした。僕も伺っていて楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月12日 安宅のイヤホンガイド聴いて頂いた方のインタビュー、能楽堂から送って頂きました。謡と解説がかぶってしまったところや、言い間違いも結構あったため、厳しい指摘がありました。申し合わせの時に拝見して練習すれば避けられたと思いますが、講義で伺えませんでした。申し合わせが拝見できなくとも謡にかぶらない解説をする練習ができるよう原稿も工夫したいと思います。イヤホンガイドの責任と難しさをあらためて感じました。七月まで三年生のゼミの募集があります。何をするのか学生さんから聞かれますが、僕は今年は事務系統に進みたい学生が多いため、パワーポイントや簡単なポスター・動画作成は出来た方が良いだろうと思い、そのようなソフトの習熟しながらマックで動画を作る演習をしています。恵理人蝉(えりとぜみ)のページに四年生の最初の課題で作った動画を挙げておきました。五月の四回ほどで作ったものです。ゼミの内容説明するには、学生作品観てもらうのが一番早いので、自分でこういうもの作ってみたいという学生さんに来て貰いたいです。ゼミの質問に来た学生さんには恵理人蝉のページ観てくれたか聞いて感想を聞きたいと思います。自分が何を考えて、何を教えているのか、拙いものですが、その時々にホームページで発信しておくことが、あとで「記録」にもなるだろうと思います。今日は二時から安城市歴史博物館で「景清」についての講義をします。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月11日 昨日学園研究費A採択の通知が来ました。昨年に引き続きで本当に感謝ですが今年は僕が研究代表者なので、がんばらなけれどなりません。今日は書類作成がんぱ゛ります。皆様お元気で。


2010年6月10日 昨日の味方先生の講義とても面白かったです。本文調査と演出の調査を踏まえた講義はとても質が高く、及ぶはずはありませんが研究と講義の「型」として優れていると思います。僕も見習いたいです。今日は講義三コマ、そのあとに能楽堂で打ち合わせです。頑張ります。


2010年6月9日 今日は講義がないので、京都に味方健先生の能本を読む会に伺います。優れた講義をまず聴かないと。。自分の蓄積が出来ないので。楽しみです。


2010年6月8日 大学の同級生で作家の松村栄子さんから『京都で読む徒然草』という本を頂きました。松村氏が徒然草の小段を現代語訳したものに原文(古文)がつき、それに松村さんが京都住人の立場でコメントされているのですが。。「徒然草って現代にも通じる」と国語教師ならば誰しも教壇で言ったことがあると思いますが、ではどこがと言われると、自分で全体を読んでいない人も多いのではと思います。僕自身通読は高校の時に一度したのみです。久しぶりに、「文法や教材作成のことを離れて」松村氏の訳やコメントを読んでいると、確かに現在に通じると思います。新聞の連載らしく短い単位で読めるのもありがたいです。僕を含めた国語教師にぜひ薦めたいです。お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月7日 二日間連続のイヤホンガイドで緊張していたのか、少し疲れ気味です。勉強早めに切り上げて帰宅しました。はやめに寝ます。皆様お元気で。


2010年6月6日 今日は近藤幸江先生の幸謡会の大原御幸のイヤホンガイドを担当させて頂きました。二日連続のイヤホンガイドは初めてでしたし、大曲続きで緊張しました。静かな曲なので、解説が舞台の邪魔にならなかったか心配です。でもはなさなければ、イヤホンガイドの意味がないので。高橋一夫先生と高校の数学の先生だった加藤邦雄先生が聞いてくださったのは本当に感謝でした。今日の原稿になります。よろしくご教示ください。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。

大原御幸イヤホンガイド原稿

 笛、小鼓、大鼓が楽器の調子を整える、お調べが聞こえてまいりました。まもなく開演となります。
 この曲の舞台は、平家が滅亡した後の夏の、大原の寂光院です。平家が壇の浦の戦いに敗れて滅亡する時、平清盛の娘であり、高倉天皇の中宮であった平徳子は、自分の子供である安徳天皇とともに海中に身を投げました。しかしながら、源氏の武士に助けられ、最愛の子供を含め一族全てを失いながら一人助かって都へ帰還します。そして出家して建礼門院となり、大原の寂光院で平家の一門を弔う日々を送っております。
 初夏のころ、高倉院の父、すなわち岳父にあたる後白河法皇が建礼門院を訪れます。建礼門院は後白河法皇に一族と安徳天皇の最期を語ります。そして話を終えると、後白河法皇は都へ帰ってゆきます。
 幕を片方のみ開けて、囃子方が登場いたします。笛、藤田六郎兵衛、小鼓、後藤嘉津幸、大鼓、河村眞之介の各師となります。舞台向かって右側の切戸口より、本曲の地謡、能のコーラスの人々が入ります。本日の地頭は大槻文蔵師が勤められます。

 後見が大藁屋の作り物を舞台に運びます。女院の住居である寂光院を現します。屋根が藁で作られていることによって、これが粗末な庵であることを表現します。

 ワキツレの廷臣が間狂言の従者を伴って登場致します。廷臣は、洞烏帽子・袷狩衣・白大口で、身分の高い臣下であることを表現します。廷臣を橋本宰(はしもとつかさ)が、従者を野村小三郎が勤めます。

(これは後白河院に)わたしは、後白河の院にお仕え申し上げる臣下です。さてもこのたび、畏れ多くも先の天皇である安徳天皇や、その祖母の二位尼を初め申し上げて、平家の一門はみな九州に近い長門国早鞆の浦、すなわち壇の浦でお亡くなりになりました。建礼門院も御身を投げさせなさったのですが、海中から取り上げ申し上げましたので、生きる甲斐がないと思っていらっしゃる御命をお助かりになりました。三河の守範頼、九郎大夫判官義経の兄弟がお供申し上げ、三種の神器もなんの障りもなく都に納まり国土も平和になりました。
 (さるほどに女院は)このような状態でありますから、建礼門院も都にお移りになるはずであったところ、先の帝である安徳天皇の菩提と、母である二位殿の菩提を弔いなさるために、大原の寂光院にいやなことの多い世の中をさけて暮らしていらっしゃるのですが、後白河法皇はその寂光院にお出かけになり、建礼門院を御訪問なさるということでありますので、その道の整備を命じようと思います。

廷臣は間狂言を呼び、道の整備を命じて退場します。間狂言は野村小三郎が勤めます。間狂言は、それを四方に触れます。この触れによって命令がいきわたったことを表現します。そして退場致します。

後見が、作り物の引き回しをはずします。中央に女院、右側に大納言の局、左側に阿波の内侍が着座しています。一同右手に数珠を持ち、仏に仕える生活をしていることが示されます。大納言の局の前には手篭がおかれています。仏に備える花を摘むためのものです。シテの女院を近藤幸江が勤めます。大納言の局を多久島法子(たくしまのりこ)が、阿波の内侍を塩谷恵(しおやめぐみ)が勤めます。

(山里はものの寂しき)山里はもの淋しいことはあるのだが、憂うつな人との交わりがないだけ住みやすいことである。
 ただ、この柴で作った扉を立てた庵には、都よりの音信もまれであり、目の荒く結われた垣根や節の多い竹の柱で組んだ粗末な家に住んでつらいことの多くある身では、何かにつけてもの思いをすることだが、このような山里なので、それを見てあの人は悲しんでいるよと言うような、人目がないことこそ心安いことである。

 (折々に心なけれど)折りに触れて、そのつもりがなくとも音をたてて訪ねてくるものと言えば、山人が薪を作るために木を割る斧の音、木こりが木を切る斧の音や、梢をわたる風や猿の声、これらの他には蔦や葛を繰るように、めったに来る人もなく、草は人との交わりをたっていた顔淵の家のあたりのように繁茂し、雨は原憲の扉を濡らすように粗末な扉を濡らすのだが、つのるもの思いの結果として、袖は涙によって濡れるとである。涙で袖が濡れることである。

 自分たち以外の人が訪れることのない、淋しい山里の生活が描写されます。

(いかに大納言の局)さあ大納言の局よ、うしろの山に上がって仏に供えるしきみを摘むことにしましょう。
(わらはも御供申し)私もお供申し上げて、薪を取り、蕨を折りとって食事に供え申すことに致しましょう。
(譬は便なきことなれども)畏れ多い例えではありますが、釈迦如来は父である浄飯王の都を出なさって、北インドのガンダーラにあるという檀特山という険しい山道を登り、菜を摘み、水を汲み、薪を採るといった本来奴隷のなすべき仕事をなさって仙人にお仕えになり、ついに仏になりなさったとか。私も仏に仕えるためであるから、お供えのための花籠を手にとって、なおここよりも山の奥に入りましょう。なおも山奥にお入りになることである。
 
一セイの囃子で、シテツレの法皇、脇の万里小路中納言〔までのこうじのちゅうなごん〕、ワキツレの輿かきが登場致します。法皇は左手に数珠をかけています。法皇は斎藤信隆がつとめます。浅黄の指貫をつけています。指貫をつけることで高貴な人物であることを示します。花帽子をつけ、掛絡〔から〕をかけることによって、出家した人物であることを表現いたします。脇の中納言を飯冨雅介が勤めます。
 
(九重の花の名残を)山路を分けてゆけば露も深く、露も深い草の山道を分けてゆき、大原へのお出かけを急ぐこととしよう。

 露は涙を象徴致します。

 (御幸を早め)道をお急ぎ申しましたので、早くも大原にお着きになりました。
こうして大原におでかけなさって、寂光院のあたりを見回すと、
 露の宿る庭の夏草は茂り、青柳の長い枝は糸のように垂れ下がって風によってもつれ合い、池の浮き草は波に揺られて、あたかも錦を水にさらしているのかと思われる。岸辺の山吹の花は咲き乱れ、幾重にも重なる雲の切れ間から、山ほととぎすが一声なくのも、法皇の御幸を待って歓迎しているかのようである。

 (法皇池の汀を)法皇は池の水際をごらんなさって、「池の水に、岸辺の桜が散りかかって、波の間に花が白く盛りに咲いているようだ」とお詠みなさる。
 (旧りにける岩のひまより)古色を帯びている岩の、その間から落ちてくる、岩の間から流れ落ちてくる、水の音までも趣があり、翠の蔦・葛が茂っている垣根の様子といい、翠のまゆずみのように重なりあった山の姿といい、絵に描くとしてもとても筆では表すことができない素晴らしい夏の水辺の景色である。
 (一宇の御堂あり)この素晴らしい景色の中に、一つのお堂がある。屋根の瓦はこわれて霧があたかも絶えず焚かれている香のように室内にまでたち込め、扉は朽ち落ちて、月があたかも常にかかげられている灯明のように室内にさしこんでいるといった詩に書かれた姿も、このような古く壊れかけたような堂の様子なのだろうか、なんともの淋しい様子であることだろうよ。。

(これなる御堂こそ)ここにあるお堂こそ、建礼門院のお住まいであるように見えます。庭の手入をするものもいないので軒には蔦や朝顔が這いかかり、雑草が深く生茂って扉をとざしている。なんともの淋しい様子なのだろう。

(いかにこの庵の内へ)もうし、この庵の中にお尋ね致します。
どなたでいらっしゃいますか。
私は万里小路の中納言であります。
それにしても人のめったにいらっしゃらない山の中に、どうしておいでなさいました。
そのことです。女院のお住まいを訪ねるために、法皇がこれまでいらっしゃったのです。
阿波の内侍が院が女院の留守であることを述べます。

(女院は上の山へ)女院は上の山へ仏にお供えする花を摘みにいらっしゃって、今はお留守です。
法皇がいらっしゃったことを申し上げましたところ、女院は上の山に花を摘みにいらしていて、今はお留守であるとのことでした。しばらくこの場所にいらっしゃって、女院のお帰りをお待ちください。

法皇は阿波の内侍に誰であるが尋ねます。旧知の人物ですが、衰えて面影がないのです。
(やあ、いかにあの尼前。)もし、いかに尼御前、あなたはどなたですか。
まったくお見忘れなさるのも当然です。これは信西の娘、阿波の内侍の落ちぶれ果てた姿であります。このようなあさましい姿でありながら、明日の命もわからないものでありますので、お忘れになりましても恨みには全く思わないものです。
阿波の内侍の面は深井です。頬のこけた中年の、しかし昔美しかった人と言う設定の人がつける面です。無地のしめ・花帽子で中年の質素な尼の姿です。

(女院はいづくに)女院はどちらに行かれたのですか。
上の山に花を摘みにいらしています。
さてお供はどなたですか。
大納言の局です。もう少しお待ちください。すぐにお帰りになるでしょう。

アシライの囃子で、シテの女院が大納言の局を伴って登場致します。女院は左手に木の葉を入れた手籠を持ち、右に数珠を持ちます。大納言の局は右手に薪を象徴する爪木と、山菜の蕨を持ちます。女院は橋かかりの二の松に、大納言局は幕に近い三の松にとまります。
女院のの面は節木増で花帽子、紫の水衣で、少し盛りを過ぎた二十代後半の尼の労働をしている姿、大納言局の面は小面で、花帽子に無地のしめで若い尼の姿です。

(昨日も過ぎ今日も)昨日も過ぎ、今日もむなしく暮れようとしている。
明日の命もわからないこの身ではあるが、ただただ先の帝である安徳天皇の姿が目に浮かび、忘れることが出来る時はまずないであろう。極重悪人は他の方便はない。ただ阿弥陀仏の名を称えて極楽に生まれることを得よう。安徳天皇をはじめ奉り、その祖母二位の尼や平家一門の人々が悟りを得て成仏しますように。阿弥陀仏に帰依申し上げます。
 
ただいまあの崖づたいを女院がお帰りになっておいででございます。
 さてどちらが女院で、大納言の局はどちらなのだろう。
 花籠を肘にかけていらっしゃるのは女院でいらっしゃいます。薪と蕨を持っていらっしゃるのは大納言の局です。
 もうし、法皇さまがいらっしゃいました。
 
 女院にとって法皇は、夫であった高倉天皇の父親で、岳父にあたります。法皇は自らの子である高倉天皇と孫にあたる安徳天皇に先立たれています。女院にとって忘れられない夫と子供は、法皇にとっても大切な肉親でした。しかしながら、法皇は身分の上で最高の方です。その人に逢ったということは、まだ昔の華やかな生活を忘れられないのではと疑われるもととなります。

 (なかなかになほ妄執の)法皇にお目にかかるとかえって、ただでさえ、忘れられないこの世を、いよいよ心の迷いによる執着で忘れることができなくなる。平家一門とともに死ぬことも出来ず生きてこの世にあるという憂うつな名前を世に漏らすと思うと涙も流れるのだが、この袖の様子ををお見せするのも恥ずかしいことである。

 とは思うけれども法王様も御出家であり、同じ仏の道に志すお方と頼みに思われることだ。

 (壱年の窓の前)窓の前で念仏を一回唱えては、阿弥陀仏が往生する人間を摂取してくださる光をお待ちし、何回も念仏を唱えては、粗末な庵の戸に阿弥陀如来とともにいらっしゃる諸菩薩がお迎えにいらっしゃるのをお待ちしておりましたのに、考えても見ませんことに、今日の暮れ、お訪ね頂きましたが、宮中におりました昔の日々に帰ったような気持ちが致しまして、なお楽しかった思い出がよみがえり、涙がながれることでございます。
 (げにや君ここに)いやまことに、君は女院にお恵みをかけさせられて、哀れもさぞかし深かったであろう。ここ大原まで御幸をなさったのは

この部分からは、法皇が御幸された季節の風物が語られます。晩春から初夏にかけて、ちょうどいまの季節に相当します。

(さてや御幸のをりしもは)さて、この御幸がなされたのはどのような時節であったのだろう。
それは春が過ぎ、夏もはや来たという賀茂の祭りのころであるので、夏木立に青葉がまじり、春の名残が惜しまれるころなのだ。
 遠くの山に白い雲がかかっているのは散ってしまった山桜の白い花を思わせるためだろうか。夏草の茂る野原を、どこともなく分けてお入りになったのだが、その道もさだかでない道の末にここにいらっしゃったのだ。ここはまことに寂光浄土とも言える寂静の光に照らされた寂光院である。月日が過ぎてゆくことが惜しまれる浄土のように心が清く澄む場所なのだよ。。

(光の影もあきらけき) 日の光が明るくさしている松の枝にからまって咲いているのは、
春から夏にかけて咲く紫色の、浄土を思わせる藤の花である。
池のほとりで、これも法皇の御幸をお待ちしている様子だ。

(青葉隠れの遅桜)青葉の陰に隠れて咲く白い遅桜は、春の咲きはじめの桜よりも珍しく、かえって変わった風情であることを、趣深く法皇が御覧なさるのも忝けないことで
まことに有り難い御幸であるのだが、しかしこの粗末な柴で編まれた扉の
庵が、ほんのしばらくも法皇様にいていただけるような場所であろうか。
法皇様においでいただけるような場所ではないのだが。。

 (思はずも深山の奥の)思ってもみなかったことだ。深山の奥に住まいをして、雲居の月のような高い位にある天皇をよそのものに見ることになるとは、このように昔の生活を思い出しておりましたが、この山里まで法皇さまがお出ましになられましたのは、なんと申し上げてもかたじけないことであります。
(さいつころある人の)先ごろ、ある人が申したことでは、女院は天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道の様子をまさしく御覧になったとか。。仏・菩薩の域に達したものでなくてはごらんなさるはずはないはずなのに、どのようなことなのだろうと不思議におもわれたのです。

ここでの法皇の姿は、出家し、後の世に極楽に生まれることを願う者の姿です。この世で仏・菩薩の域に達しているものがいるならば、その者にあって六道の様子を尋ねよう。そのことによって悟りをひらき、自らも成仏したいという思いからのことです。

(勅錠はさる御事にて)不思議にお思いになるはごもっともでありますが、つくづくと私の人生を省みますと、岸のほとりから根が離れてしまった草のようにどこに流されてゆくかわからない存在であり、また自分の命を考えますと、入り江のほとりにつながれていない舟の泊まるところがないのと同じようにはかない存在でありました。ですから、天皇の母親として天上の楽しみも自分の身で知ることができたのですが、それも長く続くことはなく、天人が亡くなる時には五つの相が現れると聞きますが、そのように衰え果てた身となって、この世に生きている間に、六道の全てを体験するようなこととなったのです。

 (まず一門)まず第一に平家一門が源氏に都を追い落され、行く宛てもないままに舟でさすらい、海であるから水はいくらでもあるのだが、塩水であるからのどが乾いても飲むことはできない、それは餓鬼道の亡者が飲食したくてもできないような、悲惨な苦しみでありました。
 (またある時は)またあるときには、波打ち際に寄せる荒波が、荒磯に、舟を覆すかと思われるほどひどく打ち付け、舟の物が恐怖で泣き叫ぶ様子は、叫喚地獄の罪人が熱や火に苦しめられて泣く様子もこのようなものであろうかと、呆れ果てた様子でありました。
 (陸の争ある時は)目の前で行われる陸上の戦いは本当の修羅道で行われる修羅王と帝釈天の争いのようで、なんとも恐ろしいことでした。数々の戦いで馬のひずめの鳴る音を聞けば、動物に生まれ変わってひどい苦役にあうという畜生道の様子を目の当たりにするのも同じ事です。六道をめぐる苦しみを、死んでの後ではなく同じこの人生の中に味わうこととなった私の境涯は実に悲しいことです。

 (げに有り難き事どもかな)まったくめったにない尊いご経験です。さて安徳天皇の御最期の様子はどのようでありましたか。私に聞かせて下さい。

 この部分からは「語り」となり、女院は床几にかけて語ります。法皇がこの世での孫の死の様子を、亡くなった我が子の妻から聞く場面で、この曲のクライマックスになります。この世での生活は、かりに天皇の位を極めた物でも悲しみを逃れられないことが語られてゆきます。

 (その時の有様申すにつけて)その時の様子を申し上げるにつけ、残念な思いがわいて参ります。長門の国早鞆とかいうところで、筑紫に一旦逃げ延びようと一族のものたちが相談致しましたが、緒方の三郎が裏切って源氏方につきましたので、それをやめて薩摩潟へ逃げ延びようと申しておりましたが、折りからの上げ潮で舟を勧めることが出来ず、今はもうどうにも逃れられないと思われました。その時に、平家でも勇猛さで知られた能登守教経は敵の安芸太郎兄弟を両脇にはさみ、「お前たちは冥土への旅の供をせよ」といってそのまま海に飛び込んで亡くなりました。新中納言知盛は、沖にある舟の碇を引き上げて兜とかいうものの上に載せ、乳母の子で幼少よりともに育った家長と互いの弓を交換して、そのまま海に飛び込んで亡くなりました。

 (その時二位殿鈍色の)その時に清盛の妻で安徳天皇の祖母である二位殿が薄墨色の二枚襲の衣を着て、練衣の袴の股立ち〔ももだち〕を高く持ち上げ、紐にはさんで、「私は女ではあるが、敵の手によって死ぬことはするまい、天皇のお供を申し上げよう。」と言って、安徳天皇のお手のをとって舟端に立たれました。「どこへ行くのか」と天皇がお尋ねになりますと、この世には、謀反をおこすものが多く、このように呆れ果てた世界であります。極楽世界と申して素晴らしいところが、この波の底にもあるといいますので、へお供して参りましょう。と、泣く泣く申し上げました。天皇は「それならばわかった」と東に向かって天照大神にお暇を申し上げなさり、また阿弥陀仏の来迎を願って念仏を唱えるために西に向かい、「今こそ知ったことだ、伊勢
の御裳濯川に祭られる天照大神の子孫である天皇には、波の底にもその都があるのだということを」と、これを最期の御歌としてお詠みになり、海底深くお入りになられました。私も続いて海に沈んだのですが、源氏の武士が海から取り上げてしまい、そのため生きる甲斐のない命をながらえてふたたび法皇様におめにかかり、覚えずこぼれる涙で袖を濡らしてしまうのは恥ずかしいことでありました。
 (いつまでも御名残は)いつまでもどうして御名残が尽きないことがありましょうか。廷臣が「もはや都へお帰りを」と勧めるので、女院も「もはやお帰りなさいませ」と勧め申し上げ、御輿をはやめて、はるばるの都への道へとたつために、寂光院をお立ちになる。仏教的な考え方によれば、この世は永遠に住むことのできない仮の世の中であります。来世での一門の再会を祈り、それでも尽きることのない悲しみをどうすることもできないままに、人間の運命を考えさせながら、本曲は終曲を迎えます。

(女院は柴の戸に)それで、女院は粗末な柴でつくられた庵の門のところで、しばらくの間はお見送りをってなさって、また庵にはいりなさった。また庵に入りなさったのである。

能は余韻を大切にする芸術です。拍手はシテの女院が幕に一番近い松、三の松といいますが、そこを通られるまではご遠慮ください。囃子方・地謡方については席を立たれたときに拍手してくださって結構です。本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が勤めさせて頂きました。御清聴ありがとうございました。


2010年6月5日 今日は今年度最初の名古屋能楽堂定例能です。久田勘鴎師の「安宅」。イヤホンガイド担当させて頂きます。頑張ります。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。

なんとか終わりました。解説の出来については聴いて下さった方の御意見に俟つしかありません。事前にクリサシクセ抜きと伺っていましたので、それには対応出来たのですが、「笈に目をかけ候は盗人ぞうな」から「方々は何ゆえに」の部分が抜けるのを知らなかったので、多少もたついたのが反省でした。講義で拝見出来なかったのですが、申し合わせ拝見したかったなあと思います。久田先生かっこ良かったです。本日の確定原稿です。よろしく御教示下さい。

イヤホンガイド《安宅》原稿

笛、小鼓、大鼓の楽器の調子を整える、お調べの音が聞こえて参りました。まもなく開演となります。最初に《安宅》のあらすじを説明しておきたいと思います。
 平家が滅んだあと、源の義経は兄の頼朝に命を狙われ、東北地方の藤原秀衡を頼り、家来と共に十二人で山伏の姿となり北陸道を下ります。当時、僧や山伏は、行く先の村々で祈祷をする代わりに宿や食事を提供され、無銭旅行をすることが可能でした。そのような山伏は諸国にたくさんおりましたので、義経一行が山伏姿で逃げるのは自然でありました。頼朝はそのことを知り、諸国に関所、すなわち検問所を立てます。そのうちの一つ、今の石川県にあったとされる安宅の関を富樫某が守っていました。某は能においてはその土地の領主を示します。富樫は怪しい山伏をすべて斬り殺していました。
弁慶がその智恵によって富樫を欺き、義経一行をまことの山伏と信じさせて無事安宅を通過するまでの物語と言えます。

橋掛り奥の幕を片方だけ開けて、囃子方が登場いたします。笛、藤田六郎兵衛(ふじたろくろびょうえ)・小鼓、後藤嘉津幸(ごとうかつゆき)・大鼓、河村眞之介(かわむらしんのすけ)の各師となります。舞台向かって右側の切戸口より、この曲のコーラス、地謡を勤める方々が登場いたします。本曲の地頭(じがしら)は梅田邦久(うめだくにひさ)師が勤めます。
 名乗り笛で、脇の富樫某が登場します。高安勝久(たかやすかつひさ)師が勤めます。富樫は、自分がこの土地の領主であること、頼朝と義経が仲たがいをして、頼朝が義経の命を狙っていること、義経が十二人の偽の山伏となって東北地方に逃げようとしていることを頼朝が聞き、国々に新しい関所を作って山伏を義経ではないか調べるようにとの命令が出て、自分がこの関所を担当していると述べます。
富樫は家来の太刀持に、山伏がこの関所に来たら自分に連絡するように言います。太刀持は狂言方の役で鹿島俊裕(かしまとしひろ)が勤めます。太刀持は義経が偽の山伏となって北陸道を通っているので、山伏が通るならば特に調べることを触れます。こうして触れることは、このことを皆に知らせたという能での約束事です。
次第の囃子で、子方の義経が、主人公であるシテの弁慶や従者を連れて登場いたします。安宅のシテは弁慶です。この弁慶を目立たせるために、能では義経の役を子供、すなわち子方にします。弁慶を久田勘鴎(ひさだかんおう)、子方を寺澤拓海(てらさわたくみ)がつとめます。
 大勢の家来を立衆と言い、九人でます。また他に強力(ごうりき)と言う荷物持ちが出ます。狂言方の役で一人です。義経・弁慶・立衆・強力で十二人となり、富樫が先ほど述べた、逃げている義経一行の人数と一致します。義経の装束は兜巾(ときん)・襟赤(えりあか)・着附厚板(きつけあついた)・水衣(みずごろも)・白大口(しろおおくち)・篠懸(すずかけ)・刺高数珠(いらたかじゅず)で、若い山伏を表現致します。弁慶は兜巾(ときん)・襟浅黄(えりあさぎ)・着附無色段厚板(きつけいろなしだんあついた)・透素襖(すきすおう)・白模様大口(しろもようおおくち)・篠懸(すずかけ)・刺高数珠(いらたかじゅず)で、先達(せんだち)と呼ばれるリーダー格の中年の山伏を表現します。立衆は水衣・白大口で弁慶よりも質素ですが、同様の山伏の装束、強力は括り袴(くくりばかま)、脚絆(きゃはん)で下働きをしていることを表現します。

 (旅の衣は篠懸の)山伏の姿の篠懸を来て旅に出るのだが、露のみならず、涙で袖が濡れることだ。頼朝に追われての逃避行の辛さを述べた内容です。
(おれが衣は)おれの衣は同じ篠懸だが、破れて役に立たないことだ。狂言方の文章はこの劇が深刻になりすぎないための軽みがあります。
(鴻門楯敗れ)わが君判官殿義経をお守りしたものの力が足らず、都からはるばると逃げることとなったが、行きさきも遠く心細いことだ。義経の御供は伊勢の三郎・駿河の次郎・片岡八郎・増尾十郎・常陸坊などだが、弁慶は山伏のリーダーの姿となり、主従十二人で、慣れない旅の姿で、今日から旅に出ていつまでかかるのかもわからない北陸路の旅を急ぐのである。

(時しもころは如月の)時は旧暦二月の十日ごろであるが、月の美しい京の都を出発して、逢坂の山から都を見ると、霞に隠れて名残惜しい都の姿が見られないことは残念なことだ。
(波路はるかに)ここから「海津」「あらち山」と琵琶湖を渡り気比(けい)の海、つまり敦賀の浜に出て、北陸道に行くコースをとったことが謡われます。そして加賀の国の安宅に着いたことが語られます。都から多くの山を越えた長い旅ですが、陸奥まではなおも遥かです。

弁慶はここで休もうといいます。すると義経が、安宅に関所を作って山伏を調べていると旅人が話していたことを言います。

関所といっても、義経は権力を失って武装して逃げており、敵の軍隊が検問所を作って待ち伏せをしている一触即発の非常に危険な状態だと言えます。弁慶は、人々を集めて相談します。

一人は、関所を破って強行突破すべきだといいますが、弁慶はそれでは義経一行がいる場所を敵に教えてしまうことになるので、相手に分からないように無難に通り抜けることが大切だといいます。

義経が弁慶に任せると言いますので、弁慶は義経に、山伏ではなく強力(ごうりき)つまり荷物持ちの扮装をするようにすれば、他人は義経とはわからないだろうと言います。軍隊というのは今も昔も身分制度は厳しかったですから、大将である義経が、一行の中で最も身分の低い者の役である荷物持ちをするとは普通考えませんので、弁慶の進言は確かに納得できるものでした。

義経が賛成しましたので、弁慶は強力の笈、すなわちリュックを子方に渡します。そして強力に、関所の様子を見に行くよう命じます。斥候の役ですからとても危険です。強力が隠れてのぞくと、関所は敵の襲撃に備えて楯などの防備がなされており、山伏の首を斬ってさらしてあります。強力はたむけの和歌を詠みますが、「山伏は貝を吹いて大慌てで逃げだしたことなのに、誰が笈をもった者を追いかけて殺してしまったのだろうか。山伏の呪文はすべての願いが叶うと言うのに」というおどけたものです。

強力は弁慶に関所の様子を報告します。義経一行と疑われたならば命がないことを覚悟する場面となります。

弁慶は一行に出発しようと言います。
弁慶は、優れた人物は群衆の中に隠してもはっきりとわかってしまうと言う諺を引いて懸念を示します。まさか荷物持ちを疑うことはあるまいと、義経が山伏の装束を脱いで粗末な麻の衣を着、笈を肩にかけ、笈の上には雨よけや経を入れる小箱をつけて、笠で顔を隠し、山伏の持つ金剛杖にすがって、足が痛い様子の荷物持ちでよろよろと歩いていらっしゃる様子は気の毒な様子であります。

弁慶は義経に、自分たちより後に来るように言います。
そして他の山伏たちに通ろうと言います。
太刀持、つまり関所の家来が脇の富樫の領主に山伏が到着したことを述べます。歌舞伎では富樫左衛門と名前がついていますが、能では名前は付いておりません。歌舞伎では富樫が弁慶の忠義に感じて義経一行と知りながら通すと言う解釈がなされていますが、能では主役である弁慶の智恵で、富樫を欺いて通ると言う解釈がなされているためで、能のシテ中心主義の表れと言えます。

富樫はここが関所であることを言います。

弁慶は、自分たちが奈良の東大寺を再建する勧進、すなわち寄付金集めの旅をしている山伏であると言います。そして富樫に寄付をするよう言います。
富樫は、寄付はするが、ここは山伏だけは留める関であると言います。
弁慶が理由を尋ねると、頼朝と義経が仲たがいをしたので、義経は陸奥の藤原の秀衡を頼りにして、十二人の偽の山伏となって下っているという噂がある、そこで国々に新しく関所を作って山伏を厳しく詮議するようにとのことなので、ここを私が担当して山伏を留めているのだと言います。特にあなた達は大勢だから一人も通さないと言います。
弁慶が、それは偽の山伏を通さないようにという意味であって、本当の山伏を通してはならないという命令ではないだろうと反論すると、家来が昨日も山伏を三人殺したと言います。弁慶がその山伏は義経なのかと聞くと、富樫は一人も通さないのだから問答は無用だと言います。

弁慶がそれならば、我々を殺すつもりなのだなと言うと、富樫はその通りだと言います。
弁慶は、それならば、最後に祈って、おとなしく斬られようといいます。

ノットの囃子で山伏たちが祈り始めます。あくまでも山伏であることを富樫にアピールするためですが、山伏を殺すと仏罰が当たると脅す内容になっています。

山伏というのは、役の行者の修行方法を受け継ぎ
その身は不動明王の形を真似、
兜巾(ときん)というのは大日如来の冠である五智の宝冠の形によっている。
その兜巾には十二因縁にちなんで十二の襞を作って頭に載せ
(金剛界の)九会曼荼羅(くえまんだら)を示す柿色の篠懸(すずかけ)を着て、
胎蔵界の曼荼羅を現す黒色の脚絆を巻き、
さてまた八目の草鞋(わらじ)と言うものを履くのは、
極楽の八枚の花弁のある蓮を踏んで立っていることを示しているのである。
口から出る息で阿(あ)の字を、口から吸う息で吽(うん)の字を唱え、
その身がそのまま仏であるという山伏を
ここで討ち留めなさるならば
不動明王がご覧になってどれほどお怒りになるか想像もつかない。
仏が神としてこの世に現れなさつている熊野権現の罰が当たることは疑いがない。
不動明王に帰依します。
と数珠を揉んで真剣に祈ったのである。

(近頃殊勝に候)富樫は、弁慶たちが祈る様子を見て、本当の山伏かも知れないと思います。確かめるために富樫は「勧進帳」を読むようにと言います。「勧進帳」とは寄付を募る勧めの文章のことですが、これがこの能の大きな見せ場です。「勧進帳」はふつう漢文で書かれており、一定の決まった形式がありますので、作るのはもとより読むにも相当の学識が要求されます。本物の「勧進帳」を持っていて、それを読むだけでも学識が要求されるのに、その場で形式にかなった文章をとっさに作文して、本物を読んでいるふりをして関守を納得させなければならない。絶体絶命のピンチがこの勧進帳を読む部分であり、それゆえに一曲の聞かせどころとなります。

(もとより勧進帳の)逃げのびるための旅なのだから、もとから勧進帳などあるはずがない。荷物の中から手紙の書き方を書いた巻物を一つ取り出し、それを勧進帳だと言って、大きな声で読み上げた。

そもそもよく考えてみると
秋の清らかな月のような悟りを開かれた釈迦如来は雲に隠れるように入滅されて涅槃にはいられ、それ以後に生まれた衆生は生死の苦しみの迷いによって長い夜に夢を見続けているような状態で、悟りに導く人もなかった。ところで、それほど大昔ではない昔に、一人の帝(みかど)がいらっしゃった。名前を聖武天皇と申し上げた。最愛の夫人に先立たれ、恋慕の思いが止まず、目は泣きはらし、涙がとめどもなく流れた。その思いを善根を積む方向に向けられて廬遮那仏(.るしゃなぶつ)、すなわち奈良の大仏を建立された。
これほど素晴らしい仏法の霊場が亡くなってしまうことを悲しんで、大仏を再建しようと、俊乗坊重源が発起人となつて、諸国から寄付を募っている。僅かな寄付であっても寄付したものは、仏の加護によってこの世ではとても豊かな生活をし、死後には極楽に往生して、蓮華の上に座る仏の身になるだろう。仏に帰依して首を地につけて謹んで申し上げると、天まで響くようにと読み上げた。

関所の人々はその力強さに驚いて、本物の山伏であると信じ、恐れおののいて一行を通した。一行を通したのである。「急いでお通り下さい」「承知しました」

ところが、太刀持が、最後を歩いていた強力が義経に似ていると、富樫に報告します。
富樫は強力を留めます。弁慶たちは義経であると怪しまれたのは、一生の大事だと引き返し、とりあえず強力を急がせようとします。

弁慶は富樫に強力を留めた理由を尋ねます。富樫が強力が義経に似ているから留めたというと、腹を立てます。弁慶は、強力に対して、「義経に似ている」と言われたことは「一期の思い出」だろうとののしります。古典では「思い出」とは「後から思いだして楽しかったこと」と言う意味ですので、「おまえは義経に似たと言われて一生思い出に残るような良い思いだろうが」と言う意味となります。弁慶は義経を杖で叩きますが、義経一行は軍隊で、義経は主君ですから、主君を殴ったらこの時代でも死刑です。富樫に、強力が本当の義経ならば、家来が殴るはずはないだろうと思わせるために殴るのですが、軍隊の規律を考えれば、確かに主君を殴れるはずがないので、この計略は理に叶っています。
山伏の勢いにおされて、関守は一行を通します。歌舞伎では、弁慶の忠義に打たれて義経一行と知りながら通したという解釈を取りますが、能においてもその素材となっている義経記においても、弁慶の智恵で、関守に本物の山伏であると信じさせて通ったと解釈します。戦争中の相対(あいたい)する軍隊ですから、相手の忠義に感激して見過ごすというのは、戦争が日常的にあった室町時代では考えにくい筋立てだったのでしょう。

関所からかなり遠くまで隔たった所で、一行は一休みします。
弁慶は、義経に対して、疑いを晴らして通ることはあまりにも困難だったので、ふつう、とても考えられないような主君を殴るという行動をとったことを詫びます。

義経は、弁慶に、自分を殴ることによって関守に本物の山伏であると信じさせたのは、とても普通の人間では考え付かないことで、天が守って下さったのだと思う。
関所の者が強力を怪しみ、生涯がここで終わると思われた時に、して良いかどうかなど考えずに、本当の下働きに対してするようにひどく殴ったことによって、私を助けてくれたのは、弁慶の智恵ではなく、源氏の守り神である八幡大菩薩が弁慶に乗り移って助けて下さったのだろうと思うので、本当にありがたいと思うと言います。

弁慶一行は、危難を逃れたことを感謝しつつも、平家を滅ぼすという大きな功績を挙げながら、頼朝に追われる立場となってしまった自分たちの「運の拙さ」を嘆きます。
その頃、関所では富樫が太刀持に、先ほどの山伏たちに失礼をして申し訳ないので、酒を振舞おうと思うから、先に行って一行を留めるように言います。
山伏は宗教者ですから、本物の山伏に失礼をして、仏罰に当たることを恐れたためです。

太刀持は義経一行に追いつき、富樫が酒を持ってやって来たことを告げます。
弁慶は、一同に、油断して義経一行であると怪しまれないよう注意して、彼らと酒盛りをします。
(面白や山水に)この場面では、この酒盛りを、上流から盃を流して自分の前を盃が通過する前に漢詩や和歌を作る曲水の宴という遊びに見立てて、舞を舞います。

(もとより弁慶は)弁慶は、比叡山延暦寺の芸達者な僧侶であり、法要の後に行われた宴会では舞を舞、和歌を謡っていたのである。この山水が落ちて岩に響く様子は延年の和歌の言葉の「鳴るは瀧の水」そのままであろう。

弁慶は舞を舞います。山伏は、法要のあとの神楽など、舞も稽古していました。ですから、富樫がここで舞を見るのは、本当の山伏であるかどうか、再度試していると考えることも出来ます。
弁慶はもともと本物の僧ですから見事に舞い、本物であることをアピールします。
ここから「男舞」となります。

(「鳴るは瀧の水」)舞終えた弁慶は、一同に早く出発するよう勧め、富樫に挨拶をして陸奥に下ります。

弁慶の智恵により、義経一行が危難を切り抜けたハッピーエンドで、本曲は終曲を迎えます。

本日のイヤホンガイドは椙山女学園大学の飯塚が勤めさせて頂きました。本日は終演後、展示室で質問を受けさせて頂きます。よろしければぜひご利用ください。ご清聴ありがとうございました。

明日は近藤幸江先生の大原御幸のイヤホンガイドさせて頂きます。二日間連続のイヤホンガイドは経験ありませんが、イヤホンガイドは「講義」ですから、頑張って勤めたいです。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年6月3日 昨日夕方高橋一夫先生に今池のしら河といううなぎ屋さんで御目にかかりました。すっかりごちそうになってしまいました。生ビールと麦焼酎と、三合いただきましたが、三合飲んだのはものすごく久しぶりでした。演劇人に左派の人が多かったこと、高橋先生と高校演劇との関わりなど昭和の名古屋演劇界について教えて頂き感謝でした。全共闘の時代は大学のみならず、高校も大変な時代で、高橋先生はその時期に県立高校から河合塾の国語科に移られています。授業以外の仕事や管理職になるのよりもやはり国語を教えるのが好きな先生だったからなのだと思いますが。。河合塾の「秘伝のオープン」の国語は名著だと思います。予備校文化を作られた先生なので迫力があります。高橋先生より十年ちょっとくらい下の全共闘世代には、学生運動に熱中しすぎて企業に就職できなかった人で、塾や予備校の教師になった人がずいぶんいるそうです。その時代に、国語の入試問題が、従来の文学的な詩や小説から社会学的・自然科学分野の論説などにまで範囲が広がりを見せました。高校の国語教師よりも、歴史・哲学・社会学など、国語の免許はもっていないものの論説を良く読んでいた全共闘世代の河合塾講師たちは、それらの問題の解法を講義し参考書に作っていったのて゜大学の国文学の先生の参考書にない新しさがあったそうです。。昭和五十五年大学入学なので、全共闘は僕の小学生時代ですが、確かに河合塾の国語は、論説文に力入れていたと思いますし、夏期講習行っても分かりやすかったです。。高橋先生に色々教えて頂いて勉強になり本当に感謝でした。僕も良い講義したいです。ではまた、お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年6月2日 今日は夕方、河合塾校長の高橋一夫先生に御目にかかります。高橋先生には僕も高校三年生の時夏期講習でおしえて頂いたことがあると思います。高橋先生著の参考書は高校や予備校の先生をしていた時も使わせていただいていました。特に古典文法の解説は分かりやすいのです。高橋先生は名古屋の演劇界にとても明るいので、色々教えていただければと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年6月1日 今日は創立記念日でお休みです。東洋大学教授の原田香織先生から『狂言を継ぐー山本東次郎家の教え』(三省堂)という本を頂きました。原田先生と笠井賢一氏の山本東次郎氏に対するインタビューなのですが、戦後から平成に至るまでの狂言界や山本家の教えなどがよくわかり、能・狂言の普及とともに「昭和から平成の狂言の実態」を後世に伝える意味でも非常に良い記録となっていると思います。いただいて本当に感謝でした。名古屋でもこのような記録をまとめるべきだろうと思います。忙しさを理由にして怠けていますが、こういう優れた実例を送って頂くと、忙しいというのは理由にならないのだなと思います。今日は原稿を書こうと思います。あと講義の準備と。。できて当たり前の年齢なので、ほめられることはもうないです。せめてあんな程度かと言われない講義はしたいです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月31日 明日は創立記念日です。十時半なので急いで寝ます。お休みなさい。


2010年5月30日 「紫明」の「羽衣」の原稿、草稿のみあがりました。新しい典拠をみつけることは出来なかったので、既存の資料を用いながら、《羽衣》作者がどのような材料から「取捨」選択していまの《羽衣》を作ったのかの論になります。説得力を持たせられるか、、古注釈など新しい資料が見つかれば論文としては書きやすいのですが、それがないので、いまいち苦しいです。家内がでかけるので、午前中はひろとと留守番、午後はひろとがソフトボールの練習試合ででかけたので、林和利先生編集の能の概説書の「室町時代」の部分の原稿を書いています。原稿用紙二十枚で室町時代の能の特徴を書くのは至難ですが、個々の事象については先学の研究に任せ、能楽史における室町時代に特徴的な事象とさの背景を書きたいです。概説書は論文以上に難しいと思います。頑張ります。ではまた、皆様お元気で。.


2010年5月29日 授業参観の日ですが、家内に頼んで、家で「紫明」の作品研究の原稿を書いています。「羽衣」の作品研究をしているのですが、久しぶりに和歌を調べているなあと。。先学の指摘された再調査ですが、そこからしか自分の考えはまとめられません。小西甚一先生の『日本文学原論』が再版され、お手伝いさせていただいたので、一冊頂きました。僕の担当部分はハイデガーやフッサールの原書が引用されていて、そのスペルが読めなくて当時入学センター長だった長谷川淳基先生に、センター長室に押し掛けて行って読んでいただいたことや、学内の北岡先生や藤江先生、音喜多先生など哲学の先生方に本当にお世話になって原稿作成したことを思い出します。本当に感謝でした。また勉強になりました。小西先生の広さと哲学など隣接分野の手続きを重視された姿勢は、及ぶはずがありませんが、僕も「手続き」を重視して研究したいです。問題は最近一日三十分も勉強時間が取れないことがあることで。。今日は頑張ります。皆様お元気で。。


2010年5月28日 せきが出るので風邪ひいたかも知れません。気をつけます。皆様お元気で。


2010年5月27日 昨日は結局昼夜通しで御園座観ました。とてもよかったです。今日も講義三コマ、頑張ります。


2010年5月26日 今日は御園座の昼の部を観に行きます。楽しみです。


2010年5月25日 今日の午後は会議です。委員長なので、ミスがないようにやりたいです。能楽堂の仕事などもあります。それも大切です。がんばります。


2010年5月24日 月曜日は講義三コマの日で、しかも朝からありますので、とてもハードです。疲れたので、帰宅後家族と銭湯にゆきました。楽しかったです、皆様お元気で。


2010年5月23日 今日は午後一時からキャッスルプラザで附属高校の同窓会総会です。楽しみですが、、雨が心配です。


2010年5月22日 筑波大学の後輩の岩城賢太郎君から、武蔵野大学の講師に栄転したという葉書を貰いました。大学生のころから知っていますがもう三十代半ばにはなっているだろうと思います。オーバードクターなど苦労もしているので、本当に良かったなあと思います。彼は犬井善寿先生の教え子で、文献学の基礎がきちんとできていますから、論文は地味ですが、堅実な仕事が出来ます。ちゃんと習っている人ですから、研究発表しか聞いていませんが、きっと講義も堅実だろうと思います。武蔵野大学は能楽資料センターが有名ですが、良い人が行ったなあと思います。きちんとした仕事する人が認められた例で、日本文学も大変な中ですが、良いニュースでした。今日は自宅で勉強しています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月21日 昨日の御園座、市川亀治郎も片岡愛之助もとてもよかったです。かっこよかった。。学生に見せてもあれならファンになるのではと思いました。明日は土曜日、久しぶりになにもないので昼寝したいです。皆様お元気で。。


2010年5月20日 今日は家族で御園座の夜の部を観に行きます。楽しみです。


2010年5月19日 今日は午後から名古屋文化振興事業団のなごや文化情報の編集委員会に出席します。原稿が全然かけないので、午前は自宅で仕事します。皆様お元気で


2010年5月18日 脳ドックの結果、会議がありましたので、委任状書いて家内に聞いて貰いました。経過観察で一年に一回脳ドック受ける事ということでした。悪いものでなくてよかったです。健康に気をつけたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月17日 月曜日ですので講義三コマです。講義は好きですが、やっぱりハードです。そろそろ寝ます。皆様お元気で。。


2010年5月16日 今日は午前中は高橋信三記念放送文化振興基金申請の準備のための調査に行きます。夕方からは、教会でお世話になった方の前夜式(お通夜)に家族で伺います。ひろとやともえの本などたくさんいただいていたので。。あらためて感謝致します。去年の柳原先生もですが、考えてもみない方が亡くなることってあるのだなと。。残念です。。まず事故に気をつけたいです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月15日 今日は留学生の日本事情の講義の引率で、犬山城と明治村に行きました。犬山国際交流協会の英語・中国語の犬山城の観光ボランティアの方にとてもお世話になり感謝でした。明治村は、高校の同級生の中野裕子先生が学芸員されているので、現在開催中の「華麗なる宮廷家具展」の解説をして頂きました。展示拝見しましたが、見せ方が上手だなあと。。パンフも分かりやすく、時代の特徴や作品の意図などがきちんと説明されていてさすがだなあと思いました。昼過ぎに、家内から携帯メールで熱田教会ですごくお世話になった方の訃報が入りました。自転車の転倒事故で、まだ58歳でした。心よりご冥福を祈ります。僕たちも気をつけなければと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月14日 今日はよく晴れています。。勉強なかなか進みません。。頑張らねば。。


2010年5月13日 今日はよく晴れています。なんかちょっと寒いですが。。木曜日は 講義が三コマの日です。そのあと会議があります。。なかなか研究が出来ませんが。。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月12日 昨日は教授会のあと、懇親会でした。久しぶりに飲みすぎました。反省です。そう言えば、一昨日の夕食はカツ丼のはずだったのですが、家に帰ったら、僕の分だけ皿のカツの上に御飯が載っていました。。家内の手がすべってそばの皿にはいってしまったそうですが。。ひろとが、これは「まけどん」と言うのよ。。と。カツ丼の逆だから。僅かな差でこうなるから。実際には大した互いはないから・・なのだそうです。なかなか哲学的だなあと思いましたが。。負け丼はおいしかったです。。皆様お元気で。。


2010年5月11日 今日の午後は会議です。僕は会議は嫌いです。でも頑張ります。最近首筋が凝るのが気にかかります。心臓とか悪くなっていないといいなと。。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月10日 連休も完全に終わり、これから七月末までまとまった休みはありません。体調管理が大切です。今日は講義後、「音風景の会」の中野之也先生の御自宅に伺いました。高橋信三記念放送文化振興基金申請のための打ち合わせです。音風景の会の会員所蔵のCBC等民間放送の放送音源についていろいろ教えて頂きました。芸術祭に参加して賞を得たラジオドラマや演奏のテープもあることがわかりました。質・量ともに一級の資料ですが、作家や作曲家の著作権が残っていると思われますので、著作権の残っているもののネット公開はせず、デジタルアーカイブを作成して、研究者にのみ限定的に提供するという方針を話し合いました。オープンリールは劣化が早いので、急いで行う必要があります。頑張って書類を作成したいと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月9日 今日は石水博物館の調査に行きます。ひろとは町内のソフトの練習ですが、友恵を長田先生の子供能楽教室に連れて行きます。子供教室も、伝統文化活性化国民協会の助成を受けることができ、本当に感謝です。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月8日 昨年度の放送文化基金で辻山幸一先生の歌舞伎・新内SPレコードコレクションをデジタル化したのですが、ようやく「辻山幸一コレクション 歌舞伎劇」「辻山幸一コレクション 新内」のページにリンクを貼ることが出来ました。音源をデジタル化して下さった辻山幸一先生、リンク貼って下さったアルバイトの楳山さん(卒業生)に心より感謝致します。実はまだデジタル化しておきながら、一覧表が出来ていなくて、配信できないファイルがかなりあります。アルバイトの方お願いして順次行いたいと思います。著作権の消滅した音源なども、優れた演奏は聴いて貰えなければ意味がないものですから。オープンリールなど劣化しやすい物は、あと10年が勝負だと思っています。東海能楽研究会の年報、長らく更新していなかった東海能楽研究会のページの末尾にpdfファイルで載せました。調査と共に「すでに研究室にある資料」の整理と発信も大きな課題です。今日は午後から安城市歴史博物館で「安宅」の講義をします。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月7日 石川県立能楽堂より連絡があり、8月7日と8月28日の「観能の夕べ」の解説を担当させて頂けることになりました。金沢は幼稚園時代を過ごした大変懐かしい土地ですが、能楽研究も盛んで地元にも優秀な研究者が多数いらっしゃいますので、他地区から呼んでいただけて光栄です。「弓八幡」「殺生石」「文荷」「魚説経」に関する解説ですが、先行研究なども少しずつ調べたいと思います。今日は雨です。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月6日 連休終わりました。楽しかったですが、、勉強はできませんでした。論文一つくらい骨格だけでも書きたかったです。今日は講義三コマと会議です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月5日 家内も今朝新宿から三河安城に停まる深夜バスで帰宅しました。明日からのことを考えると、、今日はごろごろです。論文の準備も少ししたいです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月4日 義弟の子供たちは今朝帰りました。家内が横浜まで送って行きました。あの年代の男の子は、、すごいです。。ひろとは大人しいと言われていて、親として実感はありませんでしたが、納得しました。午後から子供たち連れて刈谷市の美術館と図書館に行きました。刈谷市図書館は地方史の本が充実しています。大学時代からお世話になっていますが、とても好きな図書館です.明日は、、昼寝します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月3日 今日は義弟の子供達二人とうちの子供達と父で佐久島に釣りと潮干狩りにゆきました。男の子二人のパワーに圧倒されました。すごいです。父に来てもらって本当に感謝でした。家内の奮闘も感謝でした。小さい頃、僕が東京や群馬の両親の実家にお世話になった時もこうだつたのだと思います。子供達が大きくなった後、佐久島を思い出してくれると嬉しいです。お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年5月2日 昨日の友枝昭世の「半蔀」素晴らしかったです。ただ、疲れ気味だったので、舞の途中でうとうとしてしまい、残念でした。能を観るときは体調管理が大切なのですが。今日から四日まで、義弟の子供達が家に泊に来ます。楽しみです。家内と友恵は名古屋駅に迎えに行きました。僕は午前中は勉強する予定です。皆様よい連休をお過ごしくださいますよう。


2010年5月1日 今日は豊田能楽堂の五月能に伺います。友枝昭世の「半蔀」楽しみです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月30日 昨日は晴れてきたので、午後から蕨狩りに行きました。今日は連休の間の講義です。なんか疲れ気味ですががんばります。


2010年4月29日 今日は家内の誕生日です。朝方まで雨だったので、恒例の蕨狩りはあきらめて、一色のお魚広場に魚を買いに行くことになりました。おいしい物買いたいです。連休、つかの間の休息です。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月28日 今日は大府の長寿健康医療センターに脳ドックの結果を聞きに行きました。脳外科の診察なので、家内に付き添って貰いました。腫瘍性のものではなく、微小な梗塞でしょうとのことでしたが、七年前の脳ドックですでにあり、そこから拡がっているかは微妙ということでした。血圧とコレステロールの管理が大切と云う事で、この梗塞に関する治療薬や予防薬を飲むことはないとのことでした。自分の脳の写真見せられるとやはり怖いです。長生きしたいです。気が詰まったので、今日はかえってから近くのスーパー銭湯に行きました。ちっょと夜更かししてますが。。十時過ぎたので寝ます。明日は家内の誕生日です。感謝です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月27日 今日は会議が三つでした、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月26日 土曜日からハードでした。もう寝ます。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月24日 今日は津の市民薪能です。ひろとが、能の「鞍馬天狗」の前半の子方で使って頂けるので、感謝です。はじめての子方です。半年以上前から稽古していましたが、成果を見せて欲しいです。おじいちゃん、おばあちゃんも観に来てくれます。花見の稚児の子供達は津の市民から公募でえらばれた子供達です。能が好きになつてくれるといいなあと思います。友恵も子供教室の一員で仕舞を舞わせて頂きます。午前に出かけ、昼から石水博物館で謡本の撮影をさせていただき、その後に集合になります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月23日 今週は東京出張などハードでしたが、週末から月曜日にかけてもかなりハードです。明日が昼間石水博物館資料撮影と、夕方から津市市民薪能でひろとが鞍馬天狗前半子方・友恵仕舞、日曜日が教会学校中高科説教と東海能楽研究会発表、月曜日が一時間目から講義三コマ。。かなり体力が必要です。気をつけて頑張ります。今日は三時間目に「日本語の基礎」の講義がある以外は時間がありますので、名古屋能楽堂企画展のリード文執筆と、講義の準備をしたいと思います。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月22日 昨日は東京の梅若萬三郎家に調査に伺いました。貴重なものたくさん見せて頂き、感謝でした。成果はおいおい発表したいと思います。小田急の中でおじいさんと若い女の人が、「足踏んだろう、あやまれ。」「ありえない、訴えますよ、痴漢っ」とか争っていて、悲しくなりました。二人とも乗り換えで大事にはならなかったようですが。名古屋では考えられないほど昼間でも電車が混んでいるので。東京は親父専用車本当に必要だと思います。誤解されないためにも。今日は講義三コマです。がんばります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月20日 今日は脳ドックの精密検査の日です。講義が終わったら大府の長寿健康医療センターに行きます。何事もありませんように。。


2010年4月19日 大芝猛先生より御祖父様の大芝惣吉氏(元群馬県知事)が使用されていた明治二十九年発行の宝生流謡本の揃と、素敵な抹茶茶碗を頂きました。とてもかわいらしい感じの養老焼の茶碗です。本当に感謝でした。大芝先生は理系の先生ですが、茶道を趣味とされているので。。僕は古典専門にしながら茶道には暗いので反省です。明日は大府の長寿健康センターで脳ドックの精密検査を受けます。何もなければよいけれどもと思っています。長生きしたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月18日 早稲田大学からCOE報告書「映像演劇学」のCDが三枚送られてきました。当該分野の研究者には毎年送ってくださるのですが、内容的にも量的にも圧倒されます。今年も、素晴らしい内容でした。早稲田大学のCDには「演劇映像の国際的教育・研究拠点」とありますが、確かにそうだと思います。これだけの資料と、人と、経費を演劇研究に投資できるところは国内ではないでしょう。毎年紀要いただくたびに感謝ですが、すごいなあと思うと同時に、地方の小売店としては、どのような研究を進めたらよいのかと考えさせられます。東京大学・早稲田大学などは、大学教員を育てる「家元」「本山」で僕の出た筑波大学もその一つですが、資料も人も金も揃っています。地方ではそうは行きません。僕は三河育ちでこの場所が大好きなので、他に移住する気にはなれません。でも、地方でも小さくてかちっとしたものは出来るはずで、ネットを通じて発信する点では地方からでも可能だと信じています。。。水曜日に東京に出張します。出張と言っても交通費に使用できる研究費が乏しいので、私費で在来線で行くつもりです。在来線で日帰りなので、東京には三時間前後しかいられませんが。戦前の能の16ミリフィルムが見つかったとの事で。。かなり貴重な映像が残されている可能性がありますので、研究費でデジタル化したいと思っています。そのための打ち合わせです。どのような所作で演じていたのか、「型」は書物では残っていますが、「映像」はアーカイブとして貴重です。楽しみです。ではまた、皆様お身体に気をつけてお元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月17日 久しぶりの休日です。。が、やはり出勤することにしました。来週の研究発表の準備が出来ていませんし、月曜日の教材の準備もしなければならないです。論文の執筆も進んでいません。家内のおかげで放送文化基金の報告書はようやく完成しました。ぼくは経理はまるでだめです。内助の功があるから研究続けられるので、家内に本当に感謝です。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


3010年4月16日 ようやく金曜日です。明日久しぶりの休日が嬉しいです。何がまずいと取り立ててはないのですが、すっきりしません。出来るはずの仕事がそこまで出来ない、ミスが多い。。世阿弥も「のぼるは三十四五までのこと、下がるは四十以降なり」と言っていて、その年齢になったのですから、仕事の優先順位をつけて、重要なものからする形にすべきなのですが。。そうすると、、自分の研究が崩壊しかかっていて。。寂しいです。大学の頃、五十前後の先生って、自信に満ちている感じがしたのですが。。頂いた依頼原稿をまず頑張りたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月15日 なんか昼間眠いのに、夜眠ることが出来ませんでした。疲れが蓄積されているのか。。学園研究費の書類はなんとか書きました。採択されると良いなあと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月14日 今日は講義がないので、学園研究費の書類作成と、五月から教務委員長なので、その準備の仕事をしたいと思っています。論文原稿も書きたいですが、そこまで進むかどうか。。今日で履修登録が固まりますので、座席表も作ります。良い講義したいです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月13日 今日はメディアリテラシー第一回と教授会です。講義も最初の一週間が終わり、履修者が確定すると本格的に始まります。疲れ気味なので、無理は出来ないのですが、無理のない範囲で講義も研究も頑張りたいです。「平成生まれの大学生」にあった新しい教材を作らなければならないのが、平成の大学の先生の課題で。。僕たちが習った教材が、そのままでは使えないのです。僕らの大学時代は図書館で調べるのが当たり前でしたが、今の大学生はグーグルやウッキぺディアですから。。でもグーグルやウッキぺディアでできない部分があることも教えなければなりません。。がんばります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月10日 今日は二時から安城市歴史博物館で連続講座「能を楽しむ」の第一回を担当します。五月一日の豊田能で友枝昭世の「半蔀」が出ますのでそれに合わせて講義します。ホームページには今年度予定がまだでていないので、チラシのみの広報ですが、たくさんいらして頂けるといいなあと思っています。名古屋市や豊田市、小学校から高校まで過ごした知立市では講座をさせて頂きましたが、はじめての地元安城での講座です。知立市図書館の講座の時担当して下さった先生が推薦して下さったのですが。感謝です。安城での能の普及のためにがんばりたいと思います。今日は古くからの友人や、安城の椙山の卒業生さん、父も応援に来てくれるとのことで、地元の方に支えて頂いて講座が出来るのはとても幸せだなあと思います。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年4月8日 講義始まりました。日本文化論、歌舞伎の鰯売恋曳網を扱いましたが、ビデオで見ても玉三郎はとっても綺麗です。昔の沢村宋十郎が海老名南阿弥、いまの勘三郎が勘九郎の頃のですが、講義していて懐かしかったです。明日も「日本語の基礎」の講義、頑張ります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月7日 科学研究費二年続けて不採択でした。封筒にはいった結果見て、がっかりしました。ホームページで国文学の採択課題見て、これでは勝てなかったなあと納得はしましたが。。秋にまた再挑戦したいです。それまでに、これまでいただいた研究費で作成した資料で、発表できるのに時間がなくて発表していない資料をまず作ろうと思います。今年はそういう年にしようと。それが出来れば、また助成金を得られるチャンスもあるでしょう。。景気づけのため、ケーキを買って帰りました。景気つくと良いなあと思います。放送文化基金の報告書と、学園研究費の申請書類がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月6日 明日から講義です。今月中に放送文化基金の報告書を書かなければならないなど、やるべきこともたくさんあります。午前中は自宅で報告書を書きたいと思います。能楽学会の雑誌を見て、、なんか着実な人はすごくよい仕事しているなあと。。なんか置いて行かれたような気持がちょっとします。。でも、僕の出来ることはまだあるはずですし、それこそ少しずつ、資料整理からして行きたいと思います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月5日 今日は父の喜寿の誕生日です。午前中子供達を預かって貰うので、僕が実家に行き、おめでとうとだけ言いました。母が作ったお赤飯たくさんもらつて、花見団子ももらって、何ももって行かなかったので悪かったなあと思いつつおいしく頂きました。父には長生きして欲しいです。僕は講義の準備と論文の準備をしました。能楽学会の紀要に宮本圭造さんが拙著『近代能楽史の研究』の紹介記事を書いて下さいました。忙しい所本当に感謝です。これからの課題がはっきりしました。頑張りたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月4日 今日はイースターです。教会学校の河村先生の説教、僕は高校時代に聞いていたのと同じ分かりやすい説教でした。あれから三十年以上経って私も第四週を担当していますが、あと三十年後、ひろとや友恵か教会学校に参加している僕の教え子が担当してくれると嬉しいです。(僕はいま母が担当している小学校クラスを担当して孫に教えたいです。)教会学校のみ参加して、イースターエッグ頂いて、新入生ガイダンスのため、大学に出勤しました。プレゼミとメディアリテラシーの説明をして失礼しました。夕方はひろとと安城公園で夜桜見物をしました。これから論文書きたいと思います。明日は父飯塚重五郎の喜寿の誕生日です。研究者として教育者として、父親として、父は僕の目標です。僕の方が父より協調性はまだありますし、事務仕事も出来ると思います。それゆえに父がならなかった教授になっているのだとは思いますが、父のように物理学で「仁科記念賞」(1976年)を取るような業績は僕には全然ありません。研究者として「真面目」だったから、僕も弟の眞喜人も研究者になったのだろうと思います。教育・研究ってとてもやりがいのある仕事ですが、僕の背中を見てひろとや友恵が志してくれるかどうか。。分かりませんが、、パパは真剣だったと、子供の記憶に残るような後に残る仕事をしたいです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月3日 今日は土曜日ですが出勤しました。新年度の準備のためですが、なんでこんなことに気がつかない、、というところで初歩的な連絡ミスがあり、多くの先生方や業者さんに迷惑かけてしまいました。フォローのメールで講義準備等は出来ず、本当に落ち込みました。。初歩的なミスが怖いです。明日は新入生ガイダンスです。私の担当は午後ですが、教会学校終わったらすぐに行こうと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月2日 今日はアルバイトの卒業生さんに来ていただいて、撮りためた能のデジタルビデオテープの整理をして頂きました。自分でやると、「あの時はこうだったなあ。。」とか浸ってしまって全然進まないので。。来週もお願いします。それを教材にしているので、とても助かります。明日も出勤します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年4月1日 新年度となりました。昨日は大府の長寿医療センターに行きました。脳外科の診断を受け、腫瘍の可能性は低いが念のためということで20日の火曜日に脳ドックの精密な診断を受けることになりました。何もなければよいなあと思っています。今年度が良い年度であって欲しいと思います。今日は放送文化基金の報告書のためのまとめをしました。明日からまた原稿執筆と講義準備です。がんばります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月30日 今日は妹の家族が福山から、弟一家が筑波から来て、父と母の喜寿のお祝いを三河安城の日本料理店で行いました。妹の御主人は仕事で来られませんでしたが、六人の孫が全員揃えてよかったです。昼ごはんでしたので、お酒抜きでしたが、良い記念になり楽しかったです。妹の子供達が高校二年生とか聞くと、子供達の成長は早いなあと思いました。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月27日 昨日の中区役所の狂言会、子供向けの催しでしたが、ワークショップで佐藤友彦先生に合わせて、観客席から出てきた十人以上の幼稚園から小学生が狂言小舞の兎を練習するところなど、とても面白いと思いました。ひろとも友恵も恥ずかしがって前には出て行きませんでしたが、そろそろ反抗期かも知れません。今日は家族は長田先生の子供教室に、僕は石水博物館の調査に津に伺います。午前中、早目に出て岩田川河口に貝拾いに行こうかなあと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月26日 昨日は中野之也先生の御紹介で、刈谷で音源のデジタル化に詳しい方を紹介して頂き、また、中野先生のデジタル化されたラジオドラマの音源などを頂きました。昭和二十年代のもので、とても良い音で感激しますが、芸術祭参加の宮沢賢治の作品題材のラジオドラマなどは音楽がふんだんに使われており、作曲家の著作権がまだ消滅していないので、公開は出来ません。ただ、「このような音源がある」と一覧表にして公開し、研究者には聴いていただけるようアーカイブの整備はしたいと思います。今日は家族で中区役所ホールのこども向けの巡回狂言会を観に行き、そのあとは大学で勉強する予定です。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月25日 昨日は保田紹雲先生が福井県に調査に行かれるので連れて行って頂きました。越前市妙法寺町安證寺の追加調査が主目的で、常山・常応などの住職宛の書簡などを撮影させて頂きました。面打ちに関する直接的資料は含まれていませんが、出目家の環境を知る上で参考になり感謝でした。越前申楽の拠点であったろう一乗谷遺跡、平泉寺にも連れて行っていただきましたが、この時代の一向一揆や織田信長による越前侵攻って、殲滅戦で敗者は皆殺しだったようです。朝倉氏の滅亡で越前申楽が衰えたと言われていますが、人口が激減して、文化そのものが維持出来なかったのではと思わされました。近江申楽もですが、諸国の申楽座の再編って、政治状況や経済状況とかなり密接に関連しているように思いました。戦国時代って、内乱の時代で、文化が変わると言うより、人が死んで伝承が絶えているものがずいぶんあるように思います。英雄の陰の文化衰退も必ずあったろろうと思わされました。市史や県史の政治編なども調べたいと思います。今日は、六月定例能のイヤホンガイド安宅の原稿を書かねばと思っています。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月23日 昨日の発表、なんとか無事に終了致しました。参加された三曲演奏家の方やCBCのOBの方にいろいろな音源やヒントを頂いて、本当に感謝でした。音風景の会の成田先生から、隣接著作権の切れている昭和30年前後の放送音源を頂きましたので、今日から配信させて頂きます。とても貴重な音源だと思います。明日は、保田紹雲先生に福井県の室町時代の能面打ちの跡につれていって頂きます。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月21日 今日は出勤して明日の発表の準備をします。がんばります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月20日 今日は大学であさっての東海三曲演奏家の会の発表プリントを作成しました。明日も出勤して音源をつくる予定です。がんばります。帰りは筧先生の子供能楽教室に参加さて頂いている家内と子供達と合流して、金山のはなまるうどんで食べて、脳ドックを受ける大府の長寿医療センターの下見をして、大府の銭湯によって帰ってきました。天然温泉で楽しかったです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月19日 今日は石水博物館で安田文吉先生の科学研究費による研究会に参加しました。本当に良いものを持っているのだなあと。。特に和歌関係や浄瑠璃関係、一枚刷りは充実しているということがわかりました。謡本も伝烏丸光広本などかなりの善本なのですが。。楽しかったです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月16日 今日は更生病院で脳外科の診察を受けました。病変が拡がっているかもしれないためで、MRIの機械が変わっているので、機械のせいかも知れないとも言われているのですが。家内にもついてきて貰って、診察付き添って一緒に聞いてもらいました。念のため、大府の長寿研究所の医療センターで別の検査をすることとなり、三月三十一日に伺います。自覚症状はないのですが、調べていただいたほうが安心なので。。心臓エコーの結果は大丈夫でした。血圧は上は百二十でしたが下が九十八と高く、血圧降下剤処方して貰いました。先回の血圧脈派の結果動脈硬化進んでいるそうなので。孫の顔みたいです。。そのためにも気をつけなければと思います。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月15日 昨日は私は石水博物館謡本調査、家族は長田先生の子供能楽教室に参加しました。終わってからひろとと白子漁港で五時半から五十分ほど釣りました。僕は坊主でしたが、ひろとは一匹釣りました。比呂人の方が僕より釣りは上手です。帰りに白子漁港の近くの丸亀製麺という店でうどんを食べました。僕は大盛りぶっかけうどんと鮭おにぎりとちくわてんぷらでしたが、おいしかったです。今日はこれから京都の味方健先生の「役者の読む世阿弥」を聴きに伺います。夜六時半から京都四条駅の産業振興会館です。普通電車での往復です。味方先生の講義は、やはり蓄積がすごいのでとても勉強になります。講義のない季節は出来るだけ聴講して、自分の講義の参考にさせていただきたいと思っています。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月13日 椙山高校の教頭の太田ふみ子先生の御紹介で、河合塾校長の高橋一夫先生より、御所蔵の古典芸能や映画関係のビデオを頂けることとなり、太田先生と太田先生の御友人と高橋先生の御自宅に伺いました。ビデオ二百本ほど頂きましたが、高橋先生や太田先生・御友人の方にまで梱包や積み込みお手伝いいただき恐縮でした。高橋一夫先生は、僕の高校時代すでに国語の参考書などたくさん書かれていて有名な先生でしたが、河合塾にいらっしゃる前は明和高校の先生だったのですね。太田先生は明和時代の教え子との事で、狂言の井上菊次郎先生も明和高校時代の教え子とのことですが。。私は高校時代河合塾の名古屋駅校の夏季講習でおそらく教えていただいています。高橋先生は、当時すでに重鎮で、貫禄があってすごいお爺さんの印象がありました。今日お目にかかって、ほとんど印象は変わりませんでしたが。三十年前は五十代だったのですから、絶対お若かったはずなのですよね。いまの僕と大して変わらなかったはずです。とても分かりやすい講義で一時代を作られた先生ですが、筑波大学の前身の東京高等師範学校出身ですから先輩です。僕も先輩方を見習って、分かりやすい講義を心がけたいです。高橋先生の書斎拝見して、ものすごい読書量だなあと思いました。。江戸の戯作文学から、歌舞伎・能から現代文学、新派、三島由紀夫などまで、、僕が一生かけてもこれだけの幅広さはもてそうもありません。あの高橋先生の参考書の分かりやすさは、こういう蓄積から生まれているのだと思いました。いただいたビデオ、学生の教材として大切に使わせて頂きたいと思います。本当に感謝でした。明日は津の石水博物館の調査です。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月11日 一昨日は西村高夫先生に観世流の謡曲を、昨日は岩田西園先生に西園流本曲、岩田恭彦先生のグループに恭彦先生作曲の現代邦楽の曲をスタジオで、それぞれ録音していただきました。編集して、西村先生の「景清」は昨日から配信させて頂いています。とてもかっこいいと思います。。岩田先生の音源も早く編集したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


2010年3月8日 今日は午後、「名古屋文化情報」の「この人」の取材のため、河村総一郎先生のお宅に伺います。戦後の名古屋能楽界の生き字引の先生なので、とても楽しみです。夕方は能楽古文書の読書会です午前の僅かな時間ですが、東海能楽研究会の年報の原稿を書きたいと思います。頑張ります。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月7日 今日は午前・午後ともに自宅で休養しています。夕方から岡明彦君主催の飲み会に行きます。名古屋の芸関係者が術多く集まるので楽しみです。東海能楽研究会の年報原稿早く書かねば。。


2010年3月6日  今日も会議でした。。書類作成は苦手です。でも来週も続きます。。ふーーっ。。


2010年3月5日 今日は会議と書類作成です。少しでも勉強したいのですが。春休みなのに。。。


2010年3月4日 今日は大阪大学で天野文雄先生の最終講義がありますので、聴講に伺います。私は大阪大学で学位を頂きましたが、出身でもないものに労を取って頂き本当に感謝でした。関西の能楽研究が活性化したのは、天野先生が大阪大学に行かれたことがとても大きかったと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年3月1日 朝刊で昨日の津波の記事を見て驚きました。昨日は午後から晴れ、津波の到着予定が一時から二時と聞いていたので、五時半ならば大丈夫だろうと、釣りにいってしまいました。釣れませんでした。まだ警報解除されていませんでした。反省です。


2010年2月28日 これから石水博物館に調査に行きます。長田先生の子供能楽教室に子供達が参加します。雨なので、午前中の釣りはやめます。チリの地震で津波が来るとの事なので、大きな津波ではないようですが、影響を考えて帰りは夕方に可能ならば少し釣りたいと思います。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年2月27日 昨日更生病院で血圧脈派の検査を受けました。脳梗塞の痕があり、血圧も高めなので、予想された事態でしたが、年齢以上に動脈硬化が進んでいるということでした。とはいえ、強い薬を飲む必要はないので、軽めの血圧降下剤を飲みましょうということになったのですが、どよーんとした気分となり、一日家で落ち込んでいました。十二日には心臓のけんさもします。強烈に孫が欲しくなりましたが、子供が二人とも小学生なので。。長生きしたいです。昨日出勤しなかったので、今日は資料整理とホームページ更新のため出勤します。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。これだけ書いた後に更生病院から電話があり、先日の脳ドックの結果、機械がかわっているので微妙なのだけれど、拡がっている可能性がないとも言えません。脳腫瘍の可能性は低いと思いますが、一応脳外科でも検査しましょうということで、三月十六日に検査することになりました。叔母さんが脳腫瘍で亡くなっていますのでとても怖いです。自覚症状は、忘れっぽい以外はないのですが。。今日は今年の学生さんたちのゼミ作品を公開致しました。明日は津の石水博物館に調査に伺います。楽しみです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年2月25日 今日はアルバイトの学生さんをお願いして、この10年撮影した能楽ビデオテープを整理しました。年度別に箱に入れてラベルを貼り。それからエクセルに入力していただくのですが、今日は整理まででした。次回入力していただきます。300本以上あります。名古屋の能狂言に関する貴重な映像資料になると思います。夜、佐藤友彦先生に、「節分」のビデオを拝借いたしました。秀雄先生の三回忌に友彦先生と融さんがなさったものです。これから拝見しますが゛、楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年2月24日 今日も血圧高めです。校医さんに更生病院への紹介状いただいたので、明後日血圧の関係の検査に行きたいと思います。自覚症状はないのですが、自覚症状が出る前に対処したいです。ではまた、皆様お元気で。


2010年2月23日 今日は午後から更生病院で脳ドックを受けました。結果は、、白い影は継続してあるがほとんど変わらないので脳腫瘍などではないでしょう。脳梗塞かと思いますが、はっきりとはわかりません。機械が変わったので全く同じか拡がったかどうかは微妙です。検査で物忘れは通常範囲なので、認知症ではありませんが、脳梗塞が関係しているのかどうかはわかりません。血液検査は、中性脂肪が非常に高いのと、血糖値がちょっと高いので、糖尿病に注意する必要があります。血圧が高めなので、降下剤を飲み始めた方が良いでしょう。一年後再検査しましょうとのことでした。脳梗塞・心筋梗塞など、リスク高いですが。。長生きしたいです。休み期間だけでも出来るだけのんびりしないとと思います。孫の世話したいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年2月21日 今日は東海能楽研究会総会でした。筧鉱一代表が会長を引退して名誉会長となり、後任に林和利先生が就任されました。橋場さんの副言巻に関する発表もあり、充実した会でした。次回は四月二十五日一時半米野コミュニティセンターです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年2月20日 胃腸風邪だいぶよくなりました。いきなりきたのでびっくりしましたが。。「小鼓梶川家について」という研究ノート、東海能楽研究会の年報にと思い書き始めましたが、原稿用紙十枚越して、規定の倍になってしまいましたので、別の雑誌に研究ノートとして投稿することとしました。原稿用紙五枚の研究ノートを月末までにもう一本書かなければなりません。思案中です。ではまた、皆様お元気で。


2010年2月19日 昨日から胃腸風邪にかかって家で静養しています。講義期間中でなくて不幸中の幸いでした。早く治したいです。


2010年2月15日 今日は大学を休んで、京都の産業会館で夕方六時半から行われる味方健先生の「役者の読む世阿弥」に伺います。能が従来の愛好者・観客のみでは成り立たなくなり、劇として観る観客を増やしていかなければならない状態の時に、どのような取り組みが東京や京都で行われているのか、、観世喜正先生の「能の旅人」も刺激的でしたが、関西での息の長い地道な取り組みとして、味方先生の講義はとても高い評価を受けています。関西での取り組みを取材したいと言う意味もあります。僕は講義をするのも好きですが、人の講義伺うのは大好きです。大阪大学の研修の頃は味方先生の講義によく伺いましたが、とても勉強になります。自分の講義がある期間はなかなか伺う事が出来ません。今日はたまたま時間がありますので。帰りは新幹線使わざるを得ないかも知れませんが、行きは普通電車です。小遣いありませんから。楽しみです。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年2月14日 今日は長田先生の子供能楽教室、僕は石水博物館の文献調査で津に行きます。帰りに白子漁港で釣りをする予定です。楽しみです。家内と友恵からバレンタインのチョコを貰いました。感謝です。


2010年2月13日 今日は藤田舞台で行われた観世喜正先生の「能の旅人」に伺いました。椙山に撮影頼んでいただけたので。。ワークショップ付きの催しですが、二部とも満席でした。やっぱり観世喜正先生は味があってとても良いです。とくに二部の半能の融がかっこよかったなあと。。藤田舞台は稽古用なので、橋掛りなどは短いのですが、少人数のライブ感覚の催しにはとても良いのだと思いました。観客席の雰囲気もモダンできれいですし。とても楽しかったです。次回の「能の旅人」は七月十日に名古屋能楽堂で「葵上」とのことでしたがとても楽しみです。ただ、このようなライブ的な催しも、ぜひまた見せていただきたいなと思いました。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年2月11日 今日は実家の両親を誘って西尾の寿司屋に結婚二十周年のお祝いと言う事で食事会に行きました。。といっても住宅ローン重いので、「でら吟」という三河湾の魚メインの寿司の割引を寿司屋さんの組合がしているのでそれをしている寿司屋に行き、岩瀬文庫の企画展を観て、西尾公園の旧近衛邸で抹茶を飲んで帰ると言う「値打ち」なコースでした。。家内がお店を調べてくれたのですが、予約をとろうかという時にあれやこれやと注文をつけたので、家内がかなり怒ったというおまけつきでしたが。今日は楽しかったです。。おかげさまで家族皆元気で二十年を迎えることができ感謝です。三十周年も全員で迎えたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年2月10日 今日は西村高夫先生にスタジオで観世流の謡曲の録音をお願いします。西村先生の録音は私のホームページではかなりアクセスが多いので、本当に感謝致しております。名古屋文化情報の原稿や研究報告書もかかなければなりません。出来る所から始めます。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。ここまで書いたときは意識していなかったのですが、今日は二十回目の結婚記念日でした。西村先生にはそれを意識せずに今日は高砂全曲を録音していただいたのですが、奇しくも二十年前結婚式の二次会で謡って頂いた覚えがあります。感謝です。家内と百まで仲良く生きたいです。ではまた、皆様お元気で。


2010年2月8日 一月は「いく」。二月は「逃げる」といいますが、早いです。今日は委託費のデータ入力発注のための準備をしました。明日は科学研究費による録音の準備をします。予算が大丈夫であることを確認して後期の授業が終わってから発注しなければならないので、毎年この季節になるのですが。頑張ります。


2010年2月6日 今日は母の誕生日です。喜寿を迎えましたが、健康を守られ感謝です。今日は子供の小学校で学芸会がありますので、午前中のみ見に行きたいと思います。研究なかなか進みません。データベースのデータ校正など急がねばならない仕事もあるのですが。。まず委託費で依頼する仕事からしなければなりません。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年2月5日 忙しいせいか、「記憶」に不安があるようなことがいくつかあり、明日更生病院に診察して貰いに行くことにしました。若いころの脳梗塞の痕がありますし、中性脂肪高いのでリスク大きいのです。子どもも小さいですから長生きしたいです。孫と能を観に行きたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年2月1日 昨日緊張していたのか、目が覚めたら八時過ぎでした。十時間くらい寝ていたのかなあと。。今日は大学は休み、東海民法クラブの中野之也先生・成田徹男先生に、港区の音源を保管されている場所を見せて頂きに伺いました。放送音源や、昭和三十・四十年代に放送の参考資料として集められたオープンリールテープ゛、SPレコード・LPレコードが山積みになっていて、本当に宝の山だなあと思いました。よく残っていたなあと。。昭和の芸能・音楽に関する超一級の資料だと思います。中野先生・成田先生は目録を作ってデジタル化されたいと言うご希望でしたが、出来たら、素晴らしいアーカイブになると思います。費用のかかる仕事ですので、来年度はこの「音風景の会」の音源資料の目録作成とデジタル化で研究費を申請したいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月31日 今日は河村総一郎先生をゲストに豊田能楽堂で「東海能楽史」の講義を担当ざせていただきました。河村先生が用意してくだつさった明治から戦後昭和三十年前後までの舞台写真ほとんど知られていない写真で大変勉強になり感謝でした。豊田能楽堂に能を見にいらして下さる方が増えるといいなあと思います。家内と子どもたちも聞いてくれました。帰りに回転寿司で食事して、豊田の銭湯によって帰りました。楽しかったです。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月28日 今日は一日採点でした。明日も採点です。がんばります。


2010年1月27日 今日は豊田能楽堂で日曜日の打ち合わせをしました。良い講義にしたいです。説明文考えたいと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年1月26日 昨日音風景の会の中野之也先生に頂いた「越後のごぜ唄」のLPを研究室で教材用にデジタル化しておりました。こんなに面白い唄があったのだと驚きました。民謡なのですが、華やかでしかも哀調があって、素晴らしいです。感激しました。学生にも聞かせたいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月24日 これから熱田教会に行きます。がんばります。


2010年1月23日 今日は資料整理と採点のため出勤しました。辻山幸一氏提供の「新派劇音源コレクション」のうち、著作権の消滅した物を配信させて頂きました。配信していないもので、丸井不二夫氏旧蔵のものなど、著作権は残っていますが、貴重なものもあります。それらはご遺族の了解がいただければ配信させて頂きたいです。明日は熱田教会の中高科の教会学校の説教を担当して、そのあと石水博物館に調査に伺います。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月20日 2月13日に藤田六郎兵衛先生御自宅の藤田舞台で、観世喜正先生と竹市学さん・後藤嘉津幸さん・河村真之介さんという地元若手囃子方の「能の旅人」という催しが行われます。二部制で、各回八十位名限定。一時半と三時半の二回入れ替えですが、能でなければライブハウスのような興行形態です。能楽師は俳優で、囃子方はミュージシャンだと考えれば、もっと早くこのような小規模公演が能であってもよかったと思いますが、「旦那衆」相手と言うイメージからなかなか抜けられなかったため、このようになっているのでしょう。「かんぜこむ」よりのネット注文で受け付けていることや、若手実力者による短時間公演など、従来なかった公演でとても期待できます。僕も伺いたいです。一月三十一日に、豊田能楽堂で河村総一郎先生と「東海能楽史」という講座を担当します。河村先生が明治以降の能楽写真、新資料ですがたくさん提供してくださいまして。感謝です。たくさんの方に聞いていただけるとよいなあと思います。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2020年1月19日 論文なんとか提出しました。見直ししてくれた家内に感謝です。「御稽古場(観世流)」のページに先週西村先生に録音して頂いた「野守」を加えました。できるところから更新して情報発信したいです。ではまた、お元気で。。


2010年1月17日 五日間日記更新できませんでした。論文やばいですが、九時過ぎたので寝ます。おやすみなさい。。


2010年1月12日 昨日夜友恵が胃腸風邪でいきなり吐き、驚きました。家内がてきぱき手当して片づけてくれたのですが、、今日午後には回復しました、僕も気をつけねばとおもいます。皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年1月11日 昨日は子どもたちは長田先生の子供能楽教室、私は石水博物館調査でともに津に行きました。僕は釣りが大好きなので、行きに白子の釣具店で餌を買って白子漁港で少し釣りましたが釣れず、蟹網をしかけました。調査は明和改正謡本外組の撮影をしました。装丁など初めての本で大変面白かったです。夕方は河芸漁港に移動して釣りましたが、息子も私も二人とも釣れず、白子にしかけた蟹網も不発で坊主でした。残念でしたが。帰り回転寿司で食事して帰りました。今日は家で論文書きます。皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月10日 これから家族で津に行きます。交通事故と海に気をつけます。ではまた、皆様お元気で。


2010年1月9日 今日は校務のため土曜日ですが出勤しました。来週の講義の準備と「故しかたしん氏所蔵民謡テープ」のページに、隣接著作権の消滅した昭和33年放送分までのファイルにリンクを貼りました。昨年にはファイルはいただいていたのですが、なかなか時間が取れませんでした。休日出勤したので、一気に今年公開可能分まで公開しました。辻山幸一先生より提供頂いている「新内」「歌舞伎劇」のファイルも実はとっくに出来ています。放送文化基金のおかげですが、これも報告書作成までに全部公開したいです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月8日 子どもたちの学校も始まり。新年始動です。今日は能楽堂展示室のビデオの編集です。頑張ります。ではまた、お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月7日 昨日から出勤しております。今日は豊田能楽堂の講座の準備のパワーポイントを作成しました。河村総一郎先生の御宅で撮影させていただいた呉服町能楽倶楽部や戦前の布池町の名古屋能楽堂、戦後の松坂屋ホールの能の写真をファイルに作りながら、この百年は激動だったのだなと思います。きちんと資料を整理して次の世代に渡したいです。がんばります。明日は能楽堂展示室ビデオの編集を行います。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。


2010年1月5日 昨日なんとか、徳川慶喜邸日誌の明治十年から十六年までの松本金太郎出仕記事の入力を済ませました。これから分析と論文執筆ですが。。明治九年から十一年までは毎日のように「金太郎出ル」で謡曲に夢中だったのですが、十一年十一月を最後にぱったり。趣味が別のものに変わるのですね。「扶持」をもらっていない状態では能楽師は大変だなと。別に職業を持つか、複数の愛好者に教えていなければとても成り立たないと思いました。ただ、静岡に慶喜のような愛好者がいなければ松本金太郎は謡曲師範として続かなかったはずで、慶喜は宝生流にとって大切な恩人だつたと思います。さらに調べたいと思います。今日は午後岩田西園先生の御宅に伺い、尺八のレコードを拝借します。楽しみです。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月4日 eritodagane,ikenofunaの名でツイッタ―はじめました。使い方がわからず、二つもアカウント作ってしまったのですが、140字だと、つぶやくというよりも愚痴しかかけないですね。。僕はとても愚痴っぽい性格なので。。ラジオ放送と古典芸能との研究をしていて、ラジオが能の「大衆化」を進めたことがわかりましたが、ネットやツイッタ―は、古典芸能にどのような変化をもたらすのか。。よく観察したいです。口コミの量と伝わるスピードが変わるわけですから、使用する人が増えれば当然変化があると思います。今日は一日家で論文執筆です。がんばります。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月3日 新年三日目です。子どもたちと家内は津の松菱デパートで行われる新春発表会に長田先生の子ども能楽教室として参加します。僕は名古屋能楽堂定例能拝見に伺います。楽しみです。体力的に。風邪気味なのでしんどいこともありますが。。徳川慶喜と謡曲も頑張って書かないとと思いますが。。ではまた、皆様お元気でお過ごしくださいますよう。


2010年1月2日 新年二日目です。昨日は妹一家が帰省していたので、実家で食事しました。ちょっと飲み過ぎたかなあと。。楽しかったです。大晦日に釣りにでかけて身体冷やはしたため風邪のひき初めになってしまいました。熱はないですが、鼻風邪でつらいです。冬休みしかまとまって勉強出来ませんら、怠け者の節季働きで、徳川慶喜と謡曲の論文調査しています。図書館が開いていないからつらいですが。。ではまた、皆様お元気でお過ごし下さいますよう。。


2010年1月1日 明けましておめでとうございます。我が家の年賀状です。。

新年明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になり、有難うございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 昨年二月に『近代能楽史の研究―東海地域を中心にー』(大河書房)という著書を上梓することが出来ました。多くの皆様のご教示・ご協力のおかげと心より感謝致します。多くの先生方から資料や貴重なご教示を頂きました。次の課題として尾張藩の能楽通史を書きたいと思います。尾張藩は岐阜や木曾を含み、飛び地を考えると中部圏一帯を視野に入れた能楽の調査が必要となります。少しずつ資料の整理と翻刻を行いたいと思います。比呂人は小四に、友恵は小二となり、それぞれ勉強に、遊びに頑張っております。佳恵は小学校の読み聞かせボランティアなど、地域活動に頑張っております。双方の両親とも健康を守られ、感謝です。
 今年が皆様にとりまして、佳き年でありますよう、心よりお祈りいたします。
  平成二十二年元旦 飯塚恵理人・佳恵・比呂人・友恵・金魚(2)・どじょう(3)ふな(2)・めだか(2)・クワガタ(3 冬眠中。)

次に東海能楽研究会の総会案内を。。


下記の通り東海能楽研究会総会を行います。
ご出席の程、宜しく お願い申し上げます。
日時 平成22年2月21日(日曜日)13時30 分-16時40分
場所 米野コミュニティセンター二階会議室
(名古屋市中村区太閤二丁目 近鉄「米野」駅下車、名古屋駅方面へ線路沿いに徒歩3分 
米野コミュニティセンター周辺地図
(下記のURLをクリックしてください)愛知県名古屋市中村区太閤2丁目 http://map.yahoo.co.jp/print?type=scroll&lat=35.15950194&lon=136.88388806&sc=4&memo=&prop=&label=&bkmsg=&bkurl=&datum=&ei=&mode=map&layer=&hp=&pointer=on&paper=&orientation=&v=2&fa=&stn=&lat0=&lon0=&rsn0=&lat1=&lon1=&rsn1=&km=&tm=

総会

議題 1 代表の交代について

2 その他

座談会 東海能楽研究会15年の成果と今後の課題

*会にとって非常に重要な案件ですので、できるだけ多くの会員のご出席をお願いいたします。「総会」が長引いた場合、座談会・発表の時間が持てなくなる可能性があります。このため、発表は設定せず、各自がプリント・抜き刷りを持ち寄って交換し、時間があれば、その説明をしていただくという形にしたいと思います。例会出席者数は15名前後までが多いですが、総会ですので、会員の過半数の30名以上を期待致しております。

駐車場が三台しかありません。近くのマックスバリューの駐車場(有料)かコイン駐車場(有料)をご利用ください。よろしくお願い致します。

伝統文化こども能楽教室報告
                             名古屋教室
 10月24日、11月8日、11月28日、12月5日と月2回のペースでお稽古を重ねてきました。
年内最後の稽古日は12月27日です。2005年夏からスタートした名古屋教室は今年5年目です。
スタート時から変わらず、謡を中心のお稽古を繰り返しています。本物のお道具である小鼓と大鼓で
「はるがすみ」「たかさごや」の囃子の稽古も繰り返します。きちんと挨拶すること、お道具を大切に
扱うこと、大きな声をだすことが大切であると常に教えられます。
 2010年2月7日(日)名古屋能楽堂で「東海能楽伝承会」が催されます。12時頃からこども教室のおけいこ発表があります。豊橋教室の仕舞「たちいでて」、名古屋教室と合同の囃子「たかさごや」「はるがすみ」、一口謡「はなさかば」「あずまあそび」などを総勢28人で披露します。
  今後のお稽古予定 1月9日(土)1月23日(土)1月30日(土) 2月20日(土)
午後2~3時半 場所:米野コミュニティセンター(名古屋市中村区・近鉄米野駅ちかく)他
  お稽古発表予定  2010年2月7日(日) 名古屋能楽堂 「東海能楽伝承会」
津教室                               
津子ども教室の報告 

津子ども教室の子供達も、津市松風閣にて、長田郷先生の御指導の下、月2回の仕舞の稽古を頑張っております。平成22年1月3日には津市の松菱百貨店内特設ステージでの「津市民芸能発表会」に今回も参加。小学生6名が元気に仕舞を披露しました。また4月24日土曜日に行われる「津さくらまつり薪能」の「鞍馬天狗」に、牛若丸として、生徒が出ます。目下猛練習中です。応援の程よろしくお願いいたします。