無二流


型や姿勢、特に足型には厳しく、前に出す足は常に真っ直ぐ。

特徴ある型と“イ〜ヤ〜トォッ”のかけ声が、祭りでもひときわ目立つ。

水野又太郎良春が吉水院宗信法印から伝授を受け、

正平16年(1361年)新居村に移り、以後、村人に伝え、無二流が広まった。

無二流の名称は、水野氏の別名が無二と称されていたことから名付けられたものと伝えられている。

明治6年(1873年)の祭礼から花棒となりキレモノが登場する。

また、それまで秘密であった手法が「新表」と命名されて、観衆の見守るなかで演じられる。

しかし、このこの頃はまだ神にそなえる棒は多度神社で、

花棒などは神明社で演じるという区別が、なされていた。

しかし、大正14年(1925年)から多度神社で、全ての演技が行なわれるようになり現在に至っている。

棒の手の由緒は秘密にされることが多いが、この流派は特に厳しく、少数の人達だけが伝え、

核心に触れる部分は、唯一人だけが伝えるという状態で、

流の内部の人に対しても秘密であった。

したがって流の由緒も簡単なものになっており、「家伝の棒とは何か」という質問さえ許されなかった。

文化財に指定される時も同様であったが、実は、かなりの伝書や伝承が、密かに伝えられていた。

現在では先祖の苦闘のあとを明らかにするほうが供養になるという考えから秘密は解禁となり、

保存会の手で研究が進められている。