検藤流


演技はすべて「棒対太刀」で行なわれ、「棒対棒」の演技はない。

稲葉地区に伝わり、一之御前神社に奉納する流派。

文化8年(1811年)毛受勝助家照の子孫である毛受周平が、農民に教えたのが始まりと言われている。

「検藤流御容巻」に「検藤流御容之事」として、16手があり、

これが検藤流の型及び演技の内容を示している。

しかし、内容を説明する文書はなく、全て口伝である。

これらの演技は「棒太刀」という名称で、定められた手順どおりの演技が行われる。

キレモノは「真剣鎌」というように使用する道具の名称が演技の名称となる。

かけ声(気合)は「棒太刀」と「キレモノ」では若干異なるが、いずれも「ドコイ」で演技が終了する。

この流が使用する太刀は比較的短く、小太刀を思わせる。

なお、この流の由来は分かっていない。