直心我流
正徳4年(1714年)比企良雄から伝授された八木弥市朗博章が印場村に伝えたのが始まりである。
八木弥市朗は印場の人で、かなりの長期間、一説によれば、
20年の間、比企良雄のもとに通い指導を受けている。
正徳4年に免許皆伝になると、印場村の農民に教え、渋川天神(現 渋川神社)に奉納を始めた。
彼は早業を得意とした。
そのためか、この流の演技は短時間で終わるものが多く、
演技の速度が速く、かけ声(気合)も短くなっている。
この点は比較的ゆっくり演技する東軍流や、かけ声(気合)を長く伸ばす無二流と対照的である。
演技は、太刀対太刀、あとは全て棒対太刀である。
キレモノについては特別の名称を使わず、使用するキレモノの名称を、そのまま演技の名称としている。