瀬戸市愛知県瀬戸市、言わずと知れた「せともの」の名産地です。中心部を東西に流れる瀬戸川のほとりには「せともの」を扱う店が軒を連ね、休日などは買い物客でにぎわいます。実はこの瀬戸市にも、大変な危機がありました。元和2年(1616年)頃、当時は陶器だけを扱っていた瀬戸に強力なライバルが出現したのです。九州の有田で陶石が発見され、陶器より薄くて丈夫な磁器が生産されるようになったからです。その影響で瀬戸の陶器人気は暴落。これを打破するために、瀬戸出身の加藤民吉なる人物が九州の窯場で働きながら磁器の技術を習得。その技術をふるさと瀬戸に持ち帰って、危機を救ったとされています。「せともの祭」は、磁祖・加藤民吉翁を奉る窯神神社の祭りとして始まったのです。


昭和7年に始まったこの祭りは、当初、民吉翁の命日である16日に実施していましたが、昭和35年頃から現在の日程(9月の第3土・日曜日)に変更。祭り前日には前夜祭として、窯神神社への御神火奉納たいまつ行列が行われます。この火は民吉翁が信仰していた秋葉大権現から運ばれたものです。明けて祭り当日、瀬戸川沿いには約250軒あまりの廉売店が並び、多彩なパレードや陶芸展などがにぎやかに開催されます。毎年約50万人近くの人出があるというのは驚きだ。中でもさすが瀬戸と感心させられるのは、小中学生や高校生による展示即売会。瀬戸には窯業高校がある他、小中学校でも教科のひとつとして陶芸の授業があり、「せともの祭」は子供達が日頃の成果を披露する場所にもなっているのです。かつて瀬戸は尾張の小江戸と呼ばれていました。火と土の産業に携わる人々の、きっぷのよさを表した呼び名です。市民の手によるユニークな祭りの原動力は威勢のよい瀬戸気質。元気な廉売の呼び声がそう語っているようです。せとものまつり

上の写真…国府商店。瀬戸川沿いにひときわ一目を引く建物。周辺の様子は変わっても外観だけは今も変わっていません。