円空仏

 円空は、寛永九年(1632)に美濃(現在の岐阜県)で生まれた仏僧です。
仏による人々の救済を布教しながら諸国を行脚し、生涯に仏像を十二万体も造ったと伝えられています。
円空の造った仏像は、鑿の跡を残した鉈彫りと呼ばれる素朴な作風で、一般に円空仏と呼ばれています。
形式的になっていた当時の仏師の作品とは全く違った美しさ、新鮮さを持っており、
目元や口元に微かにたたえた微笑みがその特徴です。
 円空仏は、未完成かと思われるほどの荒々しい彫りや、
木くずに目鼻を彫っただけの木端仏と呼ばれるものが多いのですが、
庄中観音堂のものは比較的大型で、まとまりよく丁寧に作られた像であることが注目されています。
5体とも檜の一本造りで、縦に割った木の前面だけに仏像を刻み、
背側は未調整のまま残されています。
いつごろ作られたかは不明ですが、円空が庄中観音堂の本尊である聖観世音菩薩立像の
修理を行っていますので、円空本人が庄中地区に訪れたことは確かなようです。

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