良福寺山門

萬安山良福寺は、臨済宗妙心寺派の末寺で、創建は久安年間(1145〜1150)とも
治承年間(1573〜1591)であるとも伝えられています。

天正(1573〜1591)のころには、織田信長の次男織田信雄から保護を受けていましたが、
豊臣秀吉の検地や小牧・長久手の戦い(1584)の兵火によって荒廃しました。
しかし、寛永8年(1631)尾張藩主徳川義直の命により中興されました。

この門は見付柱や冠木などがこの規模のものにしては太いことや、ほぞ穴が
不自然な位置にあることから転用材を使用していると推察されます。
寺伝によると、この山門は中興のときに、
清洲城の城門のひとつを譲り受けたとされています。