つんぼ石 耳病の患者が小石を供えて祈ると、その病気が治るという言い伝えがあり、 昭和の初め頃までは、付近に小石の奉納が見られたそうです。
名古屋城築城の際に、加藤清正を総大将とする諸大名が定光寺方面から石材を運んでいました。ある大名もここまで運んできたところでその重みに耐えかねて、ひとつの石を捨てていってしまいました。そこでその大名は村人に向かって、 「もし役人が来てこの石について何か尋ねても、おまえたちはツンボのふりをして決して本当のことを話すな。万が一わたしが捨てたことを告げたりしたら、村中皆殺しにするぞ。」 と、言い残していきました。その翌日、予想通り役人が村人に石のことを尋ねました。村人は命あってのものであるので、 ツンボを決め込んで答えなかったので、役人は 「なんてツンボの多い村なのだろう」と言って帰って行きました。 この話からこの石をつんぼ石と呼ぶようになったと伝えられています。