陶祖藤四郎(加藤四郎左右衛門景正)

瀬戸のやきものづくりの始まりは,12世紀ごろからと言われていますが鎌倉時代に,瀬戸のやきものをおおきく発展させたのが加藤四郎左右衛門景正です。1223年に道元禅師(曹洞宗の祖)と一緒に藤四郎(加藤四郎左衛門景正)が宋に渡り、 新しいやきものの技術を学んだという伝説があります。
若く、野心に満ちた、当時の先端技術者たち。 その中に藤四郎と呼ばれたリーダーがいたとしても不思議ではありません。
帰国した藤四郎は、良い土を求めて各地を行脚した後、瀬戸に辿り着き、 深川神社で神の啓示を受けたとされます。 ついに良質の陶土を見つけた藤四郎は、瀬戸の地で新しいやきものを興し、 深川神社に陶製の狛犬を奉納したと伝えられます。彼は宋の技術を取り入れた優れた灰釉陶器を産み出しました。鎌倉時代の終わりには,藤四郎の伝えたこの焼き方が最も一般的な焼き方となり,瀬戸の陶器は「せともの」として全国的にその名を知られるようになったのです。藤四郎はせとやきの「陶祖」として今でも崇められています。

尾張瀬戸駅から東に1.5キロほど行った丘の上にある瀬戸公園には藤四郎の偉業をたたえる巨大な碑が建っています。
藤四郎伝説については、さまざまな考え方があります。 しかし、海を越えることが命がけであった770年前に宋へ渡り、 苦難の末に技術を持ち帰り、自ら最高の素材を求めて奔走した藤四郎の話は、 当時すでに重要な日本の窯業拠点であった瀬戸の地位を確固たるものにし、 技術革新をなし遂げていった名工たちの象徴として、 瀬戸の人々の心に深く根づいています。

この藤四郎にちなんだ「陶祖まつり」が毎年4月に実施され、 瀬戸の町は多くの観光客でにぎわいを見せます。