鬼 祭 歴 史

●鬼祭の由来

 神明社の鬼祭は,日本の国のはじめの神話を田楽にとり入れて,祭の神事としたものと言われている.高天原の大神様の所へ,暴ぶる神が現れて,いたずらをするので,武神がこらしめようとして,両神秘術を尽して戦い,遂に和解して,一同喜んで神楽の舞をしたのである. 赤鬼は暴ぶる神を表わし,天狗は,武神を表わし,神社創立当時から安久美神戸の農民によって,年々農作物の豊作を祈るために行われたと言い伝えられている.


●徳川家康と鬼祭

 社伝によれば天文二十三年家康公は未だ十三歳で竹千代君と称し吉田城内におられ,正月十四日の祭礼に当神明宮へ参拝になり,ご社前の松の木に腰をかけられ,鬼祭を興味深く見られました.その後慶長八年家康公は征夷大将軍に任ぜられ,伏見の城に神主司守信を召され,御朱印を以って御神領をご寄進になられた.その時,家康公は神主に対し,「神主久敷うごじゃる,神式に今もちんばのまねをするか.」とご下問がありました. それ以来司天師の田楽をちんば踊りというようになり,その松の木を東照宮腰掛松と称し,垣根を廻らし,近世までその徳を尊んできました.
 明治十七年当時の神明社を現在の八町に御遷座の際,腰掛松の代わりの松を植えて今も記念としています.


●「無形民俗文化財」の鬼祭

 安久美神戸神社は千余年前伊勢大神宮の神領に加えられ,この地に神社を勧請して神領の繁栄と農作物の豊作を祈ったのであった.これがために,年の初めに農民によって種々の田楽が行われ,年々くり返されているうちに神社の行事となって後世に伝承され,これが現代の特殊神事であると推察される

 昭和二十九年三月十二日付を以って,愛知県文化財保護規則第三条により,愛知県無形文化財に指定された.


昭和五十一年七月十四日,愛知県無形民俗文化財に変更指定せられた.


 昭和五十五年一月二十八日,国の重要無形民俗文化財に文部大臣より指定された.             (鬼祭保存委員会制作の冊子参照)