釜神神社の由来
釜神神社は磁祖加藤民胤吉翁が信仰していた秋葉大権現・天満威得天神・金比羅大権三神の遥拝所建立を申請し、文政七年(1824)5月に尾張藩の許可を得て、翁の釜場背後の山上に祀ったのが始まりです。
その後に民吉翁が合祀され「やきもの」の神社として市民の崇敬を受けています。 窯神神社から南には、瀬戸の町並みが一望できます。とてもいい眺めです。休憩する場所もあるのでぜひ足を運んで下さい
↑朝9時に来ました。 ↑加藤民吉出生の地
気持ちいいですよ
↑登り窯をかたどったお社 ↑加藤民吉像
神社の北側からは陶土珪砂採掘場を望むことができます。瀬戸のグランドキャニオンと呼ばれています。せとものである陶器や陶磁器の原料となる粘土の採掘場です。深さ50m以上、幅約1000mの巨大なすり鉢状の採掘現場は陶都ならではの風景です。採掘場では、木節、蛙目(がいろめ)、粘土と呼ばれる良質な陶土やガラスの原料の珪砂が掘られています。
↑ながーい坂道。昔登り釜があったから仕方ありません ↑長い階段を昇らなければいけません
車なら反対方向に道があります。