釜垣の小径・・・洞町について

古くから「やきものの町」として知られる瀬戸。中でも洞町は、その主力生産地として栄えました。やきものの生産が隆盛を極めた頃は、山の斜面にいくつもの登り窯が築かれ、陶器工場の煙突からは毎日のように煙がたなびき、町の細い路地にも窯から出された製品を運ぶ担ぎ手さんが行き交う、そんなにぎやかな町でした。

土地の古老から聞く往時を偲ぶ言葉には、「瀬戸へいかんでどこへいくと虫が鳴く」とか「宵越しの金は持たない」「尾張の小江戸と呼ばれていた」といったものがあり、活気のある町の様子や、きっぷのよい住人の人柄が伝わってきます。洞町を代表とするやきものは、民芸の世界でも絶賛を浴びた「石皿」「馬の目皿」、日本の量産タイル第一号の「本業タイル」を始めとするいわゆる「本業製品」ですが、「本業タイル」の衰退以降洞町の主力生産品となったのは、新製磁器の「茶わん」でした。以降、洞町は「本業」と「新製」がお互いを刺激しあい、発展を遂げてきました。

  

                         ↑資料館の駐車場にはトイレがあります。

↑駐車場の壁も不要になったエンゴロ、エブタなどが使われています。遠くから見てもきれいな並びです。不要といっても立派なものに仕上がっています。

  

         ↑エンゴロやツクがびっしり!!↑

資料館の前には、幅約1間(400メートル)ほどの小怪が通っています。昔はこの小怪こそがメインストリートであり、窯場へ通う職人さんや窯から出された製品が往来する洞町の産業を支えた道でもありました。今では窯垣の小怪と呼ばれ宝泉寺の脇から、洞町のほぼまん中に位置している白龍さん(しろへびさん)の祠まで約100メートル続いています。起伏があり、幾重にも折れ曲がっている道を行くと窯垣が目に留まります。昔は本道であり陶磁器を運ぶ天秤棒を担いだ担ぎ手や荷車が往来していました。昔が偲ばれる小道です。(通称エンゴロ道)

窯垣とは…不用になったエンゴロ(登り釜で焼く時、製品を保護するための鉢)やエブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)などをリサイクルとして使って造った塀や壁、生垣の総称のことで、その幾何学的な模様は、見る人の目を楽しませてくれます。洞町はもとより瀬戸の随所で見ることができます。

昔は斜面にいくつもののぼり窯や煙突が立ち並んでいました。天秤棒に利用されたとする椋の木だけが今も残っています。

窯道具とは登り窯を焼く時に他の釉薬が焼成時につかないように製品を保護するために囲った入れ物でエンゴロとか棚板、エブタ、ツクのことです。

                                               気持ちのよい散歩道→

文章は窯垣の小怪資料館の冊子から抜粋しました

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