本田善郎氏 民謡収集記録2 1957.8-1957.12

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民謠収集旅行記録No.2
1957.8〜1957.12.

1.75.三重・安芸・美里村 第一次収録
30.76.愛知・南設・鳳来町の盆踊念仏
32.77.愛知・北設・設楽町 第二次収録
39.78.鈴鹿市庄野大念仏下見
41.79.愛知・北設・設楽町大名倉の盆唄
46.80.鈴鹿市広瀬町羯鼓踊に就て
〃.81.鈴鹿市 第一次集録
53.82.瑞穂区津賀田神社 祭囃子
54.83.三重・安芸・美里村・鈴鹿・白子・天名 第二次収録
65.84.一宮・尾西市 第三次収録
80.§.豊橋市


1
75.三重縣安藝郡美里村 第一次収録(1957.8.18〜19)
上田年夫氏 本田善郎
高野 隆 中野克巳 斉藤謙治

1)同村家所★イエドコ★ 公民館にて
a角力甚句踊
之は百数十年前、北勢方面より伝わったと称する。十二人の踊り。日露戦争頃(盆踊粛正令)一時滅んだが、復活して今日に至る
第一段 (踊子が土俵に揃うと一人が)土俵入 2'40"
アー揃うたよ エー 揃いましたよ ナー 踊子が揃うた ハヤシ●トコ ドッコイ ドッコイ ショ
〃二百よ エー 廿日よのチョイト 出ほのよに 〃
〃角力に、負けてもよ、名乗りは(残る)貰うたよ 〃
〃 土俵枕に ちょと 雲見山 〃
※1
〃 さらば こゝらで踊りをかえて 〃
〃(今し)昔 はやりのよ ストトコぶしでもチョイチョイ
おどりちゃ おゝくれなー 〃
●チョーチン 消えたか まっくら くらやみ 猫ふんまえたか ギャー◆

第二段 ストトコ節 2'35"
アーエ わしとお前は川端柳よ トコドッコイ ドッコイショ
水の流れを ヨッコラドッコイショ アー見てくらすよー トコドッコイドッコイショ
アーエ 竹になりたい尺八升してヨー トコドッコイドッコイショ
変なる所に穴をあけ 五本の指にとつばをつけ 穴のグルリを
グルリ◆と撫ぜまわし 可愛い殿御の口を吸い、末ぢゃ夫婦と
ヨーホホイ ヨッコラショ アー なるわいなヨー トコドッコイドッコイ、◆◆
さらば こゝらで も一つかえてヨー、トコドッコイ◆ チョイ◆ かんと甚句の ヨッコラショ
アーねむたゝきよー トコドッコイドッコイショ

第三段 関東甚句
●娘にやりたいものがある紅白粉に金指輪、赤いいまきをたんとたんと◆◆◆



2
テケレッツノパー
竹と雀は良い仲なれど、(チョイ◆)切れば敵の餌さし竿
ハヤシ●オヤサカサッサ キタサノサー
摺鉢をポンとふせたら三国一の、味噌は駿河の冨士の山
家所よいとこ、お嫁においで、何の不自由もさせやせぬ
所は上州竹林、ひきわりごぜんの たきおきは
一時たったら ばらりや◆(本年の写本より)

b)羯鼓節
1.姫君踊 2'30"
2.牛若踊 3'03"
之は同封、長野の収録分参照(必ずしも同じではないが概略は同じ)
c)労作唄

1.臼ひき唄 17"
わしとお前は妹山、背山 中を流るる吉野川

2.糸のべ唄 12"
千度のべのべ のべたらきせよ 浅黄表で紺裏を

3.木挽唄
エー■になるなら木挽さんのかかに、永の春中は山の中
木びき木びきと米飯たべて、牛の寝たようなハコ(糞)たれる ジヨシンジヨシン

2'.糸のべ唄 15"
嫁入りしてから毎晩二つ 抜かぬ夜はない ツム(機おりのツム)の毛を

4.地づき唄 37"
成程そうぢゃ ちがいはないぞな こゝらの連中はこづきにかけたら手なれたお方
づい分お家には子供衆は多かろ
成程そうぢゃ ちがいはないぞな
赤いもので言おうなら朱壇、朱で塗ったデッコロボ(人形)お稲荷さん
まだ赤いのは 取上★トラ★げ婆さんの右の手
節は梅戸井の地づきと同じ



3
d)子守唄 21"
ねんね ころいち 竹山与一。竹を揃えて船につむ ヨイヨイヨー

2)同村 南長野にて
a)羯鼓★カンコ★踊(早おどり)
此地に於いては文久二年(1862)より祭礼踊として始まり、明治末期一時中止されたが大正八年夏、豊作を祝って復活された。昭和四年又も中止になったが講和発効を記念して三度行われている。
イ.楽器等編成
大太鼓 2 踊子2人・側カキ2人 花笠・元禄衣裳・緋の綾襷・五色のザイを腰にさす
羯鼓 10(8) 踊子10(8)人 花の四手を背につけ、黒の鳥毛を頭にかぶり手甲脚絆・腰みの
四手★シデ★ 10 五色の花の垂柳を上部に純白のノシを下部に五段つける
法螺貝 5 貝吹 5人 一文字笠・山伏姿
横笛 5 笛吹 5人 〃・直垂姿
チャンギリ(チャッパ) 2  2人 一文字笠・右手に団扇・左手に銀の採をもち大太コに拍子を合せる
歌  歌上げ 頭 2人・尻 8人 〃

ロ.配置
法螺貝5
大太コ2(子供13人)
歌上げ10
羯鼓10

(入端・出端)
道行
横笛5・チャンギリ2−入る

ハ.演出
8/8 太鼓おろし
8/13 笠揃え
8/15本踊り
8/19笠破り
と云う日程で

4
本年8月の演出は、左の通り
昼の部 入羽
若子★ワコ★様
白石
御神楽
世の中
御伊勢
芭蕉
阿濃津
出羽

夜の部
入羽
地蔵
源平
須磨
忠臣
中入
御寺

姫子
巻狩
四国
出羽

31年8月
昼の部 区長宅
入羽
若子様
白石
安濃津

 寺
御神楽
世の中
お伊勢
芭蕉
忠臣



夜の部
入羽
地蔵
源平
須磨
芭蕉
中入
御寺

姫子
巻狩
四国
出羽

レパートリイは以上18が現存、その他鐘巻道成寺などもあったらしい



5
ニ.歌詞・音曲
入場笛 ヒリュー ヒー◆ ヒヒリ ヒリュ
ヒリュー ヒュー◆ ヒューカッカ(太鼓)
ヒリヒュー ヒー ヒュー ヒー ヒヒリ ヒュルヒヒリヒュー
ヒー ヒュー ヒーヒヒュ ヒーヒヒュー ヒー◆
ヒュー ヒー ヒリヒュー ヒュー◆
ヒー◆ ヒリヒュー ヒヒリ ヒュル ヒリヒュー
ヒヒリ ヒュル ヒヒリヒュー ヒヒヒュー
●サーイ(声) ブー◆◆◆(ホラ貝)
●サーイ、ブンブク ブクブー(四国)
笛●イーヨー、カタカタカ


入歌 春は花梅鶯よ 夏は卯の花 時鳥
秋は千草に冬は霜雪と、其の時ふれたる物語◆
サーイブ◆◆◆
時鳥人も言葉の多ければ、品少しと一声ぞ◆
サーイブ◆◆◆
三好野の夏見の川の川淀は、鴨ぞなくなるばかりなり◆
サーイブ◆◆◆
心は三好野の川の川水早ければ、鴨は水に棲むなれど
水の早き所に住みにくく、のろむ所に遊ぶなり◆
サーイブ◆◆◆
笛●サーイブ、イーヨ カタカタカ

入場くづし ツクツクツンツクツ ◆◆◆
ツーンツーン ツクツ ヅンデン
カラカラ カンカン カラカ ズンデン
〃  〃  〃  テンテ
テンガラ◆テンガラガ


6
ズンデンガラガ テンガラガ
サーイ ツクツ◆
ズンデン カンカン カラカ
 〃 カラ◆ カン◆ カラカ
テーンテー テンガラ◆ テンガラガ
ズンデン ガラガ テンガラガ ツンツク ツンノツン

もみ唄 あらよい庭や見事な庭や
此の様な庭で踊とすれば
黄金の真砂が足につく◆

置拍子 ツンツク◆ ツンツクツ◆
カッツクツク ツンツクツクツン(二回)
カッツクツー◆ カッカツクツン
ツクツン ツクツン カッツクツン ツンツクツンノツン 以上7'30"
黄金の真砂が足につく◆

若子様★ワコサマ★ 拍子 ツンツク◆ツンツクツ(二回)
カッカッカ ツンツクツンノツン
側ねり 此方のやかたの若子様は
四★ヨツ★拍子、まだ十五には至らねど ツハツン カッカ
■■ 古人を一字とお楽しむ◆
(ツン 拍子入)
側ねり 具足は何と好まれた
四 上六段は唐紅と好まれた
・ 下七段は紫糸と好まれた
■■ あやのやすひで十三所と落された
(拍子入)
側 お槍は何と好まれた
四 三間わたりに左巻絵と好まれた


7 ■■ 千すじ揃えてやら見事◆
(拍子入)
側 お弓は何と好まれた
四 三間張りに、白木のお弓と好まれた
■■ これこそ勇士の手業なり◆
側 お馬は何と好まれた
四 銭毛にあし毛にかげの駒
■■ 明六才と好まれた
もみ唄 此の家は何たる大工がたてたやら
四方白壁八棟づくり
表の障子は黄金巻き◆

白石 デンーデコ デンデコデコ(二回)
ズンデンガラガ テンガラガ(二回)
ツンツクツンノツン
四 寛永十二の春の頃、宮城野しのぶと云う娘
〃 親の敵★カタキ★打ちにける
(拍子入)
四 さら◆由来を尋ぬれば
〃 正雪様の情にて
〃 庄倉殿へ願いこむ
(拍子入)
四 庄倉殿も聞召し
四 仇をうてと下知せられ
〃 白石川原の矢来にて
〃 宮城野しのぶと段七は
〃 白装束にて入りにける
(拍子入)
四 合図の太鼓をうちければ
〃 妹しのぶは白柄の長刀手にもちて


8
四 段七殿へ討ち向う
(拍子入)
側 如何に其許 段七殿よ
〃 五年以前の六月に
〃 わが父与太郎は無念な最期
〃 無念と思えど是非なく
四ツカワ 其場を逃れて今は さら ツンツクツンノツン
四 親の仇と勇むれば
〃 さて段七も心得て
〃 互に技術をつくしける
(拍子入)
四 二番に姉の宮城野は
〃 鎖の陣鎌 手に手に剣を持ちそえて
〃 段七殿へ討ちかける
(拍子入)
四 運の■きかよ段七は
〃 白石川原の矢来にて
〃 二人の娘に討たれける
(拍子入)
もみ唄 神の力か 我が器量か
親の仇を討ちとる事は
誠に勇七の手業なり◆
安濃津 10'50"ツンツク◆ツンカッカ(二回)
ツンツンカッカ ツンカッカ(二回)
ツンツクツンノツン
四 扨安濃津の名物は
〃 名所々々が多き中


9
〃 わけて名高き津■かな
(拍子)
四 まづ有難やこうのみだ
〃 拝まれ給う御本尊は
〃 之神命の御体
(拍子)
四 流れも清き塔世川
〃 晒の布は白砂の
〃 雪の降りしく如くなり
(拍子)
四 岩田橋に佇みて
〃 東をはるかに見わたせば
〃 一目にみゆるは舟に帆が
(拍子)
四 頃は八月中の日に
〃 河越少き祭礼多き
〃 ひらしゃののばりは数知れず
(拍子)
側ねり 士農工商集まりて
〃 昼夜太平の市の声
本ねり まことに豪華な城下かな
カタカ◆ ●サー ジュンニャクヤ(昼生村のカッコに順役踊と言うのがある)
カタカ◆ ブー◆カタカ◆
ブーブン◆ ブクブクブン
国は江州田村の君は
古え阿漕で名剣沈め
それより御漁場禁ぜらる ●サージュンニャクヤ



10
親の病気の薬にせんと
平治はよな◆ やがらの魚を
御漁場さして 引きにゆく
折伏名剣かゝるなり ●サージュンニャクヤ
親の孝行が不孝となりて
一度や二度は未だよけれ■
度重なりて表われしゅや
平治が古跡と残りける
●サージュンニャクヤ
カタカ◆ ブーブンカタカ◆
ブーブン◆ ブクブクブン カタカタカ
ブンブクブクブン カラカラカ ブンブクブクブーブンブクブ(三回)
サーイ ツクツ(三回)
ズンデンブンブクブ ドンカ カンカタカ ドーンカッカ

御神楽 四 御宮様へ参りきて
〃 御本社様の御前で
■■御神楽上げましょ 信じましょ 踊りましょー◆
(拍子)
四 それにつゞいて拝むれば
〃 御七社様ととなえける
■■御神楽…………
(拍子)
四 おわき立ちを眺むれば
〃 御稲荷様と唱えける
■■…………
(拍子)
四 遙か向うを眺むれば



11
四 権現様ととなえける
■■…………
(拍子)
四 まします来社の御神は
〃 氏子繁昌と守らせて
■■………………
(拍子)

もみ唄 氏神様へ参りてみれば
宮じくたちが集まりて
神楽の拍子の面白さ◆
(置拍子)

世の中 四 おそれなるかよ氏神様へ
〃 五穀成就と願い奉り
〃 願いのまゝの順気となれば
〃 百姓がよろこぶ有難や
(拍子)
四 百姓が喜ぶ栄えるなれば
〃 前なるツボへ種まきおいて
〃 数多の御地へ植えひろめ
(拍子)
四 数多の御地へうえおしなれば
〃 元に子がさく穂に穂が下る
〃 大豊年とまづみゆる
(拍子)
四 豊年穂がさく 枝葉がしげる
〃 数多の五穀が繁生致す
〃 御礼拝礼致すなり



12
(拍子)
もみ唄 春は花咲く香をふくむ
夏は広田も茂りて狭し
秋は諸穀も実りける◆

御伊勢 ツン◆◆ ツンツクツク◆
ツン ソーリヤ ツン◆◆ カタカッ カタカ カッカッカ(二回)
ツンツクツンノツン
四ツカワ 日柄を見合わせ鹿島立ち
〃 所の氏神伏し拝み
〃 宿々船場をはやこえて
(拍子)
四ツカワ 小俣の宿にさしかゝり
四 豊(里?)宮川で里の子が
々 大■離進むる面白や
(拍子)
四ツカワ みもすそ川や五十鈴の川や
四 流れ大川★せん★ 水上遠き
〃 波の次第を書き奉り
〃 宝額千枚★じゅ★を建立する
(拍子)
四ツカワ 外宮と申すは山田ヶ原に
四 国とこ立ちの御霊を祭り
〃 豊受大神やら尊と
(拍子)
四ツカワ 一の御門を仰いでみれば
四 屋根は萱ぶき扉はなくて
〃 戸笹の宮とはよく言うたり



13
(拍子)
四ツカワ 本社のお棟に鰹木上げて
四 千木の■そげ一度にかざり
四 同じ恵ぞ有難や
(拍子)
四ツカワ おぐらのみたちに野笹★のさゝ★をあげて
四 いつきの姫や かんねぎ達が
同じ 御神楽奏する有難や
(拍子)
四ツカワ 天の岩戸を伏し拝み
四 外宮内宮の相の山
本ねり お杉 お玉が三味をひく◆
(拍子)
四 内宮と申すは宇治山方★ほう★に
〃 ひるめのむちの御霊を祭り
側ねり 天照★てんしょう★大神やら尊と
(拍子)
四 十二のねぎ衆が朱の御門にて
〃 天下太平民安全と
側 五穀成就と祈らるゝ
(拍子)
もみ唄、末社々々を順拝すれば
四十末社に八十末社
お宮造りの尊とさよ
(置拍子)
芭蕉 ブー◆ブクブン(二回)
ブクブン◆◆ カッカ(二回)



14
ブクブン ツンツクツンノツン
側ねり 日本で名高き名所名人花多き
四 伊州上野の住人で
〃 芭蕉古人と申するは
〃 日本で一の俳人で
〃 諸国徘徊なされける 1'25
(拍子)15"
側ねり 1'40" 阿波の峠の猿見の塚で
〃 其時 古人のよまれし句には
本ねり 初時雨々々々 猿も小簑がほしげかな◆3'00"
(拍子)
四 花の名所で申するは(なら)
〃 大和で名高き吉野山
〃 日本で一の名所なら
〃 俳人たちが立ちよりて
〃 其時古人のよまれしは
本ねり これは◆とはがりに花の吉野山◆
(拍子)
四 奈良で名高き八重桜
〃 猿沢池に三笠山
〃 名所々々が多ければ
〃 俳人たちが立ちよりて
〃 其時古人のよまれしは
本ねり 奈良団扇◆ 元の都の風そよぐ◆
(拍子)
四 それより門人ひきつれて
〃 上京なされし其時に


15
四 都に名所が多ければ
〃 北野へ俳人立ち寄りて
〃 そのとき古人のよまれしは
本ねり 梢には◆鳥もいかばる野梅かな◆
(拍子)
四 それより門人引きつれて
〃 加茂の明神さしかゝる
〃 葵の祭も打ちすぎて
〃 その時古人のよまれしは
本ねり 加茂川へ◆ 二葉流れる葵かな◆
(拍子)
もみうた 時雨の宮と申するは
芭蕉古人の事なれば
末だ都に残りける◆
(置拍子)
忠臣 ツンツク◆ツンツクツ(二回)
カッツクツクツン ツクツクツン(二回)
ツンツンカッカ ツンカッカ(二回) オキ47"〜1'43"
ツンツクツンノツン
四 忠臣義士の士★さむらい★は
〃 頃は元禄十五年
〃 時は桜の花盛り 2'55"
(拍子)20"
側ねり 3'15" 忠臣蔵の物語り
四つかわ 鎌倉御殿のお広間で ツンツクツンノツン
四 師直公と判官は
〃 恋がの遺恨が重なりて



16
四 塩谷は無念の御切腹 4'40"
(拍子)17"
側ねり 4'57"義士の鑑の大星は
四かわ 主君の仇を報わんと ツンツクツンノツン
四 かの山科之引き籠り
〃 明暮軍をつくしける 6'10"
(拍子)
側 6'28" 堺の町人 天河屋
四か 義平が心を試みて ツンツクツンノツン
四 忍び道具を請合いし
〃 播州浦までつみ出す 7'42"
(拍子)
側 夜船にのりて大星は
〃 四十四(余?)人に下知せられ
〃 師直が館に忍ぶなら
〃 忘るなかねての言★ゆい★い合せ
(拍子)
本ねり 天と川との合言葉 カタカ◆ サージュンニャクヤー
四十七士が心を合わせ
鎌倉さして攻めかける サージュンニャクヤ
要がい堅固な師直が館
智恵と忠義で攻めおとせ 〃
今に至りて忠臣鑑
泉岳寺にと残りける
(出羽)
地蔵 カッテン テコテン テコテコテン(二回)
カッテンテコテン◆テコテン◆カツカッカ


17
音に聞えし御利生な地蔵や
人皇四代のその昔
桂木判官家政氏が
御刻まれしお地蔵なり
(拍子)
お地蔵様へ参りてみれば
黄金の扉に巻絵の柱
まずは見事なお地蔵かな
(拍子)
それさしすぎてお庭をみれば
桃や桜が咲き乱れ
前は清水五代の松
鯉鮒ちらめく やら見事
(拍子)
屋敷の境内 見渡せば
前は広興一目に見ゆる
まずは見事なお屋敷や
(拍子)
西な お山へ上りてみれば
日本のあるちが一目にみゆる
まずは見事なお山かな
(拍子)
もみ唄 此頃は参ろ◆と思うたれど
雨はふるやら暇はなし
今来たよのさ小唄を揃えて
言いまけた◆
(置拍子)


18
源平 ツンツク◆ツンツクツ(二回)
ツンツク ツン カッカ
ツンツク◆ツンツクツ(二回)
ツン◆ツンツクツンノツン
四 源氏の大将頼朝公の下知をうけ
〃 ■大将の義経は
〃 四国・八嶋の舟■
(拍子)
四 まづ一番に義経公の舟印
〃 笹りんどうの御紋付
〃 紫幕をはり立てて
〃 数多の武具をかざり立て
(拍子)
側ねり 磨墨の名馬の髪を結い立てて
〃 虎の皮の鞍おいて
〃 紫手綱の真紅の房よ
〃 大将君の出立ちよ
(拍子)
四 二番にのぶつの船印
〃 だんだら■の舟幕よ
〃 扨三番に実朝は
〃 水に車の船印
〃 四番の船は金子の十郎家忠が
〃 七世の幕をはり立てて
(拍子)
四 五番にみえし船印
〃 梶原平三景時が



19
四 矢はずの紋をつけさせて
〃 様々武具を飾り立て
(拍子)
側ねり 磨墨の名馬の駒にゆらりとのりて
銀の■をお手にもちて
四海波の立つ海に
西や東を祈らるる
(拍子)
もみうた 平家の赤旗 色さめて
源氏の白旗 代りに出たり◆
須磨 サー◆ ブクブン◆
ブクブン◆◆ カッカ(二回)ブンブクブンノブン
四 一の谷の■に
〃 二葉軍■と申するは
〃 熊谷次郎直実が
〃 扇を上げてさし招く
(拍子)
四 しばし◆と呼われば
〃 敦盛 駒を引返し
〃 熊谷進んでかけ来る
(拍子)
側 互に打物 抜きかざし
〃 朝にやい刃 いな光り
四ツカワ はやかけよりては かけより ツンツクツンノツン
四 蝶の羽返し むろあぶみ
〃 駒の足波 かーしかし
〃 心や須磨の浦風に



20
(拍子)
側 鎧の袖はひら◆と
〃 群入る千鳥に群千鳥
四ツカワ むら◆ぱッと引汐に ツンツクツンノツン
四 寄りては返し 戻りては
〃 亦 討ちかゝる切なさよ
〃 やれ 情けなや敦盛は
〃 熊谷次郎にうたれける
(拍子)
もみうた やれ情けなや 玉おり姫は
平山軍葵を逃れぞ
敦盛最期にあわれける◆
御寺 カッカッカッカ ツンツクツンツンツクツ(二回)
カッカッカ ツンツクツンノツン
お寺へ詣りて御門を見れば
御門は白壁 扉は黄金
指さし かんぬき皆黄金
(拍子)
それ さしすぎてお庭をみれば
枝垂柳が七本ござる
枝垂柳がぞろりとけ上げ
お千代と眺むるやら見事
(拍子)
それさしすぎてお前をみれば
黄金仏が七体ござる
綾錦の旗かけれて
阿弥陀の光が縁までさいて


21
お庭へ輝く ありがたや
(拍子)
それ さしすぎて広間をみれば
花のようなる小若衆たちが
黄金の硯に巻絵の筆で
手習い遊ばす やら見事
(拍子)
それさしすぎて 茶の間をみれば
あられんがんすに 茶はりん◆と
茶びせん茶びしゃく みな黄金
(拍子)
もみうた 北谷の下り松 折りて一枝ほしござる
及びない事 あの北谷を眺むる◆
都 ツン◆カッカッカ(二回)
ブンブク◆ ブンブクブ(二回)
カッカッカ ブンブクブンノブン
側ネリ 扨て 都にて名所多く
四 音にきこえし東山
〃 吉田とかやは天照
〃 日本六十余州の
本ネリ 神の勘定致されし◆
(拍子)
側ネリ 右手に高き御山は
〃 和国無双の比叡山
〃 東下りの道こえて
〃 祇園社や清水や
(拍子)


22
四 地主権現の花盛り
〃 音羽の滝の白糸は
〃 繰返しつゝ打ち眺め
本ネリ 大仏殿は ルシャナ仏◆
(拍子)
側 歌の中山 清願寺
〃 今熊野をも打ちすぎて
〃 何時も秋にはあらねども
〃 東福寺にて名も高き
(拍子)
四 つ天王の紅葉ばや
〃 稲荷の山に咲き乱れたふじの森
〃 うづらなくなる深草の
本 伏見の竹田 淀宿は◆
(拍子)
側 扨また巽は宇治の里
〃 八幡 山崎 宝寺
〃 松の尾 桂や 海の宮
〃 おむろに近きおしを山
(拍子)
四 嵯峨や高尾に愛宕山
〃 太鼓北野のたゞす■
〃 加茂川 貴船 鞍馬山
本 岩倉 清涼 八瀬の里◆
(拍子)
側 いたゞき つれたる 大原木や
〃 薪に花を折りそえて



23
〃 思うまゝにも言われんと
側 ともやさしき しず川さ
(拍子)
もみうた 吉野の初瀬の花よりも
都ぞ春の錦なり◆◆あー皆ー様に
姫子 58" ツンツク◆ツンツクツ(二回)
カッツクツクツン ツク◆ツン(二回)
ツクツンカラカ ツンカラカ(二回)
ツクツンカ◆ ツクツン ツクツクツンノツン
側ネリ 1'31" 扨て姫君の御誕生はまします由来をきけば
四ツカワ 奈良の都の その昔
・− 大和の国の初瀬寺
〃観音★おん★大悲の変化にて
ネリ 后生三じゅの罪ふかく
■■ 女と生れ給いける◆ 3'43"
(拍子)
側 4'04" 父は横萩豊成郷
四ツカワ 母は紫御前なり
・− 天子に仕え奉り
〃 もうけ育てし姫君の
ネリ 五つの歳の春の頃
■■ 母は空しくなり給い◆
5'58"(拍子)
側 6'19" 照世御前の仰せには
四 紀州有田の雲雀山へとほられける◆
・− お雲雀山の谷底で
〃 おん首討たんと 加藤太★だ★が
ネリ 二尺八寸抜きかざし



24
■■ つく◆゛お姿ながむれば◆
8'25"(拍子)
側 8'45" 西を向せ おん手を合せ
四 おきよう如くに遊ばされ
・− 如何に主命なればとも
〃 此の若君を失えば
〃 報は我が身に忽ちえんしょふーきして
ネリ その場で心をひるがえし
■■ 加藤太 降参致すなり◆
11'08"(拍子)
側 11'29" 庵を結んで露命をつなぎ
四 共々后生をいとなめし
・− 豊成郷の御帰国で
〃 お雲雀山を狩り給い
ネリ 姫君都へつれ帰る
■■ 照代御前は平伏す
13'23"(拍子)
もみうた 13'44" 憐れなるかよ中将姫は
危き一命おのがれなされ
末世衆生を救わんために
未だたいまに残りける
14'31"(拍子)14'50"(拍子)15'06"
巻狩 ツンツク◆ツンツクツ(二回)
カッツク ツンツク◆ツン(二回)
カッツクツクツン◆
ツクツン◆ツクツクツン
ツクーンツンツンツンツクツ
ツンツク◆◆◆



25
ツーン◆ツンツクツンノツン
側 冨士の巻狩右人と言は
四ツカワ 建久四年五月廿八日に ツンツクツンノツン
四 天子の御下知こうむりて
〃 日本の諸子を召し集め
〃 首尾よく御狩なされける
(拍子)
側 南表の大谷口は
〃 大将源頼朝公は
四ツカワ 風にたなびく笹りんどうの陣旗よ ツンツクツンノツン
四 紫幕をはり立てて
〃 数多の武具を飾り立て
〃 要がい堅固におわします
(拍子)
側 本陣の左右にお固めあるは
四ツカワ 那須の与市に佐々木の四郎高綱は ツンツクツンノツン
四 水の車の陣幕よ
〃 風にたなびく目印は
〃 丸に桔梗の陣旗よ
〃 之も堅固と見えにける
(拍子)
側 それにつゞいてお固めあるは
四ツンワ 甲斐の信玄今川氏の一類は ツンツクツンノツン
四 二つ巴の陣旗よ
〃 又 今川も一様に
〃 相花菱の幕をひく
〃 これも堅固と見えにける



26
(拍子)
側 日本の諸子が皆集まりて
四ツカワ 西も東も表も裏も取り巻いて ツンツクツンノツン
四 武芸の道具を所持いたし
〃 如何なる小鳥や虫けらも
〃 冨士の裾野に住むものは
〃 今ぞ不憐や とられける
(拍子)
側 程なくその日も暮合ければ
四ツカワ 大将本陣 要害堅固にかためある ツンツクツンノツン
四 不思議や曽我の一類は
〃 五郎十郎先陣で
〃 数多の家来をひきつれて
〃 本陣をさして斬りかゝる
(拍子)
側 暫く間は戦いけれど
四ツカワ 本陣は要害数多の諸士がありければ ツンツクツンノツン
四 曽我の一類敗北す
〃 不憐や五郎十郎は
〃 護陣の諸士にとりまかれ
〃 尋常縄目にかゝるなり
(拍子)
もみうた 曽我の弟は召人なれど
勇士の武功を感ぜられ
危ぶき一命逃れてぞ
頼朝公に仕えける


27
四国 カッツクツー◆
カッカ ツクツー カッツクツー
ツクツー(三回) ズンデン
我は四国の阿波の者
七つの年に天狗にとられ
四国の事は思い知らぬのー サージュンニヤクヤ
四国西国巡りて見れど
思われ人にまだ合わぬのー サージュンニヤクヤ
中立入れよ◆
中立入れねば朱がないぞ
カラ◆カー◆カラカー(二回) サージュンニヤクヤ
中立くるわば我もくるえの
デコ◆デーコ デコデーコ(二回) サージュンニヤクヤ
夏虫鈴虫くつわ虫
なりを沈めて小唄きゝとれ サージュンニヤクヤ
四国の者が一字とかゝば二字と悟れ
三国一の三拍子
ヤン カッカラ カッカラカ(二回)
ヤン◆ヤンカタ カッカタカッカタカ サージュンニヤクヤ
(拍子)
武蔵野に立たりてみれば
花は色多けれど
色よき花を鬼もひかんのー サージュンニヤクヤ
千松殿に習うた拍子
四国の若衆にばったを見せましょー
カーカーカカーデコデ(二回) サージュンニヤクヤ
千松殿がよめに下る
四国の者にふれをました サージュンニヤクヤ


28
面白ろやの加島明神参りてみれば
みめよき姫が集まりて
手拍子足拍子合したりやのー
カッキ ツクツ カッチキ ツクツク
カッチキ◆◆
ツクツーク◆◆◆
ツクツークツン カラカラカー
ツンカラカー ツンツクツ ズンデン
若狭のおばがた群がる雀
一羽が立てば二羽立ちさわぐ
三国心得てばっと開いた サージュンニヤクヤ
雨が降るやら むら◆と
御いとま申して皆帰ろう サージュンニヤクヤ
出羽拍子 サージュンニャクヤ カタカ◆
ブーブン カタカ◆
ブーブーン◆ ブクブクブン カタカタカ
ブーンブクブク カラカラカ ブンブクブクブクブ
ブンブクブ◆◆ サーイツクツ◆◆
ズンデン ブンブクブク トンカー カンカタカ ドンカッカ
立拍子(四国以外の各歌のかゝりにはやす)
マド カコン◆ カッ
ツクツクツン◆◆◆
カッツクツク カッツク◆
サーイツンツクツンツクーン
ツクツーク ツクツクツーン ツンツクツー(二回)
テンガラガラガ◆
テンガラ◆ テーテンガラガ



29
テンガラガ ツクツクツンノツン
雨乞踊 0" (拍子)
トンテントン◆◆ズンデン(二回)
(拍子)
27"
雨たっぷりたーも ソーリャ
海の上の竜王 ソーリャ
トンテントン◆◆ ズンデン(二回) 以上繰返し
b)労作唄
イ.木挽唄 1'00"
木びきさん達 お国はヨー どこぢゃ 国は熊野の流れ谷
流れ谷と聞きゃ なつかしうござる わしの殿御も流れ谷
今度行ったなら持ってきておくれ 紀州みかんの枝折りを
ロ.田草ぶし 35"
いとし殿御が五反田に一人 涼し風吹け 空くもれ
ハ.糸のべ唄 23"
千度のべのべ のべたらきしょに 浅黄表の赤裏を
ニ.茶つみ唄 18"
お茶師番頭さんが盲目ならよかろ お茶に叱言がのうてよかろ
ホ.茶もみ唄 20"
お茶のでんぐりもみ、手首がいたい、もませ◆てもませたる
ヘ.ものひき(臼ひき)唄 28"
千度ものひけ 団子してくわそ 菱■のたかくら(ソバガラ) ひえのかす
ものをひかせば いねぶり(居眠り)さらす(する)団子喰うときゃ 猿まなこ
入れておくれよ 毛を押し分けて、それじゃござらん つとのしん

ト.荷造り唄(吉左右) 30"
蝶よ花よと育てた娘 今宵うれしゃそばでねる アーギッチラコ、ギッチラコ
チ.伊勢音頭 6'15" 2'45"



30
(ハヤシ省略)
こちのお家はめでたいお家 鴨が御門で巣をかける
そろりそろりと馬をおいかけて 春はおいでよ伊勢様へ
こんどこのたび尾張の国で 白と黒との犬の相談出けました
そこで黒犬言う事にゃ あんまり尾張名古屋が不景気故
どこぞへ出ていて金儲けしようではないかな
そこで白犬言う事にゃ わたしは尾張の国は立ちのかぬ
そこで黒犬言う事にゃ 何故にお前は尾張の国は立ちのかぬ
そこで白犬言う事にゃ わたしが尾張の国を立ちのくと
尾張の人々困るのぢゃ
そこで黒犬言う事にゃ 何故にお前が尾張の国を立ちのくと
尾張の人々困るのぢゃ
そこで白犬言う事にゃ 昔の例えにあるとおり
尾張名古屋はしろでもつ

76.愛知縣南設楽郡鳳来町の盆踊大念仏
之について、同町一色 川合金光氏よりの報告
毎年旧暦七月十四日、初盆の家の庭で又十五日お寺の庭で行われる盆踊念仏である。鉦・笛・太鼓の調子を合わせ、高張提灯を先頭に念仏衆、笛・鉦そのあとに「大」「念」「仏」とかいた三つの大団扇を背に太コを持った若衆が百八の松明の中を進んで行事にかゝる
起源は長篠合戦の折、武田方の落人七名が、一色の山中で自害し(大血沢七人塚)その末孫の明人が七人の菩提を弔うため武士をすてて出家し、明善坊となのって近隣の塩瀬・大和田・布里・只持・源氏の各部落を回向遍歴し、初盆の家に訪れて、持前の美声で念仏回向をした。それらの家でたま◆酒の接待をうけると、機嫌よく背中に手作りの団扇をさし、太コを抱えて踊った。
一色洞泉寺過去帳によれば、享保寅年六月七日亡、大法印長音明善坊とある。



31
又、坊がこの踊りを村人に教えたものが今に伝わる(研究家鳳来町長加藤淳代)。
進行は下の如し。
1.道行 冒頭記の如し
2.門かがり 笛のしらべによる踊り
3.念仏 下の歌唱(原文のまゝ)
ミダブツ アミダブツ ナムアミダブツ(三回)
ガンシンクドク ビョードーセーイッサイ ドーホーボダイシン オージョー
コゝロシズメテ ウタヲ フクセヨ ナムアミダブツ◆

4.放下踊 昭和三一年無形文化財指定 下の歌に合せて踊る
イ.投(坐ってする踊)
鎌倉の次郎庵つくり、立花なされそろ、一に音殿★オンデン★ 二に反橋★ソレバシ★
三にさごめの唐木戸や、唐木戸の木戸の小わきで、殿ごがおまりを遊ばすや、遊ばすおまりが枝に当りて、梅はホロリとこぼるるや、こぼるる梅はまことの唐梅、刀にとりては黄★コ★金さや巻、結びさげたる陸奥の国
ロ.立(立ってする踊)
鎌倉のあこやが姫子は 放下を恋して病むとかや、いたわしや
放下殿、今宵の宿りは どこ◆や 遠くは丹后 近くは野寺
虫の声々 鹿の遠鳴き 夜はさら◆とあけくるや 何事も
ごようでん納まる
こゝで連中は接待をうける
5.手踊
数え歌、やんさ節、主様★オーサマ★甚句、十六踊、とよい節、こらさ節、せっせ踊
6.投げむぎつき 下の歌詞で太コで踊る
鎌倉の源入兵衛は音にきこえた人数もち、白金のだんびら臼を、族★ヤカラ★揃えて麦をつく、そのつく麦が六斗六升、合せる水が五斗五升
その麦をついて、仕上げて、お手にお豆が九粒、九つのお豆が



32
いたくば お手を休めて のや殿子◆
7.手踊 5と同じ
8.別れの念仏
9.小歌 下の歌で踊る
イ.茶返し(岡崎女々郎衆)笛による
オカザキ ジョンジョロシュウ(二回)
オガザキ ジョンジョロ ショウハ ヨイ ジョンジョロシュウシュ(二回)−(三回)
ロ.別れの歌(小歌) 下はその一端
三河の国の兼隆長者、銭にも金にも事はかゝねど 子宝くらべに
おまけやる◆(子宝くらべ…)
鎌倉のさどが、さかやで十三小女郎が酒をこす をこす酒は目にはつかねど
十三小女郎がめについた◆
お目についたらうけて召されよ我等も質のお流れだ、質もつは九メ九百九十七文
三文足らずでうけられぬ◆
踊っても踊っても踊りあきゃせぬが
おいとま申していざさらば◆

77.愛知県北設楽郡設楽町第二次収録(1957.8.29〜31)
上田年夫氏 本田善郎 近藤■一
佐野哲志 野村勝美 河合金太郎
1)設楽警察署にて収録の労作唄
イ.草刈り節(津具村) 2'12"
秋が来たとて鹿さえなくに 何故が紅葉が(ナヨ)色づかぬ
夏は深山にきてゆる蝉の 声をきゝつゝ馬草刈り
山の中でも三■家でも、住めば都の風が吹く
ロ.もみひき唄(津) 1'00"
ひいておくれよーひきなりと 若い女子の肩休め


33
稲は穂に出て穂にすゞかけて、小首かたげて秋心
結うておくれよ島田に髪を、主の好くよにほれるよに
ハ.地搗唄(津) 2'03"
めでた◆の若松様は、枝も栄える葉もしげる
めでた◆が三つ重りて、鴨が御門に巣をくんだ
これがお家の大黒柱、黄金花咲く金がなる
ニ.田植唄(東栄町振草) 2'30"
五月田植★ユ★えて あと六月は いざよ友達 伊勢参り
この田植えて あぜ越すときにゃ ツンバナ(つばな)のホゲサ(穂)でボゞなぜた
稲は穂に出て畦よりかゝる、娘ァ男によりかゝる
ホ.草刈り節(振) 1'30"
面白いぞえ津島の祭り 山にゃ提灯(アリヤ)川にゃ舟
諏訪の湖水を鏡にうけて、雪で化粧する冨士の山
ヘ.柿むき節(振) 1'20"
柿をむくにはこうむくものよ えりをはらせてくる◆と
今宵柿むき ようきてくれた 熟柿★ズクショ★お上りひや◆と
ト.もみひき唄(振) 43"
臼をひきゃこそ あなたのそばで 袖のすれ合い寝た心
ひいておくれよーひきなりと 若い女子肩休め
チ.もみひき唄(津・唐臼) 1'53"
ひいておくれよーひきなりと 若い女子の肩休め
秋は水田に妻子★ツマコ★をつれて、黄金色なる稲を刈る
お客様から紅葉の文が、鹿とよまんせ秋心
2)設楽町神田★カダ★中学にて収録
盆踊り唄
場所…寺及び新盆の家の庭
人員…神田部落の盆青年衆 盆青年は義務教育を終えた男女青年で


34
廿五才迄の者、盆踊当日は十五乃至二十名が儀式踊を行う
服装…全員浴衣・編笠(鳥追笠) 男は腰に提灯をさげ女(踊子と呼ぶ)は手に扇を持つ、念仏衆(古老)は編笠をつけない浴衣乃至 カタビラの上に黒絽の羽織を着る
盆踊りの次第…大別してA.儀式踊り B.遊び踊り −とから成る


34
A.儀式踊次第
1)道行2'32"…踊の場まで炬火を灯した道を囃しつゝ行列進行する。その順序は下の如し。

↑張提灯(一人)
 念仏衆(一・二人)
 笛(四・五人)
 音頭(一・二人)
 舞子(女四人)
 太鼓(四人)
 鉦(一人)
 付け唄衆(男数人)
 張提灯(一人)

2)数え唄2'20"…道行を終えて踊りの場に到ると舞子が音頭の唄う数え唄に合せて、扇を持って踊る。伴奏は笛と鉦
歌詞は(ノートNo.1 P63-4 おるよ吉三)に記してあり
3)はね込み…次は太鼓のはねこみとなる、はねこみは次の二つに分れる。
イ)岡崎…太鼓四人のみ 2'07"
ロ)チンカンカン…太鼓四人が輪踊り、鉦、笛が伴奏 1'15"
4)念仏…次は念仏衆の念仏となる。無伴奏(太鼓と笛を少し伴奏する事もあり)で立って下の歌詞を唱える 2'06"
すめよ すませよ 心静かに
心しづめて歌をふくせよ
歌は数々、節は色々
南無阿弥陀(仏)
5)素★ソ★唄…次は素唄、之は音頭と付け唄衆が唄った唄で太鼓四人



35
が舞う。その種類は下の如きものであるが何れも唄い出しに、
■東西鎮まり、お鎮まり、鎮めた所で唄を出す」と唄ってかゝる。
○庭ほめ(一節収録 3'50")
■門に松杉、大御庭(之を付け唄がとってくり返す。以下同じ)
松に降★サガ★りし藤の花、牡丹ほけきょに菊の花。お屋敷繁盛と生いかゝる
■えがおせどの花の木に、島が住むやら花がちる。鳴子を立てて鳥追わしよ
鳴子立木に何をする
■紫檀黒檀千の木を、鳴子立木にこれをする。鳴子板には何をする
黄金をのべて鳴子板
■鳴子でしには何をする。お家に伝えしほうし玉、鳴子でいてはこれをする
鳴子綱には何をする
■おやしきのまろくげを、鳴子綱には之をする。鳴子つなをば誰がひく
これのお家のおと娘、鳴子綱をば之がひく
○お花津くし
先づ正月は芭蕉の花とよ、二月は梅の花とよ、三月桜花とよ 四月はうづきの花とよ、五月はさつきの花とよ、六月野百合の花とよ 七月みそぎ花とよ、八月萩の花とよ、九月は菊で治まる
○青葉の笛
これより奥の長浜に、金の祠が二社たつ、金の祠の中を拝めば、青葉の笛とて一から、それとりだして吹いてみたればよ、うなる四節が四つ揃う。先一番に忍び節とよ、二番に忍んで寝る節、三番にはしなれ節とよ、四番には浮名の立つ節
○五色の小唄
五色の小唄を申しましょう。
先づ一番に赤いものとよ、朱の盃に海老肴
その次に黄いものとよ、ウコン、くちなし、きわだぞめ
その次に青いものとよ、青きそのもの糸すゝき



36
その次に白いものとよ、白い川原に白毛のよねとよ
その次に黒いものとよ、春の焼野に熊が伏す。
○この他に「夢びらき」がある。
之のお家の若旦那、春の初夢に、白きねずみが三つつれて
黄金を運ぶと夢にみた、それ程五福な夢なれば、お夢びらきを
なされつら、お夢びらきも致してござるよ、酒が三石 肴が五だんよ
三石五だんの夢びらき、お夢びらきのお座敷で酌にお立ちやれ
福の神、唄へ大黒舞え蛭子、お家繁盛もこれまで
6)十六…笛を伴奏に太鼓四人のはねる輪踊り 1'37"
7)そさるひや… 同上 1'18"
8)こゝで茶菓の接待をうける
9)とり唄…つゞいてとり唄が始まる。之は音頭と付け唄を伴奏にして太鼓四人がはねる輪おどりで、儀式の後半に移る。唄の種類は下のものがあり、いづれも素唄と同じ「ダシ」がつく。
○我親を
我親を〈せんだん薪をつみこんで、一日二日は煙立つ、早や三日となりぬれば、妻子供が集まりて、竹の箸と木の箸で、死骨を拾い墓をつき、墓の印に松植えて、松はしとなる親恋し、朝日さすさす夕日輝く。比の寺に親の位はいをかいて立て、これで我親浮いたろう
○サイノカワラ
さいのかわらを申しましょう。一つ二つや三つ四つや、十より下りの幼子がさいのかわらで砂遊び、小石を集めて搭をつむ、一丈つんでは父のため、二丈つんでは母のため、さて三丈と積上げて、そこに鬼共荒び出で、鉄なる棒を持ち出して、積みたる搭を押してます。又積め〈とせめかけてお目にある中搭をつむ、お日かくれば親恋し、東を向いては父恋し、西へ向いては母恋し、恋しこがれて血の涙。それへ地藏様出でられて、何をなげくよ幼子はそれ父母後に居る。こゝでの親は


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俺だぞよ、言うより幼子手を合せ、衣の袖にすがりつき、衣の袖にと包みこみ、抱き上げたるその時は、やれ嬉しや地藏様
○奇妙頂来
奇妙頂来箱根山登りてみれば塚二つ、一つの塚が弥陀の塚、一つの塚が釈迦の塚、めいどの鳥とて鳥一羽、まことめいどの鳥なれば、めいどの事を語りきかせよ、此の世に悪事をなす人は、三途の川にも針が立つ、死出の山にも剣立つ、此の世で後生を願う人、三途の川にも針がなし、死出の山にも剣なし、めい土の話もこれまで
○寺ほめ(お寺の庭でのみ行う)収録分3'35"
お寺おほめを申しましょう
お寺へ参りて山門みればよ、門が白金扉が黄金よ、同じくかんぬきや赤銅でそうして築地を挑むれば、四方築地金網かけてよ、さても見事なお築地よ。
そうしてお庭を眺むれば、お庭に白砂まかれて、四方柱を朱でぬり立てゝよ、お庭をさして輝く、お次に釜戸を眺むれば、のどかま七口すえられて、あらきがんすにあらきの金で、伊勢茶びしゃくに伊勢茶碗、お茶を遊ばす先ず見事。お次にしよえんを眺むれば、茶の様なるお若衆で、白金の机にもたれて学問遊ばす先ず見事。お次に客殿眺むれば、こうらいべりをしき並べ、床には竜虎の一軸を、三幡並べてかけられて、お次に仏壇眺むれば、紫檀黒檀唐木をそろえて、はりられた先ず見事
高野位はいが十本立ち、田舎祝は数知れず、出がけにお馬屋眺むれば、七間馬屋に七匹揃えて、黒駒勇むを白金のまぶねをはませて、黄金のまびしゃくそえられて馬の番とて付けられて、出がけに泉水眺むれば、和尚様の好きなる泉水、青元の花がこれが好き。さても見事な見事な泉水よ、屋根のふきじを眺むれば、鷲熊鷹の羽を揃えて、まむしまどろとふうかれた、東のお棟が獅子の見返し、西のお棟が竜に竜、東のお山を眺むれば、ばら〈松が千本ばかり、松の間に朝日さす、恋屋に


38
小女郎おいてきた。恋屋の小女郎は泣いて待たるが、白すげ笠が露がおる、之でおいとま申します。
○この他に下の唄もある。
昨日生れし緑子が親のお墓へもうでんと、去年の草をば鎌で刈り、今年の草をば手でむしり、むしり草をばふれすてゝ、親がないとて嘆げかるる。そこえお地藏様お出でられて、何を嘆くよ、緑子は、親がないとて嘆げかれる
10)そさるひや…7)と同じ
11)しゃんぎり…笛を伴奏に太鼓四人がはねる輪踊り 1'35"
12)道行…1)と同じ
以上が儀式踊りの次第である。尚以上は寺の庭で行うもので、新盆の家では5)と9)の内容は逆となる。
要するに儀式踊は唄・笛・鉦を伴奏に、太鼓四人が太コを打ちつゝはね廻る踊が主となる。それに舞子(女子)の踊が始めに一こま加わるのみ、而も太コの踊の形(振り)は多分に呪術的であり、地霊を褶伏し、悪霊を退散させるためのものとしての色がいちじるしい。又舞子の踊は農耕の営みを表現した振とみられる。農耕の仕草を女子が演じ、農耕にわざわいをする悪霊退散の振を男子が演ずると考えられる。之が神田盆供養儀式踊の特色である。
B遊び踊
儀式踊が一順終るとあとは夜の明けるまで遊び踊を踊る。之はやはり笛鉦太コを伴奏に音頭の唄を全員がつけて唄いつゝ踊る輪踊りである。之は(ノートNo.1、P71C)作手村岩波の手踊りに相当するもので、これが総て遊び踊として独立して後につく所に神田盆踊りの特色がある。
神田盆踊の場合、儀式踊は太コ四人が主役であり、しかも作手岩波の盆踊以上に古風を強固に伝えているため、盆踊発展の過程に於いて唄われる念仏の和讃、その他手踊りなどがその間に入りこむ余地なく、自ら別に遊び踊りとして扱われるようになったものであろう。



39
その種類は、下記のものがあるが既述で知れる故歌詞は省略する
1)やんさ踊り
2)お一さま甚句
3)十六踊り
4)とよえぶし
5)こらさ節
6)せっせ踊り
7)さんさ踊り
8)すくいさ節
9)い山から etc.
協力者 神田中学校長 岩倉仙太郎
設楽町役場 氏原安彦

78 鈴鹿市庄野地方 下見(1957.9.7〜8)
庄野には、約150年前より伝わる庄野大念仏踊がある。
盆踊衆は、音頭1名 行燈持 2名
大太鼓 1名(交替1名)
法螺貝 1名
笛 2名(交替者2名)これはネリにだけ    10名

とり唄 全員  25名
で構成される
行列はネリをはやして庄野地区四ヶ所の寺を廻り、下に述べる唄を唄って踊り、大太鼓ははね、そののち望をうけて新盆の家の前では、笛と法螺貝ではやして供養する。そして東海道庄野宿と記した燈篭にさした花(紙)を新盆の家においてネリとなり次の家へ向う。
歌は従って寺の庭においてのみ行われ、数百の見物衆が一諸になって手踊りに興ずる。歌詞は妙法寺の住職の作と伝えられる。
盆踊衆は地区の若者を以って構成し、とり唄は見物衆が踊りつゝ全員を之を和す。



40
■7"東西しづめてよくきゝなされ(以下トリ唄くり返し)
さてよきお庭や見事な御庭 このよきお庭で踊ろうとすれば
黄金の真砂が足につく
南無阿弥陀仏ーョ
■1'47"一ツトカーヨ
一人生れて一人逝く さてもはかなき浮世かな
ナムアミダーヨ
■2'55"二ツトカーヨ
再度帰らぬ身を持ち乍ら、何故に後生を願★ネガ★やらぬ
ナムアミダーヨ
■4'01"三ツトカーヨ
皆人ごとに思えども、上は大聖世尊を始め
下は堤姿に至る迄、逃れ難きは無常なり
ナムアミダーヨ
■四ツトカーヨ
世はさかさまの浮世かな、若きがさきに立つほどに
何故に後生を願やらぬ
ナムアミダーヨ
■五ツトカーヨ
五ツ七日は三十五日、三途の阿弥陀がお加護をなされ、二十五の菩薩と御来迎なさる。さてありがたや南無阿弥陀仏
ナムアミダーヨ
■六ツトカーヨ
無常の風にさてさそわれて、はや極楽の鐘をきく
ナムアミダーヨ
■七ツトカーヨ
七ツ七日は四十九日、エンマの前に早やおつきあり


41
大帳とり出し鏡でみれば、婆婆でつくりし罪科もなし、弘誓★グゼイ★の舟をすぐこしらえて、綾や錦の帆を巻き上げて、西の浄土へはなやかに
ナムアミダーヨ
■八ツトカーヨ
八万四千のそのお経よりも、南無阿弥陀仏にしくはなし
ナムアミダーヨ
■九ツトカーヨ
此処は定離の婆婆界なれば、弥陀の浄土で逢いましょう。
ナムアミダーヨ
■十★トンゴ★トカーヨ
十万億土に程遠いけれど、南無の六字を構うれば、即ち此処が浄土となり、やれ有難や 南無阿弥陀仏
ナムアミダーヨ
■33"末を申せば未だ程長い、念仏踊りはこれ限り1'17"
音 伊藤 智
東海道 庄野宿
以上の唄の部分の所用時間約25'(庄野公民館長 長谷部栄一氏談)

79.北設楽郡設楽町大名倉の盆唄
この項は南山大伊那氏の文献によるものである。
こゝの盆供養は文政三年にしたゝめられた盆仏帳による如く、この頃尤も盛んに行われたものと思われる。
行事は部落の青年によって行われ、数え年十五年の陰暦七月七日入団し、三十三年の盆月十六日までの青年が盆踊衆を構成している。
他所より入婿したものは、三年間は年齢に係らずこの衆に入る。供養の進行を以下順次に記す。
尚之は陰暦七月十四日、新盆の家で行う供養について述べる。



42
○百八の松明や切子燈篭で飾り、親類縁者が集り、仏供養が始まる。
○盆供養連中(以下連中と呼ぶ)の年頭★トシガシラ★(最年長者)と中老衆(連中を満了した人)の一人が訪れ、供養の庭の借用を申入れる。そこで諾意をきゝ。
○道行となる。

服装はいづれも菅笠

赤い張提灯
笛吹き
太鼓

白い張提灯

鳴物は 道行・とうさゝぎ・二上り と変る
○家の前で家の正面と並列になり(鳴物は新車)
譜は 高い山・木曽の御岳
○円陣を作って踊る
譜は しゃんぎり・かんのみち
○太鼓踊
譜は けつ振り・十六
○念仏
四変り・じこと(後記)・せいがんじ(後記)
○とり唄 鉦・太鼓ではやす音頭で踊る
○退場(鳴物は岡崎)
○それを逸せず新盆の宅では茶菓を振舞う
○それに興じた連中は手踊りに夜を徹して遊ぶ


43
◎念仏じこと
1.親和讃(亡男親に対して)
吾親の〈、野辺の送りを見てやれば、広き野原も狭くなる。朝夜に見上げて見た親を下駄薪をつみこんで、野火や山火で火葬する。一日二日は煙立つ。早や三日となりぬれば、妻子子供が集りて、死骨を拾い灰を寄せ、灰をよせては塚をつき、塚のしるしに松植えて、頼むものとて松ばかり、こぞまではよそやと思いし蓮の葉も、今年手にとるみそ萩を手向け申すよ我親に、朝日さす〈、夕日かゞやくその寺に、親の位牌をかいて立て、かいて立てては香をたき、香の煙が花となる。その時我親浮ばれる。
2.花和讃
吾子が死して七日に今日なれば、花の園へと走り出で、花をつぐ〈眺むれば、開きし花は散りもせで、つぼみし花の散るもあり
3.どう和讃
峰は天竺どうまでも、下は奈落の庭までも、むらなく善根する人は、鬼もすゝきも皆なびく、なびくにつれて名を問えば、七本蓮華の花開く、開きし花を笠にして、つぼみし花を手に持ちて、蓮華の軸を杖につき、三きょの橋を渡るとき、四方の雲が棚びきて四方どうじょうおさし合い
4.八枚屏風
今朝迄は、〈、見上げ見おろし見た親を、今ははなれて便りなし、数多の子供が集まりて、手どり足どり押し寄せて、八枚屏風をひき廻し、野辺立衣をぬう時は、涙積りて針みえず、針目細かに縫いきせて、野辺へ〈と急がれる。野辺迄供する人あれど、野辺から彼方は一人行く。
5.親和讃(亡女親に対して)
吾親が〈片身にみよと活けられて、まてと片身の木であれば、いつか花咲き実が成らん、その実をとりて珠数にして、百八文とつながれて、諸国に念仏申すべし、申す我等も皆人も、共に成仏なされ候、よくよく念仏申すべし
6.六字り名号(盆十六日の夜、庄屋宅で風祭りと言って天地神仏に祈る念仏)抑々文字の名号は、いとく尊くあらそうな、夜のむときも六字なり、昼のむときも六字なり


44
十二のときのそのあいも南無阿弥陀仏の六字なり、天には月も日も星も、これも阿弥陀の三字なり、之程尊き名号を、一字も唱える人は今、おのうの人にも聞きとらる。
7.地藏に対する念仏(風祭りに、地藏の前で松明をともして)
イ)此の堂へ〈、立ちよりみれば地藏なり、地藏は六道の辻に立つ、辻に立ったも道理こそ、日には千人餓鬼あれど、餓児やがまんと生れ来て、地藏の供力ありがたや
ロ)一不動、二釈迦、三に文殊、四にふげん、五菩薩、六弥ろく、七観音、八薬師、九せいし、十阿弥陀、あしゅく大日、こくぞうぼさつ
8.山の神(風祭りに神前に松明を灯して)
イ)奥山に紅葉ふみ分けなく鹿は寒くてなくか、妻恋いなくか、寒くてなくにはあらねども、妻恋いなくにもあらねども、七百余人のかりうどに狩りこめられたる身の辛さ、助け給えよ山の神、かくしたまえよ奥の神
ロ)山の神、寺和讃
奥山で桧さわらをかり出して、お寺建つとはおめでたや
(これに対するせいがんじ)
こがねだるきに白がねゑつる、花の御萱でふくぞめでたや、おめでたや
9.地極橋
地極へゆくらんと道にそって大河一つ候へし、その大河に橋をかけ、善根の人の来たるには、六尺二分と見えにけり、悪人びとの来たるには四寸二分と見えにける。上を見れども橋はなし、下を見れども舟はなし。橋にこうべを投げかけて、橋の下をば見てやれば、毒蛇波して恐ろしや、渡らば呑まんと待ちにけり、やや情なき釈迦仏。
橋は導きたまわらん、唯念仏をたしらかに
10.庭賞め
イ)風祭りなどに庄屋の家で
先づ入りて〈、御庭がかりを眺むれば、しれんの花を植えられて、さても見事なお庭かな、西をはる(春)かと見てやれば、つゝじ椿の花盛り、春の景色に


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さも似たり、南を夏かと見てやれば、池の蓮の葉花盛り。夏の景色にさも似たり。東を秋かと見てやれば、紅菊八重菊花盛り、秋の景色にさも似たり。北を冬かと見てやれば、柳に■が降りかゝり、冬の景色にさも似たり、さても見事な御庭なり
ロ)井戸掘り
まず入りて之のお庭に井戸掘りて、水は出もせで泉湧く、黄金びしゃくにあや手桶、之で泉を汲みとりて、汲むぞめでたやお目出たや。
◎せいがんじ
1.鎌倉
イ)鎌倉の桔梗のもとへ子を捨てて、連れちゃゆかれず身こそつらけれ
ロ)鎌倉の桔梗のもとへ捨てられて、日だに暮るれば親をたづねる
2.二見ヶ浦
イ)二つとせ二見ヶ浦でひく、網は、網はひかいでごぜをひく
ロ)南無とかや、南無ニタ文字に花咲きて、みだも仏もみこそなるらん
3.吾が親
イ)吾が親が仏になられた夢を見た。嬉し乍らもぬるる袖かな
ロ)吾が親が身をふりすててゆく時は、死出の山路も近くなるらん
4.極楽
イ)極楽が西にばかりにあるものか、花の極楽胸にこそあれ
ロ)極楽の門の扉に何がなる、南無阿弥陀仏の六字こそなれ
5.えんもじ
イ)えんもじが生れ在所は冨士枝の山の根ごしのいとわりの里
ロ)えんもじが申す念仏にくたびれて、かねを枕にしゅもくをあした
6.十五夜
イ)十五夜の月にくもりはなけれども、お庭ざくらのかげがさすなり
ロ)鶯が梅の小枝に昼寝して、花を散らまで遊べ鶯



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80.鈴鹿市廣瀬町の羯鼓踊
○陰暦七月十四日 天王祭・十月十一日秋祭の二回 年中行事として行う。
○七百年昔この地に天照大神を祀ったとき神楽として始められ、以来厄病の払いや家族の安全を祈って行われてきた。
○各戸は、その家族数と等しい小提灯を青竹の枝につるし、火を灯して羯鼓踊と共に神前に奉納する
○行事は部落青年が■る
○その構成は大太鼓1、羯鼓4、笛5、法螺貝2、取唄10、計22名
○唄の種類
歌上げ
お庭入
新拍子
打上げ
牛若丸 等あり(歌詞は収録の折、詳記)(同町青年団長 豊田善久氏より)

81.鈴鹿市第一次収録 57.9.26〜28
上田年夫氏、本田善郎
佐野哲志 角谷
助力者 教委事務局 大口保成
〃社会教育主任 吉本嘉平
庄野公民館 長谷部栄一
本田善一郎


47
広瀬町青年団 豊田義久
1)庄野町公民館にて集録分
a.庄野大念佛
P39参照 集録分は(ネリ(三遍) 1'37"、初盆家 7"、大念仏(全) 18'10")
衣裳は、白地に滝昇りの鯉を絵羽風に染め、背には紅文字で「庄野宿」と染めてある(鯉は黒、滝は青)それに紅■、豆絞り鉢巻
手に、金泥に二本の松を画いた扇を持つ、以上が男子の盛装、女子は戦後加わったものであるため、銘々の衣裳
太平洋戦争以前は男子青年のみで踊ったが、戦後男女青年が踊る。その故、衣裳にも上述の差がある



2)広瀬町にて集録分
a.羯鼓踊
正式の順序は、渡り拍子
お庭入り(ネリ込み)
新拍子
お庭入り
縫★ヌイ★踊り(打上げ)
お庭入り
牛若


48
地藏盆には お寿ほめ
ウラ盆には、念仏踊
尚広瀬町は旧鈴鹿郡高津瀬村広瀬である。従って、本紙P3を参照。
念仏踊には村(村全体の盆供養)
赤(子供の仏の 〃 )
白(大人の仏の 〃 )の三種あり

その起源は、戦国の頃、伊勢の群雄が各地に割振し激戦が展開され、人民、特に農民の被災がひどかった。加え、悪疫が蔓延し、人々は二重の苦しみに喘いでいた。
その頃、山村では戦の終結、郷土和平を神々に祈るものがふえ、戦の中心となった多気、飯高、一志地方にそれが多くみられたが、後年この祈りに趣を加えるべく演出され、原始的な南方諸国の土人のそれに似て、大太コの単調なリズムにより緩急自在の動作が行われる。これがずっと後まで一部の僻地にのみ行われていたが江戸時代となり、明和の大災害・悪疫により各地に拡り、ことに山間に伝わった(山間には他の娯楽がなかったため?)それが何時か、五穀豊穣・平癒息災を目的として行われ、一方豊年の喜びをこめても行われるようになった。
尚広瀬町のものは、比較的新しく江戸後期にこの地に入ったものと思われる。


49
歌詞
お庭入り( )
ヤラよなお庭、見事なお庭、このよなお庭で踊ろとすれば、しだれ柳を四方へさして、お庭の砂★イサゴ★が足ょにつく、足ょにつく イイヨ かんこしめさや 皮しめさ
歌づまおろして踊らしめ 今年の年はめでたいぞ
めでたいぞ そら ヒ ■笛

新拍子(約30')
お宮へ参りて踊りのかゝりを見物すれば、七■半に十丈のさ
さては見事な踊りかな
お山のかゝりを見物すれば、松や桧に榊がそろて
さては見事なお山かな
神前かゝりを見物すれば、屋根は栃ぶき、葵の御門
さては見事なお宮かな
日本でお宮をほめようなれば
奈良にとりては春日のお宮
尾張にとりては熱田のお宮
田舎にとりては此のお宮

縫踊り(打上げ) (収録分12'17")(約50')
縫いは様々、数多けれど、京の六条の若姫たちが、めしたる縫こそやら見事
後のくだりを縫われたよ、くじゃく鳳おうの前だち所
十七色に糸染めわけて、あいにはきんしゃの縫違い
弓手のくだりを縫われたよ、もくやづくしと縫われたよ
もくにとりては何よ〈、蜜柑・橘よろづの花よ
椿ざくろに木蓮華
馬★メン★手のくだりを縫われたよ、竹やづくしと縫われたよ



50
竹にとりては何よ何よ、紫竹、寒竹、河原の竹よ
大笹、小笹の縫いちがい
前のくだりを縫われたよ、小鳥づくしと縫われたよ
小鳥にとりては何よ何よ ひわや山がら四十雀や
しんよしんよとしんから小鳥、しゃぎらしゃんと前だち所
さては見事に縫えました。

牛若丸(収録分 )(約30')
牛若様は幼少なれど、七つの年から鞍馬の寺へ
昼は一日学問なさる、夜は鞍馬の僧正が谷で
お天狗様とき早兵法、イイヨ お天狗様とは早兵法
早兵法を明らかに、さらば手なみを見しょうとて、
五条の橋へと進み出で、4人斬りをなさるとて、
九百九十と九人を討たれ、一人足らいでおまちある。
イイヨ、一人足らいでおまちある。
所へ弁慶がまかり出て、牛若様とはよ知らいで
牛若様手しゃなれば、火花を散らして斬り結ぶ
天を払えば中をとぶ、中を払えば天をとぶ
なんなく弁慶が討ちまけた。 イイヨ 何なく弁慶が討ちまけた
家来になされと頼まれて、牛若様は東をそして奥州へ下る。
金森吉十も奥州へ下る。月日も大いに三月三日
逢坂峠も早や打ちこえて、海山なんぞと漕ぎわたる
雨も降らぬに草つゆの、風も吹かぬに守山の
矢作の宿でお泊りや、イイヨ、矢作の宿でお泊りや

お寺(約30')
お庭のかゝりを見物すれば、お手洗鉢から水湯が湧いて、お寺のふきか お庭のふきか、何につけても寺繁盛、仏前かゝりを見物すれば、金らんどんすの打敷しいて


51
百匁ローソク有りあけともし、これから拝めば有難い
ぎやくでんかかうを見物すれば、じげの若い衆、皆れさ〈と、紫すゞうにこがわの筆で、学問なさるがやら見事
茶の間のりを見物すれば、金の茶釜に黄金の杓★シャク★で
八輪の手桶で水だぶ〈と、茶わん茶びしゃくやら見事

念仏踊
イ)一つとカーヨ 一人生れて一人逝く、さては果敢なき浮世かな
二つ〃 二度帰らぬ身を持ち乍ら、何故さて後生を願やらん
三つ〃 身をふりすてて行く時は、仏も我もへだてない
四つ〃 世は逆さまの浮世かな、若いが先にお立ちある
五つ〃 何時かこの日も早やくれて、入相鐘の音をきく
六つ〃 むときその世を早まちかねて、早まちかねて門に立つ
七つ〃 七月七日はとわねとまゝよ、問うてたもれや四十九日
八つ〃 八よかの月は、未だ空に、お月山端に我こゝに
九つ〃 こゝであわれな極楽の、弥陀の浄土で逢いましょに
十 〃 とお山峠を行くときは、仏も我もへだてない
十一〃 つぼむか開くかはちすの蓮花、ナムアミダー
ロ)ごりんごだいのしきしだい、たずねて知るぞや有難い
つもりは文珠のぼさつなり、したいは八幡大ぼさつ
両方のまゆ毛と申するは、びしゃもん天のきしゅうなり
両眼月日のみてんなり、耳はみろくのぼさつなり
鼻はふげんのぼさつなり、唇かんのんせっしゅなり
歯ぐきは廿五のぼさつなり、舌はべろしゃのまかもだら
出すいきはく息これ二つ、ナムアミダーヨ
左のかいなはかいぞかい、右のかいなはこんぞかい
胸と腹との間には、しゃかとみだとが立ちたまえ
へそは薬師のるいのつぼ、左の足は不動尊


52
右の足は地藏尊、十の指はほけきょなり
瓜は蓮華の落葉なり、踏んだる所を尋ぬれば
はちすのれんげとふみゆけだ ナムアミダーヨ
ハ)奇妙頂来箱根山、こゝで憐れを止★トド★めさす。婆婆と冥土の境なる
さいの川原と申するは、一つや二つや三つや四つ、十より内の幼なるが、広き川原に集まりて、楓の様な手をひろげ、砂★イサゴ★をよせて塚につむ
小石を拾うて搭につむ、一重つんでは父の為、二重つんでは母のため
三重つんだるその時は、我身のためとて回向する。いづれ仲よく遊びしが、
花園の山へと這い上る。色よき花を集めけり、色よき花は何々ぞ
ボタンシャクヤク百合の花、桔梗苅萱女郎花、香★ニオイ★よきとてしきび折る。
幼な子達がちそうする。日も西山に傾けば、持ちたる花をふりすてて、西を向いては父恋し、東を向いては母恋し、恋し〈と呼ぶ声が、谷へ谺の聞ゆけば、父が呼ぶかと心得て、荊★イバラ★木の葉をかきのけて、冥土の坂へ出てみれば、谷へ谷へとはい下る。谷へ下りてみてあれば、父と言う字は更になし、母と言う字があるにこそ、そのまゝそこへ倒れ伏せ、両手をこがれ泣き沈み、地藏ボサツがごらんじて、さても不憐な幼な子や。
汝が父母まだ婆婆に、冥土の父母我ぞかし、此方へ来りてのたまえば、慈悲円満のしゃく杖を、さしのべたまえ幼なるが、しゃく杖の音をたよりにて我も〈とすがりつく、地藏ボサツの側により、衣の袖やしゃく杖にすがりてその夜をあかしけり、ナムアミダーヨ ナンマイダ
以上 村…イ. (30分)
赤…イ.ハ.をつゞけて (60分)
白…イ.ロ.をつゞけて (50分)
尚すべての唄のトリには下の唄をつける
末を申せばまだ長けれど
踊る若い衆は皆戻る
皆戻る

b)茶摘唄 50"25"
イ)浮名 立田川 序での事よ、添うてしまえと粋な親
お茶の茶の茶の茶の木のもとで、お茶もつまずに色話
ロ)来たか丸市しなもみつれて、製茶一流の旗たてて コラショ〈
c)ものひき唄 18"
寺へ参るよりものひきなされ、二升と三升ひきや五升になる
d)伊勢音頭 1'30"
アーヨーホーホイナーエ、梅と桜とな、両手に持ちて、アーヨーイセーソーコセ
アー桜花とは散りやすい、梅の口舌を申すなら、花や蕾でいた時は
鶯なかせた事もある。今は御連中にと落されて、となれ合うて色づいた
以下略

e)伊勢音頭の最中にトチッたときの唄い出し 5"
どっこい間違うた、どにまようた。


82.名古屋市瑞穂区津賀田神社の祭囃子
同社は源頼朝建立と伝えられ千三百年の昔から、この囃子も共に伝わったと言う。
しかし、いづれもその様な古いものはなく、せいぜい江戸末期に始められたものと思われ、価値も少ないものではあるが、下の六種類を収録す。
楽器は 大太鼓(大)一、大太鼓(小)一、笛二
1.天王神楽 2'30"
2.おかめ神楽 2'40"
3.月矢車神楽 3'20"
4.神明神楽 5'30"
5.矢車神楽 3'30"
6.シン車神楽 6'10"
紹介者 (8)3501
瑞穂区津賀田町3-38牧野為三郎氏



54
83.三重県安芸郡美里村、同鈴鹿市第二次収録(1957.10.17〜19)
上田年夫氏、本田善郎
佐野哲志 角谷
助力者 安芸郡美里村 村上教育長
鈴鹿市 社会教育課長
〃 白子支所 南部支所長
〃 御薗町 北川一雄
〃 神戸町 本田善一郎

一、美里村南長野町にて羯鼓踊収録
入羽 7'30" 歌詞はP.5を参照
若子様 8'00" P.6
御伊勢 13'45" P.12
忠臣 12'00" P.15
出羽     P.28
姫子 15'13" P.23
世の中 5'55" P.11
芭蕉 14'45" P.13
四玉 7'15" P.27
出羽     P.28
雨乞踊 1'30"
二、鈴鹿市白子町にて収録分
1)鯨音頭 3'16"(須)
昔熊野洋で鯨漁が盛んであったとき、鯨突きの唄として唄い始められたと伝わるもの
宮の前では鯨を突いた ハレワイ
あれはお宮のヨホハエ
御利生ぢゃ ヤトエー



55
やっさのやっさの懸声なれば
チントカンカン ヨイトヨイト
カシカシサー ヨイサヨイサーエ
納まる御代 ヤトエー
沖の暗いのに白帆が見ゆる ハレワイ
あれは紀の玉、ヨホハエー
密柑舟ジヤトエー
やっさのやっさの懸声なれば
チントカンカン ヨイトヨイト
カシカシサー ヨイサヨイサーエ
納まる御代 ヤトエー
2)船乗唄 2'16"(須)
伊豆の下田で エー
今朝夜が エージャト ヨイ〈〈明けた
晩は志州須の鳥羽湊★ミナト★ エー
■アラ ふだらくや 岸打つ浪は、み熊野の
那智さんお山へ、雲かけて、東風★コチ★吹かして
まんまともー 舵づか握って、面舵取かーじ
伊勢の小★コ★山 エー に
吉田のエージャト ヨイ〈〈 東北風★ナライ★
尾張北風★キタヨ★は何時も吹く エー
■大阪立って京ぢゃわいな
碇にかゝるは藻じゃわいな
菜の葉にとまるは蝶ぢゃわいな 蝶ぢゃわいな
3)漁師唄 1'55"(須)
梅干しはしわがよれども
昔はエーヨーホイ 花よ



56
鶯なかしたエー、ヨーホーサー
エーこともある ヨー
■あの子に此の子は男の子だよ
油断のならぬは、女の子だよ ヤレコラショ
炭俵もとをたゞせば
野山のエー ヨーホイ すゝき
きりぎりす 鳴かせた エーヨーホーサー
エー こともあるヨー
■どっこいさっとば 田舎の力士★スモー★だよ
田舎の力士なら 晴天一日
日のべは無いのぢゃ ヤレコラショ
4)白子盆踊唄 3'37" (元来太コ伴奏、戦前まで行われた)
エー、しめ木のヘン
エー、油の  ヘン
エー、アリャ リャ〈〈 〈〈
踊りゃ 止めまい よい〈 夜明け迄 よーやせ
エー踊子が揃ろたよ 二百廿日の出穂の様な、 シヨガイノー
エー、アリャ リャ〈〈 〈〈
二百廿日の よい〈、出穂の様なよーやせ
今年ゃ世が良うて 穂に穂が咲いたが、
側★カワ★の衆は合点★ガーテン★か
エー、オーさて合点ぢゃ
エー、道の小草にも穂が下る シヨガイノー
エー、アリャ リャ〈〈 〈〈
道の小草にもよい〈、穂が下る よーやせ
蝶々とまれさ 菜の葉にとまれさ
エー、踊る若衆の手にとまる シヨガイノー


57
エー、アリャ リャ〈〈 〈〈
踊りゃ止めまい よい〈 夜明けまで よーやせ
エー、鼓ヶ浦で亀が子を儲けた 百七つ シヨガイノー
エー、アリャリャ〈〈 〈〈
亀が子を儲けた よい〈 百七つ よーやせ
5)御蔭参りの唄 41"
ハオヤレオー
おはらいふらしておめでたや、エージャナイカナ
商売は繁昌 お家が栄ゆる エージャナイカ ナイカ
ハオ ヤレオー
今度横浜石がふる エージャナイカナ
毛唐人もあきれてかえって ボーエキやめるが エージャナイカナ ナイカ
アー おこるな おこるな おこると しょうかんぼぢゃ
6)世の中 1'50"
千両幟は稲川さんが思案顔
女房おとわが投げたるお金が二百両
トコ ヨイトコ 世の中 ヨゴザンス
斧定九郎が与市兵衛殺して金をとる
天の罰★バチ★かや猪にそぶれて二つ玉
トコ ヨイトコ 世の中 ヨゴザンス 
お染久松は主の娘に手をかけて、
倉の中から覗いて見るのもよござんす
トコ ヨイトコ 世の中 ヨゴザンス
7)地搗き唄 2'35"
めでた〈の ヨイ〈
若松様の ハーヨーイヨイ
エー、枝も栄ゆりゃ ヨイヨイ



58
ヨーヤ 葉も茂る ソラヨーイヨイ ヨイヤトセ ヨイ〈
目出度々々々が三つ重なりて、鶴が御門に巣をかける
目出度々々々の数々あれど、こんな目出度い事はない
8)伊勢音頭 5'50"
ハーヨーイナー
伊勢の津の津の ヨーイ〈
津の殿さんは ハーヨーイセー、ソーコセー
お立ちナーぢゃと言★ユ★や ヨーヨホホイ 御一同さん
雨が降る
アー ホンマカ ヤートコセー ヨーイヤナー アリャリャ
コレワイセー ソリャ ヨーイトセー
伊勢へ参ったら朝熊★アサマ★山をかけて
朝熊をかけねば片参宮
伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ
広い鈴鹿市は 白子でもつ
扱も源氏の御大将は
範経公が七隻とぶ
義経公は八隻とぶ
狐忠信寅をとぶ
虎は千里の薮をとぶ
三千世界をたづねても
ノミほどよくとぶものはない
畳の上ではあるけれど
琉球から備後表に一とびぢゃ
9)山の神の童詞 1'05"
山の神のホンゾー(本像?本尊)
お家も御繁昌


59
商いごとのえーよーに
守らせ守らせ山の神
御薗から〈
巣かけ鳩がとんできて とんできて
おしようさんこいとは
寺の和尚さん めうがしん イワオェー(祝ほう)
胴間★ドーアイ★からやってきて、やってきて
大鰺小鰺よってきて、よってきて
今年の世の中 十八番
桝はさておけ箕で計れ イワオェー
10)唐臼挽き唄 1'15"
ヤレ どんどと廻しやれ、長の夜臼も今宵が限り
■廻せ〈 どんどと
アラ井戸端水仙 咲いたか見てこい
ヤレ、妹山背山 中を流れる吉野川
■ハーヨイトコラ ヨイトコラ
ヤレ、どっちをみやり、親が円けりゃ 子も円い
■ハーヨイトコラショ

以上 須賀浦牛松(69)
伊藤松次郎(73)
川岸ひろ(73)

三、鈴鹿市御薗町清成★キヨナリ★にて
羯鼓踊 出演清成青年団
此所の羯鼓踊りは、御薗に紀州公詰所のあった当時から(江戸末期)行われていたものと伝わる他、一切判らない
毎年新暦八月十五日地藏盆に行われる


60
衣裳は(以下アルバムの写真参照の事)揃いの浴衣(三組あり)に手甲、■、(六尺の白木綿)をつけ、カンコ衆は一文字笠、太鼓、唄ヒゲ笛衆は花笠をつける。首に巻く手拭は青の豆絞染(戦後女子が加わったが赤色)
編成は
道行
←張提灯 太鼓(二) 羯鼓(四) 笛(三) 法螺貝(二)

この他、唄上げの連中が従う
寺の境台には、右図の如き、角行燈が設けられ、これをめぐって羯鼓踊りが行われる。
その後、手踊りが行なわれるが、これは近年になって始められた行事で、全国各地の盆唄や民謠を、老若男女を交えて輪踊りで踊る、伴奏はレコードを使用している。


61
0"
笛・太鼓 1'33"
太鼓 2'40"
門入り 4'00"(返しなし)
太鼓・ホラ 4'45"
お寺踊 11'45"(返しあり)
(Tp-1-1)



62
0'00"
太コ・ホラ 1'08"
葉師踊 9'57"(返しあり)



65
84.一宮・尾西地方 第三次収録 (32.11.6)
上田年夫氏 本田善郎
佐野哲志 仙田
助力者 一宮市立図書館長 入山仙一氏
一宮市千秋町小山 橋本秀雄氏
尾西市教育委員会 野田秀吉氏
一宮市北方町大日 加藤寿三郎氏
1)尾西市 北今保育園にて収録
1、雨乞唄 2'55"
雨乞いかけるに 雨下さるなら 地雨でおくれ
■アー、シッポトショー〈、シヨイナノヨイナノセーコ、セー
沖から暗★クロ★雲 捲きおろそうえ
■ 同


66
東西鎮まり唄おろそ
■ 同
雨乞いかけるに雨下さるなら地雨でおくれ
■ 同
雨乞いかけるに雨おくれ、夕立ち雨など地雨など
地雨でしっぽれ貰いたや
■ドンドコド ドンドコドノドン
アラ エッサッサー
ぢっさも ばゞさも皆踊れ、踊らにゃ損ぢゃに皆おどれ
■デンデコデ〈デンデコデノデン
アラ エッサッサー
踊る若衆の品のよさ 踊らにゃ損ぢゃに皆おどれ
■ 同
アラ エッサッサー
2.京木遣り
イ)2'18"
ヤーヨーイサー、色白く、いつしろの、アチョイト、むかえば西のいつしろへ アチョイト
とんと とみだへ引寄して 〃 起の宿へやどをとり 〃
寝物語りの言う事にゃ 〃 おなかに小信中島や 〃
月が二つや重なりて 〃 こんな難儀なおく村と 〃
がそは立てどもにっこりと 〃 みや新田やしょうげんや 〃
日に日にてばらが見えまする 〃 やれ心外や中通り 〃
親の在所がいたぐらで 〃 胸にふくもり致せねど 〃
左にはなへとみだがた 〃 双児の親にと手を下げて 〃
苅安賀となるならば 〃 おー今村と落ちついて 〃
町長く通り抜け 〃 住めば極楽蓮池の 〃
蓮の蓮華に ソーレハ生れゆく、サーヤーレコレワノセー


67
ロ)2'36"
ヨーイサー、わしの隣りに茶腕屋さんが出来て アーヨーイセー ハーリセー
これこれ申しかん壷さん アチョイト 徳利聞いて下しゃんせ アチョイト
私の在所は瀬戸もので 〃 備前のお前とこうなったも 〃
八幡様のおかげやら 〃 私の小さい土器★カワラケ★を 〃
荒鉢割られて程よく人並みになったのも聞けば昨夜の焼きつぎで 〃
そばに寝ているホーロクが 〃 大きに■★リン★気の摺鉢で 〃
もはやお腹★ナカ★にこね鉢が出来た時ゃ 〃 親方さんが夫きいて 〃
丼眼★マナコ★で膝皿叩いてキビシヨラおひかりなさる その時たのむさはちさの 〃
片口きいて判らんで 〃 行平さんも呼んできて 〃
テゝショを添えて違わんさんよと ソーレワ お盃 サーヤレコレワノセー
ハ)2'19"
ヨーイサー乳母の政岡涙を払い、アーヨーイセーハーリセー
かたえに直す風呂釜の いつ水差しのかしきより
これこれ千松いつも唄いし雀の子 アチョイト もう親鳥が来る時分 アチョイト
そこへ直してお慰さみ 〃 アイ〈〈と千松は 〃
読む姿がたよたよと〈 裏の〈ちしゃの木に〈雀が三匹止りて
一羽の雀の言う事にゃ〈 夕★ユーベ★ござった花嫁御々々々
何が悲しょて ソーレワ おやきやる サーヤレナンデモセー
ニ)1'30"
ヤレヨーイサーコラショ 村で名高き高松村の器量のよいのがお竹さん アチョイト
これこれ申しこうごろうさん アチョイト いくら小信が在所でも 〃
堅い引き合い石橋で 〃 人が清水をさいたとて 〃
てまじょ仕合わせの掘の内 〃 わしも之から船橋越して
しげもと村を夜越しにて 〃
そばの池でソーレワナー 身を投げる サーヤレコレワノセー
ホ)2'30"


68
石川や浜こがつきるとも アチョイト 世に盗人の種はつきまいぞ アチョイト
こりゃやい五郎市よくききゃれ 〃 其方も五右ヱ門の子であろう 〃
暑いと言うもチートの間 〃
怖い夢ぢゃと思うてしんごりして いやと言えども何とも言わず
うろたえまいぞや 父の子と アチョイト
早く父さまいぬ、死ぬる命は惜しまねど、もう一度母様に逢いたい
どうぞ逢わせてたべ、言われて五右ヱ門胸迫り、逢わする事は
もうかなわしど ぱッぱと燃ゆる釜の下、互に見合わせ顔と顔 アチョイト
ナムアミダブー 言うはこの世の ソーレハナー ■乞い サーヤーレコレワノセー

3.伊勢音頭 5'25"
■ヤーヨーイサーエー
御伊勢参ったら ヨイヨイ
ヤー伊勢こが出来て アーヨーイセー ハーリセー
お名は何と付きよう ソーレサ いせおまつ
ソーレハ ヤートコセー ヨーイヤナー アリャリャ コレハイセー サーヤーレコレハノセー
■いざり勝五郎 車にのせて 引けよ初花箱根山
■姉もさいたが妹もさいた 同じ蛇目のから傘を
■伊勢の古市油屋お紺
■唄の出損い 出直しします
■桔梗花とは美しや
■西の山見よ チンバが通る 傘がみえたりかくれたり
4.地搗唄(土佐)2'33"
■エーン エーン チョイチョイ
おいちょくれんか〈 ヤーエ、ヤットコセーノ、ヨーイヤナー
おいちょくれんか〈 雪隠★センチ★の窓からおっ母さんが見てぢゃね
■ヨーイトナー ハーリワ リヤリヤ コリャ ヨーイト ヨーイトコネー
■エーン ………


69
一の宮東の大橋とーや
一の宮東のオテント橋をなぞにかきょば こいつを一ばんきりあつまりと
床なら破れたジュバン 赤いが見えます
■ヨーイトナー ………
■エーン ………
今村の大橋と
今村の大橋をなぞにかきよば
褌玉のが
■ヨーイトナー ………
2)一宮市にて収録分
北方ばしょう踊り
イ)順序 道行 踊り込み、返し
雨乞唄 同上
拍子踊 同上
ひねり唄 同上
ロ)人員構成



70
ハ)歌詞
1、拍子踊
織田の蛙のなく声きいて、木曽の流れに真帆片帆
いきな船頭さんを殿御にもてば 港通いの出船の時に
神心こめて別れたあとは、明日のうれしい便りまつ

7'20"
拍子踊はしょうもうの のやれ 4
むかい小山のさん田 けいやれ 5
北方代官所の御威勢はこうやれ
拍子踊は之まで のやれ 9'55" 6
2、ひねり唄
a)忠臣藏段物
11'50"
一ツとかゑりましょ 7
一ツ人並すぐれし顔世どの 師直惚れるも無理はない 8
二ツ文の返事に師直が あゝこう言うも恋の意趣 9
三ツ見るより本藏抱き止め お為と思うが仇となり
四ツよう〈大星かけつけて、主君のうっぽん胸の中
五ツ一味連判きわまりて 敵をあざむき身をやつす
六ツむんにつかえし九太夫は むくいは忽ち縁の下
七ツ何もわからぬ妹に しさいを語り平右ヱ門
八ツ約束ありし加古川の 娘小浪は山科へ
九ツ心をつくし東路へ 下る道中勇ましく
十ときの声上げ師直の 首を槍玉泉岳寺
b)安達原三段目
一ツ人目をしのび袖萩は 娘おきみに手をひかれ
二ツ降る雪いとわずよう〈と 垣根の外へ尋ねくる
三ツ見てびっくりけんじゅうが 口では言われん胸の中


71
四ツ他所の事よと浜ゆうが 腰へつれて路じのくち
五ツいかに落ちぶれたればとて 乞食盲目は何事ぞ
六ツ宗任ひとこし袖萩に 渡すはけんしゅう討たすため
七ツ歎きを他所に貞任は 親の本望とげるため
八ツ役目はすんだと中納言 しづ〈として立上る
c)阿波鳴戸段物
一ツ一人娘のおつるをば 国に残して夫婦づれ
二ツ夫婦二人が身をやつし 国■刀の詮議する
三つ見るよりお弓は走り出て 盆に白髪の志
四つ夜のかせぎも外ならず お主の為を思やこそ
五ついかにつれない親じゃとて 現在我子に逢い乍ら
六つ無理な親ぢゃと思うなよ 我身がやっぱり可愛いさに
七つ涙で帰して 十郎兵ヱは 母より送りし文通を
八つやるせなく〈女房も 何とせんか■なきじゃくり
九つ声きゝとめる物の音は たしかに我等のとり手ぞや
十 取手のさむらい追い返し 本国さして急ぎゆく
d)
ひねりおどりは之限り 14'25" 14'48退場 10
3.豊年おどり
天明六年の豊作より伝わると言う
a)3'16"木曽の川辺に秋風がふいて千町田八米穂★チマチダヤズヤホ★の 1
黄金波打つ北方は 今年や豊年万作で 2
村の喜び限りなし まごころこめて氏神へ
かけた願の御利生は、程よい雨に日もてりて
二度の厄日をもつゝがなく 濃尾平野は米の倉
お礼参りに氏神つ 芭蕉の葉 背負うて伏し拝み
笛や太コで賑わしく 豊年おどりに夜があける


72
b)○○のお庭に踊りきて お庭のありさま眺むれば
大福帳や五大力 算盤金升かざりたて
いく万代と打ちつゞき 黄金の山をつみ立てて
光りかゞやく倉々に 米麦俵 すゞなりに
つみ並べたる見事さや 世々万代と祈りける
4.雨乞い唄
a)雨乞い
東西しづまり歌おろそ
ながの日照りのかなしさに ばしょう背負うて雨乞いを
かけたお蔭の御利生で 沖から黒雲まき上り
夕立ち雨なと地雨なと 一雨しっぽり下されば
田畑のつくりはよみがえり 万の草木もいき上る
民の喜びかぎりなし
末を申さば長けれど 雨乞い踊(豊年おどり)は之迄よ6'18" 3
b)雨乞いお礼
東西しばらく歌おろそ
長の日でりを悲しみて 大日様へ雨乞いを
願えば御利生の雨ふりて 田畑のつくりは生き上り
之ぞ万作豊年と 民の喜びかぎりなし
百万一分の御思をば 報ぜん為や御礼と
ばしょうせおうて伏し拝む 本を申さば長けれど
雨乞いお礼は之迄よ
註 本踊につき別紙の如き解説があるが之は誤りで、やはり盆の(念仏・かんこ等と同じ)踊と思われる。


73
85.愛知北設楽郡設楽町 第三次収録 (1957.12.6〜8)
(附 花祭下見)
上田年夫氏 本田善郎
佐野哲志 角谷 河合金太郎
助力者 北設町村会事ム局 氏原 智
設楽町助役 竹下喜兵ヱ
設楽町三都橋 伊藤 馨
東栄町 月 村雲 (中日設楽支局長)
◎設楽町三都橋にて収録
さん候祭(無形文化財)
毎年十一月十七日 旧折立★オリタチ★村氏神、津島神社の祭礼に、その境内で行われる七福神の舞である。永禄年間に記述されたものによれば、「折立牛頭★ゴヅ★天王八王寺田楽祭」とある。しかし、この祭りは、鳳来寺・田峯・新野・西浦・那知などの田楽とは異り、室町の頃の延年風流の流れを汲むものと思われる。それが田楽祭と言われるのは、元来田楽の一面を包含しているからであろうし、昔はもっと田楽らしかったのかも知れない、とに角何時の頃か、観音信仰を持ち、七福神芸能をもった修験者が此地に入り、村人に授福の祭として行ったものと思われる。
問答歌謠の中には、花祭り歌謠と同じ思想があり、室町末期には長篠・黒瀬・双瀬・田峯・古戸・大代・小代・作手・田内・神田・小林・栗代・田口・十ヶ村と共に折立芸能が加わって長江観音堂前に例年十一月十八日 火祭・獅子舞・田楽等を演じてきたが、江戸時代二百六十年の農民統制でいつしか姿をけし、信仰と唯一の慰安とが、
「百姓どもをば、死なぬよう生きぬようにと合点致して収納申しつけよ」とか
「盆の帰りも三夜をすぐるべからず」と言った徳政暴政に屈しなかったもののみが今日に残った。
それがこの「さん候まつり」であれば、この中に室町末期の狂言風流や中世の猿楽研究の資として貴重なものがあると思われる



74
この日氏子は搭の木の観音堂に集り、大般若経の転読があり、午後三時頃、本尊の十一面観世音を御輿に移し、津島神社に渡御となる。
その行列は、榊・禰宜・庄屋(区長)・獅子・旗二本・笛二人・太鼓二人・戸拍子・御乳子・旗二本・花篭・旗二本・庄屋(区長)・若党数人・御幣・御輿・御神刀・庄屋(区長)・氏子総代の順序である。
この途次御乳子(千子)の舞が二度あり、神社に着いた時にも先ず御乳子舞が行われ、その後観音像を内殿に安置する。
こゝで一同夕食、休憩、その間不動役者は沢谷★サヤ★の滝に行って垢離をとり、納湯用の水を汲んでくる。
拝殿の一隅を楽屋とし、前庭にしめ縄をはり、その中に釜戸を作り、大釜を据えて湯を沸す。一隅に篝火をたき、一隅に神座・ハヤシ座を設け、扮装した神々が一人づつ出て弥■と問答する。
設備や三人舞は花祭りに似ているが、その他、動作や問答は田楽に似ている。これは田楽が申楽を経て能狂言に至る過程にあるものであろう。
出場者の役々は下記
弥■一人、烏帽子役三人
不動・蛭子・弁天・毘沙門天・大黒・布袋・寿老神・福禄寿
駒・殿面★トノメン★・さい払い面・獅子
笛・大太鼓・手拍子
以下その演出について記す
深夜十一時頃、開始
一、不動の舞
弥■
かゝる尊き神座へ■すさまじき姿★ナリ★をして御出たるものは何者にて候
不動
さん候、某は滝に住む大照不動明王にて候

不動様には何としてお出でなされ候

一粒を千粒と思う滝の水、みだりに汲みとるいわれいかに

成程御立腹は御尤もに候共、当所にまします牛頭天王八王子並に白山大権現。
十一面観音其他大小の神祗へ五穀成就万民繁昌のため湯を献じ奉らんと
御ことわりもなく汲み申し候。併し、明王様にもその湯を御献上なされ候之。

さもあらば、何しに神威をおかすべし、■が言う通り則ち大小の神祗是にまします
しからば悪席降伏の不動の舞を致して帰らん

明王様の右にお持ちなされて候は、何にて候

これは悪魔ゴウブクを追払う御剣・理剣でござる

左にお持ちなされしは

これは悪魔ゴウブクをからめとるバクの縄にて候
(問答ののち、釜の前に到り、五方の舞あり。五方の舞とは右に剣、左に鈴を持ち、東南西北中に剣と鈴を振りつゝ拝する。次に剣をかざし、下の文句をとなえて、鈴をふりふり釜を三廻りする)

トウトウタラリヤ滝の水(三回)
(弥■も不動に和して下の文句をとなえる)

日は照れども絶えずつくせず(三回)
(湯を献じて不動退場と入違いに蛭子がくる)
二、蛭子
ネ.かゝる貴き神座へ見なれぬ風俗にておいでたる、何者にて候
エ.さん候、其は天照皇大神宮の三男・西の宮蛭子三郎にて候
ネ.蛭子様にはこれへ如何致しに御いで候
エ.されば当所に神楽あると聞き、惣氏子中へ福を授けんと思い参って候
(問答ののち五方の舞をする。そのとき南北東西中に向って魚釣の態をなしつゝ下の文句をとなえる、弥■もついて下の文句を■える)
エ.謹請東方に糸をふてて魚を釣らんとすれば、東方にて冨蔵を釣り出す


76
ネ.蛭子川イクセや渡る。トセヤマモゝセヤ渡る。ヤアハアガミのセナレヤ、モヤセヤ渡る
エ.謹請南方に糸をふてて、魚を釣らんとすれば、南方にてナナナミの蔵をつり出す
ネ.蛭子川イクセや渡る。トセヤマモゝセヤ渡る。ヤアハアガミのセナレヤ、モゝセや渡る
エ.謹請西方に糸をふてて、魚を釣らんとすれば、西方にさゞ波の蔵をつり出す
ネ.蛭子川イクセや渡る。トセヤマモゝセヤ渡る。ヤアハアガミのセナレヤモモセヤ渡る
エ.謹請北方に糸をふてて魚を釣らんとすれば、北方にて宝蔵の蔵をつり出す
ネ.蛭子川、イクセや渡る。トセヤマゝセヤ渡る。ヤアハアガミのセナレヤ、モモセヤ渡る
エ.謹請中方に糸をふてて、魚をつらんとすれば、中方にて大照不動の金蔵をつり出す
ネ.蛭子川、イクセや渡る。トセヤマモゝセヤ渡る。ヤアハアガミのセナレヤモゝセヤ渡る
(終って湯を献じ、休んでいると毘沙門が出てくる)
三、毘沙門
ネ.かゝる貴き神座へ見なれぬ風俗にて御いでたるは何者にて候
ビ.さん候、其は鞍馬山の毘沙門にて候
ネ.毘沙門様には是へ如何致しにおいで候
ビ.されば当所に神楽あると聞き、氏子に福を授けんと参って候
(この時、休んでいた蛭子が毘沙門の後へきて、釣竿で毘沙門の頭を叩く。毘沙門おどろいて振向き)
ビ.汝は見苦しいなりをして何者なるぞ
エ.さん候。其は西宮蛭子三郎にて候
ビ.ヤー、汝は一とせ島に流され、ナベの内を敷地とし、今東土に帰り万の初尾★ウオ★を食い乍らかゝる神座へ出しゃばって見苦しい家へ帰れ帰れ
エ.先ずお待ちなされ、私は神主の御意にて氏子繁昌のため七福神の舞を致して候
ビ.いや推参な事をいう、七福神の舞はこの毘沙門が請取った、早く帰れ帰れ
(と鉾で突きかゝるので蛭子は逃げ入る。毘沙門は五方の舞をする。持ちものは鉾)
ビ.五穀成就の舞納め、舞いおうず(三度)



77
(と湯を献じて入る。入替って大黒が出る)
四、大黒
ネ.かゝる貴き神座へ見なれぬ風俗にて御出でたるは何者にて候
ダ.さん候、其は七福神の内、ダゞラ大黒にて候
ネ.大黒様には此所へ何としておいでなされ候
ダ.当所に神楽あるときゝ、身がゾングリ〈として来て候
ネ.成程、氏子繁昌のため神楽を致しますが、ようこそ大黒様にはおいで成された。みれば様々の道具をお持ちなされたが、夫は何でござりますか
ダ.成程、これは七福神大黒の道具にござります
ネ.こちらの左にありますは何であります
ダ.これか、これは延命小袋
ネ.右の手にお持ちなされしは何であります
ダ.これかな、これはダゞラ大黒の打出の小槌
ネ.後に何ぞ菰包みのようなるものは
ダ.これかな、これはダゞラ大黒の大福俵
ネ.まだ何ぞ、ブラ〈したものがあります
ダ.もうない筈だが
ネ.いゝえまだあります
ダ.これかな、これはかくれみの、かくれ笠
ネ.その四角なるものは、何であります
ダ.もうない筈だが〈
ネ.まだあります。イゝエまだあり…そ、そ、それであります
ダ.あゝこれかな、これは氏子繁昌の五穀を祈る升に斗掛
ネ.成程、良き道具を御持参なされます、腰に何やらチリン〈とさがりたるは何であります
ダ.もうない筈だが〈、こ、こ、これかな〈、これは天竺テンタイ大師のあつらいものチンカラリンのカンカラリンと申すもの
ネ.見ますれば、腰にサスガでもなし、小刀でもなし、大黒様には腰のものはないはずだが、



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ダ.もう何にもない筈じゃが
ネ.いえ、まだあります〈
ダ.もうない筈ぢゃが〈〈
ネ.いえまだあります〈、それそれ、それであります
ダ.コゝこれかな
ネ.それであります
ダ.これは見せてならぬもの
ネ.それその名は何と申しますか、おきかせ下さい
ダ.コ、これは女中方の好かっしゃる、ヌメクラ棒というものよ
ネ.これは珍しきものを御持参でござります。どうぞ御披露なされませ
ダ.これは見せてはならぬもの
ネ.どうぞ御披露〈
ダ.見せてはならぬもの〈
ネ.どうぞ御披露〈〈
ダ.ウチマゝヨ、ヌメクラ棒〈〈〈〈
(と、紙に包んで水引のかけてある男根を模した棒の紙をとり、それをふりふり見物に披露する。そののち、槌と鈴で五方の舞をし、湯を献じて入る。入替いに弁天が出る)
五、弁天
ネ.かゝる貴き神座へ女性の身として何者ぞ
ベ.さん候、七福神の内、弁財天にて候
ネ.弁天様には何としておいでなされ候
ベ.氏子繁昌、五穀成就のため、清らかな湯を献上致さんとして来候
(と鈴と扇で五方の舞をなし、湯笹で湯をかきまぜつゝ下の文句をとなえる)
ベ.当所当村氏子繁昌、湯玉サンジャク
(と、湯笹を三度いたゞき、湯を献じ、湯笹を捧げたまゝ下の文句をとなえて入る)
ベ.かんなぎ高島帽子並に七村半の惣氏子、清らかなる湯の花をくれん、社を清め、身を




79
清め、喜んでおるぞ、柳の葉、イトナミの氏子どもようきけよ
六、太平楽
(エボシ役三人が釜の前で扇を開き下におき、その上に鈴をおき、下の文句をとなえて三拝)
エ.エボシ役三人にて、鈴と扇と持ち合わせ、まいまいすれば、千年の神も舞い遊ばん(三度)
(左足より立ち扇の舞をする)
1.扇と鈴で五方の舞、了って釜を三度廻る
2.扇と鈴をもったまゝ、小指で手をつなぎ合い、円くなった左へ三度、右へ三度廻り、手をはなして釜を三度廻り、前位置に戻る
3.三人扇をもった手を中心に互につなぎ合い、右へ三度廻り、釜を三度廻る
4.三人鈴    〃            左     〃
5.釜の三方から釜に向って三度舞い合わせる。これを釜つりという、そして釜を三度廻る
6.三人互に左右の人と舞い合わせ釜を三度廻る
7.2と同じ舞
8.外向きで小指をつなぎ合い、左へ三度、右へ三度廻り、釜を三度廻り、扇の舞
(次に剣の舞、前の扇を剣にかえて、1〜8と同様に舞い、9として)
9.刀をふり冠り、ふり下ろしつゝ、「エンヤハハ」とかけ声をして、右図の如く飛ぶ
(これが終ると布袋が出るが、この舞は花祭の三つ舞と殆ど同じである)
七、布袋・寿老人・福禄寿
ネ.かゝる貴き神座へことすさまじきなりをして御出でたるは何者にて候
ホ.さん候、其は七福神の内、布袋にて候
ネ.布袋様には何としておいでなされ候
ホ.さん候、当所氏子は子孫繁昌のため、子福を授けんとして来て候
(と問答あって、釜を三度廻ると寿老人が出る)
以下別冊

§豊橋地方
豊橋市瓦町 豊橋市郷土史家 豊田珍比彦★ウズヒコ★